文明の星時間 ターナー賞の叡智
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第81回 ターナー賞の叡智
サンデー毎日 2009年9月27日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
評価の定まった作品ばかりを見ていると、それらを生み出した生の偶有性を忘れてしまう。とりわけ、日本のように「権威」や「伝統」といったものに対して弱い国では、「正統」を標榜することが、生命原理から離れることにつながりやすい。
今日、現在進行形で新しい文化が生み出されているとすれば、それは社会的に権威や価値が定まったものではなく、むしろ毀誉褒貶の激しいものの中にあるはずである。賛成と反対の対立の中から未来の傑作が生み出される。そのようなダイナミックな認識を、日本人はもっと持った方が良い。
現代美術における最も有名な賞の一つである英国の「ターナー賞」に、しばらく前から惹かれていた。最近、ロンドンを訪れたことをきっかけに、ターナー賞のあり方について改めて考えた。現代日本からともすれば欠けている「論争を通した新しい価値の創造」に向けての智恵がそこにはあるように思う。
「ターナー賞」は、18世紀から19世紀中頃まで活躍した英国を代表する画家、ジョセフ・マラード・ターナーに因んだ賞である。1984年に創設されたターナー賞は、候補作が発表されると同時に作家たちがメディアの注目を集め、受賞作が決定されるとその当否を巡って激しい論争が起こることで知られている。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
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9月 16, 2009 at 06:33 午前 | Permalink
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コメント
連載を読まさせていただきました。
毀誉褒貶こそが、きっと、中に普遍性を秘めたものを生み出す「揺籃」なのかもしれないと思った。
アートだけでなく、文学界でも、思想の世界でも。
先日TVの「ETV特集」を見ていたら、ゴーギャンの「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」という畢生の大作についての特集がやっていた。
今は評価が定まったゴーギャンのタヒチで描いた作品も、出品当初は酷評された。まさに毀誉褒貶の雨嵐を、当時のゴーギャンは浴びせられた。
そして今、毀誉褒貶の嵐を越えて、普遍性を秘めて、彼の作品は残った。
いま評価が定まっていない作品達の中で、どれほど後世まで残るものがあるのだろうか。
投稿: 銀鏡反応 | 2009/09/16 21:01:50