紀伊国屋セミナー 『脳を活かす生活術』
2月 28, 2009 at 11:24 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (0)
毎日新聞のセミナーで講演するために、
北九州市の小倉へ。
小倉は私の母の生まれた土地である。
母が子どもの頃話して
くれたことの一端を紹介した。
紙芝居のおじさんがやってきて、
まずは水飴を買うのだという。
割り箸の先の水飴を、もう一本の
割り箸をつかってくるくると回す。
最初は透明だった水飴が、次第に
白濁していくる。
一番最初に白くなった子どもが、
もう一本水飴をもらえるというので、
子どもたちは必死になって割り箸を
くるくる回す。
白くなったと思ったら、「おじさん、
見て見て!」と叫ぶ。
そんな話を、子どもの時によく聞いた。
紙芝居は、水飴を買わないと見ることが
できない。
お小遣いがないので水飴を
買えない子どももいる。
おじさんとしては商売だから、水飴を
買わずに紙芝居を見ている子どもがいると、
「だめだよ、あっち行って」という。
それでも、その子どもが電信柱の陰から
紙芝居を見ていると、さり気なくそれは
認める。
ちゃんと水飴を買って紙芝居の前で
堂々と見ている子どもと、
買わずにひそかに遠くから見ている
子どもと。
その両方を許容している空間には、
人間を包むやさしさがある。
親友の竹内薫が、ここのところ
ブログ「薫日記」 でカルデロンのり子さんのことを
書いている。
村上春樹さんの「卵と壁」のスピーチに
感動した人たちは、この問題をどう考える
のだろう。
日本の首相は、ペットが家族の一員
だとする「いい加減な教科書を変えた」と
講演で話したという。
一方、オバマ大統領一家がホワイトハウスで
一緒に暮らす「ファースト・ドッグ」が
決まったというニュース。
大統領の「公約」通り、動物愛護団体が
保護している犬から選ばれるという。
人は、自分自身が強くないと、
あるいは、強くありたいと願っていないと、
他人に対してやさしくなれない。
2月 28, 2009 at 07:27 午前 | Permalink | コメント (29) | トラックバック (4)
わが心の書
茂木健一郎 『悲劇の誕生』
文藝春秋スペシャル 2009年季刊春号
抜粋
本当に素晴らしい本との出会いは、人生の風景を一気に変えてしまうものだと思う。自分のそれまでの経験の幅を超えるような世界観。今までの感じ方、考え方では、とても対処できない知性と感覚との向き合い。私にとって、高校の時に読んだフリードリッヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』はそのような本であった。
(中略)
それにしても、『悲劇の誕生』は魅力的な本だった。古代ギリシャにおける明晰で理知的な「アポロ的」要素と、衝動的で潜在的には破壊的な「ディオニソス的」な要素の絡み合いから、ギリシャ的な「悲劇の誕生」を解き明かす。それが同時代において「音楽の精神」を通して再生する道筋を示す。その希望を担うのはワグナーである。ニーチェのヴィジョンは大いに熱を帯び、破壊的であると同時に生命肯定的であり、徹底して理想主義である。三十年近くの歳月が経った今振り返っても、『悲劇の誕生』から得た「感性の型」のようなものが、私の中には未だに息づいているのがありありとわかる。
早い話が、脳科学をやる中で、ライフワークとして意識の中で感じられる質感「クオリア」の問題を選んでしまったのも、『悲劇の誕生』を始めとするニーチェの作品を愛読した高校時代の私があってこそだろう。心と脳の関係をめぐる、とてつもなく難しいテーマなんかに取り組まなければ、もっと普通の意味で学者として幸せになっていたのではないかとも思う。普通の意味での経験科学だけでは魂の渇きが癒せなかったのだから仕方がない。極北の幻光の厳しい美しさを一度知ってしまうと、温帯の日常は生温く感じてしまうのではないか。
むろん、社会の中で生きていれば、次第に世間と付き合うコツのようなものは身についてくる。協調性も出てくるし、時には「マーケットというものは」などと嘯いてみる。しかし、私の胸のどこかに、常識など知るものかという激烈なる炎が今でも燃えている。すべては、『悲劇の誕生』を読んだ、高校生の頃の精神生活に始まったのである。
全文は「文藝春秋スペシャル」でお読み下さい。
http://www.bunshun.co.jp/mag/special/index.htm
2月 27, 2009 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (3)
「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の収録前。
スタジオでチーフプロデューサーの
有吉伸人さんと話していた。
「有吉さん、今日の打ち上げは二合目
らしいですよ。行かれますか?」
「ぼくは試写があるから後から行きますよ!」
「それじゃあ、唐揚げ頼んでおきますね。」
有吉さんは鶏の唐揚げが大好物なのである。
「いや、ぼくは油ものは食べません!」
「えっ、どうしたんですか?!」
「体重が落ちて来たんですよ。もう一段
落とそうと思って。72キロから、69キロまで
落ちたんです。今まで、69キロの壁が
あって、そこから下にはどうしても行かなかった
んですが、この前測ったら、68になったん
ですよ! それからさらに落とそうかなあと
思って。」
近くにいた住吉美紀さんが有吉さんに
声をかける。
「体重が落ちてきた時は、体調を崩しやすい
から気をつけた方がいいですよ。今まで、
身体が慣れてきた体重よりも下がると、
いろいろ影響が出てきますから。」
「そうかあ、免疫作用が低下するのかなあ。」
と有吉伸人さん。
唐揚げを食べないという決断をした
有吉伸人さん。
健康を気遣うその姿勢は、見習わなければ
なるまい。
有吉伸人氏
ゲストは牧師で、ホームレス支援に
携わる奥田知志さん。
本当に素敵な人だった。
対話中、奥田さんは
「決断するということは、そうでない
選択をするということも可能性と含まなければ
ならない。機械的に必ずそうするということは、
人間の本性にそぐわない。自分がいったん
決めたことと違うことをするということが
なければ、決断ではない」
とおっしゃった。
心の温かい人。
打ち上げの席で、さらに奥田さんと
お話して、ますます好きになった。
担当ディレクターは、
「ファブリーズ座間味」
との異名を持つ座間味圭子さん。
奥田さんの取材中、ある日自分の髪を短く
切って現れたのだという。
「あれ、美容院に行く暇なかったはず、
と思って聞いたら、やっぱり、ホテルの自分の
部屋でハサミでばっさり切ったという
んですわ。何があったのか、と思った
んですけれども。
座間味さんの気合いで、素晴らしい番組が
また一つできた。
放送は、2009年3月10日(火)です!
座間味圭子氏
座間味さんへの電話で、有吉さんが
そろそろ来るというので、念のため、
鶏の唐揚げを一皿注文しておいた。
有吉さんが来たので、「はい、有吉さん」
と言って、鶏の唐揚げを前に置いた。
有吉さんは、「いやあ、素晴らしいお話でした」
と奥田さんに声をかけながら、
箸をとり、何ごともなかったかのように
鶏の唐揚げを口に運んだ。
とてもおいしそうに食べた。
数分後、鶏の唐揚げは一つもなくなっていた。
「自分がいったん
決めたことと違うことをするということが
なければ、決断ではない」
と奥田さんは言った。
有吉伸人さんは、
唐揚げを食べないと決めても、
やっぱり食べてしまう。
これが、人間の決断というものである。
2月 27, 2009 at 07:41 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (3)
柳川透くんの論文のアブストラクトです。
Yanagawa, T. and Mogi, K. (2009) Analysis of ongoing dynamics in neural networks. Neuroscience Research, in press.
Abstract
Spontaneous neural activities in the cerebral cortex exhibit complex spatio-temporal patterns in the absence of sensory inputs (Arieli et al., 1995; Arieli et al., 1996), wandering among the intrinsic set of cortical states (Tsodyks et al., 1999; Kenet et al., 2003). Elucidating the nature of such spontaneous activities is one of the most intriguing challenges in the effort to understand the computational principles employed by the brain. The precise mechanism behind these salient phenomena, however, is not known. Here we model the ongoing dynamics of generic neural networks with attractor states using a conductance-based neuron model. Our realistic modeling shows the existence of up-states and down-states in the membrane potential, where the up-states exist as spatially clustered patches moving within the network. Our analysis shows that up-states are sustained by the balance between excitatory and inhibitory inputs. Synaptic depression and depolarization-dependent potassium channels can cause the transitions from the up-states to down-states by affecting the dynamics in differential manners. The velocity of patches depends on the firing frequency of excitatory neurons affected by contributing factors. These results suggest that the switching dynamics can be produced by the interactions within the local network, revealing the constraints on the nature of autonomous dynamics within the cortex.
2月 26, 2009 at 07:31 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
集英社で雑誌GQの取材を受ける。
西健一郎さんの「京味」にうかがう。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
放送の翌日。
西さんが、「本当に良い番組をつくって
くださいまして」と何度も言って
下さるので、恐縮する。
山本出ディレクターを始め、
みんなが頑張った。
それに、西さんの素晴らしいお人柄と。
京味にて。西健一郎さん、女将さんと。
NHKの堤田健一郎、粟田賢ディレクターが
いらして、打ち合わせ。
脳科学研究グループの会合
The Brain Club。
石川哲朗くんが、自分が事態をcontrolしている
という感覚の欠如がillusionを招くという
論文を紹介。
Whitson, J.A. and Galinsky, A.D. (2008) Lacking Control Increases Illusory Pattern Perception. Science 322. pp. 115 - 117.
野澤真一くんが、社会的認知神経科学における
相関分析の欠陥を論じた論文を紹介。
Vul, E., Harris C., Winkielman, P., & Pashler, H. (in press). Voodoo correlations in social neuroscience. Perspectives on Psychological Science.
張キさんが、その社会的認知神経科学の
分野の論文を紹介した。
柳川透くんの論文が正式にacceptされた。
柳川くん、おめでとう!
田谷文彦と山の手線に乗って議論する。
相関というものは、その数値が低いか高いかは
別として、単独ではメカニズムの理解には
及ばないものなのだろう。
複数の知見を組み合わせていって、初めて
背後のメカニズムが見えてくる。
ダーウィンは、『種の起源』において、
当時知られていたさまざまな知見を
総合して進化学説に結びつけた。
似たような作業が脳科学において必要な
時代が来ている。
Pashlerらの批判は重要だが、
十分に構築的ではない。
日本に帰ってきて、携帯の留守電を聞いて
いたら、増田健史から入っていた。
どうやら夜にかかってきたらしく、
酔っぱらってふらふらと街を
歩いているらしい気配が伝わってくる。
「茂木さん、ぼくは、あんたに会いたくて
仕方がないんですよ。こんどぜひ時間を
作ってください!」
たけちゃん、今度会おうね。
東京駅の近くを歩いていたら、
「塩谷賢が金持ちになったらこんな風になるだろう」
という人が向こうから来た。
たいへん立派な革の鞄を持ち、高そうな仕立ての
スーツを着て、首にはスカーフを巻いている。
頭には手触りが良さそうな帽子を被っている。
そして、何よりも、0.1トンはありそうな
立派な身体。
たけちゃんと塩谷。
二人の畏友が、頭の中で合成された。
まるで、昔行った温泉場の光景のように。
塩谷賢氏と増田健史氏。
2006年の「おじさん温泉」にて。
塩谷がお金持ちになったら、どんな風な
使い方をするんだろう。
きっと、洗練され、
水際立っているに違いない。
パラレル・ワールドに行って、こっそり
眺めてみたい。
2月 26, 2009 at 07:29 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (2)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第53回 ヒース・ロビンソン
サンデー毎日 2009年3月8日号
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/
抜粋
他国の文化には、思いもかけぬ「サプライズ」が潜んでいることがある。自分の育った文脈の中からは、想定できないもの。歴史の中でつながってきた星々。慣れ親しんだものからは遠いようでいて、自分に意外なほどぴたりと当てはまる。忘れられなくなる何ものか。そのような驚きに出会うことは、人生の最大の喜びである。
英国に留学していた時のこと。大学のあるケンブリッジから車でしばらく行ったところにある「イリー」という街に出かけた。有名な大聖堂があり、川の流れに白鳥たちが羽を休めている。愛らしく、素敵な街だった。
水辺に骨董品屋さんを見つけた。値段が張る貴重なものばかりではない。ちょっとした食器や、家具、衣服など、手軽に手を出せる価格帯のものも多かった。古い絵はがきや、ポスター、雑誌の類もたくさんあった。
偶然に見つけた一枚の印刷されたイラストに釘付けになった。今でも、あの時私を包んだ空気感をありありと思い出すことができる。
中年男性が、椅子に腰掛けている。頭にできものがあり、ひもが結びつけられている。ひもは天井から下がった滑車を通り、幾重にも折れて、壁につながっている。
男が座っている椅子は、棒で支えられている。棒は機械仕掛けでパタンと倒れるようになっていて、男自身が握っているレバーに接続されている。
男がレバーを押すと、座っている椅子を支えている棒が倒れる。すると、椅子が無くなって、男の身体も落下する。その拍子に、ひもで縛ってあるできものが取れる。つまり、できものを除去するための装置である。イラストの下には、「できもの椅子」という文字があった。
男の真剣な表情。細部まで描き込まれた機械仕掛けの精巧さ。それでいて、全体としてナンセンスな雰囲気を醸し出す。意味のない図柄を、ユーモアあふれるタッチで描くという構想。ひと目見て、無性に惹き付けられた。
作者の名前は「ヒース・ロビンソン」。それまで聞いたことがなかった。イリーという田舎町の年月を経た建物の中で、初めて知った画家を瞬時にして愛した。イラストが陳列されている箱の中をくまなく探し、「ヒース・ロビンソン」の作品を数点見つけた。全て買って帰った。
ケンブリッジの下宿で、自分の部屋の壁に飾った。それまで何となく落ち着かない気持ちでいた異国の居室が、やっと自分のものになったような気がした。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
An illustration by Heath Robinson.
