Tsunami information
2月 28, 2010 at 10:26 午前 | Permalink
桑原茂一さんがプロデュース、編集するPirate Radioの第8回。近田春夫さんと、モブ・ノリオさんが、音楽について、平和について、日本のメディア状況について語る。
二人の会話のテンポが、異様に小気味よく、「詰まって」いる。そうして、本音の熱が、電球のように明々と伝わってくる。対話として、夜更けに耳を傾けるにふさわしい、魂を突き刺す密度にあふれている。スッゲーよ、近田さん、モブさん。
そうして、桑原茂一さんが、二人のロックンローラーのソウル・カンヴァセーションに音楽をのせる。その組み合わせが絶妙。ぼくは、桑原さんに、言葉と音楽のコラボレーションには、まだまだ未知の可能性があるのだなと教えてもらったような気がする。
リズムと内容は、決して無関係ではない。ヒップホップのリズムは、ヒップホップの内容を引き出す。重々しい行進曲のリズムは、重々しい行進曲の内容を引き出す。ヴィトゲンシュタインは意味が個人に閉じられたprivate languageなどないと看破したが、同じように、適用が個人に閉じられたprivate rhythmなどないのだ。
日本のこれからは、魂の乱世。武力を使わない平和な下克上。来るべき自由と創造の時代に向けて、桑原茂一さんのpirate radioは最上の励ましの音楽となる。
http://soundcloud.com/pirate-radio-ooo/pirate-radio-2
桑原茂一氏
Ken Mogi 2010. Uncomissioned.
2月 28, 2010 at 08:45 午前 | Permalink
Blessings would often come in the form of strangers
祝福は、しばしば見知らぬ者の姿をして来る
The Qualia Journal
28th February 2010
2月 28, 2010 at 08:03 午前 | Permalink
佐治晴夫先生にお誘いいただいて、三重県主催の食とメディカルバレーフォーラム2010に参加させていただいた。
講演では、こんなことをお話した。
食の意義というと、栄養学的に解析される栄養素という視点がもちろんあるけれども、それに加えて、脳がどのようなよろこびを得るかという「脳の栄養」という観点がある。食べる前に美しく盛りつける「プライミング」の効果や、一緒に食べることで共感回路が作用し、おいしさが何倍にもなるということがある。
「料理をする」という能動的な行為も、前頭葉のプランニングやタイミング知覚などの回路を活かすことにつながる。
木村秋則さんのりんご作りや、里山への回帰が指し示しているのは、異なるさまざまな要素が調和のとれた形で共存する新しい文明のあり方。私たちは、複雑系をいかに制御し、育むかということを課題としなければならない。
久しぶりに佐治晴夫さんとお話しして楽しかった。西村訓弘さん、矢野憲一さんにもたくさんのことを教えていただきました。ありがとうございました。
2月 28, 2010 at 07:53 午前 | Permalink
三重県庁の平野昌さんが、「茂木さん、これ、津のソウルフードです」と「カレー焼」をくださった。
初めて食べる。中にカレーが入っている。カレーの辛さと、小麦粉を焼いた皮の甘さが何とも言えぬコンビネーションで、大いに美味しかった。
平野さん、ありがとうございました。
2月 28, 2010 at 07:42 午前 | Permalink
他者に対する「リスペクト」
藤井直敬 『ソーシャルブレインズ入門』 <社会脳>って何だろう
講談社現代新書 2010年2月19日
藤井直敬さんは、『ソーシャルブレインズ入門』で、今脳科学に静かに起こりつつある革命についてわかりすく解説する。
一つひとつの脳を切り離し、コントロールされた実験室環境に置き、特定の文脈の中で神経細胞がどのように活動するかを観察する脳科学の方法は、多くの成果を収めた。『ソーシャルブレインズ入門』は、そのような過去の成果を踏まえつつ、さらに新しい領域へと踏みだそうとする。
周知のように、人間は社会的動物である。本書に引用されているように、ハーロウの子ザルに関する古典的実験は、たとえ栄養が満たされていてもその上に関係性欲求が充足される必要があることを示した。人間は、猿よりもさらに複雑な社会性を発達させた。脳を社会性の文脈において考えることは、いわば論理的な必然である。
藤井さんは、社会性の文脈における脳のふるまいを、継続的、俯瞰的に見ることの必要性を強調する。そうして、「独創的な実験的研究が行われている研究室には、必ず独自に開発した実験装置がある」という経験則に違わず、ECoGを用いて脳活動を計測するという新しい試みについて語る。藤井さんのグループの研究を記述した章は、未来への胎動の確かな手応えに満ちており、今後の展開を期待させるものである。
人間の社会性には、暗黒面もある。イェール大学のスタンレー・ミルグラムが行った「ミルグラム実験」や、「スタンフォード監獄実験」に関する解説は、社会性が時に暴走するという負の側面を描いて迫力がある。そのような暗黒面を見据えつつ、最後に、他者に対する「リスペクト」こそが社会的関係性の基礎だと論ずる著者の姿勢に共感した。
社会的な文脈で脳の機能を議論する時に必ず持ち出される「ミラーニューロン」について、その重要性を認めつつ、実験的な手法の問題点について技術的に論じた箇所は、情報としての価値が高い。また、社会的振る舞いの説明原理としての「認知コスト」など、著者が長年の研究から構築してきた理論的なアイデアについての議論も、大変興味深い。
人間の社会性の起源を脳の働きからどのようにとらえるか。この重要な問題に興味を持つ全ての人に、一読を勧めたい。
Ken Mogi 2010 Uncomissioned.
2月 27, 2010 at 12:11 午後 | Permalink
As we approach the springtime in the northern hemisphere
北半球の私たちが春の季節を迎えるとき
The Qualia Journal
27th February 2010
2月 27, 2010 at 09:18 午前 | Permalink
『いつも静かに笑っている』の会場では、松田路子さんの作品Wondeland Inariがとても良かった。
実在する稲荷神社に取材したのだという。だから、すべて具象から発している。しかし、それらはまるで夢の中のようにデフォルメされている。
質感が生々しいので、焼いてはいないのかと思ったが、ちゃんと焼いているのだそうである。
京都の土を使って造型しているのだという。
Wonderland Inariには、日本の民俗的なものが、普遍へと飛び立つ、その道筋が提示されているように感じた。
箱庭のようでいて、現実につくられる物理的箱庭よりも、かえってその素材が純で夢そのものに近づいているような印象を受けたのである。
Wonderland Inari 松田路子 2010年
Wonderland Inari 松田路子 2010年 (部分)
松田路子氏
松田路子氏プロフィール
2月 27, 2010 at 09:17 午前 | Permalink
杉原信幸が参加する展覧会『いつも静かに笑っている』のシンポジウムに出かけた。
シンポジウム終了後、杉原がパフォーマンスをやるというので、展覧会場に行こうとしたら、杉原が戻ってきてしまった。
シンポジウムの客席を見て、「ここでやってもいいですかね」と言っている。
杉原の今回の制作パートナーである広瀬君が、客席のところでずっと佇んでいて、展覧会場に降りて来ないので、急遽予定を変更したらしい。
椅子に手をかけて何かを想っている広瀬君の前で、杉原はビデオカメラを取り出した。
パフォーマンスというのは、その場で消えていく芸術だから、記録をとったり、ドキュメンテーションをすることが重要である。
「杉原、ぼくが撮ろうか」と言っているうちに、ビデオカメラのテープが巻戻り始めた。
巻戻りの音が、ヤケにうるさいなと思っていたら、そうではなかった。
杉原が、甲高い奇声を発していたのである。
アーッ、アーッ、アーッ、アーッ。キーィ、キーィ、キーィ、キーィ
巻き戻しだと思ったのは、杉原の奇声だった。
パフォーマンスは始まっていた。
杉原が発する音を、広瀬君は聴くとも聴かないともつかぬ顔で佇んでいる。そのうち、杉原の方を見始めた。杉原は、ビデオカメラを構えて、広瀬君を撮影し続けている。
広瀬君が、にっこりと笑った。そうして、杉原からビデオカメラを受け取った。
相変わらず、鶏系の妖怪のように身体をかすかに揺らしながら奇声を発し続ける杉原。広瀬君は、そんな杉原に対して、にこにこ笑いながらビデオカメラを向け、そのうち写真をパチパチ撮り始めた。
鶏系妖怪杉原。その顔が、ビデオカメラのビューファインダーの中に捉えられ、フラッシュがたかれ、そうして定着される。
10分余りの時間が流れた。
杉原が、立ち上がる。広瀬君に、額をつけた。広瀬君が笑って、杉原の肩をたたいた。
パフォーマンスは終わっていた。
http://sugihara.blog27.fc2.com/
パフォーマンスをする杉原信幸と、広瀬君。
2月 27, 2010 at 08:25 午前 | Permalink
Spring had come to me on one February evening in Tokyo
東京で、ある二月の夜に春が来た。
The Qualia Journal
25th February 2010
2月 26, 2010 at 07:49 午前 | Permalink
日経BPの敏腕エディター、渡辺和博さんが本を持っていた。
何だろう、と思って見たら、『プロフェッショナルの言葉』だった。
さすが渡辺さん。情報が早い。
「良い本ですねえ」と渡辺さんは言った。
目がキラリと光っていた。
渡辺和博さん
2月 26, 2010 at 07:39 午前 | Permalink
「ファブリーズ座間味」の異名をとる座間味圭子さん。
夜の編集室で、座間味さんは編集を続けていた。
渦波亜朱佳さんと入って行くと、気配を感じて座間味さんが振り返った。
ぼくのデジカメに気付いて、「だめですよ。どうせ、ブログに載せるんだから。二日もお風呂に入っていないんですから!」と座間味さんは言った。
全国の座間味ファンに、編集中の座間味圭子さんの様子をお伝えいたします。
座間味さん、編集アップに向けてもうひとがんばり。
数々の名作を世に送り出してきた座間味圭子さん。
VTRを拝見するのを楽しみにしています!
