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2009/03/27

光の川

 プロフェッショナル 仕事の流儀の
収録。

 建築家の伊東豊雄さんのお話は
本当に素晴らしかった。

 日記のかわりに。

 明治神宮の森を抜けることがある。東京の真ん中にあって、もともとは植林された場所なのに、今は鬱蒼としていて、太古以来ずっと続く何ものかの気配さえ感じさせる。
 その際、楽しみにしている光景がある。両側の木々が繁茂し、それが影を落として、参道の真ん中だけが明るく「光の川」に切り取られるありさま。その「流れ」に沿って歩いていく。
 光の川の中を、子どもたちが真っ直ぐにどこまでも走っていくのを見ることがある。麗しきそのかたちに気づかずに去る人がいる。奥に向かって次第に暗くなっていくその向こうへと、光が流れ込んでいく。川が続いていくその道を歩く度に、何かが自分の中にしみこんでいくような思いがある。
 森の暗がりの中を、何ものかの気配が動いていくのを感じることもある。それが現実なのか、心象風景に過ぎないのか惑いながらも光の川を辿る。そのような時は、大抵は何かやっかいなことを考えていて、周囲を見ているようで見ていないのが実態だけれども、光の川だけは視野に入っている。何かのきっかけがあると感覚が開かれる。目が覚まされる。薄皮がはがれるように、その前よりも世界の消息と少しだけ近しくなる。
 いつの頃からか、光の川が現れる参道が、私にとっての「哲学の道」となっていた。
 ある時、光の川に沿って歩きながら、宗教というものについて考えていた。どんな教義でも、それが具体的な言葉として主張されると、危うくなる。どんなに立派な世界観でも、囚われてしまうことに対する警戒心が、共感する心とせめぎ合う。私が「実行」の問題としては今までのところどんな宗教にも帰依していないには、そのような事情がある。
 それでも、世界の体験の中に慈しむべきものはある。「今、ここ」で私がまさに感じている、木もれ日のその感じ。光の川がどこまでも延びて誘うその風合い。森というものが現にここにある、存在感の頼もしさ。 
 私の命が息づいている。心臓が鼓動し、世界と行き交っている。実在と認識の接合面から匂い立つ、超絶的な感触は確かにある。だから、宗教に関心を持つ人の真摯さを否定することなどできない。受け止めることを、いかにしてすっきりと心のかたちに沿ったものとするか、その回路こそが問われているのだと思う。答えを、私はまだ見いだしていない。

茂木健一郎『今、ここからすべての場所へ』 (筑摩書房)より

3月 27, 2009 at 07:07 午前 |

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コメント

茂木先生 こんにちは♪
木漏れ日の下にずっといると、どんな日焼けになるのでしょうか? チラチラと日が入るから、チラチラ焼けになると面白そう、と思いますけど、ただ薄く日焼けするだけなんでしょうね(笑)木漏れ日が作る「光の川」ではないのですけど、子供の頃、裏の道は、どの家も垣根に比較的大きな木があって、裏道にこんもりと、影絵のように、クッキリと陰を落としていました。夏の日差しを浴びてそこだけは別世界で、そこをたどりながら歩いていました。今は大きな木はなく、木の影絵が出来ることはありません。夏の暑い日差しを浴びて歩いていた、あの頃の自分を思い出して、なぜか悲しくなりました。裏道一本にも、物語はあります。自然現象なだけなのに、心がこんなに動くのはどうしてでしょうか?いろんな出来事を、いつも感じられる自分でいたいと思います♪

投稿: 平井礼子 | 2009/03/28 15:02:34

茂木先生こんにちは♪ 
言葉によって表現された「これこれこう」という世界観や倫理観が提示されるのではなく、
ただ感じること、開かれること、向き合うことが大切にされる。
そのような魂の道筋。
(『今、ここからすべての場所へ』)
 "聖なるもの"や、"美しいもの"に触れたときというのは、天上から光がさすように、感謝の気持ちで充ち溢れるのですが、あの不思議な感慨はどこからわいてくるのだろうかと思います。
 
せんせい、今朝は雪が降っていたのが嘘のようにむっちゃええお天気でやんす。
今年は私のとっておきの場所でお花見が出来そうです。( ̄ー+ ̄)ノシ
秘密の花園。なんて。大袈裟ですかね。笑
 
ではでは、先生本日もよい1日をお過ごし下さいませ。(●^∀^)/。・゜゜゜゜・。○●○●○

投稿: wahine | 2009/03/28 14:50:24

>どんな教義でも、それが具体的な言葉として主張されると、危うくなる。どんなに立派な世界観でも、囚われてしまうことに対する警戒心が、共感する心とせめぎ合う。私が「実行」の問題としては今までのところどんな宗教にも帰依していないには、そのような事情がある。

