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2008/12/31

Itching.

Itching.

The qualia journal.
31st December 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

12月 31, 2008 at 10:37 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

バブル賛歌

茂木健一郎 偶有性の自然誌 第5回
「バブル賛歌」

考える人 2009年冬号
2008年12月29日発売

http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html

一部抜粋

 真理はしばしば「反時代」的なものである。同時代の文脈において価値がないものと思われているものの中に、私たちの生命を育むかけがえのない作用が含まれていたりもする。
 一身限りの私秘的なバブルが多くの場合生命に良き作用を持つことは論を待たない。何も、晩年まで恋と創作における衝動の間を行き来したかのゲーテのようにせよ、というのではない。どんなに小さなことでも良い。いつかはそれが衰え、破綻することを畏れずに、泡沫的感情の中にこそ身を浸すべきなのだ。今日は一体どのようなバブルに遭遇できるか。そのことを楽しみに、その甘美な予感に戦きつつ生きよ!
 一方、マクロな経済におけるバブルはできれば避けるべきものと見なされ、その発生は政策上の失敗に帰着させられることが多いが、本当にそうなのか。真理愛好者は疑わなければならない。人間の脳が大小さまざまなバブルによって学習を進めていくように、人類社会もまた、バブルの痛みを通して学んでいくのではないか?
 小さなひらめきまで入れれば、人間の生涯にあるバブルの数は何万の単位となるだろう。それに比べて、人類が経験したバブルの発生と破綻の、まだなんと数の少ないことか。チューリップ・バブル、南海泡沫事件、ミシシッピ計画事件。私たちの祖先は、これらの歴史的バブルを通して、必ず何かを学んだはずだ。日本におけるバブル経済の崩壊には、何某かの教訓が無かったか? 私たちは、賢さによってバブルを避けるのではなく、むしろもっと巧みにバブルを経験するように文明を進化させなければならないのかもしれない。チューリップ・バブルによって、当時の人々が花の愛らしさを学んだように、インターネット・バブルによって、私たちが新しいメディアの可能性に目覚めたように、バブルの中に巧みに身を浸して、微笑みつつ進んでいくことが、人類の文明の次なる課題なのかもしれない。
 偶有性の海を航行しながら、あえて「バブル賛歌」を口ずさむ。人類の文明は、バブルの一波二波を乗りこえるほどには、まだまだ若いはずだ。

 全文は「考える人」でお読みください。

12月 31, 2008 at 09:56 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

『クオリア立国論』

茂木健一郎『クオリア立国論』
ウェッジ

amazon/

クオリアから見た感性の時代 ークオリア立国ー

12月 31, 2008 at 08:41 午前 | | コメント (14) | トラックバック (0)

魂のひりひり

大学院の修士課程の時、私はある人に
しきりにこぼしていた。

「どうして世界は個別化されているんですかねえ。」

その人は、「さあ」と笑って答えなかった。

「それぞれの人が、独立した心を持っていて、
容易に他人のことは与り知れない。このような
状況は、なんとかならないものなのでしょうか?」

「なんともならないでしょうねえ。」
とその人は言った。

ちょうど、根津の交差点を歩いている
頃だったのではないかと思う。

なぜいまだにそんな会話を覚えているのか
というと、自分でも魂がひりひりと
するのを感じていたからであろう。

他者問題はきわめてやっかいで、普遍的である。

今でも、自他の間の障壁がなくなった
わけではないし、その絶望が解けたわけでも
ない。

ただ、人間というものは、親しい人ができたり、
友人があったりするととりあえずはそれで
紛れてしまうものだから、
魂のひりひりが一時的に解消するのでああろう。

それでも、
根源的な問いとしての他者問題が消えて
しまうわけではない。
時折、マグマのように吹き出す。

「心の理論」をめぐる議論において、
自閉症の子どもはそれができないが、
(いわゆる)健常者にはそれができる
などという通常の論旨がある。

ふだんは大人しくしているが、何か事があると
「そんなもん、健常者にだって他者問題は
わかるはずないだろう。わかったことにして、
それ以上の判断を停止しているだけだろう!」
と時折ちゃぶ台返しをしたくなるのは、実に、
青春の根津交差点のせいであろう。

