Perception of one's own action
7月 31, 2009 at 07:28 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
財団法人 幼少年教育研究所の
新幼児教育講座にて、
お話させていただく。
ホテルグランドヒル市ヶ谷にて。
新宿駅から、特急「あずさ」で
茅野へ。
茅野市民会館で行われた、
平成21年度 茅野市・
原村青少年健全育成推進大会に講演。
今井書店の高村志保さんや、
茅野市長 柳平千代一さん、
原村村長の清水澄さん
と懇談する。
柳平千代一市長、清水澄村長
ともに、ユニークで
楽しい方だった。
お世話になりました。ありがとう
ございました。
茅野には、さまざまな縁がある。
数年前、白洲信哉から「御柱祭」に
誘われたけれども、スケジュールの都合で
果たせなかった。
私が敬愛する小津安二郎監督が、
野田高悟さんと蓼科にこもって
映画の脚本を書いていた時代の
別荘「無藝荘」がある。
子どもの頃、絵画教室のスケッチ
旅行で、何度か茅野を訪れた。
そんなことをいろいろと
考えていると、茅野という地が、
自分と浅からぬ縁があるように
思えてくる。
講演を終えた後、事務局の方が
「この方が訪ねていらしています」
と持ってきた名刺を見ると、
「理学博士 池上英雄」とある。
「この方の奥様で、何でも、息子さんが
いつもお世話になっていると・・・」
と聞いて、「あっ!」と思って、
急いで控え室に行った。
「どうも、わざわざおいでくださり、
ありがとうございます。いつも高志
さんとは仲良くさせていただいて
います。」
なんと、畏友池上高志のお母さんだった。
何とはなしに、目元のあたりの
印象が似ている。
「高志は、時々諏訪出身と書かれて
いたりしますが、諏訪は産院が
あったところで、本当はここ、茅野
で生まれたのです。」
「近いのですか?」
「ええ、歩いていけますから。御柱祭も、
子どもの頃から何度も来ています。」
「なんと。」
「来年もくるんじゃないかしら。案外、
しばしば来ているんですよ。」
「何だか、研究室の合宿で来たことも
あったとか。」
「まあ、いろいろなことをお話している
んですね。3度ばかり来たかしら。」
池上高志のお父さまのこと、カウアイ島、
英語のことなど、さまざまな
ことを話した。
池上高志がいない間に、本人のことを
いろいろ話すのは、何だかくすぐったい
気がした。
池上高志のお母さんをお見送りし、
歩き始めた茅野の夜の闇は、
さっきまでよりも何だかしっとり
しているような感じがあった。
茅野にて、思わず池上高志の
消息に触れる。
池上高志氏
7月 30, 2009 at 07:28 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (1)
スケジュールに追われて
動いている中でも、
本当に大切なものは伏流していたり、
周辺視野に見えているもの
だったりする。
植田工からメールをもらう。
気合いが入った、いいメールだった。
人生は偶有性のかたまりだ。
お台場。
ブルータスの副編集長の鈴木芳雄さん、
編集長の西田善太さんとバスの中で
お話しする。
西田善太さん、鈴木芳雄さん
『エチカの鏡』の収録。
スタジオに、
横山剣さんがいらした。
再会できて、とてもうれしかった。
本当に心やさしい、きめ細やかな
気遣いの横山さん。
NHKへ。
大阪放送局の西條暢高さんが
つくっていらっしゃる番組(8月14日
放送予定)の取材。
終了後、10階のプロフェッショナル班へ。
午後10時過ぎ。
荒川格さん、細田美和子さん、
末次徹さん、粟田賢さんが
仕事をしている。
粟田賢さんと、アンチエイジングについて
話す。
西條暢高さんと細田美和子さん
荒川格さん
末次徹さん
粟田賢さん
久しぶりに、有吉伸人さんと
ご飯を食べに出かける。
「有吉さん、編集終わっているんですか?」
「終わっていますよ〜。この日のために、
終わらせたんですよ!」
有吉さんと、話をしながら、
暗がりの道を歩く。
二つの手指を「S」の字に組み合わせたのが
マークの店。
有吉さんと座っていると、
池田由紀さん、赤上亮さんが
ビールが到着する前にもう到着した。
「茂木さん、赤上の送別会、来られますか?」
「えっ、送別会って、どこかに行くんですか?」
「ETV特集に移るんですよ。」
「そんな。知らなかった。」
赤上亮さんの作られた数々の
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の名作。
デザイナーの奥山清行さんや、
中学校教師の鹿島真弓さん、医師の中村伸一さんの
回など、忘れられないものがたくさんある。
「でも、河瀬大作さんのように、
しょっちゅう会うかもしれませんね。」
「いやあ、赤上が行くのは12階だから、
なかなか会えないと思うよ。」
「そうかあ。赤上さん、どうぞお元気で。」
淋しくなる。
乾杯して、それから、赤上さんと
いろいろな話をした。
有吉伸人さんと、池田由紀さん
赤上亮さん
7月 29, 2009 at 08:33 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (1)
黛まどかさんと、
日本の神、文化を巡って対談。
「言葉」と「生命」が焦点として
浮上する。
生きた言葉というものは、その場で
生成されるものであろう。
たとえ、以前からある言葉を
述べる場合でも、自分の生命
という「重み」をのせる、その
傾き方で勢いは変わってくる。
小林秀雄の講演は、実は事前に
練習したものだというが、
聞いている限り、その場で
言葉が生み出されている
ように聞こえる。
ぷるぷると、震えるような
イキの良さがあるからこそ、
聞く者の心にズドンと届く。
こんなことを考えたのも、
黛まどかさんの発する
言葉が、生きているから。
死んだ標本を並べるのではなく、
生きた言葉を並べる秘儀に
通じさえすれば、人は、
たとえばすぐれた小説を書くことが
できる。
たとえば、夏目漱石の
『坊っちゃん』の、こんな文章。
おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲って大いに痛かった。母が大層怒って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
7月 28, 2009 at 07:08 午前 | Permalink | コメント (20) | トラックバック (2)
奈良へ。
東京書籍の植草武士さんの
企画で、黛まどかさんとの対談本の取材。
文章化を担当するのは、名手、大場葉子さん。
奈良の観光大使をされている海豪うるるさん も参加。
黛まどかさん、植草武士さん、写真家の南浦護さん、
大場葉子さん、海豪うるるさん、私の6名を、
中東弘さんが春日山の原生林へと案内くださった。
中東弘さんは、40年以上にわたって
春日大社の神官をつとめられ、権宮司を
された後、今は大阪の牧岡神社の宮司を
されている。
まずは春日大社を参拝。
春日大社は、国宝や重要文化財に
指定されているため、伊勢のように新しい社を
造営する、ということはないが、
20年に一度の「遷宮」で補修をする。
禰宜の西村泰宏さんによると、その際の
手続きが事細かに決められているのだという。
たとえば、御本殿にかかっている6つの
鏡のどれをどのような順番で動かすのか、
その仔細が定められている。
守って実行しようとすると、儀式以外の
余計なことを考えられない。そのようにして
神事に専念させるという効果が
あるのではないかと、西村さんは
言われる。
山へ。
入り口から、どんどん登っていく。
途中、黛まどかさんが所用のため
引き返し、残りの6人で奥へと向かう。
目指すは、春日山の「主」とも
言える樹齢1500年の大杉。
細い山道へと分け入り、険しい斜面を
登って杉の倒れた後に
たどり着く。
「ここから先は、急斜面を降りますから、
荷物は置いていってください。」
と中東弘さん。
リュックを置き、中東さんに続いて
降りる。
滑るように降りていった先に、
その見上げるような大杉はあった。
中東さんが祝詞をあげる。
頭を垂れる。
周囲の生きとし生けるものの
ありさまが、ありありと手に取るように。
一つ、アクシデントがあった。
大杉への最後の急斜面を下っている時、
手に持っていたカメラが立木にぶつかった。
しばらく
下ったあと、衝撃でメモリースティックが
飛び出して無くなっていることに
気付いた。
上りで、そのあたりを探す。
他の5人も一緒に探して
下さったが、どうしても見つからなかった。
「これは、春日の山に奉納ということですね」
と諦める。
幻の写真の数々。
春日大社本殿の、左甚五郎の「捻廊」。
熱心に説明下さる、西村泰宏さんの姿。
黛まどかさんが先に帰るので、
中東弘さんが一緒に降りて、
タクシーを呼んでいるのを待っている
間に、山の斜面で
一匹のアリをずっと追いかけて、
終着の苔むした石まで撮った写真。
中東弘さんが、龍神を祀った社殿の
前で祈りを捧げている端正な姿。
これらの写真が記録されたメモリー
スティックは、春日山の主たる
大杉へと至る、急斜面の
あふれんばかりの落ち葉の
どこかに埋もれている。
心残りだが、仕方がない。
命において、起こったことは起こったこと。
山を下り始めてしばらく行った
ところで、中東弘さんが「何だか
痛いな」と言いながら、
ズボンを持ち上げた。
「あっ、やっぱりいた」。
ヒルが、中東さんの足に
吸い付いている。
中東さんは、慣れた手つきで
ヒルをとる。
まさか、と思いながらも、
自分のズボンをめくってみると、
右足に二匹、左足に一匹、
ヒルが吸い付いていた。
右足のを取ると、血がにじんでいる。
「血が固まらないような物質を
出すんですわ」と中東さん。
植草さんが、「何だかこのあたりが
ひんやりする」とズボンをゆすると、
太ももの上の方から、血をたっぷり
吸ってまるまると太ったやつが
転がり出た。
「ひええ」と植草さん。
調べてみると、結局全員がやられて
いた。
「今のこの世に、ヒルに血を吸われるというのは、
なかなかできることではありませんな」
と涼しい顔の中東弘さん。
「春日山に、ヒルはたくさんいるのですか?」
「まあ、梅雨時にはたくさんいますな。乾燥
してくると、だいぶ少なくなってきます」
ヒルの洗礼を受け、皆衝撃を受けつつも、
なぜか「生きている」という実感は
増したようでもある。
春日山には、かつて、
ルーミスシジミ
という美しい蝶がいて、絶滅した
とは言われているけれども、
その姿を、木もれ日の当たる木々の
梢とか、ずっと探していた。
下りきって、社殿の近くに来たとき、
中東さんが、「ほら、この木が
ルーミスシジミの食草の
イチイガシですわ」と教えて下さった。
その大木は、枝振りといい、葉の
茂り具合といい、心を溶かすようで。
イチイガシの大木の梢の方に、
飛び回りながら産卵するルーミスシジミの
可憐な姿を思う。
照葉樹林には、ルーミスシジミも、
ヒルもいる。
それだけ大きい。フロイトが明らかに
したように、私たちの無意識も、
生態系と同じくらい、とっても
大きい。
幻のルーミスシジミの姿を
無意識の中から取りだして、
奈良を歩く。
街中で、新しいメモリースティックを
買い求めた。
中東弘さん
(左から)植草武士さん、南浦護さん
(以上四点、海豪うるるさん撮影)
7月 27, 2009 at 08:48 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (2)
京大病院。
山本隆之さん(タカさん)が、
名古屋から来る。
『めざせ 会社の星』に関するVTR取材。
ディレクターは、小林稔昌さん。
たかさんの顔を見ると、なんだか
温かい気持ちになって安心する。
やさしい目をしているからだろう。
講演会は、
みなさん大変熱心に聴いて下さり、
深謝。
看護部長の任和子さんに、
オープンホスピタルに込めた
思いをうかがう。
大阪へ。
宮司の中東弘さんのご紹介で、
大阪天満宮の天神祭を観る。
大川を、たくさんの船が航行する
「船渡御」。
船着き場に向かう道を、
人々が行き交う。
私たちも、奉拝船の一つに乗って、
川面に出た。
空には花火が舞い、
人形船が音曲を奏でながら進んでいく。
行き違う時に、「大阪締め」
で挨拶をする。
その調子も心地良い。
泉佳保子さんがいろいろと
解説してくださる。
中島章詞さんがワインや
ビールを下さる。
暗闇の中を、すっと船が進む。
そして、明かりに包まれる。
独特の情緒があり、忘れがたかった。
7月 26, 2009 at 09:00 午前 | Permalink | コメント (18) | トラックバック (1)
京大病院オープンホスピタル2009
茂木健一郎『クオリアの探求』
2009年7月25日(土)14時〜15時30分
京都大学病院 臨床講堂
7月 25, 2009 at 07:55 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
人生における偶有性という視点から見れば、
5歳の時も、今も本質的には変わっていないように
思われる。
大学生のお兄さんに
初めて昆虫採集に連れていかれて、
継ぎ竿を持って
ゼフィルスの飛ぶ梢を見上げた時
に胸を去来したもの。
小学校2年生の時に、なわとびの二重回しを
連続何回できるかに挑戦して、
ついに100回を超えた瞬間。
はじめて三重回しに成功した夕方。
non-abelianのalgebraの真髄に触れた日。
連続体仮説に出会った夕べ。
偶有性が、胸をざわざわさせる、
その甘美な不確実性は変わっていない一方で、
偶有性は、その内実において
「進化」するように感じる。
偶有性とどう付き合うか、という
ことを真面目に考えると、人生は
違って見えるな。
電車のシートにゆられ、
うとうととしながらそう
考えた。
『トリスタンとイゾルデ』の
第一幕、第5場で、
トリスタンが杯を飲み干す
直前に歌う言葉
偶有性が濃縮されている。
Trug des Herzens!
