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2009/04/30

Art in you

せんだいメディアテークにて、
宮島達男さんと対談。

宮島さんはデジタルの数字を
使った作品で世界的に知られる
現代美術の作家である。

東京の六本木ヒルズ横の
テレビ朝日には、巨大な白い壁の上で
数字が変化する宮島さんの作品がある。

宮島さんは、東北芸術工科大学の
副学長をされていて、
大学主催のイベントとして、
対談させていただいた。

せんだいメディアテークは
仙台市の中心にあり、
先日『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演下さった建築家の伊東豊雄さんの
代表作の一つ。

対談に先立ち、せんだいメディアテークの
中を歩き、光に満ち溢れた館内の空気を
堪能した。

対談中、宮島さんは「Art in You」という
ことを言われた。
すぐれた作品を見て感動する時、
作品は「きっかけ」に過ぎない。

作品をきっかけとして生まれた
感動は、潜在的には、
あなたの心の中にあったもの。

「芸術は、あなたの心の中にある。」

忘れてはならない真理だろう。

4月 30, 2009 at 06:31 午前 | | コメント (24) | トラックバック (3)

2009/04/29

合田さんの言葉

桑原茂一さんが 日記で、
しばらく前に「how to argue」について
議論した時のこと、そして南直哉さんとの
対談 『人は死ぬから生きられる』(新潮新書)
のことを書いて下さっている。

桑原さんのプロデューサーとしての直覚には
いつも感服する。

dictionaryで連載が始まる
HOW TO Argue 議論(作法)
も、私がふと漏らした一言を
桑原さんの「拡大装置」が拾って始まった
ものだった。

その場所に入ると靴を脱ぎ、ニュースも
見ないという「No news, no shoes」をモットー
とする高級リゾートSix Sensesの創業者、
ソヌ(Sonu Shivasani)は、オックスフォード大学で
シェークスピアを学んだ。

シンポジウムで話した時、ソヌは、
「大学ではhow to argue を学んだと思う」
と言った。

学問というものが確立していない日本の大学では、
シェークスピア文学をやった人は、
シェークスピアについての知識を得るものだと
思っている。
世間もそう思っているから、企業も
「文学部はねえ」と敬遠したりする。

この上なく愚かなことである。

どんなsubjectについてでさえ、
知識を駆使し、客観性に情熱を交え、
議論すること。そのようなhow to argueを
身につけることが大学教育だとすれば、
どんなに浮世離れしたsubjectを学んだとしても
人生の何にでも応用可能に決まっている。

シェークスピアについてhow to argueを
学んだ人は、リゾートの創業者、経営者
にだってなれる。
ソヌはそのことを身をもって示している。

機会があって、
そんなことを話した時に、桑原さんの
頭の中で、構想が一気にふくらみ、
ある日、桑原さんと一緒に仕事を
されている吉村栄一さんから「茂木さん
how to argueの取材をさせてください」
と連絡が入ったのだった。

ぼくは桑原茂一という人のセンスは
全面的に信頼しているので、何か
やりましょうと言われた時には
物理的に許される限り必ず「はい」
と答える。

かつて、桑原さんが突然「茂木さん、
野口英世になってください」と言った
時も、「はあ」と二つ返事でお受けした。

表参道近くのスタジオで、髪の毛を
固め、髭を描き、野口英世になった
写真は今でも思い出深い。
(それをたけちゃんまんセブンこと
増田健史が面白がって、
ちくま新書『「脳」整理法』の表紙の
「著者近影」となった。)


著者近影。写真プロデュース桑原茂一

木南勇二さんが迎えにくる。

「恋愛」についての本の取材。
ちびっこギャング。

NHK。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせの合間に、有吉伸人さんと
昼食に行く。

正面玄関から入ったところにある
「ばらえ亭」をぼくは間違えてついつい
「めん亭」と言ってしまう。

エレベーターのところで「めんてい」
と言ってから、しばらく経って
「あっ、間違えた」と思った。

有吉さんに「つい間違えてメンテイと言って
しまうんですよ」と言うと、有吉さんは
「みんな間違えますから」と言った。

有吉さんは、やさしい人なのである。

歩きながら、冗談で、「普通のインフルエンザも、
ぼくがかかると、豚インフルエンザになるんで
しょうかね。ははは」と言うと、有吉さんは
「ははは。茂木さん、その単語、ぼくは言わない
ように我慢していたのに」と言う。

有吉さんは、やさしい人なのである。

明治大学。

合田正人さんのお招きで、本年度数回の
講義をさせていただくことになり、
その第一回が催された。

実に愉快な体験であった。

レクチャーに先だって、合田さんが
私のことをご紹介下さったが、
それがすでに一つの「作品」
であった。

終わった後、合田さんは、
「本質は相互作用を通して時間が
収縮する、あのところですね。
さまざまなことがこの点に収斂される。
みながあそで詰まっている。ここを
突破するしかないでしょう」と言われた。

レヴィナスやベルクソンを
研究されてきた碩学。

合田さんの言葉に、私の魂は
揺さぶられた。

合田研究室と、私の学生たち、
東京芸大のゆかりの人たち、それに
編集者が集まって開かれた懇談会
も印象深いものだった。

私の学生の石川哲朗が日記 
で描写しているように、実に意義深く、
そして豊かな時間だったと思う。

合田さんが、Collège de Franceと
Sorbonneの関係について言われた
ことは忘れぬ。

現実に対する鋭利な批評精神と、
人の心の機微に通じた観察眼、
そして深い愛がなければ
決して表現されないような仕方で、
合田さんはCollège de Franceに
所属した数々の知の探求者
たち(ベルクソン、メルロ=ポンティ、
レヴィ=ストロース)と
「権威」の象徴であるソルボンヌとの
関係を語ったのである。

4月 29, 2009 at 09:05 午前 | | コメント (25) | トラックバック (2)

2009/04/28

プロフェッショナル 海老名和明

プロフェッショナル 仕事の流儀

不安の先に、光明はある

~文化財輸送・海老名和明~

 海老名和明さんのお仕事は、絶対に
失敗がゆるされない。

 国宝などの文化財を、展覧会場などに
運び、無事戻すまで、気が抜けない。

 それでも、人々のひと目見たいという
思いに誘われて、各地を移動するという
こともまた文化財の宿命である。

 そのような「旅」を、海老名さんが担う。

 海老名さんの言葉で印象的だったのは、
「ほっとする」ということ。

 無事、元通り寺の本堂に安置した
時にほっとする。

 思うに、困難な仕事に向き合う人に
とって、「ほっとする」ことは
素晴らしい恵みとなるのではないか。

 私自身の経験を振り返っても、
「ほっとする」という「句読点」が、
仕事の何よりの報酬であったように思う。

NHK総合
2009年4月28日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

4月 28, 2009 at 07:32 午前 | | コメント (13) | トラックバック (4)

文明の星時間 花言葉

サンデー毎日連載

茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第62回 花言葉

サンデー毎日 2009年5月10・17日合併号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 白い百合は、「純真」を表すという。アカシアは「秘められた愛」、ローズマリーは「思い出」、ライラックは「初恋」。花言葉には、科学的な根拠があるわけではもちろんない。それは、一つの「メタファー」である。そのそれぞれの花のイメージと言葉が響き合って、独特の印象を残す。
 夏目漱石の『それから』では、主人公の代助と三千代の間の決定的な場面に白い百合が登場する。白い百合の花言葉である「純真」と、代助、そして三千代の相手に寄せる感情が結びついて、読み手に忘れがたい印象を残す。
 漱石が英国に留学していたのは1900年から1903年にかけて。漱石が留学中の1901年1月22日に、60年以上にわたる治世を経て、ヴィクトリア女王が崩御する。
 日本の花言葉は、ヴィクトリア女王の時代の英国で流行した「花の言語」という考え方に由来する。それぞれの花には、固有のメッセージが込められているものと考えられた。漱石は、そのことを知っていて『それから』の大切な場面に白い百合を登場させたのかも知れない。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

4月 28, 2009 at 07:20 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

良い面構え

 東京へ戻る。

 竹内一郎さんと対談。

 かずきれいこさんと対談。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所

 一年間の研究を振り返るレビュートーク。

 関根崇泰、田辺史子、箆伊智充、星野英一と
言葉を交わす。

 箆伊がてらてらと笑いながら机に
向かっていた。

 「よう、どうだ?」

 「いろいろやっていますよ。」

 「SfNだすんだろ?」

 「今、考え中です。」

 表面はそのように受け流しながら、
実は「いろいろとやっている」のが
箆伊流。 

 田谷文彦と歩きながら話す。

 「あのさ、今朝、竹内一郎さんと
話した時にそのことが出たんだけれどさ」

 「ええ」

 「男はさ、苦労をすればするほど、
人生の激動を経験すればするほどいい
顔になるんだよ。開高健とか、岡本太郎とか、
勝新太郎とかさ。」

 「そうですね。」

 「だからさ、田谷、苦労はした方がいいん
だよ。」

 良い面構えになる条件は、さまざまな
困難にもめげずに、自分の意志を貫く
強さであろう。

 丸の内オアゾの丸善にて、
『音楽の捧げもの』 の刊行記念講演会。

 天才というものを、私たちは個人の
努力に帰するように考えがちだが、
実際は二度と繰り返さない時代の
状況の果実であるということが多い。

 なぜ、日本にはバッハのような人が
出ないのかと問うのはナンセンスである。

 バッハが生まれた歴史状況は、
ドイツにおいても、もう戻ってこない。

 私たちは、自分の置かれた状況の
中で、さまざまを引き受けて生きて
いくしかない。平成の日本には、
「今、ここ」にしかない歴史の
「一回性」があるはずだ。

4月 28, 2009 at 07:13 午前 | | コメント (15) | トラックバック (2)

2009/04/27

自由

 京都の大垣書店の四条店のオープンを記念
してのサイン会に伺う。

 控え室にいると、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演いただいた京菓子司「末富」の
山口富蔵さんがいらした。

 うれしいサプライズ。

 美しい京菓子をお持ちいただく。

 自然のものと同じように、一つ
ひとつ形が違う。
 京菓子というものは、そのように
作るのだと山口さんに教えて
いただいたのである。


「末富」の山口富蔵さん、大垣書店社長の
大垣守弘さんと。

 京都大学。

 応用哲学会の第一回大会。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacap/index.html 

 塩谷賢がオーガナイズしている
計算論のセッションから参加。
 郡司ペギオ幸夫、深尾憲二朗、三好博之。

引き続き、
京都大学文学研究科校舎 第三講義室にて、
公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」。
戸田山和久さんの司会で、伊勢田哲治さん、
森岡正博さん、そして私がパネリスト。
楽しい会で、大いに盛り上がった。  

戸田山さん、伊勢田さん、森岡さん、
皆さん、ありがとうございました。

打ち上げの席で、自由意志について議論。

自由意志と自由の関係は何か。

「自由意志」については、因果的法則との
関連から両立説が議論されるなど、
その(「幻想」としての実在を含めて)
さまざまな議論がある。

一方、「自由」な状況は、客観的に
ある程度の蓋然性を持って議論できる。

たとえば、牢獄にいる人はいくら「自由意志」
を持っていたとしても「自由」ではないだろう。

逆に、一人で砂漠にいる人の「自由」もまた
制約されているだろう。

「自由意志」の議論を「自由」な状況の
問題へと接続することで、問いは
エコロジカルな視点を含む。

カミュのシーシュポスの神話は、
上のような意味での
「自由意志」と「自由」の関係を論じたものと
考えることもできる。

4月 27, 2009 at 07:39 午前 | | コメント (26) | トラックバック (5)

2009/04/26

うまく抱きしめよ

宝ヶ池の京都国際会館。

日本生物学的精神医学会で
講演。タイトルは「クオリア論と精神病理」
国立精神神経センターの
福井裕輝先生がお招き下さった。

続いて、シンポジウム「脳と責任能力」
に出席。

他のシンポジストは、
福井裕輝先生(国立精神神経センター)、
十一元三先生(京都大学)
中谷陽二先生(筑波大学)
吉川和男先生(国立精神神経センター)、
司会は大下顕先生(京都大学)

人間の脳は、予想できることとできないことが
入り交じった偶有性に対して適応する
ようにできあがっている。

客観的には同じ状況でも、それを認知する主体
によって偶有性は異なる。

経験をたくさん積んでいる人にとっては
不確実性は少ないだろうし、
経験が足りない人にとっては時に
耐え難い不確実性が存在する。

偶有性は、主観的なものなのである。

不確実性に向き合うためには、
確実な安全基地(secure base)が
必要である。

Bowlbyの言うsecure baseは、
他者(care taker)によって与えられる
ものであるが、より一般に、
感情のシステム内で確実なものと
不確実なものとのバランスをとる
上での基盤へと概念を拡大することが
できる。

偶有性に向き合う過程で、
人間は時にバランスを崩す。

そのことが、一方では精神病理と言われる
ような状況にもつながるし、
他方では「天才」が生み出される
契機ともなる。

偶有性を抱きしめよ。
ただし、うまく抱きしめよ。

偶有性の海の中で、自分を見失ってはいけない。
もし見失ってしまったら、
海に漂っている、確実そうなものを
とにかくつかめ。

確実なことと、不確実なことの
バランスをとることを常に心がけよ。

豚インフルエンザが心配である。
今後、エピデミックやパンデミックに至らないか、
重大な関心を持って見守る必要がある。

英語での情報の方が速くて正確な場合も多い。

swine influenza (swine flu)
2009 H1N1 flu outbreak
に情報がまとめられている。


4月 26, 2009 at 07:38 午前 | | コメント (24) | トラックバック (2)

2009/04/25

沈黙

沈黙

 もし神が本当にいるのならば、神はどうして沈黙しているのか?
 これは、昔から、神学上の非常に深いテーマの一つだった。
 ビッグ・バンとともに、私たちの現在住んでいる宇宙ができあがったとしよう。その誕生の瞬間に、神が介在していた、すなわち、宇宙自体は神が創造したとして、その後の宇宙の発展は、自然法則に従っているように見える。
 科学者は、神の沈黙を前提に仕事を進めている。もし、神が気まぐれに時折宇宙の中の物事の進行に介入してきたら、自然法則など考えることができないからだ。
 もし、神が人間が善良であることを望むのならば、なぜ神は人間の営みに介入して、善行だけが行われるようにしないのか。なぜ、様々な社会的不正や、暴力、矛盾をそのままに放っておくのか? 神が万能だというのは、うそに違いない。なぜならば、神は、人間が悪を行うのを止めることができないのだから。
 これは、子どもでも思いつくような素朴な疑問だ。実は、神学の専門家の間では、このような素朴な質問は解決済みに違いない。専門家は、たいていの問いに複雑でそれなりに筋の通った解答を用意しているものだ。何しろ、現実とは離れた観念の世界で、ネジを巻くようにギリギリと観念と観念をこすりあわせるのが、神学の役目なのだから。
 いかに上のような素朴な問にうまく答えるかは神学者にまかせておこう。
だが、神学の専門家ではない私にもわかることがある。それは、神の沈黙が、全ての宗教にとってとてつもなく大きな問題だと言うことだ。なぜ、神は沈黙しているのか? なぜ、神など存在しても存在しなくても同じだと言うように、宇宙は自然法則に従って勝手に時間発展していってしまうのか? 
この問題は、神の存在を信じるか信じないかに関わらず、宗教的なものに興味を持つ全ての人間にとって、とても大きな問いだ。
 異教徒に迫害される信仰深いものにとって、神の沈黙は自らの生死に関わる、とても大きな問題だったろう。
 遠藤周作の作品「沈黙」では、江戸時代に長崎で奉行に迫害され、踏み絵を迫られるキリスト教徒たちを描いている。
 なぜ、神は、宣教師たちが信仰ゆえに踏み絵を拒み、それゆえに死の苦しみを味わっているときに沈黙しているのか? なぜ、宣教師の処刑を命ずる奉行の上に雷を落とさないのか? なぜ、あたかも何事も特別なできごとはなかったかのように、雲は流れ、海は波打ち、鳥は鳴いているのか?

