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2009/02/15

裸足で過ごすこと

第一回ラグジュアリーライフスタイル国際会議
は、大成功のうちに終わった。

 会議の始まり方がよい。
 「ラグジュアリー」という時間の過ごし方、
そのようなマーケットがあるということを
知った何人かの人たちが、石川県を輝かせる
方法論として、そのようなものを
つくれないかと思ったのだという。
 
 普遍は、常に具体から始まる。

 ぼくは、金沢や能登は何回も
訪れているので、この地域にいかに
宝ものが埋まっているかということを
よく知っている。

 会議と、それに関係する動きが
これからも発展していくことを
祈らずにはいられない。

 みなさん、お疲れさまでした!

 脳にとって、最高のラグジュアリーとは、
深いところからの学びだろう。

 ただ知識や技術を得るというだけで
なく、自分という存在が、深いところから
変わっていくという感覚。

 シックス・センス・リゾート・アンド・スパ
では、No News No Shoesということで、
到着した瞬間に靴を脱いで袋に
入れてしまうのだという。

 「二週間裸足で過ごすことが、
最高のラグジュアリです」と創始者の
ソヌ・シヴダサニ。

 会議が終わり、皆で夜の兼六園を
回っている時、暗闇の中でほっとして、
光に照らし出された雪吊りの美しい
曲線を眺めていると、自分が深いところから
変容していくその潮の流れがありありと
わかった。

2月 15, 2009 at 06:30 午前 |

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» 街かどギャラリー トラックバック 須磨寺ものがたり
「今日は、彩りカフェの阪井です」と、 いつものように元気のいい声が、 電話口から聞こえてくる。 [続きを読む]

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受信: 2009/02/15 7:59:44

コメント

    具体  残りの時間を意識して  具体

          脳 MRI  鈍才

        天才脳と比較  MRI


    キャンセル待 501番目  自分の脳を MRI

        残りの時間を意識して  一具体に挑む

             自分史断面  一具体に臨む

投稿: 一光 | 2009/02/19 0:27:50

はだしがすき!裸足でなくて「素足」ではだしと呼べればいいな。人間にとって、今を生きる生きる人間にとってすごく重要なことなんだと思う。素足になって透明になりたい。

投稿: 井上良子 | 2009/02/18 8:57:29

拝啓茂木健一郎さま  
後れ馳せながら、第1回ラグジュアリーライフスタイル国際会議の大成功おめでとうございます!

先生、わたくしこの公演拝見したかった。だってお隣の県にいらして、金沢にも行ったことがなかったのですもの。残念です。(T_T)
 
でも、先生の素敵なスーツのお写真を拝見できて嬉しゅうございます。うーんとってもお似合いなのです。((●∀●))
 
裸足で過ごすことは裸の自分になることと同じなのでしょうか。
ありのまま、感じるがままに。
 
ライトアップされた雪吊りは綺麗だったのでしょうね。
自分が深いところから変容していくその潮のながれ…なんやかとても美しく流れを感じます。

それでは先生、おやすみなさいませ。夢で逢いましょう。(・o・)???
 
かしこ。

投稿: wahine | 2009/02/18 0:01:17

「普遍」と「具体」

物理的には活字(文字)の羅列に過ぎないものが、ある瞬間、”詩”を帯びることがある。文字が単に意味、内容を伝達するだけのもので、それで十分なら、電化製品の取扱い説明書とか組織のマニュアルというものが、文字の持つパワーの最高値になる。違う。

では、この”詩になる一瞬”とは何なのだろうか。茂木さんの近著、『今、ここからすべての場所へ』はそのすごい瞬間がきら星のように輝く。「具体」と「普遍」との往還の連続である。

茂木さんは、「郊外の何の変哲もないお寿司屋さんのおかみさん」を書かれる。私は、このお寿司屋さんもおかみさんも、もちろん、知らない。しかし、「あの微笑みは忘れられない」と続くとき、そこに”詩”が宿る。「具体」が「普遍」を帯びる瞬間だ。なぜか、ほろりとなる。

そして、なんで、ほろりとなったのだろうと「分析」しても、そこにはただ、文字が並んでいるだけなのだ・・・。

全くもって不思議である。お~い、兼六園の雪吊りよ、何か答えてくれないか。

それにしましても、この本は、①ほろりとなるエピソードがあり、②深く考えさせられ、③誠実な勇気をいただき、かつ、それらが、きらめく美しい詩のような文章で綴られるのである。参ってしまった・・・。

今週末は子供を連れて兼六園に行こう。まだ、雪吊りはあるだろうか。


投稿: 砂山鉄夫 | 2009/02/16 0:41:10

こんにちわ

タイム・イズ・マネーで、時間に振り回される現代社会、時間を贅沢に使う、マネー・イズ・タイムに市場がある現在社会の不思議である。(^^)

投稿: マネー・イズ・タイムのクオリアby片上泰助(^^) | 2009/02/16 0:03:19

裸足で草の上や、太陽で焼けた石の上や、海辺のサラサラした砂浜を歩いてみたくなりました。裸足の開放感と心地よさが自然界の波動をしっかりと受け止め、最高の快感が味わえそうですね♪
リフレッシュした新しい自分に出会える気がします。

投稿: シリンクス | 2009/02/15 23:47:20

「脳の取り扱い説明書」という言葉を聞かせていただいたとき、
感動しました。
それは、英語でいうところの
5文型ではあるまいか。
つまり、設計図なのではないだろうか。
 その文法を念頭に置きつつ、
さらに、ネイティヴの方と会話してみるなど、深いところからの体験ができれば、より喜びは増すと考えます。