『欲望する脳』の冒頭の方に書いた、
高校の時の宮野勉との会話からの流れは
本当のことである。

__________

 ティーンエージャーの頃、私は孔子よりも老子の方が好きだった。高校のクラスメートで、「論語」を愛読している宮野勉という男がいて、老荘思想にかぶれていた私と何時も議論になった。私が、孔子は世俗を説くだけじゃないかと言うと、宮野は、老子は浮世離れしていて役に立たないと言い返す。「世間知」と「無為自然」の間はなかなか埋まらない。妥協の仕方が見つからないままに、時は流れ、宮野は弁護士に、私は科学者になった。やはり三つ子の魂百までか、というと、人間はそんなに単純でもない。
 私は、孔子が次第に好きになってきたのである。社会に出て人間(じんかん)に交わるようになって、「論語」の持つ思想的深みが味わえるようになってきた。しかも、単なる処世知として評価するというのではない。「私」という人間の存在の根幹に関わるような根本的なことをこの人は言っている、と孔子を見直すようになった。人間を離れて、世界の成り立ちについて考える上でも、孔子の言っていることを避けて通ることができないと思い定めるようになってきた。逆に宮野は、孔子の知は、時に余りにも実践的過ぎて鼻につくこともあると近頃漏らすようになった。人生というのは面白い。正反対から出発して、いつの間にか近づいて行く。やはり、中庸にこそ真実があるのだろう。
 そうは言っても、忙しさに取り紛れて「論語」を真面目に読み返すこともできないでいた。ただ、「論語」のことが、半ば無意識のうちにずっと気になっていた。ある時、私は地下鉄のホームに立って、ぼんやりと現代のことを考えていた。人間が自らの欲望を肯定し、解放することで発展してきたのが現代文明である。自らの欲望を否定し、押さえつけることほど、現代人にとって苦手なことはない。現代人の脳は、欲望する脳である。昨今の世界情勢の混乱も、現代人の野放図な欲望の解放と無縁ではあるまい。そんなことを考えながら電車を待っていた。
 突然、何の脈絡もなく、論語の「七十而従心所欲、不踰矩」という有名な言葉が心の中に浮かんだ。私は雷に打たれたような気がした。この「七十従心」と呼ばれる文の中で、孔子は、とてつもなく難しく、そして大切なことを言っていることがその瞬間に確信されたように感じたのである。

茂木健一郎 『欲望する脳』より

___________

大人にはなったが、それでも、時折
老荘のことを考えるのは、
魂のひりひりが未だに消えてはいないから
であろう。

荘子与恵子游於濠梁之上。
荘子曰「魚出游従容、是魚之楽也。」
恵子曰「子非魚、知魚之楽。」
荘子曰「子非我、安知我不知魚之楽。」
恵子曰「我非子、固不知子矣。子固非魚也。子之不知魚之楽全矣。」
荘子曰「請循其本。子曰女安知魚楽云者、既已知吾知之而問我。我知之濠上也。」

(『荘子』秋水篇)

人間に魚の楽しみはわからない。
しかし、わからないと決めつけることもまた、
相手に対して何らかの予断を持っているという
ことである。

要するにこの世のことはどうにもならぬ。
ただあるようにあるだけである。

しかし、鋭利な刃のような問いを、
人は時には胸の中に喚起してみねばならぬ。

そうでなければ、この世を生きていくその
リズムが単調になってしまう。

時には、「世界はなぜ個別化されているのか」
と問い詰めていた根津交差点に戻って
みたいと思う。

魂のひりひりの包み紙をそっとはがしてみる。
そこには変わらぬ自分がいるはずだ。

12月 31, 2008 at 04:25 午前 | | コメント (17) | トラックバック (4)

2008/12/30

スケルツォの部分の飛躍

 激烈なるものを持っている人
の果実は、
 時に大胆な行動をとるという
ことだろう。

 白洲信哉を見ていると、
乱暴者だなと思うことがある。

 乱暴者だが、愛がある。
 人間、おとなしくしていれば良いという
ものではない。

 用があって、鎌倉で白洲信哉と会った。

 いっしょに、小林秀雄さんの
お墓参りをした。
 

白洲信哉氏

 辻堂のうな平で、うなぎを食べた。

 信哉を見ていると、やはり乱暴ものだ
なと思う。
 しかし、その乱暴さが、たとえば
ベートーベンの第五シンフォニーの
第三楽章、スケルツォの部分の飛躍の
ような、魂の芯に入ってくる心地よさを
持っているのだ。

