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2009/01/05

『モナリザ』を草むらの中に

子どもの頃、暇な時に畳の上に寝転がると、
天井の木目が見えてきた。

一つとして同じ模様はない。

何しろ時間はたっぷりあるのだから、
ゆったりと心の中に染みこませた。

あのような時間が人生の中で
結局一番贅沢だった気がしてならない。

最近の家では、生の木材は減ってきた。

白に塗り込められた天井を
見ていても面白くもなんともない。

現代建築は、子どもたちから
寝転がって天井を見上げる至福の時間を
奪っているのだろう。

あるいは、最初からそんな体験が
世の中にあるということを知らないか。

自然の中にいけば様々な形態が
あふれている。

多種多様な植物だけじゃないゾ。

ヘンテコな虫だって、勝手に
視野の中に入ってくるゾ。

それで美術館の「ホワイト・ボックス」
を思いだした。

あれは、つまりは農薬で虫たちを
根絶やしにすることと同じだな。

そうでなければ現代の美術の文脈は
成立しないけれども、作品を
見ているうちにいろいろ奇妙なものが
目の中に飛び込んでくると大いに
迷惑するけれども、美術という
制度の「原罪」もそのあたりにある。

『モナリザ』を草むらの中に置いたら、
どう見えるのだろう。

家庭画報の押鐘さんたちとカラヤンの
話をする。

若々しくて華があって、
ちょっと後ろ暗いところもある。

そんなカラヤンのいた時代に
私は青春を迎えた。

柳川クンの論文が、やっと
終わる。

できあがったpdf fileを見て
ほっとする。

あとは柳川クン、がんばれ。

昔塩谷からもらったメールを一つ見つけた。

From: "Ken Shiotani"
Subject:ふと感じるものの存在感について
Date: Tue, 10 Dec 2002

「クオリアとはなにか」という問いの形で突
き詰めて行くと、どうして
も落ちてしまうのは、「ごちゃごちゃいうな!
とにかくこれじゃわい」という感じなんですね。

個物性と言葉で言ってしまっては届かない/逸れてしまう感じ。

この感じは「深み」ではなく、「表面・おもて」に漂う、
しかし、条件付けしようとする言葉にとっては、ブラック
ホールのような吸収域なのです。

「働き」といってしまうにはあまりにも静かな、
モノといってしまうにはあまりにも儚い、「どこにある」
とはいえず「ここ」としかいえない、それ自身が細い細い
透明な飴細工の組織のような感じ。

それを私は「観て」しまう、それを私は「聴いて」しまう、
それに私は「触って」しまう、
そのときの私はだれ?どのような私なのでしょう?
そのときの「観ている」広がり、「聴いている」流れ、
「触れている」界面は、いかなる場であるのか。

くりかえされることが不可能な、でも何度も私に訪れた
ように思われる、それらのひとつの感じ。


これは極めて抽象的な概念を「見渡して」考えようとするときにも
ついて廻る感じです。
私を構成する物質的・霊的な様々な要素、それらを構成する
更なる要素、それらの限りない階層とその間に自由に結ばれる
関係が、一つにとらわれることに抗って生み出されるひとつの感じ。

そんなものを感じるのです。

塩谷賢

1月 5, 2009 at 07:57 午前 |

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コメント

クオリアのことを考えるのが楽しいです。
「響きあう脳と身体」を購入させて頂き、大いに影響を受けました。
無意識には時間が存在しないとして、
あらゆる時代のメタファー(たとえばセル画)が同時に並列される(重なる)のを感じて、今この瞬間、意識します。
どのセル画にするかは、自分の捉え方しだいだと学びました。
 クオリアは最小単位なのかもしれません。
つまり、今この瞬間において1枚のセル画(重なっているにしても)のみ思考できるのではないでしょうか。

