なんでオレには言えて、田谷には言えないんだよ!
東京工業大学すずかけ台
キャンパスにて、
学位審査。
関根崇泰くん、須藤珠水さんが
博士の最終試験にのぞんだ。
博士号をとるということは
大変なことで、ふたりとも
よくがんばった。
もう少ししたら、関根博士と
須藤博士が誕生するだろう。
すずかけ台駅前の「てんてん」
で打ち上げ。
少し気が早いが、「関根博士どうですか?」
とか、「関根博士はどうお考えですか?」
などと聞くと、関根は「えへへ」と照れた
ように笑った。
調子に乗って、関根が、「これでぼくも
博士になったから、茂木さんと対等ですねえ。」
と言って、みんなが笑う。
「なにい!」
と私は一応怒る。そして追い打ちをかける。
「お前、それ、田谷文彦に言ってみろよ」
田谷文彦というのは、私が指導して最初に
学位をとった「一番弟子」であり、
ソニーコンピュータサイエンス研究所における
研究で、彼らの「先輩」に当たる人である。
「いやあ、田谷さんにはこれで対等ですよ、
なんて言えないです。」
「お前なあ、なんでオレには言えて、田谷には
言えないんだよ!」
関根がひょいと首をすくめた。
ふたたび爆笑の渦。
田谷文彦氏
戸嶋真弓さんと、研究の話をする。
戸嶋さんの研究は、本当に面白い
単語の分節化と言語の一般的能力の
間の関係について、日本語と英語といった
言語の違いを超えた普遍性を示している。
戸嶋さん、それにいっしょに解析を
している石川哲朗くん、早く論文に
しようね。
高川華瑠奈さんと都心方面へ。
高川さんは、修士を取得して、春から
プラント建設関係の会社に入る。
「二年間どうだった?」
「楽しかったです。国際会議に行ったのが、
とても良かったです。」
ぼくは、修士の時から、とにかく国際会議
に行けということで、ASSCやSfNへと
つれていった。100の言葉を尽くすよりも、
その方が体感できる。
伝えたかったのは、「学問の自由」。
学問は、組織でやるものではない。肩書きで
進むものではない。
何をやってもいいんだ。論理と、実証と、
そして反証可能性と。科学が満たすべき
基準さえクリアしていれば、あとは何を
やってもいいんだ。
たとえば、プロスワンに統合失調症の
メタファーによる分析の論文が出ていたよね。
ああいう、今までにない斬新なことをやっても
いいんだ。essay-like paperなんてアブストラクトに書いてしまってさ。
論文を出すことが、学問の自由を
実質的に担保する。
そうでないと、人間関係とか、組織の論理とか、
そういったウェットなものに頼ることに
なってしまう。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
ゲストは、航空管制官の堀井不二夫さん。
管制官が、重要な情報を「声」でパイロットに
伝える。
「声」の持つ力について、大いに考えた。
池上高志から電話。
あいかわらず声がいい。
となりに港千尋さんがいらした。
港さんも声がいい。
一日の最後に、いい声の響きに包まれた。
2月 13, 2009 at 07:39 午前 | Permalink
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コメント
Hello.Mr.Mogi♪
関根さんと先生の会話、最高です。ヾ(T∀T)
100の言葉を尽くすより体感、学問の自由…とても深くそして自由とは難しいなあと思ってしまいます。ある程度制約がある方が動き易く感じることも。でも何もないところから斬新な発想が生まれるのですよね。
「声」の持つ力…何を隠そうわたくし大の声フェチです。笑
いい声の方はそれだけで大分特していると思うのですが。
小林秀雄さんのように、先生のご講義のCDがあったらなあ。。
先生の声の響き大好きなんですもの。(//ω//)
投稿: wahine | 2009/02/17 13:04:57
>伝えたかったのは、「学問の自由」。
「学問の自由」いい響きです。 そんな思いで、生徒さんと接していらっしゃる茂木先生の生徒のひとりに、私もなれたらどんなに素敵でしょう~(^O^)
私は学生ではないから、学問っていうのじゃないけれど、日々の生活の中に疑問や上達への方法を探る時、ふとそれの糸口が見い出せそうな、なにかが見つかったような気がした時、それをためしに実行してみる。そのうち、新たな発見がある事に気づいたときは嬉しくなり、もっと新しいことに気づくことがある。そして、それが疑問から一歩、答えにちかづいてるって感じるのときが、私の生活での「学問の自由」っていえそうな不思議とそんなこと考えちゃいましたぁ。
とにかく、どんな立場でも「学問の自由」って言葉でいい響きです。
頭がフレキシブル(柔軟)に慣りそうな言葉だって感じるんですもの。
そして、なぜかそんな言葉を語る茂木先生ことをもっと知りたくなる。どんなことが、どんな人の影響なのでしょう。。。
投稿: Natural2 | 2009/02/14 17:34:39
池波正太郎の小説 黒白で先生に対して弟子がとる態度を教える場面があります。
先生を父と思え。怖れてはいかぬぞ。甘えて仕えるがよい。
茂木先生への関根さんの対応はこれにピタっとあてはまっていると思いました。
関根さんが羨ましいです。
投稿: 宮川一夫 | 2009/02/14 5:26:24
茂木さん、この題名いいですね!!!!
