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2009/04/08

文明の星時間 セコイアの時間

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第59回 セコイアの時間

サンデー毎日 2009年4月19日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 子どもの頃から、巨木が好きだった。
 最初に意識したのは、家の近くの神社の境内にあったイチョウ。虫取りに行った時など、まぶしい思いで見上げた。「御神木」ということで、囲いをされ大切に扱われていた。幹にはぐるりとしめ縄。正月になり真新しく変わると、子ども心にもぎゅっと気が引き締まって神聖な思いがした。
 大学の時には、東京の文京区にある小石川植物園に通った。園の奥の方にあるプラタナス(すずかけの木)を見に行くためである。確か三本並んでいて、そのうちの一つがとりわけ大きかった。説明書きを読むと、文明開化で日本に入ったプラタナスのうち、初期のものとあった。
 冬の日など、見上げるとすがすがしい気持ちになった。すずかけの木特有の白を基調としたまだらの樹皮。晴れ上がった空を背景に、樹体がまるで山容のように雄大に見えた。その凄まじい美しさに、足元がくらくらとした。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
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4月 8, 2009 at 07:41 午前 |

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コメント

今近くの児童公園から生中継です(・ω・)/
目の前に大きな桜の樹があって、風がふくと花びらがわーって吹いてきます。
ブランコでは母子が楽しげに一緒に乗って、砂場では赤ちゃん達がワァワァ泣いたり笑ったりしています。
その赤ちゃんを見守るお母さん達の優しいまなざし…ここは天国でしょうか?
青空に桜色の天蓋がひたすらに美しく、このまま時間が止まればいいのになぁと切に思います。
この公園の主は大きな桜の樹ですね。
2メートルくらいの太い幹の先が二手に分かれているのです。 夫婦桜なのでしょうか?仲良しですね(^o^;)

‐こう生きているも不思議ぞ花の陰‐
一茶の句です。 ‐行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし‐
平忠度様でしたっけ?でしたっけ?なんてイッタラ忠度様がでてきちゃうかもしれません(汗)

投稿: 眠り猫2 | 2009/04/10 12:48:52

わたしの住む北国では、ゴールデンウィークも過ぎた頃、ようやくプラタナスの葉が芽吹きます。

半年しか葉が繁らず、あとの半年は裸の木。根性あるなぁ、と…(笑)

暖かいところではどうなんでしょう。

関係ありませんが、桜の木がソメイヨシノ(=接木でしか作れない、いわばクローン木)になったのは江戸の後期のことだとか。

茂木さんの“ひらめきの導火線”に、日本人が没個性化したのは江戸時代じゃないか? という趣旨のことがありましたが、もう少し遅く、明治以降と考えたい気もします。

桜のクローン化と日本人の没個性化に不思議な関連性を見いだしたいらしい。
やっぱりわたしはオカルト系だったのか…(笑)

投稿: K | 2009/04/10 0:02:47

自分がよく散歩する町や場所…例えば、世田谷区の弦巻、文京区の本郷、井の頭公園など、など…には、結構巨木が立っている所が多い。

むかし井の頭公園で、ラクウショウという、見かけがセコイアによく似た樹に初めて出会った時、その不思議な姿に、驚異を覚えた。

恐ろしく大きな幹の下の、根っこのあたりから、筍のようなものがにょきにょき生えている様は、今思い返しても不思議でしょうがない。

それにみんな、見上げるバカリの巨木で、自分の存在が恰もマメのように小さく感じられた。

秋、上野公園のイチョウの古い大木の下に佇むと、たわわに稔った生ぎんなんが、輝く金色の扇が無数に敷き詰められた地面に、これまた無数に転がっているのを見る事がある。

最近も都内某所で、枝を幾本も大きく広げた古い樹を見つけ、その中にはいると、緑の大いなる息吹きにやさしく包まれるような感じになる。

如何見ても幹が途轍もなく太く、この樹が生きてきた、気の遠くなるような時間を思った。これが生きてきた時間に比べれば、己の生きているそれなんて、ただの一瞬のようなものだ、と思った。

プラタナスは、たしか「ヒポクラテスの樹」とも言われていたと聞いている。かの西洋医学の始祖と深い関係があるのだろう。

私が住んでいる町の近くにも、巨木が幾つかあったけれど、道路拡張工事とやらで、何時しか無残にも切られ、なくなってしまった…。

嗚呼、人間は自分の都合で、古から生き続けてきたものさえも、切り倒してしまう生き物でしかないのか。

巨木のことを思いながら、彼等天然の法則にしたがって生きる者との、共生と調和のことが頭を過(よ)ぎる。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/04/08 20:28:14

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