 このような疑問は、もちろん、神の存在を認めない立場からはナンセンスだ。神などは存在しないのだから、宇宙がかってに進行していくのは当たり前の話だ。自然法則自体を「神」と名付けるのならば別だが、あたかも自分の意志を持ち、その意志に基づいて行動するような「人格神」が存在するかのように考えるのは、間違っている。そのように考える人もいるだろう。
 だが、ここで重要なことは、立証も反証もできない以上、人格神の存在を信じるか信じないかは、その人その人の自由だということだ。かって、科学哲学者カール・ポッパーは、間違っていると反証できることが、科学が科学たるゆえんであると言った。その意味では、人格神がいるかどうかは、科学の対象ではない。人格神の存在を信じるか信じないかは、まさに、その人その人の自由なのである。電子の質量が陽子の質量よりも大きいと信じることは、明らかに事実に反しているのだからナンセンスだ。だが、人格神の存在を信じるのはナンセンスではなく、あり得る立場なのである。
 確かなことは、人格神を信じる人たちに、宇宙は今日も沈黙を守っているということだ。「神よ、なぜ私を見捨てるのですか」とキリストが十字架の上で叫んで以来、長い人類の歴史の中で、神はなぜか沈黙を守ってきた。おそらく、これからも神の沈黙は続くだろう。
 神が沈黙し続けても、なお信仰を続ける人間の強さは、いったいどこから来るのか? それは、単なる無知から来るのか、あるいは、かたくなさから来るのか。信仰の内部にいる人間の心の中には、信仰を続けていれば、いつか神が沈黙を破るだろうという思いがある。「祈り」という行為は、神の沈黙を破ろうとする動機に基づいている。信仰の内部にいる人間にとってはもちろん、私のように外部にいる人間にとっても、神が沈黙を破ることを望む気持ちが心の奥底にある。神の沈黙の問題は、神の存在、不存在にかかわるというよりは、人間という存在の持つ精神性と、そのようなものに無頓着に進行していく宇宙の成り立ちの間のずれにその本質があるように思う。

茂木健一郎『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)より

4月 25, 2009 at 09:17 午前 | | コメント (31) | トラックバック (3)

不在

 このところ感じている「寂しさ」
は、一種の「不在」の感覚なのだと
悟った。

 あるべきものがない。あるいは、
かつてあったものが過ぎ去った。

 そして、来るべきものがまだ
近くにはない。

 京都へ。

 女性たちが講師を呼んで話を聞いたりする
勉強会としてスタートした「並木の会」
の50周年の記念の会に呼んでいただく。

 武者小路千家の第14代の家元、
千宗守さんのご縁でお招きいただいたのである。

 懇親会でお隣に座らせていただいた
黒田正玄さんに茶杓の話を伺う。

 黒田さんは、千家十職のうち、花活けや
柄杓を作る家の第十三代。

 「節」のことや、「景色」
のことなど、黒田さんのお話は
とても興味深かった。

 懇親会の後、「西城秀樹オンステージ」
があり、西城秀樹さんがステージで
歌い、歓声が飛んだ。

 西城さんの歌を聴きながら、
日本が元気だった昭和の時代を思い出す。

 何が不在なのか。
 「今、ここ」にはないもの。

 右の手への刺激を大文字で、
左の手への刺激を小文字で書きましょう。
 
 コンピュータに向かいながらも、
ずっと不在について探り続ける。

4月 25, 2009 at 09:10 午前 | | コメント (14) | トラックバック (1)

2009/04/24

脳科学と哲学の対話

脳科学と哲学の対話

茂木健一郎、合田正人

明治大学駿河台校舎アカデミーコモン
3階 アカデミーホール


2009年4月28日(火)
5時限 16時20分‐17時50分

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1239584079.pdf 

(合田正人先生の「西洋思想史」の枠で開催されますが、
どなたでも聴講可です)

4月 24, 2009 at 12:36 午後 | | コメント (12) | トラックバック (0)

トップ・スピード

ねんざは徐々に良くなってきていて、
公園の森を走ることができる。

しかし、無邪気に駆け下りたり、
駆け上がったりはできない。

トップスピードが出ない。

物足りないな、とぼんやりと
考えながら走っていると、
ツツジの植え込みのところで、
突然クマンバチがブーンと
耳のそばを通った。

うわあ。

反射的に、逃げた。

数歩走って、はっと気付いた。

その瞬間だけは、トップスピードが
出ていた。

出ないなんて、思い込みじゃないか。

人間は、自らにリミッターを課して
しまっている。

もっとも、それを外した時に、いろいろな
障害が出るかもしれないけれども。

ゆっくりと走り続けた。幸い、
ねんざをした右足首も痛くはない。

4月 24, 2009 at 09:43 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

そんな教えがあったら、信じてもいい

 明治神宮の森を抜けることがある。東京の真ん中にあって、もともとは植林された場所なのに、今は鬱蒼としていて、太古以来ずっと続く何ものかの気配さえ感じさせる。
 その際、楽しみにしている光景がある。両側の木々が繁茂し、それが影を落として、参道の真ん中だけが明るく「光の川」に切り取られるありさま。その「流れ」に沿って歩いていく。
 光の川の中を、子どもたちが真っ直ぐにどこまでも走っていくのを見ることがある。麗しきそのかたちに気づかずに去る人がいる。奥に向かって次第に暗くなっていくその向こうへと、光が流れ込んでいく。川が続いていくその道を歩く度に、何かが自分の中にしみこんでいくような思いがある。
 森の暗がりの中を、何ものかの気配が動いていくのを感じることもある。それが現実なのか、心象風景に過ぎないのか惑いながらも光の川を辿る。そのような時は、大抵は何かやっかいなことを考えていて、周囲を見ているようで見ていないのが実態だけれども、光の川だけは視野に入っている。何かのきっかけがあると感覚が開かれる。目が覚まされる。薄皮がはがれるように、その前よりも世界の消息と少しだけ近しくなる。
 いつの頃からか、光の川が現れる参道が、私にとっての「哲学の道」となっていた。
 ある時、光の川に沿って歩きながら、宗教というものについて考えていた。どんな教義でも、それが具体的な言葉として主張されると、危うくなる。どんなに立派な世界観でも、囚われてしまうことに対する警戒心が、共感する心とせめぎ合う。私が「実行」の問題としては今までのところどんな宗教にも帰依していないには、そのような事情がある。
 それでも、世界の体験の中に慈しむべきものはある。「今、ここ」で私がまさに感じている、木もれ日のその感じ。光の川がどこまでも延びて誘うその風合い。森というものが現にここにある、存在感の頼もしさ。 
 私の命が息づいている。心臓が鼓動し、世界と行き交っている。実在と認識の接合面から匂い立つ、超絶的な感触は確かにある。だから、宗教に関心を持つ人の真摯さを否定することなどできない。受け止めることを、いかにしてすっきりと心のかたちに沿ったものとするか、その回路こそが問われているのだと思う。答えを、私はまだ見いだしていない。
 ある時、いつものように光の川に沿って歩いている時に、一つの思いが私をとらえた。
 教義のない宗教ならば、あるかもしれない。言葉によって表現された「これこれこう」という世界観や倫理観が提示されるのではなく、ただ感じること、開かれること、向き合うことが大切にされる。そのような魂の道筋。
 「今、ここ」で感じていることの確からしさに依拠すること。肝心なことについては「無記」を貫き、敢えて語らないこと。差し出さないこと。そんな教えがあったら、信じてもいいし、人に薦めても良いと思った。
 ひょっとすると現代人にとって「宗教」は案外身近にあるのかもしれない。日常で感じるさまざまな「クオリア」を担保しながら、この世界について考え続けること。科学的知見やロジックに基づき、この世のあり方についてのカモン・センス(常識)を抱きながら、自己や他者の一度限りの生に対して、いきいきとした関心を抱き続けること。
 そのようなごく自然な心の向き合いこそが、現代における「宗教」の理想的なあり方に一番近いのではないか。
 そんな思いがこみ上げてきた頃に明治神宮の参道は終わり、光の川も尽きた。いつの間にか私は、東京という巨大な人工的空間の日常に向かい合っていた。

茂木健一郎
『今、ここからすべての場所へ』 (筑摩書房)より。

4月 24, 2009 at 08:20 午前 | | コメント (17) | トラックバック (2)

あかあかと照らされたこずえの葉

明治神宮の森を歩く。

宝物館の近くのベンチに、中央公論新社の
岡田健吾さん、 濱美穂さん
が座っていた。

「茂木さん、こっちじゃなくて、
もう少し戻ったところなんですよ!
すみません!」

岡田さんが、相変わらずのマシンガントークで
喋りまくる。

ぼくは、その風圧をできるだけかわそうと
しながら、心静かに参道を歩んだ。

向こうから、井之上達矢さんが
歩いてきた。

「こんにちは!」を手を上げる。

現場は、参道を少し横に外れた場所にあった。

フォトグラファーの大河内禎さん
が、松本佳代子さんと立っている。

大河内さんの指示で、暗がりに立つ。

「デジタルですか?」

「いいや、フィルムです。」

「最近、フィルムを使っている人を見ると、
プロだなあ、と思いますね。デジだと
すぐに確認できるけれども、フィルムはどうしても
不安になる。」

場所を移してもう一カット。

木もれ日がふらりふらりと舞っているのを
見たり、
少し離れたこずえの葉が、そこだけ
あかあかと照らされているのを見ていると、
この一週間のさまざまが思い出されて、
きれいに解消されていくのを感じた。

『疾走する精神』(仮題)の帯に使われる
予定の写真。

「中央公論」に連載されていた
「新・森の生活」が一冊になる。

井之上さんと歩きながら話す。

原宿側に抜ける頃には、何かのリズムが
戻っていた。

NHK。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

上野の国立博物館で開催中の
「阿修羅展」で展示されている
国宝「阿修羅立像」を奈良の興福寺から
運んだ、文化財運搬のプロフェッショナル、
海老名和明さんがゲスト。

すぐれた文化財は、時に場所を移動
することが運命となる。

江戸時代から、「出開帳」という
形で、仏像などの信仰の対象は
各地に旅した。

「当時の人たちには信仰がありましたから、
きっと大切に運んでいったのでしょうね。」
と海老名さん。

「現代の名工」のお話、そしてその技は
本当に興味深かった。

収録後、有吉伸人さんと
いろいろお話していたら、
「おはよう日本」の
首藤奈知子アナウンサーがいらした。

首藤さんは、2004年12月17日放送の
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
パイロット版、深澤直人さんの
回で司会をされている。

夜道を歩きながら考える。

人生というものは面白いもので、
ふとした時に、あかあかと照らされた
こずえの葉のような風景が目に飛び込んでくる。

プラトンはあのような光景を見て
何を考えていたのだろうか。

4月 24, 2009 at 08:01 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2009/04/23

プロフェッショナルたちの脳活用法

NHK生活人新書
『プロフェッショナルたちの脳活用法』
茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル制作班」

これは便利!
これまで放送してきたプロフェッショナル
たちの生き方、仕事の仕方、脳の生かし
方の秘密が、この一冊でまとめてわかる!

ただ今、大好評発売中です!!!
amazon 

『プロフェッショナルたちの脳活用法』
「まえがき」より

 時代が流動化し、先行きに不安を感じる人たちが増えている。そんな中、自分の脳をどのように活用すればいいのか、世間での興味が増大しているようだ。
 残念ながら、神様は脳の「トリセツ」=「取り扱い説明書」を用意してくれていない。学校でも、脳をどのように活用するかという科目はない。日々、どのように自分の脳と向き合っていけばいいのか。人々が「答え」を知りたいと思うのも無理はない。
(中略)
 NHK総合テレビの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターをつとめさせていただいてから、3年余りが過ぎた。この間、100名以上のプロフェッショナルの方々とじっくりと話す機会があった。ゲストが100名を突破したのを記念して100回記念スペシャル『プロに学べ! 脳活用法スペシャル』の収録があり、これまでの放送の中でプロフェッショナルの方々から学んだ脳の活用法を振り返った。
(中略)
 脳科学の最新の知見と、プロフェッショナルたちの貴重な証言が融合して生み出された、脳を活かすための指針の書。必ずや、多くの方々がこの時代を生きる上での参考になるものと信じている。何よりも、逆境を「根拠なき自信」をもって乗り越えることこそが、自分を大きく成長させるためのきっかけになるという多くのプロフェッショナルたちの証言は、読者にとってのすばらしい福音になるのではないかと思う。
 将来に不安を抱える人たちが多い日本。『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、見通しにくい未来に向かって明るく生きていくための、「安全基地」となる番組である。そしてこの本が、読者の皆様にとって積極的に生きる上での心の支えになってくれればと願っている。
 本書ができるプロセスでは、NHK出版の高井健太郎さん、小林玉樹さん、それにノンフィクション作家の伴田薫さんに大変にお世話になった。ここに、心からの感謝を表します。

茂木健一郎

4月 23, 2009 at 08:12 午前 | | コメント (4) | トラックバック (4)

文明の星時間 絶対秘仏

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第61回 絶対秘仏

サンデー毎日 2009年5月3日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 人生の一瞬は全て、二度と戻らない一回性の積み重ねである。秘仏という特別な設いは、私たちにそんな生きることの真実を教えてくれる。
 秘仏は、特に日本で発達した信仰の形式。そこには私たちの祖先の一つの生命哲学が顕れている。命は、決して戻らない時間の中で育まれ、栄え、やがて消えていく。その勢いは次世代へと受け継がれる。古の人は、いかに賢かったことか。
 善光寺の本尊のような「絶対秘仏」は、生命哲学のさらに一段先の深みへと私たちを導く。
 そもそも、この世の本質は見えないものからできている。何よりも大切な私たち一人ひとりの心。「ほら、これ」と取って見せることはできない。
 時折、人の心の美しさがはっきりと感じられて、思わず立ちすくむことがある。それでも、それを絵に描いたり言葉にしたりすることはできない。
 人は、目に見えるものについつい囚われてしまう。偶像崇拝を禁じる宗教もある。一人ひとりの心根であれ、信仰であれ、本質は決して目に見ることができないのだと覚悟を決めること。そのような生の覚醒を、「絶対秘仏」という設いは私たちに促しているのだ。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

4月 23, 2009 at 08:12 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

寂しさからfreedomへ

 以前読んだ加藤典洋さんの文章に、
漱石の初期の小説を論じたものがある。

 『吾輩は猫である』や『三四郎』は、
つまりは恋愛における三角関係を描いている
のであるが、主な登場人物は実は
中心から外れているのであって、
三角関係の中心は別の人たちの間で
演じられている。

 野々宮君と、美禰子と、
美禰子が最後に結婚した三四郎が見知らぬ男の
間に、真の三角関係は成立していたのだ。

 三四郎は、それに気付かずに、
ひとり悶々としていた。

 東京の街を歩きながら、同じような
寂しさを感じた。

 「ジャパン・クール」などという
言葉が流行し、そのポップカルチャー
発信地としての力には注目されながらも、
 学問や人類を動かす哲学、思想においては
未だかつて世界の中心地に
なったことがない極東の首都。

 いろいろと思い悩みながらも、
気付いてみると、世界の趨勢は自分たちとは
全く関係のない場所で動いていた。

寂しい。

 そんな感慨を日本人は一度持つべきなのでは
ないか。
 そうでないと、いろいろなことが
変わらない気がする。

2009年の日本の経済成長率の
予想は、主要先進国中最悪のマイナスである。

 講談社への道を歩いていると、
「筑波大学附属視覚特別支援学校」
の校舎があった。

 以前は、確か、筑波大学附属盲学校と
いう名前だったはず。

 特別の感慨を覚えたのは、
高校の時にこの学校の生徒たちと話すきっかけが
あったからである。

 世田谷区下馬の東京学芸大学附属高校の
校舎に、ある時彼らはやってきた。

 私たちは、確か、クラス毎に分かれて、
一時間くらい談笑した。

 とても頭の良い人たちで、
「聞く」ということの歓びを語って
いたのをよく覚えている。

 最初は緊張したけれども、時が経つに
つれて、自分たちと同じ高校生と話しているという
気分になって、打ち解けて、大いに笑った。

 特に、眼鏡をかけていた男の子が
印象に残っている。
 彼は、今何をしているのだろう。

 また会って、話してみたいな。
 
 このところ、必要があって
freedomに関するマテリアルを
読んでいる。

寂しさからfreedomへ。

 インターネットの上にはたくさんの
テクストがあって、私はその間を
泳ぐ小さなサンゴの魚となる。

4月 23, 2009 at 07:35 午前 | | コメント (16) | トラックバック (3)

2009/04/22

contingent behavior

 鏡の中のイメージが自分であるか
どうかがわかる「鏡のテスト」に、
鳥類のカササギ(magpie)が合格した
という論文 
を、Journal Clubで読む。

 カササギはカラス科の鳥。カラス科の
種たちは鳥類の中で最も知性が高く、
道具を使用したり、餌を隠す時に
近くにいる仲間を覚えていたり、
エピソード記憶を保持していたりする。

 カササギを鏡の前に置くと、
身体を左右に振って、鏡の中のイメージも
また追随することを確認する
などのcontingent behaviorを見せる。

 contingent behaviorというのは面白い
概念で、さまざま行動をとった時に、
その結果として何が起きるか、
感覚のフィードバックとして何が
戻ってくるのか、その間の連関を
認識し、学習していくのである。

 カササギはcontingent behaviorを
繰り返すことで、鏡の中のイメージが
自分のものであることを
学んでいく。

 学習は受け身のものではなく、
自分自身の行為が神経回路網の
変化を促す「環境」をつくる。

 つまりは、どのようなcontingent behavior
を行うかによって、自分自身の学習も
また変わってきてしまうのである。

 ねんざをして以来、走ることは
控えてきたが、ここ二日間は朝
近くの公園の森を走っている。

 右足首がまだ少し痛いので、
気をつけて「巡航速度」で行く。

 そもそもねんざをするきっかけと
なった木々の間の急斜面。

 一気に駆け下りようとして、
足首をかくっとひねった。

 そこを過ぎる時には、どうしても
慎重になる。少し速度を落として、
ゆっくりと進んでいく。

 しかし、4回目くらいにその場所を
通るときには、もう危険であるという
ことを忘れかけていた。

 走ることもまた、contingent behavior
であろう。こうするとこうなるという
ことを確認していく。

 「離れる」ということも学習の一側面である。

 チンパンジーは最初は鏡に興味を持つが、
そのうちに飽きて見なくなってしまうと
いう。

4月 22, 2009 at 07:40 午前 | | コメント (17) | トラックバック (1)

