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2010/02/03

標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が

 生きていく中で時々ふと、河合隼雄先生とお話した時のことを思い出す。京都のクリニックで、箱庭を観て頂いた後に、お好きなフルートを吹くというその部屋で向き合った。

 河合先生いわく、箱庭は実際に効果がある。そのことは経験からわかっている。しかし、通常の手続きをとって、科学的な意味で実証しようと思ったら、さまざまなことを「標準化」しなければならない。
 
 例えば、砂の量、色。箱の大きさ、材質。何よりも、箱庭に並べるアイテムの種類、数。そのようにして環境を標準化して、繰り返し実験してデータをとり、そうして統計を見なければ、通常の意味での「科学」とはならない。

 ところが、箱庭療法の実際は、一回性の塊である。河合先生のクリニックにある人形や、木や、石の類は、訪れる人がお土産に持ってくるものも多い。いわば、「オープン・システム」。その内容を制御しようも、指定しようもないのだ。

 箱庭を作る被験者の状態や、過去の経験の履歴も、毎回異なる。そのことによって、箱庭の内容も変わってくるし、被験者の心情も異なる。
 
 そのようなもろもろを考えると、箱庭に関する記述は、一つひとつの事例を記述する「事例研究」にならざるを得ない。また、それで良いのだと河合先生はおっしゃった。

 標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が失われる。そんなことはたくさんある。たとえば、自分の人生そのもの。あのとき、河合先生から受けた、覚悟と凄みの混じり合った感触を忘れまいと、時折思い出してみる。

 私たちは、人生の一回性から逃れられない。その不可避な偶有性を受け入れ、寄り添うしかないのである。


私が作った箱庭の前に立つ河合隼雄先生。2006年2月。
京都のクリニックで。

2月 3, 2010 at 07:42 午前 |

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コメント

被験者の心の成長と回復、というコメントを読んで、この箱庭を見せてもらっている私自身の成長と回復、ということを思いました。以前にもアップしてくださったこの写真にまた今出会えて嬉しかったです。

投稿: | 2010/02/12 11:44:50

こんにちは


> 河合先生いわく、箱庭は実際に効果がある。そのことは経験からわかっている。しかし、通常の手続きをとって、科学的な意味で実証しようと思ったら、さまざまなことを「標準化」しなければならない。


箱庭には、被験者が箱庭で表現する事により、心の時間の針が進み、心を成長させ、被験者を回復させるのではないでしょうか?(^^)

投稿: | 2010/02/04 3:26:27

河合先生が側にいるなかで、作った茂木さんの箱庭と今、もう一度作るとしたら同じにできるのかしら?

過去の嫌な生々しい記憶も、時が経つにつれ癒やされソフトになるように、大好きな気持ちも時が経つにつれて、それ以上に空気のようになくてはならない存在になりますよね(*'-')

唯一変わらないのは、人の温かく、ポジティブな気持ちかな(*^_^*)

投稿: | 2010/02/03 23:06:10

河合隼雄先生の、一度だけ拝見した、あのやわらかいお顔が思い出される。

あの柔和な表情の奥底に、しなやかで強く、壮絶な覚悟を秘められて、生涯を全うされたに違いない。

そして、マグマを噴く活火山のある茂木さんの箱庭も。

箱庭は創造であると同時に、絶えず動く心の深淵に広がる世界のあらわれのように、今思える。

逃れられざる一回性と死ぬまで寄り添う。強い覚悟と決意を秘めて、それと向き合おうとする勇気が、真実の『真面目』の姿だと思う。

その一回性と寄り添い向き合いながら、心の深淵に世界として広がる、己の生の『真実』のさまざまを、見つめつつ、人生の軌跡を、人は描くのだ。

個々人の人生の軌跡は、みんなちがうし、ちがっていてそれでいいものだ。標準化なんてナンセンスだ。

それぞれ違う人生の軌跡を描きつつ、不意打ちに襲う一回性を受け入れて、臨終という名の『ラストステージ』にたつその時まで、私たちは偶有性の衣に包まれて、それぞれ『私』という配役を演じつづけるしかない存在だ・・・!

誰でも自分の人生では、『私』は主役。主役を最後まで演じつづける、強い覚悟と決意は一回性と向き合い寄り添う中ではぐくまれ、強化されていくのではないかと思っている。

投稿: | 2010/02/03 22:55:41

あら~ 河合先生・・・  ほ~ 茂木先生の箱庭・・・^^
少し笑みを浮かべていらっしゃるような河合先生、
室内の空気の温かさが伝わってくるようです、、

臨床療法の箱庭療法のデータ化をなさらず、事例研究としての情報を標準化なさらなかった見識に、河合先生の偉大さを感じました、

室内に響いたであろうフルートの音色の繊細かつ精神的に豊かな音色
ごりっぱでお優しいお人柄を想像しました

一回限りの人生を本当に受容するときに、標準化の無意味と唯物論的考えからの離脱を本質的に享受しておられたのでしょうね、

素晴らしい大樹の様な方が、どんどん一回限りの人生に別れを告げていかれますね、、仕方ないとは言えなんだか、心淋しいくなりますね
茂木先生、ストップウォッチ持たずに、おもわず空を見上げたくなることってありませんか・・・

                  reiko.G

投稿: | 2010/02/03 15:02:33

先生、おはようございます!
私は以前、河合先生がご自身のご著書で
シャーマニズムについて書かれていたことを
とても印象深く覚えています。
自分もシャーマニズムについて調べ、
研究しているからです。
脳科学がご専門の先生と、どちらかといえば
人類学的なことかな、と思っていたものの
接点を見つけたようで、とてもうれしかった
ことも事実でした。
このことが現在まで、クオリア日記を読ませて
いただいているきっかけでもありました。
心理学の河合先生と、脳科学の茂木先生の
お二方のご考察なども、シャーマニズムと
関連があるのかもしれないと思うと、また
とても視野が広がるような気がします。
シャーマニズムは、科学的なことからは少し
(だいぶかな?)はずれていると思いますが、
生涯の探究としては、自分にとって意味深い
と考えています。
また河合先生との、そういう会話のエピソードとか
おありでしたら、ぜひお教えください。

投稿: | 2010/02/03 10:27:11

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