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2009/08/17

ミュンヘン駅にて

 時速220キロで疾走するインターシティ・エクスプレスの窓から、緑の沃野が見える。祝祭劇場の立つ「緑の丘」と、さほど変わらない光景。あの夕べ、劇場を囲む緑の広がりが特別なもののように思えたのは、やはりワグナーがその地を音楽祭が行われる場所と定めたという縁ゆえんだろう。
 ドイツという国には、今も昔もずっとこんなにもふんだんに緑が広がっていて、そんな中で、ワグナーの自然やさまざまなものに対する感受性は育まれた。
 芸術もまた、風土の果実であるはずだ。
 21世紀を生きる私は、バイロイトを10時27分に出て、同じ日の12時40分にはもうミュンヘンに着いている。リヒャルト・ワグナーにとっては、もちろん、事はそんなに簡単ではなかった。ミュンヘンから、ニュルンベルクへ。そしてバイロイトへ。何日も何日も、馬車に揺られた旅は続いたことだろう。宿屋に泊まる算段もつけなければならない。旅装を解き、疲れを癒す。そんなリズムを繰り返す中で、リヒャルト・ワグナーの人生は育まれていった。
 時代は変わった。そして、人々の経験も変わった。
 周囲に次第に建物が増えてきた。時計を見ると、あと数分で予定の時刻である。
 列車がミュンヘン中央駅に到着し、ドアが開いた瞬間、どこからか大きな歓声が聞こえてきた。
 沢山の男たちが、声を合わせて気勢を上げている。
 おそらく、サッカーか何かのファンたちが集まって声を出しているのだろう、とまでは推測できた。しかし、列車に沿ってプラットフォームを歩き、やがて目に入ってきた光景は、予想の範囲を超えていた。
 ものものしい防護服に身を包み、警棒をもった男たちが、ずらりと並んでいる。黒い服を着た男たちの向こう側に、さらに一列、男たちが並んでいる。
 昨日の『パルジファル』の二幕に出てきたナチスの兵隊たちが、舞台から飛び出したのか。そんな連想が浮かんだ。
 しかし、そうではない。ここは、現代のドイツである。
 一人ひとりのユニフォームには、大きく「ポリツァイ」と書かれている。秩序維持のために動員された警察官たち。
 警察が作った二重の人垣に囲まれて大声を上げているのは、黄色いユニフォームを着た男たちだった。一人ひとり、持ち物のチェックを受けている。金属検出器のようなものを当てられている男たちもいる。
 周囲を見渡すと、階段の上や、プラットフォームの上の数カ所から、警察官たちが男たちを撮影している。記録に収めて、何かトラブルがあった時には証拠として用いるのだろう。
 武装警官たちの威圧感は大変なもの。虫一匹這い出ることもできそうもない。その勢いに気圧されそうになりながらも、興味を惹かれて、こわごわのぞき込む。
 そうやって、人垣の向こうの黄色い人の群れを熱心に見ていると、青いシャツを着た若者が橫の方からふらふらと近づいてきた。
 見ると、手にビール瓶を持っている。
 「Look. Here you can see the fooligans from Dresden」
 若者は英語で言った。少し、舌がもつれていた。悪いやつではなさそうだ。しかし、足下がふらついている。
 「Oh, I see」
 私は、若者にそう応えた。失礼ではない程度にその場に立ち続けた。そうやって、ゆっくりとビールの匂いから離れていった。
 男たちは、列車に乗って、ドレスデンからミュンヘンへとやってきた。駅に到着し、ミュンヘン市街へと入る前に、プラットフォーム上で武装警官たちによって身体検査を受けているのだ。
 日曜日。これから、サッカーの試合があるのだろう。
 彼らは、悪名高きフーリガン。しかし、感心したのは、まさにそれゆえである。
 彼らが上げている気勢は、見事なまでにリズムが合っていたのである。
 プラットフォームの上に広がっているわけだから、声を出すにしても、三々五々、少し乱れながら続く、というのならばわかる。しかし、そうではなかった。声の出だしも、終わりも、まるで一つの生命体のように、完璧に揃っていた。
 しかも、声を出さない時には、沈黙を守っているのである。
 静寂と大音響のメリハリ。見事にそろった発声。誰かが合図をしている様子も見えない。社会の秩序を乱すはずのフーリガンたちが、一糸乱れず、素晴らしい秩序を見せている。 
 「フーリガンにしては、うまいじゃないか。」
 こんなところにも、国民性が表れる。
 「ドイツ人は、フーリガンといえども、秩序を守ることができるんだなあ」
 そう考えると、何だかおかしかった。
 思わず、昨日聴いたばかりのバイロイト祝祭劇場の合唱のクオリティの高さを思い出した。
 ミュンヘン中駅に乗り込んだフーリガンたちと、ワグナーゆかりのバイロイト祝祭劇場の合唱団たちは、一つの秩序感覚でつながっている。
 合唱がうまいフーリガンたちよ、どうか平和に、ドレスデン対ミュンヘンの試合を楽しんでくれたまえ!
 すでに何人かは検査を切り抜けたようだ。黄色いユニフォームをまとい、刺青をむき出しにした男たちがいかつい格好で行き交う階段を下りると、ミュンヘン空港に向かうS8の列車に乗り込んだ。

