« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009/03/31

プロフェッショナル 脳活用法スペシャル

プロフェッショナル 仕事の流儀

プロに学べ!
脳活用法スペシャル
これが“育て”の極意だ!

NHK総合
2009年3月31日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
“本気”の学びはどこからくるのか
プロに学べ!脳活用法スペシャル これが“育て”の極意だ!
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

3月 31, 2009 at 06:53 午前 | | コメント (14) | トラックバック (7)

文明の星時間 もの言わぬものたち

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第58回 もの言わぬものたち

サンデー毎日 2009年4月12日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 そもそも、歴史とは何なのだろう。それは、後世に名前を残す武将や政治家、実業家、文化人だけによって作られるものだろうか? 社会や国を揺るがす革命や戦争などの大事件によってのみ記憶されるのだろうか?
 歴史を織りなす本来の素材は、「もの言わぬものたち」にこそあるのではないか。資料に残らないことはもちろん、その存在したことさえが忘れ去られてしまうもの。人知れず生まれ、地上でつかの間の時を過ごし、やがて消えゆくもの。歴史を動かす真のダイナミクスは、そのような「もの言わぬものたち」とともにあるような気がしてならぬ。
 織田信長が比叡山を焼き討ちしたのは1571年9月12日とされる。その結果、子どもを含めた多数の人々が犠牲になった。日本における宗教の原理主義の芽を摘んだとか、京都に上るために必要な処置であったとか、後世さまざまに評価される信長の「蛮行」。その事件の際に命を落とした者たちは、まさに「もの言わぬものたち」であった。
 比叡山が炎上する時にも、空にはトンビが飛んでいたろう。田にはカエルが鳴いていたろう。トンボは舞ったろう。逃げ惑う子どもは、草むらの花を見たろう。そのような「もの言わぬものたち」について考えることは、果たしてセンチメンタリズムであろうか。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

3月 31, 2009 at 06:44 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

coupleとdecouple

年度を締めくくる書類を書きながら、
一年を振り返っていた。

coupleとdecoupleということを
思う。

何に自身をcoupleさせるかで、
自分は変わっていく。

感覚や運動の連関を通して、
次第に学習が進み、自己を構成
するdefault networkの成り立ちが
変化する。

何かから、あえてdecoupleするというのは
不自然だし、私の哲学からしても
潔しとしない。

だから、こういうものとcoupleして行きたい、
というものを列挙することにしよう。

まずは、自分が発することが、
できるだけ広い文脈における
message in a bottleとなること。
あらかじめこのような文脈だけで流通する、
と決まっているのではなく、また、
その文脈の中で評価されるために
作られる、と定まっているのでもなく、
思いもかけぬやり方で、未知の場所、
時間、人に届く。

そのようなものと、自身をcoupleさせたい。

次には、自分を高め、深めてくれること。

この世界のどこにいようと、イデアの
世界において自分を高めていくことは
可能である。

文明の中心にいる必要はない。学術の府に
ある必要もない。ひとりの創意工夫で、
ただ、キラキラと目の前にある
虹のハードルを越え続けること。

そのようなものとcoupleし続けていれば、
decoupleはその反作用として起こって
いくことだろう。

桜の花たちがいよいよ、大きくおおきく
開き始めた。

3月 31, 2009 at 06:39 午前 | | コメント (16) | トラックバック (2)

2009/03/30

トークブレイン RADIO

番宣をしろというメールをいただいたので。

茂木健一郎、初のラジオパーソナリティー番組。
今夜限りの特番です!

AMラジオ 1242 ニッポン放送

「茂木健一郎のトークブレイン RADIO 〜 教養脳の世界」

2009年3月30日(月)19:00 〜 20:50

3月 30, 2009 at 06:54 午前 | | コメント (12) | トラックバック (1)

ナイト・ドライヴィング

そごう大宮店の中の
三省堂書店で、ミニトークと
サイン会。

佐倉の川村美術館へ。

学芸員の林寿美さんが呼んでくださった。

マーク・ロスコの絵について、林さんと
対談する。

「入り口となるものの表れ方は
一つひとつ違っているけれども、奥底の
方ではみんなつながっているんじゃ
ないでしょうか。
問題は、一見関係のないものの間を
つなぐ「虹の橋」を見きわめること。
古代ギリシャでは、具体と抽象の
間の関係がちょうど今と逆転していた。
プラトンは、目に見えないイデアの
世界の方が、人間の魂にとっては
よほど本来的だと考えた。
私たちは洞窟の住人で、イデアが壁につくる
影を見ているだけなのです。
目の前の、このコップや机、椅子といった
ものは、「イデアの影」に過ぎない。
ロスコの「抽象画」は、むしろ、魂に
とってくっきりと鮮明な姿をした
何ものかを描いている。
イデアの世界の、ヴィヴィッドな
ものたちの姿を。」

良いものについて考えることと
同じくらい大切なことは、自分のかかわっている
作品について考えること。
研究であれ、表現であれ、それについては
どれだけ考え、感じても過ぎるという
ことはない。

佐倉は美しい印象の場所だった。
林や野の間を抜ける道を行くと、
なんだかイギリスを思い出す。

レクチャーが終わり、夜の道を
走る車。

街灯もない暗い道筋を進む中で、
イギリスの「ナイト・ドライヴィング」の
経験について考えていた。

林寿美さんは、現在
ギャラリー小柳で開かれている内藤礼さんの展覧会
Color Beginningに素敵な文章を
寄せている。

林さんのテクストは、ギャラリー小柳に
の展覧会に行けば、読むことができます!

前回の内藤礼さんの展覧会には、
私がテクストを書かせていただいた。

それは、このようなものでした。

小さきものたちにこそ、地上は支えられ

茂木健一郎
2005年 ギャラリー小柳 内藤礼展に寄せて

 大きなものに力が宿るのは、当然のことである。小さなものに力が宿るのを目にする時、私たちはそこに現出している不可思議なパラドックスに心を動かされる。手のひらに載るような小さきものたちの表情の中に、大世界をも成り立たせているこの宇宙の原初的な秘密が顕れているという事実に不意打ちされるのだ。
 内藤礼の作品を前に佇むことは、変容していく自分の体験と向かいあうことである。小さきものの密やかな力が、やがて微かな光となり、私たちの魂を満たして行く。「あちら側」から小さきものたちが放っていると思っていた光が、実は「こちら側」から、すなわち自分自身の魂から発せられていたことに気づく。その美しい自己認識の瞬間が、内藤礼の作品のもたらす祝福である。その時私たちは、この愛に満ちた芸術家の生み出す小世界が、魂を、そして世界全体をさえ映し出す鏡であったことを知るのだ。
 私たちが今目にしている小さなものたちの力は、生命誕生の記憶そのものに結びついている。私たちの命は、最初は目に見えないほど微かな胎動としてこの世にもたらされたのであった。内藤礼が土をこね、魂を乗せる船を形作り(「舟送り」)、白い紙に無数の穴を穿ち、風景を変容させるこの上なく繊細なスクリーンを生み出す時(「地上はどんなところだったか」)、そこに込められた祈りの内容をもちろん私たちは知らない。しかし、アトリエのドアが開き、その成果が世に向かって差し出される時、私たちは全ての命が最初は微かな気配のようなものとしてこの世に生み出されるものであったことを、確かな感謝をもって思い出すことができる。そして、いつの間にか、自分という存在が、母が幼子に向けるような無償の愛に包まれ、肯定されていることに気づくのである。
 大人になってしまった私たちは、日常の中で、大きなものたちに囲まれ、時には心をギスギスと荒立てて生きている。グローバライゼーションの奔流の中で、巨大な力にばかり目を奪われるのが現代人の生活である。しかし、この世界を成り立たせている根源的な作用とは、本来、小さく、やさしいものではなかったか。清少納言はかつて「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と書いた。それは単なる感傷ではなく、世界認識であったはずである。小さくてうつくしきものこそが、すべての生きとし生けるもののふるえであり、光であることを内藤礼は思い出させてくれる。だからこそ、その作品世界は小さくてうつくしいだけでなく、すぐれて現代的な意義を持つのである。
 10年以上取り組んできたというドローイングのシリーズ、「ナーメンロス/リヒト」に捉えられた、意識されるぎりぎりのあわいの中に見えてくる風景を前にした時、私たちは感謝をもって私たちがすむこの世界が本来どんな場所だったかを思い出す。
 地上は、実に、生命にあふれた場所であった。それは至るところにあって、私たちを包んでいる。カーテンから差す日の光のそばに、机の上のちっぽけな文具のまわりに、あの人のセーターのほつれの内に、ふと胸をよぎる予感の中に、私たちの/世界の生命はある。目を見張るほど巨大な物質や大文字で書かれた観念ばかりが飛び交う現代において、一つの奇跡のように現出した精神の日だまりがここにある。
 芸術が私たちの/世界の内側に秘められた生命の可能性への気づきをもたらしてくれるものであったとすれば、私たちは今もっとも小さく、そしてうつくしい芸術を目の前にしている。内藤礼の作品は、「地上はどんなところだったか」を私たちに改めて思い出させてくれる。小さなものたちこそが、この地上を支えているという真実をそっと耳打ちして教えてくれるのである。

3月 30, 2009 at 06:43 午前 | | コメント (14) | トラックバック (2)

2009/03/29

題名のない音楽会

題名のない音楽会

2009年3月29日 9時〜9時30分
テレビ朝日系列

http://www.tv-asahi.co.jp/daimei/ 

3月 29, 2009 at 08:45 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

スプマンテの泡に溶けて

PHP研究所『音楽の捧げもの ルターからバッハへ』(4月発売予定)、
『脳を活かす生活術』についての取材を受ける。

集英社新書『化粧する脳』についての
取材を受ける。

東京芸術大学の植田工くんと、
荻野夕奈さん 
の結婚式。

入り口に、杉原信幸くんの作品が
あった。

下に白い貝や石が敷き詰められ、
上から縄が降りる。

「あれ、杉ちゃん、縄どうしたの?」
と言うと、杉原は
「自分で編んだんですよ。」
と言う。

「長野の友達が米を作っていて、それを
手伝いながら、自分で縄をなったのです。」
と杉原。

力と光輝のある、とてもいい作品だった。
 
植田工の指導教官の布施英利さんの
司会進行で式は進んだ。

芸大の学生たちが来ている。
粟田大輔と、現代美術が
さらに先に進む方法について
議論した。
コマーシャリズムと、マテリアルの
こと。

広島の尾道からは津口在五。
津口は、「勉強を始めています。」
と言う。「何をしているんだ?」
と聞くと、「分析哲学です。」
との答え。

「おお〜!」
と喜ぶ。
「やれ、やれ、どんどんやれ!」
と気合いを入れる。

蓮沼昌宏くん(ハッスン)が、
写真を撮って回っている。

誰かが、「あれ、ハッスン、顔が精悍に
なったんじゃないの?」
と言って、
ハッスンは「えへへ」を笑っていた。

人前式のセレモニーの後、
お祝いの言葉を述べさせていただいた。

下に降りると、
テレビマンユニオンの花野剛一
さん(アタマの中身が70%ラグビーで
出来ている男)が、「いやあ、いい式
ですねえ」と目を真っ赤にして言った。

花野剛一いい男。
最近、長男の旦(ダン)君が誕生して、
お父さんになった。

会場には
鈴木康広さんの『まばたきの葉』が
置かれ、子どもたちがいつまでもいつまでも
紙の葉っぱを集めて、塔に運んで
スリットに入れている。

入れると、再び塔の最上部から吹き上げられて
舞い降りてくるのだ。

子どもたちは、いつまでもいつまでも
戯れている。
素敵な光景だった。

池上高志が来ていたので、
終了後、久しぶりにゆっくり話した。

油滴の実験について議論した
後、いろいろと近況のことになった。

池上もさまざま大変なことがあって、
苦労をしているようだ。

それで、ぼくは、スプマンテを飲みながら、
池上に、最近考えていることを言った。

「現実ってさあ、絶対に理想通りには
ならないじゃん、ダメなやつとか、ダメな
ものとか、そういうものはいくらでもある。
だけど、そういうものにフォーカスしていると、
時間がもったいないと思うんだよね。
良いもの、素晴らしいもの、それを見つけたら、
それだけのことを考えていれば良い。
人間って、素晴らしいものの前ではついつい
幸福になってしまってエポケーしてしまうよね。
でも、エポケーの先に行くことが大切なんだ。
たとえば、日月山水図屏風。あれは本当に素晴らしくて、
その素晴らしい、という感覚のうちにエポケー
してしまいがちだけれども、本当はその先が
あるんだ。どんどんどんどん先に行くことが
できるんだ。
傑作のうちには、限りない秘密がある。
その秘密に寄り添って、全身全霊考え、
感じているだけでも、人生なんて終わって
しまうんじゃないかなあ。
本当は、退屈などない。マクタガートの時間論、
斎場御獄、モネの絵。バッハの音楽。
すばらしいものに
ついて考えているだけで、そこで良質の
精神運動が立ち上がる。
どんどんどんどん先に行くことができる。
斎場御獄の一番奥のところ、あそこは
なぜ、岩がもう一つの岩にあのように倒れかかって
いて、そこを抜けると、こんな輪の中に
久高島が見えるのだろう。なぜ、死者の魂の
ように黒地に白い帯のシロオビアゲハが飛んでいる
んだろう。そのようなことを考えて
いるだけで、どこまでもどこまでも行くことが
できる。最良の精神運動のうちに。
そう考えたら、朝から晩まで、良いもの、
素晴らしいもののことだけを考えて
いれば良い。全力で、もっと先へ、もっと先へと
行けば良い。
だって、一生かかったって、自分が愛するもの、
素敵だと思うものすべてについて、その先、
もっと先を見きわめることができないじゃないか。
それだったら、ダメなものに目をとらわれている
時間はないじゃないか。
ぼくは、そう思うんだよ。」

「そうかあ」と池上高志。
それからしばらく経って、
高志が放った一言がとても素敵だった。

放たれた音波は、壁や、私の肌や、鼓膜を
揺らす。

スプマンテの泡に溶けて、
すべては昇華していく。

奇跡の祝福が、スプマンテの泡とともに
青山の骨董通りに降臨する。


津口在五くんと。植田工くんと荻野夕奈ちゃんの結婚式にて。


植田工くんと荻野夕奈ちゃんにお祝いの言葉を述べる。

(写真撮影 佐々木厚)

3月 29, 2009 at 08:06 午前 | | コメント (19) | トラックバック (1)

2009/03/28

あとは突っ走る

はて、いつから日記が止まっていたのかしら。

月曜日。
奈良の若草山など、奈良大学の上野誠
先生の案内で見て回る。
東京に帰る。「ミューズの晩餐」の
収録。ヴァイオリニストの川井郁子さん、
俳優の寺脇康文さん。

関根崇泰が、書類へのサインのために
撮影現場に来る。

横田紀彦さんと帰り道、打ち合わせをしながら
ご飯を食べる。

火曜日。

早朝、築地市場に行き、大和寿司の取材。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」
にご出演いただいた藤田浩毅さん 
のお店を訪ねる。

藤田さん、かっこよかった。

ニッポン放送。林望さんとの共著
『教養脳を磨く』 の版元、NTT出版が
スポンサーになって、私としては初めての
ラジオ番組のホスト。

韓国出身のシンガーのKさん、
それにお笑い芸人で作曲家のふかわりょうさん
とお話する。

NHKにて、プロフェッショナル仕事の流儀の
打ち合わせ。 

『エチカの鏡』の収録。
タモリさん、和田アキ子さん。

水曜日 大阪へ。大山崎の千利休が
設えた国宝の茶室、待庵にて、
さきに『利休にたずねよ』で直木賞を
受けられた山本謙一さんと対談。

関西テレビへ。

『ビーバップハイヒール』の収録。

木曜日 東京に戻る。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。ゲストは建築家の伊東豊雄さん。

意気投合してしまって、ぼくはもう、
伊東さんにまいったなあ。

金曜日 日経サイエンス編集部にて、
東京大学の峯松信明さんのお話を
うかがう。

草月会館にて、講演。草月流家元
勅使河原茜さんと対談。

ソニーコンピュータサイエンス研究所

学生たちとThe Brain Club。

箆伊智充くんの、博士論文の中間発表の
予行練習。

高川華瑠奈さん、加藤未希さんが
修士号を取得して社会人となるので、
五反田の「あさり」にて送別会。

学生たちの顔を見ながら、ひそかに決意すること
あり。

本当に大変な一週間だった。
移動中も、ずっと手を動かしていた。
目が覚めた瞬間から、眠りに落ちる時まで、
ずっとずっと作業をしていた。

外面的、スケジュール的な
忙しさなんて、大したことじゃねえ。

問題は、内面に渦巻く暴風雨だ。

人間には、いろいろな生き方がある。

社会に適応するために、妥協しなければ
ならないこともあるだろう。

しかし、本当に良質のエネルギーが
湧いてくるのは、プリンシプルを持ち、
志を抱いて、偶有性の海に飛び込む
ことではないか。

世界の現状なんて、知ったことじゃない。
ましてや、日本の社会の状況なんて、
クソクラエだ。
付き合っちゃ、いられねえよ。

大切なことは何か。その筋を見きわめて、
あとは突っ走る。


山本謙一さんと。待庵にて。


送別会にて。髪に日本酒のキャップを飾り、
田辺史子に「いいこ、いいこ」される柳川透。
後ろは石川哲朗。

3月 28, 2009 at 08:21 午前 | | コメント (18) | トラックバック (2)

2009/03/27

クロストーク 茂木健一郎 × 林寿美

クロストーク 茂木健一郎 × 林寿美

川村美術館
マーク・ロスコ 瞑想する絵画 展 関連イベント

2009年3月29日(日)17時30分〜19時
川村美術館にて。

詳細 

3月 27, 2009 at 07:12 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

光の川

 プロフェッショナル 仕事の流儀の
収録。

 建築家の伊東豊雄さんのお話は
本当に素晴らしかった。

 日記のかわりに。

 明治神宮の森を抜けることがある。東京の真ん中にあって、もともとは植林された場所なのに、今は鬱蒼としていて、太古以来ずっと続く何ものかの気配さえ感じさせる。
 その際、楽しみにしている光景がある。両側の木々が繁茂し、それが影を落として、参道の真ん中だけが明るく「光の川」に切り取られるありさま。その「流れ」に沿って歩いていく。
 光の川の中を、子どもたちが真っ直ぐにどこまでも走っていくのを見ることがある。麗しきそのかたちに気づかずに去る人がいる。奥に向かって次第に暗くなっていくその向こうへと、光が流れ込んでいく。川が続いていくその道を歩く度に、何かが自分の中にしみこんでいくような思いがある。
 森の暗がりの中を、何ものかの気配が動いていくのを感じることもある。それが現実なのか、心象風景に過ぎないのか惑いながらも光の川を辿る。そのような時は、大抵は何かやっかいなことを考えていて、周囲を見ているようで見ていないのが実態だけれども、光の川だけは視野に入っている。何かのきっかけがあると感覚が開かれる。目が覚まされる。薄皮がはがれるように、その前よりも世界の消息と少しだけ近しくなる。
 いつの頃からか、光の川が現れる参道が、私にとっての「哲学の道」となっていた。
 ある時、光の川に沿って歩きながら、宗教というものについて考えていた。どんな教義でも、それが具体的な言葉として主張されると、危うくなる。どんなに立派な世界観でも、囚われてしまうことに対する警戒心が、共感する心とせめぎ合う。私が「実行」の問題としては今までのところどんな宗教にも帰依していないには、そのような事情がある。
 それでも、世界の体験の中に慈しむべきものはある。「今、ここ」で私がまさに感じている、木もれ日のその感じ。光の川がどこまでも延びて誘うその風合い。森というものが現にここにある、存在感の頼もしさ。 
 私の命が息づいている。心臓が鼓動し、世界と行き交っている。実在と認識の接合面から匂い立つ、超絶的な感触は確かにある。だから、宗教に関心を持つ人の真摯さを否定することなどできない。受け止めることを、いかにしてすっきりと心のかたちに沿ったものとするか、その回路こそが問われているのだと思う。答えを、私はまだ見いだしていない。

