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2010/01/31

「永遠の故郷」の確かな予感 吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

「永遠の故郷」の確かな予感

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』 書評

茂木健一郎

 なぜある人が卓越しているのか、その理由がはっきりと明示できないことがある。背景となっている教養、感性の鋭さ、経験の蓄積。そのようなことがあまりにも重層的に積まれていて、容易には「こうだから」とその理由を提示できない。
 簡単にはその理由を指し示すことができない卓越のかたち。それは人間として目指すべき一つの到達点であり、私たちが愛する良きもの、美しきものが生み出されてくる精神の「故郷」である。
 遙かに遠く、そしてゆかしいもの。吉田秀和さんには、常に敬慕の念を抱いていた。高校時代に愛読したニーチェの『悲劇の誕生』に目を向けられたのも、確か吉田秀和さんの文章がきっかけだった。
 昨年の夏、吉田秀和さんにお目にかかる機会があった。潮風が気持ち良い、海辺のレストラン。音楽批評を芸術の域に高めた、一人の卓越した表現者が目の前に座っていて、ニコニコと笑っていた。
 「私が旧制高校の頃はね」と吉田さんはおっしゃった。「ドイツ語で、初日にアーベーツェーと初等文法をやって、二日目にはニーチェのショウペンハウエル論を読まされました。いやあ、野蛮な時代でしたよ。」
 吉田秀和さんが追想するような、「高貴なる野蛮さ」が日本の社会にはもっと必要なのではないか。
 文章に魅せられているうちに、ふくよかに、連想が膨らんでいく。読んでいて、とても心地良い吉田さんの文体。最新刊の『永遠の故郷 真昼』(集英社)でも、その優美な響きは健在である。
 例えば、マーラーの交響曲について書かれた、次の箇所

__________ 
 中でも、特に《大地の歌》の最終章《告別》、第九と第十のそれぞれの第一楽章などは、かつて描かれた最も美しい音楽に属するというべきだろう。作曲者はそのどれ一つとしてきく機会を持たずに死んでしまったけれども。
 これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。私はこれらの曲を聴いていると、時々、耳をふさぎ、目を手で覆いたくなる。そこには、きくものを酔わせずにはおかない強い、魔法のような牽引力がる。特に、中でも一番あとで知られるようになった第十交響曲には強い薬と毒があるのではないかと感じることがよくある。
 だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。ここでは《大地の歌》の中の《告別》の話をしたい。
_________

 吉田秀和さんは、1913年9月23日生まれ。『永遠の故郷 真昼』は、集英社の文芸誌「すばる」に2007年から2009年にかけて掲載されたエッセイを集めたものである。上に引用した文章(《告別》)が掲載されたのは、2009年8月号。その時、吉田さんは95歳。
 95歳の音楽評論の大家が、マーラーの『第十交響曲』について、「だが、この曲について書くことは、まだ、私には、できない。」と書く。心あるものに強く響く言葉である。このような慎重さは、ドイツ語のアーベーツェーをやった後にニーチェのショーペンハウエル論をやるような「知的野蛮さ」と同じところから発している。現代は、遠くへと漂流してきてしまった。
 さまざまな歌曲について、楽譜や言語の歌詞を参照しながら論ずる『永遠の故郷 真昼』。頁をゆったりとめくり、繰り返し味読するにふさわしい滋養に満ちている。とりわけ、第一章「《愛の喜び》ーある思い出にー」のように、愛すべき楽曲に吉田秀和さん自身の人生の出会いと別れの思い出が響き合う時、読者は忘れがたい魂の感触にしばし立ち止まる。その瞬間、私たちは「永遠の故郷」の確かな予感にとらわれているのだ。
 本書の最良の読み方は、吉田秀和さんの文章を読みながら当該曲を聴いてみることだろう。CDやDVDを持っている人はそれをかければいいし、持たない人は、youtubeなど、インターネット上にあふれるリソースで曲のサンプルをかけてみればよい。そのようにして、心の中に眠っている「高貴なる野蛮さ」の種を探りあてるとよい。

吉田秀和 『永遠の故郷 真昼』
集英社、2010年1月10日刊

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By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

1月 31, 2010 at 10:34 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

(本日)オールナイトニッポンサンデー

2010年1月31日(日)


18時〜19時30分
ラジオ局 AM1242 

ニッポン放送
オールナイトニッポンサンデー

加藤ミリヤさんと、清水翔大さんをお迎えします。

http://www.1242.com/annsunday/

1月 31, 2010 at 09:13 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

それでも、藤田さんは敢えて自分の道を行く。

プロフェッショナル日記

2010年1月31日

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1月 31, 2010 at 09:11 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Starting the day thus as an idiot

Starting the day thus as an idiot

こうして、愚かものとして一日を始める。

The Qualia Journal

31st January 2010

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1月 31, 2010 at 09:10 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって

 中学校の時、秋に学校からみんなで遠足に行ったのが楽しかった。時々、そのことを思い出す。

 なぜ楽しかったのだろうと考える。まず、みなが同じ赤のジャージを着ていた。今考えればみっともない格好かもしれないが、一人だけでなく、みんなで同じみっともなさを共有するのが良かった。

 よく晴れた日だった。河川敷につくと、ススキの穂が風に揺れていて、太陽の光がきらきらと光っていた。トンボが飛んでいた。風が吹くと少し寒かったが、基本的にはぽかぱかと温かかった。

 空間が、広々としていた。土手の斜面を緩やかに下って、行列から少し離れることもできた。みんなと歩く空間の位置とりに、それぞれの個性が出ていた。お互いに、相手がどこにいるのか、視野の隅の方で確認し合った。

 弁当の時間になると、思い思いに座って、わいわい騒ぎながら食べた。女子たちはおかずを交換して楽しんでいた。ぼくたちは、あっという間に食べ終わってしまって、キャッチボールを始めた。楽しくて、心の底から笑いたい気持ちになった。

 肝心なことは、あのような楽しさはこれからの人生においていくらでもあると油断していたけれども、実際には、厳密な意味で同じ楽しみは二度と来なかったということだ。

 だから、ぼくは、学校に講演に行った時、特に、卒業間近な高校生に話をする時に強調する。

 いいかい、君たち、毎日同じ仲間と同じ教室で、一年間ずっと勉強する。そんなことは、もう二度と来ないんだよ。大学にいったら、授業をとるのはバラバラ、クラスといっても、あってないようなものい。だから、本当にこれが最後なんだ。

 人生には、本当はこれが最後ということがたくさんあって、だけどそのことに気付かずにぼんやりしているから、ぼくたちは後悔する。その一方で、だからこそ気楽に暮らしているということもあるのだ。

1月 31, 2010 at 09:10 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2010/01/30

木のシリーズ

私のtwitterは、現在「木のシリーズ」です。

As a tree, you need to arrange your leaves so that every part will get equal light. A human being is a harmony of the multitude.

When you are a tree, you have the pleasure of small birds occasionally coming to rest on your boughs. Then you sigh.

If you are a tree, it is only natural that it takes years for you to bear fruit. The preparatory period would bring its own rewards.

In order to grow, you need to have a root. The difficulty is that the root is invisible and can be quite easily overlooked and ignored.

http://twitter.com/kenmogi 



人間は一本の木である。

1月 30, 2010 at 12:20 午後 | | コメント (9) | トラックバック (1)

道を究めるための入り口は、至るところにある

道を究めるための入り口は、至るところにある

プロフェッショナル日記

2010年1月30日

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1月 30, 2010 at 12:04 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

In order to explore the vast universe of ramen noodles, I need to have more exposure time

In order to explore the vast universe of ramen noodles, I need to have more exposure time

ラーメンの広大な宇宙を探索するためには、もっと露出時間を増やさなければならない。

The Qualia Journal

30th January 2010

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1月 30, 2010 at 12:04 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

あるゲームの相互作用の下でどのような感情のダイナミクスが喚起されるか

 脳科学研究グループの会合、The Brain Club。

 高野委未さんの、修士論文の発表練習。戸嶋真弓さんのbilingualのcognitive developmentに関する論文紹介。

 私は、人間の協力関係における、indirect punishmentを扱った論文を紹介した。Ule et al. Indirect Punishment and Generosity Toward Strangers. Science 326, 1701-1704. (2009).

 一般に、punishmentは自分自身にコストがかかる。たとえば、体力を使うかもしれないし、また、電車の中で若者に注意をする時のように、逆上されて自分が怪我をするかもしれない。

  一対一のゲームにおけるdirect punishmentにおいては、その結果相手の行動が変化すれば、自分が直接の利益を得る可能性がある。それに対して、不特定多数の相手と取り引きするゲームにおけるindirect punishmentにおいては、相手がpunishmentを受けた結果、行動を改めたとしても、その利益を得るのは自分ではなく、不特定多数の他人である。

 それでも、私たち人間は実際に、他人に対して不親切だったり、不公正だったりする人にpunishmentを加える。どのようにして、このようなindirect punishmentの行動は進化してきたのだろうか? Ule et al.は、行動実験によってこの問題を検討した。

 詳細は、論文を参照していただくとして、私にとって興味があるのは、利得を通してゲームを解析するアプローチと、人間の心理的を通してアプローチするやり方の関係である。

 不公正な相手に対してpunishしようとする際、被験者は必ずしもそのことによって自分の利得が向上することを意識しているわけではない。むしろ、その詳細が言語化、意識化されていない認知プロセスを通して、相手に対してpunishを加えるかどうかを決定している。

 ゲームの相互作用の中に置かれ、相手と取り引きし、あるいは相手の一次属性(相手が、過去に、取り引き相手にどのようにふるまってきたか)、二次属性(相手がある振る舞いをしてきたさらにその相手は、どのような属性を持っているか)を参照した際に、どんな感情が被験者の中に喚起されるか。これは、利得を通してアプローチするやり方に対して、補完的であり、独自の研究対象とされなければならない。
 
 利得を通してのアプローチは、いわば、人間を「ブラック・ボックス」として扱おうとするようなもの。それに対して、あるゲームの相互作用の下でどのような感情のダイナミクスが喚起されるかに注目するアプローチは、内在的な属性に着目し、最終的な神経生理学的メカニズムの解明により近づいている。

 理論的には、utility functionと感情の関係が注目される。感情が報酬系と関係していることは疑いのないところであるが、そこにおけるutility functionの記憶、認識、予想が、自分の身体感覚、取り引き相手に対する心の理論などと相まって、「喜び」、「怒り」、「悲しみ」、「孤独」といったさまざまな感情のスペクトラムを生み出すものと考えられるのである。

 そうして、このようにして生み出された感情のダイナミクスは、被験者の選択へとつながり、結果としてゲームにおける利得函数へと接続されるのである。

 ここに、感情を、他者との相互作用におけるutilityの文脈へと結びつける未完の研究プログラムが立ち現れる。

1月 30, 2010 at 12:02 午後 | | コメント (8) | トラックバック (1)

2010/01/29

人間というものに対する尊敬の念

人間というものに対する尊敬の念

プロフェッショナル日記

2010年1月29日

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1月 29, 2010 at 07:27 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

These were the days when I had to form a sentence before I started to speak

These were the days when I had to form a sentence before I started to speak

話そうとしたら、その前に頭の中でセンテンスをつくらなければならない日々だった。

The Qualia Journal

29th January 2010

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1月 29, 2010 at 07:26 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

いかにして人間をつくるか

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録に、香川県の観音寺で定時制高校の先生をされている岡田倫代さんがいらした。

自分に自信が持てない、自己肯定感の低い子どもたちがいるという。「私なんてどうせ」「ぼくなんか」と言う子が多いのだという。そのような子どもたちに、どうやって自己肯定感を持たせるか、それがまず最初の仕事なのだという。

ぼくは思った。自己肯定感がなく生まれてくる人間など、一人もいない。子どもたちは、自分はできる、チャレンジしようという根拠なき自信を持っている。

そんな子どもたちが、小学校、中学校と通ううちに、いつしか「ぼくはダメだ」「私なんて」となっていくとすれば、それは本人たちのせいではなく、教育システムの失敗と言えよう。

人間ができれば、勉強は後からついてくると岡田さんは言われる。その通りだろう。やる気さえあれば、勉強するための素材は、もはやインターネット上に無料であふれている。これからの教育における目標は、放っておいても自分で勉強し続ける人をつくることではないか。

学術情報は、もはや無料でころがっている。問題は、それに向かう人間力である。そして、人間をつくることができるのは、人間だけである。

いかにして人間をつくるか。これは、生身の人間がかかわるしかない。岡田さんの話をうかがって、「教師は聖職である」という言葉を実感をもって噛みしめた。

「必ず観音寺にうかがいます!」

岡田さんと再会を約した。

1月 29, 2010 at 07:26 午前 | | コメント (12) | トラックバック (4)

2010/01/28

自分の脳には可能性があると信じられるような

自分の脳には可能性があると信じられるような

プロフェッショナル日記

2010年1月28日

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1月 28, 2010 at 08:07 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

There was something definitely primitive in literally eating "from hand to mouth".