白洲信哉という男の軌跡と、
私の軌跡が、この広い世界の中で
「衝突」した。
不思議な運命のめぐり合わせである。

________

 三四郎の人生の軌跡と、美禰子のそれが「衝突」するこの場面にこそ、『三四郎』という作品を成り立たせているものの全てがある。恐竜たちを絶滅させた小惑星が、地球に衝突しなかった可能性もあるように、三四郎が美禰子とわざわざ出会わなくても、実は良かったはずである。しかし二人は衝突した。それで全てが変わった。感情の海がさざ波立ち、気持の中に埃が舞い、三四郎の人生の軌道は、取り返しのつかない変更を受けたのである。
 思うに、人と人とが衝突するとは、何と奇跡的なことだろう。そこには、広大な世界、個別化された体験、異性との結合のうちに次世代を生み出すことを運命付けられている生物の有り様など、人間を巡る様々な状況が合流して行く。私たちは偶然におこる衝突の内に託された福音に、もっと自覚的になった方が良い。それが、時にそれがどれだけ破壊的なものであるとしても。
 日本列島の上に固定された仮想の視点から、三四郎と美禰子を表す点の動きを見てみよう。三四郎を表す点は、ずっと熊本で動いている。美禰子のそれは、東京をさまよっている。そのままでは、二つの点はとても接近しようがない。
 やがて、三四郎の点が、日本列島を東に向かって移動し始めるのが観察される。移動の途中で、様々な点と衝突する。衝突した相手は、名古屋の旅館で同宿した女や、プラットフォームの「美しい」外国人のカップルや、それと知らずに出会った広田先生などである。これらの衝突も、三四郎の内部にそれなりの波紋を引き起こすが、熊本に置いてきた旧世界を絶滅させるまでには至らない。
 やがて、三四郎は大学に着く。午後四時頃、弥生門から理科大学に野々宮君を訪ねる。小使が、「おいででやす。おはいんなさい」と言う。三四郎は、野々宮君に、光線の圧力の実験を見せてもらう。三四郎は、「光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦」しむ。言われるままに、望遠鏡を覗く。度盛りが動くのを見る。「丁寧に礼を述べて穴倉を上がって」外に出ると、まだ日はかんかんとしている。三四郎は、池のはたにしゃがむ。そこで、名古屋で同宿し、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言われた女のことを思い出し、赤面する。ふと目を上げたところで、右に引用したように、美禰子に出会う。
 この時、三四郎は、活動の激しい東京の現実にとまどっていたのである。その中で、名古屋で同宿した女もそのサンプルであるところの、女性的なるものを心理的に必要としていたのである。その意味では、美禰子との出会いは、三四郎の心理によって予め準備されていたとも言える。あたかも、三四郎の無意識の願望が美禰子という現象を出現させたかのようである。少なくとも三四郎の内面のドラマトゥルギー、文学のプロットに即して考えれば、そうなのだろう。
 しかし、現実の世界は、三四郎の内面のドラマなどを顧慮してくれはしないはずだ。日本列島の上に固定された仮想された神の視点から見れば、上京し、理科大学の辺りをふらついていた三四郎が、美禰子というもう一つの「天体」に出会ったのは、全くの偶然に過ぎない。二人が出会ったのを必然と呼ぶならば、出会わなかった可能世界もまた同じ権利を持って必然であったはずである。現実世界の軌跡と、可能世界の軌跡は、同じくらい神に愛されている。どちらが起きなければならないという理由はどこにもない。野々宮君がもう少し三四郎を引き留めておけば、衝突は起きなかった。美禰子が、病院に見舞いに来なければ、三四郎が見上げた時、そこにあるのは丘と、池と、高い崖の木立で、はでな赤煉瓦のゴシック風の建築だけだったろう。迷い羊(ストレイ・シープ)は生まれなかったかもしれないのである。
 しかし、実際には三四郎は美禰子に出会ってしまったのであり、衝突は波紋を拡げてしまったのである。『三四郎』は、全体としてこのファースト・インパクトの余波を追った作品であると言っても良い。三四郎の人生という惑星に落ちた超弩級の小惑星がもたらした波紋を、漱石は丹念に追ったのである。

