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2009/03/30

ナイト・ドライヴィング

そごう大宮店の中の
三省堂書店で、ミニトークと
サイン会。

佐倉の川村美術館へ。

学芸員の林寿美さんが呼んでくださった。

マーク・ロスコの絵について、林さんと
対談する。

「入り口となるものの表れ方は
一つひとつ違っているけれども、奥底の
方ではみんなつながっているんじゃ
ないでしょうか。
問題は、一見関係のないものの間を
つなぐ「虹の橋」を見きわめること。
古代ギリシャでは、具体と抽象の
間の関係がちょうど今と逆転していた。
プラトンは、目に見えないイデアの
世界の方が、人間の魂にとっては
よほど本来的だと考えた。
私たちは洞窟の住人で、イデアが壁につくる
影を見ているだけなのです。
目の前の、このコップや机、椅子といった
ものは、「イデアの影」に過ぎない。
ロスコの「抽象画」は、むしろ、魂に
とってくっきりと鮮明な姿をした
何ものかを描いている。
イデアの世界の、ヴィヴィッドな
ものたちの姿を。」

良いものについて考えることと
同じくらい大切なことは、自分のかかわっている
作品について考えること。
研究であれ、表現であれ、それについては
どれだけ考え、感じても過ぎるという
ことはない。

佐倉は美しい印象の場所だった。
林や野の間を抜ける道を行くと、
なんだかイギリスを思い出す。

レクチャーが終わり、夜の道を
走る車。

街灯もない暗い道筋を進む中で、
イギリスの「ナイト・ドライヴィング」の
経験について考えていた。

林寿美さんは、現在
ギャラリー小柳で開かれている内藤礼さんの展覧会
Color Beginningに素敵な文章を
寄せている。

林さんのテクストは、ギャラリー小柳に
の展覧会に行けば、読むことができます!

前回の内藤礼さんの展覧会には、
私がテクストを書かせていただいた。

それは、このようなものでした。

小さきものたちにこそ、地上は支えられ

茂木健一郎
2005年 ギャラリー小柳 内藤礼展に寄せて

 大きなものに力が宿るのは、当然のことである。小さなものに力が宿るのを目にする時、私たちはそこに現出している不可思議なパラドックスに心を動かされる。手のひらに載るような小さきものたちの表情の中に、大世界をも成り立たせているこの宇宙の原初的な秘密が顕れているという事実に不意打ちされるのだ。
 内藤礼の作品を前に佇むことは、変容していく自分の体験と向かいあうことである。小さきものの密やかな力が、やがて微かな光となり、私たちの魂を満たして行く。「あちら側」から小さきものたちが放っていると思っていた光が、実は「こちら側」から、すなわち自分自身の魂から発せられていたことに気づく。その美しい自己認識の瞬間が、内藤礼の作品のもたらす祝福である。その時私たちは、この愛に満ちた芸術家の生み出す小世界が、魂を、そして世界全体をさえ映し出す鏡であったことを知るのだ。
 私たちが今目にしている小さなものたちの力は、生命誕生の記憶そのものに結びついている。私たちの命は、最初は目に見えないほど微かな胎動としてこの世にもたらされたのであった。内藤礼が土をこね、魂を乗せる船を形作り(「舟送り」)、白い紙に無数の穴を穿ち、風景を変容させるこの上なく繊細なスクリーンを生み出す時(「地上はどんなところだったか」)、そこに込められた祈りの内容をもちろん私たちは知らない。しかし、アトリエのドアが開き、その成果が世に向かって差し出される時、私たちは全ての命が最初は微かな気配のようなものとしてこの世に生み出されるものであったことを、確かな感謝をもって思い出すことができる。そして、いつの間にか、自分という存在が、母が幼子に向けるような無償の愛に包まれ、肯定されていることに気づくのである。
 大人になってしまった私たちは、日常の中で、大きなものたちに囲まれ、時には心をギスギスと荒立てて生きている。グローバライゼーションの奔流の中で、巨大な力にばかり目を奪われるのが現代人の生活である。しかし、この世界を成り立たせている根源的な作用とは、本来、小さく、やさしいものではなかったか。清少納言はかつて「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と書いた。それは単なる感傷ではなく、世界認識であったはずである。小さくてうつくしきものこそが、すべての生きとし生けるもののふるえであり、光であることを内藤礼は思い出させてくれる。だからこそ、その作品世界は小さくてうつくしいだけでなく、すぐれて現代的な意義を持つのである。
 10年以上取り組んできたというドローイングのシリーズ、「ナーメンロス/リヒト」に捉えられた、意識されるぎりぎりのあわいの中に見えてくる風景を前にした時、私たちは感謝をもって私たちがすむこの世界が本来どんな場所だったかを思い出す。
 地上は、実に、生命にあふれた場所であった。それは至るところにあって、私たちを包んでいる。カーテンから差す日の光のそばに、机の上のちっぽけな文具のまわりに、あの人のセーターのほつれの内に、ふと胸をよぎる予感の中に、私たちの/世界の生命はある。目を見張るほど巨大な物質や大文字で書かれた観念ばかりが飛び交う現代において、一つの奇跡のように現出した精神の日だまりがここにある。
 芸術が私たちの/世界の内側に秘められた生命の可能性への気づきをもたらしてくれるものであったとすれば、私たちは今もっとも小さく、そしてうつくしい芸術を目の前にしている。内藤礼の作品は、「地上はどんなところだったか」を私たちに改めて思い出させてくれる。小さなものたちこそが、この地上を支えているという真実をそっと耳打ちして教えてくれるのである。