There was something definitely primitive in literally eating "from hand to mouth".

「手から口」で食べることには、間違いなく原始的な味わいがあった。

The Qualia Journal

28th January 2010

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1月 28, 2010 at 08:07 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

週刊ポスト 脳のトリセツ 〝脳の高度成長〟を保つコツ

2010年2月5日号

脳のトリセツ 第27回

〝脳の高度成長〟を保つコツ

デフレ時代の今は、自分の脳を低成長社会から切り離す=
「デカップリング」させることが自己防衛の智恵なのである。

抜粋

 脳と社会の関係も同じこと。日本の高度経済成長時代には、「モーレツ社員」というように、社会の動きとシンクロすることで脳が活性化された。今は、むしろ「デカップリング」することが重要。社会とは関係なく、自分の脳の中を、かつての高度経済成長期と同じ血がたぎるような状態にしてしまえばいいのである。
 そのためには、受け身の姿勢ではいけない。「やるべきこと」が与えられるまで待っているのでは、経済の停滞にお付き合いしてしまうことになる。自分のやりたいことは、自分で決める。そして、社会の動きと「デカップリング」させる。これが、「デフレ」の時代に自分の脳を守り、内面の「高度成長期」を維持するために不可欠な、自己防衛の智恵なのである。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100205jp/index.html

1月 28, 2010 at 08:06 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

文明の星時間 等伯の余白

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第99回 等伯の余白

サンデー毎日 2010年2月7日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 長谷川等伯(1539年〜1610年)は、現在の石川県七尾市に生まれ、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師。今年没後400年を迎えて、展覧会などが企画されている。
 代表作の『松林図屏風』は国宝に指定され、多くの人に愛され続けてきた。10年程前にNHKが実施したアンケートでは、調査対象となった日本美術の傑作100点のうち、『松林図屏風』が最も高い評価を受けた。
 まさに、日本人が大好きな『松林図』。その魅力の秘密は、大胆に描かれた「空白の構図」の中にある。日々の生活の中から、空白が失われてしまったように見える現代。それでも、私たちの中には「空白への感受性」が細々と息づいているのだろう。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。


1月 28, 2010 at 08:06 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

奥田知志さん

『おはようニッポン』で、北九州でホームレス支援を続ける奥田知志さんの活動が取り上げられいた。

奥田さんは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも出演された。

絆が、人を生かすから

改めて、なんと温かい、素晴らしい人なのだろうと思った。

誰でも、ホームレスになる可能性がある。自分のこととして、感じ、考えることが必要なのだと思う。

NPO法人 北九州ホームレス支援機構

1月 28, 2010 at 08:06 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

iPad

Twitter上は、発表されたアップルのiPadの話題で盛り上がっていた。

注目すべきニュースが流れた時に、リアルタイムでコメントを発し、共有するメディアとしてtwitterは大変すぐれている。ある意味では、ふだんの「つぶやき」はそのようなemergency時のための「つなぎ」と見なしてもよいかもしれない。

東浩紀さんが、

hazuma やっぱりAppleとかGoogleって「思想」なんだよなあ。商品を売っているのではなく「生の新しい様式」を売っている。そして夢を売っている。それができなければ技術者も経営者も思想家もだめだ。

とつぶやいていた。全面的に共感する。日本のGDPのかくも長き不調は、つまりは思想の不在に起因すると私は考える。

1月 28, 2010 at 08:05 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

「私的言語」を話していたのである

よく晴れた冬の午後。本郷の角川学芸出版で、黛まどかさんと対談していたら、何とはなしにケーキが食べたくなった。

「近江屋のケーキが食べたいな」と言ったら、居合わせた電通の佐々木厚さんが買ってきてくださった。

大学院の時、よく「アルルカン」で昼食をとって、それから、近江屋でケーキを食べて研究室に戻ったっけ。

黛さんが喜んだ。おいしそうに食べる。ぼくはモンブランを頂いた。


懐かしい近江屋のケーキ箱。佐々木厚さんの顔が見える。


うれしそうな黛まどかさん。


ぼくはモンブランをいただきます。

俳句の国際化について。切れ」が本質だという黛さんの着想は、きっと友好だ。僕はtwitterを英語で書く時にいつも感じている。140文字の中に、「切れ」を入れることで世界を重層化しているのである。

明治大学。合田正人さんとの対談の、第五回(最終回)。

合田さんにこの企画に誘っていただいたおかげで、人生の中に一つ「動き」をつくることができた。

合田先生、本当にありがとうございました。

合田さんと議論している時に、ああそうか、と気付いておかしくなった。ヴィトゲンシュタインの言うところの私的言語。本人だけにわかる。他の人にはわからぬ。そんな言語の「素材」自体は、誰にでもわかるような自然言語だということもあるのではないか。

個々の単語の意味はわかる。しかし、その配列がおかしい。話者本人にはわかっているが、全体として私的言語になっている。そんな可能性に思い至った。

例えば、18歳の時からの私の親友である塩谷賢。
一つひとつの単語は、確かに日本語なのに、全体として何を言っているのかわからぬ。「真性異言」とも言いたくなる。だからと言って、支離滅裂だというわけでもない。

聴いている人にはわからないのに、本人には、自分の言っていることの脈絡がついているとする。それこそがまさに「私的言語」ではなかろうか。

塩谷は、かくも長きの年月において、「私的言語」を話していたのである。

1月 28, 2010 at 08:04 午前 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2010/01/27

明治大学 脳科学と哲学の対話 (本日)

脳科学と哲学の対話

第五回題目:<新しい学>へ向けての対話 ースピノザ、ヴィトゲンシュタインから

2010年1月27日(水)16時20分〜17時50分

明治大学駿河台校舎アカデミーコモン
3階 アカデミーホール


合田正人教授「フランス文学演習」の枠で開催されますが、どなたでも聴講可です。

詳細

1月 27, 2010 at 07:51 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

「トリセツ」

「トリセツ」

プロフェッショナル日記

2010年1月27日

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1月 27, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

In a flash, I realized how stupid I had been.

In a flash, I realized how stupid I had been.

一瞬にして、私は自分の愚かさを悟った。

The Qualia Journal

27th January 2010

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1月 27, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

表現者としての美しい魂

 「オールナイトニッポンサンデー」のゲストに、加藤ミリヤさんと清水翔大さんがいらした。

 お二人が歌う「Love Forever」は素晴らしい楽曲。一つひとつの言葉が、ストンストンと頭の中に染みこんでくる。

君に出会えてよかった
切ないけれどよかった
ひとりの夜もそばにいてくれた
世界にたったひとりの
君に出会えてよかった
思い出は 夜の空 星になり 輝くよ

 音楽は、一つの音符の次にどのような音符がくるかで印象がかわる。長調と短調が典型である。つまりそこには固有の文法があり、広義な意味で、一つの「言語」である。

 音楽ができる人は、それだけで「バイリンガル」となる。聴くだけではいけない。自分で音楽をつくり、演奏し、歌うことで感覚性学習と運動性学習のループを閉じて、初めて音楽という言語を獲得していると言えるのである。

 良い楽曲とは、つまり、音楽と言語という二つの言語に通じるバイリンガルの固有感覚から生まれるのであり、ふだんは自然言語の中だけで生きている者にも、斬新な視点を与えてくれる。

あの日君がくれた夢の欠片
この手握りしめて離さない
きっとこんなに本気になれた愛
二度とない
君と出会えて世界は変わった
心動かす君探していた
あの日の二人に戻れなくても
離せないよ

作品がすべてであり、そこに向かう努力は惜しまず、そしてその結果としてどのように受け止められるかということについては言い訳をしない。清水翔大さん、加藤ミリヤさんは、そんな表現者としての美しい魂をもっていた。

放送は2010年1月31日(日)18時からです。


 ニッポン放送オンデマンド 

1月 27, 2010 at 07:49 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2010/01/26

プロフェッショナル 小野二郎

修業は、一生終わらない

~すし職人・小野二郎~

寿司界の至宝、小野二郎さん。

世界最高齢の「三つ星シェフ」として、ギネスブックにも認定される。

そのお仕事ぶりからは、一つの道を究めることの素晴らしさ、厳しさが伝わってくる。

今回、多くの声にお応えしてアンコール放送します。

新たに取材したVTRも加わって、「小野二郎の世界」をたっぷり堪能することができます。

乞うご期待!

NHK総合
2010年1月26日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

日経BPコラム 9割の「見えない仕事」を突き詰める
~すし職人 小野二郎~ (produced and written by 渡辺和博)

1月 26, 2010 at 07:40 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

かなり高い蓋然性を持ってある言明をすること

かなり高い蓋然性を持ってある言明をすること

プロフェッショナル日記

2010年1月26日

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1月 26, 2010 at 07:40 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

Equations for happiness could be simplified

Equations for happiness could be simplified

幸せの方程式は簡素化できる

The Qualia Journal

26th January 2010

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1月 26, 2010 at 07:39 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

まるで生態系のよう

 京都大学原子炉実験所に、山名元先生を訪問する。
 
 原子力発電においては、さまざまな元素の相互転換のネットワークをどのようにとらえ、循環させていくかが本質的な問題となる。

 天然のウランの約0.72%を占めるウラン235は、半減期が約7億年で、原子炉内の分裂の過程でさまざまな核種ができる。

 ウラン、プルトニウム、アメリシウムなどのさまざまな核種の間の相互遷移関係のありさまは、まるで生態系のよう。いかにそれらの性質を活かしつつ、効率的かつ安全な核燃料サイクルを構築するか。
そのような目的を支える科学的知見を探求するのが山名元さんのテーマである。

 一つの研究分野の中には、その中に深く分け入って初めておぼろげに見えてくるような頼もしくも知的刺激に富んだ課題がある。山名先生とお話した二時間のうちにも、研究哲学から実際上の機微まで、さまざまな思いもしなかったモティーフが通り過ぎていって、その感触が忘れがたかった。

 月を見上げる。どんどん成長している。昔の人は、夜ごとのその変化に目を見張ったことだろう。

1月 26, 2010 at 07:39 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2010/01/25

「一回性」や「多様性」によって

「一回性」や「多様性」によって

プロフェッショナル日記

2010年1月25日

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1月 25, 2010 at 07:19 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

I would like to embrace the clumsy in me, in everybody.

would like to embrace the clumsy in me, in everybody.

自分と、他人の中のぎこちなさを抱きしめる

The Qualia Journal

25th January 2010

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1月 25, 2010 at 07:19 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

喋っているうちにどんどんイキイキとした表情に

 朝日出版社で、英語の学習法についての座談会。英語について、何らかの基準で実力を図る。そのような発想から、自分がはるか遠くに来ていることを感じた。
 いくら、英検やTOEICで計量したとしても、それが自己目的化してしまっては、意味がないのではないか。
 「野生の英語」。具体的な人生の現場において輝く英語の力こそが本当の問題である。

 そんなことを熱く喋っていたら、写真を撮る人が、最後にもう一度撮らせてくださいと言った。

 座談会で、喋っているうちにどんどんイキイキとした表情になったと言うのである。

 初めて関空へと飛んだ。羽田からの飛行は、ずっと比較的低空で(6700メートルくらいかな)、地上の光が見えていた。

 東京から名古屋、大坂にかけての太平洋ベルト地帯は、世界でも例がないほど人口が途絶えない。新幹線に乗った外国人が、東京から名古屋まで、一つの都市かと驚くという話を聞いたことがある。それを、空の上から実感した。

 朝、ホテルの部屋から外の風景を見る。等伯の『松林図』をかつて二時間ずっと見ていたことがあった。それと同じように、興味深い風景は心を立ち止まらせることができる。さまざまな波動を巻き起こしながら。

1月 25, 2010 at 07:19 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2010/01/24

新潮社の本棚

 新潮社には、10万部を超えた本だけが革装されて並べられる「殿堂」の部屋がある。

 先日の仕事の際に、久しぶりにこの殿堂部屋を訪れた。

 拙著『ひらめき脳』もあるはずなのだが、たまたま見あたらなかった。

 「誰かがデザインの参考にするために持ち出しているのでしょう」と北本さん。

 新潮社というぼくが大好きな出版社の歴史が感じられる部屋。


「殿堂の本棚」をのぞき込む北本壮さん。見守る吉村栄一さん。


本のお仕事。吉村栄一さんと北本壮さん。

1月 24, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

脳科学的には

脳科学的には

プロフェッショナル日記

2010年1月24日

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1月 24, 2010 at 07:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

I'll beat you up, heat you up, and eat you up!