2009/04/21

音楽の捧げもの 刊行記念 講演会

音楽の捧げもの 刊行記念 講演会

2009年4月27日(月)
19時〜 
丸の内オアゾ内 丸善

http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/6244.aspx 

4月 21, 2009 at 09:36 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 瀬谷ルミ子

プロフェッショナル 仕事の流儀

銃よ、憎しみよ、さようなら

~武装解除・瀬谷ルミ子~

紛争の場には、さまざまな不条理がある。

筋が通らないこと、無茶苦茶なことを
前に、人はどうしてもエネルギーを
失ってしまいがちだが、瀬谷さんは
違う。

むしろ、不条理の存すること自体を
自らの力の源泉とする。

世の中が不条理なるがゆえに、
希望を持って生きる。
瀬谷さんのそんな姿勢は、この困難な時代を生きる
私たちに、大いなる勇気を与えてくれるはずだ。


NHK総合
2009年4月21日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
組織の枠を超えて輝く個人の力
武装解除・瀬谷ルミ子
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

4月 21, 2009 at 08:20 午前 | | コメント (12) | トラックバック (5)

文脈の設計

 日本に帰ってすぐ、また
同じように日常が始まった。
 
 結局、一つひとつの仕事を
最大の集中で、できるだけ早く、しかも
質が高く処理していくしかない。
 
 とても困ったものであるが、
それ以外に道はない。

 そんな中で、自分が関わる「文脈」
については、よりきちんと考えて
いきたいと思っている。

 脳の中の変化の過程は、動物的という
よりは植物的なものである。

 神経細胞の間をつなぐシナプスの
変化は、日々の活動の中で育まれ、
そして定着していく。

 日常の運動を特徴付ける短い時間
スケールよりも長い期間の文脈設定が
問題とされるのである。

 日々自分が晒される文脈が「土」
となり、「風」となり、「太陽」
となって枝葉を伸ばし、根を生やす
ことになる。

 文脈の設計によって、異なる
「植物」ができる。

 ケンブリッジ留学中、塩谷賢が
遊びに来て、一緒にロンドンの
コベント・ガーデン
(ロイヤル・オペラ)に行った。

 劇場の横に停めてあった一台の
車の助手席に、一枚の白い封書があった。

 「サー・ゲオルク・ショルティ」と
宛名が書かれている。それが無造作に
置いてある。

 おそらく、ショルティ自身が
車を乗り付け、封書を投げ出してそのまま
劇場に入ったのだろう。

 何年か経って、塩谷は
「あの時、ショルティ宛の封書が
置いてあったのは良かった」と
述懐した。 

 ショルティあての手紙が象徴するもの。
 
 そのような文脈をつくり、選びたい
という思いが強い。

4月 21, 2009 at 08:13 午前 | | コメント (9) | トラックバック (1)

2009/04/20

『音楽の捧げもの』

茂木健一郎 PHP新書
『音楽の捧げもの』 ールターからバッハへー

バッハの事跡を辿って、ワイマール、アイゼナッハ、
エアフルト、ライプツィッヒを訪ねた紀行
についての書き下ろしの本です。

旅の感触を、一字一字心を込めて
書きました。

私自身が撮った現地の写真も満載
されています。

PHP研究所の丹所千佳さん、横田紀彦
さんが丁寧に編集して下さいました。

幸いなことに、発売後すぐに
増刷が決まったとのお知らせを
頂きました。

多くの方に読んでいただければ
うれしいです。

本文より抜粋

 ゲーテハウスは、ワイマール中心の広場に面していた。フラウエンプラン一番地。三階建て、黄色い壁の家は、道に沿ってやや曲がりながら続いている。ゲーテは、この家に死ぬまで約50年間住み続けたという。清楚な美しさをたたえた「終の棲家」。現在は財団の管理するナショナル・ミュージアムとなっていて、隣接する建物から入ることができる。
 ドアを開けると、建物に囲まれたスペースとなる。
 「誰かが密かに訪問したい時には、馬車を使ってここから入れば良かったのです。そうすれば気付かれません。何と賢い工夫でしょう!」
 案内をしてくれるのは、アンニャ・ディートリッヒさん。その落ち着いたやさしい声が耳に心地よい。
 馬車の通り道だけではない。ゲーテハウスは、さまざまな工夫に満ちていることが、見学をするうちにわかってきた。観念の世界だけではない。さまざまなことに通じた「世事の人」でもあったゲーテの実像が見えてくる。
 玄関ホールを入るとすぐに階段。黒い彫像が置かれている。左右に二つの裸像。中央に犬の彫像。犬はいきいきとした表情で、後ろを振り返って何かを見ている。
 「これは、ブロンズに見えますが、実際にはそうではありません。石膏の像を黒く塗ったものです。安上がりにブロンズを作る方法ですね!」
 アンニャが説明を加える。
 なるほど、目の前の彫像は、「にせもの」である。しかし、「にせもの」とは言いながら、独特の堂々とした風合いがある。何よりもその設いに、何とも言えない優美さがある。ゲーテハウス内部の第一印象は、とても好もしいものだった。
 階段を上ると、往時には招かれた客が通されたであろう控えの間があった。そこにもギリシャやローマの彫像がたくさん置かれている。
 ただしこちらもすべて、オリジナルではなく、後世の模造である。
 ゲーテは、イタリアの芸術を愛した。しかし、その家に置かれた彫刻の多くは、オリジナルではなく模造であった。
 アンニャが事情を説明する。
 「ゲーテは、確かに経済的には裕福でした。しかし、とてつもなく裕福というわけでもなかったので、古代ギリシャ・ローマの彫像のオリジナルを買うことはできませんでした。だから、幸運にもオリジナルを買うことができた時は、ゲーテはそれを大変誇りに思っていたのです。」
 ゲーテは、古代ギリシャ、ローマのオリジナルの文化財を大切にしていた。だから、わざわざそれらを収納する専用のキャビネットを作らせた。文豪自慢のオリジナルの彫像たちは、部屋の壁に沿って置かれたゲーテ考案のケースの中に大切にしまわれていた。
 どれも、高さ10センチ程度の小さなものばかり。博物館などで目にする堂々たる彫像に比べれば、お世辞にも立派とは言えない。ましてや、私たちのイメージの中にある、人類の文化史上に燦然と輝く偉人ゲーテにふさわしいとも言えない。
 「ゲーテは発明をするのがとても好きでした。このキャビネットも、オリジナルな彫像のために自分で工夫をしたのです。」
 ワイマールを訪れて初めて知る等身大の消息。ゲーテは、ごく限られた小さなもの以外には、古代ギリシャ、ローマの遺物を手にすることができなかった。そう考えると、運命が切なくなった。そして、ゲーテその人とその作品がますます愛しく感じられた。
 昔日に柴田翔さんと読んだ『ファウスト』第二部古代ヴァルプルギスの夜において、ゲーテはいかに見事にギリシャの精神をとらえていたことだろう。下半身が馬で、上半身が人間のケンタウルス。決して優美とは言えず、むしろ不気味な力を感じさせる姿。そのような存在に、この上なく美しくそして高貴な精神が宿る。生存というもののとらえ方のダイナミック・レンジの大きさの中にこそ、古代ギリシャの、そしてゲーテの偉大がある。そう柴田翔さんは教えてくれた。
 大きな彫像については、模造品を使うしかない。それでも、「本物」に見えるように努力をする。やっと手に入れたオリジナルの彫像を、後生大事にキャビネットにしまい込む。まるで、自分を守護してくれる「三種の神器」のように。そんなゲーテの「努力」は、現在の私たちの心に真っ直ぐに届く。
 古の偉人たちについて、私たちはついつい何ごとも大げさに考え勝ちである。その人にまつわるすべての資源が、際限なく、そして潤沢に提供されていたように思ってしまう。
 しかし、実際には、そうではない。この地上を這いずり回る「死すべき者」である以上は、すべては有限にならざるを得ない。富はもちろん、空間的な設いも。何よりもその時間は、万人に等しく限られたものであるしかない。 
 ゲーテもまた、その限られた日常の中で、必死になって精神運動に身を投じていた。大帝国の皇帝といえども、その物理的な資源には必ず限りがある。一方、私たちの精神の志向性は、原理的に無限である。そのギャップに、ゲーテも、そして私たちも苦しむ。
 どんな偉人にも、与えられている時間と空間は同じである。生活者としてのゲーテの感触に接することで、その人に血が通い始める。小さな工夫とひそやかなたくらみに満ちたこれらの空間の中で、中肉中背の男は歩き回っていたのだ。

4月 20, 2009 at 08:43 午前 | | コメント (10) | トラックバック (0)

人は死ぬから生きられる

茂木健一郎 南直哉

新潮新書
『人は死ぬから生きられる』ー脳科学者と禅僧の対話ー


私が心から尊敬する禅僧、南直哉さんとの
対論です。

新潮社の金寿煥さんが編集して
下さいました。

長く心に残る一冊です。

まえがき(「星の友情」)より抜粋

 世の中を見渡せば、自分の立場を信じて疑わぬ人がどれほど多いことか。自らの優越性を誇らんとするばかり、他者の姿が見えなくなる人たち。どんなに論を尽くしても、伝わらない哀しみ。無意識の中には、次第にマグマが溜まって行くのである。
 そんな折に南直哉さんに出会った。初対面で、その眼差しに射貫かれた。この人にならば、精神の地下に伏流する炎の話をしても通じるだろうと思われた。知というものの限界を、空気のように自然に呼吸している人。そのような「奇特」な存在が、この現代の日本で心臓を鼓動させているとは思わなかった。
 南さんは、禅宗の永平寺で長年にわたって修行をした人である。かつて永平寺を訪れた時、廊下ですれ違う修行僧の迫力に瞠目した。観光客とは、まるで違う厳しさの中に生きる人たち。人は、なぜ仏門に入るのか。習慣というものの持つ大きな力。私のようにふだんは世俗にまみれて暮らしつつあり、時折思い出したように「無知の知」に立ち返ったり、無明の中をさ迷ったりしたりするだけでは足りない。 日々自らの魂の志向性に寄り添ったことを繰り返す大切さ。修行を続けてきた人は、やはり違う。
 永平寺が象徴する禅という古来の叡智の持つ力に、南直哉さんの個性が倍加する。中学生で「諸行無常」という言葉に出会ったとき、南さんは「あ、助かった」と思ったという。クオリアをはじめとする現代の脳科学の諸問題に対する態度といい、私自身の精神の志向性にかかわる嗅覚の鋭さといい、南直哉という人は尋常ではない。対談中、私はひょっとしたら天から使わされた怪物と向き合っているのではないかと思う瞬間が正直何回かあった。
 怪物と格闘していると、こちらも鍛えられる。南直哉さんと話を交わしながら、さまざまなことを教えていただいた。
 もっとも心に残ったことの一つが、南さんが九十五歳のおばあちゃんと交わしたという会話である。「和尚さん、死んだら私は良いところへ行けますか」とおばあちゃんに尋ねられて、南さんは「極楽に行ける」と答える。本来、仏教思想の根本は、霊魂や死後の世界の存在については「答えない」という「無記」を貫くことにある。それでも、南さんは目の前のおばあちゃんに「極楽に生ける」と答える。「行けるに決まってるじゃないの。こんなに努力して、一生懸命がんばったおばあちゃんが良いところへ行かなくて、どこに行くんだ。」と言葉をかけるのである。
 ここには、私たちが生きるということ、その中で思想を抱くということにかかわる、よほどの難問題が横たわっている。だからこそ、私は南さんのこの態度にすっかり感じ入ってしまったのだろう。「おばあちゃんと話しているときの、存在する、しないということの判断基準をどこに求めるのかは、おばあちゃんと僕だけで決定しちゃいけない理由はないと思うようになったんです。」と南さんは言う。「それでは、その決定の責任はどこにあるのか――。言った人間、つまり私ですよ。」と南さんは続ける。「もし普遍的かつ絶対的な基準がどこかにあって、仏教で間違ったことを言ったら地獄に落ちると決まっているとするならば、落ちる覚悟で言わないといけない。仏教者というのはそういう立場にある人間だと思うんです。」
 南さんの非凡さは、このような覚悟の中にあるのだろう。私たちは、他の誰でもない、まさに「この私」としてこの世に産み落とされる。親も兄妹も、自分で選んでいるわけではない。熟慮して母国や郷土を指定したわけではない。自分の姿かたち、資質、生きてきた履歴。どれとして、思うがままになったものはない。
 その一方で、私たちは自由意志という幻想なしでは一瞬たりとも正気を保つことができない。因果によってすべては決まっているという直感と、私たちの意識のあり方は相容れない。これらのとてつもなく大切な問題について、南直哉さんと四年間にわたって対話を積み重ねることができたことは僥倖であった。
 私たちの対話は、お互いに親しみつつも、常に緊張感のあるものであった。決してなれ合いではなかった。クオリアや仮想、偶有性といった、私にとって大切な概念たちに対する南さんの切り込み。私はその度に精一杯の回答をした。切っ先を交わしながら、春風のようなやさしい空気につつまれた。木漏れ日のきらめきを、確かに肌に受けた。それでも、目の前のその人の眼光は、あくまでも鋭かった。
 対談の終わりは、ある意味では衝撃的なものだったと言えよう。「星の友情」。「されば、われわれは、互いに地上での敵であらざるをえないにしても、われわれの星の友情を信じよう。」(ニーチェ)。私と南直哉さんは、これからも、お互いをはるか遠くに認め合いつつ、それぞれの人生の偶有性を生きていくのだろう。

4月 20, 2009 at 08:31 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

鋼と鋼がぶつかる音

 東京に帰ってきて、
編集の人たちと打ち合わせをしている
時、ふと窓の外を見て、
 「時差」には二種類あるのだなと
思った。

 一つは、むろん、地球の自転に
伴う昼と夜の移行に関すること。
 ヨーロッパの夏時間と日本の間には
7時間の「時差」がある。

 もう一つは、文化に関わること。
 この点において、ドイツと日本の
間にはどれほどの「時差」があるのだろう。
 差異を測る単位は、
どのようなものなのだろう。

 計り知れない。しかし、それは
確実に存在する。

 日本ではドイツ文学科やドイツ語科の
人気が低下し、かつての旧制高校で
ドイツ語が主要外国語の一つだった
時代の教養主義は絶滅寸前であるが、
 ドイツ文化の響きのさまざまを
失ってしまうことは、もったいない
ことだと思う。

 ドイツ文化圏の大切な伝統の一つは、
「高貴なる野蛮さ」とでも言うべき
ものではないか。

 ウィーンのシュターツオパー
でも、劇場の中の人たちは
 上半身をぴしっとアップライト・
ポジションに保ち、容易に
 屈しなかった。

 対立や衝突があるのは
当たり前で、そうでなければ
新しい文化などできぬ。
 
 鋼と鋼がぶつかる音が聞こえる。

 村社会とは異なる闘争原理。

 その響きは、確かに届いている。

 このところ、お守りのように
レクラム文庫を持ち歩いている。

 ベルリンでは、Das Nibelungenliedを
買った。

 高校生の時、相良守峯訳で
岩波文庫の『ニーベルンゲンの歌』
を愛読した。

 どのような精神に触れて、いかなる
形而上学を受け継ぐかということは、
その人の生き方を確実に変えていく
ものだと思う。

 高校の時にドイツ古典に親しんだことは、
今までの私の軌跡に確かな影響を
与えている。

4月 20, 2009 at 07:52 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2009/04/19

Siegfried in Salzburg

Siegfried in Salzburg

The Qualia Journal
19th April 2009

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

4月 19, 2009 at 12:01 午後 | | コメント (8) | トラックバック (0)

成田に

着きました。

これから仕事に直行です。

4月 19, 2009 at 10:35 午前 | | コメント (15) | トラックバック (0)

2009/04/18

ウィーンのホテルは

ネット環境が不安定だった。

ミュンヘンの空港でトランジット。

もう少ししたら、日本に向かいます。

4月 18, 2009 at 09:32 午後 | | コメント (14) | トラックバック (0)

何で、ウィーンにいるんですか

ベルリンからウィーンへ。

街の中に入っていった時、
ここはやはりドイツ語文化圏における
「パリ」だなと思った。

数年ぶりの来訪。

馴染みの場所を確かめるように。

シュテファン寺院。

ホテル「ハンガリーの王」

カフェ・ハヴェルカ。


シュテファン寺院


ホテル「ハンガリーの王」


ホテル「ハンガリーの王」内部。


カフェ・ハヴェルカ

 カフェ・ハヴェルカは、
『プロセス・アイ』 

の第5章に次のように出てくる。
 (小説中では、名前が、「ハルヴェカ」と変更
されている。)

 ウィーンの名物カフェ、ハルヴェカの女主人の目は、何事も見逃さない。
 メインストリートから細い路地を横に入ると、「カサノヴァ」という名前のナイトクラブの風車の形をした赤いイルミネーションが見えてくる。カフェ・ハルヴェカは、このナイトクラブの隣に、気が付かないで通り過ぎてしまうくらいひっそりと店を開いている。小さな入り口から入ると、中には思いも寄らないほど広大な空間が広がっている。夜になると、あちらこちらの小さな電燈に照らし出された、ほの暗い空間の中に人々が座ってそれぞれの時を刻んでいる。カフェ・ハルヴェカは、ウィーンの劇場関係者、作家、ジャーナリストが集まる場所として知られていた。
 女主人は、その日本人が、もう一週間も毎日同じ時間にカフェに来ていることに気が付いていた。
 その男は、いつも同じ、黒いセーターに、青いズボンで現われた。
 店に入る時には、サングラスをかけている。店に入ると店の奥にまっしぐらに突き進む。そして、店の壁際の椅子に壁を背にして座る。
 サングラスを外すと、辺りをうかがうような目で、店の様子を見渡す。 
 そして、手を上げ、ウェイターを呼ぶ。
 黙ってメニューの上の「カフェ・メレンゲ」を指差す。
 ウェイターが話し掛けると、唇をぎゅっと閉じたまま、自分の咽の辺りを指差して、それから微笑した。
 どうやら、
「私は話すことができない」
そう言っているようだった。
 ウェイターが去ると、おもむろに持参したリュックサックを開け、そこから、オレンジ色と白の斑の色の、貝殻のような形のノートブック・コンピュータを取り出す。
 そして、何やら、仕事を始める。
 一度仕事を始めると、男の表情から神経質そうな、辺りをうかがうような様子は消え、周囲のことを気にもとめずに、仕事に没入している様子だった。ウェイターが「カフェ・メレンゲ」をもってきても、軽くうなづくだけだった。時々、思い出したように仕事の手をやめ、周囲をうかがうような目で店の中を見渡した。
 女主人は、常連客と言葉を話しながら、油断のない目でその男を観察し続けた。カフェ・ハルヴェカを常連客にとって気持ちの良い場所にするためには、そこに出入りする人間が、どのような場を回りにつくり出しているか、観察している必要があるからだ。
 観察の結果、男は、カフェ・ハルヴェカにとって、無害な客であると判断された。それどころか、インテリや芸術家が集まり、議論を交わす場という、カフェ・ハルヴェカの理想像に沿った客であり、歓迎すべきだという結論に達した。