茂木健一郎『今、ここからすべての場所へ』 (筑摩書房)より

3月 27, 2009 at 07:07 午前 | | コメント (20) | トラックバック (3)

2009/03/26

やわらかな光につつまれて

日記のかわりに

「やわらかな光につつまれて」

 ご多分にもれず、若い時は西洋かぶれで、ヨーロッパの文化が最高だと思っていた。日本の中に、自分の魂を捧げるべき素晴らしいものがあるとは思っていなかった。
 二十代半ばで小津安二郎監督の『東京物語』を見て不意打ちにされた。ごく普通の人々のささやかな人生を描いていながら、一つひとつの場面が神々しい光を放っている。老夫婦が最後に帰っていく尾道の風物に魅せられ、居ても立ってもいられなくなって新幹線に飛び乗った。
 尾道水道を見下ろす千光寺公園は、桜が満開だった。小津の映画の面影を必死になって探す私を笑うように、ちらちらと花びらが舞った。そのうちに、遠い昔の映画の残像よりも、目の前の魅惑的な小都市の有り様に心が惹かれていった。
 細い路地を歩くと、あちらこちらから生活のにおいがした。猫が目の前を横切り、お婆さんが背中を丸くして手仕事をしていた。そのような光景が、人生はもっと力を抜いてもいいんだよ、と言ってくれているような気がした。
 当時の私は、将来自分が何をするのか、一向に見当がついていなかった。懸命に背伸びをしながら、確信というものが持てなかった。新幹線に飛び乗ってしまったのは、そんな自分のやり切れなさを散らすためでもあったのだろう。
 理想は遠くにあって憧れるもののではなく、ほんのささいな日常の所作の中に込められるもの。そんな、今となっては当たり前の人生の真実を知らぬ未熟者にも、初めて目にする街はやさしかった。
 忘れられないのは、瀬戸内のやわらかな陽光である。桟橋から舟で渡った島で、みかんの香りに包まれた。全てがやさしく照らし出される中に、それまで悩んでいた様々なことが、どうでも良いもののように思えた。遠い海の青が、自分の心のすぐ横にあるように身近に感じられた。
 花見において、私たちは春の日差しそのものを楽しんでいるに違いないと思ったのは、あの時である。たおやかな桜の花ひとひらと私たちを分け隔てすることなく、等しく恵みを分け与えてくれるはるか天上の恒星。その作用が、花を見上げる私たちを包み込むぽかぽかとした気配へと変換される。
 だから、私にとっての花見は、圧倒的に昼下がりである。小津映画における市井の人の善意が心に染み入るように、太陽のあたたかさが私たちの命に活力を与えてくれる。
 今年も待ち遠しいその時がきた。もしも満開の桜の花の下でお酒に日の光を溶かしこむことができたら、私の中でまた一つ何かがときほぐれてくれるだろう。

讀賣新聞「よむサラダ」2007年掲載

3月 26, 2009 at 05:20 午前 | | コメント (18) | トラックバック (4)

2009/03/25

私たちはまた春を迎える。

今週は仕事のスケジュールが
完全に崩壊していて、
朝から晩まで、全速力で
走りきっても追いつかない状態。

無事乗り切れることを祈ります(笑)。

日記の代わりに。

__________

 毎年、この季節になると落ち着かなくなる。木の芽が吹き、花のつぼみが膨らみ、風が爽やかに薫る。やがて来るもの、まだ形になっていないものへの憧れの気持ちが強くなる。
 脳はもともと、現実に存在しないものをイメージする能力を持っている。外界からの刺激を受動的に取り入れるだけでない。認識とは、現実(今ここにあるもの)と仮想(今ここにないもの)の出会いであるというのが、脳科学が切り開きつつある人間観である。内なる世界観に基づいて、様々な仮想を自ら作り出す。仮想を世界の上に重ね合わせる。そこに、創造性が立ち現れる。
 昨年の暮のこと。朝一番の飛行機で出張から帰ってきた私は、羽田空港のレストランでカレーライスを食べていた。クリスマスソングが流れていた。隣の席に、家族連れがいた。五歳くらいの女の子が、三歳くらいの女の子に向き直り、次のような質問を発した。
 「ねえ、サンタさんて本当にいると思う?」
 それから、大きい女の子は、サンタの実在性について、自分の考え方を独り言のように話し始めた。
 「私ねえ、サンタさんて、本当は・・・・・だと思うの・・・・・」
 春の気配が深まるにつれ、あの時のことを繰り返し思い出す。
 サンタの本質は仮想である。5歳の女の子にとってのサンタの切実さは、それが現実にはどこにもないということの中にある。あの時、あの女の子は、仮想というものの切実さについて語っていたのだ。
 花見の季節である。桜の花は、何とも言えない質感に満ちている。ほんのりとした色づき、優美な花びらの形。感覚の中にあふれる質感を、現代の脳科学は「クオリア」と呼ぶ。春の空気に触れて心の中に立ち上がるそこはかとない憧れもクオリアである。サンタがプレゼントを持ってくるという予感もクオリアである。五歳の女の子も、私たちも、様々なクオリアのかたまりとして世界を体験している。
 酒を持ってふらりと出かける。満開の桜の木の下に座る。手を叩き、空を見上げる。宴の後、どこか完全には満たされない気持ちが残る。酔いが覚めた後の幻滅だけではない。おそらく、私たちは、仮想を希求する心が現実に肩すかしされてしまったことを感じるのだ。
 それでも、私たちはまた桜の花を見に出かける。
 桜の木に近づく私たちは、サンタのことを思う五歳の女の子と同じように胸を弾ませている。数字にも言葉にもできない、たおやかで繊細で、そして切実なクオリアたちに導かれ、私たちはまた春を迎える。


2002年3月、讀賣新聞文化欄に掲載されたエッセイ 
 
____________

3月 25, 2009 at 06:36 午前 | | コメント (18) | トラックバック (5)

2009/03/24

もの言わぬものへの思い

日記のかわりに。

<もの言わぬものへの思い>

 数年前の春、私は渡嘉敷島にいた。島の南西部にある阿波連の白い砂浜に、マルオミナエシの貝殻がたくさん落ちていた。マルオミナエシの貝殻の模様は独特であり、そのひとつ一つが時には山々の頂のように、時には「止」や「山」といった漢字のように、また時には波が砂浜に残していた文様のように見える。貝殻の中には、波に揉まれ、砂に磨耗して模様がすり切れ、その模様の名残を残しているだけのものもあった。
 浜辺を歩く人間にとっては奇妙な模様のついた、一時的な収集の興味を満足させるものに過ぎないマルオミナエシの貝殻の一つ一つは、実はマルオミナエシの一つ一つの個体の「生」の歴史の痕跡である。私たちは、マルオミナエシという貝が、その成長の過程で貝殻の独特の模様を描き上げていく過程を想像することはできても、それをはっきりとつかむことはできない。珊瑚礁の中で幼生として生まれ、懸命に餌を食べ、仲間の多くを失い、波に揺られ、太陽の光を感じ、砂に潜り、異性を求め、やがて何らかの理由で力つき、貝殻のみを残して自らは屍となり、そしてその貝殻が砂浜に打ち上げられ、人間によって発見されるまでのマルオミナエシの生は、決して誰にも知られずに、密やかに行われる。私たちの手元にあるのは、そのようなマルオミナエシの生の痕跡としての貝殻だけである。
 島の美しいサンゴの海の周辺には、様々な「もの言わぬもの」の生が満ちあふれていた。海燕や、ゆったりと飛ぶ蝶、そして、珊瑚礁にすむ名も知らぬ色鮮やかな魚たちーーこれらは、私たち人間の作り上げた「言葉」、そして「歴史」や「文明」といった「流通性」や「操作性」のネットワークに決してのることのない、物言わぬもの、無に等しいものである。もし、大手の資本が、リゾート開発という文明の中で流通することのできる記号をもって乗り込んでくれば、これらもの言わぬものたちは、ひとたまりもなくどこかへ追いやられてしまうであろう。古代のアミニズムの精神がもの言わぬものたちの存在を直感的に感じとっていたとすれば、私たちの「歴史」や「文明」は、これらもの言わぬものたちを切り捨て、人間の間だけで流通する「言葉」のネットワークを構築することから始まったのだ。
 阿波連の美しい浜辺を歩きながら、私はおよそそのようなことを考えていた。
 やがて、島を去る日が来た。船は、汽笛を鳴らすと、ゆっくりと港を出ていった。船が次第に旋回するのを感じながら、私の胸は、渡嘉敷島で見てきた「もの言わぬものたち」への想いでいっぱいだった。少なくとも、その時の私には、彼ら「もの言わぬものたち」は、私たちの文明の中で流通するものと同じように、あるいはそれ以上に価値があるもののように思われたのである。
 船は、那覇港を目指して航行していた。私は、那覇がビルの林立し、車が行き交う、文明の都であることを思い出していた。私は、渡嘉敷島に残してきた「もの言わぬものたち」を思い出しながら、暗然とした気持ちになっていた。その時の私には、人間が操作し、管理することのできる人工物=「言葉」に支えられて運営されている文明に対する違和感が非常に強く感じられていた。 
 船が那覇までの行程の半分ほどを過ぎた頃であろうか。船の後方を振り返った私は、意外なことに気がついた。渡嘉敷島もその一部である慶良間諸島の島影が、水平線の彼方におぼろげながら見えていたからだ。心の中で、「文明」の世界への再突入の準備をしていた私にとって、慶良間諸島の姿がまだ見えていたことは、新鮮な驚きだった。
 それから三十分くらいの航海の様子を、私は忘れることができない。船の前方には、次第に那覇の港が近づいてきていた。大型船、小型船が行き交い、灯台が見え、浮標が点在し、海面にはオイルが浮き、飛行機が上空を飛び、そしてビル群はますます大きく見えてきた。これらのものが、「文明」を構成する「言葉」であることが、その時痛切に私の胸に迫ってきた。好きであれ、嫌いであれ、私たちの文明は、これらの「言葉」、私たちが作り出し、流通させ、操作する「言葉」から成り立っているのである。一方、船の後方には、なつかしい慶良間諸島の島影が見えていた。その姿は、自然が数十億年かけて作り上げてきた豊かで多様な世界、それにも関わらず私たちの「文明」という言葉のネットワークの前では、「もの言わぬもの」、「流通しないもの」であるものたちの世界を象徴していた。その時の私には、那覇と慶良間諸島が代表する二つの世界が、私の乗った船から同時に見えたということは、きわめて意味深いことのように思われたのである。
 船が那覇港に着いても、慶良間諸島は依然として洋上遥か彼方に見え続けていた。私は、「言葉」以前の、「もの言わぬものたち」があふれる世界から、「言葉」が飛び交い、流通するものがあふれる文明の世界へと戻ってきたのである。
 人間にとって、「言葉」とはマルオミナエシの貝殻のようなものだ。「言葉」は、私たちの生の痕跡の、ほんの一部分の、不十分かつ誤謬に満ちた証人に過ぎないのである。それにも関わらず、人間は「言葉」にすがって生きていかざるを得ない。「言葉」という貝殻に、必死になって自分の人生の模様を書いていくしかないのである。
 だが、もの言わぬものたちが存在しないわけではない。
 私は、蟻の様子を見るのが好きだ。蟻が巣をつくっているのを見るとき、その動作の不可思議さが私の心を強くとらえる。今、この特定の場所、特定の時間に、蟻の足の下にある砂の様子や、草を揺する風の動きや、それらを全てを照らしだす太陽の光がどうしてこのような形で世界の中に現れたのか、不思議な感じがする。そのことは、どんなに科学が発達しても決して解くことのできない謎である。
 私の心は、もの言わぬものたちとともにある。

茂木健一郎『生きて死ぬ私』より

3月 24, 2009 at 04:56 午前 | | コメント (18) | トラックバック (1)

2009/03/23

「此世のことはとてもかくても候」

 上野誠さんのお誘いで、
奈良大学のオープン・キャンパスにて、
黛まどかさん、上野誠さんと
鼎談する。

 東京書籍の植草武士さんも
いらっしゃる。

 終了後、上野さんや植草さん、黛さん、
それに黛さんゆかりの俳句のグループ
「シーズンズ」の和田さん、鷲田さん、
上野さんのアシスタントの大場さんと
上野さんの行きつけの「ひより」
にて懇談。

 奈良の空は大きく、広い。

 いつもの癖で、皆が盛り上がっている
中で一人抜け出して、
奈良町を歩いた。

 美しく、なつかしい街並みが
広がっている。

 暗がりに包まれていると、
ほっとする。

 宴もたけなわの頃、
もう一度外に出ようと思ったら、
ざあざわと雨が降っていた。

 仕方がないので、店の軒下に置かれた
大壺の中を泳ぐメダカを見つめていた。

 上野さんや黛さんとは、
大学を始めとする「組織」のことを
いろいろ話した。

 理想の組織など、この世にない。

 現実が、思うようにいかないこと、
完全にはなり得ないこと。

 これは当たり前のことであって、
だからこそ、精神のダイナミクスは
仮想されるイデア界を中心とせざるを
得ないのだろう。

______
或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま 女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、 つゞみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。 其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を 思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世をたすけ給へと 申すなり。(『一言芳談抄』)

小林秀雄『無常といふ事』より 
______


「此世のことはとてもかくても候」。
精神のダイナミクスの中に、自由と
無限を求め続けたい。

3月 23, 2009 at 08:44 午前 | | コメント (26) | トラックバック (4)

2009/03/22

富士山

山中湖へ。

松岡修造さんの、「修造学園」
の収録に参加させていただいた。

子どもたちと、真剣な、しかし楽しい
時間を持つ。

修造さんに会うたびに、そのまっすぐで
礼儀正しいお人柄に惹かれる。

素敵な人だ。

修造さんがウィンブルドンのセンターコート
に立った時、
あまりにも緊張してしまったので、
思わずでんぐり返しをして
緊張を解した話。

子どもたちの脳に、強く印象付けられた
に違いない。

帰り道、富士山が大きく見えた。

夏目漱石が、「三四郎」の中で
富士山のことを書いている箇所を思い出す。

 三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。
 その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。

夏目漱石『三四郎』より

富士山は、確かに雄大で美しく、
この世のものとは思えないほどの
凄まじさがある。

 東京へ。

G8ギャラリーで行われている

 植原亮輔さんの展覧会を見る。

 まるで、一品もののオリジナル
であるかのように見えるコラージュに
よるカレンダー、文具が、実は
印刷と型による複製品。

 複製品であるが、ベンヤミンの
言うところの「アウラ」がある。

 植原さんとお話した。

 印刷技術の進歩により、このような
ことが可能になったのだという。

 そのどこか懐かしい感じを与える
作品群を見ていると、
 現代の私たちが何を失っているの
かが照射される。

 鮨「水谷」へ。

 「婦人画報」の取材で、海豪うるる
さんと。

 水谷八郎さんに、いろいろ
お話をうかがう。

 中トロと、アワビが絶品で、
一通り頂いた後
その二つに「戻った」。

内田百閒の『冥途』は、
夢というものの真実を詩的な文章で
描いている。

夢は、一見脈絡がないようでいて、
実はつながっている。

現実の時間や空間の中で離れている
ものが、その本来の親和力(Wahverwandtschaften)
そのままに、結びつくのだ。

 一日のうちに経験する
ことのさまざまも、地下の
水脈で結びついて、 
 やがて伏流水となって地上に顔を出す。

 富士山は、大切なモティーフとして、
ここのところの私の無意識の中にある。

3月 22, 2009 at 06:36 午前 | | コメント (23) | トラックバック (5)

2009/03/21

なるほど、眉毛だったか。

 人の表情というものは
不思議なもので、具体的どこかは
わからないんだけれども、何かが
違うことは明白だ、ということがある。

 研究室の合宿で、
星野英一の顔をひと目
見たときから、「何か変だな」
と思った。


ふだんの星野英一クン。2008年5月13日撮影

 何とはなしに、顔の印象がやわらかく
なっている。

 それまでは「シベリア凍土」だった
ところが、「雪解け」したように感じる。

 「あのさ、星野さあ、お前、顔
何か変えたか?」
と聞いた。


合宿での星野英一クン。2009年3月20日撮影。

 「片方の眉毛をそったら、かたちが変に
なったんで、もう一つもそろえたんですよ」
と星野が言う。

 なるほど、眉毛だったか。

 眉毛一つでこれほど顔の表情が
変わるとは、驚異である。女性が
お化粧であれこれと工夫をするのも
当然である。

 ぼくの大脳皮質右半球の紡錘状回
はわかっていたんだなあ。

 熱海に移動。

 駅前で刺身ご飯を食べ、ボウリングをし、
散歩をして、温泉に入る。

 その間、ずっといろいろな議論をしている。

 柳川透、小俣圭、石川哲朗、星野英一
と入って研究の話を延々とした温泉は、
まさに「合宿温泉クラッシック」であった。

 熱海の商店街を歩いていると、
尾崎紅葉の『金色夜叉』の
寛一お宮の写真ボードがあった。

 「おい、やってみようぜ」と柳川透を
誘った。

 二人で顔を出す。他の人が写真を
撮っていたが、どんな風に見えたのかは
知らぬ。私が寛一で、柳川がお宮になった。

 続いて、石川哲朗が寛一に、小俣圭
がお宮になった。


寛一(石川哲朗)とお宮(小俣圭)

 皆さんどうでしょう。お似合いでせうか。

 小田原に移動して、
焼き肉を食べる。

 食べて、温泉に入って、食べる。

 その間、ずっと喋っている。 

 お腹がパンパンにふくれた。

 良い合宿だったね。
 みんな、これからも頑張ろう!

 連載コラムを書いている
小学館の週刊『西洋絵画の巨匠』 

 現在第8巻の「レンブラント」
が発売中。

 原稿は先に進んでいて、昨日は第21巻の
「ムンク」の締め切りだった。

 ムンクの代表作「叫び」の男の
背後の、血のように赤い太陽。


ムンク『叫び』

 オスロ大学の講堂の装飾画の
中心的作品『太陽』は、まばゆい光輝を描く。


ムンク『太陽』

 「叫び」の夕日と、『太陽』の朝日は、同じ太陽である。
 太陽はものみな照らす。
 実存的不安は、生きている証し。
 ああ、確かに生きている。
 だからこそ、不安なのだ。

 逆説的ではあるが、『叫び』は、生命賛歌だとさえ言える。男は自らの不安に耐えかねて、鋭い叫び声を上げる。胸のうちには、言葉にもしようのない暗闇を宿している。しかし、一体どうなってしまうのかとうち震える「私」は、その瞬間、間違いなくこの地上に生きている。心臓を鼓動させ、息づいている。押しつぶされそうな不安を感じているからこそ、男は自分の生を実感することができるのだ。
(週刊『西洋絵画の巨匠』第21回「ムンク」の原稿より)

 生きていることに不安はつきまといがち
だけれども、
 しかしだからこそまた、
 生きていることは
太陽のように輝かしい。

3月 21, 2009 at 05:34 午前 | | コメント (25) | トラックバック (4)

2009/03/20

かぶく

 市川海老蔵さんとお目にかかり、
対談させていただく。

 海老蔵さんの舞台では、2004年の
『助六由縁江戸桜』の縁起が
記憶の中に鮮明に残る。

 海老蔵さんは、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を見て下さっていて、出かける前などに
かけて「気合い」を入れているとのこと。

 ありがとうございます!

