新鮮な出会いの喜び
新鮮な出会いの喜び
私が、脳についての講演をする時に
いつも最初に見せる図がある。

脳を「システム」として理解すること。
その必要性を明白な事実として突きつけたの
は、1996年に報告された「ミラーニューロン」
であった。
たとえば、ある情報が一つの脳内領域で
「表現」されるだけでは足りない。
それが、脳の中で「利用可能」な情報と
なるためには、前頭前野を中心とする
志向性のネットワークと、その情報表現
のクラスターの間に「マッチング」
が取られなければならない。
そのことは、たとえば、「両眼視野闘争」
(binocular rivalry)の現象を見れば
わかる。
「私」に視覚野で表現されている
情報が「見える」ためには、
感覚情報のクラスターが存在する
だけでは足りず、それが前頭前野
を中心とする志向性のネットワークと
の間で「マッチング」が取られなければ
ならないのである。
世田谷のスタジオで、
『”つづく”で終わる物語2』
の収録。
ビートたけしさん、森永卓郎さん、鳥越俊太郎さん、
阿川佐和子さん。
放送は、2008年12月28日(日)
19時〜20時54分
番組表
たけしさんを横から見ていると、
まるで、時々溶岩が噴出して、そのまま
冷えて固まってしまったような人だなあと思う。
今でもマグマ活動は継続していて、
ぷしゅー、ぷしゅーと不思議でゆかしい音が
聞こえてくる。
大学以外の進路が何かという話をしていて、
鳥越さんが「ドイツにはマイスター制度が
ある」と言った。
すると、たけしさんが、「オレも、ドイツに
行くと、なぜお前はマイスターじゃないんだ、
って言われるんだよな。」と言う。
「ドイツでは、監督もマイスターなんですか」
と私が聞くと、
「そうなんだよ。お笑いやって、それから
映画監督をやってっていうと、どこで
マイスターの学校に行ったんだ、と聞かれる
んだよ。」
「それじゃあ、日本の方が、良い国だと
いうことになるわね」と阿川佐和子さん。
収録終了後、阿川さんが「クリスマス
のスペシャルよ」といちご大福を下さった。
普通のものとは違って、いちごが
大福の中に半分埋もれてあとの部分は
顔を出している。
空腹につき、ありがたく頂いた。
口の中で酸味と甘みが交わる
「そうか、普通のいちご大福は、いちご
とあんが長年慣れ親しんでこなれて
いるような関係。これは、新鮮な
出会いの喜びなんだなあ。」
新鮮な出会いの喜びを、
いちご大福に学ぶ。
深夜、主観性のことを考える。
___________
あなたは、あなたの利き目がどちらか知っているだろうか? 利き目が左目か右目かを確認するためには、自分の人さし指を自分の鼻の前当たりに置いてみる。まずは、両目で見て、その視覚像を確認する。それから、右目と左目を交互に閉じてみる。目を閉じた時に、指の像が変わったとしたら、その目が利き目である。例えば、左目を閉じたときに視覚像が変われば、左目が利き目であるということになる。
両目を開いている時には、両眼視野闘争が起きる。左目が利き目だとすると、右目、左目からの人さし指の像のうち、利き目である左目が優先され、私たちの心に見えるものとなる。この時、右目からの視覚像は「抑圧」され、心の中にクオリアを伴って見えることはない。もちろん、右目からの視角情報も、私たちの脳の中の神経回路網を通して解析されている。右目からの像は、左目からの像との比較を通して、3次元の奥行きの知覚をもたらすという形で利用されている。しかし、私たちの心の中に見える像はあくまでも利き目である左目からの像であって、右目からの像は見えないのである。この場合の両眼視野闘争においては、利き目である左目が勝っているわけである。
両眼視野闘争が起きている状況の下で、左右の目のいずれかを閉じると、どのようなことが起こるのか、少し詳しく見ていこう。
まず、利き目である左目を閉じたときには、左目からは視覚情報が脳の中に入って来なくなる。この際には、今まで「抑圧」されていた右目からの視覚情報が、心の中に浮かび上がってくる。利き目ではない右目からの視覚像にチャンスが巡ってくるわけである。利き目である左目を閉じることによって、私たちの心の中に見える像は、左目から入力した像から、右目から入力した像に変わる。図のように左手の人さし指を鼻の前に置いた場合には、利き目である左目を閉じた時には、左目を開いている時に比べて人さし指の腹側がよりよく見えるようになる。このように、利き目を閉じた時には、私たちの心の中の視覚像は、利き目から来た視覚像から、もう一方の目から来た視覚像に変わる。利き目を開いたり閉じたりすることをくり返すと、心の中の像はそれに応じて切り替わる。
