シラサギの沼
朝から夜まで、さまざまなことが
あった一日。
今朝も早い。日記を書く時間が
ないので、明日以降記します。
朝日新聞購読者に月一回配布される
冊子
『暮らしの風』。
「暮らしのクオリア」
(茂木健一郎 文 荒井良二 絵)
が連載中です。
2009年1月号に掲載された
『シラサギの沼』をお届けします。
______
子どもの頃、自転車に乗ることを覚えると、次第に行動範囲が広がっていった。休日になるとサドルにまたがって、随分と遠くまで出かけたものである。
あれは、小学校高学年の頃だったか。家からかなり離れた場所に、素敵な場所を見つけた。田んぼの中に帯状の林が残っていて、その横に寄り添うように小さな沼があったのである。
冬の盛りのことだった。空気の中に立っているだけで、身が引き締まった。林の中に入ると、あちらこちらに白い点がある。見上げると、梢ががさがさという。シラサギたちの寝床があったのである。
これはいい、と教えた友人と連れだって、沼のほとりの木に腰かけて待つ。夕暮れになると、どこからともなくシラサギたちが飛んでくる。最初は点のようにしか見えていなかったのが、次第に群れの輪郭がしっかりとしてきて、やがてそのゆったりとした羽ばたきまでが伝わってくる。
林に降り立つと、シラサギたちは、思い思いの場所に休む。最初はギャーギャーと声を上げているが、それも次第に静かになる。その光景は、いつまで眺めて見ても飽きない、魅力的なものだった。
私の生まれ育った郊外には、まだまだ自然が残っていたが、さすがにシラサギの寝床は少なかった。だからこそ、その場所に出会った時には小躍りした。大地の上に、「ファンタジーの王国」を見いだした思いだったのである。
沼のほとりの木に腰かけて、夕暮れにシラサギたちが帰って来るのを待つ。そんなことを続けていたある日、事件が起こった。静けさを破って、突然銃声が響いた。シラサギたちが一斉に飛び立つ。ぱらぱらと、林の中で音がする。
猟が解禁され、散弾銃でシラサギを撃っていたのである。子どもというものは見境がなくなるもので、ボクも、一緒にいた友人も頭に血が上ってしまった。「シラサギを撃つな」と叫びながら、林の向こうの、銃の音が聞こえてくる場所に向かって石を投げた。次から次へと投げた。
「敵」の姿は見えない。さすがに、銃を持った男たちと顔を合わせる勇気はなかった。何をどうしようと思ったわけではない。ただ、何かをしなければならない気持ちになったのである。
すると、ボクたちと同じくらいの年頃の男の子たちがかけてきて、「父ちゃんに石を投げるな」と叫んだ。どうやら、近くの農家の人たちだったらしい。それで、ボクたちはたまらなくなって、思わず自転車で逃げ出した。
その事件以来、何となく気が引けて、「シラサギの沼」から足が遠ざかってしまった。
何年か経って、もう一度訪れてみた。いつの間にか沼は埋め立てられ、真新しい家々が立っていた。シラサギたちの姿は一羽もなく、ただ、以前と変わらずに林の中を風が吹いていた。日本中が「高度経済成長」という夢を追い続けていた頃のお話である。
茂木健一郎『シラサギの沼』
朝日新聞「暮らしの風」2009年1月号掲載
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2月 5, 2009 at 07:00 午前 | Permalink
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コメント
茂木健一郎さま
「今、ここら すべての場所へ」
少し拝見させて頂きまして
都市に咲く花
ロンドン
安い宿だななと・・
一般客を入れるというのも・・
茂木健一郎さまの感覚的な深みは、さまざな体験を経ての深みと
感銘しました
私の場合は小樽の宿泊先が楽なんですシングルルームが
ロンドン
茶色コートの方も
普通に
驚きと本当、感銘です茂木健一郎さまに
投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/07 0:02:40
茂木先生お早うございます♪
いつもお忙しい中、記事をupして下さっている先生に感謝しなければなりませぬ。(ノ_<。)
先生、『今、ここからすべての場所へ』手に入れさせていただきました!
