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2009/09/01

The sublime in Turner

The sublime in Turner

The Qualia Journal

1st September 2009

http://qualiajournal.blogspot.com/

9月 1, 2009 at 03:12 午後 |

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コメント

初めて観たターナーの作品の数々は、
心にしまってある大切な、
立ちあがれば苦しくなるほどの"景色"
に、なぜかどこか、そっくりでした。

ターナーが描き出した光が雄弁なのか、
共鳴したこの得体の知れない心が雄弁なのか、
分からなくなっちゃいました。
それくらいすごい表現なんだなぁ、とおもいました。

ありがとうございました。


投稿: ぽよmura | 2009/09/02 21:55:18

ある時、岩絵具の色に魅せられた。
何となく、絵の中の形があまりにも多くのことを語りすぎているようで、ただ色だけでいい、と思った。
ターナーのこの絵は、私のそんな思いを掬いあげてくれるように感じる。

投稿: masami | 2009/09/02 10:32:28

ロンドン滞在のこの英文ブログを
拝読している間、
「The River」の歌が、流れています。
「To the river」の英文ブログで、Utakoさんに
教えて頂いた曲で、私も好きな曲になりました。

すぐにコメントでメッセージを頂いたのに、
考えすぎてしまい、返ってすごく失礼をしてしまったと
思うので、この場をお借りして
お詫びとお礼をお伝えしたいです。
遅くなりましたが、
喜んで下さって、私も嬉しかったです。
ありがとうございました。
http://www.youtube.com/watch?v=pDjQRgoOcpk&feature=related
http://plaza.rakuten.co.jp/lyricsmusics/diary/200811270000/

茂木先生、コメント欄をお借りしてすみません。
ありがとうございます。

投稿: 発展途上人 | 2009/09/02 0:27:17

ターナーの崇高

私はロンドンにあるテイト・ブリテンと、
ナショナル・ギャラリーを訪ねました。
主な目的の一つは、
ジョン・マロード・ウィリアム・ターナー
の絵を見ることだった。

ターナーは主に風景画、特にそれらの海洋の
色彩が調和したやり方で混ざり合った、
全体として霧深い状態そして活気の印象を与える、
で知られている。

ターナーは、それにもかかわらず、
さらにより具体的に描いた、そして特に
それらの戦争の主題に基づく“真に迫った”作品群。
ターナーは、彼がそれを強く望んで実現しようとした
そのときは、その精密を実証する素描と水彩で、
主題の詳細を表現することが出来た画家だった。

ターナーの作品群は、彼の最も良いものを目指して、
観察者に“崇高”な感銘を与える。
崇高に吸収されて次第に変わる中で、
彼らの特質が失われる事物。
この感覚で“崇高”の描写の目的のために、
不変の運きそして共鳴するものの中に、
海洋の、水と光とそして風がある、
空想的な性質の人だったと言ってよい。

インスタレーション(ある特定の会場やスペースを
生かして、製作、展示する空間芸術およびその作品。
しばしば音響や照明で効果を高める)のような
より現代的な方法論に比べると
ずっと高い精密性で、印象の詳細を再現することが
出来る芸術家、絵画の伝統的な方法論における、
ターナーは熟達した人だった。
その絵を従来の意味で抽象芸術作品にするように、
その印象をより微妙に調整する
全ての筆遣いを制御することが出来る画家として。
アブストラクト(抽象芸術作品)であることは、
ターナーの場合は情報不足を意味しない。
アブストラクトであることは、
深い感情と感覚の忠実な描写のための
(音声・文字によらない)ことば、
彼の人生の全てでその芸術家は追い求めた。

ターナーの芸術作品に革新と審美的な追及をして
見つけることは、ターナー賞の模範・励みを与えられる、
それは進化し続けた、現代的芸術の
崇高の継続された進化の祝賀の感覚である。

画像:海の怪物と日の出(1845年頃)。
ターナーの作品で私のお気に入りの一枚。


とても難しかったです。
失礼になったら、申し訳ありません。

最後まで拝読して、もしかしてこういうことかな?と
思ったことを書きます。

音声と文字によらない「ことば」としての絵。
絵が深い感情と感覚を伝えることばとして意味を持ち、
抽象的な絵画一枚の全画面で、思いを伝える。

ターナーの絵を、まるごとの思いの媒体として
そのままから伝わってくるものを感じる。

暗喩とか隠喩とかの仲間なのかもしれないと、
途中までは思いましたが、
別の意味でもっと直接的ですね。
直に、熱き魂の中身をそのままイメージとして、
画面に忠実に再現するもの。
それが、ターナーが一生かかって目指したもの
なのでしょうか。

ずれていたら、すみません。

言葉にならない胸の中をそのまま絵にする。
ターナーの魂の中の宇宙が、絵の画面に溢れんばかりに、
微細な筆運びで丁寧に誠実に再現されているのですね。

テレパシーで通じるように、絵の作品で表現した
時間をかけた丁寧な作業の、魂の写し絵なのでしょうか。

深い、とても深いなぁと思いました。

投稿: 発展途上人 | 2009/09/02 0:10:12

茂木健一郎様
今さらながらですが惹きつけられるということは
追いかけてしまうことなのでしょうか。
ロンドンで心のままにいくつかの美術館をめぐっていた
頃のことターナーの光りの前で動かずにたたずんでしまう
こと思い出します。
フェルメールを追いかけたときの激しさ衝動は今も
忘れられません。絵画を目の前にすると言葉がたどたど
しくなり、動悸がすることに感謝をささげます。
「海の怪物のいる日の出」この絵を観てあの頃動悸は
しなかったと思うのですが、
今動悸がするということはどういうことなのでしょう。

投稿: Yoshiko.T | 2009/09/01 23:43:28

茂木先生 こんにちわ

I think that I am modest,
and the painting of Turner is felt
if I do not need to insist in comparison with Italy or the Spanish painter very much.

I think that
there are quiet profundity and beauty to a picture of Turner

I also think that
I know sinter and the Japanese people "Hi-sureba-hana(?)"
who did it if I have the beauty that is not too intrusive and a characteristic
of English people coming at the same time and hide it in the same way

投稿: Lily | 2009/09/01 20:26:25

若かりし頃の茂木さんの意識は、まだロンドンの街に息づいていましたか?
o(^-^)o

懐かしい場所に行くと、そこに過去の自分がまだいたかのような、不思議な感覚があります。

ターナーは昔横浜に見に行きました。

光の繭に包まれるような不思議な感覚がありました。

ロンドンは霧が深いのでしょうか?

きっと深いのでしょうね?

話飛びますが、なんでいきなり英文日記にbatが出てきたのかわかりました。 (多分~)
茂木先生も一緒のブログ見てたんですね?
ターナーみたいなモヤモヤがちょっと晴れました(違うかも?)

私めは夏風邪をひいたみたいです。

茂木先生もみなさまもどうかお体大切になさって下さいね?
では素晴らしき大英帝国に乾杯♪♪

投稿: 眠り猫2 | 2009/09/01 18:07:34

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