3月 30, 2009 at 06:43 午前 |

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受信: 2009/03/30 8:40:28

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受信: 2009/03/30 11:53:07

コメント

茂木先生こんにちは♪ 
入り口となるものの現れ方、そんなこと考えてみた事もありませんでした!(驚)1つ1つ違う。けれども奥底ではみなつながる☆虹の橋☆。。なんとステキな。
 
美しい自己認識の瞬間。小さなものに力が宿るのを目にする時。。
蟷螂の赤ちゃん。捕まえられまいと、立派にカマを振りかざし、一歩も怯むことなく威嚇していました。塵のように小さなカラダで。
 
先生、私この頃おおきなものばかりに眼がいっていたかもしれません。足元にも、鞄の中にも、掌、毛玉のくるくる、そうだ、すぐそこにあるじゃあないか、って。。アウエアネスです。 
「地上はどんなところだったか」生命に溢れた内藤礼さんの作品、いつか観てみたいのです。
 
明日から新しい職場です。何かが宿る小さきものかあ。。
 
こちらの記事何度も読み返したいと思います!
 
それと先生、本日は祖母の95回目のお誕生日なのです♪(*^^*)♪
 
それでは先生、夕方からもお仕事頑張って下さいましね。
 ∩ ∩
(/≧ω≦)/。・゜゜゜゜・。☆☆★☆☆
 

投稿: wahine | 2009/03/31 16:28:24

ナイト・ドライビング…なんだか楽しそう♪
大切な人、好きな人と行けば、ドキドキですが、素敵(^_-)☆
(真っ暗な道というのは、ちょっとコワイですが…(;^_^A)

内藤礼さんの作品によせた茂木さんの言葉が、愛のシャワーのように…私の心に降り注いでいます。

私も虹の橋を見つけたいなぁ(o^∀^o)

投稿: 奏。 | 2009/03/30 23:04:27

茂木さん、
>「あちら側」から小さきものたちが放っていると思っていた光が、実は「こちら側」から、すなわち自分自身の魂から発せられていたことに気づく。

とっても素敵です!

投稿: 夏輝 | 2009/03/30 22:43:31

ここ数日、縮こまってばかりいた桜も、ようやくふわふわとした花房を開花させはじめたようです。

世間の喧騒に振り回される人間たちを尻目に、春の気配に目覚めたいきものたちの息吹きが、耳を澄ますと、聞こえてくるようです。

今世界は狂乱の渦中にいるようだが、どんなに世が狂乱しようと、その陰で様々な所に、様々な形で息づく“小さくうつくしきものたち”の“気配”と“息吹き”に耳を澄まし、寄りそう気持ちを忘れてはいけないのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/03/30 21:07:41

茂木健一郎様

初めてのDJ、素晴らしかったと思います。
とっても自然なかんじになられて
本当に魅力的なpersonalityでいらしたと
思います。
余韻残るラジオ番組って最高です!

投稿: Yoshiko.T | 2009/03/30 20:55:11

最近初めて茂木先生のご本を拝読したのですが、わたしのまわりの世界がパッと色鮮やかになったように感じました。
本は今、赤線だらけになっています。
小さくって美しいもの、たくさん見つけていきたいです。
そしていつか自分が子供を産んだら、少しでも多く教えてあげたいと思います。

投稿: エリコ | 2009/03/30 18:12:52

「つたわるよろこび」

『問題は、一見関係ないものの間をつなぐ「虹の橋」を見きわめること』
『良いものについて考えることと同じくらい大切なことは、自分のかかわっている作品について考えること。研究であれ、表現であれ、それについてはどれだけ考え、感じても過ぎるということはない』

 ↑ノートに鉛筆書きっと。
 たとえば映画やドラマを観るとき、声高に語られていないところに反応していることに気づきました。セリフも表情も風景も。通奏低音のように、みずから和して愉しむディテールが多い作品ほど感応しています。
 創作のときじんじんッと感じる悦びは、伝えにくい「だからどうなのさ」と言われかねないことに満ちています。その橋渡しは、築くというより触手に近いですね。みずからのよろこびを手放さず、そっとそっと他者に乗り移る修行をしてるみたいなヘンな変容の快感。百年かかってもいいけど、人生は短い、のでした。
 

