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2010/03/31

伊藤正男先生への満場の拍手

伊藤正男先生の、理化学研究所での小脳のシンポジウムに行く。

Commemorative Symposium “The New Horizon of Cerebellar Research”

思えば、大学院で博士号をとった私が、脳科学を始めるきっかけを与えてくださったのが、伊藤先生だった。
 
伊藤先生のトークが終わると、会場の人がみな一斉に立ち上がって、スタンディング・オベーションとなった。感動的な光景だった。

伊藤先生、本当にありがとうございました。感謝を十分に表す言葉もありません。

3月 31, 2010 at 07:33 午前 |

The kindness of Oscar Wilde.

The kindness of Oscar Wilde.

オスカー・ワイルドの親切心

The Qualia Journal

31st March 2010

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3月 31, 2010 at 07:24 午前 |

空海

市川海老蔵さんと、代々木八幡の大日寺にて、大栗弘榮師のお話をうかがう。空海について。

空海が若き日に行った厳しい修行。いかに自分の限界を超えていくか。海老蔵さんが歌舞伎に向かう姿勢と重なる。

3月 31, 2010 at 07:23 午前 |

2010/03/30

Butterfly encounters

Butterfly encounters

蝶との遭遇

The Qualia Journal

30th March 2010

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3月 30, 2010 at 09:05 午前 |

「笑っていいとも!」お花のお礼

昨日(2010年3月29日)の「笑っていいとも!」出演の際、たくさんの方からお花をいただきました。

本当にありがとうございました。
ご好意、身に沁みました。
ここに、ご芳名を記し、心からお礼を申し上げます。

(順不同。敬称を省略させていただきます。)

NHKプロフェッショナル仕事の流儀
ロンドンブーツ1号2号
(株)幻冬舎
「恋するナポリタン」スタッフ一同
GAIA 滝北由子
(株)朝日出版社 原雅久
美×脳科学研究会
毎日新聞社「文明の星時間」
コルテオ仙台公演事務局
「脳にいいことだけをやりなさい!」(株)三笠書房
フジテレビ ザ・ベストハウス123
本上まなみ
中央公論社
ギャガ(株)
(株)日企
ニッポン放送「茂木健一郎のオールナイトニッポンサンデー」
カネボウ化粧品
(株)PHP研究所
カネボウ化粧品 脳科学プロジェクト
東京工業大学 茂木研究室
秋元康
文藝春秋
河村隆夫
小学館 週刊ポスト
講談社 文庫出版部
(株)世界文化社 家庭画報編集部
朝日カルチャーセンター 受講者有志一同
一ファン桜
(株)大東医療ガス 野澤真一
朝日新聞出版 書籍編集部
対談「裏切りの流儀」高田純次
きくち ファン代表
廣済堂あかつき(株)
春日部中学校同級生一同
(株)c-blockスタッフ
NHKサービスセンター 樺沢泉
(株)集英社 UOMO編集部
(株)青山出版社 白井英俊
栃木県那須の芸術コロニー奇特な関係者GM
(株)文藝春秋 CREA編集部
(株)フジテレビジョン「エチカの鏡」スタッフ一同
「龍馬脳のススメ」編集一同

改めて、心からお礼申し上げます。


3月 30, 2010 at 08:23 午前 |

2010/03/29

Altruism

Altruism

利他性

The Qualia Journal

29th March 2010

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3月 29, 2010 at 08:35 午前 |

花見

東京国際フォーラム。

よみうりGENKIフェスタの会場は熱気に包まれていた。

読売ウィークリー時代から御世話になっている二居隆司さんがお誘い下さって、中学受験を考えている子どもたちとその保護者の皆さんに向ってお話した。

上野公園へ。

花見。

今年はこじんまりとやろうということで、研究室のメンバーを中心になごやかに。

東京芸大出身の植田工、蓮沼昌宏が場所取りをしてくれた。本当にありがとう!

蓮沼はこのほど、布施英利さんの指導の下、晴れて博士になったということで、実に目出度い!

芸大で出会った時、君はハトの絵ばかり描いているから「ハト沼」と言われていたんだったね。

ハト沼が博士になった。

ぼくたちの花見

夜になるにつれて人が徐々に集まってきて、花見らしくなってきた。

石川哲朗や、柳川透と、「がんばろうぜ!」と乾杯した。

侍の姿をした流しのお兄さんがきて、歌をうたってくださった。

塩谷賢も来る。

学生時代、塩谷とよく上野公園をふらふら歩いていたっけな。


夕方の桜


夜の桜


塩谷賢との花見。


桜を撮っているところを、吉村栄一さんがiPhoneで写して送ってくれた。

3月 29, 2010 at 07:37 午前 |

2010/03/28

The passion of Richard Dawkins

The passion of Richard Dawkins

リチャード・ドーキンスの情熱

The Qualia Journal

28th March 2010

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3月 28, 2010 at 09:19 午前 |

山の様子

先日、観音寺に行く途中に列車の窓から見た山の様子。

いつも、こんなこんもりした山を見て、近くにその気配を感じて暮らしているのは、きっと素敵なことだろう。


3月 28, 2010 at 09:17 午前 |

よみうりGENKIフェスタ

よみうりGENKIフェスタ

2010年3月28日(日) 
東京国際フォーラム

12時30分〜13時30分
茂木健一郎 講演
(整理券当日配布)

詳細

3月 28, 2010 at 09:14 午前 |

2010/03/27

Try to forget

Try to forget

忘れることを試みよ

The Qualia Journal

27th March 2010

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3月 27, 2010 at 07:04 午前 |

蒸気機関車

今度は、やり方もわからないのに、蒸気機関車を運転してしまった。

最初の駅に近づいて、ブレーキのかけ方がわからないことに気付いた。早めに減速しすぎて、また加速した。ホームのお客さんがうろうろしすぎて、ぶつかるんじゃないかと恐かった。

そのうち、蒸気機関車は廊下のようなところを走っていた。ぼくはいつの間にか外にいて、追いつこうと必死に走っている。ところが、太ももがやわになってしまっていて、ゆっくり走っている蒸気機関車との距離がなかなか縮まらない。
 
いったん起きて、うとうとしている間に蒸気機関車は現れた。夢というのはいつでもどこでもふしぎだ。

3月 27, 2010 at 06:40 午前 |

2010/03/26

笑っていいとも

来週月曜日、海老蔵さんが回してくださったので、「笑っていいとも」にうかがいます。

奇特な関係者の方、スタンド花をお寄せくださるととてもうれしいです!

3月 26, 2010 at 02:05 午後 |

Strike out

Strike out

三振

The Qualia Journal

26th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 26, 2010 at 07:33 午前 |

小さな奇跡

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の制作班の合宿。

今まであったことをいろいろと、しみじみ振り返った。

夕食の時に、ビンゴがあった。今までビンゴなんて当たったことがなかったのに、住吉美紀さんの好きなのを当てるビンゴで、ぼくが一等賞になった。

ふしぎだ。

すみきちから、シュガー・クッキーをもらった。

小さな奇跡って、こんな風に降臨するんだね。

3月 26, 2010 at 07:26 午前 |

2010/03/25

ほんものの黄金色

以前、島田雅彦と出雲に行った時に、ほんものの黄金色は灼熱の中で溶けた金属の中にあると知った。
いつも、心の中にほんものの黄金を持ちたい。
クオリア再構築。

http://www.amazon.co.jp/クオリア再構築-常識の壁を突き抜け、遡る5つの対論-島田雅彦/dp/4087813975

3月 25, 2010 at 10:02 午前 |

脳のトリセツ 〝困った人〟には理由がある

週刊ポスト 2010年4月2日号

脳のトリセツ 第35回

〝困った人〟には理由がある

恋人に電話やメールを頻繁に要求するタイプは、子どものときに母親から不安定な愛情を受けたケースが少なくない。

抜粋

 親しい友人に、半ば冗談で「平成の対談王だよ」と言うくらい、いろいろな方にお目にかかる。
 かつて、映画評論家の淀川長治さんは、「私は未だかつて嫌いな人にあったことはない」という言葉をモットーにしていた。私も同感である。素晴らしい個性を持つ人々に出会うのは、生きる上での最大のよろこびである。
 ただ、どうしても苦手なタイプがある。どのような人かと言えば、ずばり「ナルシスト」。自分のことばかり話したり、他人に対する思いやりがない人に出会うと、背筋に悪寒が走る。「うわー、イヤだ」と思ってしまうのである。
 そんな時も、できるだけ相手の一番良いところを引きだそうとする。一生懸命、にこにこ笑いながら話をして、違和感を抱いていることを絶対に相手に悟られない。
 そうして、対談が終わると、「さようなら〜」と後ろを振り返らずに逃げていく。気味の悪い後味を、できるだけ早く忘れようとするのである。
 どこの会社でも、職場でも、一人はナルシストがいるのではないか。周囲が密かに「あいつはナルちゃんだね」と言っているのに、本人だけが気付かない。困ったものだと、胸の中で思って我慢している人は多いだろう。
 ひとりの人間としては、ナルシストにかかわるのは大変だなと思う。しかし、ひとりの科学者としては、ナルシストを切り捨てるわけではない。なぜそうなったのか理解したい。そして、できれば、助けてあげたいと思う。
 脳科学は、決して人にラベルを貼るために存在しているわけではない。ある人がある状態に陥っているその理由は何なのか解明することで、本人も周囲の人も、よりよい人生を送る方法が探れればいいと思う。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100402jp/index.html

3月 25, 2010 at 09:47 午前 |

文明の星時間  文明のピンポン外交

文明の星時間  

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第107回  文明のピンポン外交

サンデー毎日 2010年4月4日増大号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 ところで、海外では、黒澤映画に描かれている侍たちは日本人の一つのシンボルのように見なされている。それは、もはや失われてしまった「かつてあった日本」かもしれない。いずれにせよ、機知に富み、勇気があり、刀一本で敵を倒す侍の姿が、日本人の一つの理想的なあり方として認識されているのである。
 まだ日本に来たことがない人々と話していて、黒澤映画を見た彼らが日本に対する募るあこがれを告白するのを何度も耳にしている。それだけ、黒澤明さんの作品が日本という国のイメージについての「宣伝大使」のような役割を果たしてくれているのだろう。
 黒澤作品に描かれた侍たちの姿が、「日本的」なものであることは論を待たない。それでは、それらのイメージが「純粋培養」されたものであるかと言えば、少し違うだろう。
 文化というものは、一つの国だけで育まれるものではない。黒澤作品は、確かに多くの国の映画人に影響を与えたかもしれない。しかし、逆に言えば、黒澤映画もまた、世界のさまざまな作品の影響を受けて成立しているのである。黒澤明監督自身が、『用心棒』は、アメリカの作家ダシール・ハメットの『血の収穫』に影響を受けたものと認めている。
 アメリカ生まれのハードボイルド小説が、侍たちを主人公にした日本映画をインスパイアする。今度は、その日本映画がマカロニ・ウェスタンの傑作に影響を与える。そのようにして、影響は文化の間を往還していく。文化は、一国だけで完結しているわけではない。そもそも、「マカロニ・ウェスタン」というジャンル自体が、イタリアで制作された西部劇という一種の混合体である。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

amazon

3月 25, 2010 at 09:40 午前 |

Life is not a belt conveyor

Life is not a belt conveyor

人生はベルトコンベアではない。

The Qualia Journal

25th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 25, 2010 at 08:08 午前 |

塩谷賢の『神々の黄昏』

私の親友である塩谷賢から新国立劇場のオペラ、ワグナーの『神々の黄昏』を見た感想が届きました。
大変興味深いので、ご披露いたします。

(原稿用紙にして、20枚あります!)

From: "Ken Shiotani"
To: "Ken Mogi"
Subject: 3月24日 神々の黄昏の感想
Date: Thu, 25 Mar 2010 04:25:44 +0900

to Mogi

今日、「神々の黄昏」、観てきました。
山崎氏は今日来るといっていたが、会うことはありませんでした。
「ジークフリート」のときのように話ができないので、とりあえずの感想、
あくまでも今日見て感じ、コジツケた考えですが、少し書いてみます。

不思議に感じてしまうのですが、このところ、哲学的?な疑問について苦しんでいると、
展覧会や演奏会、オペラでそれに関連したヒントが与えられることが多い。
まあ、実際は、僕の関心の視角のなかでしかモノを捉えられず、十分な多様性というか多義性というか、厚みを持つ作品がそれを横切っている、ということなんでしょうが、感性においては自分を支点として現実を捉えるので、どうにも不思議に思ってしまう。(この実際に、というのは視点のない知性のモデル/欺瞞かもしれない)
今回は、「逸脱」を中心概念として時間の経過と新しさの到来を考える際に出てくる「無/消去/忘却…」というファクターが気になっていた。
それと関係付けて考え始めると、ハーゲンの性格付けと指輪の意味がポイントになる。

第二夜でジークフリートがブリュンヒルデを巻き込んだ「愛」は全ての規定を超え、イマ、ココの絶対性そのものを示す。ブリュンヒルデの思考の中に書き込める愛(の理念)を彼は打ち破った。
このことはジークフリートがグンニグルの槍を、規定の契約の根幹とされるルーネ文字を打ち砕いた「英雄」であることと相即的である。
その性愛は、生殖や快楽や情欲を目的としたものではなく、そこにそのまま行われるという動詞の現在形の絶対であった。情動はその迸りであり、情「欲」として求められるものではなかっただろう。

では、その「愛」について誓うことはできるのだろうか?
次の朝、二人が顔を出す。「愛」の現在は現在なのだろうか?
絶対的なイマココに残滓があるのだろうか?
「黄昏」での二人の愛は「絶対ならざる遂行」になってはいないだろうか?

