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2009/04/24

あかあかと照らされたこずえの葉

明治神宮の森を歩く。

宝物館の近くのベンチに、中央公論新社の
岡田健吾さん、 濱美穂さん
が座っていた。

「茂木さん、こっちじゃなくて、
もう少し戻ったところなんですよ!
すみません!」

岡田さんが、相変わらずのマシンガントークで
喋りまくる。

ぼくは、その風圧をできるだけかわそうと
しながら、心静かに参道を歩んだ。

向こうから、井之上達矢さんが
歩いてきた。

「こんにちは!」を手を上げる。

現場は、参道を少し横に外れた場所にあった。

フォトグラファーの大河内禎さん
が、松本佳代子さんと立っている。

大河内さんの指示で、暗がりに立つ。

「デジタルですか?」

「いいや、フィルムです。」

「最近、フィルムを使っている人を見ると、
プロだなあ、と思いますね。デジだと
すぐに確認できるけれども、フィルムはどうしても
不安になる。」

場所を移してもう一カット。

木もれ日がふらりふらりと舞っているのを
見たり、
少し離れたこずえの葉が、そこだけ
あかあかと照らされているのを見ていると、
この一週間のさまざまが思い出されて、
きれいに解消されていくのを感じた。

『疾走する精神』(仮題)の帯に使われる
予定の写真。

「中央公論」に連載されていた
「新・森の生活」が一冊になる。

井之上さんと歩きながら話す。

原宿側に抜ける頃には、何かのリズムが
戻っていた。

NHK。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

上野の国立博物館で開催中の
「阿修羅展」で展示されている
国宝「阿修羅立像」を奈良の興福寺から
運んだ、文化財運搬のプロフェッショナル、
海老名和明さんがゲスト。

すぐれた文化財は、時に場所を移動
することが運命となる。

江戸時代から、「出開帳」という
形で、仏像などの信仰の対象は
各地に旅した。

「当時の人たちには信仰がありましたから、
きっと大切に運んでいったのでしょうね。」
と海老名さん。

「現代の名工」のお話、そしてその技は
本当に興味深かった。

収録後、有吉伸人さんと
いろいろお話していたら、
「おはよう日本」の
首藤奈知子アナウンサーがいらした。

首藤さんは、2004年12月17日放送の
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
パイロット版、深澤直人さんの
回で司会をされている。

夜道を歩きながら考える。

人生というものは面白いもので、
ふとした時に、あかあかと照らされた
こずえの葉のような風景が目に飛び込んでくる。

プラトンはあのような光景を見て
何を考えていたのだろうか。

4月 24, 2009 at 08:01 午前 |

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■イイヒトニメグマレテルヨ、オレ (こういう青空と緑のシンプルな構図が好きだ) ■ここ最近は充実している。  相変わらず朝起きるのは安定していない。  けれどもいろいろな人と出会ったり、本を読んでいるので  毎日脳が活性化している。  脳も喜んでいる日々なのか... [続きを読む]

受信: 2009/04/25 1:33:50

コメント

自然の偉大さを実感出来る日常は、非常に大切だと、痛感しております。もっともっと、自然との共存が実感出来る日常空間が、必要だと思われます。

投稿: nature smile | 2009/04/25 7:28:05

 永遠で不変なものと、流れ去るもの。
「ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙」を仕事から帰宅後、読み返してみました。ソクラテス~プラトン~アリストテレスについて書かれたページのところです。

 プラトンのアカデメイア(ギリシアの伝説の英雄アカデモスにちなんだ名前の哲学の学校)は、ギリシア・アテナイのとある「森」にあって、活発な会話が重んじられた。だから「対話」の形で哲学が書かれたと。
 プラトンは、亡き師ソクラテスの弁明の他に、書簡集と、哲学をめぐる35編以上の対話篇を書いたとありました。

 「洞窟の比喩」のなかで、「影絵」しか現象として目の前のものが見えなかった一人の洞窟の住民が、囚われの身から自由になり、外の世界に出て影絵のもとになっていた美しい本物の動物や花を見る。ではこの写し絵ではない「本物」はいったい何処から来たのだろう?と疑問を抱き、彼は空を仰いで、洞窟では火が影絵を見せていたように、太陽が花や動物に命を与えているのだと思い当たる。
 自由を楽しんだあとに、残された住民のためと思って洞窟に引き返し、洞窟の影絵は「本当の現実」のゆらゆらゆらめくまがいものにすぎないと説明するが、今見えているものだけが現実だと誰も信じない。ありもしない事を言う危険分子だと彼は殺されてしまう。
 洞窟の比喩は、勇気や哲学者の教育者としての責任を言い表していることにもなるだろうとありました。

