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2009/03/10

スポットライト

3月10日は、1959年にダライ・ラマが
中国を脱出するきっかけとなった
一連の事態
が起きてから50年の日。


『プロセス・アイ』から、
チベットが独立するというファンタジー
を描いた第10章 「スポットライト」全文を
特別公開いたします。


第10章 スポットライト

コナ、ハワイ島

 そろそろ、トムが「アリス」でのワーキング・ランチを終えて、上がって来る頃だ。
 ツヨは、トムが運転する黒紫色のホンダ・ジュピターが「鯨丘」の樫の大木の横に姿を現すのを、すでに10分くらい待っていた。
 樫の木があるのは、視野の遥か下だ。そこから、ツヨとトムの家の玄関までは1マイルほどある。この道を上がってくる車は1日に数台程度だ。鯨丘の麓からの一帯は、ツヨとトムが住む牧場を改築した家のプライベート・プロパティーだから、ツヨとトム、それにデリバリーの車しか上がってこない。
 もっとも、パーティーのある日は別だ。ツヨの生活は殆ど隠遁に近い。一方、トムの顔は広い。パーティーの日には、トムの知り合いや、そのまた知り合いが、ハイスクールのベースボール・マッチがあるのではないかと思わせるほど沢山の車を列ねて来る。
 鯨丘の大木の横に車が姿を現すのを待っている。そんな時間は嫌いではない。実際に車が姿を現した瞬間に、あたかも自分の意志がその車を物象化させたような気がすることがある。車が姿を現すのを希求する心が余りにも強いので、車が姿を現した瞬間、それが自分の希求する心ゆえなのではないかと思ってしまうのである。
 映画をフィルムに撮って現像していた時代、タルコフスキーの名作に、「ストーカー」とい作品がある。このラストシーンで、身体の不自由な女の子が机の上に置かれたコップをじっと見ていると、コップがツツーと机の上を動く。ツヨは、このシーンが好きで、何度も見ている。強く希求することが、現実を動かす。そのようなメッセージが感じられるのが好きなのだ。
 もちろん、ツヨは、思うだけで現実が変わるなどということはないことを知っている。グンジの言うように、私たちの心も、脳の中のニューロンがつくり出すものである以上、自然界の法則に従っているのだ。トムは、ツヨよりさらに現実的だ。トムの時には冷徹にさえ見える合理性と、不正を見ると涙を流す熱い心の組み合わせが、ツヨは好きだ。
 トムとツヨが上海でグンジ・タカダの下、スペラティヴのオペレーションをやっていたのは、もう15年前のことだ。数年のオペレーションで、生涯暮らすに困らない財産ができた。トムの資産マネッジメントの手腕により、実際には資産は減らず、むしろ増えていた。トムもツヨも、生活のために働く必要はない。
 しかし、この間、何もしていなかったわけではない。
 ツヨは、幾つか小説を出版した。そのうちの、ハワイ近海を回遊する鯨に関するセミフィクションは、それなりに評判になった。環境問題に関心を持つゲイの作家というツヨのイメージが出来た。一方、トムは、ハワイ在住の有望な若手アーティストに投資し、支援するコンソーシアムを10年前に立ち上げた。今ではハワイの芸術界でトーマス・カインを知らないものはいないほどの存在になっている。
 今日の午後は、ツヨの最新作「グリーン・ヒル」の装丁画を書くアーティストを誰にするかについて、ツヨとトムで話しあうことにしていた。「グリーン・ヒル」は、ハワイ島に住む気分のいい人たちとの交流を描いたセミフィクションだ。ツヨの作品のほとんどを日本語に訳している出版社が、日本語訳を出したいとすでにアプローチしてきていた。
 ツヨは、どうしても、自分の生活に密着した素材についてしか書くことができない。それがツヨのユニークさであると同時に、重大な欠陥だった。セミフィクションは書けるが、純然たるフィクションは書けないのである。ツヨは、そのことを十分に自覚していた。しかし、この欠陥は、ツヨの作家としての最大の野心を実現するためには、邪魔になるとは必ずしも言えなかった。
 その最大の野心とは、自分が人生の中で出会った最大の人物、高田軍司についての伝記を書くことである。グンジこそ、長い間国際社会において個人として傑出する人物を生み出せなかった日本から久々に誕生したユニークな人物である。そうツヨは思っていた。日本を離れても、世界史的に見てもユニークな存在だと信じていた。そんなグンジをまだ彼が学生の時に知ったことは、ツヨにとって大きな喜びだった。

