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2009/01/31

生粋の野生動物

一冊の本を作るということは、
細かい作業の積み重ね。

ゲラ読みを通して本文を彫啄することは
もちろんだが、そのほかにも
数限りなくやるべきことがある。

タイトルをどうするか。
判型をどうするか。紙質は。
活字の組み方は。頁数は。
定価は。

ちくま書房の伊藤笑子さんが
『今、ここからすべての場所へ』 
の見本を持ってきてくださった。

佐伯剛さんが編集されている
『風の旅人』に5年間にわたって連載された
エッセイをまとめたもの。

私としては、『生きて死ぬ私』以来の、
「生きることの意味」を見つめた本である。

 だからこそ思い入れも深い。
伊藤笑子さんがすばらしい本に
仕上げて下さった。


『今、ここからすべての場所へ』を持つ伊藤笑子さん

巻末に、「キイワードさくいん」が
付せられている。

表紙の絵を描いてくださったのは、
東京芸術大学日本画科博士課程に
在籍中の大竹寛子さん。

展覧会で大竹さんの作品を見た
伊藤笑子さんが、「これだ!」と
決めたのである。

伊藤笑子さんは、『音楽を「考える」』
(5刷、累計2万5000部)、『「脳」整理法』
(15刷、累計11万2000部)、
『生きて死ぬ私』(9刷、累計3万6000部)
の増刷見本も持ってきてくださった。

増田健史(たけちゃんマンセブン)からの
「愛のメッセージ」も添えられている。


増田健史からの「愛のメッセージ」



増田健史氏

伊藤笑子さんが、私がミーティング中で
会えないのではないかと思って書いて下さった
ノートと、たけちゃんのメッセージは
いかに異なることよ!


伊藤笑子さんのメモ

伊藤笑子さんは、本当は「野澤笑子」さん。
私の研究室の博士課程に在学中の野澤真一
くんとめでたく結婚してホヤホヤである。

野澤くんはブログ「フェムトセカンド」
を書いているが、きのうのエントリーには
このようにある。

__________
ゼミ。
遅刻してしまって、チェゴ屋には参加できず。
仕方なく学生スペースにあったカップラーメンを食べた。
今日はNHKの撮影が入っていて、なにやらものものしい雰囲気。
が、茂木さんはいろいろと事務作業があるらしく、CSLの人と話し込んで
肝心のゼミがなかなか始まらない。
(いつものことだけども。)
はじまったと思ったら、1時間もせずに別のミーティングのために、
会議室から出なくてはならなくなって、
学生は別の会議室で続き。
茂木さんはそっちのミーティングへ。
1時間ほどしてまたもとの会議室に戻り、続き。
ほどなくして、チクマのイトウさんがいらっしゃる。
茂木さんは新しい本を受け取る。
端から見ていると茂木さんは悲惨で憐れなほど
様々なinterruptionに追い立てられている。
ときどき
「おっかしいなー、なんで俺の人生こんな風になっちゃったんだろう
 あったまおかしいよなー」
とぼやいている。
ぼやきつつも、大粒の雨のようにキーボードを叩き、
電話を受け、歩き回り、冗談を言っては何かを考えている。
この人は生粋の野生動物だ。

野澤真一 「フェムトセカンド」2009年1月31日のエントリー
______________

野澤の言うように
忙しい一日だった。

電通でミーティング。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

ゼミ。The Brain Club。

学生たちとチェゴヤに行き、
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
堤田健一郎さんと『脳活用法スペシャル』の
実験のアイデアを練る。

ゼミと、研究所内の「General Meeting」
の様子をプロフェッショナルのクルーが
撮影する。

北野宏明さんが経済システムのロバストネスに
ついてトーク。

所眞理雄さんや高安秀樹さんとディスカッション。

高川華瑠奈さん、戸嶋真弓さん
が修士論文の発表予行をする。


修士論文の発表予行をする戸嶋真弓さん


ゼミの様子を撮影するNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のクルー
(photo by Atsushi Sasaki)

堤田さんと打ち合わせながら、
東京大学本郷キャンパスへ。

原島博教授が主催されるオムニバス授業
 メディアコンテンツ特別講義II
でお話させていただく。

約250名の学生たちを前に、
脳科学の話をして、それから原島先生と
対論する。

文藝春秋の幸脇啓子さんと杉山秀樹
さんが写真撮影にいらっしゃる。

終了後、原島先生とお話した。

深く広くそして大きく。

外に出ると、雨が降っていた。

冬の雨としてはずいぶんと足腰強く
降り続けている。

雨の中にいると、包まれて慰撫されるのは
なぜなのだろう。


原島博先生と。東京大学本郷キャンパスにて。
(photo by Atsushi Sasaki)

1月 31, 2009 at 08:03 午前 | | コメント (26) | トラックバック (4)

2009/01/30

オープンシステムサイエンス

ソニーコンピュータサイエンス研究所の
研究を紹介する本が出版されました。

みなさま、ぜひお読みください!

『オープンシステムサイエンス
―原理解明の科学から問題解決の科学へ』

NTT出版
所眞理雄 編著


第一章 オープンシステムサイエンスとはなにか/所眞理雄

第二章 生命的ロバストネス――システムバイオロジーからのアプローチ/北野宏明

第三章 履歴の継承としての生命――エピジェネティックスからのシステムバイオロジー/桜田一洋

第四章 偶有的な脳――動物的適応性と認知的安定性を求めて/茂木健一郎

第五章 セミオティック・ダイナミクス――言語と意味の新たなパラダイム/ルック・スティールス

第六章 リフレクティブ・インタラクション――将来のコンテンツは我々の中にある/フランソア・パシェ

第七章 サイバネティックアースへ――サイボーグ化する地球とその可能性/暦本純一

第八章 全地球的社会情報の観測と制御――無限の複雑さに挑む経済物理学/高安秀樹

第九章 計算情報幾何学――距離の意味を求めて/フランク・ニールセン


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1月 30, 2009 at 03:21 午後 | | コメント (8) | トラックバック (1)

「ブー」と「ブラボー」

 仕事をしながらリヒャルト・ワグナーの
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
のDVDをかけていた。

 たいへん刺激的な演出で、
私の大好きなレクラム文庫 
もたくさんでてきて、大いに
楽しんだが、最後のザックスの
演説が終わって幕が下りると、
「ブー」と「ブラボー」が
交錯した。

 オペラというものは、こうで
なくっちゃいけない。賛成派と反対派
が交錯する。どちらにも共通しているのは、
「芸術を真面目に考えている」ということ。

 演出をしたのは30歳のカトリーナ・ワグナー。
彼女がバイロイト音楽祭の共同ディレクターに
なるということで、これからのバイロイトは
楽しみだ。

 本当に新しいことはブラボーとブーが
交錯するんだから、その汽水域をこそ
すべてのクリエーターは目指さなければ
ならない。
 微温的喝采はきもちが悪い。

 明治神宮の森を抜ける。

 歩いていると、 
 さまざまなことを考える。
 まるで脳の無意識の鍋をぐつぐつと
煮るように。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
 ゲストは考古学者の杉山三郎さん。

 メキシコにある世界遺産の遺跡、
テオティアカンの発掘を30年以上続けてきた
杉山さんのお話。
 
 本当に素晴らしかった。

 収録の様子を、文藝春秋の幸脇啓子さん
たちが撮影する。

 収録後、ラーメンズの小林賢太郎さん
についてのインタビューを受ける。

 外に出ると、フロアディレクターの
宮崎さんがホワイトボードに
絵を描いていた。

 


宮崎さんと「茂木さんインタビュー撮っているよ。」

 宮崎さんとさっちん(山口佐知子さん)
のフロアディレクター・チームは
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を支える最強のタッグである。

 杉山先生と懇談。
 今回の担当は末次徹ディレクターだったけれども、
以前プロフェッショナル班にいて、
 宇都宮健児弁護士の回を担当した古屋敷将司
さんもロケを一部担当した。

 メキシコで「ルチャ・リブレ」の覆面を
買ってきたという古屋敷さん。

 突然仮面を被って現れた。

 ひとしきりミル・マスカラスを演じた後、
ふだんの古屋敷さんに。

 古屋敷さんは、貴乃花親方の若い頃に
似ているので、私はひそかに「貴花田」
と呼んでいる。

 東京の夜。ミル・マスカラスが貴花田
となった。


古屋敷将司さん(ミル・マスカラス)と杉山三郎さん


古屋敷将司さん(貴花田)と杉山三郎さん

 さて今日も、「ブー」と「ブラボー」
の種を探すことにしよう。 

1月 30, 2009 at 07:05 午前 | | コメント (15) | トラックバック (4)

2009/01/29

体型とジャケット

白洲信哉からメール。
____
今六チャンネルみてますが体型とジャケットがあまりにあっていませんよ!
____

じゃかんしいわい!

1月 29, 2009 at 10:49 午前 | | コメント (14) | トラックバック (0)

でぶしお

 大学院生の時に、「ペンというのは
いいものを一つだけ持って大切に使うものだ」
と言われた。

 そんなものかと思ったが、実際には、
すぐにどこかにやってしまう。
 ものを動かしたり、しまったりする
時にぼっとしているらしく、
 そのような「無意識の領域」
の中で行方不明になってしまうのだ。

 今でもそうで、列車の切符などが、
どのポケットに入れたのか、すぐに
わからなくなる。

 それで、ペンについては、お気に入りの
ものをたくさん買って、リュックや机や
いろいろな場所に置いておくことにした。

 そうなると、ランダムウォークで
拡散していっても、ある程度の確率で
探せば見つかるのである。

 大学院生の時の話の続きだが、
気付くと、いつの間にか
ボクがお気に入りのペンを研究室の
みんなが使っていて、おかしかった。
 拡散しているうちに、他の人の
手に次第に落ちていくのだろう。

 時計もそうで、ボクはそもそも
メタルの重いやつが苦手である。
 プラスティックのアームが
軽くていいいというので、ずっと
スウォッチを愛用している。

 外国に行く時に、成田空港で
買う。ふだん買っている暇がないので、
そういう時に求めるのである。

 売り場に立ってぱっと見ると、
だいたい数秒でどれが欲しいかわかる。
 自分の好みの「ストライクゾーン」
があるので、それに入るやつは自然に
目に飛び込んでくる。

 先日、ドイツに行った時も一つ
求めた。

 飛行機に乗ってから、その絵柄の
中の「サーカスの団長」が、
わが畏友、塩谷賢 
に似ていることに気付いた。



「でぶしお時計」

 客観的に見ればどうかわからぬ。
 だが、私の主観で言えば、この時計は
その気づきの瞬間以来「でぶしお時計」
となってしまったのである。

 「でぶしお」というのは「**の塩谷」
という意味で、これは現在「0.13トン」の
わが畏友の姿を見ているうちに、
自然に私の中にうかんでしまった呼称で、
時々本人にも言ってしまうことがある。

 以前からやはり似ているな、と思っているの
が「プリングルズ」のポテトチップスの
パッケージに描かれているおじさん。

 だから、ぼくは、食べる時に、心の中で
「でぶしおチップスいただきます!」
と言っている。


でぶしおチップス。


 集英社の助川夏子さんと取材。

 日本テレビ『世界一受けたい授業』
の竹下美佐さんたちと打ち合わせ。

 『久米宏のテレビってやつは!?』
の収録。
 久米宏さん、八木亜希子さん、綾戸智恵さん、
ケンドーコバヤシさん、勝間和代さん。

 久米さんのお話ぶりを横から
見ていて、「ぴったしカンカン」
を思い出した。

 勝間さんが乗っているという
自転車は、タイヤがとても細かった。

ソニーコンピュータサイエンス研究所

 東京大学名誉教授の板生清先生 とお仲間がいらして、
ディスカッションする。

 板生先生の提唱されるnature interface関連技術の興味深い展開をうかがう。

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の堤田健一郎、粟田賢さんのチームが
来て議論、ロケハン。

 修士論文の締め切りということで、
加藤未希、高川華瑠奈、戸嶋真弓
の三人が必死になって書く。

 関根崇泰と議論をしながら
コンビニに行った。

 お昼をとる暇がなかったので、お腹が
空いている。
 カップラーメンが皆うまそうに見える。

 数種類買って帰った。自分が
食べるのではない。学生たちのストックにと
思って。

 「辛味噌ラーメンというのが良さそうだな」
 「トンコツもいい」

 内田百閒は、「空腹は私の一番好きな状態の
一つである」と言っている。

 ぼくもそれは好きだ。カップラーメンのことを
喋っていても、なんだか言葉に脂が乗って
艶が増すような気がする。

 エラー・ディテクションが学習に
及ぼすメカニズムについて、田谷文彦と
議論した。

 夜道にふと、でぶしおと
McTaggartの時間論について議論したいなあと
思う。

1月 29, 2009 at 06:47 午前 | | コメント (29) | トラックバック (4)

2009/01/28

ベストハウス123 

ベストハウス123

フジテレビ系列
2009年1月28日(水)
21:00〜21:54

番組表 

1月 28, 2009 at 09:06 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

久米宏のテレビってやつは!?