Traum der Ahnung!
Ew'ger Trauer
einz'ger Trost
いつも、蝶を探している。
偶有性という蝶を。
きらきら光り、ゆかしく、
一目見て忘れられない。
そんな蝶を探している。
今日は京大である。
7月 25, 2009 at 07:54 午前 | Permalink | コメント (24) | トラックバック (0)
講演会などで、
自分の欠点、弱点をユーモアをもって
語れるやつはもてる、
と時々話す。
自分のだめなところ、不安な点を
そのようにして他人に話せる
人は、自分についてのいわゆる
「メタ認知」があるのであって、
その分、自分自身から解放されている。
また、そのような人間は、他人の
欠点、至らぬところに対しても
寛容になることができる。
自分だけでなく、他人に対しても
余裕をもって接することができるのだ。
野澤真一の日記(『左右ソリコミ勢力の共謀』
)は面白かった。
自分が不安に思っていることを、
これだけユーモアを持って語れれば
野澤はもてる。
もっとも、野澤は私の編集を担当して
下さっている伊藤笑子さんと結婚した
ばかりなので、もてても困るのであるが。
野澤真一は、
「もぎけんPodcast」
も整備してくれていて、とても感謝しています。
ところで、上述の日記の心配事ですが、
最近はよいヨウモウザイもあるようだし、
何しろストレスなく養生することが
大切で、野澤真一が10年後、20年後も
さらさらヘアである可能性は
十分にあると思う。
それでも、万が一武運拙く、やがて
儚くなりにけり、ということ
ならば、スキンヘッドでセクシーな
男たち、つまりユル・ブリンナーや
ブルース・ウィリスのようになる作戦を、一緒に考えよう。
『人は死ぬから生きられる』(新潮新書)で対談した
南直哉氏 は、出家して剃髪したら、
俄然もてはじめたそうであります。
7月 24, 2009 at 05:39 午前 | Permalink | コメント (19) | トラックバック (3)
日蝕の前夜、田森佳秀に電話した。
紀伊半島に向かう、と聞いていた
からである。
電話には出なくて、しばらく経って
コールバックがあった。
「今、どこ?」
「金沢の近くを走っていたところ。」
「あれっ、紀伊半島に行くんじゃなかったの?」
「いや、天気予報で、中国がいいんじゃないか
と思って、向っている。中国って、国の中国
じゃないよ、中国地方だよ。」
「でも、天気も、どうなるかわからないからね。」
「そうなんだよ。だから、オレは、気象庁の
レーダーのデータを見て、自分で予報した。」
「えっ。」
こうやって、会話の中に必ず驚きの要素が
入るのが、私の畏友、田森佳秀ならではである。
「レーダーのデータって、公開されているのか。」
「うん。それと、気象衛星のデータとか、
4種類のデータを見て、自分で予報した。
それで、中国地方が一番良さそうだ、って
判断した。」
「そうかあ。でも、今金沢の近く走っていて、
間に合うのか? 徹夜になっちゃんじゃないの?」
「それくらいはかまわないよ。」
自分で天気予報をして、日蝕を目指し
ひたすら走る田森佳秀。
いいやつだなあ、と心から思った。
私は結局、部分日蝕を見た。
たくさんのことを考えた。
天体の運行は、人類が知るものの
中でもっとも正確で、規則的なものである。
その機械仕掛けのような運行の中に、
一回性の奇跡が忍び込んでいるとは、
何という天の配剤であろう。
7月 23, 2009 at 07:02 午前 | Permalink | コメント (23) | トラックバック (2)
久しぶりに時間がとれて、
長い距離を走った。
幸い、小雨気味で涼しい。
約一時間。
そうしたら、身体の中が、
石炭を焚いたようにカッカと
熱くなった。
大学の学部生の頃、
律儀にタイムを測って
走っていたことがあった。
あるとき、普通に
走ったら6分かかる距離を、
5分を切って走ったことがあった。
たった一回だけ。
その時は、身体の中が、
石炭を思い切り熱したように
赤くなった。
赤が、さらに温度を
上げて、「黄金」にも
なりかけたような気がする。
自分の身体の中に石炭があること。
時に熱せられて、
黄金にもなりうること。
そんなことを、久しぶりに
思い出した。
7月 22, 2009 at 08:07 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (1)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第73回 歌舞伎の奇跡
サンデー毎日 2009年8月2日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
歌舞伎の創始者と伝えられる出雲阿国が京都の北野天満宮で「かぶき踊り」の興行をしたのは1603年とされる。折しも、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開いた年である。
1467年の「応仁の乱」以来続いた戦乱の世。親や子でさえ裏切り合った下克上の時代に迸った生命のエネルギー。天下が統一され、社会が安定化するに従って、人々の生きざまのダイナミック・レンジは、急速にしぼんでいった。
社会規範という、私たちの生命を支えてくれるはずの安定性の中で、私たちの命はかえってやせ衰えていく。その逆説の間隙を、歌舞伎という芸術は突き崩す。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中!
