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2009/03/26

やわらかな光につつまれて

日記のかわりに

「やわらかな光につつまれて」

 ご多分にもれず、若い時は西洋かぶれで、ヨーロッパの文化が最高だと思っていた。日本の中に、自分の魂を捧げるべき素晴らしいものがあるとは思っていなかった。
 二十代半ばで小津安二郎監督の『東京物語』を見て不意打ちにされた。ごく普通の人々のささやかな人生を描いていながら、一つひとつの場面が神々しい光を放っている。老夫婦が最後に帰っていく尾道の風物に魅せられ、居ても立ってもいられなくなって新幹線に飛び乗った。
 尾道水道を見下ろす千光寺公園は、桜が満開だった。小津の映画の面影を必死になって探す私を笑うように、ちらちらと花びらが舞った。そのうちに、遠い昔の映画の残像よりも、目の前の魅惑的な小都市の有り様に心が惹かれていった。
 細い路地を歩くと、あちらこちらから生活のにおいがした。猫が目の前を横切り、お婆さんが背中を丸くして手仕事をしていた。そのような光景が、人生はもっと力を抜いてもいいんだよ、と言ってくれているような気がした。
 当時の私は、将来自分が何をするのか、一向に見当がついていなかった。懸命に背伸びをしながら、確信というものが持てなかった。新幹線に飛び乗ってしまったのは、そんな自分のやり切れなさを散らすためでもあったのだろう。
 理想は遠くにあって憧れるもののではなく、ほんのささいな日常の所作の中に込められるもの。そんな、今となっては当たり前の人生の真実を知らぬ未熟者にも、初めて目にする街はやさしかった。
 忘れられないのは、瀬戸内のやわらかな陽光である。桟橋から舟で渡った島で、みかんの香りに包まれた。全てがやさしく照らし出される中に、それまで悩んでいた様々なことが、どうでも良いもののように思えた。遠い海の青が、自分の心のすぐ横にあるように身近に感じられた。
 花見において、私たちは春の日差しそのものを楽しんでいるに違いないと思ったのは、あの時である。たおやかな桜の花ひとひらと私たちを分け隔てすることなく、等しく恵みを分け与えてくれるはるか天上の恒星。その作用が、花を見上げる私たちを包み込むぽかぽかとした気配へと変換される。
 だから、私にとっての花見は、圧倒的に昼下がりである。小津映画における市井の人の善意が心に染み入るように、太陽のあたたかさが私たちの命に活力を与えてくれる。
 今年も待ち遠しいその時がきた。もしも満開の桜の花の下でお酒に日の光を溶かしこむことができたら、私の中でまた一つ何かがときほぐれてくれるだろう。

讀賣新聞「よむサラダ」2007年掲載

3月 26, 2009 at 05:20 午前 |

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コメント

私も桜の花は陽光の下で見るのが好きです。
単純にその方が美しいと感じるからなんですが、この記事を読んで、あぁ、なるほど、春の日差しを楽しんでいたのかも、と思いました。

投稿: take | 2009/03/27 19:20:17

茂木健一郎さま

おはようございます
あえて、ご挨拶しておきませんと
眠れないで?
いいえ、今日は今年初めの 釣り、です

神奈川県は湘南
茅ヶ崎の柳島石積み堤に
過日、富士山が見えて、とか、伊豆大島が見えてと書きながら、今年、そういえば!そこで仕事も本日から入りたいことが明日から、とのことで
ん?これは釣り、かな今日は、で

昨晩の半井小絵さんの気象解説
凝視! 東京、TOKYOはいかに!
大ざっぱに、茅ヶ崎も気象解説は、最寄りのTOKYOの気象解説かと
夕方に雨と半井小絵さん
もっとも夕方まで茅ヶ崎ですと今晩の気象解説、自宅で見られないので
そこそこで帰ってきます
私は半井小絵さんのスカート姿の場合、銀色のスカートが好きです
二晩つづけて銀色のスカート、嬉しくでした
私が好きな半井小絵さんの銀色のスカートは初日のキラキラしたのです
でも昨晩の落ち着いた銀色のスカートも素敵と思います

さてさて、文章を書いてましたら冴えてきました起きます。
いざ茅ヶ崎へ釣り!