2月 25, 2009 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (2)
成田に着いた。
タクシーで集英社へ。
雨が降ってきた。運転手さんが、
「ここのところ梅雨のような天気なんですよ。」
と言う。
「そうですか、どれくらい降っている
のですか?」
「もう5日くらいは続いているかな。」
「雪ではなく、雨ですか?」
「そうなんですよ。」
久しぶりに見る日本の風景は、
バリとはまた違ったしっとりとした
情感に充ちていた。
2月 25, 2009 at 09:17 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (5)
空港に向かい、明日の朝日本に着く。
過ぎ去った時間は、動かしがたいという意味で、
すでに死者の領域に属している。
私たちは、時々刻々、生前葬をしているのかもしれない。
東京に戻ったら、別の文脈の中の生が私を待っている。
2月 24, 2009 at 10:37 午後 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (1)
プロフェッショナル 仕事の流儀
人間、死ぬまで勉強
~料理人・西 健一郎~
西健一郎さんのお話を聞いて、
ぼくは、料理というものに対する
観念が変わった。
必ず決してお見逃しなきよう。
NHK総合
2009年2月24日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
「奥のある味」の秘密
〜 日本料理人・西健一郎 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
2月 24, 2009 at 11:25 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (6)
ウブドゥ近郊にある
ヴィラ・プラーナ・サンティを訪問する。
大橋力先生
が建てたバリにおける科学、文化、芸術の
研究拠点。
国立精神・神経センターの本田学さん
がアレンジして下さった。
素晴らしい場所だった。
緑なす渓谷にかかる吊り橋によって、
二つのエリアが結ばれている。
案内してくれたのは、ワヤン・アルサ。
一緒に歩きながら、大橋先生のことや、
本田さんのこと、ウブドゥのこと、
いろいろなことを教えてくれた。
ワヤン、本当にありがとう!
ワヤンと吊り橋の上で。
PHP研究所の木南勇二さんの
話をいろいろ伺っていて、
木南さんの編集者としての実力の
芯のようなものを知る。
「原稿を読んでいる時から、いや、
その前の依頼している時から、
本の姿が見えてくるんですよ。」
そんなさすがな木南さんが、何かに
似ているなとずっと思っていて、
ウブドゥの道でやっとわかった。
ビリケンである。
男一匹木南勇二、バリ島を行く。
木南勇二さん。ウブドゥ近郊のライステラスにて。
夕暮れの街。子どもたちが路上サッカーを
している。
ついすぐ昔までの日本ではどこでも見られた
光景。
無限の懐かしさといとおしさを
感じた。
やれお受験だ、塾通いだ、
あぶないから家の中で遊べと
マスヒステリアに巻き込まれている
日本の子どもたち。
生命原理から見て、いかに愚かな
狂気の中にいるかということが
コントラストの中にわかる。
子どもたちがどうなっているかということは、
大人社会の縮図。
自分の生命の可能性を制限する
人工的にして意味のない規制とは、
断乎闘わねばなるまい。
フットボールに興じる夕暮れの子どもたち
ぼくの子ども時代は、今の日本の子どもたちよりも、
バリ島の子どもたちの方に似ていた。
2月 24, 2009 at 11:13 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (2)
バリに来てから、ふとぼんやり
している時など、日本のことが
思い出されて、
ああ、ふだんあんな風に追い立てられて
いるのはイヤだな、と感じていたのが、
今朝起きて日の出前に海にいったら
すっかり毒が消えていて、
心身がすっきりしていた。
自分を含め、滞在に来ている
客よりも、働いているスタッフに
目がいくのは自然な心の習わし
である。
ホテルの立派な制服さえ着ていない
人たちが砂浜にいた。
グランドキープの道具を持って、
ビーチを整地している。
向かいにはヌサ・ペニーダ島の影。
光が差してカーテンとなる。
赤いシャツを着たおじさんが
整地しているその先を見ると、
何やら大きな文字が書いてある。
日本語らしい。歩み寄ると、
「木南勇二」と大きく書いてあった。
私をここにカンヅメに連れてきた
PHP研究所の「勝負師編集者」
木南勇二。
本人が昨日の夜に書いたに違いない。
私がビーチのソファでうとうとしている
間に、バリの神様に願い事でも
していたのだろう。
夜通しの波と風でも消えなかった
「木南勇二」の四文字は、
グランドキープのおじさんによって、
きれいにワイプアウトされていった。
そして、私は再び仕事に戻る。
2月 23, 2009 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (26) | トラックバック (2)
何の変哲もない小径に入っていくと、
家の雑然と散らかった庭から
鶏の声が聞こえて、
歩んでいくと、
ぱーっと爆発したように
鶏たちが走り出す。
親鳥のあとを、雛たちが
おいかけて、そのすぐそばに
痩せた子猫がいる。
過去というものは、たとえ
一秒前でも、もう決してそれに
アクセスできないという点において
絶対的隔離の向こう側にある。
しかし、長き年月を経た過去は、
やはり、その距離が大きいという
だけではない現象学的次元を持つ。
何層にもその後の経験が
重なって、まるでその上に繭が
覆ってしまった白熱電灯のように、
薄ぼんやりとした顕れで
私たちを誘うのだ。
それは時に現実の中に姿を見せて、
「ああ、これか」と脳髄を電撃する。
2月 22, 2009 at 08:42 午前 | Permalink | コメント (27) | トラックバック (2)
人間は、バカだなあと思う。
空に星があることを忘れているんだね。
相対性理論によれば、星がどんなに遠くに
あっても、光がそこから私に届く間、
固有時は経過しない。
だから、星はぼくらとつながって
いるんだよ。
相互作用同時性の原理によれば、
因果性を担う世界線に沿って、固有時は
経過しない。
それが、私たちの意識の根源でもある。
だから、何光年も先の星も、
ぼくたちの意識の一部である可能性は
あるんだ。
そんなことを忘れてしまって、
ふだんどうでもいいことに血眼に
なっているぼくらは、よほど愚かだな。
愚かさにつける薬はあるのだろうか。
南十字星を追いかけようと思って、
ずっと歩いていったが、
夜空に浮かぶその姿は
ちっとも大きくなりはしなかった。
2月 22, 2009 at 01:16 午前 | Permalink | コメント (21) | トラックバック (3)
PHP研究所の本の取材で、
インドネシアのバリ島に。
『脳を活かす勉強法』、『脳を活かす仕事術』
がおかげさまで好評だったので、
その慰労をかねて、次の本の内容の
収録をバリ島でやるように
木南勇二さんが取りはからって
下さったのである。
PHP以外にもたくさん仕事を持ち込んで、
国際的な「カンヅメ」のようなもの。
バリ島に来るのは実に20年ぶりで、
それなりの感慨がある。
入国審査で、バリの係官が
かかってきた携帯電話を受けながら
スタンプを押していた。
それを見ていた日本人のオヤジが、
偉そうに、「仕事の時くらいは電話するのを
やめろよ」と言った。
それで、私はアッタマに来て、
「お前の方がうるさいんだよ」
と言ってにらみつけてやった。
偉そうなオヤジは嫌いだ。
バリ島の人の様子を見ていると、
切なくなることがある。
暗がりで、母親に抱かれている
子ども。
オレがあの子だったら、
どうやって一生懸命生きていこうかな。
物理学者になれたかな。
果たして
ケンブリッジに留学できたかな。
「ヒエラルキー」においては
下の方の人に共感し、自分をそのような
立場に置こうとする衝動が強まる。
英語が母国語の人は、どこか
肝心なところで鈍感なところがある。
マイナリティの方に共感する。
そのことが、深いところで、
自分の生命を再生させてくれるように
思うのだ。
言語的マジョリティなんて、
あんがいツマランものだよ。
暗がりの中、母親に抱かれる子ども。
全力を尽くして
そっちの方に立たなければ、
わざわざインドネシアまで来た
意味がないじゃん。
ドライバーに聞いたけれども、
100平米の借家の家賃が、年間4万円
なのだそうだ。
一人当たりのGDPが3200ドル、
すなわち32万円だから、あり得ない
数字でもないだろう。
彼が借りている家賃の一年分は、
PHP研究所がとってくれた
ホテルの何泊分に相当するのだろう。
スケールの暴力なんて、至るところに
あるなあ。
地位や権力を持っていたり、
組織に守られていたりする人が、
そうでない人に対して鈍感に振る舞う。
そんな事例をしばらくの間見てきて、
悲しい思いをしてきたから、
くそう、今に見ていろよと
炎をもやしていたから、そんなこともあって、
インドネシアの旅が心にしみるのだろう。
しみてばかりいないで、きちんと
仕事はしなくてはならぬ。
それでも、海を見る暇くらいはある。
2月 21, 2009 at 09:24 午後 | Permalink | コメント (25) | トラックバック (0)
NHK。
細田美和子デスク、粟田賢ディレクターと
「脳活用法スペシャル」
の打ち合わせをする。
粟田さんが持っている紙を見ると、
何やら絵が描いてある。
「粟田さん、これは何ですか?」
「番組内で使うCGのラフスケッチです。」
「誰が描いたんですか?」
「私です。」
「このふとっちょの人物は、
ひょっとして私?!」
粟田さんの手元にあったスケッチ
「へっへっへっ」
粟田さんが笑い出した。とても
愉快そうに笑って、止まらない。
「へっへっへっ」と笑う粟田さん
粟田さんは、いつも真面目そうな顔をしているが、
実は内面にユーモアがあることを私は
知っている。
だからこそ、粟田さんが大好きなのだが、
そのユーモアが、ふとっちょ方面に
噴出するとは思わなかった。
一方、細田美和子さんは、
クール・ビューティーを保って台本を
読んでいる。
クール・ビューティー。細田美和子さん。
現在第4号「フェルメール」が発売中の
週刊『西洋絵画の巨匠』 (小学館)に、
私のエッセイが掲載されている。
「ボッティチェリ」の文章はもう書いて
しまったが、「ボッティチェリ」は
「ふとっちょ」(小さな樽)という意味の
あだ名で、本名は
Alessandro di Mariano di Vanni Filipepi
と言うのである。
ぼくが腕立て腹筋森林発作走りのバトル
に敗れたら、ミドル・ネームをボッティチェリ
にして、茂木・ボッティチェリ・健一郎
とするから、そしたら、粟田さん、
ボッティチェリの絵を描いて下さいね。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
ゲストは、「京味」の西健一郎さん。
日本料理の最高峰と言われる西さんの
技。
お話をうかがって、深く感動した。
「料理」の概念が変わったと言っても
過ぎぬほど。
西さん、すばらしいお話をありがとう
ございました。
来週火曜日に放送されます!
収録後、10階の社会情報番組の部屋へ。
みんなが集まり、有吉伸人さんを
呼びに行く。
「電話が終わったらいらっしゃいます。」
有吉さんが入ってきた瞬間、
「ハッピーバースデー・トゥー・ユー!」
と歌い出した。
有吉さんが「そういうことかあ」と
言って照れる。
歌が終わると同時に、思い切り
ケーキの火を吹き消した。
須藤祐理ディレクター(すどちん)が
用意した、杉野英実さん
のケーキ。
本当においしかった!
ケーキのろうそくを吹き消す有吉伸人さん
シアターコクーンで、野田秀樹さんの
「パイパー」 を見る。
群舞とパイパーの造型にノックアウトされた!
そして、野田さんのオーラ。
終演後、楽屋に野田さんを訪ねる。
「野田さんを見ながら、シェークスピアに
ついて考えましたよ。自分で脚本を書き、
そして演ずる。そのような人には、何か特別な
空気がまとわりつきますね。」
それは、「神」に至るメタファーではないか。
神は、この世のシナリオ・ライターである
はずだ。にも関わらず、有限の肉体をもった
存在として文脈を引き受け、現場で生きる。
そのような二重性が、イエス・キリスト
という人の吸引力の源泉であったはず。
ひな型は、くりかえし歴史の中に顕れる。
橋爪功さん、松たか子さん、宮沢りえさん、
佐藤江梨子さん、近藤良平さんにご挨拶する。
2月 20, 2009 at 07:38 午前 | Permalink | コメント (29) | トラックバック (6)
赤坂のTBSにて、取材を何件か受ける。
ラジオ「ストリーム」で、小西克哉さん、
松本ともこさんとお話しする。
ロックフィールド
の東京事務所で、社長の岩田弘三さんと対談する。
「傷だらけのマキロン」こと、牧野彰久
さんと落ち合って、林望さんとの対談本のゲラをいただく。
牧野彰久氏
ソニーコンピュータサイエンス研究所社長の
所眞理雄さんのご自宅で、
『オープンシステムサイエンス』
の出版を記念する会。
おいしいご飯やワインをいただき、
議論をして、楽しい時間を過ごした。
投稿中の柳川透くんの論文に
ついての返事があり、小さな点の修正後受理される
見込みに。
柳川くんに電話したら、
「リジェクトされる夢を何回も見ていたので、
本当にほっとしました」と声が弾んでいた。
柳川くんも、もう少ししたら
「博士」となるだろう。
よかったね、柳川くん!