I'll beat you up, heat you up, and eat you up!

やっつけるぞ。煮ちゃうぞ! 食べちゃうぞ!

The Qualia Journal

24th January 2010

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1月 24, 2010 at 07:38 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

私が今まで聴いてきたパネルの中でも、最高のもの

 人間の知性というものが、この世界に適応することの助けになってくれるとすれば、それを鍛えることはつまりはよりよく生きることにつながるはずである。

 その際に必要なのは、何よりも「自由」。いい加減なことや、適当なことを言うのではなく、何が真実なのかをあくまでも見きわめること。そのような勇気が、結局は知性を高めることにつながる。

 京都大学経済研究所主催のフォーラム。「京都からの提言:これからの社会のために」

 坂東昌子さん、小西行郎さん、鎌田浩毅さん、間宮陽介さんによるパネル・ディスカッションが出色だった。

 丁々発止としたやりとりは、その知性の集積度と思考の自由の追求において、私が今まで聴いてきたパネルの中でも、最高のものだったと思う。

 子どもたちに、「いかに生きるべきか」ということをどう伝えるか? ともすれば建前の、風通しの悪い議論になりがちなこの問題を論ずるに当たって、四人のパネリストがとった態度は、学問的に真摯であり、世間の浅薄な風潮に対して批評的であり、聴いていて実に愉快であった。
 
 この素晴らしい会を企画した京都大学経済研究所に対して、惜しみない拍手を送りたい。

1月 24, 2010 at 07:38 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2010/01/23

どのような心理状態で

どのような心理状態で

プロフェッショナル日記

2010年1月23日

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1月 23, 2010 at 10:18 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

Everything was so unexpected.

Everything was so unexpected.

すべては予想されないことだった。

The Qualia Journal

23rd January 2010

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1月 23, 2010 at 10:18 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

電子出版の動き

 新潮社で仕事。それから、Brusselsで話をした。北本壮さん、葛岡晃さん、金寿喚さんといったおなじみの顔ぶれ。 

 話題の一つが、電子出版の動きだった。Amazon KindleやSony e-book reader, 発表間近のAppleのtabletなど、ここのところ電子的に本を配信し、読む動きが加速化している。

 出版の未来はどうなるのか。私が心から尊敬する編集の方々の顔を眺めながら、この人たちの役割がなくなることはないだろうと思った。

  本は、ただ自分一人で書けば良いというものではない。企画をどう立てるか。客観的に見て、どのような文脈にそれは入っていくのか。内容に誤りはないか。著者と編集者がさまざまなやりとりをする中で、初めて本が形をなしていく。

 著者だけだと、どうしてもモノローグになる。もちろん、理念的には、熟達した著者が編集者の役割も自ら兼ねて仕事をしていくということは考えられるが、それは少数派に留まるだろう。

 例えば、「校閲」の仕事一つをとっても、新潮社のプロの力量には驚くべきものがあり、それと同じことを著者が単独でやるのは不可能だ。

 本を作るということは、つまりは「ものづくり」の側面がある。質を高めるためにも、editorialの仕事は消えることがないだろう。

 むしろ、激変するのは流通の方ではないか。

 吉村栄一さんは、ニューヨークにオノヨーコさんのコンサートを独自取材に行くそうです。

 注文に応じて関連記事を書くそうなので、興味がある新聞、雑誌、ウェブ媒体等の編集の方は、吉村さんにご連絡ください!


なかよし。金寿喚さんとBrusselsにて。吉村栄一さん撮影。

1月 23, 2010 at 10:18 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2010/01/22

『茂木健一郎のアルキミミデス』

『茂木健一郎のアルキミミデス』

美術評論家/橋本麻里 脳科学者/茂木健一郎

『茂木健一郎のアルキミミデス イントロダクション:耳を澄ませば。』

http://www.radiodays.jp/item/show/200315

『茂木健一郎のアルキミミデス vol.1 森の奥にはインターネットがある。』

http://www.radiodays.jp/item/show/200316


1月 22, 2010 at 08:22 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

緊張のスパイラル

緊張のスパイラル

緊張のスパイラル

プロフェッショナル日記

2010年1月22日

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1月 22, 2010 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Please can I have a T.V. show which can be enjoyed in 30 minutes

Please can I have a T.V. show which can be enjoyed in 30 minutes

どうか、お願いです、30分で楽しめるテレビ番組を下さい。

The Qualia Journal

22nd January 2010

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1月 22, 2010 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ことづくり

 NHK。『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。

 東京メトロで「スジ屋」(列車の運行のダイヤグラムを作る人)をしている牛田貢平さんがゲストでいらした。

 牛田さんは、組織に勤める人間として「スジを通す」ことを信条としている。たとえ、周囲の人たちと意見が合わなくても、必ずしも「長いものに巻かれる」のではなく、自分が信じるスジを通すのである。
 
 ただし、そのためには、テーマとなっていることについて、現場に足を運び、データを集め、徹底的に考えて、自分の中で「これで間違いない」という確信が生まれなければならない。そうでなければ、反対を受けた時に、「いや、これで正しいのです」と貫くことができない。すなわち、スジを通すには、自分に厳しく、常に高め、鍛錬して行かなければならない。

 自分で確信を持てない時には、周囲の人の意見を尊重する。そう言って、牛田さんは笑った。自分自身の中に厳しい基準を持つ人ならではの、見事な柔軟さだった。

 東京中にネットワークを張りめぐらせる東京メトロ。東京という都市が発展し、人の流れが変わると同時に、輸送トレンドも変わり、ダイヤもまた変化しなければならない。東京という都市が生きているのと同様に、列車の運行ダイヤもまた生きているのだと牛田さんは言う。

 列車の運行ダイヤは、鉄道会社にとっての最大の「商品」だという牛田さんの言葉に大いにインスパイアされた。各時間帯の旅客の数や、動きの特徴、相互乗り入れしている他の鉄道会社との兼ね合い、車両や人員の配置等、さまざまな要素を勘案して初めて列車のダイヤという「商品」が生み出されるのである。

いわば、それは、鉄道会社の物質的現実に根ざした一つの「ソフトウェア」であり、運行のスジを引くためにあれこれと工夫することは、つまりは一つの「ものづくり」である。

日本人が得意な「ものづくり」を、物質的な「もの」に限定するのではなく、目に見えないソフトウェアを含めた「こと」に広げることの大切さ。牛田さんは、一人の卓越した「ことづくり」の達人であった。

 家に帰ると、フジテレビから花が届いていた。水曜日に放送された『ベストハウス123』が高視聴率だった由。番組作りにかかわる「ことづくり」の職人たちの苦労を知っているだけに、好評だったことがうれしかった。


フジテレビから届いた花束

1月 22, 2010 at 08:21 午前 | | コメント (13) | トラックバック (2)

2010/01/21

おいしい水彩帖

 私の小学校時代からの親友、井上智陽の『おいしい水彩帖』はとても良い本です。

 智陽はイラストレーター。ある時期から、食事をする際に料理を水彩で描く「楽食」を始めました。『かまくら楽食日記』はベストセラーとなりました。

 これからの時代は、受動的喜びから能動的喜びへとシフトして行くのでしょう。食を味わうということが、受け身だけで良いはずがありません。水彩でその官能の世界を捉えることは、脳にとっての何よりの滋養になりましょう。

 「楽食」ということを離れて、生活の中で絵を描くという方法論としても、『おいしい水彩帖』はすぐれた入門書となっています。「絵を描きたい」と思っていながら、なかなか実行できないでいる人にとっては、『おいしい水彩帖』は最初の一歩を踏み出すための後押しをしてくれることでしょう。

 本には、著者の人柄がにじみ出るもの。井上智陽が、芯の芯までこんがりと黄色いバターのようにいいやつであることは、私が保証いたします。読後感はとてもさわやかであります。

井上智陽 『おいしい水彩帖』 廣済堂出版

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1月 21, 2010 at 08:53 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

気持ちだけゆっくり言いましょうか。

気持ちだけゆっくり言いましょうか。

プロフェッショナル日記

2010年1月21日

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1月 21, 2010 at 08:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

A plum blossom seem to symbolize a distant past long forgotten

A plum blossom seem to symbolize a distant past long forgotten

梅の花は忘れ去った遠い過去を象徴している

The Qualia Journal

21st January 2010

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1月 21, 2010 at 08:38 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

失敗が、実は巧みな適応である場合

ゼミ。The Brain Club。五反田のチェゴヤでの昼食から始まる。

 高野委未さんの修論の発表練習。

 高野さんは、英語で修論を書いている。その文章はつながりがあって、粘りがある。素質がある。

 高野さんのpowerpointを見ながら、皆でdebuggingをした。

 内容についての議論も沸騰して、大いに盛り上がった。
 
 それで、もともとBrain Clubでは高野さんの修論発表と箆伊智充と私による論文紹介(Journal Club)をやる予定だったが、箆伊が論文紹介をして時間切れになって、私は研究所を出なければならなかった。

 普通ならば、次回のゼミに回すのだろうが、私は性分として今回やろうとしていたことを持ち越すことができないので、どんなことを喋ろうとしていたかをここで書いて、次回はまた別の論文をやることにする。

 ゼミ参加者は、以下を参照して、後は自分で論文を読んでね。

 取り上げようと思っていたのは、Daizaburo Shizuka & Bruce E. Lyon. Coots use hatch order to learn to recognize and reject conspecific brood parasite chicks. Nature 463, 223-226. (2010).

 カッコーなどの一部の鳥類は、他の鳥の巣に「托卵」をすることが知られている。哀れな親鳥が、自分よりもはるかに大きくなってしまったカッコーの雛に懸命にエサをやっている様子は衝撃的である。


Reed Warbler feeding a Common Cuckoo chick in a nest.
From Wikimedia.
 
 なぜ、人間の目から見れば明らかに異なる他の鳥の雛を育ててしまうのか? 自分の雛がどのようなものであるかということを「学習」して、そうではない雛を排除すれば良さそうなものだが、このような戦略には脆弱性がある。もし、最初に孵化した雛が別の種の雛だった場合には、それが自分の雛であると「刷り込み」され、parasiteの雛が判断する際のtemplateになってしまって、かえって自分の雛を排除してしまう可能性があるからである。
 
 すなわち、自分の雛がどのような姿をしているかを学習して、そのことによってその後のparasiteの侵入を防ぐという戦略は、学習結果に誤差がない(あるいは少ない)状況において初めて有効になるということになる。

 著者らは、水鳥の一種であるオオバンの同種間の
托卵行動を観察した。その結果、次のようなことを見いだした。オオバンは、確かに最初に孵化した雛を「ひな型」として、その後の雛を区別している。最初に孵化したのが自分の雛である場合、その後かえった雛のうち、自分の雛が成長する確率が有意に高くなる。一方、最初に孵化したのが寄生の雛である場合、その後寄生の雛が成長する確率が有意に高くなる。

 最初に孵化した(一般には複数の)雛の中に自分の子孫と寄生の子孫がどれくらいの割合で混ざっているかということを、template typeと表現するとすれば、オオバンのこのような学習戦略は、自然界におけるオオバンの巣の中のtemplate typeの分布が、多くの場合自分の雛のみからなる時に、初めて有効であるということになる。

 著者らは、調査の結果、実際、オオバンの巣の中のtemplate typeは、自分の雛のみからなる場合が多数を占めることを見いだした。すなわち、オオバンの学習戦略は、学習環境と整合性を持っていて、自分の遺伝子を残すという意味において有効であることが示されたのである。 

 以上がSizuka & Lyon (2010 )の内容の概略であるが、私たちは、この研究から、どのような教訓を引き出すことができるのだろうか?

