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2009/09/30

Friendship

Friendship

漱石と子規の友情のこと

The Qualia Journal

30th September 2009

http://qualiajournal.blogspot.com/

9月 30, 2009 at 07:20 午前 |

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コメント

正岡子規のことで思い出すのは、夏目漱石との間に育まれた友情である。

青春の頃、今の東大で2人が出会ってから、子規が35歳の若さで亡くなるまで、2人はその絆をきっと強くしていったに違いない。

子規の死の報に接した時の、漱石の心中や如何ばかりか…を思う時、友の死の悲しみと共に、どちらかが死ぬまで固い友情の絆を育むことが、個々人の人生にとっての大きな宝になることに思いを馳せている。

漱石の魂の真ん中あたりには、彼が1914年に胃潰瘍で亡くなるまで、子規との間に育まれた友情の光がともっていたことだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/10/01 5:39:54

眠り猫2さまに教えて頂いた
『シッダールタ』を18ページまで拝読してみました。
ここまで読んでみて、驚きました。
シッダールタとゴーヴィンダ、二人の青年は
まるで、その魂が、漱石先生と子規先生に
似ている感じがしたからです。

【最初の夜明けの光を浴びて、こわばった足でゆっくりと、
まだ静かな町を去ったとき、最後の小屋のかたわらで、
そこにうずくまっていた影が起き上がり、巡礼者に寄りそった。
──ゴーヴィンダであった。
「来たね」とシッダールタは言い、微笑した。
「来たよ」とゴーヴィンダは言った。】
(『シッダールタ』ヘッセ/高橋健二訳 新潮文庫 より)


『坊ちゃん』の本文の後のページから、
以下の文を見つけました。

【漱石が明治二十八年に四国の松山中学に一年つとめたこと
は、まえに述べましたが、作中の、東京からこの土地へ就任
したのは、物理学校出身の数学教師です。
実際の漱石は東京帝大出の文学士で、英語を担当したのです
から、坊ちゃんのモデルを作者その人だと即断するのは、
あやまりです。むしろ、年齢的にも学校内での位置からして
も、赤シャツのほうが漱石に近いかもしれません。
・・・・・中略・・・・・
 要するに漱石は、坊ちゃんや山嵐を正義派の代表者にし、
清を純粋な愛情の持ち主として登場させ、悪徳の側に赤シャツ
と野だいこを配して、不正を正義派が退治するというかたち
で、読者の溜飲をさげさせようとしたのです。漱石は、日本の
近代作家の中でも、正義を重んじるタイプの作家でした。この
決意が、彼の生涯をつらぬいた精神でしたが、『坊ちゃん』の
永遠性も、そこにあるといえるでしょう。】
(『坊ちゃん』夏目漱石 228ページ~229ページ
この作品が書かれたわけ 偕成社文庫 より)
 
どこかその精神が似ているような気がしました。


投稿: | 2009/10/01 0:21:07

茂木健一郎様
あまりにも深遠なことがらでなぜかとても
生生しく感じるので、言葉を憚りたい気が
いたします。
生きている間にこのようなfriendshipを
生きられたらこれもまた大きな幸せですね。

投稿: Yoshiko.T | 2009/09/30 23:16:38

友情

松山での私の二日目、それから私はずっと夏目漱石と
正岡子規の間の友情について熟考していた。

漱石は現代日本文学の父である、
そして子規は現代俳句の創立者である。

子規は松山に生まれた、そして漱石は東京大学を卒業後
その都市に教師をするためにやってきた。
漱石の小説“坊ちゃん”は、彼のこの四国の南方の都市での
体験に基づいた。

その漱石と子規の二人は、文学の素晴らしい事態を
成し遂げるまで進んでいったことは、彼らの友情から離れて
独立していない。
漱石と子規は既に大学の予科でお互いを知っていた。
彼らは文学についての見解を交換した。
漱石は沢山の俳句を書いた、それを子規は読んで
そして論評をした。
とりわけ50日の集中的な期間の間、漱石と子規は同じ家に
滞在した、今、松山の公園内に復元されている。

同性の人々の間の友情は、人生で最も美しいものの一つである。
記録は、漱石と子規は初めからお互いに惹きつけられたこと、
特別良質の相手として感謝していることを、暗に示している。

子規は35歳という早すぎたときに亡くなった。
三年後に、漱石は彼の最初の小説“我輩は猫である”を
書いた。
子規は彼自身小説家になる大望を持っていた、
しかし彼の肺結核の影の下の短い人生は、彼の
(より高いもの・理想への)大望の最大限の成長を
許さなかった。