 かつて強い印象を与えた女主人の姿は
いなかった。

 女主人はいなかったが、有吉伸人
さんそっくりの人はいた。

 「何で、ウィーンにいるんですか、
有吉さん!」
と思わず声をかけたくなった。

 その人の様子を見ていると、まるで
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせをしているような気分に
なってくる。


ハフェ・ハヴェルカにいた「有吉伸人」さん。
(右側)

 ウィーン楽友協会ホールに入る。

 とても愛らしい、クラッシック音楽の聖地。

 木肌の気配に包まれることも、その魅力の
一つであろう。

 夕刻。ウィーン国立歌劇場
(シュターツオパー)にて、
ロッシーニの『アルジェのイタリア女』を
観賞。

 以前、シュターツオパーに来た時には、
いつも立ち席(シュテープラーツ)
であった。

 黒い服に着飾った上品な婦人が、
「こうやって手すりに自分のスカーフや
ハンカチを縛っておくのよ」
と教えてくれた。

 その時の演目は、リヒャルト・シュトラウスの
『エレクトラ』。

 奇才ハリー・クプファー演出の凄まじい
舞台で、今でも忘れられない。

 ロッシーニの『アルジェのイタリア女』
は番号付きのオペラ・ブッファ。

 オペラが跳ねて、夜の街を歩く。

 少し涼しくなった風が心地よい。


ウィーン楽友協会ホールにて。


シュターツオパーにて。

4月 18, 2009 at 02:24 午後 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2009/04/16

文明の星時間 孔子の矜恃

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第60回 孔子の矜恃

サンデー毎日 2009年4月26日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 孔子は偉大な思想家である。一方、孔子を育んだ中国の歴史が波乱に満ち、人間にとって時に悲惨な状況に満ちていることも事実である。国としての中国の歴史は、人としての理想からは遠かった。今でも遠い。それでも、孔子という心の機微に通じた偉人を生み出している。
 知識人とは、つまりはそのようなものなのだろう。理想はある。人として義とすることが胸を去来する。しかし、現実の世界では、なかなかそれが行われない。しかし、だからと言って諦めない。現実が不完全だからこそ、思想は鍛えられ、輝きを増す。
 孔子が活躍したのは春秋時代。中国の中にさまざまな国が並び立ち、戦乱が続いた。人としての理想はなかなか行われない。しかしだからこそ、「こうあるべき」という姿を説く。現実が愚かしいからこそ、いかに生きるべきかということを真剣に考える。それが、孔子の矜恃であった。
 中国では、神話的時代における「尭・舜・禹」が理想的君主として語られる。実在したかどうかもわからない、古代における調和の政治。現実が思うに任せないからこそ、そのような理想を思い描くことに意味がある。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

4月 16, 2009 at 01:20 午後 | | コメント (9) | トラックバック (3)

レガート

ぼくは、ベルリンという街を、
ずいぶん誤って想像していた。

実際に見るその街は、
大きくて、まるで巨大な地方都市の
ようで、
ドイツという文化圏の本質に
ついて私をますます考え込ませてしまった。

人と人の間に距離をとる。
個が不変や超越と直接に結びついている。
本質的なことをゆったりと
考え続けている。

そんなこんなが、巨大で密集して
やがて退廃していく都市文明というものを
築くことからドイツ人を遠ざけている
のではないか。

新宿や渋谷の雑踏は、疑いなく日本人の
心性の一つの表現である。

ベルリンが、統一ドイツの首都でありながら、
どこか周縁の雰囲気を残していること。
そのことと、ドイツの文化の音楽や
哲学、基礎物理学における卓越は
間違いなく関連していることだろう。

ベルフィン・フィルハーモニーの
本拠地であるフィルハーモニーホールを
訪れる。

かつての東西分断の壁に近く、
大きな森(ティアガルテン)に面している。

通りを挟んで、隣にはソニーセンターが
ある。

主席フルート奏者のアンドレアス・ブラウさんと、
女性で初めてベルリン・フィルのメンバーと
なったヴァイオリン奏者のマグダレーネ・カルッツオさんに話を聞く。

カラヤンは、しばしば目を閉じて指揮をした。
その方がよく音楽を聴くことができたから。

指揮者は、繰り出すテンポや、楽器の奏法や、
その他もろもろを正確に送り出す存在
なのでは必ずしもない。

それならば、指揮は機械的支配に似ている。

芸術はもっと自由で、自発性に基づく
ものでなければならない。

クラッシックの響きは、この世に存在
しない音の組み合わせを提示するという
点において、芸術と現実の距離が
絵画よりもさらに遠い。

指揮者の中には、あらかじめ音楽に
ついてのヴィジョンがなければならない。

カラヤンの場合、それはレガート
であったとアンドレアス氏。

指揮者は、音楽について、明確な
審美眼(エステティックス)を持たねば
ならない。

指揮とは何か。そこには、人間の
本質に関する思考に私たちを
誘う契機がある。

中央駅から列車にてハノーヴァーへ。

かつてカラヤンが数々の録音をした
ドイッチェ・グラモフォンのスタジオを
訪問する。

最近になって人気が復活しているという
LPの原盤をカットするところを
見せていただく。

ベルリンに戻る。

ぼくはこの街を愛した。

ベルリンの姿の向こうから、
ぼくのこれからの人生の
課題がありありと見えてくる。

最も心に残ったものは、どれも
戦争の傷跡に関係している。

ベルリンの壁の跡。
ホロコースト記念のモニュメント。
そして、爆撃されたままの姿を保存している教会。


ティアガルテン。ベルリン。


ウンター・デン・リンデン通り。ベルリン。


チューリップ。ドイッチェ・グラモフォンにて。


美しい花。ドイッチェ・グラモフォンにて。


壁の跡。ベルリン。

ホロコースト記念のモニュメント。ベルリン。


爆撃されたままの教会。ベルリン。


天使の像。ベルリン中心部。

4月 16, 2009 at 01:12 午後 | | コメント (26) | トラックバック (3)

2009/04/15

精神から身体を守っている

翌朝もザルツブルクはよく晴れた。

カラヤンのザルツブルクの自宅を
訪ねる。

ウンタースベルクを背景に望む、
大きな、しかし愛らしい家。

ザルツブルク音楽祭のうち、
イースターの音楽祭は、
カラヤンがバイロイトで
指揮できなくなった時に
その代わりにワグナーに取り組める
場として構想されたと聞く。

カラヤンとともに、長年ザルツブルク
音楽祭のGeneral Secretaryをつとめた
方のお話を伺う。
 
カラヤンは、モーツァルトの録音は
ウィーンフィルとやることを好んだと
いう。

ベルリンフィルにおける前任者、
フルトヴェングラーのことは一切話題に
上らさせることがなかったとも。

ウィーンフィルとベルリンフィルの
違いを聞くと、ウィーンはハートで、
ベルリンは頭で弾くのだと答えて、
愉快に笑った。

ザルツブルク大学には、大切な友人
グスタフ・バーンロイダーがいる。

もう10年ほど前。グスタフは
私をVisiting Professorとして招いて
くれて、3週間ほどザルツブルクに
滞在した。

中心街にあるGoldener Hirschにて、
グスタフと落ち合って議論する。

脳科学の現状、意識の問題の解法、
その他について、愉快でストレートな
ダイアローグ。

途中、グスタフが外に出た。

あれ、と思うと、やはり煙草を
吸うのだという。

10年前に来た時、グスタフは缶の
中の煙草を紙でくるくる巻いて吸うのが
好きだった。

同じやつか、と聞くと、そうだと言う。

「もうこの缶を、20年以上使っているよ。」

「でも、煙草やめたんじゃなかったっけ?」

グスタフが小首を傾げるような表情になる。

「そうそう、そういえば、半年くらいやめた
ことがあったなあ」

「それじゃあ、ちょうどその時に会ったんだ!」

ザルツブクルクには会議などで何回も
訪れているし、グスタフにもザルツブルク
の中、外で何回も会っている。

私の畏友、田森佳秀もザルツブルクに来て、
グスタフに会った。

「煙草は身体に悪いとはわかっているんだけれど
ねえ。」
グスタフが言う。

「どうやら、ぼくの頭にとっては、いいようなんだ。」
とグスタフ。

「考えることは、時に存在にとって悪いからね。」
と私。

「ショーペンハウエルを見たまえ。時に
死に至る病だ。」

「そうなんだよ」とグスタフが言う。

「だから、煙草を吸うことで、ぼくは
精神から身体を守っているんだ。」

「ははは」と私は笑った。

「今度から、禁煙のところには、ここでは
精神から身体を守ってはいけません、と書いて
おくのがいいねえ」
とグスタフ。

グスタフは相変わらずだった。

名残を惜しんで、グスタフと別れる。

またすぐに会おうね、グスタフ!

バスでミュンヘンへ。

空路、ベルリンに入る。

ドイツの首都を訪れるのは初めての
ことなり。
ずっと、「ウンター・デン・リンデン」
という言葉が響く。

印度料理屋を求めて歩く夜の道。
行き交う人々の表情は、どこか
柔和な洗練を見せていた。


ザルツブルク祝祭劇場にて。


『ジークフリート』開演前。


カラヤンの墓前にて。


グスタフ・バーンロイダーと。


グスタフが煙草を吸うというので外に出る。


グスタフ愛用の煙草缶。

(photos by Atsushi Sasaki)

4月 15, 2009 at 02:06 午後 | | コメント (21) | トラックバック (2)

2009/04/14

プロフェショナル 大木隆生

プロフェッショナル 仕事の流儀

すべてを捧げて、命をつなぐ

~血管外科医・大木隆生~

大木隆生さんのお仕事ぶりは鬼気迫る
もの。

医療とは何か。生きることの大切さ。

絶対に見逃せない。

必見です。


NHK総合
2009年4月14日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
困難を突破するための
“道具”は自分の中にある
血管外科医・大木隆生
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

4月 14, 2009 at 03:36 午後 | | コメント (17) | トラックバック (8)

ラトルのもじゃもじゃの頭髪

ザルツブルク郊外のアーニフ村に
あるヘルベルト・フォン・カラヤンの
墓を訪れる。

良く晴れた日。リンゴや、木蓮や、
素敵な花に包まれて。

この美しき生成のありさまを
覚えておかなくてはならぬ。

是非とも、記憶しておかなくては
ならないのだ。

墓に詣でる前、カラヤン夫妻が
しばしば訪れたという
レストランBuberl GUTに入った。

二階にオウムがいて、しばらく
気配を探りあって遊んだ。

はるかに望むウンタースベルクが
神々しい。

ザルツブルク祝祭劇場で、
サイモン・ラトル指揮、
ベルリンフィルハーモニーで
ワグナーの『ジークフリート』を
観る。

ワグナーの音楽の最高峰、
三幕のブリュンヒルデとジークフリートの
二重唱。

ためらいがちだった愛が、「笑いながら死んでいく」
というニーチェ的生命哲学の
中に結実する。

最前列。ラトルのもじゃもじゃの頭髪が
すぐ目の前にある。

ベルリンフィルの超絶技巧。

意識を圧倒する経験の奔流。

その後では、自分が一人称としていかに
生きるか、その問題だけが残る。


4月 14, 2009 at 03:04 午後 | | コメント (18) | トラックバック (2)

2009/04/13

ザルツブルク

成田からミュンヘンへ。

眠っている間に、iPod Shuffleが
どこかにいってしまった。

ふしぎ。

神隠し。

シートの下に落ちたのかしら。

眠る以外はずっと仕事をしていた。
我は真面目なり。

ミュンヘンからザルツブルクへバスで移動。

このあたりは、もう何回も来たことがある。

しかし、いつもは鉄道なので、少し
見える風景が違う。

もう少しでザルツブルク、という
所で、きれいな教会を通り過ぎた。


どんなに小さな集落にも祈りの
場所がある。

ザルツブルクは世界遺産の街。
全体が美への祈りの場のようでいて。

4月 13, 2009 at 07:26 午前 | | コメント (13) | トラックバック (2)

2009/04/12

愚考の羽

昨年亡くなったさだえおばさんの
一周忌の法要があった。

墓前にて、線香を捧げ、頭を垂れる。

よく晴れた一日。初夏のように暑い。

霊園を歩いていると、あちらこちらに
見える桜の木。

花びらが散った後の、ピンクが濃い赤となり。

近くの飲食店で会食。

久しぶりに父母、それにおじさんと
談笑する。

酔っぱらって電車に乗る。

隣りの人を見ると、日本は侵略国家では
ないという本を読んでいる。

表紙に図書館の印あり。

外からの日差しが温かい。

父母おじさんに「それじゃあ」と言って
別れる。

どうもクシャミが出る。
何かに当たったのかしら。

少し仮眠を取ろうと、横になる。

そうしたら、昔のことがいろいろと
思い出された。

さだえおばさんご夫妻、それにいとこの
二人と山に登ったこと。

さだえおばさんの家に二段ベッドが
あったこと。

飯盛山に登ったこと。

さまざまなできごとが早回しの
奔流となって意識の中にあふれる。

極彩色の万物。
私はちっぽけな存在としてその中に
いる。

時の流れは、抗することができない。

とっぷりと日が暮れてから、外を
歩く。

時間の流れというものは、止められない
ものかな、と思った。

私たちは最初からいろいろ諦めている
ことがある。

与件の中でなんとかやりくりしようという
奴隷根性。

花が咲き、やがて散り、無へと帰して
やがて還る。

時が過ぎゆくことを、どうにかできない
ものかな。

それから、意識はこの世の外のどこかに
移民できないものか。

仕事がたくさんあって、愚考の
羽はみじかい。

さだえおばさんの墓前には、
きれいな花があった。

4月 12, 2009 at 04:12 午前 | | コメント (29) | トラックバック (4)

2009/04/11

そういう場を

 ソニーコンピュータサイエンス研究所

ゼミ。

 須藤珠水、柳川透、箆伊智充が
論文を紹介。

 柳川透の論文関係の議論をする。

 朝日カルチャーセンター。
 白洲信哉との対談。

 丁々発止して、やがて面白かった。

 いやあ、信哉っていうのは、本当に
いいやつだね。

 ぼくはもう、エッセンシャルなこと
ばかり考えて生きたいと思う。

 それで、何か塾みたいなのを
やりたいね、と信哉に言う。

 つまりさ、誰かと誰かが会って
丁々発止するのに、大学とか
そういう組織はいかにも迂遠だわな。
 
 たとえば、信哉が大学で先生をやっている
としよう。

 信哉に師事したいとして、まずはその大学に
入って、それから研究室にうんぬん、
というのは二重三重の厚化粧、
余計な障壁。

 もっとダイレクトに行きたいよね。

 面白いやつを集める仕組みを作らなくては
いけない。

 そうすれば、今ぼくの研究室に
いる学生たちにも、良い仲間ができるだろうし。

 朝日カルチャーセンターの後の
飲み会や、芸大の授業の後の上野公園の
時間は、ある程度そのように機能して
いたわけだけれども、
 そういうことに魂を入れたいね。

 打ち上げに塩谷賢が来た。

 いやあ、愉快だね、君。
 
 でぶ塩、いや失礼、塩谷賢とかさ、
白洲信哉とかいてさ、
 丁々発止、自由にやりあったら
どんなにか楽しいだろう。
 
 ぼくのために、そして、ぼくが大切
だと思っている同僚、先輩、後進の
ために。

 そういう場を作ろうかな。
 
 桜は散りゆく。
本質的なことさえも、
十分に愛しむ時間は人生には乏しくて
そして過ぎゆく。

4月 11, 2009 at 09:13 午前 | | コメント (25) | トラックバック (3)

2009/04/10

ワルキューレをみて思ったこと

塩谷賢くんからもらったメールを掲載します。


塩谷賢氏


From: "Ken Shiotani"
To: "Ken Mogi"
Subject: ワルキューレをみて思ったこと
Date: Fri, 10 Apr 2009

to Mogi

今日、もし呑みにいけない場合に備えて、昨日のワルキューレを見て考えたことをちょっとメモしてみます。
ワグナーの解釈とキース・ウォーナーの演出の関係はもっと考えなければならないのだが、とりあえずごっちゃにして(特に2幕以降)、当日感じたままに記します。

