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2009/01/25

星と十字架

 先日、ドイツに旅した時、
アイゼナッハの教会の中で、
人名に年号とともに
星印がついているのを見つけた。

 文脈からして、「生年」の
ようである。以前から亡くなった
年は「十字架」で表現することは
知っていたが、星印は初めてみた。

 同行のドイツ人に尋ねると、
やはりそうである。
 
 ひとりの人が生まれたということは、
星の誕生に等しい。
 そんなことを考えていたら、
極寒の中、不思議に魂が
癒された。

 キリストが神の子であるという
命題の裏返しは、
 誰でもキリストと同じように
神の子であるということなのではないか。
 時折そんなことを考える。

 誰がどう考えても、ナザレの
イエスその人は、この宇宙の自然な
プロセスの中に生涯を受けて、
そして閉じた。

 もしその人が神の子だという
のであれば、私たちはみな神の
子でなければならない。

 死は誰にとっても苦しいし、
恐ろしい。
 だとすれば、キリストが十字架に
かけられたのと同じではないか。
 キリストが人類のために
十字架の苦しみを経験された
というのであれば、
 死の床にある人は皆そうなのでは
ないか。

 どんな平凡な人でも、その生誕は
また一つの奇跡なのだとすれば、
それはキリストと同じように、星の
光をもって表現されるべきものなのではないか。

 教会の中で見た星と十字架は、
私たちは一人ひとりが等しくキリスト
であるという、無意識の知識を
表現しているように思えてならない。


「星と十字架」 アイゼナッハの教会にて。


 リチャード・ドーキンスが中心と
なったグループが、
"There's probably no God"
という広告をロンドンの街に
走らせるというニュースに接して、
極寒のドイツでたどり着いた教会の
ことを思い出した。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7681914.stm 

 ドーキンスが大切にする理性的に
考える「自由」を私も断乎支持する。

 同時に、その自由の中に、それを信じる
人々にとっての星と十字架が
含まれていても良いのではないかと
も考える。

 自由は、帰依をもその中に含むのである。
そして、帰依は逸脱への可能性を内在して
いなければならぬ。

 寒い時には、辛いものを食べると
身体がうれしい。
 赤いスープの色を見ただけれも、
生命がカッカと燃え始める。

1月 25, 2009 at 06:30 午前 |

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コメント

私は小さい時に自家中毒を起こすような子どもでした。今でも意識が消えそうになる感覚を覚えています。そこには生き生きとしたクオリアは無かったですね。

茂木さんは本の中でクオリアは朝目覚めて脳にスイッチが入ると顔を出すと言っていました。
スイッチが入るって,脳細胞のネットワークに微弱電流が流れることですか?。機能している全ての脳細胞が興奮したら微弱電流による磁場は出来るのですか?。クオリアと磁場の関係ってありそうですか?。

茂木さんと南方熊楠の対談が実現したら最高におもしろい!・・・・と
空想しています。

投稿: 北方雑魚楠 | 2009/02/03 20:52:46

2009年1月4日は今年の「主の公現」の祝日。東方の三人の(聖書には人数は書いてないそうだが…)博士たちが、黄金、乳香、没薬を持ってイエスさまを拝みに来たことを祈念する日。
この日ミサに参加していた私は、静かな喜びに満ちたこの祝日の雰囲気が好きだな…、とふと思った。すると、内側から温かいものがこみあげてきてあふれ出そうになるので、少々慌ててどんどん膨らむ思いを抑えながら、一生懸命考えてみた。
なぜ?
しばらくして、あーっと思った。
この日は、湯川博士の幼いころの祖母との思い出、幼い秀樹君が作った積み木を拝む祖母の姿とつながっている…。あふれる歓びは、イエス様を拝む博士の姿と、孫の積み木を拝む祖母の姿が気がつかないうちに、私の中でつながったから。

そして、今思うのですが、
茂木さんが、キリストの十字架を人の死の苦しみにつなげたように、人はその誕生において、貢物を持った博士たちが、星に導かれて遠くから拝みに来るほど尊い存在である、と考えられないでしょうか?
幼子とは、その本質的な所で、大人が守り、教え導かなければ生きられない無力な存在とは違うのではないでしょうか?