一方、利き目でない方の目を閉じても、私たちの心の中の像は変わらない。何故ならば、もともと利き目からの像が優先して心の中に見えていたわけで、利き目でない目を閉じても、その目からの視覚情報は最初から心の中に見えていなかったのだから、私たちの心の中の像は変わらないからである。もちろん、利き目でない目を閉じることによって、視角差による距離の情報が失われ、その結果奥行きの知覚の一部が失われるはずである。しかし、実際には、利き目で見える範囲の視覚像を構成するクオリアには、利き目でない方の目を閉じても、ほとんど変化が現れない。このことは、奥行きの知覚が、色のクオリアやテクスチャのクオリアのような鮮明な性質を持ったクオリアを伴って行われるのではなく、むしろ言葉の意味のような抽象的なクオリアを伴って生じることを示している。また、実際に、両眼視野闘争が「右目か左目か」という二者択一の形で起こることも示される。
さて、もし、左目が利き目だとすると、実際には、右目を閉じた時に、心の中に見える視覚像には大きな変化が生じているはずである。すなわち、今まで見えていた右側の視野の一部が見えなくなるはずである。普段、私たちが両目を開いている時は、図のような、横長の楕円形のような視野を通して世界を見ている。この視野は、両眼視野闘争という観点から見ると、3つの領域からなっている。まず、だ円形の右端及び左端に、それぞれ右目、左目からしか見えない領域がある。これらの視野の部分は、その領域を唯一見ることのできる右目、左目からの視覚像から構成されている。
一方、正中線を挟んだ視野の中央の領域は、右目、左目からの情報の入力がオーバーラップしている部分である。この部分において、両眼視野闘争が生じる。鼻の前に置いた指の例のように、この中央の領域においては、利き目からの視角入力が優先され、そちらからの視覚像だけが見える。もう一方の、利き目ではない目からの視覚入力は心の中で見えない。
例えば、左目が利き目だとすると、図のように、視野の左端から正中線を右側に少し超えた領域までが、左目からの入力に基づいて構成される領域だということになる。一方、視野の右端までの残りの領域は、右目からの入力に基づいて構成されているということになる。すなわち、正中線の右側に、左目からの入力から構成される領域と右目からの入力から構成される領域の境界があるということになる。私たちは、横に長い楕円形の形に広がっている視野は、滑らかにつながった単一のものという印象を持っているが、両眼視野闘争という観点から見ると、上のように異なる性質の領域をつないだものだということになるのである。
茂木健一郎『クオリア入門』 (ちくま学芸文庫)
12月 25, 2008 at 07:24 午前 | Permalink
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コメント
はじめまして。
このブログ、読むと、心が気持ちよく流れるような感じがしてすっきりとなるので、惹きつけられます。
心脳問題について参考になることも載せられていて、興味深いです。
さっそく、利き目がどちらなのか確認してみましたが、私のばあい、何度やっても両目利きという結果がでました。
そんなケースがあるのでしょうか?
確認のし方がまちがっているのでしょうか。
私は近視ですが、左右、完全に一致して度が進んできました。やはり、両目利きなのでしょうか。
私は、よく片目を瞑ることがあるのですが、なぜかというと、両目をあけていると非常に疲れやすく、片方を瞑ると楽になるからです。
耳についても、どちらでも電話を受けます。
私はもともとは右利きですが、今ではどんなことでも左でもできます。
自慢のようなことを書いてすみませんが、驚いたので、必然の流れで書いたつもりです。
私も心脳問題に非常に関心があるので、茂木さんのサイトを活用させてもらっています。
投稿: 西山 | 2008/12/25 9:17:25
脳って、すごいですね!そんなにすごい物を自分が所有しているという実感がないというのも、すごいというか、不思議!これからも、いろいろ教えてくださいね!