8月 17, 2009 at 11:06 午前 |

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コメント

茂木さん、Hello♪(^-^)色々な人達が居る中で♪偶然にも合唱が上手い♪そのチームの人達を見たり言葉を交わしたり出来て♪その人達も人間だから♪サッカーの試合を楽しんだ後は眠りに♪眠りと言えば電気をつけたまま眠ってしまったのですが♪目が覚めて♪少し離れた所に置いてある♪置時計を見てビックリして飛び起きたのです(O.O;)12:30分?♪かと思って(笑)でも♪良かった♪6時でした♪(;^_^A(笑)(^o^)у茂木さんはそういう事ありますか?♪(笑)ところで、茂木さん♪3Dサングラスをもらったんですが♪DVDが発売されたらまた観たいな♪と思っているのですが♪3Dって♪映画館だけの体験なのですかね?♪(笑)(^3^)それでは茂木さん、また今度です。

投稿: 水饅頭 | 2009/08/18 7:26:36

茂木健一郎さま

おはようございます

ところで、半井小絵さん、夏休みらしく、別のお方でした昨晩の気象解説。

リズムから全て乱れずに

譲れない、何かがある! 

場所、服装、などなど

それは駅とバイロイト 正装とジャージという正装 
その違いだけで本質的には同じような気がします

もしかしたら、サッカー観戦の方々から見ると
真夏の暑い日に なんで?空調もない過酷な状況でオペラを?
でしたり極端な話。

文化の根底 痛感です。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/08/18 7:23:50

おはようございます 茂木サン

ミュンヘン駅で 遭遇したたくさんのフリーガン

自分達は 楽しい事でも 警官の防御の様子は
やはり 人としてその行動は 間違っている

茂木サンや 回りの方々が
安全で よかったです。


今 素敵な文化や 街のたたずまい 人の良さを
感じられる というのは 先人の生き方 考え方の クオリティ が 高さと

意識、 無意識に関わらず 受け継がれている証拠ですね

私達も 日本人として良さを 内側から 無意識、 意識を持って 受け継いでいきたい

茂木サンの 日本のクオリアの 本に 書いていますね。

投稿: サラリン | 2009/08/18 7:12:48

昔の旅と、現代の高速移動の旅。
旅の移動時間の速さは変わっても、変わらないもの。

【ドイツという国には、今も昔もずっとこんなにも
ふんだんに緑が広がっていて、そんな中で、ワグナーの
自然やさまざまなものに対する感受性は育まれた。
 芸術もまた、風土の果実であるはずだ。】

豊かな自然が、今も緑濃く残っていて、
国民性の風土からの影響も、大きいのかもしれないなと
感じます。

祝祭劇場の合唱団のクオリティの高さと、
ドレスデンからのフーリガンの人々の揃った叫び声の、
秩序感覚が繋がっているという発見が、面白いですね。
ぴたっと揃った声で、力強い応援を平和的にして欲しい
ですね。
応援歌があったら、きっと力強い見事な合唱で、
サッカースタジアムに響き渡るかもしれません。
そうしたら、サッカーの試合も、スポーツと芸術の
両方の面で楽しみが増して、もっと盛り上がるのでは?
と想像してしまいました。

ミュンヘン空港に向かう列車に乗り継ぐ前に、
オペラの余韻から、現代の騒動の怖さの中のほほえましさ
に立ち会うことになって、びっくりしましたね。

帰路もご無事で良かったです。

投稿: 発展途上人 | 2009/08/18 0:20:57

450〜500位ですか。
BMWみたいな車を作れる民族の列車はどんな加速感なんでしょうね。

投稿: 〆張酉 | 2009/08/18 0:03:16

茂木健一郎さま

先週の土曜日

神奈川県は茅ヶ崎の沖磯にてメジナの30センチオーバー、二匹釣りましたこと、なぜ、嬉しいかですけど

スズキ島に渡ればメジナは、入れ食い状態と、この数週間の流れで、
しかし、偏ってしまうんです、スズキ島が得意な釣りと、それが嫌で
そこで事実、渡船にて烏帽子岩本島、とか、大平、とか、う島、とか 沖のトサカ、など意識的に渡る島を変えてました。
なんとなく、30センチオーバーのメジナ、ここにいそう!と、実際。

面白いもので
釣り上げた時のウキの動き覚えてます今も
コブ斜面を滑る時、同じラインの場合、コブの形状を覚えてますが、ウキの動きを見ている時、ウキが入った!アワセた!感覚的に似てます。

入れ食い状態ではなかった大平、でも十分に楽しくでした
楽しい感覚は重要ですよね。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/08/17 23:46:30

お帰りなさい、先生!!
僕は10歳からサッカーをしているので、サッカー、フーリガンの話には思わず、画面に食いついてしまいました(^^ゞ
面白い場面に遭遇しましたね!