投稿: masami | 2009/02/03 17:47:30

静かに朽ちない輝く星もあるかもしれないですね!

投稿: 中村蔵人 | 2009/01/26 19:03:21

ドーキンスに関連する茂木さんの言葉から、湯川秀樹博士のラッセルに関する言葉、
「もしも彼が日本か中国に生まれていたら、特に宗教的か反宗教的かの強い傾向を示すことはなかったのではないかと想像する」
を、思い出しました。

以前に、今回の神の子についての茂木さんのつぶやきに通じるおはなしを大好きな神父様からうかがったとき、スキップしたくなるような嬉しさを感じました。

投稿: masami | 2009/01/26 10:27:44

茂木先生お早うございます♪
星と十字架とても感動し、胸に沁みる記事でございました。
どんな平凡な人でもその誕生はまた1つの奇跡なのだとすればキリストと同じように星の光をもって表現されるべきものではないか…この世に生きて死すべきものどもは皆、幸せになる権利があるのですよね。平和ぼけしてしまっていると、ついつい命の尊さ等を忘れがちなのですが、色々な意味で深く考えさせられました。
 
自由は帰依をも含み帰依は逸脱への可能性を内在していなければならぬ…帰依と逸脱難しいのですが、両者は切っても切れぬ関係なのであろうと拝させていただきました。


生命力がかっかと燃え始める…先生の記事から学ばせていただいたニーチェの“太陽のように目を輝かせて立ち上がる”が心に浮かびます。

それでは今週も先生にとって素晴らしい1週間となりますように。\(*⌒∀⌒*)/☆☆☆
感謝を込めて☆☆☆

投稿: wahine | 2009/01/26 7:20:34

おはようごさいます!!

茂木さん
私たち ひとりひとり お星です!

ときに どっかに 流れおち
ときに だれかと ブツカッテ

たまに もやに 隠されて
しっかり輝きを 絶やさずに
いつか 風が ふくときを 待つ。

ときが来れば 輝きをまし
あたりを 照らす

成熟したお星も やがては 朽ちる

宇宙の法則に例外はあるの?

すべてのものは 宇宙にうまれた!

投稿: 光嶋 夏輝 | 2009/01/26 0:36:08

個性があるのか、それとも全て同じなのかを考えました。
ラッセルのパラドックスというのを見てしまったことがあります。
矛盾とは、とりあえず固定されることであり、
それは、言葉になってしまうことなど、法律とか、公式とか、そういう類のことではないでしょうか。
脳の壁ギリギリまでの能力を超えるために、ネットがネットリしていくのは自然だと思います。(印鑑)

投稿: NHK | 2009/01/26 0:02:34

こんばんは。

「星と十字架」写真のフレーム内にある人たちの 
十字架 - 星 = ほとんどが40歳代~50歳代
その生涯の短さにまずショックでした。

>ひとりの人が生まれたということは、星の誕生に等しい。
星が誕生し、輝きのうちにまた新たな星が生まれていく。
☆―――――――・・・
     ☆―――――――・・・
          ☆―――――――・・・
               ☆―――――――・・・

"There's probably no God" の続きは
" Now stop worrying and enjoy your life." なのですね。

>同時に、その自由の中に、それを信じる人々にとっての星と十字架が含まれていても良いのではないかとも考える。
愛につながれば、人は強く存在できると信じたいです。

全ての個別の生に等しく表現される星と十字架。
美とは星や十字架の営々と連なってゆく過程そのものなのでしょうか。
私たちが美しいと感じる星が夜空に浮かぶものだけでないならば、気付かなかったものたちを静かに見つめてみたいと思いました。


寒さの厳しい季節ですが、どうかご自愛ください。
ちなみに私の地元では、週末、急激な気温低下と結構な降雪で、過ごすのがちょっとハードでした(笑)。
っていうわけで、雪国から茂木先生に雪だるまのプレゼントです。
  

投稿: s.kazumi | 2009/01/26 0:01:46

教会の星印。生まれた日の意味なんですね。茂木さんの…ひとりの人が生まれたのは、星の誕生に等しいという言葉。心に深く染み渡ります。
それら奇跡が重なって生まれてきた星(私たち)は無数に存在しているけれど、その中で出会うのも奇跡的な事ですよね。
その奇跡と出会いを大切にして、私たちも新しい命へバトンを渡していきたいと考えています。

