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2009/06/09

文明の星時間 美禰子の苦痛

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第67回 美禰子の苦痛
サンデー毎日 2009年6月21日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 「苦痛」。漱石は、美禰子という女性を描く際、甘美なもののうちに感じられる苦痛について書く。苦痛こそが、三四郎にとっての美禰子の魅力の理由である。そして、苦痛こそが、『三四郎』という作品について考える際に本質的なことである。
 三四郎は、大学の美学の教師からフランスの画家グルーズの絵を見せられ、「この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいる」と説明を受ける。官能の歓びを表す言葉、「ヴォラプチュアス」。それで、三四郎は美禰子のことを思い出す。
 「何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。」
 皆で菊人形を見に行く。美禰子が群衆の中で気分が悪くなる。三四郎が心配して近づく。美禰子がものうそうに三四郎を見る。
 「その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。」
 言うまでもなく、美禰子はただ苦痛を与えるだけの存在ではない。三四郎を虜にし、さまざまな夢で満たす存在である。ところが、その甘美な印象を突きつめていくと、苦痛に出会う。漱石はなぜ、美禰子を描く時に、甘いもののうちにあえて痛みを置いたのだろうか。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
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6月 9, 2009 at 08:38 午前 |

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コメント

茂木先生へ

ふと鏡を見て思いました。

私は、人の心を無視して
素知らぬ顔で、人をキズをつけて
生きてはいないかと

私は、心を大切に生きていると
勝手に思っているだけで
身勝手に生活している
人間なのではないかと

ある人は、私の心の傷を
毎日遠くから、鏡を通して
癒してくれました。
私にとっては、とても大切な方です。

でも、もしも私はその人を
知らぬ間に、疵を負わせていたら
どうすればよいのか?

茂木先生のアドバイスをいただけませんか。

投稿: 時の花 | 2009/06/13 22:26:48

こんばんは。私は本文読んでいないところでの感想です。 ひかれ合う何かと (私の場合は温かさと尊敬)、相手と自分への覚悟、そして 共に生き続けるパートナーとして愛情 = 穏やかさ があったら、いいですね。

投稿: サラリン | 2009/06/10 23:28:29

サンデー毎日で全文拝読いたしました
(・ω・)/
「三四郎」は一度しか読んでいませんが、最初は美禰子は謎って感じで三四郎だけ疎外されているような印象を受けました。最近は美禰子は「無意識」で三四郎を好きだったんだけど、明治の文脈の中では人生の軌道修正を自力でできなかったんだろうなぁと思うようになりました。「三四郎」深いデス。「それから」も「こころ」も深いデス。次は「行人」を読んでみようと思いマス!
茂木ィ先生、夏目漱石を紹介してくださりありがとうございます m(_ _)m

投稿: 眠り猫2 | 2009/06/10 20:47:34

茂木様
お知らせありがとうございます。書店に足を運んでみます!

投稿: acasia | 2009/06/10 16:45:08

サンデー毎日で、拝読致しました。

わたしは、人を慕うことが苦しいのは、
一つになれないからだと
思っていました。
肉体に隔てられ、
一つになることが不可能だから…(笑)
美しいものも同じで。

先生はとても西洋的な
自我の側面をお持ちですね。
愛しい存在を、対象と
みなすんですね。
それとも、そちらが普通…?

わたしには
そもそも
わたしと一つである筈のもの
なんです。

アニマの拒絶は
男性には致命的なことなのかしら…
勇敢な男性が臆病になるのは
そのせいですか?

投稿: K | 2009/06/10 15:51:31

 夏目漱石の『三四郎』ご著書の中にも出てきたので、
この日記を拝読して、読んだことがなかった私も読んでみようかな
と思いました。不勉強ですみません。

 夏目漱石は『こころ』を何回か読みました。
初めは現国の課題で読んだのですが、親子でも読みました。
 菫の句も美しいですね。知らずにいた美しいものを
教えていただき、ありがとうございます。

 先生の文章を拝読して、昔読んだ堀辰雄さんの『風立ちぬ』
を思い出しました。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ちょっと趣は微妙に異なるかもしれませんが、
苦痛の中の静かな美しさ、甘美なそこだけにある共有する
思いや、一人よがりで後に気づく、ヒロインが死と隣りあわせで
生きる不安の中で、共感共有したがっていたかも知れない思いへの
主人公の気づきなど、感情の機微が描かれています。
途中までが美しいから、レクイエムの最後が静かなのに
主人公の記憶の風景に重なって膨らんで、懐かしく迫るものが
あるのです。苦痛なのに甘美なものです。
高校1年生の時読んで、なぜか照れてしまうようなでも
浸って心地良いような感覚でした。
20年以上ぶりで、古い本を、本箱から出してみました。


投稿: 発展途上人 | 2009/06/10 1:20:37

本連載を拝見しました。

連載を見て、「bitter&sweet」という文句がパッと浮かんだ。

官能的な甘美さの中に潜む、疼くような苦痛。柔らかく芳しい薔薇の香りの中に、ビリッと苦い仁丹が潜んでいるようなものだと思った。

連載の中で言われたように、今は無痛であることのほうがいいような風潮になっているようだ。仁丹の苦さに、耐えられない人が増えているように思える。

ただ甘いだけの恋愛は、結句は幻想に過ぎない。疼くような苦しみと痛みを伴う薔薇のような甘美さが、恋愛のひとつの、しかし大きな醍醐味なのではないか。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/06/09 21:26:48

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