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2009/02/09

大噴火せよ!

 フジテレビ『新報道2001』。
 中曽根康弘元首相にお目にかかる。

 黒岩祐治さんから、御著書の
『末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父』
をいただいた。

 『涙の理由』
を「めざましテレビ」
が取り上げてくださることになり、
そのインタビューを収録。

 表参道にて、『涙の理由』をつくって
下さった西山千香子さん、田畑博文さんと
会食。


西山千香子さん、田畑博文さん
 
 ふりかえっても、『涙の理由』は本当に
良い本だなあと思う。

 みなさん、読んで下さい!

 『コルテオ』の会場にて、
ダニエル・フィンチ・パスカと対談。

 ダニエル「舞台で演技をしている時には、
客席に巨大なドラゴンがいるように感じるん
だ。そのドラゴンと同じくらいの大きさに自分
がなって、いっしょに踊る。
 究極の目的は、リラックスすること。
舞台の上で、もっともリラックスした人間に
ならなくてはならないんだ。」

 神田の三省堂書店にて、
『クオリア立国論』
の刊行記念講演会及びサイン会。

 クオリアは、私たちの生命活動の
有機的組成と関連して立ち上がってくるもの
であり、だからこそインターネット上にも
ないし、断片的な知識の積み重ねの中にも
ない。

 ご来場いただいた皆様、ありがとう
ございました!

 そして、「クオリア立国論」が本として
大きく育っていけますように。

 最近のサイン会では、男性には
火山を書くことが多い。

 大噴火せよ!

 生命活動そのものがいわば「噴火」
であり、エネルギーの奔流である。
 
 それをどのように制御するか。

 熱力学的非平衡状態にある
われわれは、その勢いに身をゆだね、
そして漂流していくしかない。

 その時、水成論と火成論は一致を
見る。

_____________

小学館『和樂』連載
茂木健一郎「日本のクオリア」第13回
(『和樂』に27回にわたって連載された
「日本のクオリア」は、小学館から単行本として
刊行される予定です)