投稿: | 2009/01/09 6:25:43

茂木様

いつも拝読致しております。

塩谷さんの文を読んでメールさせて頂きました。
あまりに美しいので…。

有難うございました。

お礼だけでは足りないのに、「これ」が、深慮な単純さに言葉が逸れて行ってしまう感じです。そこから身を起して言葉にしてからが文章なのに…。

投稿: | 2009/01/07 1:25:44

茂木先生お早うございます♪
私も子供の頃、家の天井を眺めたり、空を眺めてあの雲は〇〇みたいやなあ。。と空想にふけていたのを思い出しました。未だにぼおっとしておりますが。σ(^∀^;)
草むらの中でモナリザが微笑んでいたら風に吹かれて気持ち良さそうです。ゴロンと寝転んでふと見上げた天井にモナリザがいたらそれも素敵なのだなあなんて思うのですが。。
塩谷さんの“ふと感じるものの存在感”フレーズも大変気に入ってしまったのですが、クオリアとはなにか?を突き詰めていくと、「ごちゃごちゃ言うな!とりあえずこれじゃわい」という“感じ”深みではなく表面に漂う…どこにあるとは言えずここにあるとしか言えない細い細い透明な飴細工の組織のような感じ等、とてもインパクトのある記事だと感じさせていただきました。おしら様スゴイお方なのです。ああ、おしら様神社に参拝しなくては♪
それでは、先生本日も良い1日をお過ごし下さいませ。(*^∀^*)ノ☆☆☆

投稿: | 2009/01/06 7:09:25

茂木さん、はじめまして。

眠くなって目をこすると現れる模様を飽きずに見ていた子供の頃。
     脳に近い場所でしょうか・・・・・
私が私を何故か右隣りで見ている時代もありました。

今日「生きて死ぬ私」を読み終えたところです。
次なるステップにお勧めの御著書はなんですか?


黒毛和牛さま

『脳と仮想』はいかがでしょう。

茂木健一郎

投稿: | 2009/01/06 1:55:17

茂木健一郎さま

小樽グランドホテルさまのフロントさまにも

キロロスキー場さまでのシーズンバス
全日本スキー連盟正会員登録証と同じ
高木ひでき
お見せしましたら

キロロスキー場さまのサービスですよ!!

茂木健一郎さま

バスでの無料送迎バス
名前?私の場合は

一切、それも予約は大丈夫
キロロさまからの戻り
運転手さんに
キロロさまより拝領のバス、高木ひでき、お見せしても、見ないで
手書きで高木英樹

茂木健一郎さま
小樽グランドホテルさまでいま
これは偶然のこと
だってコクドはもう会社として無いし
以前、高木英樹さんどこに宿泊?探しても解らなく、札幌の!

お答えした後
目の前の、お部屋、ドアが、朝まで開いていて
私の出入り見えてので
あれ?でしたが
本日、キロロさまで
楽しくスキー、明日も!
まさか、
気のせいでした
本日は斜め前のお部屋がドア開いていて

私の場合、本人、高木英樹と分かった時に偶然
目の前のお部屋のドアが一晩中開いていてで
あれはさすがに
でも、考え過ぎでした
今も小樽グランドホテルさまの斜め前のお部屋が、そういう状態
つまり
偶然、どこでも!
ドアを開けての方が
以前は、そういうことで、なんで目の前のと
でも今、斜め前のお部屋がそれ
つまり偶然だった!
て、簡単なこと

なーんだ、考え過ぎた以前、今は、なーんだ
ドアを開けていたい方と偶然が多いて簡単なことでしたよね

投稿: | 2009/01/05 23:31:20

茂木さんっ

それは、すごくロマンに満ち溢れている!
『モナリザ』が草むらの中に……!!

昨日歩いていたら あったの。
それを通りすぎて行ったら 今度は『ダヴィデ像』が落っこちていた。
そのまた先には壊れかけた庵があって、
入ってみたら
茂木さんと千利休が談話していたわ。
もう、夢のようだった!