第一幕でまず感じたことは、愛と運命の対立、という構図と、はたしてそれでいいのか?という疑問だった。
運命と愛(性愛も神的愛も日常の愛も含む)の相容れなさを無視し混同し、統合しようとすることによって、悲劇(ドラマ)が発生する。(性愛ではトリスタンとイゾルデ、神的愛でのブリュンヒルデ、日常愛のハンス・ザックス、愛同士の相容れなさではタンホイザーか?)
また、この相容れなさが現状の不備ではなく、全く本質的な次元のものであることを当事者(イゾルデ、ブリュンヒルデ、エリザベート)がまったく気付いていないのではないか、それゆえに彼女らは愛の英雄としての性格をもつこと、さらにその統合様式が、比喩的に言えば、愛を中身に、運命・知恵・神性を形式・存在様態とすることによって、相容れなさの次元を高め、悲劇を加速させるのではないか、ということだった。
この「存在様態」はある種の絶対性をもち、それが「統合」という目標から引き出しているかのように見させられてしまう。「指輪」では、愛とアルベリヒの指輪の分裂が、失われた黄金(それは母なるラインの流れ=もっとも高次で具体的な「時」の流れのなかにあった)が、この絶対性のレベルでの統合を象徴する。
だが、本当にそうか?運命・存在様態はそれ自身である形式性においてある種の絶対性をかたくなに持ち、その一般性・永遠性の中にすべてを巻き込み侵蝕しようとする暴力ではなかろうか。また愛は、感情は、中身などというモノ、誰かの所有物であることを拒む、「イマ・ココ・コノ」である力、働きとしての絶対性をもつものではないか?両者の統合は、そもそもありえない不在の名なのではないか?その典型であり、最も強力な現実化が貨幣・資本ではないか?明らかにアルベリヒの指輪を資本のカリカチュアとして解釈することができる。するとラインの黄金の奪取は、実質価値の存在という不在を覆う近現代の神話そのものである。愛の英雄たちは、この不在に全く無知である。
このように見ると悲劇(ドラマ)は登場人物の、混同を促す欲動のサイズでは生じない。サイズの基準は、「イマ・ココ・コノ」である力を所有の次元に引き込む一般性・知性・社会性・神性の次元でおこる。この次元が我々の心と称される心についての自己知・(志向性の自己回帰成分)として、「イマ・ココ・コノ」ワタシに侵蝕していること、この侵蝕を活性化させてしまう構図をとってしまうこと、そのことを無視し忘れていること、その中で「イマ・ココ・コノ」ワタシがのたうつことに極めて敏感な感受性をもつこと。ワグナーはこの限りで資本主義の英雄であり、体制内反体制派といえるだろう。だとすればニーチェが袂を分かったのはよく分かる。ニーチェは「イマ・ココ・コノ」の絶対性と「すべてを巻き込み侵蝕しようとする一般性・永遠性」の暴力の出会い(郡司なら相殺というかもしれない)による脱出として永遠回帰を希求したのだと、僕は思うからだ。

この方向で考えると、喜劇(コメディ)の方が危険であること、道化が権力によって囲い込まれていたこと、祝祭のヤバさ、といったものが感じられる。(1840年代にバルザックが「人間喜劇」の構想を発表している。)
また、「イマ・ココ・コノ」の絶対性のある側面は、J.F.リオタールが前衛芸術とカント哲学(判断力批判の崇高なもの)を関連させて考えるときにいう「到来するもの」ともいえる。(『非人間的なもの』が分かりやすい。)それは測ることができず、予測できず、その原因を探ることもできないとされる。そして絶えずやってくる。なぜなら「イマ・ココ・コノ」を開くのだから。ここでのワグナー的悲劇(ドラマ)は運命を「イマ・ココ・コノ」の到来でなく、終末の到来という約束手形へと押し込めてしまっているのではないか?そのとき現在に横溢するエネルギーはその多くが失われるとはいえ、残余が抑圧され蓄積され、予定された終末で利用されて凄まじいカタルシスを起こす。巨大な無駄を伴う資源化とその経済利用が劇場の感性に適用されているのだろうか?(なにか化石燃料の形成と使用の話のような気がしてきた。)この無駄については語られない。ましてやリオタールがいう「到来することがなくなる」という不安は視角に入っていない。約束手形は支払われるものだからだ。だが、貨幣・資本ははじめから価値不在の不渡り手形ではなかろうか?それを隠蔽するた�,めに自転車操業的に価値が設定され、権力をもち、不渡り手形の書き換えを行い続けるのではないか?「到来することがなくなる」とこの更新ができなくなる。

キース・ウォーナーの演出では運命=「すべてを巻き込み侵蝕しようとする一般性・永遠性の暴力」が赤い矢印で、「イマ・ココ・コノ」の絶対性が春、緑の矢印で対比されていたように思う。天からの赤い矢印に対して、双子の愛の場面で地から緑の矢印が複数立ち上がり、緑の照明がなされること、ここでの最も素朴な感受性はジークムントのジークフリートを思わせる無邪気さである。ジークリンデはその感受性・愛を中身として受け取るが、運命という形式のもとにおいてである。彼女は自らを赤い矢印の先端に何度となく置く。それは彼女という存在様式が赤い矢印によって成立している、赤い矢印の具現であるからである。ジークムントは赤い矢印の部分としてのノートゥングを得る。赤い矢印を超える切断という可能性を引き受けながら、それが部分であるということを彼は捨てきれない。(ジークフリートは槍を折る。)ジークムントは自らを統合への材料として差し出す。二人の関係は
ジークムント:ジークリンデ~ブリュンヒルデ:ヴォータン
という裏返った相似形を導く。

第2幕
「指輪」の基調にあるものが、「すべてを巻き込み侵蝕しようとする一般性・永遠性の暴力」の現実での表示である資本主義・貨幣経済的な冷厳さであることは、契約という古い形態が全くの形式として権力を振るうさまによく見て取れる。契約は「イマ・ココ・コノ」ものとして「一般性・永遠性」が現実化するものであり、「イマ・ココ・コノ」の絶対性を要求するからこそ、どのようなつまらない契約も「一般性・永遠性」として尊重されねばならない。フリッカの尊厳とはその意味でイエスの受難と同等の重みを持つのである。(ああ、10日の聖金曜日に上演したらもっとギャグになったのに)当然、契約の齟齬が起こる。「イマ・ココ・コノ」の絶対性は「一般性・永遠性」と全く異質だから、その統合は尋常の手段では適わない。
「ラインの黄金」でのヴォータンは、このような苦労はしていない。あのときの彼は、まだシステムの中にいる部分的なエージェントであった。赤い矢印は不可視だった。グンニグルの槍は白いトネリコにルーンが刻まれたものだった。(ブリュンヒルデの持つ槍がそれと相似なものであること、そして他のワルキューレは槍を持っていないことに注意)彼の英知は(既に片目だった)システム内での自由を謳歌する力だった。
だが、世界を統べたのちである「ワルキューレ」では、ヴォータンは「一般性・永遠性」=個的具現へと変貌してしまっている。彼は赤い矢印そのものにおいて成立している。さもなければ、もはや神ではありえない。だが「一般性・永遠性」=個的具現ということ自体が、記述の上での名、不在の名なのだ。この不在の名においてしかヴォータンはヴォータン足りえない。もし本当に実質がそのとおりに=になっていれば、ヴォータンは苦しむはずがない。この嘘に、「一般性・永遠性」の「すべてにわたる」スパンの広さが罰を下す。それは不在の統合によって「イマ・ココ・コノ」の絶対性を導入し、この絶対性の相対化としての矛盾を突きつける。ヴォータンが「自縄自縛」を嘆くのは、この不在という虚偽の生成する矛盾をポジティヴな個として、「イマ・ココ・コノ」ワタシがのたうつことへの敏感な感受性をもつこととして引き受けさせられるからである。
ここはワグナーがそこまで考えていたかはわからない。「自縄自縛」の形式はヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」であり、マルクスの恐慌の理論のスタートではある。「自由な英雄」という謀略はそこでの止揚として考えられる。
だが、この弁証法そのものが不在という虚偽に基づくならば、せいぜい全体が拒否される否定弁証法であろう。そこで与えられるのは、新たな展開へのコーナーストーンとしての止揚ではなく、崩壊する事態の中でまだ細部にこだわるミクロロギー的な形式の書き換えである。ジークフリートの悲劇は約束されたものであったろう。(郡司なら互いに否定する双対の相殺の動態性に着目してグズグズの生成素をくくりだす戦略をとる)

さて運命/赤い矢印は「一般性・永遠性」と具現化としての「イマ・ココ・コノ」という相容れない2面性をもつ。ヴォータンは神として「一般性・永遠性」に視点を据え、ジークリンデは具現化としての「イマ・ココ・コノ」の質料性に支点をおくことで、契約という虚偽が現実であることを示す配置となる。この鏡面は「能動/受動」、「神/人」、「男/女」、「精神/肉体」など様々な名をつけられるだろう。同一物のヤヌスの顔であることが大事だ。3幕でヴォータンはブリュンヒルデを追うが、ジークリンデは追わない。ジークムントを殺しながらジークリンデには手を出さない(フリッカは二人とも罰するべきなのにジークリンデには触れない)。ジークリンデが「イマ・ココ・コノ」に支点を置くがゆえに、彼女の悲惨は黄昏がいたるところで置き続けていること、現前のその多くが死に、決して過去・記憶にさえなれない現在のあり方を示しているのではないか。ヴォータンは不在の始原(ラインの黄金)と不在の終末(黄昏:黄昏は夜にまで至れないし、「指輪」ではヴォータンはそこにいない)によって、一般性・永遠性の相で、この「イマ・ァwRコ・コノ」を顕微鏡的に拡大し、操作するのではないか。(まさしくミクロロギーである。)
このように見ると、プログラムで茂木×山崎の言うように、ジークリンデが道具であって、道具の運命への反発が神の計画を狂わせる、という見方とは逆に、ヴォータンは自分の真の反面、反物質的なジークリンデに出会うことを恐れており、それができないという見方ができるのではなかろうか。先の「悲劇(ドラマ)は登場人物の、混同を促す欲動のサイズでは生じない。」と重ねれば、心は個人の中にあるモノ、個人の所有物ではないという側面、精神分析に対してドゥルーズ・ガタリ的な制度分析の要求が出てくる側面が示唆されるのではないか。

この2面性を覆い隠す一つの手段は「部分化」・「忘却」である。ヴォータンに対するブリュンヒルデ、ジークリンデに対するジークムントはそのような部分化ではないか。そしてヴォータンが「一般性・永遠性」にジークリンデが「イマ・ココ・コノ」の極であるから、ブリュンヒルデは知性の、ジークムントは感情の面での部分化ではなかろうか(3幕の「私はあなたの分身」という台詞の意味)。そして部分化は過去化の一つの様式である。ブリュンヒルデの槍が、かってエージェントとして部分であったヴォータンの白い槍を引き継いでいる。まさに彼女はエルダ、「ラインの黄金」で運命のもつ否定弁証法的な危険を告知したエルダをヴォータン:運命の具現化が陵辱して作った娘である。エルダは地母神だが、むしろ知恵の神、世界を生む絶対神的知性の産出可能性の象徴としての母神であり、その限りで実体のある生産性ではない。陵辱されたのち、やっとエルダは知の神、ニーチェの言う詐欺師・道化師としての哲学者、現代なら資本に取り込まれて製品を産出する知性として現実に組み込まれているように思われる。そしてこのことから、愛は運命にとって全く外部のものであ�,ること、愛の運命という言い方が、一種の陵辱・略奪であるように感じてしまう。
ジークムントの部分性は、愛・春・緑(これは赤の補色である)によって垣間見られたこの外部性に直面させられる状況という意味で、全体を取り巻き脅かす部分性である。ジークリンデ=ヴォータンにとって、己の十全性・統合性を揺るがす裏返った部分性、未知・潜在性として全体性を部分化する部分性である。「あなたも穢れる」というジークリンデの台詞はジークムントの外部性、それこそ「自由」の可能性を秘めた未定性を押し込め圧殺する自己保存の叫びである。
だがなぜ二人が双子なのか?それは契約によって「一般性・永遠性」が現実のものとなるように、「一般性・永遠性」はイデアのように自存するのではなく、少なくとも動態性に関わる限り「イマ・ココ・コノ」において生成せねばならないからである。ヴォータンは自らに反する自らと、自らの外部であろうとする自らを双子として生み出した。双子のこれまでの悲劇は世界を統べたヴォータンの味わうべき悲劇であり、二人の子供であるジークフリートは尊父殺害の心の成長過程の、人間の象徴であるとともにヴォータンの自己殺害とそれによって不在の形で進行するヴォータンの破綻の姿なのである。(「神々の黄昏」はヴォータンのご臨終なのだ。そして槍を砕かれたことで初めてヴォータンは不在となり、ジークリンデの半身ではなく、ジークフリートの不在の半身となる。全知の不在のヴォータンと無知のジークフリート。)
ブリュンヒルデは知、契約の中で作られた「自由な英雄」たるべき存在であったが、それはそもそも無理なのだ。彼女の本質が知=契約の「一般性・永遠性」だから。彼女が「自由な英雄」たる期待を掛けられたのは、外部性である愛を受け入れるという特性=女であることのみによる。ジークムントへの愛(3幕でジークリンデが「私<たち>が愛したあの人」というとき、なぜ<たち>なのか)、それはヴォータンの自己否定による状況突破、より十全な形での「イマ・ココ・コノ」の動態性への希求と同等のものなのである。ブリュンヒルデは裏返ったジークムント自身であり、ジークムントへの愛は外部性たる愛への希求なのである。(この愛はジークリンデには手に入らない。ゆえに彼女は悲惨な一生を悲しみのうちに閉じることになる、と予言されている。)
ジークムントの死を告げる場面はジークフリートの死の場面と相似的である。だが、ジークムントは部分であり、外部性を外部性とする質料的な面でのヴォータン=ジークリンデを欠いている。不在への通路は不在の名に由来するブリュンヒルデ=裏返されたジークムント自身によって塞がれている。一方、ジークフリートは自らのうちに必要なファクターを取り集めているため、不在・空白に向かう形で倒れる。
ジークリンデが二人の愛の床から走り出したことは、ウォーナーの演出では、ブリュンヒルデが拾い上げたフィルムに絡め取られ、引きずられている形になっている。ジークムント=ブリュンヒルデに対し、ジークリンデ=ヴォータンは常に希求し惹かれている。だがそれは自らの不在の半身、ジークリンデにあってはヴォータン的な契約の「一般性・永遠性」への軸において、ヴォータンにあっては不在の半身であるどころかそれ自身不在となるジークリンデにおける「イマ・ココ・コノ」の絶えざる消滅への自己の投企(それがまた契約を締結してしまうことが抜け出せない深遠なのだ)によってのものである。ジークリンデは外部を見捨てる。ジークリンデは予測不能なことなどしてはいない。ヴォータンは外部を受け入れようとした娘を再び運命に閉じ込め、そのためジークフリートも逃れられなくなる。
ここでフィルムの意味がなにか?それは記憶であり、プログラムであり、アカシックレコードであり、神のあるいは知による産出可能性であり、無理やり計量することとその結果である。「ラインの黄金」冒頭でヴォータンがフィルムを上演し始める。「神々の黄昏」のエピソードでフィルムは切れ、その向こうから日常の人々が現れる。劇中の様々な場面でフィルムが現れる。キース・ウォーナーは「指輪」という作品とその歴史自体、ワグナーという事件をも一つのモノに収めるというメタメタレベルの象徴とそれが劇中でも力を実際に発揮するという形で「イマ・ココ・コノ」の絶対性=我々における現前性、を提示しようとしたのではないか?そして我々はそこから外部性である愛、感情、芸術において生きることができるのだろうか、という問題が投げかけられているのではないか?

