« 木のシリーズ | トップページ | Starting the day thus as an idiot »

2010/01/31

人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって

 中学校の時、秋に学校からみんなで遠足に行ったのが楽しかった。時々、そのことを思い出す。

 なぜ楽しかったのだろうと考える。まず、みなが同じ赤のジャージを着ていた。今考えればみっともない格好かもしれないが、一人だけでなく、みんなで同じみっともなさを共有するのが良かった。

 よく晴れた日だった。河川敷につくと、ススキの穂が風に揺れていて、太陽の光がきらきらと光っていた。トンボが飛んでいた。風が吹くと少し寒かったが、基本的にはぽかぱかと温かかった。

 空間が、広々としていた。土手の斜面を緩やかに下って、行列から少し離れることもできた。みんなと歩く空間の位置とりに、それぞれの個性が出ていた。お互いに、相手がどこにいるのか、視野の隅の方で確認し合った。

 弁当の時間になると、思い思いに座って、わいわい騒ぎながら食べた。女子たちはおかずを交換して楽しんでいた。ぼくたちは、あっという間に食べ終わってしまって、キャッチボールを始めた。楽しくて、心の底から笑いたい気持ちになった。

 肝心なことは、あのような楽しさはこれからの人生においていくらでもあると油断していたけれども、実際には、厳密な意味で同じ楽しみは二度と来なかったということだ。

 だから、ぼくは、学校に講演に行った時、特に、卒業間近な高校生に話をする時に強調する。

 いいかい、君たち、毎日同じ仲間と同じ教室で、一年間ずっと勉強する。そんなことは、もう二度と来ないんだよ。大学にいったら、授業をとるのはバラバラ、クラスといっても、あってないようなものい。だから、本当にこれが最後なんだ。

 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かずにぼんやりしているから、ぼくたちは後悔する。その一方で、だからこそ気楽に暮らしているということもあるのだ。

1月 31, 2010 at 09:10 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって:

» ボクらの時代 市川染五郎×小笠原道大×田村淳 トラックバック 須磨寺ものがたり
1973年生まれというのが唯一の共通点の3人の男たち、 異業種に携わる者どうし、互いを語る。 [続きを読む]

受信: 2010/01/31 11:24:57

» 「これが最後」と思うとき トラックバック わりとノーテンキ
 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かず [続きを読む]

受信: 2010/02/01 0:02:15

» 茂木先生著書遍歴(3) トラックバック 御林守河村家を守る会
2月13日は茂木健一郎先生の講演会の日です。 [続きを読む]

受信: 2010/02/01 7:24:08

» 「これが最後」と思うとき トラックバック わりとノーテンキ
 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かず [続きを読む]

受信: 2010/02/01 20:28:20

コメント

こんにちは

> いいかい、君たち、毎日同じ仲間と同じ教室で、一年間ずっと勉強する。そんなことは、もう二度と来ないんだよ。大学にいったら、授業をとるのはバラバラ、クラスといっても、あってないようなものい。だから、本当にこれが最後なんだ。

> 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かずにぼんやりしているから、ぼくたちは後悔する。その一方で、だからこそ気楽に暮らしているということもあるのだ。


誰もが、人生は二度と戻ってこない・・・。もしあの世があるなら、バラバラで、クラスと言っても、有っていようなもの、かもしれない。

もしも、宇宙人が地球を発見すれば、人類たちが祭りをやっているように見えるのかもしれませんね?(^^)

投稿: 人生のクオリアby片上泰助(^^) | 2010/02/01 4:46:01

お書きになったテーマを繰り返し読みながら、
ほんとうにそうだわ~って、二度と帰らなかった日々の出来事の数々を思い出したりしています
父が最晩年に、家族の写真の整理をしていたように、なんとなく浮かぬ気持ちの雨の日などに、私も少しずつアルバムの整理をしています
セピア色に変色しかけた昔の写真を手にしていると、
過ぎて行った時の中での、生きた命のさんざめきが聞こえてくるような気持ちになったり、懐かしさの過去の中に戻って行きたくなるような衝動に駆られたりもします、前ばかり見て歩くのに疲れた折りに、ふと後ろを振り返るとき、なくしたものばかりではない、過去の温かさも同時に見出せるのかもしれませんね・・  reiko.G

投稿: reiko.G | 2010/02/01 0:08:26

茂木サン、中学生の時のあの時間の流れは、何時までも色褪せず、思い出す事ができます。
先をあまり考えず、ただその時を 友とクラブで汗を流していた。
それが、楽しかった。

何気ないようなシーンは宝になり、今に生きていると思う。

投稿: サラリン | 2010/01/31 23:55:38

みんなと、同じことを共有する。この一体感がなんとも言えず、好きです♪
亡くならない限り、会えますよ。
巡り合わせ…絆の力が強ければ強いほど、絶対に(*^_^*)

投稿: 奏。 | 2010/01/31 22:08:26

茂木先生

こころに残るすばらしいエッセイ。わたしはぼんやりのタイプです。
それで、失ったあとに後悔する。
 

 「肝心なことは、あのような楽しさはこれからの人生においていくらでもあると油断していたけれども、実際には、厳密な意味で同じ楽しみは二度と来なかったということだ。

.....

 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かずにぼんやりしているから、ぼくたちは後悔する。その一方で、だからこそ気楽に暮らしているということもあるのだ。」

投稿: michiko | 2010/01/31 13:37:06

学生時代に味わった「楽しきこと」は、過ぎてしまえば、おっしゃる通り、二度と味わえないことばかり。

自分の場合、小学校時代、鎌倉へと修学旅行に行った時、改装前の江ノ島水族館でのワイワイやっていた思い出とか、中学校の京都への修学旅行が秋だったので現地についたら猛烈に寒くて、家に帰るなり風邪を引いてしまって三日ぐらい寝込んでしまったことを思い出す。

学生時代に机を並べて勉強したことも、毎日教室で体育ジャージを着てすごしていたことも、ワイワイやっていたことも、修学旅行で寒さに閉口したことも、本当は人生で一回こっきりのことだったのだと、今になって気づいてしまったりしている。

あの頃に戻ろうと思っても、そんなことは『時』と言うものの性質上、不可能の領域に入ってしまっているものだ。

これからも、人生で一回こっきり、これが最後だ!という出来事がまだまだたくさんあるに違いない。学校で学友と過ごしたことは、その中でももっとも、私たちの胸に深く深く刻まれることなのに違いない。

あの時、いっしょに教室で同じ時間を過ごした学友たちの大半は、卒業後、散り散りばらばらになり、いまや音信不通になっている人間ばかり。私も相手から見たらば、音信普通の人間の中に入っているのかも。

二度と帰らぬ学生時代・・・戻らないからこそ、かけがえのない思い出として何時までも心の奥底で、それは光を放っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2010/01/31 12:39:20

茂木健一郎様
子どもの頃のような遠足は
できないのかもしれないけれど、
その頃の記憶を鮮烈に美しく
どきどきして記憶していると
その頃の仲間と出逢うと
その頃の記憶のままに
出逢えると思います。私はそうです。
茂木さんの記憶のなかの人たち
きっと茂木さんに
お会いになられたいと思います。
お会いできる機会が
めぐってこられることを
祈っています。

投稿: Yoshiko.T | 2010/01/31 10:20:48

茂木さん、Hello(^-^)最後もあると思いますが最後ではありませんです(^-^)yところで、茂木さん♪ちょっとまたあとで♪お弁当ついてる♪(^3^)それでは茂木さん、また今度です。

投稿: 水饅頭 | 2010/01/31 9:37:59

コメントを書く