7月 21, 2009 at 06:56 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
小澤征爾音楽塾の
オペラ・プロジェクト公演
『ヘンゼルとグレーテル』を神奈川県民ホールで聴く。
本当に愛らしい、素敵な舞台。
音楽の陶酔もまた。
今回、
ドイツで、このオペラが
クリスマス・シーズンに上演されるのが
通例だということを知って、私は、
ドイツの文化の
一つの奥深く純粋なクオリアをつかんだ
ような気がした。
楽屋に小澤征爾さんを訪ねる。
小澤さんは、ちょうど着替えていて、
青いはっぴのような着物をまとって
いた。
「歌、ちゃんと聞こえていました?」
と小澤さん。
「聞こえていましたよ。」と言うと、
「実は、リハーサルの途中で気付いて
オーケストラ・ピットを下げたんだよね。」
と小澤さん。
「小品のようなオペラだけれども、実は
オーケストラ編成は大きいんだよね。途中に、
ワグナーのような響きもあるし。」
私が
「ライトモティーフのような部分も
ありますね」と言うと、小澤さんは
「そう」と肯かれた。
「オーケストラの編成が大きすぎる、
って怒られたりしてねえ。」
聴く者、見る者はファンタジーのような
美しい舞台に夢中になって、恍惚の
ひとときを過ごすけれども、
作る側はあれこれと工夫をしている。
工夫の一つひとつは「散文的」なもの
である。
ところが、それらの「散文」を積み上げると、
いつかは「詩」が出来上がるのだ。
芸術にかかわるものが、「詩」を知らぬ
はずがない。
ただ、「詩」に至る道が「散文」から
出来ているというだけのこと。
感覚性言語と、運動性言語は成り立ち
が異なる。
その間のギャップを埋めるのが
芸術家である。
どなたかが、「茂木さんまたいらっしゃる
のですか」と尋ねて、
私が答えようとしたら、小澤さんが、
「いやいや、この人はいそがしいから」
と仰られた。
「これから、東京や名古屋、それに
琵琶湖と浜松ですね。」と私が言うと、
「やる度に、うまくなりますよ!」
と小澤征爾さんは言われた。
今回のオペラ・プロジェクトは、若い
音楽家たちにとっての目覚ましい成長の
場でもある。
『ヘンゼルとグレーテル』残りの
公演は次の通りです。
ぜひお出かけください。
7月23日(木)東京文化会館 大ホール
7月26日(日)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール
7月29日(水)愛知県芸術劇場 大ホール
8月1日(土)アクトシティ浜松 大ホール
そうやって話していると、
武満眞樹さんがいらした。
武満さんは
「私が宇宙人みたいだって、本気で
言っていらっしゃるの?」
と言ってから、ぐるりを見回した。
7月 21, 2009 at 06:51 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (1)
高松へ。
龍谷大学の370周年を記念する
講演会でお話させていただく。
玉藻公園を歩く。
海水を掘り割りに取り入れた
水城。
鯛が泳ぐ。エサをやると、
パタパタパタと勢いのある
音がする。
昔の殿様も、この音を聴いたのだろうか。
玉藻公園の、堀を越えて懸かる
渡り廊下の風情が好きだ。
廊下は、やがて天守台へとつながる。
今は、天守閣はなく、土台の補修工事が
進む。
明治の瓦解で失った風景と美意識。
天守台の上にあるべき優美な城の
姿が復活することはあるのだろうか。
もし実現できれば、
貨幣価値では換算できないくらいの
かけがえのない伝承となるはずだ。
夕暮れの空港。
光と影の様子が、魔法を現出している
ように感じられた。
7月 20, 2009 at 08:49 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (3)
東京芸術大学にて、
三木成夫記念シンポジウム。
布施英利さんが、「美術解剖学の学生たちの
作品を見てください!」
と言う。
豚の脂肪からなる、人間の
手が目を惹いた。
布施研究室修士2年の
岩城諒子さんの作品。
布施英利さん
岩城諒子さん 『脂肪』(豚の脂肪・糸)
山の上ホテルへ。
集英社主催
「開高健ノンフィクション賞」
の審査会。
佐野眞一さん、崔洋一さん、田中優子さん、
重松清さんと、候補作について議論し、
受賞作を決定する。
佐野眞一さんは、
『甘粕正彦 乱心の曠野』 で
第31回 講談社ノンフィクション賞の受賞が
きまったばかり。おめでとうございました。
「普通、審査員は受賞者のところには
行かないんだけどさ」と重松清さん。
「今回は佐野さんだったから、挨拶にだけ
いったら、佐野さんと一緒にいる担当編集者が、
みんな泣いてるの。」
佐野さんの目が、なんともいえない表情に
なった。
崔洋一さんは、映画
『カムイ外伝』
が完成し、公開間近。
「やっと完成しましたね。」と佐野さん。
「ここ三年ばかり、カムイの話をずっと
聞いていたから。」
神保町の「人魚の嘆き」で二次会。
重松清さんが文学論を吹いた。
元気な人。圧倒的にハートが
熱いモンスター。
重松さんといると、ぼくも
うわあと叫びたくなる。
叫ぶかわりに、佐野眞一さんが
カラオケを歌っている店にいった。
「人魚の嘆き」のママ、松本彩子さんが
みんなを連れていってくださった。
『十五の夜』を、「とにかくもう、
学校や集英社にはかえりたくない」
と替え歌でうたった。
夜の道に出る。
人魚の嘆きが、どこか遠くで聞こえた。
「人魚の嘆き」
崔洋一さんと佐野眞一さん
佐藤絵璃さん、岸尾昌子さん、鯉沼広行さんと
岸尾昌子さん、重松清さんと
松本彩子さんが連れていってくれた。
佐野眞一さんが歌った。
重松清さんが歌った。
7月 19, 2009 at 06:56 午前 | Permalink | コメント (18) | トラックバック (2)
第18回三木成夫記念シンポジウム「発生と進化」
日時:7月18日(土)10:00〜15:40
会場:東京藝術大学美術学部中央棟2階第3講義室
交通:JR山手線「上野」駅または「鶯谷」駅下車徒歩7分
講演:
午前;佐藤二美(東邦大学医学部教授)「運動性ニューロンのシナプス構築」
小島静二(小島歯科クリニック)「私たちの口と環境はどのような関係
があるか」
廣川勝旻(東京医科歯科大学名誉教授)「三木先生の言葉:過現未
と已今当」
午後;金子 務(大阪府立大学名誉教授)「身体における植物的なもの−三木
学からの遺訓」
茂木健一郎(脳科学者)「脳科学からみた三木成夫」
向川惣一(金沢偉人館)「レオナルド・ダ・ヴィンチの芸術と科学」
松井冬子(画家)「胎児を描く」
7月 18, 2009 at 08:20 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
デジタル・ラジオの収録で、
数学者のピーター・フランクルさんと
対談。
本当に楽しい、すばらしい時間だった。
ピーターさんの表情が、一貫して
愉悦のそれだったのが、
頭の中でいつも最大限の精神的
自由を享受している(あるいは
享受するのだと決意している)
人の印だと思えた。
番組をつくっているNHKの
ディレクター、
樺沢泉さんからメールをいただいた。
____
送信元:樺沢 泉
送信先:茂木健一郎
CC:
表題:本日の収録ありがとうございました
送信日時:2009年07月17日
茂木さま
お疲れ様です。
本日のピーター・フランクルさんの番組収録
ありがとうございました。
ピーター・フランクルさんの数学へアプローチと
教育対する熱い思いを引き出すことができて
よかったと思います。
「よい発想は余裕の中から生まれる」
「問題へのアプローチは着想が大事」
ほか、
印象深い言葉をいただくことができました。
本当にありがとうございました。
_____
こちらこそ、すばらしい機会を
いただき、ありがとうございました。
(撮影 樺沢泉)
お茶の水女子大学附属高校へ。
植田敦子先生が、3年生を中心とする
生徒さんへの講演へ呼んでくださったのである。
授業で『脳と仮想』を読んで下さっている
という。
仮想をはぐくむものは何か、お話した。
みなさん、熱心に聴いて下さった。
クラスの名前が、「蘭」、「菊」、「梅」
なのだという。
スクール・カラーは、深いところで
生涯の思い出となる。
脳科学研究グループの会合
The Brain Club。
野澤真一が、「自由意志について、
今まで考えていることをまとめます!」
と言って、発表した。
みな、この点については
大いに関心があり、議論が盛り上がる。
議論を喚起するゼミナールを
することができれば、大成功だよ、
野澤くん!
弁ずる野澤真一くん
野澤真一の「自由意志」ノート。
触発されて、大いに「自由意志」を論ずる
星野英一くん
田谷文彦くん、戸嶋真弓さんの表情も真剣に。
続いて戸嶋真弓さんが言葉の
変化のスピードがその使用頻度に反比例
するという論文を紹介した。
とても面白かった。
朝日カルチャーセンター。
終了後の懇談会で、
Brutus副編集長の鈴木芳雄さん
と話した。
最近の鈴木さんのブログ 「フクヘン」
で、プロペラ機が好きだと書いて
あったので、「プロペラ先生」「プロペラ先生」
と呼んでいたら、女の人たちが
「プロペラ好きです」と言い出した。
気付くと、鈴木さんは美女軍団に
囲まれていた。
プロペラ先生、美女に囲まれて
ご満悦の図。
鈴木芳雄さんと、美女軍団。
7月 18, 2009 at 08:11 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (1)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第72回 カタリ派の眼差し
サンデー毎日 2009年7月26日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
マルクスに端を発する革命思想は、多くの国、地域で実際に社会の変容をもたらしたことは人類の記憶に新しいところである。思想が「社会的身体」を持つ過程では、必然的に「正統」、「異端」の別が生まれる。「正統」は自分たちを守ろうとし、「異端」は「正統」の立場を揺るがそうとする。
その結果、「正統」と「異端」の間に抗争が生まれる。流血の惨事に至ることもある。思想が人間を媒体として広がり、融合し、変化していく中で、時には、生身の人間は文化の趨勢の素材に過ぎないと思われることすらある。
私たち人間が、思想というものをそれほど真剣にとらえるとは、何と素晴らしいことであろう。そして、何と恐ろしいことでもあろう。その時々の「正統」から「異端」と決めつけられた人々の心細さと苦しさは、想像するだけで胸が切なくなる。
「異端」こそが新時代を切り開くこともある。私たちの未来は、「正統」と「異端」という禍々しさを伴うもの言いを、多様性の豊饒をたたえるボキャブラリーへと変えていくことができるのか。
カタリ派が弾圧の影におびえていた往時を想像してみる。一人の少女が、心細げに周囲の世界を見ている。その眼差しの中にこそ、私たちが大切にすべき人間の魂の震えがある。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中!
7月 17, 2009 at 07:46 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
先日中村紘子さんのお宅に
うかがった時、
ピアニストの音楽性は生まれつき
だと中村さんがおっしゃった。
指のタッチや、タイミングや、
押す力や、その他もろもろの
が、その人固有のものである。
つまりは、それは身体の成り立ちや、
神経細胞のつながりのちょっとした
傾向や、そのようなものが
ある一つの性質を持っている
ということであろう。
小澤征爾さんが
さまざまな若手音楽家を
指導する「小澤征爾音楽塾」
のオペラ・プロジェクト
『ヘンゼルとグレーテル』
のリハーサルにうかがった。
小澤さんの指先から出る
音楽は、その人を
思い起こさせ、リズムとか、
ハーモニーとか、そのような持調子が
生まれた時から存在する、ということを
考えさせられる。
小澤征爾さんの身振りは、まるで
精気に満ちた青年のよう。
音楽をする人は若い。
音楽が、生命そのものだからだろう。
武満眞樹さんと、久しぶりにお話しした。
2007年9月11日以来。
(2007年9月12日の「クオリア日記」参照)
「最近も、カタツムリ指で突いていますか?」
「生きものを見ると、何でもさわりたくなるので、
困るのです。」
武満眞樹さんは、宇宙人のような人。
小澤征爾さんのリハーサルを聴く
武満眞樹さん、小澤幹雄さんと。
小澤征爾さん、武満眞樹さんと。
(撮影:大場葉子)
フンパーディングの『ヘンゼルとグレーテル』
は初めて聴いたが、素晴らしい。
フンパーディングは、ワグナーの
弟子であった。
ドイツでは、クリスマス・シーズンに
家族そろって見るのが恒例なのだという。
ものがたりは言うまでもなくグリム童話に
取材した、子どもの心をつかむファンタジー。
しかし、音楽は本格的であり、
世紀末から20世紀初頭にかけての
ウィーンの爛熟をも思わせる。
本当に、うっとりとするほど美しいのです。
もしお時間がある方は、ぜひ
『ヘンゼルとグレーテル』
にお出かけください!
