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2009/08/26

クオリア再構築

わが友、島田雅彦もなかなかに暑い夏を過ごしているようである。

島田雅彦、茂木健一郎
『クオリア再構築』(集英社)


島田雅彦と日本や世界を旅し、対談し、
お互いにその経験から得た「クオリア」を小作品
によって「再構築」した本です。

『熱帯の夢』で昆虫写真家としての鮮烈なるデビューを飾った
中野義樹さんによる力強い写真も満載。

担当の岸尾昌子さんの丹精込めた
エディトリアルで、素晴らしい本になりました。

夏の盛りが秋へと移りゆく今日この頃、
島田雅彦との丁々発止の本書は、必読です!


「あとがき」 

茂木健一郎

 どのような時代においても、最も価値があるのは希少な資源である。金やダイヤモンドが高価な理由は、それがこの地上にあまり存在しないからに他ならない。どんなに美しいものでも、無尽蔵にあれば人々はそれを当たり前だと思って通り過ぎてしまう。
 インターネットの時代になり、情報はあふれるようになった。最先端の論文でも、多くの場合無料で手に入るようになった。映像や音楽などの作品も、その一部ないしは全てに触れることが次第に可能になってきた。このような傾向は、今後もますます強まっていくことだろう。
 変化を特徴付けるものは、「流通性」の促進である。多くの情報が、ますます低いコストで、地球中を駆けめぐるグローバリズムの時代。文化的遺伝子(「ミーム」)は世界各地からかき集められ、混ぜられ、新しい表象を生み出す。
かつては観念に過ぎなかった「地球人」による「地球文化」のリアリティが身近に感じられる時代になった。
 このような潮流の中で、逆説的に価値が増して来ているものは、容易には流通しにくいものではないか。たとえば、生命。生命活動自体をネット上で流通させることはできない。私たち一人ひとりの命は、「今、ここ」という旧来の制約の中にあり続けるしかない。あるいは、それぞれの地域に根ざした文化的伝統。言葉や記号で表現し得ない「暗黙知」の部分は、ネット上の流通に便利な形でコード化することができない。「ほら、これ」と手にのせて差し出すことのできないもの。0と1の記号列では表現し得ないものにどのように向き合うかが、グローバルな情報化時代の一大命題となりつつある。
 作家の島田雅彦氏と『クオリア再構築』の旅を続ける中で、二人で探し求めてきたものはまさに容易に流通し得ないものであったと感じる。言い換えれば関係性の中に生成されるしかないもの。脳の神経細胞のネットワークの関係性の中から生み出される「クオリア」。意識の中におけるその生々しい実感は、この世の内なるコード化し得ないものの象徴であると同時に、「今、ここ」の流通し得ない現実に対する、私たちの認識のアンテナとなるものである。
 思えば、それは、たたら製鉄に取り組んだ長い夜、熱せられた粗鋼の中にかいま見た純粋なる黄金の輝きの中にあった。あるいは、焼き畑の斜面を歩き回った時に嗅いだ、古代の残り香の中にあった。世界各地の耳慣れぬ言葉の響きの中に、隣国で対面したシャーマンの女性の表情の中にあった。遙かな旅を経て、自らの限りある生命と身体をもって寄り添うことでしか体感できなかったものたち。簡単には流通しないからこそ、記憶の中で次第に育っていくこれらのものたちの面影はいとおしい。
 情報の過剰流動性が加速する時代の中で、「今、ここ」からは動かしがたいものの象徴としてのクオリアを再構築すること。それは、また、私たち自身の生命をよみがえらせることにもつながると信じる。寄り添った分だけ、私たちの精神は深みを増す。私と島田雅彦氏は、「クオリア再構築」を試みる中でそのことを確信したように思う。
 それはまた、脳の生理に適ったことでもある。脳の中には植物的な過程がある。神経細胞がお互いに結びつきあって生み出す認識のネットワーク。その形成と更新は、ゆったりとしか進まないプロセスである。太陽を受け、水を吸い、風に吹かれる中で、次第に根を張り、葉っぱを繁らせる植物の営み。脳も変わることはない。精神の更新作用を育むためには、長い時間をかけてじっくりと寄り添うしかない。
 自分が愛する文脈を見きわめ、その中にできるだけ長い時間身を置くこと。そのことによって、適った養分が注がれ、太陽光線が投射され、精神という植物が大きく育つ。そのような旅のパートナーとして、島田雅彦氏を得たことはまさに僥倖だった。
 「今、ここ」に寄り添うことには、覚悟がいることだろう。しかし、それ以外の道はありそうにもない。たたら製鉄の炉の中で、どっしりと動かなかったもの。しかし、内部の分子運動が加速化するにつれて、次第に光が発せられ、やがてはこの世で最も輝かしい黄金色となった。精神のダイナミクスも同じことである。やたらと器用に踊ることだけが、生命の活気を表すわけではない。流通しなくても良い。外から見れば、動いていないと思われてもかまわない。ただ、内なる切実さに寄り添うこと。脳の中のネットワークで、目に見えない華麗なパス回しを続けること。目の前の人の気配を感じ、全身で受け止めること。島田雅彦氏との「クオリア再構築」に流れていた時間は、そのような滋味にあふれていた。
 本書が成るに当たっては、集英社の岸尾昌子氏の並々ならぬご尽力があった。「クオリア再構築」というコンセプト自体が、岸尾氏と島田氏によるものです。また、生き生きとした現場感を捉える素晴らしい写真の数々は、中野義樹氏によるものである。お二人に心からの感謝を表する。