表紙の絵の天上に向かって羽ばたく蝶たち、美しく。何気なく見た、紙がまとまっている所?goldで素敵です。改めて伊藤笑子さんの先日の笑顔の素晴らしいお写真が思い出されます。
ちょうど、開いた“情熱と受難をもろともに”に白サギのこと書かれてあり、感慨深いのでありました。
――未来に向かう勇気を強く抱く。喪失に涙することができない人は、力強く前へと進むこともできない。
過去をふり返り、しのぶほの暗い感情。まだ見ぬ時の白い輝きを目を細めて見つめる「未来感覚」。来るべき時は「今、ここ」とは異なるものでありうるという「更新」への確信は、麗しき時がかつてあったという切ない慕情と、必ず1つになれる。
情熱と受難をもろともに引き受けた時、私は複雑で豊かな生を全うできる。かつて少年の日。沼の上に張り出した木に腰掛けて見上げた白サギの姿を、まばゆい未来の光の中に再び見ることができるのだと信じる。――(書籍より抜粋)
五年間の思索の集積、深々と味わい、浸りなが
投稿: wahine | 2009/02/06 7:37:59
シラサギの沼はありませんが、そこいらじゅう田んぼだらけの私の住む田舎は、今でも田植えの季節になるとたくさんのシラサギが餌を求めてやってきます。
カラスに追いかけられたり、耕運機のあとをゆっくりゆっくり歩いたり、片足で立って遠くを見つめたり。
シラサギの寝床は、うちから少し車で走った川のほとりに立つ、大きな木の上にあります。
私は土手のこちら側から通りすがりに眺めたことしかありませんが、すごく不思議な光景でした。
投稿: 93hossy | 2009/02/06 3:56:32
哲学を勉強したいので哲学の先生に教わりたい 文章にすると そんなにむつかしいことではないはずなのに
投稿: 中村蔵人 | 2009/02/06 0:31:37
茂木健一郎さま
今晩の半井小絵さんの気象解説、札幌雪まつり、の様子を画面的にはテレビ塔から西十一丁目 方向 つまり大通り公園
ということです
札幌プリンスホテルさまに宿泊でスキーが多かった時のこと
機動隊の皆様の車が札幌プリンスホテルさまに
ロビーでは予行練習
VIPの方さまが、ご到着の前から入念に
小泉さまが首相をされていた時の札幌雪まつり、ご視察の時、私も札幌プリンスホテルさまに宿泊してましたこと
半井小絵さんの気象解説を札幌雪まつり中継を少し拝見し思い出しました
今晩も半井小絵さん恰好よく、そしてお辞儀の時、横に、
文章にしたら難しいですが自然な仕草
さて、ふと
私は札幌駅から地下鉄に乗り、大通り公園駅で乗り越え、札幌プリンスホテルさまに、西十一丁目駅に
その際の大通り公園駅でスムーズに乗り越えが出来た時、行動範囲の拡大を実感でした
乗り間違えてバスセンター駅?でしたか、逆方向に乗ったりし
あれ?
大通り公園駅で乗り越え、次の駅方向の指示、壁に貼り付けてある、それを見れば
平気なことですけど、
菊水駅?でしたか
ラマダ
つまり、ルネッサンスホテルさまに、そういえば札幌雪まつり期間に宿泊したことも
スキーツアーとして
一人なのに、大きな部屋で、あれ、ですね、落ち着きませんね大きな部屋は
大きな部屋といえば
モントレーホテル札幌さまに宿泊の時
え?
ですから、独身の一人なのに
おトイレが入り口そばと奥の部屋の奥にも
窓は二カ所 つまり
かなり大きな部屋に一人
そういう体験を通し
落ち着かないんです宿泊先さまで大きな部屋
それもシングルルーム代金しか支払ってないのに
小樽のシングルルームの宿泊施設
かなり落ち着きます私
投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/06 0:11:59
ここには美しい自然と季節が描かれ、そこに子供のころの自分を見つける。
ここには時代が書きとめられていながら、同時に幻想性が宿る。奇跡だ。
一つ一つの文、それ自体が全部、磨き抜かれた歌になっている。「個」を描き「普遍」に至る。
この一文は、私のなかで、既にして、詩的文体の最高峰である。
投稿: 砂山鉄夫 | 2009/02/05 23:57:45
シラサギの棲む沼が、茂木さんの子供時代に過ごした土地にあったなんて…。でもそれも、宅地造成の為に埋めたてられてしまったなんて。
上野公園の不忍池を、時折訪れるけれど、あそこに良く来る鷺の仲間は、ゴイサギ、アオサギといった「色のついた鷺」が多く、シラサギはたまに見かける程度。あそこは、河鵜の寝床みたいな島があって、そこにペリカンや傷ついて保護された白鳥などがやってきて、鵜たちと一緒に休んだりしている。
そんなたまに見るシラサギの立ち姿は、穢れのない真っ白な姿をした風の妖精のように、美しい。
それにしても…嗚呼、紅顔可憐なあの頃の、茂木少年を夢中にさせた、美しいシラサギたちは、本当に、どこへ行ってしまったのでしょう…。
人間の抱える「無知」の中でもっとも恐ろしいと思うものは「生命に対する無知」だと、常に思う。
そんな「無知」が自然を壊し、廻り廻って我々人間を、あらゆる形でおかしくする。その「無知」を我々ひとりひとりが乗り越えて、自然と本当の意味で寄り添うようになれば、目の前からいなくなった、身近な生き物たちも、何時しか戻ってくるのに違いない。
東京では最近、スズメをあまり見かけなくなったときく。人間が引き摺る生命への「無知」は、一体何処まで、自然界の住人たちを苦しめるのだろうか。
投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/05 21:38:27
音声ファイル(www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/)が、ここしばらく、いつもエラーとなってダウンロードできないようです。ぜひ聞き直したいものがあったので、ご確認いただければ幸いです。よろしくお願いします。
投稿: GOD | 2009/02/05 19:23:53
最近勉強法を調べていてそこで脳に注目しました。
そこで質問なんですが(専門分野ではないかもしれないですが)共感覚は人工的に作れるものなんでしょうか?