――想像の余地が限りなくあります!
茂木さんが こっそり 草むらに置くの。
自然の中に野ざらしにされた美しいものほど
私を誘惑するものはありませんね。

レプリカでいいから、
額縁は高くて豪華なのを、まるで本物のように
無造作に草むらへ飾るの。
ダヴィデ像は倒しておくの。
険しい顔をして天を眺めるはず。
たまに ヘンテコな虫がダヴィデの髪の毛で昼寝して
モナリザより高い額縁の裏で蝶が雨宿り。

そんなことが、あったら素敵!!
いつかやってみたいですね。
何処の草むらが理想的?
もしも本物だったら 一つだけですっごくゴージャス。
草の丈はそれぞれ。
実現したら すごい
でも、実現可能です

柳川君、おめでとうございます!!!!
心からの拍手と笑顔をプレゼント。

今日出会った衝撃的な言葉、
「何事にかけても没我的であること、
愛と友情にかけて最も没我的であること、
それは私の最高の喜びであり
私の格言であり、私の実行であった。
それゆえ、『私がお前を愛したところで、
お前に何のかかわりがあろう』という大胆なことばは
全く私の衷心からの声だった」
by ゲーテ

いつも 愛するもの であるのですが
この言葉に 心臓がぶるぶるしました。

茂木さん、私はでも少し、心が軽くなりました。
知ると誰かに聴いて貰いたくなるものですねー。
静かに分かってくれるだけで嬉しい。
ふんふんふん、うんうんうんと、乗り出して貰っても
とっても嬉しい//

塩谷さん いいですね。
さすが 茂木さんの友人です。
自分なりに理解があるのが好きです。


投稿: | 2009/01/05 22:56:43

はじめまして、「脳を活かす仕事塾」を読んで茂木さんがブログを書いている事を知ってアクセスしてみました。
私も子供の頃、天井には木目があって、足跡などがついていて誰が残した足跡なんだろう?大工さんかな泥棒かな?と空想にひたりながら眠りについていたりしました。
モナリザを草原において眺めるというのも素敵ですね、現実ではできそうにありませんが。そう思うと、肩書きのない絵の好きな人が描く絵は草原にもおけるし、自由に表現できていいのかもしれませんね。
花などを描いてそこに蝶でも止まったら素敵になりませんか。価値はないかもしれませんが。

投稿: | 2009/01/05 22:36:29

茂木さん。おはようございます。
初めてコメントします。茂木さんにサインと握手をして頂いたものです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが大好きで、毎日、モナリザの冊子を眺めています。

数日前にモナリザがノーメイクなことに気がつきました。

幼い頃、母にたずねました。
「お化粧しているお母さんとお化粧していないお母さん、どっちが本当のお母さん?」

小学生で始めてモナリザを見たとき”母に似ている”と思ったことを、
昨日母に話しました。

ノーメイクの母の顔はとても貴重だと思います。

投稿: | 2009/01/05 22:26:46

子どもの頃のお話しです。夜、家の天井を見て、色々な形(オバケとか)に見えるそれらが、怖かった事がありました。茂木さんのお話しのワクワクとはまた違った感じ(クオリア)ですね。
でも、そういった経験から得られる感受性も大人になった時に懐かしく、きっと何処かで役に立つと思います。自然の中で得られる感受性もそうです。
塩谷さんの云う、クオリアを突き詰めてゆけば…ごちゃごちゃ言うな、とにかくコレだ。という事、そうそう!それだと思いました。
クオリアは別々の見方の個物が、一つになろうとする時に感じられるものと…私は考えていますが、どうなのでしょうか。

投稿: | 2009/01/05 22:16:40

こんばんは茂木さん。
そんなことないですよ
私も時々、母方の田舎に帰った時は、畳の上に寝転がって天井を眺めてますよ生の木材なので色んな形に見れて不思議。見慣れているはずなのに、怖いと感じる時もしばしば
木材が減っているのは、悲しいですが仕方ないような気が・・・。

時代の流れは恐いですね。
変わらなくて良いことまで変わっているので悲しくなります。今の時代は、物がありすぎて惑わされそうです大人たちが一生懸命作った世界も逆効果になってるし。それを正そうとまた必死に。それも逆効果?
おばぁちゃんの話を聞いていると昔は良いなって思い知らされます。何にもない時代の中でも、決して失ってはいけないものがあるのだと。教えてくれた。そういうのを今大事にしてゆきたい