 海老蔵さんは、市川家の
御曹司。

 ものごころついた時には、
すでに歌舞伎の世界を空気のように
自然に呼吸していた。

 一時期、重圧や伝統に反発していた
という海老蔵さん。

 その話を聞いて、なるほど、
正統なる「御曹司」の生き方というものは
そのようなものかと思った。

 世間では、親や家の敷かれた
路線に従う子どもはどうしても
「ひ弱」なイメージがある。

 素直過ぎると、覇気に欠ける
ということになるのだろう。

 むしろ、海老蔵さんのように
いったんは猛烈に反発して、
伝統の中から飛び出す、という
くらいにあばれる。

 その後で、伝統の中に還っていく。

 「今は歌舞伎のことしか考えない」
というくらいに、熱烈に回帰する。

 海老蔵さんの生き方には、
そんなダイナミズムがある。

 そのような「スィング・バイ」の生き方を
するのが、正しい御曹司というものなのだろう。

 初対面とは思えないほど、お話
するのが楽しかった。

 リズムが心地よい。

 予定を大幅に超えて、最後は
WBCの中継を見ながらご飯をご一緒した。

 現代において「かぶく」ためには
どうすれば良いのか。

 ただおとなしくしていれば
いいと言うものではない。
 枠から飛び出し、習慣を壊し、
突破する。
 
 それでいて、いつかは、
新たな「正統」となる。
 乱暴者のようでいて、
実は本当の意味で伝統を引き継いで
いたのはあの人だった、と言われるように
なる。

 そのような生き方は難しいが、
しかしこの上なく価値がある。

 現代において、「かぶく」
ためにはどうすれば良いのか。

 そんなことを一生懸命考えた。

 海老蔵さん、またお目にかかる
ことを楽しみにしています。
 
 海老蔵さんは4月に名古屋の御園座で
5役を演ずる「雷神不動北山櫻」の公演がある。


http://www.misonoza.co.jp/ 

 海老蔵さんのすばらしい舞台を、
みなさんぜひご覧下さい!
 
 真鶴へ。
 
 研究室の合宿。

 三ツ石海岸に集合。ビールを飲みながら
いろいろと議論する。

 刺身を食べたあと、宿でさらに議論。

 朝、露天風呂に入ったら、
お湯がなかなかでなくて、星野英一が
「冷たい、冷たい!」と叫んだ。

 歌舞伎には、「本水」という演出法が
ある。

 本水を浴びて、星野英一が、
「つめてえ、つめてえ、あっ、こいつは
はるからつめてぇわい!」
と叫んだ。

 柳川透が、少し垢抜けたと思ったら、
H&Mのジャケットだった。

3月 20, 2009 at 08:06 午前 | | コメント (13) | トラックバック (3)

2009/03/19

文明の星時間 純粋なるもの

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第56回 純粋なるもの

サンデー毎日 2009年3月29日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 カラヤンには、ほの暗い側面もあった。ナチスとのかかわりは、一筋縄ではいかない難問を提示する。そもそも、ロマン主義の中に、暗い運動の萌芽はあったのではないか。ワグナーの音楽自体の中に、時に人間を破壊へと衝動付ける情念は宿っていたのではないか。
 カラヤンの指揮するワグナーの楽劇『神々の黄昏』に聴き入ると、深い森に包まれ、極北の光を見上げながら息づいていた人たちの精神宇宙が立ち上がってくる。その汲めども尽きぬ魅力の中に、現代における人間性の危機は準備されていた。
 コンパクト・ディスクなどの新しい技術の導入に積極的だったカラヤン。ベルリン・フィルへの女性団員の加入をめぐってトラブルを起こしたカラヤン。商業主義が批判されたカラヤン。自らジェット機を操縦し、自動車を疾走させるスピード狂のカラヤン。カラヤンの人生のさまざまを知れば知るほど、そこには乱反射して容易に焦点を結ばない「怪物」の姿が立ち現れる。
 だからこそ、その音楽における純粋なるものが奇跡のように降臨する。ものを知らぬ子どもが聴いても、世の中の様々を見知った大人が耳を傾けても、その純粋なるものが変わらずに響く。やがて死すべき者は、永遠を手にする。
 木々の梢を舞う雪。初恋の人とのキス。洗い立てのシーツの感触。心の奥深くに潜んでいる、まだ誰も見たことがない真の自分。音楽は、私たちにこの世の祝福を思い起こさせる。世俗化した時代においても、それは一つの「宗教儀式」である。現実の世の中における行状がいかに複雑で、やっかいなものであったとしても、すぐれた芸術は、最後は純粋なるものに辿りつく。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

3月 19, 2009 at 05:46 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

魂の探求

パトリス・シェローが演出し、
ピエール・ブーレーズが指揮をした
バイロイト音楽祭の
『ニーベルングの指環』は、当時、
その前衛性が大きな論争を呼んだ。

初演の1976年は、私は中学生。
あれから30年余りが経って、
今その記録を見ると、もはや
古典と化している。

たとえば、『神々の黄昏』
の最後、ブリュンヒルデの自己犠牲。

http://www.youtube.com/watch?v=BmX9N8C8nko

ジークフリートの亡骸に火をつけ、
自らもラインの乙女たちに黄金を返す
ために火の中に飛び込む。

ライン川の水かさが増し、すべてを
飲み込む。遠くでワルハラ城が炎上するのが
見える。

黄金を取り返そうとあわてて飛び込む
ハーゲンも、水に飲み込まれてしまう。

黄金が戻り、よろこんで泳ぐラインの乙女たち。

最後に、旧世界が燃え上がるのを
ひしめき合いながら騒然と
見つめていた群衆の中から、一人、また一人と
立ち上がって、こちらを見る者が現れる。

ラストシーンは、「愛による救済」
のモティーフが流れる中、群衆が全員
こちらを向いて、その一人ひとりの顔が
ポートレートのように心に焼き付けられる。

ずっと虐げられてきた彼らが、ひとりの
人間としての自由を得る。そのような
時代が来た。
 
このような演出をするシェローを、
ぼくは信頼する。

あれは大学生の時、
アムネスティ・インターナショナルの
ニューヨーク支部を訪れた時、
彼らの骨太の思想に感銘を受けた。

あの時の感銘と、シェローの演出から
受ける感動は
太い水脈でつながっている。

竹内薫の日記 
を読んで、改めて思うこと。

インターネットの第一原理。

「ネットに匿名で書かれた意見は、存在
しないのと同じである」

もちろん、匿名で意見を書いたり、それを
読んだりする人がいても、全く
かまわない。

オレは読まない、というだけのこと。

竹内が引用している
「子どもの権利条約」は、
人類の骨太の思想の潮流を示している。

それは、ワグナーやブーレーズ、
シェローなどの偉大な芸術家
の作品と同じように、
人間精神の名誉のために
努力してきた人たちによる、
一つの美しい作品なのだ。

葉加瀬太郎さんと対談。

音楽の話、ロンドン、ドイツ、バッハ、
ブラームス。ヴァイオリンの
楽器としての特質。日本のこと。

葉加瀬さんはロンドンと日本を往復する
生活。

最近のロンドンの様子をうかがった。

初対面でも、何だか昔からの友人の
ように感じる葉加瀬さん。

今度またゆっくりとお話したい。

第三回 shiseido art egg賞の審査。

http://www.shiseido.co.jp/gallery/current/html/index.htm

宮永愛子さん、佐々木加奈子さん、小野耕石さんの
三人の作品について、審査員の石内都さん、鷲見和紀郎さんと
ともにじっくりと議論した。

お話しているうちに、
自分がある作品についてどのように
感じているのか、
そもそも、美術品と向き合う時に
どのような基準を当てはめているのか、
というように、自分自身を探る
作業が進む。

それは、いわば「魂の探求」(soul searching)。

心の奥底を柔らかくほぐしていくような、
とても素敵な審査会だった。

資生堂企業文化部のみなさん、本当に
お世話になりました。

3月 19, 2009 at 05:33 午前 | | コメント (13) | トラックバック (3)

2009/03/18

吉田秀和さん

逗子のラ・マーレ・ド・茶屋にて、
吉田秀和さんにお目にかかる。

朝日新聞での「音楽展望」のお仕事は、
もう30年にわたって愛読している。

1913年9月23日生まれの
吉田秀和さん。

最近の『永遠の故郷ー夜』『永遠の故郷ー薄明』
のお仕事も本当に素晴らしく、
そのお仕事とお人柄を敬慕する
気持ちは深い。

大学生の頃、東京文化会館での
オペラや、NHKホールでの
シンフォニーの際、時折
この大文化人の姿をお見かけした。

あの頃、私の心には、吉田秀和さんが
どれほど輝かしい存在として
映っていたことだろう。

圧倒的な学識。そして、繊細な感性。

お目にかかる前から、今日は胸を借りるしか
ないと思っていた。

現在95歳の吉田秀和さんは驚くほど
お元気で、言葉もしっかりしていて、
頭の回転も速く、ウィットにも富み、
そのお姿自体が一つの奇跡としか
思えないほどであった。

伺いたいことはあまりにもありすぎて、
二時間でも全く足りないほど。

文章についておっしゃっていたことが
印象深い。

吉田秀和さんは、音楽を作ったり、
演奏したり、あるいは歌ったりする
ということと、音楽について言葉で表現する
ということを本質的に同じだと
お考えだという。

文章もまた一つの「楽譜」だという
のである。

人は、どのような形而上学を抱くかという
ことによって、その表現が変わって
くるのではないか。

音楽評論を、音楽の意味を解析したり、
評価を断じたり、知識を与えるものと
思っている人の文章はそのようなものに
なるだろう。

吉田さんのように、文章を書くことは
音楽を奏でることと同じであると思っている
人の文章は、詩的にふくよかになる。
豊かな響きを持つに至る。

ああ、そうか、と私は感激した。
私が高校生の頃から大好きだった
吉田秀和さんの文章の秘密は、
ここにあったのだと。

吉田さんは、「最初から事物が
客観的に外にあるというのが間違いなんでしょう」
と言われる。

「最初から何かが外にあるなんて、私は
思っていません。」

「バッハ」というものの本質が、最初から
外にあるわけではない。

吉田秀和さんは、グレン・グールドが
登場してきた時に、リアル・タイムでそれを
聞いて、衝撃を受けたという。

こんなバッハがあったのかと。

グールドが見いだしたバッハは、最初から
外にあったわけではない。
それはグールドが生成したもの。

同じように、音楽評論も、何か「正解」
を発見し、断ずることではなく、それこそ
この宇宙に今までないものを生み出す
行為なのではないか。

吉田秀和さんは、もう一つ、重大なことを
言われた。

グールドのバッハはとてつもなく個性的
だが、同じような何とも言えない個性の
萌芽は、自分がピアノをヘンデルで弾こう
として、あまりうまく行かない、その
現場にも見いだされると。

私たち一人ひとりの話し方には、
それぞれ独特の「持調子」がある。
それと同じことが、クラシックの演奏家にも
見られる。

吉田秀和さんの言われていることは、
一つの真正なる生命哲学なのである。

吉田秀和さんがフランス語を学んだ
中原中也のこと。
小林秀雄との交流。
大岡昇平のこと。
丸山真男のこと。
ドイツの音楽にとっての
「東方」の意味。
バイロイトのこと。

まだまだ伺いたいことは
あった。本当に名残惜しい。

吉田秀和さんをお見送りしながら、
自分が次第に現代の文脈の中に
戻っていくのが感じられた。

かすかな痛みを残す甘美な記憶のように。

(吉田秀和さんとの対談は、PHP研究所
の雑誌「VOICE」に掲載される予定です)


吉田秀和さんと。ラ・マーレ・ド・茶屋にて。

 新宿の紀伊国屋ホールにて、
『脳を活かす生活術』刊行記念の
講演会。
 60分間講演、30分質疑応答。

 その後、100名の方にサインをさせて
いただいた。
 80分かかった。

 打ち上げの場所に、NHK出版の
小林玉樹さん、高井健太郎さん、
それに有吉伸人さんまでがいらした。

 「有吉さん、いらして下さって
すみません!」

 プロフェッショナルに関する本の
ゲラのチェック。

時計を見ると、
ちょうど、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の中澤佑二さんの回の放送中である。

 有吉さんの横で、一生懸命
ゲラをチェックした。

 しばらくすると、有吉伸人さんの
携帯が鳴った。

 「放送、無事出たそうです!」

 「中澤さんの回、すばらしい出来ですよ!」
と有吉さん。

 帰ったら、録画で見ようと思った。

 ゲラのチェックが終わり、有吉さんたちと
飲み始めた。

 「現代っていうのはロクな時代じゃ
ないですね! あれも要らない、これも
要らない! 何で良いものが駆逐されて、
どうしょうもないものばかり跋扈するん
だろう!」

 私はいろいろ溜まっていたので、
爆発していると、有吉さんが
 「ぼくも、このところ荒れていたけれども、
もっと荒れている人を見て、清らかな
気持ちになりました!」
と言った。

 いろいろなことに追われて、
目一杯やる中、つらいことも多い。

 だけども、時折、吉田秀和さんのような
素晴らしい人にお目にかかることが
できたり、真実に触れたり、
美をかいま見たりすることができる。

 だから、人生というのは捨てたものでは
ないなあ。

 PHP研究所の木南勇二さん、
横田紀彦さんと一緒に帰った。

3月 18, 2009 at 07:47 午前 | | コメント (34) | トラックバック (2)

2009/03/17

交差指錯覚における身体アウェアネスの異なる神経プロセス

交差指錯覚における身体アウェアネスの異なる神経プロセス
著者 関根崇泰、茂木健一郎
2009年3月25日付けのイギリスの科学雑誌
「ニューロレポート」に掲載されました。


Sekine, T. and Mogi, K. (2009)
Distinct neural processes of bodily awareness in crossed fingers illusion. Neuroreport 20, 467-472


Abstract

The tactile reassignment process supports the flexible and dynamic changes of body schema in various situations such as those involving tool use. Here, we show that there exist two distinct neural processes in the dynamical reassignment process. One process is involved in identifying the body part where the tactile stimuli are applied, whereas the other is involved in the assignment of the tactile stimuli in the external space including one's body. These processes, combined together, would facilitate the quick and appropriate acquisition of information from the environment, resulting in the speedy spatial perception and execution of motor activities. In addition, we show that the body posture affects the accuracy of tactile localization in the crossed fingers illusion.

Article Link

3月 17, 2009 at 09:41 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

画面に力がありましたから

画面に力がありましたから

プロフェッショナル日記

2009年3月17日

3月 17, 2009 at 08:16 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

プロフェショナル 中澤佑二

プロフェッショナル 仕事の流儀

未来は、変えられる

~サッカー日本代表・中澤佑二~

中澤佑二さんは、
炎の人である。

そして、実行する人である。

サッカーに明け暮れて、「普通の
高校生が楽しむ青春なんて、ぼくには
なかったですね」とさらりと
言う中澤さん。

遅くサッカーを始めて、ヘタな方だったのに、
堅い意志で練習を続けて、
ついに日本代表にまでなった。

その姿勢に、大いに感化されるべきだ。

過去は変えられない。未来は変えられる。

言い訳をしている場合じゃない。

走れ! 走れ! 走れ!

NHK総合
2009年3月17日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
明日の自分を信じ抜く力
〜 サッカー日本代表・中澤佑二 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

3月 17, 2009 at 06:45 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

(本日)紀伊国屋セミナー 『脳を活かす生活術』

PHP研究所 『脳を活かす生活術』
刊行記念

紀伊国屋セミナー

2009年3月17日(火)19時〜
新宿紀伊国屋ホール

詳細 

3月 17, 2009 at 06:44 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

化粧する脳

集英社新書 化粧する脳
茂木健一郎著 恩蔵絢子論文寄稿

カネボウ化粧品の基盤技術研究所・
感性工学研究グループとの共同研究を紹介
しています。
恩蔵絢子さんが解説を寄稿しています。

amazon 

3月 17, 2009 at 06:36 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

間抜けの実在に関する文献

 お腹が痛くなった理由は、
どうやら「過労」だったらしい。

 午前中大人しくしていたら、
だいぶよくなった。

 それで、午後になって、
「荒療治」に出た。

 くそう、タダではすまんぞ!
とむくむくとファイティング・
スピリットがわいてきたのである。

 それで、まずは45分間、
近くの公園を走った。
 例によって、わざと木の間の
斜面のルートを選んだりして
走った。

 中澤佑二選手とお話した時に
得た「サッカーの試合の45分ハーフ、
走りまくる」というインスピレーション
によってである。

 ハーフを走った後、しばらく
休んで仕事をしていたら、今度は
「まだ後半がある!」と思い始めた。

「まだ試合は終わっていない!」
と思った。

 それで、再び路上に出た。
 木々の間を駆け抜ける。

 45分ハーフ×2セット。
 推定15キロ。

 だんだん、足がかっかとしてきて、
石炭が赤くなったような、
なんともこんがりとした気持ちに
なってきた。

 「このような時には、短い距離を
走っているのとは異なる生化学反応が
起こっているのだ!」

 走り終わってゆったりと歩きながら、
そんなことを思った。

 子どもの頃から、風邪を引き終わった
直後などに発作的にいつもより
長めに走る、ということを繰り返してきた。

 そのようにして、眠っていて「休め」
になった身体を起こすのである。

 内田百閒に「間抜けの実在に関する文献」
という作品がある。
 人は、「お前の存在こそが間抜けの実在に
関する文献そのものだ」と言うかもしれない。

 『考える人』の連載「偶有性の自然誌」
の原稿を三十枚書く。

 仮想と現実の立場の逆転を図る。

3月 17, 2009 at 06:24 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2009/03/16

『脳を活かす生活術』増刷

PHP研究所の
木南勇二さんから先週の金曜日に
いただいたメールです。

From: "木南 勇二"
To: "Ken Mogi"
Subject: 引き続き増刷のご連絡・ブログ告知の御願い/PHP木南

茂木先生

昨日はお疲れ様でした。

『脳を活かす生活術』2刷10,000部が増刷となり
累計11万部となりました。
誠にありがとうございます。

『脳を活かす勉強法』は47刷2,000部
増刷となりまして
累計788,000部となっております。

『脳を活かす勉強法』『脳を活かす仕事術』
最新刊『脳を活かす生活術』
3冊累計115万部となっております。

ちなみに『脳を活かす生活術』は先週の
トーハン総合6位となっております。

http://www.tohan.jp/cat2/detail/_2009310/ 

取り急ぎ、是非ともブログなどで告知して
いただけましたら幸いです。

また、本日朝カルにてお会いできることを楽しみにしております。

何卒よろしく御願いいたします。

PHP 木南拝


木南勇二氏と。2007年10月28日。
東京芸術大学 大浦食堂にて。

3月 16, 2009 at 08:21 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

歌舞伎の隈取り

11時間も眠った。
びっくりした。

眠る前に、夏目漱石の「硝子戸の中」
を読んだ。

そんな気分だったのである。

 硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。
 その上私は去年の暮から風邪を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。

夏目漱石『硝子戸の中』より

 目が覚める前には、うとうとと
夢を見ていて、今抱えている日本語の
仕事の、あれも先送りし、あれも誤魔化し、
そうやって時間をつくって、
それで英語のクオリアの本を進めようと、
そんな算段をしているのだった。

 意識が戻る直前、その英語のクオリアの本
を構成する図のいくつかが、鮮明な色彩で
見えて、歌舞伎の隈取りのように
自我を包んだ。
気合いが入って、それで飛び起きた。

 まずはコーヒーを飲み、チョコレートを
食べ、そして、どうしてもやらなくては
ならない仕事を、手と頭をライフゲームの
「グライダー」のように動かして、精神世界の
光速度で進めていく。

仕事にどっぷりと浸かってずっと
ずっと生きていくというのが
私の宿命のようである。

3月 16, 2009 at 07:48 午前 | | コメント (19) | トラックバック (1)

2009/03/15

「グライダー」のように

桐光学園にて、講演。

日本テレビ。「世界一受けたい授業」
の収録。

名古屋へ。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
でデスクをしていたタカさん(山本隆之さん)
が名古屋放送局に栄転されてから
あと少しで一年。

月日が経つのは早い。

タカさんが担当している
 『会社の星』
の公開収録にお招きいただいた。

アンジャッシュの児嶋一哉さん、渡部建さん、
橋本奈緒子アナウンサー、
ラバーガールの
飛永翼さん、大水洋介さん、
会社で働く若手社員のみなさんで、
公開収録を行った。

現場の雰囲気には、かかわっている
人たちの気持ちが表れる。

「山本組」の現場は和気あいあいとしていて、
それでいて凛とした緊張感があり、
さすがタカさん、とうれしかった。

収録後、ラバーガールとアンジャッシュの
ライブとトークがあった。
目の前で見るコントは動く彫刻のよう。

会場にいらしたみなさんも、きっと
楽しまれたのではないか。

タカさんからメールをいただいた。

________________

From: 山本 隆之
To: "'Ken Mogi'"
Subject: お礼 NHK名古屋 山本

茂木様

お疲れ様です!
「めざせ!会社の星」山本(隆)です!