今すごく疑問に思っています。
また、共感覚を使うとより上手く抽象度の高い空間に対して身体性を持って操作すること(ここで言うIQを指す)は可能なのでしょうか?
茂木さんの専門ではこれはどう考えれますか?
お返事お待ちしております。
投稿: jukensei.Y | 2009/02/05 17:59:44
茂木様
こんにちは
「シュバイツァー博士」の幼い頃と重なり
「ナゲキバト」を 思い出しました。
本物の自然からしか 本物のファンタジーは
受け取れない様に 感じます。
どんどん 消えつつありますが、
私たちは、何か出来る事は無いのでしょうか?
ありがとうございました。
投稿: ちぐさ | 2009/02/05 16:57:38
拝読して「胸キュン」です。
言いようのないせつなさと感動におそわれました。
同時代に子供だった(私のほうが少し上ですけど)ので
背景がよくわかる気がします。
「暮らしの風」でも連載をお持ちなんですね。
朝日新聞に戻そうかしら。ずっと朝日だったのを
数年前に東京新聞にかえて、そこで茂木さんの
インタビューを拝見したのが、茂木さんファンに
なるきっかけでした。
あのころは茂木さんは、まだテレビご出演はそれほど
なかったかと思います。
その後あっというまに時代の寵児。
サインとイラストをかいていただいた
「生きて死ぬ私」大事な宝物です。
弟にも「生きて死ぬ私」をあげたんですが
その頃は一生独身かと思っていた弟が
40代半ばにして結婚、来月父親になります。
人生って、ほんといろいろです。
「涙の理由」も素敵なタイトルですね。
このタイトルにも胸キュンです。
投稿: リリアン | 2009/02/05 12:48:08
こんにちは!初めまして!19の高校生の女子です。きいてください!大学に合格しましたー!ので、解放感で書き込みました。笑 いやいやずっと書き込みたかったです。茂木さんのことはプロフェッショナルの番組で知りました。私はプロフェッショナルが好きです。記事とは関係ないですが、ひとつ疑問があります。例えば私はうなぎの味を想像してと言われたら味を想像できます。クレヨンの味を想像してと言われても想像できます。もちろん食べたことなんて無いですが。なんで食べたことも無いのに味が想像できたりするのでしょう?生きてきた中で味覚とか嗅覚が鍛えられているからですか?石鹸とかえんぴつもできたりしませんか。うーん、くだらなくてすみません。笑 今日はお天気がよくて学校も休みです。電車でゴトゴト写真を片手に京都の太秦に放浪してきまーす
投稿: ドイツ製 | 2009/02/05 11:28:24
僕は まだ 僕が何者かも分からない
僕は僕で 君は君だ 僕は君の友だちで 君は僕の友だちだ
それ以上である必要もない
それすら 意味がない、
この世の全てが 僕の毎日だ
僕の毎日は 朝日と一緒に始まっていく
この世のすべてが お日様と一緒に動いてく
僕は出来事に光を与える事が出来る
君と一緒なら あの頃の風景にも 光を与えられる
僕は君みたいで 君は僕みたいだ そして 君は僕の友だちだ、
かなぁ。
投稿: no name | 2009/02/05 11:26:53
おはようございます!今電車です!茂木さん早起きですね。さっき寝ぼけながら携帯でこのブログを見て、もぅ更新されてるぅムニャムニャと二度寝したら、茂木さんが夢にでてきて「人間も何度も脱皮するんだ!」と言われました(笑)
白鷺のお話、茂木さんは少年時代からお優しかったのですね。
父ちゃんに石を投げるなって少年の気持ちにもキュンとなりました。
子どもってほんとに愛らしいですよね。
先日3歳くらいの小さな女の子が♪あっるっこ~♪あっるっこ~わたしはげんき~♪と歌いながら歩いていて癒されました。子どもは壊れやすい宝石ですね。大人になってから子どものピュアな気持ちを保つには、先入観をもたない全てを初めて見るような気持ちが大切なのかもしれません。
投稿: 眠り猫2 | 2009/02/05 10:32:37
茂木さん、おはようございます!