 ツヨは、アース・サテライトの「エンバイロメント・ニュース」を見ることにしている。24時間ニュース局が金曜の午後、世界の環境問題を巡るトピックスを流す。ツヨにとってもトムにとっても、発展途上国の生活水準の上昇とともにますます深刻さを増す環境問題は、重大な関心事だ。
 今さらブロードキャストの番組? もちろん、インターネット上に大量のオン・ディマンドのニュース・リソースはある。しかし、同じ時間に、何百万人の人が同じ映像を見る。このような共同体験の幻想は、案外人を引き付けるものだ。スポーツの生中継ならばもちろんのこと、環境問題の番組も、案外ブロードキャストで見るのが良いものだ。視聴率が悪ければ、番組は打ち切られてしまう。エコロジーに興味を持っている人が全世界に沢山いる、そのことがツヨを勇気づけるように思えた。
 今日は、絶滅危惧種の保護の特集だ。
 イギリスの田舎の映像が映っている。産卵の時期になると車の通りの多い道路を横切る蛙がいる。その時期になると、ボランティアたちが、ビニールシートで路肩にダムをつくる。そして、夜の暗闇の中、サーチライトで蛙を照らし出し、一匹一匹反対側に運んで行く。
 クローンの技術が発達した現代でも、この手作業のやり方は変わらないのだと言う。
 なかなか素敵な話だな、トムが戻ってきたら話してやろう。ツヨはそのように思う。
 「番組の途中ですが、ここで、スペシャル・レポートをお送りします。」
 番組を中断して、「24時間ニュース」のアンカーマンが緊張した表情で登場した。
 「チベット政府と北京の中国政府は、先程、本日を期して、チベットが中国から独立したと共同発表しました。それでは、北京からお伝えします。」
 ツヨは、最初、アンカーマンが言った言葉の意味を解読するのに苦労したが、やがて眼を驚きで見開いた。
 画面では、赤い服を着た女性キャスターが、天安門広場を背景に、髪の毛の乱れを気にしながらマイクを持っていた。
 「チベットが独立しました。北京政府のこの突然の発表は、私たち北京にいる外国特派員にとって、全く予想もしないものでした。今朝になって、複数の政府高官が、今日中に重大な発表があるだろうと非公式に伝えてきました。ある政府高官は、「発表内容は、君たち西側の記者にとって嬉しいものだ」と漏らしていましたが、この発表内容を予想した人は一人もいなかったと断言していいと思います。まさに、晴天の霹靂でした。」
 アンカーマンが、質問を挟んだ。
 「最近の北京とラサの関係はどうだったんだい、イヴォンヌ?」
 「北京とラサの関係というより、チベット亡命政府のあるダラムとの関係と言うべきでしょうか? 御存じのように、共産党中国は高度の経済発展を経由しても、崩壊することはありませんでした。世界第二の規模の市場経済が、中国共産党の一党独裁体制と共存するという、奇妙な国家体制を維持してきました。そんな中、北京は、台湾に対してはもちろん、チベットに対しても、その強硬な姿勢を崩して来ませんでした。ダライ・ラマは、一貫してチベットの政治的、文化的独立を北京政府に対して訴えかけて来ましたが、西側の圧力にも関わらず、チベット独立は実現しませんでした。最近では、ダライ・ラマがマスコミに登場することも減り、一方では、中国の経済大国としての存在感が増すとともに、チベット独立が実現するのは無理だろうと言われていました。」
 「それにしても、一体何があったんだい、イヴォンヌ? 何が北京の態度を変えさせたんだい?」
 「全く判りません。北京とダラムの間で独立交渉が進行している徴候は、全くありませんでした。近年の中国は、資本主義経済と中央集権政治を組み合わせた『中国モデル』と言われる独自の政治経済体制の成功に自信を深めていました。その上、中国国内における人権状況は、日本に先立って死刑を廃止するなど、改善が見られてはいました。しかし、北京の政治家には、台湾やチベットを手放すつもりは全くない、そのように見られていました。何が今回の突然の発表につながったのか、全くの謎です。・・・」

 「君は聞いたかい、ツヨ?」
 来る途中の車の中でニュースを聞いたのだろう。トムが、珍しく興奮した様子でドアを開けて入ってきた。
 「素晴らしいニュースだ! ついに、独自の文化を持つスピリチュアルな人たちが独立を勝ち取ったんだからね。・・・それにしても、何が北京政府の態度を変えさせたんだろう・・・」
 何か飲みたいな。ツヨは、そのように感じた。トムと一緒に、何か暖かいものを飲みたい。ツヨは、立ち上がると、部屋付けのスモール・キッチンにあるエスプレッソメーカーのスイッチを入れた。
 1分後、しゅっという音と共に、香しい薫りが部屋の中に立ちこめてきた。
 ツヨとトムは並んでソファに座った。
 