公演スケジュール
7月20日(月・祝)神奈川県民ホール 大ホール
7月23日(木)東京文化会館 大ホール
7月26日(日)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 大ホール
7月29日(水)愛知県芸術劇場 大ホール
8月1日(土)アクトシティ浜松 大ホール
大学時代からの親友、竹内薫
と会う。
この所、竹内が日記でいろいろと
こぼしているので、そのあたりの
話を聞く。
胸からカメラを下げている。
最近自慢のやつだな、と考えていて、
森本美絵さんからしばらく前に
いただいたメールを思い出した。
森本さんに電話する。
「森本さん、しばらく前に、こんどいい
コンパクトデジカメが出るよ、って
メールくださったでしょ。」
「ええ。」
「それって、なんていうんですか?」
「えっと、○△です。」
「ひょっとして、○□じゃないですか?」
「あっ、そうか、ごめんなさい。○□です。」
「やっぱり。森本さん、今どこにいるんですか?」
「日本ですよ!」
「そうですか、また仕事でごいっしょしたい
ですね!」
竹内薫が持っていたのは、○□だった。
竹内は、しきりに○□とiPhoneを自慢する。
ぼくは、うーんと唸りながら、いろいろと
○□について質問する。
久しぶりに竹内薫と話して、ぼくは
うれしかった。
ブツを自慢する竹内薫
7月 17, 2009 at 07:33 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (3)
朝6時過ぎの新幹線で、京都から
東京へ。
渋谷のNHK近くのスタジオ。
菊川怜さんと、デジタル・ラジオの
収録でお話する。
菊川さんは、東京大学の建築学科を
卒業されている。
安藤忠雄さんのことや、
モデルや女優の仕事をするきっかけの
話をうかがった。
菊川さんは、お話していると、
まるで「5歳の女の子」
のようで、好奇心やわくわく感が
いっぱいの印象だった。
「のびしろ」が大きい人だと
感じた。
どんなに大きく、むずかしい
ターゲットでも、見定めれば
するするとそこに行って
しまうのではないか。
素敵な人でした!
早稲田大学へ。
大隈講堂近くの立ち食いそば屋で、
コロッケそばに生卵を
落としたものを食べる。
国際教養学部、
Modern Brain Sciencesの試験。
みな、一生懸命問題に答えて
くれました。
一学期間、ありがとう!
帝国ホテル。
ライター・編集者の和田京子さん、
平凡社の日下部行洋さん、
及川道比古さんと
お話しする。
日下部行洋さんと及川道比古さん。
和田京子さんと日下部行洋さん。
日本外国特派員協会にて、
大場葉子さん、イングリッシュ・エイジェンシーの
ウィリアム・ミラーさん、澤潤蔵さん
と懇談、会食。
ミラーさんに英語の本のシノプシスを
お見せして、エディターの立場から
のアドヴァイスをいただいた。
ミラーさん、澤さんにお目にかかるのは
昨年の9月24日以来。
ミラーさんとは本当に気が合う。
フランシス・ベーコンの絵の話や、
カズオ・イシグロの小説の話
(Remains of the dayに関するミラーさんの
解釈は独創的であった!)、
ターナーの絵画のこと、
EaglemanのSum:Forty tales from the afterlives
のこと、
イギリスや日本の政治の状況など、
スィングするように喋り続けた。
ミラーさんは金曜日からロンドンや
スペイン、生まれ故郷のスコットランドに
出かける。
9月にミラーさんが帰っていらしたら、
帰還記念にまたお話ししましょうと
約してお別れした。
日本外国特派員協会
ウィリアム・ミラーさん、澤潤蔵さんと。
ウィリアム・ミラーさん、澤潤蔵さん、
大場葉子さん。
7月 16, 2009 at 07:46 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (3)
梅原猛先生と対談。
学問における、空想と現実の関係。
おおきなヒントをいただいた。
桑原武夫学芸賞の授賞式。
杉本秀太郎先生とお話しする。
たくさんの方がいらして下さった。
伊藤笑子さん、野澤真一さん、
内田樹さん、白洲信哉さん、増田健史さん、
大島加奈子さん、佐々木厚さん、大場旦さん、
大場葉子さん、井之上達矢さん、丹所千佳さん、
金寿煥さん、高松夕佳さん、田畑博文さん。
その他、本当にたくさんの方々。
ありがとうございました。
7月 15, 2009 at 05:24 午前 | Permalink | コメント (20) | トラックバック (5)
年に一回の大阪大学での授業へ。
歯学部病院の前で、タクシーを降りる。
グラウンドの橫の木立への道が、
トンネルのように続いている。
この光景を、一年に一回見る。
不思議な気持ちになる。
一年に一回見る緑のトンネル
授業をする。
「自由意志」の話と、
「自己の社会的成り立ち」
の話をした。
休み時間や、終わった後に、
学生たちが、
「つまりは、因果的に決まっては
いるんだけど・・・」
「自由意志って・・・」
と話しているその断片が聞こえる。
大学の授業は、考えるきかっけが
あればそれでいいと思っている。
授業が終わったあと、それに
関連した会話が弾んでいると
本当にうれしい。
細田耕さんの研究室を訪ね、
学生さんたちと議論する。
細田さんと梅田に出る。
地下街を、「モーモー号」が行進していた。
モーモー号が行く。
細田耕さん
細田耕さん、浅田稔さん、乾敏郎さん、
國吉康夫さん、石黒浩さんと
会食。
さまざまな話題に花が咲いて、
時間の経つのを忘れる。
國吉康夫さん、乾敏郎さん、浅田稔さん
石黒浩さんは、ご本人そっくりの
ヒュ−マノイド・ロボット「イシグロイド」
の開発で有名。
石黒さんを見ていたら、本人なのか、
イシグロイドなのか、わからなくなった。
「最近、イシグロイドそっくりになってきたと
言われるんです。」と石黒さん。
石黒浩さん
石黒浩さんのリュックには、サングラスが
かけてあって、
その姿自体が、一つの顔のような存在感で
迫ってくるのだった。
石黒浩さんのバッグ
7月 14, 2009 at 09:37 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (2)
東京国際ブックフェアの会場へ。
開場前にスペースを歩く。
PHP研究所のブースには、
松下幸之助さんの大きな肖像写真が。
横田紀彦さんとのツーショットが
できあがった。
PHP研究所のブースの前を闊歩する横田紀彦さん。
横田さん、桑原晃弥さん、吉田宏さん
をお相手に、アインシュタインに
ついて話す。
横田紀彦さん、桑原晃弥さん、吉田宏さん
PHP研究所のブースにて、
レクチャー。
立ち見を含めて
100名くらいの方が、
熱心に聴いて下さった。
ありがとうございます。
KOZIさんは、twitterで
生中継して下さったとのこと。
講演の様子
PHP研究所の関係者の娘さんが、
私の新刊を持っているところ。可愛い!
国際ブックフェアーの
「読書推進セミナー」の一貫
ということで、「読書のすすめ」
と題してお話させていただく。
今度は、1600名の会場。
ビデオ中継される第二会場も
あったのこと。
4500名のお申し込みがあった
ということで、本当にありがたい
ことだと思います。
深謝。
ブルータスの鈴木芳雄さんの
「フクヘン」にもろもろの模様がレポート
されています。
控え室にて。鈴木芳雄さん。
控え室にて。佐々木厚さん。
六本木へ。
山中俊治さん
がディレクションされた
「骨」展
を見学する。
山中さんと一緒に会場を歩く。
山中さんがいろいろと解説して
下さり、本当に面白かった!
「骨」展は8月30日まで。
ぜひお出かけください!
続いて、「日経サイエンス」の
『科学のクオリア』の対談。
山中俊治さんは、工学部を出られた
エンジニアであると同時に、
自ら絵を描くアーティストでもある。
論理的に積み上げることと、感性を
追うこと。
この二つのモードは、はっきりと
使い分けることが大切だという
ことを、いろいろ試しているうちに学んだ、
と山中さんは言う。
そして、多くの場合、感性の方が
先に行く。
ラマヌジャンが論理よりも感性で
公式をつかんでしまうように、
感性は先に行き、論理があとを
追う。
もちろん、論理を積み重ねた結果、
非線型の変容を通して驚くべき
視界が広がることもあるけれども。
日本語と英語。
自然言語と数学的言語。
論理と感性。
さまざまなものの、「バイリンガル」
であること。
「二つのものの間で引き裂かれてしまった
時は、どちらも諦めるな、
と若い人にアドヴァイスしているん
です」と山中俊治さんは
言われた。
山中俊治さんと、「骨」展のポスターの前にて。
7月 13, 2009 at 06:52 午前 | Permalink | コメント (27) | トラックバック (6)
函館の湯の川温泉の一角を
歩いていたら、公園が
あった。
遠くから、まず木立が見えて、
近づくと草原が広がっていた。
何気ない、こんな場所が
いちばんゆかしい。
名前がある必要はない。
多くの人が訪れることもない。
ただひっそりと、
たたずんでいればいい。
公園の横には、牛乳屋さんが
あった。
東京へ。
クレイジーケンバンドの
横山剣さんと対談する。
同じ「ケン」であり、また同じく
「クレイジー」であり、以前から
親近感を抱いていた横山剣さん。
御著書『マイ・スタンダード』は
本当に面白い。
何よりも文章が読ませる。
小学校の時、ケンさんのクラスメートの
女の子がピアノがうまく、
しかし、ある時、歌の伴奏をつけてよ、
と言うと、譜面がないからできないと
言われたという。
それで、初めて、ケンさんは、
音楽というものは必ずしも感覚で
とらえるものではないんだ、という
ことを知る。
それくらい、ケンさんにとっては
音楽は感覚的に押し寄せてくるもの。
テープレコーダーに
伴奏を歌い込み、それに合わせて
歌声を合わせるというかたちで
ごく自然に「作曲」していたの
だという。
ケンさんにとっては、音楽の持つ
「感覚」(クオリア)が何よりも
大切である。
主役はあくまでも「楽曲」
であって、バンドや自分は、
その楽曲を実現するための手段である。
大ヒットした『タイガー&ドラゴン』や、
この度発売される新曲の
『ガールフレンド』は、メロディー
と歌詞が自然に無意識の中から
流れ出る、いわゆる
「一筆書き」の状態で生まれてきたのだという。
芸術家である。
同じ「ケン」として、
そして「クレイジー」として、
横山剣さんの活動に瞠目する。
横山剣さんと(朝倉千代子さん撮影)
7月 12, 2009 at 07:14 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (3)
久しぶりのNHK。
赤上亮さんが、愛妻弁当を食べていた。
本間一成さんのTシャツが可愛かった。
住吉美紀さんは、夏らしい服。
池田由紀さんが、FLASHの谷口由記さんに
取材を受けていた。
屋上は風が強かった。
空気がきらきらしていた。
住吉美紀さん
赤上亮さん
細田美和子さん
本間一成さん
谷口由記さんの取材を受ける池田由紀さん
羽田空港から、函館へ。
はこだて未来大学での講演。
『脳で旅する日本のクオリア』 が
もう大学図書館に入っていたので
驚いた。
『脳で旅する日本のクオリア』
学長の中島秀之さんが、所眞理雄さんの
『天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所』
を読んでいらした。
中島秀之さん
本を持つ中島秀之さん
大沢文夫さん、松原仁さん、小野哲雄さん、
光藤雄一くんと話す。
楽しかった。
講演を終えたら、関崎心くんが
お母さんといらした。
びっくりした。
心くんとお母さんは、2008年3月9日
に東京で開かれた料理コンテストの優勝者。
その時、こんなことがあった。
_____
いよいよ、結果発表。
優勝したのは、北海道からいらした
小学校3年生の心(こころ)くんとお母さん。
北海道原産の材料を生かして、
おいしいパンが出来た。
発表してステージに上がったら、
お母さんが感激してぽろぽろ
泣いてしまった。
印象的だったのは、隣りに
立っていた心くんの
表情である。
男の子だし、泣くわけにもいかない。
しかし、すぐ近くで母親が号泣
している。
優勝して、飛び上がるほどうれしい。
その一方で、お母さんが泣いてしまって、
困っている。
そんな時、人間というのは
はにかんだような、泣きだしそうな、
こわばったような、爆発しそうな、
震えるような、溶けるような、
守るような、助けてもらいたいような、
強いような、弱いような、
このままずっとこの瞬間が続いてほしいような、
早く通り過ぎてほしいような、
実に何とも言えない表情をするもんなんだね。
心くんの人生の中でも、あんな表情を
することはそう何回もないでしょう。
君の脳裏に、この出来事は
しっかりと忘れられない
思い出として刻まれたことと思う。
ぼくの心にも焼き付けられたよ。
忘れない。
人間、かけがえのない思い出という
のはそんなにたっぷりあるという
わけではないけれども、
数少ないそれらの「星の時間」を
時々ふり返ってゆっくりと
育てていけば、人生はだいじょうぶ。
______
思い出が、花のようにぱっと開いて
甦った。
心くん、会えてうれしかったよ。
また会おうね!