第3幕
なぜ岩山の頂きが病院か?
「イマ・ココ・コノ」の動態性・絶対性が「一般性・永遠性」の手続きのなかに囲い込まれるのが、そして「イマ・ココ・コノ」を助け保っていると称するのが医療だからではないか?「イマ・ココ・コノ」の継起性はとても難しいのでここでは語らないが、医療が「イマ・ココ・コノ」でなされるのでなければそのようなことはいえない。だが往々にして医療と医学は混同される。我々は部分的であり、忘却するからこそ、混同することでうまく身を処している。この混同によって自己を保っているブリュンヒルデは助けを求めてくる。だが施設としての病院は、「一般性・永遠性」の手続きに従う。「イマ・ココ・コノ」の反証的な提示であるジークリンデ=ヴォータンはここに留まれない。「一般性・永遠性」たるヴォータンの部分、外部を吹き込もうとする反逆的な部分であるブリュンヒルデはここに隠れる。
ヴォータンの赤い槍はこの部分の反逆に怒る。かってのエージェントとしての拡大への雄雄しさが統制への冷酷な力として振るわれる。内なる外部への攻撃として自らが部分=全体となるとき赤い槍と白い槍の双方を掲げる。「行きずりの男にモノにされよ」と呪う。
だがこの部分=全体は生成・創発を起こさない。ただ推移を進めるだけである。外部を受け入れたいという感受性は外部性たる愛を外部性のまま受け入れたいと感じる。2場ではヴォータンは槍を持たない。動態的な
「一般性・永遠性」というくびきから外れたかのようなヴォータンにとって「行きずりの男」は外部性の中になる「自由な英雄」でなくてなんだろう。だがブリュンヒルデはそうは取らない。「自由な英雄」が神に・計画に反するものであることをまさにそのものとして契約・神の本心の名で示しているのが、知、契約での「自由な英雄」であるブリュンヒルデなのだ。彼女がやすやすとそれを成し遂げているかのように見えるのは彼女の知の部分性によって「イマ・ココ・コノ」を剽窃しているからだ。ジークムントは同じく部分性としてしか外部=自由に触れられなかったがために、契約のくびきに殺された。ヴォータンは嘆く。「愛がそんなに簡単に手に入ると思うのか」と。ブリュンヒルデは剽窃した自由において自らを再び契約ならぬ契約・運命のように見えない運命へと落とし込む。
ここでの運命はヴォータンに具現化した赤い矢印からレベルがジャンプしている。ジークフリートの悲劇を招く不在の相においてまで力を振るう運命、不可視となった赤い槍をブリュンヒルデのジークムントの受け入れという部分性の相応(相殺になるか?)によって発動させてしまう。ヴォータンはそれに逆らえない。契約という形式を否定する形で感受性を示す彼が、感受性が知として自己知として知られる部分性の形によって縛られる。自らが希求する外部をその外部の不完全さのゆえに自ら縛らねばならないという悲嘆。だがそれを彼はなす。抱擁の終わりにブリュンヒルデがヴォータンを突き放す仕草をする。それは別れのつらさなどではなかろう。真に「自由の英雄」たりうる可能性を秘めた彼女の「女」が自らの父への愛という虚偽によって裏切られたことの象徴ではなかろうか?
この運命のレベルは、序夜のプロローグと終夜のエピローグに出てきたフィルムにのみ象徴され、いま「ワルキューレ」を見ている観客をも巻き込むことで劇場の外に滲み出していくかもしれない運命、この運命を共にすることで観客はブリュンヒルデの視点に重ねられる。それゆえヴォータンのくちづけによって閉じられる彼女のまぶたは下がってくる幕である。だがその右手に赤い扉が表れる。(キリストは昇天して神の右手に座した)
ここでまた相の逆転が起こる。観客はブリュンヒルデから引き離される。ヴォータンはローゲを呼び、運命の歯車を推し進める。ローゲとは誰か、赤い槍、運命のシステムを進めるこすっからいもの、資本主義でのうまく機敏に動く相場の場立ち人、保険会社の外交員、そして不渡り手形を打って回る銀行の行員であり、詐欺師・マジシャン。だが彼を過大評価してはならない。彼はもっとも現実的な人の姿なのだから。彼がヴォータンとともに不在になったのち、ハーゲンがその役を引き受ける。
エピローグでフィルムの向こうにいた人々は、ヴォータンたちかローゲたちか?
それともフィルムを紙くずのように捨てられる「自由」な人たちなのだろうか・

出かけなくてはいけないので、この辺で送ります。
夜は電話します。


Ken

4月 10, 2009 at 03:41 午後 | | コメント (9) | トラックバック (0)

(本日)美を求める心

朝日カルチャーセンター
対談 美を求める心

白洲信哉 茂木健一郎

新宿 住友ホール
2008年4月10日(金)
18時30分〜20時30分

この度著書
『白洲家の流儀』 (小学館)を上梓された
白洲信哉さんと、美をめぐって
対談します。

白洲信哉の「高貴なる野蛮」。

対談で何が飛び出すか、何が起きるのか、
ホスト役の私にも全く予想ができぬ!

この対談だけは見逃せない!
スリリングな展開を瞠目して待て!

詳細 

4月 10, 2009 at 11:23 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

「成仏」しても

慶応大学大学院メディアデザイン研究科
(KMD)
 
の大学院の新入生が合宿して講義を受ける
「クラッシュコース」(入学合宿)で
お話させていただく。

稲蔭正彦さん、古川享さん、中村伊知哉さんといった
私が親しくさせていただいている教授陣が、
新入生たちに熱いメッセージを届ける。

中村さんいわく「やつらもエネルギーに
あふれていて、学生たちをクラッシュ
する前に教授たちがクラッシュされそうです。」

エイドリアン・チェオクがいるかな、
と思ったけれども、今回は姿がなくて
寂しかった。

会場は幕張のホテル。
到着してしばらくして、
稲蔭さんにトイレはどこですか、と聞くと、
「二階です」と言う。

ねんざでまだ右足首が痛い。

よいしょ、よいしょとゆっくりした
ペースで上っていった。

インターネットを偶有性のデザインの現場と
してとらえるということについて、
学生たちをアジテートする。

長めのディスカッション。

学生たちが繰り出してくる質問が
鋭く、視点もシャープで、
おおさすが、とこちらも大いに楽しむ。

そうなんだよ。こうやって議論する
こと以上のよろこびはこの世には
なかなかないんだよ!

古川さんが写真やビデオをとって、
その場で「ライブ中継」をしていた。

古川さんの写真の臨場感は、一つの流儀
として鮮明に刻印される。

古川亨ブログ  

なんかこう、心が動くんだよね!

渋谷のNHK。

『プロフェショナル 仕事の流儀』
の収録。

アフガニスタンやスーダンなど、
世界各地の紛争地域での
武装解除のお仕事をされている
瀬谷ルミ子さんがゲスト。

瀬谷さんは各地の現実に向き合い、
その中でさまざまな不条理に出会う。

それでも初心を忘れてしまうことなく、
むしろますますピュアな気持ちで
困難な仕事に挑む。

その「不条理力」とでも言うべき
力強さに打たれた。

収録を終えて、控え室で着替える。

スタイリストのうえだけいこさんが
用意して下さっているシャツを脱ぐと、
裸の自分が鏡に写った。

不思議だな、と思った。

瀬谷さんが活動されている紛争地域には
死があふれている。

いつか、この私も死ぬだろう。

すると、この肉体が単なる塊となる。

もちろん、そのだらっと弛緩した様子を、
自分は見ることはできない。

生きている状態と、死んでいる状態は、
何が違うのだろう。

生きている限り私たちを駆動している
なにものか。

それが、いかにして止まってしまうのだろう。

生命とは何か。この重大な問いに
科学はもちろん答えを出していない。

生きていること自体が大きなミステリー。

ごく小さなことの中に、真実はかくれんぼしている。

生きていることには大いなる回復力がある。

収録中、スタジオの椅子に座っていると
右足がなんとなくぬくぬくして感じられる。

「おっ、少し治って来たかな」と思った。

収録を終え、いつものように日経BPの
渡辺和博さんと今日の話しの内容をふりかえる
ためにM室に向かう。

なんということか、
すたすた歩ける。まだ痛みはあるけれども、
歩いていくことができる。

ありがたい。生命の回復力は、ありがたい。

死ぬということは、この回復力が
なくなっちまうということなんだろう。

打ち上げの席で、ディレクターの池田由紀
さんに素敵な話を聞いた。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の前身の『プロジェクト X』の頃から
有吉伸人さんと一緒に仕事をしている
池田さん。

 有吉さんは、プロデューサーになる
時、「これで成仏できる」と言ったのだという。

 ディレクターの時は、自分でロケ
ができるし、編集もできる。

 プロデューサーになると、基本的には
自分でロケはしない。

 プロデューサーになるということは、
ロケをしたり編集したりすることを
諦めるということ。

 それを、有吉さんは「成仏」と言った。

 「おい池田」と有吉さんは言ったのだという。

 「もうこれで、オレは番組を直接作れない
けれども、でも、これを放送に出して恥ずかしい、
というものを一個も作らないままに成仏が
できて良かったよ。」

 その話しを聞きながら隣りの有吉さんを
見ると、おいしそうに好物の鳥の唐揚げを
食べている。
 
 「成仏」しても、有吉さんの魂の回復力は
みずみずしく。

 生命はなんて素晴らしいんだろう。

 みんな、生きていてよかったじゃないか。

 有吉さんと局まで歩いて戻る。

 交差点の前に、大きな桜。

 そうか、もうこの桜を4年も見ているんだなあ
と思った。

4月 10, 2009 at 06:40 午前 | | コメント (22) | トラックバック (4)

2009/04/09

アインシュタインの孤独

昨日アインシュタインのことを話して、
思い出したので。

アインシュタインの孤独

 人類が歴史上耳にしたさまざまな音楽の中でも、楽聖ベートーベンによる交響曲第7番はもっとも「生命の躍動」(エラン・ヴィタール)に満ちた曲の一つだろう。とりわけ、第4楽章の熱狂的なフィナーレは、聴く者に心が沸き立つような強い印象を残す。
 ワグナーはこのシンフォニーを「神格化された舞踏」と絶賛した。古代ギリシャにおいて、すぐれた人間が「神」の領域へと祭り上げられるという伝統を踏まえた「神格化」という言葉。ベートーベンの生み出した名曲の魅力を伝えて余りある。
 生命というものの本質は活気に満ち溢れた動きの中にある。そして、生命の活気は私たちをどこへ導くかわからない。
 小林秀雄はかつて、川端康成に向かって「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。」と看破した。「何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例し」がない。「其処に行くと死んでしまった人間というものは大したもの」である。「まさに人間の形をしている。」「してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。」(小林秀雄『無常といふこと』)
 歴史を動かすのは、「何を仕出来す」のかわからない人間たちである。私たちは、ついつい評価が定まった動かしがたいものとして「過去」をとらえがちだ。しかし、本当に歴史を生きるためには、何を仕出来すかわからない、将来がどうなるかわからない「今、ここ」に寄り添って考え、感じてみなければならない。
 時間と空間に関わる画期的な新理論を生み出し、人類の宇宙観を一変させたアルベルト・アインシュタイン。1921年に「光量子効果」の発見などの功績に対してノーベル物理学賞を受けた。ポピュラー・カルチャーの中でも、その独特の風貌が人気のあるアイコンとなっている。まさに、「天才科学者」の代名詞である。
 アインシュタインの独創性の人類の歴史における地位は揺るぎない。その一方で、すでに確立したものに安易に依拠することほど、「創造性」の本質から遠いことはない。アインシュタインという一人の生身の人間の「生命の躍動」に向き合うには、その無名時代を想像の中でもう一度生きてみなければならない。
 どんな偉人でも、若いうちは不確実な未来に打ち震える一つの魂に過ぎない。自負は持っていただろう。しかし、自分がやがて人類の世界認識に革命を起こすということを確信できていたはずがない。無名な若者の胸中に流れる、ベートーベンの第7シンフォニーのような躍動感。その「生命の旋律」を想像することの中にこそ、歴史について考える醍醐味はある。
 アルベルト・アインシュタインは1879年3月14日にドイツのウルムに生まれた。1900年にチューリッヒ工科大学を卒業。友人たちは大学に残ることができたのに、教授に「なまけもの」と決めつけられたアインシュタインは地位を得ることができなかった。
 二年近くも職探しをした後に、やっと特許局に審査官の口が見つかった。アインシュタインは後に、特許局で「街の発明家」たちの錯綜したアイデアを聴き、簡潔な書類にまとめ上げることが大いに知的訓練として役だったと回想している。たとえそのような利点があったとしても、胸にほろ苦い失意の思いがなかったはずがない。
 アインシュタインと最初の妻ミレヴァは、1903年に結婚した。前年、二人の間には娘が生まれているが、里子に出されたとも言われ、その後どうなったかは明らかではない。無名時代のアインシュタインの生に寄り添ってみれば、そこには未来を見通すことができない心細さがあるばかりだ。
 1905年は、アインシュタインにとって「奇跡の年」となる。「運動する物体の電気力学について」と題された論文は、「二つの出来事が同時に起こるということはどういうことか?」という疑問から出発して、時間と空間をめぐる人類の認識を根底から書き変えた。いわゆる「特殊相対性理論」の誕生である。
 アインシュタインは、さらに、水中で小さな粒子がランダムに動く「ブラウン運動」の原理を説明する論文も発表した。ノーベル賞の対象となった「光量子仮説」も、この「奇跡の年」に発表している。
 数々の画期的な発見を発表したアインシュタイン。どの一つを取っても、物理学の歴史に残る重要な貢献だった。それでも、アインシュタインはすぐに大学に職を得られたわけではなかった。しばらくは、特許局に勤務し続ける。ベルン大学に地位を得たのは、1908年のことである。
 「奇跡の年」を迎える前の、アインシュタインの姿を思い浮かべてみる。「光を光のスピードで追いかけたらどのように見えるか。」容易に答の出ない難問に取り組み、一人暗闇の中を模索する青年。友人たちや妻たちに支えられていたとはいえ、アインシュタインはその真理への苦闘において孤独であった。
 歴史の中には偉人たちが数多く登場する。彼らが与えるインスピレーションが、人類の文明を前進させる。その光輝に私たちは惹き付けられる。しかし、本当に味わうべきはその世間的栄光ではなく、無名時代の孤独である。
 ものになるかわからない。果たしてまともに生きていけるかさえわからない。そんな中でも希望を失わず、努力を惜しまなかった若きアインシュタインの孤独の中にこそ、本当の栄光はある。
 歴史は、結果論ではない。どうなるかわからぬ未来への前進の中にこそ、人間の精神の「神格化された舞踏」は鳴り響く。その調べが、私たちの生に恵みを与える。

茂木健一郎『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)より、
「アインシュタインの孤独」(全文)

4月 9, 2009 at 09:43 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

オークション

チャリティーイベント
Tote as Canvas 
にて、私の作品「水成論と火成論」
がオークション中です。

オークションページ 
(2009年4月12日20時43分まで)

4月 9, 2009 at 07:56 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

私のねんざで

 走るという習慣は、小学校の
ときからで、
 とにかくずっと走ってきた。

 走る人の宿命で、時々足を
痛めることがある。

 石でつまづいて転ぶことも
ある。

 朝、公園の森を走っていた。

 私はわざと道ではないところを走る。

 斜面を一気に駆け下りようとして、
右足をひねった。

 地面との関係か、足がちょっと内側に
向いたまま着地してしまったらしく、
 曲がった足首の上に、すごい勢いで
体重が乗っていった。

 グギッ!

 一瞬の出来事だった。

 走り始めてから10分後くらい。

 少し時間に余裕があったから、
サッカーのハーフタイム(45分)くらいは
走ろうと思っていた。

 しかし、グギッ! となった瞬間に、
「あっ、これはもう走れないな」と悟った。

 脱力して、しゃがみ込みたくなった。

 そのままトボトボ歩いて帰る。

 早稲田のリーガロイヤルホテルで、
桑原茂一さん、吉村栄一さん、佐々木厚
さんにお目にかかる。
 Club Kingのdictionary
取材。

 「How to argue」について。


桑原茂一さん、吉村栄一さんと(佐々木厚さん撮影)
 
 もいちさんが、坂本龍一さんの
コンサートでの出来事を話して下さった。

桑原茂一Diary

 心が動いた!

 右足が痛い。

 早稲田大学のキャンパスを、足を引きずりながら
とぼとぼ歩く。

 Modern Brain Scienceの第一回目の
授業。

 内田亮子さんにお目にかかる。

 聴講者は、
 300名を抽選で100名に絞った由。

 Mirror and self cognitionの話しをする。

 PHP研究所の横田紀彦さん
が迎えにきて、有楽町の東京国際フォーラムへ。

 『ラフォルジュルネ』についての記者会見。

 続いて何件か取材を受ける。

 初台の東京オペラシティ。

 『題名のない音楽会』の収録。

 佐渡裕さんが、高校生の時に
コンサートに行き、楽屋でポスターにサインを
してもらって、その場でレッスンをつけて
もらったという
Peter-Lukas Grafさん
と佐渡さんが共演。

 まるで少年のような顔をして
フルートを吹く佐渡裕さん。

 初心に還る人は、生命を更新する。

 グラーフさんの語るフルトヴェングラー
の人となりが素晴らしかった。

 最初からスタジオに座っているのとは違って、
かなりの距離を歩いていかなくてはならない。

 本番前に、ディレクターの方に
相談した。

 「今朝ねんざしたので、足を引きずります。
どうしましょう。」

 佐渡さんが、あらかじめ「茂木さんは
ねんざしました」と説明して下さることに。

 超満員の大ホールのステージを、
一生懸命歩いた。

 「放送でどう処理されるのか、楽しみですね」
と横田さん。

 私のねんざで、横田紀彦さんの楽しみが
増えた。

 アインシュタインについての本を作ろうと、
横田さん、桑原晃弥さん、吉田宏さん
新宿二丁目の梅寿司で打ち合わせ。

 桑原さんと吉田さんは、
『ひらめきの導火線』 
を聞き書きして下さった
名コンビである。

 「キャミー」こと、木南勇二さんも
いらっしゃる。
 
 ねんざで始まった一日だったが、
アインシュタインの話をしていると
俄然元気になってきた。

 ばあばあと大爆発する。

 世間の常識をちぎっては投げ、
ちぎっては投げ。

 本質的問いと、具体の間に
キラーパスを通すこと。

 横田さん、木南さんとタクシーで
帰る頃には再び悄然とした。

 当分は走れないな。

 夜道を右足を引きずってとぼとぼ歩く。

 横田さんが親切に買って下さった
湿布薬を右足首に巻いて眠る。

 朝起きたら、3分の1くらいがはがれて
朝日に白く光っていた。

4月 9, 2009 at 07:50 午前 | | コメント (21) | トラックバック (1)

2009/04/08

文明の星時間 セコイアの時間

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第59回 セコイアの時間

サンデー毎日 2009年4月19日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 子どもの頃から、巨木が好きだった。
 最初に意識したのは、家の近くの神社の境内にあったイチョウ。虫取りに行った時など、まぶしい思いで見上げた。「御神木」ということで、囲いをされ大切に扱われていた。幹にはぐるりとしめ縄。正月になり真新しく変わると、子ども心にもぎゅっと気が引き締まって神聖な思いがした。
 大学の時には、東京の文京区にある小石川植物園に通った。園の奥の方にあるプラタナス(すずかけの木)を見に行くためである。確か三本並んでいて、そのうちの一つがとりわけ大きかった。説明書きを読むと、文明開化で日本に入ったプラタナスのうち、初期のものとあった。
 冬の日など、見上げるとすがすがしい気持ちになった。すずかけの木特有の白を基調としたまだらの樹皮。晴れ上がった空を背景に、樹体がまるで山容のように雄大に見えた。その凄まじい美しさに、足元がくらくらとした。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

本連載をまとめた
『偉人たちの脳 文明の星時間』(毎日新聞社)
好評発売中!

