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2009/04/20

『音楽の捧げもの』

茂木健一郎 PHP新書
『音楽の捧げもの』 ールターからバッハへー

バッハの事跡を辿って、ワイマール、アイゼナッハ、
エアフルト、ライプツィッヒを訪ねた紀行
についての書き下ろしの本です。

旅の感触を、一字一字心を込めて
書きました。

私自身が撮った現地の写真も満載
されています。

PHP研究所の丹所千佳さん、横田紀彦
さんが丁寧に編集して下さいました。

幸いなことに、発売後すぐに
増刷が決まったとのお知らせを
頂きました。

多くの方に読んでいただければ
うれしいです。

本文より抜粋

 ゲーテハウスは、ワイマール中心の広場に面していた。フラウエンプラン一番地。三階建て、黄色い壁の家は、道に沿ってやや曲がりながら続いている。ゲーテは、この家に死ぬまで約50年間住み続けたという。清楚な美しさをたたえた「終の棲家」。現在は財団の管理するナショナル・ミュージアムとなっていて、隣接する建物から入ることができる。
 ドアを開けると、建物に囲まれたスペースとなる。
 「誰かが密かに訪問したい時には、馬車を使ってここから入れば良かったのです。そうすれば気付かれません。何と賢い工夫でしょう!」
 案内をしてくれるのは、アンニャ・ディートリッヒさん。その落ち着いたやさしい声が耳に心地よい。
 馬車の通り道だけではない。ゲーテハウスは、さまざまな工夫に満ちていることが、見学をするうちにわかってきた。観念の世界だけではない。さまざまなことに通じた「世事の人」でもあったゲーテの実像が見えてくる。
 玄関ホールを入るとすぐに階段。黒い彫像が置かれている。左右に二つの裸像。中央に犬の彫像。犬はいきいきとした表情で、後ろを振り返って何かを見ている。
 「これは、ブロンズに見えますが、実際にはそうではありません。石膏の像を黒く塗ったものです。安上がりにブロンズを作る方法ですね!」
 アンニャが説明を加える。
 なるほど、目の前の彫像は、「にせもの」である。しかし、「にせもの」とは言いながら、独特の堂々とした風合いがある。何よりもその設いに、何とも言えない優美さがある。ゲーテハウス内部の第一印象は、とても好もしいものだった。
 階段を上ると、往時には招かれた客が通されたであろう控えの間があった。そこにもギリシャやローマの彫像がたくさん置かれている。
 ただしこちらもすべて、オリジナルではなく、後世の模造である。
 ゲーテは、イタリアの芸術を愛した。しかし、その家に置かれた彫刻の多くは、オリジナルではなく模造であった。
 アンニャが事情を説明する。
 「ゲーテは、確かに経済的には裕福でした。しかし、とてつもなく裕福というわけでもなかったので、古代ギリシャ・ローマの彫像のオリジナルを買うことはできませんでした。だから、幸運にもオリジナルを買うことができた時は、ゲーテはそれを大変誇りに思っていたのです。」
 ゲーテは、古代ギリシャ、ローマのオリジナルの文化財を大切にしていた。だから、わざわざそれらを収納する専用のキャビネットを作らせた。文豪自慢のオリジナルの彫像たちは、部屋の壁に沿って置かれたゲーテ考案のケースの中に大切にしまわれていた。
 どれも、高さ10センチ程度の小さなものばかり。博物館などで目にする堂々たる彫像に比べれば、お世辞にも立派とは言えない。ましてや、私たちのイメージの中にある、人類の文化史上に燦然と輝く偉人ゲーテにふさわしいとも言えない。
 「ゲーテは発明をするのがとても好きでした。このキャビネットも、オリジナルな彫像のために自分で工夫をしたのです。」
 ワイマールを訪れて初めて知る等身大の消息。ゲーテは、ごく限られた小さなもの以外には、古代ギリシャ、ローマの遺物を手にすることができなかった。そう考えると、運命が切なくなった。そして、ゲーテその人とその作品がますます愛しく感じられた。
 昔日に柴田翔さんと読んだ『ファウスト』第二部古代ヴァルプルギスの夜において、ゲーテはいかに見事にギリシャの精神をとらえていたことだろう。下半身が馬で、上半身が人間のケンタウルス。決して優美とは言えず、むしろ不気味な力を感じさせる姿。そのような存在に、この上なく美しくそして高貴な精神が宿る。生存というもののとらえ方のダイナミック・レンジの大きさの中にこそ、古代ギリシャの、そしてゲーテの偉大がある。そう柴田翔さんは教えてくれた。
 大きな彫像については、模造品を使うしかない。それでも、「本物」に見えるように努力をする。やっと手に入れたオリジナルの彫像を、後生大事にキャビネットにしまい込む。まるで、自分を守護してくれる「三種の神器」のように。そんなゲーテの「努力」は、現在の私たちの心に真っ直ぐに届く。
 古の偉人たちについて、私たちはついつい何ごとも大げさに考え勝ちである。その人にまつわるすべての資源が、際限なく、そして潤沢に提供されていたように思ってしまう。
 しかし、実際には、そうではない。この地上を這いずり回る「死すべき者」である以上は、すべては有限にならざるを得ない。富はもちろん、空間的な設いも。何よりもその時間は、万人に等しく限られたものであるしかない。 
 ゲーテもまた、その限られた日常の中で、必死になって精神運動に身を投じていた。大帝国の皇帝といえども、その物理的な資源には必ず限りがある。一方、私たちの精神の志向性は、原理的に無限である。そのギャップに、ゲーテも、そして私たちも苦しむ。
 どんな偉人にも、与えられている時間と空間は同じである。生活者としてのゲーテの感触に接することで、その人に血が通い始める。小さな工夫とひそやかなたくらみに満ちたこれらの空間の中で、中肉中背の男は歩き回っていたのだ。