2月 26, 2010 at 07:34 午前 | Permalink
収録が終わった後も、チーフプロデューサーの有吉伸人さんは、なかなかスタジオを出て来なかった。
いろいろなものを撮る「ブツ撮り」をしていたのである。
スタジオに行ってみると、有吉さんが「入り込んで」いた。
集中している時の有吉さん独特の表情。すべてがぎゅっと引き締まり、目の前の課題に全力で取り組んでいる。
どこか狂気をはらんだ、有吉伸人の創造の現場。
動の有吉伸人。
本番が終わって、農口尚彦さんとの懇談がお開きになって、局に帰ってきた有吉伸人さんは、編集室の横のソファにどたんと寝た。
「あ〜眠い」
ソファの上で動かない。走り続けてきた男に訪れた、束の間の休息。
静の有吉伸人。潮が満ち引きするように、静と動の交代が人生をつくる。ああ、合掌。
動の有吉伸人。スタジオで、ブツ撮りする。狂気をはらんだ創造の現場。
静の有吉伸人。ソファに倒れ込んで、しばしの休息をはかる。
2月 26, 2010 at 07:21 午前 | Permalink
『プロフェッショナル 仕事の流儀』のゲストの、農口尚彦さん。
日本酒の神様と言われる人。本当に素晴らしいお話だった。
底光りするような鋭い言葉が、いきなり飛び出してくるのである。
農口尚彦さん
担当したのは、堤田健一郎さん。私と同じ健一郎。
収録後の農口さんとの懇談で、堤田さんはやたらと気合いが入っていて、まるで火を噴くゴジラだった。
その堤田さんと一緒にずっと現場で撮影していたのが、鈴木亘(とおる)さん。
大きな、温かい人。
鈴木さんがどっしりと受け止めたから、堤田さんがいくら火を噴いてもだいじょうぶだったのだろう。
人の組み合わせの妙。ゴジラ堤田と、どっしり鈴木さんがタッグを組んで、名作ができあがった。
ガオー。火を噴くゴジラ、堤田健一郎
どっしりと構える鈴木亘さん
2月 26, 2010 at 07:06 午前 | Permalink
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録中の102スタジオに大場旦が来た。
ずいぶんと久しぶりである。
大場旦は、服装がいつもかっこよい。ぼくみたいに、一年以上同じズボンをはくなどという間抜けなことはしない。
今日の服装のポイントは、靴。かっこいい靴。ぼくみたいに、同じ靴をずっと履いていて、白くすすけてきて、それをコンビニで買ったリキッドで黒く上塗りして誤魔化すということはしない。
「久しぶりですね、大場旦さん」
「そろそろ、一緒にお昼を食べませんか?」
「あれ、久しぶりにテーブルをドン、ドンですか? ここのところ、追及がないから、だいじょうぶだと思っていたんだけれども。」
「甘いな。逃しませんよ。」
「編集長になって、いろいろ仕事が増えて、そっちの方にエネルギーがとられてこっちはだいじょうぶだと思っていたんだけれども。」
「ふふふ。そうは行かない。」
NHK出版の大場旦も、筑摩書房の増田健史も、編集長になった。
どうやら、これから二人のライバルの「宿命の対決」が始まるらしい。毎年一回一緒に「おじさん温泉」に行く仲の良い二人だけれども、星飛雄馬と花形満のように、大場旦と増田健史のガチンコ対決は、幕を開けたばかりである。
ぼくは、大場旦と目をまともに合わせないように、きょろきょろ見ながら、少しだけ原稿を書こうかな、と思った。そういえば、増田健史の原稿も書かなくてはならないのである。
大場旦は親切な人で、このところNHK内では白のフリスクしか手に入らない、と書いたら、わざわざ黒を持ってきて、ぼくの白と交換してくれた。
白と黒のブツブツ交換。大場旦、ありがとう。
やさしさと狂気と。大場旦。
大場旦のおしゃれな靴。
大場旦が、フリスクの白と黒を交換してくれた。
その瞬間、白と黒は交錯する。
2月 26, 2010 at 06:57 午前 | Permalink
毎日ウィークリー
2月13日号 茂木健一郎 神宮の森、東京のオアシス
Tokyo's green 'river of light'
http://mainichi.jp/life/weekly/news/20100212wek00m040006000c.html
2月 25, 2010 at 10:37 午後 | Permalink
ゼミの前に、五反田のチェゴヤでご飯を食べていた。
店の外をぼんやり見ていたら、見覚えのあるやつが通り過ぎる。
あわてて走って店を出て、後ろから声をかけた。
「おーい、石川、こっちこっち!」
石川哲朗は、読んでいた論文から目を話して、ぼんやりとした顔で戻ってきた。
「あれ、チェゴヤスタートだって、さっきメールしたんだけど、まだ読んでいなかったか。」
「流れていましたね。読みました。」
「じゃあ、何で通り過ぎたんだ?」
「チェゴヤ行こうと思っていたんですが、論文読んでいて忘れてしまって通り過ぎてしまいました。」
うほほ。石川、なかなか進歩しているな。
「おい、聞け聞け。石川が、論文読んでいてチェゴヤ忘れちゃったぞ。すごいな。明日のブログに書こう。」
石川哲朗もブログに書いたので、同じ出来事を二人の視点から見ることができる。
http://d.hatena.ne.jp/openlimit/20100224
石川哲朗氏
2月 25, 2010 at 10:02 午前 | Permalink
『プロフェッショナルの言葉』
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班
幻冬舎
NHKの「プロフェッショナル」制作班の人たちが共同執筆した『プロフェッショナルの言葉』は、仕事をする上で、生きていく中での糧になる「珠玉の言葉」を集めた本です。
「カメラの前で語られ、番組のなかで放送されたものだけでなく、酒席で聞いたひと言から仕事の合間の雑談の一片まで、長期密着取材の間に担当ディレクターの心に突き刺さり、放送後、かなりの時間を経た今も忘れられない言葉です。」とチーフ・プロデューサーの有吉伸人さんは書きます。
たった一つの言葉に出会うことで、人生が変わるかもしれない。その一つの言葉は、この本のどこかの頁で、あなたとの出会いを待っているかもしれません。
一つひとつの言葉に込められた、一人の職業人としての人生の奥行きと重み。読者にとっても、一生忘れられない一冊となるでしょう。
「人のためには強くなれる。自分や金のためには、それほど強くなれません。」 宇都宮健児(弁護士)
「この子は、死ぬために生まれてきたんじゃない」 佐野俊二(小児心臓外科医)
「その仕事に向いているかどうかは、世の中の方がよく分かっている」 鈴木成一(装丁家)
「一瞬で消えるものの方が、永く記憶に残るのです。」 野村陽一(花火師)
「批評家になるな。いつも批判される側でいろ。」 上山博康(脳神経外科医)
ー『プロフェッショナルの言葉』に収められたプロフェッショナルたちの言葉よりー
『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演されたプロフェッショナルの一人、鈴木成一さんによる装丁も必見です!
2月 25, 2010 at 08:33 午前 | Permalink
ゼミの合間に、バドミントンをした。
パカン、パカン。楽しくて、自然に笑ってしまう。
春のような日差し。少し風はあったけれども、シャトルが空気の中を飛んでいくのを見ているだけで気分が爽快になる。
たった5分でも10分でも良い。こうやって運動をすることで、新しい境地に入れる。
未知の宇宙は、私たちの日常のすぐ横にある。
2月 25, 2010 at 08:18 午前 | Permalink
昨日、リクルートスーツのことを書いたが、それ以外にも、日本の就職の慣習には理解し難いことが多い。
そもそも、なぜ横並びで在学中に就職活動をしなければならないのか? そのような慣習に黙々と従う人だけでなく、そのようなことはイヤだと別の道を行く人の中にも、有為な人材がいる可能性はきわめて高い。
「履歴書に穴が開く」などというわけのわからないことを言う人がいる。日本人は、いつもどこかの組織に「所属」していなければならない、飼い犬なのだろうか? それでは、江戸時代と同じだ。実際、江戸時代はまだ精神性においては続いているのかもしれない。
何度か書いたことがあるが、イギリスにはギャップ・イヤーという慣習があり、高校から大学に行く時に、あるいは大学から就職する時に、しばらくどの組織とも関係なく、一人で旅をしたり、ボランティア活動をしたりする人が多い。たとえば、大学を出てからギャップ・イヤーに入り、しばらく世界を見てきた人を、企業の側も採用する。そのような人は、経験に基づくすぐれた資質を持っている可能性が高いからである。
明らかに異常な日本の就職活動の実態を、何の疑問も持たずにただ報道しているマスメディアには、根本的な批評性が欠けていると断じざるを得ない。
今の日本の制度の中で、順調に就職していく人たちの人生が幸せなものであることを祈りたい。一方で、私は、そのような「レール」から外れた人たちにこそ期待するし、応援したい。ずっと首輪をつけていろ、なんていう説教などクソクラエである。そうでなければ生きていけない社会はとっくに賞味期限切れである。何よりも、日本が、これからの激動の時代を従順な組織人だけで乗り切れるはずもない。
2月 25, 2010 at 08:12 午前 | Permalink
Emergent contingency
創発的偶有性
The Qualia Journal
25th February 2010
2月 25, 2010 at 08:00 午前 | Permalink
駅のトイレに入ろうとしたら、女の人があわてて走ってきた。そうして、車いす用のトイレのドア・ボタンを押した。
するすると、ドアが開いた。
中に、お兄ちゃんが座っているのが見えた。毛糸の帽子をかぶった、今風のお兄ちゃん。彼は慌てていた。それはそうだろう。用を足している間に、ドアが開いてしまったのだ。
女の人は、「まあ、あら」と言って、逃げてしまった。あっけにとられたのだろう。
困ったのはお兄ちゃんである。ズボンをずり下げたまま、カニ歩きしてドアの方に出てきた。
武士の情け。それ以上見ずに、私は歩み去った。
本当は、「あら、まあ」の女の人が、ドアを閉めてあげればよかったのだけれども、それよりも恥ずかしさの方が先だってしまったのだろう。
街に出ると、まるで春のような空気。椿事で温かな気持ちになった。
2月 25, 2010 at 07:42 午前 | Permalink
中央線を三鷹で降りて、NTT武蔵野研究開発センタにお邪魔した。
NTT R&D フォーラム2010。研究開発の様子を、拝見した。
とても面白かった。これからのICTにおいて、NTTが構築してきたインフラは、大きな支えになる。
たとえば、今注目を浴びているAmazon Kindle, Sony Reader, iPadなどの電子書籍、映画流通においても、ユーザーが特にキャリアとの関係を意識しなくても、out of the boxですぐにサービスが利用できる。そんな時代がすぐそこまで来ている。
その結果、携帯電話のネットワークが支えるビジネスの範囲が、拡大し始めた。たとえば電子書籍においては、NTTは、日本で言えば日販や東販のコラボレーター、ないしはコンペティターになりつつある。
論理的に考えれば、以前から明らかだったこと。そのようなことが、いよいよ現実のこととなりつつある。今、無線・有線のICTに絡んで、取り組むべきこと、やるべきことのto do listはきわめて多い。
エキサイティングな時代がやってきた。
情報ネットワーク時代の偶有性の問題に絞って、一時間お話する。とても良いオーディエンスだった。
NTTの数々の素晴らしい研究を見せていただいた。
ありがとうございました!
https://event.ecl.ntt.co.jp/forum2010/info/lecture/index.html
2月 25, 2010 at 07:39 午前 | Permalink
週刊ポスト 2010年3月5日号
脳のトリセツ 第31回
「天才」は努力する
努力せずにある能力を発揮する回路ができあがることは脳科学的にありえない。天才は「積み上げの結果」なのだ。
抜粋
私が小学生の頃、「天才」というのはほめ言葉で、「秀才」というのはどちらかといえば、相手をけなす言葉だった。
「天才」は何の努力もしないで遊んでいても勉強ができる。それに対して、「秀才」はすなわち「ガリ勉」。あまり才能がないのに、努力でそれを補っている。そんなイメージがあった。
「天才」と言われると、内心まんざらではない。それに対して、「秀才」と言われると怒る。子どもたちの間にも、そんな傾向があったように思う。
親の方も、同じ成績ならば、自分の子どもは苦労しないでもできる、と思いたがっていたようだ。保護者面談などで、「おたくのお子さんはあまり勉強しません」と言うと喜ぶ。そんな裏話を学校の先生に聞いたことがある。
全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。
2月 24, 2010 at 07:31 午前 | Permalink
サンデー毎日連載
茂木健一郎
『文明の星時間』 第103回 スーパーボウル
サンデー毎日 2010年3月7日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
クリーヴランド滞在最終日の午後は、スーパーにいた。次から次へと自家用車がやってくる。レジには人の列。皆、スナックやビール、ワインを買って、いそいそと帰っていく。
「スーパーボウル観戦の準備をしているんですよ。」
アメリカ滞在10年の日本人がそう解説した。心なしか、どの人の顔も楽しそうである。私の気分も高まってきた。
夜、ダウンタウンのスポーツバーに出かけた。もう試合は始まっている。カウンターに座った三人連れが、「そこだ!」「行け!」と声を出している。
ルールがわからないままに、しばらく画面を見つめていると、競技の勘所のようなものはどうやら伝わってきた。
単なる力ではない。数字と論理に裏付けられた戦略の勝負。どんなフォーメーションをとるか。どこにボールを出すか。猛烈なスピードで計算するコンピュータのような頭脳が必要。それでいて、動きを支える強靱な肉体も不可欠。なるほど、いかにもアメリカらしいスポーツである。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。
2月 24, 2010 at 07:30 午前 | Permalink
I hadn't seen a single one of them.