4月 8, 2009 at 07:41 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

タタラ、タタラ、タタラというリズム

 仕事をしながら東京へ。

 電通でミーティング。

 NHK。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

 武装解除の瀬谷ルミ子さんの回。

 担当は、池田由紀ディレクター。

 内線で傷ついたアフリカのスーダンで、
DDR(武装解除・動員解除、社会復帰)の
仕事をする。

 入魂のVTRを流しながら、
池田さんが心を込めてコメントを
読み上げた。

 打ち合わせの席順は、
右側にモニターがあるとして、
いつもこのようになっている。

 山口佐知子 デスク  ディレクター

        机

 有吉伸人 茂木健一郎 住吉美紀

山口佐知子さん(さっちん)は、いわずと
知れたスーパーフロア・ディレクター。

 今回のデスクは、河瀬大作さん。

 ぼくは、いつも、住吉美紀さん(すみきち)
の向こうに
VTRが流れるモニターを見ることになる。


「主な登場人物」 河瀬大作さん


「主な登場人物」 山口佐知子さん


「主な登場人物」 池田由紀さん


「主な登場人物」 有吉伸人さん

 すみきちは、仕事でタヒチに行ってきた
ばかり。

 ふと気付くと、なんだかすみきちの
腕がこんがりしているような気がする。

 顔は、日焼け止めを入念に塗ったということで
以前のように白くてきれいだけれども、
 腕はこんがりトーストのようになっている
ような気がする。


「こんがりトースト」すみきちの腕

 「腕は焼けたね!」
と言ったら、「そうですねえ」とすみきち。

 タヒチがえりのすみきちは、何だか、
髪に花を挿しているような雰囲気だった。


髪に花を挿しているような

 移動中や、待機中に、手元が
ダダダと機関銃のように動く。

 ぼかあもう、首のところまでやるべき
事にどっぷり浸かってしまっている。

 論文や、考えることや、原稿や、
その他いろいろ。

 こういう人生は幸せなのかねえ、どうなんだ、
春風君。

 『エチカの鏡』の収録。

 タモリさん、高島彩さん、田村淳さん、
優香さん、岡江久美子さん、柴田理恵さん、
ゴリさん、天海祐希さん。

 それぞれの人の音楽を聴く。
 
 天海祐希さんは
宝塚の舞台からそのまま飛び出して
きたような不思議な魅力の人
だった。
 
 遅い夜ごはんは、弁当を食す。

 その後さらに仕事をしようとしたが、
さすがに脳が疲れている。
 
 ダダダダダダとはいかない。
 タタラ、タタラ、タタラという
リズム。

 こりゃあかん、と思って、眠った。

 今朝はぜひにも公園の森を脱兎しなくては
ならぬ。

 春風の中、自分の魂の芯を
ほぐしに走る。

4月 8, 2009 at 07:34 午前 | | コメント (14) | トラックバック (2)

2009/04/07

プロフェショナル 伊東豊雄

プロフェッショナル 仕事の流儀

まだ見ぬ未来を、創造せよ

~建築家・伊東豊雄~

ぼくは、伊東豊雄さんに
「配列の魔法」を教えてもらった。

世の中にさまざまなものが並びたつ
ことの不思議と恵み。

伊東さんの手から繰り出される
「配列」は、本当に
不可思議な魅力をもっていた。

NHK総合
2009年4月7日(火)22:00〜22:49

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
創造性と公共性を両立させる
建築家・伊東豊雄
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

4月 7, 2009 at 08:48 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

大きな夢を見るために

黛まどかさん主催の「湯河原句会」
に参加。

熱海に向かう新幹線。

関根崇泰と一緒に乗って、
論文の議論をした。

疑問点、懸案がかなり明らかに。

熱海で別れる。

「日帰り温泉もたくさんあるから、
何か入って帰りな!」

後で、関根からメールが来た。

From: sekine
To: kenmogi
Subject: 熱海まで、ありがとうございました!(関根)
Date: Mon, 6 Apr 2009

茂木さん

今日は本当にありがとうございました!

新幹線の中の議論ですが、理解がホットなうちに
うまく論文に反映させてあげてやって下さい

関根@ようやく横浜。せっかくなので温泉に浸かってきました、より
 
熱海からタクシーで海辺の道を走る。

会場は「藤田屋旅館」。

参加者は、次の通り。

山折哲雄(宗教学者)
鈴木秀子(文学博士)
小川後楽(小川流煎茶六代目家元)
小林研一郎(指揮者)と奥様
麻殖生素子(屏風作家)
坂東三津五郎(歌舞伎役者)
中村芝雀(歌舞伎役者)
伊奈久喜(日経新聞論説委員)
茂木健一郎(脳科学者)
蜂谷宗苾(香道志野流次期家元)
増田明美(スポーツジャーナリスト)
黛まどか


まずは蜂谷宗苾さんによる「聞香」。
「客」となる香りの扱い方に
感心する。

黛まどか師匠の指導による
句会。

三津五郎さんはさすがに慣れていて、
何ごとも手際良い。

「こばけん」こと小林研一郎さんの
愉快なトークはまるで音楽のように。

清書をするのに、俳号を決めろというから、
しばらく虚空をにらんで
「嵐樹」としたら、
黛まどかさんが「こんなのきれいすぎる
わよ。」
と言う。

「ケンケンは、****でいいわよ。
****で決定。ぴったり!」
とまどか師匠。

ニュースをにぎわす時事キーワードが私の
俳号になってしまった。

あとで回って来たのを見たら、
「天保の丼」と書いてある。

ありがたく拝命するが、この俳号は
第一回 湯河原句会限りということだったら
いいなあ。

よろしいでしょうか、まどか師匠。

照り桜 第二ボタンの 糸の跡 
              天保丼

句会がはねて、みなで楽しく
話す。
私は、三津五郎さんが「高知では
大きな夢を見るために大晦日と正月に
鯨を食べる」という興味深い話をされている
のを聞きながら、
締め切りが迫った仕事を手元でしていた。

増田明美さんが「何をしているんですか」
とお尋ねになるので、「原稿を書いています」
とわざと沈んだ調子で答え、差し入れの
森伊蔵をぐびりとやった。

部屋に帰って寝る段になったら、
何となく寒く感じた。

そんなもんは信じていないが、
最近幻想の神経機構について
考えていた影響で、幽霊が出ると
したら今日この部屋だろうなと思った。

そう考えると、風呂場から漏れる
光が障子を越えてやってくる様子も、
いかにも幽霊が出そうである。

実在を信じていなくても、心的表象
としてリアルな幽霊を見るのは、いやだ、
と思った。

なるべく暖かくして寝ようとおもった。

旅館の浴衣だけでは心配で、
セーターを着て、さらにはズボンも
履いた。

ズボンの中の財布や携帯やらを、
床の間にきれいに並べた。

それでも何となくいやな予感が
しながら頭を床につけたら、
まもなくすやすや眠ってしまった。

何のことはない。気付くと朝である。

今度は鯨を食べて眠ってみよう。

すずしい顔で朝風呂に入り、
宿を出た。

仕事をしようと思ったが、
桜が満開から名残へ。
あまりにも気持ちの良い
熱海への道。

手元をとめ、耳を傾ける。

新幹線の人になってから、日記を書き継いだ。

4月 7, 2009 at 08:18 午前 | | コメント (18) | トラックバック (2)

2009/04/06

生きた体系性

 インターネット上に欠けているものは、
「有機的体系性」である。

 検索エンジンでキーワードを
入れると、ばらばらの情報に到達する。

 それは、多くのセレンディピティや
洞察をもたらすものではあるが、
ある出来事について、まとまった
体系性を示しうるものではない。

 そして、体系性とは、突きつめれば、
ひとりの生きている人間によってしか
担保され得ないのだということに
思い至る。

 明示される知識だけではない。
 暗黙知を含め、その人の生きてきた
履歴の中で、耕されてきた容易には
眼に見えない有機体こそが、この世に
おいて価値のある「体系性」なのだ。

 たとえば、塩谷賢からもらった
メール。

__________
From: "Ken Shiotani"
To: "Ken Mogi"
Subject: 指輪について
Date: Sun, 5 Apr 2009

to Mogi

金曜日の指輪第1夜どうだった?
序夜を見ていたとき、
劇場は、見る場なのか、参加する場なのか、巻き込まれ解体される場なのか、
そのような問題に対して人間類型の創造ということがどういうことなのか、
オペラ=「綜合」芸術とはどのような効果をもたらすのか
などといったことが気になっていた。

9日に見に行く。そのあたりでゆっくり飲みながら話したいなあ。

Ken
__________________

ここには、塩谷賢という人間の、
まぎれもない「生きた体系性」
が現れている。

最初の「to Mogi」から、
「見る場なのか、参加する場なのか、巻き込まれ解体される場なのか、」
あたりまで、紛れもなく塩谷からでなければ
生まれ得ない言葉の配列。

18歳の春から慣れ親しんだ、
塩谷という男の精神運動の感触のような
もの。おおそうだ、塩谷という生きた体系性
の中では、このような思想が育まれて
いるのだ。

メール中にある「指輪第一夜」とは、
つまりは『ワルキューレ』 
のこと。

ワルキューレの素晴らしい芸術に接し、
ついでに塩谷賢を
見たい人は、9日に新国立劇場に
行ったらいかがでしょう。


塩谷賢氏

人とじっくり時間をかけて向き合うことの
歓びは、つまりは生きた体系性と響き合う
ことの中にある。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
血管外科医の大木隆生さん。

壮絶なまでのお仕事ぶり。
そして、高い志。

純粋なるものが、一番遠くまでいく。

自らビデオカメラを持ち
宮崎駿さんに長期密着取材して、
希代のクリエーターの創造の秘密に迫ったる
「NHKのマイケル・ムーア」
荒川格ディレクターが、
また名作を創り上げた。


荒川格氏

細田美和子デスクいわく
「私は、VTRを見ていて号泣しました。
涙がとめどもなく流れて止まりませんでした。」


細田美和子氏

放送は2009年4月14日。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
は、ゲストの「生きた体系性」に迫る。

***

「ワルキューレ」について、
新国立劇場の梅田潤一さんからいただいた
情報です。

 昨日はご来場いただきありがとうございました。今回の「ワルキューレ」は、私ども職員も大感激の出来栄えで、スタッフ、キャストの皆様にただただ深謝であります。
 また、茂木先生におかれましては、公演プログラムの山崎太郎先生との対談におきまして、ご多忙の中お時間を割いていただき本当にありがとうございました。この対談も大評判で、早くも後半2作品での対談を待望する声が寄せられております。
 このブログで、京都大学生の方が来場されていたことを知り、またまた感謝感激であります。
 ただ、オペラはやはり多くの学生の皆様には高額です。新国立劇場では色々な学生優待制度を用意しておりますが、最近お薦めしておりますのが「アカデミック・プラン」です。25歳以下の方を対象にした登録制の優待制度で、公演2週間程度前にS席に残券がある場合、登録者にメールでお知らせし、希望者は5,000円で購入できるというものです。「ワルキューレ」は4月9日(木)17:00と15日(水)14:00が対象日で、現在受付中です。このような凄いプロダクションのS席を5,000円(定価26,250円)で鑑賞できるのは25歳以下の若者だけの特権なので、多くの若者に利用していただきたいと思っております。
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/10000439.html 


 茂木先生にこの公演をご推薦いただけましたので、宣伝めいて心苦しくはございますが、よりお安くご覧いただける方法をご案内させていただきました。
 ご免下さいませ。 
新国立劇場営業部 梅田潤一

4月 6, 2009 at 08:40 午前 | | コメント (16) | トラックバック (7)

2009/04/05

美を求める心

朝日カルチャーセンター
対談 美を求める心

白洲信哉 茂木健一郎

新宿 住友ホール
2008年4月10日(金)
18時30分〜20時30分

この度著書
『白洲家の流儀』 (小学館)を上梓された
白洲信哉さんと、美をめぐって
対談します。

白洲信哉の「高貴なる野蛮」。

対談で何が飛び出すか、何が起きるのか、
ホスト役の私にも全く予想ができぬ!

この対談だけは見逃せない!
スリリングな展開を瞠目して待て!

詳細 

4月 5, 2009 at 08:29 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

いや、これは水なんだ

中野香織さんと対談する。

ケンブリッジ大学にvisiting scholarとして
留学していた中野さん。

ご専門のファッションのこと、イギリスの
ことなどで話が進んだ。

私は服装には無頓着で、一年中
同じかっこうをしている。

この冬は、ジャケットは一種類しか
着ていなかった。

今着ているセーターには穴が開いている。

中野さんとお話していて、そうか、それは
それで「服装に無頓着な学者」という
ファッション・ステートメントなのだと
気付いた。

ケンブリッジの学者たちを思い出すと、
彼らの服装は実にひどい。
ずっと同じ格好をしているし、セーターに
穴も開いている。

一つの味になっていることは、林望さんとの
対談本『教養脳を磨く』 
にもある通り。

「世界一受けたい授業」の収録。
生理学研究所の柿木隆介先生が
EEGの計測をされる。

スタジオでEEGを計測するのは
難しいが、柿木さんの技術で
興味深い結果が出た。

島田雅彦がニューヨークでのサバティカル
から帰ってきた。

神楽坂にて、対談。

最近の国際情勢のこと、未来図。

島田は「風花で待つ」と言って、
ゲラを取りに消えていった。

Chikaでの二次会が終了後、集英社の岸尾昌子さん、
写真家の中野義樹さんと「風花」へ。

島田がてらてらしながら飲んでいた。

川上未映子さんが、文藝春秋の
大川繁樹さんといらしていた。

島田が、カウンターから身を乗り出して
サーバーを押そうとしたので、
「おい、ビール勝手に注いでいいのか?」
と言うと、「いや、これは水なんだ」
と島田。

細い蛇口から、ちょろちょろちょろと
水が出ると、島田は、「喉がかわいていたんで
ね」とうまそうに飲んだ。

そのうちに、私がしている
スウォッチの時計に目をつけた。

私は金属の時計が苦手で、外国に
行く度に、出国の際免税店でスウォッチ
を買って、腕につけている。

「交換しようぜ」と島田。

「君のは高級時計じゃないのかい。
オレのはスウォッチだぜ」と言うと、
「いや、オレのは、マイルドセブンを
二箱買うともらえるんだ」とつぶやきながら
島田はもう時計を外している。
結局、絵の具がたらりと流れたような
デザインの私のスウォッチは、島田の
腕に収まった。

私の手元には、MILD SEVENという
ロゴが入り、文字盤の下にデジタルの
表示もある景品時計が渡される。

日付が変わった。

私は、
「オレは明日も早いから、じゃあ」
と言って、先に「風花」を出た。

島田からもらった時計は、金属では
ないものの、ちょっと重くて、
腕につけておくとすぐにズボンの
ベルトを通すところにくっつけて
しまいたくなる。

だがしかし、
今度島田と会う時には、忘れていなければ
つけていくことにしよう。

4月 5, 2009 at 08:08 午前 | | コメント (13) | トラックバック (0)

2009/04/04

めざせ! 会社の星

めざせ! 会社の星

NHK教育 2009年4月4日(日付が
変わって4月5日)午前0時〜0時25分

http://www.nhk.or.jp/kaisha/ 

NHK名古屋放送局の
山本隆之さん(タカさん)からのメールです。

----------------------

From: 山本 隆之
To: "'Ken Mogi'"
Subject: NHK名古屋・山本よりお礼&番組のお知らせ
Date: Thu, 2 Apr 2009

茂木様

上野のお花見、どうでしたか!?
山本(隆)@名古屋です。
先日、茂木さんに来ていただいた「めざせ!会社の星」、
こんどの土曜深夜、いよいよ放送となります。
2週に渡り、たっぷりと茂木さんのお話を
詰め込ませていただきました。
「腹の上のポニョ」も入ってます(笑)。
「アンジャッシュ児嶋さんのオバマ風演説」も入ってます(笑)。
本当に、ご出演いただき有り難うございました!
(添付写真は、アンジャッシュさんと茂木さんのトークの様子です)

「めざせ!会社の星」
http://www.nhk.or.jp/kaisha/
「トーク術(1) 愛されキャラになりたい!」
NHK教育 4月5日(日)午前0時〜0時25分(土曜深夜)
「トーク術(2) 人を動かすビジネストーク」
NHK教育 4月12日(日)午前0時〜0時25分(土曜深夜)
※ 再放送は月曜夜11時30分〜
※ 中部7県には、金曜夜10時55分から先行放送あり!

