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Lights are everywhere
The Qualia Journal
10th September 2009
http://qualiajournal.blogspot.com/
9月 10, 2009 at 07:37 午前 | Permalink
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おはようございます!
茂木さん、美しいです。 あんな光がわたし達のまわりを包んでいるなんて、 幸福です。 茂木さんはいつも 人や物事の 芯に存在するきらめきを見つめてらっしゃるのですね。
わたしもがんばります! きっと、いつもわたしは茂木さんを失望させたりしているのでしょうけれど、 メゲズニ光ヲ信ジテ!!
投稿: 光嶋夏輝 | 2009/09/11 2:39:28
茂木健一郎様 光の日記をありがとうございます。 大阿闍梨さんの苦しみを想像いたしかねますが、 光りが輝きが見えたのですね。 だから、ニ度も挑まれたのですね。 人間の脳はなんて偉大なのでしょう。 茂木さん挑み甲斐がおありなのですね。 .....、茂木さん
投稿: Yoshiko.T | 2009/09/11 1:06:36
心が洗われるような感じです。
>Even when we cannot seem, the lights are everywhere,
“Lights”が光線でもあり、同時に、希望の光を示すようにも思えてきて、このフレーズに二元的な印象を覚えます。 心の闇にまみれていたとしても、依然として希望の光はそこにはあって。ただ、見えていないだけであって。。。 照射して、輝いて、乱反射して、互いに作用し合う光。 生命の輝きもまた。
見えるものだけにとらわれることなく、また、見えないことに閉ざされることなく、見えざる何かに精一杯に魂を傾けてみる。そんな志向性を育んでいきたいものです。
気づいたら、まるで魂の鉱脈を掘り当てようとするような、深いところまで静かに降りて行くような感覚に導かれました。
投稿: 須戸 和美 | 2009/09/10 23:44:46
光はあらゆる所にある
先日、私は京都の近くの比叡山のお寺を訪ねた。
私は、二度にわたり千日回峰行 (山中で、徹底した生きるか死ぬかの旅の千日) を成し遂げた、大阿闍梨の酒井雄哉さんに会った。
私は、静かな聖域から離れるときに振り返った。 そこには木々の間に浸透している太陽の光線 (光源から広がる細い線状の光)があった。 それらが目に見えるように構成されたとき、 そこにはそのような大気を通り抜けて進む光の魔法 がある。
私達が見ることが出来ないときでさえ、 その光はあらゆる所にある、浸透している、 反映される、照らしている、そして発散している。
私の心の中の、その木立の中の光線は、 目に見えないことのひとつの例として、 私たちの生命を取り囲むもの。 めったにない条件の働きを通して 目に見えるようにされたとき、 それらは千載一遇の奇跡として私たちに現れる、 しかし地上のどれも全て同じだ。
お写真:日光の光線が木々を通して浸透している。
おかしな訳で失礼になったらすみません。
絵のようにきれいなお写真から、 静謐な透明感のある空気が伝わってきます。 とてもきれいで浸ります。 このような瞬間に遭遇できることは、 嬉しい幸運ですね。 しばらくそこに立ち尽くして浸って いたいですね。
雲の切れ間から斜めに差し込む太陽光線を 写真に写そうとしたことがあるのです。 本当に絵のようにきれいだったのですが、 用意できなくて、すぐ写せなくて、 シャッターチャンスを逃してしまったことがあります。 心の目には焼きついているのですが。
雲が風に流れて刻々と変化するので、切れ間からの 光線もそれに連れて、留まらず変化していました。
今日のブログとお写真から、 そのときのきれいな斜めの光線を思い出しました。 ありがとうございます。