茂木健一郎 「衝突の中の文学」より。
『脳のなかの文学』
(文春新書)所収

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167758016.html


____________

12月 30, 2008 at 06:30 午前 | | コメント (26) | トラックバック (5)

2008/12/29

激烈なるもの

桑原茂一Diaryに、先日の私の愚行に
ついて書かれている。

うーん。思いだしてもヤッチマッタ感が
募る。シャワーを浴びている時など、思わず
うゎつ! と叫んでしまいそうだ。

私の大切な友人たちには、一人として
例外ない特徴があると気付いた。

それは、魂の芯に、激烈なるものを
持っていること。

桑原茂一さんも、そのような人である。
あと、名前をあえて挙げないが、
ぼくの親友のキミタチ、胸に手を
当てればそこにいまにも爆発しそうな
なにものかがあるということを、首肯
するであろう。

田森佳秀にせよ、数学のことしか
考えていないようで見えて社会的なことを
含め頑固一徹者だし。

以前、授業を一度だけ聞いたことが
ある。その時、田森は、あるシステム管理者が
ユーザーの一人がメールを不適切な使い方を
したからといって、全アドレスを使用停止に
したことに対して激怒していた。

「いいですかみなさん、メールアドレスは、
住所のようなものなんですよ。石川県松任市
から、誰かが郵便でヘンな手紙を送ったから
と言って、「石川県松任市」という住所を
使用停止にしますか? こういうことを
やるアドミンはバカなんですからね。そのことを
絶対に忘れないでください!」

激烈なるもの。

先日、ワシントンのSfNで
聞いた話だけれども、
MIT(マサチューセッツ工科大学)では、
今でも、スタッフ全員がIPアドレスを
割り当てられて、それを使って何を
しても全く自由なのだそうだ。

