人生がどんなにむずかしくても
わが親友、塩谷賢の父親が亡くなったとき、ぼくはお通夜から告別式までいっしょにいた。
斎場に塩谷たちは泊まり込んでいたので、ぼくも、その大広間にごろ寝した。
もう二十年くらい前になるかしら。今でも、あの夜のことはよく覚えている。
野澤真一くんのお父さまが亡くなって、みなでお通夜に伺った。
多くの方に慕われていた、ということがよくわかるお通夜の様子。ほんとうにたくさんの方がいらしていた。野澤真一は、お母さん、妹さんと一緒に、参列者に一人ひとり挨拶していた。
しばらく様子を見て、それでも参列者の波は途絶えず、私たちはみなで最寄り駅の近くの店に入って、まずは献杯をして、それからいろいろなことを話していた。
お父さんが亡くなって、野澤くんがショックを受けているのではないかとみな心配していた。
加えて、お父さんが創業され、経営されてきた会社の実務などが、野澤真一くんの肩にかかっていて、とても大変だと聞いていた。
あれやこれやで、ぼくたちはみな野澤真一くんのことが気にかかって、少しでも話したいと思っていたのである。
お通夜が一段絡したあと、野澤真一くんは私たちの座に来てくれた。いっしょにいろいろ話すことができた。
野澤くんは、「父はこんな人だった」といろいろと教えてくれた。お父さんが築いた会社についても、さまざまな思いを語ってくれた。それを聞いていて、ぼくたちは、野澤はこれから大変だろうけれども、彼らしく一生懸命やっていくだろうし、それに、ぼくたちもぼくたちなりのやり方で、彼の生き方や、研究(野澤真一くんは「自由意志」がライフ・ワークなのである)もサポートしていけるだろう、と確信を持った。
ぼくがかつて塩谷賢のお父さんが亡くなった時にそうしたように、8人くらいの野澤真一くんの仲間が最寄り駅の近くのホテルに泊まって、今朝も野澤真一くんのことを手伝ったり、話したりして告別式までいてくれるという。
助け合っていけば、人生がどんなにむずかしくても大丈夫。
野澤真一くん、からだだけには気をつけてくれよ。

野澤真一くん


野澤真一くんが語るお父さんの思い出に、みんなで耳を傾ける。
2月 20, 2010 at 07:56 午前 | Permalink
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