投稿: ふぉれすと | 2008/12/25 9:36:43
茂木健一郎さん
メリークリスマス☆今日はx'mas ですね。どんな1日を過ごされていらっしゃるのでしょうか?昨日の苺大福、美味しそうですね、私も今度買いに行こうかと思います。今日は、キッズクラスのクリスマスパーティー、子供たちにサンタさんが来たかどうか、聞いてみようと思っています。心に喜びが訪れる時間は貴重ですね。
投稿: mak | 2008/12/25 13:03:43
茂木さんへ、メリー・クリスマ~ス!
サンタさんの準備は万全ですか?!(笑)
どうぞ、素敵なクリスマスを!
さて、なにやらまた難しそうな文章がありましたが、
「マッチング」ですか?!
心に描いたことは、実行できる様に・・・。
「初心わするべからず」と、ふと、思いました。
私は、わかっているのか、どうか???(笑)
ドイツのマイスター制度は、ある分野においては
よい制度なのではないでしょうか?
夫が言っていましたが、「ドイツ人というのはとにかく
勤勉だ~!」と。
マイスター制度なんぞがあるから?!なのでしょうか?
ライシャワーさんゆかりのスクールで、鳥越さんは私の
先輩です。(笑)
福岡で家業?!はとても有名ですね。
笑顔がとても素敵な方ですねー。
「新鮮な出会いの喜びをいちご大福に学ぶ」とは~。
茂木さんらしい表現ですね~。(笑)
自分の「利き目」なんて、今まで考えたことも
ありませんでした!
多分、私の利き目は右ではないかと思います。
これは、どういうことなのでしょう?
利き目は左目が多いということなのですか?
因みに私は幼い時は利き手が左右どちらでも。
今も大半にわたって両方ともOK!ですが・・・。
バスケをする時は重宝がられました。
図面を書く時、学校の先生から「便利いいなぁ~!」
とよく言われていました。
何か変なのでしょうか~???
不安です。(笑)
今でも時々、職場で「えっ、左利きなの?」と言われる
ことが・・・。
自分では自覚がなく、やってしまっているのです。
一番、驚かれたことは、レストランでサービスのレクチャー
をする時に、カップ&ソーサーを右手で重ねて持ち、左手で
サービスした時、みんなから「出来ません」と言われ、私は
「はぁ~???」と言うと、‘利き手が違って出来ない’と
言われていた事に気づき、笑ってしまったことが。(笑)
電話の受話器は左ですし、マイクも左です。
何かあるのですか?「脳科学」的に・・・心配です。(笑)
楽しいクリスマスが・・・今日、仕事先でみ~んなに、聞いて
しまいそう~。
では・・・。
投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/12/25 13:28:33
親愛なる茂木様
今日はクリスマスですね。
先日サンタさんを発見いたしました。17日に府中で火事があり、寝たきりの高齢者を高校生が助けたニュース、茂木さんご存知ですか?
松本優士さんという方です。松本さんは火元の向かいにお住まいで、当日火事を知るとバケツで水をかぶって救助活動されたとか。
自分しかやる人がいなかった。当たり前のことをしただけと松本さんは仰ってましたが、一段落したら足がガクガク震えたそうです。
当たり前にできることではありません。
凄い若者がいるなぁと深く感動いたしました。簡単に殺人事件がおきる現代で、泉のようなニュースです。
サンタさんというよりイエスさまに近い方ですよね。
それでは茂木さま、よきクリスマスをお過ごし下さい。
追伸
私の効き目は左目でした。左利きだから左目なのでしょうか? 気になります~
投稿: 眠り猫2 | 2008/12/25 13:37:59
茂木さんはじめまして。
ゆうると申します。
本文と関係なくて申し訳ないのですが、
週刊アスキー掲載の神足さんとの対談を拝見しました。
すごく面白かったです。わくわくしました。
TVに出演されている茂木さんしか知らない方にも
ぜひ読んで欲しい、と思いました。
僕は今年、つい最近ですが農業を本格的に始めました。
冬は冬ですることがあるのですが、早く春が来ないかと
思う反面、炭火をいじりながらボーっとしたり
いろんな事を考えたりするのも至福の時間です。
農業って、自然って大変なものですが
素晴らしいです。その事に毎日出会い喜びを感じています。
動!