ここにも、激烈なる精神の表れを
感じる。

新報道2001。

食糧問題を扱う。ピラルクの稚魚が
水槽を泳いでいた。

放送終了後、西田恒久さん、渡辺奈都子さん
から、「茂木さん、水槽ばかり見ていましたね」
と言われた。

須田哲夫さんの気配りと、黒岩祐治さんの気合い。
吉田恵さんの可憐。

アスキーの松下幸子さんと、東京ドーム
ホテルへ。

「笑い」についての取材。

和田京子さんが聞き手。

桑嶋維さんが撮影。

スタイリストは山岸恵さん。

タキシードを着る。

「全日本仮装大賞」の収録。

萩本欽一さん、香取慎吾さん。
片岡鶴太郎さん、太田雄貴さん、小倉優子さん、
エド・はるみさん。

太田雄貴さんに銀メダルを見せていただいた。
ずっしりと重い。
そして、美しい。


太田雄貴さんと。

終了後、萩本欽一さんとお話する。

チーフ・プロデューサーの古野千秋
さんが言われるように、ほとんど生放送の
体制で収録を進めるスタッフと参加者の
熱意に頭が下がる。

古野さんはドイツのワグナー協会の会員であり、
二年に一回はバイロイトに行っているとのこと。

うらやましい。

このところ、クオリアと偶有性の
論理的な結びつきについてずっと
考えている。

激烈なるものを抱えたまま、年の瀬を
迎える。

____________

 ある時期から、私は、現代の文化はスカばっかりだ、と至るところで公言していた。
 ベストセラーにろくなものがないことはもちろん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではないか。
 まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなって行くような、そんな生きにくさに満ちていやしないか。
 そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸術大学の油絵科の学生で、杉原信幸という男から「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフォーマンスをやる。つきましては、スカではないものをお見せするから是非ご足労願いたい、というのである。
 杉原は、「札付き」の男だった。美術家の川俣正さんと私が芸大の食堂でやったトーク・セッションに乱入して、川俣の最近の作品は気に入らない、と暴言を吐いて会場がメチャクチャになったことがある。小石川植物園で行われた展覧会のインスタレーションも、仲間たちと喧嘩をして一日で撤収してしまったと聞く。そのアブナイ男が一体どんなパフォーマンスをやるのか、ひょっとしたら勢いだけの作品なのではないか。あまり期待しないで横浜に出かけた。
 会場は、昔の銀行の建物をそのまま利用していて、広々とした吹き抜けの空間に、金庫の分厚い扉と巨大なハンドルが残されていた。
 最初の出し物は、いかにも今風の若者が、やぐらの上に、ビニル・シートを張り、ペインティングするというものだった。「皆さんご存じの、生きているということ自体が奇跡のような」アーティストだと紹介された。ビニル・シートの上に、赤、青、黄色、緑、などの様々な色が描き付けられていった。やぐらを囲んだ学生中心の若い観客は、その様子を好意的に見守っている。見る、見られるという関係における、あらかじめそうと決められたような甘い弛緩があった。あらかじめ張り巡らされた文脈があった。
 私はその出来試合の雰囲気に何だかうんざりして、精神のバランスを崩しそうになっているのが自分でもわかった。「くだらねえなあ」と叫びそうになったが、何とか自分の中の衝動を抑えつけた。
 その次に、杉原の番になった。突然、吹き抜けの二階から、「うぉーっ! うぉーっ!」と叫び声がして、白と黒の檄文がパラパラと舞い降りて来た。観客が走り寄って、一体何だろうと拾い上げた。
 一呼吸置いて、あらぬ方向から杉原がかけだしてきた。杉原は全裸で、腰に黒いテープを巻き付けているだけだった。吹き抜けに垂れ下がっていた、白地に黒の斑の巨大な布を引きずり下ろすと、それにくるまれて床の上で悶絶した。立ち上がると、布を腰の周りに黒テープで巻き付けて、スカートのようにした。それから、その10メートルはあろうという巨大なスカートを引きずって、会場の中を走り始めた。
 スカートの布が、会場の片隅に置いてあった屏風絵を巻き込んで、引き倒した。屏風絵は、そのままスカートに巻き込まれてずるずると床の上を引きずられていった。観客たちが、どっと逃げまどった。
 杉原は、入り口の上の踊り場に上がり、座り込んだ。長いスカートを垂らしたその姿は、草書体のシャチホコのようだった。そのシャチホコ姿で、うぉーっ! うぉーっ!と叫んだ。しばらくそうして坐っていたが、突然くるりと下に降りると、だっと夜の街に出ていってしまった。
 がやがやと後を追った観客たちに続いて、私も馬車道に出た。杉原は、交差点の歩道の角に坐り、長いスカートを扇のように歩道に広げ、眩いランプを点けて道を行き交う車に向かって、うぉーっ! うぉーっ! と叫び続けていた。杉原の黒い裸体が流れる光の川に挑むようなシルエットを見せ、通行人が何だろう、と立ち止まった。タクシーが、一台、杉原の近くに停まって、ハザードランプを点滅させた。
 このままでは警察が来るかもしれない、と思った頃、杉原は突然スカートを脱ぎ捨てると、全裸の腰に黒テープを巻き付けただけの姿で、馬車道とは直角の方向に振り返る素振りも見せずに疾走していった。
 杉原がその中に消えていった闇を見つめながら、私は久しぶりの興奮を味わっていた。檄文をまき散らした発端から、夜の街への疾走という結末まで、流れに淀みがなく、無駄がなかった。視覚的な効果も、よく考えられていた。スカートを引きずって巻き込んだ屏風絵は自分自身の作品であり、他の人の作品には触れていない点も良かった。
 疾走原始人のパフォーマンス、良かったぞ!
 杉原が戻ってきてからそう声をかけてやろうと思ってしばらく待っていたが、何となく会場にいる人々の様子に違和感を感じて、そのまますたすたと馬車道を歩いて帰ってしまった。
 はっと気が付いたのは帰りの電車の中である。確かに、杉原のパフォーマンスは良かった。しかし、いかにも現代的だと感じられたのは、「薄っぺら」に見えた杉原の前のペインティングの方だった。JJの表紙に出てきそうな服を着た女の子が、矢倉の上の絵を見上げて「これ、好き」と言っていた。「○○クンは、アトリエで、これからも今までのように制作を続けるそうです」、と司会者が言い、その○○クンをTVスターのように皆が見た。そのような、いかにも現代風のオーラに包まれていたのは、私が「スカ」だと感じたペインティング・パフォーマンスの方で、杉原のパフォーマンスは、むしろ、古典的なもののように思われた。
 別の言い方をすれば、杉原の疾走原始人は、スカのペインティングに比べると、「古くさい」ものにも見えたのである。現代の状況の中で、人気が出るのは杉原ではなくて、スカのペインターの方ではないか。杉原は大学を卒業した後、クリエーターとしてきっと苦労するだろう。一方、ペインティングをやった若者は、案外すいすいと社会を泳いで行くのではないか。これはどういうことだろうかと、私は考え込んでしまった。
 表現者は、誰でも同時代的であろうとする。時代精神の先端にいたいと願う。しかし、現代という時代に誠実に寄り添おうとすればするほど、古典的な精神から見れば「スカ」な作風を必然化されるということがあったとしたら、どうだろうか。