 画面では、チベット問題の専門家が急きょワシントンのスタジオに呼ばれ、アトランタのキャスターとやり取りしていた。
 「それでは、ブキャナン博士、貴方は、ニューヨーク滞在中のパンチェン・ラマと直接電話で話したんですね。」
 「そう。彼は大変驚くとともに、心から喜んでいました。ダライ・ラマからも、今回の発表は真正なものであると、連絡が入っているようです。」
 「ところで、ダライ・ラマのことは誰でも知っているけど、パンチェン・ラマというのは、どのような人物なんですか? 偉い仏教の坊さんだということは判るんだけど。」
 「ドクター・ブキャナン」という字幕が下に出たその人物は、レクチャーでも始めるような口調になった。
 「もともと、パンチェン・ラマは、ダライ・ラマ五世の教師だったんだよ。御存じのように、チベットでは、高僧は、輪廻転生によって生まれ変わると考えられている。パンチェン・ラマが亡くなった時には、ダライ・ラマが新しいパンチェン・ラマを認定することになっているんです。ところが、1792年に、中国の皇帝が、「くじ引き」を導入したんですよ。」
 「くじ引き?」
 「そう、くじ引きにすれば、そこでいろいろと操作の可能性が出てくる。中国の息のかかったパンチェン・ラマを選ぶ余地ができる。」
 「チベットにおいては、高僧は、宗教的指導者であると同時に、政治権力者でもあるわけですね。」
 「その通り。だからこそ中国政府は、パンチェン・ラマに誰が選ばれるかに重大な関心を持つ。まあ、誰が選べれるにしても、それは小さな子供であるわけだが。最近では、前世紀の終わりにも、パンチェン・ラマの認定を巡って、ひと騒動あった。中国人が、ダライ・ラマの選んだペンチェン・ラマに対抗して「もう一人」の11世パンチェン・ラマを選んだんだ。この時にも、くじ引きが使われた。現在ニューヨークに滞在しているパンチェン・ラマは、ダライ・ラマの選んだ方の、つまり「真の」パンチェン・ラマだがね。」

 アメリカ人は、過去10年間に学んだこと以上のことを、この10分間にチベットについて学んだことだろう。
 ツヨは、トムの横顔が、興奮で紅潮しているのをそっと見た。
 ニューヨークのソロモン・ブラザーズのヘッドクウォーターで働いていた時から、トムはチベット独立運動に関心を寄せ、時折集会にも出ていたらしい。
 このまま、しばらくこのニュースを見ていたい。
しかし、一方では、仕事を始めなければならない。
 ツヨの「グリーン・ヒル」の装丁画を誰にするか、ニューヨークの編集者が起きている間にデジフォンして知らせなければならないからだ。
 「そうだな、そろそろ打ち合わせをしなければ。」
 ツヨが何かを言う前に、トムがエスプレッソのカップを置いてそう言った。
 「打ち合わせの間も、テレビを付けておこう。」
 そうトムはツヨに提案した。これは、打ち合わせの時はもちろん、普段でもテレビを付けておくこと自体を嫌うトムにしては、珍しいことだった。
 背景から聞こえるニュース音声に気をとられながら、トムとツヨは装丁画家の候補たちの作品サンプルに目を通し始めた。

 チベット独立を巡る一連のニュースの中でも、最も感動的な映像が、トムとツヨの打ち合わせが終わり、ニューヨークにデジフォンし終わる頃に飛び込んできた。
 「ただいま、ラサからの中継映像が入りました。ダライ・ラマがラサのポタラ宮に入城しようとしています。チベット独立が、この映像を見ると、やはり事実なのだという感激が湧いてきます。」
 チベット新政府と中国の共同の発表から2時間も経たない、水際立ったタイミングでの入城だった。
 黄土色の服をまとったその人が、ポタラ宮に至る白壁の階段を上りつつあった。その歩みは、ゆっくりとはしているが、しっかりとしていた。その後に、茶系統の色を中心に、様々な色の服をまとった人々が続いていた。コーヒー色の肌をした、人々の顔が歓喜に輝いている。マニ車を持っているものがいる。帽子を被っているものがいる。皆質素な服装だ。しかし、そのステップは、まるでカーニバルの踊りのように軽く弾んでいる。その弾んだステップが先頭を行くダライ・ラマのゆっくりとした歩みに合わせている。ダライ・ラマの前には、誰もいない。階段の一番上、白い布が垂れ下がった門の所に、二人の僧が直立不動で立っているだけだ。ダライ・ラマを先頭にした、歓喜の列が静かにポタラ宮の階段を上っている。
 まるで、映画の一シーンのようだ。しかし、これはまぎれもない現実なのだ。 
 やがて、ダライ・ラマは宮殿の入り口に達し、振り返った。人なつこい笑顔が見える。手を振っているのが見える。
 ダライ・ラマが宮殿の中に消えると、画面は資料映像に切り替わった。何かの機会にすでに用意されたものなのだろうか、静かな口調で、ダライ・ラマとチベットの歩みを振り返っている。
 「ここで、ダライ・ラマの発言集をお送りします。」
 ダライ・ラマの画像にタイトルが重ねられ、ナレーターの重厚な声が、ダライ・ラマの過去の発言を読み上げる。
 「チベット独立が達成された暁には、私は全ての政治的な役割から身を引くつもりです。」
 「私は、水面に映る月の影です。」
 「私は、単なる仏教の僧侶に過ぎません。それ以上でも、それ以下でもありません。」
 ・・・