 人間のような高等生物における認識、学習のメカニズムにおいても、不思議なほど発達していない機能がある。それが、failureとして顕在化する。

 たとえば、change blindness。視野の中で大きな変化があっても、それに気付かないで同じだと見なしてしまう。
 あるいは、私たちの記憶のシステム。多くの場合不完全だし、ニセの記憶がつくられたり、都合の良いように編集されてしまうこともある。

 このようなcognitive system, learning systemのfailureは、「本来は完全であることが望ましいのに、neural resourcesの限界で不完全に留まっている」と見なされがちだが、そうでもない可能性もある。すなわち、学習戦略のrobustnessという視点から、むしろ現在のような状態が望ましいのかもしれない。

 photographic memoryを持ついわゆるidiot savantの人たちが、social skillにおいて様々な困難を抱えていることはよく知られている。では、social contextにおけるadaptationは、計算論的にはどのように定式化できるのか? Sizuka & Lyon (2010 )が研究した托卵行動のように、明確な定式化ができるようなパラダイムはあるか? 
 その文脈におけるadaptationの一つのinstanceとして、現実に私たち人間の脳が持っている認識、学習の戦略を説明できるか?

 私は、The Brain Clubでそのように君たちに問いかけたいと考えていたのである。
 
 失敗が、実は巧みな適応である場合がある。そのような視点が必要だろう。

1月 21, 2010 at 08:38 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2010/01/20

プロフェッショナルたちの脳活用法(2)

NHK出版
生活人新書
プロフェッショナルたちの脳活用法(2)
育ての極意とアンチエイジング

『プロフェッショナル 仕事の流儀』 「脳活用法スペシャル」の内容に加えて、今まで番組に登場してきたプロフェッショナルたちの仕事や生き方の中から、子どもを育てる、部下を育てる、さらには自分を育てるためのノウハウを抽出しました。
さらに、脳を若く保つための考え方、方法論をも探った刺激的な一冊です。

amazon


1月 20, 2010 at 09:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

ぴったりと収まるように収録できると

ぴったりと収まるように収録できると

プロフェッショナル日記

2010年1月20日

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1月 20, 2010 at 07:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

The cloud has already arrived

The cloud has already arrived

雲はすでに到着している。

The Qualia Journal

20th January 2010

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1月 20, 2010 at 07:40 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

週刊ポスト 脳のトリセツ 龍馬になってわかること

2010年1月29日号

脳のトリセツ 第26回

龍馬になってわかること

抜粋

 偉人の生涯を、どれほど詳しく調べ上げたとしても、それは「感覚性」の学習に過ぎない。本当にその人生がどのようなものであったかということは、その偉人の人生自体を生きてみないとわからない。しかし、そのような「運動性」の学習を実際に行うことはもちろん不可能である。
 「大河ドラマ」というフィクションの形でも、坂本龍馬というひとりの人間の生涯をたどることで、運動性の学習をシミュレーションできる。龍馬が、人生の分岐点においてどのような決断をし、行動したのか。それを一つひとつたどることで、あたかも自分が龍馬自身になったように、運動野を含む脳の活動が追体験される。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100129jp/index.html

1月 20, 2010 at 07:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

文明の星時間 英語で読む漱石

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第98回 英語で読む漱石

サンデー毎日 2010年1月31日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 『三四郎』を英語で読むと、どのような味わいがするのだろう。熊本から大学に入るために上京してきた三四郎の、青春のときめきと挫折の物語。美禰子に対する愛と、その喪失。「大論文を書く」と言って実は何もしない与次郎との交流。深い見識を持ちながら、世間的には恵まれない「偉大なる暗闇」、広田先生の教え。その文学性の本質は、英語の世界にどのように移し替えられるのか。
 前から一度英語で読んでみようと思っていたが、なかなか果たせなかった。ふと思い立ち、年末年始の休みを利用して、英訳の『三四郎』を読んでみた。
 訳者は、村上春樹さんの『ノルウェーの森』、『ねじまき鳥クロニクル』などの英訳で知られるジェイ・ルービンさん。読みたいと思って一分後には、電子ブックリーダー、「アマゾン・キンドル」にアメリカのサイトからダウンロード。さっそく読み始めた。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。


1月 20, 2010 at 07:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

ベーゴマをやっている時にも

 明治神宮の森を抜けて、NHKへ。

 どうしてもやらなければならず、そうして要求水準の高い仕事を抱えていた。そのような時は、参道を歩いていても自然と気が引き締まる。

 坂本龍馬は、26歳で脱藩する前夜、和霊神社に参拝した。神社とは、決して神頼みの場所ではなく、一つの決意を示すところなのだろう。それならば、参拝することの意味も科学主義へと接続される。

 神様に向って手を合わせる。それが、自分自身に対する誓いの表現だとすれば、何の不合理性があろう。この世に、本当は、不合理なことなど一つもない。曖昧なことも一つもない。あるとすれば、ただ、文脈の齟齬だけである。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の打ち合わせ。4階の通用口から入る。

 三上ディレクターの初仕事。VTRに合わせてコメントを読み上げる。その声が力強い。

 再び明治神宮の森を通った。上を向いて、梢のあたりの光を見つめていた。長谷川等伯の『松林図』を見つめるように、目の前の風景を見る。そこにはブラシのタッチこそないにせよ、イキのいいサンマのような鮮やかな色はある。

 2時間。一生懸命に仕事をする。終えて、トイレに立ち、帰る時に新潮社の北本壮さんに「送りました」と伝えたら、北本さんが、「あっ、ありがとうございます」とあのこんがりとよく焼けた肌のような声で応えてくださった。

 そうやって、私の一日が過ぎていく。もうこれ以上、どんなやり方があるというのだろう。7歳で友だちと夢中になってベーゴマをやっている時にも、毎日がパンパンに膨らんで感じられていた。

1月 20, 2010 at 07:38 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2010/01/19

プロフェッショナル 加藤友朗

プロフェッショナル 仕事の流儀
最後の希望 覚悟の手術 
~移植外科医・加藤友朗~

加藤さんとお話していると、「医は人術」だと思えてくる。

 最先端の手術のテクニック、卓越した技術はもちろん、患者に向き合う姿勢、医療というもののあり方についての哲学をすべて総合して、加藤友朗というひとりの人間の「人間力」が限りない力となって発揮されているように思うのである。
 だとすれば、加藤さんのお仕事ぶり、生き方に接して私たちに伝わってくるものもまた、一つの「人間力」であるし、そうでなければならないのではないか。
 今ほど、「人間力」が必要とされている時代はない。医療が、人の生命を救うだけでなく、携わる者の人間力をも育むとすれば、私たちはそこにこの時代における希望を見るのである。

NHK総合
2010年1月19日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

日経BPコラム 難問に直面しても「簡単にNOと言わない」生き方
移植外科医・加藤友朗 (produced and written by 渡辺和博)

1月 19, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

まるで勇気づけるかのようにゲストに歩み寄り

まるで勇気づけるかのようにゲストに歩み寄り


プロフェッショナル日記

2010年1月19日

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1月 19, 2010 at 07:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

You know pragmatism is different from utilitarianism.

You know pragmatism is different from utilitarianism.

君が知っているように、プラグマティズムと功利主義は違う

The Qualia Journal

19th January 2010

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1月 19, 2010 at 07:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お前にとっては建築だが、オレにとっては彫刻

 東京に戻って、市ヶ谷の法政大学へ。塩谷賢がやっている科学哲学の授業が最後だから、顔を見てご飯を食べながら少し議論でもしようと思った。

 着いて、トイレに入ったら、外から塩谷の声が聞こえる。
 急いで出て、エレベーターの前でつかまえた。
 「あれ、もう終わったのか?」
 「最後の日は、授業アンケートなんだよ。」
 「そうか。」

 そばでも食べよう、と一緒に歩きだした。

 塩谷は、先日の本人申告によると120キロ。どうしても、横を歩いていると、お腹をポンポン叩きたくなる。
 何回かやっているうちに、本人も気付いて、私が手を動かすと守るようになった。ベラベラ喋り続けながら手をさっと前に出すので、何だか「自動人形」みたいで面白い。

 「反応が早くなったなあ。」
 「なんのこっちゃい」
 「それにしても、大きいなあ。何が入っているんだろう。」
 「皮下脂肪はせいぜい5センチくらいだろ。あとは、腹膜の下にあるんだよ。」

 「そうか。お前、そのうち食糧危機がくるから蓄えているんだ、とずっと言っていたけれども、なかなか来ないな。」
 「いやあ、最近の地球の様子を見ていると、わからないよ。」
 「生活する中で、お腹がじゃまにならないか。」
 「確かに、お腹が出ているから、起きる時にちょっと困る。起きにくいんだ」
「どうやって起きるんだい?」
「まず横にごろっと転がるんだよ。それから起きる。」

 大学入学の18の春からずっと親友関係を続けてきた塩谷とならではの、気楽な会話。
 時々お腹をぽんぽん叩く。その度に、塩谷がさっとお腹を守る。

 昼食のテーブルにつくと、塩谷がさっそく取り出した手帳に見覚えがある。
 「あれ、それ東大の手帳じゃないか。」
 「ずっとこれ使っているよ。」
 「どうして?」
 「慣れているというのもあるけれども、一番大きいのはこれさ。」
 
 手帳の中から取りだした住所録に確かに見覚えがある。
 「それ、前使っていたのと同じやつだ!」
 「そうなんだよ。これがちょうど収まるんだよ。連絡先はここにみんな書いてあるよ。薫君だろ、お前のもあるだろう。田森の携帯番号は、今でもこれでいいのかなあ。」


手帳を取り出す塩谷賢氏

 肉まんを食べながら、英米の分析哲学についての話をした。
 「プラグマティズムと功利主義は違う。」
 塩谷はそうのたまった。

 再び外を歩き始める。

 空間の「強制性」についての議論をする。
 塩谷が、建築と彫刻の話をする。

 「建築というのは、包まれるものさ。強制性が高い。その一方で、彫刻は強制性が弱いだろ。」
 「なるほどなあ。してみると、お前の身体は、お前にとっては建築だが、オレにとっては彫刻なんだなあ。」
 「たまにはうまいこと言うな。」
 「うるさい! お前の身体は、お前にとっては建築なのか。大変だな!」

 私の身体は、私以外のすべての人にとっては彫刻であるが、私にとっては建築である。
 ちょっと住み心地を良くするようにがんばろうと思う。

 本の対談で杏さんとお話しする。
 今は『福翁自伝』を読んでいるという。
 とても真っ直ぐで素敵な人。

 いろいろなことについて、深く考えているということが伝わってきた。

 杏さんは、自分が今やっていることが、後世から見てどのように映るか、考えているのだという。

 「歴女」の、能動的な、そして本来の定義がそこにある。

1月 19, 2010 at 07:48 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2010/01/18

プロフェッショナルとは?

プロフェッショナルとは?