杉原信幸氏のweb site


茂木健一郎 「スカ」の現代を抱きしめて。
『脳のなかの文学』
(文春新書)所収

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4167758016.html


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12月 29, 2008 at 07:53 午前 | | コメント (15) | トラックバック (6)

2008/12/28

『”つづく”で終わる物語』

『”つづく”で終わる物語2』
ビートたけし、森永卓郎、鳥越俊太郎、
阿川佐和子、茂木健一郎

2008年12月28日(日)
19時〜20時54分

番組表

詳細

12月 28, 2008 at 06:26 午前 | | コメント (12) | トラックバック (0)

大人になれたような

NHKにて、「バサラ」の田中敦さんと
打ち合わせ。
「科学大好き土よう塾」の件で。

玄関には、すでに松飾りがあった。

「賀正」という文字で思いだした。
昨年は、大晦日に「紅白歌合戦」
の審査員をさせていただいたのだった。

その時、玄関にやはり松飾りがあって、
凛と引き締まるような、なんとも言えない
清々しい思いがしたのだった。

また一年が経つ。

子どもの頃、大晦日になんとか「新年」
になる瞬間まで起きていようとがんばった。

それでもどうしても眠くなってしまって、
気付くと翌年になってもうあかあかと
太陽が差している。

そんなことをくりかえしていたことを
思いだした。

最初に午前0時まで起きていられたのは
いくつの時だったかしら。

あの時、大人になれたような気がしたの
だけれども。

正月というものは、凧揚げをするものだと
信じていた。

祖父と近くの高校の校庭で風に向かっていた、
あの日々がもう信じられないくらい遠くに
感じられる。

12月 28, 2008 at 04:54 午前 | | コメント (16) | トラックバック (4)

2008/12/27

新報道2001

新報道2001
フジテレビ系列 
2008年12月28日(日)07:00~08:55

番組表 

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/shin2001/index.html 

12月 27, 2008 at 08:23 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

アハ!ピクチャーラボ

自分の写真から、白黒の隠し図形(hidden figure)
を自動的に作ることができるアハ!ピクチャーラボ
がオープンしました。

みなさま、お試しください!
面白い!

●アハ!ピクチャーラボ
http://www.sony.jp/ahap/

●アハ!ピクチャーモバイル
http://m.sony.jp/qr/ahap/

12月 27, 2008 at 08:24 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

「脳」整理法 15刷

ちくま新書『「脳」整理法』は増刷
(15刷、累計11万2千部)となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんからのメールです。

From: 増田健史
To: "'Ken Mogi'"
Subject: 『「脳」整理法』重版!(ちくま増田)
Date: Thu, 25 Dec 2008

茂木さま

お世話になります、ちくま新書編集部の増田です。

早速ながら、お蔭さまで、ご著『「脳」整理法』の重版が決まりました。
今回は、第15刷として、5,000部を増刷させていただきます。
(累計は11万2千部です。)
これもあの隠し湯のご利益でしょうか。
何はともあれ、厳しく冷え切ったこの年の瀬に、ありがたい限りです。
お力添えに、重ねて感謝を申し上げます。

まずは要用のみ、ご報告旁々御礼までに。

株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

「脳」整理法

12月 27, 2008 at 08:02 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

競作したら

電通にて、研究ミーティング。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

大学入試に関する取材が一件。

ミーティング・ルームに行くと、例に
よって関根崇泰がホワイトボードに
何やら絵を描いている。

近寄ると、なるほど工夫がしてある。
構成しているのは、皆、アルファベットと
ギリシャ文字だ。

「これは誰だ?」

「誰でもなくて、練習で描いたんです。」

「じゃあ、この丸顔は誰?」

「それは、茂木さんですよ。」

「なんではなを垂らしているんじゃあ!」

横で見ていた柳川透が、関根に声をかける。

「じゃあ、これは誰?」

「それはボクです。」

「ん?」と私。

「これがカモノハシか? うーん。難しい!
これはかなり複雑だなあ。」

関根には、ホワイトボードに妙ちくりん
な絵を描くクセがある。


妙ちくりん画伯、関根崇泰

首都大学東京の笠原和美さんがいらっしゃる。

Diffusion Tensor Imagingの話をして
くださった。
非常に面白かった!