久米宏のテレビってやつは!?
TBS系列
2009年1月28日(水)22:00〜22:54

番組表 

1月 28, 2009 at 08:39 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

無くて七癖

 総務省。
ICTビジョン懇談会。

 隣に座った野村総研の村上輝康さんと
お話する。

 米倉誠一郎さんとお目にかかるのは
先日のセーラ・マリ・カミングスのイベント以来
だった。


 NHK。
 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
打ち合わせ。

 考古学者杉山三郎さんの回。
 担当は、末次徹ディレクター。

 えー、昔から、無くて七癖と申しまして、
どんな人でも、よく観察するとその人
ならではの仕草や口調があるもんですな。

 河瀬大作デスクのクセは、
眼鏡を頭の上にすること。


河瀬大作さん。

 河瀬さんのこの姿を見るたびに、
ぼくは「ど根性ガエル」のひろしを思い出して
しまう。

 柴田周平デスクのクセは、
自分の頭をなでること。

 柴田さんの髪の毛は短い。
 それで、触ると、きっとモコモコ
して気持ちが良いのだと思う。
 だから、打ち合わせをしながら、
ついつい触ってしまう。

 柴田さんの気持ちはとても
わかる。
 ボクもさわってみたい。


頭なでなで柴田周平さん

 有吉伸人チーフプロデューサー
のクセは、打ち合わせをしながら
 「半眼に入る」こと。


半眼に入る有吉伸人さん

 決して、眠っているわけではない。

 目を半ば閉じて、うつつとまぼろしの
間をさ迷いながら、様々な想念を練り上げる
のである。
 
 天才肌の有吉さんならではである。

 住吉美紀さん(すみきち)のクセは、
ペン回し。
 とてもうまい。
 
 今回は残念ながらその瞬間を
とらえることができなかったので、
 かわりに、取材ビデオを
見ている住吉美紀さんの写真を
お送りします。


末次徹ディレクターと住吉美紀さん。

 中国に取材に行っているという
カメラマンの
 原田人さんからメールをいただいた。


原田人さん。『奇跡のりんご』の木村秋則さんの畑で。

 原田さんの文章が、ぼくはとても好きだ。
 原田さん、取材大変でしょうが、
どうぞお気を付けて。

From: harada
To: kenmogi
Subject: NHK原田です。明けましておめでたうございます。

茂木健一郎さま

たいへん遅くればせながら、明けましておめでたうございます。
一月も末に、失禮致します。

まいにちのクオリア日記、旅先にて愉しく拝見させて戴いてをります。
なかでも、中歐紀行では、以前Bauhausを訪ねたときの晩秋の森の匂ひを、
「生活帖」では、小学校の冬の朝、教室がスチーム暖房で暖まつてゆくときの
埃つぽいやうな匂ひと、窓に差してくる朝陽の色とを思ひ出しながら読みました。
併し、冬のドイツとはいへ、零下十度を下まはるとは尋常でない寒さですね。
青森の山間部でも積雪は2メートルを越えますが、
日中にそこまで冷えることはそれ程ないやうです。
大寒の旅、お疲れさまでございました。


私のこんどの旅では、寒さを離れて中國は廣洲にきてをります。
香港の少し北にあたり、気温は摂氏10度から28度。
氣温計の水銀柱は日によつて昇降しますが、
この季節で凍えないのは、廣い中國大陸でもこのあたりだけだとききました。

ご存知の通り、中国では農暦の正月・春節を前に、
数億人の人々が一斉に故郷を目指す大移動が、毎年のやうに行はれるのですが、
今囘はその膨大な量の人々を無事に故郷へとどける鐵道の驛を舞臺に
「春運」を支える人々を取材してゐます。

東京の朝のラツシユのやうに人を詰め込んだ儘、長途數千里の大陸をかけつづける大編成の客車が、
昼夜を措かずに内陸に向けて發つてゆくのを驛の歩廊で見送つて、
はぢめはただその人間の量に驚き、身動きもできない車内では、
座席に著けずに、立つた儘で一昼夜以上を旅する人もあるなどと、
想像を絶するやうな道中の苦難に驚くばかりでした。

ところが、列車で帰郷する人びとにきいてみると、
この大都市へ出稼ぎにきてゐる人びとは、年に一度、故郷へかへつて家族にあふ爲だけに、
日頃の苦勞を耐えて生きてゐるのだから、切符がなかなか入手できなくても、
家路にどんな困難があらうとも、そんなものはぜんぜん平ちやらなのだと
みな口々に云ふのです。

中国の人たちの、故郷へ寄せるつよい想ひを知ると、
その帰郷の喜びを満載にして流れてゆく客車の窓明かりが
とても暖かに見えるやうになりました。

匂ひといへば、さいきん中国の街は、以前のやうな獨特の匂ひが薄れてきてゐるやうに感じます。
石炭や薪の煙の匂ひはなくなつて、ただ自働車の排氣によつて空氣が濁つてゐます。
それでも、毎日大量の帰省客を運び続けてゐる旧型の客車には匂ひが染み付いてゐました。
それは、人の汗や煙草や食べものや、それらのものが混ざつた、
愉快ではないがさう不快でもない匂ひです。
ホームに入つてきたばかりの空の客車に、その匂ひだけが詰まつてゐて、
車内には既に生命が一杯のやうで、圧倒されました。

昨日が春節・元日でした。
人びとをそれぞれの故郷へ返してしまつた街は、東京の正月のやうにがらんとしてゐます。

またまた長々と乱文を失禮致しました。

近いうちにお仕事をご一緒させて戴ける機会があると嬉しいです。

本年も何卒宜しくお願ひ申し上げます。

原田人

1月 28, 2009 at 08:35 午前 | | コメント (18) | トラックバック (3)

2009/01/27

村松謙一さん

村松謙一さん

プロフェッショナル日記
2009年1月27日

1月 27, 2009 at 09:38 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

プロフェッショナル  村松謙一

プロフェッショナル 仕事の流儀
アンコール

どん底の会社よ、よみがえれ

~弁護士・村松謙一~

村松謙一さんのお仕事を、経済情勢が
窮迫している今だからこそ、
もう一度振り返りたい。

お金は大切だが、だからといって
それゆえに生活が破壊されるのは
許されない。

ましてや、命を絶つなどという
ことがあってはならない。

会社再建のために奔走する
村松さんの仕事の背後には、
人間に対する深い愛と、命のかけがえの
なさに対して十分な考慮を払わない
社会に対する強い怒りがある。

スタジオでお話した、村松さんの
温かいお人柄が忘れられない。

村松さんが再建の手助けをした親子の、
「その後」を追加取材で報告する。

NHK総合
2009年1月27日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

1月 27, 2009 at 07:57 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

「無記」が大切なのは

東京に帰る。

上野の国立博物館の法隆寺宝物館で、
黛まどかさんと対談。


黛まどかさんと(photo by Atsushi Sasaki)

庭を歩くと、霜柱があった。

子どもの頃、学校に行く途中などに
あるとうれしくて、しきりに踏んで
感触を楽しんだっけ。

チェゴヤで昼食をとる。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。


文藝春秋の幸脇啓子さんが、写真撮影の
ためにいらっしゃる。

Journal Clubは、田辺史子さんが
Rasch, B. et al. (2007) Odor cues during slow-wave sleep prompt declarative memory consolidation. Science 315, 1426-1429.
を紹介。

高川華瑠奈さんが修士論文の
内容を紹介し、皆で議論する。

田谷文彦と歩きながらもろもろのことを
話す。

新宿のスタジオアルタへ。

フジテレビの朝倉千代子さん、
ダイナマイトリボリューションカンパニーの
冨田英男さん、荒井かおりさんと
打ち合わせ。

夜道を歩きながら考える。

釈迦は、「この世界はなぜあるのか」
「人は死後どこにいくのか」「魂はあるのか」
といった大きな問いに対して、「無記」を
貫いた。

人生で本質的なこと、とりわけ、自らの
行動原理にかかわることについて
「無記」が大切なのは、
言葉に表すことでかえって
「動き」が止まってしまうから。

言葉で「こうだ」と決めつけてしまうことは、
うごめく生命体をスケッチするよう
なもの。

「スナップショット」はもとの実体のなにがしかを
表現しているとは言いながら、生命体
そのものではない。

自らの生を駆動するエネルギーの有機体は、
言葉で表現してそれで尽きて満足できるような
ものではないはずだ。

京都に行くとき、新幹線の中から富士山が
大きく見えたのが、印象の中にきわだって
残る。

あの雄大な山容の下では、今でも
マグマが鳴動しているのであろう。

1月 27, 2009 at 07:49 午前 | | コメント (18) | トラックバック (1)

2009/01/26

プロフェッショナル 観覧者募集!

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
脳活用法スペシャル 公開収録
観覧者募集!

くわしくは、番組ホームページを
ご覧下さい!

http://www.nhk.or.jp/professional-blog/200/15493.html 

1月 26, 2009 at 08:06 午後 | | コメント (6) | トラックバック (0)

そんなに毛玉だらけのは

 京都へ。
 書画修復のスペシャリスト、
岡墨光堂
の岡泰央さんにお目にかかる。

 以前『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演いただいた、鈴木裕さん
にもお目にかかることができた。

日経BPオンライン 鈴木裕さん記事

同行した白洲信哉は口が悪い。

人のセーターを見て、
「そんなに毛玉だらけのは着るな!」
「一緒に歩いていて恥ずかしい」
とニヤニヤしながら言う。

確かに、今シーズンは私は一つの
セーターしか着ておらず、それは
毛玉だらけである。

「暇な時に、こうやって取るのが面白い
んだよ!」とやって見せると、
「そういうのは、毛玉取りで一気に
やるんだ!」という。

「裏側には、もっとあるんだよ。」
とセーターをめくって見せたら、
信哉はハハハと笑った。

1月 26, 2009 at 09:20 午前 | | コメント (23) | トラックバック (1)

2009/01/25

『クオリア立国論』講演&サイン会

 茂木健一郎
 『クオリア立国論』(ウェッジ刊)
 出版記念講演 & サイン会

 日時:2009年2月8日(日) 14時〜
 詳細は、以下の三省堂サイトをご覧ください 

http://www.books-sanseido.co.jp/blog/jinbocho/2009/01/28-1.html
 

1月 25, 2009 at 09:03 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

ルターからバッハへ

サンデー毎日連載

茂木健一郎 歴史エッセイ

『文明の星時間』 第49回 ルターからバッハへ

サンデー毎日 2009年2月8日号

抜粋

 なぜ、バッハはあれほどまでに見事に神の栄光を音楽にすることができたのか? 生きるとは、二度と繰り返すことのない時間の流れのこと。かの地に赴いて、バッハの信仰の背景にあった具体的な事情に思い至り、歴史の中の「魂のリレー」の機微に改めて目を開かせられた。
 アイゼナハ郊外のヴァルトブルク城を訪れた時のこと。ワグナーのオペラ『タンホイザー』の舞台である古城の一角に、歴史上あまりにも有名な小部屋を見いだした。宗教改革の立役者、マルティン・ルターが迫害を逃れて一年あまりを隠れ住んだ場所。ここで、ルターは新約聖書をドイツ語訳した。この一冊の翻訳書が、その後のドイツ語の発展に影響を与え、宗教改革の起爆剤となったのである。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

1月 25, 2009 at 06:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

星と十字架

 先日、ドイツに旅した時、
アイゼナッハの教会の中で、
人名に年号とともに
星印がついているのを見つけた。

 文脈からして、「生年」の
ようである。以前から亡くなった
年は「十字架」で表現することは
知っていたが、星印は初めてみた。

 同行のドイツ人に尋ねると、
やはりそうである。
 
 ひとりの人が生まれたということは、
星の誕生に等しい。
 そんなことを考えていたら、
極寒の中、不思議に魂が
癒された。

 キリストが神の子であるという
命題の裏返しは、
 誰でもキリストと同じように
神の子であるということなのではないか。
 時折そんなことを考える。

 誰がどう考えても、ナザレの
イエスその人は、この宇宙の自然な
プロセスの中に生涯を受けて、
そして閉じた。

 もしその人が神の子だという
のであれば、私たちはみな神の
子でなければならない。

 死は誰にとっても苦しいし、
恐ろしい。
 だとすれば、キリストが十字架に
かけられたのと同じではないか。
 キリストが人類のために
十字架の苦しみを経験された
というのであれば、
 死の床にある人は皆そうなのでは
ないか。

 どんな平凡な人でも、その生誕は
また一つの奇跡なのだとすれば、
それはキリストと同じように、星の
光をもって表現されるべきものなのではないか。

 教会の中で見た星と十字架は、
私たちは一人ひとりが等しくキリスト
であるという、無意識の知識を
表現しているように思えてならない。


「星と十字架」 アイゼナッハの教会にて。


 リチャード・ドーキンスが中心と
なったグループが、
"There's probably no God"
という広告をロンドンの街に
走らせるというニュースに接して、
極寒のドイツでたどり着いた教会の
ことを思い出した。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7681914.stm 

 ドーキンスが大切にする理性的に
考える「自由」を私も断乎支持する。

 同時に、その自由の中に、それを信じる
人々にとっての星と十字架が
含まれていても良いのではないかと
も考える。

 自由は、帰依をもその中に含むのである。
そして、帰依は逸脱への可能性を内在して
いなければならぬ。

 寒い時には、辛いものを食べると
身体がうれしい。
 赤いスープの色を見ただけれも、
生命がカッカと燃え始める。

1月 25, 2009 at 06:30 午前 | | コメント (19) | トラックバック (5)

2009/01/24

粉もんの真髄

竹内薫 は、私の大学時代からの親友である。

竹内が、時折大阪の朝日放送の
「ムーブ!」に出ていることは
聞いていたが、私もうかがうことに。

司会の堀江政生さん、関根友実さん
それにゲストの方々とお話しする。

デイレクターの木戸崇之さんが、いろいろと
親切にして下さった。

堀江さんとは引き続き大阪市主催の
「こどもとクラシック」で共演。

第一部では、小学校3年生の福田廉之介くんが
見事なヴァイオリンを披露し、
小川理子さんが即興演奏で会場を
湧かせた。

第二部では、私と堀江さんが、福田くんや
会場の皆さんとやりとりしながら
音楽について考えた。

とても楽しい会でした。企画の木田好子さん、
ありがとうございました!

打ち上げで、堀江さんが懇意の
「粉もんの店」に行く。

四方山話で盛り上がった。

東京には、本当の「お好み焼」がないと
いう。
店があっても、土台が出来ていないから、
関西の人にとってはあれは「お好み焼」
ではないのだという。

それを聞いて私は考え込んだ。子どもの頃から、
お好み焼屋さんには時折行っていた。
まぜて自分で焼く。おいしいと思う。
しかし、あれは、本当の味ではなかった
のだろうか。

関西では、すでに焼いてもってきて
くれるところが多い。

「最近は東京でもおいしいお好み焼が
増えてきた」という。

ぼくにはどうも「粉もんの真髄」が
わかってはいないようだ。

今ではお好み焼にビールはつきものだが、
飲まずに食べていた未成年の時代、
「粉もん」は、世界全体をそれだけで
引き受けてくれていたように思う。

1月 24, 2009 at 09:31 午前 | | コメント (18) | トラックバック (2)

2009/01/23

ムーブ!

ムーブ!

朝日放送系列
2009年1月23日(金)
15:49〜17:54

(16:25頃から約20分程度)

詳細 

1月 23, 2009 at 02:48 午後 | | コメント (5) | トラックバック (2)

脳というミステリー

 IKEA主催のイベントで、
睡眠の意味についてお話する。

 三笠書房の能井聡子さん、
押鐘冨士雄会長、長澤義文編集次長と
昼食をとりながらお話しする。

 ノンフィクション作家の伴田薫さん、NHK
出版の高井健太郎さんと、
『プロフェショナル 仕事の流儀』の
ゲストたちに取材し、生き方、働き方に
ついて考える。

 伊藤正男先生の「傘寿」(八十歳)
のお祝いの会。

 伊藤先生はご夫妻でいらっしゃる。

 となりに座った津本忠治先生と
神経科学のことをいろいろとお話しする。
 外国語学習におけるクリティカル・ピリオド
の問題など。

 伊藤先生は、とてもお元気そうで、
脳科学という学問の未来について、思いを
めぐらせていらっしゃるようだった。

 「これまでの20年間、私たちは
さまざまなことを達成して来ました。
 それは、達成すべきことでしたし、
達成できたことは良かったと思います。
 これからの10年間で何を成し遂げる
べきか、これがとても難しい。
 脳というミステリーにどのように挑むか、
興味深い、しかし大変な課題です。」

伊藤正男先生の言葉が、胸に響く。


お祝いの会での、伊藤正男先生ご夫妻。
奥に田中啓治さん。

予定に追われながら歩く都会。
街中のビルで、緑の葉が芽生えているのを
見つけた。

壁の片隅の、本当に小さな空間から
飛び出した生命の印。

兆しというものはこのようなもの
なのだろう。

たとえ、それが時間や空間の限定の
中にあるとしても、
この小さな「希望」の未来に、幸あれと思う。

1月 23, 2009 at 07:57 午前 | | コメント (26) | トラックバック (3)

2009/01/22

チェンジ

オバマ大統領はさっそく就任初日から
政策実行を開始した。

イラクからの撤退の準備検討作業を
指示するとともに、キューバの
グァンタナモ収容所の閉鎖へ向けての
プロセスを始める。

「チェンジ」がこれからどのように
実体化していくのか、
清新な思想が行動へと変換されて
いくそのプロセスが楽しみである。

中学生や高校生の頃、私は
「チェンジ」が好きで、
よく自分で勝手に「明日からはこうする!」
と宣言して実行していた。

三日坊主で終わることも多かったけれども、
「これから何かが変わっていく!」
という感覚は、私たちを独特な
時間の中に投げ込む。

たとえ、「バブル型」の
一時的に上がって下がるタイムコースを
辿ったとしても、人も国家も、
時には「チェンジ」の奔流の中に
投げ込まれた方がよい。

そうすることで、
世界に対する「目垢」が落ちるのだ。

日経サイエンス編集部にて、
進化生物学がご専門の
三中信宏さんと対談する。


「日経サイエンス」購読


三中さんは博覧強記。

生物がどのように進化してきたかの
道筋を辿る「系統学」と、どのような
種類に分かれているかという「分類学」
は別の問題であり、後者は人間の認知カテゴリ化
に依存すると強靱なロジックで
語られる。

「系統」に関するものならば、
何でも興味を持って集めてしまうの
ですと三中さんは言う。

限定60部しか刷られていないという
ダーウィンの家系図を持参下さった。

私のケンブリッジ時代の恩師、
ホラス・バーローの名前もそこにある。

何だか、私の親友、塩谷賢に雰囲気が
似ているし、疾走するような話し方も、
心地よく響くし、何かと親近感を覚えてしまう
三中さん。

三中さん、また進化学会でお会いしましょう!