プロフェッショナル日記

2010年1月18日

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1月 18, 2010 at 06:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Ilya Farber

Ilya Farber

イリア・ファーバーとの対話

The Qualia Journal

18th January 2010

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1月 18, 2010 at 06:49 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

JTを小脇に抱えるのが

 このところ、駅のキオスクでJapan Timesを買うのが習慣となっている。
 英字紙は、Herald Tribuneを宅配で購読していたことがある。その頃の私の考え方は、できるだけGlobal Standardでということで、ニュースが世界共有のものが多いHerald Tribuneを読もうというものだった。

 それが、さすがに毎日英字紙が来ても留守がちの私としては読まずに溜まってしまうということで、キオスクで買うスタイルに改めた。しばらくはHerald Tribuneを買っていたが、そのうちに次第にJapan Timesに移っていった。

 一つの大きな理由は、英語で日本のことを表現しなければならないという強い動機付けを持つに至ったということがある。
 日本人は、今まで、自分たちの生活のこまごまとしたことは普遍化できないと思い込んでいたところがあって、英語宇宙に移し替えることをさぼってきた。しかし、それでは、日本人の魂は救われないと確信するに至った。

毎日ウィークリーに月一度連載している英文エッセイのテーマを、一月からJapanese Journeysと題して日本文化についての随想にしたのも、そのような思いからである。

"Up to the chef" (毎日ウィークリー1月16日号)

Japan Timesを読むと、当然のことながら日本のことの様々が、英語で表現されている。
その一方で、海外の通信社や新聞社との協力で、Global Standardな記事も多い。

The Japan Timesという題字の上には、ALL THE NEWS WITOUT FEAR OR FAVORとある。

いつしか、Japan Timesは、私の一番好きな新聞へと成長していった。

今や、JTを小脇に抱えるのが東京を歩く時の私の「ユニフォーム」となっている。

1月 18, 2010 at 06:48 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2010/01/17

(本日) 文化講演会

文化講演会

NHKラジオ第2 

2010年1月17日 21時〜22時

茂木健一郎 『心と脳』

http://www.nhk.or.jp/r2bunka/bunka/index.html

1月 17, 2010 at 04:17 午後 | | コメント (7) | トラックバック (0)

『「読む、書く、話す」脳活用術』発刊記念講演会

HP研究所『「読む、書く、話す」脳活用術』
発刊を記念して、講演会を開催します。

今回は、特に、日本語、英語を始めとする
「言語」の習得とその活用について、
体験的なノウハウ、生きる上での哲学について
考察します。

会場は、PHP研究所社屋内のホールです。

PHP研究所の「ホームグランド」での、
熱気のある時間になるものと予想されます。


みなさま、ぜひいらしてください。


2010年2月3日(水)19時30分〜
PHP多目的ホール(PHP研究所東京本部内)
(地下鉄半蔵門線「半蔵門駅」下車、5番出口
すぐ東急一番町ビル2階)

詳細、申込み方法

1月 17, 2010 at 10:59 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

その笑顔は苺のように

その笑顔は苺のように

プロフェッショナル日記

2010年1月17日

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1月 17, 2010 at 07:37 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

The parameter space for character heterogeneities

The parameter space for character heterogeneities

性格の多様性のパラメータ空間

The Qualia Journal

17th January 2010

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1月 17, 2010 at 07:36 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

縁があるから

大阪で、今森光彦さんと対談。

里山について、質疑応答を含めて120分、お話を続けた。

それでも語り尽くせないように感じるほど、人間の営みと自然が共存する中で初めて生み出される「里山」という空間の持つ意味は、奥深い。

人間が手入れをして、初めて維持される自然の多様性がある。人間が定期的に手を入れなければ生えない植物があり、その植物を食草とする蝶がいる。そうして、そのような里山のあり方が、今脅かされている。

従来の自然保護の概念が、人間が一切手をつけない「自然」というものの純粋さを措定していたとすれば、「里山」にはそれとは別のアプローチが必要。

そして、今森さんが言われるように、里山の中に身を置くことは、とても気持ちが良いことなのである。

「どこか一カ所フィールドを決めて、春、夏、秋、冬と季節がめぐる中で、通い続けるといいです」と今森さんは言われた。

何よりも、自然と人間の営みの調和ということを、知識ではなく体験することが求められている。

京都で、竹岡広信さんとお目にかかる。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』第9回 「”なにくそ!” 負けたらあかん 英語講師 竹岡広信」(2006年3月14日放送) 

今森光彦さんとの対談を収録する段取りをつけて下さった樺沢泉さんがご紹介くださった。

(今森さんとの対談は、そのうちpodcastされる予定です)

ちなみに、「いつも女子名簿に入れられて困っていたんですよ」と言う樺沢さんは、「泉」という名前でありながら立派な男子である。

竹岡さん、樺沢さんと三人で、教育のこと、英語のこと、いろいろなことを話しあった。

お店は竹岡さん御推薦の「くいしんぼー山中」。おいしい肉を頂きながら、大いに楽しかった。

竹岡さんが手元に持っていた英語の入試問題。びっしりと書き込まれたその詳細な分析の深さに、頭が下がった。

情熱の人。

情熱は、必ず、「自分」というものを離れた他者との行き交いの広々とした空間の中に育まれる。

縁があるから、私たちは生きていける。

1月 17, 2010 at 07:36 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2010/01/16

(本日)今森光彦さんとの対談

今森光彦さんと大阪で対談いたします。

20世紀を考える上での
キーワードの一つ「里山」。

自然と人間が調和した美しい
里山の様子を撮影してきた
今森さんと、深い話を
したいと思っています。

自分自身の生命の「明日」のために。

みなさん、会場でお待ちしております。

詳細

2009年1月16日(土) 14時〜16時
大阪YMCAホール


今森光彦さん

1月 16, 2010 at 08:06 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

そのような詳細を知らないままに

そのような詳細を知らないままに

プロフェッショナル日記

2010年1月16日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

1月 16, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Relatively mild

Relatively mild

比較的おだやかな。

The Qualia Journal

16th January 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 16, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

ソフトウェアの卓越に支えられて

電通でミーティング。

東京工業大学の大岡山キャンパスへ。

量子重力、量子情報がご専門の細谷 暁夫さんと、
『日経サイエンス』の対談。

量子力学の観測問題について、「認識論」と「存在論」の狭間で、興味深い話をいろいろうかがった。

AhronovのWeak measurementがとても面白い。

細谷先生の部屋には、内山龍雄先生の手紙が額装されて置いてあった。

内山先生の相対性理論の本で育った私。細谷先生から生前のご様子をうかがって、深い感慨があった。


細谷暁夫先生と。
東京工業大学大岡山キャンパスにて。

朝日カルチャーセンター。中国文学がご専門の加藤徹先生との対談。

「漢文」が、その時々の中国語に対してどのような関係にあったか。深い話をうかがう。

加藤先生が大好きだ!

Amazon Kindleは、ソフトがとてもよく出来ていて、驚くことばかり。

しばらく前からイギリスの新聞Indepdendentをとっていて、心配だったのが、次第にたまってきてメモリが一杯になってしまうのではないかということだった。

新しいissueが「配達」されると、その前のはback issuesに移動するというのは認識していた。しかし、それ以上のワザが隠れているとは思っていなかった。

昨日、新しいのが「配達」されてすぐに「ホーム」からback issueへと行ったら、なんと一週間より前のものは、「archive」へと自動的に移動していた。つまりはネット上にデータがあって、必要ならばそれをダウンロードするのである。

そのような操作が、ユーザーが特に意識しないままに行われているところがすばらしい。しかも、押しつけがましくない。

ここのところのアメリカからのすぐれたハードウェアの登場は、ソフトウェアの卓越に支えられているようだ。

1月 16, 2010 at 07:50 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2010/01/15

Nobel Peace Prize for Google!

Nobel Peace Prize for Google!

http://twitter.com/kenmogi 

1月 15, 2010 at 06:34 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

白洲信哉の探し物

白洲信哉さんが、
「白洲正子 生誕100年展」
に向けて、探し物をしています。

お心当たりの方は、情報をお寄せください。

http://www.shirasushinya.jp/blog/sagashimono.html

1月 15, 2010 at 06:23 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

心に残る「逆境」

心に残る「逆境」

プロフェッショナル日記

2010年1月15日


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1月 15, 2010 at 06:16 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Out in the Open.

Out in the Open.

「オープン」であることの価値

The Qualia Journal

15th January 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 15, 2010 at 06:15 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

文明の星時間 ブームの歴史

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第97回 ブームの歴史
サンデー毎日 2010年1月24日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 私の人生の中で最初に記憶しているブームは、小学校2年生の時に日本中に吹き荒れた「仮面ライダースナック」だった。
 テレビで「仮面ライダー」が放送され、子どもたちの間で大人気となっていた。そんな中、「仮面ライダースナック」が発売されると、仲間内でまたたく間に熱が広がったのである。
 今から考えると、何にそんなに夢中になったのかわらかない。とにかく、カードが欲しくてたまらなかった。特に、「ラッキーカード」を熱望した。
 「ラッキーカード」を送ると、カードを収納するアルバムを送ってくる。「ラッキーカード」はなかなか当たらなかった。幸運にも特製アルバムを手に入れた友だちを見ると、うらやましくて、その嫉妬の烈しさたるや凄まじいものであった。
 そのうち、「仮面ライダースナック」を買って、カードだけを取って後は食べずに捨ててしまう子どもたちが続出。社会問題化した。学校の全校集会で、校長先生が重々しく「食べ物を粗末にしてはいけません」とおっしゃったのを覚えている。
 私は、そもそもあまり買わなかったし、買った時にはスナックをきちんと食べていた。ある時、公園で遊んでいてカードだけを抜き取ったスナックがベンチに2、3袋置いてあったので、友だちと一緒に平らげてしまったこともある。 
美味しかったが、何となく情けなくもあった。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。


1月 15, 2010 at 06:15 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

朝日カルチャーセンター 脳と想像力

朝日カルチャーセンター 新宿教室
「脳とこころを考える」
脳と想像力

第一回

2010年1月15日(金)
18時30分〜20時30分

本日は、中国文学者の加藤徹さんをお迎えして、
対談いたします!

詳細

1月 15, 2010 at 06:14 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

手首のかわりにズボンが

この数年、私は時計はSwatchを
している。

大抵、外国に出かける時に、
成田空港の免税店で買う。

デザインには、「ストライク・ゾーン」
があって、イラストがたくさん入った、
かわいらしいやつを選ぶ。

そうやって、買ったスウォッチが
洗面台のところにたくさんあって、
朝出かける時にどれにしよう、
と選ぶ。

昨年、桑原武夫学芸賞をいただいた
時に、幻冬舎の大島加奈子さんが
青いスウォッチを下さった。

ここのところ、それをしていて、
成田空港でも、しばらくスウォッチを
買っていない。

取材の時など、私の腕のスウォッチを
見て、「かわいいデザインですね」
と言われることがある。

そういう風に言ってもらうために
しているのではなくて、ただ単に
自分の趣味に合っているからしているので
あって、本当はしているのがばれるのが
恥ずかしい。

だから、冬にセーターを着ている時には、
そでをのばして隠してしまったりする。

スウォッチが気に入っている一つの理由は、
プラスティック製で軽いからである。

重い金属の時計が苦手で、がちゃがちゃ
手首に当たるのが好きではない。

スウォッチでさえ、時に手首についているのが
わずらわしくなって、外してしまうことがある。

そんな時は、ズボンのベルトを通すところに
スウォッチをつける。
だから、時々、私の手首のかわりにズボンが
スウォッチをつけていることがある。

先日、英訳で『三四郎』を読んでいて、
swatchというのがもともと一般名詞
として存在するということを知った。

swatch:
a small piece of fabric used to show people what a larger piece would look or feel like

なるほど。
そのような意味ならば、「スウォッチ」
というブランドのイメージとも符合する。

私は布のサンプルを手首につけているの
である。

1月 15, 2010 at 06:11 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2010/01/14

構内をぐるぐると

構内をぐるぐると

プロフェッショナル日記

2010年1月14日


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1月 14, 2010 at 08:04 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

Until I reached an intimidating speed.

Until I reached an intimidating speed.

