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2009/02/10

文脈交代のむずかしさ

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

 集英社マリソルの4人のキャラクターの
みなさんに脳科学の講義をするという
取材。

 4人は、100倍以上の応募者の
中から選ばれたのだという。

 福井新聞の取材。ノーベル賞について。

ソニー教育財団主催のシンポジウム。

ソニーが教育助成を始めて50年になり、
それを記念したもの。

出井伸之さんのスピーチ。

東京大学の浅島誠さんの基調講演。

NHKアナウンサーの桜井洋子さん
の司会で、浅島先生、私、佐々木かをりさん、
竹村真一さんでパネル・ディスカッションを
する。

最後に、中鉢良治さんのスピーチ。

自由闊達な、とても面白いシンポジウム
でした。

佐々木さんのブログにも記述があります。

http://www.kaorisasaki.com/archives/51613041.html 

再びソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

戸嶋真弓さんの研究について、みんなで
議論。

関根崇泰と、ボディ・イメージについて
議論する。

フジテレビ。「カトパン」の収録。

朝倉千代子さんとお話しする。

自動車でぐるぐると妙な空間を
移動していく夢を見た。

目が覚めた瞬間、パチンと切り替わった。

「夢」という文脈は、「現実」という文脈が
闖入すると消える。

更新されるまでは、それまでの状態が
続く。

一つの文脈の中にいる間は、次の文脈が
実感とはならない。ここに、文脈交代の
むずかしさがある。

起きてしばらく、田森佳秀との共同研究の
ことを考えた。

___________

 一つの素粒子には、歴史がない。
 一つの電子、陽子、中性子には歴史がない。
 たとえば、ローマの遺跡を考えてみよう。
 巨大なコロッシアムをつくったローマ人たちは、今はもういない。戦闘士たちがライオンと戦ったコロッシアムに着飾った人々が詰め掛けることはもはやなく、石の壁だけが残っている。その石も、表面が大気汚染により腐食し、現代文明の中に残る古代の移籍の存在感を際立たせている。コロッシアムの前に立つとき、私たちは古代ローマから2000年の歴史の流れを感じざるを得ない。
 コロッシアムは、歴史を語る証人である。科学は、コロッシアムは、多数の分子から出来上がっていると教えてくれる。そして、古代ローマの時代から、コッロシアムを構成している分子には変化がないと教える。
 ここに、一つのパラドックスがある。私たちは、コロッシアムの建設から崩壊までの歴史を考えることができる。だが、遺跡を構成している一つ一つの粒子自体の「歴史」というものを考えることはできないのだ。歴史が、伝統と変化から成り立つとすれば、一つの分子には、そのどちらもない。一つの分子をとってきて、その「時間的経過」、「空間的移動」を考えることには意味がない。他の分子などとの関係を考えたとき、初めて一つの分子の位置は変化しうる。
 つまり、歴史は、あるいは歴史が展開する舞台となる時間の経過は、一つ一つの個物ではなく、それらの個物の間の関係性を考えたときに初めて成立するのだ。
 私という人間の歴史について考えてみよう。
 私はこの世界に生まれ、生き、そして死んでいく。
 私の人生は、私という存在の歴史だ。
 私は、死ぬことによって私が存在しなくなってしまうことを恐れる。もはや、朝の太陽の輝きや、新しく出版された小説や、友人の冗談に接することができなくなることを恐れる。私という歴史は、私の死とともに終わる。
 このような私の死に対する恐れも、生に対する執着も、全て私と言う「システム」を考えたときに初めて成り立つ。
 私を構成している電子や、陽子や、中性子にとっては、私の生も死も、何の意味もない。私が死に、私の肉体が朽ちてしまうことは、私や私の周りの人間にとっては一大事だが、私の体を構成している原子や分子にとっては、何の意味もない。
 そもそも、私の体を構成している原子や分子は、毎日入れ替わっている。私の肺に迷い込み、呼吸によって私の細胞の中のどこかの分子に結合し、やがて新陳代謝とともに排出されていった酸素にとっては、私というシステムには特別の意味はない。その酸素にととっては、私という個体の歴史は関係ない。
 何らかの方法で、コップの中の水の分子に、印をつけたとしよう。あなたは、ある日海辺に行き、印をつけたコップ1杯の水を海にまく。年月が経ち、コップの水は世界中の海に万遍なく混ざり、広がっていく。そのようなある日、あなたが、地球上のどこかの浜辺に行き、コップ1杯の水を汲み取ったとする。なんと、その中には、かってあなたがまいた、印のついた水分子が、十数個は含まれている計算になる。
 世界は大きく、分子は小さい。小さな分子が大きな世界にまき散らされたとき、かって様々な関係性の中にからめとられていた分子は、世界中に広がっていく。たとえば、かってクレオパトラの体をつくっていた分子が、あなたの体の中に含まれている可能性は十分にある。もちろん、このことは、クレオパトラとあなたの間に時間を超えたつながりがあることを意味しているのではない。なぜならば、クレオパトラという人間の死によって、クレオパトラという人間の肉体、心を支えていた関係性は解体され、たとえある分子がかってクレオパトラの体の中にあったとしても、現在ではその分子はクレオパトラとはどんな意味でも関係がないからだ。
 私は生き、死んでいく。
 別の言葉で言えば、私の体をつくっている分子は、私という関係性のネットワークにからめ取られ、しばらくその中で踊り、やがてその関係性から解放されて世界中に散らばっていく。
 私が死んで何十億年と経てば、私の体をつくっていた分子は、新しい星の材料になることだろう。だが、そのことは、その超新星の中に私が生きていること、あるいは私の名残が生きていることを意味するのではない。私という関係性は、あくまでも私が死んだ時に消えている。私を体をつくっていた分子は、私とは関係がないのだ。
 生きて死ぬ私。それは、私という関係性の歴史でもある。