関崎心くん、お母さんの聖子さんと。
(色紙に名字を間違って書いてしまって、この
後直した。心くん、ごめんね)
7月 11, 2009 at 08:16 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (1)
東京工業大学の中村清彦研究室の
青木賢治くんが、
博士の中間発表の内容を話してくれた。
Flash suppressionについて。
青木くんが工夫したタスクは
興味深く、いろいろと刺激された。
発表する青木賢治くん
青木くんの話を聞く田谷文彦。
続いて、Journal club。
Journal Clubというのは、
大学院などで、
各回の担当の人が、
選んだ論文の内容を紹介
する集まり。
私たちのJournal Clubは、
The Brain Clubといって、
今は箆伊智充くんが
アレンジを担当してくれている。
英文を読むこと、内容を
理解すること、関連研究を
紹介できること、研究の
面白い点や、逆に弱点を
把握できることなど、
研究者としての能力が
鍛えられる。
また、自分が論文を書く時の、
一つの「型」のようなものが
身につく。
大学院に入った時は、右も
左もわからない状態だけれども、
Journal Clubで論文を皆と
10編、50編、100編と
読んでいくにつれて、
次第に世界が広がって、
自分の中で何かが確立して
くる。
石川哲朗が
Odor quality coding and categorization in human posterior piriform cortex
Nature Neuroscience 12, 932 - 938 (2009)
を紹介。
続いて、田辺史子が
Merel Kindt, Marieke Soeter & Bram Vervliet. Beyond extinction: erasing human fear responses and preventing the return of fear
Nature Neuroscience, 2009; 12 (3): 256
を紹介。
論文紹介をする田辺史子
星野英一。私の顔の隠し図形のTシャツを着ている。
左から、星野英一、関根崇泰、石川哲朗。
田谷文彦と、風の中を歩く。
思えば、田谷と初めてあったのは、
10年くらい前のことだった。
ぼくが最初に指導した学生。
一緒に両眼視野闘争の研究をしたり、
ケンブリッジに行ったり、
そのうち、田谷が大阪大学の柳田敏雄
さんのところに行ったり。
2回、3回と
巡って見える人生の景色。
「今度三田に行くね」と言って田谷と
別れる。
大崎の駅のあたりは、不思議な明かりに
照らし出されていた。
7月 10, 2009 at 07:11 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (1)
『脳で旅する日本のクオリア』 (小学館)
雑誌『和樂』に連載されていた
「日本のクオリアを旅する」
が本になりました。
行き先をコーディネートしてくださり、
また毎回すばらしい解説をつけて
下さった橋本麻里さん。
髭とにこにこパワーでぐんぐんと仕事を進めて
くださった渡辺倫明さん。
小学館の清水芳郎さんには単行本化に当たって
ご尽力いただきました。
挿入されている写真は、浅井広美さんに
よるものです。
私にとって、さまざまな発見が詰まった
大切な本です。
皆さん、ぜひお読みください。
『脳で旅する日本のクオリア』の完成を祝って
渡辺倫明さん(左)、清水芳郎さん(右)と。
(2009年7月8日 明治大学にて)
あとがきより
こうして、日本のクオリアを巡る旅を振り返った時に浮かび上がってくるのは、日本という小さな島国の中にさえ顕れる、世界の多様性に対する感謝と驚嘆の思いである。
「日本」は、決してひとまとまりでも、定まったものでもない。日本列島は地理的に海に囲まれ、歴史的にもある程度独立した経緯をたどってきたことは事実である。しかし、日本は決して外界に対して閉ざされてきたのではない。「鎖国」政策をとっていた江戸時代でさえ、日本は閉ざされていなかった。周囲の世界との行き来はあった。
そもそも、固有のクオリアというものは、閉鎖系ではなく開放系の中にこそ育まれるもの。私たちはついつい「名前」をつけてそれで安心してしまいがちである。「日本」というラベルをつけると、そこに動かしがたい実体があるように思ってしまう。しかし、実際には違う。「日本」は揺れ動き続けている。オリジナリティと影響、感化と受容の関係は微妙で豊かである。私たちが「日本固有」のものと思っていることの多くが、外国からの影響の下に育まれた。逆に、この島国からも、諸外国に多くのものが「贈りもの」として差し出されてきている。
開かれていてこそ、ある文化圏は豊かに育まれる。一人の人間も同じこと。成長し続けるためには、自分が何ものであるかと決めつけてはいけない。組織や肩書きで人間を評価するなど愚かなこと。脳は本来完成型のない「オープン・エンド」な性質を持っている。私たちは一生学び続けることができるはずである。それにもかかわらず、自らのすばらしい可能性を閉ざしてしまう例が散見されるのは、自分が何ものであるか決めつけて、それで安心してしまうからである。
「日本のクオリア」も、開かれ続けることで育っていく。自分が生まれ育った文化を愛するのは人間の自然な心情である。やたらと外国かぶれになっても仕方がない。西洋の事物を自分なりに吸収し、解釈しても、本家の人たちはそれほどの感謝をしてくれない。彼が本当に求めているのは、日本人ならではの、独特の世界観と感性に基づく何らかの「贈りもの」であろう。例えば、「寿司」の文化が世界各地でいかに歓迎されているかを見よ。
しかし、自分たちの歴史や文化に誇りを持つということと、頑なになることとは違う。伝統というものは、それが生きたものである以上、必ず私たち自身の生命の更新プロセスと共鳴しなければならない。生命の本質は、開かれているということである。変化し続けるということである。容易には予想ができない偶有性を抱きしめるということである。そのことさえわかっていれば、「日本のクオリア」を愛することは、決して頑なな拝外主義者への道ではない。
そもそも、クオリアには、決して言葉では記述しきれない機微がある。たとえば、白神山地の森の風情。あの手つかずの大叢林に包まれた時に胸を去来するものの中には、どんなにそのことを考えても尽くすことのできない不思議な感触があった。
あるいは、熊本で訪れた「トンカラリン」の遺跡。暗く狭い道を通り、やがて陽光のあふれる外界へと出る。自分が誕生した道筋を再体験し、死と再生を言祝ぐかのような設いのあの場所が、一体誰によってどのような思いでつくられたのか。現代において、そのような場所はあるのか。考え思うほどに、自分の中でざわざわと動き出すものが感じられる。
クオリアは、その場で記号のように消費され尽くされるものではない。寄り添えば寄り添うほどに、多くの恵みが得られる文脈。自分の生命がゆっくりと育まれる現場。たとえ、もはや変化をせず、永遠に留まりゆくもののように思えても、そこには必ずや私たちの生命の変化を促す契機がある。
そもそも、私たちの脳の変化はゆっくりとしている。私たちはむろん動物で、ある程度の速さで運動しなければ用が足りない。身体の運動を制御する神経細胞のネットワークも、それなりの速度で作用するように設計されている。
その一方で、私たちが世界とのかかわりの中から学び、育ち、やがて面目を一変させるそのプロセスは、大変ゆっくりしている。それは、植物が伸びるありさまに似ている。私たちの脳の中の神経細胞どうしをつなぐ「シナプス」と呼ばれる部位がどのように強化され、あるいは減じるか。その変化は、日々の経験が積み上げられ、整理される中で、ゆったりと変化していく。
自分が愛すべきクオリアを見つけたら、それに寄り添うべきである。そのことで、脳の生理作用のテンポが私たちに恵みをもたらしてくれる。例えば、千利休が創始した茶の湯の芸術性に縁があって感染し、深く心を動かされたとしよう。たとえ、世界全体から見たら茶室の中で起こることは小さく見えたとしても、実際にはそこに無限の奥行きがある。どれほど真剣に寄り添っても、営為努力しても、試行錯誤を重ねたとしても極めることのできない宇宙がそこにある。だからこそ、「道」というものができる。クオリアは、無限の航路の水先案内人に過ぎない。
見いだせ、愛しめ、そして捧げよ。古の人は、地平線が限られた世界に暮らしていただけにかえって、インターネットの情報の海に翻弄されてあれこれと移り気な現代人よりもよほど、生命ののびしろの本質に通じていた。
閉ざしてはいけない。「日本のクオリア」を開かれたものとしてとらえることは絶対に必要である。しかし、それは、必ずしも「諸外国との交流を通して」といったお題目においてのみ把握されるべきものではない。たとえ物理的には日本に留まっていたとしても、その限られた空間の中に、無限のヴァリアエーションがあり、成長の余地がある。そもそも、クオリアの空間はこの現実のそれとは独立している。敢えて言えば古代ギリシャのプラトンが言うところの「イデア界」に通じている。だからこそ、日本のクオリアに沈潜する時、私たちはすでに日本という地理的限定を超え始めている。入り口は「日本」にあるかもしれない。しかし、その狭い入り口から達することができるのは、世界よりも私たちの頭の中よりも広い内的宇宙である。
クオリアを魂の成長のきっかけとすること。旅を続けるうちに私の心の中にあったのは、そのことだけだった。むろんそれは、世界についてあれこれと考える理屈とも無縁ではない。論理と感性は分離していると考えがちだが、理想的な場合に両者は融合する。すぐれた芸術作品は、ロジックと感受性の結婚の奇跡を示す。
日本のあちらこちらを旅しながら、私は、自分の内側の科学者としての論理と、一生活者としての感性が融合して渾然一体となる奇跡に、何度も立ち会うことになった。その現場での出来事のあれこれが、この一冊の本の中に記録されている。
クオリアとは不思議なもので、実際にその場所に行かなければ感触が得られない。どれほど情報を集め、写真を見て、映像を眺めても、その空間に包まれてみなければ、立ち上げることができない。
その場所に立った時、自分の内側にどのようなクオリアが感じられるか。自分という楽器が、どんな調べを奏でるか。魂がどんなふうに共鳴するか。そのような自分のありようを見つめることは、旅をすることの最大のよろこびである。
クオリアを受容すること。そのことが、旅をすることの最大の意義となる。そして、クオリアと出会うためには、自らの生命が震え、周囲と交感し、それがやがて意識の中で定着されるという一連の過程が必要となる。
本書は、小学館の雑誌「和樂」に連載された「日本のクオリアを旅する」を中心に、日本のクオリアを巡るさまざまを書き綴った文章を集めたものである。単行本化にあたって、文章の一部を修正、加筆した。
連載「日本のクオリアを旅する」は、編集者でライターの橋本麻里さんが毎回行き先を選定し、旅程その他をアレンジして下さった。橋本さんの広い知識と鋭い感性、そして何よりも対象に対する深い愛のあるお仕事がなければ、私はここで出会ったものたちに遭遇することはできなかったろう。ここに、橋本さんに心からの感謝を捧げる。
また、「和樂」掲載にかかわる編集のさまざまは、編集部の渡辺倫明さんにお世話になった。渡辺さんの、いつもにこにこと笑顔を絶やさない姿勢に、どれほど慰められたかわからない。旅先で酒を酌み交わす友人としても、渡辺さんにはとてもお世話になった。本書に挿入された写真家の浅井広美さんによる作品も、渡辺さんのセレクションによるものである。ここに深謝する。
最後に、本書を手にとって下さった読者の皆様へ。私が訪れた日本各地の現場にいつか皆さんも旅をして、現地に行かねば感じられぬ「クオリア」に向き合う時間の恵みもたれんことを、著者として心から祈念いたします。
2009年5月 東京にて 茂木健一郎
7月 9, 2009 at 08:59 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (3)