 茂木先生の、あかあかと照らされたこずえの葉のような風景、私の想像とは正確には一致しない、きっと先生だけの本当の世界なのでしょう。
 身近にあるかけがえのない自然、現象。まぶしい陽光に照らされた葉のきらめき。一瞬後には変化してしまうけれど、今この時にその瞬間を目に映すことが出来て良かった。今ここに生きてて良かったと思えます。
 先生の詩の様な世界に浸って、今日一日のいろいろが、「生きてて良かった」になりました。ありがとうございます。先生の日記を拝読するのが、今、一日の楽しみになっています。感謝申し上げます。
 
『疾走する精神』(仮題)も拝読してみたいです。
『今、ここから全ての場所へ』の文の世界にも想像して浸りました。森の道で深く思索する、これこそ本当に「哲学の道」ですね。

 ねんざの痛みが和らいで良かったですね。楽しんで走っていらして、伝わって来るものがあたたかくて、嬉しいです。

 脳科学と哲学の対話、とても行きたいですが、叶わないのがとても残念です。

投稿: 発展途上人 | 2009/04/24 23:28:33

自然にある色…芽吹いたばかりの木々の葉の緑。
それが、太陽に照らされて見える所(*^_^*)

今日の日記で、ばっちり想像できました!(^o^)

綺麗で、私、とても好きです!

投稿: 奏。 | 2009/04/24 22:41:10

最近、町を歩くと、木々の新緑が瑞々しく光るようになった。公園の木の下に来ると、キラキラとした木漏れ日が、透き通った若い緑の葉の間から、透明な暖かい色調の宝石のように降り注ぐ。

毎日、近くの公園を電車で通り過ぎる。日々を重ねるに連れ、若々しい緑が徐々に濃くなり行くのが眼に見えてわかる。

茂木さんのこよなく愛する、あの光の川も、日々眩くなり行く若葉からの木漏れ日が降り注いでいることでしょう。

「新・森の生活」は雑誌・中央公論掲載当時、毎月のように読ませていただきました。

読むたびに自分自身の内面が、ある時は開かれ、またあるときは煩悶するようなカオス状態になり、今思うと、あの連載は偶有性など、様々な難しかった概念について、思索の視座を与えてくれたような気がする。

『疾走する精神』と共に、書店に並ぶのをいまから楽しみにしています。


「阿修羅展」で思い出したが、歴史の荒波を越えた文化財というのは、見ているほうの心の背骨をピン!と伸ばしてくれる。普段“曲がっている”魂の姿勢をタダしてくれる。

とりわけ信仰という、人間の精神運動の中でもっとも高度な運動のひとつがかかわってくるものは、現代にドップリつかって生きる私達の魂が、如何に曲がっているかを、実にいろんなかたちで教えてくれる。

その点で残念に思うのは、最近、仏像などの貴重な歴史遺産の盗難が相次いでいることだ。現代人からいよいよ、信仰という精神運動の大切さというか、意義が喪われつつあるのかもしれない。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/04/24 22:39:27

親愛なる茂木先生、

ちょうど一年前の今日、初めてコメントさせていただきました。あっという間の一年でしたが、毎日新鮮な刺激を頂いて、感謝しています。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: (マ)ゴグ | 2009/04/24 15:48:55

昨日は、相模湖まで車を走らせ、途中の山々の新緑を見ながら、訳もなく涙がこぼれてきました。今、日記を読ませていただき、あの昨日の涙は、山々の新緑に浄化された涙なんだって理解しました。
人生の流れから、こぼれ落ちてしまいそうな、淡い緑色の山々での1コマです。

投稿: シリンクス | 2009/04/24 9:26:37

「音楽の捧げもの」を入手しました。
写真がいっぱいあってうれしい!
先日のブログ紀行のように
ドイツへの旅を楽しみます。

投稿: 島唄子 | 2009/04/24 9:15:53

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