« 「木南勇二」の四文字 | トップページ | プロフェショナル 西健一郎 »

2009/02/24

バリ島の子どもたちの方に

ウブドゥ近郊にある
ヴィラ・プラーナ・サンティを訪問する。
大橋力先生 
が建てたバリにおける科学、文化、芸術の
研究拠点。

国立精神・神経センターの本田学さん
がアレンジして下さった。

素晴らしい場所だった。

緑なす渓谷にかかる吊り橋によって、
二つのエリアが結ばれている。

案内してくれたのは、ワヤン・アルサ。

一緒に歩きながら、大橋先生のことや、
本田さんのこと、ウブドゥのこと、
いろいろなことを教えてくれた。

ワヤン、本当にありがとう!


ワヤンと吊り橋の上で。

PHP研究所の木南勇二さんの
話をいろいろ伺っていて、
木南さんの編集者としての実力の
芯のようなものを知る。

「原稿を読んでいる時から、いや、
その前の依頼している時から、
本の姿が見えてくるんですよ。」

そんなさすがな木南さんが、何かに
似ているなとずっと思っていて、
ウブドゥの道でやっとわかった。

ビリケンである。

男一匹木南勇二、バリ島を行く。


木南勇二さん。ウブドゥ近郊のライステラスにて。

夕暮れの街。子どもたちが路上サッカーを
している。

ついすぐ昔までの日本ではどこでも見られた
光景。

無限の懐かしさといとおしさを
感じた。

やれお受験だ、塾通いだ、
あぶないから家の中で遊べと
マスヒステリアに巻き込まれている
日本の子どもたち。

生命原理から見て、いかに愚かな
狂気の中にいるかということが
コントラストの中にわかる。

子どもたちがどうなっているかということは、
大人社会の縮図。

自分の生命の可能性を制限する
人工的にして意味のない規制とは、
断乎闘わねばなるまい。


フットボールに興じる夕暮れの子どもたち

ぼくの子ども時代は、今の日本の子どもたちよりも、
バリ島の子どもたちの方に似ていた。

2月 24, 2009 at 11:13 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バリ島の子どもたちの方に:

» 「御林守河村家を守る会」は、こちらへ移転しました。 トラックバック 御林守河村家を守る会
新しいアドレスでブログを再開することになりました。 [続きを読む]

受信: 2009/02/24 12:49:43

» 折れない心の育て方 トラックバック POPO
「ママ 次何したらいいの」 そういう子どもは自立していない証拠 でも あせらない [続きを読む]

受信: 2009/02/24 22:08:05

コメント

茂木先生お早うございます♪
大橋力先生こと山城祥二さん閲覧させていただきましたら、まるで茂木先生のようなお方でいらっしゃいますね。
ワヤンさんと緑なす渓谷を渡るお写真、溶け込んでいてとても素敵です♪
男一匹木南勇二さん、依頼している時から本の姿が見えてくるなんて凄い。しかもビリケンさんに似てる?!なんて福のあるお方じゃあないですか。ヾ(゜∀゜) 
私の少年時代もバリの子どもたちの方です。写真を見て、色々と考えさせられます。
 
今は、公園でもサッカーや野球の禁止されている所も多く、自由に外で遊べる環境も街中ではなかなか難しいようで。
 
お受験や塾などの愚かな狂気。。
 
人工的にして意味のない規制とは断乎闘わなければならない、私も強くそう思います!
 
先生、そろそろ日本に到着される頃でしょうか。 かなりの気温差かと思いますから、体調崩されないよう気をつけて下さいませね。(≧ω≦)b☆☆☆

投稿: wahine | 2009/02/25 6:06:49

バリといえば、ガムランを思い出しました。芸大で数年演奏しました。日本の教育事情については、ほんとう、どうにかならないかなと思います。でも、知識も
必要なのは理解するとして、人生がつまらない渦(受験競争に対する塾と学校のカリキュラムとか)に耐え忍ぶことだけに
とらわれるような社会は、息がつまりそうです。芸術でも科学でも、もし子供を育てる立場になったら、どっちもすごいお金と競争があるから
なやみます。バリのおはなしもっとききたいな

投稿: ky | 2009/02/25 4:22:57

茂木健一郎様

茂木先生の今日の日記も、いろいろとずっと
考えさせてくださいました。

子どもたちに健一郎少年の様に育ってほしいと
考えていました。どうしたら良いのだろう。

心からそのことを思っていたら、私の行動は
大阪の市街地にもある緑を森林を訪ねていくだろう
と思いました。
子どもたちの表情がいきいきとし続けることを
忘れないでいたいと思いました。

詳しくはないのですが、ワーグナーを聴きたく
なりました。


ビリケンさん、驚きました。

おふたりがバリ島の神様と仲良くされてこられたのが
うかがえます。

投稿: Yoshiko.T | 2009/02/24 23:11:59

記憶違いだったらすいません
          m(_ _)m
ビリケンって
『風と共に去りぬ』で有名な
ヴィヴィアン・リーが主演していた
『哀愁』の中にも出て来ますよね
あの御守りみたいなの
ビリケンらしいですよ!
なんかアジアの方の
神様らしいです
       (・ω・)ノ

投稿: ぱろっと | 2009/02/24 21:48:38

Google Earthでバリを旅してみますが、
言うまでもなく、本物がいいです!!!!