話かわります。
私は脳のことについて語れるほど詳しくはありませんが、興味はあります!今度茂木さんの講義があれば行きたいです


投稿: | 2009/01/05 22:10:02

茂木様はじめまして
以前何かで茂木さんがご自分のことを「世間になじめない。浮いたような存在」(もっと知的な表現でいらしたと思いますが・・・)といったようなことをおっしゃっていらした気がします。
クオリア日記を拝見するようになって日が浅いのですが、
毎回こんなに素敵にそして詩的にご自分の内面を
世間に向けて表現なさることができるのはなぜでしょう?
学者さんだから研究結果を発表されるのはお手の物で
素人の私の感想は、ある意味とても失礼なのかもしれません。
(でしたら、すみません)
ただ、日頃自分がもやもやとなんとなく感じていることを
整理し言葉にしてくださる茂木さんはって、私にとって芸術家!です
(本当はもっといい表現方法があるはずですが、今の私にはこれが限界。茂木さんの文章読んで勉強します

投稿: | 2009/01/05 21:51:58

茂木さん
あけましておめでとうございます。
2009年です。新しい一年のはじまりですね。

モナリザ の一語で、大好きな絵のことを久しぶりに考えました。Wattsの「希望」という絵です。何年も前にデパートの美術展にきていたのを見ました。私が覚えているのは、暖かな薄い橙色の、とても大きな、柔らかい絵です。呼吸がきこえるようでした。ほんとに好きな絵です。習作だったのかもしれません。ロンドンのTate Galleryにあると思うのですが、、また見たいです。

投稿: | 2009/01/05 20:53:17

こんにちわ

クオリアを作るのに、一個のニューロンだけでは無理で、複数のニューロンが必要になります。それらがどのようにつながり、クオリアを作っているのかを考えると面白そうです。


茂木さんの、モザリザの話を聞いて、子供の頃、アリを捕まえてきて、透明の虫容器で、アリの巣を作っていたのを、ずっと見ていたのを思い出しました。(^^)

投稿: | 2009/01/05 20:18:23

子供のときからささやかでも良いから“生身の自然”に触れるのって、本当にいいものですね…!

私の自宅マンションのすぐ裏に、過去何代にも亙って我が地元の地主を務めてきた“名士”の持つ広い土地が、ほんの10数年前まであった。

そこは1年中鬱蒼とした木々に覆われ、奥まったあたりに萱葺き屋根の、言ってみれば地方の豪農が住んでいるような家屋敷があった。

春から夏になると、そこからは、ヘンテコな虫たちや、それを追って食料にしている東(アズマ)ヒキガエルや、日本ヤモリなどがよくやってきていた。ヤモリなどは、拙宅の壁にぺタッと貼りついていたし、私が仕事の件で遅れて夜遅くに帰ると、ヒキガエルがよたよた裏庭にやって来ていたりしていた。

それらの姿を垣間見るのが、ささやかなしかし、今思えば掛け替えのない貴い喜びであり、楽しみでもあった。

今思えば、あそこの敷地は、都会ではイマドキ稀な、多種多様な生き物たちの揺り篭だったのだ…。

あの緑が鬱蒼と茂った屋敷の庭一帯が、ひとつの多様な生態系のオアシスだったというわけだ。

その揺り篭が、十数年前、巨大な近代的賃貸マンションに建て替えられ、生き物達がいなくなった。

あの緑濃きオアシスは、コンクリートの函の集合体によって容赦なくつぶされ、生き物達は、何処か遠くへ、去っていってしまった。

あの奇妙奇天烈で、ヘンテコなしかし、愛嬌溢れる生き物たちに、もう二度とあえなくなってしまってから、10年あまりの年月が流れた…。

あれは春だったかな…ある日、雑草だらけの裏庭の土を、ふと手で穿り返していたら、青黒い玉のようなダンゴ虫がゴソゴソ出て来た。いっしょにワラジムシも出てきた。

ヒキガエルとかヤモリとかには遭えなくなっても、土の中の奇妙なものたちは元気で何とか生きているようだ。

町を出歩くと、如何にも小奇麗で、真新しいモダンな家が立ち並んでいる所を通る事がある。

しかし、そこに住む予定の家族は、もし子供達がいるなら果たして、多様で奇妙なものたちがいっぱいいる“生身の自然”を見せてあげるチャンスに巡り合えるのだろうか。

生物界と人間とは、実は深い深い所で“繋がっている”ことを肌身で触れる経験をしないと、人間はドンドンおかしなことに、なるのではないか。

歩きながら、道端の雑草を見ながら、ふっとそんなことを考えたりしています。

投稿: 銀鏡反応 | 2009/01/05 20:17:59

GutenTag 茂木さん

きょうのブログ実にステキです

文句のつけようありません

投稿: | 2009/01/05 18:27:22

茂木健一郎さん

私は趣味で絵を描き始め4年になりますが、まさにホワイト・ボックス状態を繰り返している感じです。勿論私は孤独ではないのかもしれませんが。愛読書→生きて死ぬ私を今日もまた読み返してみようと思います。