ちょうど僕も夜に、新宿のサッカーショップKAMOでスパイクを購入したところでした。店員さんはみんなフレンドリーで、何かスポーツウェアを買うときはおススメ☆ですよ。
明日はサークル、“早稲田大学水曜サッカー会”の練習が練馬で昼間やっており、久々に行くつもりです。結果出します。


またコメントさせていただきます。
長旅お疲れ様でした。

投稿: 稲吉啓史 | 2009/08/17 23:42:13

なるほど、フーリガンにも、お国柄(国民性)が出るものなんですね。ドイツの国民性と言えば、真っ先に「秩序を守る」ことと「清潔にする」ということが浮かんだ。

フーリガン、合唱、ナチスの兵士たちの行進…。パッ!パッ!と、一糸乱れぬ、完璧に揃っている規律性を保っているというのは、ある意味恐ろしいほどに整っているなと感じざるを得ないのだが、如何も秩序があるようでないような、何処か柔らかくてフワフワとしているのを好む、この国の国民性とはまた違った(一種羨ましいと思える)味わいがある。

独逸の“秩序キッチリ性”、日本の“柔らかフワフワ性”、この2つの国の人々が、お互いのよいところを民間文化交流などでもっと学べあったらいいのにな、と思ったりする。

秩序を守る、清潔という独逸の国民性は、ものの美意識にも現われているのではないか。

私は独逸の製品が何故か好きで、万年筆なども、メカニズムと美意識が一つになって、使える藝術品になっていると感ずる。ゾーリンゲンで作られている刃物もそうで、昔、雑誌の広告で見た製品は、機能と芸術性の両方が凄く洗練されていたと思う。

子供のおもちゃも、子供にとって優しい素材を使っているし、きりっとした美意識が見え隠れしているように思う。

それぞれの国の、国民性も、美意識や芸術性に深く関わっている…今にして思えば、それを教えてくれたのは、独逸の藝術や製品だったかも知れぬ。

ヴァーグナーの存命時代、ミュンヘンからバイロイトまでは馬車で何日もかけて、出かけていかなくてはならなかったから、今の鉄道が通って便利になった時代よりは、相当速めに逆算しなくてはならなかったろう。

電車や飛行機が出来て、旅はとても便利になったけれど、馬車や徒歩の時代のほうが、旅路の味わいを深く噛み締められたのではなかったのか。

いずれにしても、時代と共に味わい方も変わってくるけれど、心に響くさまざまなものは、きっと同じなのかもしれない。

それにしても…今は鈍行よりも新幹線であっという間に目的地に着いてしまう時代。折角の旅路の味わいが、いっそう薄まってしまうような気がしている。

何はともあれ、どんなかたちであれ、旅は人生にとって、一回性の思い出を残し、人生の行路逸れ自体すら変える力も持っている。

出来る事ならイメージでもいいから、まだ見ぬ知らぬ遠い場所を、じっくりと旅してみたい。

茂木さん、今頃はゆっくり、お休みのことと思われます。今宵はゆっくりとお体を休められますよう。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/08/17 21:30:55

ワグナーに惹かれるのは、緑からきているのかもって思ったら、
深く深く、感動です!!

投稿: ふぉれすと | 2009/08/17 17:05:21

茂木先生 こんにちわ

ご無事で 何よりです。お帰りなさい。

>リヒャルト・ワグナーにとっては、もちろん、事はそんなに簡単ではなかった。ミュンヘンから、ニュルンベルクへ。そしてバイロイトへ。何日も何日も、馬車に揺られた旅は続いたことだろう。宿屋に泊まる算段もつけなければならない。旅装を解き、疲れを癒す。そんなリズムを繰り返す中で、リヒャルト・ワグナーの人生は育まれていった。

本当に そうですね。
茂木先生が 書かれたように 今と昔では
旅の意味するものは かなり違っていたのでしょうね。

もしも ワグナーが 現代に生きていたなら・・。
旅に費やされたでしょう あまった時間で
より多くの作品を 作ることができたのかもしれませんね
・・今でも 多分 天国で なにかしら作っていそうですけれど


ところで フーリガンに遭遇されたのですね。
しっかりした身体つきの人達。

彼等を見ると 日本の今の 草食系男子なんて
ひよひよだなぁ なんて思ってしまいます。
いぇ どちらが 良いとか そぅ言う問題ではなくて・・。

それにしても 色々な文化が それぞれの国に あるものですね

投稿: Lily | 2009/08/17 15:30:47

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