一足先に
赤坂のTBSにて、取材を何件か受ける。
ラジオ「ストリーム」で、小西克哉さん、
松本ともこさんとお話しする。
ロックフィールド
の東京事務所で、社長の岩田弘三さんと対談する。
「傷だらけのマキロン」こと、牧野彰久
さんと落ち合って、林望さんとの対談本のゲラをいただく。
牧野彰久氏
ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の
所眞理雄さんのご自宅で、
『オープンシステムサイエンス』
の出版を記念する会。
おいしいご飯やワインをいただき、
議論をして、楽しい時間を過ごした。
投稿中の柳川透くんの論文に
ついての返事があり、小さな点の修正後受理される
見込みに。
柳川くんに電話したら、
「リジェクトされる夢を何回も見ていたので、
本当にほっとしました」と声が弾んでいた。
柳川くんも、もう少ししたら
「博士」となるだろう。
よかったね、柳川くん!
一足先に、桜がほころんだ。
柳川透氏
「無知の知」は、ある人が成長する
ためにどうしても必要なことで、
それが欠如してしまっているという
人が世間を見渡すとずいぶん多い。
インターネットは、無知の知の欠如を
露呈しているような文章のオンパレードで
ある。
今の自分が全く知らない、巨大にして
深遠なる世界の予感を、いかに抱けるか。
一個人がアクセスできる情報が飛躍的に
増大した現代において、「無知の知」
は自分の可能性を活かすことができるための
必要不可欠な魂の態度であるような
気がしてならない。
2月 19, 2009 at 07:46 午前 | Permalink
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» etude28 トラックバック 御林守河村家を守る会
「○○○○○○○のためのエチュード」
連載28回
江戸時代を通じて、
ただ一箇条の憲法があったとするなら、
それは、キリスト教は禁制であるということでした。
秀吉が、キリスト教の布教について、
宣教師に尋ねたところ、
「まず宣教師がキリスト教を布教し、
... [続きを読む]
受信: 2009/02/19 8:56:09
» そう気づきをえる トラックバック 須磨寺ものがたり
昨日のTVで、
学生が商店街の活性化に、
自分のアイディアを持ち込み、
真剣に取り組む姿勢が映し出された。 [続きを読む]
受信: 2009/02/19 10:19:39
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コメント
「無知の知の欠如」は、自分のことを言われているような
気がしました。ブログのトップページに、
自分の体験に基づく記事である 等の、注意書きを加えました。
少数とはいえ、過去にアクセスして下さった皆様、
申し訳ありません。
「無知の知の欠如」であっても、もう私には
他に方法がない気がしています。勉強してからでは
おばあさんになってしまいます。
私は、脳科学の建築家には、なれません。
なのに、今の社会には、私が安心して住める安全基地はありません。
発達障害?という無理解な目で見られるか、
普通のことができない困った人として肩身のせまい思いで生きるか、
どちらかを選ぶしかありません。
生存に関わる問題だから、なりふりかまっていられないと思います。
もっと脳を理解してからでなければ書けない、でも、
それでは遅い、と思うようになりました。
NHKブックス『脳内現象』の71ページに
「並列的に把握された複数の要素を、統合して初めて評価できる」
と書いてあります。
その統合が弱いのが自閉症なのかも知れませんが、
統合が弱いのは、志向的クオリアの働きだけの問題でしょうか?
たとえば、極端な例として、
風景を写真を撮るように記憶する、サヴァンの人の場合、
目に浮かべている風景は、一般人もサヴァンも同じだとしても、
その感じているクオリアは、少しだけ違うのではないでしょうか?
感覚と志向の関係性で、最終的なクオリアが決まるのであれば、
両者が関わり合って、クオリアを決めているのであれば、
なぜ、どちらかだけに原因があると言えるのでしょうか?
自分が見たピカソの絵をそのまま覚えてしまえる人は、
ピカソっぽい絵というようなメタ認知は、できないのですよね?
一枚一枚のピカソの絵、という文脈と、
なんとなくピカソっぽい絵、という文脈のあいだに生じている
階段を、上がれない人と上がれる人の違いは、
どこにあるのですか?