 「良かったなあ。」
 ツヨとともに、画面に見入っていたトムが、嘆息して言った。
 本当に、チベットの人たちにとって、またダライ・ラマにとって、良い結果になった、ツヨもそう思った。しかし、ツヨには、トムのように何のてらいもなく、自分の感想を表現することができない。
 どんな出来事にも、裏があるのではないか、そのようについ思ってしまうのだ。
 一方、トムは、決してものごとの表面に隠れている本質について考えないわけではないが、良いことは良いこととして、そのまま素直に受け止めることもできる。
 この素朴な人柄の良さに引かれて、私はトムと一緒に暮らすことになったのだ。
 ツヨは、トムがグンジを訪れて、最初に話した上海の夜を思い出した。
 「ところで、ツヨ、グンジ・タカダとは、一番最近はいつ連絡をとった?」
 トムも上海のことを思い出したのだろうか?
 ツヨは、実はここのところグンジに出したメールの返事が来ないのだと告白した。
 トムはエスプレッソのカップを持って、一口啜った。
 「グンジは、どうしているのだろう。クオリア研究所もどうしたのだろう。ある時期から、クオリア研究所からは、ぴたりと何の情報も出てこなくなってしまった。まだ廃止はしていないのだろうけど。」
 トムは、そう言った後、まだ何かいいたげな気配を見せた。
 しばらくの沈黙の後、
 「実は、チベットが独立したというニュースを聞いた時、ぱっとグンジのことが思い出されたんだ。」
とトムは言った。
 「トム、実は私もグンジのことを思い出しました。グンジは、いつも、中国政府はチベットを独立させるべきだと言っていましたからね。」
 「そうだったか? 私は覚えていないが。」
 「上海でスペラティヴをやっていた頃、良くそんなことを言っていました。もっとも、当時の中国社会で、そのような意見を大っぴらにするはずもありませんが。」 
 「そうだったかも知れない。チベットが独立すべきだという見解は、グンジの政治的信条全般とも合う。しかし、私はグンジがそんなことを言っていたとは覚えていないな。私がグンジのことを思い出したのは、もっと微妙な回路を通してだ。」
 「微妙な回路と言うと?」
 「何と言ったらいいんだろう、どこか微妙な点で、チベット独立という今回の事件は、私の中で何故かグンジ・タカダという人間を思い出させた。どうみても、直接のつながりはないのだが。」
 後に、ツヨは、この時のトムの直観が鋭いものであったことを知ることになった。
 
 ダライ・ラマのラサ入城の様子は、中国全土にも生中継されていた。
 夜遅い時間帯にも関わらず、多くの人たちが画面に釘付けになっていた。
 21世紀初頭から、中国でも、検閲されないCNNゴールドを見ることができた。例え検閲したところで、インターネット上に無数にあるWeb放送局で、同じ内容の番組を見ることができる。それならば手間のかかる妨害操作をして国際社会の非難を浴びるよりも、番組をそのまま流してしまった方がいい。何よりも、中国経済の変化が、国民に最新の国際ニュースを伝えてそのメディア・リテラシーを上げておくことを要求していた。経済発展につれて、ある程度の知的素養を持った労働力を大量に必要とする時代に、中国もまた突入していたのである。
 国民を無知の状態に置くことは、中国経済の発展をさまたげることにつながり、結果として自分の首を絞めることになる。中国政府は、経済発展のために、外国からの報道に接する自由を事実上認める決断をしたのである。 
 20世紀末から始まったインターネット上のオープン・ソース・ムーヴメントにより、共産主義は、少なくとも理念上は、訴求力を取り戻しつつあった。オープン・ソース方式では、その先駆けになったコンピュータのオペレーティング・システム、『リナックス』のように、多くの技術者がボランティアとしてその開発に取り組む。必ずしも、その開発から経済的報酬を得ない。仲間内の名誉や、自分自身の技術力の進歩など、無形の報酬を得ることで満足したのだ。これは、インターネット上に実現した知的財産の共産主義だと言って良かった。
 やがて、オープン・ソース・システムは、多くの分野に広がっていった。デジタル・ネットワーク時代が、ネット上の共産主義を要求したのだ。その結果、少なくともネットワーク上では、共産主義という思想に対する訴求力は強まるように見えた。経済改革がうまくいって、中国経済が規模の上で日本経済を抜いた今日でも、政治制度が中国共産党の一党独裁という形を保てたのは、そのせいかもしれない。
 もっとも、ネット共産主義の主役は、中国ではなく、アメリカだった。かつての共産国が、いまや世界でも有数の資本主義経済の国家であり、一方で、世界最大の経済大国が、同時に最大のネット共産主義の国であるという、19世紀のイデオロギーでは理解できない現実が世界を覆いつつあったのである。
 北京の紫秋路でも、引退した元中国共産党幹部が、ダライ・ラマのラサ入城の様子を、チャイナ・サテライトのCNNゴールドで見ていた。
 「こうして・・・歴史は、また、逆回りして行くんだな。」
 「逆回り? それはどういうこと、おじいちゃん?」
 小学生の孫が素朴な好奇心を引かれて質問した。利発そうな顔をした、可愛いお下げの女の子だ。
 老人は、苦々し気に、そしてほとんど独り言のように言った。
 「あのダライ・ラマというのは、前のダライ・ラマの生まれ変わりだそうだ。前のダライ・ラマが死んで何年か経った後、その生まれ変わりの少年を探してくるのだそうだ。ふん、馬鹿らしい。そんなのは迷信に決まっている。チベットが、迷信で選ばれた指導者に導かれる国に戻るのが、そんなにめでたいのだろうか。」
 「でも、おじいちゃん、ダライ・ラマって、いい人みたいじゃない。」 
 「お前はそう言うが、チベットは、1950年に中国の人民解放軍が解放するまでは、一部の僧侶が富も権力も独占する、封建的な社会だったんだぞ。またそのような時代に逆戻りしていいといいうのか?」
 「でも、ダライ・ラマは素晴らしい人らしいじゃないの。」
 「ふん、お前も、だいぶ自由思想に毒されているんだな。」
 「でも、一人一人がそれぞれ自分の信条に従って生きる、その結果社会全体が良い方向に回っていく。そのような考え方は、必ずしも悪いものだとは思わないわ。」
 「馬鹿、この社会も、随分自由になってきたが、お前のような考え方をしていたら、出世できないぞ。」
 「おじいちゃんは、共産党の中で出世してきたかもしれないけど、私たちの世代は違うわ。」
 「違うも違わないもない。お前たちには判らないかもしれないが、人民解放軍がチベットの民衆を解放した背景には、確かに、ある政治的理想があったんだ。その理想を忘れちゃいけない。理想を忘れちゃいけないんだ。・・・」

