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2009/04/20

人は死ぬから生きられる

茂木健一郎 南直哉

新潮新書
『人は死ぬから生きられる』ー脳科学者と禅僧の対話ー


私が心から尊敬する禅僧、南直哉さんとの
対論です。

新潮社の金寿煥さんが編集して
下さいました。

長く心に残る一冊です。

まえがき(「星の友情」)より抜粋

 世の中を見渡せば、自分の立場を信じて疑わぬ人がどれほど多いことか。自らの優越性を誇らんとするばかり、他者の姿が見えなくなる人たち。どんなに論を尽くしても、伝わらない哀しみ。無意識の中には、次第にマグマが溜まって行くのである。
 そんな折に南直哉さんに出会った。初対面で、その眼差しに射貫かれた。この人にならば、精神の地下に伏流する炎の話をしても通じるだろうと思われた。知というものの限界を、空気のように自然に呼吸している人。そのような「奇特」な存在が、この現代の日本で心臓を鼓動させているとは思わなかった。
 南さんは、禅宗の永平寺で長年にわたって修行をした人である。かつて永平寺を訪れた時、廊下ですれ違う修行僧の迫力に瞠目した。観光客とは、まるで違う厳しさの中に生きる人たち。人は、なぜ仏門に入るのか。習慣というものの持つ大きな力。私のようにふだんは世俗にまみれて暮らしつつあり、時折思い出したように「無知の知」に立ち返ったり、無明の中をさ迷ったりしたりするだけでは足りない。 日々自らの魂の志向性に寄り添ったことを繰り返す大切さ。修行を続けてきた人は、やはり違う。
 永平寺が象徴する禅という古来の叡智の持つ力に、南直哉さんの個性が倍加する。中学生で「諸行無常」という言葉に出会ったとき、南さんは「あ、助かった」と思ったという。クオリアをはじめとする現代の脳科学の諸問題に対する態度といい、私自身の精神の志向性にかかわる嗅覚の鋭さといい、南直哉という人は尋常ではない。対談中、私はひょっとしたら天から使わされた怪物と向き合っているのではないかと思う瞬間が正直何回かあった。
 怪物と格闘していると、こちらも鍛えられる。南直哉さんと話を交わしながら、さまざまなことを教えていただいた。
 もっとも心に残ったことの一つが、南さんが九十五歳のおばあちゃんと交わしたという会話である。「和尚さん、死んだら私は良いところへ行けますか」とおばあちゃんに尋ねられて、南さんは「極楽に行ける」と答える。本来、仏教思想の根本は、霊魂や死後の世界の存在については「答えない」という「無記」を貫くことにある。それでも、南さんは目の前のおばあちゃんに「極楽に生ける」と答える。「行けるに決まってるじゃないの。こんなに努力して、一生懸命がんばったおばあちゃんが良いところへ行かなくて、どこに行くんだ。」と言葉をかけるのである。
 ここには、私たちが生きるということ、その中で思想を抱くということにかかわる、よほどの難問題が横たわっている。だからこそ、私は南さんのこの態度にすっかり感じ入ってしまったのだろう。「おばあちゃんと話しているときの、存在する、しないということの判断基準をどこに求めるのかは、おばあちゃんと僕だけで決定しちゃいけない理由はないと思うようになったんです。」と南さんは言う。「それでは、その決定の責任はどこにあるのか――。言った人間、つまり私ですよ。」と南さんは続ける。「もし普遍的かつ絶対的な基準がどこかにあって、仏教で間違ったことを言ったら地獄に落ちると決まっているとするならば、落ちる覚悟で言わないといけない。仏教者というのはそういう立場にある人間だと思うんです。」
 南さんの非凡さは、このような覚悟の中にあるのだろう。私たちは、他の誰でもない、まさに「この私」としてこの世に産み落とされる。親も兄妹も、自分で選んでいるわけではない。熟慮して母国や郷土を指定したわけではない。自分の姿かたち、資質、生きてきた履歴。どれとして、思うがままになったものはない。
 その一方で、私たちは自由意志という幻想なしでは一瞬たりとも正気を保つことができない。因果によってすべては決まっているという直感と、私たちの意識のあり方は相容れない。これらのとてつもなく大切な問題について、南直哉さんと四年間にわたって対話を積み重ねることができたことは僥倖であった。
 私たちの対話は、お互いに親しみつつも、常に緊張感のあるものであった。決してなれ合いではなかった。クオリアや仮想、偶有性といった、私にとって大切な概念たちに対する南さんの切り込み。私はその度に精一杯の回答をした。切っ先を交わしながら、春風のようなやさしい空気につつまれた。木漏れ日のきらめきを、確かに肌に受けた。それでも、目の前のその人の眼光は、あくまでも鋭かった。
 対談の終わりは、ある意味では衝撃的なものだったと言えよう。「星の友情」。「されば、われわれは、互いに地上での敵であらざるをえないにしても、われわれの星の友情を信じよう。」(ニーチェ)。私と南直哉さんは、これからも、お互いをはるか遠くに認め合いつつ、それぞれの人生の偶有性を生きていくのだろう。