イマココの絶対の遂行に対して、時間であるかぎりの「過ぎ行き」、ある「無」の陰りが伴ってしまう。
ファウストはそれに抗して「時間よ、止まれ。世界よ、お前は美しい」と言ったのではないか。
しかし時間が止まってどうして「遂行」、動詞の現在形でありうるのか。
この陰りのおかげで「もうない」、「まだある」、つまり恒存性が派生する。
この陰りは、深く関わるが決して否定ではない。正+反—aufheben→合によって捉えられるものではない。
それはあってしまった、という現在完了において射し込む陰りとして示唆されるだろう。
否定はnegativeな現在形として遂行なのである。それゆえこの陰りの指す「無」は存在の無ではない。また完了形で示唆されるといっても過去という存在ではない。陰りは存在の平面に語られたり存在と並べられたりする無ではない。あえて言えば、それは全く違う無という「様式」なのである

ハーゲンは二重の性格をもつ。それが遂行としての否定と完了としての陰りなのである。
はじめにギービヒ城での計画を語るハーゲン、二幕途中から(見張り歌あたりから)最後までのハーゲンは「英雄」ジークフリートの否定、ある射影面(伝統・保守・常識…絶対ならざる遂行の世界)でのネガとして働く。
しかし、第一幕の岩山でのブリュンヒルデの陵辱から第二幕導入のアルベリヒ殺しまでの椅子に座ったハーゲンは陰りであり、遂行、現在進行形に「差異化している」(適当な自動詞がないので困る)。その派生として、現在進行形は物語として時間的に差異化された構造をとるように差異化してくる。両者は作用しあうのではない。作用しあえるのは進行形のpositiveとnegativeの両極なのだ。
その両極は幕の推移を挟んで示される。positiveのジークフリートとnegativeのアルベリヒである。
ジークフリートはヴォータン=光のアルベリヒの権力を奪取し、受け継いだのだ。
ハーゲンはそれとは異なる「様式」としての「動かざる動詞」なのである。そして否定との深い関係、存在や記号にに依拠してつい混同してしまうことがアルベリヒの「息子」であり、「眠っているのか?」なのである。
ハーゲンがこの混同を打ち消すようにアルベリヒを殺すとき、それは「陰り」が現在形を常に脅かし、屈服させることを示すとともに、陰りが過去として否定に隠されることでもある。ハーゲンは殺しにより否定となり、劇中の「絶対ならざる遂行」へと再び参加してゆくのである。 

ジークフリートがヴォータンの権力を受け継いだことは、既にジークフリートが「絶対ならざる遂行」に染まっていることを示す。
第一幕の様々な誓いをなすことは、絶対の遂行、絶対の逸脱、絶対の新しさとしての「英雄」からの逸脱である。絶対ならざるからこそ、それらは相克し、矛盾し、好もしくなく見える。相克し矛盾するのは時間の自然なのだ。それが悪く見えることは「陰り」という用語を僕が使ってしまうという我々の心性なのだ。
名と誓い、記号と契約に基づいた相克があることが、それを記号と契約としているところで生きていることが問題なのだ。ブリュンヒルデは絶対的遂行たる「愛」から自らを「絶対ならざる遂行」としての愛へと移行させた自らの愛の誓いを、その移行が生じさせた他の「絶対ならざる遂行」によって。

ハーゲンの忘却の薬のなせる業か?忘却とはなにか?それは制約の解除であれば新たなるもの、更なる創造に必要なものなのだ。だからジークフリートはグートルーネを愛したし、グンターと義兄弟となれた。忘れなければよかったのではない。忘却・消失は、介入・逸脱・創造としての時間の進行には不可欠なものなのだ。存続・継続・未来・過去ではなく、絶対の現在であり続けることが問題だったのだ。時間の進行に常に伴うある「無」の陰りを、ある意味で「時間」を超克することが「愛」に課されていたのだ。

ジークフリートはノートゥングに問いかける。「俺の求愛は作法に適っていただろうか?」。
どうしてノートゥングは応えることができようか。その刃でルーン=規定・契約の根幹を砕いたのであれば。
どうして関わることができようか?「絶対の現在」へ向かう力である剣が、「絶対ならざる遂行」へ向かう道標として。(帰還してグートルーネからの傘を得たあとジークフリートは死の前の独白での1回以外はノートゥングに触れることはなかった)

ヴォータンとアルベリヒ、二人のいわゆる至高者もまた「絶対的遂行」を夢見ながら「絶対ならざる遂行」にしか生きられないのだ。だからふたりとも「光と闇のアルベリヒ=小人」なのだ。

そうすると指輪の意味がこの絶対的遂行、絶対の動態性、「愛」に課された課題と関わるものと考えられてくる。「愛を諦めたものだけが指輪を手に入れられる」とは「愛」は指輪を必要としない、ということだ。逆にいえば指輪は「無」の陰りを、「時間」を超克した絶対の遂行の物象化としての指標、絶対の遂行の存続化の指標ではないか?全てを、全時間の存続の長さ=永劫にわたって絶対の遂行の現在とすること。これは至上の富、至高の力、究極の到達点であろう。だが、イデア界や永遠の真理、超時間性などの空間イメージやそれに根ざす概念によって、時間の超克がなされるのではない。時間は時間として自らを超克し、絶対の遂行がやはり遂行・時間であることのでなければならない。このこと自体が(概念的には)相克する。
この相克が指輪の呪いの本体ではないだろうか。なぜなら、陰りのない現在であるためには、消失が現在になればよいからである。無の「無」は普通は考えられない。
「愛」と「死」。「愛」に課された時間の超克の課題は「死」によって一応は解かれる。だがこれは自己超克的でも創造的でもない。イマココのココを失うという形での処理である。時間と空間は切り離せないなら、この解答は落第であり、だからこそ呪いなのである。普通の考えのままでいることが僕には呪いの一部に見える。
(死ぬことそのものは他の文脈、他の逸脱でもありうるので、死だから呪いだ、というのでは常識的な意味しか付与できないだろう)。
つまり指輪は時間性の出した時間における時間の超克という内部観測的な?問いであり、ある意味で閉鎖化する(概念的な自己相克という閉ループ)。だからGoldそのものでなくRingなのだ。

指輪のアポリア、それがまた契約・記号の再帰性と有効性を導く。槍のルーンは砕けたのに、誓いの効力は生きている。折れた槍の穂先(=トネリコの幹)に乗って時間を進んでいるように見えるブリュンヒルデの小屋が、その穂先がさらに砕かれたときに陵辱が起こり、悲劇へとなだれ込む。なにがさらに砕いたのか?

「絶対ならざる遂行」は絶対的遂行以上に過剰な要求をする。それは時間の超克を己の、名誉/純愛/権力といったものの存続の形で要求する。指輪の課題以上の要求である。それゆえブリュンヒルデは「この裏切りは世界中の血でも償えない」と指輪以上の要求をする。
なぜ?「絶対の遂行・絶対の現在であり続けること」を過去・陰りのシステム化の中でそのまま行おうとするからだ。これが第二幕の状況といっていいだろう。既存の時空イメージ、既存の存在様式の上に過大な要求を皆が重ねていく。相克が起こり、相克として発現するように要求は誓い・契約の形をとる。陰り→否定のシステムの中で、「絶対ならざる遂行」は落第の答え=死へと向かっていく。復讐という形でのみ現れる契約。守るという形は偶然の賜物に過ぎないのではないか?復讐がなされていないから守られているのだ、というのにすぎないのではないか?ウィトゲンシュタイの規則のパラドックスと同型ではないか?
この自己再帰的な契約としての未来、自己否定としてしか自己を成立させない契約が穂先=自らをさらに砕いたのだ。Ringの閉ループの形が共鳴しているのか?

指輪は、時間の進行は、絶対の遂行と陰りという形でしか暗示されず、それとして(an sich)出現することはない、少なくとも内容・資源・思考として/の次元ではないことを示すのではないか?そのかぎりでフロイトの欲望、マルクスの真の労働と同じ配置構造をもつ問題だろうか?ハイデッガーの不安と死に向かう現存在をむしろこの方向で考えたらおもしろいのではなかろうか?第三幕のジークフリートが思い出すことは、正しい認識に立って「愛」を思い出したから重要なのではない。絶対的現在である「愛」を思い出すことは、それを現在の力のに変異させることである。彼が一度断たれた絶対的遂行たる「愛」を続けようとしたことが重要なのだ。陰りを含みこんでしまった現在をさらに陰りを乗り越えさせようとした。だが、はじめから「一」つのものを「保つ」ことは「多」/「他」となってしまったものを現在とする(「一」にするのはその一つのやり方)のでは次元が異なる。彼にそれはできなかった。「英雄」は陰りを知らない。だからこそ「絶対的現在」に触れられたが、絶対的現在を絶対的多・他とともに止揚させるすべを知りはしなかった。幻想と死という形でしか彼はあの「愛」に生きることはできなかったのだ。だから彼の死の音楽はこの形の「亜wE=現在」の力を示している。愛のモチーフと強打が敵対するのではなく調和して強め合っている。なんと朗らかで喜びに充ちた哀しい音楽なのだろうか。彼は「英雄」であるがゆえに、死ななければならなかった。もしかすると「英雄」という規定をするということが、既に先のRingの閉ループへの共鳴となっていたのかもしれない。だとすれば彼は死んだから、初めて「英雄」として捉えなおせたのだ。絶対の現在をいき続けていたならば、ハーゲンが陰りを示していたように、もっと凄まじいもの、この世ならざる恐ろしいものであったかもしれない。(ハフナー?)。(今回の照明には不満足。ジークフリートの歩みとともに明暗のコントラストをもっと強烈にして、白い道と黒い周囲だけにしか見えないようにして欲しかった。)ジークフリートの死後、ブリュンヒルデは同じように「愛」を生きなおすことはできない。彼女は「愛」の「絶対ならざる遂行」への変異態たる愛に留まらざるを得ない。「愛」の残滓を誓い・記憶・言葉・心で飾り付けることしか、「愛」に生きることの模倣と思うものしか行えない。彼女は既にそれに気付いている。(「全てを知り、…全てを諭w揄オ…悟りを得た」といったような字幕があった)。彼女は装飾である愛を死につなげることで、歓喜に浸る。死は彼女に残された唯一つの絶対的遂行、ただし落第生の答え、であるのだから。ヴォータンの不安と焼失の準備も同じ心の産物ではなかろうか。ただヴォータンはより知恵があり、それが落第だということも知っていたろう。三幕後半のブリュンヒルデの感情と力のない交ぜになった告白・連祷は凄いし、感情に訴えかける生々しさは言を俟たない。だが、それで全てか?ブリュンヒルデの愛の力、感情の迸りの激しさ、彼女自身の肉体の燃焼の絶唱が炎ヴァルハラを焼き尽くしたのか?神々の罪とはなにか?ブリュンヒルデに復讐されるような無情な取り決めをしたこと、相克を司ることなのか?むしろ、生きること、絶対の現在を生きようとすること、絶対の遂行、偶然をつむぐことを、誓いや契約、記号で支配できると、契約や理念・意味や名誉は脱/超時間的なものとして存続し永遠に関わることだと偽ったことではないか。時間が介入・逸脱・創造であるなら、契約・法は破れざるを得ない。しかし陰りがあることで、時間を時間的に超克しないかぎり、陰りは「介入・逸脱,し続ける」ことの「破れ」において否定として力を持ち、その一形態が、契約の否定、法の侵犯という見かけをとる。この力を契約・誓約の力として簒奪し、力の行使されない状況を遵守の力と僭称したことが罪ではないのだろうか。すると神々もまた「絶対ならざる遂行」での過大な要求をしていたのである。自己再帰的な契約、自己否定としてしか自己を成立させない契約は自らを砕くことでしか時間に参加できない。そのときがきたから燃え上がったのだ。ここで時間の進行、指輪のアポリアの大本となる時間動態性に二つの比喩があることがきわめて重要である。それは「水の流れ」と「火・炎」だ。火はいつも現在である。それは生成し消滅する。瞬き(「風の谷のナウシカ」7巻にもでてきた)や転変、刹那の生滅のようにそれは純粋に時間的な動態性を示す好例として扱われてきた。精神や霊性、神性といったものにも、例えば照明との繋がりから知性を経由するなどして炎の比喩が使われるし、火の使用は人間を動物から隔てる文化類型として、様々な加工の基本的な機能資源として人間性の根幹である自由とも関わる。ビッグバンやマルチバース、量子論的な生滅にもこのイメージにつながるものがあるだろう。だが、そこにこそ、「時間の純粋な動態性を示す」という言い方・理解にこそ問題がある。そもそもどうして時間が純粋とか時間として焦点を持ち、一つの比喩に主導権があるなどといえるのか?生滅を基礎にするとき、滅において陰りの問題がでてくるのをどう考えるのか。一つの炎しかないならともかく、複数の陰りをもつ炎たちをジークフリートより旨く扱えるのか?それを空間での配置や「新たな地平の拓け」といった拡大でイメージしていることに依拠するのでは、「時間の純粋な動態性」は怪しくなる。また燃料や燃えカス、エントロピーといった資源絡みで考えても、陰りと反復の問題はそのまま出てくる。指輪のアポリア=「時間は時間として自らを超克し、絶対の遂行がやはり遂行・時間であることのでなければならない」。が「概念的に」相克することのなす閉ループ構造と炎の比喩は共鳴してしまうのではないか。だからこそ、焼かれ燃え上がり焼尽することでジークフリート、ブリュンヒルデ、神々は「現在を生き」なばならなかったのではないか。この閉ループを伸ばしたものにおいて陰りとの関係で直線時間での過去・現在・未来、反復,などの時間論の話題が出てくるのは見やすいことだろう。もう一方の「水の流れ」はどうか。行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、とか、同じ川には二度(論者によっては一度も)入れない、などの言があるが、これらの多くは、流れを「見る」視点に立っている。時の流れに押し流されるという言い方もあるが、流れの中にいることからはそれ以上のことはでてこない。押し流される方向や結末は、外の視点の話を継ぎ合わせているのが普通である。そのとき普通の空間、並列、並存のイメージで考えてしまうと陰りとの関わりが直接的でなくなり、結局翳りは時間そのものの様態(例えば時制やA系列)として炎の比喩に廻されがちになる。炎は逆に内部、それ自身の視点で語られることが多い。だからこそ、他や多を自己/概念(この/に「理解」とルビを振りたい)に取り込んだ上での話となって、Ring/閉ループに共鳴してしまう。水の流れは「押し流す」にあるように「他」が、それゆえ「多」が関わっている。閉じられて「多/他」が蒸発してしまうような「無」が陰りに対応するのではないか?だとすると陰りはその由来において、また陰りを時の中において超克することにおいて、「多/他」との関わりで陰りは「無」ではなく何かと関わりうるなにかとして捉えなおすことができるのではないか?水は海、誕生、生成のイメージでもある。「初め水の上に神の霊が漂っていた」が創世記の最初である。また深淵という陰りももつが、それは水の一部でしかない。水の流れの比喩の方向に、時間の、指輪のアポリアに対する新たな道があるかもしれない。だからこそ水、ラインの洪水が黄昏の炎を消し、落第ではあるが一応の解答である火によって「焼かれた指輪を清め」、ラインの底で「太陽のように」輝く。ラインの黄金に戻る/なることで指輪のアポリアは解かれるのかもしれない。このように見ると、Tokyo-Ringの一つの特徴とされるラストの映写のシーンは皮肉に見えてくる。ジークフリート/アルベリヒ(現在形)とハーゲン(完了)の対座の配置で現在形の側にラインの三姉妹、完了の側にノルンの三姉妹が長いすに座っていた。ノルンたちは完了の相の下で内容を繋ぐ多様性を示している。時の動態性ではない。彼女たちは内容の配置にしか手を出せない。陰りのシステムのなかでの自由しかない。ヴォータンと交わったエルダ_、その交わりの娘でジークフリートと交わったブリュンヒルデもそうである。そして映写をする、というラストから観客へと投げかけられるとする「自由」「多様性」も同じ形態をとる。ワーグナーのこの作品自体が、作品であるということにおいてアポリアのうちで足掻くことを示しているのではないか?ニーチェが予言しつつ、本人は触れることもできない新しい種族、そこへの疑似餌であり、パロディであり詐欺師でしかありえない哲学者=ニーチェ自身、そのようなことが知らずして示されてしまう、ということの持つ意味合いを考えてみるのも面白いだろう。またこの足掻きを今生きているこの身体、この(情動・感性的な意味での)心、そこには知性や思考のような閉ループ(オートポイエーシスは思考の側にあるのであって身体の側にあるのではない)ではないかもしれない共鳴のかけらがあるのかもしれない。そこに芸術の凄さがある。まだまだいろいろあるけど、眠くなったのでこの辺で、また近々話をしたいな。Ken