8月 26, 2009 at 09:26 午前 |

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コメント

『未来巡礼』の章のPart2より 『大演説』を拝読してですが。

文章そのものに対して、知への憧れ&恋するような気持ちを抱きながら、何度も繰り返し読みました。

『因果性から外れれば、・・・・・・君自身の生のために。』
君の~、君自身の~ という呼びかけ。
~を持つな。~羽ばたけ。~ふりをしろ。~を想え。~そうしろ。
全ての言葉に打たれます。

因果的決定論と自由意志、そして両立説。
おそらくは言い尽くせないほどの難しさと複雑さを抱えられながらも、それでもなお、心強い言葉を示してくださることに、感動しました。

大演説。
夜空を見上げ、聴衆のいない闇に向かって声を張り上げる。
今宵もまた、夜空を見上げて、何かを想うのですか。

意識における一人ひとりの絶対的なまでの孤独。
隔たり。 超えられないもの。
けれども、遥か彼方には見えざる星辰軌道がある。
そう想うだけで、十分な喜びがあるように感じます。


夏も終わりますね・・・。
この季節は、やっぱり切なくなります。
何かを失うような、痛みが残るような、苦しくも甘いような。
クレイジーケンバンドさんの♪ガールフレンド♪がお似合いの季節です。

残暑、どうか、お体ご自愛ください。

投稿: 須戸 和美 | 2009/08/27 23:42:57

茂木健一郎さま

おはようございます

昨晩の半井小絵さんの気象解説通り 東京は町田市、晴天です、週末雨?うーん

茅ヶ崎の釣具屋さん
磯屋さんのホームページ内、釣果写真にてメジナを二匹持っての私

きちんと このように茅ヶ崎の沖磯でお魚釣り!
お楽しみ券と私は呼んでます、サービス券

十枚貯めると渡船、一回無料!現在、私は九枚目
本当、お楽しみ券の状態 あと一枚!あと一枚!です。

投稿: 町田市の高木英樹 | 2009/08/27 7:16:50

【ただ、内なる切実さに寄り添うこと。】

考え方生き方の芯になるものを、
大切に持ち続けることと、その芯に
寄り添うことかなと、思いました。

あとがきの文章を拝読して、
御著書を拝読してみたいと思いました。

投稿: 発展途上人 | 2009/08/27 1:06:36

茂木先生 と呼ばせて頂きます 。

「クオリア再構築 」 の あとがき の文脈 は凄い
ですね。

まるで バラード曲(ポピュラー音楽として)を
聞いているようなクオリア。

受信する側の クオリアは力不足ですが、素晴らしい + 脱帽 + 賞賛 (拍手!) です 。

読ませて いただきます。

投稿: サラリン | 2009/08/27 0:33:34

茂木さんこんにちは

クオリア日記って
いつ読んでも忙しそうで
それでいて何だか楽しそうですよね

そうそう
読みましたょ~
「白州スタイル」

とっても心に染み入る。。というか
読んでいてとっても心地よくて
私のお気に入りの一冊になりました

茂木さんと白州さんの対談もとっても面白くて
笑ってしまったり。。考えさせられたり。。

とても沢山感じることがあって
とてもじゃないけど書き切れません

なのでこの辺で。。

まだまだ暑い日が続きますがお体には気をつけて
お仕事ガンバってくださいね~

投稿: Angelian | 2009/08/26 16:55:32

クオリア再構築、ただいま読んでます♪(寝る前に)
民族学とゆーか文化人類学的な?視点がとてもユニークで、読み応えありすぎです♪