お忙しい毎日ですね。お体いかがですか。
>「シラサギを撃つな」
「父ちゃんに石を投げるな」
この言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられました。
守ろうとする本気と、本気の思いの、ぶつかり合い。
善悪の二元論が、置かれた立場で変わってしまう
人間の悲しさ。
少年だった茂木さんの悲しみ。伝わって来ました。
投稿: 月のひかり | 2009/02/05 10:13:39
シラサギを読んで、理由もなく涙がポロポロこぼれ落ちました。子供時代の記憶がそうさせたのかも知れませんが・・・
この涙、昨年、アイルランドの笛吹き、ショーン・ライアンを聴き、涙が止まらなくなったのと同じ感じです。彼の笛、音程は普通にはずしてるのに(笑)、、訳もなく涙がこぼれ落ちて困りました。
20年以上前に、定期的に通っていたチューリッヒのオペラハウスで、モーツァルトの「フィガロの結婚」を見た時のこと、会場全体が熱狂の渦に包まれたことがあります。自分も何が何だか分からないまま、興奮しブラボー!を連呼。
あの時の指揮者はアーノンクールだったってことを知ったのは、何年も経ってからでした。(笑)
一昨日、初めて茂木さんの「すべては音楽から生まれる」を読ませていただきました。とても共感しています。実は、この本、義父からもらっまま一年間、読まないまま放置していました。ごめんなさい。この本の出会いに感謝♪
先日、バロックフルート2本で、ギャラリーコンサートをした際、その様子を「一回性の祝祭の場」と、言ってくださった方がいました。茂木さんの本に繋がるコメントで、とても嬉しかった♪
今日の「シラサギ」の文章のように、懐かしさや愛が
投稿: シリンクス | 2009/02/05 10:13:23
自分にも同じような経験があります。
小学生の頃、いつも遊んでいた川が、護岸整備によりコンクリートが使われました。工事により、たくさんのハゼ、エビ、カニ、これまで遊んでいて一度も見たことなんて無かった大きなウナギの死体が川のあちこちにありました。
川の整備は、人の生活を守るものだと言われてきました。しかし、山からの砂が堰に止められ、河口の砂浜はちいさくなりました。大きな雨が降れば、人工の川は、その雨土石木枝葉を受け入れることが出来ない。水の流れが変わり、土砂崩れが起こりました。
何年か経ち、コンクリートの隙間を見てみました。そこには、前と一緒でハゼ、エビがたくさんいました。
投稿: 邦之 | 2009/02/05 8:50:52
茂木さん、おはようございます!!
なぜ、シラサギを打ったのでしょう。なぜ、威嚇する必要があったのでしょう。茂木少年は抵抗して、偉かったと思います。かなり頑張ったと思います。とっさの出来事でかなり衝撃的な思い出ですね。
沼が無くなったのは残念。
シラサギって細くて羽毛は真白できれいですよね。よく川の中州とかで見かけていました。白さが風景に際立っていました。
10月末に浜離宮公園に行ったとき、庭の高い木のてっぺんから首から先を出して遠くを眺めている姿を見ました。
木に止まっているシラサギを見たのは初めてでした。
頭がしゅっとなっていて、白かったのでシラサギかな、と思いました。都心にも居るのか!と驚きました。
自然にふれあいたくなってきました!!!!
投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/05 8:11:43
茂木健一郎さま
私の場合
自転車で町田市の小山田という地区に小学生の時、一人で
遠くに来た!
しかし、親が運転の車で、まあ、近いこと
ただし
その遠征の延長が普通に独自の一人で、パッと北海道にスキーですので
予定として2月下旬あたりキロロスキー場さまに再度です
行動範囲の拡大は小学生の時 自転で、から
投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/05 7:10:00