 何事であれ、本質というものは、それぞれの私秘的な内奥に追いやられていて、なかなか伝わらない。世間には誤解や風説が満ちている。物事の大切なエッセンスの、そのまさにど真ん中に向かって外さずに至ることは、大変難しい。
 そのような大切なレッスンを学んだのは、伊勢神宮においてだった。内宮を拝して、自分の内側に深くしみわたるかけがえのない体験をした。しかし、そのように私の官能を刺激し、知性の核を動揺させてきたものの本質をとらえた表現を、メディアの中で私はかつて目にしたことがなかった。強いて言えば、西行法師の「何ごとのおはしますかは知らねども かたじかなさに涙こぼるる」という和歌くらいのものである。
 伊勢に関する言説は、その多くが、その本質から私の目を逸らすように機能してきた。内宮で、そのように実感した。
 自分自身で経験するしか方法はないのだ。私は学び、覚悟した。むろん、時間も手間もかかる。しかし、そのようにしてしか大切なものの本質をつかむことはできないのだから、仕方がない。
 茶道もまた同じことだろうとずっと思っていた。千利休が創始した「侘び茶」は、とてつもない強度を持つ一種の精神運動だったに違いない。だからこそ、豊臣秀吉は利休に死を賜らなければならなかった。世俗的な権力の頂点を極めた者にとってさえ扱いかねる強烈な何ものかを、秀吉は千利休のつくり出した宇宙の中に感じ取ってしまった。
 秀吉は、怖くて仕方がなかったに違いない。天下をとった自分がどう逆立ちしても敵わない恐るべき何かが、「日ノ本に向かうところ敵なし」となったはずの自分の生涯の最後にして、突如幽霊のように現れたのである。
 利休は生きとし生けるものの避けられぬ習いとして鬼籍の人となったが、その伝統は今日に至るまで受け継がれ、日本の文化の中枢に位置している。関心を惹かれないわけがない。それでも、簡単には手を出すまいと思っていたのは、じたばたしても茶の本質はそう簡単にはわかるまいと腹をくくっていたからである。
 お茶席やティー・セレモニーというものは何度か経験している。それらは利休の原点と全く無関係というわけではないが、希釈され、変形され、原型をとどめず、現代風にアレンジされてしまっている。一つの固有の味わいではあるが、原点とは異なる何か。そのようなものを幾百度経験したとしても、秀吉を恐れさせた何ものかはつかめまい。
 茶に関する本も何冊か読んだ。しかし、知識は所詮それだけのことである。秀吉は、知識を畏怖したのではない。そもそも、人が恐れるものは、手に取ったり、言葉に表したりは容易にできないものに限る。秀吉が魅入られてしまった侘び茶の「精霊」が立ち顕れるのは、よほどの条件が整った時空においてであろう。
 そういうことであるならば、「これはいよいよ」という時まで、茶道にかかわる官能に対して、自分の感性のチャネルを全開するのは遠慮しておこう。そのように考えていた。そもそも、すこぶる散文的な私の普段の生活の中に、いかなる精霊でさえも入り込める隙はない。
 一度だけ、垣間見たことはある。武者小路千家の千方可さんが、ジェームズ・タレルが設計した「光の館」の広々とした縁側でお茶をたてた。千さんは、家元後嗣なので、伝統に則り「宗屋」と号している。千宗屋さんとして、私たちのために特別にたてて下さった。
 お茶は、大変おいしかった。そして何よりも、「融通無碍」の精神が貫かれていた。お湯を出してきたのはポットからである。幾つか由緒ある茶器を持参されていたが、足りなくなったらその場のもので間に合わせる。
 不足を引き受け、これがない、あれがないなどと不平を漏らすこともない。それでいて、美意識は凛と立っている。何よりも印象深かったのは、いよいよ「濃茶」を立てる時に至って、突然変貌した千さんの周囲の空気である。現代の弛緩した空気が押しやられて、突然、何か別のものが入ってきた。その感触は忘れがたい。
 時は流れた。千さんとはその後も何回かお目にかかったが、気軽にかつ早口で、美術のことなど様々な語り合うばかりで、光の館で垣間見た何かが憑依したかのような横顔を再び拝することはかなわなかった。
 ただ、何の気なしに見せる所作に、ふと気配がすることがある。そのような時、光の館で目撃したような感化作用が、日常に紛れ込んできたような気になった。
 そうこうしているうちに、ご縁に恵まれ、武者小路の官休庵に招かれることとなった。H女史の仲だちで千宗屋さんがご配慮くださり、千さんの御尊父である第十四代家元、不徹斎宗守さんもご快諾下さり、正式にお稽古をしている人でも、一生に一度あるかないかという官休庵での茶事を体験することに相成ったのである。
 蛮勇は時に感性の扉を開く。そう思うしかない。ただありがたいことである。
連客と共に控える「寄付」のひと間で、異化と感化の作用はすでに始まっていた。細い格子から差す陽の光が、ほの暗い室内を照らし出す。
 「茶の湯とは 耳につたへ 目に伝え 心に伝へ 一筆も無し」と利休の軸が懸けてある。首を傾げて一生懸命拝見していると、「お詰め」を勤めるH女史が、「こうして扇子を置くのだ。つまりは、結界をなすのである」と教えてくださる。
要するにそんなことも知らずに、正客を務めようというのだから恐ろしい。
 庭に出る。若葉と苔が目に美しく沁みる。腰掛にて、連客と談笑しながら、じっくりと観賞する。これから始まることへの心地よい緊張感が、全てを味わい深くさせているように思われる。
 お詰めが、耳を澄ませという。なるほど座敷を掃き清める音がしてくる。それから、亭主が水を汲む。見計らって、門のところまで行けという。
 無言でつくばい、門の向こうの千宗屋さんと挨拶を交わす。この時点では、客と亭主との間の結界は解かれていない。目を合わせた瞬間から、胸の奥からこんこんとと湧き出てきたものがある。庵にて、亭主とご挨拶する。千さんが、炉の火をのぞき込んでみろという。
 「茶席の最初に、このように、共に火を囲むということに、意味があるように思います」と千さん。その赤い炎が、先ほどこんこんと湧いてきたものと反応してじゅうと音を立てた。
 その聞こえない音で人心地がついた。若宗匠の声が耳にすうすうと入ってくる。「灰が何よりも大切です。初代からずっと受け継いでいる。ほら、このように細やかです。火事の時は、真っ先に灰を持って出ろと伝えられている。」
 炎と、水と、灰と。懸けられた利休居士の今井宗久宛の手紙には、「新茶」の文句がある。青々とした茶だけのことではない。全ての生きとし生けるものの源は、実に炎と水と灰ではないか。
 祖堂にて利休居士に参拝焼香し、席を移して懐石をいただく。
 鯛昆布締め、あぶらめ、板蕨、若布、花山椒、竹の子木の芽焼、赤貝酢の物。惜春の花筏に至るまで、心尽くしのご馳走を頂いた。
 「ここはゆるめていただいて」
 千さんがにこやかに言う。それで、かえって心が引き締まる。
 いよいよその時が来た。庵に戻り、連客とともに畏まって座す。軸が、利休尺八の花入れに換わっている。
 「濃茶を差し上げます」と千宗屋さんが言う。所作をしながら、次第に半眼に入る。手つきは確かにここにありながらも、精神は遠空に遊ぶかのようである。
 突然、戦慄が走った。目の前に千利休その人がいる。かつて、百戦錬磨の戦国武将たちを畏怖させた、侘び茶の宗匠の精神が、肉体に受け継がれている。間違いない。
 人を斬り、国取りをしてきた猛々しき者たちを、こぢんまりとした庵の中に導き、膝を屈させる。それだけのラジカルな力への志向が、茶の湯の中には元来ある。だからこそ、半眼になる。現世を根底から相対化する眼差しが、危うく息の根を止めんばかりの生命の芯ぎりぎりのところで貫く。
 長次郎の赤楽茶碗でいただく。その中に生命も死も全て合わせ濁らせたような、濃密な緑の泥状のもの。それまで頂いた全てのご馳走に対抗し、虚空へとうっちゃってしまうほどの強靱な存在感が、その一椀の中に潜んでいた。
 さては、末期の眼だったか。寄付に座して以来、自分の中に次第に高まってきていたものの正体に気付き、私の中で何かが溶け始めた。
 ずっと、自分はぎりぎりの縁を歩んで来たのだった。精妙な所作に熟練し、それが半ば無意識化する時、初めて精神は自由を得る。制約を引き受けてこそ、命は輝く。それが生であったか。
 利休は掴んでしまったのだろう。掛け替えのない真理が、亭主と客がほの暗い「胎内」に連座し、官能の秘儀に与してこそ受け継がれる。人間という歴史的生命のあり方に未だ見ぬ本質があるような気がして、景色が揺れた。