一つも見たものがなかった。
The Qualia Journal
23rd February 2010
2月 24, 2010 at 07:21 午前 | Permalink
NHKにて、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の打ち合わせ。
担当ディレクターは、堤田健一郎さん。シアトルにイチローの取材にご一緒したことがなつかしい。
ゲストは、日本酒の杜氏の農口尚彦さん。仕込みのところで、お米に麹がどのように生えるかという説明があった。「ここで拡大画像が欲しいな」と思ったら、ちょうどその時拡大画像が来た。
うれしかった。
お米に麹菌が生えた拡大画像を見せてくださって、堤田さん、ありがとう。
VTRに合わせてコメントを読み上げる堤田健一郎さん
2月 24, 2010 at 07:04 午前 | Permalink
明治神宮の参道を歩き、森の空気に包まれると、ほっとする。
東京の真ん中に、こんなに深い森があることを、心から感謝したいと思う。
森は、さまざまな気配に満ちている。それらの、外にあるものに耳を傾け、心を寄せることで、不思議なことに自分の内側にあるもの、無意識から訴えかけてくるものに対しても感受性がみずみずしくよみがえってくるのである。
もし、森の中のさまざまな生命の息吹がその多様性において感性を鍛えるとすれば、森を抜けた時、私たちの無意識は森に入る前よりも妙なる調和の中にいることになるのだろう。
森の天蓋からその向こうの恒星を見上げる
2月 24, 2010 at 06:56 午前 | Permalink
街を歩いていて、ある会社の前を通りかかった時、一斉に女性たちが出てきた。年齢や格好からして、どうやら就職活動をしている学生たちらしい。
彼女たちの人生が楽しく、やりがいのあるものであれば良いと思う。うまく就職できれば良いのだけれども。
それにしても驚くのが、どうやら世間には「リクルートスーツはこのようなもの」というスタイルがあるらしく、一様に判を押したように皆それを着ているということ。
誰がこうしろ、と決めたわけではなく、いつの間にか皆そのような格好をするようになっているらしい。
学校の制服ではあるまいし、誰もがそんな格好をしなければならない理由が、どこにあるのだろう。
そもそも、日本の企業の採用は、大学三年の冬から活動が始まるなど、理解し難い部分が多い。
本当に人事が必要な有意な人材を採ろうと思っているのならば、通年採用、新卒プレミアム一切なしという判断をするのが合理的なはずなのだが。
リクルートスーツに自由でカラフルなものを採用し、新卒だろうが何だろうが、さらに言えば大卒だろうが、中卒だろうが、一年中応募を受け付けて、適宜採用している。そんな「まとも」な企業は、日本にはないのか。あれば、全面的に応援したい。
何の合理的な理由もなく、ただ何となく皆がそうするからそうしている。そういうmind setはもうとっくに賞味期限が切れている。有意の学生たちも、そんな日本の社会に合わせることを苦痛に感じている。だから、彼らは別の道を行く。そういう人たちをこそ応援したい。
まだ大学の教育期間中であるにもかかわらず、3年のうちから就職活動を強要し、制服のようなリクルートスーツを着てくることを当たり前だと思っている企業のmind setが、日本の経済を停滞させている原因の一つではないか。グーグルにしても、アップルにしても、世界の経済のフロンティアはそのような画一性とは別のところで動いている。
2月 24, 2010 at 06:44 午前 | Permalink
プロフェッショナル 仕事の流儀
道具こそ命!「プロの道具」スペシャル
満を持して!
プロたちの凄い道具、意外な道具、忘れられない道具を特集します。
人間の脳は、使いこんだ道具を自分の身体を一体化した「ボディ・イメージ」としてとらえます。
プロたちは、一体、どのような道具を使って、そのすばらしい仕事をしているのか。
明日から応用できる、必見の特集です。
また、私と住吉美紀さんが、それぞれのとびっきりの道具を披露します!
NHK総合
2010年2月23日(火)22:00〜22:49
2月 23, 2010 at 07:53 午前 | Permalink
Faint light still barely visible in the great northern void
北方の巨大な空虚の中にかすかに見える光
The Qualia Journal
23rd February 2010
2月 23, 2010 at 07:46 午前 | Permalink
野澤真一の会社を見に行こうということで、ゼミの有志と訪問した。
広々とした場所にそれはあった。医療用のガスを販売する会社。野澤真一が、「よお」と顔を出した。
「この敷地は、最初はここまでしかなかったんだけど、そのあとオヤジが買い足したんだ。」
「そうか、お前のオヤジは、偉かったなあ。」
野澤が、大きなボンベをくるくる回しながら運ぶ「ボンベさばき」を披露した。「おーお」と拍手がわきあがる。
近くに公園が見えたので、「あそこまで歩いていってみよう」と連れだって向かった。立派な野球場があった。
テニスボールが一個落ちている。
「おい、野球やろうぜ。」
石川哲朗が、おあつらえ向きの棒を探してきた。
投げる。打つ。ぼかん。当たり損ねでも何でも、フェアグラウンドだったら走る。投げる。うわー。一塁の関根が、何とかボールをつかむ。
あほっぽい。しかし楽しい。自然に笑ってしまう。
打者一巡までやっていたら、すっかり暗くなった。
子どもの頃、夢中になって遊んで、いつの間にか夜になってしまっていた、そんな時間の流れを思い出した。
マウンドの野澤真一を目を懲らしてみると、なんだかわからないけれども、大きく、立派で、頼もしく見えた。
野澤、がんばれ。
ピッチャー投げる
バッター打つ!
マウンドの野澤真一
2月 23, 2010 at 07:32 午前 | Permalink
学研の「科学」と「学習」が4月から休刊になるという。
これまでの「科学」と「学習」の歩みを振り返る本を作る。
そのように新屋敷信美さんからメールを頂いて、学研本社にうかがった。
吉村栄一さんがいらしたので、びっくりして、「あれ、ヨッシーだったんだ」と思わず叫んだ。
「科学」の付録には、いろいろな思い出がある。
小学校の校門を出て、すぐ横の家で「科学」を受け取ると、真っ先に付録を見た。
青写真、砂鉄、ロボット、風船ロケット、シーモンキー、・・・・
当時の頁をめくっていると、子どもたちの好奇心をいかに大きな広い科学の世界につなげるかという熱意が伝わってくる。
今日では、子どもたちの学習に関する世間の関心は、すっかり、学校に入るための「受験」に絞られていってしまった。
そこからは、そもそも知性とは何か、これからの時代に必要な世界観、教養とは何かという大きなヴィジョンが失われている。
受験対策という「商売」において、いかに親たちの不安をあおってお金を儲けるかという商業主義しかそこにはない。子どもたちは、消費者、ないしは金儲けの道具になってしまっている。
これででは、国の勢いが先細りになって、経済が停滞するはずである。
昔の科学の附録に囲まれていて、日本がもっと大らかで、経済も順調に成長していて、未来を明るいと信じていたあの頃のことがよみがえった。
上手に思い出すことが必要なのである。
大好きな付録に囲まれて。学研本社にて。
新屋敷信美さんと、吉村栄一さん
2月 23, 2010 at 07:23 午前 | Permalink
青年の時に、私は全てを知っていた。
オペラ『「忠臣蔵」外伝』
全二幕八場 改訂初演
作曲 三枝成彰 台本 島田雅彦
2010年2月21日(日)Bunkamura
オペラはヨーロッパの伝統から培われてきた文化である。ワグナーやプッチーニ、ヴェルディを聴いていると、いかにもしっくりと様々な要素が絡み合っているような気持ちがする。
一方、日本語で、日本のことをテーマにしてオペラを創ることは、とても難しい。まずは、メロディーに日本語を乗せることが困難である。ドラマトゥルギーの成り立ちが異なる。「個人」と「社会」、「神」と「愛」といったことについての日本人の観念は、西洋のそれとは時に相容れない。
しかし、日本で生まれ、日本で作曲家を志した者にとって、最大の野心は、やはり日本らしいオペラを創作するということだろう。それがどんなに難しいことでも、夢はそこに向かわざるを得ない。私自身が作曲家だったとしても、そうする。たとえドンキホーテになってしまったとしても、そうする。
三枝成彰さんは、まるで菫のように可憐な魂をもった人である。オペラ『「忠臣蔵」外伝』を聴いていて、そう感じた。オーケストレーションが厚いところと、まばらな部分のコントラスト。音符が途切れ途切れになり、かすかな響きになった時に、かえってその人の心の真性が確かに伝わってくるのだということを知る。
西洋とは時に異質な日本人の心性を描くのに、「忠臣蔵」ほど適した題材はないだろう。仇討ち。そのための長い雌伏。「公」と「私」のせめぎ合い。忠義のために、自分の幸せを犠牲にする。不条理と、倒錯の美。歌舞伎などを通して周知のテーマは、現代の日本人にとって時に異国の事物のように映るが、それでいて、自らの存在の奥深きところに、そんな土壌が確かに育みの時を刻んでいるようにも感じられるのだ。
私たちが西洋音楽を真の意味で受容するためには、無意識に潜む土壌に投げ込み、分解する作業が必要なのではないか。一つひとつの姿がもはや明らかでなくなるまでに。そのために、感性が空気に慣れて溶ける時間が必要である。『「忠臣蔵」外伝』は、これからも繰り返し上演されなければならないのだ。
オペラ全体は、ダイアローグを交互に提示する構成になっており、そのミニマルな成り立ちが、不思議なほどのヴァリエーションをもたらす。冒頭、大倉正之助さんが語り起こし、その鼓の音がオーケストラの打楽器に受け継がれていく処理が秀逸。三枝成彰さんは、現代音楽的な作風とメロディアスな進行をうまく融合する。終幕、お艶の感動的なモノローグの後奏をそのままで終わらせず、無機質な大音響を設置して、いわば観客を宙ぶらりんにしたあたりに、そのような資質が表れていた。
島田雅彦の脚本は、退廃的な気分をうまく処理する。討ち入りという「快挙」の土壌には、生きるということについてのやるせなさがあったのだろう。つまりは人間というものの真実である。異質なものどうしをうまく混ぜ合わせるためには、「文学」が経由されなければならない。
新しいものは、胸を落ち着かない気分にさせる。甘くて、それでいてどこか苦味が含まれている。春の芽生えのような情緒。Bunkamuraを出て、渋谷の街を歩く。青年は、全てを知っていた。そんな痛切な思いが、胸を去来する。
芸術は、時を超えて、人を永遠の青春へと引き戻す。
ありがとう。またいつか。
Ken Mogi 2010. Uncommissioned.
http://www.saegusa-s.co.jp/con100219.html
2月 22, 2010 at 07:06 午前 | Permalink
Bad money drives out good.
悪貨は良貨を駆逐する
The Qualia Journal
22nd February 2010
2月 22, 2010 at 06:18 午前 | Permalink
オリンピックを見ている時に、応援している選手がメダルをとれなかったり、残念な結果に終わってしまったとき、やはりがっかりする。
しかし、そんな時でも、できるだけ、自分自身が選手になって、競技をしているように想像して見ることにしている。そうすると、無責任な落胆には陥らない。
ぼくが曲がりなりにも競技スポーツをしていたのは小学校、中学校の頃だけれども、その時のことを振り返ってみても、練習して、いろいろ工夫して、本番に向けてコンディションを整えていっても、思ったように身体が動いてくれるとは限らない。
スピードスケートの選手が、「4年に一回のこの日に調子を合わせてくるのは難しいですが、今回はある程度できたと思います」とインタビューに答えていた。
さらりとしていたが、実は凄まじいことを言っているのだと思う。
自分が選手だと想像して見ることで、今の自分の生き方に対しても、夕映えのごとき厳しくも美しい光が照らされるのである。
2月 22, 2010 at 05:59 午前 | Permalink
2009年の正月に買った黒いズボンを、ずっとはいていた。
一週間に一回くらい洗濯するけれども、それ以外はずっとそのズボンを着ていた。春も夏も秋も冬も、そのズボンをはいていた。そのズボンで真冬のドイツにも行ったし、日本の暑い夏も乗り切った。テレビに出たり、講演をしたりした。
「これ、じょうぶだろ」と友だちに自慢していた。「3000円くらいしかしなかったんだよ。」
ところが、寄る年波には勝てず、ついに、一番酷使される部分が破け始めた。右後ろのポケット。財布を入れるところ。応急処置として、左側のポケットに財布を入れるようにした。
ところが、なんだかぎこちない。ボディ・イメージの問題として、落ち着きがない。椅子に座った時にも、財布がふくれて当たる気がする。体積自体はあまり変わるはずがないのに。コンビニで買い物をする時に、左のお尻から財布を出すのが、奇妙な感覚である。
右のポケットの外布には5センチくらいの亀裂が入っている。みっともないこと甚だしいが、その下にポケットの白い袋があるから、それで隠れて何とかなるだろうと思っていた。
札幌で、小菅正夫さんと対談するためにステージに向かったとき、客席の女の人が、「あら!」と声を漏らした。それで、右のポケットの破れがかなり拡大していることがわかった。
講演と、その後の懇親会は何とか誤魔化して乗り切った。みんな気付いていたのかしらん。
今朝になると、右膝のあたりもどうやら怪しい。薄く透けて見え始めている。ズボンが多臓器不全を起こし始めたらしい。
あわてて、空いた時間にお店に飛び込んで、ズボンを新調した。お店の人と話している間も、ズボンのお尻が破けていて、それでこの人切羽詰まってズボンを作りに来たんじゃないか、と悟られているのではないかと気が気ではなかった。
言うことなすことぎこちない。
おかげで、ウェストサイズを10センチ間違えて伝えてしまった。お店の人が測って、正確なサイズがわかった。10センチ小さく言ってしまったのである。見栄を張っていたわけではない。それだけ上がっていたのだ。
でも、おかげで、新しいズボンが手に入った。
ピカピカの君よ、これからよろしく。
2月 21, 2010 at 05:25 午後 | Permalink
This morning I read a bit of Bertrand Russell.