茂木健一郎「生きて死ぬ私」より
_______________

2月 10, 2009 at 07:58 午前 |

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茂木さんの書かれる言葉が、 次々に私の脳に入ってきて回路を刺激する。 それらは、いろんな顔をもっている。 [続きを読む]

受信: 2009/02/10 13:17:59

コメント

茂木先生お疲れ様です♪
バスの中でコメント書こうとしたらなんやか酔いそう(°д°)でしたので、リベンジさせていただきました。度々すみません。m(, ,)m
因みに旅のおともには麗しの美女三冊(先生のご著書)が。中でも『今、ここから全ての場所へ』は常に私の鞄の中で輝いております☆☆☆
 
文脈交代…印象が強いほど次への更新が難しいように思います。映画や小説の世界に入っったあとの気持ちの切り替え等も当てはまるのでしょうか。ホラーものは夜もずっと残るので見ないようにしています。
 
超新星の中に私が生きていることを意味するのではないとしても、私の体をつくっていた分子が新しい星の材料になるなんて、素敵やなあと思ってしまうのです。“死んだら星になる”あながち間違いではないのですね。
宇宙と生命は一体にあり、分子の塊に心が魂が宿りかけがえのない個人がいる。
私という関係性の歴史……精一杯生きなければならないと思いました。(*´―`*)

投稿: | 2009/02/12 16:23:56

茂木先生おはようございます♪
只今、夜行バスに揺られ福知山を通過するところです。
遅い私のお正月?でございます。
本日も先生にとって、素敵な1日となりますように。(*⌒∀⌒*)ノ☆☆☆

投稿: | 2009/02/12 6:22:05

茂木さん、私、先ほど、内容が捉えきれない なんて書いて、茂木さんガックッとなさったかな、と。
すみませんでした。

茂木さんの熱い文章に対して、特に一番気持ちを入れている部分に反応が薄いと肩透かし食らっちゃいますよね。

お気づきだと思いますが、本当にその中に入ってしまうとまわりが見えなくなって、その世界が全てになりがちな私です。

茂木さんは本当に自分の死を淡々と書いてらっしゃる。
”私が死んで何十億年と経てば、私の体をつくっていた分子は、新しい星の材料になることだろう。”
と、考えると、それは全く私とは関係無いものだけど、それでも嬉しい事実で、死もポジティブに捉えられるようになりました。
なんと言っても、表現が壮大で素敵じゃない!??