__________________

2月 9, 2009 at 08:04 午前 |

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涙を流すのは心が泣くからです 記憶が泣くからです その日のまえに 割り切れない艱 [続きを読む]

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コメント

一筆啓上。偖て、仰せの[無知の知]の無知をさらけ出す次第です。茂木さんはオカルトを科学者の立場で眺める。犬が1万円の紙幣を鼻で嗅ぐに似たり。科学者であれ、巫女さんであろうと同じです。35年前にオカルト奇術師Uri Gellerが日本テレビの番組『木曜スペシャル』に出演し、視聴者にカメラで夜空に向けてシャッターを押すように言った。うちの小学生の子がポラロイドで夜空を撮ったら なんと画面に亡くなった父の姿や愛用のベンツが出てきたのです。私の性分で まず疑ってかかりました。カメラに たとえば壁に掛かった額縁写真を撮ってしまった、などと。けれどもポラロイドなので ぞの場で撮ったものは出てきます。まちがいなく夜空を撮った結果が この亡父の写真です。この小学生は久留米市聖マリア病院の医長として働いております。世の中には念写という暗箱の中の感光板にカメラを使わずに人物像を焼付するものがあります。すると幽霊様は どうやら感光板の硝酸銀を反応させて自分の姿を現すのがお好きのようです。私の中学時代に 友人で隣室でトランプのカードをめくると、「それはハートの3だ」などと当てるのです。的中率は8割ほどで、当たらない場合も本人は(これは どうも そんな気もしてた)と悔しげに言うので、じつは全部何かが働いたのでしょう。これはオカルトではなく脳の機能ではないでしょうか。茂木さんはソニー研究所におられりので 将来的にはコンピューターに このような機能を考えて見られませんか。コンピューターが人間に代わってテーマを考え出すかも知れませんね。

投稿: Fodawing | 2009/02/19 11:41:15

毎日、クオリア日記を楽しみに拝見しています。
2月9日の茶道についてのお話はビーンと私の琴線に触れました。
30年ほど茶道にかかわってきて、その奥に何か普遍的なものが
あるのではないかと、もやもやと手探りしていた状態でした。
ずばっと言い当ててもらったようで、
ますます茶道を追究したくなった瞬間でした。

投稿: トリリウム | 2009/02/13 9:47:59

茂木さん、こんにちは。

遅くなりましたが、クオリア立国論の熱い講演会、並びに勢いのあるサインをありがとうございました。
男性諸氏は大噴火。では女性は。。。?日ごと日差しが眩くなり、春も間近であることだし、ひと花咲かせよ!ということですかね。。。?一度くらいは大輪の花を咲かせてみたいものです。
それから、お陰さまで講演後、不思議なひと時を過ごさせて頂きました。ありがとうございます。私は本来、かなり人見知りなんですが。。。(と自分のことを勘違いしているのかしら?)