私も宗教にはまりきれない。日本にいた時より自由の国(米国)では、宗教を自由に信じる、選択する感がどこか拘束されている気がする。

最近では、家族の儀式以外関係がない日本の宗教も、なくなった祖母の関係で、仏教(真言宗)儀式の金額がたびたびあるごとに習慣(=強制的)したがわねばならない。 日本も直接知らなかっただけなのかとがっくりする。
ほぼ地域一丸に属するとなっている寺に世話人がおり、すべての金額など行事を決めを、みなはそれに従うことになっているらしい。
 例えば、代々あなたの家のかいみょう(次世代もかえれない)はこういう名がついているので、春のお涅槃は初めての仏さんには最低10万円から(神様になるとしんじる、60年まで拝み続ける)かいみょうがそうでない人なら、お賽銭波しか要らないというように信じられないほど不等に見える決まりがある。変更もとめる人がいても、みんながしているからしなければならないというあの感覚のせいでつづいているらしい(悲しい)。
これを聞くと、嫌悪が私の心をかきみだす。これは、きっと警戒心にきょうふがくわわったせいなのだろうかとふとおもった。

それにしても、茂木先生のご紹介の文章を読ませて頂、こころを客観的に捉えることの魅力にふれたようで、私もできるようになるといいなあと思います。
 さんきゅう~です。

投稿: Natural2 | 2009/03/28 0:43:04

茂木様

こんばんは。

この文章のこの一節がどうしても、切なくなります。
”私の命が息づいている。心臓が鼓動し、世界と行き交っている。実在と認識の接合面から匂い立つ、超絶的な感触は確かにある。だから、宗教に関心を持つ人の真摯さを否定することなどできない。受け止めることを、いかにしてすっきりと心のかたちに沿ったものとするか、その回路こそが問われているのだと思う。答えを、私はまだ見いだしていない。”

仕事は行き詰まっていて、どうしたらいいのか判りません。

週末は忙しさで自分を麻痺させようと思って、新しい講座を
申し込みました。
しかし、逃避はできない、向き合わないといけない、
しかし、どう向き合うのがわからないです。

「受け止めることを、いかにしてすっきりと心のかたちに沿ったものとする。
私の心の形に沿ったものはなんでしょう?

それは宗教だけではなく、習慣や、文化というものもそうでしょう。
外国で生活すると、否定したい時もあれば、否定される時もあります。

この言葉が好き、「心臓が鼓動し、世界と行き交っている。」

しかし、どうしたらいいんですか?どうしたらいいでしょう?
切なく、虚しく、悲しく悩む日々でした。


投稿: dingding | 2009/03/28 0:10:21

         無意識界

      光も無ければ 闇も無い


      そして何より 我が無い  ああ めでたい 

                      めでたい哉


   無意識界に行く方法 絶対服従関白殿 

             無明  無闇  無我 無謀


       光の川など 無用の無感  それどころでは無い

             無闇 日本

             無闇 我  確かに許容は狭くて低い ★


                   ★ 悪化の途  

   

   

投稿: 無闇 ・・・★ | 2009/03/27 23:25:16

茂木健一郎様

あの参道で感じることを、ことばにして
くださってありがとうございます。


>どんな教義でも、それが具体的な言葉と
して主張されると、危うくなる。
どんなに立派な世界観でも、囚われてしまう
ことに対する警戒心が、
共感する心とせめぎ合う。
私が「実行」の問題としては今までのところ
どんな宗教にも帰依していないには、
そのような事情がある。


巨きな物語などいらない。
世界の全てを説明し尽くす原理主義も
いらない。
地上に命が長く継続してきた結果として
自然が育むこそが恵みである。

「今、ここで」感じていることの
確かさに依拠すること。
肝心なことについては「無記」を
貫き、敢えて語らないこと。


命が息づくことは、複雑で豊かな生を
生きることなのですね。

投稿: Yoshiko.T | 2009/03/27 22:52:53

『今、ここからすべての場所へ』…読めて嬉しいです(о^∇^о)

そして…案外に共感出来る。その人の心に寄り添えるっていう事が、その人を大切だと思う大部分をしめているのかも。

ちょっと脱線してしまうかもしれませんが、結婚し、家庭に入れば、自由がないかもしれないけれど…多少の制限はあるかもしれませんが、その中で味わい深い経験も沢山できるし、良いなぁって思います(^o^)
結婚した友達を見ていて、感じることです(o^∀^o)
生涯を寄り添って、歩んでゆける人と出会い、その人と供に色んな事を見て感じてゆけるって、幸せで、素敵ですよね(*´∀`*)