改めて、お忙しい中、収録に参加していた
だいたことに感謝申し上げます。
番組制作者としてまだまだ「ひよっこ」の
自分には今回の茂木さんのご配慮は、
過ぎたご厚意だと感じます。
いただいた言葉ひとつひとつを大事に、
これからも番組作りに励んでいきたいと
気持ちを新たにしました。
ぬるい考えに陥りがちの自分に喝を入れます!
(頑張って、編集します!)

本当に、ありがとうございます!
お忙しい中、お身体を崩しませんように!
また、お会いできる日を楽しみにしております。

山本(隆)拝

山本 隆之
NHK名古屋放送局 制作部 チーフプロデューサ

_______________________________


タカさんの謙虚で、温かいお人柄が
伝わってくる。

収録時、私は後半の出番だったので、
前半は副調整室でタカさんのお仕事ぶりを
見ることができた。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、
副調整室の様子を見るというのは
私の密かな(そして決して果たせない)
夢である。

タカさんの仕事ぶりを名古屋で見て、
渋谷での仕事ぶりもタイムマシーンに
乗ってのぞき込んでいるような気分になった。




副調整室で指示を出す山本隆之さん(タカさん)

収録が終わって、タカさんたちと
名古屋コーチンのお店に向かっているうちに、
なんだかお腹のあたりが痛くなった。

風邪気味のところに、疲労が
お腹に来たようである。

予兆はあった。ここのところ、
ライフゲームの「グライダー」のように、
起きている間は全力で走り続ける日々だった。

ずっと張り詰めていたから、
疲れがたまっているのだろう。
まいったなあと
思いながら、お店に行き、
セーブしながらご飯を食べた。

お腹が痛いというと、タカさんたちに
心配をかけるから、黙っていた。

注意を向けなければ、お腹が
痛いのを忘れてしまうから、
みんなと楽しく話せる。

ホテルに帰るともうダメである。
うーんと唸って眠った。

風邪や疲労でお腹が痛くなるのは
何年に一度かある。

一番ひどかったのは大学院の時で、
水も飲めなかった。
もっともあの時は連日仲間たちと
スコッチウィスキーをストレートで
飲んでいたから、自業自得なのであるが。

観念して、予定していた研究会に
行くのをキャンセルして、東京に
帰ることにした。

名古屋駅で切符を買ったら、
すこし合間があったので、
太閤通口から出た。

桜通口はツィンタワーがあるなど、
近未来的な発展を遂げているが、
太閤通口側には「昭和」を感じさせる
商店街が残っている。

ぼくが大好きな
椿魚市場 
もある。

一昔前の、人の温かさがある景観を
見ていると、何ごとも合理化して
私たちが何を失ったかがわかる。

昨日の日記にも書いたように、
ラインの乙女たちの嘆きは現代社会の
至るところに響いている。

耳を澄ましさえすれば。

なるべく静かにして、眠りながら帰って
きた。

どうにも力が入らない。

今日はたっぷり眠って仕事は明日以降に
やるのが賢明だろう。

3月 15, 2009 at 06:01 午後 | | コメント (38) | トラックバック (3)

2009/03/14

ラインの乙女たちの嘆き

君島十和子さんにお目にかかり
対談する。

とても素敵な方だった。

西洋絵画史においては、
「セルフ・ポートレイト」
が大切な意味を持っている。

レンブラントはたくさんの自画像を
描いた。

ゴッホの自画像は歴史に残る傑作である。

女性が化粧をするということは、
つまりは一生をかけてセルフ・ポートレイトを
描くということではないか。

集英社の鯉沼広行さんとお昼を食べる。

毎日ウィークリー
の方々に
お目にかかる。

新国立劇場のキース・ウォーナー
演出によるリヒャルト・ワーグナー
『ニーベルングの指環』序夜『ラインの黄金』
を見る。

山崎太郎さんと。

山崎さんと私が、今回の公演プログラム
にて対談をしているので、
ご招待いただいたのである。

畏友の横で、天才の作品を傑出した
演出で見る。

至福である。

アルベリッヒはラインの黄金は
愛を断念した者しか得られぬ
と聞き、権力への志向にジャンプする。

ヴォータンの建てた壮麗な
ワルハラ城は、アルベリッヒと
同じような欺瞞の上に成立
している。

つまりアルベリッヒとヴォータンは
同類なのだ。

最後にヴォータンたちがワルハラ城
に入る。ホワイトルームでの
仮装パーティ。私たちが
見いだすのは、現代の文明そのもの。

ワルハラ城とは、つまりは
私たちの住む現代の空間そのものである。

文明が依拠する欺瞞の中、
私たちの耳にはラインの乙女たちの
嘆きが届いているか。

終演後、山崎太郎さんと話していたら、
上田紀行さんが見にいらしていて、
「久しぶり!」ということになった。

上演前には、古明地勇人さんと
会った。

ラインの黄金の輝きが、多くの人たち
を惹き付けている。

朝日カルチャーセンター。

「脳とこころを考える」。

抽象と具体の逆転。

外に出たら、春の嵐になっていた。

3月 14, 2009 at 07:59 午前 | | コメント (16) | トラックバック (6)

2009/03/13

「文明の星時間 偉人たちの脳」ミニトーク&サイン会

「文明の星時間 偉人たちの脳」刊行記念
茂木健一郎さんミニトーク&サイン会

現在発売中の『文明の星時間 偉人たちの脳』
(毎日新聞社刊・税込1,575円)を
お買上、または電話にてご予約の方先着100名様に
サイン会参加整理券をお配りいたします。
サインは当店でお求めの『文明の星時間 偉人たちの脳』
を対象させて頂きます。

日時:2009年3月29日(日) 11:00~13:00
会場: そごう大宮店8F 三省堂書店大宮店

詳細 

3月 13, 2009 at 06:54 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

朝日カルチャーセンター 脳と宇宙

朝日カルチャーセンター 脳と宇宙

本日 第三回

2009年3月13日
金曜日18時30分〜20時30分

脳は、宇宙が生み出したさまざまなもののうち、最も驚異的な存在です。宇宙からみれば小さな脳が、時間や空間の成り立ちを理解できるとは、なんと不思議なことでしょう。最先端の脳科学の知見を参照しながら、宇宙の多様性を考えます。2回目は、ゲストに理論天文学者の小久保英一郎氏をお迎えし、宇宙研究の最前線でとらえられている宇宙像や、宇宙の謎に迫ります。

詳細 

3月 13, 2009 at 06:51 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

勘違いの瞬間、世界はゆらぐ

遠くの星を見つめるように

セブン・アンド・アイ・ホールディングズの
入社式でお祝いの言葉を述べさせて
いただく。

イトーヨーカ堂、セブン・イレブン、西武百貨店
など、それぞれの現場に出ていく新入社員
たち。

「みなさん、ぜひ、他人のために頑張って
ください。この世に、自分は一人しかいません。
自分のためにと思っても、そのエネルギーには
限界がある。他人のためにと思えば、支えて
くれる情熱に限りはありません。
この世界にいるたくさんの人たちの分だけの
エネルギーが自分に集まってきてくれるのです!」

京味にて、雑誌「プレジデント」の取材。
三浦愛美さんのアレンジ。

西健一郎さんとお話する。

西さんは言われる。「またお顔が見られるか
どうか、そればかりを思って40年やって
まいりました。」

同席した料理研究家の
海豪うるるさんからメールをいただいた。

__________


茂木さん
今日は声をかけて下さり、ありがとうございました。
西さんのお料理、衝撃的でした。西さんの技と感性でつくる料理の凹凸みたいなものから生まれる美味しさ、そのすごさを知りました。
色々な食材で作られるお料理のひとつひとつ、何を美味しく食べさせようとしてくださっているのか、西さんの意志をしっかり感じました。

うるる

___________________


ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

所眞理雄さん、北野宏明さんと議論。

田谷文彦と研究の議論。

General Meeting。

ゼミ。The Brain Club。

高野委未さんが、
Materna, S., Dicke, P.W., Their, P.
The posterior superior temporal sulcus is involved in social communication not specific for the eyes.
Neuropsychologia 46, 2759-2765 (2008)
を紹介。

高野さんは本当にがんばって、
的確に論文内容を把握していた。

偉かったね!

一つ面白いことがあった。
高野さんは、
Simon Baron-Cohenのことを、
「バロンさん」と「コーエンさん」と
いう名前で二人いるのだと
勘違いしていたらしい。

実はぼくも似たような失敗をした。
先日の浅井慎平さんとの
対談は大場葉子さんがアレンジして
くださった。
初対面の編集の人と、カメラの人が
いらして、大場さんが、
「こちらがなんぶ、あさの・・」
と言ったので、「なんぶさん」と
「あさのさん」というふたりの人が
いるのだとガッテンした。

敬称をつけないのは、つまり
大場葉子さんも毎日新聞の編集部
で働いているから、
謙遜して呼び捨てにしているのだと
思ったのだ。

実際には、編集の人が「南部あさの」
さんと言う名前だった。

「珍しい名前ですね」と言うと、
南部あさのさんは「ええ、よく、
どちらも名字だと勘違いされるのです。」と
笑っていった。

カメラマンの人は、茂木一樹さんと言って、
ぼくと同じ名字。
もとをたどると、これもぼくと同じ
群馬県の高崎方面らしい。

名字にまつわる勘違い。
逆に、DNAの二重らせん構造を
発見したフランシス・クリックと
ジェームズ・ワトソンは、
よく「ワトソンークリック」
というひとりの人間なのだとよく
間違えられていたという。

そういう間違いがあると、
世の中が揺らぎます。

勘違いをもう一つ。
柳川透は、昨年の北米神経科学会
(Society for Neuroscience Meeting)の
会場近くを歩いているときに、
とつぜん「あっ、ジンガーだ!」
と叫んだ。

ドイツの脳科学者、Wolfgang Singerが歩いている
のかと思い、振り向くがいない。

それにしても、さすが柳川、ジンガーを
知っているのかと思って探すが、
どうにも要領を得ない。

問いただしてわかった。柳川は、
「ジンガー」と「ジンジャー」を勘違い
していたのだった。

「ジンジャー」はすなわち
近未来的乗り物セグウェーの開発コード
ネーム。

倒立振り子のハイテク乗り物を
うぃーんと駆使して移動している
人を目撃した、ということだったらしい。

勘違いの瞬間、世界はゆらぐ。

きっと、そこにはとてつもない認知的な
意義があるに相違ない。

久しぶりに田谷文彦も加わって、
ラボのメンバーで呑む。

お互いに支え合うことが
大切。

individualityを発揮するには、
個人の間のrainbow coalitionが大切
である。

新しいものを発見するとは、
世の中に最初から新しいものが
あって、それを見つけるという
意味ではない。

むしろ、AとBが出会って
その現場においてCが生み出されるのだ。
だから、出会わなければならない。
ネットワークを組んで、coalitionを
結ばなければならない。

そして肝心なのは、coalitionにおいて
組織なんてものは一切関係がないという
ことだ。

遠くの星を見つめるように、
鵜の目鷹の目でcoalitionの相手を探せ!

3月 13, 2009 at 06:47 午前 | | コメント (13) | トラックバック (2)

2009/03/12

意識とはなにか 重版

ちくま新書『意識とはなにか』 
は重版(13刷、累計55000部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんからのメールです。

From: 増田健史
To: "'Ken Mogi'"
Subject: 重版のお知らせ(ちくま増田)
Date: Tue, 10 Mar 2009


茂木健一郎さま

お世話になります、ちくま新書編集部の増田です。
今年もランチビールが美味しい季節がやってきましたね。
こちらは相変わらず地べたをはいつくばりながら働く毎日
ですが、茂木さんはいかが
お過ごしですか。

さて、本日は良いニュースがあってご連絡を差し上げました。
お蔭さまをもって、ご著『意識とはなにか——〈私〉を生成する脳』
が重版になったのです。
今回は5,000部の増刷で、累計は13刷55,000部になります。
このご本は、茂木さんのストレートど真ん中で勝負いただいた
一書だけに、こうして
長く読み継がれていることに、私としても歓びは一入です。

ところで、新たにお気づきになられた修正箇所はございますか?
カバーのプロフィール等も含め、修正すべき箇所がありましたら、
ご指示いただくようお願い申し上げます。

まずは要用のみ、御礼旁々お願いまでに。

【追伸】
たまには接待らしいことをさせていただきたいので、また一度、
浅草あたりで飲みませんか?
すごく、いい店が、あります。
三月から四月にかけてご都合のつく夜があれば、
お時間を割いていただくよう願い上げます。


株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

『意識とはなにか』より
__________


*「私」が「私」であることと「クオリア」の関係

 私たちが、世界の中の個物や、自分自身の心の中の表象を「クオリア」という形で認識していることは、私たちの住むこの世界に関する最も基本的な事実である。「ただいま」という音が、まさに「ただいま」でしかあり得ないように、あるいは、暗闇の中の「ギラギラ」した光が、まさに「ギラギラ」した光でしかあり得ないように、私たちは、意識の中で感じるもの全ての「あるものであること」を、ユニークな質感(クオリア)として感じている。私たちは、ギラギラ、キラキラ、ピカピカといった言葉による分節化以上のこまやかな「光の輝き」のニュアンスを、主観的体験の中でクオリアとして感じている。私たちが感じる世界の個物性を支えているのは、いわゆる言語ではなく、クオリアである。
 私たちにとって、無意識は測りがたい。私たちが意識の中で直接感じ分け、記銘し、言分けるものすべては、すべてそれぞれユニークな質感(クオリア)を伴って感じられている。もちろん、私たちは、意識で感じられるもの以外にも、膨大な無意識の情報処理が脳の中で進行しているということを知っている。しかし、私たちが意識できる世界は、すべてクオリアから成り立っているのである。「Aさんがこの時間は家にいることを知っている」という心の状態と、「Aさんがこの時間は家にいることを信じている」という心の状態の差は、クオリアとしての差である。このような、微妙なニュアンスの差を通して、私たちは世界を認識し、理解している。
 私たちが世界をクオリアを通して感じ分けているということは、「私が私であること」(自我)の核心部分に触れることのようである。私たちが、心の中で、「キラキラ」、「ギラギラ」といったクオリアを感じる時、あるいは、「ただいま」という言葉の不思議なひびきに注意を向けている時、「あるものがあるものであること」がどのように成り立っているかという問題は、そのことについて真剣に考えることを始めた瞬間、私たちを不安にさせる。第1章の最後でも触れたように、「私が私であること」の不安と、私たちがクオリアを感じるということを突き詰めていった時に生まれてくる不安は、どこか深いところで通じている。暗闇に光るオートバイのヘッドライトを見るとき、私たちはそれがあたかも世界の中に最初から存在していたように思ってしまうが、あくまでも、その「キラキラ」、「ギラギラ」というクオリアを感じているのは「私」である。クオリアはという同一性の構造は、それを感じる「私」という主観性の構造と対になって、はじめて意味を持つのである。

*クオリアと「私」の相互依存

 私たちが感じるクオリアが、「私」という主観的体験の枠組みと無関係には存在し得ないという事実は、次のようなことを考えてみてもわかる。
 夜空の星を見上げるAさんの脳の中で神経細胞が活動し、その結果「キラキラ」としたクオリアが感じられたとしよう。このクオリアは、網膜から視床を経て、大脳皮質の後頭葉の視覚領域に至る一連の神経活動によって生み出される。この時、Aさんにとっては、暗闇の中で「キラキラ」光るクオリアのユニークな個物性(あるものがあるものであること)は、それを疑うことができない、切実な事実である。Aさんにとって、その中に星空も含むこの世界は、Aさんの脳の神経細胞が作り出すさまざまなクオリアの個物性によって支えられている。
 一方、Aさんの脳を客観的な立場から観察するBさんにとってはどうだろうか? 仮に、BさんがAさんの脳の神経活動を、何らかの方法で詳細に観察できたとしよう。この時、BさんがAさんの脳を観察しているという主観的体験を支えるクオリア(個物性)を生み出しているのは、Bさん自身の脳の中の神経活動である。Bさんにとっては、Aさんの脳の一千億のニューロンの活動を全て見渡せたとしても、そこに、どのような個物性(クオリア)が生み出されているのか、直接的には明らかではない。Bさんが神経活動からクオリアが生み出される法則についてかなり詳細な知識を持っていたとして、BさんがAさんの脳の神経活動を観察して、そこに「キラキラ」としたクオリアの個物性が生み出されているのを見いだしたとしても、それは抽象的な理論の演繹によって生み出された結論に過ぎない。Aさんにとっては、一連の神経活動が、キラキラという個別性に自然で切実な体験として変換されるのに対して、Bさんにとっては、Aさんの脳の神経活動から自分のクオリア体験への自然な変換は存在しないのである。
 ある人にとって、その人の脳の神経活動が生み出すクオリアがどれほど切実な個物性(あるものがあるものであること)として立ち上がっていても、別の人にとっては、その個物性は存在しない。あるクオリアがあるクオリアであることは、それを感じる主観性(どの人がそれを感じているか)に依存してしか成立し得ない。物理学という世界の見方における最小の単位である、陽子や電子といった素粒子の個物性(あるものがあるものであること)が、どのような視点をとるかということと無関係に成り立つのに対して、私たちが感じる世界の最小の単位であるクオリアは、それを感じる「私」という制度(存在)を前提として、それと不可分のものとしてしか成立し得ない。
 クオリアという個物性は、「私」という主観性の構造に全面的に依存して成立しているのである。
 一方、「私」という主観性は、逆に、その心の中で生み出されるクオリアに強く依存している。朝目が覚めて、脳の神経活動があるしきい値を超えたときに、そこに出現するのは「私」という主観性の枠組みの中に束ねられたさまざまなクオリアの体験である。クオリアの体験の集合そのものが「私」であると言っても良い。何らのクオリアも感じない「私」という状態は、考えにくい。ひょっとしたら、仏教における瞑想体験の一段階として、そのような「私」の状態があるというような考え方があるかもしれないが、そのような仮説を無条件に受け入れることがむずかしいくらい、「私」というものが成立する上で、何らかのクオリアの体験が進行しつつあるということは不可欠であるように思われる。
 どうやら、「私」という主観性の構造と、その私の心の中で生み出されるクオリアは、お互いに強く依存し合い、絡み合っていて、ほとんど一体のものと言っても良いようなのである。

____________

3月 12, 2009 at 07:05 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)

文明の星時間 子どもの時間

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第55回 子どもの時間

サンデー毎日 2009年3月22日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 1962年生まれの私。幼き頃は、彼らにそっくりだった。目の前の少年たちと同じように年齢がばらばらの集団をつくって、質素な道具で時を忘れて過ごした。立派なグラウンドやブランドのスポーツ用品など要らなかった。家の近くの空き地で、些細なことを種として血をたぎらせ、工夫し、声を上げ、仲間たちの間合いを測りながら遊び呆けたものである。
 日本は急激に変わってしまった。路上や空き地を賑わせていた子どもたちは、一体どこに行ってしまったのだろう。塾通いをし、外遊びをしなくなり、幼い頃からお受験だ、英才教育だと管理された時間を過ごす日本の子どもたち。
 空き地をククッ、ククッ、ぴぃぴぃぴぃと走り抜けていた鶏とひなたち。路上でサッカーに興じる少年たち。どちらにも通じる弾むような生命の躍動が日本の子どもたちの風景からすっかり失われてしまっていることに改めて気付かされ、愕然とした。バリ島最後の日の夕暮れに、母国の運命を思ったのである。
 子どもの時間は、本来、生の体験に満ちている。子どもたちは、大人たちがその意味を整理し、編集してから与える「人工飼料」だけで育つのではない。
 子どもの時間は、未だ文明化されない、いきいきとした生命の気配に満ちている。それは、空調の利いた部屋の中でコンピュータ・ゲームに興じる時間の中にはない。
ましてや、行儀良くすることなどの中にはない。
 子どもの遊びは、何が起こるかわからないという「偶有性」に満ちている。だからこそ、管理ということに馴染まない。自分たちで工夫して時を過ごすことができる空き地のような空間こそが、子どもたち本来の住処なのである。
 子どもの見る世界は大人たちの縮図である。雑草のような生命力を失った日本。これからどこに行ってしまうのだろうか。大人が変われば子どもも変わる。今からでも遅くない。「子どもの時間」を取り戻そう。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

3月 12, 2009 at 06:56 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

風が吹いている人

京都へ。

「第8回ケータイ国際フォーラム」 
に参加。

会場は祇園甲部歌舞練場八坂倶楽部。

舞妓さんたちが踊りを披露する場所。

階段や部屋、天井、柱。

至るところに時代の香りがした。

中村伊知哉さん、遊橋裕泰さんとともに、
ケータイというメディアの可能性を
探る。

中村さんは、パワーポイントと
説明の間合いの取り方が抜群にうまい!