♪♫
たのしげな音が飛び出しています―♩/ ―♬~♫♩
♫~♩
それにしても、田谷文彦氏の表情、恐いですね。
茂木さんが写真撮られたのですか???
あの視線で見られたら、私、会話できない。
(口元はすこし笑っているのかな¿??)
あの表情では損です。
本当はどういった感情の顔なんでしょうか。
いいなぁ~!
茂木さんと研究生の関係。
学問。
”論理と、実証と、
そして反証可能性と。科学が満たすべき
基準さえクリアしていれば、あとは何を
やってもいいんだ。”
ここが重要だと思います。
服も、製図(=パターン=平面)とトワル(≒立体)のリンクで、その考えを据え、自分の好きに追求していけると思います。
それ(理由)が無いと、何でもありで訴える力の無い、レベルの低い滅茶苦茶な服になってしまいます。
理由が無い=感覚・感性 では無いのです。
それがあって、実証の正体が解り、美しくて斬新なことができるのだと思います。(注;服は科学ほどの思考レベルは必要ありませんよ~。)
論理思考が00zero~!!!から抜け出して来てやっとこの意見に賛成できます。 長かったぁーーー!
茂木さん、かわいい弟子たちが大きくなるのは楽しいですねぇ!!!!
私の上司もそう思っていてくださるかしら…?¿??
投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/02/13 23:29:01
言葉の文字どおりの意味だけではなく、
音楽としての会話があるのではあるまいか。
たとえば声のトーンなど、様々なふるまいによって印象が変わり、言葉の真意が変わることがあります。
音質などのニュアンスも言葉の一部であり、内容があると考えます。
言葉は、音(空気)、触覚、目で判断すると教えていただきました。
その3つの内の1つだけでも、
意思疎通は可能ですが、3つを総合すると、より高度な会話になるのではないでしょうか。(サイレンサー・ラヴ 近日公開決定)
肩書きの内容よりも、
その方自体の印象で、接する態度が変わることがあるのかもしれません。
投稿: NHK | 2009/02/13 23:06:58
まずは、関根さんと須藤さんのお二人に、悦ばしい知らせが訪れることを、願ってやみません。
学問の自由と、学ぶ喜びは、向学心と探究心を失わない若者たちのみならず、常に学びたい人々の為に、慈雨のように平等に与えられるものだと思う。
子供の頃、家が貧しく、様々な勉強をしたくても充分に出来なかった人の話を聴く事がある。折角通っていた小学校も中退し、両親の仕事の手伝いをしなくてはならなかったりとか、都会の商家へ丁稚奉公に出されたりとか、いろいろな理由で、学校に通えなかった人の中には、実に様々な工夫をして、独学で学問をモノしていった人たちもいるという。
学問の自由は、学校の中だけにあるものではない、自力と独学次第でそれをつかむことができる、ということを、それらの人のエピソードを聞くたびに、つくづく思う。
茂木さんが若き門弟の皆さんに伝えようとしていることは、学問することの本当の喜びと、自在闊達な学びの精神なのかもしれない。
真理の探究に勤しむ若き人々にとって、そのような“師”を持つことは、まさにこのうえない幸福の筈だと思う。
大学へ通うことがついになかった私だけれど、学問することの本当の意義や素晴らしさは、日々こうして毎日を生活しているなかで、数多のことを身をもって“学んで”いくことだと、常々感じている。
大学で学ばなかったから、論文を出すこともないけれど、多くのことを生活を通していろいろと多様に学ぶ、ということも「学問の自由」の範疇に入るのではないか。
乱筆長文、何卒お許し下さい。
投稿: 銀鏡反応 | 2009/02/13 21:04:02
電話を通しての声、私はドキドキします(*^_^*)
でも…聞きたいですね〜!゚+。(*′∇`)。+゚
学問は、頭でっかちな考えや、しがらみとかではないんですよね!