投稿: | 2009/02/10 23:49:29

おはようございます!

文脈という言葉が私に謎かけして、読解力乏しい私には捉えらきれない(;⊝;)

にしても、現実と現実、夢と現実、寝ると切り替わるのは実感しています。
(そういう話とは違いますか?¿??)
会社の環境が睡眠を許さないので、残念。
朝は脳が生き生きしています。昨日とは切り替わって、次々と解決策が浮かぶので、朝にどれだけさばけるかが私の勝負です。

共同研究。
コミュニケーション能力が問われますね。
つくづく、報・連・相! 、ビジネス会話はタイミングがかなり重要だと感じます。
(タイミングが相手の反応を98%は左右していると思えます。)
茂木さんは報・連・相!、好きですか? 達人ですか?
私はやります(仕事人の基本です)、が、好きではありません。
報・連・想! をして初めて、少しの自由(?)が手に入る。
報・連・相! が無い社会は絶対ないですね。
低レベルな事を言ってすみません。

田森佳秀さんとの研究の名案、浮かびましたか¿??

建国記念の日。
政治はさて置き、銃の無い日本に生まれて良かったと心底思います。
よい祝日となりますように(*^^)☫☭Nippon!!!kennkoku☆

投稿: | 2009/02/10 22:43:49

自分の身体(分子)は、人生において、
レンタルしているようなものではあるまいか。いつか返却するときが必ず来て、つまり人生という期限があります。返却されると、
もう自分のモノではないのでしょうか。もともとレンタルですから、自分のモノではなく、それらは、自然の一部だった。
 虹色ポーチに句点が音も無く入り、赤く染み渡る。

投稿: | 2009/02/10 21:57:29

それでも…私たちは、新しい命、繋いでいきたいと思いますよね。
そして新しい命は、私たちと、また別の関係性を紡いでいってくれると思います(^o^)
他の分子との関係性…私は考えられているかしら?ふと考えてしまいました。

一つの文脈にいる間は、次の文脈が実感とならないとのこと。。
そうですよね。だから…夢と現つとを別つものがあるわけですし(^-^)
現実となった方が、日々の実感がより増すように思います☆

投稿: | 2009/02/10 21:00:04

こんにちは

>目が覚めた瞬間、パチンと切り替わった。

>「夢」という文脈は、「現実」という文脈が
闖入すると消える。


内向的な人はよく夢を見て、外交的な人は夢を見ないらしいです。

確かに、ブログや、首相官邸に、勝手に経済の事や政策について、勝手に書いたり、送っているのですが、その時は、夢を見ないことが多いです。
また、自分の心等を、考えている時は、夢を見る事が多いです。

時々、夢の中で、「これはいいアイディアだ!!」と、夢の中で思い、「速く起きて、ノートに書かなくては!!」と、目を覚ますと、シャボン玉のように「パチン」と忘れてしまう事があります。(^^)

投稿: | 2009/02/10 19:13:32

きょうの茂木さんの日記「生きて死ぬ私」の文章を
読めば読むほど、仏教の教えと、ピタッと一致しまして。

その、、宗教の勧誘じゃないですヨ。
なんとも、こう言葉に置き換えがたいのですが、、

あらゆる存在は、他によって成立している
どこにも実体がなく、関係において成立している

→空・縁起

自分自らの中に、自分を成り立たせているものはない(無自性)


書かれてある「一つの分子には歴史がない」→無我であり

>他の分子などとの関係を考えたとき、初めて一つの分子の位置は変化 しうる。
 つまり、歴史は、あるいは歴史が展開する舞台となる時間の経過は、 一つ一つの個物ではなく、それらの個物の間の関係性を考えたときに 初めて成立するのだ

これが縁起であり。

>このような私の死に対する恐れも、生に対する執着も、全て私と言う 「システム」を考えたときに初めて成り立つ。

これが自我にとらわれる=我執であり。

誕生から今日までの間、わたし達の体の中では
細胞が生まれ、死んで、生まれ、を繰り返していて。


>何らかの方法で、コップの中の水の分子に、印をつけたとしよう。あ なたは、ある日海辺に行き、印をつけたコップ1杯の水を海にまく。 年月が経ち、コップの水は世界中の海に万遍なく混ざり、広がってい く。そのようなある日、あなたが、地球上のどこかの浜辺に行き、コ ップ1杯の水を汲み取ったとする。なんと、その中には、かってあな たがまいた、印のついた水分子が、十数個は含まれている計算になる。