失礼しました。
投稿: ゆうる | 2008/12/25 14:55:50
こんにちわ
ミラーニューロンで、「他者の喜びが自分のように分かる。」と、言う事では、ないでしょうか?
また、「他者の喜びが腹が立つ」のも、このミラーニューロンの裏返しではないでしょうか?
両眼視野闘争ですが、私の場合小学校ぐらいに、手で輪っかを作って、両目を開けたまま、右目で見る、左目で見る、と言う事が出来たのですが、中学校になって、ゲームや受験勉強するようになって、右目が強くなり、左目で見る事が出来なくなりました。学生になりラグビーをするようなると、元のように、両目を開けたまま、右目で見る、左目で見ると言う事ができるようになりました。
イチゴ大福、食べたくなりました。これも、ミラーニューロンのおかげ?(^^)
、
投稿: イチゴ大福のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/12/25 17:42:14
こんばんは。
茂木さんが深夜に考えた「主観性」は「私の感じ方・捉え方・考え方」というより、「自分が見た視界の事実・実態」の方を指してらっしゃるのですよね。ニュアンスが違ったり、全然ちがってたら、ごめんなさい。
確かに視界の中に境界があってもおかしくない考え方ですね。
おかしくないけど、それ以上に快適で素晴らしい機能を持ってるよって
人間のからだは さり気なく、言ってる気がしました。
有り難く感じます。
からだって愛おしいって思いました。
ところで、茂木さん、お伺いしたい事があります。
仕事場で付き合いがある人の中で、私は一部、特定の人に言葉が反射的に発せません。会話はどうにかできるのですが、心臓がドッキドッキして、思考に時間を要し、この返答でいいのか、どうか すごく気になるのです。
あいさつに始まり、仕事の話、雑談まですべてに及びます。
私はその一部、特定の人を尊敬し、憧れ、好きなんだろうと思います。
また、自分とは全く違う世界に暮らしていると思っているのです。
どうにかしてもう少し普通にできる方法を教えて下さい。
さり気無く、私に指南してください。
私、気付きますから!
TVは持っていないので、その他の方法でお願い致します。
へへへっ。 へへへじゃないですよね!まったく!!
期待をこめて…
おやすみなさい(#^^#)
投稿: 光嶋夏輝 | 2008/12/25 22:43:55
いちご大福、美味しそうですね。鼻の前に人差し指を置いて利き目を試してみたら、私は右目でした。
主観性についてのお話で、思い当たることがあります。いつも真っ正面で向き合って話をしていた人が、私の左側へ来て話をした事があります。その時の私は、いつも以上にドキドキし、その人の気持ちもダイレクトに感じられた気がしました。…これも茂木先生のお話の事に関係するのでしょうか?
投稿: 奏。 | 2008/12/25 22:52:45
茂木健一郎さま
書籍は北海道に持参
スキーの後、半井小絵さんの気象解説を拝見後、時間は宿泊先で、たっぷり、小樽の本屋さんにも行ってみよう!
半井小絵さんの解説をみて、27日、札幌のマーク
雪だるま!に、猛吹雪マークが
飛びますよね?
茂木健一郎さま
27日、私は日本航空さまの513便 羽田発 9時の朝の便で札幌に、そして小樽へ。
あれ、ですよ
一度だけ新千歳空港が視界不良で空中待機
今、どこ? 地図を画面の、ぐるぐる旋回のルートが、あれは、さすがに
えー??
やっとこさっとこ着陸の後すぐ、新千歳空港、吹雪で閉鎖
あれは、さすがに
それを、思い出します
半井小絵さん解説での
27日、札幌は吹雪マーク!