 その頃、東京の新聞社各社では、チベット独立という大ニュースに、国際部、政治部、社会部の記者が大わらわになっていた。
 『インディペンデント』を始めとするイギリスの高級紙がはじめた試みに刺激され、「朝刊タブロイド紙」という新しいジャンルを開拓し、独自の紙面構成で部数を伸ばしてきた『首都新聞』では、明日の朝刊の見出しを、いかに独自色を出したものにするかで腐心していた。
 「チベット独立」
などというありふれた大見出しは付けたくない。何か、関連した、しかし意外性のある見出しがいい。意外性のない見出しでは、すでに家で朝刊に目を通している読者は買ってくれない。
 独自路線を引っ張ってきたやり手の編集長の向田は、1時間ほど前から社内を歩き回っていた。
 「何かネタはないか。何か、明日の朝刊のトップに持ってこられる、ネタはないか?」
 向田が外信部に来ると、同期のデスク、高谷が興奮した様子で机の上に広げられた写真を前に演説をぶっていた。
 「この、イコノス2の衛星写真を見ろ。明らかに、中南海の建物の回りの警戒体制が変っているだろう。」
 高谷は建物をなぞるように指を動かした。
 「解像度は、50cm以下だよ。スペース・イメージング社が、指定した場所の写真をとってくれる。アメリカ政府が、軍事偵察衛星技術の利用を解禁したから、民間の人間でも、こんな高解像度の写真が手に入れられるようになったんだ。もっとも、もはや政府の助けを借りなくても、民間で独自に同じくらいの解像度写真が手に入る時代だがね。」
 「何か政治的イベントがあった時の、定例の警戒体制ではないのですか?」
 いつも冷静な判断で向田や高谷の「暴走」を食い止める島田がぼそっと言った。島田は、社内で半ば冗談めかして「首都新聞の良心」と言われている。
 「いや、そうではない。私は、「中南海ウォッチャー」と言われるくらい、定期的に中南海の衛星写真を手に入れて見てきた。このような警戒体制は明らかに異常だ。ほら、道路に沿って、兵士が5メートル間隔で立っているだろう。」
 「この小さな点が兵士なのですか? 街灯ではないのですか?」
 「兵士だよ。私のように、常に衛星写真を見ていないと、すぐには見分けられないかもしれないな。心眼で見なくてはならない。脳の情報処理能力は、大したものなんだ。もし、それを鍛えればね。」
 「本当かなあ。高谷さんの思い込みなんじゃないかなあ。」
 高谷と島田のやりとりをにやにや聞いていた向田が、口を挟んだ。
 「いけるかもしれない。これを、明日の一面トップにしよう。トップ見出しに、『中南海に厳戒体制』、サブに、『何らかの政治的変化か?』というのはどうだろうか。」
 「最初のはいいとして、二番目のは完全に憶測だな。」
 高谷が今迄の勢いに反して控えめな意見を述べる。高谷は、どちらかと言え、興味深い衛星写真を手に入れれば、それで満足してしまうタイプだった。
 「憶測かもしれないが、これだけ唐突にチベット独立を認めたんだ。何か政治的な裏があるのは当然だろう。『何らかの政治的変化か?』くらい打ってもいいんじゃないか?」
 「勝手にするがいい。首都新聞の一面は、どうせお前さんのものだ。」

 翌日の土曜日、ハワイ島コナ近郊は穏やかに晴れていた。
 「おい、ツヨ、見てみろ。グンジがテレビに出ているぞ。しかも、チベット独立についての記者会見だ。」
 トムが叫んだ。
 眠っている間もテレビを付けっぱなしにしていた。
 中国の軍部の一部が、跳ね返りでラサを再占領するのではないか、トムはそれが心配だから、携帯電話(モバイル)テレビを付けっぱなしにしておいて、枕元に置いてあったのだ。
 グンジが、テレビに? 記者会見? チベット独立について?
 ツヨは、トムが何を言っているのか判らなかった。全く認知地図を作ることができなかった。
 トムは、居間に移動して壁の50型のテレビを付ける。ツヨがパジャマのままトムを追う。
 ツヨがリモコンを押すと、ヒューマノイド・ロボットが朝のコーヒーを持ってきた。