山本 拝

山本 隆之
NHK名古屋放送局 制作部 チーフプロデューサー

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4月 4, 2009 at 07:48 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

ワルキューレ

 霞ヶ関の総務省にて、平成21年入省の
方々を前に講演させていただく。

 研修3日目ということで、
フレッシュで熱意にあふれた
顔が印象的だった。

ソニーコンピュータサイエンス研究所

学生たちと、チェゴヤでランチを食べながら
話す。

関根崇泰、石川哲朗、柳川透と
セブンイレブンに行って
「買い出し」をする。

新国立劇場。

『ワルキューレ』。

今回の講演のパンフレットに山崎太郎さんとの
対談が掲載されているご縁で、
お招きいただいた。

素晴らしいプロダクションだった。

とりわけ、ジークリンデの
マルティーナ・セラフィンが素晴らしい。

虐げられ、追い詰められ、苦しみの
中にある女が見いだした一筋の光明。
「これで、生きていける」という希望。

その春の訪れの爆発的歓びと底に
流れる不安。

ジークムントとジークリンデの二重奏で、
音楽の美しい奇跡が降臨した。

オーケストラが素晴らしい。
ダン・エッティンガーが東京フィルハーモニー
交響楽団からふくよかでつややかな響きを
引き出した。

昨日は初日。
まだ何公演かあるので、このプロダクション
は絶対に見に行くべきだ。

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000074_opera.html 

日本でこの水準のものが見られるとは、
時代が変わったものである。

山崎太郎さんはもう一回行くとのこと。

塩谷賢も、行くと言っていた。

終演後、ロビーを歩いていたら
呼び止められて、パンフレットの対談ページに
サインを依頼された。

聞くと、京都大学の1年生で、京都から
来たのだという。

「お前、偉いな!」と叫んだ。

思えば、学生の頃から、アルバイトで
得たお金を注ぎ込んでオペラに通って
いた。

会場で、塩谷賢とか、山崎太郎とか、
和仁陽とかと遭遇した。

世の中にはそのような最上のものが
あるんだと知らなければ、何も始まらない。

京都からわざわざ来た君、ぼくは
君の中に過去の自分を見たよ。

終演後、劇場上の
「マエストロ」で、山崎太郎さん、
文化人類学者の上田紀行さん、
サントリー音楽財団の佐々木亮さんと
感想を語り合った。

『ワルキューレ』、良かったなあ。

良いものに接すると、生きる勇気がわく。
とても書ききれるものではない。

良いものだけを見て、そこだけに
選択的注意を向け、自分の中で大きく
おおきく育てていけばいいんだよ。

4月 4, 2009 at 07:48 午前 | | コメント (13) | トラックバック (4)

2009/04/03

信じられる友がいるならば

有吉伸人さんと話していて
思った。
プロデューサーは孤独である。

さまざまなことを、全部自分で
決めていかなくてはならない。

相談する相手もいないのである。

そんなことを話しながら、
有吉さんはフリスク(ブラック)に
手を伸ばして食べた。

ぼくの脳の中で、ミラーニューロンが
活動した。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

今回の担当は、荒川格さん。

荒川さんが、宮崎駿さんを取材した
名作の後、一体どのような番組をつくるのか、
これはスゴイぞ!

花見。
石川哲朗くんが
本当にすばらしい働きをしてくれた。
石川くん、ありがとう。
こころから、ありがとう。

君がChief Hanami Officerをした
「はなみ2009」は永遠だ。

粟田大輔が教えてくれた
大庭さんの展覧会も素晴らしかった。

http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibition/data/090306daisuke_ohba/ 

世界は実に美しいじゃないか、ねえ、君。

午後8時に灯りが消えたあと、
芸大の授業のあとにいつも飲んでいた
砂場の横のスペースに移動して
さらに飲んだ。

塩谷賢もきたぞ!

いろいろな思い出が通り過ぎた。

ぼくたちは若かった。
ぼくたちは若い。

不安でいっぱいだった。
不安でいっぱいだ。

希望にすがりついた。
希望にすがりつく。

信じられる友がいるならば
その手に触れて、ぬくもりを
感じたまえ。

心の宇宙の中で、神の真理と
手のぬくもりの占める大きさは
全く同じだ。

石川哲朗からメールをもらった。
________

みなさま、今日はお花見おつかれさまでした。たくさんの人に楽しんでいただけたみたいでうれしかったです。
家に着くまで無事に帰って、余韻にひたってください。ありがとうございました。幹事冥利につきる花見でした。
みんなの喜んでるのを見るのがこんな気持ちいいなんて初めての経験でした。
今年一年もがんばりましょう!応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました!
石川哲朗
____________

寺町健
からメールをもらった。

_____________

茂木さん

寺町です。

昨日は久しぶりに上野公園で飲み、あのころの木曜日の夜に飲んでいた事を思い出しました。
単に楽しかっただけでなく、あの空間と時間には様々な事が詰まっていた事に、改めて気づきました。
あの丸い砂場での記憶を忘れないようにしようと、強く思った花見でした。

小さいところにおさまっているのではなく、もっと本質的な事に立ち向かって行こうという気が奮い立ちました。

______________

戸嶋真弓さんからメールをもらった。

__________
石川さん

幹事さんお疲れ様〜。o(^_^)o
楽しいお花見をありがとうございました。
場所もバッチリで、桜を堪能することができました。
いろいろな人が、個人で、団体で楽しめることは、本当に
すばらしいことですね。

あらためて思います。
世界はすばらしい。

としままゆみ
_________________
 ばんざい、みんな青春だ。

ばんざい、ばんざい、えいえいおー。

まあ、生きているうちが花なんだから、
せいざいやりたいことをやろうよ。

4月1日にエイプリルフール書いていて、思ったよ。
あとせいぜい40回エイプリルフール書いたら、
おさらばだなあ。

みんな、助け合って、仲良くやろうよ。

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二。

4月 3, 2009 at 09:33 午前 | | コメント (20) | トラックバック (3)

2009/04/02

花見情報

今年のChief Hanami Officer (CHO)の石川哲朗くんからの
情報です。
花見は、石川くんがとってくれた場所から、東京都美術館前の「子ども公園」
あたりにかけて行われるものと思われます。

_____

みなさま

お花見の場所を確保してシートを敷き詰めました。

場所は、上野駅公園口から芸大の方に進み、動物園入口を正面に見ながらまっすぐ進んで、左前に騎馬像(小松宮親王像)が見えたらその目の前です。
子供公園(芸大飲みの場所)に行くすぐ手前、左方向に桜並木がのび始める入口になります。
もしわからなかったら連絡ください。

とってもぽかぽかしてて気持ちいいです。
みんなが来るの待ってます。

いしかわ

____


石川哲朗氏

4月 2, 2009 at 01:27 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

お花見

関係者のみなさま
本日、お花見です。

個々人にご連絡は差し上げませんが、
ぜひゆかりの方々御集合ください。

以前東京芸術大学の授業のあと飲み会をしていた
エリア(上野公園の、東京都美術館付近)
で行う予定です。

私は17時くらいからいますが、学生たちや一部の有志はそれより
前からいるものと思われます。

場所がわからなくなったら、私か、電通の佐々木厚さんか、
花見に来そうな人にご連絡ください。

4月 2, 2009 at 07:18 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

エイプリル・フール

昨日の日記は、「エイプリル・フール」
である。為念。

もう何年か、4月1日の日記は
現実ではないことのさまざまを書いている。

毎年楽しみにして下さっている
方もいて、私自身も、4月1日になると、
「ああ、一年経ったか」と感慨深い。

このブログを再編集して本とした
『やわらか脳』 にも、
何年分かの「エイプリル・フール」
の日記が収録されている。

「エイプリル・フール」は、小学生時代から
親しんでいて、
その頃は、「嘘をついていい日」
ということで友だちどうしで
デタラメを言い合うことを楽しんで
いた。

本格的な「エイプリル・フール」
の文化を知ったのは、イギリスに
留学していた頃で、
4月1日になると、新聞を買ってきて、
「ああ、これだ」「あったあった」
と確認するのを楽しんでいた。

「エイプリル・フール」の記事には
いくつかの流儀がある。

虚偽の内容が、人を傷つけるものでは
ないこと。読んでおもわずにやりとして、
温かい気持ちになるようなものであること。

それでいて、何らかの批評精神に
あふれていること。
現実の世界に対して、新しい視点を
提供するものであること。

記す時には、それが「エイプリル・フール」
であるということを一切明らかにしないこと。
日本の新聞などでは、記事があっても、
「今日は4月1日です」とか、
「これはエイプリル・フールです」
と断るものがあるが、それでは味わいが
半減する。あくまでも真面目に、
本当のことであるかのように書くこと。

今年のイギリスの新聞のエイプリル・
フール記事が『ガーディアン』の
サイトでまとめられている。

April Fools: What was your favourite?  

「イギリスのサッカーファンは、ワールドカップ
予選のウクライナ戦で、世界一長い国家を
聞くという困難に心の準備をしている」

「エコノミスト誌は、エンタティンメントと
マクロ経済学を結びつけた「エコノランド」
のオープンの準備をしている」

などなど。

「クオリア日記」での次の「エイプリル・
フール」の記事は2010年4月1日に
なる予定です。

みなさん、また一年後にお会いしましょう!

一年後だと、4月1日だということを忘れて、
一時的に「騙される」人もいるかもしれません。

「ヨミウリ・ウィークリー」で長年お世話に
なった、讀賣新聞の二居隆司さんのように。

___________

From: 二居隆司
To: "Ken Mogi"
Subject読売・二居です
Date: Wed, 1 Apr 2009
Organization: 読売新聞社

茂木さま

お世話になっております。

先般お願いさせていただきました・・・・
(中略)

本日のブログ、とてもいい話だと思いながら読み進むうちに、
きょうが4月1日だということに気がつきました。
確か、これを始めて2年目ぐらいのときに、
本気で信じて取材を始めようとし、次の日冷や汗を
かいたことを思い出しました

二居 隆司(Takashi Nii)

___________

お気をつけください!

柳川透くんの博士論文発表会と、
箆伊智充くんの博士論文中間発表。

ふたりとも立派に出来て、安心して
見ていることができた。

そろそろ、桜も満開だ。

4月 2, 2009 at 06:28 午前 | | コメント (23) | トラックバック (3)

2009/04/01

空き地連盟

 子どものころは、家の近くに
「空き地」がたくさんあった。

  家の建築前だったり、あるいは
休耕田だったり、その時々の事情はもはや
忘れてしまっているけれども、
 放置されて雑草が生えているような土地は
あちらこちらにあった。

 子どもはそういうものを見つけると、
あっという間に「もぐりこんで」行って
しまう。

 草野球をやったり、段ボールで
「秘密基地」をつくったり、いろいろな
遊びをしたものだ。
 
 あの頃、
 「空き地」は、夢と創造性を育むかけがえの
ない存在だったと思う。

 ところが、最近は世知辛くなってきた。
 現在利用しないで放置されている
土地でも、ロープが張られたり、フェンスで
囲んだりして、入れないようになっている
所が多い。「***管理地 立ち入り禁止」
などと看板がある。

 子どもに限らず、誰かが入って何か
トラブルになったら困る、とでも言うのだろうか。
管理過剰な現代社会を象徴するようなあり方だな、
と思っていた。

 私のように感じている人も世の中には
いるということだろうか。
 あれは、一年近く前のこと。
 ちょっと遠出してジョギングを
している時に、愉快な看板を
見つけた。

 住宅地の裏通りの道端に、
家一軒分の敷地のような空き地があった。
 看板があって、その一番上に
 「どうぞお入りください」
という文字が書いてある。

 おや、と思って立ち止まった。

 「どうぞお入りください」
の下には、次のようなことが小さな文字で
書いてある。

 「この土地は、将来は住宅を建てる
予定ですが、今のところは使う予定は
ありません。子どものみなさん、どうぞ
お入りください。トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。もともと、土地は地球のもの。
私が「お借り」している土地を、一時的に
おかえしいたします。 空き地連盟」

 その看板が、「空き地連盟」の存在を
知るきっかけとなった。

 それから二三日経ったある晴れた休日、
気になってまた件の空き地まで走ってみた。

 夕方。空き地に近づくにつれて、子どもたちの
歓声が聞こえてきた。

 サッカーをしている。そのあたりに
落ちていたのだろうか。木切れと空き缶を
立ててゴールにして、
夢中になって走り回っている。

 決して広い土地ではない。しかし、
子どもたちを興奮させるには十分である。

 さまざまな遊具が固定され、
使用目的が制限されているような公園よりも、
かえって、子どもたちの創造力を
かき立てる。

 忘れかけていた、「昭和」の光景が
そこにあった。

 看板を改めて読む。
 
 「どうぞお入りください

この土地は、将来は住宅を建てる
予定ですが、今のところは使う予定は
ありません。子どものみなさん、どうぞ
お入りください。トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。もともと、土地は地球のもの。
私が「お借り」している土地を、一時的に
おかえしいたします。 空き地連盟」

 それから、ジョギングで通り過ぎる度に
その看板を読んだから、暗記するまでになって、
こうしてこの日記のその文面を書いている。

 考えてみれば、
トンボや蝶、雑草の種にとっては、
「立ち入り禁止」の看板など意味がない。
 子どもたちも、本当はそういう存在
だったのではないか。
 「管理」ということから
最も遠い存在。

 自由に呼吸する、そんな余地があって、
初めて自発性が涵養される。

 現代の日本は、まるで、子どもにも
大人にも自発性は要らない、とでも
思っているようだ。そのあたりに、経済や
文化、政治の停滞の
一要因があるのではないか。

日本の世直しには、「空き地」
が必要である。

「空き地連盟」の正体がわかったのは、
最初に看板を発見してから半年くらい経って
からのことだった。

 一週間ぶりに空き地に行ってみると、
 子どもたちが空き地でペットボトルと段ボール
を使って、城のようなものを作っている。

 片付けをしなくても良い、次の日は
またその先から出来る、と知った
時の子どもたちの爆発的創造力。

 振り返れば、私たちの時もそうだった。

 自分たちの好きにしても、大人にしかられない、
と知った時、子どもはいかに解放される
ことか。

 その様子を、ニコニコ笑いながら
眺めている白髪交じりのおじさんがいたので、
ひょっとして、と思って声をかけると、
 やはり、その人こそが「空き地連盟」
だった。

 「すばらしいことですね!」
と感嘆すると、「いえいえ、何でもありません」
と笑う。
 「私たちが子どもの頃は、当然のことで
したから」と物静かに言う。

 その男性のお名前は、ATさん。
 「空き地連盟」の看板を立てるに至った
経緯、その思いをうかがうと、こちらまで
熱い気持ちになった。

 あちらこちらの空き地に
 「***管理地 立ち入り禁止」
という看板が立つ裏事情のようなものが
あるらしい。

 なるほど、「管理」するということから
考えれば、その方が楽なのかもしれない。
 だからこそ、ATさんの勇気に
拍手をしたい気がした。

 ATさんが、打ち明けるように言った。
 「実はね、息子夫婦が一緒に住むというので、
ここに家を建てることになって。5月には着工
なんです。」

 ATさんのうれしそうな笑顔を見て、
「おめでとうございます」
と言った。それから、少しさびしい気分になった。

「それじゃあ、ここの空き地は終わり
なんですね。ああやって、子どもたちが秘密
基地をつくっているけれども、あと少し
だけなんだなあ。」

 ATさんの笑顔は変わらない。

 「ええ。せっかくの秘密基地も、
撤去しなければなりません。でもねえ、
私の妙な看板を見て、空き地連盟に賛同
する人がぽつりぽつりと出てきたんですよ。
一時的に使っていない
土地があったら、子どもたちやトンボ、
蝶や雑草に解放しようってね。」

 ATさんは、それから、「あっちの
方に走っていってみてください」
と教えてくれた。

 ATさんの心意気に賛同して、
やはり、使っていない土地に
看板を立てて子どもたちに遊ばせている
人がいるという。

 大きな道路をわたって、しばらく
行ったところの紫色の壁の図書館が
目印。
 その近くに、「空き地連盟」
の二号地が誕生したらしい。

「子どもたちにも、新しい空き地が
できたよ、と教えてあげますよ。
それからねえ。この土地が着工する
前には、この空き地で遊んでいた
子どもたちと、記念写真を撮ろうと
思うんですよ。新しい家ができたら、
玄関にその写真を飾ろうと思いましてね。
もし、その時秘密基地がまだ残っていたら、
秘密基地の写真を撮って、子どもたちに
プレゼントしたいなあ。」

「空き地連盟」ATさんは、
温かくて大きな人だった。

 最初はATさんの気まぐれな
思いつきから誕生した「空き地連盟」。

 私たちの生のあり方を考える上でも、
大切な着想だと思う。

 私たちは、人生の中に、「空き地」
を必要としている。すべての時間が
目的が決まり、管理されたもので
あってはいけない。

 それでは、創造性が育まれない。
何よりも、命が燃えない。

 遊んでいる土地を持っている
人は、「空き地連盟」に加入を!

 そして、土地を持たない人も、
自分の生きている時間の中に、
空き地をつくろうではないか。

 ATさんが教えてくれた
「空き地連盟」二号地は、
まだ見つかっていない。
 紫色の壁の図書館のまわりを
しばらく走ってみたのだけれども。

 桜が散って、ATさんの息子さんとの
夢の家が着工するころまでには是非、
 「空き地連盟 二号地」を
発見したいと思う。

 ATさんによると、その地には、
一号地そっくりの看板が立っている
のだという。

ただ、ほんの少しの違いがある。
どうやら、
「トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。」
という文言の代わりに、
「トンボさん、蝶さん、カエルさん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。」
となっているらしい。

地主さんは、カエルが好きな人の
ようなのである。

4月 1, 2009 at 07:03 午前 | | コメント (56) | トラックバック (7)