感覚がものすごく発達した人でも、同時に統合力も強ければ
(茂木先生はそういう方だと勝手に思っています)、
超人的になれます。
感覚と統合力、どちらも平均値なら、
クオリアがどうのと悩むこともなく幸福な人生。
感覚・統合のバランスが、部分的に崩れているとき、
いろんな発達障害が出てしまうのではないか?
この見取り図は間違っているのでしょうか?
私は、脳科学を仕事にしている方々に、
発達障害の人とそうでない人を平等に扱うような、
同時に、一般の人にも分かるような、論文を
早く書いて頂きたいと願っています。
投稿: Mizno Yuli | 2009/02/20 3:59:49
きのうは履歴書書いてました

哲学に音楽に映画監督に物書きにと、どれからどれをやってゆけば
よいものかと思いました
よくまあいろいろでてくるなあって
小津さんみたいな映画は おれ つくれそうだなあなんて
ただ 楽しく生きてゆけたらよいなあって思いました
もともと超前向きなせいかくだからなあって
投稿: 中村蔵人 | 2009/02/19 23:50:10
茂木健一郎さま
今晩の半井小絵さん
レーヤ姫でした素敵でした
気象解説によりますと
北海道、大荒れらしく
ところで、やたら顔が違うとオンパレードが
その顔が違うと私のことを言う方々は、ご自身では基本となる、その顔が違うと言うことでしよ
ですから、私は同姓同名の別人
茂木健一郎さま、実際のことだけに笑えません
大勢の皆様、何を思い込みの激しい
私は以前から別人ですよ、と
スキーはキロロスキー場さまで独身の一人で真面目にスキー、楽しいです
投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/19 23:25:10
“無知の知”胸に刻みました
今日は特に
先の見えないことに打ちひしがれていたから
何度も何度も繰り返しています。
明日も前進あるのみ
立ち止まった時には少し振り返りたいとも思う。
柳川さん、おめでとうございます

投稿: ukulele mam | 2009/02/19 22:54:17
茂木健一郎様
今日は、日記を読ませていただき、すぐに「脳と仮想」が
読みたくなりました。 なぜでしょうか・・・・・
「脳と仮想」を読んでいると、すぐに宅急便屋さんが
来てくださり、なんと「今、ここからすべての場所へ」
が届いたのです。
ああ、こんな嬉しい気持ちになるものなの〜と思えるほど
心がはしやぎました。 時間のあるかぎり読ませていた
だいていると、泣けてしまうことの多いこと・・
・・有難うございます。
私は、目の前の状況につらいことがあったり、
残念なことがあると、ああ、この景色を見るために
生まれてきたんだって、この景色を忘れなければ
生きていけると思った、幾つもの国の風景を、
日本の美しさを想いだします。
この御本も、何度も何度も読みかえして憶えてし
まうような気がします。
ああ、久しぶりに、生きていてよかったと思える
御本を読ませていただいています。
有難うございます。
投稿: Yoshiko.T | 2009/02/19 22:50:53
サクラサク!