投稿: | 2009/01/05 17:01:06

ほんと、自然の中には様々な形態があふれていて、多種多様な植物やヘンテコな虫を前にすると、いったいこれってどうなってるの?って不思議不思議で仕方ありませんね!

投稿: | 2009/01/05 16:56:08

茂木健一郎さま

ふと、疑問が。例えばですが恋愛で二人の人を同時に好きになったとした場合、脳の立場からすると何か違いがあったりするのかと。脳の細胞が全てを決めている訳ですよね。 人間は本当に不思議です!私は人間という自分自身を使いきれていないという訳ですね…

投稿: | 2009/01/05 14:10:07

茂木さん、こんにちは。
大阪は、今日もよいお天気です。

さて、「モナリザ」を草むらの中に?!
これは、どの様なところからきた発想なのでしょう?
茂木さんの「脳」の中へ遊びに行く様な感じですね?!
度重なるおじゃま虫、ヘンテコなコメントをしてしまい
そうですが・・・。(笑)

「モナリザ」を草むらの中に置いたら、それもよいかも
しれませんね。
草むらの中で微笑むモナリザ?!
緑の中の美女・・・争奪戦が起こって大変です!(笑)

カラヤンというと、夫の父を思い出します。
クラシックが大好きで、確か40歳を過ぎてヴァイオリン
を習い、演奏?!していました。
もう少し一緒にいられたら、私もクラシックがもっと好き
になれていたのでしょうけれど・・・。
茂木さんもカラヤンがお好きなのでしょうか?

子供の頃は、寝転がると天井の木目が目に入ってきていましたね。
茂木さんはご存知でしょうか?
例えば6畳のお部屋だと木の縦の棒?ラインが?五本あることを。
だから、天井を見上げて棒が縦に何本あるかで何畳のお部屋なのか
わかるのですね、例外もあるのでしょうけれど。
子供の頃は、そんなことを考えながら天井を見上げていました。

塩谷さんの「クオリア」について・・・そういうものなのですね?!
クオリアを感じるってことは。

私は何だかよくわからないのだけれど、想像をかき立てられるもの
に魅力を感じます。
「これって何?!どういうこと?!」って。(笑)
ある種「イライラ」とした感じがあって、でも自分の中で落ち着き
場所を定めると何ともしれないいい感じに転じているものがある。
アンもそうだったのではないかしら・・・。

心の中に、「お気に入り」の小箱がいっぱいあるのです。(*^。^*)

クオリア、クオリアって、何だかよくわかりませんが・・・。
真面目に茂木さんの本を読まなければ、ヘンテコなコメントしか
出せませんね~。(笑)

おせちも終わり、今日からいつもの日常がスタート。
茂木さんもそうなのでしょうね。

どうぞ、お元気にお過ごしください。

投稿: | 2009/01/05 13:13:05

モギー先生 おはようございます。

モナリザを草むらに置いたら…

完成の美と未完成の美
平面に描かれた奥行きと、奥行きを感受した広がり
変わらないものと変わり続けるもの
ふたつの対話は見たものの中に何を起こすのかなー

無いようで有る、有るようで無い感じ、対極にあるのではなく、含有される認識
無意識と認識を含有する脳がある無意識を認識にスイッチングする瞬間
目の前のモノが伝えるのは認識なら、見えるが意識しないところは、素晴らしい美が隠されていそうで、何も見落とすまいとするのかな

気負い立ってみることより、多分自分ならホゲーっと観賞してしまいそうです。
ただどんなものも、自然には叶わないと思ってます

感じの集合体は、なじまないものの十分条件なら、そこにも選択が行われてるのかな
なら…
有形の輪郭と認識するものが、無形がそこにあることで起こることは計り知れません…

でも…一見無秩序に見える雑多な机に生け花が置かれているような…新鮮な感じに、自分の場合は分類されるような…

感じ

感じ
ニュアンスは曖昧ですけど、そこにあるモノは確か

昨日 息子に、
時空がぶっこわれて、未来過去がぐちゃぐちゃになったら?
という議題をもらい、二人であーだこーだ話しておりました。
「時間」と存在がテーマで、哲学物理で迷います。

果てしないストーリーになりそうです。

では、笑顔でお過ごしください。
ニコニコ!