生命の周りにいつも存在するけれども 目には見えていないものが、 何かのきっかけで奇跡的に目の前に現れて 気付かされて、息を呑む瞬間がある。 人間の感覚はきっとそのようなときにこそ (それを捉えて味わう人間ならではの力)真価を 発揮するのかなと思います。 感じる心は人間だからこそのもの。 それがあるから、見えないものも見えるものも、 生かされる機会が生まれて、様々なイマジネーションから 創造作品も生まれてきたのかもしれないです。
投稿: 発展途上人 | 2009/09/10 21:09:32
天にいたる光の階梯ですね きれいです 酒井師の「一日一生」必ず拝読いたしますね♪
投稿: 眠り猫2 | 2009/09/10 12:20:35
今朝は蝉の声と虫の音の重奏がメゾピアノで聞こえてくる柔らかな秋となりました。そんなことが嬉しい私は前世きっと何処かの飼い猫だったのでしょう。 昨日録画しておいた深夜の音楽会、こんな番組があったなんて。茂木さんどうも有難う! アンコールの中村紘子さんのショパンはもう、ショパンを弟のように慈しむかのように聴こえてきて、あの小さな手のひらの指先に宿る強靭な愛を体感しました。 パイオニアという言葉を投げかけた茂木さんご自身、紘子さんにご自分との共通項を探っていらっしゃったのでしょう。美しいピアニストが、さりげなく温かく受け応えなさっていたのが印象的でした。
投稿: nami | 2009/09/10 11:03:01
みごとな光線のお写真。 こどもの頃の宮之浦岳の雪を思い出しました。 対岸の宮之浦岳が、光と大気の具合で まれにむらさきの後光を放ちます。 わたしたちは毎朝その頂に拍手を打つのですが 後光のさす日は、ただただ息をのんで 聖地に戯れる神の気配に釘付けになりました。
河口洋一郎は高校の先輩です。 上京したての頃、東京新参の数人で 新宿のさつま料理の店に 連れてってもらったっけ。 わたしたちがすっかり標準語化していたのに 先輩は島のアクセントそのままで。 なんだかほっとして みんなで一升瓶を空けました。 茂木先生と、島人たちと、 またいっしょに飲みたいな。
投稿: 島唄子 | 2009/09/10 10:12:04
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コメント
おはようございます!
茂木さん、美しいです。
あんな光がわたし達のまわりを包んでいるなんて、
幸福です。
茂木さんはいつも
人や物事の
芯に存在するきらめきを見つめてらっしゃるのですね。
わたしもがんばります!
きっと、いつもわたしは茂木さんを失望させたりしているのでしょうけれど、
メゲズニ光ヲ信ジテ!!
投稿: 光嶋夏輝 | 2009/09/11 2:39:28
茂木健一郎様
光の日記をありがとうございます。
大阿闍梨さんの苦しみを想像いたしかねますが、
光りが輝きが見えたのですね。
だから、ニ度も挑まれたのですね。
人間の脳はなんて偉大なのでしょう。
茂木さん挑み甲斐がおありなのですね。
.....、茂木さん
投稿: Yoshiko.T | 2009/09/11 1:06:36
心が洗われるような感じです。
>Even when we cannot seem, the lights are everywhere,
“Lights”が光線でもあり、同時に、希望の光を示すようにも思えてきて、このフレーズに二元的な印象を覚えます。
心の闇にまみれていたとしても、依然として希望の光はそこにはあって。ただ、見えていないだけであって。。。
照射して、輝いて、乱反射して、互いに作用し合う光。
生命の輝きもまた。
見えるものだけにとらわれることなく、また、見えないことに閉ざされることなく、見えざる何かに精一杯に魂を傾けてみる。そんな志向性を育んでいきたいものです。
気づいたら、まるで魂の鉱脈を掘り当てようとするような、深いところまで静かに降りて行くような感覚に導かれました。
投稿: 須戸 和美 | 2009/09/10 23:44:46