4月 20, 2009 at 08:31 午前 |

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茂木健一郎さんのブログを見たら、なんと、南さんの事が! 「人は死ぬから生きられる」 ということで、追記です。(茂木さんのブログにトラックバック、お願いしちゃった!) 4月6日記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・... [続きを読む]

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コメント

茂木様へ

無記という言葉は重すぎて逃れたいです。

投稿: ときのじょん | 2009/09/20 12:41:01

仏門の方のこれ程率直な言葉に接したのは初めてです。
体験に裏打ちされた言葉の重み。

「行雲流水」という生き方を宗教家以外の方が行うためには、特別な厳しさがあるように感じました。

人生を質入れしないお二人の対話に接して、改めて自分を見つめ直す機会をいただきました。

投稿: masami | 2009/08/09 19:35:57

拝読しました。

ご本を手に取った瞬間からある種の重力を感じ、ドキドキしてしまいました。
衝撃の予感を抱きながらも、一心に、すがるような思いで読ませていただきました。

南さんと茂木先生の真剣なやりとり。
もし私が対談のその場にいたなら、気を失っていたかもしれません・・・。
文字を追うだけでも、南さんの眼光の鋭さが伝わってきます。

読後、正直なところ、内なる深淵を覗いてしまったのではないかという一種の怖さと、覗けるほどの準備ができていない未成熟な自分への疑念から抜け出せていません。
戦慄。 驚愕。 強烈。 極限。
怖い・・・いえ、怖くない・・・でも怖い・・・
それでも、触れてしまった以上は、時間をかけてでもしっかりと自分の中に落とし込んでいきたいのです。

それぞれの孤独なまでの問いの中で格闘し続けていらっしゃる南さんと茂木先生の姿。
それは、問いのない日常あるいは格闘することのない精神に対しての激しい危機感を抱かせてくれます。

静寂の夜に読む「恐山探訪記」は、
自分の心拍数が上がっていくのを感じるほど、研ぎ澄まされ、迫ってくる緊張がありました。そしてなぜか官能的でさえありました。

投稿: 須戸 和美 | 2009/05/04 23:58:04

はじめてコメントさせて頂きます。

当方、40代のパチンコが好きな中年サラリーマンです。

茂木先生の本は色々と読ませてもらっていますが、今回は本書を読んだ後、初めてなんだか得体の知れない感情に包まれコメントしている次第です。
この感情はなんなんでしょうか・・・
最も近いと思われる表現でなんとか説明すると「羨ましい」って感じですかね。

現在2往復目です。
今度は既に前書きの部分でまた同様の感情が生じてます。
なんだか不思議な感覚になる本ですね。

ありがとうございました。

投稿: akirabanno | 2009/04/27 11:45:04

茂木健一郎さま

早速、拝読させていただきました。
いま現在の私が、このタイミングでお二人のお話に触れる
ことができたことに本当に感謝します。
たいへんなレベルの差はあるにしろ、いまだからこそ心が共鳴し、
感じて、考えることができることができたと思うのです。
10年前でもなく5年前でもなくてよかった。

今の心境は、井戸の上から下を覗き込んで降りて行くのを
ためらっているような感じです。
でも、いつかは降りていかないとならないとわかってもいるの
です。

お二人のお話はとても深く、理解できていないこともまだまだ
あります。でも、わかったつもりになることも、中途半端に
生きることもしたくはありません。航海する人でありたいです!

すとんと落ちるまで、向き合っていきたい一冊の本です。

お忙しいと思いますが、どうかご自愛くださいませ。

投稿: yuzuriha | 2009/04/21 14:02:19

茂木さん、おはようございます(^-^)/

朝から頭を

( ̄▽ ̄) ガツーン

とやられた感じです。
本屋さんにダッシュします!