遊橋さんの示す実証的データに多くを学んだ!

楽しい時間でした!

ケータイWatch 

京都新聞 

東京へ。

写真家の浅井慎平さんにお目にかかり、
対談する。

いつも周囲に風が吹いている人。

さまざまなことに対する感じ方が、
驚くほど共鳴する。

ビートルズ。オバマ。海。波の音。
伊丹十三。北斎。マティス。
生きる上で、どうしても大切なこと。

再び、今度は海の見える広々とした
場所で、
ぜひお目にかかることができればと
思う。

3月 12, 2009 at 06:53 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2009/03/11

夢と愛のある

東京工業大学大岡山キャンパスにて、
中村修二さん、私、伊賀健一学長
とシンポジウムをした。

私と中村さんがお話した後、
会場の若手研究者と討論した。

中村修二さんのお話は圧倒的に
面白かった。

日亜化学時代に、青色レーザーの
開発を目指して実験をした頃のこと。

「特許を出してはいけない」
「論文を出してはいけない」
という会社の方針をくぐり抜けて、
自分のやりたいことをやる。

組織の和を強調したり、
個が立たないようにすることは、
確かに、ある意味では日本の強み
でもあったと思う。

アメリカ式の競争社会には、影の部分もある。

これまでは日本のやり方でも、
それなりによかった。しかし、もはや
このままでは日本全体が沈む。

中村修二さんの言われるところの
「五教科のウルトラクイズ」という
人工的な競争をして、「有名大学」
という定員の限られたクラブの
メンバーになり、あとは真の向学心も
自己表現力も構想力も欠いたまま、
無批判に組織に奉公していく。

それはそれで国としての個性であり、
一つの強みだったかも
しれないが、もはやダメだ。

諸外国のコモンセンスに照らせば、
日本は、「集団発狂」としか
言いようのない惨状を呈している。

たとえば、大学3年の今頃から
就職活動を一斉にして、それを
何の疑問に持たない。

中村修二さんは明快である。

「そんなもん、年齢や経歴による就職差別
だから、訴訟すればいい」

まったくその通りで、企業が何の合理的な
根拠もなく、いわゆる「新卒者」だけに
就職を限っているのは、アメリカ的な感覚で
言えばただちに訴訟の対象となり、
そして企業は負けるのだろう。

何よりも、本当に優秀な人材を採用すると
いう企業努力を怠っていることになる。

「中村さん、訴訟一緒にやりますか」
と言うと、「いやあ、日本の司法は腐っているから、
やってもムダですよ」
と中村さん。

「それじゃあ、いっそのこと、
アメリカで訴えますか」
と言うと、中村さんは笑っていた。


中村修二さんと。東京工業大学のシンポジウムで。

新潮社の金寿煥さんがゲラを取りにくる。

歩きながら話す。

「ブログ読みましたよ。池田雅延さん、茂木さんが
怖がるなんて、やっぱり存在感ありますね。」
と金さん。

「いやあ、そりゃあ、池田さんだから。」
と私。

「池田さんが知らないと思って、オイタをして
いたら、ちゃんと読んでいた、というびっくりは
あるでしょうね。」と金さん。

「まだ、重松清さんとの対談本だからいいです
けれどね。」と私。

春のように暖かかった日は、夕刻になり
冷たい風が吹き始めた。

初台のオペラ・シティで、『題名のない音楽会』
の収録。
佐渡裕さん、井上道義さん、久保田直子さん。

テーマはバッハ。

井上さんの素晴らしい指揮、踊りぶりに
瞠目。

佐渡さんには、音楽の世界で果たしたい
夢がある。そして、愛がある。

夢と愛のある、まっすぐな人が好きだ。

3月 11, 2009 at 05:52 午前 | | コメント (21) | トラックバック (5)

2009/03/10

どんなに恵まれていない境遇でも

どんなに恵まれていない境遇でも

プロフェッショナル日記

2009年3月10日

3月 10, 2009 at 10:38 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

ミッション

ミッション

プロフェッショナル日記

2009年3月10日

3月 10, 2009 at 10:38 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

プロフェショナル 奥田知志

プロフェッショナル 仕事の流儀

絆が、人を生かすから

~ホームレス支援・奥田知志~

人と人と助け合うのは当たり前。
そんな当たり前の感覚を失っている
論調が跋扈する今の日本。

奥田知志さんは違う。信念の人。
少々のことでは、へこたれない。
大切なことがあるから。

お互いに助け合えば、それだけ
人は強くなれる。
みなが元気になる。

そろそろ、その当たり前の真実を
思い出したらどうだ、日本よ!

NHK総合
2009年3月10日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
「自己責任論」の責任
〜 ホームレス支援・奥田知志 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

3月 10, 2009 at 07:41 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)

スポットライト

3月10日は、1959年にダライ・ラマが
中国を脱出するきっかけとなった
一連の事態
が起きてから50年の日。


『プロセス・アイ』から、
チベットが独立するというファンタジー
を描いた第10章 「スポットライト」全文を
特別公開いたします。


第10章 スポットライト

コナ、ハワイ島

 そろそろ、トムが「アリス」でのワーキング・ランチを終えて、上がって来る頃だ。
 ツヨは、トムが運転する黒紫色のホンダ・ジュピターが「鯨丘」の樫の大木の横に姿を現すのを、すでに10分くらい待っていた。
 樫の木があるのは、視野の遥か下だ。そこから、ツヨとトムの家の玄関までは1マイルほどある。この道を上がってくる車は1日に数台程度だ。鯨丘の麓からの一帯は、ツヨとトムが住む牧場を改築した家のプライベート・プロパティーだから、ツヨとトム、それにデリバリーの車しか上がってこない。
 もっとも、パーティーのある日は別だ。ツヨの生活は殆ど隠遁に近い。一方、トムの顔は広い。パーティーの日には、トムの知り合いや、そのまた知り合いが、ハイスクールのベースボール・マッチがあるのではないかと思わせるほど沢山の車を列ねて来る。
 鯨丘の大木の横に車が姿を現すのを待っている。そんな時間は嫌いではない。実際に車が姿を現した瞬間に、あたかも自分の意志がその車を物象化させたような気がすることがある。車が姿を現すのを希求する心が余りにも強いので、車が姿を現した瞬間、それが自分の希求する心ゆえなのではないかと思ってしまうのである。
 映画をフィルムに撮って現像していた時代、タルコフスキーの名作に、「ストーカー」とい作品がある。このラストシーンで、身体の不自由な女の子が机の上に置かれたコップをじっと見ていると、コップがツツーと机の上を動く。ツヨは、このシーンが好きで、何度も見ている。強く希求することが、現実を動かす。そのようなメッセージが感じられるのが好きなのだ。
 もちろん、ツヨは、思うだけで現実が変わるなどということはないことを知っている。グンジの言うように、私たちの心も、脳の中のニューロンがつくり出すものである以上、自然界の法則に従っているのだ。トムは、ツヨよりさらに現実的だ。トムの時には冷徹にさえ見える合理性と、不正を見ると涙を流す熱い心の組み合わせが、ツヨは好きだ。
 トムとツヨが上海でグンジ・タカダの下、スペラティヴのオペレーションをやっていたのは、もう15年前のことだ。数年のオペレーションで、生涯暮らすに困らない財産ができた。トムの資産マネッジメントの手腕により、実際には資産は減らず、むしろ増えていた。トムもツヨも、生活のために働く必要はない。
 しかし、この間、何もしていなかったわけではない。
 ツヨは、幾つか小説を出版した。そのうちの、ハワイ近海を回遊する鯨に関するセミフィクションは、それなりに評判になった。環境問題に関心を持つゲイの作家というツヨのイメージが出来た。一方、トムは、ハワイ在住の有望な若手アーティストに投資し、支援するコンソーシアムを10年前に立ち上げた。今ではハワイの芸術界でトーマス・カインを知らないものはいないほどの存在になっている。
 今日の午後は、ツヨの最新作「グリーン・ヒル」の装丁画を書くアーティストを誰にするかについて、ツヨとトムで話しあうことにしていた。「グリーン・ヒル」は、ハワイ島に住む気分のいい人たちとの交流を描いたセミフィクションだ。ツヨの作品のほとんどを日本語に訳している出版社が、日本語訳を出したいとすでにアプローチしてきていた。
 ツヨは、どうしても、自分の生活に密着した素材についてしか書くことができない。それがツヨのユニークさであると同時に、重大な欠陥だった。セミフィクションは書けるが、純然たるフィクションは書けないのである。ツヨは、そのことを十分に自覚していた。しかし、この欠陥は、ツヨの作家としての最大の野心を実現するためには、邪魔になるとは必ずしも言えなかった。
 その最大の野心とは、自分が人生の中で出会った最大の人物、高田軍司についての伝記を書くことである。グンジこそ、長い間国際社会において個人として傑出する人物を生み出せなかった日本から久々に誕生したユニークな人物である。そうツヨは思っていた。日本を離れても、世界史的に見てもユニークな存在だと信じていた。そんなグンジをまだ彼が学生の時に知ったことは、ツヨにとって大きな喜びだった。

 ツヨは、アース・サテライトの「エンバイロメント・ニュース」を見ることにしている。24時間ニュース局が金曜の午後、世界の環境問題を巡るトピックスを流す。ツヨにとってもトムにとっても、発展途上国の生活水準の上昇とともにますます深刻さを増す環境問題は、重大な関心事だ。
 今さらブロードキャストの番組? もちろん、インターネット上に大量のオン・ディマンドのニュース・リソースはある。しかし、同じ時間に、何百万人の人が同じ映像を見る。このような共同体験の幻想は、案外人を引き付けるものだ。スポーツの生中継ならばもちろんのこと、環境問題の番組も、案外ブロードキャストで見るのが良いものだ。視聴率が悪ければ、番組は打ち切られてしまう。エコロジーに興味を持っている人が全世界に沢山いる、そのことがツヨを勇気づけるように思えた。
 今日は、絶滅危惧種の保護の特集だ。
 イギリスの田舎の映像が映っている。産卵の時期になると車の通りの多い道路を横切る蛙がいる。その時期になると、ボランティアたちが、ビニールシートで路肩にダムをつくる。そして、夜の暗闇の中、サーチライトで蛙を照らし出し、一匹一匹反対側に運んで行く。
 クローンの技術が発達した現代でも、この手作業のやり方は変わらないのだと言う。
 なかなか素敵な話だな、トムが戻ってきたら話してやろう。ツヨはそのように思う。
 「番組の途中ですが、ここで、スペシャル・レポートをお送りします。」
 番組を中断して、「24時間ニュース」のアンカーマンが緊張した表情で登場した。
 「チベット政府と北京の中国政府は、先程、本日を期して、チベットが中国から独立したと共同発表しました。それでは、北京からお伝えします。」
 ツヨは、最初、アンカーマンが言った言葉の意味を解読するのに苦労したが、やがて眼を驚きで見開いた。
 画面では、赤い服を着た女性キャスターが、天安門広場を背景に、髪の毛の乱れを気にしながらマイクを持っていた。
 「チベットが独立しました。北京政府のこの突然の発表は、私たち北京にいる外国特派員にとって、全く予想もしないものでした。今朝になって、複数の政府高官が、今日中に重大な発表があるだろうと非公式に伝えてきました。ある政府高官は、「発表内容は、君たち西側の記者にとって嬉しいものだ」と漏らしていましたが、この発表内容を予想した人は一人もいなかったと断言していいと思います。まさに、晴天の霹靂でした。」
 アンカーマンが、質問を挟んだ。
 「最近の北京とラサの関係はどうだったんだい、イヴォンヌ?」
 「北京とラサの関係というより、チベット亡命政府のあるダラムとの関係と言うべきでしょうか? 御存じのように、共産党中国は高度の経済発展を経由しても、崩壊することはありませんでした。世界第二の規模の市場経済が、中国共産党の一党独裁体制と共存するという、奇妙な国家体制を維持してきました。そんな中、北京は、台湾に対してはもちろん、チベットに対しても、その強硬な姿勢を崩して来ませんでした。ダライ・ラマは、一貫してチベットの政治的、文化的独立を北京政府に対して訴えかけて来ましたが、西側の圧力にも関わらず、チベット独立は実現しませんでした。最近では、ダライ・ラマがマスコミに登場することも減り、一方では、中国の経済大国としての存在感が増すとともに、チベット独立が実現するのは無理だろうと言われていました。」
 「それにしても、一体何があったんだい、イヴォンヌ? 何が北京の態度を変えさせたんだい?」
 「全く判りません。北京とダラムの間で独立交渉が進行している徴候は、全くありませんでした。近年の中国は、資本主義経済と中央集権政治を組み合わせた『中国モデル』と言われる独自の政治経済体制の成功に自信を深めていました。その上、中国国内における人権状況は、日本に先立って死刑を廃止するなど、改善が見られてはいました。しかし、北京の政治家には、台湾やチベットを手放すつもりは全くない、そのように見られていました。何が今回の突然の発表につながったのか、全くの謎です。・・・」

 「君は聞いたかい、ツヨ?」
 来る途中の車の中でニュースを聞いたのだろう。トムが、珍しく興奮した様子でドアを開けて入ってきた。
 「素晴らしいニュースだ! ついに、独自の文化を持つスピリチュアルな人たちが独立を勝ち取ったんだからね。・・・それにしても、何が北京政府の態度を変えさせたんだろう・・・」
 何か飲みたいな。ツヨは、そのように感じた。トムと一緒に、何か暖かいものを飲みたい。ツヨは、立ち上がると、部屋付けのスモール・キッチンにあるエスプレッソメーカーのスイッチを入れた。
 1分後、しゅっという音と共に、香しい薫りが部屋の中に立ちこめてきた。
 ツヨとトムは並んでソファに座った。
 
 画面では、チベット問題の専門家が急きょワシントンのスタジオに呼ばれ、アトランタのキャスターとやり取りしていた。
 「それでは、ブキャナン博士、貴方は、ニューヨーク滞在中のパンチェン・ラマと直接電話で話したんですね。」
 「そう。彼は大変驚くとともに、心から喜んでいました。ダライ・ラマからも、今回の発表は真正なものであると、連絡が入っているようです。」
 「ところで、ダライ・ラマのことは誰でも知っているけど、パンチェン・ラマというのは、どのような人物なんですか? 偉い仏教の坊さんだということは判るんだけど。」
 「ドクター・ブキャナン」という字幕が下に出たその人物は、レクチャーでも始めるような口調になった。
 「もともと、パンチェン・ラマは、ダライ・ラマ五世の教師だったんだよ。御存じのように、チベットでは、高僧は、輪廻転生によって生まれ変わると考えられている。パンチェン・ラマが亡くなった時には、ダライ・ラマが新しいパンチェン・ラマを認定することになっているんです。ところが、1792年に、中国の皇帝が、「くじ引き」を導入したんですよ。」
 「くじ引き?」
 「そう、くじ引きにすれば、そこでいろいろと操作の可能性が出てくる。中国の息のかかったパンチェン・ラマを選ぶ余地ができる。」
 「チベットにおいては、高僧は、宗教的指導者であると同時に、政治権力者でもあるわけですね。」
 「その通り。だからこそ中国政府は、パンチェン・ラマに誰が選ばれるかに重大な関心を持つ。まあ、誰が選べれるにしても、それは小さな子供であるわけだが。最近では、前世紀の終わりにも、パンチェン・ラマの認定を巡って、ひと騒動あった。中国人が、ダライ・ラマの選んだペンチェン・ラマに対抗して「もう一人」の11世パンチェン・ラマを選んだんだ。この時にも、くじ引きが使われた。現在ニューヨークに滞在しているパンチェン・ラマは、ダライ・ラマの選んだ方の、つまり「真の」パンチェン・ラマだがね。」

 アメリカ人は、過去10年間に学んだこと以上のことを、この10分間にチベットについて学んだことだろう。
 ツヨは、トムの横顔が、興奮で紅潮しているのをそっと見た。
 ニューヨークのソロモン・ブラザーズのヘッドクウォーターで働いていた時から、トムはチベット独立運動に関心を寄せ、時折集会にも出ていたらしい。
 このまま、しばらくこのニュースを見ていたい。
しかし、一方では、仕事を始めなければならない。
 ツヨの「グリーン・ヒル」の装丁画を誰にするか、ニューヨークの編集者が起きている間にデジフォンして知らせなければならないからだ。
 「そうだな、そろそろ打ち合わせをしなければ。」
 ツヨが何かを言う前に、トムがエスプレッソのカップを置いてそう言った。
 「打ち合わせの間も、テレビを付けておこう。」
 そうトムはツヨに提案した。これは、打ち合わせの時はもちろん、普段でもテレビを付けておくこと自体を嫌うトムにしては、珍しいことだった。
 背景から聞こえるニュース音声に気をとられながら、トムとツヨは装丁画家の候補たちの作品サンプルに目を通し始めた。

 チベット独立を巡る一連のニュースの中でも、最も感動的な映像が、トムとツヨの打ち合わせが終わり、ニューヨークにデジフォンし終わる頃に飛び込んできた。
 「ただいま、ラサからの中継映像が入りました。ダライ・ラマがラサのポタラ宮に入城しようとしています。チベット独立が、この映像を見ると、やはり事実なのだという感激が湧いてきます。」
 チベット新政府と中国の共同の発表から2時間も経たない、水際立ったタイミングでの入城だった。
 黄土色の服をまとったその人が、ポタラ宮に至る白壁の階段を上りつつあった。その歩みは、ゆっくりとはしているが、しっかりとしていた。その後に、茶系統の色を中心に、様々な色の服をまとった人々が続いていた。コーヒー色の肌をした、人々の顔が歓喜に輝いている。マニ車を持っているものがいる。帽子を被っているものがいる。皆質素な服装だ。しかし、そのステップは、まるでカーニバルの踊りのように軽く弾んでいる。その弾んだステップが先頭を行くダライ・ラマのゆっくりとした歩みに合わせている。ダライ・ラマの前には、誰もいない。階段の一番上、白い布が垂れ下がった門の所に、二人の僧が直立不動で立っているだけだ。ダライ・ラマを先頭にした、歓喜の列が静かにポタラ宮の階段を上っている。
 まるで、映画の一シーンのようだ。しかし、これはまぎれもない現実なのだ。 
 やがて、ダライ・ラマは宮殿の入り口に達し、振り返った。人なつこい笑顔が見える。手を振っているのが見える。
 ダライ・ラマが宮殿の中に消えると、画面は資料映像に切り替わった。何かの機会にすでに用意されたものなのだろうか、静かな口調で、ダライ・ラマとチベットの歩みを振り返っている。
 「ここで、ダライ・ラマの発言集をお送りします。」
 ダライ・ラマの画像にタイトルが重ねられ、ナレーターの重厚な声が、ダライ・ラマの過去の発言を読み上げる。
 「チベット独立が達成された暁には、私は全ての政治的な役割から身を引くつもりです。」
 「私は、水面に映る月の影です。」
 「私は、単なる仏教の僧侶に過ぎません。それ以上でも、それ以下でもありません。」
 ・・・