3月 25, 2010 at 08:08 午前 |

深津武馬さん

つくばエクスプレスに乗るのは、初めてだった。

つくば駅で降りると、冷たい雨が降っていた。近くのスターバックスに入って、ラテを飲んだ。

それから、産総研に向かった。入り口に、日経サイエンスの古田彩さんがいらした。

深津武馬さんとお話しする。

昆虫の体内には、微生物が共生している。分子進化の観点から、一億年以上共生が続いていると考えられる事例もある。

共生を通して体色が変わったり、性が変化したり、食べることができる植物が広がったりする。

一つの昆虫は、単独の生物種というよりは、それ自体が一つの「生態系」なのだと深津さんは言う。

途中、純粋科学の立場から面白い、ということが日本ではなかなか理解されないという土壌に触れて、「それこそが、日経サイエンスの役割でしょう!」と深津さんが力強く言った。

ぼくもそう思う。深津さんの仕事は、掛け値なしに面白く、National Geographicや、Discovery Channelや、あるいはNew Scientistならば、よろこんでテーマとしてとりあげるだろう。

ところが、日本では、何らかの短絡的応用に結びつけなければ、報道もされない傾向がある。何と、科学の文化が浅いことだろう。

深津さんの目はキラキラと輝き、ああ、この人は本当に科学が好きなのだな、と思った。

深津さんの恩師の石川統先生の本は、私も学生時代に夢中になって読んだことがある。

深津さんに石川先生の思い出話をうかがって、何か大切なものに触れた思いがした。

3月 25, 2010 at 07:34 午前 |

2010/03/24

Until I seat myself under that great cherry tree.

Until I seat myself under that great cherry tree.

あの大きな桜の木の下に座るまで


The Qualia Journal

24th March 2010

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3月 24, 2010 at 07:17 午前 |

ヒカルランド

徳間書店の石井健資さん、本間肇さん、それに竹内薫夫妻とミッドタウン近くの「たか野」で会食。

石井さん、本間さんには、竹内ともども本当に御世話になった。

この度、お二人は自分たちの出版社ヒカルランドをつくるという。

そのお祝いの会である。

「それじゃあ、日販、東販の口座は入手したんですか?」

「それが、トランスビューの方に教えていただいて、書店への直販で行こうと思うんです。」

「そうですか、お二人ともベテランだから、いろいろ経験もありますしね。」

「ところが、営業の経験はないんですよ。だから、4月からがんばらなくっちゃ。」

出版不況と言われる中、敢えて新たな船出をする。おふたりの挑戦が実を結ぶことを心からお祈りしたい。

わが親友、竹内薫に久しぶりに会えて、とても楽しかった。



記念撮影。左から本間肇さん、石井健資さん、私、竹内薫夫妻。 竹内薫のtwitterから。

3月 24, 2010 at 07:06 午前 |

2010/03/23

プロフェッショナル 三浦知良

『プロフェッショナル 仕事の流儀』


キング・カズ 走り続ける理由がある

~プロサッカー選手・三浦知良~

 それまでできないと思われていた「壁」を破る人の顔は、太陽のように明るく輝いていた。
 

NHK総合
2010年3月23日(火)22:00〜22:59

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム 時代の「最初の氷」を割る人 ~キング・カズ~
プロサッカー選手・三浦知良(produced and written by 渡辺和博)

3月 23, 2010 at 08:10 午前 |

一私企業

 グーグルが書籍検索などのサービスを提供することについて、「一私企業に任せられない」などという議論を耳にすることがある。

 そのような時、私は思う。一私企業と、国家と比べて、一私企業の方が信用できないという理由は何か?

 むしろ、国家の方が信用できないことの方がしばしばあると感じる。そして、アメリカ合衆国は、そのような国家に対する不信を根本的なエートスとして成立している国である。

 国家というものは、国際法上、いくつかの制約を除いて自律的な権能を持つ存在として措定されている。「内政干渉はダメだ」というのは、そのような論理に基づく議論である。

 今朝のニュースなどを見ていると、むしろ時にとして信用するに足らないのは国家の方ではないかと思う。
 
 日本でも、政府発の大規模プロジェクトが、次々と頓挫した。ITは、一私企業に任せた方がかえってうまくいくというのが、経験則である。政府が介入すると、いずれにせよろくなことにはならない。

http://googleblog.blogspot.com/2010/03/new-approach-to-china-update.html 

3月 23, 2010 at 06:57 午前 |

2010/03/22

Words of passion

Words of passion

情熱の言葉

The Qualia Journal

22nd March 2010

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3月 22, 2010 at 08:12 午前 |

猛獣使いと猛獣

山口の山口情報芸術センター(YCAM)で開催されているDesire of Codes(欲望のコード)展に、親友の池上高志がMind Time Machineを出品しているので、そのオープニングのアーティスト・トークに出かけた。

http://www.ycam.jp/art/2010/03/mtm-mind-time-machine-desire-o.html

まずは、YCAMというすばらしいアートセンターを運営している山口市に敬意を表したい。また、今回、三上晴子さんと、池上高志というきわめて興味深い組み合わせでの展覧会を企画されたキュレーターの阿部一直さんの慧眼と熱意に、池上高志の友人としての感謝と、一美術愛好者としての賞賛を表明したい。

三上晴子さんの作品Desire of Codesは、コンセプト、完成度ともに素晴らしいもので、この作品を見に、遠方から山口まで来る価値が十分にあるものと思います。みなさま、ぜひいらしてください。

池上高志の作品は、大海悠太や渋谷慶一郎、新津保建秀が参加して成っており、ベンジャミン・リベットが明かにした「意識の時間」の構造をビデオ・フィードバックなどを伴うインスタレーションとして提示しようとした、野心的な試みである。

アーティスト・トークで、池上は「爆弾」を投げた。自分が提示したかったのは、この色をどうしようとか、ここは三角形にしようとか、そのような「見え方」の作り込みではなくて、むしろ一つのシステムそのものだったのだと。

アーティストは、細部の作り込みにこそ命をかける。しかし、それとは違う道もある、ということを池上は言った。

思うに、アートの表現形態にはいろいろある。その中には、数学や物理のように、論理を持って辛抱強く追わなければ享受できぬ芸術性もある。そのようなことが、現代においてあまりにもないがしろにされていることは事実だろう。

プラトンは、芸術そのものに対して否定的だった。表面的な美が、かえって奥にある真実に到達することを妨げる、と考えたのである。アーティストとは、猛獣のようなものだろう。一方の科学は、「神」という猛獣使いを理神化することに起源した。

池上は、猛獣使いであると同時に、猛獣でありたいと言う。わが友の挑戦に、ぼくは震撼し、そして賞賛する。

池上と魂の会話を交わしたおかげで、ぼく自身がこれからどう生きるべきか、はっきりと見えたように思う。

池上高志よ、ありがとう。君と君の素晴らしい作品に会うために、山口まで行って本当によかった。

そうして朝、池上高志からメールが届いていた。

From: takashi ikegami
To: Ken Mogi

 茂木に言われて、脳の中でどこかが光った気がした。
このMTMをつくるために、何かを犠牲にし消耗したが、
それはそれで良かったと思っている。考えも進んだよ。

それにしても場が、ググっ、と変わった。
さすがだね。本当にありがとう。
持つべきは友ということか。

ではまた東京で。

池上高志

3月 22, 2010 at 07:57 午前 |

2010/03/21

片面印刷

変な夢をみた。

渋谷のセンター街みたいなところで、へんな兄ちゃんに絡まれた。

困って、「じゃあ、警察に行こう」といったら、兄ちゃんも納得して一緒にきた。ところが、警察官は、他の人に道を教えるのに忙しくて、こっちを見てくれないのである。

仕方がないから、近くの路地で兄ちゃんと立ち話をしていると、「金をよこせ」という。「やっぱりそうか」と思って、「いくらほしいんだ」と言ったら、兄ちゃんは「15万円だ」という。「そりゃあ、あまりに高い」と言ったら、兄ちゃんは「じゃあ、5万円でいい」という。

ぼくは兄ちゃんと話すのが面倒になってきていたので、「ちょっと待ってね」と兄ちゃんに言って、財布の中を調べてみた。そうしたら、入っている一万円札が、不思議なことにどれも一つの面が真っ白になっている。「あれ、最近の一万円札って、片面が白かったのか?」と思う。

「このまま渡しちゃおうか」とも思ったけれども、あとで片面印刷だとばれて、兄ちゃんがおいかけてきても面倒だ。

どうしよう、どうしようと財布の中をいくら調べても、どのお札も片面印刷で困っていたところで目が覚めた。

3月 21, 2010 at 08:04 午前 |

It has always been a puzzler for me

It has always been a puzzler for me

いつも不思議に思っていたこと

The Qualia Journal

21st March 2010

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3月 21, 2010 at 07:48 午前 |

家族の失敗

家族は、現代において、人間が育まれるための基礎を提供する単位であり、私たち人間が人を大切に思うその気持ちを培う場だと考えられている。

その家族が、ちゃんと機能すればよいが、機能しない場合もある。

親が子どもを育てられなかったり、自分自身のことさえきちんとできなかったり。そんな時は、幼い者が犠牲となる。

家族という「制度」には、深刻な脆弱性があり、コミュニティが横につながり合って、リスクをヘッジしなければ一つの家族の失敗を救うことはできない。

そのあたりのことを、古代ギリシャの哲学者プラトンはちゃんと考えていた。

プラトンは、家という制度がさまざまな欠陥を持っていることを見抜き、極端な解決策を提案した。男と女は、ふだん別々に暮らしている。年に一回、出会って、ランダムに結びつく。そうやって、どれが誰の子かわからないようにして、子どもたちは皆で共同で育てる。

プラトンのアイデアはもちろん現実性がないが、たとえば教育における「格差」の問題など、家族の失敗について原理的な立場から深刻に考えるべき時が来ているのではないか。

3月 21, 2010 at 07:23 午前 |

2010/03/20

Nowadays, with the advent of the internet, every place has become a center.

Nowadays, with the advent of the internet, every place has become a center.