イネス・リグロン(Ines Ligron)さん
とお話しする。
美とは何か。
「選択」や「決断」を自ら
行うことができ、自分の内なる声に
耳を傾けることができる
人こそが美しい、というイネスさんの
お話は興味深かった。
イネス・リグロンさんは、森理世さん
を2007年のミス・ユニヴァースに
育て上げたことで知られる。
「彼女たちが、トレーニングの
ために私と一緒に住むでしょ。
そうしたら、まずは、朝食の時に、
何が飲みたい、コーヒー、それとも
紅茶、って聞くの。
私は何でもいいです、と答えたりしたら、
そんなことではだめでしょ、自分で、
何が飲みたいのかはっきりと言えなければ
だめでしょうと、そこから始める。」
「私の家に、たくさんの服が
あると思っている人がいるけれども、
むしろ千の本や雑誌がある。それで、どれでも、
好きなところがあったら、頁を
えいっと引きちぎっていい、
そう女の子たちには伝えてあるの。」
選択、決断の積み重ねこそが
美であるというイネスさんの
理論。
早稲田大学国際教養学部の授業。
試験前の最後だったので、
今までの内容を振り返った。
明治大学にて、合田正人先生
との「脳科学と哲学との対話」
第3回。
「自由意志について。」
合田先生の最初の提題が
すばらしい。
「人は自由になったと思った時に、
かえって、最もとらわれてしまっている
ということがあるのではないか。」
自由意志の問題は、広がりが
あり、やっかいであり、
そして深みがある。
90分間では、とてもカバーできなかった。
『脳とクオリア』 (1997年)第9章
では、自由意志の問題を論じている。
有限アンサンブル効果。『脳とクオリア』第9章より
認知的アンサンブルと自由意志。『脳とクオリア』第9章より
あれから12年経って、ようやく、
心脳問題の根本として、クオリアや
偶有性と絡めて自由意志を議論する
内的状況が熟した。
合田正人さんは、「私は偶有性とは自己
と非自己の境界の問題であると考えている」
とおっしゃった。
同意する。
そして、脳科学におけるボディ・イメージの
データが示唆しているように、偶有性が
自己と非自己の境界にかかわるわけであり、
ここには自己言及的な構造がある。
合田正人さんは、スピノザが大事である
とう直感を述べた。
講義が終了後、合田先生と歓談する。
野澤真一、関根崇泰がいろいろと
議論する。
野澤は、ずいぶんといろいろ御教示いただいた
ようだ。
早稲田大学の稲吉啓史くんも来て
談笑する。
稲吉くんはお土産をくれた。ありがとう!
野澤真一、合田正人さん、関根崇泰
合田正人さんと、関根崇泰
稲吉啓史くんも議論に加わる(左端)
野澤真一と合田正人さん
二次会で訪れた
『人魚の嘆き』の七夕の飾りに、
読売新聞の鵜飼哲夫さんの短冊が
下がっていた。
「出会い 鵜飼」
と願いが書いてあった。
鵜飼哲夫さんの切ない願い。
7月 9, 2009 at 08:52 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (4)
自由意志の問題を取り上げます。
茂木健一郎、合田正人
2009年7月8日(水)
16時20分〜17時50分
明治大学駿河台校舎アカデミーコモン
3階 アカデミーホール
入場無料
受講生以外の学生、一般参加可能
(合田正人先生の「フランス文学演習」の枠で開催されますが、どなたでも聴講可です)
7月 8, 2009 at 09:45 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (0)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第71回 築地の精神
サンデー毎日 2009年7月19日号
http://mainichi.jp/enta/book/sunday/
抜粋
世の中には、その場所に実際に行ってみないと本質がつかみにくいことがある。どんなに写真や映像で見たとしても、実際に足を運んで肌で経験してみなければ雰囲気がわからないのである。
一度行ってしまえば、「ああ、これか」と思い当たる。しばらく前、東京の築地市場の朝を初めて体験して、その活気と生命力に心打たれた。その感触が未だに忘れられず、時々思い返してみる。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中!
7月 8, 2009 at 07:05 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (0)
特殊メイクアップアーティストの
江川悦子さんさんによって、
私がアルベルト・アインシュタインに変身した
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
が昨日放送された。
私は上海からの帰りが夜遅くなり、
まだ録画を見ることができていない。
収録当日、アインシュタインになった
時の写真を幾つか掲載いたします。
江川悦子さん、ありがとうございました!
住吉美紀さんと。
「生みの親」の江川悦子さん、担当ディレクターの
粟田賢さんと。
有吉伸人チーフプロデューサーと。
山口佐知子さん、有吉伸人さんと。
山口佐知子さんと。
細田美和子デスクと。
見学にいらしていた電通の佐々木厚さんと。
舌を出すアインシュタイン。
大の字になるアインシュタイン。
変な格好をするアインシュタイン。
7月 8, 2009 at 06:59 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (2)
上海にて、ワン・イーカイ君の
欠損していた頭蓋骨を
チタンの人工頭骨で
置き換えた徐先生にお話を聞く。
徐先生は、たいへん理知的に、
ワン君のことを話して下さり、
私は好印象を持った。
徐先生に、ワン・イーカイ君の手術のことを聞く。
これにて、すべての取材は終了!
クランク・アップの記念に、皆で
撮影をした。
一回目の時、舟木商策さんが
「だめだあ」と早く諦め
すぎてしまって、写真は
失敗した。
改めて皆でタイマー撮影。
お疲れ様でした!
辻村哲郎さんには、
現地での折衝やアレンジ、通訳まで
大活躍いただいて、本当に感謝している。
辻村さんがいらっしゃらなかったら、
今回の取材は成立しなかったろう。
辻村さん、ありがとうございました。
皆さん、お疲れさま!
失敗写真。
左から、辻村哲郎さん、為谷純さん、朝倉千代子さん、舟木商策さん、(その後ろに私)、
笠原裕明さん、鏡原圭吾さん。
成功写真。
左から、辻村哲郎さん、朝倉千代子さん、為谷純さん、
私、舟木商策さん、笠原裕明さん、鏡原圭吾さん。
7月 8, 2009 at 06:52 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (1)
皆さんご存じのように、2009年
7月22日に、皆既日食があります。
現在私が滞在している
上海でも見られるというので、
ホテルにポスターがありました。
東京などでは、部分日食となりますが、
その楽しみ方について、畏友、田森佳秀が
すばらしいメールを送ってきたので、
ここにご披露いたします。
田森佳秀氏
To: mogilab
From: Yoshi Tamori
Date: Mon, 06 Jul 2009
Subject: [mogilab] 部分日食の楽しみ方
こんにちは、mogilabの皆様、
人によっては、どうでもよい話かもしれませんが、手土産代りに以下をどうぞ。
7月22日に日食があるのは、御存知と思いますが、もうトカラ群島へのツアーチケットは残っていませんし、上海まで行く程の時間とお金が無い人は、残念な事と思います。部分食では、美しいコロナやプロミネンスを見ることはできませんが、部分日食も十分、面白いので、諦めてはなりません。
部分日食には、部分日食の楽しみ方がありますので、日食の日は、何を置いても晴れる場所に出向きましょう。
その1(トゲトゲ木漏れ日)
=========================
部分日食を楽しむには、まず、木漏れ日が見える所で部分日食の時の影を見ましょう。その影の中の木漏れ日が皆、三日月になる刺々しさを味わう事が大切です。
その2(天変地異)
===============
また、ほんの少しだけ西の空に雲があると、空を動く月の影を見る事ができます。この影が、ぐんぐん近寄ってくる不気味さと、同時に巻き起こる大風が、ますます天変地異を、かもし出してくれてワクワクしてきます。
その3(人工木漏れ日)
====================
穴を沢山あけた、大きめの厚紙を用意して、その穴の影がどう変わるかを楽しみましょう。この手の、ピンホールを利用する実験の時は、紙の周りから回りこんでくる光による明るさを、如何にして抑えるかが大事です。一番簡単なのは、暗い箱の中に像を結ぶようにしておくことです。
その4(欠けた太陽の刻印)
=======================
ピンホールから漏れた太陽の直径は、ピンホールから1m離れたところで、大体9mmです。
月も太陽も視直径は大体0.5°(太陽=0.533、月=0.518)、なので、2分で月一個分ずれてゆきます。
ここで、定規を、予め計算しておいた、太陽の影の軌道に沿うように地上に固定し、新品のDVD-Rを用意して、以下のように、定規に接触させて配置します。
(以下、英等幅フォントで描き直してください。)
Paper
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' | ``'., / | | / 右に移動させる
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-------------------------------------------------+
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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もちろん、厚紙のピンホールを通った太陽の光がDVD-Rの感光面にあたるようにしておきます。ピンホールからDVD-Rメディアまでの距離は1mになるように気をつけ、回り込みの光があまりあたらないように、大きめの厚紙に穴を開けてセットしておきます。
ここで、時報をあらかじめ録音しておいて、太陽がきれいに欠けたところで、ピンホールからの光をあてます。時報の「ピッ、ピッ」という音を13個数えるたびに、1mmづつDVD-Rを定規に沿って並行移動させます。
すると、5分も頑張れば、DVD-Rに太陽の三日月の影を焼きつけることができます。
もちろん、ちゃんと焦点を実験で定めておけるなら、簡単な望遠鏡を使えば、広角を大きくとれるので、短い時間でも、焼き付けは可能です。
以下、定規の向きを決める時に、参考にしてください。
月の影が動く様子
http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEanimate/SEanimate2001/SE2009Jul22T.GIF
私は、日食の時の、大風が好きです。
ぽよ
7月 7, 2009 at 09:44 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (2)
プロフェッショナル 仕事の流儀
魂をゆさぶる顔は、こうして作る
~特殊メイクアップアーティスト・江川悦子~
江川悦子さんは自然体で、
どんどんすごい仕事をして
しまう。
アタマの中では、さまざまなことを
考え、夢見ている。
自然体の人というのは、エネルギーの
配分が良いように思う。
自分の中でぐるぐると回して
彫り込んでいくことと、
外に出して表現することの
間に、自然体というインターフェイスを
置いているのだ。
江川さんの超絶技巧で、
私はアルベルト・アインシュタインに
変身した!