講演を聴きながら、私にとっての日本の文化ということを考えていて。それは、それほど昔の物でもないし、高価なよそ行きでもないけれど、日常着る物としての普段使いの着物を可愛い、美しい、と思い、これからも愛していくなあ、と。掛け軸を肴にお酒を飲むように、骨董でありながら、いつも使う手に馴染んだぐい呑みのように。

それにしても、茂木さんはやはりモーツァルトの様ですね。(最近脳の中の人生を読んで、あらためてそう思いました)
茂木さんのお友達の白洲さんは、お顔だちが似ていらっしゃるとのことですが、茂木さんは美しく端正な書物の作品と、時に真逆のベクトルのような天真爛漫、無邪気に見える言動の対比が似ていらっしゃると思います。

それともそれは表面的なものに過ぎないのでしょうか?
よくおっしゃられるように、私たちはお互いの関係性で、表れる性格が違いますもの。いつかその核となる、真芯の部分を捕えることができたら。。。
でもきっと、私にとってはどれもがストライクゾーンではないかな、と思ってしまうんですけど。

ああ、読みたい本、読むべき本が多すぎて、嬉しい悲鳴をあげる今日この頃です。


投稿: 楠 | 2009/02/10 21:53:06

最も重要なクオリアの一つはお金だけど、

お金という普遍性の高いクオリアが、経済合理性の名のもとに、都会を覆っている。

お金のクオリアは糞だ!


もちろん糞は健康に不可欠(笑)

投稿: さとし | 2009/02/10 9:15:15

Guter Morgen Mr.Mogi♪
何の木の花とは知らず匂いかな(芭蕉)
自分自身で経験するしか方法はないのだ。私は学び覚悟した。むろん時間も手間もかかる。しかし、そのようにしてしか大切なものの本質をつかむことはできない…経験。。本質をつかむ事は極めて難しいですが、地道にコツコツ修行したいと思います。先生が投げて下さっている球、いつかど真ん中に打ち返せるように。
“家は漏らぬほど、食は飢えぬほどにて事足れり。薪水の労をとり、ただ湯をわかし茶を”主は客の心になり客は主の心になり、お互いがお互いの心になりあう「茶禅一味」、一碗の茶の中に込められた利休の和敬静寂の哲学とは如何なものなのでしょうか。
精妙な所作に熟練し、それが半ば無意識化する時、初めて精神は自由を得る。制約を引き受けてこそ、命は輝く。それが生であったか。…先生は身をもって利休の魂に精霊に触れたのでしょうか。その瞬間なにを見て何を感じられたのか。記事から凄みと悟りの境地のようなものが伝わってきます。。
 
それでは先生、本日もよい1日をお過ごし下さいませ。(*^∀^*)ノシ☆☆☆

投稿: wahine | 2009/02/10 7:38:17

茂木先生こんばんは♪ 
1番価値のある涙は、自分だけのもの。ただ自分にとってはかけがえのない価値――
その瞬間、私たちの不完全なそして限りある命が、何者かによって許される。そんな素敵な奇跡のかたちが、私たち人間の涙なのだと思う。今後の自分の人生の進路をも照らし出す、光となるもの。――(御著書「涙の理由」より一部抜粋させていただきました)
 
『クオリア立国論』、『今、ここからすべての場所へ』、『涙の理由』目の前に三冊の書籍が麗しく並んでおります。私、どれから拝読するものかと悩むのです。。なんと贅沢な悩みかな。
うーん。どうしましょ。(〃_ _)σ∥
 
コルテオも見に行きたいのです。
 
今日のタイトルより“脳から始まる”の火山鯨の記事が心に。日々の穏やかな積み重ねと、劇的な変化。火と水という異なる要素の豊かな響き合い…力強いのです!