あした、今、26日なので、あしたから小樽です。
投稿: TOKYO / HIDEKI | 2008/12/26 0:17:20
実は私TVをみないし、PCも必要最低限使わないし、携帯電話も使わないし、映画や本も現代のはあまり読まないので、都会に引っ越した時は戸惑いました。「電子マネー(スイカ・パスモ)」にいちいち感動してました。突如「お受験文化」に突入した時は日本語を共通に話しながら同じ民族なのかと思いました。評論家は一概に「若者」はというけどいろいろいると思ってます。明治で教育制度は国民に等しい価値観を授け「日本人」をつくったけど、そのお家ごとにお家の教育があったと思います。敗戦したので私は生まれたけど、別に私でなくてもだれでもよかったのかも。北野さんはじめ芸人の方は尊敬しております。人を笑わせることは難しいことです。東條氏のポスターを拝見しましたが、「達観視」で描かれること期待しております。ですから、日本のことでもろに変え額より、メタファーを用いたほうがよいかともおもうのです。その時代を生きている人に達観視はほぼ無理でしょう。「傷」がある人が多いから、賛否両論あるでしょうね。私は最新の情報に流される前にゆっくり考えたり、読書をする時間を持てて幸いだったと思います。茂木さんをはじめに知ったのは書店で、「小林秀雄賞」をみかけたからです。「賞」じゃなくて「人名」のほうです。そして京都大学の過去問でみかけました。近代文語文が評論に変わったことをとても恨めしく思いました。「お受験文化」をいきるのがとても辛いので逃避しすぎました。みんな御三家などをうらやましく思うかもしれないでしょうけど、かなり努力家で日々没入しています。東大だとか医学部だとか、そんないいことばっかりだと羨ましく思うのは間違ってます。没頭しないとできないこと、受験ではヒラメキとか要らないけど、私は俯瞰して生きられなかったので、人生への執着を学んでいる最中です。いつも長文失礼いたします。独り言には何の意味はありませんね。
投稿: A STRAY SHEEP | 2008/12/26 2:06:52
たけしさんを見ていると、彼の一挙手一投足の中に、凄まじい何かを感じることがある。
彼のように、映画、小説、お笑いに至るまで、全てをやり通す人は、今の世の中、なかなかいるものではないと、彼の出演しているTVを笑いながら見るたび、頭の中で微かに感じている。
『つづくで終わる物語2』是非、拝見したいと思います。
投稿: 銀鏡反応 | 2008/12/26 5:34:56
茂木先生お早う御座います♪
眼を開ければ何も考えずとも広がる世界ですが、中央の左右の視野の重なった部分は両眼視野闘争が生じ、利き目からの情報が勝ち、利き目でない方の像は3次元の奥行きをもたらす知覚になっていたとは驚きです!
そして、確かにどちらの目を閉じてもクオリアに変化はありませんでした。
見るという行為一つとっても脳内では感覚情報のクラスターと志向性のネットワークとの間にマッチングが取られて表される、その結びつけのシステムが面白いと感じました。新鮮な出会いの喜びとても深いです。
それでは先生、今日も良い1日をお過ごし下さいませ。(*^∀^*)ノシ
投稿: wahine | 2008/12/26 7:33:07
モギー先生おはようございます。
大いなる福に苺一会…
美味しい出会いは、生きる喜びですね。
利き目の右目閉じ―
フィルム像が逆さなのも、現像やプリント時間も感じられず、毛斑上にくるだろう像がどのへんかも、認識できず…
説明と合理の世界は存在や生命の世界ではない、ことを改めて感じまする。
裏方の細胞達に支えられ、さらに今回は脇役を主役に抜てきし、左目様にブログを読んでいただきました(笑
有り難き我が細胞活動!と感じ入る次第。
利き目ではない目だけである期間生活して、真新しい物に触れるとすると、そこに新しく何か生まれるんでしょか?
それを利き目で見ると新しくなかったりすることはあるのでしょか?
昨日、私も(見えないモノ)について少し考えてました。
私の場合は、可視域でないモノの存在について。
人の、というより、自分の、かな。
モギー先生も、歩行思索には気をつけてくださいね。
私はよく固いモノにぶつかります(笑
今日も素晴らしい一日になりますよに!
モギー
投稿: 玲 | 2008/12/26 9:31:42
利き目が意識だとすると、利き目でないほうの目は無意識でしょうか。
利き目でないほうの目は、いわば空間を読んでいると教えていただきました。
空気(雰囲気)を、色や触覚ではなく、言葉の意味を理解するように、なんとなく読んでいるのでしょうか。
感じて、それからしっかり読むときには
利き目のほうがその目標にフォーカスするのでしょうか。そしてクオリアを立ち上げる。オーラが見えているのかもしれません。
両目のオーバーラップしている領域で、両眼視野闘争が起こり、勝ったほうの領域が拡大し、その国の言葉になるのかもしれません。
投稿: NHK | 2008/12/26 9:44:48