 「良かったなあ。」
 ツヨとともに、画面に見入っていたトムが、嘆息して言った。
 本当に、チベットの人たちにとって、またダライ・ラマにとって、良い結果になった、ツヨもそう思った。しかし、ツヨには、トムのように何のてらいもなく、自分の感想を表現することができない。
 どんな出来事にも、裏があるのではないか、そのようについ思ってしまうのだ。
 一方、トムは、決してものごとの表面に隠れている本質について考えないわけではないが、良いことは良いこととして、そのまま素直に受け止めることもできる。
 この素朴な人柄の良さに引かれて、私はトムと一緒に暮らすことになったのだ。
 ツヨは、トムがグンジを訪れて、最初に話した上海の夜を思い出した。
 「ところで、ツヨ、グンジ・タカダとは、一番最近はいつ連絡をとった?」
 トムも上海のことを思い出したのだろうか?
 ツヨは、実はここのところグンジに出したメールの返事が来ないのだと告白した。
 トムはエスプレッソのカップを持って、一口啜った。
 「グンジは、どうしているのだろう。クオリア研究所もどうしたのだろう。ある時期から、クオリア研究所からは、ぴたりと何の情報も出てこなくなってしまった。まだ廃止はしていないのだろうけど。」
 トムは、そう言った後、まだ何かいいたげな気配を見せた。
 しばらくの沈黙の後、
 「実は、チベットが独立したというニュースを聞いた時、ぱっとグンジのことが思い出されたんだ。」
とトムは言った。
 「トム、実は私もグンジのことを思い出しました。グンジは、いつも、中国政府はチベットを独立させるべきだと言っていましたからね。」
 「そうだったか? 私は覚えていないが。」
 「上海でスペラティヴをやっていた頃、良くそんなことを言っていました。もっとも、当時の中国社会で、そのような意見を大っぴらにするはずもありませんが。」 
 「そうだったかも知れない。チベットが独立すべきだという見解は、グンジの政治的信条全般とも合う。しかし、私はグンジがそんなことを言っていたとは覚えていないな。私がグンジのことを思い出したのは、もっと微妙な回路を通してだ。」
 「微妙な回路と言うと?」
 「何と言ったらいいんだろう、どこか微妙な点で、チベット独立という今回の事件は、私の中で何故かグンジ・タカダという人間を思い出させた。どうみても、直接のつながりはないのだが。」
 後に、ツヨは、この時のトムの直観が鋭いものであったことを知ることになった。
 
 ダライ・ラマのラサ入城の様子は、中国全土にも生中継されていた。
 夜遅い時間帯にも関わらず、多くの人たちが画面に釘付けになっていた。
 21世紀初頭から、中国でも、検閲されないCNNゴールドを見ることができた。例え検閲したところで、インターネット上に無数にあるWeb放送局で、同じ内容の番組を見ることができる。それならば手間のかかる妨害操作をして国際社会の非難を浴びるよりも、番組をそのまま流してしまった方がいい。何よりも、中国経済の変化が、国民に最新の国際ニュースを伝えてそのメディア・リテラシーを上げておくことを要求していた。経済発展につれて、ある程度の知的素養を持った労働力を大量に必要とする時代に、中国もまた突入していたのである。
 国民を無知の状態に置くことは、中国経済の発展をさまたげることにつながり、結果として自分の首を絞めることになる。中国政府は、経済発展のために、外国からの報道に接する自由を事実上認める決断をしたのである。 
 20世紀末から始まったインターネット上のオープン・ソース・ムーヴメントにより、共産主義は、少なくとも理念上は、訴求力を取り戻しつつあった。オープン・ソース方式では、その先駆けになったコンピュータのオペレーティング・システム、『リナックス』のように、多くの技術者がボランティアとしてその開発に取り組む。必ずしも、その開発から経済的報酬を得ない。仲間内の名誉や、自分自身の技術力の進歩など、無形の報酬を得ることで満足したのだ。これは、インターネット上に実現した知的財産の共産主義だと言って良かった。
 やがて、オープン・ソース・システムは、多くの分野に広がっていった。デジタル・ネットワーク時代が、ネット上の共産主義を要求したのだ。その結果、少なくともネットワーク上では、共産主義という思想に対する訴求力は強まるように見えた。経済改革がうまくいって、中国経済が規模の上で日本経済を抜いた今日でも、政治制度が中国共産党の一党独裁という形を保てたのは、そのせいかもしれない。
 もっとも、ネット共産主義の主役は、中国ではなく、アメリカだった。かつての共産国が、いまや世界でも有数の資本主義経済の国家であり、一方で、世界最大の経済大国が、同時に最大のネット共産主義の国であるという、19世紀のイデオロギーでは理解できない現実が世界を覆いつつあったのである。
 北京の紫秋路でも、引退した元中国共産党幹部が、ダライ・ラマのラサ入城の様子を、チャイナ・サテライトのCNNゴールドで見ていた。
 「こうして・・・歴史は、また、逆回りして行くんだな。」
 「逆回り? それはどういうこと、おじいちゃん?」
 小学生の孫が素朴な好奇心を引かれて質問した。利発そうな顔をした、可愛いお下げの女の子だ。
 老人は、苦々し気に、そしてほとんど独り言のように言った。
 「あのダライ・ラマというのは、前のダライ・ラマの生まれ変わりだそうだ。前のダライ・ラマが死んで何年か経った後、その生まれ変わりの少年を探してくるのだそうだ。ふん、馬鹿らしい。そんなのは迷信に決まっている。チベットが、迷信で選ばれた指導者に導かれる国に戻るのが、そんなにめでたいのだろうか。」
 「でも、おじいちゃん、ダライ・ラマって、いい人みたいじゃない。」 
 「お前はそう言うが、チベットは、1950年に中国の人民解放軍が解放するまでは、一部の僧侶が富も権力も独占する、封建的な社会だったんだぞ。またそのような時代に逆戻りしていいといいうのか?」
 「でも、ダライ・ラマは素晴らしい人らしいじゃないの。」
 「ふん、お前も、だいぶ自由思想に毒されているんだな。」
 「でも、一人一人がそれぞれ自分の信条に従って生きる、その結果社会全体が良い方向に回っていく。そのような考え方は、必ずしも悪いものだとは思わないわ。」
 「馬鹿、この社会も、随分自由になってきたが、お前のような考え方をしていたら、出世できないぞ。」
 「おじいちゃんは、共産党の中で出世してきたかもしれないけど、私たちの世代は違うわ。」
 「違うも違わないもない。お前たちには判らないかもしれないが、人民解放軍がチベットの民衆を解放した背景には、確かに、ある政治的理想があったんだ。その理想を忘れちゃいけない。理想を忘れちゃいけないんだ。・・・」

 その頃、東京の新聞社各社では、チベット独立という大ニュースに、国際部、政治部、社会部の記者が大わらわになっていた。
 『インディペンデント』を始めとするイギリスの高級紙がはじめた試みに刺激され、「朝刊タブロイド紙」という新しいジャンルを開拓し、独自の紙面構成で部数を伸ばしてきた『首都新聞』では、明日の朝刊の見出しを、いかに独自色を出したものにするかで腐心していた。
 「チベット独立」
などというありふれた大見出しは付けたくない。何か、関連した、しかし意外性のある見出しがいい。意外性のない見出しでは、すでに家で朝刊に目を通している読者は買ってくれない。
 独自路線を引っ張ってきたやり手の編集長の向田は、1時間ほど前から社内を歩き回っていた。
 「何かネタはないか。何か、明日の朝刊のトップに持ってこられる、ネタはないか?」
 向田が外信部に来ると、同期のデスク、高谷が興奮した様子で机の上に広げられた写真を前に演説をぶっていた。
 「この、イコノス2の衛星写真を見ろ。明らかに、中南海の建物の回りの警戒体制が変っているだろう。」
 高谷は建物をなぞるように指を動かした。
 「解像度は、50cm以下だよ。スペース・イメージング社が、指定した場所の写真をとってくれる。アメリカ政府が、軍事偵察衛星技術の利用を解禁したから、民間の人間でも、こんな高解像度の写真が手に入れられるようになったんだ。もっとも、もはや政府の助けを借りなくても、民間で独自に同じくらいの解像度写真が手に入る時代だがね。」
 「何か政治的イベントがあった時の、定例の警戒体制ではないのですか?」
 いつも冷静な判断で向田や高谷の「暴走」を食い止める島田がぼそっと言った。島田は、社内で半ば冗談めかして「首都新聞の良心」と言われている。
 「いや、そうではない。私は、「中南海ウォッチャー」と言われるくらい、定期的に中南海の衛星写真を手に入れて見てきた。このような警戒体制は明らかに異常だ。ほら、道路に沿って、兵士が5メートル間隔で立っているだろう。」
 「この小さな点が兵士なのですか? 街灯ではないのですか?」
 「兵士だよ。私のように、常に衛星写真を見ていないと、すぐには見分けられないかもしれないな。心眼で見なくてはならない。脳の情報処理能力は、大したものなんだ。もし、それを鍛えればね。」
 「本当かなあ。高谷さんの思い込みなんじゃないかなあ。」
 高谷と島田のやりとりをにやにや聞いていた向田が、口を挟んだ。
 「いけるかもしれない。これを、明日の一面トップにしよう。トップ見出しに、『中南海に厳戒体制』、サブに、『何らかの政治的変化か?』というのはどうだろうか。」
 「最初のはいいとして、二番目のは完全に憶測だな。」
 高谷が今迄の勢いに反して控えめな意見を述べる。高谷は、どちらかと言え、興味深い衛星写真を手に入れれば、それで満足してしまうタイプだった。
 「憶測かもしれないが、これだけ唐突にチベット独立を認めたんだ。何か政治的な裏があるのは当然だろう。『何らかの政治的変化か?』くらい打ってもいいんじゃないか?」
 「勝手にするがいい。首都新聞の一面は、どうせお前さんのものだ。」

 翌日の土曜日、ハワイ島コナ近郊は穏やかに晴れていた。
 「おい、ツヨ、見てみろ。グンジがテレビに出ているぞ。しかも、チベット独立についての記者会見だ。」
 トムが叫んだ。
 眠っている間もテレビを付けっぱなしにしていた。
 中国の軍部の一部が、跳ね返りでラサを再占領するのではないか、トムはそれが心配だから、携帯電話(モバイル)テレビを付けっぱなしにしておいて、枕元に置いてあったのだ。
 グンジが、テレビに? 記者会見? チベット独立について?
 ツヨは、トムが何を言っているのか判らなかった。全く認知地図を作ることができなかった。
 トムは、居間に移動して壁の50型のテレビを付ける。ツヨがパジャマのままトムを追う。
 ツヨがリモコンを押すと、ヒューマノイド・ロボットが朝のコーヒーを持ってきた。

 画面に、「政治金融技術『スペラティヴ』がチベット独立の背後に」(political-economic technology "superative" behind Tibetian Freedom)というテロップがかぶされている。
 「これは、CNNゴールド特別レポートだ。」
トムがヒューマノイドからコーヒーを受取りながら言う。
 グンジ・タカダが、プレス・コンファレンスの会場で、記者たちに質問を受けている。
 しばらくぶりに見るグンジは、顔の表情も明るく、元気そうだ。
 グンジが元気そうなのは良かったのだが、ツヨには、自分が突然置かれた場所がどこなのか、さっぱりつかめなかった。グンジが何故チベット独立に関する記者会見に出てこなければならないのか、さっぱり判らなかった。カフェインも助けてくれない。
 記者会見は、どうやら、「民主チベット」という民間団体が主催しているらしい。
 「ノーベル平和賞を受賞した、エスタブリッシュされた団体だ」
 ツヨの困惑の気配をさとって、トムがそっとささやいてくれた。
 ちょうど、画面は、グンジがフィリピン訛りの英語を喋る女性記者の質問を受けているところだった。
 「『スペラティヴ』というのは、あなたが上海で大変なお金を稼いだ時にスローガンとしていた概念ですね。それが、今回のチベット独立にどのような関係があるのですか? ダライ・ラマも、スペラティヴのことを知っているのですか?」
 記者の声は詰問調だったが、グンジが、にこやかに受け流して答える。
 「猊下は、全く御存じありません。『スペラティヴ』の技術が、チベット独立に関与できるなどという、ファンタスティックなことを考えるのは、私のような誇大妄想狂と、私の周りにいるロケット・サイエンティストたちくらいのものです。」
 笑ったのは、グンジ本人と、まわりにいる民主チベットの人たちだけだった。
 いら立ちを隠せないように、アメリカ人らしい記者が口を挟んだ。
 「まだ良く判らないのですが、『スペラティヴ』とは、一体どのような技術なのですか? それは、そもそも、何を可能にするのですか?」
 「『スペラティヴ』の理論そのものは、私が上海で金融オペレーションを始めた際に、仲間たちとつくったものです。今回のチベット独立は、中国という、急速に発展しつつある政治経済複合体に、『スペラティヴ』を適用することによってはじめて実現したのです。」
 かなりのベテランらしいその中年の記者のいら立ちはますます強まったようだった。
 「あなたは何かを隠そうとしているのでしょうか? 隠すつもりだったのならば、なぜこのような記者会見を開いたのですか? 私が疑問に思っているのは、『スペラティヴ』がどんな技術だったから、それがチベットの独立という政治プロセスに関与することができたのか、その一点です。そもそも、単なる科学技術が、なぜ、かくも長い間袋小路に入っていた政治的問題を解決することができたのか、誰でも疑問に思います。私は、単にその疑問を解決して欲しいと、あなたに頼んでいるだけなのです。」

 その頃、CNNゴールドのアジア大平洋地区の総合プロデゥーサーであるケヴィン・マクドナルドは、シンガポールのヘッドクォーターで頭を抱えていた。
 「君、このネタは間違いないのか? 『民主チベット』が今回の独立に関する特別の記者会見をするというから、特別にザ・ワールド・ナウの時間枠を回したのに。こんな変な日本人が出てくるはずじゃなかったのに。この放送はアトランタにも流れているんだぞ。」
 ケヴィンにどやされたクリス・ウォンにしても、このような展開は予想外だった。
 「すみません。全く予想外の展開で。今、グンジ・タカダとかいう男は誰なのか、『スペラティヴ』というのは何なのか、調べているところです。」
 「それにしても、ダライ・ラマに続いてノーベル平和賞を受賞した名誉ある団体、『民主チベット』が、よりによってチベットの独立が実現した晴れがましい席で、何故このような奇妙な男に喋らせるのか? 全く判らない。」
 ケヴィンは、次第に募って来る不安を押さえようとしていた。
 中継を打ち切るべきか? アジア大平洋地区へのトランスミッションを打ち切ることは、ケヴィンの権限でできる。
 「もう少し、聞いてみましょう。会見の最初に、民主チベットのチェアマンが、『チベット独立の恩人のグンジ・タカダが・・・』と言っていたではないですか。」
 何時も冷静さを保つユウ・タク・リュンがそう言ったのを切っ掛けにスタッフの顔が再びモニターの方に向かった。

 「チベット独立をもたらした謎の政治金融テクノロジーの全貌明らかに」
 ある日、ツヨが手にしたコナ・オブザーバー・オン・サンデーは一面に大見出しを掲げていた。
 CNNゴールドのケヴィン・マクドナルドが世紀の失敗だと恐れた民主チベット本部からの中継は、世界中の多くの人たちを、信じるべきか、信じざるべきか、の宙ぶらりんの状態に置いた。人々は、心理的に、なんらかの説明を必要としていたのだ。コナ・オブザーバーだけではない。世界の主要新聞が、チベットの独立と社会の政治プロセスと経済プロセスを統合して制御しようという奇妙な理論を、一面トップに持ってきていた。
 独占スクープとなったU・P・I通信の記事は、次のように始まっていた。

 戦後の奇跡的な経済復興の後、バブル経済の崩壊で、長い政治的・経済的トンネルに入ったかに見えた日本は、アジアの政治状況を劇的に変えたり、地球規模で新しいトレンドを形成するような新しい思想の母胎としては、もっともあり得ない場所のように思われた。ところが、その日本から、21世紀のマルクスとでもいうべき、独創的な思想が現れた、と指摘する識者がいる。世界的に知られた政治思想史の権威、ハーバード大学のダッカス教授もその一人である。他でもない。先日のチベット独立の思想的立役者として一躍注目を浴びた、グンジ・タカダの『スペラティヴ』理論である。

 U・P・I通信の記事は、続いて、グンジ・タカダのスペラティヴ理論は、政治的オペレーションと経済的オペレーションを組み合わせることによって、経済的な利益を上げつつ、政治的な民主化を図ることを可能にするものだ、と解説した。
 
 ・・・・しかし、『経済成長とは何か』という著作を除けば、グンジ・タカダの「スペラティヴ」が具体的にはどのような内容なのか、ほとんど知られていない。タカダ・アンド・アソシエーツが上げていた驚異的な利益に着目して、『タイム』マガジンを初めとするいくつかのメディアが、「スペラティヴ」という言葉も用いてタカダの身辺について報じたことがある。しかし、タカダ・アンド・アソシエーツのかたくななまでの秘密主義に阻まれて、「スペラティヴ」に関する具体的な内容はほとんど明らかにならなかった。
  「スペラティヴ」の内容が明らかにならないまま、タカダ・アンド・アソシエーツは、当時日の出の勢いだった中国マーケットで急成長していた多くの会社群の中に埋もれ、グンジ・タカダに巨万の富をもたらした政治金融テクノロジーの謎は、ついに明らかにされないまま今日に至っているのである。
 チベット独立に関与した、と報じられたことで、このテクノロジーに再びスポットライトが当たった。どうやら、タカダ博士は、そろそろ彼のテクノロジーの謎を世界に向かって明らかにする潮時だと思ったらしい。本社は、来年初頭にタカダ氏がMITプレスから出版する予定の書籍、「スペラティヴーー幸福のための金融技術」の内容を事前に手に入れることに成功した。
 以下は、その要約である・・・・・。

 U・P・I通信は、続いて、タカダのスペラティヴ理論の概要を、一般のメディアに対して配信するものとしては異例なほど詳しく、技術的な詳細に踏み込んで報じた。スペースの都合上、全文を掲載するのが難しい場合に備えて、補助的マテリアルを載せたウェブページまで提供する力の入れようだった。
 U・P・I通信が報じた内容を専門家が検討した結果、タカダのスペラティヴ理論は、行動経済学における創始的な研究でノーベル経済学賞を受けたカーネマンらの研究の流れを受ける、意外なほど正統的で、きちんと整備された体系を持っていることが明らかになった。
 U・P・I通信の記事がきっかけとなって、グンジ・タカダの人となり、その経歴、資産家ぶりなどに関する大量の後追い記事が現れた。近代以降の日本が生んだ希に見るヴィジョナリーとしてのグンジ・タカダの名声が一気に高まった。ついには、グンジ・タカダを、ノーベル経済学賞やノーベル平和賞の候補に模する論評まで英米系のメディアに現れるようになったのである。

 すっかり時の人となったグンジ・タカダであったが、その年のクリスマスの頃には、一連の報道騒ぎもほぼ収まりかけていた。そんな中、バングラデシュの通信社、ENAが配信した次の記事を報じたのは、アイルランドの地方新聞やパキスタンの夕刊紙など、限られたメディアだけだった。記事の内容のあまりの荒唐無稽さに、多くのメジャーなメディアは報道するのをためらったのである。
 