「日本のクオリア」の記事も大変奥深くそして難しく何度も閲覧させていただきました。こちらもご本になるとは♪私の触角がピクピクと動きます。
それでは先生、お休みなさいませ。ステキな夢を。(*´∀`*)ノシ

投稿: wahine | 2009/02/10 2:13:06

茂木健一郎様
こんばんは。クオリア立国論の講演&サイン会、今頃かしらと思いながら行ってみたいと思いながら、その日は用事でアップルストアーに行っておりました。日本のクオリアも是非読んでみたいです、楽しみにしております!ありがとうございます。

投稿: nature | 2009/02/10 2:07:28

茂木先生

神田の三省堂書店での『クオリア立国論』刊行記念講演会に参加
致しました。私は以前コメントさせて頂いたように先月末で会社
を辞め、これからの自分の進むべき方向性のヒントが得たいと考
えておりましたので先生の言われていることがグワーと体に突き
刺さってくる珠玉の時間を体験しました。

なかでも「教科書のような断片的な知識の羅列じゃなく、自分が
いかに生きるかということを必死な日常と結びつけて、世間的に
どうとか関係の無い自分にとってはこれだといういわば「自己本
位」の中から出てきたものを命がけで磨く以外に自分を高める方
法はない」という部分と「人生において選択肢は原理的には限り
なくあるが、自分が引き受けうる選択肢は限りがあって、自分が
これを選んだということをちゃんと引き受けると覚悟も出来るし
限界を恵みに変えることも出来る。人生は何か特定のものと寄り
添わざるを得ないけれども、そこに「具体」が現れる」という所
には、まさしく私が求めていた問いに対する回答で「もしかして
自分に向けてメッセージを頂いているんではないか」と嬉しい誤
解をしておりました。

講演後のサイン会でも「偶有性の海に飛び込んで会社を辞めまし
た」と申し上げると「偶有性の海をどこまでも」とサインを頂戴
しました。その時に「人生は現場にしかないよ。」と言って下さ
いました。

講演会のことをずっと考えてきて、さっきふと「自分にはあの講
演会のような時間があるから、これさえあれば自分は大丈夫だ。」
と気づきました。また一つ開いたというか、階段を一つ上がった
ようです。

本当に有難うございました。

投稿: 田中浩太 | 2009/02/10 0:55:47

こんばんは。

先日、仕事中に、ある事がきっかけで、精神的な消化不良というか割り切れないものに対する苛立ちというか不条理を感じた瞬間がありました。でも、そんなに大した問題でもないと思い、他に目の前にやるべきこともあったので、なんとなくやり過ごしていました。ところが、しばらく経って独りになったときに、不意に涙がこぼれてきたのです。それは温度の低い涙でした。しばらく頬をつたって止まりませんでした。自分でも本当にわけが分からなかったのですが、流した後に徐々に意識に浮かび上がってきたこと・・・それは割り切れなさや不条理の感情ではなく、自分の未熟さに対する気づきでした。無意識は意識に先行していたのでしょうか・・・涙を介しての事後認識のような感じで不思議な体験でした。更に、その自らの未熟を受け入れようとしたとき自分の中の何かが変わりそうな手応えを感じていました。

>ふりかえっても、『涙の理由』は本当に
良い本だなあと思う。

『涙の理由』、大切に読ませていただきたいと思います。


真冬の都会はいかがですか。
澄んだ空気の上を高く冷たく浮かぶ星々は、
ときに冷えた心を解いてくれそうです。
今宵の月は満ちています。真冬さえも都会さえも照らして。

茂木先生の涙はどんな涙ですか。
いつかのひとしずくが月に届きますように。

投稿: s.kazumi | 2009/02/10 0:46:12

記憶ができあがるとき、
出力の結果として、作品があり、その作品からの入力で、記憶が出来上がると「脳を活かす仕事術」で教えていただきました。
知識の記憶も、体験の記憶も、
作品を通すことで、生じると思うのですが、両者は同じ体験に変わりはないですが、どう違うのでしょうか。
知識としての記憶は、出力される系が小さく、体験としての記憶は、その系が身体全体となり、大きな系なのでしょうか。
出力される系が小さいとは、目の動きしかないとか。たとえば、部屋でアニメを見ている状況なのかもしれません。