風を感じるようになるまで走る

The Qualia Journal

14th January 2010

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1月 14, 2010 at 08:03 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳が変わる生き方

PHPエディターズグループの
石井高弘さんに最初にお目にかかったのは、
新宿東口の喫茶「滝沢」
だった。

クラシックな装いの店の
中で、私は石井さんに向き合った。

その時は、いろいろなことを
話したのだと思う。

もう、その店はない。

何度もお目にかかって出来たのが、
『脳と創造性』

自分で言うのも何だが、とてもいい本になった。

入試の文章としても、よく出題されている
ようである。

本を書くということに携わっていない
時は、編集者の役割がよくわかっていなかった。

締め切りの催促をする人、くらいにしか
認識していなかった。

実際に本を書き始めて、10年くらい
たった時にはっとした。

原稿を書いている時に、
向こうで待っている編集者の
顔が浮かぶ。

それによって、文章が変わる。

創造の道を併走しているのだと
気付いた。

打ち合わせや、原稿を送った時の
やりとりで、著者の指先から
流れ出る文章が変わるのである。

石井高弘さんのおかげで、『脳と創造性』
ができた。

石井さんには、その後、
ずっと、「また本を作りましょう」
と言われながら、なかなか果たせなかった。

昨年になって、石井さんが、「茂木さんの
講演をまとめますから」と言った。

そうして、様々な場所で私が喋った
講演を、どうやらまとめ始めた
らしい。

そうやって出来上がったのが、
『脳が変わる生き方』

最初に原稿を見たとき、びっくりした。

ここ数年私が話してきたことの
エッセンスが、とても手際良くまとめられて
いたからである。

私自身が、一人の読者として、
楽しんで読むことができた。

幸い、好評で、もうすぐ10万部に
届くらしい。

石井高弘さんの熱情に、感染する。

ずっと感謝の念を抱いていて、
きちんとお伝えできなかった。

朝から夜まで仕事に追われた
博多の一日の翌朝に、こんな文章を
つづるのである。


石井高弘氏。2008年春の花見にて。

1月 14, 2010 at 08:03 午前 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2010/01/13

フルーツを持ち帰ってくるような

フルーツを持ち帰ってくるような

プロフェッショナル日記

2010年1月13日


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1月 13, 2010 at 07:34 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

The strange destiny of the Love Theme

The strange destiny of the Love Theme

『愛のテーマ』の不思議な運命

The Qualia Journal

13th January 2010

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1月 13, 2010 at 07:33 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

さまざまなメディアが並列する方が

ここのところ、
Amazon Kindleで、
イギリスの新聞The Independentを
とっている。

毎日、時間になると、携帯電話ネットワーク
を通して、紙面が送り届けられてくる。

なるほど、未来はこうなっていくのかと
思う。

日本では報じられないような、Gordon Brown
首相の動静を巡る動きを読んでいると、
政治というものはどこの国でも
偶有性のかたまりだということがわかる。

洞察は、細部に宿る。

Amazon Kindleは英語の世界。

関係者に聞くと、日本で電子ブックリーダーが
なかなか普及しにくい理由として、
出版関係の書籍の電子化に対する
足の遅さがあるのだという。

個人的には、どんどん進めてもらえたら、
と思うけれども、さまざまな考え方が
あるのもわかる。

電子ブックリーダーで一番ありがたい
のは、同時に複数の本を読み進められる
ということである。

現在、私のAmazon Kindleには、
30以上の本が入っている。

ただでさえ、「トレーニングしているんですか」
と驚かれるくらい重い私のリュック。

もし、30冊入れていたら、
とても持ち運べない。

それに、整理が悪いので、
読みかけの本を、どこに置いたか
わからないことがよくある。

本は、「読みたい時が読むべき時」。

「あっ、そうだ、今、この時に、
Sir Anthony KennyのWittgensteinの
フレーゲ論理学のあの読み掛けの先から
読みたい!」
と思っても、紙の本を探している
うちに、そのホットな気持ちが失せて
いってしまう。

電子ブックリーダーならば、
「読みたい」という即興的な衝動を、
そのまま活かすことができる。
私のような分散型人間にとっては、
ありがたい。

もちろん、紙の本も依然として
大切だし、大好きである。

仕事で福岡に来た。

離陸の際には、電子機器が使えないから、
紙の本を読む。

昨日は外山滋比古さんの本。

紙の本がなくなってしまう、
というわけではなく、
さまざまなメディアが並列
する方が、私のような気まぐれ者には
うれしい。

1月 13, 2010 at 07:33 午前 | | コメント (3) | トラックバック (3)

2010/01/12

プロフェッショナル 浅川智恵子

プロフェッショナル 仕事の流儀

あきらめなければ、道はひらける

~研究者・浅川智恵子~

浅川さんが教えてくれるのは、
挑戦し続けることの大切さ。

人間は、挑戦できる存在。

誰でも、どこでも。

こうしてはいられない。

浅川さんのお話をうかがうと、
そんな思いに
駆り立てられます。


NHK総合
2010年1月12日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム 一生追い続ける課題に出逢う喜び 研究者・浅川智恵子 (produced and written by 渡辺和博)

1月 12, 2010 at 09:27 午前 | | コメント (12) | トラックバック (6)

真実の瞬間

真実の瞬間

プロフェッショナル日記

2010年1月12日


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1月 12, 2010 at 09:26 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Now out in the world

Now out in the world

今やそれは世界に出て

The Qualia Journal

12th January 2010

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1月 12, 2010 at 09:26 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

歌舞伎の奇跡 ー市川海老蔵 『伊達の十役』ー

歌舞伎の奇跡
ー市川海老蔵 『伊達の十役』ー

 『伊達の十役』は、七代目團十郎が初演した後、長い間演じられなかったのを、市川猿之助が復活上演して評判になった演目。私は、以前、その猿之助の舞台を何回か見たことがある。まだ学生だった頃である。
 それから時が経って、市川海老蔵が伊達の十役に挑戦するという。心待ちにしていたその日がいよいよ来た。良く晴れた寒い日。新橋演舞場へと向かった。
 海老蔵の歌舞伎への精進は凄まじい。昨年八月にお父さんの團十郎と共演した『石川五右衛門』での、花道を六法で下がる海老蔵の演技が忘れられない。演劇の精髄がまさにエビのように跳ねる。手指の先まで神経が行き届いていて、踊りの精神そのものの化身のようだった。
 その海老蔵が、今回の舞台には期するところがあると聞いていた。猿之助の演出で上演する。以前には、猿之助のまさに十八番だった『義経千本桜』の「四の切」を猿之助型で演じた海老蔵。今回はどんな舞台になるのか、楽しみにしていた。
 定式幕が開く。市川海老蔵が、舞台中央に居ずまいを正して座っている。まずは、これから演ずる伊達の十役についての説明の口上。あらかじめ、芝居の概略を観客に説明しておこうという配慮である。
 変化の魔術が支配する時間はすぐそこ。しかし、口上では、まだまだ「素」の海老蔵が出ている。真っ直ぐで、太陽そのもののような好青年。張りのある、若々しい声。慣れ親しんだ、海老蔵の声。
 それが、最後に「隅から隅までずずずいっと」となると、急に声色が変わる。何かが乗り移ったように、空気が移る。演舞場の客席のあちらこちらを「にらむ」海老蔵の表情には、歌舞伎の若神の風格がすでに表れている。
 いよいよ芝居が始まる。
 海老蔵には、荒事や立ち役というイメージがある。しかし、女形もびっくりするほど色っぽかった。せりふを伴う女形は、今回の舞台がほとんど初めてだと聞く。しかし、とてもそうは思えないほど女形が堂に入っていた。
 とりわけ、終幕の『大喜利』で、高尾と累の亡霊を演ずる海老蔵には、白鷺が地上に降り立ったような色香があった。踊りも、繊細で優美だった。
 もともと、人間の魅力とは、両性具有のものではないかと思う。現代においても、男性的な側面と、女性的な側面を両方併せ持つ人が、もっとも輝いている。
 きわめて男性的な海老蔵だが、一方で女性らしい感性がある。「見られる」ということ。それを意識し、引き受けるということ。「女性」というジェンダーの文法との共鳴が、海老蔵の表現に奥行きを与える。色っぽいのである。
 『伊達の十役』の見所は、何と言っても目まぐるしく早替わりで十役をこなすということ。もともとは、初演時、夏の休暇で大立て者が皆いなくなってしまい、七代目團十郎が一人でさまざまな役を兼ねるための「窮余の策」だったと聞く。
 幕府のお達しで女性が舞台に出られなくなったことが、歌舞伎の「女形」のもととなった。制約を可能性に変えてしまうという、歌舞伎のしたたかさがこんな所にも現れている。
 それにしても、速い。あれだけの役を早替わりでこなさなければならないということは、舞台裏は戦場のような様子のはずである。スッポンから引っ込む。走る。助手たちが一緒に走りながら衣裳を替える。化粧を施す。かつらを変える。居ずまいをチェックする。そうしたらもう出番である。
 息を整えて、舞台に出る。その瞬間には、たった今まで疾走していたということを観客に一切悟られないような、端正な静寂の中にいなければならない。そうでなければ、「変化の魔法」が完成しない。舞台に出た時には、もうすでにその役になっている。いわば、人形振りのように。この点の完成度において、海老蔵の「伊達の十役」は水際立っていた。
 早替わりの楽しみは序幕と二幕目でたっぷりと味わえる。海老蔵は、まさに躍動するアスリートとなる。
 三幕目、足利家奥殿の場は、打ってかわって、じっくりと見せる芝居。主君を守るため、あえてわが子を犠牲にする。なぶり殺しにされるのを、じっと耐える。
 人々が去る。ひと目をはばかる必要がなくなる。いよいよわが子の亡きがらと二人きりとなると抑えていたものが込み上げる。
 悲しみを政岡が語る段になると、「待ってました」と客席から声がかかった。
 声をかけたのはよほどの見巧者と思われた。政岡の語りは、まさに見所。聞き所。役者の身体が、一つの楽器になるのである。
 海老蔵はまさに「政岡」だった。わが子の亡きがらをかき抱き、身体を激しく震わせて泣く。声の調子。顔の表情。手足の仕草。すべては高度に調整され、しかもどこかでその融和を破らなければ、見る者の心を動かすことはできない。何かが堰を切るということ。海老蔵の中の情念が、時を超え、政岡に乗り移ってあふれ出す。
 歌舞伎の奇跡。歌舞伎の祝福。全身全霊を込めて打ち込まなければ、それは起こすことができない。
 政岡と並んでやはり特筆すべきは、仁木弾正であろう。お家の乗っ取りを狙う、悪の化身。海老蔵の仁木弾正には、凄まじいまでの悪の美しさがある。黒澤明監督の『用心棒』における、仲代達矢の演技にも通じる。見る者の魂をひんやりとさせる生命の特異点。怖ろしい。それでいて、刺すような美しさがあって目を離せない。
 集中と帰依。美と旋律。人間の中には、これほどのダイナミックレンジがある。あふれるばかりの魅力が詰まった『伊達の十役』。海老蔵が、「歌舞伎の奇跡」を通して、人間の奥の活き活きとした中心をもう一度教えてくれる。

 
新橋演舞場 初春花形歌舞伎 『伊達の十役』
2010年1月2日初日から、1月26日千秋楽まで。

By Ken Mogi 2010. Uncomissioned.

1月 12, 2010 at 09:26 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2010/01/11

ゲストの方の人生を推し測ろうと

ゲストの方の人生を推し測ろうと

プロフェッショナル日記

2010年1月11日

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1月 11, 2010 at 09:03 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

As is materialized on his belly front

As is materialized on his belly front

お腹に物質化されているように

The Qualia Journal

11th January 2010

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1月 11, 2010 at 09:03 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

そっくりだということを発見

明治神宮。

大場葉子さん、写真家の若木信吾さん。

木もれ日の中を歩きながら。

帝国ホテル。

東京書籍の植草武士さん。

俳句について。言葉について。

有楽町のニッポン放送。

オールナイトニッポンサンデーの生放送。

三枝玄樹さんが正面に座って、
いろいろ構成をお手伝い下さる。

冨山雄一さんが、ガラスの向こうから
キューを出す。

ゲストに、三笠書房の能井聡子さん、
文藝春秋の幸脇啓子さんが
いらっしゃる。

スタジオ内に貼ってあるポスターで、
幸脇さんがニッポン放送の新保友映アナウンサーに
そっくりだということを発見。

話に集中している時、
視覚は背景に退く。

見ていながら、見ていない。

ラジオというメディアは、
そのような聴覚への集中性
を高める。


新保友映アナウンサーのポスターの横で、幸脇啓子さん


ニッポン放送のスタジオにて。幸脇啓子さん、能井聡子さんと。

最近の私のtwitterから。

If you feel the incessant tide of everything that flow around you, ride on it, and get carried away, if only in imagination.

How can you become intimate with a distant star millions of light years away? That is the essential question of life, for example.

Imagine there was no gravity of custom. In which direction would you float, chasing your soul's instincts?