光はあらゆる所にある
先日、私は京都の近くの比叡山のお寺を訪ねた。
私は、二度にわたり千日回峰行
(山中で、徹底した生きるか死ぬかの旅の千日)
を成し遂げた、大阿闍梨の酒井雄哉さんに会った。
私は、静かな聖域から離れるときに振り返った。
そこには木々の間に浸透している太陽の光線
(光源から広がる細い線状の光)があった。
それらが目に見えるように構成されたとき、
そこにはそのような大気を通り抜けて進む光の魔法
がある。
私達が見ることが出来ないときでさえ、
その光はあらゆる所にある、浸透している、
反映される、照らしている、そして発散している。
私の心の中の、その木立の中の光線は、
目に見えないことのひとつの例として、
私たちの生命を取り囲むもの。
めったにない条件の働きを通して
目に見えるようにされたとき、
それらは千載一遇の奇跡として私たちに現れる、
しかし地上のどれも全て同じだ。
お写真:日光の光線が木々を通して浸透している。
おかしな訳で失礼になったらすみません。
絵のようにきれいなお写真から、
静謐な透明感のある空気が伝わってきます。
とてもきれいで浸ります。
このような瞬間に遭遇できることは、
嬉しい幸運ですね。
しばらくそこに立ち尽くして浸って
いたいですね。
雲の切れ間から斜めに差し込む太陽光線を
写真に写そうとしたことがあるのです。
本当に絵のようにきれいだったのですが、
用意できなくて、すぐ写せなくて、
シャッターチャンスを逃してしまったことがあります。
心の目には焼きついているのですが。
雲が風に流れて刻々と変化するので、切れ間からの
光線もそれに連れて、留まらず変化していました。
今日のブログとお写真から、
そのときのきれいな斜めの光線を思い出しました。
ありがとうございます。
生命の周りにいつも存在するけれども
目には見えていないものが、
何かのきっかけで奇跡的に目の前に現れて
気付かされて、息を呑む瞬間がある。
人間の感覚はきっとそのようなときにこそ
(それを捉えて味わう人間ならではの力)真価を
発揮するのかなと思います。
感じる心は人間だからこそのもの。
それがあるから、見えないものも見えるものも、
生かされる機会が生まれて、様々なイマジネーションから
創造作品も生まれてきたのかもしれないです。
投稿: 発展途上人 | 2009/09/10 21:09:32
天にいたる光の階梯ですね

きれいです
酒井師の「一日一生」必ず拝読いたしますね♪
投稿: 眠り猫2 | 2009/09/10 12:20:35
今朝は蝉の声と虫の音の重奏がメゾピアノで聞こえてくる柔らかな秋となりました。そんなことが嬉しい私は前世きっと何処かの飼い猫だったのでしょう。
昨日録画しておいた深夜の音楽会、こんな番組があったなんて。茂木さんどうも有難う!
アンコールの中村紘子さんのショパンはもう、ショパンを弟のように慈しむかのように聴こえてきて、あの小さな手のひらの指先に宿る強靭な愛を体感しました。
パイオニアという言葉を投げかけた茂木さんご自身、紘子さんにご自分との共通項を探っていらっしゃったのでしょう。美しいピアニストが、さりげなく温かく受け応えなさっていたのが印象的でした。
投稿: nami | 2009/09/10 11:03:01
みごとな光線のお写真。
こどもの頃の宮之浦岳の雪を思い出しました。
対岸の宮之浦岳が、光と大気の具合で
まれにむらさきの後光を放ちます。
わたしたちは毎朝その頂に拍手を打つのですが
後光のさす日は、ただただ息をのんで
聖地に戯れる神の気配に釘付けになりました。
河口洋一郎は高校の先輩です。
上京したての頃、東京新参の数人で
新宿のさつま料理の店に
連れてってもらったっけ。
わたしたちがすっかり標準語化していたのに
先輩は島のアクセントそのままで。
なんだかほっとして
みんなで一升瓶を空けました。
茂木先生と、島人たちと、
またいっしょに飲みたいな。
投稿: 島唄子 | 2009/09/10 10:12:04