人は、漱石が彼の魂の友を振り返ったとき
どんな風に感じたかを、最高に想像することができた。

漱石自身は49歳で亡くなった。
彼の最後の小説、明暗(光りと暗闇)は、未完成
のまま残された。


おかしな訳で失礼になったら、すみません。
難しかったけれど、丁寧に訳語を探しました。
泣きそうになりました。

夏目漱石と正岡子規の魂の友情が、
現代日本文学の、豊かな広がりの兆しの時代に
大きな功績を生み出す原動力になったこと。
お互いを尊敬しあう友情が、かけがえないもの
だったことが解りました。

親友の若すぎる死に、どんなに無念だったことか、
寂しかったことか、そこから一人で書き続けていた
漱石先生の決意は、如何ばかりだったことか。

文章の淡々とした中に、なぜかいつも
寂しい決意みたいなものがそこはかとなく
漂っているのは、気持ちの底に、子規先生の遺志を
ただ一人で継ぐような、呆然としたところから
一人で立ち上がらなくちゃいけなかった、孤独な
漱石先生の寂しさがあったからなのでしょうか?
考えすぎでしょうか。

松山は、文豪の友情と日本文学の故郷なのですね。
想像の世界が果てしなく豊かに広がりますね。

素晴らしい感動を頂きました。
ありがとうございます。

投稿: | 2009/09/30 20:36:00

We can seldom meet a person whose character
and quality are admirable in the youth.
So such an encounter is fortunate and incentive,
each work may become a collaboration in a sense.

" One could only imagine how Soseki felt
as he looked back on his soul mate,
who shared literary ambitions in the youth."

I imagine Shiki's death left a void in Soseki's heart,
and Soseki was pathetic enough to undertake
the meaning of a premature death.


白洲さんの「徹子の部屋」
見逃してしまいました。残念…
ぺこりんと fire bird の有吉さん、
USBとシンコの白洲さん、
もうかなり刷り込まれています。
イイ男もエライ人もみんな三枚目キャラ。
この調子でみなさんますますご活躍ください。

投稿: | 2009/09/30 12:36:44

茂木さん、今、読ませていただきました。
今回の「松山」への旅は、‘夏目漱石’と‘正岡子規’について、
これまでの資料を基に、いろ~んなことがまた、見えてきたので
しょうね?!

正岡子規は、志半ばで若くしてお亡くなりになっているのですね。

「漱石」と「子規」の‘フレンドシップ’とは、同性間にある!
素晴らしき関係。
まるで、茂木さんと白洲さんの関係のようですね。
池上さんや~竹内さんや~、諸々~沢山!いらっしゃいますが、
茂木さんにも!!

同性間の友情というものは、本当に良きものですね!
一緒に仕事をする時などは、本当に心地よくできますね!

日本の時の総理は‘友愛’という言葉を掲げていらっしゃいます
が、自分を大事に思うように、「友」をも‘尊重する’という思い
が込められているとのこと、グローバルに。

素敵な言葉ですね!

何か、また「本」が出されるのでしょうか?
楽しみにしています。

では、今日は有吉さんとの「対談」がありますね。
楽しみにしています!!

投稿: | 2009/09/30 10:22:37

発展途上人さま

へたな俳句?なのにいつもほめていただいてありがとうございます。もじもじ。(俳句にもなっていない気がいたしますが…)
俳句の575のリズムで立ち上がる世界が好きです♪
俳句は余白だって茂木サンが「俳句脳」でおっしゃっていたのが印象的でした♪
遠藤周作の「深い河」は凄いです~
遠藤作品の集大成です。何度も読み返しては、そのたびに唸ります。
では♪

投稿: | 2009/09/30 8:30:28

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」

正岡子規といえば、まずこの句が浮かびます♪

法隆寺のある斑鳩の秋の風景が目前に浮かんで、鐘の音までごおおぉ~ん!と響いてきますよね♪
(クオリアの句ですね♪)
正岡子規、天才です!

ただ結核の為に脊椎カリエスになって長い間寝たきりでいらして、本当に受難の人生でしたよね

子規は泣いて血を吐くホトトギスからとった雅号だとか。

キリキリと胸が痛くなります。。。
(T_T)

漱石と子規は運命的出逢いだと思います♪
まさにソウルメイト♪

漱石の俳句は私も大好きですが、子規の存在は大きいです!
確か漱石がイギリス留学中に子規が亡くなって、漱石もどんなに寂しかったことかと思います。

「手向くべき線香もなくて暮れの秋」

漱石の句に顕れてますよね……
φ(.. )

今頃は天国で二人仲良く俳句を詠みあってるんじゃないでしょうか?\(^_^)/
では今日も良き日を♪

投稿: | 2009/09/30 8:16:03

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