一足先に、桜がほころんだ。
柳川透氏
「無知の知」は、ある人が成長する
ためにどうしても必要なことで、
それが欠如してしまっているという
人が世間を見渡すとずいぶん多い。
インターネットは、無知の知の欠如を
露呈しているような文章のオンパレードで
ある。
今の自分が全く知らない、巨大にして
深遠なる世界の予感を、いかに抱けるか。
一個人がアクセスできる情報が飛躍的に
増大した現代において、「無知の知」
は自分の可能性を活かすことができるための
必要不可欠な魂の態度であるような
気がしてならない。
2月 19, 2009 at 07:46 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (5)
電通でミーティング。
品川プリンスホテル。服部幸應さんと
対談。
第1回全調協食育フェスタにて。
銀座にて、講談社の西川浩史さん、
ペダルファーブックス
の米津香保里さんと打ち合わせ。
PHP研究所の木南勇二さんたちと
銀座の「水谷」に行く。
先日『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演いただいた藤田浩毅
さんがいらしいて、お話しする。
PHP研究所へ。横田紀彦さんも
ご一緒して、いろいろとお話しした。
マクタガードの時間論
においては、
「過去、現在、未来」のA系列、
「より早い」「より遅い」のB系列、
それに順序構造であるC系列の関係が
議論されている。
このうち、時間の変化を担っているのは
A系列である。かつて「未来」であったものは
「現在」になり、やがて「過去」になる。
この、私たちが誰でも知っている移行が
時間の本質であるが、この変化を
記述しようとすると無限後退に至る
ことをマクタガードは論じた。
「今」の特別は奇跡である。
「今」に没入するしかない。
奇跡に段階や等級などない。
ものみな、そのままあるだけで、
奇跡である。
____________
万物は流転する。何事も、「今、ここ」に安定してとどまらない。それでも、この世に生を受けた以上、自分の限りある滞在時間のうちくらいは、何かしっかりしたものを掴んでおきたい。そうでなければ、「今、ここ」でさえ、自分のものとすることができない。足元が揺らいで、一歩も歩くことができない。
かつて、フルマラソンを走って、つくづくわかったことがある。自分自身の身体は、それ自体の中において「何とかしなくては」ならないのであって、誰も助けてくれはしない。沿道で歓声を送る観衆も、半分に切ったバナナやチョコレートを差し出してくれるボランティアの人も、共に走る友も、自分のフィジカル・コンディションを助けてなどくれない。
最初はそれなりのスピードで、やがてゆっくり、そして最後にはとぼとぼと前に進む自分の身体は、この宇宙の中で絶対的な孤独であり、その中で進行している「分子の交響曲」がどのような調べを奏でるか、それによって果たして自分がマラソンを完走できるのか、それとも途中で倒れてしまうのかが決まる。
ふらふらと走りながら自分が手術台の上の患者になったように感じられる。外科医のメス捌きも、麻酔医の深謀遠慮も、人工的に呼吸や、心拍や、その他様々を助けてくれる装置も、最終的には全て自分の生命維持に対する間接的な応援団に過ぎない。手術台の上に横たえられた患者の身体は、孤独なマラソンを走っている。誰も患者の代わりになることができない。生きるか死ぬか、やがて意識を取り戻し、にこりと笑って日常生活の中に戻っていくことができるかどうかは、全て、患者の身体という一つの有機体の固有の力学にかかっている。
富める者も、貧しき者も、賢き者も、愚かな者も、誰も「今、ここ」にあるただ一つの肉体から逃れることはできない。これは、実に、人間の生の絶対唯一の条件である。人間とは、生きている限り、一生手術台の上に横たわる患者のような存在である。ただ、病院の治療室という特殊な条件の下で一般普遍的な状況が顕示されているだけに過ぎない。
自我は、宇宙の無限の広がりをあたかも自らのことのようにとらえる。それどころか、この宇宙が数限りない可能性の一つに過ぎないということも認識する。遙か彼方に模様が蠢いているのが見える、そんな万華鏡をのぞき込むようなことも平気でしてみせる。人間の意識は、「今、ここ」にある脳髄によって確かに生み出されているにもかかわらず、遠く、存在し得ないものまで志向することができる。
私たちは手術台の上の患者である。自我が依って立つものは、抽象的概念でも、情報でも、ましてやお金などというものでもなく、結局は自分の「身体」でしかない。それにもかかわらず、人間は無限をとらえることができると勘違いしてしまう。「今、ここ」の身体に永遠に束縛されているにもかかわらず、真空には実は10の100乗以上の可能性がある、今私たちが住んでいる宇宙はインフレーションの過程でキノコのようにボコボコ生まれてきたもののうちのたった一つに過ぎないなどと嘯く。「今、ここ」の有限と無限定な志向性の間の乖離に、私たちは引き裂かれている。
茂木健一郎『今、ここからすべての場所へ』 (筑摩書房)より
_________
2月 18, 2009 at 07:20 午前 | Permalink | コメント (20) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀
空を守る、不動の男
~航空管制官・堀井不二夫~
堀井さんの声には、深い魅力がある。
必要最小限の情報を、無線を通じて
パイロットに的確に伝える
「管制官」という仕事。
同じことをコンピュータで伝えるのとは、
まったく意味が違う。
声には、たくさんの情報がやどっている。
お人柄、経験、思い、リズム。
さまざまな仕事や生活の場面における
「声の力」について深く考えさせられる。
そんな収録だった。
NHK総合
2009年2月17日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
「声の力」が伝えるもの
〜 航空管制官・堀井不二夫 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
2月 17, 2009 at 07:12 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (5)
ラグジュアリーライフスタイル国際会議
エンリコ・デュクロット(Enrico Ducrot)と。
ソヌ・シヴダサニ(Sinu Shivdasani)と。
2月 17, 2009 at 07:06 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
永田町のNTTドコモで
「脳と創造性」のお話をさせて
いただく。
となりは首相官邸。
道を渡る風が冷たい。
みんなでチェゴヤで昼食をとる。
電通の佐々木厚さんも。
田谷文彦とコンビニに歩きながら
議論する。
池上高志、田森佳秀、郡司ペギオ幸夫
に電話する。
6月にベルリンで開かれるASSC13の
アブストラクトを書く。
たくさん、次から次へと書く。
学生たちの下書きに、私が手を
入れて仕上げていく。
フジテレビキッズが募集していた
第一回Be 絵本大賞。
入賞作品についてのコメントを撮る。
新宿へ。
作家の椎名誠さんとお話しする。
椎名さんのことは、講演会の中で
必ずといってよいほど触れるので、
なんだか「ネタに使ってすみません」
という思いである。
「ぼくは時々作家の椎名誠に
似ていると言われるんですよ。10年くらい
前も、道で前から歩いてきたおじさんが、
いきなり、あんた! 作家の椎名誠に似ているね!
と言うんです。ファンなので、まんざらでもない
気持ちでいたら、続いて、もっとも、あんたは
ちょっと肥えとるけどって。よけいなお世話だヨ!」
「女の人は思春期になると
鏡を見て化粧をしますけれども、男は鏡を
見るのを潔しとしませんよね。作家の椎名誠さんは、
男子トイレで男が鏡の前に立って髪の毛を
直しているのを見ると殺意を感じると良く
言っています。」
椎名さんと、とりあえずはビールで
乾杯する。
さまざまな話に及ぶ中で、習慣の
話になった。
私は、今でも時間があれば近くの森の
中を走っている。
走るというのは人生において当たり前
のことだと思っていたけれども、よく考えると
たまたまそういう習慣がついていたのである。
小学校の頃から、校庭をぐるぐる回っていたし、
高校、大学、大学院、その後、とずっと
走っていた。
大学院の時は本郷キャンパスを出て
上野公園を走ったし、
イギリスではチェリーヒントンの公園に
向かって走っていた。
だから、走るのは当たり前だと思っているが、
世間ではそうでもないらしい。
というのも、公園や道路を走っている人の
数はあまり多くない。
多くの人にとって、
私のように走るのが習慣だったら、
もっと人があふれるだろう。
走るのは習慣であるが、「筋トレ」
については一向に熱心になったことがない。
つまりは習慣化していないのだ。
ボクはジムでやるマシーン・トレーニング
というのが嫌いである。
椎名さんもそうで、「男は一日一回床と
勝負しろ!」と言われる。
腕立て、腹筋、スクワット。これを200回ずつ
やれば充分である。
椎名さんは、夜、酔っぱらって帰ってきても
必ず200回ずつやるという。
「寝る前に歯を磨かないと気持ちが悪いでしょう。
それと同じですよ。」
椎名さんは、高校の時から柔道をやっていて、
それ以来ずっと「200回ずつ」をやっている。
だから、あのような体型になる。
ぼくは筋トレを習慣化したことがない。
だから「ちょっと肥えとるけど」
になる。
ところが、
二週間くらい前から、人生で何回目かの
「それじゃあ、筋トレでもやってみるか」
というモードになり、ほぼ毎日やっている。
だいたい、60回ずつくらい。
そこで筋肉がへこたれる。
椎名さんの200回にはまだ及ばない。
「そういえば、少し締まってきたようだねえ。」
と椎名さんが目を細めて言った。
「続けることが肝心だよ。うん!」
できるかわからないけれども、
師匠の言葉を信じて、それぞれ
200回できるようになるまで、
続けていこうと思う。
「椎名さん、そういえば、ヒンズースクワットは、
なぜヒンズーって言うんでしょうね。」
「それは、以前からボクも疑問に思っていたんだ
よ。ちょうどいい機会だから、調べてみよう!」
世の中には、いろいろな疑問の糸口がある。
「それじゃあ!」
対談を終えて、椎名さんは風のように去って
いった。
習慣が大事なのは、カラダもアタマも
同じこと。
60回が200回になるような変化が、
様々なところで起こっているのであろう。
2月 17, 2009 at 07:01 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (2)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第52回 未知の贈りもの
サンデー毎日 2009年3月1日号
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/
抜粋
自分の今までの世界観では対処できない何ものかに出会った時に、どのような態度をとるか。頑なに拒絶してしまうのか、それとも、心を開いて受容するか。その魂の態度に、人となりが現れる。
南アフリカ生まれの生物学者ライアル・ワトソン。その著書『未知の贈りもの』は、読む者をインスパイアする力にあふれている。インドネシアの島を調査していたワトソンは、ある夜舟で海に出る。気が付くと、自分たちの下の海が輝いている。発光するイカの群れであった。
この世のものとは思えない美しい光景に圧倒されながら、ワトソンは考える。イカの眼球のレンズは精巧に出来ている。一方、その中枢神経系は貧弱である。映る世界の一部分しか認識できないのになぜ、イカはそれほどまでに立派な目を持っているのか。
ワトソンは思い至る。イカたちは、きっと、自分たちよりもっと大きな何ものかに代わって夜の海のありさまを見ているのだろう。だからこそ、その貧弱な脳に比べて立派すぎる眼球を持っているのであろう。
この夜の海での体験が、ライアル・ワトソンにとっての一つの転機となる。その後『生命潮流』、『スーパーネイチュア』、『風の博物誌』など、数々のベストセラーを著すことになるナチュラリストがここに誕生するのである。
ワトソンの考えたことが、科学的仮説として正しいかどうかということが問題なのではない。ただ一つ確かなのは、夜の海の体験のリアリティ。ワトソンは、それを信じた。未知の何ものかを自らの世界観の中に取り込もうという開かれた感性。全く同じ風景を見て、「ああ、イカが光っているのか」と片付けてしまう人もいるだろう。それでは、出会いの本質は失われてしまう。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
2月 16, 2009 at 06:58 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (0)
大学院生の時に、予備校で講師のアルバイトを
していた。
その古巣の大塚先生が呼んでくださって、
「本校」で講演をした。
いかに受験に向き合うか。
ぼくは思う。受験というものが、もし、
メンバー数が限られた「クラブ」
に入るための技術を競う場ならば、
そんなものは長続きしないだろう。
いったん「クラブ」に入ってしまえば、
あとは油断してしまう。
そういう人は、徐々に輝きを失っていく。
実際、「有名大学」を出ても、
その後どんどん「普通の人」になって
行く例は、枚挙に暇がない。
ぼくは言った。
「受験生よりもぼくの方が
よほど猛勉強しているぞ」
本当に大切なのは、「学ぶ」という
ことに対する情熱を植え付けることである。
そうすれば、今の時代、いくらでも
独学できる。
子どもたちの心に火をつけよ。
自分の心に火をつけよ。
日本の「受験」に対する方法論は、
クラブメンバーになることを唯一の
命題にしているようで、
炎のような向学心を植え付けることには
結局失敗している。
この国の低迷は、そのようなことと
関係しているように思えてならない。
金沢で会った
シックス・センス・リゾート・アンド・スパ
のソヌ・シヴダサニは、今では多くのリゾート
を持ち、環境関係の団体や
イギリスのチャリティーに全歳入の
5%を寄付し、将来はおそらく「サー・ソヌ」
になるだろうと思われる成功者だが、
オックスフォード大学での専攻は英文学
だった。
シェークスピアやカーライルを読んだの
だそうである。
ソヌは、「イギリスの大学はポリテクニーク
ではない」と言っていた。
「大学で学んだことは、いかに議論するか
(how to argue)だけだ」とソヌ。
リゾートを作るためには、現地の政府と
交渉したり、デザイン、システムを考えたり、
採算性を考慮したり、人材の登用に智恵を
しぼったり、さまざまな点において
智恵を巡らせなければならない。
ソヌの言う、how to argueが、そのような場面で
いかに役に立つことか。
日本の大学の受験勉強や、大学で教えられている
学問のあり方を見ていると、how to argue
が教えられているとは、とても思えない。
日本人の知の基盤を、たたき直す必要が
ある。
冷気の底にも、暖かさの種が
感じられるようになってきた。
そこかしこで、梅の花が咲いている。
2月 16, 2009 at 06:44 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (9)
第一回ラグジュアリーライフスタイル国際会議
は、大成功のうちに終わった。
会議の始まり方がよい。
「ラグジュアリー」という時間の過ごし方、
そのようなマーケットがあるということを
知った何人かの人たちが、石川県を輝かせる
方法論として、そのようなものを
つくれないかと思ったのだという。
普遍は、常に具体から始まる。
ぼくは、金沢や能登は何回も
訪れているので、この地域にいかに
宝ものが埋まっているかということを
よく知っている。
会議と、それに関係する動きが
これからも発展していくことを
祈らずにはいられない。
みなさん、お疲れさまでした!