インターネットの発達により、すべての場所が中心になった。

The Qualia Journal

20th March 2010

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3月 20, 2010 at 07:55 午前 |

岡田倫代先生

香川県の観音寺に、岡田倫代先生を訪ねる。

定時制高校で教鞭をとる岡田先生。『プロフェッショナル 仕事の流儀』にご出演いただき、そのお人柄に惹かれた。また、先生が教えている生徒たちにぜひ会いたいと思った。

集英社の鯉沼広行さんがご一緒した。

思ったこと。人間は、誰でも、それぞれの立場で「挑戦」を続けている。中には、光が当たり、華々しい挑戦もあるかもしれない。一方で、静かに、深く続いていく挑戦もあるのだ。
 
懇親会の後で、岡田先生がぼくと鯉沼さんをホテルまで送ってくださった。

バックミラーに映る岡田さんの目の表情を見て、ああそうだ、『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、このような映像を、昔のことを思い出している心象風景を描くために使うんだよな、と思った。

その瞬間、疾走する日々が本当に終わったのだという実感が込み上げた。

3月 20, 2010 at 07:54 午前 |

2010/03/19

Asking oneself what one really wanted to do with one's life in the first place.

Asking oneself what one really wanted to do with one's life in the first place.

そもそも何をしたかったのか、ということを自問する

The Qualia Journal

19th March 2010

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3月 19, 2010 at 08:03 午前 |

積み上げてきたことの意味

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の節目に当たる収録があった。

 ゲストは、サッカーの三浦知良さん。
 15歳でブラジルに留学し、本場のサッカーを学んだ。日本がワールドカップの常連になる時代をもたらした、最大の功績者といってよいだろう。

 にもかかわらず、カズさん本人は、どういうわけかワールドカップに縁がなかった。出場を目前にしながら、ロスタイム中の失点で逃した「ドーハの悲劇」。フランス・ワールド・カップでは、出場を決めながら代表から漏れた。
 サッカーの神様は、何を考えていらっしゃったのだろう。

 「練習で、ある程度苦しいところまで追い込まないと、喜びも得られない」とカズさんは言う。
  
 苦しみの底に、喜びを探りあてる。そんなカズさんの姿勢を素敵だと思った。

 4年と3ヶ月にわたって、毎週のようにスタジオでゲストの話を聞いてきた。
 節目の昨日。一つひとつのことを、噛みしめた。スタジオに、ディレクターの方が何人かいらして、見守っている。デスクの細田美和子さんも、フロアで見守ってくれている。

 住吉美紀さんと、スタジオの中で、となりに座って、いろいろなことを感じ合いながら、がんばってきた。フロアディレクターの山口佐知子さん(さっちん)が「丸」のシグナルをしてくれることがうれしかったことや、最後の「プロフェッショナルとは」が終わると有吉伸人さんが副調整室から降りてくることとか、さまざまなことが親しく、愛おしい。

 よい番組を作るために、さまざまな人が全力投球してきた。その時間は、決して消えない。

 積み上げてきたことの意味は、ずっと後からわかるのだろう。 

3月 19, 2010 at 07:49 午前 |

2010/03/18

There had to be substitutes for the real thing.

There had to be substitutes for the real thing.

本物の代わりがなければいけないのだった。

The Qualia Journal

18th March 2010

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3月 18, 2010 at 08:05 午前 |

エッチラホ、コッチラホ

公園の斜面に、オオイヌノフグリがたくさん咲いていた。

よく晴れた日に、こんな斜面を見つけるだけで、愉しみが込み上げる。

アリたちが、オオイヌノフグリの草むらを、せっせと歩き回っている。

同時並列的に、思い思いのことをしている。これこそが、まさに、生命というもののあり方だろう。

エッチラホ、コッチラホと歩くのだ。

 

3月 18, 2010 at 07:46 午前 |

ぼくが18歳だったら

 小田原高校の岩本明子先生が呼んでくださり、黛まどかさんと俳句の話をした。

 黛さんはまじめに俳句の話をしていたが、ぼくはついつい不規則発言をしてしまって、高校二年生に向って、「ごめんね、18歳の君たちにとって、大学という選択しかないのだろうけれども、その日本の大学はすっかり体たらくで、本当にごめんね」と謝ってしまった。

 大学が復活して、本気で学問をやろうという気合いの入った志の共同体にならなければ、18歳は浮かばれないだろうし、その後の「企業」も、大学3年の12月から就職活動を一斉にやるような「世界の非常識」の群れなんだから、ぼくが18歳だったら、かなりイヤになるだろうと思う。

 週刊誌は、相変わらず大学合格ランキングなどという意味のないニュースを載せている。日本の中でしか通用しない大学名などに、何の意味があるんだろう。

 テンションが低すぎるんだよね。

 結局、そんな日本社会のあり方に関係なく、自分のやっていることの実質をがんばるしかない、ということになるだろう。

 志を持っている者どうしが、組織に関係なく共同体をつくるシステムを真剣に考えなければ日本はますます沈む。

3月 18, 2010 at 07:40 午前 |

2010/03/17

As I witnessed the black insects walk about among the microcosmos of Persian speedwells

As I witnessed the black insects walk about among the microcosmos of Persian speedwells

小さな黒い昆虫たちが青い花のミクロコスモスの間を歩くのを見るとき

The Qualia Journal

17th March 2010

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3月 17, 2010 at 07:51 午前 |

脳のトリセツ 乱世にこそ「教養」を

週刊ポスト 2010年3月26日号


脳のトリセツ 第34回

乱世にこそ「教養」を

大学の地盤沈下を防ぎ、ビジネスで画期的な商品を生み出すためにも、総合的な教養力の向上が不可欠だ。

抜粋

 その結果、どうなったか。大学の魅力が増大したという話はあまり聞かない。むしろ、大学の地盤沈下が進んでいる。何よりも痛いのは、経済や文化がグローバル化する中で、日本の大学が日本国内でしか通用しないという「ガラパゴス化」が進行しているということ。このままでは、日本の18歳の将来の展望が開けない。
 日本の大学の危機は、教育や研究に使われている言葉が日本語であるという「言語の壁」だけの問題ではないだろう。そもそも、大学とはどのような場所なのか、自己規定が揺らいでしまっていることに、根本的な課題がある。
 明治維新の際に西洋から「大学」という制度を「輸入」しつつも、その背景にある知的伝統をついには自分たちのものにできなかった、近代日本のほろ苦い失敗。大学の建て直しのためには、思い切って「教養」ないしは「リベラル・アーツ」の教育を充実させるしかないと私は考える。
 「教養」を重視するということは、決して、世の中の動きに背を向けることを意味するのではない。今よりも、大学のスタッフや学生が楽をするということでもない。むしろ、実質的な意味での「知性」の鍛錬のため、より多くのエネルギーを注ぐということである。
 どうも、世間では「教養」というものを勘違いしているのではないか。教養とは、余裕がある人の暇つぶしではない。むしろ、教養とは、命がけで身につけるものである。毎日全力で疾走して、初めて深められるものである。 

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100326jp/index.html

3月 17, 2010 at 07:14 午前 |

文明の星時間  日本人は12歳

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第106回  日本人は12歳

サンデー毎日 2010年3月28日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 肝心なのは、「日本人は12歳」という発言の含意は、必ずしも揶揄ばかりとは限らないこと。同じ証言で、マッカーサーは「だから日本には未来がある」という趣旨のことも述べている。12歳と言えば、学び盛り。新しいことを取り入れて自分のものにする、いきいきとしたエネルギーに満ちている。12歳で大いに結構。成熟した大人よりも、よほど伸びしろがあるとも言える。
 実際、戦後の日本の復興は「奇跡」と言われるほど目覚ましかった。敗戦の焼け野原から立ち直った日本人たちを、世界の人は尊敬の眼差しで見た。マッカーサーの「日本人は12歳」発言に腹を立てた人たちがいたとすれば、奇跡の復興こそが最大の「意趣返し」だったと言えるだろう。
 最近の日本の社会を見ていて心配になるのは、むしろあたかも老境を迎えてしまったかのような融通の利かなさ、頑なさ。日本人の精神年齢は、むしろ高齢化してしまったよう。奇妙な話である。まだまだ、枯れてしまうような国でははない。私たちはむしろ、かつてマッカーサーに「日本人は12歳」と評されたような、初々しい目の輝きをこそ取り戻すべきなのではないか。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

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3月 17, 2010 at 07:06 午前 |

とても大切なレッスン

私が尊敬申し上げているある方がおっしゃっていた。

私にとって、ふだんは縁がないのだが、団体の設立基準についての法改正で、条文の解釈にあいまいな部分があるときにどうするか、という問題である。

解釈について、いちいち中央省庁の役人におうかがいを立てるな、とその方はおっしゃるのである。

その方は、もともと中央官庁のキャリアをしていたから、官僚の手の内は知っている。

もともと、法律は、万人が読んで理解できなければ、意味がないだろう。いちいち「どのような意味でしょう」とおうかがいを立てるところに、恣意的な運用や、解釈という名の権力の余地がうまれる。

カモン・センスに基づき、リーズナブルな法解釈をして、とにかくアクションを起こしてしまう。そのうちに自然に条文の意味は落ち着いてくるとその方は言う。
経験に基づく、とても大切なレッスンを教えていただいたように、私は感じた。

3月 17, 2010 at 06:55 午前 |

2010/03/16

大適応につながる

夕暮れの街を歩きながら、考える。

現代社会の「暗部」といえば、つまり、あまりものを深く考えない態度の方がかえって適応的である、という点にあるのではないかな。

少なくとも、「商品」という意味ではそうだ。

脳についての本も、原理的な問題について深く考察したものよりも、表層的な部分でノウハウを語るものの方が売れる。(自分のものも含めて)

本当は、長い視点から見れば、深いところから考え起こすという方が大適応につながるのは間違いのないところなのだが、時代がローカルミニマムを推奨しているのである。

3月 16, 2010 at 03:54 午後 |

twitterがでてきて、ブログの見え方が変わった。

あまりにもスパムが多いので、ブログのコメント、トラックバック欄をしばらく前に廃した。おかげで、朝の負担が減って、その分他のactivityができるようになった。時に応じてdecouplingすることの大切さが身にしみた。フィルターのために、スパムにも目を通してパターン認識すること自体が心理的負担となっていたのである。

twitterのRetweet, Replyの特徴は、tweetの直後が多いことで、これは、timelineで流れていってしまうということと関連しているだろう。つまり、twitterは、buzzをつくり出すメディアである。

twitterがでてきて、ブログの見え方が変わった。エントリーの仕方が、少しtwitterに近づいてきたように感じる。

ブログは、うまく変化し、進化しないと、感覚的に時代遅れのメディアになってしまうかもしれない。かつて、メルマガ、メーリングリスト、掲示板が、一時期は輝きながら、やがて力を失っていったのと同じように。twitterの登場により、力学の何かが変わったのである。

3月 16, 2010 at 08:53 午前 |

プロフェッショナル 秋山正子

『プロフェッショナル 仕事の流儀』

どんなときでも、命は輝く

~訪問看護師・秋山正子~

 人間らしい温かさは、どんな仕事にも必要だろう。とりわけ、秋山正子さんのような、それぞれの人の家庭に入り、闘病を支える方にとっては、人間力は大切だ。

 秋山さんが、その笑顔で相手を安心させ、リラックスした中で看護を受けることができる状況をつくる、その人格の力はすばらしい。

 そのような人間としての力も、看護という専門性があってのこと。もし、好意や熱意はあっても、専門性が欠けている人がいたら、安心してゆだねることはできないだろう。一方で、専門性は高度でも、人間としての力に問題があったら、心を安らかにすることができないだろう。

 高い専門性と、大いなる人間力と。その両方を合わせ持っている秋山さんだからこそ、何かとてつもないことが起こる。その「化学反応」の現場を目撃した。


NHK総合
2010年3月16日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム 専門性と人間力の化学反応
訪問看護師・秋山正子(produced and written by 渡辺和博)

3月 16, 2010 at 08:46 午前 |

The free system would gradually outgrow the controlled system.


The free system would gradually outgrow the controlled system.

最後は自由が勝つ。

The Qualia Journal

16th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 16, 2010 at 08:38 午前 |

そんな時、生きている気がする。

子どもの頃からそうだったけれども、風邪の引き上がりなどには、かえって烈しく身体を動かす。

「ざけるんじゃねえ」と反撃するのである。

いつ、その「反撃」のタイミングが来るのか、自分でも測りかねる。

病気でも、その他人生のさまざまでも、「ざけるんじゃねえ」と猛然と動き始める。そんな時、生きている気がする。

3月 16, 2010 at 08:37 午前 |

2010/03/15

Symbols are very powerful, and can reach the very bottom of your soul.

Symbols are very powerful, and can reach the very bottom of your soul.

