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2009/09/16

マルオミナエシ

竹富島二日目の午後は、
星砂の浜でマルオミナエシを
拾った。

山のような模様が重なっていく
優美な貝。
二つとして同じものはない。
 
ここにはないかな、と思って
歩いていると、
コンドイ浜に向かう浜の
途中に、それらはあった。

大抵は、裏返って内側が
見えている。

それでも、慣れてくると、
「あっ」と電撃が走ってわかる。

他の貝にくらべてもっと丸みがあって、
やわらかく女性的な印象。

帰りの飛行機で、那覇に降り立った
時、ああもうここは文明なのだと
思った。

『生きて死ぬ私』の
「もの言わぬものへの思い」を書いた
時のきもちがよみがえった。

都会に戻ってみれば、もう、
さまざまな文脈が私のことをとらえて、
息つくひまもない。

砂浜にころがっている
マルオミナエシたちのような
存在の消息を、遠くから響く潮騒
のように聞いている。

___________

<もの言わぬものへの思い>

 数年前の春、私は渡嘉敷島にいた。島の南西部にある阿波連の白い砂浜に、マルオミナエシの貝殻がたくさん落ちていた。マルオミナエシの貝殻の模様は独特であり、そのひとつ一つが時には山々の頂のように、時には「止」や「山」といった漢字のように、また時には波が砂浜に残していた文様のように見える。貝殻の中には、波に揉まれ、砂に磨耗して模様がすり切れ、その模様の名残を残しているだけのものもあった。
 浜辺を歩く人間にとっては奇妙な模様のついた、一時的な収集の興味を満足させるものに過ぎないマルオミナエシの貝殻の一つ一つは、実はマルオミナエシの一つ一つの個体の「生」の歴史の痕跡である。私たちは、マルオミナエシという貝が、その成長の過程で貝殻の独特の模様を描き上げていく過程を想像することはできても、それをはっきりとつかむことはできない。珊瑚礁の中で幼生として生まれ、懸命に餌を食べ、仲間の多くを失い、波に揺られ、太陽の光を感じ、砂に潜り、異性を求め、やがて何らかの理由で力つき、貝殻のみを残して自らは屍となり、そしてその貝殻が砂浜に打ち上げられ、人間によって発見されるまでのマルオミナエシの生は、決して誰にも知られずに、密やかに行われる。私たちの手元にあるのは、そのようなマルオミナエシの生の痕跡としての貝殻だけである。
 島の美しいサンゴの海の周辺には、様々な「もの言わぬもの」の生が満ちあふれていた。海燕や、ゆったりと飛ぶ蝶、そして、珊瑚礁にすむ名も知らぬ色鮮やかな魚たちーーこれらは、私たち人間の作り上げた「言葉」、そして「歴史」や「文明」といった「流通性」や「操作性」のネットワークに決してのることのない、物言わぬもの、無に等しいものである。もし、大手の資本が、リゾート開発という文明の中で流通することのできる記号をもって乗り込んでくれば、これらもの言わぬものたちは、ひとたまりもなくどこかへ追いやられてしまうであろう。古代のアミニズムの精神がもの言わぬものたちの存在を直感的に感じとっていたとすれば、私たちの「歴史」や「文明」は、これらもの言わぬものたちを切り捨て、人間の間だけで流通する「言葉」のネットワークを構築することから始まったのだ。
 阿波連の美しい浜辺を歩きながら、私はおよそそのようなことを考えていた。
 やがて、島を去る日が来た。船は、汽笛を鳴らすと、ゆっくりと港を出ていった。船が次第に旋回するのを感じながら、私の胸は、渡嘉敷島で見てきた「もの言わぬものたち」への想いでいっぱいだった。少なくとも、その時の私には、彼ら「もの言わぬものたち」は、私たちの文明の中で流通するものと同じように、あるいはそれ以上に価値があるもののように思われたのである。
 船は、那覇港を目指して航行していた。私は、那覇がビルの林立し、車が行き交う、文明の都であることを思い出していた。私は、渡嘉敷島に残してきた「もの言わぬものたち」を思い出しながら、暗然とした気持ちになっていた。その時の私には、人間が操作し、管理することのできる人工物=「言葉」に支えられて運営されている文明に対する違和感が非常に強く感じられていた。 
 船が那覇までの行程の半分ほどを過ぎた頃であろうか。船の後方を振り返った私は、意外なことに気がついた。渡嘉敷島もその一部である慶良間諸島の島影が、水平線の彼方におぼろげながら見えていたからだ。心の中で、「文明」の世界への再突入の準備をしていた私にとって、慶良間諸島の姿がまだ見えていたことは、新鮮な驚きだった。
 それから三十分くらいの航海の様子を、私は忘れることができない。船の前方には、次第に那覇の港が近づいてきていた。大型船、小型船が行き交い、灯台が見え、浮標が点在し、海面にはオイルが浮き、飛行機が上空を飛び、そしてビル群はますます大きく見えてきた。これらのものが、「文明」を構成する「言葉」であることが、その時痛切に私の胸に迫ってきた。好きであれ、嫌いであれ、私たちの文明は、これらの「言葉」、私たちが作り出し、流通させ、操作する「言葉」から成り立っているのである。一方、船の後方には、なつかしい慶良間諸島の島影が見えていた。その姿は、自然が数十億年かけて作り上げてきた豊かで多様な世界、それにも関わらず私たちの「文明」という言葉のネットワークの前では、「もの言わぬもの」、「流通しないもの」であるものたちの世界を象徴していた。その時の私には、那覇と慶良間諸島が代表する二つの世界が、私の乗った船から同時に見えたということは、きわめて意味深いことのように思われたのである。
 船が那覇港に着いても、慶良間諸島は依然として洋上遥か彼方に見え続けていた。私は、「言葉」以前の、「もの言わぬものたち」があふれる世界から、「言葉」が飛び交い、流通するものがあふれる文明の世界へと戻ってきたのである。
 人間にとって、「言葉」とはマルオミナエシの貝殻のようなものだ。「言葉」は、私たちの生の痕跡の、ほんの一部分の、不十分かつ誤謬に満ちた証人に過ぎないのである。それにも関わらず、人間は「言葉」にすがって生きていかざるを得ない。「言葉」という貝殻に、必死になって自分の人生の模様を書いていくしかないのである。
 だが、もの言わぬものたちが存在しないわけではない。
 私は、蟻の様子を見るのが好きだ。蟻が巣をつくっているのを見るとき、その動作の不可思議さが私の心を強くとらえる。今、この特定の場所、特定の時間に、蟻の足の下にある砂の様子や、草を揺する風の動きや、それらを全てを照らしだす太陽の光がどうしてこのような形で世界の中に現れたのか、不思議な感じがする。そのことは、どんなに科学が発達しても決して解くことのできない謎である。
 私の心は、もの言わぬものたちとともにある。