 自ら開発した独自の金融理論「スペラティヴ」によって、巨額の富を築くとともに、100年は難しいと考えられていたチベット独立を実現した男として一躍知られるようになったグンジ・タカダであるが、多くの懐疑主義者が予感したように、どうやら今回の成功の裏には、暗黒の裏面があるようだ。チベット独立の裏には、実は、最新の人工知能を用いた殺人兵器の存在があったのである。
 直径2センチメートル足らずの人工蠅が、ほぼ無限の航続距離を持ち、極めて正確にある特定の個人を見つけだして、一分以内で死に至る毒物を確実に注射する・・・ グンジ・タカダがこの「殺人蠅」の技術をチベット亡命政府に提供していることを知った時の中国首脳の驚愕は想像するにあまりある。中国政府が、表向きは「中国が世界に示しつつある、資本主義と共産主義の合体の新しいモデル」をより洗練させ、「世界の人民にとっての民主化プロセスのより一層の進展のため」という大義名分の下にチベット独立を認めたことになっているが、チベット独立の真の理由は、この「殺人蠅」の威力にあったのである。
 「殺人蠅」の驚異の航続距離は、「古典的な」蠅のように、途中で有機物の食物から栄養を補給することができることによってもたらされている。しかし何よりも驚異的なのは、「殺人蠅」が様々な危険や障害をインテリジェントに避けながら、着実にターゲットの人間がいる場所に到達し、最後にターゲットの顔を確実に認識して毒針を刺すことを可能にしている『プロセス・アイ』の理論およびその実装技術である。『プロセス・アイ』の理論は、ウィーンで行なわれた意識の国際会議の最中に失踪した天才脳科学者、タケシ・カワバタによって生み出された。人間の意識の謎を解明するために生み出された『プロセス・アイ』が、グロテスクなSFに登場しそうな「殺人蠅」を可能にするために使われたわけである。複数の関係者によると、カワバタは、ウィーンから失踪した後、密かにグンジ・タカダの主催するインドネシア・バリ島の「クオリア研究所」で『プロセス・アイ』の研究を続けていた。しかし『プロセス・アイ』理論の実装技術の完成直前に再び失踪し、クオリア研究所所長のグンジ・タカダもその行き先を知らないと言われている・・・

 もし、この配信が、タケシ・カワバタが失踪した時の騒ぎを覚えている記者によって読まれていれば、もう少しはスポットライトが当たっていたことだろう。
 タケシ・カワバタのことを少しでも記憶している記者であれば、『プロセス・アイ』という言葉を正確につかっている点や、グンジ・タカダの「クオリア研究所」にカワバタが滞在していたことを指摘している点など、思いつきでは書けないようなディテールに目を見張り、注目したところだろう。
 しかし、21世紀に入って顕著になった報じるべきニュースの量のインフレーションの傾向の中で、科学のジャンルのニュースと、政治経済のジャンルのニュースを横断的に結びつけることを思いついた記者はいなかった。 
 天才脳科学者、タケシ・カワバタが果たしてチベット独立に貢献したのかどうか。この、きわめて興味深い歴史の一こまの真相がすぐに明らかにされることはなかったのである。

3月 10, 2009 at 07:10 午前 | | コメント (4) | トラックバック (4)

とにかく素敵な人

親友の竹内薫がcompassionに満ちた
文章 
を書いているカルデロンのり子さんの
問題は、そもそも「法」とは何か
ということを考えるよいきっかけに
なるのではないか。

実定法だけが唯一の法源ではない。
カモン・ローもまた法源である。

そして、カモン・ローは裁判官によって
「発見」されるのである。

人間の認知プロセスにおいては直感が
重要な意味を持つ。
直感は、明示的なルールでは書き尽くすことが
できない。

法律の条文に必ずしも縛られるべきでは
ないというのは、認知プロセスの本質に
照らせば当たり前のことで、
法に対するエキセントリックな立場
では決してないのである。

条文をやたらと振り回す人が、
できそこないの人工知能に似てくるのも
また当然のことである。

コモン・ローの精神においては、
個々の事例についてまずは妥当な
判断が何であるかを探り、その後で、
そのような判断がなぜ行われるのか、
法理を逆に探る。
法律関係者が自覚しているかどうかは
別として、実際に起こっている認知プロセスは
そのようなものである。

何よりも、他人の痛みがわかる人
にならなくてはならない。

竹内薫のように。

私は靴紐を解いたり結んだりといった
面倒くさいことは一切しない。

つま先で床を蹴って入れてしまうのである。

家を出る時に、左の靴をカッカッカッと
やっている時に違和感があった。

なんだか、つま先がへこんでいるような
気がする。

しばらく走って、足元を見てはっと
気付いた。

左の靴が、古い方を履いてしまっている。

しばらく右左が違う靴を見下ろして考えた。

靴下が左右で違うということはよくあって、
周囲の人に気付かれないことが多い。

しかし、靴が左右で違うというのは初めてである。

新しい右はモンク・タイプのもので、
左は紐タイプである。

さすがにこの違いには気付くだろう。

このままエキセントリックを通すか、それとも
戻るか。

世間の常識の圧力は大きい。

悄然として家に帰り、靴をはき直して
駆けだした。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ゲストはサッカー日本代表の中澤佑二さん。

とにかく素敵な人だった。

ぼかあ、中澤さんを、断乎応援するゾ!

中澤さん、ワールドカップでのご活躍、
心からお祈りいたしております!

3月 10, 2009 at 07:02 午前 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2009/03/09

「伝えたい日本」

WEDGE Infinity記事

茂木健一郎「伝えたい日本」

第一回 日本の感性に寄り添う生き方 

第二回 日本人の強みは“衆知を集めて独創を生む” 

第三回 一人ひとりが日本のプロフェッショナルになろう 

3月 9, 2009 at 12:41 午後 | | コメント (4) | トラックバック (1)

東京工業大学シンポジウム

東京工業大学シンポジウム

中村修二
茂木健一郎

2009年3月10日
13時〜17時
東京工業大学大岡山キャンパス

http://www.productiveleader.jim.titech.ac.jp/PLIPSUMPO20090310.pdf 

3月 9, 2009 at 10:04 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

今、日本で最も良い展覧会!!

From: awata daisuke
Subject: 粟田大輔です。
Date: Mon, 09 Mar 2009
To: Ken Mogi


茂木さん


ご無沙汰しています、粟田です。

今、SCAI THE BATHHOUSEというギャラリー
(茂木さんがカプーアをみたギャラリーです)で
私が担当した展覧会が開催されています。
以前、企画した「ヴィヴィッド・マテリアル」展にも
出ていた大庭大介という作家なのですが、
彼の絵画にも、ロスコに通じる「触知性のリアリティ」
が感じられると思います。

http://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibition/data/090306daisuke_ohba/ 


写真からだと一見わかりにくいかと思いますが、インスタレーションも含め、
今、日本で最も良い展覧会!!だと自負していますので、ぜひ!お時間あるときにいらしてください。

宜しくお願いします。


粟田 大輔

To: awata daisuke
From: Ken Mogi
Subject: Re: 粟田大輔です。

粟田くん

メールをありがとう。

なるほど、画像で見るだけでも、
力がありますね。

惹き付けられます。

なんとか時間を作って行きます!


またいろいろお話しましょう。


茂木健一郎!

3月 9, 2009 at 09:10 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

真の大胆さ

NHKにて、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

担当は、本間一成ディレクター。

サッカー日本代表の中澤佑二さんが
ゲストの回。

打ち合わせの段階では、橋本さとしさんの
ナレーションは入っていないので、
ディレクターが映像に合わせて
読み上げる。

第一回の星野佳路さんの映像を
編集室で見ている時に、
後ろから聞こえてきた声が
河瀬大作さんのものだと気付いた
時にはびっくりした。

打ち合わせ時にはディレクターが
読み上げるという慣習を知らなかった
ためである。

どの分野でも、暗黙知というものはある。


コメントを読み上げる本間一成ディレクターと、
柴田周平デスク。

宝島社の西袋豊さんの企画で、
関根勤さんと対談。

テーマは『妄想力』

妄想する力を持つことで、
二倍、三倍の人生を送ることができる。

逆に、学歴、セレブ、金持ちといった
妄想からは自由になることができる。

人生の目的は自由になることであるならば、
現実から離れる脳の潜在能力を生かしたい。

関根さんの語る萩本欽一さんの
姿が興味深かった。

終了の頃、田畑博文さんと西山千香子さん
がいらっしゃる。

重松清さんとの対談本『涙の理由』 
の2刷が出来たというのである。

「田畑さん、累計何部になったんですか?」

「2万3000部です。」

「おお、そんなになったのか。良かった良かった。」

「新潮社の池田雅延さんから感想のメールを
いただきました。」

「池田さんの感想は、聞くのがちょっと
こわい。」

「重松さんのことは、まだ名前が出る前から
注目していて、
いい、いいと新潮社の中で言い続けて
いたのだそうです。その重松さんと、茂木さんが
結びついて、とてもうれしいと池田さん
言われてました。」

「池田さんというのはこわいのですか?」
と西袋さんが聞く。

「長年小林秀雄さんのご担当だったのです。」
と私。

「池田さんのメールは、見た目もぜんぜん
違うんですよ。びしっとしていて、いかにも
池田さん、という感じなのです。」
と田畑さん。

大切なものに立ち返ることで
人の生き方というものはしっかりとして
くる。

白洲信哉が3月8日の
ブログで書いていることに
私は全面的に賛成である。

白洲次郎さんは生き方において
時に大胆な人であったが、
白洲信哉にもそういうところがある。

真の大胆さは、大局を見ることからしか
生まれない。

白洲信哉のことを思い出し、
池田雅延さんの声を聴く。


池田雅延氏、白洲信哉氏、茂木健一郎
(2007年10月10日、白洲信哉氏の出版記念会にて)


3月 9, 2009 at 08:43 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2009/03/08

時々刻々のdepartures

 河瀬直美さんと最初にお目にかかったのは、
『七夜待』の撮影中だった。

 現場には、長谷川京子さんがいた。

 「スパイダーウーマン」のように、
自分の引力圏に他人を巻き込んでいく
不思議な魅力を持っている人。

 来年開かれる予定の「なら国際映画祭」
のプレイベントにお招きいただいた。

 河瀬さん、それに宗教学者の山折哲雄
さんとのトークセッション。

 山折さんとは以前から一度お目にかかりたい
と思っていた。

 素敵な時間だった。

 過ぎ去った時間は、もはや「死者」
の時間に属している。

 一秒前の自分といえども、もはや
動かしがたく。
 私たちは、一瞬一瞬、生前葬
をしているようなものである。
 時々刻々のdepartures。

 そう考えると、不思議な慰撫に
包まれる。

 現代人は、神とか、死とか、
そういうものを深刻に考えがちだけれども、
よく見回せば至るところにそれはある。

 現代というものに身体運動としては
どっぷりと浸かりながら、
 精神は「どうでもいいや」と思ってしまう。
 
 メディアの中で流れる多くのニュース、情報が、
生きるということの本質から注意を
逸らすdisinformationであるように感じられて
ならない。 

3月 8, 2009 at 07:38 午前 | | コメント (24) | トラックバック (6)

2009/03/07

明日太陽が東から昇るか

 東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。

 柳川透くんの博士論文の下聴き会。

 柳川くんは立派に発表を終える。

 「ご苦労様!」ということで、
すずかけ台駅前の「てんてん」
でご飯。

 ぼくはずっと「天丼」を食べて
いたのだが、前回「てんぷら定食」
を食べたら、もう二度と「天丼」
には戻れない人になってしまったらしい。

 天丼は九百いくら。てんぷら定食は
千二百いくら。

 てんぷら定食は品数が少し多く、
あとかき揚げがつくのである。
 
 あとから来た野澤真一が、
「あれっ、茂木さんが天丼以外のものを
食べている!」
と驚いた。

 野澤は、私はてんてんでは天丼を
食べるということを、太陽が東から昇って
西へと沈むということくらい、自明な
ことだと思っていたのであろう。

 18世紀のイギリスの哲学者、デイヴィッド・
ヒュームは宇宙の自然法則について徹底的に
懐疑した人である。

 昨日までずっと太陽が東から昇ってきたと
しても、明日はどうなるかわからぬ。
 私がてんてんでずっと天丼を食べていたと
しても、今度も天丼を注文するかどうかは
わからぬ。

 我々人間も太陽も皆、明日をも知れぬ身なのだ。

 すずかけ台キャンパスの教室で、
脳研究グループの会合。

 私、関根崇泰、野澤真一、石川哲朗、
恩蔵絢子、戸嶋真弓、高野委未、柳川透、
須藤珠水、箆伊智充、星野英一。

 恩蔵絢子さんが、
Looking for Myself: Current Multisensory Input Alters Self-Face Recognition 
を紹介。

星野英一くんが、
Increase of Universality in Human Brain during Mental Imagery from Visual Perception 
を紹介。
 
星野英一は変わった男である。

以前沖縄の渡嘉敷島に合宿で行った
時には、遠浅の海をはるか沖まで
歩いていって、
オットセイになった。

厳寒のワシントンDCをTシャツ
一枚で歩いて、
アフリカ系アメリカ人に、
Aren't you cold, man?
と聞かれた。

ゼミをしながら、リュックを背負っている。

「おい、星野、お前なんでリュックを
背負ったままやってるんだ?」

「寒いんですよ。」

リュックを防寒具として使う男。

終わった後、「お前、リュックをわざわざ背負って
論文紹介をした、史上最初の人間かもよ!」
と星野をほめた。


 


セミナーをする星野英一氏(いろいろな角度から)

アインシュタインは宇宙が4次元の時空
であると唱えた。

ボルツマンはエントロピーを状態数
と結びつけた。

ハイゼンベルクは、a×bがb×aと
異なる数学を考えた。

リュックを背負ってもいいじゃないか。
厳寒のワシントンをTシャツ一枚で
歩いてもいいじゃないか。

常識への挑戦は、小さなことから始まる。
明日太陽が東から昇るか、そんなことは
誰にもわからぬ。

3月 7, 2009 at 06:29 午前 | | コメント (23) | トラックバック (7)

2009/03/06

骨折をすると、美人になる

 東京へ戻る。

 ワーナーブラザーズ試写室にて
『イエスマン』 を見る。
 ジム・キャリー主演。

 日本経済新聞の宮前泰明さんのインタビューに
お答えする。

 NHKへ。
 
 NHKニュース&スポーツの配信サイトの方々による取材。

 名古屋から山本隆之さん(タカさん)
がいらっしゃる。
 『会社の星』についての打ち合わせ。

 昨年の6月までプロフェッショナル班に
いたタカさん。

 フロアディレクターの山口佐知子さん
(さっちん)とひさびさの「ツーショット」
が撮れた。


山本隆之さんと山口佐知子さん。スタジオ101前にて。

 打ち合わせに喫茶店「丸コア」
に行くと、細田美和子デスクが仕事を
していた。

細田さんを見るなりタカさんは
「細田さんますますキレイになりましたね」。

細田さんは、最近家で階段を落ちて
骨折した。

右足にギブスをして歩いている。

骨折をすると、美人になるのであろうか。


細田美和子さん

 日経BPの「ニューロマーケティング」
に関する取材。

有吉伸人さん、日経BPの渡辺和博さんと
ごはんを食べる。

有吉さんは、決然と、鶏の唐揚げを
食べていた。

カロリーが何であろうと、
うまいものは食べにゃあならん。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

100名の方々をスタジオにお招きして、
「育てる」方法論について熱く語り合った。

収録が終わったあと、住吉美紀さん(すみきち)が
素敵なものをくれた。

すみきちの初の著書!

『自分へのごほうび』 (幻冬舎)

すみきちが生きる中で感じたさまざまな
こと、抱いた思いを綴ったエッセイ集。

本日、3月6日から書店に並び始めるという
ことなので、みなさん、ぜひお買いもとめ
下さい!

装丁は『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にもご出演いただいた鈴木成一 さん。

(私の『プロセス・アイ』も鈴木成一さんに
よる装丁である。)

すみきちブログにも、
よろこびが綴られている。

すみきち、本当におめでとう!

一人でも多くの人に、この素敵な本が
届きますように!



住吉美紀さんの初の著書『自分へのごほうび』と、著者近影。

打ち上げの席で、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のフロアディレクターを
している
宮崎泰樹さんと話す。
 
宮崎さんは、劇団「アカネジレンマ」
「アカネジレンマ」の活動もされている。


宮崎泰樹さん

いろいろなことがあった日。

帰りながら、考える。

没入する時間と、振り返る時間と。

自省する時間の中に、真実
は認識される。

没入する時間において、私たちは
真実を生きる。

3月 6, 2009 at 08:25 午前 | | コメント (24) | トラックバック (3)

2009/03/05

真心

 青山の
 ソニーコンピュータエンターティンメント
(SCE)で講演。

 「脳とエンターティンメント」
と題して。

 講談社MOURAの堀香織さん。
ゲラのチェックについて。

 新幹線で大阪へ。

 帝国ホテル大阪にて、トーク・&・
ディナーショー。

 桑原茂一さんがいらっしゃる。

 終了後、
 帝国ホテルの田中健一郎総料理長
と会食。

 本当に楽しい時間を過ごした。

 このところ、歩きながら考えて
いたこと。

 言葉には、ある特定の相手に
向けられたものと、不特定多数の
人に向けられたものがある。

 この人、という相手に向けられた言葉は
貴い。
 それは、その場で空気をふるわせて、
消えていく。

 一方で、不特定多数に向けられる
言葉は、ありったけのエネルギーを
持って、虚空へと届くべきだ。

 神の言葉は、当然、すべての
ものへと届く。

 預言者は、自分へ向けられたものと
思い込んでしまうが、実際にはすべての
者に平等に声は届いている
はずなのだ。
 
 野澤真一が、昨日の私のブログに
ついて感想 を書いてくれている。


 野澤の真心。

 論文をせっせと書こうぜ、真一!。


野澤真一氏

3月 5, 2009 at 05:52 午前 | | コメント (23) | トラックバック (3)

2009/03/04

文明の星時間 文系と理系

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第54回 文系と理系

サンデー毎日 2009年3月15日号

http://mainichi.jp/enta/book/sunday/ 

抜粋

 現代における本来的な知の総合性に目を瞑って、文系、理系という区別を一応認めてもかまわない。それでも、日本の社会でしばしば聞かれる「私は文系ですから」「彼は理系だから」という言葉にはおかしな所がある。
 何を大学で専攻したかということは、学部で言えば四年間だけのことのはずだ。卒業した後も、人生は続く。大学を出たからといって、学ぶことをやめてしまうわけではない。たった四年の間何を学んだかということによって、一生分の頭の中身が決まってしまうわけではない。
 大学を卒業してから十年も二十年も経った人が、「私は文系ですから」「私は理系ですから」などと言うのは、つまりは「私は大学を出てからは何も勉強していません」と告白しているに等しい。もしそうだとしたら、怠惰である。実際には他のことを習得しているのに相変わらず「文系」「理系」などと言っているとしたら、自己欺瞞である。
 日本では、一度定まってしまったことが原理的な立場から問い直されることなく続いていく傾向がある。「文系」「理系」という言葉が未だにまかり通るこの国の現状。生きる情熱の不足を感じ、深く憂うのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

3月 4, 2009 at 07:54 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

相撲取り

 新幹線で東京に戻る。

 曇天から雪が降る。

 大地から空に抜ける線が、
なんとなく斜行していて、
ああ、あれは富士山かもしれないと
思っていると、「新富士」の駅を
通過したと電光掲示板に出た。

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

 打ち合わせ室を出ると、机に、
須藤祐理ディレクター(すどちん)が
座っているのが見えた。

 すどちん、なぜか髪の毛を
短く刈り込んでいる。

 そうすると、ますます「相撲取り」
のように見えるのはなぜなのだろう。

 正確に言えば、「元相撲取り」
マゲを切ったように。

 すどちん、勢いがあってかっこよかった。


須藤祐理氏(2008年6月30日撮影)

 神田の学士会館にて、
渡辺政隆さんと対談。
 ダーウィンについて。
 『現代思想』の栗原一樹さんの呼びかけ。

 渡辺さんはpublic understanding of science
の分野においてさまざまな業績があり、
現在はJSTにて科学の普及の仕事を
されている。

 渡辺さんと、ダーウィンについて
縦横にお話しした。

 生物にせよ、脳にせよ、環境にせよ、
そのシステム性を扱おうとする時に、
 力学的モデルでシミュレーション
というのは一つの方法である。

 しかし、いきなりそのエッセンスを
数理的に表現することが難しい場合もある。

 ダーウィンのように、多くの知見を
総合し、有機的に統合する。
 そのような知性が求められるゆえんである。

 ダーウィン自身は数理的な方法をとらなかったが、
多くのものを鳥瞰し、バランスをとって
観照するその姿勢の中には、
統計的なサンプリングや、ベイズ推定や、
有機的な推論のすべてが香ばしい萌芽として
含まれている。