三中信宏さんと。


ダーウィンの家系図にあった恩師Horace Basil Barlowの名前。

東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。

修士の構想発表会。

高野委未さんが、「人間のコミュニケーションに
おける報酬としての相互作用」
というタイトルで発表。

高野さんが正しく認識しているように、
人との相互作用は、食べものや飲み物
と同じように、社会的動物としての
人間の生存に不可欠である。

問題は、ここから、無限に
広がっていく。

中村清彦先生から、貴重なアドヴァイスを
いただいた。


構想発表をする高野委未さん(1)


構想発表をする高野委未さん(2)


学生たちの居室に、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』ディレクターの
の堤田健一郎さん、粟田賢さんが
いらっしゃる。

3月収録の「脳活用法スペシャル」
で行う実験のアイデアについてのブレスト。

須藤珠水さんがいろいろと仕切って
下さる。

箆伊智充、関根崇泰が、「発想」という
ナイアガラの滝を降らせた。


(左から)須藤珠水さん、粟田賢さん、堤田健一郎さん、箆伊智充クン。


アイデアをとうとうと述べる関根崇泰クン。


みなの議論を聞きながら作業をする高川華瑠奈さんと石川哲朗クン

「チェンジ」と言えば、「三重まわし」。


___________

十一月二十二日(金曜)天気 晴れ
三重回し成功
今日、学校で、帰り、ちょっと練習したら、なわが、片足だけに通ったので、ひょっとしたら、今日、ねん願の三じゅう回しが、できるんじゃないかと思いました。そのあと、村田君と、いっしょに、公園で、練習しました。5、6回やっているうちに、いよいよ、できそうになってきました。よりやるぞと思って、思いきり、飛び上がり、手を、速く回しました。ドスンと、しりもちをつきましたが、なわは、みごとに、通っていました。成功です。そのあと、続いて、村田君も成功、二人で、飛び上がって、よころびました。練習を始めてから、7日めでした。でもまだ連続はむりです。

十一月二十三日(土曜)天気 くもり
たん生会
今日、12時から、渡辺君のたん生会に行きました。午前中、いくら三じゅう回しをやっても、一回しかできず、連続ができないので、いいかげんいやになっていました。いくともう大たいの人がいました。まず、みんなで、ケーキや、おかしを食べました。種村君が、コーラと、スプライトと、ファンタのグレープ、オレンジ、アップルを全部まぜて、みんなにのませたので、わらってしまいました。そのあと、二階で、ゲームをしました。すこし、頭がつかれたので、こんどは、カセットにふきこんであそびました。布目君の、太い声や、種村君のワオーというこえが、おもしろくて、みんなで笑いました。とても楽しい会でした。

十一月二十四日(日曜)天気 晴れ
三じゅう回し、連続成功
今日、朝起きると、さっそく、三じゅう回しの、連続の練習をしました。去日、あそびすぎて、体じゅうが、いたかったので、まさか、できるとは、思っていませんでした。連続ができないのは、飛んだあとすわってしまうからと、わかっていましたが、ふつうのフォームで飛ぶと、三じゅう回しができないので、どうしょうもありません。でも、やっているうちに、どんどん、足を、伸しても、平気なようになって、とうとう、五回だけ、連続ができました。まだまだ、成功率は、約1/10だし、練習をして、二十回〜五十回までは、やりたいと思います。


茂木健一郎『生活帳』(小学校6年)

_______________

1月 22, 2009 at 08:50 午前 | | コメント (25) | トラックバック (3)

2009/01/21

誰もが不可能だと思っていたことが

 バラック・オバマ氏が
アメリカ大統領に就任した。

 あれほど弁舌巧みなオバマ氏が、
宣誓の言葉を発するのを
詰まってしまったのは、
 さすがに緊張していたの
だろうか。

 続く演説はさすがだった。
 よどみなく、言葉を連ねる。
 歴史が刻まれた。

 オバマ大統領、おめでとう!

 アメリカは動いた。
 今度は、日本の番だ。

______________
サンデー毎日連載
茂木健一郎 「文明の星時間」
第41回 典型的な地球人(全文)

 バラック・オバマ氏がアメリカ大統領選に勝利して、第44代大統領になることが決まった。
 アフリカ系アメリカ人としての初の快挙。「私には夢がある」という名演説で多くの人に勇気を与え、ノーベル平和賞を受けたマーティン・ルサー・キング牧師が公民権運動のさ中に凶弾に倒れたのが1968年。それから40年経って、アメリカ社会において少数派だった人たちの夢が、ついに実現した。
 いや、そうではない。少数派の夢が、国民を統合する普遍的な夢へと昇華されたのだ。
 リーマンブラザーズの破綻に始まる経済危機など、超大国アメリカの地位を揺るがすような事態が続く中、久しぶりの明るいニュース。世界に夢や希望を与える国としての、アメリカの真骨頂が発揮された。バラック・オバマ氏が大統領に選出されたその瞬間。アメリカという国の歴史における、一つの「文明の星時間」だったと言えるだろう。
 オバマ氏当選の報に接し、私の胸の中で、ある一つの思い出がよみがえった。
 あれは二十年余り前。大学生だった私は、「日米学生会議」に参加した。日米の学生が相互に訪問しあってさまざまなことを議論する会合。首相をつとめた宮澤喜一さんもかつてメンバーだった。私たちの年は日本側がアメリカを訪問する番で、訪米に向けて準備を重ねた。
 到着した地はシカゴ。初日の夜、日米双方の「演し物」があった。日本側の代表は、半年前から何回も会合を開いて、綿密にプログラムを用意していた。一方、アメリカはあまりにも国が広すぎて、事前の準備ができない。電子メールもなかった時代。私たちが到着する一日前に集合して、いわば「即興」で用意を済ませたのだという。
 それにもかかわらず、さすがはエンタティンメント大国。アメリカ側のパフォーマンスは素晴らしかった。特に印象深かったのが、「私は典型的なアメリカ人です」という演し物。一人ひとりが皆の前に歩み出て、自己紹介をする。そして、最後に「私は典型的なアメリカ人です」と付け加えるのである。
 「私の母はボストンの片田舎で生まれました。父は、サンフランシスコの海の近くで生まれました。私は典型的なアメリカ人です。」
 「私の両親は、それぞれニューオリンズとヒューストンで生まれたイタリア人でした。二人は、シカゴで出会いました。私は典型的なアメリカ人です。」
 「私の父は台湾からアメリカ合衆国に移民し、母はテキサスで育ちました。二人は、結婚してフロリダに住みました。私は典型的なアメリカ人です。」 
 一人ひとりのバックグラウンドは、全く異なる。それにもかかわらず、誰もが「典型的なアメリカ人」。アメリカという移民国家の多様性の豊かさを、参加者の自己紹介を兼ねて提示する。会議初日の夜の見事なプレゼンテーションであった。今でも鮮明に覚えているのは、よほど心を動かされたからだろう。
 「私の父は、ケニアの小さな村に生まれました。トタン屋根の粗末な小屋の中の学校に通いながら苦学して奨学金を得て、アメリカに留学しました。留学先で、母に会いました。母はカンザス州生まれで、彼女の父親は、大恐慌時代には油田や農場で働いていました。私は、典型的なアメリカ人です。」
 オバマ氏の経歴を、日米学生会議におけるプレゼンテーションにならって表現すれば、こうなるだろうか。誰でも「典型的なアメリカ人」。どんな背景の人でも、努力さえすれば、アメリカ合衆国大統領になることができる。それは長い間一つの理念に過ぎなかったが、実際にそのようなことが可能であると私たちは知った。アメリカ建国の理想は生きていた。
 オバマ氏が注目を浴びたのは、2004年の民主党大会。大統領候補のジョン・ケリー氏の応援演説に立った当時、オバマ氏は国政においてはほとんど無名の存在。上院議員にさえなっていなかった。
 「私は次の真理を自明なものと認める。全ての人間は、平等に創られている。どんな人でも、決して否定されることのない権利をもっている。すなわち、生命、自由、そして幸福追求の自由である。」
 1776年のアメリカ独立宣言の一節。自分の生い立ちから語り起こした後で、トマス・ジェファーソンの言葉を引用したオバマ氏の姿に、多くの人がアメリカという国の建国以来の理想を重ねたのだろう。
 それからわずか4年後。オバマ氏は大統領選挙に勝利した。誰もが不可能だと思っていたことが実現する。それまで知られていなかった人間が、年功序列でも談合でもなく、ただ理念の卓越だけによって上り詰めることができる。東洋のどこかの国とは何から何までも違う。
 人間の社会にすぐに理想が実現するのならば苦労はない。現実には、必ず醜い側面や、思うに任せぬ摩擦がある。だからといって、理想を抱くことを忘れてしまってはいけない。生きるということは、つまりは現実と理想のせめぎ合いである。文明の星時間は、現実と理想のおしあいへしあいのうちに、束の間の調和として降臨する。
 高揚はやがて冷める。オバマ氏の前途は多難だろう。しかし、それで良い。受難こそが、情熱の母なのだから。
 「私は典型的なアメリカ人です。」
 遠いあの日、私の心にさざ波を立てた言葉の背後にあった骨太の思想に、歳月の流れの中で再会した。そして今、私たち一人ひとりが、「典型的な地球人」としてそれぞれの個性ある生を過ごす。そんな未来を夢見ている。


(「文明の星時間」の第1回〜第41回は、
3月発売の単行本『偉人たちの脳 ー文明の星時間ー』(仮題)に収録される予定です。)

________

1月 21, 2009 at 09:02 午前 | | コメント (26) | トラックバック (5)

2009/01/20

プロフェッショナル  藤田浩毅

プロフェッショナル 仕事の流儀

まぐろ一徹、意地を張れ

~まぐろ仲買人・藤田浩毅~

藤田浩毅さんの人生は、決して順風では
なかった。

さまざまな困難がありながら、
とにかく「いつかは自分はマグロを扱う」
という初志だけは変えなかった。

一度決めてしまえば、その目標に
関していえば、あくまでも無骨に
「同じこと」を貫く。

藤田さんの生き方を自分の人生と
共鳴させる。

NHK総合
2009年1月20日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
たった一言から人生を変える力
〜 まぐろ仲買人・藤田浩毅 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

1月 20, 2009 at 09:57 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

西洋絵画の巨匠

小学館
週刊『西洋絵画の巨匠』
全50巻

連載 
高階秀爾
茂木健一郎
結城昌子

2009年1月20日 創刊号『ゴッホ』発売

http://www.shogakukan.co.jp/w_seiyoukaiga/

1月 20, 2009 at 09:49 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

あのノートを読んだ後だからなあ

ソニーコンピュータサイエンス研究所

脳科学研究グループの会合
The Brain Club。

 箆伊智充が、
Arzy et al. (2008) Self in Time: Imagined Self-Location Influences Neural Activity Related to Mental Time Travel. J. Neurosci. 28, 6502-6507.
を紹介。

私は、
Lightman, A. & Gingerich, O. (1992) When Do Anomalies Begin? Science 255, 690-695.

Oxley et al. (2008) Political attitudes vary with physiological traits. Science 321, 1667-1670.
を紹介。

関根崇泰が
Harbaugh et al. (2007) Neural responses to taxation and voluntary giving reveal motives for charitable donations. Science 316, 1622-1625.
を紹介。

田谷文彦と、データについて議論する。

内閣府の方との打ち合わせを終えて
戻ってくると、関根がホワイトボードに
数式をたくさん書き付けて何やら
弁じていた。

腕組みしてしばらく聞く。

関根教授、おもしろい講義でした!


講義をする関根崇泰クン。

朝日カルチャーセンター。

劇作家の野田秀樹さんとの対談。

野田さんは、一見どんなに
シリアスに見える劇でも、必ず
「なんちゃって」というベロを出す
のだという。

「ベロを出さないままに終わるのは
まずい」と野田さん。

飛びながらせりふを言う。

「軽さには、それを裏付ける鍛錬がなければ
ならない」。

思うに、ベロを出すとは、ニーチェの
『ツァラトゥーストラはかく語りき』
で喉の奥に噛みついた蛇を噛み切って
立ち上がる男と同じことだろう。

Der Hirt aber biss, wie mein Schrei ihm rieth; er biss mit gutem
Bisse! Weit weg spie er den Kopf der Schlange -: und sprang empor. -

Nicht mehr Hirt, nicht mehr Mensch, - ein Verwandelter, ein
Umleuchteter, welcher _lachte_! Niemals noch auf Erden lachte je ein
Mensch, wie _er_ lachte!

