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2010/02/09

クォンタム・ファミリーズ

現実世界は狭すぎる
ー『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀ー

 量子力学においては、波動関数の収縮と呼ばれる過程がある。このプロセスをどのようにとらえるかという点について、複数の考え方がある。
 標準的な「コペンハーゲン解釈」では、波動関数は確率を計算する方法だという実際的な立場をとる。波動関数の収縮が提示するさまざまな哲学的な課題は、物理学の問題ではないと考えるのである。
 それに対して、アルベルト・アインシュタインや、ロジャー・ペンローズなど、偉大な知性たちが反対を唱えてきた。波動関数の収縮のプロセスについて明確な概念的枠組みを提示できない現在の量子力学の枠組みを、不完全なものと考える論者も多い。
 量子力学に当てはめられる一つの世界観が、「多世界解釈」である。波動関数が収縮する時、世界は複数に分裂する。分裂したそれぞれの世界は、配列的に存在する。エヴァレットIII世によって唱えられたこの解釈は、その提示する世界観が常識外れなものであるにもかかわらず、論理的整合性においてはすぐれている。現在でも、量子計算の研究をしているデイヴィッド・ドイッチュなど、多世界解釈を指示する論者が存在する。
 東浩紀氏は、小説『クォンタム・ファミリーズ』の背景となる世界観に、多世界解釈の下での並列宇宙を採用した。並列宇宙が、私たちのこの現実の宇宙と密接に絡み合う概念装置となる。東氏が展開する論理には概念的ガジェットとしての愉しみがある。特に、インターネット上に増大し続ける情報空間と絡めた論が面白い。

「・・・量子回路がある閾値を超え、ネットワークの直径がある閾値を超え、かつ特殊なタイプの経路が出現すると命題空間全体が量子的に発散していまう、そんなシミュレーション結果が発表されているとのことでした。二〇二三年の時点では、すでに学術データベースの三割が「脱現実化」した命題に寝食され、検索はほとんど役に立たなくなっていました。」

東浩紀 『クォンタム・ファミリーズ』より

 量子力学における平行宇宙は、たとえば電子が二つのスリットのどちらかを通るという際に、観測が行われれば分裂する。世界は、その素粒子レベルの微細な成り立ちにおいて、ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる瞬間に分裂し続けているのであって、そのような分裂の「直積」として生まれる平行宇宙の数は、想像することも不可能なほどの巨大なものとなる。
 『クォンタム・ファミリーズ』は、このような平行宇宙の「マルチチュード」のうち、二つの世界の「並列」を骨格に組み立てられている。展開されるのは、ある一つの家族をめぐる物語。人間の心のダイナミクスは、現実世界には留まらず、非現実、仮想の世界にもその故郷を持つのである
 人間の脳の認知プロセス、意識が生み出されるメカニズムに即すると、平行宇宙への道筋は、志向性(intentionality)の中にも見いだすことができる。志向性自体は、宇宙の履歴が一つしかないという保守的な考え方とも整合的である。
 Aを選んだから、このような人生になったが、もしあの時Bを選んでいたとしたら。そのような仮想のシミュレーションを、私たちは常に行っている。そして、実際に選んだAよりも、Bの方が自分自身に忠実な選択だったかもしれぬ、その方が幸福だったかもしれぬという比較が、「後悔」(regret)の念を引き起こすのである。
 前頭葉において文脈認知などにかかわる眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)が、後悔の認知にかかわることがわかっている。
 後悔を含め、さまざまな感情や記憶の力学が、現実と、志向性の向かう宇宙の間に事実上の並列世界をつくる。存在するのは、常に「今、ここ」の神経細胞の活動でしかない。しかし、それによって生み出される「志向性」は、この現実世界の限定を離れて、それこそカントが『純粋理性批判』の中で言ったように、「私の上なる満天の星空と、私の内なる倫理規則」にまで及ぶ。
 人間の精神性の力学のスペクトラムを収めるには、この現実世界は狭すぎる。東浩紀氏は、並列世界という広々とした空間を手に入れることで、一つの家族の切実な物語を綴ったのである。

『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀
新潮社 2009年12月

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By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

2月 9, 2010 at 03:49 午後 |

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コメント

なんか難しくて全然読む事が出来ませんでした。
高校時代、絵や工芸の授業ばかりとって、数学や物理をほとんどやりませんでした。
今からでもやってみようかな。そしたら読めるようになるのかな。