論理と実証と反証可能性。考えると…楽しそうですね(^o^)
投稿: 奏。 | 2009/02/13 20:18:24
茂木健一郎様
今日は、笑わせてくださりありがとうございます。
田谷さんには申し訳ないけど、お見ごと〜です。
大阪の講演会でも、あなたがたおひとりおひとりが楽器なのですよ、
と、おっしゃられていたので、気にとめています。
これは、泣きながらです。 ああ、もっと早く気にかけ始めたらと、
えい! すべて、いつも今から。
頑張ります。
投稿: Yoshiko.T | 2009/02/13 15:06:57
「何をやってもいいんだ。」に励まされました。
今朝も、バロック演奏法についての当時の古い文献を読み返し、新しい発見に胸をときめかされたところです。
私は、バロックを当時の楽器で演奏していますが、この世界でトップに立つ人達の後を、あまりに従順に模倣してきた自分の情けなさに、やっと気付いたこの頃です。
そのきっかけは、先月、上野で観たレオナール・フジタ展。
当時の日本画壇を離れ、日本で受けたアカデミックな教育に疑問を持ち、自分のスタイルで生み出した乳白色の技法は、本当に素晴らしい!
フジタの、先駆者も後継者も持たない独自の生き方に感動しました。
何かに依存しないで、クリエイトしていこう!!
常に新しい「ときめき」を音にしてゆきたい!
茂木さんの「何をやってもいいんだ。」が、頭の中を嬉しく駆け巡った朝です。
ありがとうございました♪
投稿: シリンクス | 2009/02/13 9:43:05
追伸です
声と言えば、声ってその人のかなりな部分が表れませんか?茂木さんはテレビで拝見すると、ちょっと早口でチャチャチャと本質的なことを仰るので、聞き逃さないようにいつも耳ダンボにしています(笑)
茂木さんは、気が早い?決めるのも行動も早いですよね。即行動でまず動くのは、凄いです。 私は声が鼻ずまり声でぼわんとしていて、発音もフガフガしているので、よくフガフガって何??と笑いながら聞き返されます(汗)しかも一本調子なので、山がありません(笑)
発声練習を、山の鶯のようにやりたいと思います。
鶯と言えば、春が近づいていますね
「俳句脳」の茂木さんに一句ささげます(下手ですけども)
梅咲くや鶯友に又一献
ではでは何度もお邪魔しました
~\(^_^)/
投稿: 眠り猫2 | 2009/02/13 8:53:14
親愛なる茂木ィ様
マァマァマァマァ…茂木さん暴れないで下さい(笑)
関根さんは茂木さんを愛しているのです。だから、ちょっと生意気なことを言いたくなるのです。
仲良きことは美しきかな…(笑) それに名古屋大の物理学教室では、先生を先生と呼ばずに「~さん」と呼ぶらしいです。先生って呼ぶと、先生の意見に対してこれは違うのではないかと思って反対意見を出すのが抑制されてしまうので、自由な意見討論のためにお互いさん付けで呼び合うらしいです。いいお話ですよねo(^-^)o
私も茂木さんのこと、あ、兄貴ってよんでもいいですか………???
投稿: 眠り猫2 | 2009/02/13 8:31:27
茂木先生って、おもしろいですね!
投稿: ふぉれすと | 2009/02/13 8:22:39