発展し尽くしつつある東京と、まだまだ未来がどう形作られるか解らないバリ。
どっちが人間にとって幸せかはわかりません。
その中で積極的に生きていく力を、突破していく力を身に付けねばなりますまい。
そう考えると、地域のなかに放たれたバリの子ども達の方が強く生きていく力が養われる気がします。

私は人に心を開いていなかったので、思春期は苦労した気がします。
過保護やひきこもりは良くないと思います。
(ウチは放任主義で自主決定権が与えられていました。その点、今となっては感謝です〰✷☄⋆✧✮)

吊り橋いいなぁ〰
ゆれてきしむ感じが好きです。
夏さきどりですねぇ❣❣
茂木さんのシャツは現地調達ですか??¿?
とてもよく似合ってます!(^^)!

うっそうと茂っていて面白そうです。
生命の島ですね!!!!

投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/24 21:48:13

とっても懐かしい雰囲気がします。
私の子どもの頃も、どちらかというと茂木さんが感じたバリ島の子どもたちのような時間が流れていました。
ゆとり…というのでしょうか、ほんわかとした…お互い様というような…(^-^)今の子ども達にも味わってほしいなぁ(^o^)

投稿: 奏。 | 2009/02/24 21:43:46

茂木健一郎さま

びしっと決まった、スイスなどでの、お写真と違い

少し無防備な茂木健一郎さまの足に手を添えているように携帯の画面で
バリ島でリラックスされている雰囲気が自然に

恰好良いです

普通、ちよっと!撮り直して!とか、それを掲示しないとか、イメージを先行させる方でしたらね、

ですから逆に恰好良いと私は感じます
お写真がライブ感覚
次の茂木健一郎さまの動きを想像してしまう自然な、お写真

日本ででしたら

初めて茂木健一郎さまのことを先生と表現させて頂きます

茂木健一郎先生!済みません!もう一枚!と

ヤボですね

茂木健一郎さま
先生と表現よりも
私、茂木健一郎さまと
恰好良いんですよ
茂木健一郎さまの生活スタイルが
先生ですと恰好良い部分を削ぐ感覚が私には

バリ島、本当、バリバリですね

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/24 19:25:56

こんにちは

小さな子犬を親から離すと、不安定な成犬になる、小さな子犬を兄弟から離すと、社会性の薄い成犬になる、と、言われています。

人間の小さな子供の頃は、音感、英会話、その他、きっかけとなる事を学ばせ、自由に遊ばせる事も必要だと思います。


>フットボールに興じる夕暮れの子どもたち

アントニオ猪木の「元気があれば、何でも出来る。1、2、3、ダー!!」を思い浮かべました。(^^)

投稿: 遊びのクオリアby片上泰助(^^) | 2009/02/24 18:59:28

木南さんがビリケン似…う~む!そういわれれば、なるほど。何処となく顔の感じが似てますね…!

そういえば、ビリケンの足の裏に触ると、ハッピーなことがやってくる、という言い伝えを聞いたことがある。
(多分御存知かもしれませんが)

茂木さんや私の年代くらいまでは、おそらく…バリの子供のように、学校の校庭、空き地、公園をおもいっきり駆け回る、級友たちを見かけたものだった。私はといえば、どちらかといえば小さい頃から「インドア派」だったが、級友たちは損な私をも外へと連れだして、遊んでくれたものだった。

確かに、今の子供達は大人達の吐き出す、マスヒステリックなもの(それは過保護・過干渉というかたちで現われるのだろう)に縛られて、自分の生命力と溢れる可能性を無限にしぼませているような気がする。

私はそういう状況に、深い怒りすら覚える。受験や塾がよいばかりさせ、子供を家に押しこめ、純粋培養よろしく無菌状態のように育てようとしている、そんな今の大人(私達もそれに含まれている…)の在り様に、憎悪を抱く。

日本の子供達は内心、きっとこう思っているはずだ…
『何の為の受験?』『何の為の塾通い?』『何の為の…』

『何の為の』という問いかけも子供たちにしないまま、上の世代が下の世代の、生命に秘められた無限の可能性、それをしぼませるような社会には、未来はない。

そのような愚かしいことを、私達大人が思いきって捨て去り、次世代を生きる若い世代をのびのび生きさせることが出来るか否かで、私達の生きている社会が明日どうなるか、決まってくるはずだ。

土ぼこりを舞い上がらせながら、フットボールにただひたすら夢中になるバリの少年たちの前途に、輝かしい未来あれ!と祈りたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/24 18:57:19

バリ島のこども達生き生きしていてほんとに可愛いですね。
そういえば、最近外で遊んでる日本のこども達の姿をほとんど見かけません。
日本のこども達は、学校が終わった後習い事や塾に忙しく、友達と遊ぶのも自宅でゲームに変わったのでしょうか?
友達と遊んでケンカしたり仲直りしたりちゃんと生の経験しているのか、心配です。
日本のこどもとバリ島のこどもとどちらが幸せかわからないなぁ…
でもみんなみんな一度きりの一生ですから、与えられた場所で与えられた命を燃焼するしかないですよね!
どんな環境でもブレークスルーする人はブレークスルーするでしょう!
幸せは他人ではなく自分が決める他ないのです。ニャンニャン!!