今朝私はラッセルを少し読む
The Qualia Journal
21st February 2010
2月 21, 2010 at 07:25 午前 | Permalink
早起きして、ジャンプのラージヒル決勝を見る。
踏切のタイミングに興味を持つ。理屈から言えば、ジャンプ台の最後のところで足が伸びきるのが良いはずで、選手たちがちょうどそのあたりにタイミングを合わせてきているのが驚き。
さらに、踏み切った後にすぐに身体を伸ばして前傾姿勢になる、そのスピードに驚く。
葛西紀明選手は二本目135メートルの大ジャンプを見せたが、8位入賞でメダルには届かなかった。しかし、とても立派である。飛んでいる時に、手袋をした手を広げてモミジのようになっているのがかっこよかった。
そして、優勝したシモン・アマン選手はすばらしい。まさにハリーポッターの魔法。言い古されたことだが、オリンピックは自分の国の選手を応援するだけでなく、国に関係なく素晴らしい達成を言祝ぐ場だろう。「国」というのは、運動会のクラス対抗の「クラス」程度の意味に徐々になっていくのではないか。
同じ人間として、アマン選手の身体の動きに魅了された。
2月 21, 2010 at 06:42 午前 | Permalink
飛行機が新千歳空港について、降りようとしたら、さまざまな波に包まれた。
ぼくの周辺は、韓国語を話す団体の人たちだったし、飛行機を降りて通路を歩いていると、ロンリープラネットをリュックに挿して熱心に飛行機の写真を撮っている青年がいた。ホンコンからでも来たのだろうか。
荷物受け取り場では、金色の髪の毛をした親子連れが楽しそうに話していた。
冬の北海道。スキー。雪。おいしいご飯。温かい人々の心。多くの人たちが、世界中から惹きつけられてくる。
彼らはもうここに来ている。このところ、日本の社会における多様性への寛容の問題についてずっと考えているけれども、冬の北海道で、彼らはもうここに来ているということに気付いた。その時、聞こえる声が重層的で、豊かな響きをもってこだました。
2月 20, 2010 at 12:14 午後 | Permalink
朝日カルチャーセンター 札幌教室
対談 小菅正夫さん(旭山動物園名誉園長)、茂木健一郎
2010年2月20日(土)14:00~16:00
ホテルニューオータニ札幌・鶴の間
http://www.asahiculture.com/special/
小菅正夫氏
2月 20, 2010 at 08:04 午前 | Permalink
In the process of "jumping" between the two languages
二つの言語の間を跳躍するときに
The Qualia Journal
20th February 2010
2月 20, 2010 at 07:57 午前 | Permalink
わが親友、塩谷賢の父親が亡くなったとき、ぼくはお通夜から告別式までいっしょにいた。
斎場に塩谷たちは泊まり込んでいたので、ぼくも、その大広間にごろ寝した。
もう二十年くらい前になるかしら。今でも、あの夜のことはよく覚えている。
野澤真一くんのお父さまが亡くなって、みなでお通夜に伺った。
多くの方に慕われていた、ということがよくわかるお通夜の様子。ほんとうにたくさんの方がいらしていた。野澤真一は、お母さん、妹さんと一緒に、参列者に一人ひとり挨拶していた。
しばらく様子を見て、それでも参列者の波は途絶えず、私たちはみなで最寄り駅の近くの店に入って、まずは献杯をして、それからいろいろなことを話していた。
お父さんが亡くなって、野澤くんがショックを受けているのではないかとみな心配していた。
加えて、お父さんが創業され、経営されてきた会社の実務などが、野澤真一くんの肩にかかっていて、とても大変だと聞いていた。
あれやこれやで、ぼくたちはみな野澤真一くんのことが気にかかって、少しでも話したいと思っていたのである。
お通夜が一段絡したあと、野澤真一くんは私たちの座に来てくれた。いっしょにいろいろ話すことができた。
野澤くんは、「父はこんな人だった」といろいろと教えてくれた。お父さんが築いた会社についても、さまざまな思いを語ってくれた。それを聞いていて、ぼくたちは、野澤はこれから大変だろうけれども、彼らしく一生懸命やっていくだろうし、それに、ぼくたちもぼくたちなりのやり方で、彼の生き方や、研究(野澤真一くんは「自由意志」がライフ・ワークなのである)もサポートしていけるだろう、と確信を持った。
ぼくがかつて塩谷賢のお父さんが亡くなった時にそうしたように、8人くらいの野澤真一くんの仲間が最寄り駅の近くのホテルに泊まって、今朝も野澤真一くんのことを手伝ったり、話したりして告別式までいてくれるという。
助け合っていけば、人生がどんなにむずかしくても大丈夫。
野澤真一くん、からだだけには気をつけてくれよ。
野澤真一くん
野澤真一くんが語るお父さんの思い出に、みんなで耳を傾ける。
2月 20, 2010 at 07:56 午前 | Permalink
先日青山ブックセンターで行われた束芋さんと鈴木芳雄さんの対談『「才能」の発見』について、鈴木芳雄さんがブログ『フクヘン』で詳細な報告を掲載してくださっています。
拝読して、きわめて秀逸であると感じたので、拙ブログの読者の方々にも、一読を強くお薦めする次第です。
2月 20, 2010 at 07:55 午前 | Permalink
私のツィッターは、英語で配信しています。内容は、なるべく生きることや人間について考えさせるものにしようとしています。自分自身にとっての、短い英文表現の実験場であるとともに、読んでいただく方にとっては、英語の練習になるように工夫しています。
今朝のツィッターは、このようなものでした。
Imagine that wearing your pants loose around the waist might be the formal style in some cultures. Just have that decency of imagination.
(拙訳)いくつかの文化においては、腰のまわりにズボンをルーズに履くことが正式なスタイルであるかもしれないということを、想像してみよう。そのように想像するという(人間としての)礼儀正しさを持とう。
英文と日本語の表現の読み味はかなり違います。英文で表現するということは、つまり、異なるクオリアの宇宙に飛び込むということです。
日本人は、自分たちの感じていることを、もっと英語で表現して良いのではないでしょうか。TOEICなどの点数をかせぐことを目的とするのではなく(それはいずれにせよ人工的な指標で、本当に現場で役に立つかどうかはわからないわけですから)、実際に生きる中で使い、受け取り、成長していく、「野生の英語」こそを目指すべきだと思うのです。
もちろん、日本語の表現を大切に磨いていくことも必要です。その一方で、英語で読み、表現するというオプションを持つことで、このかけがえのない国ももっと風通しがよくなり、素晴らしい価値を生み出して、再び「日の昇る処」となることができると信じます。
もしよければ、「茂木健一郎のtwitter英語」をfollowしてみてください。
2月 19, 2010 at 09:00 午前 | Permalink
The medal monopoly was such an excitement for us kids
メダル独占は子どもにとって興奮すべきことだった
The Qualia Journal
19th February 2010
2月 19, 2010 at 08:48 午前 | Permalink
カーリングが面白い。仕事をしながらちらちら見ている。
試合を見ていて、はっとした。どちらの石が中心に近いかで勝負が決まるが、遠い方のチームが自ら石をさっと除けている。つまり、これは、紳士的なconcession で、自分たちが負けた、と認めた側が自らゲームの終了を宣言しているのである。
接戦の時には、どちらもconcedeせず、judgeが測って決める。この前の日本とアメリカ戦がそうだった。しかし、そうなる試合はむしろ例外的である。
調べてみたら、カーリングはやはりイギリス連合王国のスコットランドで発祥し、カナダで確立したとある。イギリス系のスポーツには、このように、負けた側がconcedeするということでゲームが終わるという美しい伝統がある。
アメリカ大統領選挙でも、接戦の時に、負けたと思う側がconcedeして勝負がつく、ということがあった。このあたりの暗黙の前提になっていることを考えるととても興味深い。
2月 19, 2010 at 08:47 午前 | Permalink
ニッポン放送へ。
冨山雄一さんと「周辺視野にあるものを見ることが大事なんですよ」とお話していて、ふと気付くと、部屋のあちらこちらに和田アキ子さんのポスターが貼ってある。
「あれ、これ、和田アキ子ルームなんですか?」
「いや、いつも、番組の前にこの部屋で打ち合わせしているんですよ。」と冨山さん。
スタジオに入って行くと、テリー伊藤さんと林家たい平さんの笑顔があった。
テリーさんは、國母和宏選手を応援するために、「腰パン」をはいて来ているときいていた。
「テリーさん、今日、腰パンなんですって?」ときくと、「ほら」と見せてくださった。
本当だ。ずるっとポケットが下の方についている。
「テリーさんは、腰パンについてどう思っているんですか?」と聞くと、テリーさんは、「腰パンなんて、普通でしょう」と言った。それで、ぼくも、「そうですよねえ」と相づちを打った。
文化人類学的に事実かどうかわからないが、調査をすれば、「腰パン」が正装であるという部族は世界のどこかにきっといるに違いないと思う。
少なくとも、スノボーと相性の良い「ヒップホップ」の文化においては、「腰パン」は正装なのだと思う。
つまり大切なのは、文化的多様性だ。
テリーさんは、間近で見るととても目がやさしい。
一方のたい平さんは、『笑点』でのたのしいお人柄はもちろんだが、案外なほど「目力」がある。
脳の使い方の話をしていて、「根拠のない自信」のことを言ったら、テリーさんが肯いた。
「ぼくも、天才ディレクターというのは、最初は自分で言ったんですよ。」
「えっ? そうなんですか。」
「取材が入った時に、肩書きをどうしますか、と聞かれたので、普通ではつまらないと思って、天才ディレクターでお願いします、と言ったんですよ。そうしたら、相手は、ぷっと笑いましたよ。でも、その通り活字にしてくださいました。二回目の取材の時も、天才ディレクターでお願いします、と頼んだ。そうしたら、三回目の取材が来た時に、相手の方が、いきなり天才ディレクターのテリー伊藤さんがそちらにいらっしゃると思うんですが、と来たんですよ。」
さすがテリー伊藤さん。思わずぼくも吹き出した。
2月 19, 2010 at 08:47 午前 | Permalink
NHK総合テレビの生中継で見ていた。
國母和宏選手が、一回目転んでしまったので、うわーと思ったが、なんと、スノーボードは、二回のうち良い方の点数で順位が決まるのだそうだ。
減点主義ではなく、良い方で順位を決めるんだね。なんという素晴らしいスノーボード哲学。
そうして、一位だったショーン・ホワイト選手はジーンズで滑っていた。素敵なファッション感覚。
もう仕事が始まってしまうのでアウチ。
國母和宏さんの二回目のご健闘をお祈りいたします。
2月 18, 2010 at 12:47 午後 | Permalink
朝日新書『幸せはすべて脳の中にある』発刊記念
対談「命を尊ぶ心の大祭」
2010年4月24日(土) 13時〜
日光山輪王寺隣接 「日光総合会館」
酒井雄哉大阿闍梨 茂木健一郎
http://www.rinnoji.or.jp/gyouji/inochi/inochi.html
2月 18, 2010 at 11:41 午前 | Permalink
Keep going with the "writing streak"
The Qualia Journal
18th February 2010
2月 18, 2010 at 09:23 午前 | Permalink
國母和宏選手の一回目をNHKの生中継で見た。凄い演技。その時点でトップに立った。二回目もガンバレ。
アスリートは、言い訳はできない。自分がトレーニングし、積み上げてきたものが、そのまま出る。
一人ひとりが、それぞれの現場で、アスリートになれば良い。
そんな気持ちで、ぼくは國母和宏選手を応援している。
2月 18, 2010 at 08:11 午前 | Permalink
『ジークフリート』第三幕が、ワグナーの音楽の最高峰である。そのように考えるようになったのは、いつからだろうか。
ジークフリートがブリュンヒルデを目覚めさせる。ブリュンヒルデの意識がもどる。ブリュンヒルデが、世界に対して挨拶する。
Heil dir, Sonne!
Heil dir, Licht!
Heil dir, leuchtender Tag!