茂木健一郎 『生きて死ぬ私』より

_____________

「蝶の道」については、
英文ブログ(The Qualia Journal)をご参照ください。

9月 16, 2009 at 06:32 午前 |

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ペルリが江戸湾を測量したというのは その深度を測って 戦艦の進入可能域をたしかめたということなのです。 [続きを読む]

受信: 2009/09/17 6:46:37

コメント

茂木さま
私もいつか、竹富島に行ってみたいと思いました。

投稿: yuuki | 2009/09/25 1:45:21

こんにちは

私たちは文明と言う貝殻を作っているのでは?(^^)

投稿: 貝のクオリアby片上泰助(^^) | 2009/09/17 8:11:54

茂木先生、お帰りなさいませ。(≧▽≦)ゞそしておはようございます!

『生きて死ぬ私』カバーにて先生の素敵なお写真。手に持っておられるのがマルオミナエシでしょうか。

私は見たことも行ったこともないけれど、先生の記事の中で感じ触れていく。言葉ももの言わぬものも同じように生きている。生も死も平等に。船の中での光景が美しく語りかけてきてやがて言葉ももの言わぬものも文明も1つになっていった。

ご著書『生きて死ぬ私』ほんたうに美しいのです。 メスグロヒョウモンの日も心に。


束の間の休息からまた直ぐ、お忙しくされているのでしょうか。
先生、本日もお身体には気をつけて、お仕事頑張って下さい。
行ってらっしゃいませ。(*⌒∀⌒*)ノシ☆☆☆

投稿: wahine | 2009/09/17 8:07:34

こんばんは 茂木サン 。
「生きて死ぬ私」 の 物言わぬ物たち ・・そのひとくくり 。
動物等に関しては 命あるもの は その種の世界間では
何らかの 発信・受信の交流があり、
波長の違いから 人間には感じ取れない だけかな
と 思います。


今回の 竹富島から 東京へ 。 モード切り替えしないと
仕事をこなす事が 難しいと 思いますが、

ふと 茂木サンの心の中で
感じとれる 場所が
おありなのでしょう。


そして、言葉や 本等 後世に 生きた証 を 残せる
素晴らしさ。

書き込みにて 思いや考えを 交信できる
この 機会を与えて 頂いた
茂木サンに 感謝 です。

投稿: サラリン | 2009/09/17 6:40:45

茂木健一郎さま

今晩の半井小絵さん、お洋服、シックな雰囲気で少しラフな感じで恰好よく

台風の雲の大きさ、最初のイメージが強烈でしたので実際より大きくイメージしてました、今晩、再度、台風の雲が出てましたが、イメージよりも小さい!
それに進路も幾分か、ただし最新情報は常に!
少し安堵の私、でしたが
えー? なに?波のマークは! 台風の影響で波が高くとの