投稿: 島唄子 | 2009/03/30 16:50:05

親愛なる茂木ィ先生(・ω・)/うっ、ひっく!こんにちは~ひっく!う~ひっく!!って、突如しゃっくりが止まらなくなってしまいました(アホですわな)酔っ払いなわけではないです(笑)佐倉の美術館素敵ですよね。写真で見ただけですがそのうち行きたいと思います。
小さきものに世界が宿るって本当ですね~小さきもの、大切に守りたいなぁ…
昨日は数年前に西表島で綺麗な蝶々を見たことを不意に思い出し、図書館に名前を調べにいきました。蝶々って宝石みたいに綺麗ですねo(^-^)o茂木さんが夢中になるの分かりました。
しかし自分が見た蝶々の名前は特定できなかったです。葉っぱの上でじっと止まっていたので写真にとれば良かったなぁ~勉強不足…(><;)そしてクレーの画集を見ていてウットリしました。クレー可愛い!「夢の町」や「黄色い鳥のいる風景」ポスターでいいからほしい!と思いました。「黄色い鳥のいる風景」は茂木さんお好きな作品でしたでしょうか?(記憶が曖昧です)黄色い鳥の絵は真ん中の線で左と右に分かれてまるで「合わせ鏡」になってませんか?右が夜22時くらいで左が午前3時くらいのパラレルワールドな印象です。クレーの絵発見です!美はいたるところにあるのです

投稿: 眠り猫2 | 2009/03/30 14:40:34

茂木さん
こんにちは。

ミニトーク&サイン会お疲れさまでした。
腱しょう炎になられてないですか?

情熱と真心の込められた、素敵な絵とサインから強烈な
パワーを感じています。
私の大切なお守りです(笑顔)
ありがとうございました。
悩み続けていた事を捨てる勇気が、湧いてきました。
昨日は、お会いできて本当にうれしかったです。

passion(情熱)というお言葉、忘れないでいたいです。
再会をゆるぎなく信じながら・・・

投稿: 花かんざし | 2009/03/30 13:28:51

茂木さんこんにちは!
最近、私の心を震わせてくれるものについて、気づいたばかりのことが書いてあって、地図を見ているような気になりました。
どこへ向かっているのか、少し見えてきて、人生を信頼できるようになりました。まだまだぶれることも多いですが、いろんなものに助けてもらっていることに感謝して、歩いていきます。
茂木さんからもいっぱい力をいただいております。いつもありがとうございます!

投稿: らくがきやせい | 2009/03/30 12:32:00

「研究であれ、表現であれ、それについてはどれだけ考え感じても過ぎるということはない。」
今日も朝日がいっぱい差し込むリビングで、太陽の光と同じくらいのエネルギーを日記から頂きました。
今、フレンチバロックに取り組んでおり、楽譜の中に秘められた大切なものが、まだまだ見えなくて苦労してます。今日も、音符の小さなメッセージに、思いっきりセンサーを働かせてみます。
ありがとうございました!

投稿: シリンクス | 2009/03/30 9:43:24

ロスコルーム
絵を展示する場を作り上げる作業は演奏と似ている。
一音の過不足もない完全な作品を自分の中で再構築して吐き出す演奏家は、作曲家よりも苦しい創造の作業をしているのかもしれない。だからこそ、グールドは強烈に愛され強烈に嫌われる。
形を離れ重なり合う色のみで表現されるロスコの作品群は、一部屋に濃厚な色の空気を吐き出していた。息を吸い色を吸い、目を閉じ色が躰に沁みた。
プライスコレクションの若沖の光の演出に時間を忘れた時のことを思い出していた。

音楽は演奏されなければ、絵は展示されなければ届かない。
キュリエーターは、もっともの言うことを恐れないで欲しいと思う。

投稿: 象の夢 | 2009/03/30 9:06:41

茂木健一郎様

茂木さん、いつも光をさしこんでくださることを
感謝しています。 
それは、生きていることは
素晴らしいことなのだということに
導いてくださるのです。
生きていることは素晴らしいと感じさせてくださることを
茂木さんの存在が、世の中に広げていかれることを
心身のご健康を心から祈っています。

投稿: Yoshiko.T | 2009/03/30 8:50:34

   無意識界  素性も知れぬ ものたちが

         ランダムに並ぶ


         音も無く  秩序を保ち

    擦れ合うことも無く それぞれの場所へ 届く


                      縷々の如く

投稿: 一光 | 2009/03/30 7:12:43

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