Lang war mein Schlaf;
ich bin erwacht.
Wer ist der Held,
der mich erweckt'?
太陽よ、祝福されよ!
光よ、祝福されよ!
光り輝く日よ、祝福されよ!
私の眠りは永かった。
今、私は目覚めた。
誰でしょう、
私を目覚めさせた英雄は?
この瞬間から、ブリュンヒルデがジークフリートの胸に飛び込み、二人が
leuchtende Liebe,
lachender Tod!
光り輝く愛、
笑いながら死ぬこと
と二重唱する幕切れまでの音楽は、掛け値なしにすばらしい。
2010年2月17日、山崎太郎くんと一緒に新国立劇場で『ジークフリート』を聴いた。
新国立劇場ができて、どんなにありがたいことだろう。以前には、日本では聴くことが難しかった水準のオペラ上演に接することができる。
山崎太郎くんも、「この上演ならば、バイロイトでもどこでも出して恥ずかしくない」とつぶやく。
幕切れの音楽は、ニーチェ的だと前から感じていた。
山崎くんがあることを思い出した。ニーチェがトリープシェンにワグナーを訪ねたとき、ワグナーは、ちょうどブリュンヒルデの歌唱
Verwundet hat mich,
der mich erweckt!
私を目覚めさせた者が、
私を傷つけた
の部分をピアノで作曲していたというのである。
ワグナーとニーチェの関係を考えると、あまりにもよくできたエピソードである。
ワグナーは、この『ジークフリート』を、二幕の途中まで作曲して、そこで中断してしまった。『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』という二つの作品を経て、ようやく再開する。ニーチェは、そこでワグナーと出会った。
『ジークフリート』第三幕は、ニーチェの哲学と明らかに呼応する。とりわけ、
leuchtende Liebe,
lachender Tod!
という幕切れは、『ツァラトゥストラはかく語りき』のようだ。
日本で、ごく当たり前のようにこんなものが見られるというのは、実にありがたいことだと思う。
今シーズンの新国立劇場の『ジークフリート』上演は、あと二回。パンフレットには、私と山崎太郎くんの『ジークフリート』に関する対談が掲載されている。
2月 18, 2010 at 07:43 午前 | Permalink
クオリア日記 Phase 1 from 1999.11.12 to 2010.2.17.
I am now soul searching.
2月 18, 2010 at 01:55 午前 | Permalink
私の研究室の博士課程に在籍されている野澤真一君の御尊父、野澤幸治さんがご逝去されました。
とても温かい、すばらしい方でした。本当に残念です。
通夜、告別式は下記の通りです。
謹んでご報告申し上げます。
茂木健一郎
2月 17, 2010 at 01:37 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
Looking forward to the unknown, no matter how small it might be
The Qualia Journal
17th February 2010
2月 17, 2010 at 08:22 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
子どもの頃、私はよく風邪を引いていた。中には一年に一回も休まない、という人もいるけれども、私は年間5、6日は休んでいた。
風邪を引くと、一日中眠っている。それはそれで楽しくって、枕元にラジオを置いてずっと聞いて、それで本を呼んだりした。起きなくてもだいじょうぶなように水やお菓子を置いて、「栄養をとらなくちゃ」と食べてはまた眠った。
調子が悪くて眠っているというのはそれなりに楽しみだったのだけれども、最近はそんなこともなくなた。少々調子が悪くても、でかけていかなくてはならない。
朝8時前のこだまで熱海に向かった。伊豆急に乗り換えて伊豆高原へ。
雨が降っている。伊豆というと温暖な気候だと思いがちだが、風が吹くと寒い。東大室の交差点を曲がると、古田彩さんと、水中写真家の中村宏治さんの姿が見えた。
日経サイエンスの対談。中村さんにいろいろと面白いお話をうかがった。一緒に仕事をされたモイヤーさんやグレゴリー・コルベールさんのこと。映画『オーシャンズ』のこと。ミミック・オクトパスのこと。
「ミミック・オクトパスはすごい人気が出てしまって、ヒラメやウミヘビの真似をするのを撮ろうと、たくさんのダイバーが殺到していたんですよ。そうしたら、人間には真似をしても無駄だ、ばれてしまう、というんで、真似をしなくなってしまったんですよ。それでわわわれも困って、まだ人が来ていない、人慣れしていないミミック・オクトパスを探して、そこで撮影したんですがね・・・」
中村さんのお話は、2時間たっぷり聞いても尽きることがなく。おそらくは100時間くらいお聞きしても、面白い話の種はつきないのではないか。
素晴らしい時間に感謝しつつ、中村さんのもとを辞す。
どうも風邪がお腹にきたようだ。「うーん」とうなりながら、伊豆急で熱海に出る。
品川プリンスホテル。Be絵本大賞の審査会。秋元康さん、武田双雲さんと。
横浜へ。お昼を食べていないので、お腹がすく。高島屋の中にある「かつ久 無庵」に入る。調子が悪いのにトンカツとは、自分でも呆れる。
お店の方がとても親切だった。そうして、低温でじっくり揚げたとんかつが美味しかった。
新都市ホールにて、
第6回法然 共生(ともいき)フォーラム。
竹田津実さん、西舘好子さん、宮林昭彦さん、高田公理さん。
充実した時間だった。
本番中は元気を出していたが、終わるとぐったりと来る。
とにかく眠ります。お休みなさい。
明けて今日、少しはよくなったように思う。天ぷらやうなぎでも食べられそうだ。
2月 17, 2010 at 08:21 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
若きプリンス、生命の謎に挑む
~生命科学者・上田泰己~
上田泰己さんと話していて、わくわくした。科学だけの問題ではない。エッセンシャルな問いをずっと北極星のように追いつつ、手元のことを一生懸命やる。その姿勢は、どんな分野にも通じるはずだ。
そうして、人に接することの大切さ。人から人にしか伝わらないもの。生命科学の本質的問題に取り組んでいる上田さんの言葉から、生きるということの「ヘソ」が見えてくる。
NHK総合
2010年2月16日(火)22:00〜22:49
http://www.nhk.or.jp/professional/
日経BPコラム 自分の師となる人を探せ!
~「人から人へ」でしか伝わらないもの
生命科学者・上田泰己(produced and written by 渡辺和博)
2月 16, 2010 at 06:02 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (3)
週刊ポスト
2010年2月26日号
脳のトリセツ 第30回
対人関係を〝仕分け”する
調子が悪いのは自分だけの責任ではないかもしれない……対人関係には何の問題もないと考えている人にほど薦めたい。
抜粋
人間にとって、他者が大切な存在であることは脳科学的に見て疑いようのない事実である。どんなに人付き合いがイヤでも、一人で生きていくことはできない。だから、対人関係そのものから逃げることはできない。
肝心なのは、対人関係には、良いものも悪いものもあるということである。脳の発達にとっても、薬になる対人関係もあれば、毒になる対人関係もある。とりわけ、現在の自分に自信がないというような人は、ぜひ、過去の対人関係を振り返ってみて欲しい。
全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。
2月 16, 2010 at 06:02 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
サンデー毎日連載
茂木健一郎
『文明の星時間』 第102回 電子ブックリーダー
サンデー毎日 2010年2月28日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
本の数が増えるとともに、電子ブックリーダーの最大の長所に気付いた。もともと、私は複数の本を並列に読む癖がある。ところが、整理が悪いので、読みかけの本をついついいろいろな所において、忘れてしまう。
人間の脳は不思議なもので、何かのきっかけで「あの本が読みたい!」と強く思うことがある。そのような時に本を手にすることができないと、ストレスがたまる。せっかくの千載一遇のチャンスを逃してしまう。
「読みたい」と感じるのは、脳の中の情報処理のプロセスでその本の情報が要求されている証拠。そのタイミングで読めば、乾いたスポンジに水がしみ込むように吸収できる。ところが、時間が経ってしまうと、せっかく出来上がっている脳の準備態勢が解除されてしまうのである。
電子ブックリーダーで読むようになってから、「読みたい」と思った瞬間に間髪を入れずにその本に移れるようになった。私のように、思考が分散していくタイプの人間にとっては、大変ありがたい。本の読み方が、よりダイナミックになるのである。
電子データは、大規模な「全集」を流通させるのにも適したかたちだということも悟った。「シェークスピア全作品」や、「ディケンズ全作品」が、著作権が切れていこともあってそれぞれ数ドルで買える。膨大なテクストが、ワンクリックでダウンロードできるのは、一つの驚異である。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。
2月 16, 2010 at 06:01 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
日本女子大にお招きいただき、お話しする。内容は、「自己の社会的構築」。呼んでくださったのは、金沢創さん。10年来の友だちである。
今回、金沢創とじっくり話して、ほんとうにいいやつだなと思った。
学問的自由、独立ということがよくわかっている。これからも、金沢創と、いろいろ議論したいな。
ぼくの研究室の学生や、電通の佐々木厚さんも来て、講演会の後に打ち上げをした。とても楽しかった。
日本女子大の学生さんたちは、とても元気で、まっすぐで、素晴らしいと思いました。これからも、金沢創先生と、面白い研究をして、そうして、いい人たちになっていってね。心から応援しています。
2月 16, 2010 at 06:00 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
講演会 自己の社会的構築
2010年2月15日(月)
日本女子大学 西生田キャンパス 成瀬講堂南ホール
15:00~15:30 日本女子大学化粧研究会 第一回研究成果発表会
15:30~17:30 茂木健一郎「自己の社会的構築 The Social Construction of the Self」
2月 15, 2010 at 07:43 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
Either way, they have nothing to say about their performance
The Qualia Journal
15th February 2010
2月 15, 2010 at 07:42 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
日曜日、島田市の中央にある「みのる座」を訪れた。太田晴也さんが、案内してくださった。
もともとは演劇の劇場だったという。回り舞台がある。下に入ると、石が積み上げた壁がある。近くの川がよく氾濫したので、このような作りにしたのでしょうと太田さん。
みのる座の中には、温かく、そしていきいきとした時間が流れていた。大正時代に作られたみのる座。この劇場の中で、子どもたちは映画を観て、大人たちはつかの間の憩いを持ち、恋人たちはデートをしてきた。
文化とは、つまりは一人ひとりの経験の積み重ねであり、容易にはできあがらないものである。そう簡単には手放してはいけないものだと思う。
太田晴也さんは、黒田恭一さんのお弟子さんとのこと。「黒田先生がお導きくださったんだと思います」としみじみと語られた。
みのる座にて。太田晴也さん、太田さんのご両親と。(photo by Tomio Takizawa)
金谷の駅から、新金谷まで、大井川鉄道のSLに乗った。
日本国有鉄道時代の客車をそのまま使っている。木の床、椅子の様子、すべてがなつかしい。
蒸気機関車が動き出す時、まずは汽笛がぴーっと鳴って、それから編成全体がガタンと身震いした。シュッシュシュッシュと動き出す。煙があがる。
新金谷駅で停車中、運転席の様子を見せていただいた。炉を開けると、あかあかと燃えている。力がみなぎる。
SLの運転席の様子を見る
(photo by Tomio Takizawa)
生きている、という感じがする。蒸気機関車がんばれ。
(photo by Ken Mogi)
大井川鉄道の鈴木優さん、浅原悟さん、白井昭さんがごいっしょ下さる。白井昭さんは、大井川鉄道でSLを走らせようという計画の発案者。
白井昭さん。新金谷駅前にて。
(photo by Ken Mogi)
白井さんたちと一緒に、蒸気機関車の整備の様子を見学した。子どもたちから大人まで、みんながよろこぶ蒸気機関車。運行を続けることのご苦労がしのばれた。
島田市の文化の奥行きを感じられた一日。いろいろとご配慮下さった河村隆夫さんとお仲間のみなさん、本当にありがとうございます。
2月 15, 2010 at 07:42 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
2010年2月14日(日)
18時〜19時30分
ラジオ局 AM1242
ニッポン放送
オールナイトニッポンサンデー
生放送!
http://www.1242.com/annsunday/
質問、お便りお待ちしています!
mogi@1242.com
2月 14, 2010 at 08:03 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
During the dinner party even, I strolled onto the night street alone.