4月 20, 2009 at 08:43 午前 |

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コメント

茂木さん、こんばんは☆
『音楽の捧げもの』
読ませていただきました。
茂木さんのやわらかな部分に
大切なものに触れたような。。。
とても良かったです。
写真も素敵です!
茂木さん、冬のドイツに行かれて
本当によかったなと~


【わたしたちの世界が、生きる限りにおいて
 日常の繰り返しであるとするならば、私たちは
 ほんの少しの工夫で、日常を底光りさせることが
 できる。今日もまた、私たちの耳にはかくも美しい
 生命という「音楽」の響きが届いている。
  そして、この世に人類が存在する限り、さまざまな
 困難に足をすくわれながらも、精神の高みを目指す
 私たちの「魂のリレー」は続いていく。
  音楽の捧げもの。ルターからバッハへ。
 「ドイツの冬の旅」を終えた私は、旅に出る前よりも
 ほんの少し、人間というものを信じる気持ちに
 なっていた。】 『音楽の捧げもの』p172


音楽と出会って、
私も人間というものを信じる気持ちになりました

投稿: なごみ | 2009/06/19 23:33:11

「音楽の捧げもの」は、出版直後に一読したのですが、昨日、再読しました。感性にあふれる言葉と、簡潔明瞭な論旨に、音楽をきいているような感覚をおぼえました。私のブログに感想をのせましたので、トラックバックを送らせていただきます。

投稿: Eno | 2009/05/25 23:03:13

茂木さんおはようございます!
葉加瀬太郎さんのラジオ『world air current』聴きました!(^^)!

すごく面白かったです!
葉加瀬さんにとっても茂木さんにとっても、いつもより濃く楽しんでいる様子が伺えました!ラジオってホントにその人柄やテンションを直接的に感じられて大好きです。とても興味深々で耳ダンボでした!
ワーグナーとブラームス談義で葉加瀬さんがワーグナーについて引っ掛かっている所が面白かった。
茂木さんが「好きと嫌いは…」なんて葉加瀬さんをつっついて、その気持ちに興味を示して面白がっている感じが、何とも面白かったです。