Without noticing it, I feel I am surrounded by the gentle footsteps of a new civilization, when I tweet.

http://twitter.com/kenmogi 

1月 11, 2010 at 09:02 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2010/01/10

(本日)オールナイトニッポンサンデー

2010年1月10日(日)


18時〜19時30分
ラジオ局 AM1242 
ニッポン放送
オールナイトニッポンサンデー

生放送!

http://www.1242.com/annsunday/

1月 10, 2010 at 09:08 午前 | | コメント (8) | トラックバック (0)

収録哲学

収録哲学

プロフェッショナル日記

2010年1月10日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

1月 10, 2010 at 08:55 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Die Abstrakten

Die Abstrakten

抽象的なるもの

Heil aus Sonne

10th January 2010

http://heilaussonne.blogspot.com/

1月 10, 2010 at 08:55 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Strange dancing.

Strange dancing.

奇妙なダンス

The Qualia Journal

10th January 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 10, 2010 at 08:54 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

「雑経験」が大切なゆえん

 人間の能力というのは
不思議なもので、
 何がどこで役に立つかわからない。

 自分が経験したこと、
取り組んだことが、脳の中で
分解され、育まれ、
思わぬかたちで生の支えに
なってくれる。

 その脈絡は、なかなか読み切れる
ものではない。

 『バザールでござーる』
や『ドンタコス』、『モルツ』などの
コマーシャルや「ピタゴラスィッチ」
で有名な佐藤雅彦さんは、
学生時代はホッケーをやっていたのだという。

 ものすごいスピードで飛んで来る
パックに、スティックを突き出す。

 そのタイミングを合わせるのが、
最初から得意だったという。

 そのような時間感覚と、
佐藤さんのCMの何とも言えない
リズム感覚の冴えは、関係している
ように思う。

 アインシュタインは、大学卒業後
職がなくて、しばらく家庭教師などを
して食いつないだあと、
特許局の職員となった。

 「街の発明家」が持ちこむ
混沌としたアイデアを
 聞き、整理して論理的に筋の
通った書類にする。

 その経験が、後にとても役に
立ったとアインシュタインは回顧している。

 どんな経験も、自分の脳回路という
「土」に投げ込んでいけば、熟成して
いつか助けてくれるかもしれない。

 「雑学」ならぬ、「雑経験」
が大切なゆえんである。

1月 10, 2010 at 08:54 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2010/01/09

エルエスします

エルエスします

プロフェッショナル日記

2010年1月9日

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1月 9, 2010 at 08:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

The world at large is never to know.

The world at large is never to know.

世界はそれを決して知るに至らない

The Qualia Journal

9th January 2010

http://qualiajournal.blogspot.com/

1月 9, 2010 at 08:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

朝日カルチャーセンター 脳と想像力

朝日カルチャーセンター 新宿教室
「脳とこころを考える」
脳と想像力

全3回

生きることを巡る最先端の問題に
ついて考察しつつ、
毎回英語の原論文を購読します!

第一回の1月15日は、ゲストに加藤徹さんを
お迎えして、中国や漢字のお話を
うかがいつつ、人間の想像力に
ついて考えます!

詳細

1月 9, 2010 at 08:42 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

週刊ポスト 脳のトリセツ 田舎の子どもたちよ、進化せよ!

2010年1月15・22日号

脳のトリセツ 第25回

田舎の子どもたちよ、進化せよ!

抜粋

 インターネット全盛の時代。どこでも大量の情報に接することができるようになった。ネットという新しいメディアが、人類の社会を作り替えようとしている。
 そのことで、私たちが気付かないうちに、社会のあり方が変わろうとしている。その変化は余りにも深く、大きい。そんな時代の胎動を、痛感する機会があった。
 長崎の五島列島の最北端、宇久島に行った時のこと。現在の人口が3000余りのこの島は、海に囲まれ、自然に恵まれ、人々の心が温かい。
 佐世保から一時間ほど高速船に乗り、美しいたたずまいの島に着いた。ここまで来ると、海の気配が清々しい。自然本来の姿に、都会から来た人間の魂は癒される。
 恵まれた環境で育った子どもたちは、元気いっぱい。都会の子どもたちに比べると、明らかに身体の動きが敏捷である。授業が終わった後、校庭中に散らばって、サッカーをやったり、縄跳びをしたり、鬼ごっこに興じる。一緒になって走ると、息が上がった。

全文は「週刊ポスト」でお読み下さい。

http://www.weeklypost.com/100115jp/index.html

1月 9, 2010 at 08:42 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

文明の星時間 美空ひばりのコンサート

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第96回 美空ひばりのコンサート

サンデー毎日 2010年1月17日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/news/20100105org00m100005000c.html 

抜粋

 一番最初に家にカセット・テープ・レコーダーが来た時のことはよく覚えている。さっそく、自分の声を録音して聞いてみた。ふだん耳にしているものとは少し違う。これが自分の声かと、驚いた。
 父が車を買った時のことも覚えている。家に車が来たというので、家族がはしゃいで、用もないのにいろいろなところに出かけた。カセットプレイヤーがついていて、様々な音楽をかけた。
 どちらも、私が小学生の時のこと。マイカーとカセットと。二つの要素が揃うことで、私と、二歳下の妹は、両親が美空ひばりが大好きだということをとことん思い知らされたのである。
 日曜日、ドライブに行くと、必ず美空ひばりさんの曲をかける。『柔』、『悲しい酒』、『真っ赤な太陽』、『東京キッド』、『悲しき口笛』、『リンゴ追分』、『車屋さん』。何度も聞かされたので、幼い私たちもすっかり覚えてしまった。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中です。


1月 9, 2010 at 08:41 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

大海原のうごめき

The Brain Club。

関根崇泰が、inside headと
outside headで聞こえる聴覚
の違いについての論文。

幻覚におけるこの区別を
論じたのはKarl Jaspersである。

続いて星野英一が
vasopressin, oxytocinに関する
review論文と原論文を二つ。

桜田一洋さんに、
epigeneticsの最近の
話題についてお話いただく。

星野と関根が目を輝かせて
聞いていた。

面白い話は目を満月のようにする。


epigeneticsについてお話くださる桜田一洋さん

「あさり」で新年会。

私たちのホームグランド。

今年もよろしくお願いします!

そういえば、
お昼ご飯を食べに出た時、
エレベーターで石川哲朗と一緒になった。

石川の顔を見たら、
なぜかカフカの話をしたくなった。

「カフカって多作だよな。」

「断片も多いですね。」

「思考とか、論文とかも、まずは
断片からいくのが生命原理に
即しているんじゃないかな。
ヴィトゲンシュタインなんてそうだし。」

なぜ、エレベーターで石川哲朗の
顔を見たら、カフカの話をしたくなったのか。

無意識という、大海原のうごめき。

1月 9, 2010 at 08:40 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

2010/01/08

V字型テーブル

V字型テーブル

プロフェッショナル日記

2010年1月8日

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1月 8, 2010 at 08:05 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

Lights, darkness and all.

Lights, darkness and all.

光、闇、そしてすべて

The Qualia Journal

8th January 2010

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1月 8, 2010 at 08:04 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

お腹と背中に

子どもの頃読んで大好きだった
『赤い蝋燭と人魚』。

最近読み返してびっくりした。
こんな話だったのか。

小学校1年生で読んで、どうして
心を動かされたのだろう。

こんなに悲しい話なのに。

子どもの包容力って、実はすごいのかな。

代々木公園で、
ラジオ・デイズの収録。

橋本麻里さんが、うまく引き出してくれた。

寒かったから、お腹と背中に
ホッカイロを二つ入れた。

鈴木芳雄さんと、メディアの昨今の話をした。

佐々木かをりさんと会った。

論理と慣性をこれほど美しく融和させる
人はなかなかいない。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ゲストは加藤友朗さん。

ニューヨークのコロンビア大学で
活躍する移植医。

凄い人。

緻密で、しかし温かい。

ぼくは、加藤さんが大好きになった。

放送を楽しみにしてください。

大切な人たちと、新年会をした。

飲んで、話して、大いに愉快だった。

深夜、家に帰りながら『赤い蝋燭と人魚』
のことを思い出す。

人魚の子は、心細かったろうな。


赤い蝋燭には、情念がこもっている。


夜の静寂は、心細さに満ちている。

お腹と背中にしみいる。

だからこそ、朝の光がまぶしいね。

1月 8, 2010 at 08:04 午前 | | コメント (9) | トラックバック (1)

2010/01/07

魂の会話

魂の会話

プロフェッショナル日記

2010年1月7日

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1月 7, 2010 at 07:38 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

Dissonance

Dissonance

不協和

The Qualia Journal

7th January 2010

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1月 7, 2010 at 07:37 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

ベージュ色のぬた

どうも不思議なことがあって、
私は「ベージュ」という色の
名前に実感がない。

「ベージュ」というのが
どんな色か、思い浮かべて
みろと言われると困るし、
あるものを見て、「これはベージュだ」
ということもできない。

薄い茶色とか、クリームがかった
色、という感じはあるのだけれども、
「これがベージュだ」という
確信のようなものが一向にないのである。

それで、不安になって、時々人に
聞いてみる。

「これはベージュかい?」
「いや、違う、これがベージュだよ。」
「おや、そうかい。じゃあ、あれは?」
「あれはベージュじゃないよ。これが
ベージュだよ。」
「そうかい。どうもわからないねえ。」

やっぱり、どうにもわからない。

ある時、よくよく考えてみていて、
「ベージュ」という言葉自体に
納得がいっていないのだ、
ということに気付いた。

「ブラウン」や「ブラック」
や「レッド」は納得がいくのに、

「ベージュ」がなぜあのような色たちを
指し示さなければならないのか、一向に
納得していないのである。

似たようなことは、食べ物の名前にもある。
たとえば、「ぬた」。

「ぬた」というものがどのような料理を
指しているのか、知識としてはわかっているの
だが、なぜそれが「ぬた」なのか、
納得がいかない。

どうにも、すわりが悪いのである。
これが、「きんぴら」とか「チャーハン
だったら、納得がいくのに。

突きつめると、「ベージュ」や「ぬた」
に抱く違和感は、クオリア的な
居心地の悪さのようなものであり、
ひょっとしたら例のbubaとkikiの
問題と関連しているやもしれぬ。

この世に、万が一、
「ベージュ色のぬた」があったら
どうしよう。

ぼくは決して納得できないだろう。

1月 7, 2010 at 07:37 午前 | | コメント (20) | トラックバック (2)

2010/01/06

髪の毛はこのままでいいですか?

髪の毛はこのままでいいですか?

プロフェッショナル日記

2010年1月6日

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1月 6, 2010 at 07:43 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

Things in the periphery

Things in the periphery

周辺視野に見えているもの

The Qualia Journal

6th January 2010

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1月 6, 2010 at 07:42 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

ソクラテスじゃ仕方がない。

プラトンの『饗宴』を高校生の頃
愛読していた。

冒頭、パーティーに向っていた
ソクラテスが、途中で考え事を
始めてしまって、立ち止まってしまう。

もともと、ソクラテスがパーティーに
招かれていて、通りで出会った
知り合いを誘ったのに、
その誘われた知り合いを放って
おいて、考え事を始めてしまうのである。

パーティーのある邸宅に着いてから、
「あれっ、ソクラテスがいない」
と気付く。

それで、主人に「ソクラテスが
途中でいなくなってしまったんだけど」
と言うと、
誰かを見にやって、
「ああ、あそこに立っているよ」
ということになる。

それから、「ソクラテスじゃ仕方がない。
何か考え始めたんだろう。考え終われば
来るから、放っておいて待っていよう」
との相談がつく。

やがて、ソクラテスは思ったよりも
早く考え終えて、パーティー半ばに
姿を表す。

高校生の私は、ソクラテス
みたいな人がいいな、と思っていた。

私の知り合いで、一番ソクラテスっぽいのは
塩谷賢だろう。

ソクラテスは、生涯文章を残さなかった人。

塩谷が、一向に本や論文を書こうとしないのは、
仕方がないことなのかもしれない。

ソクラテスじゃ仕方がない。

塩谷賢では仕方がない。

1月 6, 2010 at 07:42 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

2010/01/05

斎藤環さんへの返信

斎藤環さんへの返信が、
双風舎のウェブページに掲載されました。

クオリア、そして偶有性

お返事が大変遅くなり、斎藤環さん、
そして編集の谷川茂さんに御迷惑を
おかけしたことを、心よりお詫び申し上げます。

茂木健一郎

1月 5, 2010 at 10:14 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

プロフェッショナル 金子美登

プロフェッショナル 仕事の流儀

命の農場で、土に生きる
~農家・金子美登~


農業という大切な営みを巡る
「文脈」が変わろうとしている。

農薬や肥料を投入して
無理に作物を育てようとするのではなく、
すべてを循環させ、「土」づくりに
工夫をこらし、
作物が本来持っている生きものとしての
力を引き出す「多様性の営み」へと。