The Qualia Journal
14th February 2010
2月 14, 2010 at 08:03 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
河村隆夫さんのお誘いで、静岡県の島田市に来た。
島田市民会館で、講演させていただく。
_____
「失われた20年」がさらに長引く気配のある日本。今日は、脳を元気にするにはどうすれば良いか、ということを話したいと思います。
今の日本を楽しく生きるために必要なことは、二つの「才能」に要約されると思います。
一つは、「困難」や「苦しみ」を情熱に変えることです。
もう一つは、自分の「困難」を笑いに変え、生きる力を得ることです。
楽しさを感じる原因と、学びのきっかけになることは共通しています。すなわち、予想ができることとできないことが入り混じっている「偶有性」の状態です。・・・・・
______
夕刻、街を歩いていて、「みのる座」を見つける。ドイツ語で「カンマザール」と書かれている。
ひと目で好きになった。
夜、島田市の方々と懇親する中で、私がなぜ街の風情に惹かれたのか、その理由がわかったような気がした。
2月 14, 2010 at 08:02 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (1)
床屋にいる時というのは、不思議なことに人間はリラックスするもので
プロフェッショナル日記
2010年2月13日
2月 13, 2010 at 08:04 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
On Fridays, Crick would take loads of papers with him to read over the weekend.
The Qualia Journal
13th February 2010
2月 13, 2010 at 08:04 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
先週のゼミの時、アマゾンから私あてに大きな荷物が二つ届いていた。カレンダーにしても、幅がありすぎる。しかも同じものが複数ある。
「これは一体何だろう?」と星野英一や箆伊智充と言い合いながら、箱を開けた。
「あっ、そうか。思い出した。」
中からバドミントンのラケットセットが二組出てきた。そういえば、ゼミの途中でやろうと思って、注文したのだった。
その日は激しい雨が降ってきて、それでも、ラケットとシャトルを見ているとどうにもがまんができなくなって、「おい、行こうぜ」と関根崇泰などを誘って飛び出した。近くの広場で、雨の中、何回かラケットをふるった。おかげでずぶ濡れになった。バカである。
このバカな感じは、郡司ペギオ幸夫たちと竹富島に行って、自転車をぐいぐいこいで、周囲を蝶がひらひら舞っていた、あの午後と同じだ。
昨日のゼミで、最初の野澤真一の発表が終わった後で、「おい、バドミントン行こうぜ」と言った。「少し風がありますよ」「いいんだよ、行こうぜ」
箆伊と向き合って打ち始めた。楽しい。バカみたいだ。いや、バカだ。シャトルに合わせて、足を踏み込む。田谷文彦や、関根崇泰、星野英一も来た。みんなでパコパコ打つ。竹富島の蝶の道のイメージがよみがえった。
「やっぱり、研究の合間には、バドミントンだなあ。」と大きな声で言った。みんな、うちの研究室のボスはバカだなあと思ったことだろう。本当にバカだねえ。楽しいねえ。またやろう。
さあ、ゼミを再開。難しいことを考えよう。
2月 13, 2010 at 08:03 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (2)
I always remember the glorious moment for the bass boys.
いつもバスの少年にとっての栄光の瞬間を覚えていて
The Qualia Journal
12th February 2010
2月 12, 2010 at 08:03 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。ゲストの上田泰己さんとお話していて、とても驚いた。
上田さんも僕も、生理学者の江橋節郎さんの「孫弟子」だったのだ。
上田さんが、東京大学医学部の飯野正光さんのところに行った時、「うちは放牧するから」と言われ、飯野さんに御世話になることに決めたのだという。
学問というものを広々ととらえ、大きく構えて本質を追究していく。江橋先生のお人柄がなつかしく偲ばれる。
今日では、情報自体はインターネット上にいくらでも存在する。
だから、独学しようとすれば、インターネット上でそれは可能であって、大学などの組織に行く必要はない。
問題は、人柄からしか感化されないものがあるということ。
これは、その生身の人に接して、その人の発する言葉、節々に示される考え方によっていきいきと動かされるしかない。
つまり、このウェブ時代に最も希少なものは、「師」とあおぐ人に直接接する機会だろう。
若者よ、大学という「クラブ」に入ることに汲々することも良いけれども、あらゆる機会をとらえて、自分が尊敬できるような人に会って、親しく接することができるように、全力で探した方が良いと思うよ。
上田さんの話、とても面白かったな。学問というものはつなり、時代とともに手法は変わっても、例えば「生命とは何か」「時間とは何か」という本質的な問いに関していえば、ずっと「北極星」のごとく動かない目標を目指しているのだ。
そうして、本物の「師」というものは、「北極星」のように動かずに光り続けているものである。
2月 12, 2010 at 08:00 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (3)
ザ・コミットメンツ。
後列左から、北森裕見子さん、高安秀樹さん、茂木健一郎、歴本純一さん、夏目哲さん。
前列左から、桜田一洋さん、北野宏明さん、所眞理雄さん、Frank Nielsenさん。
2010年2月10日、ソニーコンピュータサイエンス研究所にて。
2月 11, 2010 at 09:03 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
The whole process of ordering, eating, and then leaving would fall into a jazzy pace
注文し、食べ、去るプロセスはジャズのリズムのようになり
The Qualia Journal
11th February 2010
2月 11, 2010 at 08:01 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
日本の現状を見ていると、あまりにもさまざまなことが精緻化され、文脈付けられてしまっているがために、人間における「野生」というものが消滅してしまっている。そのことに問題があるのではないか。
小学校の頃から受験だ、いい学校だ、そしていい企業に就職だ、と駆り立てられる。それは文脈エリートではあっても、新しい時代を開く野生ではない。
Wild typeのいなくなった社会には、爆発的な発展は望めない。自分で勝手にやればよい。独学すれば良い。ひたすら疾走すればいい。国や組織に頼らずに、足跡がない場所にいく。そんな日本人が少しでも出てきたら、良くなっていくだろう。
2月 11, 2010 at 08:00 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
開高健ノンフィクション賞
現在作品を募集中です。締め切りは2月末日まで。
行動する表現者として、旺盛な探究心と人間洞察の結晶を作品に昇華し続けた作家・開高健──。小説のみならず、ルポルタージュ文学の傑作「ベトナム戦記」「フィッシュ・オン」「オーパ!」をはじめとする作品群で日本のノンフィクション文学に大きな足跡を残した同氏を記念し、ここに「開高健ノンフィクション賞」を創設します。従来の枠にとらわれない、広いジャンル、自由なものの見方・方法によるノンフィクション作品を募ります。
どうか、ふるってご応募ください。
【主催】(株)集英社 後援/(財)一ツ橋綜合財団
【受賞作】正賞=記念品
副賞=300万円(単行本化の際は別途印税)
【締切】第8回2010年2月末日
【発表】「小説すばる」「青春と読書」
(ともに10月号)誌上
2月 10, 2010 at 10:25 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
Japanese Journeys: Tokyo's green 'river of light'
Mainichi Daily News, February 9th, 2010
http://mdn.mainichi.jp/perspectives/column/news/20100209p2a00m0na006000c.html
2月 10, 2010 at 09:16 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
2010年2月19日号
脳のトリセツ 第29回
〝アスリート”海老蔵に学ぶ
「結果が全て」「言い訳は無用」「誰も助けてくれない」……
孤独な戦いを続ける姿は大いに参考になる。
抜粋
1月のある夕方、東京の新橋演舞場に出かけていった。市川海老蔵さんの舞台『伊達の十役』を観に行くためである。
海老蔵さんの舞台には、何とも言えない華がある。そのことは、以前からわかっていたが、その「華」の理由を、改めて納得したような気がした。自分の心身を鍛え、ある一つの表現をする。その当否について、自らは一切語らないこと。そのような強靱な精神に裏付けられているからこそ、海老蔵さんの舞台には華があるのだと納得したのである。
舞台から離れて、ひとりの人間として会う海老蔵さんは、自由闊達で気さくな若者である。細やかな心遣いをする。気をそらさない。みずみずしく、元気な生きもの。そのような海老蔵さんが、広く人気があることは肯ける。
一方、舞台の上では、海老蔵さんは鬼になる。龍になる。気迫はすさまじく、その体力、気力も並大抵ではない。そのような目を見張るような変化の根本的な原因は、海老蔵さんがひとりの「アスリート」であることに求められる。
全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。
2月 10, 2010 at 09:16 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 隕石とクレーター
『文明の星時間』 第101回 隕石とクレーター
サンデー毎日 2010年2月21日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
十年ほど前、学会に出席するため、時々米国アリゾナ州のツーソンを訪れた時のこと。ある日、発表の合間に、レンタカーで北上した。友人と二人で、ハイウェーをひたすら走っていった。
事前の知識は、何もなかった。カーナビもない。頼りは、一枚の地図と、道路標識だけ。ただ、行けるところまで行ってみようと思ったのである。
そのうち、「クレーター」という標識が目についた。二人とも好奇心にあふれている。「行ってみよう」と意気投合した。「バリンジャー・クレーター」との出会いである。
別名、「メテオ・クレーター」とも呼ばれるこのクレーターは、直径約1.2キロメートル、深さ約170メートル。今から数万年前に、隕石の落下によって形成されたと考えられている。
地球上にあるクレーターには、火山の噴火によるものも多い。バリンジャー・クレーターは、地球上で初めて、隕石の落下によって形成されたことが確認された記念すべきクレーター。そして、その発見の背後には、一人の男の人生の物語があった。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。
2月 10, 2010 at 09:16 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
The remarkably late realization on the part of Rick
リックが気付くのがとても遅くなったこと
The Qualia Journal
10th February 2010
2月 10, 2010 at 09:15 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
成田空港からNHKへ直行。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の打ち合わせ。有吉伸人さんと、須藤祐理さん。
有吉さんは、まずは愛妻弁当をがーっと食べて、それからエネルギッシュに語りはじめた。
演出をどのようにするか。そこに蓄積された知恵は、すごいものだといつも思う。
打ち合わせをしているうちに、10時となり、定時制高校で教鞭をとる岡田倫代さんがご出演される回の放送時間となった。
社会情報番組の居室に残っていたのは、岡田さんの回の担当ディレクターだった駒井幹士さん、それに末次徹さん。
「みんなで見ましょう!」と有吉さんが言って、オンエアを並んで見た。
駒井さんが、さまざまな思いがあるのだろう。画面を真っ直ぐに見つめているその表情が印象的。
やがて、放送が終わった。有吉伸人さんが立ち上がって、駒井幹士さんに、「いやあ、良かったなあ。名作だったじゃないか」と声をかけた。駒井さんが、照れくさそうに笑った。
「さあ、余韻に浸る暇もなく、次の仕事!」と有吉さんが歩き出す。
駒井さんは、関係者に、お礼の電話をかけ始めた。
私は、そんなみんなの様子を肌で感じながら、成田からそのまま持ってきた荷物をまとめ始めた。
予報では、東京は雨が振り始めるだろう、ということだった。
打ち合わせ室にて。有吉伸人さんと、須藤祐理さん。
有吉さんが、放送が始まった『プロフェッショナル』を見る。
今回の放送の担当ディレクター、駒井幹士さん
真剣な表情で放送を見る駒井幹士さん
放送を見る有吉伸人さん、駒井幹士さん、末次徹さん、須藤祐理さん、そして私。社会情報番組の居室のガラスに反射したイメージを映す。
番組大詰め。「プロフェッショナルとは?」の質問に答える岡田倫代さん。それを見つめる末次徹さん。
「名作だったぞ。」有吉伸人さんが、駒井幹士さんに声をかける。
2月 10, 2010 at 09:14 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (3)
能井聡子さんからメールをいただいた。
________
Subject: 御礼>「Qさま!!」視聴率
茂木 先生
おかえりなさいませ!
雪のクリーヴランド、寒そうでしたね!
ご体調は万全でしょうか?
ところで、「Qさま!!」昨日放送になりまして
視聴率がとてもよかったとのお知らせをいただきました。
番組平均14.4%のところ、後半の先生ご出演部が18%ということで、
同じ時間帯で一番でした、ということです。
弊社営業ともども大変力が入っています。ありがとうございました。
近頃あんまりいいニュースがないですが、社内がとっても明るくなったような・・・。
まずは取り急ぎのお礼のみにて失礼いたします。
あと、先生、『CURIOUS?』のインタビュー少しだけ
お時間いただけますと大変ありがたいのですが・・・。
三笠書房 能井聡子
2月 10, 2010 at 09:14 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (2)
アメリカの写真。
朝倉千代子さんのジャケットについた雪の結晶
夕日を見ながら考える。プロデューサー、朝倉千代子。
クルー集合写真。The Commitments!