もう終わりか!と思いましたらなんと来週もゲスト茂木さんです!
嬉しいです❣

お二人の盛り上がりを、楽しみにしています。

投稿: 光嶋夏輝 | 2009/04/25 20:17:27

一字一字心を込めて拝読したいと思います。

投稿: ふぉれすと | 2009/04/21 17:58:12

茂木先生 こんにちは♪
音楽のことではないのですけど、ワイマール地方と聞いて、その地方の犬、ワイマラナーを思い出しました。ゲーテも犬を飼っていたんでしょうか? そうゆう別のことから、その人となりを考えると、また違った人物像が、浮かび上がってきそうです。たとえばバッハは、どんな動物が好きだったのかしら?何か飼っていたのかな?また、自然や動物が、バッハに与えた影響が、音楽に出ているのかしら?ワイマラナーのグレーの瞳や毛並み、細い体は、ほんとにドイツのイメージにピッタリです。偉人と言われている人達の、好き嫌いな生き物とか、角度を変えた見方をすると、なんだか少し、身近になって、親しみがもてる気がします…笑♪

投稿: 平井礼子 | 2009/04/21 16:34:55

今レヴァインとキーシンが奏でる、シューベルトのピアノデュオを聴いてます(4手のピアノの為のアレグロD947)
ローマの円形劇場で中世の騎士が二人、騎乗で槍を交えつつ甲冑の下から「やるなおぬし」とお互いをちら見するような、迫真の演奏です。
(・ω・)/ってどんな演奏なんだ?つまり鋼と鋼がカシーンとまじわって青い火花を散らすような、凄い演奏です!まさに高貴なる野蛮…!
茂木さんにもぜし聴いてほしいデス。(><;)あ、コメント欄間違えたかな?
でも今「音楽の捧げもの」拝読しております。
茂木さんの撮られた写真素敵ですね♪御著書大切にいたしますね♪
私めもドイツに「バッハ巡礼」したくなりました。バッハは私の中では決して過ぎ去った方ではありません。小さな小さな星である私と、見えないけれども一緒に生きていてくれていると思います。

ラフォルジュルネ、もうすぐ開催されますね♪ マタイ受難曲もなんとか行けそうで今からワクワクしています♪夜な夜な日参しちゃいます~ \(^_^)/
茂木さんの講演会あるのですか?是非とも聴きたいです!

投稿: 眠り猫2 | 2009/04/20 19:58:42

こんばんは、茂木―先生。
すばらしい。本当にそうですね。この頃、゛みんなおんなじ゛と思う事が多くなりました。そして、気がつけば、言葉に出して言っている自分になんとなく気が付いていたところでした。みんなおなじ人間ですね。

投稿: ぶらんか | 2009/04/20 19:44:40

 ハナミズキの白が美しい季節。
 
 「化粧する脳」読み終えたところです。次なる獲物を探していたので、「音楽の捧げもの」読ませていただきます。
 ところで、我が家の次男は小学4~6年のとき、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていました。公立ですが、すばらしい音楽の先生と出会い、親の私も世話係として参加しておりました。
                                 トロンボーンはバイオリンのように小さいサイズがないので、大変。気づくと筋トレをしたような体つきに。そして子供たちの成長に驚かされるとともに、私の「耳」もよくなっていきました。私は中世の貴族ではありませんが、聴衆が演奏家を育てるというのは、わかる気がいたします。次男は北風の吹く季節は、二重のくちびるになり、リップクリームが手放せませんでした。
 
 それでは、旅のお疲れがでませんようにお祈りいたします。
                  草々     *ゆう*
 

投稿: ゆう | 2009/04/20 12:14:27

茂木健一郎様

本文抜粋を読ませていただき、鼓動が高鳴ります。
目に見えるもの見えないもの、
叡智を精神性を感じていきたい
能動的に生きてこそ生き甲斐です。

柴田翔氏のお名前を拝見すると、
「されど われらが日々」が忘れられません。
新装版が出版されているのですね。
書店にて見つけてみようかと思います。


今朝「クオリア降臨」を読ませていただいて
いて、茂木先生の迫力に驚いておりました。

ああ、頑張らなくっちゃ!です。

投稿: Yoshiko.T | 2009/04/20 11:58:38

読んだら、同じ行程を巡りたくなりそうですね。

投稿: take | 2009/04/20 9:37:07

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