脳にとって、最高のラグジュアリーとは、
深いところからの学びだろう。
ただ知識や技術を得るというだけで
なく、自分という存在が、深いところから
変わっていくという感覚。
シックス・センス・リゾート・アンド・スパ
では、No News No Shoesということで、
到着した瞬間に靴を脱いで袋に
入れてしまうのだという。
「二週間裸足で過ごすことが、
最高のラグジュアリです」と創始者の
ソヌ・シヴダサニ。
会議が終わり、皆で夜の兼六園を
回っている時、暗闇の中でほっとして、
光に照らし出された雪吊りの美しい
曲線を眺めていると、自分が深いところから
変容していくその潮の流れがありありと
わかった。
2月 15, 2009 at 06:30 午前 | Permalink | コメント (18) | トラックバック (2)
日経サイエンス編集部にて、
水村美苗さんと対談。
御著書
『日本語が亡びる時』
で提示された問題をめぐって。
ぼくは、この本は「リトマス試験紙」だと
思う。
水村さんが提示された諸点を、切実に
感じるか否か。
スナップは恥ずかしいとおっしゃるので
思いついて、
水村さんと二人で『日本語が亡びる時』を
持って、その書影を記念写真とした。
水村美苗さんの手(左)と、私の手(右)と。
ぼくは、この素晴らしい本の中で
詳述されている福澤諭吉や
夏目漱石のように、日本語という
運命の切実さを引き受けて
生きていきたい。
むろん、英語での著述も大いにやりたい。
水村美苗さんは、本当に素敵な方だった。
山中温泉へ。
「エコ・ラグジュアリー」を提唱している
イタリアのエンリコ・デュクロット(Enrico Ducrot)、
ニューヨークのユニオン・スクェア・カフェの
シェフ、マイケル・ロマーノ(Michael Romano)、
シックス・センス・リゾート・アンド・スパの
創始者ソヌ・シヴダサニ(Sinu Shivdasani)
など、外国からのゲストと日本側の参加者が
火鉢を囲んで話をした。
「日本一の朝ご飯」で有名なかよう亭。
途中、雨の街に抜けて鹿野雄一さん、
撮影にいらしている文藝春秋の幸脇啓子さん
と杉山秀樹さん、電通の佐々木厚さんが
飲んでいる店に行った。
「ここから帰ると何分くらいですか?」
「10分くらいですよ。」
自信はなかったが、タクシーの辿った
道を記憶で戻った。
かよう亭の灯りが見えるとほっとした。
暗い道を迷うのも、また魂への
ご馳走である。
2月 14, 2009 at 06:54 午前 | Permalink | コメント (19) | トラックバック (5)
明日開かれる
第一回ラグジュアリーライフスタイル国際会議
で対談等をさせていただくために、石川県の
山中温泉へ。
http://www.illf.jp/ja/schedule/
今日の夕食後は海外からのゲストを交えた
ラウンドテーブルをアレンジするなど、
さまざまな役割を担う。
夕食前の束の間の時間を、温泉にも入らずに
ひとり部屋で仕事をする。今やらなければ、
もうできないのだ。
風が強い。外の気配に耳を傾けてひたすら
集中していると、孤独というものがしみ込んで
くる。
それもまた、束の間。
2月 13, 2009 at 06:50 午後 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (0)
佐々木の目にも涙。
プロフェッショナル日記
2009年2月13日
2月 13, 2009 at 09:14 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
東京工業大学すずかけ台
キャンパスにて、
学位審査。
関根崇泰くん、須藤珠水さんが
博士の最終試験にのぞんだ。
博士号をとるということは
大変なことで、ふたりとも
よくがんばった。
もう少ししたら、関根博士と
須藤博士が誕生するだろう。
すずかけ台駅前の「てんてん」
で打ち上げ。
少し気が早いが、「関根博士どうですか?」
とか、「関根博士はどうお考えですか?」
などと聞くと、関根は「えへへ」と照れた
ように笑った。
調子に乗って、関根が、「これでぼくも
博士になったから、茂木さんと対等ですねえ。」
と言って、みんなが笑う。
「なにい!」
と私は一応怒る。そして追い打ちをかける。
「お前、それ、田谷文彦に言ってみろよ」
田谷文彦というのは、私が指導して最初に
学位をとった「一番弟子」であり、
ソニーコンピュータサイエンス研究所における
研究で、彼らの「先輩」に当たる人である。
「いやあ、田谷さんにはこれで対等ですよ、
なんて言えないです。」
「お前なあ、なんでオレには言えて、田谷には
言えないんだよ!」
関根がひょいと首をすくめた。
ふたたび爆笑の渦。
田谷文彦氏
戸嶋真弓さんと、研究の話をする。
戸嶋さんの研究は、本当に面白い
単語の分節化と言語の一般的能力の
間の関係について、日本語と英語といった
言語の違いを超えた普遍性を示している。
戸嶋さん、それにいっしょに解析を
している石川哲朗くん、早く論文に
しようね。
高川華瑠奈さんと都心方面へ。
高川さんは、修士を取得して、春から
プラント建設関係の会社に入る。
「二年間どうだった?」
「楽しかったです。国際会議に行ったのが、
とても良かったです。」
ぼくは、修士の時から、とにかく国際会議
に行けということで、ASSCやSfNへと
つれていった。100の言葉を尽くすよりも、
その方が体感できる。
伝えたかったのは、「学問の自由」。
学問は、組織でやるものではない。肩書きで
進むものではない。
何をやってもいいんだ。論理と、実証と、
そして反証可能性と。科学が満たすべき
基準さえクリアしていれば、あとは何を
やってもいいんだ。
たとえば、プロスワンに統合失調症の
メタファーによる分析の論文が出ていたよね。
ああいう、今までにない斬新なことをやっても
いいんだ。essay-like paperなんてアブストラクトに書いてしまってさ。
論文を出すことが、学問の自由を
実質的に担保する。
そうでないと、人間関係とか、組織の論理とか、
そういったウェットなものに頼ることに
なってしまう。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
ゲストは、航空管制官の堀井不二夫さん。
管制官が、重要な情報を「声」でパイロットに
伝える。
「声」の持つ力について、大いに考えた。
池上高志から電話。
あいかわらず声がいい。
となりに港千尋さんがいらした。
港さんも声がいい。
一日の最後に、いい声の響きに包まれた。
2月 13, 2009 at 07:39 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (3)
中野サンプラザで、NHK出版の小林玉樹さん、
高井健太郎さん、それにノンフィクション作家の
伴田薫さんと本の取材。
中野駅近くの「むし社」
にて、文藝春秋の幸脇啓子さんと杉山秀樹
さんが写真撮影。
ヘラクレスオオカブトを持ったり、蝶の
標本をのぞき込んだりした。
私はむし社の発行している
「月刊むし」
を定期購読している。
養老孟司さんや、池田清彦さんとは
「月刊むし」仲間である。
むし社の小林信之さん、藤田宏さんと
お話する。
むし屋の人口はだんだん減ってきていて、
このままでは伝統が継承されない、
心配だと小林さん。
私が小学生の時から入っていた
日本鱗翅学会でも、会員の高齢化が
進んでいるという。
能動的に生きものに親しまずして、
いくら自然保護を唱えても、それは
絵に描いた餅である。
小林さん、高井さん、伴田さんの
NHK出版組と、幸脇さん、杉山さんの
文藝春秋組で大合同して、そば屋に
入る。
他の人のメニューは異様に
早かったのに、私はてんぷらものに
したためか、なかなか来なかった。
NHK。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の編集室へ。
座間味圭子さん、粟田賢さんが
鋭意編集中。
ちょっとした「陣中見舞い」を
持参する。
「NHK俳句
の収録。
選者は、宮坂静生さん。
アナウンサーの石井かおるさんは、
仙台局にいらした時に、福島局にいた
住吉美紀さんとよくいっしょにご飯を
食べたのだという。
宮坂さんの解説はとても落ち着いて
言葉が吟味されており、さすがであった。
有吉伸人さん、住吉美紀さんと
待ち合わせて、横浜へ。
サッカーワールドカップアジア最終予選、
日本対オーストラリアをNHKの取材ブースから
見る。
キャプテンの中澤佑二さんの背番号は
2番。
セットプレーの時は、ヘディングをねらって
上がっていく。
鉄壁のディフェンス。ドイツワールドカップの
日本戦で、後半登場して2ゴールを決めた
ティム・ケーヒル選手も押さえ込んだ。
後半、ケーヒル選手は決定的なチャンスで
ゴール前で足がもつれた。
中澤さんの守りの効果だろう。
気持ちのよい夜風の中を、新横浜まで
歩く。
駅の近くの店で夕食をとる。
「いやあ、こうして、キャスター二人と
私だけでごはんを食べるなんて、滅多に
ありませんね。」と有吉さん。
来し方行く末。
有吉さんはサッカーフリークで、
代表戦がある日は、家に帰って録画してある
試合を結果を知らないままに見ることを
無上のよろこびとしている。
だから、帰宅途中でスポーツ新聞や
電光ニュースの文字を見ないように、
目を伏せ散らして歩く。
誰かが「日本惜しかったなあ」
とか、「勝って良かったですね」
などと結果を言おうものなら、
「あーっ」と叫んで、耳をふさぐ。
今夜ばかりは、サッカーの試合を見る
ということと、結果を知るということ
が一体となって自然であり付け加えるものも
減じるものもない。
良かったですね、有吉さん。
有吉伸人氏。
2月 12, 2009 at 07:17 午前 | Permalink | コメント (18) | トラックバック (4)
なら国際映画祭プレイベント
『祈りの時代を考える』
2009年3月7日(土)
奈良県文化会館 国際ホール
山折哲雄、茂木健一郎、河瀬直美
2月 11, 2009 at 09:16 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
e-mobileのモデムが壊れて
しまったので、ヨドバシカメラへ。
ぎっしりと詰まったスケジュールだと、
このようなトラブルが生じた時に
本当に困る。
なんとか復旧させる。
明治神宮。文藝春秋の幸脇啓子さん、
杉山秀樹さんと待ち合わせ。
明治神宮の福徳美樹さんもいらっしゃる。
参道の上にできる「光の川」
は本当にうつくしい。
「ここを歩くときは、何を考える
んですか?」と幸脇さん。
「そうですね。やはり、もっとも大切な
こと、クオリアについて考えることが多い
ですね。そうして、何か思いつくと、立ち止まって
ノートに書きます。」
「やはり、思いついたことは書き留めて
おかなければならないのですか?