合格の符合だぁ(^o^)おめでとうございます!柳川さん。一足先にサクラがほころんで、良かったですね!ヽ(´▽`)/
それにしても…柳川さんの小さな修正点って、どんな所なのかしら?今までの過程に比べれば、その小さな修正点もカワイイもの…かも?と、勝手に想像(^-^)
ホッとする感じは、何とも言えず良いもののように思います(^_-)
このホッとする感じの前には…ドキドキやびくびく、手に汗握るような事があって、それを乗り越えるとあると思います(^o^)私も、ホッと出来ることあるかしら?あったら良いなぁ(*^_^*)
投稿: 奏。 | 2009/02/19 21:37:18
無知の知が欠如している状態というのは、自分が考えるに、そのひと自身が『自分は世界の全てを知っているかのように思いこんでしまっている状態』なのだろう。
インターネットの検索エンジンで調べられることにはおそらく限りがある。決してひたすら無限に広がっていくわけではない筈だ。沢山検索をして、世界の全てを知った気になってしまうのは、ひとつの恐ろしい錯覚に違いない。
その“錯覚”が、恐るべき「無知の知の欠如のオンパレード」を齎すのではないか。
グーグル、ヤフー、百度(ばいどぅ)などのネット検索でわかるような規模の世界よりも、我々の生きている三次元には、もっと奥深く、巨大なスケールの、未だ見ぬ知らぬ…おそらくは一生かけても知り尽くせぬ世界が無限に広がっていることを知らなくてはならない。
自分も、毎日のようにネットをよく使う(といってもブログ作成/更新などと、あとはネットサーフィンくらいしか使わないが)ほうだが、サーフィンをしていると、まさに無知の知がスポン、と抜けたような「我賢し」の匂いのする文章に、よくぶつかる。
ネットがこれだけ発達すればするほど、自分の中に眠っている本当の可能性を活かしきるための「無知の知」という賢明な態度は、ますます必要になるだろう。
幾らネットが高度に発達しようとも、人間は、自ら預かり知らぬ無限の未知・無知の世界に囲まれ続けながら、日々を生きているのだということを、一生忘れないようにしていきたいと、常に思う。
投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/19 19:21:06
こんにちわ
昔から、「論語読みの論語知らず」と、言う言葉があるように、インターネットの情報は自分で正しいか間違っているか自分で判断する必要があるような気がします。
自分の、「無知の知」の自覚は必要ですね。(^^)
投稿: インターネットのクオリアby片上泰助(^^) | 2009/02/19 18:38:26
お仕事お疲れ様でございます!お体にお気を付けられ頑張って下さいませ。
投稿: life | 2009/02/19 14:48:44
今朝、ブリュッヘンが演奏したオトテールの組曲を聴いているときに装飾音の付け方に疑問をもった。すぐに、当時の古い文献を調べてみたところ、エマニエル・バッハとクヴァンツの意見が正反対だった!
いつもなら、流してしまう小さな疑問を、
「育てていかなくちゃ!」
と、茂木さんのブログで、気づかされました。
今の時代、疑問が起こると、インターネットや本などから、簡単に知識を取り出せるぶん、感動は薄く、それまでになってしまう・・・
自分に起きた「小さなひらめき」を大切に育てなければならないと実感した朝でした。
投稿: シリンクス | 2009/02/19 12:49:21
経験から紡ぎ出された文面と、経験外、思考内完結から、呼吸のように吐かれた文体は、読むとわかります。実物を見て描かれたデッサンと、二次元をモデルとして描かれたデッサンを僕の友人が指摘してくれました。たくさんの言葉は経験なしでは醗酵しませんね。改めて茂木さんの文面から躍動感を覚えます。
投稿: 読者 | 2009/02/19 12:31:17
茂木さん、おはようございます!(^^)!
”インターネットは、無知の知の欠如を
露呈しているような文章のオンパレードで
ある。”
私がネットで見るページでは主にWikipediaや新聞、写真図鑑で、そこから知ることも多いのです。でも、一方からの視点だけで何かを判断する事はよくないと思っていて だから書物で範囲、種類を増やして厚みと広がりを持たせるように心がけています。
そう、一番危ない情報源はネットだと思います。
誰の添削も受けず、独断で書き込むことができるからです。
私はそれを見破る見識はできていないし、
自分自身、常に冷静な戒めと謙虚な態度がないと
知らないうちに文章ににじみ出ている可能性があります。
私はどうでしょうか。
こころがズーンと痛みます。
茂木さん、、、。 (なんだよ!)
自分の意見を持っていることは必要です。
その意見が全てだと思わないことです。
それが偏った面しか受け入れない、というのは危険だし、自分の可能性をせばめる事になるという話ですよね。
柳川透さんはあの縞模様のTシャツ 好きですね。
今もヘビーローテで着てらっしゃるのかなぁ(^^)
「博士っ」て誰かを呼んだことがありません。
呼んでみたい!(^^)
桜がフライングで咲き始めています。
茂木さんの速さです。
❀❀〰♫⊶植物にも仲間がいましたねー!❀❀❀!♩!!
投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/19 9:15:06