投稿: 奏。 | 2009/03/27 22:31:40

神宮の森は不思議な所だと、つくづく思う。大都会のど真ん中に緑濃き鬱蒼たる森林があるなんて、この世の“奇跡”に違いない。

明治神宮の森が植林されたのは、たしか大正年間だと聞いている。あれから90余年で、太古の森のようにうっそうたる姿になるとは、木々・青草の繁茂力の力強さと、素晴らしいほどの生命力に感嘆するしかない。

その中に走る光の川なるひとすじの輝く道は、茂木さんのライフワークにとっても、本当に大切な、掛け替えのない哲学の道なのですね。

人類が自然の姿に触れ、そこに何やら“神々しい”(“超絶的な”)気配と感触を見出した時から、哲学、若しくは宗教の原型は生まれたのかもしれない。その原型からドンドン枝分かれをして、様々な形をした哲学や宗教が誕生したのだろう、まるで生物の進化過程のように。


ある人から「宗教は(生命)哲学の実践(のひとつの形態)である」ということを聴いた覚えがある。宗教が生命哲学の実践の形態の1部分であるならば、宗教を信ずる者は、それを真摯に貫くことで、自分の中にその哲学の器ができてくるはずだと考えている。

この世には、宗教は要らない、宗教に囚われたくない、という人もいれば、宗教は波瀾の娑婆世界を生き抜くために必要だ、という人もいる。精神に関わる世界も、多様な姿があって当然だと思う。

その、思想・哲学・信仰の多様性が保たれてこそ、人間社会は健全さを保てる筈だ。

その多様性の中で、現代人は如何にすれば、もっとも相応しい形で、自然と人間の生命に対し、畏敬の念を抱き続け、深く信じ、愛することが出来るのか。

宗教や哲学、人間そのものの未来も、実はそこにかかっているのではないか。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/03/27 22:26:25

只今、『今、ここからすべての場所へ』を読んでおります~!!

投稿: smile | 2009/03/27 22:20:04

茂木健一郎さま

光の川

その前に半井小絵さんの昨晩の気象予報通り 夕方 雨が降りますよ、とのTOKYO  予報ズバリ 雨が夕方パラパラと、その時は町田の近くでした。

神奈川県は茅ヶ崎にあります柳島石積み堤で釣りは午後3時には止めて 堤防に、こぼれた まきエサを洗い流してなど後片付けをして午後4時前に茅ヶ崎を出てです。

今晩のように白いスカートも半井小絵さん素敵で恰好良く
上着と言いましょうか、なんと申しましょうか 
上の服装と表現します
春! 春の雰囲気が自然に、上のお洋服 とても素敵でした。

本日の釣りですが
富士山、見えませんでした雲によって 伊豆大島も同様に
そして釣れたのは 木っ端メジナ そして
これは・・・
例えば
お魚の図鑑などを調べないと判らない位、今まで見たことない お魚、 ドジョウみたいなウナギでもない
これは、なんと言う お魚? 変なところに毒などないかな?
それで糸から切りました。 あれは何だったのかな?


『 光の川 』

記述ではなく お写真 

書籍
「 今、ここから すべての場所へ 」

178ページ 木陰の天の川 とも つい連想してしまうほど


「 今、ここから すべての場所へ 」

哲学の書籍として、あり難い気持ちで拝読させて頂く私


感謝です茂木健一朗さまに とても感謝です。


投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/03/27 20:48:57

《今回のBlogを読んで》

ゆく河の流れは絶えずして…と「方丈記」を思い出しました。

明治神宮へと向う参道を歩くのは、好きです。

あの鳥居をくぐると別世界になりますよね。

また、行く機会があれば、わたしも
「光の川」を体験する事が出来ればいいなぁと思いました。

投稿: ぱろっと | 2009/03/27 20:35:25

どの宗教も根本的には同じ事を言っているように思えるのですが、言葉が変わると
違うように伝わるから不思議です。
皆が些細な事に拘らずに真理を探究できれば、世界も平和になるのでしょうに…。

投稿: take | 2009/03/27 19:24:07

大変深遠な思索と受け止めました。科学者でありながら「科学の信仰」に溺れない茂木先生の真摯な姿勢に多くの人は感銘を覚えるのでしょう。日常生活の中でいかに「光の川」を見出し、その実在に畏れを抱くと同時に身を委ね、「今、ここ」に生きている実感を体験していくことが人生なのかもしれませんね。(引越しの準備から逃避している自分にあきれています。)