「書字運動自体に、意味があると思うのです。
1994年2月、クオリアの問題に目覚めた夜は、
電車の中で10頁ノートを書いていました。
今から思うと、あの書字運動自体に、何かを
誘発する作用があったように思います。
ぼくの親友の塩谷賢は、ノートをつけること
自体を目的としているようなところがある。
彼は、ノートに基づいて、論文や本を書く
わけではない。誰かに見せるわけでもない。
ノートに思いを綴る、そのプロセス自体に
意味があるのではないでしょうか。」
杉山さんが、写真をたくさん
撮ってくださった。
ぼくも、幸脇さんと杉山さんの写真を
撮った。
幸脇啓子さんと杉山秀樹さん。明治神宮の光の川にて。
NHK。「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の打ち合わせ。
社会情報番組の部屋に入っていくと、
山口佐知子さん(さっちん)が
「茂木さん、お待ちかねですよ〜」
と言う。
なんだ、なんだと思うと、
なんと、山本隆之さん(タカさん)
だった。
タカさんと言えば、
「プロフェッショナル 仕事の流儀」のデスク
として多くの番組にかかわり、
何かを食べる時に「やる気」を見せる
「タカさんの前傾姿勢」
で多くのファンを魅了した人である。
タカさんが、「プロフェッショナル」
の打ち合わせ室に座っている。
それは、まさにYesterday Once More。
なつかしい思いがよみがえる。
人生とは、いったいどれだけ
「なつかしい」と思えるような地層を
積み重ねるかではないだろうか。
タカさんに会えて、本当にうれしかった。
山本隆之さん。
打ち合わせ開始。
担当は石田涼太郎ディレクター。
航空管制官の堀井不二夫さんの回。
取材ビデオを見ながらナレーションを読む石田涼太郎ディレクターと、住吉美紀さん。
柴田周平さんが、自分の坊主頭を
なでなでする。
きっと、モコモコして気持ちが
いいのだろう。
頭なでなで柴田周平さんと、山口佐知子さん。
カメラを向けると、有吉さんが
ニコリと笑った。
有吉伸人さん。
「エチカの鏡」の収録。
朝倉千代子さん。
タモリさんの話が抜群に面白い。
有吉伸人さんと京都大学時代の
親友、小松純也さんも収録にいらっしゃった。
思考も感性もすべては「運動」である。
ゆっくりとやれば質が高まるという
わけでは必ずしもなく、固有のリズムと
テンポがある。
人生は一瞬一瞬が自分という楽器の
演奏である。
書字運動もまた、一つのメニュエット。
たった一秒の中にも、生命の響きは
うるわしき籠もって、やがてその光が漏れはじめる。
2月 11, 2009 at 08:51 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (3)
プロフェッショナル 仕事の流儀
ロマンに生きても、いいじゃないか
~考古学者・杉山三郎~
考古学は、私たち自身を映す鏡となる。
古の人たちはどのように生きていたか?
どんな世界観を持っていたか。
はるか昔の、遠い話と思っていたことが、
突然その映し絵の中に自分たちの姿が認められて、
はっと真実に気付かされる。
NHK総合
2009年2月10日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
滅びたものはまた次につながっていく
〜 考古学者・杉山三郎 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
2月 10, 2009 at 08:08 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (1)
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
集英社マリソルの4人のキャラクターの
みなさんに脳科学の講義をするという
取材。
4人は、100倍以上の応募者の
中から選ばれたのだという。
福井新聞の取材。ノーベル賞について。
ソニー教育財団主催のシンポジウム。
ソニーが教育助成を始めて50年になり、
それを記念したもの。
出井伸之さんのスピーチ。
東京大学の浅島誠さんの基調講演。
NHKアナウンサーの桜井洋子さん
の司会で、浅島先生、私、佐々木かをりさん、
竹村真一さんでパネル・ディスカッションを
する。
最後に、中鉢良治さんのスピーチ。
自由闊達な、とても面白いシンポジウム
でした。
佐々木さんのブログにも記述があります。
http://www.kaorisasaki.com/archives/51613041.html
再びソニーコンピュータサイエンス研究所へ。
戸嶋真弓さんの研究について、みんなで
議論。
関根崇泰と、ボディ・イメージについて
議論する。
フジテレビ。「カトパン」の収録。
朝倉千代子さんとお話しする。
自動車でぐるぐると妙な空間を
移動していく夢を見た。
目が覚めた瞬間、パチンと切り替わった。
「夢」という文脈は、「現実」という文脈が
闖入すると消える。
更新されるまでは、それまでの状態が
続く。
一つの文脈の中にいる間は、次の文脈が
実感とはならない。ここに、文脈交代の
むずかしさがある。
起きてしばらく、田森佳秀との共同研究の
ことを考えた。
___________
一つの素粒子には、歴史がない。
一つの電子、陽子、中性子には歴史がない。
たとえば、ローマの遺跡を考えてみよう。
巨大なコロッシアムをつくったローマ人たちは、今はもういない。戦闘士たちがライオンと戦ったコロッシアムに着飾った人々が詰め掛けることはもはやなく、石の壁だけが残っている。その石も、表面が大気汚染により腐食し、現代文明の中に残る古代の移籍の存在感を際立たせている。コロッシアムの前に立つとき、私たちは古代ローマから2000年の歴史の流れを感じざるを得ない。
コロッシアムは、歴史を語る証人である。科学は、コロッシアムは、多数の分子から出来上がっていると教えてくれる。そして、古代ローマの時代から、コッロシアムを構成している分子には変化がないと教える。
ここに、一つのパラドックスがある。私たちは、コロッシアムの建設から崩壊までの歴史を考えることができる。だが、遺跡を構成している一つ一つの粒子自体の「歴史」というものを考えることはできないのだ。歴史が、伝統と変化から成り立つとすれば、一つの分子には、そのどちらもない。一つの分子をとってきて、その「時間的経過」、「空間的移動」を考えることには意味がない。他の分子などとの関係を考えたとき、初めて一つの分子の位置は変化しうる。
つまり、歴史は、あるいは歴史が展開する舞台となる時間の経過は、一つ一つの個物ではなく、それらの個物の間の関係性を考えたときに初めて成立するのだ。
私という人間の歴史について考えてみよう。
私はこの世界に生まれ、生き、そして死んでいく。
私の人生は、私という存在の歴史だ。
私は、死ぬことによって私が存在しなくなってしまうことを恐れる。もはや、朝の太陽の輝きや、新しく出版された小説や、友人の冗談に接することができなくなることを恐れる。私という歴史は、私の死とともに終わる。
このような私の死に対する恐れも、生に対する執着も、全て私と言う「システム」を考えたときに初めて成り立つ。
私を構成している電子や、陽子や、中性子にとっては、私の生も死も、何の意味もない。私が死に、私の肉体が朽ちてしまうことは、私や私の周りの人間にとっては一大事だが、私の体を構成している原子や分子にとっては、何の意味もない。
そもそも、私の体を構成している原子や分子は、毎日入れ替わっている。私の肺に迷い込み、呼吸によって私の細胞の中のどこかの分子に結合し、やがて新陳代謝とともに排出されていった酸素にとっては、私というシステムには特別の意味はない。その酸素にととっては、私という個体の歴史は関係ない。
何らかの方法で、コップの中の水の分子に、印をつけたとしよう。あなたは、ある日海辺に行き、印をつけたコップ1杯の水を海にまく。年月が経ち、コップの水は世界中の海に万遍なく混ざり、広がっていく。そのようなある日、あなたが、地球上のどこかの浜辺に行き、コップ1杯の水を汲み取ったとする。なんと、その中には、かってあなたがまいた、印のついた水分子が、十数個は含まれている計算になる。
世界は大きく、分子は小さい。小さな分子が大きな世界にまき散らされたとき、かって様々な関係性の中にからめとられていた分子は、世界中に広がっていく。たとえば、かってクレオパトラの体をつくっていた分子が、あなたの体の中に含まれている可能性は十分にある。もちろん、このことは、クレオパトラとあなたの間に時間を超えたつながりがあることを意味しているのではない。なぜならば、クレオパトラという人間の死によって、クレオパトラという人間の肉体、心を支えていた関係性は解体され、たとえある分子がかってクレオパトラの体の中にあったとしても、現在ではその分子はクレオパトラとはどんな意味でも関係がないからだ。
私は生き、死んでいく。
別の言葉で言えば、私の体をつくっている分子は、私という関係性のネットワークにからめ取られ、しばらくその中で踊り、やがてその関係性から解放されて世界中に散らばっていく。
私が死んで何十億年と経てば、私の体をつくっていた分子は、新しい星の材料になることだろう。だが、そのことは、その超新星の中に私が生きていること、あるいは私の名残が生きていることを意味するのではない。私という関係性は、あくまでも私が死んだ時に消えている。私を体をつくっていた分子は、私とは関係がないのだ。
生きて死ぬ私。それは、私という関係性の歴史でもある。
茂木健一郎「生きて死ぬ私」より
_______________
2月 10, 2009 at 07:58 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (1)
フジテレビ『新報道2001』。
中曽根康弘元首相にお目にかかる。
黒岩祐治さんから、御著書の
『末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父』
をいただいた。
『涙の理由』
を「めざましテレビ」
が取り上げてくださることになり、
そのインタビューを収録。
表参道にて、『涙の理由』をつくって
下さった西山千香子さん、田畑博文さんと
会食。
西山千香子さん、田畑博文さん
ふりかえっても、『涙の理由』は本当に
良い本だなあと思う。
みなさん、読んで下さい!
『コルテオ』の会場にて、
ダニエル・フィンチ・パスカと対談。
ダニエル「舞台で演技をしている時には、
客席に巨大なドラゴンがいるように感じるん
だ。そのドラゴンと同じくらいの大きさに自分
がなって、いっしょに踊る。
究極の目的は、リラックスすること。
舞台の上で、もっともリラックスした人間に
ならなくてはならないんだ。」
神田の三省堂書店にて、
『クオリア立国論』
の刊行記念講演会及びサイン会。
クオリアは、私たちの生命活動の
有機的組成と関連して立ち上がってくるもの
であり、だからこそインターネット上にも
ないし、断片的な知識の積み重ねの中にも
ない。
ご来場いただいた皆様、ありがとう
ございました!
そして、「クオリア立国論」が本として
大きく育っていけますように。
最近のサイン会では、男性には
火山を書くことが多い。
大噴火せよ!