投稿: NHK | 2009/02/10 0:04:58

茂木健一郎さま

NHKさまの茂木健一郎さまの番組ブログ

宮崎 駿さまの

私、投稿させて頂きまして掲示も叶ってまして感謝です

今晩のNHKさまの半井小絵さん、黄色お洋服に
お顔の頬も明るく
春の装いが格好よく素敵
今年は春が早そうな感じ
ゴールデンウィークまでスキー平気かな?
もしスキーがダメでしたら
九州は宮崎の南郷プリンスホテルさまに宿泊して釣りをしたいと、ふと

茂木健一郎さま
南郷プリンスホテルさまには、数年前に

早朝の3時には釣り場所に行き、暗くなって戻ってきてでした、スキーよりも体力を使っている
釣りもスポーツの要素があると思います、と同時、一人ですから、南郷プリンスホテルさまの部屋には毎日、数時間しかいない私、荷物だけが部屋にポツンと、宿泊している意味あった?は、泊まってみたかったんです何気に景観も素晴らしいと思いますが、なにせ暗い時間に出て暗い時間に戻ってでしたので、振り返ってみましたら、景観も楽しめないと!心から

本日、「涙の理由」

小田急デパート町田店の内 久美堂さんに電話確認の後、取り置きで

北海道スキーで着てます黄色のスキーウエアの上着を着て参りました

拝読は後日に

春の旅行

茂木健一郎さま
現在
東京都書店商業組合さまの抽選特別企画

本屋さんへ行こう
春のトラベルキャンペーン!!

1050円以上の利用の条件で1回につき一枚の抽選応募用紙が頂けるキャンペーン企画です

抽選 春の満喫日帰りバス旅行

東京都書店商業組合さまの抽選特別企画、素晴らしいですね

茂木健一郎さまの「涙の理由」 購入させて頂きました際
久美堂さんの店員さん

どうぞ!!

抽選申し込み用紙を頂けただけで 心がポカポカ

茂木健一郎さまの書籍

「今、ここから すべての場所へ」 文中より

春は、あるいは春的な ものは、目を閉じればいつでもそこに立ち現れる・・その気になればふわりふわりと自分を包むもの それが春である
との記述

実感です。


火成論 水成論

「脳を生かす仕事術」

詳しく記述がありますので私、再度、拝読し直してます

本日、購入の「涙の理由」後日に拝読、楽しみです

投稿: TOKYO / HIDEKI | 2009/02/09 22:58:33

六歳の頃から二十三歳まで、茶道を心の拠り所として生きておりました。茶室を宇宙のように感じて、耳も目も鼻も唇も味覚も、着衣を通して伝わってくる温もりも静けさも、人の姿も、花も軸も香も、畳も、ああ、全てが好きでした。

少し社会を知らなければならなくなった頃、ごめんさいをするように、いったん、茶室から離れました。

今は、お抹茶を飲むことを日常の楽しみにしております。
良い記憶と共に。

日本のクオリア

これもまた読ませていただきたい一冊ですね。

ああ、茂木さん。

茂木さんの言葉を読ませていただけること幸福なひとときです。

投稿: Yoshiko.T | 2009/02/09 22:28:46

今回、講演会・サイン会に初めて参加させていただき、
疾風怒涛な茂木先生の「生き生きとした今」に垣間接することができました。
私にとっては、先生の舞台裏も表もごった煮な偶有性の波に
さらわれたフレッシュサプライズでいっぱいの一時でした。

しょっぱなからネットや独学でつく「変なクセ」という一言がささりました。
ネットの疑似コミュニティの中にいると、自分の考えが正論のような・大丈夫な気になってしまう恐れもある。そんな自我の井戸の中で多様性を目指してもエコーが反響するだけかも、と自戒。
日本人が日本に対し「いつまでもヨソゴトっぽい」というのも実感です。
なんだか批評家ばかりが増えて、行動(噴火)が減っているような。
学びも気づきもまた“Solitary Individual”という環境の中で育まれ鍛えられるものなのだな、と感じます。

いただいたサインは昨日から見るたびににっこりほっこりしています♪
(先生のイラスト集がほしいっ!とかなり本気で思います。)
それにしても、ものすごいスケジュールの中、
1人1人に向きあってくださったサイン会に改めて感激しています。
こういう機会を作ってくださった三省堂書店にも感謝です。

最初から最後まで一瞬も余すことのない
美味なる生命エネルギーをありがとうございました!

