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2010/01/12

歌舞伎の奇跡 ー市川海老蔵 『伊達の十役』ー

歌舞伎の奇跡
ー市川海老蔵 『伊達の十役』ー

 『伊達の十役』は、七代目團十郎が初演した後、長い間演じられなかったのを、市川猿之助が復活上演して評判になった演目。私は、以前、その猿之助の舞台を何回か見たことがある。まだ学生だった頃である。
 それから時が経って、市川海老蔵が伊達の十役に挑戦するという。心待ちにしていたその日がいよいよ来た。良く晴れた寒い日。新橋演舞場へと向かった。
 海老蔵の歌舞伎への精進は凄まじい。昨年八月にお父さんの團十郎と共演した『石川五右衛門』での、花道を六法で下がる海老蔵の演技が忘れられない。演劇の精髄がまさにエビのように跳ねる。手指の先まで神経が行き届いていて、踊りの精神そのものの化身のようだった。
 その海老蔵が、今回の舞台には期するところがあると聞いていた。猿之助の演出で上演する。以前には、猿之助のまさに十八番だった『義経千本桜』の「四の切」を猿之助型で演じた海老蔵。今回はどんな舞台になるのか、楽しみにしていた。
 定式幕が開く。市川海老蔵が、舞台中央に居ずまいを正して座っている。まずは、これから演ずる伊達の十役についての説明の口上。あらかじめ、芝居の概略を観客に説明しておこうという配慮である。
 変化の魔術が支配する時間はすぐそこ。しかし、口上では、まだまだ「素」の海老蔵が出ている。真っ直ぐで、太陽そのもののような好青年。張りのある、若々しい声。慣れ親しんだ、海老蔵の声。
 それが、最後に「隅から隅までずずずいっと」となると、急に声色が変わる。何かが乗り移ったように、空気が移る。演舞場の客席のあちらこちらを「にらむ」海老蔵の表情には、歌舞伎の若神の風格がすでに表れている。
 いよいよ芝居が始まる。
 海老蔵には、荒事や立ち役というイメージがある。しかし、女形もびっくりするほど色っぽかった。せりふを伴う女形は、今回の舞台がほとんど初めてだと聞く。しかし、とてもそうは思えないほど女形が堂に入っていた。
 とりわけ、終幕の『大喜利』で、高尾と累の亡霊を演ずる海老蔵には、白鷺が地上に降り立ったような色香があった。踊りも、繊細で優美だった。
 もともと、人間の魅力とは、両性具有のものではないかと思う。現代においても、男性的な側面と、女性的な側面を両方併せ持つ人が、もっとも輝いている。
 きわめて男性的な海老蔵だが、一方で女性らしい感性がある。「見られる」ということ。それを意識し、引き受けるということ。「女性」というジェンダーの文法との共鳴が、海老蔵の表現に奥行きを与える。色っぽいのである。
 『伊達の十役』の見所は、何と言っても目まぐるしく早替わりで十役をこなすということ。もともとは、初演時、夏の休暇で大立て者が皆いなくなってしまい、七代目團十郎が一人でさまざまな役を兼ねるための「窮余の策」だったと聞く。
 幕府のお達しで女性が舞台に出られなくなったことが、歌舞伎の「女形」のもととなった。制約を可能性に変えてしまうという、歌舞伎のしたたかさがこんな所にも現れている。
 それにしても、速い。あれだけの役を早替わりでこなさなければならないということは、舞台裏は戦場のような様子のはずである。スッポンから引っ込む。走る。助手たちが一緒に走りながら衣裳を替える。化粧を施す。かつらを変える。居ずまいをチェックする。そうしたらもう出番である。
 息を整えて、舞台に出る。その瞬間には、たった今まで疾走していたということを観客に一切悟られないような、端正な静寂の中にいなければならない。そうでなければ、「変化の魔法」が完成しない。舞台に出た時には、もうすでにその役になっている。いわば、人形振りのように。この点の完成度において、海老蔵の「伊達の十役」は水際立っていた。
 早替わりの楽しみは序幕と二幕目でたっぷりと味わえる。海老蔵は、まさに躍動するアスリートとなる。
 三幕目、足利家奥殿の場は、打ってかわって、じっくりと見せる芝居。主君を守るため、あえてわが子を犠牲にする。なぶり殺しにされるのを、じっと耐える。
 人々が去る。ひと目をはばかる必要がなくなる。いよいよわが子の亡きがらと二人きりとなると抑えていたものが込み上げる。
 悲しみを政岡が語る段になると、「待ってました」と客席から声がかかった。
 声をかけたのはよほどの見巧者と思われた。政岡の語りは、まさに見所。聞き所。役者の身体が、一つの楽器になるのである。
 海老蔵はまさに「政岡」だった。わが子の亡きがらをかき抱き、身体を激しく震わせて泣く。声の調子。顔の表情。手足の仕草。すべては高度に調整され、しかもどこかでその融和を破らなければ、見る者の心を動かすことはできない。何かが堰を切るということ。海老蔵の中の情念が、時を超え、政岡に乗り移ってあふれ出す。
 歌舞伎の奇跡。歌舞伎の祝福。全身全霊を込めて打ち込まなければ、それは起こすことができない。
 政岡と並んでやはり特筆すべきは、仁木弾正であろう。お家の乗っ取りを狙う、悪の化身。海老蔵の仁木弾正には、凄まじいまでの悪の美しさがある。黒澤明監督の『用心棒』における、仲代達矢の演技にも通じる。見る者の魂をひんやりとさせる生命の特異点。怖ろしい。それでいて、刺すような美しさがあって目を離せない。
 集中と帰依。美と旋律。人間の中には、これほどのダイナミックレンジがある。あふれるばかりの魅力が詰まった『伊達の十役』。海老蔵が、「歌舞伎の奇跡」を通して、人間の奥の活き活きとした中心をもう一度教えてくれる。