投稿: 奏。 | 2009/01/25 21:21:49

四大天使たちが見守る中、イエスキリストは誕生した。私が思うに彼は生命の誕生、愛を教えるため地におりたったんだと思います。飢えの苦しみも知っているはずなのに最後は十字架に張り付けられ死に落ちるなんて酷。死んだら洒落にならないのに…。もし彼が生きていれば教わることがいっぱいあったはずだ。今は聖書となって人々の側にいる。が、真実を伝えることは、決して簡単ではないことも彼は知っていたんだとぉもいます。

投稿: ななし | 2009/01/25 20:00:22

こんにちわ

私も、同じような事を思って、言葉に表した事があります。

「きみは、この宇宙の時間に一光与えている。」
http://blog.goo.ne.jp/tain_2007/e/711fe315c0167acb7feb5447cbb6cb78

「癒しなごみ言葉」
http://blog.goo.ne.jp/tain_2007


勝手に、自分のブログを紹介させていただきます。(^^)

投稿: 宇宙の時間のクオリアby片上泰助(^^) | 2009/01/25 19:17:48

親愛なる茂木様
茂木さんのメッセージ、ズッシリきました。

神の子といえば、先日赤いキリストと言われたチェゲバラの映画を見てきました。
キューバ革命は20世紀の奇跡と言われていますが、ドキュメンタリータッチで淡々とゲバラの戦いをえがいていて、見ている間ずっと感動していました。 ゲバラは確かにイエス様に似ています。

イエス様もローマの圧制からユダヤの民を解放しようとして戦ったのではないでしょうか?それが反逆者として捕らえられ処刑される間に、ユダヤのメシア思想と結びついて神の子になった可能性が考えられます。
イエス様はユダヤの民によって殺されたかのような記述が聖書にはありますが(赦免するのをイエスではなくバラバを選択)それはローマによって改ざんされてる可能性があると思います。
最近では、アフガニスタンにマスードがいました。マスードとゲバラも似ています。
彼らは神の子だったかもしれません。
私達は、どうでしょうか…?難しいなぁ…でも茂木さんの言葉は暖かいデス

投稿: 眠り猫2 | 2009/01/25 19:05:14

こんな私でもはっきりと言える事は…
十月十日、子どもをおなかに抱えた後
この世に命を産み落とす正にその瞬間
「自分の命が新しい生命の長さだけ延びた
そう思った事実。

思いもしなかった言葉が浮かんだ衝撃を
未だ忘れられず戸惑ったりも。
でも心の奥から聞こえてきたその言葉は本当で
私の部分は今、子どもに宿っていて…
 
そうする必須プログラムが体内の何処かに刻まれているとしたら
生命はどんなふうにしても「生を持って」
生き続ける力を持っているハズ。そして何を残していくのか…

知恵であったり、何かの細胞であったり、輪廻?
それとも宝物…?或いは「無」かな

聖書にあるキリストを馬小屋で抱いた母マリアも
その時その瞬間
同じように感じたと思うのです。

一生懸命に生き続ける
最後までそう出来きることが幸せなのかもしれません。
星にも負けない輝きを放つかも

投稿: ukulele mom | 2009/01/25 17:45:47

茂木さん、こんにちは。
今日は、大阪国際女子マラソンの日。
渋井選手が優位な様ですが、どうなるか最後まで
わかりませんねー。

私が住んでいるマンションの直ぐ近くを選手たちが
懸命に走りぬいています。

星と十字架、素敵な印ですね!
誕生と死を表しているとは、また、ひとつ賢くなれました。(笑)

理性的に考える「自由」。
自由の中にそれを信じる人々にとっての「星」と「十字架」が
あってもよくって、自由は帰依をも含み、帰依は逸脱への可能性
を内在していなければならぬ・・・のですか?!
う~ん、茂木さんの夢の世界ねっ!!(笑)もう~~!