---Also sprach Zarathustra---

打ち上げに塩谷賢がくる。

塩谷のノートを、野田秀樹さんが
熱心に読んだ。


野田秀樹さん、塩谷賢のノートを読む。

塩谷が「一つ質問があるんですけれども」
と言うと、野田さんが笑って
「あのノートを読んだ後だからなあ」
と応えた。

野田さんが帰られた後、塩谷は
「いやあ、野田秀樹という人はいいねえ」
と言った。

「なぜ、あんなにストレートでいられるんだろう。」

塩谷の長い髪が、うねうねくねくねと揺れた。


野田秀樹さん、塩谷賢と。

1月 20, 2009 at 09:43 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2009/01/19

文明の星時間 春の小川

サンデー毎日連載
茂木健一郎 歴史エッセイ
『文明の星時間』 第48回 春の小川

サンデー毎日 2009年2月1日号

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

抜粋

 年末も押し詰まったある夜のこと。キャスターをしているNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録後の打ち上げに向かっていた。西口玄関から出て暗い道を歩く大通りから一本入ったところにある、自転車と人しか通らない細い道。私が大好きな、ほっと一息つける小径。
 この下には川が流れているんだろうな。歩みの中にふとそう思った。都市化に伴って、治水上の必要から三面がコンクリートで固められる。生活排水などが流れ込み、泡立つどぶ川となる。やがて、上に蓋をして暗渠となる。人々が行き交う道ができる。
 東京のそこかしこに似たような暗渠がある。ジョギングをする時に通るのが好きで、走りながらいろいろと探し回るから次々に見つける。かつての川の流れから、その土地の風情を想像する。
 この道もまた、かつては川をなして流れていたのだろう。車の音が途切れたタイミングで耳を澄ます。路面の下からかすかに、サーと水が流れる音が聞こえてくるような気がした。
 番組のゲストは、もうすでに道の先にある店にいるはずだった。一緒に歩きながら収録の感想を言い合っている中で、ディレクターがふと、「そう言えば、春の小川はこの近くにあったんですよね。」ともらした。
 確かに、渋谷川の上流にあった「河骨川」がモデルだと聞いたことがある。知識としては頭の中にあったことが、今まさに自分が歩いている暗渠と結びつくことによって、一気にイメージが膨らんだ。
 「春の小川はさらさら行くよ/ 岸のすみれやれんげの花に/すがたやさしく色うつくしく/咲けよ咲けよとささやきながら」
 幼稚園の教室や、小学校の音楽室がよみがえる。なつかしい友の顔。春の桜吹雪。温かいオルガンの音。給食の揚げパンの味。今となっては遠い昔となってしまった、すばらしくも懐かしい生活感情の真ん中に、唱歌『春の小川』は確かにあった。


全文は「サンデー毎日」でお読みください。

1月 19, 2009 at 09:31 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

感覚に対する態度

チョコレートの伝道師、
クロエ ドゥートレ ルーセル 
さんに会う。

昨年に続いて二回目。

クロエさんの著書
「THE CHOCOLATE CONNOISSEUR」
 がこの度日本語に翻訳されるが、
その中に対談が収録される予定。

クロエさんは、最近、ボリヴィアのカカオ
栽培の人たちと協力して、品質の良い
チョコレートを作った。

「EL CEIBO」は「永遠の命」
を持つ樹で、切られた後ももとの
姿に再生することができるのだと
いう。

チョコレートを味わうということは、
一つの「態度」(attitude)である。
ふだん何気なく口にしているものに
対して敬意(respect)に満ちた注意(attention)
を向ける。

そうすることで、自分の感覚の中に潜在していた
可能性に気付かされる。

大切なのは、感覚の主観的な性質だけで
なく、客観性の指標をも持つこと。

主観と客観のかけ算の「汽水域」に
本当に興味深い出来事のさまざまが起こる。

チョコレートにかかわっていて
一番難しかったのは、「中立性」を
保つことだったとクロエさん。

ある特定のブランドやメーカーと
協力すれば、ビジネス的には大きな
利益を上げることができるが、
そうすると中立性を維持することが
難しくなる。

「それは一つの選択です。選択の結果、
自分自身の限界もわかります。限界が
わかっているので、いたずらに失望
したりすることもありません」とクロエさん。

クロエさんのトレードマークの
ピンクと茶色の袋に
入った「サバイバル・キット」
をいただく。

これさえあれば、一週間はチョコレートが
持つ、というもの。

取材の方々たちといっしょにいただく。
茶色の塊が、口の中でとろける。
「感覚に対する態度」が喚起される。

作家の佐藤賢一さんと対談。
集英社から全10巻で刊行予定の
『小説 フランス革命』のうち、
第一巻『革命のライオン』
第二巻『バスティーユの陥落』 
の刊行を記念したもの。

佐藤さんとお話するのは、昨年に続いて
二度目。
一度目の対談は、『青春と読書』
2008年12月号に
「偶然と必然が交錯する歴史のダイナミズム」
というタイトルで掲載されている。

http://seidoku.shueisha.co.jp/0812/try01_satou_mogi.html 

この時期は雪でどうなるかわからない
というので、お住まいの鶴岡から
前日に東京入りしたという佐藤さん。

対談の内容はとても興味深く、
いつまでもお話していたいと
いう思いだった。

ルイ16世を始め、多くの人たちが
断頭台の露と消えたフランス革命。

民主主義の理想を実現したという
肯定的な評価とともに、
フランス人たちにとって、未だに
「トラウマ」となっているような
暗部も存在する。

トラウマであるから、フランス人
たち自身が、フランス革命を
直視できない側面がある、と佐藤さん。

日本人だからこそ書けるフランス革命の
真の姿もあるのだろう。

一方、明治維新は、フランス革命のような
恐怖政治を経由しなかったから、
未だに日本人は肯定的にそれを振り返る
ことができるのだと佐藤さんは言う。

その一方で、明治維新が、フランス革命の
ように民衆の蜂起による革命ではなく、
下級武士とはいえ、いわば社会のエリート
層による変革だったということが、
未だに日本人に根強い「お上まかせ」の
メンタリティにつながっている。

昨今の日本は行き詰まっているが、
そのような時に、「自分たちで何とかしよう」
というのではなく、「平成の坂本龍馬」
を期待するという精神態度の中に、
明治維新という成功体験が日本人に
かえって課してしまった枠組みがあるのだと
佐藤さん。

佐藤さんに、鶴岡のおいしいお酒をいただいた。

ありがとうございました!

またお目にかかるのを楽しみに
しています。

そうして、「小説フランス革命」、
長丁場ですが、これからの展開を
ますます期待しています!

1月 19, 2009 at 09:18 午前 | | コメント (14) | トラックバック (3)

2009/01/18

憲政の常道

朝日カルチャーセンター。

林春男さんに防災の話をうかがう。

たいへん興味深かった!

終了後、打ち上げ。

新年会をかねて。

オバマ大統領の就任が近い。

そのお祝いと、日本の政治状況をよく
するためのエールとして、
サンデー毎日連載『文明の星時間』
第45回の全文を掲載いたします。

(連載第1回〜第40回は、もうすぐ
毎日新聞社から単行本として発行される
予定です)

______________

サンデー毎日連載

茂木健一郎 「文明の星時間」

第45回 憲政の常道

 世に「地位が人を作る」と言うが、確かにそういうことはある。能力というものは、最初から定まっているわけではない。ある程度の素質さえあれば、あとはチャンスさえ与えられば人は伸びる。
 とりわけ、政治においては、「地位が人を作る」という側面が大きい。あるいは「地位が政策を作る」と言い換えても良い。与党、野党の間の差異は、必ずしも政策のそれによるものではない。立場からの影響が大きい。実際、野党にいる時は与党を批判して理想論を展開していたのが、政権を担ったとたんに現実的になるというのは、しばしば見られる現象である。
 民主主義においては、選挙によってその時々の政権が選ばれる。つまりは、権力者が民意によって変わり得る。一度権力を握ったからといって、いつまでも安泰ではない。当然、今まで権力とは縁がなかった人が、初めて重責を担うということもある。すなわち、民主主義は、経験を持たないものが地位につくことによって為政者としての振る舞いを「学習」するという可能性を信じている。
 政権交代には、さらなる学習効果もある。淀んだ水は腐る。ずっと与党の立場にあると、ついつい慢心する。時に下野してこそ、批判的精神を涵養できる。いつか与党に復帰する時のために、政策を練ることができる。与党と野党の立場を交互に経験することは、政治にかかわる者にとって、この上ないレッスンとなる。
 人心の一新こそが、民主主義の命脈だと言える。実際、民主主義が定着している国では、ほとんど定期的と言ってよいくらいに政権交代が起こる。
 アメリカ合衆国大統領は、第二次世界大戦が終結した1945年以降を見ると、8年間の民主党政権(トルーマン)、8年間の共和党政権(アイゼンハワー)、続いて、8年間民主党(ケネディ、ジョンソン)、8年間共和党(ニクソン、フォード)、4年間民主党(カーター)、12年間共和党(レーガン、ブッシュ)、8年間民主党(クリントン)、8年間共和党(ブッシュ)そして、2009年1月20日からは、再び民主党(アフリカ系米国人として初めて選出された民主党のバラック・オバマ氏)と、ほぼ8年ごとに政権交代している。
 英国も、1945年にチャーチル首相が辞任した後、労働党(アトレー)、保守党(チャーチル、エデン、マクミリアン、ダグラス・ホーム)、労働党(ウィルソン)、保守党(ヒース)、労働党(ウィルソン、キャラハン)、保守党(サッチャー、メージャー)、労働党(ブレア、ブラウン)と二大政党が交互に政権についている。
 一方の日本はと言えば、政権交代はほとんど機能していない。1955年の自由党と日本民主党の間の「保守合同」によって自由民主党が誕生して以来、ほぼ一貫して政権を握ってきた。自由民主党が政権を離れて野党となったのは1993年から1994年にかけての細川、羽田両内閣の時代だけである。日本社会党(当時)の村山富氏を首相に指名した連立政権により、自由民主党は与党に復帰した。結果として、一年にも満たない「下野」となった。
 原理的には政権交代が起こりうる、そして起こるべき民主主義の体制であるにもかかわらず行われない。政権交代で野党と与党の間を往還することが政治的見識の涵養に資することに鑑みれば、深刻な機会損失がそこにある。
 しばしば、「野党には人材がいない」とか「政権担当能力がない」などとしたり顔で言う人がいる。このような日本人のメンタリティこそが、旧弊と呼ぶべきものであろう。発言者の主観的な思い込みに過ぎない。人間の脳の学習の可能性を知らない。民主主義を自ら生み出した国と、輸入した国の違いがここにあるのだろうか。
 福澤諭吉が、アメリカに行った時に初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫はどうなっているかと尋ね、誰も知らぬし関心もないことに驚いたという逸話を思い出す。二世、三世議員が内閣総理大臣に就くことが「ギネスブック記録」のごとく続き、万年与党と万年野党が対峙する日本は、幕藩体制がまだ続いていると思われても仕方がない。
 日本でも、かつては、政党の間で政権交代が行われることの大切さが主張された時期があった。「大正デモクラシー」と言われた時期、短い期間ではあったが、内閣が失政で辞職した場合、次の内閣は野党から立てるべきだという原則が主張されたのである。実際、「立憲政友会」と「立憲民政党」の間で曲がりなりにも交互の政権担当が実現した。
 司馬遼太郎の言う「坂の上の雲」を目指して上り詰めたところに日本人が見いだした、さわやかな空気。この頃の日本は明るくのびやかな誇りに満ちていた。やがて、昭和前半の戦争続きの時代の黒々とした積乱雲が、全てを覆い隠すようになる。
 人間は面白いもので、認識において学ぶことができないことを、行動を通して習得することができる。日本人が、理念の力で政権交代を実現できないのならば、いっそのことたとえば4年とか8年ごとに交互に政権を交代するということに決めてしまったらどうか。
 選挙民は、その時、無能にも思えた野党の人たちが、政権についてしまえば案外現実的で、立派に政策を実行できることを知ることになる、また、万年与党の人たちも、野党の立場から相手を批判することの自由闊達を知ることになる。そのようなサイクルを何回か繰り返せば、さすがの日本人も政権交代の脈動に目覚めるだろう。
 今日の私たちが抽象的な理念としてしか知らない「憲政の常道」は、過去そして未来の「坂の上の雲」の中にある。日本人には駆け上る足腰があると、私は信じる。
 
_____________

1月 18, 2009 at 09:51 午前 | | コメント (19) | トラックバック (6)

2009/01/17

日常が戻ってきた

それにしても、ドイツ、特に
ワイマールやエアフルトは寒かった。

飛行機を降りて、冬でも陽光輝く
日本の風土に触れたとき、
「思い出し寒い」
になった。

研究所に直行。

脳科学研究グループの会合。

高野委未さんが、secure baseや、
attachmentなど、修士の構想発表の
内容をプレゼンテーションし、
皆で議論した。

research community内でも、
あまりよく議論や整理がされていない
概念があることが明らかになる。

やるべきことはたくさんある!

箆伊智充くんが学振に通った
というので、皆で「おめでとう!」
と言う。

ぼくも大学院生の時にもらっていた。
奨学金と違って、返さなくていいし、
研究費もつくので、学生にとっては
とってもありがたいのだ。

朝日カルチャーセンターへ。

バッハの音楽、ルターの宗教改革、
道化という表現形式について。

Jaak Pankseppの論文を二つ取り上げる。

Panksepp, J. & Burgdorf, J. (2003) "Laughing" rats and the evolutionary antecedents of human joy? Physiology and Behavior 79, 533-547.

Panksepp, J. (2005) Beyond a Joke: From Animal Laughter to Human Joy?  Science 308, 62-63.

あっという間に日常が戻ってきた。

日常というものが、いくら繰り返しても
飽きることがないのは、
結局、何回やってもうまく行かない
からだろう。

___________
 私たちの行動は、客観的な視点から見れば、具体的にとらえることのできるものである。また、自らの行動の結果を鮮明なクオリアを伴った感覚を通して認識し、具体的に把握することもできる。
 しかし、私たちの心の中で、行動のコントロールはとても抽象的な感覚として成立している。この「抽象性」が、「行為に向かう表象」と前2章で論じた意味での「ポインタ」と共通している点である。行為のコントロールに伴って私たちの心の中に生じる表象は、カニッツアの三角形の錯視において、3つの向き合ったパックマンを見た時にクオリアを伴わない「3角形」がそこにあるよう感じるのと同じような抽象性を持っているのである。
 例えば、10メートル先に立っている棒に、ボールをぶつけるという課題を行っている時、「私」の心の中で運動のコントロールがどのように表象されているかを考えてみよう。
 まず最初に適当に投げてみると、球が弧を描いて棒を越していった。飛ばし過ぎたかなと思うから、今度は少し「緩め」に投げてみる。すると、距離はちょうど良かったのだが、少し右にずれてしまった。そこで、今度はやや「左気味」に投げると、また球が棒を越して飛んでいってしまった。何回かやっているうちに、「良い感じ」で球が飛んでいって、見事棒に当たった。ところが、もう一度「良い感じ」で投げるのを再現しようとしても、うまくいかなかった・・・。
 私たちが意識的に運動のコントロールをする際、私たちは詳細に運動の各プロセスを眺め、それを精密に制御することはできない。私たちの心の中で、運動のコントロールは、「緩め」、「左気味」、「良い感じ」といった、きわめて抽象的で曖昧な感覚を通して行われている。私たちの心の中に現われる運動のコントロールに伴う表象は、客観的に見た運動とは似ても似つかない、抽象的なものなのである。運動選手が、「イメージ・トレーニング」という形で、何とか自分の体の動きをイメージとしてコントロール可能なものにしようとするのは、「私」から運動のコントロールが、もともと具体的にイメージしにくい、抽象的なものであるからである。この運動の抽象性を何とか乗り越えようとして、運動選手はイメージ・トレーニングをするのだ。
 私の心の中では、運動のコントロールは、「具体的」なものというよりは、むしろ「抽象的」なものとして表象されるのである。運動が具体的だというのは、運動を客観的な視点から物理的空間の中の身体の軌跡として見た場合、あるいは、運動の結果を、感覚器を通して鮮明なクオリアを伴った感覚情報として認識した場合である。私たちの心の中で、運動のコントロールは、抽象的な感覚としてしか成立していないのである。

茂木健一郎 
『クオリア入門』 
(ちくま学芸文庫)より
___________

1月 17, 2009 at 12:44 午後 | | コメント (20) | トラックバック (2)