即に連想
茅ヶ崎の沖磯で磯屋さんのバケツを数週間前に波で流され着水のことが即座に連想

えー?海であるパターン
天気よいな!なに!この波の大きさは!デカい波!
デカい波といえば
ふと、思い出し
小学生の時、母の生まれた千葉県は鴨川の海岸
今は海水浴場の沖合にはテトラポットがあり消波ですが昔はテトラポットはなく大きな波がドスーンと

波のタイミング
波が崩れるタイミングに巻き込まれると、天地、左右など分からず、グルグルと何回転もして
砂と小石が顔に当たりながら波にもまれ
ただ
わー!と叫びながら海水の中でパニック

息を止めている限界

もうダメだ!息をしても海水の中 だめだ!限界、肺に海水が入る!

あれ?空気? 薄目で前を見ると
波打ち際の、なんてことない、くるぶし位のところで、ちょこんと座っている自分

ばつが悪かった、
で、考えるんですね

波が崩れる!の時

潜るんです!

効果てきめん!ただし気をつけること、波が崩れる!潜る!空気を吸うために浮上!さっきより水面は上がっている、足がつかない!と、そこに、また崩れそうな波!

うわー!!!

そんな体験をして、自分なりに波の、いなし方を、自分なりに会得

でんぐり返しをしながら波に、もまれて波打ち際に、私と同じ!数人みましたし、意外に体験している人、多いような気がします、けど

今は、テトラポットで、どうなんでしようね?鴨川の海水浴場

以前、昔、などなど
体験もしくは考えていたこと
これは常に思うことはなくて良いと、しかし
思い出す! なんとなく良いな!と、この頃

波が崩れる!潜る!

崩れた波の中での、ふわーんとした、ゆりかご
身体が海水中で、波の力で、浮き上がるみたいな不思議な感覚
今でも感覚的に覚えています。

海水浴?ところで全然
一人で海水浴に行っても
もう何十年も海水浴になど行ってないです
今年?
茅ヶ崎の沖磯で、お魚釣りに没頭でした、磯屋さんのバケツを波で流され着水!
そういえば、波といえば!と 話はエンドレス?

シュトラウスの常動曲?でしたかエンドレスの曲、マエストロがストップ!として演奏終了ですね。これも、ふと。

さて、寝ます。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/09/16 23:57:35

星砂の浜って…白くて星の形をした砂が広がってる、あれですか?(^-^)
記念に持ってこれるのかな〜?

マルオミナエシの世界は、まるで俳句や、もののあわれ(でしたっけ?)の世界のようですね。
言葉にしないけれど、そこにある大切なこと。
それでも…私たちはそれを共有しているよねっていう事を確かめたいから、言葉にしたいし。言葉が欲しくなるんです(*^_^*)
少なくても私は、言葉が欲しい(o^∀^o)