シンボルは力強く、魂の底まで届く。

The Qualia Journal

15th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 15, 2010 at 08:10 午前 |

「うーん」

 本番中は、やけくそのエネルギーを出すけれども、それが終わるとがくっと落ちる。


 そんなことが時々ある。

 「オールナイトニッポンサンデー」の本番中は気合いを入れていたけれども、終わって打ち上げの飲み会をしていたら、急に来た。
 
 冨山雄一さんは、もともとNHKの人。新潟時代に、ファブリーズ座間味こと、座間味圭子さんと一緒だった。

 そのご縁で、座間味さんが打ち上げに来てくださった。

 冨山さんと座間味さんのお話を楽しく聞いていた。そのうち、のどのひりひりと寒気が強まってきて、おもわず「うーん」と隅の方で眠ってしまった。

 前の日、気合いを入れるために近くの公園で走った時には、そのまま回復軌道に乗ると思っていたのだけれども。

 朝になって、少しよくなったような気がする。春だし、いつまでもグズグズしていられるものか。

 桜が楽しみだな。

3月 15, 2010 at 07:47 午前 |

2010/03/14

冨山スタイル

ニッポン放送 「オールナイトニッポンサンデー」の収録を終え、打ち上げをして帰るところ。

エネルギーが切れて、うつらうつらした。

ディレクターの冨山雄一さんの、調整室内の様子を、滝沢登美夫さんが撮影してくださった。

From: tomio.takizawa
To: kenmogi
Subject: 現場雑感〜冨山スタイル

茂木さま

椅子の肘掛けに座ってキュー出しに集中する冨山ディレクター。
スタッフルールでは、この富山さんの勢い溢れる現場での行動を冨山スタイルと呼んでいます。
スタジオ内からは見えない現場雑感です。
局内でも知れたスタイルらしいですよ。

たっきー



「オールナイトニッポンサンデー」の生放送中。調整室の冨山雄一ディレクター。

3月 14, 2010 at 10:22 午後 |

わずか30秒間の、魔法の変化。

ランニング中、公園の案内図の前で、キスをしているカップルがいた。

スケードボードを持った兄ちゃんが、髪の毛の長い女の子を抱き寄せている。

あわてて回転して、振り返らずにもとに戻った。その場でステップを踏んで、時間を測る。

すぐに戻ったら、「気付かれた」と思って、二人が恥ずかしく思うかもしれない。

しばらく、梢をわたる風の音を聴き、空を見上げる。

もうだいじょうぶかな、と恐る恐る戻ってみたら、先ほどの看板の前には、三輪車の子供と母親。

母親が、三輪車を押している。子供が楽しそうに笑っている。

二人は、カップルを目撃したのかな。ちょっと気になったけれども、どちらでもいい、と思った。

わずか30秒間の、魔法の変化。

春がきた。スケートボードはキスをして、三輪車の子供は笑う。

3月 14, 2010 at 12:49 午後 |

思いやり

思いやり


2年前(2008年4月)のお花見で、酒を飲んで酔って横になる塩谷賢に、野澤真一が毛布をかけてあげた時の写真。


3月 14, 2010 at 11:51 午前 |

体制間競争

アメリカのように、グーグルやアップルなどのベンチャー企業が起こり、表現の自由が認められ、政府から独立してさまざまな新しい動きが生まれる国と、中国のように、選挙がなく、政府が国内の秩序を統制しようとし、検索エンジンやツィッターやユーチューブが自由に使えない国と。

どちらが伸びるかというのは、つまりは体制間競争の問題である。ある局面においては、一つの体制が力を持っているかもしれない。しかし、その体制は、やがて成長の踊り場を迎えるかもしれない。

自由か統制か。私がどちらが好きで、どちらに肩入れし、どちらに未来があると思っているかは、周囲の友人ならば誰でも知っている。問題は、最終的にどちらかが勝利するとしても、途中ではもう一つの方に部があるように見える場合もあることである。長いスパンの歴史認識を持ち、立場をぶれさせてはいけない。

同じことは、われらが母国、日本についても言えるのである。統制か自由か。政府に頼るのか、自分たちでやるのか? 皆さんはどちらを選びますか? どちらに自分の未来を托そうと思いますか?

3月 14, 2010 at 10:23 午前 |

(本日)オールナイトニッポンサンデー

(本日)オールナイトニッポンサンデー

2010年3月14日(日)


18時〜19時30分
ラジオ局 AM1242 

ニッポン放送
オールナイトニッポンサンデー
生放送!

http://www.1242.com/annsunday/

3月 14, 2010 at 08:38 午前 |

It is priceless to be thus taken unawares by surprise, in a ritual of life repeated every year.

It is priceless to be thus taken unawares by surprise, in a ritual of life repeated every year.

毎年繰り返される生命の儀式によって驚かされることのかけがえのなさ

The Qualia Journal

14th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 14, 2010 at 08:30 午前 |

『種の起源』の最後の文章

チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の最後の文章は、掛け値なしに美しい。
緻密な論証を積み重ねてきたその後の、詩的な嘆息。

It is interesting to contemplate a tangled bank, clothed with many plants of many kinds, with birds singing on the bushes, with various insects flitting about, and with worms crawling through the damp earth, and to reflect that these elaborately constructed forms, so different from each other, and dependent on each other in so complex a manner, have all been produced by laws acting around us. These laws, taken in the largest sense, being Growth with Reproduction; Inheritance which is almost implied by reproduction; Variability from the indirect and direct action of the conditions of life, and from use and disuse; a Ratio of Increase so high as to lead to a Struggle for Life, and as a consequence to Natural Selection, entailing Divergence of Character and the Extinction of less-improved forms. Thus, from the war of nature, from famine and death, the most exalted object which we are capable of conceiving, namely, the production of the higher animals, directly follows. There is grandeur in this view of life, with its several powers, having been originally breathed by the Creator into a few forms or into one; and that, whilst this planet has gone cycling on according to the fixed law of gravity, from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.

3月 14, 2010 at 08:08 午前 |

絵画コンクール

築地の朝日新聞東京本社のロビーに、絵画コンクールの入賞作品が展示されていた。

ぼくが一番良いと思ったのは、小学校一年生の美座大成くんの描いた絵だった。


美座大成君の作品

3月 14, 2010 at 08:02 午前 |

母校の制服

卒業以来、30年ぶりに母校の「東京学芸大学附属高校」の制服を着た。

貸してくれた土屋くん、本当にありがとう!


東京学芸大学附属高校の制服を着て
(photo by Atsushi Sasaki)


なつかしい校章
(photo by Tomio Takizawa)

3月 14, 2010 at 07:55 午前 |

2010/03/13

文庫版『プロセス・アイ』カバー

この度、小説『プロセス・アイ』が文庫化されますが、そのカバーデザインの画像を徳間書店の本間肇さんにお送りいただきました。

From: Hajime Homma
To: Ken Mogi

茂木さま
文庫用の画像です。単行本とは少し変えてみました。
ちょっと派手ですが・・・・


本間 肇


3月 13, 2010 at 10:32 午前 |

『その瞬間 創作の現場 ひらめきの時』 黛まどか

『その瞬間 創作の現場 ひらめきの時』 黛まどか 角川学芸出版

 黛まどかさんが、ご自分の句の中からすぐれたものを選び、その句をどのような発想したのか、背景を解説した本。俳句に関心がある人はもちろん、創造的に生きる意味について問いかける人すべてに参考となるでしょう。

さくらさくらもらふとすればのどぼとけ

句集『忘れ貝』に収められたこの句について、黛まどかさんは次のように記します。

______

 私は最晩年の真砂女先生に可愛がっていただき、共著も二冊出しています。先生は少しお酒が入って機嫌がよくなると、決まってお墓の話をされました。そこには生涯添い遂げることの叶わなかった恋人のお骨が既に収められていました。
 「春になると桜並木がきれいな墓地なの。子供も孫も入れないの。彼と二人っきりで入るのよ・・・」
 京都で訃報に接した私は、真砂女先生を偲び、また自分自身の思い人を胸に、拙句を詠みました。

黛まどか『その瞬間』より
__________

 俳句を詠むことを、「感動の編集」だとする黛まどかさん。俳句を詠むことで、ものの見方が変わり、生きることが深化するのでしょう。

 「俳句を詠むことは、自分の深部への旅であり、その瞬間、私たちはモチーフを通して大いなる自己と出会う。それは、命(自分自身)と命(自然)の呼応であり、交歓である。鼓動する地球の瞬間を切り取り、自らも宇宙的根源につながるのである。」(「あとがき」より)

 一句一句、一頁一頁大切に読みたい本です。

『その瞬間 創作の現場 ひらめきの時』 黛まどか 角川学芸出版

amazon 


3月 13, 2010 at 10:20 午前 |

What a great job Socrates did in ancient Greek.

What a great job Socrates did in ancient Greek.

ソクラテスは古代ギリシャでいかに大きな仕事をしたか

The Qualia Journal

13th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 13, 2010 at 09:42 午前 |

野生を忘れぬ動物たちよ、ソフィストたちを駆逐せよ!

中央公論で東浩紀さんと話した時、東さんは、ソクラテスは偉かった、周囲の人たちが、こうするとうまく行く、とお金をとってコンサルティングするようなことをしていたのに、「オレは一緒に酒を飲むだけでいい」とお金をとらなかった、と言っていた。

現代も、わかったようなことを言って人を騙すソフィストが多く跋扈する時代という意味では、ソクラテスの時代と似ている。

「無知の知」以上に大切なことがあるだろうか。たとえば、異質な他者に対する「測り知れぬ」という留保を持たない決めつけなど、自分が楽して堕するための怠慢以外の何ものであろうか。

人生の目的はこうだとか、あいつはこうだ、あの国はこうだという決めつけほど、語り手の知性の劣化の指標となるものはない。

ソクラテスが獄中で最後に読んでいた本は『イソップ物語』だったと言われている。

野生を忘れぬ動物たちよ、ソフィストたちを駆逐せよ!

3月 13, 2010 at 09:41 午前 |

2010/03/12

自由意志の話

ゼミを終えて、湘南新宿ラインで移動中。

星野英一が、自由意志の話をしたのに、そこに野澤真一がいないのがとてもさびしかった。

学問は、どこでもできて、ネットでいくらでもコミュニティーがつくれる時代とは言いながら、やっぱり物理的近接性は重要である。

3月 12, 2010 at 05:46 午後 |

絶対秘仏と日本人

毎日ウィークリー 2010年3月13日号

茂木健一郎 絶対秘仏と日本人

3)  Hidden Buddha

■ 視覚に訴える文化

We live in a predominantly visual world, and Japan is no exception. Our preoccupation with the visual is very evident in today's Tokyo. If you walk along the streets of Akihabara, the famous electric town, at night, you are welcomed by a flood of neon signs and vividly colored advertising boards. Taking the Yamanote Line, an important commuter railroad operated by Japan Railway East, you can witness the latest state‐of‐the‐art video programs and commercials on the train, delivered to you on the small but clear LCD screens installed in the cars.
Given the ubiquitous visual information overflow in Tokyo and elsewhere in this country, you would have thought that being visually explicit is a Japanese manifesto. And yet, there is quite another tradition of polar sensitivities, a gem in Japanese culture.

==============

英文エッセイ 「Japanese Journeys」 は毎日ウィークリーで毎月第2週に掲載中です。

記事全文は「毎日ウィークリー」本紙でお楽しみ下さい。音声は全文を読み上げています。

http://mainichi.jp/life/weekly/news/20100312wek00m040001000c.html 

3月 12, 2010 at 04:15 午後 |

東浩紀さんと、中央公論で対談。


井之上達矢さんが、アレンジして下さった。

東さんと、いろいろお話したが、とても面白かった。

ソクラテスの話が良かったなあ。

井之上さんは、電子書籍時代の編集者の役割について、熱く語る。

外に出たら、京橋の温度は明らかに上がっていた。

3月 12, 2010 at 03:08 午後 |

春には、春らしく、心の中の時間が縮退する。

春だ!

春には、春らしく、心の中の時間が縮退する。


3月 12, 2010 at 08:52 午前 |

ツィッターの良さ

ツィッターの良さの一つは、たとえハンドルネームを使う場合でも、一人ひとりの発言の履歴を見ることで、その人のパーソナリティーの認知が立ち上がる、ということだろう。

匿名掲示板は、どんな一つひとつの発言がばらけてしまっているので、どんな人が発言しているのか、よくわからなかった。それがいやで、ぼくは匿名掲示板はこの2年くらい一切見ていない。ツィッターの場合、ある発言の背後にどのような人がいるのか、それがわかるので、より人間らしいメディアであるように思う。

3月 12, 2010 at 08:48 午前 |

(本日)朝日カルチャーセンター 脳と想像力

朝日カルチャーセンター 新宿教室
「脳とこころを考える」
脳と想像力

第三回

2010年3月12日(金)18時30分〜20時30分 朝日カルチャーセンター新宿

詳細

3月 12, 2010 at 08:46 午前 |

I rather enjoyed the experience of being sick in bed.

I rather enjoyed the experience of being sick in bed.

病気で寝ているのが案外好きだった。

The Qualia Journal

12th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 12, 2010 at 08:41 午前 |

2010/03/11

中央公論

中央公論に、池田大作さんとの往復書簡が掲載されました。

大切にしたいのは、対話することです。

http://www.chuokoron.jp/

3月 11, 2010 at 01:48 午後 |

仕事の移動の合間に、

ルノアールで勉強中。

書類整理で、たくさんほこりを吸ったせいか、やたらとクシャミが出る。

毎年、この季節になるとクシャミが出ることがあり、周囲は花粉症ではないかというのだが、
本人が断固認めないのである。

那須でヘンな腕立てふせをしたので、腕が痛いです。

3月 11, 2010 at 01:46 午後 |

The emerging global village makes it necessary to think of the liberal arts within a correspondingly global context.

The emerging global village makes it necessary to think of the liberal arts within a correspondingly global context.

