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2009/08/29

Bats

Bats

The Qualia Journal

29th August 2009

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8月 29, 2009 at 07:42 午前 |

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コメント

読みかけの短編集の続きを手繰ると、今夜はちょうど、「こうもり」というタイトルの物語が待っていました。宮本輝さんの昭和五十年代の作品のひとつです。
宮本輝さんが昭和の間に発表した作品達には、えもいわれぬ戦後の影の香りが立ち込めていて、それだのに作家の文章がさらりと美しいから、追憶の中にいるような気分になります。知らない時代の知らない街が舞台なのに、ああこういう事があったのだと自然に入って来てしまう。
とにかくこの方の筆は偉そうではないのです、人や街や時間を見る視点が透き通って雪のような情緒です。

この、偉そうにならないというのが、気をつければ簡単なようで、出来ない人にはなかなか出来ないのです。

投稿: 〆張酉 | 2009/08/31 0:27:27

こうもり

こうもりは、彼らの存在のまさに
ありのままの姿によってとても魅惑的な生き物だ。

遊ぶ時間は、子供にとってかなり速く過ぎる。
昔は私たちは公園で野球をした、
どんなふうにその日が進んだか忘れている。
私たちがそれに気付く前に、こうもりは
空中を飛び始めたのだった。

一瞬、それを蝶もしくは蛾のなんらかの一種と思う、
しかしそれから、その大きさと飛ぶ速さを
じっくりと見ると、彼らは確かにこうもりだと
はっきりと理解する。
静かな心臓の鼓動とともに、薄暗くなっているのに
反響したと悟る。

こうもりの出現はいつも思いがけず突然やってくる。
日中ずっと、彼らは見える範囲内のどこにもいない。
太陽の光に目が眩む、子供の原動力とのいくらかの関連性
を彼らが持つとして、こうもりの存在をよく忘れています。
だから彼らの出現は、もしもあなたが人生で初めて
この飛行中の哺乳動物の出現を目撃していたとしたら、
虹に接近した太陽のようなぐあいに衝撃だ。

私たちの頭の中に、こうもりについての存在の形に
共感するいくらかの実在物がある。
多くの場合に無意識の広大な海の中に
彼らはよく隠れていたものだった。
彼らが無意識から現れるとき、彼らを直ちにそれと気付く、
そしていったいどうして今にも起こりそうな出現を、
いつでも起こるかもしれないものとして、
ずっと忘れていることが出来ただろうかと思う。

私が9歳のとき、校舎の中で誰かが生きたこうもりを
見つけた。
どういうわけかそれは地面に落ちた、
そして弱々しく翼を動かしていた。
真昼間に、そのこうもりは素晴らしい飛ぶ夕暮れの女王
とはかなり異なって見えた。
学校の先生はそのこうもりを箱に入れて、
校舎の昼間安全であるだろうと思われる場所に
連れて行った。

校舎は当時、老朽化のあらゆる痛切な表現とともに
木造で建てられていた。
数年後、その校舎は近代的なやり方で、
鉄とコンクリートの校舎に、作られるために取り壊された。

こうもりを見つけたその日、私は
全ての経験が如何に貴重なそして決して戻れない
存在であったかを、はっきりと理解できなかった。


解りたいと思って辞書を引きましたが、
難しかったです。おかしな訳になっていると思います。
書かせて頂いて失礼になったら、申し訳ありません。

薄闇から現れるこうもりと、無意識から現れるものと、
子供時代をいきいきとさせるものが、繋がっている、
関連があるということでしょうか。
こうもりが突然現れる驚きと、
無意識の中から不意打ちのようなひらめきのような
気付きが降りてくる瞬間と、
時間が経つのも忘れて過ごす子供時代の活動の原動力と、
魂の源のところで繋がっているということでしょうか。

たぶん、的外れで失礼になっていると思います。
すみません。
解らないけれど、考えることがきっと
自分を鍛えてくれることになればいいなと思います。

投稿: 発展途上人 | 2009/08/30 2:43:51

コウモリは地元でよく見かけていました。
家の周りは魅力的な木造家屋も、やつらが住まいそうな洞窟もありませんでしたが、常に夏の夕焼けに、黒い激しい飛び方で空を陣取っていました。
東京の近所では見かけていない気が致します。

あの夕焼けが愛おしく思えました。

茂木さんの子ども時代の東京と、今の東京ではものすごく違うのですね。
先日1960年代中ごろの東京の写真を見て感慨深く思いました。
いまの東京が信じられないくらいです。

その激動の時代を、私は知りません。
でも、自分達の歴史を知ることは、大切なことだと思いますし、
茂木さん世代より上の方々の背景を知ることは同じく、両親の時代を知る事でもありまして、
重要なことだと思います。

今度、ゆっくり両親にも話を聴きたいです。

投稿: 光嶋夏輝 | 2009/08/29 21:50:40

実をいうと、高校を卒業してから5年間ほど、都内某所の壜工場で働いていた時代があった。壜工場の近くに河川敷と高速道路と思しいコンクリートの高架があった。

仕事を終えて、家に着くのは午後7時頃。その間、高架を見上げたりする。ふと、音も無く、素早く、羽ばたく小さな、妖しき生き物が。

蝙蝠(bats)!

宵に飛び回る蝙蝠は、月夜と暗闇の使者というイメージがある。昼間に飛ぶ雀が温かい日の使者ならば、蝙蝠はさながら夜の月の使者か。

蝙蝠は障害物をよけるのに、イルカと同じように、自分から超音波を発しながら、飛ぶと言うのは知っていた。思えばこれもまた、弱肉強食の掟に生き抜く為に、進化過程で得た不思議な能力というわけか。

あの時見た蝙蝠は、とても小さかった。“いえこうもり”か“あぶらこうもり”という種類なのだろう。

蝙蝠たちは、今もあの高架のまわりを飛んでいるのだろうか・・・。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/08/29 21:36:44

はい、こうもりは一度しか見たことないです。(・ω・)/

茂木先生が子どもの頃はまだ自然が豊かだったのですね?

さて、今日は午前中図書館で陶芸を調べて、それから国立新美術館で開催されている「ルネラリック展」を見に行きました。
陶芸は「柿右衛門」を調べに行ったのですが陶芸の本をガンガン見ていたら、私は李朝の白磁と青磁が好きなのだということを初めて認識いたしました。

もちろん骨董は全く分かりません!!
(・ω・)/
あと中近東の古いガラス器も素敵です曜変天目茶碗も美しいですね!
銀河系が黒い茶碗に結晶化したような、奇跡だと思います!
今度、駒場東大前にあるといふ民藝館に李朝の陶磁器を見に行こうと思いまふ。
「ルネラリック展」も素晴らしかったです。
ラリックのデザインは、自然界の動植物や神話にモティーフがあって、繊細で無限に美しいのでした♪
あちこちからため息がもれてました♪
(9月7日まで。六本木新国立美術館で開催中です)
ちなみにルーシーリーさんの展覧会も来年春に開催される模様です♪
楽しみですね♪
アートシーンでした♪(←殴っ)

投稿: 眠り猫2 | 2009/08/29 21:34:39

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