笑いながらカメラを構える輿水卓さん。背後で笑っているのは荒井かおりさん。
打ち上げパーティーにて。試験管に入ったようなtootersという名前の飲み物。
「炎の監督」、笠原裕明もtootersを飲む。
帰国の朝。クリーヴランド空港にて荷物を降ろす。お疲れ様でした。
雪がたくさん積もったクリーヴランド空港。
空港のカフェテリアにて朝食。荒井かおりさんと、笠原裕明さん。
2月 10, 2010 at 09:13 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
現実世界は狭すぎる
ー『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀ー
量子力学においては、波動関数の収縮と呼ばれる過程がある。このプロセスをどのようにとらえるかという点について、複数の考え方がある。
標準的な「コペンハーゲン解釈」では、波動関数は確率を計算する方法だという実際的な立場をとる。波動関数の収縮が提示するさまざまな哲学的な課題は、物理学の問題ではないと考えるのである。
それに対して、アルベルト・アインシュタインや、ロジャー・ペンローズなど、偉大な知性たちが反対を唱えてきた。波動関数の収縮のプロセスについて明確な概念的枠組みを提示できない現在の量子力学の枠組みを、不完全なものと考える論者も多い。
量子力学に当てはめられる一つの世界観が、「多世界解釈」である。波動関数が収縮する時、世界は複数に分裂する。分裂したそれぞれの世界は、配列的に存在する。エヴァレットIII世によって唱えられたこの解釈は、その提示する世界観が常識外れなものであるにもかかわらず、論理的整合性においてはすぐれている。現在でも、量子計算の研究をしているデイヴィッド・ドイッチュなど、多世界解釈を指示する論者が存在する。
東浩紀氏は、小説『クォンタム・ファミリーズ』の背景となる世界観に、多世界解釈の下での並列宇宙を採用した。並列宇宙が、私たちのこの現実の宇宙と密接に絡み合う概念装置となる。東氏が展開する論理には概念的ガジェットとしての愉しみがある。特に、インターネット上に増大し続ける情報空間と絡めた論が面白い。
「・・・量子回路がある閾値を超え、ネットワークの直径がある閾値を超え、かつ特殊なタイプの経路が出現すると命題空間全体が量子的に発散していまう、そんなシミュレーション結果が発表されているとのことでした。二〇二三年の時点では、すでに学術データベースの三割が「脱現実化」した命題に寝食され、検索はほとんど役に立たなくなっていました。」
東浩紀 『クォンタム・ファミリーズ』より
量子力学における平行宇宙は、たとえば電子が二つのスリットのどちらかを通るという際に、観測が行われれば分裂する。世界は、その素粒子レベルの微細な成り立ちにおいて、ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる瞬間に分裂し続けているのであって、そのような分裂の「直積」として生まれる平行宇宙の数は、想像することも不可能なほどの巨大なものとなる。
『クォンタム・ファミリーズ』は、このような平行宇宙の「マルチチュード」のうち、二つの世界の「並列」を骨格に組み立てられている。展開されるのは、ある一つの家族をめぐる物語。人間の心のダイナミクスは、現実世界には留まらず、非現実、仮想の世界にもその故郷を持つのである
人間の脳の認知プロセス、意識が生み出されるメカニズムに即すると、平行宇宙への道筋は、志向性(intentionality)の中にも見いだすことができる。志向性自体は、宇宙の履歴が一つしかないという保守的な考え方とも整合的である。
Aを選んだから、このような人生になったが、もしあの時Bを選んでいたとしたら。そのような仮想のシミュレーションを、私たちは常に行っている。そして、実際に選んだAよりも、Bの方が自分自身に忠実な選択だったかもしれぬ、その方が幸福だったかもしれぬという比較が、「後悔」(regret)の念を引き起こすのである。
前頭葉において文脈認知などにかかわる眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)が、後悔の認知にかかわることがわかっている。
後悔を含め、さまざまな感情や記憶の力学が、現実と、志向性の向かう宇宙の間に事実上の並列世界をつくる。存在するのは、常に「今、ここ」の神経細胞の活動でしかない。しかし、それによって生み出される「志向性」は、この現実世界の限定を離れて、それこそカントが『純粋理性批判』の中で言ったように、「私の上なる満天の星空と、私の内なる倫理規則」にまで及ぶ。
人間の精神性の力学のスペクトラムを収めるには、この現実世界は狭すぎる。東浩紀氏は、並列世界という広々とした空間を手に入れることで、一つの家族の切実な物語を綴ったのである。
『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀
新潮社 2009年12月
By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.
2月 9, 2010 at 03:49 午後 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (3)
It always has a human touch.
それは、いつも人間の感触を持っている。
The Qualia Journal
9th February 2010
2月 9, 2010 at 03:37 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
定時制高校、明日への一歩
~高校教師・岡田倫代~
岡田倫代さんは、人づくりが何よりも大切だという。学ぶことは、人をつくれば自然についてくるという。現代の日本人が、一番忘れていることではないか。
岡田さんの温かくて大きな心に接して、かけがえのないことを思い出したい。
NHK総合
2010年2月9日(火)22:00〜22:49
http://www.nhk.or.jp/professional/
日経BPコラム 人間を作れば勉強はあとからついてくる
高校教師・岡田倫代(produced and written by 渡辺和博)
2月 9, 2010 at 03:30 午後 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (2)
ただ今帰国いたしました。
着陸態勢に入った飛行機から見た、成田付近の里山の様子がとても美しく、あのあたりにいつか行ってみたいと思いました。
2月 9, 2010 at 03:27 午後 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (0)
アメリカ滞在最終日。
リック・バロンに会う合間に、クリーヴランド美術館に行く。
出発する時、白洲信哉にこんなメールをもらっていた。
Date: Fri, 5 Feb 2010 23:00:39 +0900 (JST)
From: 白洲 信哉
To: 茂木 健一郎
Subject: もしや
茂木さん
こんばんは。もしやクリーブラント美術館に行くのですか!?いいですね。まったく羨ましい。
その美術館の白洲正子の「能面」という著書にある翁面が所蔵されています。(他にも祖母旧蔵の信楽桧垣文大壷)があります。
頭の片隅においていて頂けたら幸いです。
では気をつけて。僕は早朝から新宮へ向かいます。
白洲信哉
白洲正子さんゆかりの品が所蔵されている美術館は、美しいたたずまいだった。
2012年グランドオープンを目指して大規模な回収中で、半分くらいの展示室が閉まっており、残念ながら目的の能面と、信楽桧垣文大壷は見ることができなかった。
しかし、なかなかに素敵な美術館なり。ピカソの初期の作品、ダミアン・ハーストの蝶の羽を使った巨大な作品、赤い婦人が窓の外を通り過ぎる一瞬を描いたモネの作品などが目についた。
リックと一緒にスーパーボウルを観戦して、それでさようなら。
リックと話す以外は、ほとんど何もしなかったアメリカの日々だったけれども、相変わらず前向きで肯定的でどこか気楽でしかし実際的なアメリカ人たちの空気を吸うだけでも、十分に楽しかった。
アメリカに来ることの目的は、この空気を吸うということに尽きるのかなとも思う。
もうそろそろクリーヴランドの空港を出る。シカゴ経由で帰途につく。
2月 8, 2010 at 07:51 午後 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (4)
Rick, you are better even than google!
リック、君はグーグルより凄いね!
The Qualia Journal
8th February 2010
2月 7, 2010 at 09:20 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
今起きた。
日本は夜だが、アメリカはこれから活動開始である。
昨日、仕事を終えて夕飯はステーキハウスに行った。
ぼくはリブアイ・ステーキにした。
メニューを見て、びっくりした。
「日本から輸入の、100%純正和牛ビーフ」というメニューがあって、他のメニューとは段違いの110ドルという値段がついている。
アメリカに来て、和牛というのも何かと思って、誰も注文しなかったが、やはりサシが入っているのだろうか。
何だか元気のない日本だけれども、このように外国から高く評価される文化もある。
自分たちの良いところをメタ認知して、磨いていくしかないだろう。
リック・バロンの家で、象の置物を見つめる笠原裕明さん
雪の中、さあ、仕事を開始。
過去40年分のカレンダーの前で
圧倒的に高い和牛ビーフ
2月 7, 2010 at 09:18 午後 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (3)
Clevelandは今20時10分。Rick Baronの今日のインタビューは終了。
Rickの能力の凄さに驚嘆するとともに、人間の脳の記憶のシステムについて考える。
雪が降っている。気温が低い。雪玉をつくろうとして、握ったら粉雪で全くかたまらず。手が千切れそうに痛くなって、反省した。
日本で買ったAmazon Kindleをアメリカに持ってきた。スイッチを入れたら、何の問題もなくAmazonにつながった。3G携帯の電波を使っているとわかっていても、ユーザーがキャリヤーと特に契約を結ばなくてもout of the boxでこのようなことができるのは素晴らしいことである。
テレビの収録のために、着慣れないジャケットをまとっている。朝倉千代子さんが持ってきて下さったのである。
シカゴでの入国の時に、スゴ腕ディレクター、笠原裕明さんがつかまっていた。クリーヴランドに観光に行く、と言って怪しまれたらしい。「クリーヴランドに何があるんだ?」と問い詰められたのだという。
それに、職業を聞かれて、「会社員」と答えたのも怪しまれたらしい。会社員が、なんでそんなにラフな格好をしているのだ、と聞かれたようなのである。
だからぼくは笠原さんに言った。職業を「科学者」と答えれば、どんなにキタナイ格好をしていても、「なるほど」と思われるよ。
笠原さんは「なるほど」と言って、ぼくのぼろぼろの私服を見た。
そんなに見ないでね。白洲信哉なんか、ぼくの格好を見て、いつも「みっともないなあ」と笑っているんだよ。
空港についてさっそくカメラを回し始める笠原裕明さん
2月 7, 2010 at 10:20 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (1)
アメリカ一日目。リック・バロンと会って話す。人間の記憶のメカニズムについての、グレート・インスピレーション。
詳細は、The Qualia Journalをお読みください。
2月 7, 2010 at 12:27 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
白洲信哉のブログ。 2010年2月5日(金)。
2月 6, 2010 at 08:18 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (1)
Pet Relief Area.
ペット・リリーフ・エリア
The Qualia Journal
6th February 2010
2月 6, 2010 at 04:12 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
アメリカ合衆国に来た。「忘れられない男」、Rick Baronに会いにClevelandにやってきた。
Rickの記憶力を試す資料にしようと思って、シカゴの空港でtrivia quiz bookを探した。そうしたら、Turing とGodelについての本を見つけた。
値段が下がって7ドル99になっている。A Madman dreams of Turing Machines. by Janna Levin。
即決で買った。
造本が、粗くて、端がギザギザになっている。チリを食べようと思って入ったレストランのコーヒーが美味しかった。
アメリカの味がした。
2月 6, 2010 at 04:11 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (2)
でトランジット中。
飛行機の中で書いた原稿10枚を、集英社の鯉沼広行さんに送る。
アメリカのコーヒーは、来る度に美味しくなっている。
2月 6, 2010 at 12:45 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
ワシントン経由でクリーヴランドに行く予定だったけれども、
ワシントンが大雪だということで、シカゴ経由に変更になりました。
カウンターでの手続きを待ちながら書いています。
2月 5, 2010 at 09:15 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (1)
高野委未さんの修士論文の発表。考え得る限り、もっとも素晴らしくできた。
高野さん、偉いね。がんばったね。
すずかけ台の居室につくと、高野さんの先輩たちが資料の印刷などを手伝っていた。
それはこの上なく美しい光景だった。
無私の心。自分もまた、その試練をくぐり抜けてきたのだから。いつか通ってきた道なのだから。
打ち上げを青葉台でやる。最初は部屋が寒かったので、何人かは、まるでジュウシマツのようにかたまって座っていた。またそれが、修論を手伝っている心のうるわしさに通じる気がして。
人間をもっと信じようよ。そうしたら、他人に、もっともっとやさしくなれるとぼくは思う。
そんなことをシリウスにつぶやいたら、そうだね、と確かに言った。
2月 5, 2010 at 04:39 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (0)
長い間、お疲れさまでした。すばらしい相撲を見せてくださって、ありがとう。
2月 4, 2010 at 07:57 午後 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (1)
Decouple one's learning process from the social contexts and make it grow rapidly
社会的文脈から学習プロセスを切り離し、高度成長を実現する。
The Qualia Journal
4th February 2010
2月 4, 2010 at 07:41 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
ラジオ・デイズの仕事で橋本麻里さんに会って、しばらく経った時に、橋本さんが、「茂木さん、私、重大ニュースがあるんですよ」と言った。
「えっ? どうしたの? 結婚するの?」
「そんなことよりも、もっと重大なニュースなんですよ。」
何だろう、と首をひねった。「お父さんの高橋源一郎さんのこと?」「違います。」「うーん、わからないや。」
橋本麻里さんが、ふふふと笑った。
「あのねえ、私、今日お化粧しているんですよ。」
「ホントだ!」
橋本麻里さんの顔が、ほんのり色付いている。ぼくは、ひっくりかえるほどびっくりした。
なぜ、女性が化粧をしているということくらいで驚くのか? これには、伏線がある。
私は、元来ぼんやりしているところがあって、他人の仕草や性格など、見落としていることがたくさんある。
橋本麻里さんとお仕事を始めたのは、10年近く前。彼女が、ある「秘密」を持っていることに、なかなか気付かなかった。
橋本さんとお仕事を始めて3年くらい経った頃のこと。
「和樂」の仕事で、ある場所に出かけていってお昼を食べているときに、「気付き」は訪れた。出されたおしぼりで、橋本麻里さんが顔を拭いたのである。
「あっ、今、顔を拭いた!」
「顔くらい拭きますよ。」
「ということは・・・」
「ええ、そうです、私化粧をしないんです!」
化粧をしない女(ひと)!