赤いスープですか~?!
じゃあ~、トマトたっぷりの「ミネストローネ」をどうぞ!
茂木さん、寒い時よりも暑い時に辛いものは身体に効くはずよ~。
もう~。(笑)
カレーの中に入れるスパイスに「ターメリック」と言うのがある
でしょう?!
あれは、腎臓に良いらしいのです。
だから、暑い時、汗をたくさんかくから、逆に利尿作用を心配して
カレーなどを食するとよいと聞いたことがありますよ~。

いつでも「燃える男!」の茂木さんなのねー。(笑)

渋井さんが今、優勝したみたいです!
素晴らしい!!

では・・・。(*^。^*)

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2009/01/25 14:40:39

人間も、限り無く広い宇宙の構成物と考えると、ひとりの人間の誕生は、まさに星の誕生の如きもので、死は、星の死と同じようなものといえるだろう。

死というものは、また新たな生への前兆ともいえ、誕生の為になくてはならないプロセスのように思える。そのような「信仰」若しくは「帰依」が少なくとも私の中にある。

意識や精神も、死と共に消え行くのだろうか。そうは思えない。これまでの「私」が死んだ時、新しい「私」が地上に生を受ける際に意識や精神も新しく生まれてそこにある。

ただ、これまでの「私」の人生の中で、積み重ねられた記憶は、完全に消滅し、まっさらの白紙になってしまうのだろう。

生前の記憶が消えて、白紙に戻る、ということは、精神・意識というものは、そもそも粘土のようにやわらかで、自由なものなのだと思える。

“理性的な枠”のなかに収まりきれない多くの“逸脱”を含み、許容することが出来る柔軟な自由性を持っているのだと思う。

そしてそれが、生命の自由さに繋がっていっているのだと思う。

「神はおそらくいない」と、理性的に割りきって人間の生と死をとらえることは、人間の生命の存在価値を、極めて狭い範囲でとらえてしまうことに繋がってしまうのではないかと思う。

人間は理性的な考えだけで生きていけない筈だ。人間というものは、理性的な考えかたでは収まりきれない沢山の逸脱を、いつもその内面に抱えているものなのに違いない。

人間が生きていくには、理性的な考えと逸脱を含んだ自由、その両方が如何しても要る。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/01/25 13:32:26

茂木先生初めまして。先生のご著書「脳を活かす仕事術」を拝読させて頂き、先生の考え方に興味を持ち先生のブログを発見しました。今回の「死は誰にとっても苦しいし、恐ろしい。だとすれば、キリストが十字架にかけられたのと同じではないか。キリストが人類のために十字架の苦しみを経験されたというのであれば、死の床にある人は皆そうなのではないか」このような考えの上に各自が自分信ずる信仰に帰依すれば、宗教問題を理由にした血は流されなくなるでしょうね。先生のご著書に出力の大事さが書かれて有りましたので、今回は感じた事を書き込みさせて頂きました。これからは、先生のブログを楽しみ読ませて頂きます、寒さの折風邪などにお気を付け下さい。

投稿: K.Nakayama | 2009/01/25 12:56:17

茂木さん、こんにちは!
高度なお話で、しばらく画面を眺め続けていました。

わたし達の自由、帰依をも含む自由。

茂木さんが言われるように
宇宙から見れば、みんな平等なのだと思います。

平等こそが、すべての自由をも含んでいると考えます。

投稿: 月のひかり | 2009/01/25 11:36:42

茂木健一郎様

朝から涙があふれてきます

先日は、大阪に来てくださりありがとうございました。

「こどもとクラッシック」の講演、

オバマさんのTシャツを見せてくださったこと

登場された人たちをとても大切にされること

観客をとても大切にされること

お話のすべて

『生きる』 という 意味が胸にしみこみました。

心も身体も躍動しました。

今もそうです。

私、日記を新しくして、

『生きる』ことをもっと大事にしようと、記憶を深くしよう!と

意気込み始めています。

茂木健一郎様

生まれてくださってありがとうございます。

茂木健一郎様

様々な活動をしてくださってありがとうございます。

 

きりんのサインありがとうございました。

奈良でお会いできるのを楽しみにしています。

投稿: Yoshiko.T | 2009/01/25 9:56:38

星の光をもって表現する人生に近ずきたいと思いました。

投稿: ふぉれすと | 2009/01/25 7:41:31

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