2009/01/16

朝日カルチャーセンター 《対談》「パイパー」

朝日カルチャーセンター 《対談》「パイパー」-時空を越える脳舞台

野田秀樹 × 茂木健一郎

2009年1月19日(月)
18時30分〜20時30分

「パイパー」の舞台は1000年後の火星。
空には地球が昇り、沈む。
そこに交錯する、生命と、生命・物質の非分明体たち。
「演じる」のは自分だ。じゃあ、いつもの自分じゃない、って、どういうことだろう? そのとき脳はどう働いているのだろう?
話題の最新作「パイパー」をひっさげて、野田秀樹氏と、気鋭の脳科学者・茂木健一郎氏が、演劇の魅力や、創造と表現の可能性に迫ります。

詳細 

1月 16, 2009 at 12:24 午後 | | コメント (3) | トラックバック (2)

朝日カルチャーセンター 対談・危機と脳

朝日カルチャーセンター 対談・危機と脳

対談 林春男 × 茂木健一郎

1.17阪神・淡路大震災メモリアル
《対談》危機と脳

2009年1月17日(土)
15時30分〜17時30分
朝日カルチャーセンター

ニューヨーク貿易センタービル・テロ、スマトラ島沖地震、ハリケーン・カトリーナ、中国四川省地震など、世界は大きな犠牲を伴う巨大な危機に見舞われ、わが国では首都圏直下地震の発生も危惧されています。
 1995年1月17日、阪神・淡路大震災。その日、社会心理学者の林氏は、壮絶な揺れで目を覚ましました。震災を自ら体験し、復興に携わり、いかに巨大災害に立ち向かうかについて研究を深めてきた林氏と、気鋭の脳科学者・茂木氏が、最新の脳科学の知見をふまえ、思いもよらないことが突発的に起こったとき、脳はどう働き、どんな心理状態や行動が起こるのか、また一刻も早く日常の生活を取り戻すためにはどうすればよいのか、ともに考え、語り合います。

詳細 

1月 16, 2009 at 12:19 午後 | | コメント (3) | トラックバック (1)

朝日カルチャーセンター 脳と宇宙

朝日カルチャーセンター 脳と宇宙

本日 初日

2009年1月16日、2月6日、3月13日
金曜日18時30分〜20時30分

脳は、宇宙が生み出したさまざまなもののうち、最も驚異的な存在です。宇宙からみれば小さな脳が、時間や空間の成り立ちを理解できるとは、なんと不思議なことでしょう。最先端の脳科学の知見を参照しながら、宇宙の多様性を考えます。2回目は、ゲストに理論天文学者の小久保英一郎氏をお迎えし、宇宙研究の最前線でとらえられている宇宙像や、宇宙の謎に迫ります。

詳細 

1月 16, 2009 at 12:13 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

ドームへ向かう女神

 東京に着いた。

 飛行機の中で奇妙な夢をみた。

 ここのところの夢は内容が不思議で、
しばらく休んでいた「夢の記録」
(record of dreams)を復活させなければ
ならないなあ、と思う。

1996年2月2日の夢は、
こんなものだった。

1996年2月2日 ガラスドームに氷河期が来る夢

細長い八面体の形をした巨大なガラス状のドームの中にいる。何故だか知らないが氷河期が来ることが予想されていて、ガラス越しに外を覗くと、すでに巨大なねずみがそこここから現れて歩いている。「ああ、もう出ているよ」と叫ぶ。

ドームの中は自由に飛び回ることができる。ドームの頂点あたりに、笛の吹き口のような出入口があり、そこから一度に一人だけ出ることができる。アクア・ラングを付けて泳ぐ時のような格好で外に出ると、ほんのりと暗く、下には山のような地形が見える。ガラスのドームから東南にしばらく行ったところに、鎌を持った巨大な女神像があって、その目や鎌の先が青白く光っているのが見える。女神の造形は、古代の豊満ヴィーナスを細長くしたようなもの。女神を見た後、さらに飛び回る。

しばらく立ってガラス・ドームの中に戻り、また再び笛口から出るということを繰り返す。次第に、ドームの中の状況が悪化してくるのが判る。空気が悪くなってきている。かといって、ドームの外は既に氷河期になっていて、棲むことができない。

何回目かに女神の近くを飛んだ時、「ひらめく」。事態を打開することを、女神に頼むのである。言葉には出さないコミュニケーションで女神に頼むと、女神がドームに向かってゆっくりと歩き出す。それを、空中に漂いながら見て、なぜ今まで思い付かなかったのだろうと思う。そのうち、女神が鎌でドームを破壊しようとしていることに気が付く。これから一体どうなるのだろうと思いながら、暗闇の中を青白く光りながらドームへ向かう女神を見続けている。

1月 16, 2009 at 12:07 午後 | | コメント (15) | トラックバック (2)

2009/01/15

焦点は結ばれ

 ダニエル・フィンツィ・パスカが
子どもの頃よく通って
いたという教会は、ルガーノの街中に
あった。

 「あそこにボクの家があったんだよ!」
とダニエルが教えてくれる。

 「おばあさんの家はあそこにあって、
そこから教会が見えたんだ!」

 教会の中には、壁一面に天使たちが
描かれていた。

 小さいものや、大きいもの。
白い服を着たものや、青い布をまとったもの。

 「子どもの頃、ここに座って牧師さんの話を
聞いている間、天使たちがずっと自分を
見ているような気がしたんだ」
とダニエル。

 「数えたりもした。一つ、二つ、三つ・・・と。
そんな経験が、『コルテオ』に出てくる天使たち
のイメージにつながったんだろうけれども、
発想は無意識の中から生まれたと思う。構想を
練っているうちに、そういえば自分が
子どもの頃かよっていた教会には
天使がたくさんいたなあ、と思い出したんだ。」

 神は、人間と直接やり取りすることが
できないので、天使を通してメッセージを
伝える。

 「天使といっても、いろいろな種類が
あるんだ。」

 神や宇宙というものを、抽象的な
概念としてとらえるのではなく、
 「天使」という具象を思い描くことで、
さまざまなものがいきいきと動き始める。

 ダニエルが通っていた教会は、そんなに古い
ものではなく、絵が描かれたのは
1940年代から1950年代なのだという。

 自分が子どもの時にいつも見ていて、
しみ込んでいるものがやがて開花する。

街のカフェで、ダニエルと話した。

 「この街は銀行が多いだろう。あれも、
これも、それも銀行だ。ボクの友達で、
ボクのような仕事をしているのは一人も
いないよ。みな銀行員や、弁護士や、
医者とかさ。ぼくは役者や演出をやっていると
言ったら、しばらく前までは親戚とかも
うーん、それはどうかなあ、という反応
だった。すべてが変わったのは、
トリノ・オリンピックの時。あれがきっかけで、
まわりがボクを見る目が別のものになったんだ。」

 「コルテオ」の中には、シャンデリア
のシーンがある。
 4人の女性たちが、シャンデリアにぶら下がって
天を舞う。

 そのシャンデリアがある教会へと
向かった。

 湖のほとりの道は、陽光に照らされて
あたたかい。

 「このあたりの植物を見ろよ。もっと温かい
気候で育つようなやつばかりだろう。この一帯
は特別なんだ。向こうをごらん。あれはイタリア
の平野だ。逆に、こっちの方にはアルプスがある。
ここは、全てが始まる特別な場所なんだ。
あそこまでがイタリア平野で、そこから、
一つ山、二つ山、三つ山と重なってやがて
アルプスに至る。ここの土地には、特別な
エネルギーが満ちているんだよ!」

近くの山からは、ここでしか見つかって
いない恐竜の化石が採れているのだという。

「アフリカ大陸がヨーロッパ大陸に
ぶつかって、ぐぐっと山が盛り上がる。
その境目がこのあたりさ!」

シャンデリアの教会の中で、ダニエルの
発想法について聞いた。

「眠るのが一番いいと思う。ボクと
仕事をする人は、議論をしていて、
むずかしいところになると、『ちょっと眠って
いいかい』とボクがいうので、最初はとても
驚く。ボクはすぐに眠りにつくことが
できる。失礼、と眠って、5分もたてば
目覚めて、その時には、もうアイデアが
出来ているんだ。夜はあまり眠らない。
せいぜい4時間くらいかな。でも、
昼間にそうやって少しずつ眠って、
その度にアイデアを生み出しているんだ。」

 ダニエルに、脳科学の話をいろいろ
すると、とても興味を持ってくれた。

 クラウン(道化)の化粧の問題は、
自己の社会的構築のテーマと大いに
かかわる。
 夢を見る時に脳の中でどんなことが
起こっているかということと、化粧の
社会的意義の話をした。

「ぼくは、道化の化粧をすると、とても
力を得たような気分になるんだ。」
とダニエル。

「さあこれから劇場に詰めかけた聴衆に
向き合うんだ、という時に、道化の化粧を
すると、何でもできるような気がしてくる。
スイッチがぐっと入るんだ。スーパーマンに
なったような、そんな気分になるんだよ。」

話しながら、教会に附属した墓地に
たどり着いた。

『コルテオ』は、人生の最後を迎えた
クラウン(道化)の葬列がテーマになっている。

ゆかりの人たちにとっては、故人に
まつわるたくさんの思い出が
つまっているであろう墓の間の道を歩く。

「もし自分が死んだとしたら、どんな葬式に
なるか。その時、どのような様子を想像するかで、
その人の精神状態がわかるよ。幸せな人は、
自分の葬式には、きっとあの人も、友人たちも、
家族も、ゆかりの人たちも来るだろうと
考える。自分の亡骸を見ているうちに、
みんな泣き出したり、思い出を語ったり、
秘密の打ち明け話をしたり、そのうちに
みなワインを飲んで、わいわい話して、
最後は少し楽しく儀式が終わる。そんな様子を
思い浮かべると、お葬式というのもそんなに
悪いもんじゃない。」

「一方、人生がうまく行っていないと
感じる人は、自分の葬式にはひょっとしたら
誰もこないんじゃないか、なんて考えて
哀しくなるよね。その意味では、自分の葬列を
考えるということは、自分の人生が幸せか
どうかの一つの目安となるんだろうと思う。」

「コルテオ」の中には、クラウン(道化)が、
子どもの頃庭であやつり人形とボールで
遊んだ思い出など、たくさんの回想シーンが
出てくる。

「自分の人生の最後に、振り返ってみれば、
あんなこともあった、こんな経験もした、
と様々な思いが込み上げてくるはずさ。
自分の葬列を考えるということは、つまりは
自分の人生をその豊かさと複雑さの
全体において捉えるということを意味する。
その意味では、死ぬことは確かに悲しいこと
だけれども、その最後を想像して、自分の人生を
振り返ってみることで、一つの『癒し』(セラピー)
にもなると思うんだ。」

生きていてこそ、自分の死も想像することが
できる。「メメント・モリ」(死を忘れるな)。
ダニエルの芸術は、人生を振り返る際に
人の心に浮かび上がってくる、さまざまな
「詩的真実」に満ちている。

スロープを降りたところで、ダニエルと
別れた。

もう今回の旅も終わりである。
街に戻る。
夕暮れのルガーノ湖で、鳥たちがぷかぷかと
浮かんでいるのを見た。

船着き場が、まるで十字架のように見える。

十字架の向こうには、山。

そこかしこに、象徴世界への入り口は
隠されている。

時には、ふだんの生活を遠く離れることで、
焦点は結ばれ、真実は姿を現す。

ダニエルとは、また東京で会うことが
できるはずだ。


ダニエルが子どもの頃通った教会にて。


ダニエルと教会の天井を見上げる。


教会でダニエルと話す。


教会のエンジェル(その1)


教会のエンジェル(その2)

教会のエンジェル(その3)


教会のエンジェル(その4)


ダニエルのご両親と。


毎年新しい飾りがつくられ、クリスマスの朝、
幼子キリストの人形が置かれるのだという。


ルガーノの街のカフェにて。


シャンデリアの教会に至るスロープ


スロープは陽光に照らされて。


教会の中のシャンデリア


墓地にあった天使の像


ルガーノ湖の船着き場。まるで十字架のように。

1月 15, 2009 at 03:22 午後 | | コメント (27) | トラックバック (4)

2009/01/14

ちょうどよいエネルギーで

 スイスというのは面白い国で、
ドイツ語、フランス語、イタリア語、
ロマンシュ語と4つの言葉を話す
人たちがいる。

 ミラノから北上し、スイスに入ると
同じイタリア語圏でも雰囲気が
変わった。

 湖畔の街、ルガーノに
至る。

 イタリア語系の最大の都市。

 最近では銀行業や観光で発展し、
「スイスのモンテ・カルロ」
とも言われるようになった。

 ルガーノの中心街から車で
さらに30分ほど行ったところに
あるテアトロ・スニールで、
ダニエル・フィンチ・パスカ
に会った。

ダニエルは、この街で
25年前に自らがクラウン(道化)と
なった劇団を始める。

2006年のトリノ・オリンピックの
閉会式の演出を手がけ、また
2009年2月4日から日本でも
公演されるシルク・ドゥ・ソレイユによる
『コルテオ』(Corteo)の脚本、
構成、演出を手がけたダニエル。

彼の原点は、この小さな劇場にあった
のだ。

その空間に入っていった時、
「ああ、ここにあった」と思った。

ダニエルが、女性の劇団員に
演技指導をしている。

座ろうとして、椅子が引かれて
後ろに倒れてしまうという
クラウンの基本的演技の一つ。

「ちょうどよいエネルギーで
倒れなければならない」とダニエルが
言う。

私もやってみないかと言われて、
倒れてみた。

「自分自身の不安や恐怖をも
笑うことができるのがクラウンなのです」
とダニエル。

『コルテオ』は、死の床についた
クラウンが、自分の一生を振り返る
という想定の演目。

「コルテオ」は、イタリア語で
「葬列」に通じ、死という人生の
最後におけるイベントが、祝祭
的なムードの中で歌われ、演じ
られる。

「私たちは、無重力を追求している。」

地球上、
森や海がない場所に住んでいる人は
いるが、「空」は平等に与えられている
とダニエルは言う。

『コルテオ』は、
さまざまなアクロバットを見せる
人間たちと、死に行く老道化師を
やさしく誘う天使たちの間の
交流の物語でもある。

「悲劇」と「喜劇」を一体のものと
して扱うという、イタリア的感性の
伝統。

ダニアルが築いた小宇宙の中に、
かけがえのないものを見いだした。


劇場の外にあった「テアトロ」のサイン


一角獣のいる劇場の中。椅子が一つひとつ違う。


椅子を引かれて倒れる演技指導中のダニエル。



先輩の道化師の化粧を見守るダニエル


写真を撮る私も写り込む。


ダニエルと劇場にて。


ダニエルと劇場裏にて。


ダニエルと劇場裏にて。湖を望む。


道化師の写真。


ダニエルの道化姿。『イカロ』の中で。


縄はしごの上に置かれた靴。背景に「コルテオ」
のポスターが見える。


ダニエルが最初の劇団をつくって旅回りした時の
思い出のスーツケース。

1月 14, 2009 at 03:01 午後 | | コメント (19) | トラックバック (5)