生命活動そのものがいわば「噴火」
であり、エネルギーの奔流である。
それをどのように制御するか。
熱力学的非平衡状態にある
われわれは、その勢いに身をゆだね、
そして漂流していくしかない。
その時、水成論と火成論は一致を
見る。
_____________
小学館『和樂』連載
茂木健一郎「日本のクオリア」第13回
(『和樂』に27回にわたって連載された
「日本のクオリア」は、小学館から単行本として
刊行される予定です)
何事であれ、本質というものは、それぞれの私秘的な内奥に追いやられていて、なかなか伝わらない。世間には誤解や風説が満ちている。物事の大切なエッセンスの、そのまさにど真ん中に向かって外さずに至ることは、大変難しい。
そのような大切なレッスンを学んだのは、伊勢神宮においてだった。内宮を拝して、自分の内側に深くしみわたるかけがえのない体験をした。しかし、そのように私の官能を刺激し、知性の核を動揺させてきたものの本質をとらえた表現を、メディアの中で私はかつて目にしたことがなかった。強いて言えば、西行法師の「何ごとのおはしますかは知らねども かたじかなさに涙こぼるる」という和歌くらいのものである。
伊勢に関する言説は、その多くが、その本質から私の目を逸らすように機能してきた。内宮で、そのように実感した。
自分自身で経験するしか方法はないのだ。私は学び、覚悟した。むろん、時間も手間もかかる。しかし、そのようにしてしか大切なものの本質をつかむことはできないのだから、仕方がない。
茶道もまた同じことだろうとずっと思っていた。千利休が創始した「侘び茶」は、とてつもない強度を持つ一種の精神運動だったに違いない。だからこそ、豊臣秀吉は利休に死を賜らなければならなかった。世俗的な権力の頂点を極めた者にとってさえ扱いかねる強烈な何ものかを、秀吉は千利休のつくり出した宇宙の中に感じ取ってしまった。
秀吉は、怖くて仕方がなかったに違いない。天下をとった自分がどう逆立ちしても敵わない恐るべき何かが、「日ノ本に向かうところ敵なし」となったはずの自分の生涯の最後にして、突如幽霊のように現れたのである。
利休は生きとし生けるものの避けられぬ習いとして鬼籍の人となったが、その伝統は今日に至るまで受け継がれ、日本の文化の中枢に位置している。関心を惹かれないわけがない。それでも、簡単には手を出すまいと思っていたのは、じたばたしても茶の本質はそう簡単にはわかるまいと腹をくくっていたからである。
お茶席やティー・セレモニーというものは何度か経験している。それらは利休の原点と全く無関係というわけではないが、希釈され、変形され、原型をとどめず、現代風にアレンジされてしまっている。一つの固有の味わいではあるが、原点とは異なる何か。そのようなものを幾百度経験したとしても、秀吉を恐れさせた何ものかはつかめまい。
茶に関する本も何冊か読んだ。しかし、知識は所詮それだけのことである。秀吉は、知識を畏怖したのではない。そもそも、人が恐れるものは、手に取ったり、言葉に表したりは容易にできないものに限る。秀吉が魅入られてしまった侘び茶の「精霊」が立ち顕れるのは、よほどの条件が整った時空においてであろう。
そういうことであるならば、「これはいよいよ」という時まで、茶道にかかわる官能に対して、自分の感性のチャネルを全開するのは遠慮しておこう。そのように考えていた。そもそも、すこぶる散文的な私の普段の生活の中に、いかなる精霊でさえも入り込める隙はない。
一度だけ、垣間見たことはある。武者小路千家の千方可さんが、ジェームズ・タレルが設計した「光の館」の広々とした縁側でお茶をたてた。千さんは、家元後嗣なので、伝統に則り「宗屋」と号している。千宗屋さんとして、私たちのために特別にたてて下さった。
お茶は、大変おいしかった。そして何よりも、「融通無碍」の精神が貫かれていた。お湯を出してきたのはポットからである。幾つか由緒ある茶器を持参されていたが、足りなくなったらその場のもので間に合わせる。
不足を引き受け、これがない、あれがないなどと不平を漏らすこともない。それでいて、美意識は凛と立っている。何よりも印象深かったのは、いよいよ「濃茶」を立てる時に至って、突然変貌した千さんの周囲の空気である。現代の弛緩した空気が押しやられて、突然、何か別のものが入ってきた。その感触は忘れがたい。
時は流れた。千さんとはその後も何回かお目にかかったが、気軽にかつ早口で、美術のことなど様々な語り合うばかりで、光の館で垣間見た何かが憑依したかのような横顔を再び拝することはかなわなかった。
ただ、何の気なしに見せる所作に、ふと気配がすることがある。そのような時、光の館で目撃したような感化作用が、日常に紛れ込んできたような気になった。
そうこうしているうちに、ご縁に恵まれ、武者小路の官休庵に招かれることとなった。H女史の仲だちで千宗屋さんがご配慮くださり、千さんの御尊父である第十四代家元、不徹斎宗守さんもご快諾下さり、正式にお稽古をしている人でも、一生に一度あるかないかという官休庵での茶事を体験することに相成ったのである。
蛮勇は時に感性の扉を開く。そう思うしかない。ただありがたいことである。
連客と共に控える「寄付」のひと間で、異化と感化の作用はすでに始まっていた。細い格子から差す陽の光が、ほの暗い室内を照らし出す。
「茶の湯とは 耳につたへ 目に伝え 心に伝へ 一筆も無し」と利休の軸が懸けてある。首を傾げて一生懸命拝見していると、「お詰め」を勤めるH女史が、「こうして扇子を置くのだ。つまりは、結界をなすのである」と教えてくださる。
要するにそんなことも知らずに、正客を務めようというのだから恐ろしい。
庭に出る。若葉と苔が目に美しく沁みる。腰掛にて、連客と談笑しながら、じっくりと観賞する。これから始まることへの心地よい緊張感が、全てを味わい深くさせているように思われる。
お詰めが、耳を澄ませという。なるほど座敷を掃き清める音がしてくる。それから、亭主が水を汲む。見計らって、門のところまで行けという。
無言でつくばい、門の向こうの千宗屋さんと挨拶を交わす。この時点では、客と亭主との間の結界は解かれていない。目を合わせた瞬間から、胸の奥からこんこんとと湧き出てきたものがある。庵にて、亭主とご挨拶する。千さんが、炉の火をのぞき込んでみろという。
「茶席の最初に、このように、共に火を囲むということに、意味があるように思います」と千さん。その赤い炎が、先ほどこんこんと湧いてきたものと反応してじゅうと音を立てた。
その聞こえない音で人心地がついた。若宗匠の声が耳にすうすうと入ってくる。「灰が何よりも大切です。初代からずっと受け継いでいる。ほら、このように細やかです。火事の時は、真っ先に灰を持って出ろと伝えられている。」
炎と、水と、灰と。懸けられた利休居士の今井宗久宛の手紙には、「新茶」の文句がある。青々とした茶だけのことではない。全ての生きとし生けるものの源は、実に炎と水と灰ではないか。
祖堂にて利休居士に参拝焼香し、席を移して懐石をいただく。
鯛昆布締め、あぶらめ、板蕨、若布、花山椒、竹の子木の芽焼、赤貝酢の物。惜春の花筏に至るまで、心尽くしのご馳走を頂いた。
「ここはゆるめていただいて」
千さんがにこやかに言う。それで、かえって心が引き締まる。
いよいよその時が来た。庵に戻り、連客とともに畏まって座す。軸が、利休尺八の花入れに換わっている。
「濃茶を差し上げます」と千宗屋さんが言う。所作をしながら、次第に半眼に入る。手つきは確かにここにありながらも、精神は遠空に遊ぶかのようである。
突然、戦慄が走った。目の前に千利休その人がいる。かつて、百戦錬磨の戦国武将たちを畏怖させた、侘び茶の宗匠の精神が、肉体に受け継がれている。間違いない。
人を斬り、国取りをしてきた猛々しき者たちを、こぢんまりとした庵の中に導き、膝を屈させる。それだけのラジカルな力への志向が、茶の湯の中には元来ある。だからこそ、半眼になる。現世を根底から相対化する眼差しが、危うく息の根を止めんばかりの生命の芯ぎりぎりのところで貫く。
長次郎の赤楽茶碗でいただく。その中に生命も死も全て合わせ濁らせたような、濃密な緑の泥状のもの。それまで頂いた全てのご馳走に対抗し、虚空へとうっちゃってしまうほどの強靱な存在感が、その一椀の中に潜んでいた。
さては、末期の眼だったか。寄付に座して以来、自分の中に次第に高まってきていたものの正体に気付き、私の中で何かが溶け始めた。
ずっと、自分はぎりぎりの縁を歩んで来たのだった。精妙な所作に熟練し、それが半ば無意識化する時、初めて精神は自由を得る。制約を引き受けてこそ、命は輝く。それが生であったか。
利休は掴んでしまったのだろう。掛け替えのない真理が、亭主と客がほの暗い「胎内」に連座し、官能の秘儀に与してこそ受け継がれる。人間という歴史的生命のあり方に未だ見ぬ本質があるような気がして、景色が揺れた。
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2月 9, 2009 at 08:04 午前 | Permalink | コメント (24) | トラックバック (10)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第51回 貴ノ花初優勝
サンデー毎日 2009年2月22日号
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/
抜粋
昭和50年3月場所での貴ノ花の初優勝は、時が経つほどにそのまぶしさが増してくる出来事の一つである。当時、私は小学校6年生だった。卒業を間近に控え、中学校への進学が待っているという移り変わりの時期に、自分が一番好きな力士にようやくの栄冠が訪れたのである。
忘れもしない千秋楽。私はテレビの前にかじりついて見ていた。明治生まれで、大相撲が大好きだった祖父もまだ顕在だった。喜悦の表情を浮かべながらキセルで煙草を吹かすその人の横で、私は画面に釘付けになっていた。
勝てば初優勝が決まったはずの横綱北の湖との対戦で、貴ノ花は敗れる。続く優勝決定戦。「憎らしいほど強い」と言われた北の湖が相手では、もうダメだと思った。テレビ画面を見ている私の胸は、自分がこれから100メートルを全力疾走するかのごとく、高鳴っていたのだろう。
貴ノ花と北の湖が立ち会い前ににらみ合っている間の緊迫と切なさ。割れるような観客の熱狂。いよいよ「時間いっぱい」となった瞬間の心臓がきゅっと縮むような思い。すべてを、まるで昨日のことのように思い出す。
貴ノ花が北の湖を破って優勝を決定したその瞬間。ありとあらゆる方向から座布団が舞った。ちらちらと降るというような騒ぎではない。場内が突然の豪雨に襲われるような、圧倒的な感情の表出だった。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
2月 8, 2009 at 05:34 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
金曜日。
野田聖子内閣府特命担当大臣の発言から
会議が始まる。
「ここに、役所で用意した挨拶がありますが、
自分の言葉でお話したいと思います」
と野田さん。
場の雰囲気が一気に解けた。
日経BP記事
「政府が次期IT戦略の策定作業を開始」
資生堂アートエッグ展、
佐々木加奈子さんの展覧会の
オープニング。
宮永愛子さん、佐々木加奈子さん、
小野耕石さんとお話しする。
朝日カルチャーセンター。
理論宇宙物理学者の小久保英一郎さんと
対談。
決定論、カオス、チョウチョウウオの
話。
面白かった!
打ち上げに、田畑博文さんが
重松清さんとの対談本『涙の理由』
の見本を持ってきて下さった。
この本には、力があると思う!
重松清さん、田畑博文さん、西山千香子さん、
ありがとうございました!
土曜日。
渋谷東武ホテルにて、フジテレビの
西田恒久さん、渡辺奈都子さんと打ち合わせ。
『科学大好き土よう塾』の
収録。
神田愛花アナウンサー、ルー大柴さん。
室山哲也さん、中山エミリさんが司会を
していた頃から、この番組には
ずいぶんと馴染みがある。
残念ながら、今度の3月で終了ということで、
番組として最後の収録の日。
その記念すべき回に呼んでくださり、
本当にありがとうございました。
万感迫る。
お世話になりました!
またどこかでお会いしましょう!
NHK内の編集室へ。
有吉伸人さん、柴田周平さん、
石田涼太郎さん、渦波亜朱佳さんが、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
「航空管制官」の方がゲストの
回を編集している。
編集室の様子
編集の難しいところにきて、
有吉さんが、「ああ、どうしようか」
と机に突っ伏して考えた。
突っ伏して熟考する有吉伸人さん
突っ伏して熟考するのが有吉伸人の
流儀。
隣りの編集室では、座間味圭子さんが
「ホームレス支援」の方がゲストの
回の編集をしていた。
その鬼気迫る仕事への情熱。
「ファブリーズ座間味」
との異名を持つ座間味圭子さん。
この日も、青いウィンドブレーカーを
着て、渾身の編集中であった。
鋭意編集中の座間味圭子さん
放送をお楽しみに!
インターネット上には数多くの情報が
あるが、現時点で不足しているのは
総合性、体系性だろう。
体系性は、生きた有機体によって
のみしか担保されない。
だから、その足跡を記録した書籍は
ひとりの人のいきいきとした
魂の躍動の消息たる点において、
ネットの弱点を補い、相性がいい。
移動しながら、小林秀雄の
『現代思想について』 を聞く。
この人は本当に素敵だ。
闘っている者は巨大である。まっすぐに、
純粋に、愛に殉じている。
たとえば、ユングによる、「三人の娘」の話を
聞いてどう考えるか。
それでその人が測られるな。
因果性や統計性や。
近代科学のドグマとなっているプリンシプルを
一度は理解して経由しなければ、
小林秀雄の視点がなぜそれほどまでに
熱いマグマなのか、理解はできないだろう。
もうすぐ春が来るのかと思うと、ひんやりと
した空気が愛おしい。
2月 8, 2009 at 05:29 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (4)
ここのところ「お守り」として
レクラム文庫を持ち歩いている。
岩波文庫発刊に当たって、
岩波茂雄さんが記した
「読書子に寄す」の中に、
「吾人は範をかのレクラム文庫にとり」
とある。
昨年の今頃は、「これからは全部英語でやるんだ」
と言っていた。
今でも英語でどんどんという気持ちには
かわりがないが、ドイツ語でしか表現できない
ことはあり、レクラム文庫にしかないクオリアが
ある。
むろん、スペイン語でしか表せない
こともある。
たとえば、「真実の瞬間」(La hora de la verdad)
のように。
世界の数千の言語のそれぞれの中に、
熱帯雨林の豊饒がある。
その間でカオス的遍歴を繰り返す。
_________
「真実の瞬間」
スペイン語で、「真実の瞬間」(La hora de la verdad)とは、闘牛の最後に、闘牛士が牛にとどめを刺す時を表す言葉である。そのことは、曖昧には知ってはいたが、実際にその意味をはっきりと認識したのは、セビリアで闘牛場に出かけた時のことだった。
