子どものころは、家の近くに
「空き地」がたくさんあった。
家の建築前だったり、あるいは
休耕田だったり、その時々の事情はもはや
忘れてしまっているけれども、
放置されて雑草が生えているような土地は
あちらこちらにあった。
子どもはそういうものを見つけると、
あっという間に「もぐりこんで」行って
しまう。
草野球をやったり、段ボールで
「秘密基地」をつくったり、いろいろな
遊びをしたものだ。
あの頃、
「空き地」は、夢と創造性を育むかけがえの
ない存在だったと思う。
ところが、最近は世知辛くなってきた。
現在利用しないで放置されている
土地でも、ロープが張られたり、フェンスで
囲んだりして、入れないようになっている
所が多い。「***管理地 立ち入り禁止」
などと看板がある。
子どもに限らず、誰かが入って何か
トラブルになったら困る、とでも言うのだろうか。
管理過剰な現代社会を象徴するようなあり方だな、
と思っていた。
私のように感じている人も世の中には
いるということだろうか。
あれは、一年近く前のこと。
ちょっと遠出してジョギングを
している時に、愉快な看板を
見つけた。
住宅地の裏通りの道端に、
家一軒分の敷地のような空き地があった。
看板があって、その一番上に
「どうぞお入りください」
という文字が書いてある。
おや、と思って立ち止まった。
「どうぞお入りください」
の下には、次のようなことが小さな文字で
書いてある。
「この土地は、将来は住宅を建てる
予定ですが、今のところは使う予定は
ありません。子どものみなさん、どうぞ
お入りください。トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。もともと、土地は地球のもの。
私が「お借り」している土地を、一時的に
おかえしいたします。 空き地連盟」
その看板が、「空き地連盟」の存在を
知るきっかけとなった。
それから二三日経ったある晴れた休日、
気になってまた件の空き地まで走ってみた。
夕方。空き地に近づくにつれて、子どもたちの
歓声が聞こえてきた。
サッカーをしている。そのあたりに
落ちていたのだろうか。木切れと空き缶を
立ててゴールにして、
夢中になって走り回っている。
決して広い土地ではない。しかし、
子どもたちを興奮させるには十分である。
さまざまな遊具が固定され、
使用目的が制限されているような公園よりも、
かえって、子どもたちの創造力を
かき立てる。
忘れかけていた、「昭和」の光景が
そこにあった。
看板を改めて読む。
「どうぞお入りください
この土地は、将来は住宅を建てる
予定ですが、今のところは使う予定は
ありません。子どものみなさん、どうぞ
お入りください。トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。もともと、土地は地球のもの。
私が「お借り」している土地を、一時的に
おかえしいたします。 空き地連盟」
それから、ジョギングで通り過ぎる度に
その看板を読んだから、暗記するまでになって、
こうしてこの日記のその文面を書いている。
考えてみれば、
トンボや蝶、雑草の種にとっては、
「立ち入り禁止」の看板など意味がない。
子どもたちも、本当はそういう存在
だったのではないか。
「管理」ということから
最も遠い存在。
自由に呼吸する、そんな余地があって、
初めて自発性が涵養される。
現代の日本は、まるで、子どもにも
大人にも自発性は要らない、とでも
思っているようだ。そのあたりに、経済や
文化、政治の停滞の
一要因があるのではないか。
日本の世直しには、「空き地」
が必要である。
「空き地連盟」の正体がわかったのは、
最初に看板を発見してから半年くらい経って
からのことだった。
一週間ぶりに空き地に行ってみると、
子どもたちが空き地でペットボトルと段ボール
を使って、城のようなものを作っている。
片付けをしなくても良い、次の日は
またその先から出来る、と知った
時の子どもたちの爆発的創造力。
振り返れば、私たちの時もそうだった。
自分たちの好きにしても、大人にしかられない、
と知った時、子どもはいかに解放される
ことか。
その様子を、ニコニコ笑いながら
眺めている白髪交じりのおじさんがいたので、
ひょっとして、と思って声をかけると、
やはり、その人こそが「空き地連盟」
だった。
「すばらしいことですね!」
と感嘆すると、「いえいえ、何でもありません」
と笑う。
「私たちが子どもの頃は、当然のことで
したから」と物静かに言う。
その男性のお名前は、ATさん。
「空き地連盟」の看板を立てるに至った
経緯、その思いをうかがうと、こちらまで
熱い気持ちになった。
あちらこちらの空き地に
「***管理地 立ち入り禁止」
という看板が立つ裏事情のようなものが
あるらしい。
なるほど、「管理」するということから
考えれば、その方が楽なのかもしれない。
だからこそ、ATさんの勇気に
拍手をしたい気がした。
ATさんが、打ち明けるように言った。
「実はね、息子夫婦が一緒に住むというので、
ここに家を建てることになって。5月には着工
なんです。」
ATさんのうれしそうな笑顔を見て、
「おめでとうございます」
と言った。それから、少しさびしい気分になった。
「それじゃあ、ここの空き地は終わり
なんですね。ああやって、子どもたちが秘密
基地をつくっているけれども、あと少し
だけなんだなあ。」
ATさんの笑顔は変わらない。
「ええ。せっかくの秘密基地も、
撤去しなければなりません。でもねえ、
私の妙な看板を見て、空き地連盟に賛同
する人がぽつりぽつりと出てきたんですよ。
一時的に使っていない
土地があったら、子どもたちやトンボ、
蝶や雑草に解放しようってね。」
ATさんは、それから、「あっちの
方に走っていってみてください」
と教えてくれた。
ATさんの心意気に賛同して、
やはり、使っていない土地に
看板を立てて子どもたちに遊ばせている
人がいるという。
大きな道路をわたって、しばらく
行ったところの紫色の壁の図書館が
目印。
その近くに、「空き地連盟」
の二号地が誕生したらしい。
「子どもたちにも、新しい空き地が
できたよ、と教えてあげますよ。
それからねえ。この土地が着工する
前には、この空き地で遊んでいた
子どもたちと、記念写真を撮ろうと
思うんですよ。新しい家ができたら、
玄関にその写真を飾ろうと思いましてね。
もし、その時秘密基地がまだ残っていたら、
秘密基地の写真を撮って、子どもたちに
プレゼントしたいなあ。」
「空き地連盟」ATさんは、
温かくて大きな人だった。
最初はATさんの気まぐれな
思いつきから誕生した「空き地連盟」。
私たちの生のあり方を考える上でも、
大切な着想だと思う。
私たちは、人生の中に、「空き地」
を必要としている。すべての時間が
目的が決まり、管理されたもので
あってはいけない。
それでは、創造性が育まれない。
何よりも、命が燃えない。
遊んでいる土地を持っている
人は、「空き地連盟」に加入を!
そして、土地を持たない人も、
自分の生きている時間の中に、
空き地をつくろうではないか。
ATさんが教えてくれた
「空き地連盟」二号地は、
まだ見つかっていない。
紫色の壁の図書館のまわりを
しばらく走ってみたのだけれども。
桜が散って、ATさんの息子さんとの
夢の家が着工するころまでには是非、
「空き地連盟 二号地」を
発見したいと思う。
ATさんによると、その地には、
一号地そっくりの看板が立っている
のだという。
ただ、ほんの少しの違いがある。
どうやら、
「トンボさん、蝶さん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。」
という文言の代わりに、
「トンボさん、蝶さん、カエルさん、
雑草さん、自由にこの土地に入って
ください。」
となっているらしい。
地主さんは、カエルが好きな人の
ようなのである。
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