 
新橋演舞場 初春花形歌舞伎 『伊達の十役』
2010年1月2日初日から、1月26日千秋楽まで。

By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

1月 12, 2010 at 09:26 午前 |

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コメント

こんにちは

見飽きない映画と言うものがある。毎回見ても新しい発見があり楽しめる。無論、映画監督が意識的にそこまで創り込んでいる事である。

歌舞伎も、同じ演目を見ても飽きないように創り込んでいる。それを、400年前から未来まで創り込んでいる歴史の一片を、現在、観れるのでは?(^^)

投稿: | 2010/01/13 3:44:00

歌舞伎の祝福や奇跡。
私も見てみたい!

でも大丈夫。私も見れるヾ(^▽^)ノ

投稿: | 2010/01/12 22:58:47

歌舞伎の早い役代わり・・・それは実にマジック。

それも、種も仕掛けもない、本物の変身。

素のままの人間に、歌舞伎の役が乗り移り、ある時は鬼気迫る姿を見せ、またある時は、客席の紅涙を絞る、哀惜の姿を見せる。

海老蔵さんがこの間舞台で見せてくれたという『伊達の十役』、市川猿之助さん以来ということで、一度、見たかったです。

ほんに歌舞伎のような、伝統をもちつつ、革新を続ける芸能には、生きているうちに、生で触れておきたいと、常に思っている。

投稿: | 2010/01/12 20:35:37

茂木健一郎様
茂木さん疾風が目を醒ましてくださいます。
むねのあたりが、むねのあたりから身体全身を
熱くさせてくださいます。

今回御年賀のNHK歌舞伎番組で、
市川海老蔵『伊達の十役』をすこし拝見いたしました。
まさに茂木さんのとらえてくださった表現がむねを
打つがごとくでした。

ああ、今日もありがとうございます。

投稿: Yoshiko.T | 2010/01/12 10:09:23

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