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2009/03/04

文明の星時間 文系と理系

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第54回 文系と理系

サンデー毎日 2009年3月15日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 現代における本来的な知の総合性に目を瞑って、文系、理系という区別を一応認めてもかまわない。それでも、日本の社会でしばしば聞かれる「私は文系ですから」「彼は理系だから」という言葉にはおかしな所がある。
 何を大学で専攻したかということは、学部で言えば四年間だけのことのはずだ。卒業した後も、人生は続く。大学を出たからといって、学ぶことをやめてしまうわけではない。たった四年の間何を学んだかということによって、一生分の頭の中身が決まってしまうわけではない。
 大学を卒業してから十年も二十年も経った人が、「私は文系ですから」「私は理系ですから」などと言うのは、つまりは「私は大学を出てからは何も勉強していません」と告白しているに等しい。もしそうだとしたら、怠惰である。実際には他のことを習得しているのに相変わらず「文系」「理系」などと言っているとしたら、自己欺瞞である。
 日本では、一度定まってしまったことが原理的な立場から問い直されることなく続いていく傾向がある。「文系」「理系」という言葉が未だにまかり通るこの国の現状。生きる情熱の不足を感じ、深く憂うのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

3月 4, 2009 at 07:54 午前 |

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» はすかさず感性と答えた トラックバック 須磨寺ものがたり
大学での専攻が、 文系であったか、 理系であったか確かに今でも、 自分でもいうし、人からもよく聞く。 [続きを読む]

受信: 2009/03/04 10:53:59

» 勉強するということ トラックバック POPO
自分はどこからやってきてどこへ行くのか 自分を支配しているものは一体何なのか ど [続きを読む]

受信: 2009/03/04 20:10:23

コメント

文系・理系。人間をそういった点のみで評価し、無機質にカテゴライズしてしまうとそこに一番大切な『人間性』という項目が欠如してしまう危険性が孕んでしまうと思います。
しかし、誰にも得手不得手があるわけですよね。能力にも差もあります。血の滲むような努力をしても届かない領域が存在してしまうわけです。なんとなくだけれども、必要なのは、理系・文系がお互いを尊重しあい『役割分担』するってことじゃないのかなぁ…と思ってみたりしました。
世界のあらゆる森羅万象を理路整然に理解出来るオールマイティな人間になれたらいいなとは思います。
けれど(私のような凡人の)ひとつの頭では、知らない事柄が多すぎて、一日にこなせる情報処理の量など、たかがしれているのです。だから『ネット』や『本』から、誰かが解析した知恵を拝借して、自分自身の手の届く距離感を持つ知識として、頭に納めるように努力して、近道を模索してます。概念としての数学は、大好きですが、数式とのにらめっこは苦手なので、得意な方々にお願いしたいと思って生きてます(笑)
持ちつ、持たれつでいいんじゃないですかねぇ。
ただ、人生に何かしらの目的を持つとしたら、例え苦手な数式でも立ち向かうことは大切だとは思います。私は、完全に『文系』です。数学を学び損ねました。数学出来るヒトは、無条件に尊敬してしまいます。
こんなんは『ヘタレ』ですか?

投稿: ゆみっち | 2009/03/05 10:48:48

>日本では、一度定まってしまったことが原理的な立場から問い直されることなく続いていく傾向がある。
確かにそうでしょうね。特に出身大学で企業では、昇進が決まるところがありますから。本当は、実力主義といっても、現実的には、出身大学によって2流の大学出の人間が事実上越えられないような壁が存在しているものだと思います。

文系、理系というのも、結局のところ、そういった4年間の実績が、過大に評価されて、学ぶ側のモチベーションが下がっているという面もあると思います。「オレは二流大学出だから、もう勉強しても意味がない。どうせ、大学で判断されるのだから」と。。。

投稿: なおき | 2009/03/05 0:47:53

今日、帝国ホテルでのイベントでお話を聞いていた一人です。
本当に茂木さんには自分の可能性に壁を作らない方だなぁと思いました。
TVや日記で拝見する茂木さんとはまた更に違った魅力があって、実際お話を聞いていても物凄く楽しかったです。
最後の質疑応答の時間に『女の武器は涙だと言われましたが、じゃあ一体男の人の武器は何ですか?』と質問したのは実は私のお義母さんなんです。一人で行くつもりだった私と一緒に来てくれて、凄く楽しんでいました。
私も茂木さんの言うように自分の可能性は自分で決めつけてしまわずに色んな事にチャレンジして、苦労もして、情熱を持ってやり続けて生きたいと思いました。

投稿: 橘 真理子 | 2009/03/04 23:16:52

「私は文系」「僕は理系」とかいう立てわけが、大手を振って歩いている感があるこの小国の知の世界。もう21世紀だというのに、この立て分けの所為で、一向に生き生きとした知の現場が花開かないのは確かに大問題だ。

この小国の知の衰退の真の原因は、まさにこの「私は理系」「私は文系」という(ある種の権威の匂いもする)カテゴリの枠に知識者が閉じこもることにあるのではないか。


明日のためにも「文系」「理系」のカテゴリ分けを、今こそ取っ払わなければならない。
そして1から、創り出さなくてはならない、
総合的な知性の精華が薫る、生き生きとした息吹き溢れる真の知の現場を…!

知の現場でのカテゴリ分けといい、一度決めた事を何の改編も改革もなしに、惰性的に続けていくような性向といい…この小国に住む私達が抱える、“知への情熱”の喪失を招きかねないもろもろの問題に、もっと鋭く突っ込み、そこから根本的にそれらを変えるきっかけを見つけなくては、と思えてならない…。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/03/04 22:49:50

社会人一年目です。

consilienceでのウィルソンも筋は同じ考えですよね。

私は高校、大学と文理両面を学習しましたが、それが社会で
生きるのか、どうすれば生かせるのか、、、。

投稿: tak | 2009/03/04 22:37:23

茂木さん、おはようございます!(^^)!

車のナンバーの足し算、ますます速くなりつつあります!!
簡単な数字は答えが浮かぶようになり、難しいのは分かりやすい数字同士を足せるようパパッと組み合わせるようになっています。

私は本当に驚いています。

こんなに実用性があるのだから!!!!
日常計算全般に効果がありますね!!!!
集中力が増し、ざわついた中でも気が散りません。
(人の視線が妙に気になる時、足し算に集中する事で解放されます。)

こんなに実感できるような学びにすることができたら、得意でない勉強だって大変な事ばかりで無いと言えます。

投稿: 夏輝 | 2009/03/04 22:01:42

私は文系の大学を出ましたが脳や意識について考えています。
<認知における意識の働き>という題の小論文をブログに載せたので
もしよければ読んでください。

投稿: ハラミッタ | 2009/03/04 19:06:29

茂木先生おはようございます。
まさに先生のおっしゃるとおりです。
私も、高校では理系でしたが、大学は文系へ行きました。
巷の高校は、2年生から文系・理系を分けて学習するようですが、
「自分達の意思に任せる」我が母校は、志望校を決めた段階で分けるので、文系・理系よりも勉強したいかしたくないかに重点を置いていた高校でした。
「文系だから・理系だから」って、自ら作った壁を正当化したい大人の常套句ですよね。
私は、70歳のおばあちゃんになっても「どっちもイケル口」でありたいと思います。

投稿: asuka | 2009/03/04 9:01:01

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