2009/01/13

プロフェッショナル  中村伸一

プロフェッショナル 仕事の流儀

“いい人生やった” その一言のために 

~診療所医師・中村伸一~

技術は、複雑な対照の一部を切り取る
ことでなりたつ。

そのプロセスで、人間の全体がともすれば
失われる。

中村さんが取り組まれている地域医療
の現場から立ち上がってくる「人間」
のあり方に心が引き締まる。

私たちはどのように生き、死んで
いくのか。

現代文明によって隠されてしまっている
私たちの存在の真実。

真実から逃れることが
できるはずがない。

中村さんとともに、今夜、
私たちの真の姿を見ませんか。

NHK総合
2009年1月6日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
生命を支える「点」と「線」
〜 診療所医師・中村伸一 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

1月 13, 2009 at 02:50 午後 | | コメント (11) | トラックバック (4)

空気がやわらかい

アルプスを越えたら、
陽光が本当に違うので驚いた。

ミラノの街にも雪は積もっているが、
太陽と空気がやわらかい。

ゲーテの『イタリア紀行』と気持ちが
共鳴し合う。

1月 13, 2009 at 02:46 午後 | | コメント (17) | トラックバック (2)

2009/01/12

「日常」しかない

 中心街に向かう。大通りに面した何の変哲もない建物の前で、ブリギットが立ち止まった。

 「ここが、作曲家リヒャルト・ワグナーが生まれた家があったところです。1813年の月日に、ワグナーはここで生まれたのです。」

 その言葉を聞いたとたんに、自分が今まさに「聖地」を訪れているのだという事実が再び思い起こされた。

 ワグナーがライプツィッヒ生まれだということは、もちろん、知識としては知っていた。ところが、次から次へと追われる日常が、さまざまなことを失念させていた。チューリンゲン地方の小さな街を後にして、たどり着いた都会の冴え冴えとした光景。その有り様が、敬愛する作曲家の生まれた場所という「知識」には結びつかなかったのである。

 ブリギットの言葉で、心の中でさまざまなものが雪解けを迎えた。気付いてみれば、ワイマールやエアフルトの厳寒に比べた時には、空気の底にあたかも春の気配が忍び寄っているかのようだ。

 東ドイツ(GDR)時代に建造されたという簡素な設計の建物。その外観があまりにも粗野だというので、やがてなくなるまでの一時的な対処として、銀色の覆いで包んだ。ところが今度は、その「鉛の箱」のような外観に皆が親しみを持つようになった。ライプツィッヒ市民ならば知らないものは誰もいないという存在になった。それで、今ではかえって撤去しにくくなってしまったのだという。
  
 ドイツ音楽に偉大な足跡を残した作曲家の生誕地の現状が、このような建物だということが無念だとでもいうのだろうか。今は使われていない区画のガラス窓に、「ここがワグナーの生誕地」「リヒャルト・ワグナーはここで生まれた」などとポスターが張られている。

 建物をぐるりと回り込むと、そこにもポスターがあった。「この場所に、1886年まで、リヒャルト・ワグナーの生誕した家があった」と書かれている。

 さらには、横の壁には巨大な垂れ幕まであった。「リヒャルトはライプツィッヒ市民」という大きな文字の下に、ワグナーの横顔。さらに下には、「リヒャルト・ワグナーは1813年5月22日にライプツィッヒに生まれた。ここに彼の生家がある! リヒャルト・ワグナー愛好会ライプツィヒ支部」と書かれている。

 どんな人にも、生活に与えられた時間や空間は平等である。皆、その中でやりくりをして来たのだ。当たり前のことだが、その場所に行けば、聖地は「日常」となる。そもそも、最初から、この世には「日常」しかないのだ。そのような人生の真実は、チューリンゲン地方やライプツィッヒを旅している間、何回か不意打ちのように私の心を打った。

 ブリギットに言われるままにライプツィッヒの中心街を歩いていて、開けたスカイラインの中に唐突にその姿はあった。聖トマス教会。ヨハン・セバスチャン・バッハが、1723年にカントールの職に就いて以来、亡くなる1750年までの27年間を過ごした場所。多くの傑作が書かれ、上演された祈りの場。バッハの音楽宇宙の中心だった場所が、ふと見上げるともう自分の目の前にあった。

 淡雪に包まれたその姿は、どれほど優美な印象で心に迫ってくることだろう。何よりも目を惹くのは、塔を中心とした、クリーム色を基調としたやさしい色遣いであった。聖堂の主要部の石造りの風合いは、教会というものが心にどのような刻印を残すかという私たちの観念に奇麗に適合している。一方、塔を中心とした白い部分は、「謹厳」よりは「溶解」、「峻別」よりは「抱擁」を旨としているかのようで、若々しい女性的な印象を与えた。まるで石畳の都会を離れて緑あふれる郊外の丘に遊んでいるかのような、そんなうきうきとした心の動きを引き起こす。

 一方では『マタイ受難曲』や『ロ短調ミサ曲』のような構えの大きい宗教曲を作り、他方では『コーヒー・カンタータ』のような戯れに満ちた世俗曲を残したバッハ。その日々の仕事の場として、目の前に建つ聖トマス教会はいかにもふさわしかった。

1月 12, 2009 at 07:51 午後 | | コメント (15) | トラックバック (2)

ライプツィッヒから


ライプツィッヒ駅の近くにあるリヒャルト・ワグナーの生家跡。


聖トマス教会


聖トマス教会横のバッハの彫像


聖トマス教会の中にあるバッハの墓


バッハのモテットを聴きながら見上げた聖トマス教会の天井

1月 12, 2009 at 04:28 午後 | | コメント (13) | トラックバック (0)

ライプツィッヒ

の空港にいます。これからデュッセルドルフ経由でミラノへ。

明け方の空に満月がさえざえと輝いていました。

1月 12, 2009 at 03:57 午後 | | コメント (9) | トラックバック (1)

2009/01/11

精神的陽光

 ゲーテの家は、ワイマール中心の広場に面していた。

 フラウエンプラン一番地。三階建て、黄色い壁の家は、道に沿ってやや曲がりながら続いている。ゲーテは、この家に死ぬまで約50年間住み続けた。

 現在は財団の管理するナショナル・ミュージアムとなっていて、隣接する建物から入ることができる。

 ドアを開けると、建物に囲まれたスペースとなる。

 「誰かが密かに訪問したい時には、馬車を使ってここから入れば良かったのです。そうすれば気付かれません。何と賢い工夫でしょう!」

 場所の通り道だけではない。ゲーテの家は、さまざまな工夫に満ちていた。

 玄関ホールを入るとすぐに階段があり、そこには黒い彫像が置かれている。左右に二つの裸像。中央に犬の彫像。いきいきとした表情で、後ろを振り返っている。

 「これは、ブロンズに見えますが、実際にはそうではありません。石膏の像を黒く塗ったものです。安上がりにブロンズを作る方法ですね!」

 階段を上ると、招かれた客が通されたであろう控えの間があった。そこにもギリシャやローマの彫像がたくさん置かれていた。

 ただし、すべてオリジナルではなく、後世の模造である。

 ゲーテは、イタリアの芸術を愛した。しかし、その家に置かれた彫刻の多くは、オリジナルではなく模造であった。

 「ゲーテは、経済的に裕福でした。しかし、とてつもなく裕福というわけでもなかったので、ギリシャ・ローマのオリジナルを買うことはできませんでした。だから、オリジナルを買うことができた時は、ゲーテはそれを大変誇りに思っていたのです。」

 ゲーテ自慢のオリジナルの彫像たちは、専用のキャビネットの中に大切にしまわれていた。どれも、高さ10センチ程度の小さなものばかり。

 「ゲーテは発明をするのがとても好きで、このキャビネットも、オリジナルな彫像のために自分で工夫をしたのです。」

 古の偉人たちについて、私たちはついつい何ごとも大げさに考え勝ちである。その人にまつわるすべての資源が、際限なく、潤沢に提供されていたように思ってしまう。
 しかし、実際には、そうではない。この地上を這いずり回る「死すべき者」である以上は、すべては有限にならざるを得ない。富はもちろん、空間的な設いも。何よりもその時間は、万人に等しく限られたものであるしかない。

 生活者としてのゲーテの感触に接することで、その人に血が通い始める。小さな工夫とひそやかなたくらみに満ちたこれらの空間の中で、中肉中背の男は歩き回っていた。

 「この部屋で、ゲーテはその大作『ファウスト』を書いたのです。原稿は、常にキャビネットに厳重に鍵をかけて保管されていました。ゲーテは、作品の価値を確信できず、何度も止めようと思いました。ゲーテに、作品には価値があると熱弁し、仕上げるように説得したのはシラーでした。シラーへの感謝の意もあって、シラーの死後、ゲーテは『ファウスト』を仕上げることとなるのです。」

 机が置かれただけの、簡潔なスタイルの部屋。窓からは明るい陽光が差す。「ゲーテは、仕事場には余計なものを置くことを好みませんでした。さまざまなものに囲まれてしまうことで、気が散ってしまうことを恐れたのです。」

 ゲーテの寝室は、書斎の横の小さな部屋だった。身の丈を収納して余りある、それでいて過大でもない、ちょうど足りたそんな空間。

 「ゲーテは、このベッドの上で亡くなったのです。」

 ゲーテの最後の言葉は「もっと光を!」(Mehr Licht!)だったと伝えられる。

 ゲーテの作品の中にあふれる精神的陽光(Heiterkeit)は、いずれにせよ幻視されたものであった。すべては、その起源において捏造される。そして、後に続く者は、それらがあたかも水や空気や陽光のごとく自然なものだと思い込んでしまうのだ。


ゲーテが住んだ家。ワイマールにて。

1月 11, 2009 at 03:57 午後 | | コメント (22) | トラックバック (5)

2009/01/10

ドイツは遠くなりにけり

ドイツは十年ぶりとか、二十年ぶりとかの
寒波だということで、
マイナス十数度などと冷え込んだ
空気の中を歩き回っている。

現地の観光局や博物館の関係者が
綿密なスケジュールを組んで
下さっているので、バッハ、ゲーテ、
シラー、ヴァグナーなど、ドイツが
生んだ大文化人たちの事蹟を
ずいぶん精しく知ることができた。

ライプツィッヒに到着して、
やっとインターネットが通じた。

折に触れて書きためた文章の
一部をもって、日記に替える。

全文は本の一部として出版される
予定です。

 ワイマール、エアフルト、アイザナンアなどの都市を擁するチューリンゲン地方は、ドイツの中央に位置する。「チューリンゲンの森」は、ドイツ最大の山脈地帯なのだという。そのチューリンゲン地方と隣接するザクセン州のライプツィッヒに、初めて旅をすることになった。
 今まで、ドイツには何度か来ているが、考えてみると南部のミュンヘンが中心で、ドイツの中部及び北部はほとんど訪れていなかったのだった。
 私の人生を振り返ると、「ドイツ的なもの」とのかかわりは深い。高校生の時、かの国の文化にすっかり染まった。最大の出来事は、リヒャルト・ヴァグナーの楽劇との出会いである。『さまよえるオランダ人』、『タンホイザー』、『ローエングリーン』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『ニーベルングの指環』、『パルジファル』。神話的世界の中で繰り広げられる精神の力学に、すっかり魅せられた。
 フリードリッヒ・ニーチェの哲学に大いに影響を受けたのも、高校生の時である。一番最初に読んだのは『悲劇の誕生』。続いて、『善悪の彼岸』や、『ツァラトゥーストラはかく語りき』へと読み進めた。ニーチェは、近代以降の人間の根本的条件を先見してしまった人だと思う。それは、「神を失った」という単純な図式には収まらない、むしろ日常的な心理の洞察にさえ満ちているものだった。中途半端な自己欺瞞を許さない。「冷徹なる世界認識から発せられる精神エネルギーの超新星爆発」とも言えるニーチェの思索は、さまざまなことに悩んだ思春期の「青ざめた時代」に大いなる慰めとなった。 
 「世界は美的過程としてのみ是認される」。「舞踏」。「喉に噛みついた蛇を噛み切る」「太陽のように目を輝かせて立ち上がる。」
 激しくも生命の力に満ちたニーチェの言葉は、長い間「座右の銘」となった。
 大学生の時には、一時はドイツに留学することまで考えた。ドイツ語を集中的に勉強した時期もある。ザビーネ永田さんの語学ゼミを聴講した時には、興味がドイツの古典的文化から現代ドイツ社会に対する興味へと一気に広がった。
 その後、私の心がドイツ的なものから離れていってしまったのは、社会全体の潮流と無関係ではなかっただろう。ドイツの文化世界は、人間や世界に対する深い洞察に満ちているものの、ますます機能主義的に、そして実際的になっていく現代の中ではなかなかその位置を見つけにくかった。ドイツ文化の独特の感触に通じていたとしても、どんなことも短い時間で割り切っていこうとする今日の人類の「パス回し」の中では取り残されてしまいがちである。いつしか、私の中では、あれほど好きだったドイツ文化が、かすかな甘い痛みを残す記憶へと変貌していってしまったのである。 
 そうこうしているうちに、ドイツ文学科の人気がなくなり、定員割れしたり、ついには進学者がゼロになった年もあるなど、いろいろな噂が伝わってきた。
 「ドイツは遠くなりにけり」。
 私個人の人生においても、世界全体の趨勢においても、そのような感慨を抱かざるを得ないような時間の流れが続いた。
 それが、この二三年か、徐々にドイツ的なものが気になり始めていた。インターネットが普及し、グローバリズムが進行する中で、何ごとも英語中心主義でやることへの懐疑が首をもたげ始めたということもあるのだろう。ドイツ語の運命は、日本語の運命でもある。地球環境の問題への覚醒から、「多様性」をこそ志向する現代の潮流の中で、英語一極主義は明らかに反動的である。
 それにしても、ドイツのことが、なぜこのように気になっていたのだろう。ドイツの文化や、言語が、忘れかけていた「宿題」のように思われるのはなぜか。干天に慈雨を求めるごとく、無意識の中からドイツ的なものを探究する衝動が生まれてくるのはなぜか。
 その答えを求めて、かの国への「冬の旅」に出かけた。きっかけは、ドイツが生んだ大作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハである。


1月 10, 2009 at 04:07 午後 | | コメント (23) | トラックバック (5)

2009/01/08

バッハやルター、ワグナー

ホテルのインターネットが通じないので、
街で野良電波を拾うしかない。

目に見えないものを大切にする人たちの
間にいて心が洗われる。

1月 8, 2009 at 06:14 午前 | | コメント (30) | トラックバック (8)

2009/01/07

ワイマール

ミュンヘンからライプツィヒに到着。ネット通じず。

1月 7, 2009 at 09:23 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2009/01/06

プロフェッショナル  松井三都男

プロフェッショナル 仕事の流儀

腕一本、それが男の生きる道

~へら絞り職人・松井 三都男~

松井さんは、同じものを何度も繰り返し
作っているのに、そして、世間からは、
当代随一の職人として嘱望されているのに、
未だに自分の満足いくようなものは
できないのだという。

何百回、何千回と同じことをやっても、
完璧などということはない。
だからこそ、いつまでも、どこまでも
繰り返す。

この精神性こそが、習慣というもの、
日常というものに光を当てる
かけがえのない叡智なのだろう。

身が引き締まる思いで、
松井さんの言葉に耳を傾ける。

NHK総合
2009年1月6日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
究極の「結果責任」それが職人の世界
〜 へら絞り職人・松井三都男 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