自分でもびっくりするくらい良く
似ていた。
絶対に見逃せない放送です!
NHK総合
2009年7月7日(火)22:00〜22:49
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事 『変身した自分に出逢う
特殊メイクアップアーティスト・江川悦子』(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
7月 7, 2009 at 09:21 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (1)
今や、目覚ましい発展を遂げ、
街行く人の雰囲気や、行き交う自動車も
日本と変わらない中国。
しかし、時折なつかしい人たちの
姿を見かけて、その時に心が動く。
昼食に出た、菊のお茶。
何気ない出会いが、異文化
の香りを作っていく。
ワン・イーカイ君のリハビリテーションや、
前頭葉を中心とする脳機能の
テストに立ち会う。
主任の江先生は東北大学に留学して
いたことがあり、
仙台の様子を懐かしそうにお話になった。
ワン・イーカイ君の現在の脳の状態を
X線CTで撮影する。
その画像を見ながら、江先生に、
医学的見地からの現在のワン・イーカイ君の
様子と、今後のリハビリテーションの見通し
についての所見をうかがった。
チーフ・ディレクターの笠原裕明さんは、
凄腕を発揮。
現場で、どんどん的確な判断をして、
撮影を指揮していく。
ズボンの後ろのポケットに台本をツッコミ、
カメラを持つ笠原さん。
やり手ディレクターのスタイルがここにある。
昼食の時、笠原さんの目がらんらんと
輝いた。
押さえておくべき撮影対象を見つけたら、
それを逃さない。
目をらんらんと輝かせる笠原裕明さん
ワン・イーカイ君、それにワン君の
ガールフレンドと一緒に、南京でも一番の
観光名所、夫子廟のあたりを歩いた。
聖人孔子を祀った廟を中心に、すばらしい景色が
広がっている。
ワン君が、しきりに「ヴェリー・ハッピー」
と言う。
事故の後、初めてこの夫子廟に来たのだという。
「彼女と出会ったのが、クリスマスだったから、
今年のクリスマスに、ぜひこの夫子廟に来たい」
とワン君。
スゴ腕ディレクター、笠原裕明さんの目が
きらりと光り、「それじゃあ、クリスマスに
追加取材しますか」と言うと、ワン君は、
「いやあ、その時は、プライベートだから」
と言って笑った。
笠原さんがアタマを掻いた。
夫子廟に至る橋の上で、
スタッフの記念撮影。
皆、よく働きました!
「ザ・コミットメンツ」。
左から、笠原裕明さん、舟木商策さん、朝倉千代子さん、
茂木健一郎、為谷純さん、鏡原圭吾さん。
仕事をしながら、上海に向かう。
4時間余りの旅。途中で、コンピュータを
置いて眠っていた。
夜11時を過ぎた新天地。
石焼きの店で、遅い夕食にありつく。
香港在住29年の辻村哲郎さんと、
中国語文化圏の話をいろいろする。
辻村哲郎さん
私たちがいたのは夜風の気持ちがいい
外の席。
店の中では、歌手がゆかしい中国語の
歌をうたっていた。
7月 7, 2009 at 09:09 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (0)
朝、ホテルの前にぼんやりと立っている
女の人が、なんだかなつかしい
雰囲気である。
事故を起こして右脳のかなりの部分を
失いながら、奇跡的に回復し、
現在大学に通っている
ワン・イーカイ君と会う。
ご両親にも、話を聞く。
10ヶ月の昏睡状態の間、
母親も父親も仕事を休んで
懸命に看護に励んだのだという。
ワン君は、ユーモアのセンスがあり、
前向きで、とても賢い素敵な人だった。
ワン君と話した公園では、中国将棋に
興じている人たちがいた。
バスの車窓から見た、バイクを三人乗り
する人たち。
コーディネーターをして下さっているのは、
香港在住が長い辻村哲郎さん。
辻村哲郎さん
辻村さんは、ジャッキー・チェンさんの
専属の通訳もされている。
辻村さんを紹介して下さったのは、
電通の佐々木厚さんである。
夕食の会場で、スイカが出た。
それでまた、スイカを売っている
あたりを歩いてみたくなった。
旅というものは不思議なもので、
経験は線であり、面であるが、
その土地の精神の奥へとすっと
入り込むきっかけとなるのは、ある
一つの時間であったり、イメージであったり
する。
昨日、路上にベッドを出して眠っている
おじいさんがいた店が気になって、
またそちらの方へ行ってみた。
ベッドが、出ている。しかし、今夜は
違う人が寝ているようである。
近づいてみたら、女の人だった。
腕を顔の上に載せて、すやすやと
眠っている。
おかみさんなのだろう。
スイカ屋ふたたび。
暑かった昼間の空気もようやくひんやり
としてきて、さわやかな風が吹く
路上。
眠っているおかみさんの無意識は、
南京の夜の闇とまっすぐにつながっている
ように感じられた。
7月 6, 2009 at 06:57 午前 | Permalink | コメント (19) | トラックバック (3)
上海に来た。
リニアモーターカーに初めて乗る。
日本の新幹線で、時速300キロは経験
しているはずだが、
それを超えた時から、確かに感覚が
変わった。
対抗車線のリニアモーターカーと
すれ違った時、おもわず「うわあ」
と声が出た。
相対速度は時速700キロを超えて
いたに違いない。
速度メーターが、431キロに達する。
視界のオプティカル・フローが
未体験の質を持つ。
わずか7分間の旅。
速度が130キロ増えたことで、
確実に変わったことがある。
内側に残って、消えない。
ドライヴァーズ・シートは、シンプルな
作りで、
速度を概念として操作するテーブルのようだった。
2010年に万博を控えていることも
あり、上海は至るところが
建設ラッシュ。
機材を持ちこむことが
できないということで、借りにいった
郊外の団地で、しばらく
佇む。
家族が、犬を囲んで談笑している。
「科学を学び、科学を用い、科学を愛せ」
というスローガンの看板がある。
これ以外にも、たくさんの看板が
団地内にあった。
木々の緑がやわらかく、小鳥たちの
鳴き声が心地良い。
上海中心街の外白渡橋へ。
地球が二つあり、大きなタワーがある。
すぐ近くにはロシア領事館があって、
門を開けてドラム式の洗濯機を
運び入れるところだった。
移動の道のりはよく覚えて
いない。
途中、高速道路の休憩エリアで降りて、
夜の空気を嗅いだ。
南京は、やわらかな闇に包まれていた。
南方の都らしい、ゆったりとした
空気。
スイカを売っている。男が上半身裸で
働いている。
店の橫の路上で、おじいさんが眠っている。
ベッドを出して、すやすやと
気持ちよさそうに眠っている。
きっと、働いている男のお父さん
なのだろう。
息子が仕事に精出す橫で、夜風に吹かれて
すやすやと眠る。
あるべき人生の姿は、時に不意打ちで
訪れる。
だからこそ、旅は私たちにとって
欠くべからざる友人となるのだ。
7月 5, 2009 at 09:25 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (2)
自由意志の問題を取り上げます。
茂木健一郎、合田正人
脳科学と哲学との対話
2009年7月8日(水)
16時20分〜17時50分
明治大学駿河台校舎アカデミーコモン
3階 アカデミーホール
入場無料
受講生以外の学生、一般参加可能
(合田正人先生の「フランス文学演習」の枠で開催されますが、どなたでも聴講可です)
7月 4, 2009 at 06:59 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (0)
南浦和のさいたま市文化センターにて、
講演。
脳のアンチエイジングについて。
移動しながら、光文社の柿内芳文さんに
お送りいただいた
『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』
を読む。
著者の中川淳一郎さんが、
ウェブ上のニュースサイトを運営しながら
遭遇した実体験に基づくウェブ論。
大変興味深かった。
以前梅田望夫さんと
の共著『フューチャリスト宣言』で書いたように、
私はウェブに大いなる希望を持っている。
ただ、実際のところはいろいろと
難しいことがあることも、よくわかっている。
私自身、ウェブ上でさまざまな実践/実験を
してきた。
このクオリア日記を書き始めたのは
1999年の11月12日。
今年の11月12日で10周年となる。
独自ドメイン名によるホームページ、
メイリング・リスト、掲示板、
メール形式の投稿論文。
さまざまなことを試してきた中で、
集合知の触媒としてのウェブの
現実が難しいことだらけということは
実感している。
万人に開かれたメディアとしての
ウェブに対する希望だけは失いたくない。
ずっと現場で
何かを続けていきたいと思う。
ソニーコンピュータサイエンス研究所に
田森佳秀が来て、ゼミで話してくれる。
事前に、何について話すか判らないぞ、
と言うから、それでいい、と言って
いたら、超伝導のことになった。
電子軌道のことや、BCS理論のこと。
フェルミ・エネルギーのところで
時間切れでまた続きは今度ということに
なった。
超伝導の理論について話す田森佳秀氏
五反田の「あさり」で飲む。
自由意志の話から、「祈り」へと
話題が移った。
「田森さんは、祈ることはないんですか」
と野澤真一が聞くと、田森は、
「あるよ」と答える。
「たとえば、宝くじを買う時。」
「えっ、田森さんでも宝くじ買うんですか」
「買うよ。オレが好きなのは、ナンバーズ4。
どうしても、特定の数字に入れ込みたく
なっちゃうんだよ。」
「特定の数字って、何ですか?」
「たとえば、7641。」
「7641って何ですか?」
「不動点。」
「不動点?」
「適当な4ケタの数字を考えるじゃん、
そうしたら、それを大きい順に並べて、
そこから小さい順に並べた数を引いて
いくと、必ず7641になる。もっとも、
1111とか、2222とか、
同じ数字から出発すると、ゼロになっちゃう
けれどもね。」
「・・・・・」
「これがねえ、10進法じゃなくて、
N進法だと、違う不動点になるんだよ。」
「あのう、その不動点だと、当たる確率が
少し上がるんですか?」
「上がらないよ。ただ、大事な数だから、
どうしても入れ込んでしまうというだけ。」
「・・・・」
野澤真一、関根崇泰、田森佳秀
野澤真一のTシャツに書かれていた文章
星野英一を見ると、私の顔が
白黒の「隠し図形」でプリントされた
Tシャツを着ている。
ぼんやりとしているから、
「どうした、星野?」
と言うと、
「茂木さんに煮込みを食べさせてしまいました」
という。
「どのあたりだ?」
と聞くと、「このあたりです。それから、このあたり。
実は、いっぱい食べさせてしまいました。」
星野は呆然とした表情で言った。
Tシャツの私に煮込みを食べさせて呆然とする星野英一くん。
7月 4, 2009 at 05:27 午前 | Permalink | コメント (25) | トラックバック (4)
所眞理雄、由利伸子著
『天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所』
(日経BP社)
ソニーコンピュータサイエンス研究所
についての本が出版されました。
著者は、研究所を創設した所眞理雄さんと、
ジャーナリストの由利伸子さんです。
世界的に見てもユニークなこの
研究所がどのように組織され、運営
されて来たのか。
イノベーションの未来を考えるすべての
人にとっての、必読の書です!