 東京も雪が降った。

 「相撲取り」と「雪」で、
昔『プロセス・アイ』の中に書いた
一節を思い出した。

__________

 時々、ツヨが下宿している代々木上原の家に軍司から電話があって、ツヨは呼び出された。軍司を取り巻いている、強気なのだが、どこか世間に対してはにかんでいるような人たちとも、徐々に知り合いになっていった。特に、東大の経済の大学院で「貨幣論」をやっているという木谷という男が、軍司たちとの集まりに頻繁に顔を見せた。現代の日本人には珍しい、恰幅の良い、ゆったりとした男で、東京のうまいものを食わせるレストランを、一つ残らず知っていた。実際には全てというわけではないだろうが、そう思わせるところがあった。
 ツヨは、最初に木谷に会った時、その体型を見て、
 「この人は、噂に聞く相撲取りかもしれない」
と思った。後で、そのことを木谷に言って、笑われた。木谷は、体型に似合わず、繊細で鋭い知性の持ち主だった。酒をグイグイ飲みながら、資本主義の革命は、貨幣の存在形態の変革を通して起こるとか、そのような難しいことを早口で喋った。いかに、デジタルネットワークの上での貨幣をパワーゲームの回路から隔離するか、それが重要だとくり返し言った。軍司は、そんな木谷を、
 「貨幣論をやるなんて、神の存在証明をやるようなものだ」
といつもからかっていた。そう言いながら、軍司が、木谷を、自分の周りの人物の中でもとりわけ注目すべき知性を持った男として認めていることは明らかだった。
 日本に来てから、ツヨは、何となく千佳に自分から連絡をとることをためらっていた。
 東京に来たのも、千佳のそばにいたい、千佳と話がしていたい、そのように思ったからだというのに、いざ東京に来てみると、自分と千佳の間には、同じハワイ大学からの留学生だという以外に、接点がないように思われたのだった。
 ツヨが千佳と会うのは、軍司と会う時だけだった。軍司がいるところ、必ず千佳も来ていたからだ。

 ある土曜の午後、軍司から電話があって、神田の連雀町にある甘味屋「たけむら」にいこうと誘われた。
 待ち合わせのお茶の水駅前の丸善の洋書売り場で時間をつぶしていると、軍司が黒いとっくりセーターに茶色のツィードのジャケットを着て現れた。 軍司の背中に隠れるようにして千佳の顔があった。
 千佳は、真っ赤なセーターの下に、ジーンズのスカートをはいていた。
 軍司と千佳は、つきあっているのだろうか?
 もう、何回目かの、そのような疑問が、ツヨの心に浮かんだ。
 それは、ツヨにとって、切ないが、不思議にどうでもいい質問のように思われた。
 どうみても、軍司にはかないそうもない。
 それに、自分は全体的に女性に対して奥手なのだ。
 ツヨが女性に憧れる時には、ただ、その人と話をしたい、その人にとって、大切な存在でいたい、そう思うのだった。それ以上、自分から何かをしようという気持ちになれないのだった。男と女の関係が、表向きはこれといった動きがなくても、密かに進行することがあるのではないか。自分と千佳の関係は、そのようなものであって欲しい。ツヨはそう願った。忍ぶ恋というやつだ。このあたり、ツヨは、古い日本のセクシャリティの観念に案外こだわっていたのかもしれない。
 実際、外国に住む日系人が、かえって伝統的な日本の文化に固執するケースがあると聞いたことがある。
 ツヨは、そのように考えて、「何かがおかしい」と感じている自分を納得させていた。
 お茶の水の駅から、ゆったりと坂を降りていく。途中、ここは、夏目漱石も通った洋食屋だよなどと、軍司が千佳に教えている。ツヨがその方向を見ると、真新しいビルの1階に、「松栄亭」と黒く染め抜いた白い暖簾がかかっていた。
 「昔はもっと古いビルだったんだけどなあ。すっかりキレイになっちゃって」
と軍司が大声を出した。
 その日は、東京に寒波が訪れて、雪がちらついていた。ツヨは生まれて初めて雪というものを見た。
 「雪は、空からの手紙なのよね。」
 千佳がそんなことを言って、手袋の上に降った雪が溶けるのを見ていた。
 そういえば、千佳にとっても、雪を見るのは初めてのはずだ。
 「子供の時、雪の女王の氷のカケラがささって、氷の宮殿に連れていかれてしまう男の子の映画を見て、恐いと思ったけど、何か引き付けられるものも感じたよ」
 軍司が、そんな詩的なことを言った。
 「たけむら」の建物を見て、軍司が今日ツヨと千佳をここに誘った理由が判った。
 「うわぁ。雰囲気のある建物ね。こんなきれいな木造の家、私東京で初めてみたわ。」
 千佳が興奮している。
 ツヨは、窓にはめられている木の格子の間隔が狭くて繊細なのがとても好もしいと思った。
 「このあたりは、戦災で焼け残ったんだ。」
 軍司が、少し怒ったような声で言った。
 三人は、たけむらに入り、汁粉を注文した。
 塩漬けの桜の花びらが浮いたお茶を飲むと、冷えた身体が芯からあたたまるような気がした。
 「ハワイでは、いつも暖かいから、冷えた身体を中からあたためるという喜びを味わうことができない。」
 そんな意味のことをツヨは言おうとしたのだけど、舌がもつれてうまく言えず、千佳と軍司に笑われた。
 ツヨも一緒に笑って、幸せな気持ちになった。
 たけむらを出ると、軍司が
 「俺に付いてこい」
とでもいうように黙って先頭に立ってぐいぐい歩く後を追って、別の和風の建物の前に来た。「松屋」というそば屋だった。
 中に入ると、人いきれがした。店の奥に、白木の机があって、勘定書の紙の山の前に白い服を着た人が座っていた。
 3人は、四角い木のテーブルに座って、軍司が、盛りそばと天種と日本酒を注文した。
 ツヨは、本当は未成年で飲んではいけなかったのだけど、「御猪口」で1杯だけ飲んだ。千佳は、ゆっくりと御猪口を口に運んで、ハワイで育ったにしては白い肌がすぐに真っ赤になった。軍司は、ぐいぐいと御猪口を飲んで、次々と「お銚子」を注文した。お銚子が空く度に、軍司は机の上にそれを転がした。お銚子が転がっている様子がなぜかとても面白くて、千佳とツヨは顔を見合わせて笑った。
 いつの間にか、千佳と軍司は、夏目漱石についての議論をしていた。
 ツヨは、この作家を東京に来るまで知らなくて、今はもうデザインが変更されてしまったという、千円札の絵で初めて知ったのだけど、千佳は随分前から「ナツメ」を読んでいるようだった。
 「私は、漱石が、モラルの問題を追究したところにものすごくリスペクトを感じる。古き正しい日本人の姿が、そこに描かれているように思うのよ。」
 「俺は、『三四郎』に出てくる広田先生が好きだね。日本より世界は広い、その世界よりもあなたの頭の中の方が広いでしょうというやつ。」
 「漱石の描く日本人の状況って、ハワイの先住民に通じるところも少しあるのよね。西洋の圧迫っていうやつを感じて、その問題を懸命に解決しようとしているところが。」
 「うん、そこは夏目解釈の本筋だな。しかし、そうは言っても、やっぱり、お前の漱石の解釈は、ちょっと変わっているよな。「出戻り」だけあって、日本というナショナリティを、ちょっと複雑屈折した光の下で見ている。」
 「出戻り」という言葉を聞いて、千佳が笑い、ツヨも笑った。
 「出戻り」というのは、軍司が千佳に付けたあだ名だった。千佳の親が、日本を捨てて、アメリカ市民になりきろうとしているのに、こうして日本にこだわっている千佳のことを皮肉っているのだ。 
 「私、人間って、どこにいても、本質は結局変わらないと思うの。幸せの条件は、あまり変わらない。人は、結局、幸せになろうとして、その条件を、それぞれの社会の環境の中で、懸命に探しているのだろうと思うわ。そんなことを、漱石を読むと考えさせられる。」
 「俺は、幸せを特に求めようと思わないな。本当のこと言うと、幸せって何だかよく判らないんだ。」
 ちょうどその時、軍司の携帯が鳴った。
 「ああ、お前か。どこにいるんだ? ああ、そうか。飯はもう済んだのか? 俺たちか? 俺たちは、もう少しだ。そうだね。『エスト』にでも行こうか。」
 その喋り方で、電話の相手が木谷だということが判った。
 『エスト』というのは、軍司や木谷が、「東京のバーの最高峰」と言っている、湯島にあるバーのことだ。
 軍司が天丼を注文して、3人で分けて食べていると、松屋の暖簾をくぐって、木谷が現われた。
 神田から湯島は、歩いて20分程の道のりだ。冷たい夜風が頬に心地よく当る。
 最近、軍司と木谷が一緒になると、いつも、政治の話になってしまう。
 今日も、軍司は、広小路を木谷と横に並んで早足で歩きながら、熱心に議論していた。白い息が、軍司の大きな頭のまわりにもわっと立つ。まるで、蒸気を吐きながら疾走する機関車のようだ。
 そんな二人を、ツヨと千佳は並んで一生懸命追い掛けた。
 道路には、雪がうっすらとつもって、東京の街がいつもよりぐんと美しく見えた。
 雪はもう降り止んでいて、車の騒音の後側に、しんしんと沈黙のカーテンがあった。
 すぐそばに、千佳が歩いている。前を行く二人は、議論に夢中になっていて、まるで千佳と二人だけでいるみたいだ。
 今、ここ、こんな瞬間が幸せだ。
 ツヨはそう思った。
 千佳と二人で歩いている。
 それだけでなくて、軍司も前を歩いている。
 ツヨは、その幸せの感情の中に、軍司と千佳が自分のそばにいる、その微妙な三角形があることを自覚した。

茂木健一郎『プロセス・アイ』 より

________

3月 4, 2009 at 07:38 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2009/03/03

プロフェショナル アンコール 大谷るみ子

プロフェッショナル 仕事の流儀

介護は、ファンタジー

~認知症介護・大谷るみ子~

大谷るみ子さんは、お年寄り
たちと向かい合うことによって、
私たち一人ひとりの中にある
「普遍的人間」を発見するのだ。

そのプロセスの、何と感動的な
ことだろう!

NHK総合
2009年3月3日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
相手の行動の奥底を読み取る
〜 認知症介護・大谷るみ子 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

3月 3, 2009 at 06:59 午前 | | コメント (10) | トラックバック (0)

星の友情

 大分市の「いいちこホール」で
講演会。
 
 ぼくはずっといいちこの講演会だと
思っていたのだが、実際には会員二〇〇〇人
の女性たちの組織だった。

 電通の佐々木厚さんも
いらっしゃる。

 『涙の理由』と、『赤毛のアンに学ぶ幸福
になる方法』の話をした。

 2004年から4年にわたって行われた
南直哉さんとの対論のゲラ(新潮新書)
が上がってきて、
 新潮社の「ホッピー・マスター」こと
金寿煥さんから送られてきた。

 その中で、私は南直哉さんに
自分の本質を言い当てられた。

 「行雲流水」。(一処に留まることの
ないこと)

 ぼくは、きっと一生そうやって
生きていくのだろう。

 ゲラを読んだ後に、「まえがき」
を書き始めた。

__________
 若い頃、先輩にお前は不平家だと面と向かって言われたことがある。なるほど、きっとそうに違いない。どんなに年をとっても一向に丸くならない。表面をいくら取り繕ってもダメだ。時々必ずボロが出る。
 激烈なるものがわが内面にはあるのだ。そして気付いてみれば、私が信頼する親しい人たちは皆、一人残らずその内側に激烈なるものを秘めている。今でも盛んに噴煙を吹く活火山。時折思い出したように火柱を上げる休火山。あるいは、ほぼ活動を中止してしまった死火山。いずれにせよ皆、意識下にはマグマがたまっている。
 どんなに学問が進んだとしても、私たちの生は必ずこぼれ落ちる。ましてや、死はそのさらに先を行く。そういった事情に通じているか、知ってはいても定期的に肝に銘じる習慣を持っているかどうかで、ある人の精神性の形成は変わってくる。
 人間の魂にとって一番危険なことは、自らが依って立つ体系が生や死の問題を扱う上で十分であると錯覚してしまうことではないか。
ソクラテスの言う「無知の知」こそが魂の態度における唯一の要なのだということが心にしみ渡る。「もう、これで十分」という風に思った時に、心の窓は曇り始める。そうなってしまってはもう、世界は生まれ落ちた時の新鮮なる表情を見せてはくれない。
 世の中を見渡せば、自分の立場を信じて疑わぬ人がどれほど多いことか。自らの優越性を誇らんとするばかり、他者の姿が見えなくなる人たち。どんなに論を尽くしても、伝わらない哀しみ。無意識の中には、次第にマグマが溜まって行くのである。
 そんな折に南直哉さんに出会った。初対面で、その眼差しに射貫かれた。この人にならば、精神の地下に伏流する炎の話をしても通じるだろうと思われた。知というものの限界を、空気のように自然に呼吸している人。そのような「奇特」な存在が、この現代の日本で心臓を鼓動させているとは思わなかった。

(続く)
___________

南直哉さんと私は、「星の友情」。

ニーチェの『悦ばしき知識』にあるように、
お互いに遠くに相手の姿を認め合いながら、
再び相まみえるまで、人生という
虚空の中を流れていく。

南直哉さん、またどこかで会いましょう!

Star friendship.— We were friends and have become estranged. But this was right, and we do not want to conceal and obscure it from ourselves as if we had reason to feel ashamed. We are two ships each of which has its goal and course; our paths may cross and we may celebrate a feast together, as we did—and then the good ships rested so quietly in one harbor and one sunshine that it may have looked as if they had reached their goal and as if they had one goal. But then the almighty force of our tasks drove us apart again into different seas and sunny zones, and perhaps we shall never see one another again,—perhaps we shall meet again but fail to recognize each other: our exposure to different seas and suns has changed us! That we have to become estranged is the law above us: by the same token we should also become more venerable for each other! And thus the memory of our former friendship should become more sacred! There is probably a tremendous but invisible stellar orbit in which our very different ways and goals may be included as small parts of this path,—let us rise up to this thought! But our life is too short and our power of vision too small for us to be more than friends in the sense of this sublime possibility.— Let us then believe in our star friendship even if we should be compelled to be earth enemies.

http://www.geocities.com/thenietzschechannel/diefrohl7e.htm 

3月 3, 2009 at 06:54 午前 | | コメント (15) | トラックバック (3)

2009/03/02

白いものが点々と

 NHKの松江放送局主催の
講演会でお話するために松江へ。

 宍道湖の周辺の風情は素晴らしい。

 田んぼの中に、白いものが
点々とあるから、雪が残ったものかと
思ったら、丸くころころしている。

 サギであった。サギたちが
10羽、田んぼの中で佇んでいた。

 講演は昼間敬仁アナウンサーの
司会で、楽しく進んだ。

 会場の皆さんはとても熱心で配慮に満ち、
松江という土地柄の心のやさしさを
感じさせた。

  松江放送局のみなさんもとても温かく、
親切にして下さった。

 本当にありがとうございました。

 松江の美しい風光に接すると、時代の
変化とは一体何なのだろうと思う。

________________

 自然の光景に関して言えば、過ぎ去った時代の光景は、もはや一つの神話のようにさえ感じられる。私は「やっと間に合った」世代だったのかもしれない。小学校に上がる前に大学生のお兄さんに「蝶の指南」をされて、近所の雑木林で「ゼフィルス」(西風の神)という詩的な呼称を持つ蝶たちを追いかけた。羽の表が金属光沢を帯びた緑色に輝く「ミドリシジミ」。可憐に弱々しく飛ぶ「アカシジミ」。
これらの蝶は、夏の始まりに現れ、夕暮れ時に木々の梢のあたりを飛ぶ。その姿がまるで西風に乗ってきた妖精のようなので、「ゼフィルス」という名が生まれたのである。
 とりわけ、アカシジミは棲息している場所も限られていて、私はなかなかその姿を見つけることができなかった。そして、アカシジミを見つけると、どきんと大きく胸が弾んだ。
 ある時、森に採集に連れていってもらった後の帰り道、お兄さんがふともらした言葉が忘れられない。「昔は、アカシジミが西の空が真っ赤に染まるくらい沢山いたんだよ。」そのひと言を聞いた時に、私の胸の中にどんなに強いあこがれと、そして喪失の思いが浮かび上がったことか。
 不思議なことに、子どもの方が「喪失」の痛みに対する感受性が鋭い。自分がこの世にもたらされるという奇跡のすぐそばにある子どもは、今自分がこの世にこうしてあるその生の姿とは全く異なる「その前」を直覚的に思い浮かべることができるのであろう。「前世」を信じる宗教的立場を取るかとらないか、そのようなことは問題ではない。とにかく、この不可思議な喜びに満ちた世界に生み落とされたという「不条理と歓喜」の原点に近い子どもの方が、時が容赦なく流れていくということについての忸怩たる思いを、より鋭敏に抱くすぐれた能力があるのではないか。

茂木健一郎 『今、ここからすべての場所へ』 
(筑摩書房)より

__________

3月 2, 2009 at 07:32 午前 | | コメント (20) | トラックバック (3)

2009/03/01

オペラ歌手

 山田日登志さんが所長として牽引される
PEC産業教育センターの創立30周年記念の
「第23回トヨタ生産方式徹底研究会プログラム」
に参加する。

 山田さんは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の第84回「輝け社員、よみがえれ会社 に
出演されたことは記憶に新しいところ。

 会場は岐阜グランドホテル。

 岐阜駅からタクシーに乗ると、普通の
街並みを行く。

 運転手さんにお尋ねする。

 「あのう、なぜ、ここにたくさん大きな
ホテルがあるんですか?」

 「鵜飼いですよ。長良川の鵜飼い。5月から
そう、10月くらいまでやっていますかな」

 「そうですか。その時期は混むんでしょうね。」

 「ええ。」

 「鵜飼いの季節以外はどうなんですか?」

 「その昔、雪がたくさん降っていた頃は、
雪見船とか出ていましたが。ほら、あの山の
上が、斎藤道三の城ですよ。下が公園に
なっていて、このあたりざっと見るだけでも、
一日かかってしまいますわ。」

 会場を埋め尽くした1000人以上の方々。

 山田日登志さんの講演から会が始まり、
「ムダ取り」の実戦事例、
 西成活裕さんのお話、
 私の話、
 トヨタの張冨士夫会長の御講話と続く。

 久しぶりにお目にかかる山田さんは
相変わらずお元気で、全身から光の
ようなものが放たれている。

 張さんは「大人」の風格があり、
その吟味された言葉が印象的だった。

 西成活裕さんは
 「渋滞学」の研究で著名で、
最近出された御著書「無駄学」も大変面白い。

 日経サイエンスの対談でお目にかかったのが
最初だったが、とても波長が合って、
毎回面白いお話を聞く。

 西成さんが最近やられている
「バブル」に関する研究もたいへん興味深い。

 その西成さんが、
「ムダとりの歌」 
というCDで歌っている。

 作詞・作曲は小椋桂さん!

 「いやあ、スタジオ録音というものを
初めて経験しましたよ」
と言う西成さんだが、懇親会で
マイクの前に立ち、「ムダ取りの歌」を絶唱
しているのを聞くと、驚くほどの
というほどの本格派。

 「西成さん、すごいじゃないですか。」
 「ははは。オペラのレッスンもしていますからね。」
 
 「えっ。」

 「もう、二十年やっていますから。東京大学か、
東京芸術大学か、迷ったんですよ。今年の秋には
オペラにも出ますよ。」

 「・・・・・」

 人に歴史あり。空の向こうには大宇宙あり。

 西成さんの意外な一面を知る。
 西成さんは、オペラ歌手であった。


西成活浩氏。

 新幹線で帰る。やはり名古屋を過ぎると
眠ってしまう。

 タクシーから見上げた、斎藤道三の
城の風情が忘れられぬ。
 小高い山の上にあるその姿。

 武力で競いあう逝きし世。
 もし生まれていたら、とても適応
できていたとは思えぬ。
 せいぜい隅で息を潜めるだけのことだったろう。

 歴史が移り行くと、世界の様子は
驚くほど変わり、生きとし生けるものは
懸命にその流れに身を合わせる。

 現代もまた変わらない。

3月 1, 2009 at 06:48 午前 | | コメント (19) | トラックバック (6)