1月 6, 2009 at 07:41 午前 | | コメント (14) | トラックバック (3)

凛とした冷たい空気

 東京工業大学すずかけ台キャンパスにて、
須藤珠水、柳川透の博士論文の審査。

 須藤、柳川が、審査員の先生方を
前にしてそれぞれ30分発表し、
その後30分の質疑応答があった。

 博士になるのは本人にとっても
指導教官にとっても大仕事で、
 とくに、発表を聞いているのは
自分のことのようにはらはらする。
 
 一緒に研究してきたという
意味では、その出来、不出来は
なかば自分のことであるように思うし、
また、特に質疑応答の時など、
こちらが想定しているような答えが
出てこないと、自分でなりかわる
ことができないだけに、ハラハラドキドキ
する。

 その一方で、水際立った返答に接して、
おお、ここまで賢くなったか!
と驚嘆することもある。

 須藤珠水が、発表を終えて片付けを
している時に、「茂木さんが写真を
撮ると思って、ネクタイをしてきたのに」
と言った。

 「そうか、ごめん。じゃあこれから
撮ろう。」

 すると、聞きに来ていた関根崇泰が、
「じゃあ、ぼくが聴衆役になりましょう」
と言った。

 審査員の先生方や聴衆は皆お昼に行って
しまっていたのである。

 かくして、須藤珠水が発表中の
様子を、関根崇泰の協力によって
再現した。

 「オレのブログの読者には、後ろ姿で
関根ってわかちゃうんじゃないか。」


発表する須藤珠水さん

柳川透は、depolarization-dependent potassium channelを入れたことも功を奏して、格段によい
発表になっていた。

ただ、質疑応答の時に、「どの
ジャーナルにrevisionを投稿しているの?」
と聞かれて、柳川は上がって頭が
真っ白になってしまった。

「えーと、Neuroscience lettersではなくって、
NSRです。つまり、そのう、・・・・」
私の心臓の鼓動がもっとも高まった
瞬間であった。

発表の後、新年初のゼミと、それから
軽い新年会をする。

********

小学校5年生、6年生の時、「生活帳」
という日記を付けていた。

担任の小林忠盛先生の指導で、
毎日書いていたことが、時々
見返してみると懐かしい。

__________

小学校6年生(1974年)の茂木健一郎「生活帳」より

十月十四日(月曜)天気 晴れ
もう死にそう
今は、夜中の一時半、やっと、理科の研究が書き終わった。六時から始めたのに、まさか七時間半もかかるとは、思わなかった。一番くるしかったのは、九時ごろだった。上のまぶたと、下のまぶたが、くっつきそうなのだ。コーヒーをガブガブのんでもだめだった。それからは、頭がはっきりしてきて、だんだんピッチが上っていった。しかし、十五枚を書くのだ。かんたんなことではなかった。羽化を書いて終った時は、本当にほっとした。一枚書くのに二十分はかかるから、十五×二十=三00で、5時間くらいだと思っていたのに、もう死にそうだ。

<どうだ体力が必要だろう これからそういうことがあるぞ>

十月十五日(火曜)天気 くもり
うれしい日
今日は、とてもうれしい日だった。僕は、水泳大会の時、選手に選ばれなかったので、とても残念だった。それに、2回も落っこったのだ。あの時はもうがっかりしてしまった。それから、僕は、じ久走にかけた。校庭を回るスピードも、今までよりずっと早くした。僕はじ久走大会で、十一位だった。この分じゃ、とても五にんという、せまいわくに、入らないなと思った。でも僕は、いままでの、ちょこちょことした走り方から、ももを上げ、おもいきり、地面をける走り方に、かえて、この前、たった一度だけど、三位をとった。もしかしたらと思った。選手が僕だと聞いた時、とても、うれしかった。がんばろうと思った。

<理科展が終わったら全力でやること。気力だけではついていけないからね。>

十月十六日(水曜)天気 くもり
久しぶりの陸上練習

今日、理科の研究が終ったので、十日ぶりぐらいの陸上練習をしました。僕は、記録がガタ落ちしてしまって、一周を前は、37秒だったのに、今度は38秒9に、落っこって、何度やっても、38秒9のこう進でした。こりゃ、だめだと思っていた時、先生が、
「さあ、千計っちゃいましょう。」
とおっしゃったので、全然自信がありませんでした。そのとおり、もうつかれて、つかれて、こんなにつかれた千メートルは、ありませんでした。タイムは、10秒8ちぢまって、三分五十六秒でした。でも、十日で10秒8じゃ、ずいぶんスローペスだなと思いました。

十月十八日(金曜)天気 くもり
やった。信じられない現実

今日、まったく予想もしていなかった、二十世紀の奇せきが起こった。今日の千メートルタイムで、たいへんなことが起こったのだ。一周目、僕は、種村君と、三メートルの差をつけられた。ここまでは、いつもと同じだった。いつも、二周目から、どんどん引きはなされて、30メートルぐらいの差で、まけるのだが、ぴったしと、ついていけたのだ。僕は、現実を、うたぐった。ラストに入る時も、四メートルぐらいの差で、最後の一周に入った。いつもは、せり合う、杉うら君に、五十メートルの差をつけていた。そのまま、ゴールイン。いままでの、三分56秒を、16秒もちぢめ、三分40秒を出し、大野君との差が、五、六秒、種村君との差が、三秒というすごいことになってしまった。うれしかった。とにかく、うれしかった。

<君の練習態度のたまものだね。君が一番熱心だもの当然だよ。その力を大会で出せよ。まだまだ縮まるぞ五〜八秒は>

(<・・・>内は、小林先生からのコメント) 

______________

 小学校の校庭の、冬の凛とした冷たい
空気がよみがえる。 

 昨日のすずかけ台キャンパスにも、
それはあった。

 みんな、がんばろう!


「生活帳」のカバー


小林忠盛先生(右端)と。
2006年5月18日、NHK「スタジオパーク」
にて。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/05/post_ea5a.html

1月 6, 2009 at 07:34 午前 | | コメント (25) | トラックバック (6)

2009/01/05

『モナリザ』を草むらの中に

子どもの頃、暇な時に畳の上に寝転がると、
天井の木目が見えてきた。

一つとして同じ模様はない。

何しろ時間はたっぷりあるのだから、
ゆったりと心の中に染みこませた。

あのような時間が人生の中で
結局一番贅沢だった気がしてならない。

最近の家では、生の木材は減ってきた。

白に塗り込められた天井を
見ていても面白くもなんともない。

現代建築は、子どもたちから
寝転がって天井を見上げる至福の時間を
奪っているのだろう。

あるいは、最初からそんな体験が
世の中にあるということを知らないか。

自然の中にいけば様々な形態が
あふれている。

多種多様な植物だけじゃないゾ。

ヘンテコな虫だって、勝手に
視野の中に入ってくるゾ。

それで美術館の「ホワイト・ボックス」
を思いだした。

あれは、つまりは農薬で虫たちを
根絶やしにすることと同じだな。

そうでなければ現代の美術の文脈は
成立しないけれども、作品を
見ているうちにいろいろ奇妙なものが
目の中に飛び込んでくると大いに
迷惑するけれども、美術という
制度の「原罪」もそのあたりにある。

『モナリザ』を草むらの中に置いたら、
どう見えるのだろう。

家庭画報の押鐘さんたちとカラヤンの
話をする。

若々しくて華があって、
ちょっと後ろ暗いところもある。

そんなカラヤンのいた時代に
私は青春を迎えた。

柳川クンの論文が、やっと
終わる。

できあがったpdf fileを見て
ほっとする。

あとは柳川クン、がんばれ。

昔塩谷からもらったメールを一つ見つけた。

From: "Ken Shiotani"
Subject:ふと感じるものの存在感について
Date: Tue, 10 Dec 2002

「クオリアとはなにか」という問いの形で突
き詰めて行くと、どうして
も落ちてしまうのは、「ごちゃごちゃいうな!
とにかくこれじゃわい」という感じなんですね。

個物性と言葉で言ってしまっては届かない/逸れてしまう感じ。

この感じは「深み」ではなく、「表面・おもて」に漂う、
しかし、条件付けしようとする言葉にとっては、ブラック
ホールのような吸収域なのです。

「働き」といってしまうにはあまりにも静かな、
モノといってしまうにはあまりにも儚い、「どこにある」
とはいえず「ここ」としかいえない、それ自身が細い細い
透明な飴細工の組織のような感じ。

それを私は「観て」しまう、それを私は「聴いて」しまう、
それに私は「触って」しまう、
そのときの私はだれ?どのような私なのでしょう?
そのときの「観ている」広がり、「聴いている」流れ、
「触れている」界面は、いかなる場であるのか。

くりかえされることが不可能な、でも何度も私に訪れた
ように思われる、それらのひとつの感じ。


これは極めて抽象的な概念を「見渡して」考えようとするときにも
ついて廻る感じです。
私を構成する物質的・霊的な様々な要素、それらを構成する
更なる要素、それらの限りない階層とその間に自由に結ばれる
関係が、一つにとらわれることに抗って生み出されるひとつの感じ。

そんなものを感じるのです。

塩谷賢

1月 5, 2009 at 07:57 午前 | | コメント (24) | トラックバック (5)

2009/01/04

ニーチェの言葉

どこで読んだのか、ニーチェの
書いたものの中に、「古代ギリシャの人にとっては、
『専門』という言葉には意味がなかった」
という文章があって、高校生くらいの時に
とても感激したのを覚えている。

「専門」などということは、そもそも
ないのだと思っている。

たまたま、ある分野の活動を長年にわたって
やっていて、その結果精しくなっている
ということはあるかもしれないが、
人間としての存在がそれに限定される
はずもない。

だから、「脳科学者としてどう思いますか」
とか、「脳科学者としての見解を聞きたい」
などと聞かれると、以前は時折
むかっ腹を立てていたものだった。

何だか、ある特定の目的のために
自分が使われているような
気がしたのである。

最近では、割り切っている。
世間というものは、そもそも、ある個人を
判別する時に特定の旗を立て、それで
認識したがるものである。

自分だって、他人に対してそう
しがちである。
そう期待されている文脈では、応える
しかない。

肝心なのは、自身の認識と行動に
おいて、自分がある「専門」だなどと
思わないことだろう。

ニーチェの言葉は、未だに、私の
中に一つの理想としてある。

ところで、そうは言っても、科学
に取り組むことによって精神が得る
「恵み」のようなものはあるように思う。

柳川透君と議論しながら論文をいろいろと
組み立てている時にそう思う。

柳川くんの中には、神経細胞の自発的活動に
ついてシミュレーションしてきた
長い時間がある。これを学会に伝えたい
という熱い思いがある。

問題は、それをいかに客観的に、論理的に
筋道を立ててまとめるかであって、
その際の心の配り方は、とかく自己中心的で
井の中の蛙になりがちな人間にとっての
精神の修養としてかけがえのない価値が
あるように思う。

大学院で科学に取り組んで得られる
もっとも普遍的な能力は、自己の
客観化であろう。世間を見ると、そのような
魂の技術はあまり普及していないように
思われる。

昨日のQualia Journalに塩谷賢のことを
書いたら、Oliverがコメントをくれた。

Oliverはニューヨーク在住の数学専攻の
大学院生。

これまでも何回かコメントをくれている。

Oliverが同意してくれたように、
何の組織にも属さない塩谷の在り方は、
一つの理想というべきものであろう。

組織にかかわると、どうしても自分の
専門が何なのか、旗色を鮮明にせよという
圧力を受ける。

私などは、ある程度適応能力があるから、
組織とかかわっているが、
塩谷のように全く適応能力がない、
というのも、これは立派なことだと思う。

伊達や酔狂で言うのではない。本気で
言っているのである。

このところ、
柳川くんとは一日に十も二十もメールを
やりとりしているけれども、
もらったメールの一つ。

From: "Toru Yanagawa"
To: "Ken Mogi"
Subject: Re: paperのpatch

interpolationは、パッチを抽出するためにおこなっています(Fig1(e))。
周囲8マスのニューロンの平均を計算しています。
なので、速い成分は、平均化によってつぶれてしまいます。
膜電位は、NMDAの時定数が80msecぐらいなので
スパイクをうけとると、それぐらいのtime intervalで上下しています。
そういうコンポーネントが、平均化することによって失われてしまっているので、
raw dataにおける速い周波数のパワースペクトルは減少しています。



柳川透氏


1月 4, 2009 at 08:16 午前 | | コメント (17) | トラックバック (3)

2009/01/03

Philosopher at large

Philosopher at large

The Qualia Journal
3rd January 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 3, 2009 at 09:08 午前 | | コメント (14) | トラックバック (3)

新春TV放談2009

新春TV放談2009

テリー伊藤 、茂木健一郎、箭内道彦 、ケンドーコバヤシ、千原ジュニア、塚原愛

2009年1月3日(土)深夜
(日付が変わって1月4日)0時10分〜1時25分

ケータイ大喜利班からの情報 

番組表 

1月 3, 2009 at 07:56 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

二本目は、3センチ大きいやつでいいんだ

私の親しい友人は知っているように、
服装については奇妙な
クセがあって、
冬など、同じ服を着続ける。

別に他に持っていないわけでは
なくて、要するに考えるのが
面倒くさいので、毎朝前夜に
脱ぎ捨てた服をそのまま着て
家を出るのである。

むろん、下着やTシャツ、
靴下は毎日替えている。

今シーズンで言えば、黒い
ズボン、赤い縁どりのついたセーター、
黒いジャケット、それに黒いマフラー
という服装で、もう10月くらいからずっと
通してきた。

セーターは毛玉がたくさんできていて、
打ちあわせをしたり、シンポジウムの
時など手元が暇になると
ついつい毛玉とりをしてしまう。

取っても取っても後から出てくる
ので、尽きることがない。

ちょっとしたリクリエーションである。

問題はズボンで、実はちょっと丈
が短い。
チャプリンのズボンのように
なっている。
別に今年の冬に足が伸びたわけでは
ない。

洗濯機にかけて乾燥したら、
短くなってしまったのである。

ファッションセンスのある人ほど、
勘違いして、「素敵ですね」という。

わざと短くしていると思うらしい。

そうではなくて、洗濯機にかけて
乾燥したら短くなってしまったの
である。

チャプリンズボンでもう二ヶ月くらい
通してきたが、さずがにそろそろ
寒いなあと思い、買いに出かけた。

たくさんの人が売り場にいて、
店員さんたちが忙しそうだったので、
自分で裾を上げて、適当なところに
クリップを当てて留めてしまった。

レジに持っていくと、店員さんが
驚いて「あら、裾上げは?」と聞く。

「自分でやってしまいました。」

「すみませんねえ。」

裾上げの書類のようなものがあって、
そこに股下何センチと書かねばならない
らしく、メジャーで測っている。

「あのう、1センチ違いますけど、
よろしいですか?」
と言われて動揺した。確かに、
一つの方はちょっとくるぶしより
上気味だったような気がする。

素人のやっつけ仕事がばれたか。

「いえ、あの、その、適当に
やったので、それでいいです!」
と言うと、店員さんはおかしさを
こらえるような表情で、もう一度
股下を測ってくれた。

「あら、よかった。測り直したら、
5ミリしか違っていませんでしたよ。」
と店員さん。

ぼくも、それは大いに良かったと思った。
5ミリならば、ギリギリ合格である。

本当は、二つのズボンにはもう一つ問題が
あった。

一つめのズボンを履いたとき、本当は
ちょっときついなと思ったのだが、
「いや、これから大いに運動して、
体重を減らせばよいのだ!」
と未来の自分へのプレッシャーとして
採用した。