また感想コメントしますね☆

茂木さん、素敵なお話&書籍のご紹介を誠にありがとうございましたo(^-^)o

投稿: 千春 | 2009/04/21 7:22:06

書籍を購入して熟読させて戴きます。楽しみに閲覧させて戴きます。ありがとうございます。

投稿: 刹那 | 2009/04/21 6:50:37

茂木健一郎さま

書籍は今まで購入ので今は、私の拝読の度量と申しましようか飽和状態の私。ところで、徳島で茂木健一郎さまの書籍を書店で発見した場合
不思議な気持ちになるような気がします

半井小絵さんの的確な桜開花予報での函館

ホッケが釣れる

後は帰りの5月6日の函館から羽田の便、キャンセル待ちが取れたことが逆に悩み、初めに普通席のキャンセル待ちを入れて次にクラスJを入れ、3つまでキャンセル待ちが可能で、前の便の普通席をキャンセル待ちも

取れたのがクラスJ

でも私よりキャンセル待ちは60名の皆様が入れての説明を受けてました

つまり人の行動パターン
私と同様に普通席のキャンセル待ちを入れて次にクラスJかと

座席の絶対数が少ないクラスJが第二希望、それが取れるよりも本来は普通席が取れます席の絶対数は多いし

意味わかります?

クラスJが取れるならば普通席が取れてます
いいえクラスJとはキャンセル待ちは違う?

私より前に60名のキャンセル待ちですよ

そこで函館ではなく帰りの便が、キャンセル待ちもなく頼める

徳島です

茂木健一郎さま

徳島の鳴門、渦潮

徳島市内から路線バスで観光船の発着場に行けそうらしく
そもそも釣りで参る徳島は阿南市の橘町よりも鳴門が徳島市内からは近い気がつきました今回

鳴門の渦潮をみたことなく
半井小絵さんの桜開花予報の函館に参りたいでしたが帰りの便が取れたことが普通席で取れたら気にしなく函館
失敗したかな、せっかく函館から羽田の便が取れたのに!私、釣り以外に鳴門の渦潮をみたい!今は切り替え

レンタカーも帰る前々日の4日に返し、その日と5日 は路線バスに乗って観光! 6日に東京に帰っくることに。

佐川急便さんで釣り道具は昨晩、町田から出し月曜日の午後には宿泊先の徳島グランヴイリオホテルさんに着いているとの
旧徳島プリンスホテルでした徳島グランヴイリオホテルさん
駐車場も大きく助かります
エレベーターみたいな駐車場の場合、早朝の出庫はダメですが徳島グランドヴイリオホテルさんは、そういう出庫の時間制約もなく早々朝?でも平気

宿泊施設を決めるのは
駐車場がどういう?
考えも私はしてます、なにせ早起きして
朝食、お魚釣りで!

お魚に朝食を!

そして釣れた!

ですもの

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/04/21 0:21:34

はじめまして。

「人は死ぬから生きられる」を読みました。
私は仏教のこうすれば救われる、天国にいける、などの決まり文句のようなものを強く疑っていました。
しかし、南さんが見つめようとしているところ、茂木さんが進んでいこうとしているところが、私が本当に求めている場所だったのです。

大昔から人が探し求め苦しんできた存在をここまで言語化に踏み込めたことに驚きました。それゆえ人間をここまで歩ませてしまったことへの恐さを覚えました。

この作品は万人には伝わらない作品なのかもしれません。

この作品の重要な核が言葉にできない(してはいけない)分、感覚として掴めるほどの経験をしていないと、この本の本当に伝えたい部分が伝わらないのかもしれません。それがとても悔しくもあります。

この本に私は一瞬の光を見ました。自分のなかにあるモヤモヤしたものをナイフでえぐられ目の前に見せられたようでした。
それほど私にとっては強烈でした。

何かに答えをなすりつけ蓋をしないで本当によかったと、今までのつらさは間違ってはいなかったと、そのことに涙が出る思いでした。


これからもぽっかりあいた穴を目をそらすことなく埋めようと努力しながら生きていきたいです。

この本は革命的な本だと思います。苦しみを抱えてきた方にぜひ読んでもらいたいです。


この本に出会えたこと、茂木さん、南さん、制作に携わった全ての方に感謝いたします。

投稿: 佐藤 | 2009/04/20 19:14:26

「この人なら通じる」って感じられる相手は、なかなかに得難いものですね。
そういう相手に出会うことの出来る人も、やはりそういう人なのだろうかと、最近 思っていたりします。

私たちの人生は、因果によって全て決まっているからこそ、私自身は自由に生きられるのだと、私は思うのです。

投稿: take | 2009/04/20 9:34:52

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