 画面に、「政治金融技術『スペラティヴ』がチベット独立の背後に」(political-economic technology "superative" behind Tibetian Freedom)というテロップがかぶされている。
 「これは、CNNゴールド特別レポートだ。」
トムがヒューマノイドからコーヒーを受取りながら言う。
 グンジ・タカダが、プレス・コンファレンスの会場で、記者たちに質問を受けている。
 しばらくぶりに見るグンジは、顔の表情も明るく、元気そうだ。
 グンジが元気そうなのは良かったのだが、ツヨには、自分が突然置かれた場所がどこなのか、さっぱりつかめなかった。グンジが何故チベット独立に関する記者会見に出てこなければならないのか、さっぱり判らなかった。カフェインも助けてくれない。
 記者会見は、どうやら、「民主チベット」という民間団体が主催しているらしい。
 「ノーベル平和賞を受賞した、エスタブリッシュされた団体だ」
 ツヨの困惑の気配をさとって、トムがそっとささやいてくれた。
 ちょうど、画面は、グンジがフィリピン訛りの英語を喋る女性記者の質問を受けているところだった。
 「『スペラティヴ』というのは、あなたが上海で大変なお金を稼いだ時にスローガンとしていた概念ですね。それが、今回のチベット独立にどのような関係があるのですか? ダライ・ラマも、スペラティヴのことを知っているのですか?」
 記者の声は詰問調だったが、グンジが、にこやかに受け流して答える。
 「猊下は、全く御存じありません。『スペラティヴ』の技術が、チベット独立に関与できるなどという、ファンタスティックなことを考えるのは、私のような誇大妄想狂と、私の周りにいるロケット・サイエンティストたちくらいのものです。」
 笑ったのは、グンジ本人と、まわりにいる民主チベットの人たちだけだった。
 いら立ちを隠せないように、アメリカ人らしい記者が口を挟んだ。
 「まだ良く判らないのですが、『スペラティヴ』とは、一体どのような技術なのですか? それは、そもそも、何を可能にするのですか?」
 「『スペラティヴ』の理論そのものは、私が上海で金融オペレーションを始めた際に、仲間たちとつくったものです。今回のチベット独立は、中国という、急速に発展しつつある政治経済複合体に、『スペラティヴ』を適用することによってはじめて実現したのです。」
 かなりのベテランらしいその中年の記者のいら立ちはますます強まったようだった。
 「あなたは何かを隠そうとしているのでしょうか? 隠すつもりだったのならば、なぜこのような記者会見を開いたのですか? 私が疑問に思っているのは、『スペラティヴ』がどんな技術だったから、それがチベットの独立という政治プロセスに関与することができたのか、その一点です。そもそも、単なる科学技術が、なぜ、かくも長い間袋小路に入っていた政治的問題を解決することができたのか、誰でも疑問に思います。私は、単にその疑問を解決して欲しいと、あなたに頼んでいるだけなのです。」

 その頃、CNNゴールドのアジア大平洋地区の総合プロデゥーサーであるケヴィン・マクドナルドは、シンガポールのヘッドクォーターで頭を抱えていた。
 「君、このネタは間違いないのか? 『民主チベット』が今回の独立に関する特別の記者会見をするというから、特別にザ・ワールド・ナウの時間枠を回したのに。こんな変な日本人が出てくるはずじゃなかったのに。この放送はアトランタにも流れているんだぞ。」
 ケヴィンにどやされたクリス・ウォンにしても、このような展開は予想外だった。
 「すみません。全く予想外の展開で。今、グンジ・タカダとかいう男は誰なのか、『スペラティヴ』というのは何なのか、調べているところです。」
 「それにしても、ダライ・ラマに続いてノーベル平和賞を受賞した名誉ある団体、『民主チベット』が、よりによってチベットの独立が実現した晴れがましい席で、何故このような奇妙な男に喋らせるのか? 全く判らない。」
 ケヴィンは、次第に募って来る不安を押さえようとしていた。
 中継を打ち切るべきか? アジア大平洋地区へのトランスミッションを打ち切ることは、ケヴィンの権限でできる。
 「もう少し、聞いてみましょう。会見の最初に、民主チベットのチェアマンが、『チベット独立の恩人のグンジ・タカダが・・・』と言っていたではないですか。」
 何時も冷静さを保つユウ・タク・リュンがそう言ったのを切っ掛けにスタッフの顔が再びモニターの方に向かった。

 「チベット独立をもたらした謎の政治金融テクノロジーの全貌明らかに」
 ある日、ツヨが手にしたコナ・オブザーバー・オン・サンデーは一面に大見出しを掲げていた。
 CNNゴールドのケヴィン・マクドナルドが世紀の失敗だと恐れた民主チベット本部からの中継は、世界中の多くの人たちを、信じるべきか、信じざるべきか、の宙ぶらりんの状態に置いた。人々は、心理的に、なんらかの説明を必要としていたのだ。コナ・オブザーバーだけではない。世界の主要新聞が、チベットの独立と社会の政治プロセスと経済プロセスを統合して制御しようという奇妙な理論を、一面トップに持ってきていた。
 独占スクープとなったU・P・I通信の記事は、次のように始まっていた。