履けないことはないのだから、いいやと
思った。

ところが、二本目のズボンを試着室に
持っていった時、一本目と同じ
サイズにしたつもりが、3センチ大きい
ものを持ってきてしまった。

カーテンをしめ、ズボンを脱いでしまって
から気付いた。

これから売り場に戻って交換して
着てもいいが、もはや面倒くさい。

「いいんだ、二本目は、3センチ大きい
やつでいいんだ。」
と思った瞬間、なんだかほっとして、
新年から温かく豊かな気持ちになった。

「いいんだ。二本目は、3センチ大きい
やつでいいんだ!」

今年になって自分に言い聞かせた、
「人生のスローガン」一つめだった。

レジに持っていった時、店員さんに
「ウェイストのサイズが二本で違いますが
いいんですか?」と指摘されるのでは
ないかと思ったが、なぜか見落とされた。

本当は気付いたのに黙っていてくれたのかも
しれない。

寒かったが、森の中を走った。

論文の方は、Supplementary Online Materialを
こつこつと直す。

頭の中が、チャンネルやカレントで
いっぱいになる。

ズボンも買えたし、充実した良い
正月二日目だったように思う。

柳川透クンからメールをもらう。

From: "Toru Yanagawa"
To: "Ken Mogi"
Subject: 速度の件

レンジを指定する、という方法がいいと思われます。
evoked mapとongoingなフレームの間の相関係数を計算し、その時系列の自己相関関数の時定数が80msであるとき
相関がなくなるまでの時間を推定するとする。
生理学のデータの自己相関関数は、下に凸の関数なので
線形近似したとしても、大きく見積もっていることにはならない。
どちらかというと、下限を厳しく見積もっていることになる。
ゼロになる時間を見積もると、
80/0.63=127msec
この時間は、状態が完全に変わるまでの時間であるとし、
その間に、パッチが、1mm(1コラム程度)すすめば、相関はなくなっているであろうと仮定すると
1000/127= 7.875 mm/sec。

柳川クンが言う方向でいいのではないかと思う。

1月 3, 2009 at 07:45 午前 | | コメント (21) | トラックバック (3)

2009/01/02

Seals and the violin

Seals and the violin

The Qualia Journal
2nd January 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 2, 2009 at 09:57 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

人生の感想戦

 将棋の棋士は、対局が終わったあとに
「感想戦」を行い、ここが勝負の
分かれ目だったとか、ここが失着だった
などと振り返る。

 過去の自分の経験を振り返って、
「こうすれば良かった」と認識するのは
脳の使い方としてとても興味深い。

 「後悔」(regret)するためには、
現実(factual)と反現実(counterfactual)を
比較して認識しなければならない。

 「失望」(disappointment)をするためには、
単に事実を認識すれば足りる。
 一方「後悔」するためには、実際に起こった
ことだけでなく、「起こったかもしれないこと」を
認識しなければならない。
 大変高度な脳の働きである。

 人間というものはやっかいなもので、
何かで失敗したりすると、それが起きた
という事実自体を振り返るのがイヤに
なる。うまくいかなかったこと自体を
否認しようとしたり、あるいはなるべく
考えないようにしたりとする心理的機構
が生じる。

 その意味で、将棋の棋士は、普通の
人の習慣の外にあることをやっている
ことになる。
 とりわけ駆け出しの奨励会の時に、
実戦と同じくらいの時間、時にはそれ以上の
時間をかけて感想戦に臨むのは、
 そうすることで実力が上がるという
ことを経験則上知っているからであろう。

 時には「人生の感想戦」をやってみたら
どうか。
 過去の時期のあれこれを振り返り、
「あの時こうすれば良かった」
「あのようにしていた方が、きっと
こうなっていたに違いない」と
想像して見るのである。
 
 勇気をもって過去を振り返る者に、
 medial orbitofrontal cortex(内側前頭眼窩皮質)
のご加護あれ!

 引き続き、論文について考える。
 ネットの向こうには、柳川透クンが
スタンバイしている。
 いろいろとやりとりをしながら、
二人で考えていく。
 膨大な作業量で、とても終わりそうもない
と思うことも、向き合っているうちに
八合目くらいまで上がって
来るから不思議だ。

 もっと、一山越えても、また
一山、もう一山とあってキリがない。

 フジテレビ。『かくし芸大会』
の生放送。

 フジテレビの朝倉千代子さん、
渡辺プロダクションの大和田宇一さんと
打ち合わせ。

 「この前、東京ドームの近くで
取材があったんですよ。」と私。

 「うんうん」と朝倉さん。

 「それで、たくさん人が集まっているから、
今日は何があるんでしょう、と聞いたら、
ナントカというグループのコンサートが
あって、それで大変なことになって
いるんだというんですよね。」

「ええ。」

「それで、そのナントカというグループを
私は知らなかったのですが、実は凄く
有名らしくて。ほら、今年のレコード
大賞をとった人たち。」

ここで大和田さんが驚く。

「えっ。EXILEですか!」

「そうそう、それです。」

「EXILEを知らないなんて、かえって
新鮮だなあ!」

大和田さんが、絶滅危惧種を見るような
目を私に向ける。

本当に、ぜんぜん知らなかったのです。

でも、柳川クンの論文を直しながら見ていた
「紅白歌合戦」でEXILEの人たちが出てきて、
その歌や踊りは私の大変好きなタイプの
ものでした。

自分が世間から大きくずれていることを、
こういう機会に知って、大いに反省する。

生まれて初めて羽織袴を着る。

隣りに座ったフェンシングの太田雄貴さんに
聞くと、太田さんも初めて着たとのこと。

今年は難しいことに挑戦して、
大いに反省して、そしてもう一回くらいは
羽織袴を着ることとしよう。


フジテレビの神原孝さんと。(photo by Chiyoko Asakura)


フジテレビの小松純也さんと。(photo by Tomio Takizawa)



スタジオ前の廊下で。(photo by Tomio Takizawa)

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 前節で述べたように、量子力学が非決定論であるということの意味は、個々の選択機会における結果が予見できないという意味である。このような選択機会のアンサンブルを考えると、その結果の分布は、完全に決定論的な法則によって記述される。
 このことから、たとえ、量子力学が、自由意志の起源にはなり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。何故ならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。
 このことについて、第6章で紹介した「中国語の部屋」(Chinese Room)の議論を提出したサール(Searle)はその著書「心、脳、科学」の中で、明確に述べている。

 たとえ物理的粒子の振舞いの中に何らかの不確定性の要素があり、その予測は統計的なもののみによって可能であったとしても、粒子の振舞いの予測が統計的にのみ可能であるという事実からは、人間の心がその統計的にのみ決定された粒子に命じてその本来の経路から外れさせることが可能であるという事実が帰結するわけではありません。それゆえに、この統計的不確定性という事実のみから人間の意志の自由の可能性は生じ得ません。要するに、不確定性という事実は、人間的自由が持つ何らかの心的エネルギーが分子を動かし、それがなければ別の方向に行っていたはずであったその分子の運動の方向を変えるというようなことが可能である証拠にはならないのです。

よりあからさまに言えば、量子力学に基づく自由意志は、次の「アンサンブル限定」(ensemble restriction)の下にあることにある。

 アンサンブル限定(ensemble restriction)

 個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、このような選択機会のアンサンブルを考えると、その全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。

 アンサンブル限定の付いた自由意志においては、個々の選択機会については、あらかじめその結果を完全には予測できないという意味でそこには「自由意志」が存在するように見える。だが、同じ様な選択機会の集合(アンサンブル)を考えると、そこには決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できるのである。
 あなたが、ある瞬間に意志決定を行うとしよう。その選択肢は、AかBかという簡単なものでも、あるいはもっと複雑なものでも良い。あなたの意志決定が量子力学的なプロセスに基づくものであるとすると、その瞬間の意志決定の結果が、どのようなものになるかは、あらかじめ予想することはできない。現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想することは不可能なのだ。これが、量子力学の非決定性である。
 さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。このアンサンブルの中の、ある特定の「あなた」の選択は、上に述べたような理由で予想することはできない。しかし、全く同じような「あなた」のコピーからなるアンサンブル全体としての振る舞いは、完全に決定論的な法則で予測することができるのだ。
 必ずしも正確とは言えない比喩だが、一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。私たち一人一人は、何歳で結婚するかを、自由意志に基づいて決定していると思っている。確かに、ある人が何歳で結婚するかは、完全に予想することは不可能である。だが、社会の中のこのような人々のアンサンブルをとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかということについては、厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。アンサンブル限定のついた自由意志は、たとえて言えばこのようなものだ。つまり、個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由はないのである。

茂木健一郎 『脳とクオリア』 

第9章6節 アンサンブル限定のついた自由意志 より

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1月 2, 2009 at 09:08 午前 | | コメント (28) | トラックバック (3)

2009/01/01

Constraints and freedom

Constraints and freedom

The Qualia Journal
1st January 2009


http://qualiajournal.blogspot.com/ 

1月 1, 2009 at 10:06 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

新・世界七不思議3

 新・世界七不思議3

 テレビ東京系列 
 2009年1月1日(木)21時〜23時24分

新・世界七不思議3

1月 1, 2009 at 08:09 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

かくし芸大会 2009

 かくし芸大会 2009

 フジテレビ系列 
 2009年1月1日(木)18時30分~20時54分

かくし芸大会2009

1月 1, 2009 at 08:05 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

驚異なんて

 情熱は大切だけれども、それは情熱自体に
あこがれて導かれるわけではない。
 
 なにかこの上なく具体的なものとの出会いによって、
人は情熱を知るのである。

 私は子どもの頃自然を愛することを学んだが、
抽象的な概念としての「自然」にあこがれたのではない。

 蝶という、具体的な生きものの印が
心の中に刻まれたがゆえである。

 「科学者」とう抽象的な存在になろうと
思ったわけではない。
 小学校5年生の時に伝記を読んで、
アルベルト・アインシュタインというたった
一人の生涯と事蹟に「感染」したのである。

 具体に感染しなければ、情熱など
生まれない。

 本当に、たったこれだけという、
きわめて具体的なもの。

 情熱的にになりたいなどと、抽象的な
泡を吹いていても仕方がない。

 世間がこれがいいと言うから、自分でも
それがいいと思うなどという人は情熱の
姿がぼやける。

 自分が命がけでそれを追うことのできる、
たった一つの何ものかを見つけよ。

 一日中論文をあれこれと考えていた
大晦日。

 森の斜面を走る。オレはまだ
道なき雑草の間を駆け抜ける力を持っているか。

 空気が冷たい。この感じが
いいんだよな。

 上はトレーナーを羽織るが、下だけは
どうしてもショーツでなければならない。
 こればかりは、子どもの頃からの習慣で、
仕方がない。

 下もトレーナーを履くと、まどろっこしくて
しょうがないんだよ。

 虫たちは、枯れ葉の下で、土の中で、
樹皮に隠れて、
 厳しく長い冬を堪え忍んでいる。

 いずれまた、
満開の桜の花を見上げることができるよナ、
ねえオケラくん、ゴマダラチョウの幼虫、
ユズリカの卵よ。

 考えてみると、驚異なんてそこらへんに
ありふれて転がっているなあ。

 宇宙は神秘の出し惜しみをしないよ。

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 以上の議論をまとめよう。
 私たちは、認識の問題を根本的に説明しようとするとき、反応選択性の概念は採用できないことをみた。反応選択性には、幾つかの致命的な欠点があるからである。反応選択性は、せいぜい、過渡的な説明の道具として使うことができるに過ぎない。私たちは、もし認識がニューロンの集団の発火からどのように導かれるかを理解しようとしたら、「認識におけるマッハの原理」にまで遡って考え始めなければならない。
 それにもかかわらず、今日、電気生理学では反応選択性の概念を実験データを解析する際の最も有力な枠組みとして採用しており、また、それが実際ある程度の有効性を持つことも事実である。これは、どういうことだろうか? 何故、反応選択性の概念は、感覚野のニューロンの反応特性を理解する上で、ある程度有効な概念なのだろう? 認識の問題の最終的な解決は、「認識におけるマッハの原理」に基づくはずだ。反応選択性の概念がある程度機能するということは、「認識におけるマッハの原理」と「反応選択性」の間に何か深いつながりがあることを示唆するのだろうか?
 実は、この点は、認識の問題を考える上で、今日、最も重要な論点の一つである。「認識におけるマッハの原理」は、正しいことは疑いないが、そのままでは役に立たない。一方、反応選択性の概念は、最終的には正しくないが、実験データの解析にはある程度役に立つ。実験データの解析という面においては、「認識におけるマッハの原理」は、全く無力だ。実際、私は、電気生理学者に、
 
 お前の言うことは良くわかった。じゃあ、一体、反応選択性以外に、ニューロンの反応特性のデータを解析する有力な概念があるのか? あるのならば、教えて欲しい。

といわれたら、返事に詰まってしまうだろう。実際、現在のところ、反応選択性以外に、観測可能な量はないのだ。だが、何か道があるはずだ。反応選択性の概念と、「認識におけるマッハの原理」が、握手をしてつながる場所がどこかあるはずだ。この世紀の握手が成立したとき、その時こそ、認識の問題におけるブレイク・スルーが起こる時だろう。
 だいぶ複雑な議論をしてきたので、最後にこの章の議論の論理構造を図式化してみる。
 
反応選択性は、実験上も理論上も重要な概念だ。

だが、反応選択性には、認識を説明する原理としては、
致命的な欠陥がある。

「認識におけるマッハの原理」が健全な出発点だ。

だが、「認識におけるマッハの原理」は、
現状では観測可能な量を定義できない

結局、反応選択性を実験データの解析上使い続けるしかない。

 誠に遺憾ながら、以上が、認識をニューロンの反応特性から説明しようという努力の現状である。
 先に、「マッハの原理」は、きわめて正しいし、深遠なのだが、あまりにもラジカルなので、実際に役に立つ法則を産みだせなかったと述べた。インパクトのある理論をつくるためには、アインシュタインが行ったような、妥協と中庸の道をいくしかなかった。
 「認識におけるマッハの原理」についても、同じことがいえる。この原理は、あまりにも正しく、そしてあまりにも深遠だ。だが、そのままでは、あまりにもラジカルで、何の役にも立たない。欠陥だらけと知りながら、「反応選択性」の概念を使い続けざるを得ないのだ。
 本当に難しいステップ、それは、アインシュタインがやったように、「認識におけるマッハの原理」から、何らかの妥協を経て、インパクトのある理論を作ることだ。今、認識の理論は、一人のアインシュタインを必要としているのである。

茂木健一郎 『脳とクオリア』 

第2章11節 認識におけるマッハの原理と反応選択性との関係 より

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1月 1, 2009 at 08:00 午前 | | コメント (23) | トラックバック (5)