投稿: NHK | 2009/02/15 23:35:34

こんばんは

私にとって目下の贅沢は、学び、対話という精神的な交換=好感です。

シックス・センシスグループのプーケットにあるホテルに宿泊したことがあります。
まるで、光の速度が遅くなったような感覚を持つほど、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

兼六園の雪吊り、素敵だったでしょう。
雪のとけぬうちに観てみたいものです。

投稿: 才寺リリィ | 2009/02/15 23:05:37

ラグジュアリーライフスタイル国際会議、
大成功おめでとうございます。

石川県に似つかわしい事業であることがひしひし
と伝わってきます。

その土地に、歴史に、似合うことが大成功のKeyだ
ということが実感できるように伝わってきました。


You Tubeで、何本もの番組や講座やインタビューを
拝見、拝聴しました。

それから「脳と仮想」を読んでいると、茂木さんが
どこかから読んでくれているように声が聴こえてきます。

なんて楽しいのでしょう!!

いつまでもサンタクロースはいるんだって信じていたい
と思います。


投稿: Yoshiko.T | 2009/02/15 22:52:57

茂木様

お疲れ様でございました。石川県の様に、日本全国の県が活性化されていけば素晴らしいですね。2週間素足で、考えただけでも癒しですね。自宅でさえ裸足になるのはなかなか出来ないで居ますから。

投稿: mic | 2009/02/15 20:39:33

普遍は、いつも具体的な行動から始まる。脳にとっての最高の贅沢は、深い所の学び…心の声に素直になること。それが、私たちの生活の一部で、喜びに繋がると思います(^o^)

投稿: 奏。 | 2009/02/15 18:53:38

茂木ィ先生こんにちは。
今昼休みで激辛インドカレーを食べてまふ。か、辛いよぉぅ~(><;)か、カレーのクオリアが爆発してます。ヒリヒリ。
そんなことよりラグジュアリー会議お疲れ様でした。
茂木さんのブログ見てから寝たせいか、夢の中でどこか見知らぬ洋風ホテル(天井高くて右側一面ガラス窓淡い若草色内装)で会議の準備を、ホテルの人と手伝ってる夢を見ました(笑)
背の高いマネージャー?がいて、その男の人が振り向いたら目が覚め、文脈混線いたしました(笑)
夢って寝る前の意識が影響されるのでしょうか?不思議です。
裸足で過ごすって究極のラグジュアリーですね♪
バリ島とかの密林で風に吹かれて昼寝したいです。ルソーの絵みたいに…
乱文失礼いたしました~~

投稿: 眠り猫2 | 2009/02/15 13:39:23

ILLF協議会メンバーの浅田久太です。
大変お世話になりました!
茂木さんがいらっしゃらなかったら、
おそらく一方的な講演になって終わっていたことでしょう。

私はレセプションで名刺交換させていただいただけですが、
ぜひ、今度石川においでるときには、美味しいお酒でも
ご一緒したいです!

本当にありがとうございました。
I wish to keep in touch with you.

投稿: 金沢・浅田屋 | 2009/02/15 11:01:30

私のブログに記事を引用させていただきました。ありがとうございます。

投稿: Tsuyuki Miura | 2009/02/15 10:42:41

具体って、強いのですね。

投稿: ふぉれすと | 2009/02/15 10:29:58

茂木さん、おはようございます!!
何かが戻って来ましたね!!
大地からのエネルギー☄

はだしで地面を踏むって わくわくしますよね。
春の芝生や、初夏の校庭、白木の教室・廊下、夏の川や砂浜、秋の畑…
小学生の頃は、はだしでいた時間が多かった!
(冬以外は”はだし”がルール。)
足の裏から伝わる感触 草のちくちくや、カサカサ・パリパリ、小石の痛さ、冷たさ、固さ、すべらかな感じ、ひんやり、土の温かさ・柔らかさ、足が沈む感じ  ……、
はだしになった瞬間の、ひらけた、解放された喜び…!
足に風がすーすーする あの感じ…!

外で大地ではだしになる事で生命の喜びを享受できると思えます。
たまに体験すべき! ことですね。

話は変わって、昨日の水村美苗さんとの写真は
とてもドキドキします。
なんだか二人の宣誓のような…
何故か恥ずかしくて温かい。そんな気持ちになります。
”恥ずかしい”の感情が何故くっついているのか自分でも謎です。

茂木さんの
”日本語という運命の切実さを引き受けて生きていきたい”
その真摯な決意の表れなのでしょうね!!!(^^)!!!!

投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/15 9:59:52

2週間も裸足で過ごすなんて、何とこれはすばらしいことだろうか。大地に裸足で立つことは、ひんやりとした土の感触を…そこに潜む生命たちの息吹きを、肌で感じ取る、ということなのに違いない。

肉眼で見る、二つの耳で聴く、二つの手で触れる、体を覆う肌で風の匂いや暖かさ、冷たさ、土の感触を感じる、1枚しかない舌で、ものの美味しさや味わいを感じる…。身体を駆使して全てを感じ取っていくうちに、段々自分自身が、化学変化を起こしていくように、芯から変わっていくのだろう。

そういう体験が都会に棲んでばかりいると、なかなか味わえないものです。

裸足で過ごす、ということは、きっと、長年文明にならされてきた私達が、ほんの一瞬でも、原始の頃の人類が感じていた“生きる感覚”を取り戻すよすがになっているのでは、と思いました。

ともあれ、本当にお疲れ様でした。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/15 8:37:42

   ☆ 普遍は 常に具体から始まる 。・ ☆ 


 普遍具体は  迷うことなく  【驀進】 と、成る !!

 
        裸脳で会おう  意味がある 奈何


              春の日  ....

         

投稿: 一光 | 2009/02/15 8:15:51

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