また読み終えたら、感想書きますね~

投稿: 眠り猫2 | 2009/08/26 16:46:53

茂木さん こんにちは

相変わらずお忙しそうで
でも何だか楽しそうでもあり・・・


さっそくですが
読みました
「白州スタイル」

とっても心に染み入るというか
自分はこれでいいんだと肯定できたというか
読んでいてとっても心地いい一冊でした。

茂木さんとの対談もとても面白く(他に表現方法が見あたらなくて・・)
だんだん熱くなっていくような茂木さんの言葉に
刺激しあえる友って最高だよななんて思ったり。

本当はもっと沢山感想があるんですけど
とてもじゃないけど書ききれません

まだまだ暑い日が続きますが
新型インフルエンザには気をつけてくださいね~

投稿: Angelian | 2009/08/26 15:18:03

>自分が愛する文脈を見きわめ、その中にできるだけ長い時間身を置くこと。そのことによって、適った養分が注がれ、太陽光線が投射され、精神という植物が大きく育つ。

すばらしい一文に触れることができました。
ありがとうございます。

投稿: nammu | 2009/08/26 13:23:22

茂木先生こんにちわ。
日記を読ませていただいてふと思うことは・・・
つかみにくい、言葉で表しにくいのに、ものすごく深く、それなのにつかみにくい・・・だけど他の人ともやり取りできる共通の感覚・・・と思いました。
夕べ私は、最近通っている体育館のマットの上にあおむけになって目を閉じていました。インストラクターの声は意識しないと、すぐ、聞こえなくなります。私には、開いた窓から入ってくる、秋の虫の声の方がよく聞こえます。毎年、いろいろな場所で、夏の始まりや秋の始まりの夜に聞こえてくる虫の声。いったいどんな姿の虫が鳴いているのかなぁと考えているだけで、その姿を確認したことも調べたこともありません。
それより先に気持ちは違うところにそれてしまうからです。…前にこの感じを感じたのはいつだったかな?という方向に。
夕べも気付いたら他の人たちは、インストラクターの指示通り、違うポーズをとっていて、私ははっとしたのですが。・・・・ついいつも考えないでいいようなことばかり考えてしまうのですが、そう言いつつも考えてしまうのは、たぶん、そういう風に考え遊びするのが好きなのかなぁと思います。頭の中で考えるのは自由♪だと思っているから。笑。
夏の終わりの感じ・・・木の葉の影が少し薄くなるものの、蝉はまだ鳴いている・・・飛び込み前のプールの水面を涼しい風がさらさら撫でるのを静かにじっと見つめる。ざらざらのコンクリートのプールサイドに座る足や腕の肌にうつるコンクリートのぼつぼつの痕。夕方は、甘いオレンジ色にうすい水色を混ぜた感じ・・・日が沈んだあと、気持ち良い夜風が寂しさを増して、好きな人のいいところを思って感謝するもののもっと寂しくだるくなる前にやることやらないとなーと動かす疲れた重い体。夜の静かな台所で、止まった音楽はそのままに、目の焦点は定めず、向う秋に心の目を据えて、改めて気合いを入れる感じ・・・秋は過ごしやすいせいか(真夏は暑くて顔をしかめて、「あついあつい」ばかり言ってますから!)いろいろ考える気持ちの余裕ができるのか、思うこと多い素敵な季節です・・・。今日もよい一日になりますように!

投稿: 無国籍風ねむねむ | 2009/08/26 10:39:17

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