 戦後の奇跡的な経済復興の後、バブル経済の崩壊で、長い政治的・経済的トンネルに入ったかに見えた日本は、アジアの政治状況を劇的に変えたり、地球規模で新しいトレンドを形成するような新しい思想の母胎としては、もっともあり得ない場所のように思われた。ところが、その日本から、21世紀のマルクスとでもいうべき、独創的な思想が現れた、と指摘する識者がいる。世界的に知られた政治思想史の権威、ハーバード大学のダッカス教授もその一人である。他でもない。先日のチベット独立の思想的立役者として一躍注目を浴びた、グンジ・タカダの『スペラティヴ』理論である。

 U・P・I通信の記事は、続いて、グンジ・タカダのスペラティヴ理論は、政治的オペレーションと経済的オペレーションを組み合わせることによって、経済的な利益を上げつつ、政治的な民主化を図ることを可能にするものだ、と解説した。
 
 ・・・・しかし、『経済成長とは何か』という著作を除けば、グンジ・タカダの「スペラティヴ」が具体的にはどのような内容なのか、ほとんど知られていない。タカダ・アンド・アソシエーツが上げていた驚異的な利益に着目して、『タイム』マガジンを初めとするいくつかのメディアが、「スペラティヴ」という言葉も用いてタカダの身辺について報じたことがある。しかし、タカダ・アンド・アソシエーツのかたくななまでの秘密主義に阻まれて、「スペラティヴ」に関する具体的な内容はほとんど明らかにならなかった。
  「スペラティヴ」の内容が明らかにならないまま、タカダ・アンド・アソシエーツは、当時日の出の勢いだった中国マーケットで急成長していた多くの会社群の中に埋もれ、グンジ・タカダに巨万の富をもたらした政治金融テクノロジーの謎は、ついに明らかにされないまま今日に至っているのである。
 チベット独立に関与した、と報じられたことで、このテクノロジーに再びスポットライトが当たった。どうやら、タカダ博士は、そろそろ彼のテクノロジーの謎を世界に向かって明らかにする潮時だと思ったらしい。本社は、来年初頭にタカダ氏がMITプレスから出版する予定の書籍、「スペラティヴーー幸福のための金融技術」の内容を事前に手に入れることに成功した。
 以下は、その要約である・・・・・。

 U・P・I通信は、続いて、タカダのスペラティヴ理論の概要を、一般のメディアに対して配信するものとしては異例なほど詳しく、技術的な詳細に踏み込んで報じた。スペースの都合上、全文を掲載するのが難しい場合に備えて、補助的マテリアルを載せたウェブページまで提供する力の入れようだった。
 U・P・I通信が報じた内容を専門家が検討した結果、タカダのスペラティヴ理論は、行動経済学における創始的な研究でノーベル経済学賞を受けたカーネマンらの研究の流れを受ける、意外なほど正統的で、きちんと整備された体系を持っていることが明らかになった。
 U・P・I通信の記事がきっかけとなって、グンジ・タカダの人となり、その経歴、資産家ぶりなどに関する大量の後追い記事が現れた。近代以降の日本が生んだ希に見るヴィジョナリーとしてのグンジ・タカダの名声が一気に高まった。ついには、グンジ・タカダを、ノーベル経済学賞やノーベル平和賞の候補に模する論評まで英米系のメディアに現れるようになったのである。

 すっかり時の人となったグンジ・タカダであったが、その年のクリスマスの頃には、一連の報道騒ぎもほぼ収まりかけていた。そんな中、バングラデシュの通信社、ENAが配信した次の記事を報じたのは、アイルランドの地方新聞やパキスタンの夕刊紙など、限られたメディアだけだった。記事の内容のあまりの荒唐無稽さに、多くのメジャーなメディアは報道するのをためらったのである。
 
 自ら開発した独自の金融理論「スペラティヴ」によって、巨額の富を築くとともに、100年は難しいと考えられていたチベット独立を実現した男として一躍知られるようになったグンジ・タカダであるが、多くの懐疑主義者が予感したように、どうやら今回の成功の裏には、暗黒の裏面があるようだ。チベット独立の裏には、実は、最新の人工知能を用いた殺人兵器の存在があったのである。
 直径2センチメートル足らずの人工蠅が、ほぼ無限の航続距離を持ち、極めて正確にある特定の個人を見つけだして、一分以内で死に至る毒物を確実に注射する・・・ グンジ・タカダがこの「殺人蠅」の技術をチベット亡命政府に提供していることを知った時の中国首脳の驚愕は想像するにあまりある。中国政府が、表向きは「中国が世界に示しつつある、資本主義と共産主義の合体の新しいモデル」をより洗練させ、「世界の人民にとっての民主化プロセスのより一層の進展のため」という大義名分の下にチベット独立を認めたことになっているが、チベット独立の真の理由は、この「殺人蠅」の威力にあったのである。
 「殺人蠅」の驚異の航続距離は、「古典的な」蠅のように、途中で有機物の食物から栄養を補給することができることによってもたらされている。しかし何よりも驚異的なのは、「殺人蠅」が様々な危険や障害をインテリジェントに避けながら、着実にターゲットの人間がいる場所に到達し、最後にターゲットの顔を確実に認識して毒針を刺すことを可能にしている『プロセス・アイ』の理論およびその実装技術である。『プロセス・アイ』の理論は、ウィーンで行なわれた意識の国際会議の最中に失踪した天才脳科学者、タケシ・カワバタによって生み出された。人間の意識の謎を解明するために生み出された『プロセス・アイ』が、グロテスクなSFに登場しそうな「殺人蠅」を可能にするために使われたわけである。複数の関係者によると、カワバタは、ウィーンから失踪した後、密かにグンジ・タカダの主催するインドネシア・バリ島の「クオリア研究所」で『プロセス・アイ』の研究を続けていた。しかし『プロセス・アイ』理論の実装技術の完成直前に再び失踪し、クオリア研究所所長のグンジ・タカダもその行き先を知らないと言われている・・・