投稿: 奏。 | 2009/09/16 22:44:52

茂木さん、Hello♪(^-^)今帰りで徒歩&電車&肩がすぐ凝っちゃうから豪華にマッサージです(笑)♪昨日の夜少し私の住んでる場所では雨が降ってきていましたが♪今日は晴れましたね♪もの言わぬものは不思議で♪それを見たり触れたりした時に♪その人の考えや♪状況とか希望等が♪それを完成させる感じがします♪貝殻が目の前にあったとして♪石ころ♪もしかしたらゴミやガラクタに見えてしまう人もいるかもしれない♪逆に貝殻と見えていて♪更にダイヤモンドが付いているんじゃないかと思える位にステキで宝石のような貝殻に見える人もいるかもしれない♪どちらでも貝殻は♪違うよ♪そうじゃなくて誤解だよ♪と言わぬ♪仮に貝殻が話せたとしても素直に受け取れるかどうかになってくる気がします♪似たような事を聞かれたり言われたり私は仕事でたまにあります(苦笑)仕事以外でも♪本当に思ってるの?とか(笑)そうなると私は♪楽しい話なら更に力がぬける感じで面白くなったり♪逆だと誤解されたままな感じで悲しくなったりだから、今度からふれないようになります…もの言わぬものも色々で、言葉や表現が出来ても色々♪そう言えば9月始めの仕事帰りで歩いていたら♪何処から居たのか知りませんが♪話かけてきた人がいました♪私はそのまま歩きながら♪聞きながら♪どんなクオリアなのかな?とか思いながら♪(笑)Hi♪何処に行くの?元気?とか話されている時に♪駅に到着した人達が沢山歩いて来ました♪私の中で♪もしかしたら私は英語が上手に話せる人に見えてるのかな?とか思ったら♪面白くなってしまい♪(笑)そしたらその人も楽しそうになっていて♪(ミラーニューロン?♪)今度は電車を待っていたのですが♪今度は私が♪何処から来たのですか?名前は?と逆質問♪(笑)その人は♪南ッアッフリカ♪と言っていました♪エムエスさんと言う名前だそうで♪どんなスペルなの?と聞くと携帯を見せてくれました♪(笑)アメリカに行った事ありますか?イギリスには?英語上手ね♪ってほめられました(ありがとう♪でもお世辞は皆言うのかな?(笑)僕は今日本語を勉強していて♪私は英語を頑張ってね♪と応援してくれました♪(笑)途中面白かったのが♪(笑)僕ガールフレンドほしいのです♪番号教えてくれますか?と♪ごめんなさいと言うと♪うそだよ〜(そんなぁ〜)頑張って下さい♪ごめんなさい♪頑張って下さい♪ごめんなさい♪(笑)だけど最後はわかってくれて♪(^o^)у話が通じるって楽しく♪♪自分にとってプラスな想いに共感出来るとうれしい♪逆に恐がりだからマイナスな話しには共感したくないです(苦笑)同じ様に感じ取れてしまうから…頭痛(>_<)ところで、茂木さん♪もーいーかい(笑)?21:55分(^3^)それでは茂木さん、また今度です。

投稿: 水饅頭 | 2009/09/16 21:55:10

『生きて死ぬ私』購入申し込みしました。
酒井先生の『一日一生』も一緒です。
他にも拝読したい順番待ちの本が多くあるのですが、
少しずつ拝読したいです。
『脳の饗宴』は拝読途中で、少しずつ
楽しみに読ませていただいています。

今日拝読させていただいた内容が特に、
強く心に留まりました。
映像が生き生きと浮かんで、こみ上げてきました。
その世界に浸りたいと思いました。
紹介して下さって、ありがとうございます。

投稿: 発展途上人 | 2009/09/16 21:15:38

茂木さん、竹富島で久しぶりにマルオミナエシに出会えたんですね。

あの愛らしい貝殻の形が、思い浮かびます。

マルオミナエシは、茂木さんにとっては、思い入れが深い、密やかに生きる海の友達なのですね。

マルオミナエシの生きざま。蟻達の活動。海で、私達の足下の草陰で、“ものいわずとも、それぞれの生を生きているものたち”の密やかな軌跡。

その密やかな軌跡の重なり合いと、息遣いが、自然の大きなサイクルの中で繰り返される。

ものいわぬ、心を持つものたちの生きるその傍で、文明という「快適過ぎる魔法瓶」に入って生きている、私達人類は、一種の“ホムンクルス”のようなものだと、ふっと考えることがある。

そんなホムンクルスのような私達と、マルオミナエシと、果たして一体どちらが生き物として幸せなのだろう。

きっと、私達の方が、自然のサイクルと一緒に生きている、ものいわずとも心を持つものたちよりも、ある意味、不幸なのだろう。

言葉を持ってしまったが為に、文明・文化を作り上げ、その中でしか生きられなくなってしまったのが、私達なのに違いない。

そんな私達が、自然のサイクルと、いっときでも一緒になれる時が、生き物達とその軌跡と出会う時なのかもしれない。

そしてそれが、文明の壜の中で生きるのを余儀なくされる、ホムンクルスとしての私達が、壜の外から出て、自然の中に溶け込める、掛け替えのない幸せなひとときなのかもしれない。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/09/16 20:54:11

茂木健一郎様 こんにちは。
『生きて死ぬ私』の抜粋、思わず音読してしまいました。
とても強く胸を打たれたからです。
私は、沖縄にはまだ一度も足を運んだことがないので、
マルオミナエシの貝はもちろん、南国の気候で満ちた沖縄の雰囲気を
想像でしか、思い描くことはできません。
でも、茂木さんの文面から、すごく強いメッセージを受けました。
長い年月を経て今現在も存在している、尊い大自然と、
わずか数十年で構築された、ビルや飛行機が多様化される人間本位の文明世界。
どちらが本当に私達にとって居心地の良い環境なのか考えてしまいます。