投稿: | 2009/01/05 10:39:58

脳へ   情報入力   必然的すべての選ばれし経験

                エートス

     コミュニケーション能力に乏しいことを

     今朝 初めて 幸せに思う。

     

投稿: | 2009/01/05 9:52:46

初めまして茂木さんテレビでのご活躍を拝見してぉります。
茂木さんの仰る通り、最近は木造住宅が減って行き、今日の天井を眺めても飽きてしまいます
でも母方の田舎に帰れば何時間でも寝転んで天井を眺めていられます。小学生の頃は、不思議且つ怖かったのに今では面白いと感じています小さい頃の感情と大きくなってからの感情は、変わって行くものなんだなっと思いました。
脳の事については語れるほど詳しくはないのですが…興味はあります。暇があれば茂木さんの講義に足を運びたいと思っています
ある人の言葉
女性は、フィーリングで物を話
男性には、それが出来ない
これも男性と女性の脳の働きの違いなんでしょうか?
人間って不思議ですね。私には、あと二人姉妹がいるのですが…全然仲良くなくて私だけぽつんと仲間外れ(苦笑)私と下の妹は、二卵性なので仕方ないかなって
また、ある人の言葉
血の繋がった兄弟でも赤の他人にもなる
という風に言っていたのを思い出します。つまり自身の意識かな
話かなりややこしくなってしまいましたが…木造の家は素晴らしいその分山も泣いているので、たくさん木を植えて行きましょう
では②
Have a nice day.

投稿: | 2009/01/05 9:48:33

茂木健一郎さま

カラヤン

カリスマ、カラヤン

ナチとの関係、そして戦後すぐに非ナチ化され
ただしコンサートはダメ
しかし、レコード制作は良い

ベルリン・フィルにしても東ドイツの都市にあるベルリン、西と東に分断されていたベルリン
そのベルリン・フィルのシェフにカラヤン

カリスマ、カラヤン
ナチとの関係、それが
もっというと、なんでナチ党員に?その経緯など
茂木健一郎さま
カラヤンのコンサートには私は一度
普門館の
その時
この素晴らしい指揮者のカラヤンが歩んだ軌跡がより一層カリスマ的に
まさに今、そこにいる人物、でしたから

今のカリスマという定義とは明らかにカラヤンのは違います
カラヤンの暗い面
また、それが明らかにされず、が、カリスマ

簡単に履歴が出てくるようでは本当のカリスマではないかと。

カラヤンは間違えなくカリスマ

ちなみに茂木健一郎さま
田園都市線の
私は田園都市線もかすかに、の町田市在住
今、北海道でスキー

普通です私は。

投稿: | 2009/01/05 9:05:28

親愛なる茂木様
おはようございます!今電車です。今日も爽やかな冬の朝ですが夜には雨が降るのでしょうか?
「生きて死ぬ私」拝読いたしました。茂木さんが33歳頃の御著書なんですねぇぇ~感服いたしました。
こういった本は死生学のテキストになると思うので、ぜひ高校生大学生に読んでもらいたいです。今簡単に殺人事件が起きてしまいますが、やっぱり教育で死生学を取り入れて命の大切さやはかなさといった問題に若い頃から向き合うことが大事なんじゃないかと思います。偉そうにいってたら申し訳ありません。m(_ _)m
脳というのは、私にとっては灯台もと暗しでした!
昨日はプールで沢山泳ぎましたが、水のクオリアって何じゃろ~と思いながらユラユラ泳いでました。 あ、もう目的地につくので失礼します。乱文お許し下さい。

投稿: | 2009/01/05 8:24:36

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