学会の帰りに、セビリアで半日だけ空いた。何も期待せずにぶらぶら出かけたら、その日がたまたま開催だった。もちろんチケットは売り切れていて、会場の周りに、何人かのダフ屋がいた。何回か往復し、人相を評定して、この人なら何とかなるだろうと当たりをつけた。向こうは英語が不自由だが、こちらのスペイン語も形無しである。とは言っても、そのような時に交わす言葉など決まっている。値段を確かめて、それから、「良い席なのか?」と尋ねたら、男は、誇らしげに「プレジデンテ!」と叫んだ。「プレジデンテ!」と言うからには良い席なのだろうと入ってみたら、スタジアムの最後列から3列目だった。
スタジアムの通路は、真っ白で、その上の青空が目に染みた。舞台となるフィールドは赤みを帯びた土だった。4月末の太陽はすでに強く、白い円柱をまばゆく照らしていたが、私の座ったひさしの下の石のベンチは、ひんやりと冷たかった。
闘牛場のように、見せ物としての殺戮のプロセスを経なくても、牛は現代社会において大量に殺されている。牛が殺されること自体に対して、センチメンタルになる権利など、よほどの徹底したベジタリアンでもなければ持ち合わせていない。だから、私の前に座ったアメリカ人のカップルが、闘牛が始まるとすぐに落ち着かなくなり、やがて女が立ち上がり、男がその後を追った時にも、私は決して同情などしなかった。それでも、闘牛士と牛の生の軌跡が、目の前で相手を殺すか殺さないかというのっぴきならぬ形で交錯していることには、それなりの感慨を抱かずにはいられなかった。
闘牛では、全てが儀式化している。トランペットが鳴り、フィールドの中に牛が飛び込むそのタイミングも、騎馬の槍方が牛を追い回し、槍を突き立てるその様式も、プロトコルとして確立している。そのプロトコルが進むに連れて、次第に、闘牛の(そして時には、闘牛士の)死の瞬間が確実に近づいてくる。その瞬間がすでに神によって予告されたものであるかのように感じられる。確かに、その場に居合わせた全員が催眠にかかっていたのかもしれないが、勇気さえもてば、流れを止めることはできそうだった。
私たちの意識は、予め決まった行為の選択肢を、実行するか停止するかを決めることしかできない。選択肢自体は、無意識によって用意されるのだ。自分がある行為をしようとしているということは、脳の中でその行為の準備活動が始まって約一秒後に初めて意識される。意識は、拒否権(ヴィートー)だけを持つのである。
闘牛場を巡るしつらいと歴史が、闘牛士の無意識の中に行為の選択肢を用意させる。その行為の枝分かれの豊饒とダイナミクスに対して、観客は賛美のハンカチを振る。しかし、先に進むこともできるならば、止めることもできるはずである。全てはなかったことにして、牛は放免にし、牧場で平和な余生を送らせる。闘牛士はいたずらに自らの命を危険にさらすことなく、愛する女の元に帰る。別に、文明人面して席を立ってしまったアメリカ人カップルの肩を持つわけではないが、そのような生への転換は確かに可能なのではないか。贔屓の闘牛士の名前を大声で呼ぶスペインのおばさんの隣に座って、私はそのようなことばかり考えていた。
茂木健一郎 『脳のなかの文学』
より。
_____________
2月 7, 2009 at 09:14 午前 | Permalink | コメント (16) | トラックバック (5)
茂木健一郎
『今、ここからすべての場所へ』
(筑摩書房)
発売中。
佐伯剛さんが発行している
雑誌「風の旅人」
に5年間にわたって連載された
旅や人生をめぐるエッセイをまとめた
本です。
『生きて死ぬ私』以来の、
生きることの意味を見つめた随想集です。
表紙を描いて下さったのは、日本画家の
大竹寛子さん。
編集して下さったのは、筑摩書房の伊藤笑子さんです。
___________________
『今、ここからすべての場所へ』 あとがき
旅することが私たちの宿命ならば
佐伯剛さんが訪ねていらした時のことは、よく覚えている。ある日ふらりと研究所にいらして、「新しい雑誌を創るのです」と言われた。
「雑誌の名前は、『風の旅人』といいます。茂木さんも、ぜひ書いてくださいませんか?」
佐伯さんの静かな中にも熱のこもった口調に接して、私の中で知らないうちに何かが動き始めた。
佐伯剛さんは長年旅行社の経営にかかわってきたのだという。アジアやアフリカなど、通常の観光旅行の目的地からさらに「先」にある場所への旅に携わってきたという。それは、すべてが便利で手軽になっていく時代の中で、まさに「旅する」という動詞にふさわしい営みだったのだろう。そのような経験が、佐伯さんに独特の風貌と醸し出す雰囲気を与えていたように記憶する。
「都市の衝動」から「今、ここから全ての場所へ」へと。連載タイトルを替えながら、『風の旅人』と佐伯剛さんにお世話になった。同時期に連載していた作家の保坂和志さんとともに、新宿の飲み屋で佐伯さんやスタッフたちとお酒を酌み交わしたこともある。私の中で、『風の旅人』に連載を持っていた時代は掛け替えのない体験として、心の中に今でもありありとある。
媒体の持つ力というものだろう。『風の旅人』の連載では、毎回、その時々の自分にとって切実なテーマについて、深く掘り下げて書くことができた。その間に浮かび上がってきた私たちの住むこの世界とそれに向き合う私の「認識」というものの感触を、どうしても忘れられないでいる。
「変わり得る」ということは、人生において一番大切なことなのではないか。それは、必ずしも「旅する」ことの中だけにあるとは限らない。しかし「旅」こそが、私たちの魂をざわざわと突き動かすことができることも確かである。松尾芭蕉が書いたように、そもそも人生というもの自体が「旅」なのかもしれない。これらの文章を書きながら、私はずっと旅を続けてきた。
旅することの力学は複雑である。外面が変化するとともに、自分の内面も移ろう。「世界が今までとは違った場所に見えるということがあり得る」ということが、私たちが生きていく上での最良の「恵み」となる。過去の自分が否定され、乗り超えられる。やさしき自己否定の深き喜び。始めた時と終えた時では自分が同じ自身ではなくなるという奇跡に感謝。
何かに出会った時に、どれくらい新しきものを受け入れることができるか? この「受容」のプロセスこそが、変化の階段を上るための鍵となる。心の振れ幅こそが、精神の若さを測るメルクマールとなるとなるのである。
新しい事態に立ち至った時、心が凛と緊張する、あの間合いが好きだ。バリ島の砂浜で驚くほど精巧にできたサンド・キャッスルを見たとき。九州の田舎町で、名も知らぬ食堂に入った夕べ。沖縄の斎場御獄の空気に包まれた午後。イギリスの大学街の煉瓦作りの間をひたすら歩き、孤独がしみ入り、なぜか新宿の雑踏が懐かしくなった夜。アメリカでタクシーに乗っていて突然、自分の身体を支えている地球という巨大な土塊のありさまを実感した瞬間。これらの人生のスナップショットたちすべてが響き合って、私というケシ粒のような存在の変貌のプロセスを祝福してくれた。
それらの時間は、もはや戻ってこない。文字として定着することで、かろうじて想い出すよすがとなる。過去から未来へと、決して戻ってくることのない流れ。意識の神秘も、生命の不思議も、すべて「時」という偉大なるパラドックスの果実である。
旅することが私たちの宿命ならば、その定めを喜んで享受しよう。いつか死ぬまで、変化し続けることが避けられないのならば、運命の暗闇から目を上げて太陽を見つめよう。自分たちの眼自体を陽光としよう。避けられないことから逃げずにむしろ抱きしめる、その魂の姿勢の中に真実があると信じて。
筑摩書房の伊藤笑子さんは、連載を本にするに当たって、大変骨を折って下さった。ここに、心から感謝する。伊藤笑子さんの活字というものへの愛にあふれた仕事がなかったら、この本がこのように美しい形で物象化することはなかったろう。また、東京藝術大学の日本画科博士課程に在籍している大竹寛子さんは、表紙のために素晴らしい絵を寄せて下さった。大竹さん、本当にありがとう。最後に、『風の旅人』における連載の機会を与えて下さった佐伯剛さんに敬意と謝意を表します。
冬の真ん中の、まるで春のような一日に。
茂木健一郎
___________
2月 6, 2009 at 07:31 午前 | Permalink | コメント (11) | トラックバック (3)
水曜日。
日経サイエンス編集部にて、心理学、
とりわけ証言や取り調べ段階における
供述などの、法廷関連の問題がご専門の
高木光太郎さんと対談する。
人間の記憶が、いかに流動的で、
また他者との関係に左右されてしまうものであるか。
個別の脳に記憶が定着されるという
側面だけでなく、「ネットワーク」の中で
刻まれるという属性も考えなければならぬ。
高木光太郎さんと。
新国立劇場で、山崎太郎さん
とワグナーについて対談。
山崎さんとは学生時代からの旧知の
間柄。
山崎さんのお父さんは、東京大学で
物理学を研究された山崎敏光さん。
東京大学理学部物理学科の学生だった
時、山崎先生のミューオンに関する
ゼミを半年間受講した。
山崎太郎さんは、中学生の時から
バイロイトに行っていて、
しかも、プロンプターが
入るスペースから、本番の上演を見たりも
していたのだという。
私自身は、未だにバイロイト音楽祭に
行ったことがない。
山崎太郎さん。
原宿にて、
『コルテオ』のオープニング・
ナイト。
アクロバティックな演出と、人生に
関する深い慈愛に満ちた物語。
今までにない新しいエンタティンメント
だった。
演出家のダニエル・フィンチ・パスカ
と再会。
「大成功だね!」
ダニエルにオメデトウを言った。
ダニエルと。「コルテオ」の初演の後で。
木曜日。
東京工業大学すずかけ台キャンパスにて、
加藤未希さん、高川華瑠奈さん、戸嶋真弓さんの
修士論文発表会。
みんながんばった!
すずかけ台駅前の「てんてん」
にて、てんぷらを食べる。
お疲れさま!
(左から)野澤真一くん、戸嶋真弓さん、石川哲朗くん
(左から)柳川透くん、加藤未希さん、高川華瑠奈さん
関根崇泰くんと、加藤未希さん。
NHK。
有吉伸人さんと、いろいろと打ち合わせ、
お話。
集英社の岸尾昌子さんと打ち合わせ。
組織と個人のことを考える。
組織というものは、社会において
何かを動かすときに大切なものだが、
それに巻き込まれると創造性を支える
個性を失う。
アルベルト・アインシュタインは、
組織的な思考原理について、
激烈なる発言を残している
人。
だからこそ、アインシュタインはあれだけの
独創を成し遂げたのだろう。
一人立つためには、やるべきことを
やり続けなければならない。
たった一本、荒野に立つ樹木。
そこには小鳥もやってくるし、
春になると下に美しい草花も咲き乱れる。
2月 6, 2009 at 06:57 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (2)
朝から夜まで、さまざまなことが
あった一日。
今朝も早い。日記を書く時間が
ないので、明日以降記します。
朝日新聞購読者に月一回配布される
冊子
『暮らしの風』。
「暮らしのクオリア」
(茂木健一郎 文 荒井良二 絵)
が連載中です。
2009年1月号に掲載された
『シラサギの沼』をお届けします。
______
子どもの頃、自転車に乗ることを覚えると、次第に行動範囲が広がっていった。休日になるとサドルにまたがって、随分と遠くまで出かけたものである。
あれは、小学校高学年の頃だったか。家からかなり離れた場所に、素敵な場所を見つけた。田んぼの中に帯状の林が残っていて、その横に寄り添うように小さな沼があったのである。
冬の盛りのことだった。空気の中に立っているだけで、身が引き締まった。林の中に入ると、あちらこちらに白い点がある。見上げると、梢ががさがさという。シラサギたちの寝床があったのである。
これはいい、と教えた友人と連れだって、沼のほとりの木に腰かけて待つ。夕暮れになると、どこからともなくシラサギたちが飛んでくる。最初は点のようにしか見えていなかったのが、次第に群れの輪郭がしっかりとしてきて、やがてそのゆったりとした羽ばたきまでが伝わってくる。
林に降り立つと、シラサギたちは、思い思いの場所に休む。最初はギャーギャーと声を上げているが、それも次第に静かになる。その光景は、いつまで眺めて見ても飽きない、魅力的なものだった。
私の生まれ育った郊外には、まだまだ自然が残っていたが、さすがにシラサギの寝床は少なかった。だからこそ、その場所に出会った時には小躍りした。大地の上に、「ファンタジーの王国」を見いだした思いだったのである。
沼のほとりの木に腰かけて、夕暮れにシラサギたちが帰って来るのを待つ。そんなことを続けていたある日、事件が起こった。静けさを破って、突然銃声が響いた。シラサギたちが一斉に飛び立つ。ぱらぱらと、林の中で音がする。
猟が解禁され、散弾銃でシラサギを撃っていたのである。子どもというものは見境がなくなるもので、ボクも、一緒にいた友人も頭に血が上ってしまった。「シラサギを撃つな」と叫びながら、林の向こうの、銃の音が聞こえてくる場所に向かって石を投げた。次から次へと投げた。
「敵」の姿は見えない。さすがに、銃を持った男たちと顔を合わせる勇気はなかった。何をどうしようと思ったわけではない。ただ、何かをしなければならない気持ちになったのである。
すると、ボクたちと同じくらいの年頃の男の子たちがかけてきて、「父ちゃんに石を投げるな」と叫んだ。どうやら、近くの農家の人たちだったらしい。それで、ボクたちはたまらなくなって、思わず自転車で逃げ出した。
その事件以来、何となく気が引けて、「シラサギの沼」から足が遠ざかってしまった。
何年か経って、もう一度訪れてみた。いつの間にか沼は埋め立てられ、真新しい家々が立っていた。シラサギたちの姿は一羽もなく、ただ、以前と変わらずに林の中を風が吹いていた。日本中が「高度経済成長」という夢を追い続けていた頃のお話である。
茂木健一郎『シラサギの沼』
朝日新聞「暮らしの風」2009年1月号掲載
_________
2月 5, 2009 at 07:00 午前 | Permalink | コメント (19) | トラックバック (3)
講談社の西川浩史さん、ペダルファーブックス
の米津香保里さんと打ち合わせ。
雑誌『キング』に連載していた
「セレンディップの王子」の書籍化の
件について。
西川浩史さん、米津香保里さんと。
部屋には、武者小路実篤の画賛があった。
西川浩史さんと武者小路実篤。
東京會舘。
朝日広告賞の審査会。
林真理子さん、松永真理さん、梶祐輔さん、
嶋村和恵さん、玉村豊男さん、中島祥文さん、
日比野克彦さん、弘兼憲史さん。浅葉克己さん、
眞木準さん。
NHK。『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
「京味」の西健一郎さんがゲストでいらっしゃる
回。
担当ディレクターは、山本出さん。
日本屈指の名店だけに、画面に映る
料理の映像がとても美味しそうで、
おもわず手をぐるぐる回しながら
見てしまった。
ビデオにあわせてナレーションを読む山本出さんと、