まず朝食です。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/03/27 4:01:02

おはようございます!

茂木さん、昨日は寒かったですねー。
お仕事順調ですか??
桜の花もいつ咲くか、空気と勝負しているのでしょうね。
咲いた花はぶるぶるです❀❀

>人生はもっと力を抜いてもいいんだよ

温かい和みを感じます。
ついつい、スピード上げてしまいますので✿✿✿

でも、これを越えたら
ぽかぽかの春の日の光をお酒にとかして、
全身に浴びて、
おもいっきり笑えそうです!(^^)!

今日もイキイキ⋆ 眼光ぎらぎら✧✧✧―♫

投稿: 夏輝 | 2009/03/26 23:27:08

大切なのは、ごくごく普通の家庭生活かなぁって思います。
朝起きて台所から香る、味噌汁と炊きたてのご飯の匂いとか。天気の良い日に、夫婦で庭の草取りしているとか。縁側で陽なたぼっこをしている老夫婦とか。
(*´∀`*)

これらは、私の母がしている事であったり、お祖母ちゃん達がしていた事です。
私も、このように二人で年をとっていきたいなぁと思います(^o^)
まぁ…まずは旦那さまを見つけなければ(;^_^Aっていう話なんですがね〜(^-^)

投稿: 奏。 | 2009/03/26 23:06:05

きょうも、暖かな春の筈なのに、冬のように冷たい風が吹いて、桜も菜花も満開するのをためらうような、そんな日になってしまいました..。

ただ、太陽の光だけは、春らしいやわらかさに変わり、我等の周囲を優しく包んでくれている。
この寒さが過ぎれば、春の本当の姿に、東京者の我々も、巡り合えるのだ。

春風と陽光は、こまごまとした小さな悩みや迷いに凝り固まった心を、母の慈愛の手のように、柔らかくやさしく包み、ほぐしてくれるものですね…。

どんなに無機質な近代的都市も、爛漫たる桜花に彩られると、何故か美しく映えてしまう。

如何に恐ろしいIT機械文明の脅威にかぶれた人も、桜と菜の花と菫たちの前では、途端に優しさの心を垣間見せる。

春は本当に、万人の心を優しく包み、ささやかな喜びの境地に誘うものですね。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/03/26 22:37:32

恥ずかしながら、東京物語はまだ見た事がないので早速ビデオを借りて見てみたいと思います。瀬戸内にも行った事がないのでいつか行ってみたいです!

投稿: smile | 2009/03/26 20:14:06

『やわらかな光につつまれて』を読んで

 生まれると、とりあえず上を見ているん
だと思います。ずっと上を見て歩いている
のですが、ある時、上ばかり見ていた自分
に気がつく、そんな時ってあるよなぁと、
思いました。

 下を見ると、下に行ってみたくなったり
そのうちに、横に扉がある事に気がついて
開けてみたくなったり、開けたら光が射し
たり…いろんな事を頭の中で描きました。

 桜の花が咲いているのを見ると、思わず
立ち止まり、心をタイムスリップさせて、
いるのかもしれないと、思いました。

投稿: ぱろっと | 2009/03/26 18:28:40

お花見、茂木さんは都内では、どちらがお好みのスポットでしょうか。東京都で一番の標高を誇る(といっても25メートル)の神谷町・愛宕山の愛宕神社の桜は素晴らしいです。茂木先生はいらっしゃったことございますか。神社近くにレストランがあり、たしか一昨年はテラスで夜桜を楽しみながら食の怪人、農大の小泉先生とよい時を過ごしました。おすすめのスポットです。
また、ちょっと前のブログのトピックになりますが、04年春の海老蔵の襲名披露には、歌舞伎好きの歌人、水原紫苑氏と歌舞伎座に訪れました。演目は「暫」と「勧進帳」。水原さんの『歌舞伎ゆめがたり』はそのときの取材がもとになっています。「しばらく」と謳う海老蔵が強く印象に残っています。

投稿: 高橋典彦 | 2009/03/26 17:18:45

初めまして。

今日はどんなことが書いてあるのか、
ブログの更新をいつも楽しみにしています。

お仕事頑張って下さいね!