投稿: (マ)ゴグ | 2009/03/27 16:39:04

なんだか、見たことのあるような風景。
感じたことのあるような気持ち。
文章の中に封じ込めた空気が妙に懐かしく感じるのはどうしてなんだろう。
(日本で生活してるから?)このブログに辿り着けたのは、超ラッキーでした。
プロフェッショナル、楽しみにしています(笑)
ありがとうございました。

投稿: ゆみっち | 2009/03/27 13:31:32

追伸
先ほど美禰子がよく分からないと書きましたが、今「それから」の柄谷行人氏のあとがきを読んでいたら、こんな文章が記載されてました!
「代助は三四郎を棄てて他に嫁いだ美禰子の、後日に経験しうる、ひとつの場合を経験したものであるといふ事も出来るかも知れない」小宮豊隆(漱石の芸術)
はぁ~なるほど!確かに代助と美禰子は似てるかもしれません。同じ魂の男性が代助で女性が美禰子であるかもしれませんね~ふむふむ。
「三四郎」の美禰子のそれからが、「それから」の代助かもしれないといふのは、新しい発見でした。
漱石作品は底知れずに深い海みたいです。
長々と失礼しましたm(_ _)m

投稿: 眠り猫2 | 2009/03/27 12:43:28

親愛なる茂木ィ先生、ゴールは間近でしょうか?頑張って下さ~い(・ω・)/
小津作品は、私は「晩春」しか見たことがないのですが、「晩春」は言葉にならない感じで、しみじみいたしました。
(´・ω・`)
ずっと寂しいお父さんのそばにいたい娘の愛、最愛の娘をこのままじゃいかんと引き剥がす父の愛……春の雨のような清らかで優しい涙が底流に流れている映画デシタ…(泪)
今度「東京物語」も見てみます。
さて、昨日は漱石の「それから」を読み直しました。途中から心臓の高鳴りがとまりませんでした(素晴らしくて)
「それから」は日本近代文学の最高峰ですね~
恋愛小説としても心理小説としても、最高です。「三四郎」の美禰子は私には「霧の女」って感じでモヤモヤなまま終わったのですが、「それから」の三千代はフォーカスがすっとあって、ズシンときました。三千代は代助をずっと愛していて、彼に棄てられたと思っていたのですね~代助は、無意識に三千代を愛していて、気付くのが遅かった訳です。楽園追放された二人はアダムとイブに似ていますね。百合の花印象的でした。漱石は間違いなく天才です!!!

投稿: 眠り猫2 | 2009/03/27 12:19:58

「参道」

南の島で、家から8キロ離れた中学に自転車で通っていました。
途中に神社の森があり、そのあまりの深さ暗さにおびえ、
抜けるまで気をぬけません。
森が近づくと、今日は何とお祈りしようとぶつぶつ問い直します。
あるときは、「バックー(ガマ)があまりたくさん轢かれませんように」
「女子のいじめが和らぎますように」
3年間でなんとなくまとまっていったお唱えは、
「天地しぜんのかみさま。きょうもみながしあわせでありますように。草も虫も花も魚もそこにそのまま遊べますように」
森に押しつぶされないように、気取っています。
時が経ち、都市で暮らすようになっても、
まだ、『すっきりと心のかたちに沿った』祈りは持ちえないまま、
参道が延びています。

投稿: 島唄子 | 2009/03/27 11:08:47

宗教に関して、法事の法話などで時に興ざめすることもあるような気がします。信じることによってすくわれるということもあります。教義をそのまま鵜呑みにするのではなく、現実のうつろいふくめ、常に原点にたちもどって、オリジナルな見解をもつこと。それは、難しいことだと思いますが、優れた思索はそうして生まれるのでしょうか。編集者として、そんな真摯な方に実際にお会いする機会に恵まれるのは 、幸せだと思います。

投稿: 高橋典彦 | 2009/03/27 9:44:46

光の川は聖なる川。
後ろに続く道はぼんやりとした光に包まれ、あったかで懐かしい。
矢車草の小径、足踏みオルガン、お母さんと作った失敗作のスポンジケーキ、今は亡き恩師と最後の別れをしたチューリッヒの路面電車・・・
遠い昔の「聖なるもの」を音の中に紡いでゆきたいと思った。
はるか前に続く道に、憧れをこめて。

投稿: シリンクス | 2009/03/27 9:39:28

あらゆるものに八百万の神が宿る。
石にも花にも風にも光にも。
そして、いたるところに鬼が棲む。

投稿: 象の夢 | 2009/03/27 8:58:23

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