それまで、橋本さんがすっぴんであることに全く気付かなかった。うかつであった。
その橋本麻里さんが、化粧をしている。
「どうしたの?」
「いやあ、先週の金曜日、エルメスでパーティーがあったんですよ。フォーマルなパーティーで、その時、お化粧をしないのも何だかなあ、と思って、したのが最初です。」
「それって、生涯で初めての化粧?」
「いえいえ。前にもやっていますよ。」
「いつ?」
「七五三の時です。」
「・・・・・」
ソファに座っているブルータスの副編集長、鈴木芳雄さんが笑っている。
「化粧品、買いに行ったんだ。」
「ええ。」
「何て言って買いにいったの? 私、お化粧はじめてなんです、て言ったの?」
「いえいえ、そんなことは言いませんよ。今日はたまたますっぴんなんです〜て言って、店員さんに頼んだのです。」
「いやあ、全然気付かなかったなあ。これぞ、まさにアハ体験だ!」
鈴木芳雄さんがまた笑っている。
「いやでもね、浜離宮で今日最初に会った時、なんだかへんだなあ、とは思っていたんですよ。」
「あらっ。どんな風に違っていたんですか?」
「何というかなあ。桃の花が色付いてきた、というか、そろそろ梅がほころんできたというか、そんな感じ。」
「まあ、素敵なたとえ!」
鈴木芳雄さんが大いに笑っている。
どうやら、私が知らない間に、世界は明確に変化し始めているらしい。
化粧をしていない橋本麻里さん。2008年5月撮影。
化粧をした橋本麻里さん
化粧をした橋本麻里さん その2
橋本麻里さんのブログ『東雲堂日乗』
鈴木芳雄さんのブログ『フクヘン』
2月 4, 2010 at 07:41 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (3)
森美術館で市川海老蔵さんと会った。
まずは、現在開催中の「医学と芸術展」を見る。出品作の中では、ヴァルター・ シェルスの『Life before death』が秀逸だった。
海老蔵さんとレオナルド・ダ・ヴィンチの素描を見てから、今回の展覧会のキュレーターである広瀬麻美さんを交えて鼎談した。
海老蔵さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの天才を成り立たせている日常的習慣について興味を持っていた。
「常に見られる、ということを意識していたんじゃないですかね」という海老蔵さんの言葉で、一気にイメージが広がった。
スピノザやバークリーにおける「神」は、世界のすべてを認識する「見る者」としての存在である。
ジェンダーを逆転させる。「見る者」から、「見られる者」へ。「見る神」から、「見られる神」へ。そうすると、世界はどんなに変わって見えることだろう。
見られていると思うから、細部まできちんと作り込む。そこに驚異の起源がある。見られていると思うから、テーブルの上のコップも、空の青も、可憐な花のゆらめきもすべてつくり出している。そんな風に思ったら、神は畏怖すべき存在であると同時に、優美な、愛しむべきものであるように思われ始めた。
2月 4, 2010 at 07:40 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (2)
ザ・ベストハウス123 脳スペシャル
2010年2月3日(水)21時〜21時54分
フジテレビ系列
ぜひごらんください!
2月 3, 2010 at 08:49 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (0)
PHP研究所『「読む、書く、話す」脳活用術』
発刊記念講演会。
2010年2月3日(水)19時30分〜
PHP多目的ホール(PHP研究所東京本部内)
(地下鉄半蔵門線「半蔵門駅」下車、5番出口
すぐ東急一番町ビル2階)
2月 3, 2010 at 07:49 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (2)
While my fondest memories would ever remain with the small time things
私のもっとも好ましい記憶は、小さなものたちとともにある。
The Qualia Journal
2nd February 2010
2月 3, 2010 at 07:44 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
2010年2月12日号
脳のトリセツ 第28回
ストップウォッチを使え
「タイム・プレッシャー」をかけることで脳は本気になる。
時間内で課題をこなそうと潜在能力が最大限に発揮されるのだ。
抜粋
どうやったら、自分の仕事の効率を上げることができるのか、短時間で多くのことをこなすことができるのか。そんな悩みを抱えている人は多いだろう。
世の中が低成長だろうが、日本の経済が停滞していようが、そんなこととは関係なく、自分自身の脳の「高度成長」を維持する。いわば、自分の生き方と世の中の経済状況を「デカップリング」することをお薦めしている私としては、生産性を上げる方法をいろいろと読者に伝授したいと思う。
一つ、きわめて簡単な方法がある。それは、「ストップウォッチ」を使うことである。ごく簡素なものでいい。ストップウォッチやタイマーを用いることで、仕事の効率を上げ、脳の生産性を高めることができるのである。
全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。
2月 3, 2010 at 07:43 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第100回 ほんとうの歴女
サンデー毎日 2010年2月14日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
先日、坂本龍馬をはじめとする幕末の志士について対談するため、ファッションモデルで女優の杏さんにお目にかかった。
世の中には「歴女」という言葉がある。歴史が好きで、様々な知識がある女性を指す。「歴女」は2009年の新語・流行語大賞のトップ10入りし、杏さんが「歴女」の代表として表彰された。
とても美しい「歴女」の杏さん。お話して感銘を受けた。歴史を単なる知識としてではなく、まさに自分が生きるこの現代の問題として受け止めるという姿勢が徹底していたのである。
「私自身が今やっていることが、10年後、100年後の人から見たらどのように映るか、いつも模索しています。」
「同時代を生きている人の中で、誰が歴史の中で残り、評価されることになるのか。そんなことを考えています。」
歴史を既に定まったものとして決めつけてしまうのではなく、時間の中で展開される「生」の現場に位置付けようとする。まさに「歴史を生きる」ことを志向するという意味において、杏さんは「ほんとうの歴女」であった。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。
2月 3, 2010 at 07:43 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
生きていく中で時々ふと、河合隼雄先生とお話した時のことを思い出す。京都のクリニックで、箱庭を観て頂いた後に、お好きなフルートを吹くというその部屋で向き合った。
河合先生いわく、箱庭は実際に効果がある。そのことは経験からわかっている。しかし、通常の手続きをとって、科学的な意味で実証しようと思ったら、さまざまなことを「標準化」しなければならない。
例えば、砂の量、色。箱の大きさ、材質。何よりも、箱庭に並べるアイテムの種類、数。そのようにして環境を標準化して、繰り返し実験してデータをとり、そうして統計を見なければ、通常の意味での「科学」とはならない。
ところが、箱庭療法の実際は、一回性の塊である。河合先生のクリニックにある人形や、木や、石の類は、訪れる人がお土産に持ってくるものも多い。いわば、「オープン・システム」。その内容を制御しようも、指定しようもないのだ。
箱庭を作る被験者の状態や、過去の経験の履歴も、毎回異なる。そのことによって、箱庭の内容も変わってくるし、被験者の心情も異なる。
そのようなもろもろを考えると、箱庭に関する記述は、一つひとつの事例を記述する「事例研究」にならざるを得ない。また、それで良いのだと河合先生はおっしゃった。
標準化しようとすると、かえって生命運動としての本質が失われる。そんなことはたくさんある。たとえば、自分の人生そのもの。あのとき、河合先生から受けた、覚悟と凄みの混じり合った感触を忘れまいと、時折思い出してみる。
私たちは、人生の一回性から逃れられない。その不可避な偶有性を受け入れ、寄り添うしかないのである。
私が作った箱庭の前に立つ河合隼雄先生。2006年2月。
京都のクリニックで。
2月 3, 2010 at 07:42 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (2)
サラリーマンは、スジを通せ
~鉄道ダイヤ作成・牛田貢平~
「時刻表は商品である」という牛田さんの言葉を、素晴らしいと思った。
日本の「ものづくり」の精神が称揚される。ここで、「ものづくり」とは、必ずしも「モノ」に限られるのではない。目に見えない「ソフト」もまた、大切な「ものづくり」の対象である。
「ものづくり」精神を、目に見えないものへと広げる。日本経済の活性化は、この一点にかかっていると言ってもよいだろう。牛田さんの生き方に、その突破口へのヒントがある。
そして、誰にとっても切実な、組織との関係をどのように考え、そうして自分の創造性を発揮するのかとうう命題についても、牛田さんは素晴らしいインスピレーションを与えてくれるのだ。
必見。
NHK総合
2010年2月2日(火)22:00〜22:49
http://www.nhk.or.jp/professional/
日経BPコラム 組織の中の「異分子」が生きる道
鉄道ダイヤ作成・牛田貢平(produced and written by 渡辺和博)
2月 2, 2010 at 07:11 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (4)
I did not need to wear the color any more.
もうその色を着る必要はなかった。
The Qualia Journal
2nd February 2010
2月 2, 2010 at 07:10 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
人間は重力に抗しているのだというフリードリッヒ・ニーチェの直観は、正しかったのではないかと思う。
物理的な重力に抗するために、人間は飛行機を発明し、ロケットを作り、月に行った。しかし、それよりもはるかに前から、人間は精神の領域において無重力を志向してきたように思われる。
ニュートンの独創性もまた、リンゴが落ちるのを見て無意識のうちに無重力を志向したゆえにではないか。
言語は、一つの無重力の形式である。志向性が、「今、ここ」の限定を離れて自由に羽ばたくようになる時、そこに無重力が生まれる。
できる限り、zero gravityの環境を保つこと。それが、唯一最大の目標となる。zero gravityの環境でこそ、創造性が最大に発揮される。
重力に負けないように。他人に対しても、重力場を及ばさないように。
『2001年宇宙の旅』で、宇宙船のシーンにヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』を当てたスタンリー・キューブリックは、zero gravityについて正しい直観を持っていたのだ。
2001年宇宙の旅。Zero Gravity。
2月 2, 2010 at 07:10 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (1)
The color of sea was something very subtle.
海の色は微妙に変化して
The Qualia Journal
1st February 2010
2月 1, 2010 at 07:50 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
この前、ゼミの前にチェゴヤで食べていた時、野澤真一といろいろ話していた。
野澤は、ときどき、extremeな考えを持つことがある。それは、とても良いことだと思っている。
どんなextremeな考えも、そこにその人の生き方や思想の体重が乗っていると、心地良いものである。評論家としての立ち位置ではなく、自分自身のこととして考える。そのような言説には信頼を持てる。
私憤ではいけない。義憤でなければいけない。自分自身にまつわることでいつまでも怒っている人は、あまり信用できない。自分の利害とは関係がないことで怒っている人は、見所があるように思う。
もちろん、extremeはextremeのままでは流通し得ない。しかし、さまざまな要素を取り入れて、中庸をはかるのは後からできるのだから、とにかく、最初の噴火のマグマがなければお話にならないのである。
その野澤真一くんは、男の子が出来て、パパになった。野澤の日記 には、子どもを観察しながら、「sensoryとmotorのカップリングとcross modalな感覚統合だと、
sensory-motor couplingの方が早いのかもしれない。」などといろいろと書いてあって、面白い。
野澤真一氏。
2月 1, 2010 at 07:49 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (3)
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