投稿: はな | 2009/03/26 16:58:01

数日後に引越しを控え、我が家はとんでもないことになっています。時間との戦いで色々整理しなくてはならないのに、引き出しの奥から出てきた古い手紙や、何気ないメモ、何でこんなところに?!というタイミングで出てくる写真など、についつい目が止まり、一日に何度もタイムトラベルをすることに・・・茂木先生と同い年の私には、今日の「やわらかな光につつまれて」は妙にしっくりと共感させていただきました。懐かしい写真を眺めるように。

投稿: (マ)ゴグ | 2009/03/26 16:51:48

たおやかな春の日差しと、茂木さんの文章が、心地よいハーモニーとなった昼下がり。
目を閉じれば、太陽の光の色と、蜜柑の香りがいっぱいに感じられ、なんだか幸せ。
ふーっと思いっきり、深呼吸。
うーん、気持ちいい!
茂木さんって詩人みたい。

投稿: シリンクス | 2009/03/26 15:41:13

親愛なる茂木先生、先生はどこまで走っていっちゃったのでせうか\(`・ω・´)/??まさか月まで??
なんだか沿道でマラソン応援しているような感じがいたします。ご無事で完走されますよ~にm(u_u)m amen
桜、咲き始めましたね~
茂木さんは「桜の精」っていると思いますか?わたしは、いると思います。はい。なんだか桜の花を見上げると、そよそよそよと話かけられてる感じがいたしますよね。
「さまざまの こと思い出す 桜かな」松尾芭蕉
桜で好きな俳句です。名句ですね~ヾ( ´ー`)桜を眺めていると本当に様々な思いが去来いたします。皆さんもきっとそうですよね♪思い出を秘めて散るから、思い出の散華となって桜はなお美しいのだと思います。

投稿: 眠り猫2 | 2009/03/26 14:49:27

昨晩から母に薦められて、茂木先生の「脳を生かす勉強法」を読ませて頂きました。本の中に勉強をやると思い立ったときにやるのがいいと書いてありこれからは僕も実行しようと思います。とても勉強になりました。

投稿: ゆうき | 2009/03/26 11:46:36

「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢う人 みな美しき」
(与謝野 晶子)

この辺りには桜の花かんざしやらの小間物を扱うお店も沢山あって、街のラインが華奢でした。

投稿: 吉野桜 | 2009/03/26 10:26:11

関西にしばらく住んでいたので、ソメイヨシノよりも紅枝垂れ桜の優美な姿こそ最高の桜のように思うようになりました。とりわけ、平安神宮の紅枝垂れ桜の庭は、さながら別世界のようです。

「細雪」に導かれて花見にゆきました。清水の夜桜も池に映って美しく、晶子のうたを思い出しました。

関西は言葉もはんなりして、やさしくて。

投稿: 吉野桜 | 2009/03/26 10:05:01

お忙しいのはとても大変なことですが
素晴らしいことだと思います

応援致しております
どうぞお元気で

投稿: ukulele mam | 2009/03/26 9:39:26

茂木健一朗さま

昨晩の半井小絵さんのお召し物 私 お気に入りの一番でした。

黄色が好きな私 上が黄色いお洋服 そしてスカート 銀色の大切に扱われている半井小絵さん その銀色のスカートも好きな私
ですので
恰好よいな と

尾道、画像を通してしかですが 佇まいが印象的
何か惹かれる尾道にです。

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/03/26 8:56:24

茂木健一郎様

小津安二郎監督作品の登場人物の存在感に
圧倒されます。
体温がつたわってくる映像。
だいすきです。

投稿: Yoshiko.T | 2009/03/26 8:50:26

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