これはまさに、お経の中にある『如衆水入海一味』と重なり。
どんな水も(人間も)同じひとつの海となる。

どちらをもって、どちらを証明しようという気ではないのですが
お経、教えが、科学的なことともリンクしている、、、。

いろんなものを分類しているのは、人間であって
本当はちゃんと、繋がっているんだと思います。

すみません、考えがまとまらないのですが。
とにかく、なんだか感動しています。

きのうに続く、二度目の噴火となりました・・・☆

投稿: 月のひかり | 2009/02/10 14:34:36

親愛なる茂木ィ様

夢って不思議ですよね!今「欲望する脳」をねる前に読んでますが、茂木さんが見たタクシーの運転手さんの夢が印象的でした。
メフィストフェレスと契約するファウストの場面が彷彿とされました。
茂木さん、この夢を見た頃ファウストにはまっていたのではないですか??
車で移動する夢は、毎日原稿の締め切りとか会合とか約束に追われていらっしゃるので、夢の中でも疾走しているのかもしれませんね?
お疲れ様です。 夢といえば、私も小学校高学年から怖い夢を見てました。一番怖かったのは、鎌もった殺人鬼メドゥーサ?に執拗に追いかけられたり、凶暴なライオンに襲われたりする夢です! なんとかせねばと思っている時、図書館でパトリシアガーフィールドの夢学って本見つけました!その中で夢の中では敵から逃げてはいけない。戦って勝ちなさい!と記載されてたので、夢の中でメドゥーサ魔女と戦って勝ち、ライオンと戦って勝ちました(笑)中学生だったかな?それ以来怖い夢見なくなりました。そんなことを今急に思い出しました。
私は自分が生まれる前に世界が続いていたことも、自分の死後世界が変わらず続いていくことも、特に怖くないです。

投稿: | 2009/02/10 13:47:04

茂木健一郎さま

書きやすいです

昨日、夜に投稿させて頂きました書き方、自分なりですが

見た記憶などを文章に

私、思いました

瞬間に文脈変化を表現は
映画

映画の場合は、説明はなく映像から置いてある
例えば
アメリカ映画の自動車がタイムトラベル

落雷で破損した鐘が新しく
特に言葉、なくても
映像が文脈的に、それと判る

ただし、映画も
まず、文章があり、それを映像にだと思いますことも事実

文章から映像にされる


茂木健一郎さまのテレビ番組におかれましても
台本かと

それを映像に凄いです

投稿: | 2009/02/10 12:07:20

おはようございます♪

「生きて死ぬ私」

いつもの主観で読もうとすると、なかなか頭に入ってこない難しい内容なのですが、心をフラットにフラットにして読むと、入るのです。

分子でちょっと死の事を考えた時・・・
やっぱり死は、自然の出来事の一つにすぎない、より自然な摂理なんですね。

誕生よりも、死は、より自然な気がするのは何ででしょう・・・

大きな宇宙の循環のほんの欠片のような生命

そんな風に考えると、自分がいつか自然に即して死ぬ事に恐怖感が薄れてくるような、そんな気がしてきます。

最後の最後まで、今回の自分の人生を堪能して死を迎えたい。

そういう気持ちになります

投稿: 小絲まめ | 2009/02/10 10:08:01

茂木健一郎様

日曜の朝の番組も、講演会も見られなかったので、mixiで「日記検索」なんてことをしてしまいました。 生き生きとされている茂木さんがいっぱい書き込まれていました。
茂木さんにふれられた人がみんなお幸せそうで嬉しいです。どこにいらしてもお人を大事にされる茂木さん、素晴しいと思います。が、どうか、休息も十分にとられてくださいね。

茂木さんのエネルギーはクオリアがkeyなのだと、ガツンと感じます。私もいっぱい感動して生きていきます。

投稿: Yoshiko.T | 2009/02/10 9:30:52

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