地球村でのリベラル・アーツ

The Qualia Journal

11th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 11, 2010 at 11:26 午前 |

二期倶楽部

二期倶楽部にて仕事。

今、那須塩原の駅まで出てきました。

3月 11, 2010 at 11:22 午前 |

2010/03/10

文明の星時間  青春の翻訳法

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第105回  青春の翻訳法

サンデー毎日 2010年3月14日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 2008年、アメリカ大統領選挙でアフリカ系としては初めてバラク・オバマ氏が当選したことは、かけ値ねなしに素晴らしい出来事だった。
 かつて、いわれなき差別の対象となったアフリカ系のアメリカ人たち。彼らの間から、世界一の大国を指導する大統領職に就く人が現れるとは、誰が予想しただろう。
 2009年1月20日、オバマ大統領が就任式を迎えた。歴史的な瞬間を目撃しようと首都ワシントンを埋め尽くした人々の波。深く熱く広がっていた感動は、記憶に新しい。あの一日で、「アメリカ合衆国」という国に対する信頼を回復した人も、随分いたのではないか。
 あれから一年余り。内政最大の懸案である医療保険制度改革に取り組んだり、あるいは核廃絶に向けた行動を呼びかけたりといったオバマ大統領の積極的な政策は、期待を裏切らないものである。その一方で、アメリカ国内では当初の熱気が冷め、支持率が低下しているとも伝えられる。
 象徴的だったのが、1月にマサチューセッツ州で行われた連邦上院議員補欠選挙。民主党の牙城であると見なされてきたマサチューセッツ州で、共和党の候補が勝利を収めた。かつて大統領をつとめたジョン・F・ケネディ氏の弟であり、リベラル派の代表格だったエドワード・ケネディ氏の死去を受けて行われた選挙だけに、民主党の被った痛手は大きかった。
 あれほど輝かしく、希望に満ちた雰囲気の中で迎えられたオバマ氏の登場。そのわずか一年後に、熱い空気がこれほど冷え、しぼんでしまうとは。世界とは、時に残酷なものである。
 もっとも、一連の事態の推移は、オバマ氏の責任では必ずしもないだろう。事の次第は、そもそも人間が抱く「希望」というものの性質にかかわっている。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』が発売されました!

中也と秀雄/ルターからバッハへ/白洲次郎の眼光/ショルティへの手紙/松阪の一夜/ボーア・アインシュタイン論争/ヒギンズ教授の奇癖/鼻行類と先生/漱石と寅彦/孔子の矜恃/楊貴妃の光/西田学派/ハワイ・マレー沖海戦/「サスケ」の想像力/コジマの献身/八百屋お七/軽蔑されたワイルド/オバマ氏のノーベル平和賞/キャピタリズム

など、盛りだくさんの内容です。

amazon

3月 10, 2010 at 07:33 午前 |

The brain has a great ability to betray you.

The brain has a great ability to betray you.

脳はあなたを裏切る大いなる能力を持っている

The Qualia Journal

10th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 10, 2010 at 07:29 午前 |

発明

twitterの英語のアカウントと、日本語のアカウントを使い分けるとき、いちいちログアウトして、ログインしていた。

だから、面倒なので、ついつい日本語のアカウントの方は放っておいた。

そしたら、歩いていて、ふと、「そうか、ブラウザを二つ使えばいいんだ」と思った。

なぜ、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。

ブラウザを二つ使えば、それぞれログインしたままでいられる。

というわけで、日本語のアカウントの方も、これからアクティヴになると思います。よろしくお願いいたします。

twitter日本語 (Google Chromeを使っています)
http://www.twitter.com/kenichiromogi 

twitter 英語 (Safariを使っています)
http://www.twitter/kenmogi 

3月 10, 2010 at 06:57 午前 |

「偶有性の自然誌」の最終回

『考える人』連載の「偶有性の自然誌」の最終回(第10回)の原稿を金寿喚さんに送る。

第9回で、スピノザにおける「神」や、有限の立場からの「偶有性」の問題を議論したから、最後は思い切り個人の文脈に引き寄せようと思った。

そうして、私秘的なはずの「クオリア」がかえって大きな公共に至る道だということを、論じた。それはジョージ・バークリーの認識論にもつながるし、小林秀雄の「無私を得る道」にもたどり着く。

金さんから、温かいメールをいただいた。

一部、差し障りがあるところは伏せ字にしている。

_________

From: "Suhan Kimu"
To: "'Ken Mogi'"
Subject: RE: 「考える人」(新潮社 金寿煥)
Date: Tue, 9 Mar 2010

茂木さま

 あらためまして、最終回ありがとうございました!
 これまでの議論をどしっと受けとめつつ、
 「どんな気がする?」(”How does it feel?”by Bob Dylan)と、
 読むものに投げかけ、アジテーションする、
 まことに力強い、最終回にふさわしい原稿ですね。
 
 クオリアと偶有性の関係性を、
 光と暗闇に例えられたのが印象的です。
 弁証法を意識しているかどうかわかりませんが。
 茂木さんが、光と暗闇、クオリアと偶有性、
 愛と憎しみ、夢と絶望、オバマと****
 ——それら相反するものを止揚するべく、
 認知の有機的なつながりを意識せよ、という瞬間が、
 たまらなく魅力的なんですね。光が射す感じで。
 中途半端に仏教に頭が曇った人間には、それこそが縁起であり、
 空即是色、色即是空という大いなる反転にも思えてくるのですが。
 (だとしたら、偶有性は諸行無常か?)
 ギャーテー、ギャーテー、ハラソーギャーテーと叫びながら、
 偶有性の海に覚悟をもって飛び込みたい気分です。

 そして、偶有性を生きる、という覚悟。
 これすなわち、『******』ということでしょう!
 (『******』って、良いタイトルだと思いませんか?)

 とまれ、約三年の連載、おつかれさまでした。
 茂木さんの人生にとって、
 相当にタフな3年間だったはずであり、
 その中で、30枚というなかなかの長尺にもかかわらず、
 毎回気合の入った原稿をありがとうございました。 
 進行は、ちょっとドキドキすることもありましたが、
 リリーさんのドキドキに比べれば、
 まだ大丈夫……かどうかはわかりません。

 今回、少し時間に余裕があるので、
 茂木さんに校正をしてもらいます!
 明日には、メールで校正箇所明示した原稿データをお送りしますので、
 チェックして金曜日までにご返送ください。

 今後ですが、夏には、単行本をまとめ、
 秋には、新書『*****』(『******』?)をと思っております。
 引き続き、よろしくお願いいたします!

 追伸
 打ち上げもどこかで…と思っていますが、 
 ちょうど今、新潮社の北本、大久保からオファーがあると思うので、
 頃合を見計らってと思っております。

 新潮社 金寿煥
 
________

 一生懸命書いた原稿に、本質を衝いた、適確なフィードバックをいただく。そのような時、ああ、生きているなという実感がわく。



スコットランドのアイラ島到着後、すぐに「吼える」金寿煥氏。2008年6月。

3月 10, 2010 at 06:09 午前 |

2010/03/09

郡司ペギオ幸夫からまたメールが来た。

郡司ペギオ幸夫からまたメールが来た。


From: gunji yukio
To: Ken Mogi
Subject: どっかで会いたいもんだ

茂木!

なんか入試業務で早く帰って飲めなかったのは、ほとほと残念だった
いろいろ話したかったのに

茂木が言ってる志向クオリアと感覚クオリアの辻褄あわせ=同時性の創発は、まさに、オペレーターとオペランドの調停、タイプとトークンの調停、A系列とB系列の調停と同型の問題で、内部観測そのものだと思う。
まったく同じ問題を扱っている、ということを確認できたのは、たいへんうれしい。

この調停は、計算機科学や論理学、生命科学では、二つ解決方法が提案されていて
(1)無限に持っていって無理に同型対応をとるという形で決着させる→領域意味論、フラクタル。
(2)大きいほう(例えばオペレーター側)を削って、小さいほう(例えばオペランド側)と同型対応させる。
ただし、ループも可→スコット位相、Topology via Logic、オートポイエシスだけど、両方ともだめ。動的な調整、調停不可能なものを無効にする、ということが本当で、この限りで、同時性を空洞化してつくる、というのはよくわかる。

でもそれを言うと、上述の(1)、(2)以外に解決がないと思っている自分を頭がいいと思ってる研究者から、きちがい呼ばわりされるぞ!!

調整=動性=解体

を理解の中心に据えようとすると、データとしてこれに確信を持つ仲間が必要だ。それが脳科学では、難しいのではないか、ということだよ。
脳科学は、おもしろいし、上述の問題を、現象として扱い、理論を立てることはできるけど

調整=動性=解体

をデータとして持っている実験家がいるのは、おれは、KaiCと、群れのところだけだと思う。いまのところ。

でも、実際、調整=動性=解体を理解の中心に据えないと、理解が成立ないという理解のあり方をもってくるのは、すごく大変ですよね。実験だけでは、絶対だめで、実験を契機に、変革を開設しないと。

まあ、そういうことだよ。

おまえ、忙しすぎるけど、どっかで会えねーか、ほんと。どこでもいくけど。

温泉とか。

郡司

3月 9, 2010 at 11:29 午前 |

桑原茂一のPirate Radio 本日!!!

[映画をつくるように、ダンスミュージックをつくるように、

ガラスをぶち割るように、 私はラジオを作る。

桑原茂一のPIRATE RADIO! あなたの知らないラジオが到着しました。音量を最大にして、お一人様でお楽しみください。









InterFM「桑原茂一のPIRATE RADIO」

2010年3月9日23:00 ON AIR!
#10 HOW TO ARGUE ゲスト:茂木健一郎


http://www.clubking.com/topics/archives/09other/interfmpirate_radio2010392300.php 


3月 9, 2010 at 09:20 午前 |

あらゆるinstitutionから最も遠い人

私塾のようなものをやりたいと思ったことがあったが、濃度と密度を確保する実際的な手立てがむずかしいというので、ためらっていた。

このところ、塩谷賢と濃密で私秘的な議論を重ねていて、そのあたりの欲求が満たされてみると、public lectureのような機会もあって良いのではないかと思えてきた。

なぜ今塩谷といろいろと話したい気分になっているかというと、彼があらゆるinstitutionから最も遠い人だからだろう。

3月 9, 2010 at 08:52 午前 |

プロフェッショナル 農口尚彦

『プロフェッショナル 仕事の流儀』

魂の酒、秘伝の技

~杜氏(とうじ)・農口尚彦~

どんな仕事でも、最後は「人」を相手にしている。農口さんのお話をうかがっていて、そんなことを思った。

農口さんが直接相手にするのは、ものいわぬ麹菌と酵母。しかし、その向こうに 人間がいる。

人を喜ばせたい、美味しい酒だとうならせたいと農口さんは言う。日本酒の神様と言われる農口さんだが、御本人はほとんど飲めない。

「うん、うまい」というその笑顔がみたいがために、
農口さんは凄まじいまでの執念で誰も見たことがない道を進むのだ。


NHK総合
2010年3月9日(火)22:00〜22:49

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すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム とことん突き詰めながらも
「初心」を忘れないすさまじさ
杜氏・農口尚彦 (produced and written by 渡辺和博)

3月 9, 2010 at 08:16 午前 |

脳のトリセツ なぜ男は「美人」に弱いのか

週刊ポスト 2010年3月19日号

脳のトリセツ 第33回

なぜ男は「美人」に弱いのか

誰もがうらやむ美人を妻として自分の地位を誇示したいという男の欲求は、自由を制約する「呪い」でもある。

抜粋

 生物学的な見地からは、「美人」が好まれるということには根拠がないわけではない。バランスのとれた姿かたちは、それだけ健康で好ましい異性であることを示す。人間の男性の「美人」好みには、それに加えて、生物学的な意味合いを超えたニュアンスがある。
 人間は、社会的動物。他者との関係によって、生きる上での「幸せの方程式」が決まっていく。男たちの間では、伝統的に「競争」や「支配」といった、他者との関係における政治的な意味合いが重要な役割を果たしてきた。
 そんな中で、「美人」という存在にも政治的な意義が生じた。すなわち、「美人」を伴侶として得る者は、男社会の中での地位が高いと見なされてきたのである。
 昔から、権力者たちはその地位の一つの象徴として、美人を妻としてきた。英語には、「トロフィー・ワイフ」という表現がある。社会的な地位をきわめた者が、その一つの象徴として、いわば、「トロフィー」(「優勝カップ」)のような存在として、美人の妻をめとるという現象である。
 誰もがうらやむような美人を妻とする。そのことで、自分の地位を誇示する。そのような半ば潜在的な欲望が、男たちを突き動かしてきた。それは、男たちにとって生きるためのエネルギーになると同時に、自由を制約する「呪い」でもあったのである。


全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100319jp/index.html

3月 9, 2010 at 08:04 午前 |

Mr. Internet should be the most appropriate candidate.

Mr. Internet should be the most appropriate candidate.

インターネット氏がもっともふさわしい候補だろう。

The Qualia Journal

9th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 9, 2010 at 07:58 午前 |

面白いことを覚えていると

 ずっと根を詰めてシリアスな仕事をしていると、精神がバランスをとろうとするのか、くだらないことがふと思い出される。

 『8時だョ!全員集合』のコントで、冒頭、いかりや長介さんが出てきて、
「オィース!」 
(会場)「オィース!」 
「元気がないなあ。もう一度。オィース!」
(会場。大きな声で)「オィース!」
「静かにしろお!」
とやりとりするところとか。いかりやさんは、探偵や、忍者の格好をしていて、静かに忍んでいかなければならないのだ。
あの間合いは実に面白かったなあ。

面白いことを覚えていると、精神のバランスを保つのに役立つ。

3月 9, 2010 at 07:37 午前 |

2010/03/08

郡司からメールが来た。

郡司ペギオ幸夫からメールが来た。


From: gunji yukio
To: Ken Mogi
Subject: ありがと

茂木

研究会にきてもらってありがとう。
会議のため、のめなくて残念だったけど
そのうち飲めるでしょう。
院生にもよろしく!

3月 8, 2010 at 12:12 午後 |

#oscarsのハッシュタグ

仕事の合間に、twitterで#oscarsのハッシュタグで検索すると、10秒ごとくらいに、「あなたが最後に検索してから、***の新しいtweetsが出ました」と、数百のtweetsが表示される。

凄い!

3月 8, 2010 at 11:37 午前 |

連載 「言葉と測り合うために」

古今東西の名言をめぐるエッセイ『言葉と測り合うために』
「文蔵」誌上にて連載中です!

