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2010/01/31

「永遠の故郷」の確かな予感 吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

「永遠の故郷」の確かな予感

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

茂木健一郎

 なぜある人が卓越しているのか、その理由がはっきりと明示できないことがある。背景となっている教養、感性の鋭さ、経験の蓄積。そのようなことがあまりにも重層的に積まれていて、容易には「こうだから」とその理由を提示できない。
 簡単にはその理由を指し示すことができない卓越のかたち。それは人間として目指すべき一つの到達点であり、私たちが愛する良きもの、美しきものが生み出されてくる精神の「故郷」である。
 遙かに遠く、そしてゆかしいもの。吉田秀和さんには、常に敬慕の念を抱いていた。高校時代に愛読したニーチェの『悲劇の誕生』に目を向けられたのも、確か吉田秀和さんの文章がきっかけだった。
 昨年の夏、吉田秀和さんにお目にかかる機会があった。潮風が気持ち良い、海辺のレストラン。音楽批評を芸術の域に高めた、一人の卓越した表現者が目の前に座っていて、ニコニコと笑っていた。
 「私が旧制高校の頃はね」と吉田さんはおっしゃった。「ドイツ語で、初日にアーベーツェーと初等文法をやって、二日目にはニーチェのショウペンハウエル論を読まされました。いやあ、野蛮な時代でしたよ。」
 吉田秀和さんが追想するような、「高貴なる野蛮さ」が日本の社会にはもっと必要なのではないか。
 文章に魅せられているうちに、ふくよかに、連想が膨らんでいく。読んでいて、とても心地良い吉田さんの文体。最新刊の『永遠の故郷 真昼』(集英社)でも、その優美な響きは健在である。
 例えば、マーラーの交響曲について書かれた、次の箇所

__________ 
 中でも、特に《大地の歌》の最終章《告別》、第九と第十のそれぞれの第一楽章などは、かつて描かれた最も美しい音楽に属するというべきだろう。作曲者はそのどれ一つとしてきく機会を持たずに死んでしまったけれども。
 これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲を聴いていると、時々、耳をふさぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がる。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。
 だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》の話をしたい。
_________

 吉田秀和さんは、1913年9月23日生まれ。『永遠の故郷 真昼』は、集英社の文芸誌「すばる」に2007年から2009年にかけて掲載されたエッセイを集めたものである。上に引用した文章(《告別》)が掲載されたのは、2009年8月号。その時、吉田さんは95歳。
 95歳の音楽評論の大家が、マーラーの『第十交響曲』について、「だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。」と書く。心あるものに強く響く言葉である。このような慎重さは、ドイツ語のアーベーツェーをやった後にニーチェのショーペンハウエル論をやるような「知的野蛮さ」と同じところから発している。現代は、遠くへと漂流してきてしまった。
 さまざまな歌曲について、楽譜や言語の歌詞を参照しながら論ずる『永遠の故郷 真昼』。頁をゆったりとめくり、繰り返し味読するにふさわしい滋養に満ちている。とりわけ、第一章「《愛の喜び》ーある思い出にー」のように、愛すべき楽曲に吉田秀和さん自身の人生の出会いと別れの思い出が響き合う時、読者は忘れがたい魂の感触にしばし立ち止まる。その瞬間、私たちは「永遠の故郷」の確かな予感にとらわれているのだ。
 本書の最良の読み方は、吉田秀和さんの文章を読みながら当該曲を聴いてみることだろう。CDやDVDを持っている人はそれをかければいいし、持たない人は、youtubeなど、インターネット上にあふれるリソースで曲のサンプルをかけてみればよい。そのようにして、心の中に眠っている「高貴なる野蛮さ」の種を探りあてるとよい。

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』
集英社、2010年1月10日刊

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By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

1月 31, 2010 at 10:34 午前 |

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受信: 2010/02/02 10:24:22

コメント

確かに知識人が絶滅種になりつつなることは悲しいことです。日本のマス・メディアは「一億総白痴化」の様相を呈しつつあります。が、ニーチェによって「神の死」が宣言された後、そんなに沢山の知識が必要なんでしょうか。確かイギリスの哲学者か誰かが、「私には聖書と新聞があれば十分だ。」と言っていたと記憶しますが、現在においてもその指摘は十分に通用すると思います。新聞と2、3冊の自然科学書と哲学書をきちんと吸収すれば、それで十分なんではないかと。知識人の消滅に関して私はそれほど悲観しておりません。Timeと坂口安吾とドーキンスとサルトルがマイ・ブームです。

投稿: | 2010/02/04 15:15:46

吉田秀和。加藤周一亡き後、唯一の灯台のような存在。
朝日新聞に文章が載り、FMから声がきこえてくるのを楽しみにしています。まだ続きますように。
文末の助詞を省いたようなややぶっきらぼうな語り口。
教養の塊のような偉大な存在。
吉田秀和を一部クラシックファンしか知らないのはあまりにもったいないです。

投稿: さくらら | 2010/02/02 21:57:59

特に深い意味はないのですが、素敵なセンテンスを見つけたので。

J'ai trop vu, trop senti, trop aime dans ma vie; Je viens chercher vivant le calme du Lethe

