« (本日)ザ・ベストハウス123 脳スペシャル | トップページ | お化粧をした橋本麻里さん »

2010/02/04

「見る神」から、「見られる神」へ。

 森美術館で市川海老蔵さんと会った。

 まずは、現在開催中の「医学と芸術展」を見る。出品作の中では、ヴァルター・ シェルスの『Life before death』が秀逸だった。

 海老蔵さんとレオナルド・ダ・ヴィンチの素描を見てから、今回の展覧会のキュレーターである広瀬麻美さんを交えて鼎談した。

 海老蔵さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの天才を成り立たせている日常的習慣について興味を持っていた。

 「常に見られる、ということを意識していたんじゃないですかね」という海老蔵さんの言葉で、一気にイメージが広がった。

 スピノザやバークリーにおける「神」は、世界のすべてを認識する「見る者」としての存在である。
 
 ジェンダーを逆転させる。「見る者」から、「見られる者」へ。「見る神」から、「見られる神」へ。そうすると、世界はどんなに変わって見えることだろう。
 
 見られていると思うから、細部まできちんと作り込む。そこに驚異の起源がある。見られていると思うから、テーブルの上のコップも、空の青も、可憐な花のゆらめきもすべてつくり出している。そんな風に思ったら、神は畏怖すべき存在であると同時に、優美な、愛しむべきものであるように思われ始めた。

2月 4, 2010 at 07:40 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「見る神」から、「見られる神」へ。:

» レオナルドの君 トラックバック POPO
君は 私が どんな 人間か 分類したがる 君は 私を 画家 だ という  彫刻家 [続きを読む]

受信: 2010/02/04 8:14:32

» 変奏詩 レオナルドのための抽選会 トラックバック POPO
第一連       第二連       第三連 という       君は     [続きを読む]

受信: 2010/02/04 8:16:57

コメント

こんにちは

> ジェンダーを逆転させる。「見る者」から、「見られる者」へ。「見る神」から、「見られる神」へ。そうすると、世界はどんなに変わって見えることだろう。

「見る者」、「見られる者」は、互いに量子的影響を受けているのでは?

どんな影響が受けているかは神のみぞ知る。(^^)

投稿: | 2010/02/05 2:16:50

神に限らず、人も「見る」存在から「見られる」存在にポジションを転換すると、姿を美しく作りこんでいくようになる。

他者の目を意識する、ということは、自らの変革と何処かつながっている。何時見られてもいいような、優美でいとおしさのあふれる姿になろうとする。

そして自己の内面すらも、恥ずかしくないものに変わっていく・・・。

思うに「見る神」は何処か男性的で、「見られる神」は女性的なニュアンスを感じる。

海老蔵さんではないけれど、ダヴィンチは、見られる神になろうとしていたのに違いない。

投稿: | 2010/02/04 21:27:01

偶然。私もつい先週森美術館で「医学と芸術展」を見ていました。
友達のお誕生日祝いにお連れしたのです。
(このチョイスからして私も彼女もマニアックです)

私はあの展示を見て、なんか気持ちが楽になりました。
(あ、人間やっぱり皆死ぬんだ、普通の事なんだ、体は壊れてしまう肉の物質なんだ)と。
だから身体に執着する必要はないんだなって。
生きていた身体、生きていた時は目を開いたり、声が出て話したり、触れると温かった。
死んでしまうと瞼は凍り付くし、皮膚はひやっとして反応のない肉になっていった。
解剖しても心は肉の中には発見出来なかった事。
東洋人はとっくにそれは悟っていた。

投稿: | 2010/02/04 12:29:30

茂木健一郎様
関西から世界にお好みやきチェーン店をおこした
中井政嗣さんが似たことをおっしゃっていました。
あなたがお化粧をするのも服装を整えるのも
あなた自身のためだと思うより、
自分を見る人が気持ちよく感じるためにと思って
してみたらどんなものだろうね。

そこには温かな風がふいていました。
きっとよくなる、すべてがよくなる
といつもおっしゃっています。
茂木さんのようにエネルギッシュな
暖かい意志のあるおかたです。

投稿: Yoshiko.T | 2010/02/04 9:46:43

茂木先生^^ おはようございます
まさにGood Morningな朝です^^

みられる神、見つめられる神、偉大さに包括された繊細な優美を併せ持つ神、神が愛そのものであるならば、神に似せられて創造されたといわれる人も、本の足元ににじり寄るほどでもいいから、偉大で優美を求める愛そのものでありたい・・・って
脳のどこかが、要求してくるのでしょうか・・^^

生物の様な見え方でないからこそ、愛であり、神である・・・
私の心は、暮らしの中で通り過ぎる人現の中の神に触れまる喜びを感じることがあります、そしてそのナイーブな神の心に少しでも触れられた時・・ 愛に触れる幸せを喜べている自分を発見します

愛はおごそかで柔らかくはにかみます、神は、自然そのものの日々の営みに似ているような気がします、喜怒哀楽の音楽の妙なる響きに似た感覚で、私たちに常に寄り添っていてくれるような気がします

今日は立春、幸せな光を浴びて教会へ、コーラスの練習をしに出かけます、足も手も元気、 ららららら~~~[(笑)
                    reiko.G

投稿: | 2010/02/04 8:50:18

コメントを書く