今までに取り上げた言葉

『言葉と測り合うために』 第一回 
岡本太郎 「この酒を飲んでしまったら、死んでしまうと思え。乾杯!」
(文蔵 2009年11月号)

『言葉と測り合うために』 第二回 
澁澤龍彦 「その行為をすべて肯定する。友人だからだ」
(文蔵 2009年12月号)

『言葉と測り合うために』 第三回 
開高健 「明日世界が滅びるとしても、君は林檎の樹を植える」
(文蔵 2010年1月号)

『言葉と測り合うために』 第四回 
小林秀雄 「喜びを新たにするには悲しみが要り、信を新たにするには疑いが要る」
(文蔵 2010年2月号)

『言葉と測り合うために』 第五回 
中谷宇吉郎 「不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。」
(文蔵 2010年2月号)

「文蔵」バックナンバーのリストは、
http://www.php.co.jp/bunzo/backissues.php 

にあります。

『言葉と測り合うために』 第六回(「文蔵」2010年4月号)は、内田百閒「イヤダカラ、イヤダ」を取り上げる予定です。


文蔵最新号 (2010年3月号) 発売中

3月 8, 2010 at 09:51 午前 |

Peace Shadow

宮島達男さんは、自分の影を焼き付けることによって核兵器廃絶に向けて「平和」を訴えるアート・プロジェクト「Peace Shadow」を始めました。

webcamがある環境だったら、誰でも参加できます。

私も昨日、影を焼き付けました。

下のURLから行くと、私の影の焼き付けから始まり、さまざまな参加者のPeace Shadowを見ることができます。


http://peaceshadow.net/?id=60

3月 8, 2010 at 08:40 午前 |

Would-be wild animals.

Would-be wild animals.

野生動物になりたい者たち

The Qualia Journal

8th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 8, 2010 at 07:56 午前 |

宮島達男 「その人と思想」展

宮島達男さんの思想の足跡を振り返る『著述集出版記念
 宮島達男 「その人と思想」展
』が、銀座のBLD galleryで開かれている。

宮島達男さんが、東京芸術大学在籍時代にやっていたさまざまなパフォーマンス。

たとえば、いろいろな場所で、突然大声で叫ぶ。

黄色い自転車に乗ってやってきて、突然大声で叫んで帰っていく。

宮島達男さんのデジタルの数字を用いた表現の先駆けとなった、記念すべき「Clock for 300 thousand Years」の実機。

ベネツィア・ビエンナーレに出品した、Sea of Time '88 Venezia。

見ていて、なんだか胸がいっぱいになって、元気になる。そんな展覧会である。

東京駅で新幹線を降りて、小雨が降る中ギャラリーに歩いた。

久しぶりにお目にかかった宮島達男さん。「ねえ、ねえ、一緒にサンドウィッチを食べましょう」とコーヒーを淹れてくださった。

親切さが、身体運動となって飛び跳ねる。春が来た。

宮島さんが追いかけているのは、いつも、生命のあり方なのだと思った。


宮島達男さん。BLD galleryにて

http://bld-gallery.jp/exhibition/100204miyajimatatsuo.html 
宮島達男 「その人と思想」展は、2010年4月11日まで(入場無料)

3月 8, 2010 at 07:40 午前 |

塩谷は、かけ流しの源泉なんだ!

研究会のあと、会場に来ていた塩谷賢としゃべった。

「Monty Hall問題はさ、いきなりふらりと来た宇宙人だったら、確率は1/2になるんだよな。だから、確率の計算の仕方と因果律が一致しないということが問題なんだ。」と塩谷。

「しかし、それは、主観的確率と客観的確率の間不一致の問題として考えないと、consistencyがとれないだろう。」と私。

塩谷はべらべら喋り続ける。郡司が、「ぐわーつ」と時折間欠泉のように喋って、あとは静かに潜行しているスタイルなのに対して、塩谷は、こっちが聞いていようと聞いていまいと(あまり長く聞いていないと、さすがに気付くが)ずっと、べらべらべらべら喋りまくる。

「そうか! かけ流しの源泉だ!」

ぼくは突然思った。

「こっちが聞いているかどうか、相打ちをうつかどうか関係なく喋る。源泉も、お客が入っているかどうかに関係なくお湯を流す。塩谷は、かけ流しの源泉なんだ!」

18歳から塩谷と付き合っていて、ようやく、塩谷がかけ流しの源泉だということに気付いた。


塩谷賢氏 (内部観測研究会会場にて)

3月 8, 2010 at 07:28 午前 |

医者が妙によそよそしい

郡司ペギオ幸夫の「内部観測」の研究会に行った。ずいぶん楽しかった。みんな、ありがとう。

http://arn.local.frs.riken.jp/IM/


郡司は、「明日大学で用事があるんだ」とふいっと帰ってしまった。でも、やっぱり郡司だった。言葉が違う。それから、リズム。表現の間合い。

身体の調子が良くなったことを、「いやあ、この前医者行ったらさあ、医者が、今までと違って、妙によそよそしいんだよね。どうなんですか、って聞いたら、良くなっていますって。」

身体が良くなることを、「医者が妙によそよそしい」と表現する郡司ペギオ幸夫が好きだ。


郡司ペギオ幸夫氏 (内部観測研究会会場にて)

3月 8, 2010 at 07:25 午前 |

2010/03/07

新幹線再び動き始める

新幹線は再び動き始めました。

急病人の方、だいじょうぶでしょうか。無事であることを祈ります。

今アナウンスがあり、「ただ今、急病人の方がいらっしゃいまして、車掌が介護した結果、だいじょうぶだということで、運転を再開しました」とのこと。

よかった!

3月 7, 2010 at 10:04 午前 |

新幹線停車

新幹線が名古屋を出てしばらく経ったところで、停車。

急病人が出たとのこと。だいじょうぶかな。心配である。

3月 7, 2010 at 10:00 午前 |

九州新幹線

新幹線の博多駅の改札を通ったら、今使っている電光掲示板の後ろに、もう一つあって、「調整中」の張り紙が。

「九州新幹線  熊本・鹿児島中央方面」との文字がある。

2011年3月の全線開業に向けて、すでに電光掲示板の準備がされていた。

わくわく、ドキドキする。

開通したら、ぜひ乗ってみたいな。


3月 7, 2010 at 06:45 午前 |

The food was excellent, and the worries of the day melted away.

The food was excellent, and the worries of the day melted away.

ご飯はおいしく、憂いは消えた。

The Qualia Journal

7th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 7, 2010 at 05:47 午前 |

さびしさとやさしさと

先日、桑原茂一さんと出かけた時の写真。

他人にやさしい茂一さん。それでいて、どこか、さびしさの面影がいつも漂っているのである。


3月 7, 2010 at 05:32 午前 |

手足を濡らす

靴下を、ちゃんと数持ってきたと思っていたのに、実際には一個足りなかったりする。

朝気付いて、慌ててせっけんで洗ったことが何度あったろう。

今朝もそうだった。そんな時、自分を呪いたくなる。

くそう。

洗ってすぐ、濡れたまま履いてそのまま出かけたこともしばしばある。

靴下が一個ないと、人間は手足を濡らすはめになるのである。

3月 7, 2010 at 05:22 午前 |

サイン本

サイン会にいらしていただいた方、ありがとうございました!

みなさまにお目にかかれてうれしかったです。

「明日、受験の発表なのです。」という方もいらっしゃいました。いよいよ今日ですね。合格を心からお祈りしています。

なお、サイン会とは別に、20冊ほどサイン本を書きました。店頭に並んでいると思いますので、ぜひ、お早めにおでかけください!

紀伊國屋書店福岡本店 

3月 7, 2010 at 05:17 午前 |

2010/03/06

広島にオリンピックは来るでしょうか?

広島でタクシーに乗って、オリンピックの話をした。

「広島にオリンピックは来るでしょうか?」

「さあ、熱心にやっているのは一人だからねえ。」

「市長さんですか?」

「ああ、県知事の方は反対だからねえ。」

「お金がかかるから?」

「招致だって、何十億ってかかるんでしょ。交通だって、大渋滞になりますよ。都市高速がないからねえ。」

私はしゅんとして、何だか現実という冷や水を飲まされた気持ちになった。

帰りに乗ったタクシーの中で、「桜はいつ咲きますかね」というような会話を交わした後、駅につく一つ前の青信号で、「広島にオリンピックは来ますかね?」と聞いた。

「さあ、どうでしょう。でも、私たちにとっては、遠い大きな夢ですからね。来てくれればいいなあ、と思いますよ。」

「そうですか。うまくいくといいですね。オバマさんも来てくださるといいですね。」

ぼくは、お礼を言ってタクシーを降りた。

冷静さと夢と。ぼくは、どちらも人間の心の真実だと思った。そう考えたら、急にさびしくなって、ラーメンが食べたくなった。

辛味噌ネギラーメンを注文してから、テーブルの上に「2倍 まずここから」「5倍 口がひりひりします」「10倍 全身がかっかします」「20倍 からだはだいじょうぶですか?」などと書いてあるのに気付いた。

知らなかったから、ぼくは1倍。

スープは、まろやかで、美味しかった。まるで春の夢のように。

3月 6, 2010 at 08:10 午前 |

Ponder the existence of yourself before your father and mother was born.

Ponder the existence of yourself before your father and mother was born.

父母未生以前の自分について考える

The Qualia Journal

6th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 6, 2010 at 07:59 午前 |

ステップの感触

 歩いていて、足の裏に米粒が当たると、小さな違和感があるように、あるいは、ふかふかのじゅうたんを歩いたり、夏の日に芝生を肌して歩いたりするとある運動印象が生じるように、日々を生きる上でも、ステップの感触のようなものがある。

 案外、そのようなごく小さな手応えのようなものが、生きることの充実を保証してくれているのだ。

3月 6, 2010 at 07:42 午前 |

2010/03/05

温かいお茶しか買わない日和見主義者

始発の新幹線に乗るために、早起きする。

眠くてつらいけど、人影がまばらな東京駅に着いたら、しゃきっとした。気持ちいい。

お弁当屋さんがもう開いていた。朝から、ご苦労様です!

迷ったあげく、「30品目バランス弁当」を買う。

隣りの二人連れ。女の人が、「あっ、トンカツ弁当!」「幕の内弁当!」と大きな声を出していた。男の人が、「ビールを買おう」と言っていた。

朝5時台にビールを買う強者。ぼくは、温かいお茶しか買わない日和見主義者となる。

3月 5, 2010 at 05:56 午前 |

連帯保証について

民法の連帯保証に関する規定は前近代的であり、廃止ないしは修正されるべきものと考えます。

経済的合理性がないのに、個人的な関係で連帯保証をし、その結果苦しい立場に置かれる人が後を絶ちません。

金融機関などの貸し手が、安易に借り手に連帯保証を求めるのは、怠慢だとしか言いようがありません。

外国人や、身よりのない人などが、家を借りる時に連帯保証人を求められるのは、不条理な慣習です。

日本の法律関係者は、いつまで、このような悪習を放置するのでしょう。

(催告の抗弁)
第四百五十二条  債権者が保証人に債務の履行を請求したときは、保証人は、まず主たる債務者に催告をすべき旨を請求することができる。ただし、主たる債務者が破産手続開始の決定を受けたとき、又はその行方が知れないときは、この限りでない。

(検索の抗弁)
第四百五十三条  債権者が前条の規定に従い主たる債務者に催告をした後であっても、保証人が主たる債務者に弁済をする資力があり、かつ、執行が容易であることを証明したときは、債権者は、まず主たる債務者の財産について執行をしなければならない。

(連帯保証の場合の特則)
第四百五十四条  保証人は、主たる債務者と連帯して債務を負担したときは、前二条の権利を有しない。

3月 5, 2010 at 05:42 午前 |

日本集中治療医学会学術集会 講演

日本集中治療医学会学術集会

茂木健一郎 『生きる力 ー脳からの視点ー』

2010年2月5日(金)10時30分〜11時30分

リーガロイヤルホテル広島

http://icm2010.umin.jp/index.htm

3月 5, 2010 at 05:30 午前 |

朝日カルチャーセンター 夏樹静子さんとの対談 

対談 夏樹静子、茂木健一郎

朝日カルチャーセンター福岡主催

明治安田生命ホール(福岡市博多区中洲5-6-20)

2010年3月6日(土)14時〜16時


夏樹静子さん

http://www.acc-fk.com/fukuoka/

3月 5, 2010 at 05:25 午前 |

『文明の星時間』刊行記念サイン会

『文明の星時間』の刊行を記念して、サイン会を行います。みなさまご来場ください!

2010年3月6日(土)17時〜
紀伊国屋書店福岡本店

詳細

amazon

3月 5, 2010 at 05:03 午前 |

The trick was just to focus on the next step, in order not to despair unduly.

The trick was just to focus on the next step, in order not to despair unduly.