私も東京というメガシティの中で、嵐のように過ぎ去っていく日々の中で、
自分はいったい何のために存在しているのかよく分からなくなることがあります。
そのような疑問を抱く人は、周りには意外と少なく、
一人だけで疑問に耽っていることに悲しさを覚える時があります。
そんな時、ふと思い立って、山や海辺に旅行に出ると、驚くほど癒されるんです。
本当に自分がやるべきことは何なのだろうかと、
そういう一瞬の癒しの時に、答えが見出せそうになるのですが、
結局東京に戻ってくれば、日々の忙しさに巻き込まれ、
いつの間にか、恐ろしい早さで月日はまた過ぎ去って行き、
また何か大切なものを見失ったままになっています。
そんな毎日の、忙しさの象徴とも言える通勤ラッシュの中で、
茂木さんの本を読み、何とか自分の中の「芯」を保持できているような気がします。
次読む本は、『生きて死ぬ私』に決めました。

投稿: mido | 2009/09/16 15:26:39

茂木健一郎様
お元気でいらっしゃいますか。
都会の文脈のなかでの疾走にもどられたのですね。
ときは宇宙のなかでつながっていますでしょう?
すべてが明るく展開されていきますね。
ものいわぬものたちとともに生きておられる
ことの大きさが真に伝わっております。
気づかせていただいております。
ものいわぬものたちを想っていきられる
その様な生き方をしていきたく思います。

投稿: Yoshiko.T | 2009/09/16 9:26:20

茂木さん、おはようございます。
沖縄・竹富島は、楽しい旅となったようですね。

美味しいフルーツに、夜空に輝く天の川、そして今回も
「マルオミナエシ」の貝殻。

どれもこれも、竹富島だからこそ!の自然が感じられる
ものですね。

東京や大都市にはない、素朴なものの中に自然溢れる物
がたくさんある!感じられる!ものばかり・・・。

よかったですね。

島から東京へ戻られると確かに異なった「文明」が待ち
受けてはいますが、東京の良さもたくさんあって、今回
、私は久し振りの東京暮らしをしていますが江戸っ子の
人情とやらを日々、感じています。(笑)

浅草などに近いところなので、余計にそう感じているの
かもしれないのですが、近くのスーパーなどでは気軽に
話しかけてくださるのです。
食料品売り場以外は早い時間に閉まってしまうのですが、
2階の売り場へ行きたいな~!と言う顔で見上げている
と、店員さんが「2階の電気、点けましょうか?!」っ
ておっしゃってくださって、と~~~っても親切。(笑)
もう、こんなことが数回、あります。

どこであっても人の人情に触れられるとやっぱり嬉しい。

さてさて、今日は「鳩山新内閣発足」の日。
東京から沖縄!そして北海道!いいえ~、全国津々浦々~、
小さな島で暮らしている方々にとっても、少しでも夢や
希望が感じられる、そんな「徳政」を行なっていただきた
いものですね!

では、また。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2009/09/16 8:19:27

↓追伸
思い出しました。
(・ω・)/


「冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆」
与謝野晶子

確か与謝野鉄幹が亡くなった時に晶子が詠んだ歌だったかと存じます。

星の王子さまみたいな和歌だなと思ったので…

みんなの中に王子さまって、生きてますよね♪
ただ大人になると気付かないだけで。

乱文お許し下さい。では!

投稿: 眠り猫2 | 2009/09/16 8:17:04

「生きて死ぬ私」は全編がひとつの「詩」だと思います。

リリカルで水晶のような硬度の煌めきが非常に美しく、茂木さんの御著書の中で最も好きな作品のひとつです。

余談ですが茂木さんの本のタイトルも、そろそろ「脳」はいらないような気がいたします?
(脳科学がご専門なのは世の中に浸透したので?)
必ずしも茂木さんがタイトル決めている訳じゃないと思いますが…

昨晩は川江美奈子さんが朗読する「星の王子さま」を聴きながら寝たら癒されました♪
川江さんの朗読、最高デス♪
「星の王子さま」は内容が深いですね。
「砂漠が美しいのは井戸を隠しているからなんだよ」

「大切なものは、目には見えない」

「僕が世話をしたから、世界でただひとつのバラなんだ」
「もしも誰かが何百万もの星の中のたったひとつの星に咲く花を愛していたら、その人は星空を見るだけで幸せになれる…」

「星の王子さま」も全編が「詩」なのだと思います。

与謝野晶子で王子さまと共通する素敵な和歌がありました。(・ω・)/
あれれ?思い出せません?(汗)
思い出したら、お伝えします?

それでは今日も良き日を\(^_^)/

投稿: 眠り猫2 | 2009/09/16 8:05:42

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