投稿: 眠り猫2 | 2009/02/24 18:33:51

茂木健一郎さま

小樽からですので
お写真は携帯ですので
はっきり拝見は叶ってない状態の私ですが

茂木健一郎さま

インディー ジョンズみたいな、お洋服に見えます

あれ?もしや地球人の茂木健一郎さま

ピラミッドなど将来的に、もしや、ちよっと行こうかな!
そう推察をしている私です

それが、ですね
吊り橋ですよね
今の段階で
和製インディージョンズのようです

ちなみにインディージョンズ、大学の先生ですよね
あれ?発掘とかではなく
ピラミッドに踏み入れられ、クオリア 本質の探求
連想してしまいます

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/24 17:45:01

子供達の写真から漂う郷愁の香り、たまらなく懐かしいです。日暮れまで外で遊んで、6時をまわって少し後ろめたいような気持ちで勝手口から家に戻ると、まな板で野菜を刻む母の向こうに温かい湯気がたちこめている・・・もう40年も昔のことです。でもしっかりそういう情景が、その場の空気やちょっと汗ばんだ自分の手足のぬくもり、細かいことまで、ちゃんと自分の中に記憶されていて、何かの拍子にありありと思い出すんですね。他愛の無いことのようだけれど、そういう子供時代の日常に私のルーツがあるのでしょう。今の子供達が大人になった時、どんなルーツを思い出すのか、それは私達大人の責任ですね。

投稿: (マ)ゴグ | 2009/02/24 16:45:47

初めてバリに訪れた時(2005年)、私も同じように自分の子供時代の風景とよく似ているなあ・・と、とても懐かしく思いました。

浜辺で凧揚げをしている様子を見たときには、子供の頃に近所の子供たちと川原で手作りした凧で凧揚げをしたときの記憶が甦りました。

同じように、フットボールをする子供たちの写真を拝見して、茂木さんと同じ年の二つ違いの兄とその友達と一緒にフットボールをして遊んだ頃の記憶が甦りました。

バリでは今でもそのような日常がアフレテイルノデスネ。

とてもうらやましくもあります。

投稿: たーじい | 2009/02/24 14:09:42

バリ島には、数年前から行きたいなぁと漠然と思っていましたが、最近のクオリア日記を拝見していて、恐らく将来行くことになると感じました。ところで、今日、キーをタッチしているのは、他でもない。
昨日の『クオリア日記』で、浜辺にご自分の名前を残された木南勇二さんはどんな方なのかを想像しては いましたが…。
さすが、茂木先生、今日はしっかり紹介してくださってます。
ははぁ~、ビリケンさんでしたかぁ~。なるほど!!です。
茂木先生の真面目な日記の中に、ヒョコッとこんなことを書かれるものですから…ダメです…笑いが爆発してしまいまいました。親近感を持って、木南氏の写真を拝見しております。
ちなみに、ビリケンさんをご存知ない方、こちらが通天閣の公式HPのようです。http://www.billiken.jp/ 関西在住の☆ゆぅしゃんより

投稿: ☆ゆぅしゃん | 2009/02/24 13:49:00

こんにちわ。 今日はひさしぶりのネットカフェです。 吊り橋の上の写真を見てたら、あいのりで拝見した茂木さんを思い出しました。 ワヤンくんとの間に愛が芽生えたのでは!(笑) きのうは知り合いの大学の先生のところに遊びにゆきました。 小学生のときに家にあそびにいったぼんやりとした記憶ですが、いろんなことをたくさんはなしたりきたりして、とても楽しかった! 脳内ビッグバンが起こりました(笑) 七回も! きょうは天気のせいもあり頭痛がしていたため、さっきまで寝てました。 これからまた行動しようかと思います。 進路においては途方に暮れたりもしますが、すこしずつ決めてゆけてるような感じです。 すこしずつ。 自分の意思で。 茂木さんはもうすぐ東京へかえるのでしょうか。 さびしい感じがしまーす。  

投稿: 中村蔵人 | 2009/02/24 13:13:13

つり橋の上の写真を見て『プロセス・アイ』だあ~!!と思った私。


子供の頃、同じ道を通って学校と家を往復することは無かったなあ。家と家の隙間を入っていくと、見慣れた通学路から別の世界に来ちゃったような暗くて冷たい感じにどきどきしたりして、見つかってコラー!なんて怒鳴られやしないかとそれもどきどきして。
こどもは変わっていない気がします。
変わってしまったのは私たち大人。
これは食べてOKかNGか位はくんくんとかぺろりとかで危ないところを回避していた世代は、私たち(茂木さん含む)の下どこら辺までなんでしょう?

投稿: 直 | 2009/02/24 12:01:03

この記事へのコメントは終了しました。