 もし、この配信が、タケシ・カワバタが失踪した時の騒ぎを覚えている記者によって読まれていれば、もう少しはスポットライトが当たっていたことだろう。
 タケシ・カワバタのことを少しでも記憶している記者であれば、『プロセス・アイ』という言葉を正確につかっている点や、グンジ・タカダの「クオリア研究所」にカワバタが滞在していたことを指摘している点など、思いつきでは書けないようなディテールに目を見張り、注目したところだろう。
 しかし、21世紀に入って顕著になった報じるべきニュースの量のインフレーションの傾向の中で、科学のジャンルのニュースと、政治経済のジャンルのニュースを横断的に結びつけることを思いついた記者はいなかった。 
 天才脳科学者、タケシ・カワバタが果たしてチベット独立に貢献したのかどうか。この、きわめて興味深い歴史の一こまの真相がすぐに明らかにされることはなかったのである。

3月 10, 2009 at 07:10 午前 |

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コメント

茂木健一郎様

チベット蜂起の記念日をお知らせくださるとともに、
『プロセスアイ』を読ませてくださってありがとう
ございます。

このご本を読ませていただくこと、読書の世界を
拡げてくださることを実感させてくださいました。


ダライ・ラマの言葉
「死や一生のはかなさについて深く考えると、
私たちの心は自然と精神的成就に興味を抱き
始めるようになります」

たゆたう心を無意味にとどめるのではなく
大事なことを考えて行こうと思うのでした。

良い機会を与えてくださって
ありがとうございます。

投稿: Yoshiko.T | 2009/03/11 2:32:06

茂木さん、不思議な話だなぁというのが
私の素直な感想です。

10章めだけ読んだからですかね。✶✷⋆✮☄

『プロセス・アイ』は茂木さんのセミフィクション本なのですか??
時系列がさまざまな場所に飛躍して、近・未来的な感じがします。

ふーむ!茂木さんの文章には変わりない。
でも、小説の分野としては私はこういった文体に出会った事ありません。興味そそられます。ふふ…。
特別公開、ありがとうございます!

投稿: | 2009/03/10 23:31:07

チベットの蜂起があった1959年から僅か19年前の同じ3月10日、東京は焦土になった。

…大空襲によって。

何れの場合も、国家権力の欲の暴走による、圧制と虐殺であることにおいて、本質的には何の変わりはない。

その権力の暴走で、もっとも不幸になるのは、何れの場合も、無辜の民衆である。


きょうの昼間見たニュースで、ダライ・ラマ14世は、ダラムサラのチベット亡命政府で、中国からの独立ではなく、外交・軍事以外の高度な自治をすることを求めるということを言っていたようだが…。

中国側と国際社会、そしてチベットが互いのイデオロギーや理念の垣根を乗り越え、両国の和平とチベットの平和的な自治の為に、そして何よりも両国民の平和なる共生のために、今こそ本気で粘り強き対話を望むところである。

『プロセス・アイ』のこの章でグンジが「スペラティヴ」を使って(その裏では暗黒面もあるが)チベット独立の手助けをして、それにスポットがあたり、瞬く間に時の人になっていくというストーリーは、一面、なかなかに魅力的でもあり、また一面では、空恐ろしくもあった。

若し近い将来、この章のように超最先端の科学理論を駆使して、一国が独立するような事態になったら、チベットという国は、実際は、一体どのように変わっていくのだろう。

住んでいる人達ひとりひとりは、果たして、遥か昔のように、信仰と素朴さに包まれた、幸せな生活を、営んでいっているのだろうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/03/10 20:58:06

茂木先生こんにちわ。
昨年の同じ頃を思い出してしまいました。
そして、9月にラサに行かれた方は、タクシーの中にも監視カメラがついているのに驚かれたそうです。街中には以前からついてましたが。
「プロセス・アイ」にこのような内容の部分もあったのですね。
私も2006年、青蔵鉄道が開通する直前のラサに行きましたが、チベットはとてもスピリチュアルな場所だと思いました。アメリカ南西部、グランドキャニオンあたりとチベット高原は、東極と西極という地球の自転に関係する場所らしいです。茂木先生の小説(茂木先生の夢)が実現しますように。平和な形で。読ませて頂きましてありがとうございました。

投稿: hagu | 2009/03/10 19:08:50

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