過度に絶望しないために、次の一歩に集中する

The Qualia Journal

5th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 5, 2010 at 05:00 午前 |

長髭の謎

ほぼ毎朝電気カミソリで髭を剃っているが、ときどき謎のことがある。

肌の上から一本だけ、にょろっと残っているのが発見されるのだ。

先日も、唇の横ににょろっと出た。この位置に出ると、唇の粘膜に当たって、「ちくちくしてイヤ」になる。

謎というのは、なぜ、ある時突然「剃り残し」に気付くのかということだ。

一夜にしてぐんと伸びるはずもない。毎日少しずつ伸びている間は、気付かなかった。それが、ある瞬間に「あれっ?!」と覚醒するのである。

そうなると、もはや髭剃りでは取れず、ハサミでちょきんと切るしかない。

どこか名残惜しい気持ちを抱きつつ、サヨウナラをする。

3月 5, 2010 at 04:58 午前 |

2010/03/04

就活くたばれデモ

NHK出版の大場旦、高井健太郎さんと打ち合わせ中。

高井さんに、昨年、札幌で就職活動の現状に不満な学生たちのデモ(「就活くたばれデモ」)があったことを教えてもらった。

3年生の12月から一斉に横並び就活を強要する日本のシュウカツは、世界のヒジョーシキ。

君たち、よりよき日本のために、ぜひ頑張りたまえ。

このままでは、日本は沈むばかりだからね。

http://megalodon.jp/2009-1124-1147-23/www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/201677.html

3月 4, 2010 at 01:08 午後 |

Memoir about dolls crackers

Memoir about dolls crackers

ひなあられの思い出

The Qualia Journal

4th March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 4, 2010 at 09:19 午前 |

脳のトリセツ 受験に失敗してしまった君へ

週刊ポスト 2010年3月12日号


脳のトリセツ 第32回

受験に失敗してしまった君へ

入試本番は人生で待ち受けるハードルの一つに過ぎない。勉強中に越えた無数のハードルこそが勲章に値するのだ。

抜粋

 入試に落ちたということで、中には、まるで自分という人間を否定されてしまったような気持ちになる人もいるかもしれません。しかし、それは間違った考え方です。
 入試で試されるのは、それぞれの教科を君たちが現時点でどれくらいできるかということだけです。決して、君たちが人間として素晴らしいかどうかを見ているわけではありません。 
 面接がある場合でも、そこで君の人間のすべてがわかるわけではありません。そもそも、学科試験にせよ、面接にせよ、限られた時間の中であるひとりの人間のすべてを把握することは、不可能なのです。
 君たちが赤ちゃんとしてこの世に誕生してから、ずっと君たちのことを見守ってきてくれたお母さんやお父さんならば、君たちのどんなところが素晴らしいか、どんなところがまだまだ足りないかよくわかっているかもしれません。しかし、そのような君たちの存在の素晴らしさのすべてを、入試という機会に学校側が把握することはできません。
 学校の先生方も、本当は、君たちの人間としての良い点をよく見た上で、合否の判定をしたいでしょう。しかし、現実には、できることには限りがあります。だから、仕方がないので「入試」という形で割り切るしかないのです。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100312jp/index.html

3月 4, 2010 at 09:02 午前 |

文明の星時間  忘却から歴史が始まる

サンデー毎日連載

茂木健一郎  
『文明の星時間』 第104回  忘却から歴史が始まる

サンデー毎日 2010年3月14日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 「なつかしい」という感情は、大人だけのものでもない。子どもにも、「なつかしい」という感情は芽生える。私自身、小学校1年か2年の頃、ふと幼稚園の時のことを思い出して「なつかしい」と感じることがしばしばあった。
 その頃さかんに振り返っていた幼稚園の思い出は、鮮明で、色とりどりだった。
 例えば、幼稚園での音楽の時間に、なぜかピアノの中からカブトムシが見つかったことがあった。虫好きの私はよろこんだ。ところが、担任の新井先生がそれを山田くんにあげてしまい、悔しいと同時に大いに嫉妬したのである。
 幼稚園では、牛乳代を袋に入れて持って行った。普通の牛乳の子は白い袋、コーヒー牛乳の子は赤い袋に入れる。それで、本当はコーヒ牛乳を飲みたかったのに、母親はいつも白い袋しか渡してくれなかった。子ども心に寂しかった。もっとも、今考えれば、母なりに私の健康のことを考えてくれていたのかもしれない。
 まだまだある。卒園式が近い頃、何人かでふざけていた。梅田くんがぷっと笑った。その瞬間、ちょっと風邪気味だった梅田くんから鼻水が勢いよく飛び出した。それが鈴木くんにまともにかかった。鈴木くんが、「うわー」と叫んでトイレに駆け込んだ。かわいそうだったけれども、面白かった。
 小学校の教室で、幼稚園の頃のそんなあれこれをじっくりと振り返っていた。そうして、あの頃はもう二度と戻って来ないのだな、と考えた。そうして、しみじみと、幼稚園の時代は楽しかったなあと考えたのである。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。

また、連載をまとめた本の第二弾『文明の星時間』は近日発売予定。amazonなどで予約受付が始まっています。

amazon

3月 4, 2010 at 09:02 午前 |

春近い東京で

日曜日に、横浜美術館の木村絵里子さんからメールをいただいた。

____

ご無沙汰しております、横浜美術館の木村絵理子です。ただいま横浜美術館で開催中の束芋さんの展覧会が3月3日(水)で終了いたします。残り3日となりましたが、もしお時間ございましたら、ぜひ足をお運びください。

展覧会は7月に大阪へも巡回しますが、今回は何と言っても横浜美術館のために束芋さんが制作された巨大なインスタレーションが圧巻です。
今まで図体が大きいだけで全く役に立つことがなかったエントランス空間が、束芋ワールドに生まれ変わっています。

もしも来横が叶います際には、ぜひご一報ください。


ところで、アートマガジンのARTiTのサイト上で公式ブログの公開を始めました。まだまだ始めたばかりですが、アート関連のレビューなどを掲載したいと思っていますので、ぜひご覧ください。
3月にはニューヨークとフィラデルフィアへ行って、MOMAで開催されるマリーナ・アブラモビッチの個展(会期中、アーティストがずっと展示室でパフォーマンスを続ける前代未聞の展覧会として話題になっています。)の様子なども報告したいと思っています。

____

しまった! と思って、湯河原句会の帰りに横浜美術館に向かった。

束芋さんの展覧会、とても良かった!

( レビューは、この日記と、「クオリア評論」に掲載します。)

上のメールにもあるように、木村さんはARTiTのサイト上で公式ブログを開始されている。 URLは下です。


http://www.art-it.asia/u/ab_kimurae/

東京に戻りながらお礼のメールを書くと、木村さんから返事がきた。
____

茂木健一郎様

こちらこそ、お忙しい中時間を割いていただきありがとうございました。
3年越しで一人のアーティストと向き合って仕事をするという経験は、私にとっても初めてのことで大事な展覧会になりました。
これからも面白い企画を続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

木村絵理子

____

 春近い東京で、充実した仕事をしている人がいる。

3月 4, 2010 at 08:46 午前 |

2010/03/03

They will go out, including this writer, weather permitting.

They will go out, including this writer, weather permitting.


この著者を含めて、彼らは出て行くだろう。天候が許す限り。

The Qualia Journal

3rd March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 3, 2010 at 08:30 午前 |

湯河原句会

黛まどかさん主催の湯河原句会に来た。

大好きな宿、石葉。ぼくがもっとも尊敬する平松洋子さんお薦めの宿。食事がすばらしい。

遅刻して、選句にようやく間に合った。

ぼくの俳句は、湘南新宿ラインの中でひねり出して、黛さんの携帯にメールで送ったのである。

そうしたら、増田明美さんもメール組だった。

はにかみて 兄が妹(いも)見し 雛あられ 

梅と月 匂い照らすや なごり雪

目もくれず 梅花も知らず 急ぎ雨 

3月 3, 2010 at 08:29 午前 |

人の顔

NHKで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の打ち合わせ。

座間味圭子さんが撮影し、編集したVTRを見た。

人の顔の表情が持つ力に、はっと立ち止まる。

人の顔。そこには、一つの宇宙がある。

3月 3, 2010 at 08:28 午前 |

2010/03/02

山下洋輔 茂木健一郎 対談 即興狂詩曲

朝日カルチャーセンター 

山下洋輔 茂木健一郎 対談 即興狂詩曲

これは凄まじく面白くエキサイティングな対談になりそうです。

今からぼくも楽しみで、わくわくしております。

みなさま、ぜひおいでください。

住友ホール 2010年4月9日(金)
18時30分〜20時30分


詳細


3月 2, 2010 at 11:30 午前 |

杉原信幸×広瀬和洋 パフォーマンス

杉原信幸×広瀬和洋
The Videocamera Man(「うたがきやま ほほえみのもり」)

2010年2月26日 

茨城県陶芸美術館におけるパフォーマンス(最初の10分)

撮影 茂木健一郎

youtube

3月 2, 2010 at 09:43 午前 |

プロフェッショナル 山田智敏

『プロフェッショナル 仕事の流儀』

出動せよ 雲上のレスキュー隊

~山岳警備隊・山田智敏~

山田智敏さんのかかわる山岳救助の現場では、ほんの少しの油断が命取りになる。

たとえば、ロープが少しゆるんでいたり、あるいは落石が生じたりすれば、きわめて危険な事態になりかねない。

山田さんは、自分の周囲の全体性をとらえる、周辺視野の能力が発達している。自分たちを取り囲む環境の全体を俯瞰することで、どのような事態になっても対応できるようになるのだ。

自分の周囲にあるものを見逃さないようにとらえることは、生きる上で大切なスキル。山田さんの周囲への気の配り方の中に、私たちが日常で心がけるべき心の技法が隠れているのである。


NHK総合
2010年3月2日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム 大きなものに向き合うために
組織を超えて助け合う
山岳警備・山田智敏 (produced and written by 渡辺和博)

3月 2, 2010 at 08:37 午前 |

Muscle confusion

Muscle confusion

筋肉の混乱

The Qualia Journal

2nd March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 2, 2010 at 08:29 午前 |

塩谷賢と確率の話をした。

塩谷賢と確率の話をした。

ルベーグ測度にはいろいろ不思議な性質があって、無限の世界は私たちの直観を超える。確率がゼロであるということは、絶対に起こらないということではない。

確率は、たとえそれが有限で書かれているように見えても、必ず無限を含む。たとえば、サイコロの目が出る確率が1/6であるというのは、本当は1×無限大/6×無限大のことである。

人間が不定性に向き合う時に、本当に確率構造が支配しているのだろうか。時間の経過の不可思議と、空間の安定性と。

非可換代数が、この世界の安定性を支えていることは間違いあるまい。さすれば、プランク定数こそが、この世の安定性の微細単位だということになる。

満月の夜だったはずだが、空は曇っていて、明るい兄弟天体の姿はどこにも見えなかった。

竹富島の海岸に横たわる塩谷賢氏。背景で考えるのは、池上高志氏。

3月 2, 2010 at 08:09 午前 |

自分の手の感覚自体が若返ったような

ゼミの合間にバドミントンをやるのが楽しい。

石川哲朗が、新しいシャトルを持ってきてくれた。

そうしたら、人間というのはごく小さな手応えの変化を感じるもので、一二回打っただけで、「おお、これはいいじゃないか!」と叫びたくなった。

シャトルが弾むので、自分の手の感覚自体が若返ったような気持ちになる。

シャトルが新しくなって、一足先に右手に春が来た。

石川哲朗の日記にも、関係した記述があります。

Open-Ended 風上と風下、あきれるほどの空振り 

3月 2, 2010 at 08:05 午前 |

Willingness to pay

ゼミ(The Brain Club 第241回)で、関根崇泰が紹介した論文がきっかけとなって、willingness to payについての議論となった。

人々が、ある明確なスカラー値として、ものの値段を明確に認知しているかどうかは疑問がある。しかし、ある商品と価格が提示された時に、それを購買するかどうかという選択が行われるという意味においては、行動から、間接的にwillingness to payを推測できるという議論には一定の有効性がある。
 
問題は、Becker–DeGroot–Marschak methodのような事例において、willingness to payが本当に測定できているかどうかということだろう。このような局面における被験者の振る舞いは、ある明確なスカラー値としてのwillingness to payを意識しているというよりは、prisoner's dilemma のような利害対立ゲームにおける、risk takingを含む行為の選択類似のパラダイムで捉えられるべきなのではないかと考える。つまり、willingnes to payは、choice of actionの結果として漸近的に得られるに過ぎず、本当に問題になっているのは行為選択のダイナミクスそのものではないかと考えるのである。

3月 2, 2010 at 07:59 午前 |

2010/03/01

シンポジウム 身体知と言語

慶應大学教養教育センター シンポジウム『身体知と言語』
2010年3月3日(水)15時〜18時

慶應大学 日吉キャンパス来往舎シンポジウムスペース

黒沢美香、井上逸兵、 前野隆司、武藤浩史、茂木健一郎

詳細URL

詳細PDF

3月 1, 2010 at 10:39 午前 |

Creativity is proportional to the courage to break from the status quo.

Creativity is proportional to the courage to break from the status quo.

創造性は、現状から自由になる勇気に比例する。

The Qualia Journal

1st March 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

3月 1, 2010 at 08:16 午前 |

ひたすら走れ。権威や組織と関係のない、自由な空気を吸うひとりの個人として。

桑原茂一さんにお誘いを受けて、いわき市のアリオスでお話しした。

トーク×アリオス#3「笑いと脳」

お話したかったことは、「本当のこと」に向き合って、サッカーの選手がハーフタイム中ピッチの上を走り回るように、一生懸命生きていれば、日本のどこにいようと、組織に関係していようとしていなかろうと、関係のない時代が来ているということ。

自分自身がかかわる感覚と運動の「偶有性」をどのように設計するかが問われているのである。

いわきのみなさん、一緒に頑張りましょう。

終了後、茂一さんと、いろいろ話す。

これからは、間違いなく乱世で、魂における下克上であり、それは厳しい愛の実践でなければならず、オシム前日本代表監督の言葉ではないが、「走れ、走れ、走れ」である。

ひたすら走れ。権威や組織と関係のない、自由な空気を吸うひとりの個人として。

3月 1, 2010 at 08:14 午前 |