7月 3, 2009 at 07:52 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
BBCの
Have I got news for you
を見ていたら、utility bill (電気、水道、ガス
などの公共料金)をクモのイラストで
払おうとした男の話をやっていた。
オーストラリアのこの男は、233ドル95セント
の料金の代わりに、自分の描いたクモの
イラストを電子メールで送って、
それで支払いにあててくれ
と言ったのである。
会社側は当然拒否する。
すると、男は、それならばイラストを送り返して
くれと言う。
電子メールで送り返すと、
「これ、本当に自分が描いたイラストか?」
と男はいう。
「このクモ、足が7本しかないじゃないか」
確かにこのイラストは男が送ったものだ
と返事をすると、男は、悪かった、足が
一本足らなかった、今度は8本足の
クモを描いたから、これで料金
にあててくれという。
ユーモラスなやりとり(英文)は、
オーストラリアのニュースサイト
で見ることができる。
このオリジナルのイラストが、eBayで
1万ドルで売れたのだという。
オークション開始価格は、233ドル95セントだったそうである。
男が描いた7本足のクモ
自由が丘にピアニストの館野泉さんを
訪問する。
2002年、コンサート中に突然倒れた
館野さん。
右半身が不自由になり、ピアニストとしての
生命線が奪われた。
周囲が再起は無理だと考える中、
御本人は一貫して音楽を続けていくことを
疑わなかった。
左手だけで弾くピアノ。それは、一つの
宇宙の創成であり、音楽の歴史の
新しい一頁。
未踏の地を行くパイオニアの姿は、
自然そのもののようなさわやかさに
満ちていた。
館野泉さんと。自由が丘にて。
7月 3, 2009 at 07:38 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (1)
茂木健一郎
講談社文庫
『セレンディピティの時代
西川浩史さんと米津香保里さん
青年が主な読者の「KING」に連載された
ということもあり、今までの私とは
異なる文体で書いています。
ぜひぜひお読みください!
「あとがき」より
茂木健一郎
偶然の幸運に出会うこと=セレンディピティを活かすためのさまざまな方法について考えてきた。
脳についての処方箋においては、「これさえ押さえておけばだいじょうぶ」という万能薬はなかなかない。自分の脳という「道具箱」の中にいくつかの道具を入れておいて、その時々の状況に合わせて自由自在に繰り出すのが一番よい。偶然の幸運に出会い、それを活かすための方法も、「これだけでだいじょうぶ」というものはない。柔軟に、臨機応変に考えなければならないのである。
何よりも大切なのは、「生命」としての動きを止めないこと。セレンディピティは、最初は「周辺視野」の中に現れる。まわりにぼんやりと見えているものに気付き、そこに注意を向けることで偶然の幸運との出会いは始まる。そして、対象を視野の真ん中でとらえたら、今度はじっくりと観察しなければならない。相手をよく理解しなければ、その活用もできない。
同時に、一度注意を向けてしっかりと見始めたものは、もはやセレンディピティの最先端ではなくなっているかもしれない。今度は、その時にさらに周辺視野の中にぼんやりと見えているものが、セレンディピティのさらなる深まりをもたらしてくれるかもしれない。つまり、セレンディピティとは、どんどん逃げていく幻のようなもの。存在するかしないのか、その中間のうすぼんやりとした場所にこそ、私たちに恵みをもたらしてくれるセレンディピティはある。
偶然の幸運は、絶えざる運動の中にしか現れない。人生の他のさまざまな大切なことと同様に。
本書は、講談社の雑誌「キング」に連載されたエッセイを下に構成されたものである。幾つかの章については、追加取材として私がお話して、それを編集者の米津香保里さんが文章にまとめるという形をとった。
「キング」における連載の企画を立てて下さり、また連載も中いろいろとアドヴァイスを下さったのは、講談社の小林司さん。小林さんがいらっしゃらなかったら、本書は存在しなかったろう。単行本化に当たっては、講談社の西川浩史さんと、ペダルファーブックスの米津香保里さんにお世話になった。西川さんの決して芯を外さない粘り強い仕事ぶりと、米津さんの的確に要点をとらえる筆力に何度も助けられた。また「KING」連載時から、西家ヒバリさんには熱の入ったイラストを描いていただき、改めてお礼を申し上げたい。
ここに、小林司さん、西川浩史さん、米津香保里さん、そして西家ヒバリさんに心からの感謝を捧げます。
2009年5月 新緑の美しい東京にて。 茂木健一郎
7月 2, 2009 at 08:12 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (4)
東京大学駒場キャンパスで
池上高志と話す。
生命のことや、知性のこと。
続いて、認知オムニバスの授業に
早稲田大学の三輪敬之さん
が
いらっしゃるということで、
久しぶりに三輪さんの話を聞こうと
出席した。
個物の絶対性からスタートするのではなく、
それらが置かれる場の中で
融合される際の危うさと可能性を
追求すること。
三輪さんのお名前を最初に聞いたのは、
植物の成長点の周囲の場についての
研究にかかわって。
私は大学院生だった。
次にお会いした時は、
三輪さんは認知ロボティックスの
研究者になっていた。
ある人の見え方というのは、地層の
ように積み重なっていくものである。
いつもは文脈に関係なく自分の
言いたいことを言う池上高志が、
授業の後の事務的なアナウンスメント
になると急に真面目になるのが
面白い。
池上の研究室で、三葉虫の
化石を見た。
三輪敬之さん
池上高志
サントリーホール。
ピアニストの館野泉さん
の演奏を聴く。
吉松隆/左手のためのピアノ協奏曲
「ケフェウス・ノート」作品102a
(「舘野泉左手の文庫」助成作品)
を、関西フィルハーモニーと。
指揮は藤岡幸夫さん。
左手だけで弾くピアノは、
全く別の楽器のよう。
その静かな調べに合わせて、
オーケストレーションも
変容する。
制約が、むしろ可能性になる。
楽屋に館野泉さんを訪ねる。
北欧の生活が長い館野さん。
「ピアニストの音楽というものは、
もって生まれたものだと思います」
と、林の中を吹き抜ける風の
ようなその人は言った。
指が鍵盤に触れ、やがて移動
していく時の本当に微妙な
タッチの違い。
無意識の引き込み。自分では
コントロールできない持調子。
ピアニストの音楽に相当するものが、
私たち一人ひとりの個性をつくる。
7月 2, 2009 at 07:45 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (0)
脳科学研究グループの会合
The Brain Club。
柳川透が、7月1日から理化学研究所の
藤井直敬さんのチームに
正式に採用になるということで、
「最終講義」をした。
「そもそもぼくはですね」と語り起こす。
柳川の研究の魂の履歴を知り、
何だか感動した。
柳川くんの最終講義。
最終講義のノート。
続いて箆伊智充くんが
journal clubの論文紹介。
‘When Birds of a Feather Flock Together’: Synesthetic Correspondences Modulate Audiovisual Integration in Non-Synesthetes
Cesare Valerio Parise*, Charles Spence
Crossmodal Research Laboratory, Department of Experimental Psychology, University of Oxford, Oxford, United Kingdom
http://www.plosone.org/article/info:doi/10.1371/journal.pone.0005664
箆伊くんによる 「ブーバ・キキ」
の新しいヴァージョンは皆に好評であった。
箆伊版ブーバ、キキ
関根崇泰は、この日記の読者の間では
「画伯」として著名である。
先日の朝日カルチャーセンターの後の
飲み会では、関根にイラストを描いてもらいたい
という人が続出したらしい。
その関根画伯が、また変なイラストを
描いてもってきやがった。
一人は、「痩せた」私らしい。右下に
いるのは、「現状の」私らしい。
関根、見ていろよお前(笑)。
関根が描いた変なイラスト。
田谷文彦は、7月1日から慶應大学の
プロジェクトで研究を続ける。
田谷くん、柳川くんの送別会を
五反田の「わに家」開いた。
OBの大久保ふみさんが来た。
電通の佐々木厚さんもかけつける。
楽しい時間。そして少ししんみり。
たくさんのグラスが並びました。
まるで雪解け水に光る陽光のように
きれいです。
田谷文彦と佐々木厚さん。
田谷は佐々木さんからもらったシャンパンを持つ。
野澤真一、大久保ふみ、箆伊智充、田谷文彦
(this photo taken by Toru Yanagawa)
大久保ふみと箆伊智充
(this photo taken by Toru Yanagawa)
皆で描いた色紙の「B面」
並んだグラス
7月 1, 2009 at 07:33 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (2)
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