投稿: NAL | 2009/02/09 21:49:02

本質。

本質を感じるのは本物に出会った時、そして、自分に知る準備ができている時ではないでしょうか。

自分の分野で本質を掴んで突き詰めている人がプロフェッショナルですね。それを近くで体感できる事は本当に幸せですね。

本質。私も掴む覚悟致します。

投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/09 20:55:38

三省堂での講演、是非伺いたかったのに、残念乍ら、行かれませんでした。

単なる知識の積み重ねよりも、インターネットをサーフィンするよりも、そのものを肉眼で見つめ、或いは手で触れて、匂いをかいで、耳で音を聴くことで、そのもののクオリアは鮮烈に、また強烈に立ち上がってくる筈だと、私自身も常に思う。

生命の躍動は、何かに生で触れると、ゴム毬のように激しく弾む。その躍動の中に、魂のマグマが熱く渦巻いている…!

そこに生きていることへの喜びと感謝も、ともに沸き上がってくる。

TVやウェブの中の情報で「これでいいやぁ」と満足していては、何かに触れた時に感じて立ち上がる鮮烈なクオリアも、燃えるマグマのように渦巻く生の躍動も、魂に立ち現われることはあるまい。何かに触れて実感すると、自分の魂が弾み、生き生きとした命の灯火が灯る…!

茂木さんをTVや講演などで見ていると、内面に燃え滾る精神のマグマを白熱させて、全身から光のように噴き出しているように思うことがある。

その光を見つめながら、ふと自分の中にも、魂のマグマが煮えたぎっていることに気付く…!

時には蛮勇と、後ろ指を指されても、まだ我が身の見ぬ知らぬ世界へ、ゴムボールのように跳ねながら、飛びこんでいきたい。

そして、その世界に触れて感じる様々な薫りのするクオリアを、生命の芯から味わいたいと思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/09 20:43:13

ダニエルさんのお話しで、リラックスする事というのを読みながら、ウンウンそうだなぁと思いました。
リラックスをすれば、その場をもっと楽しめる(^o^)
一度動き出したら、その流れにのっていく!これがいちばんですね(^-^)

和樂に載せた西行法師の「何ごとのおはしますかは知らねども かたじかなさに涙こぼるる」の言葉を調べていたら、芭蕉が「何の木の花とは知らず 匂いかな」と詠んだという事を知りました。

先日、眠り猫2さんが書いていた事(聖書のことば)に繋がるなぁと感じました!

投稿: 奏。 | 2009/02/09 19:49:20

目に見えない何かを感じ取る事の出来る茂木さんを、私は羨ましくも嬉しくも思うのです。

投稿: take | 2009/02/09 15:58:43

昨日の「クオリア立国論」の講演会に参加させていただいた者です。
これからは、クオリアで立国する時代になるという茂木さんの考えには同感です。昨日の話でも本の中でもクオリアを実際にビジネスにどう結びつけるかなどのヒントのようなものが分かりやすく書かれていて参考になりました。「立国」と言った場合、私はこれからの日本の進むべき道として「本当の意味での文化立国を目指す」という道があると思っています。本の中にも書かれていましたが、日本は政治、学問の分野が弱いと。実際そのとおりで、政治、経済などの世界の利権にかかわるところの枠組みを作るような仕事は日本はさせてもらえてないのでしょう。また茂木さんがご専門の自然科学のような学術、芸術の世界では、直接お金にならないということでこちらの方も欧米の独壇場になってしまっています。結果、欧米の作ったものを応用して経済的に繁栄するという従来のやり方から脱却できない訳ですが、今の日本の閉塞感や国としての目標がないことなども全てここに原因があると考えています。何をやってもそうだと思いますが、結局は「応用」だけやって「基礎」を自らの力で構築できない民族には明るい未来はないように思います。茂木さんには是非、脳科学の神秘をクオリアと言う切り口で解明していただきたいと思っています。クオリアから実際の「脳の働き」や「生命の躍動」といったようなことを表現できる新しい数学や自然科学の枠組みが生まれてくることを期待しています。日本はロボット大国だと言われていますが、次世代のロボット技術を支える基礎科学の分野でも、日本が世界をリードすることを切に願っています。

投稿: 名無し | 2009/02/09 15:21:36

親愛なる茂木様
今日の写真を見て、一人で大騒ぎしている私です。
茂木さんが会食された場所に、実は先週の火曜日に伺ってます。
座席も、茂木さんの左隣の壁側で、とても近かったですよ。
嬉しい反面、同じ日だったらなって、とっても残念です。
この日は東京出張でして、そこでランチ後、
ブログで茂木さんが通り抜けたと書いていた、
明治神宮へ出かけ、本殿までの砂利道を歩きました。

茂木さんは、会食で何を召し上がられたのですか?
あそこのデザートは、美味しいですよね。
私は、ランチセットをいただいたのですが、
デザートの苺のモンブランは絶品でしたよ!