投稿: tori | 2010/02/11 4:00:20

茂木健一郎さま

予告滑り

本当は、長い距離のコブを滑りたいですが

キロロ名物の長峰側のコブは斜度が緩く滑りやすいので

逆にキロロセンターコースの、短い距離ですが
まだ斜度があるので

日本航空さまの白いウインド ブレーカーに黄色いスキーパンツで滑っているのが私
実在してます私は

他にグルーミングされた快適バーンを滑ります

東京うまれ育ち住まいも東京でも北海道で楽しくスキー

コブは小樽天狗山スキー場さんのが斜度もあるのでキロロは気を抜かないですが楽です。

投稿: 高木英樹 | 2010/02/10 7:23:36

関係ないかもしれませんが、
大事なのは多様性、可逆性ということ。
すべてはつながっている

投稿: 旗の本 | 2010/02/10 6:38:03

茂木健一郎さま

おはようございます

本日もキロロリゾートスキー場にてスキーを楽しむ、スキーを楽しみたいという気持ちを選択するのではなく
スキーを楽しむ、強い気持ちです

昨日、キロロリゾートスキー場リフト乗り場にて
気分が悪い体験をしました、
さて、その瞬間
それはすでに過去に瞬間的になっている事実も瞬時に考えました

過去である一秒前の気分が悪い体験に縛られるのは実につまらなく

別のリフトのりばに自然に移動しました

あ!これはこれで対処的には正解
気分が悪い感覚からすぐに脱していた自分に気がつき、そして
今回は別のリフトに移動でしたが、その時、その時、限りなく正解に近い選択をすれば良い
理解しました昨日
さて
朝食、小樽駅前の長崎屋さんで昨晩買いました
おにぎり二個を食べて
準備をして
小樽駅前から出発
8時05分
キロロリゾート行き快適路線バスにて参ります

スキーを楽しむ

起きます。

投稿: 高木英樹 | 2010/02/10 6:29:49

こんにちは

「人間は神を似せて作られた。」と言う言葉がありますが。人間(霊長類)が知能を持つ前までの進化を考えると、多細胞生物で神経系を持つ生物の場合、良いと思う配偶者を脳で選択して、人間まで進化してきたと考えると、クオリアが人間を作ったと、考えられないでしょうか?(^^)

投稿: クオリアのクオリアby片上泰助(^^) | 2010/02/10 4:25:42

茂木健一郎様
茂木さんが量子力学のことを書かれているのを
読ませていただいていから、日常についても
頻繁に考えることがあります。 
実際的なことだと感じます。
深く生きることを考えるとなおさらです。

投稿: Yoshiko.T | 2010/02/10 2:24:10

茂木さん、こんばんは。
ちょっと難しそうな本ですが、興味が湧きます。
よぉーし、読んでみます!
ご紹介、ありがとうございます。

投稿: レオナ | 2010/02/10 0:47:38

茂木サン、何度も読み返しました。
どこまでの 理解ができているのか分かりませんが、
人の脳・思考・感情には計り知れない自由度と コントロール出来ない不便さ。
人間性としての物差しが瞬時に働いているのですね。

投稿: サラリン | 2010/02/09 21:40:39

  

  『並列世界』という

   広々とした空間

   を手にいれるため
   考えよう

投稿: 岡島妙英 | 2010/02/09 21:20:51

我らが拠って立つ世界、そして宇宙の裏面に、別次元の宇宙や世界があるという・・・。

ひょっとしたら、私自身、その裏面の世界で生まれて、人生を過ごしていたりして。

そんな人生を送っている自分は、どんな姿かたちをしている可能性があったのだろう。

次元と宇宙と世界との関係は、思えば思うほど、実に複雑なものに思えてくる・・・。

脱現実化した並列世界で、もし自分が生きていたら、どんな風な人生の軌跡を描いていたろうか??

投稿: 銀鏡反応 | 2010/02/09 21:14:18

 昨日、Qさま!!見てたら、先生、少しお疲れのように見えましたが、大丈夫ですか?ご無理をされませんよう・・・          この番組、ロザン宇治原さんとロバート・キャンベルさんが好きで、時々見ていま~す。素敵なおじさまですよね!                   

投稿: ママさま | 2010/02/09 19:51:41

もてぎ先生、お帰りなさい!クリーブランドって、どこかわかりませんでしたので、検索してしまいました。
 頭のいい方が、うらやましいのは、<あなたの知らない世界>を、知っているからです。やはり、人生を本当に楽しむためにも、愛を本当に実感するためにも、<本物の知性>が必要なのだなあ、と憧憬しています。
 さぞかし、わたくしの人生は、ワンコロみたいなものなのでしょうね、ぐすっ

投稿: prince7 | 2010/02/09 19:51:17

一度ではよく理解できな方ので、繰返し読みました
そして3回目は、音読してゆっくり読み進めて、先生の本の紹介にたどりつけました
徐々に読んでみたくなってきました、
今度、新宿に出た時、購入できるかしら・・
目を閉じて両手を広げて、深呼吸しながら飛び立つ瞬間を待っているような気分がする先生の感想文・・・
永遠という字が、架空の言葉でなく、少しずつ生きた言葉として存在に結びついていて来るような錯覚を覚えます
読んでみたくなりました、   reiko.G

投稿: reiko.G | 2010/02/09 18:44:57

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