ラマルティヌー
「Le Vallon」より

投稿: | 2010/02/02 0:04:52

茂木サン、「永遠の故郷」の 吉田さんの文章は そこに風景があり、言葉から 思いが 伝わります。
見事 です。
私も もっと 本を読み、表現力を 磨きたい。

茂木サンの文章も 時に 歌のように リズムや 心躍る気持ちを いだかせてくれます。

歌も 文脈も よいものはスッと 脳で 感じとれるものなのですね。

投稿: | 2010/01/31 23:38:50

今年の元旦の新聞に半面の大きな写真が掲載されていました
吉田秀和さんでした
、実物大ほどの柔和なお顔、そして数々の文章をお書きになられたはずの手が印象に残りました
新聞写真をデジカメで撮り、手だけ拡大してとりました
傷んだ手で過ごした一年が過ぎ、新しい年の初めに立派な手に出会えたことがなんだか嬉しかったのです、
先生は人生の中で出会うことが滅多にできない、様々な分野の卓越した方々との数々のお交わりをなさり、本当に素晴らしいですね、
誰にもできない経験を、知らせてくださって本当にありがとうございます、さっそく買いに行ってこようと思っています、それから、マーラーを久しぶりに聴きなおしてみたいと、また新しい希望がわいています
海辺のレストランの記事も見せていただきました、
いいお写真ですね~^^ テレビで、山田洋二の映画、かあべえ を見ながらコメントを書いていましたら、台詞の中にニーチェやカントの名前が出てきました、かあべえ、映画で見ましたが何度見てもいい映画です、わたしが赤ちゃんだったころの話です、
あの時代は、もう絶対に来てはいけないのです
ブログ更新のお時間が、10分!驚きましたが、
先生の10分は、ゴールドタイム、普通の人なら、少なくとも30分はかかるでしょう、^^    reiko.G


投稿: | 2010/01/31 22:51:48

茂木先生の真似して、猪みたいに両手振りながら走ったら、ギャーって叫びながら、気持ちよかったよん、でも旦那に転ぶからやめろ!って言われちゃい増した。

投稿: | 2010/01/31 17:53:29

マーラー9番4楽章の豊麗な弦の響きも素晴らしいのですが、マーラーの「高貴なる野蛮さ」が出ているのは「巨人」や「復活」や5番や6番だと思います。
吉田秀和氏の豊富な教養に支えられた文学的表現は素晴らしいと思います。が、フルトヴェングラーのハーモニーを度外視した激情的な表現よりジョージ=セルのような音の間の均衡を重視した表現を好まれる印象があって、氏の評論には残念ながらあまり共感できません。
それはともかく、吉田秀和氏や小林秀雄のような恐ろしい教養の持ち主が数えるほどしかいなくなってしまった現代の日本は実に寂しいと思います。

投稿: | 2010/01/31 16:12:57

いまの世の中は、あまりにも『高貴なる野蛮』とはほぼ真逆の方向に向かっていってしまっていると、自分も心の片隅で感じている。

マーラーの音楽や、ニーチェやショーペンハウアーの哲学などに触れるとき、その鈍い光を放つ金属のような重みと、ダイアモンド的な知の煌(きらめ)きを同時に味わえるはずだ。

そうした高貴なる知の源泉に、繰り返し重層的に触れ続け、人生の中で何度も味わい続けていく以外に、何か卓越したものを持つことなど出来ないのに違いない。

拙宅にCDとして、「マーラーの『大地の歌』」を持ってはいる。が、最終章『告別』までを最後までキチンと聴けなかったことを、今思い出しているところだ。

私が持っているCDは、バーンスタイン指揮のもの。思えば彼もマーラーと同じくユダヤ系の移民の子であった。

流転と迫害の歴史を生きてきたユダヤ系の、それぞれ二つの魂が、時空を越え、『大地の歌』の演奏の響きを通して、ひとつに溶け合っているようだったと、今になって思う。

「知的で高貴な野蛮」よりも「低俗な文化性」が支配する今の世に、吉田秀和さんのような、深い教養と何層にも重ねられた経験、そして老境に達しても決して鈍ることなき鋭き感性の刃を持つ人の著作に触れながら、マーラーの力強くも流れるように響く音楽を聴いて、自分の中の「高貴なる野蛮」の萌芽を確かめてみたいと思った。

投稿: | 2010/01/31 12:25:35

はじめまして。ある自治体で中学校の英語教師をしておりますタカと申します。
2008-09まで英国の大学院で応用言語の修士課程に在籍していました。そのときにpsycholinguistics, language and brainという分野に関心を持ち、茂木先生の本にも関心を持つようになりました。

昨日、「読む書く話す 脳活用術」を購入し、大変興味深く読ませていただきました。英語の勉強方法もなるほどと思わされる部分が多く、自分のinput&outputにも役に立ちそうです。特にジョンボウルビイのattachement theory、感覚系と運動系のバランスの部分に興味を持ちました。自分の研究分野がoutputの効果ですので、inputとうまくバランスを取ってoutputもして、noticing(気づき)を生むことで言語習得を促進させるといったことを研究しておりました。茂木先生の説明も自分の関心分野とリンクする部分があり、脳科学の本も読んでみたくなりました。そこでお聞きしたいのですが、感覚系や運動系の話、attchment theoryの説明がされてある洋書を紹介していただけないでしょうか。お忙しいところ申し訳ありませんが、時間があるときにお願いできれば幸いです。先生のファンとしてこれからのご活躍を期待しております。

なお、私も留学後、英語でブログを始めました。先生も著書の中で触れていた方法だったのでうれしくなりました。もしよろしければご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/takachan75/

それでは、Have a lovely Sunday!

タカ

投稿: | 2010/01/31 11:14:34

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