投稿: ブリちゃん | 2009/02/09 14:24:41

親愛なる茂木様
茶道のお話、素晴らしいです。自分もお茶席に連なっているような感じがしました。
私はお茶は習っていないので、語る資格はありません。でも千利休と秀吉の関係には非常に興味があります。秀吉は利休に死を与えることで、利休の芸術を完成させたと思っています。死が利休を高みに導いたのです。もし、利休が秀吉に命ごいをしていたならば、利休は余命を全うしたけれども、芸術としての完成は見なかったはずです。絶大な権力に対する反逆の精神。その機会を与えたのは秀吉で、選んだのは利休だったのでは?とずっと思っていました。
お茶席は、戦国時代はそのお茶を最後として戦にでる前の生きるか死ぬかの聖なる儀式だったはず…井上靖の本覚坊遺文が本質に近いと思っています。私は儀式は苦手ですが、友達が裏千家でお茶習っていて、去年八重桜の下で私の為に野点してくれました。素直に感激いたしました。
茂木さん、利休が茂木さんを茶道という小宇宙に招いているのではないでしょうか?
プロフェッショナルで、茶道家と能楽師も取り上げてほしいです\(^_^)/
(お茶と能もその精神もつながっていると思います)

投稿: 眠り猫2 | 2009/02/09 13:57:01

茂木様

>精妙な所作に熟練し、それが半ば無意識化する時、
>初めて精神は自由を得る。
>制約を引き受けてこそ、命は輝く。それが生であったか。

私たちが 今、子育てをしながら学んでいる事柄とリンクします。

幼児教育・もしかしたら、お母様になる方の教育から

もう一度 大切な事を 見つめ直さなければ、と感じます。

○道・・・息をする事、これも、私たちが学び、

子供たちが小学校1年生から 木のリコーダーを使う事で 習っています。

ありがたい教育が 日本にも有って 嬉しいです。

ありがとうございます。 千草

投稿: ちぐさ | 2009/02/09 12:41:21

生命って、本当に不思議。

投稿: ふぉれすと | 2009/02/09 11:25:30

露と落ち露と消えにし吾が身かな
 浪速の夢も夢のまた夢

豊臣秀吉の辞世の句です。

すべてを手に入れたはずの秀吉が
恐れた利休。

きょうのクオリア日記も、
実におもしろいですね・・・☆☆

>目の前に千利休その人がいる。
・・・侘び茶の宗匠の精神が、肉体に受け継がれている。

もしかしたら。茂木さんが千宗屋さんを見て感じられたのと
同じことを、秀吉も利休を見て感じたのかもしれませんね!

利休の精神には、人間の歴史的生命力が溢れていて。
時空を超えたおおきな命と繋がった、利休の大きさを前に

命を尽くして手に入れて来た、世俗の権力の頂点が
低く小さく思えてしまった、、、


日記を読ませていただきながら、勝手にそんな想像をして

興奮の意味で、わたしは噴火しました。笑。


わたしが茂木さんを知ったのは、うちの弟が本を読んでいて
うちの旦那が、風船キリンのTシャツを着ていたところからです。

パソコン時代における、根拠のない確信でしょうか
いつか茂木さんと、お会いできるような気がしています。

投稿: 月のひかり | 2009/02/09 10:32:00

昨日の講演会、ありがとうございました。非常におもしろかったです。

また、新聞記者になることについて、情熱的に励まし、応援してくださり本当にうれしかったです。さすが茂木先生は褒め(+励まし)のプロだなあとおもいました。

サイン会ではお疲れのところ、そしてお急ぎのところ2回も押しかけてすみませんでした。
サイン本は最高の宝物として大切にします。

サインで描いてくださった「大噴火」の絵と「現場を多く踏むといいよ」という先生のアドバイスをかけて・・・
火山灰のように広範囲に、いろんな場所に足を運んでみようと思います。

本当にありがとうございました。

投稿: Y.Honkawa | 2009/02/09 8:55:47

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