住吉美紀さん。
人の表情というものはさまざまな
ことを伝えてくる。
子どもの表情が魅力的なのは、
世界に対するあふれるばかりの好奇心に
満ちているからだろう。
大人になってくると、次第に頑な
になる。
自分の枠はこれでございと決めつけて、
それを人にも押しつけようとする。
そのような人の表情は、子どものそれからは
遠い。
街で見かける子どもたちは、一人残らず、
とてもいい顔をしている。
まだ何者でもない。無力である。
それでも、輝くような目で、このありふれた
世界を眺めている。
別にエライ大人になどならなくていいから、
いつまでも子どものような表情を忘れない
人間でいたい。
「聖徳太子」に似た編集者、
田畑博文さんからメールをいただいた。
田畑さんからの企画書に
心を動かされて「これは受けるしかない!」
と思ってから歳月が流れ、
一冊のすばらしい本が誕生した。
田畑さん、西山さん、そして重松清さん、
本当にありがとう。
From: "田畑博文"
To: "茂木 健一郎様"
Subject: 『涙の理由』が出来上がりました。
Date: Mon, 2 Feb 2009
茂木健一郎様
お世話になっております。
編集者の田畑博文です。
本日、
宝島社の西山さんから、
『涙の理由』の見本が
出来上がった連絡があり、
先程受け取ってまいりました。
いま、
私の机の上には、
茂木健一郎・重松清著『涙の理由』が、
置いてあります。
三年間の涙の抽出作業が、
ようやく一つの美しい結晶となりました。
何度となく眺めては、
全五回の対談の日々を思い返しています。
宝島社から献本の手配もされますが、
万感の御礼を込めまして、
是非、
茂木さんに直接お渡しするお時間を頂戴できますと、
大変に嬉しく存じます。
本日以降、
茂木さんのご都合の宜しい時間・場所を
ご指定いただければ、
お届けに上がりますので、
お申し付けください。
ご多忙の中、
誠に恐縮ですが、
何卒ご検討の程、
宜しくお願い申し上げます。
田畑博文拝
最後の対談が行われた日に。
茂木健一郎、重松清、田畑博文、西山千香子。
2008年3月19日撮影。
2月 4, 2009 at 06:32 午前 | Permalink | コメント (19) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀
森に生きる、山に教わる
~森林再生・湯浅 勲~
湯浅勲さんのお仕事は、森林を再生させること。
仕事の結果が、数十年後、百年後にあらわれる
という息の長い仕事。
都会で仕事をしていた湯浅さんが
森林組合に飛び込んで手がけたのは、
森にかかわる人の心の再生であった。
森を守ることは、それにかかわる
人々を守ること。
人間の心理の機微をつかむその
組織論は、経済状況が悪い今日だからこそ、
注目される。
何かをする時に、心の底から納得
できるかということを指標にするという
湯浅さん。
私たちは、無意識のうちにいかに多くの
情報を得ていることか。
樹木が大地に根ざして大きく育つように、
私たちも無意識という基礎の上に
意識を生み、具体に向き合う。
湯浅さんの森林再生の方法論は、
多くの人にとって「生きるヒント」となる
はずだ。
NHK総合
2009年2月3日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
心のどん底から納得して事に向かう
〜 森林再生・湯浅勲 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
2月 3, 2009 at 07:22 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (5)
新幹線で東京へ。
学生たちと、チェゴヤで昼食を
とるところから。
修士論文の発表練習。
加藤未希さんから。
加藤さんは、洞察による問題解決に
おいて、ヒントの提示がどのような
影響を与えるかを研究してきた。
パワーポイントも過不足なくできて、
とても立派な発表ぶり。
「これは模範だよ!」
と感心する。
発表練習する加藤未希さん
続いて、戸嶋真弓さん、高川華瑠奈さんが
発表練習をした。
ふと見ると、ソファの上で星野英一が
寝転がってコンピュータをやっている。
キーボードを打ちながら、高川が
発表している様子をチラチラ横目で
見ている。
「おい星野、何をやっているんだ?」
と声をかけた。
「背中が痛いんですよ。重い荷物を
持ち上げようとしてひねってしまって。」
器用なやつである。宇宙飛行士のように
重力を無視して、キーボードをパチパチ
やっている。
宇宙飛行士の星野英一くん
薪を背負いながら本を読んで勉強している
二宮金次郎のことを思い出した。
星野英一よ、学問の道をはるか彼方までかけていけ!
丸ビルで、幻冬舎の大島加奈子さんが
アレンジしてくださった取材。
メークアップアーティストの
山本浩未さんと対談。
幻冬舎エデュケーション の
「ボイドキューブ」などの興味深い
品物をいろいろ見せていただく。
三菱ビル。片平秀貴さんが主宰する
丸の内ブランドフォーラムにて
お話させていただく。
久しぶりに片平先生の大きな明るさに
接する。
受難と情熱は英語では同じ「passion」。
受難するからこそ、情熱が
生まれる。
子どもは情熱に満ちている。
生まれ落ちた時、私たちは皆
大変な苦難の中にあるから。
子どもは一人では生きていけない。
誰かにすがらなければ、命をつなげない。
苦難が情熱を育む。情熱がなければ、
苦難をくぐり抜けられない。
ゲーテ『ファウスト』で、
誕生した人造人間ホムンクルスは、
「自然にとっては全宇宙といえども十分ではないの
ですが、人工的なものは閉鎖された空間を必要
とするのです。」と言った。
ホムンクルスはガラス瓶に入ったまま
各地を旅する。
やがて、
ガラテアの美しさにあこがれて
手をのばした時に、ガラス瓶は壊れ、
ホムンクルスは海の中に
投げ出される。
もし君がガラス瓶に入ったホムンクルスならば、
そんなものは破ってしまって偶有性の海に
飛び込め!
なぜボクは、どこでもアジっているのだろう。
2月 3, 2009 at 07:12 午前 | Permalink | コメント (13) | トラックバック (4)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
脳活用法スペシャル 公開収録
観覧者募集!
締め切り迫る! 2月4日(水)までに
ご応募ください!
くわしくは、番組ホームページを
ご覧下さい!
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/200/15493.html
2月 2, 2009 at 06:29 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (3)
サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第50回 母国語の恵みと呪い
サンデー毎日 2009年2月15日号
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/
抜粋
このような状況下で、私たちは日本語を母国語とすることの恵みと呪いを、どのようにとらえれば良いのだろうか。久しぶりに帰郷して見る親の姿に心を動かされるように、一度は母国語離れをしてみて、それから還ってくるしかないのではないか。世間から見ればちっぽけに見えても、親は親である。そう思うしかない。
私自身、かつて英国に留学し、またふだんは科学というグローバリズムの競争の中で英語の世界と取っ組み合う中で、ふと日本語の宇宙に戻ってきた時に改めて気が付くことがある。
それは、日本語の「文字」の多様性と豊饒さ。ヨーロッパの主要言語には、基本的に26種類のアルファベットしかない。ドイツ語の「ウムラウト」、フランス語の「アクサン」のような装飾記号はあるものの、大本としては、少数の表記という「元素」で森羅万象を表している。そのモノカルチャー的な風景に比べて、日本語の表記の、いかに豊饒なことか。
漢字がある。ひらがながある。カタカナがある。もちろんアルファベットも使う。このような日本語の表記の多様性こそは、私たちの母国語の恵みであり、そして呪いなのではないか。この世のさまざまが一筋縄では捉え切れないということを教えてくれる意味では、「恵み」である。一方、教育課程で長い時間をかけて漢字を習得しなければならないように、覚えるのに苦労するという意味では「呪い」である。「恵み」にしろ「呪い」にせよ、そのような母国語の下で生まれたのだから、引き受けるしかない。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
2月 2, 2009 at 06:27 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (0)
集英社の取材で伊香保温泉へ。
近くに榛名湖がある。
小津安二郎の『秋日和』
の中に、榛名湖のシーンが出てくる。
それが印象的で、ついつい近くに
くると思い出す。
ひと目見たいと思うが、
今回も果たせない。
お世話になったのは諧暢楼。
大変心地よい、立派な旅館である。
食事は「茶寮」でいただく。
料理長の新井茂さんは、
地元の食材を大切にされる一方で、
各地から、その時々で
もっともよい素材を取り寄せて、
惜しみなく使う。
つまり、ローカルな「スローフード」
が日本や世界各地の食材と響き合う
わけで、その結果生み出される
おいしさは忘れがたい。
各料理には、あらかじめソムリエが
選んだワインが添えられている。
日本料理では、おそらく初めての
試みだという。
幼い頃に親元を離れた
新井茂さん。たいへんな
苦労をされたが、そのことを
さらりと語られる。
「だからこそ今の自分があるんですよ」
と言われた。
一流店で修業をする中で、
味に対する感覚を磨いていった。
世評に惑わされずに、何が美味しいかを
見きわめるためには、自分自身の心と
対話しなければならない。
新井さんのお人柄に魅せられた。
この方の努力は、きっと結実するに
違いない。
料理長の新井茂さん
新井茂料理長と、二人のスタッフたち。
露天風呂に入っていたら、
山の端に細い月が煌々と輝いていた。
2月 2, 2009 at 06:19 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
風邪気味だったところに、
金曜日の東京大学での授業で
大声を張り上げすぎたらしく、
朝起きたら喉がかれていた。
それでも、『ベストハウス123』
の収録を3本、『世界一受けたい授業』
の収録を1本しなければならない。
『ベストハウス』のうちの二つは、
自分が中心になって話す回。
マイクで音声的には拾えるが、
スタジオの人たちに届かせるのに
苦労した。
しかも喉をセーブしなければならない。
一年に一度くらい来る、苦しい日。
『ベストハウス』の「セレンディピティ」
の回は、小柴昌俊先生のインタビューも
あり、とても充実した回に。
冨田英男さん(トミー)ががんばった。
トミー、お疲れさま!
日本テレビの社屋で、
ディレクターの木村光一さんと
打ち合わせ。
木村さんが、先日私が書いた
ブログのことに触れる。
「茂木さんのブログに私の写真が
載っていたので、うちの嫁が『ぜんぜん
家に帰ってこないと思っていたら、ちゃんと
仕事をしていたのね』と納得してそれから
家庭が円満になりましたよ。ふだん、仕事を
している様子なんて見ないですからね。」
収録が終わったあと、木村さんといっしょに
写真を撮った。
『世界一受けたい授業』の収録後、木村光一ディレクターと。
長い一日が終わった。
世間の様子をつらつら見るに、
脳の成長のためにもっとも大切なことの
一つは、ソクラテスの言う「無知の知」
(awareness of ignorance)
ではないか。
自分は賢いとか、知っていると
思い込んでいる例があまりにも
多すぎる。
方法論にとらわれてしまうということも
ある。
思い起こせば、1994年2月、電車に
乗っている時にクオリアの問題に目覚めた
のは、わが生涯での最大の「無知の知」
であった。
(文藝春秋2009年2月号
特集「わが人生最良の瞬間」の中に、「クオリアへの目覚め」として寄稿しています)
ソクラテスが闘った相手の強大さが
身にしみる冬の夜。
___________
私自身が、クオリアの問題に気が付いたのは、1994年の2月だった。当時、理化学研究所に勤務していた私は、脳の研究を始めて2年が経とうとしていた。私は、研究所から自宅に帰る電車の中で、いつものようにその日に思いついたことをノートに書き記していた。ガタンゴトン、ガタンゴトンという列車の走行音を、私はいつもと同じように意識の縁で聞き流していた。私の立っていた場所は、車両と車両の間の、連結器がある場所の上だったから、走行音は普通より大きく聞こえていたかもしれない。
何がきっかけだったのか、よくわからない。突然、私の心の中で、「ガタンゴトン」という音の質感が、とても生々しく感じ取られた。そして、その質感が、音をの周波数を分析したりといった数量的なアプローチでは全く扱えない「何か」であることを一瞬にして悟ったのである。
それまで、私は、脳というのはいくら複雑であるとはいえ、物理的法則、化学的法則に従って時間発展する物質系であると考えていた。だから、脳を研究するということは、脳という複雑なシステムの性質を研究することだと思っていた。もちろん、意識や心の問題が存在することは知っていた。しかし、何となく、意識や心というものは、例えば「車が走る」という記述が、「車を構成している物質がエンジン・ルームの中で燃料が気化して燃焼し、空間を移動する」という一連の物質的変化を「簡略表現」(shorthand)したものであるように、脳の中の複雑な一連の物質的変化を「簡略表現」したものに過ぎないと思っていた。今は便利だから簡略表現を使っているが、いつかは、具体的な脳内のニューロン活動を通してより詳細で正確な記述にとって変わられる、そのようなものだと思っていたのである。
電車の中で、ガタンゴトンという音の生々しさ自体に気が付くことにより、物理的、化学的にいくら脳を詳細に記述しても、私が現に感じている「赤」という色の生々しさ、それがニューロン活動によって引き起こされているということの驚異自体には、全くたどりつけないということを悟ったことは、それまでの人生で最大の驚きだった。
私は、この体験で、「クオリア」という、私たちの世界観の中に開いた穴の存在に気が付かされたのである。
茂木健一郎(2001年)
『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)より
_________
2月 1, 2009 at 08:57 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (3)
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