その「パラダイム変化」は、私たち
自身の生き方の見直しにもつながる。

金子美登さんの農場は美しい。
圧倒される。

生きものが持っている、本来の輝き。

ぜひ見てください。



NHK総合
2010年1月5日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ


日経BPコラム 多品種少量生産・消費が持つ意味
農家・金子登美 (produced and written by 渡辺和博)

1月 5, 2010 at 07:22 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

左側も右側も、20カットずつくらい

左側も右側も、20カットずつくらい

プロフェッショナル日記

2010年1月5日

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1月 5, 2010 at 07:13 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

Nothing to say

Nothing to say

沈黙を守ること

The Qualia Journal

5th January 2010

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1月 5, 2010 at 07:12 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

文脈自体を設計しようという意識

 人間の脳というものは、「文脈」(context)に合わせることは器用にする。それぞれの「文脈」の中で、自分のやるべきことを読み取り、その期待に応えるというのは得意なことなのである。
 その一方で、どのような文脈の中で自分の脳を働かせるか、そのような「メタ認知」が必要とされる局面もある。文脈設定によって、自分のこれからの発展の方向が定まってしまう。その文脈設定における創意工夫や柔軟性、構想力は、ある特定の文脈の下でうまく立ちふるまうことと同じくらい、あるいはそれ以上に重要な生の配慮となる。
 たとえば、「大学受験」は、一つの文脈である。その文脈の中でうまくふるまう人を、「優等生」という。しかし、他の文脈を設定すれば、別の「優等生」の定義ができるかもしれない。
 日本語で表現するということも、さまざまな歴史的、文化的な経緯を引き受けた、一つの「文脈」である。そこには、良い点も、悪い点も、それぞれ存在することだろう。
 インターネットの発達などに促されて、自分の置かれている文脈は、以前ほど地理的な状況に左右されないようになった。東京に住んでいても、さまざまな文脈を工夫できるようになった。もちろん、それなりの苦労があるだろうし、最初はよちよち歩きかもしれない。いずれにせよ大切なのは、既存の文脈を受け入れてその中でうまくふるまおうとするだけでなく、文脈自体を設計しようという意識だろう。そうして、それを裏付ける行動だろう。それは、最初はどんなに拙くても良い。
 そうして、自分自身でさまざまな文脈を設計し、工夫し、移ろい、飛び込み、併任しているうちに、やがて文脈を超えた「普遍性」が見えてくるかもしれない。
 それが、「偶有性の海」に飛び込むということである。

1月 5, 2010 at 07:12 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2010/01/04

ベルトの方向

ベルトの方向

プロフェッショナル日記

2010年1月4日

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1月 4, 2010 at 07:22 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

Erneute Liebe & Ruhest du auch

Erneute Liebe & Ruhest du auch

「新たにされた愛」、「お前も憩うのだ」

Heil aus Sonne

2nd & 3rd January 2010

http://heilaussonne.blogspot.com/

ドイツ語の練習のために、ドイツ語の
ブログ(Heil aus Sonne、「太陽からのあいさつ」
をつくりました。

時々更新します。

Heil aus Sonneは、ワグナーの楽劇
『ニーベルングの指環』第二夜
『ジークフリート』三幕で、目覚めた
ブリュンヒルデが発する第一声、
Heil dir, Sonne! にのっとり、
(日が昇る国である日本から発せられる
ブログであるという意味も含めて)
名付けたものです。

1月 4, 2010 at 07:21 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

Wild Animals

Wild Animals

野生の動物たち

The Qualia Journal

4th January 2010

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1月 4, 2010 at 07:21 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

『龍馬伝』の熱さ

 『龍馬伝』の第一回目を見た。
 とても面白かった。

 福山雅治さんの龍馬は、
やさしくて、芯が強くて、
そうして熱い思いがあって。

 これからどのように成長して
行くのか、楽しみだ。

 かっこいいなあ。
 
 岩崎弥太郎を演じる香川照之さんが
圧倒的にうまい。

 びっくりした!

 そうして、大友啓史さんの演出。

 『ハゲタカ』、『白洲次郎』、
そして今回の『龍馬伝』。

 今日本で最も注目されるドラマの
作り手と言ってよいのではないか。

 大友さんは、一つの演技で、
複数のカメラを回して同時に撮るので、
お互いに見切れてしまわないように
調整するのが大変だそうだ。

 また、複数のアングルから
見るので、舞台装置に
「穴」があっては行けないから、
大道具さんは普通のドラマ以上に
苦労するのだそうである。

 1月2日に放送の
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
では、時間の都合で入っていなかった
けれども、福山雅治さんとスタジオで
こんな会話があった。

「福山さんは、脱藩したことがありますか?」
と聞くと、
「18歳の時に長崎を出て東京に来たことが、
ぼくにとっての脱藩だったと思います。」
と答えてくださった。

 龍馬が満26歳の時に土佐を
脱藩したことが、何と言っても
彼の生涯において画期的なことだと
思う。

 組織の論理で動いていたら、
新しい時代に必要な働きが
できない。

 藩のしがらみを振り切って
ひとりの人間として動くように
なれたことが、龍馬の礎となった。

『龍馬伝』の熱さが、日本の社会に
良い作用をもたらすように祈りたい。

1月 4, 2010 at 07:20 午前 | | コメント (8) | トラックバック (12)

2010/01/03

クレイジーなプロフェッサーへの道

クレイジーなプロフェッサーへの道

プロフェッショナル日記

2010年1月3日

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1月 3, 2010 at 07:56 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

"I am happy. I will live long."

"I am happy. I will live long."

「私長生きするわ。」

The Qualia Journal

3rd January 2010

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1月 3, 2010 at 07:56 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

人生というのは難しいもの

 フリスクが好きで、よく買っている。
 有吉伸人さんも好きで、
フリスク仲間である。

 コンビニや駅の売店で見つける
度に買っている。
 最近のお気に入りはブラックである。

 私の親しい人は、私のリュックの中から
フリスクの空きケースが出てくるのを
何度も見ているはずである。
 
 一度など、橋本麻里さんが、
リュックのポケットから空きケースが
5個くらい連続して出てくるのを
見てあきれていた。

 取り出しては振ってみる。音がしない。
 それで、次、と探してみる。

 食べ終わったらケースを捨てれば
いいのに、何となく愛着がわいて
そのままになっているから
始末が悪い。

 一度に食べる個数は、なんとはなしに
「3個」と決めている。

 特に根拠があるわけではない。
 
 ケースを振って、ちょうど3個
出すのは難しい。

 他人にお裾分けする時、
ケースをさささと振って、
その人の手のひらにちょうど
3個出た時には、なんとはなしに
うれしくて、心の中でがっつぽーずを
している。

 2個だったり、1個しか出なかったり、
逆に5個も出てしまった時には
「しまった」と思う。

 フリスクのケースから何個出るか、
その統計をとったら面白いと
思うが、そんな研究をする人もなかろう。

なぜフリスクが好きなのか、と聞かれると
困る。

ケースの上のFRISKという文字を見ると、
まるで疾走しているようである。

Shapens you upというキャッチコピーも
あったように思うが、
確かにしゃきっとするんだろう。

50粒で21kcalというのも、
安心できる。

そんなことを書きながら、テーブルの
上にフリスクを見つけたので
食べてみた。

一振りで1粒。もう一振りで2粒で、
合わせ技で3粒になった。

なかなか、一度に3粒というのは
できない。

人生というのは難しいものである。

1月 3, 2010 at 07:55 午前 | | コメント (15) | トラックバック (0)

2010/01/02

龍馬伝 × プロフェッショナル

龍馬伝 × プロフェッショナル 

坂本龍馬のふるさと、高知でのロケや、
スタジオでの福山雅治さんとの対話を
通して、
坂本龍馬の魅力に迫っていきます。
必見!

NHK総合
2010年1月2日(土)21:00〜22:00

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1月 2, 2010 at 07:42 午前 | | コメント (11) | トラックバック (2)

仕事というものの重み

仕事というものの重み

プロフェッショナル日記

2010年1月2日

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1月 2, 2010 at 07:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

The blanket mood

The blanket mood

毛布の気持ち

The Qualia Journal

2nd January 2010

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1月 2, 2010 at 07:41 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

小学生のままで

小学生のままで

 小学校の時、私は一年中半袖
半ズボンだった。

 だからいつも寒かったが、冬というものは
そんなものだと思っていた。

 今年は、ずっとTシャツの上に
セーターを着るというスタイルで
過ごしている。

 「コートを着なくて寒くないのですか?」
と言われるのだけれども、
室内や車内に入った時にむわーっと
暑くなるのがいやなのである。
 いちいち脱いだりするのも面倒くさい。

 それくらいだったら、外で
寒い方がいいやと思ってやせ我慢している。

 これが本当のやせ我慢だと実感したのは、
大晦日の夕方。あんまり風が強いので、
たまりかねて、セーターの下に
薄い長袖を一枚着た。

 そうしたら諸君、びっくりしたねえ。
 風が通らなくなって、腕がほかほか
暖かくなった。

 まるで、腕に春が来たように。

 ぼくは、こんなに我慢していたのかと、
実に心から感激したねえ。

 それでも、ぼくは、またTシャツの上に
セーターというスタイルに戻ってしまった。

 このセーターは、ボタンで前をとめる
のだけれども、一月くらい前に下から
二つ目が割れてしまって、
今はとめる時に二度手間になる。
 どっこいしょ、と割れている
ピースを一つずつつけていくのである。

 これが、慣れると、一つの味に
なるんだよね。

 今日も、外をTシャツとセーターで歩く。
 時々セーターの裾をめくってみて、
Tシャツから肌がむき出しになっているのを
確かめる。

 セーターは、案外目が大きくて、
実質風がぴゅうぴゅう腕に当たっている。

 なんとなく、小学生のままでいるような
気分でいる。

 もっとも、さすがに半ズボンまでははかない。


小学校の卒業式の日。珍しくジャケットを着て。

1月 2, 2010 at 07:41 午前 | | コメント (15) | トラックバック (1)

2010/01/01

カメラ・リハーサル

カメラ・リハーサル

プロフェッショナル日記

2010年1月1日

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1月 1, 2010 at 07:35 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

Escape velocity

Escape velocity

第二宇宙速度

The Qualia Journal

1st January 2010

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1月 1, 2010 at 07:34 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

月が見るのを間に合うように

初夢というのは、
元旦の朝に見る夢なのか、それとも
2日の朝なのか。

いずれにせよ、へんな夢をみた。

カマキリがいて、その撮影をする。

どうやら闘うのである。

カマキリは、時々いなくなって
しまって、それで探すと自分の
身体の一部についていたりして、
「あっ、ここにいた」ととってくれる。

一度、すっかり姿が見えなくなったと
思ったら、首をすくっと立てた
立派な姿で三匹も立っていた。

逆光で、とてもきれいに見えた。

「あっ、いたいた」と頼もしかった。

ギリシャ彫刻のようだった。

いよいよ撮影という時になって、
カメラを撮る人が、
「エレベーターの中で撮影したい」
と言った。

それで、私は猛然と怒り出した。

カマキリたちは、命をかけている。

それを、エレベーターの中で撮るとは
何だ。

彼らの生命のドラマに、ふさわしい
場所があるだろう。

尊敬したまえ!

そうやってカメラの人に
抗議しているところで
眼が醒めた。

どうにも、奇妙な夢を見るものだな、
と思った。

外を見ると、西の空に大きなまあるい
月が出ている。

きれいだな、と思って眺めていたら、
月はやがて沈んでいって、
すっかり見えなくなった。

カマキリたちは、月が
見るのを間に合うように
起こしに来てくれたのかな、
と思った。

1月 1, 2010 at 07:34 午前 | | コメント (21) | トラックバック (0)