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2009/07/17

文明の星時間 カタリ派の眼差し

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第72回 カタリ派の眼差し

サンデー毎日 2009年7月26日号


http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 


抜粋

 マルクスに端を発する革命思想は、多くの国、地域で実際に社会の変容をもたらしたことは人類の記憶に新しいところである。思想が「社会的身体」を持つ過程では、必然的に「正統」、「異端」の別が生まれる。「正統」は自分たちを守ろうとし、「異端」は「正統」の立場を揺るがそうとする。
 その結果、「正統」と「異端」の間に抗争が生まれる。流血の惨事に至ることもある。思想が人間を媒体として広がり、融合し、変化していく中で、時には、生身の人間は文化の趨勢の素材に過ぎないと思われることすらある。
 私たち人間が、思想というものをそれほど真剣にとらえるとは、何と素晴らしいことであろう。そして、何と恐ろしいことでもあろう。その時々の「正統」から「異端」と決めつけられた人々の心細さと苦しさは、想像するだけで胸が切なくなる。
 「異端」こそが新時代を切り開くこともある。私たちの未来は、「正統」と「異端」という禍々しさを伴うもの言いを、多様性の豊饒をたたえるボキャブラリーへと変えていくことができるのか。
 カタリ派が弾圧の影におびえていた往時を想像してみる。一人の少女が、心細げに周囲の世界を見ている。その眼差しの中にこそ、私たちが大切にすべき人間の魂の震えがある。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
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7月 17, 2009 at 07:46 午前 |

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» 正統と異端 トラックバック 大きな国で
今までのやっていたことを守り続ける 正統 時代の中で 少しづつ改善しながら生き延びようとする 正統 正統であることは 常にヒトの目を意識して 生きている・・・それは 正しいという価値観があるからだ。 いったい 誰が決めるのか  その正しさを・・・と問いか....... [続きを読む]

受信: 2009/07/18 8:14:20

コメント

正統vs異端の抗争…。異端が正統にとって恐ろしいのは、異端側が常に正統側の寄って立つ立場を揺るがしかねない存在で居続けることだと感じる…。

正統の立場を揺るがすことによって、異端は時代のベクトルを変えようとする。そして、変わった途端、その異端は正統の座を射止める。と同時に、これまでの正統が異端となってしまう。そこからまた、同じ抗争が繰り返されていく。そして悲劇が巻き起こっていく。

限り無く繰り返される「異端と正統の争い」の奥底には、互いの「差異」へのこだわりがあるように思える。言われるような「多様性の豊穣」に繋げる為には、まず両方が、そのこだわりを捨て去ることが肝心なのではないか。


もし自分が正統か異端か、と訊かれたら、私はおそらく「異端」と答えるだろう。常に時代のベクトルを変えようとする存在として。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/07/18 5:42:00

変化し続ける事が 生きて行く事 と 思います。
変化の基準は 正義 や 自由度、 利己・利他
メリットデメリット 等。
個々の選択肢をしっかり見つめ、集合意識と ズレがあっても 自身を信じる 大切な時がある と思います。 そのためには、自身の心に問い掛けることが 大切ですね。

投稿: サラリン | 2009/07/17 16:02:44

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