高野委未が、修士の構想発表へ向けての
考えを発表。

Bowlbyのsecure base理論と、attachment theory、
それとmotivation, trustなどの感情の問題を
どのように結びつけるか。

もし認知神経科学に高野の考えていることを持ち込めたら、
ヒーローとなるだろう!

戸嶋真弓さんが、英語の認知プロセスに
関する研究の進捗を発表。

segmentationを分けるという課題は、
とても面白い。

それが、言語特有であるという側面と、
より一般的な視覚認識
(figure ground separationなど)
の文脈に結びつけられるという側面を、
どのように関連づけるか?

解析をすると、いろいろと興味深い結果が
得られそうだ。

野澤真一に、「増田健史と自由についての
本を書くことにしたよ。」
と言うと、野澤が「えっ、どんな視点で
書くんですか?」と言う。

野澤のライフワークは、自発性や自由意志。

「お前も、自由について書こうぜ。競作したら
面白い!」


野澤真一氏

渋谷へ。
フジテレビの西田恒久さん、渡辺奈都子さんと
打ち合わせ。

桑原茂一さんの、dictionary 100号
記念のイベント。

等身大のバラック・オバマ人形の横で、
桑原さんにのせられてしまって
爆発しちまった。

シマッタ。

佐々木厚さんが来る。吉村栄一さんとともに、
近くの中華料理屋に移動して、
「漫画」についての取材。

和樂の渡辺倫明さんから、どうしても
今日中に原稿をよこせとメール。

控えスペースでみなさんのパフォーマンスを
見ながら、必死になって原稿を書く。

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 それにしても、レンブラントの自画像のいかに精気に充ちていることか。若き日の厳しく世界を見つめる表情から、老年の酸いも甘いも噛み分けた大芸術家の風貌まで。自分をありのままに見つめ、何ごとも粉飾しないその精神態度は凄まじく。鬼気迫る緊張感をもって私たちの胸をかき乱す。

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 茂一さんのパーティのなんとも素敵な
ambianceの中で、レンブラントの自画像に
ついて考える。

 茂一さん、今年一年、お世話になりました。
dictionary 100号、おめでとうございます!

___________

 人間にとって、世界のあり方が霧の中に包まれ、その世界の中での人間の位置が明らかでなかった時代には、自由意志の存在を信じることに、何の問題もなかった。つまり、私たちは、「私は私の行動をコントロールできる」という、内面的な直感を信じていれば良かったわけである。人間という存在は、いわばブラックボックスのようなもので、その中でどのようなプロセスが進行しているかは、全く見通しがつかなかった。人間が自由意志を持つか持たないかという問題の答えに、客観的な自然法則が何らかの制限を加えるとは考えられなかったのである。
 私たちが、主観的には自明のこととして持っている「自由意志」という「幻想」を打ち砕いたのは、人間の肉体は、私たちの心を司る脳を含めて、自然法則に従って動く「機械」に過ぎないという認識だった。すなわち、「人間機械論」である。
 私たち人間が、蛋白質や核酸、それに脂質などでできた精巧な分子機械であるという考えは、現在では常識と言えるだろう。この、「人間機械論」が唱えられた当初は、それは人間の尊厳やモラルにとっての大きな脅威であると考えられた。そして、多くの哲学者が、人間機械論のもたらす人間性の危機に対して、鋭敏に反応した。もし、人間が有機物質でできた機械に過ぎないとすれば、あらゆる人間的価値のよって立つ基盤が脅かされるからだ。例えば、ニーチェの「神は死んだ」というテーゼや、サルトルの実存主義は、このような危機感を背景にして生まれている。
 「自由意志」という概念も、人間が有機物質からできた機械であるという認識によって脅かされる。
 序章にも述べたように、脳は、様々な生体分子から構成される精密な機械である。これらの生体分子の振る舞いが、物理学的、ないしは化学的法則によって記述される以上、そこに宿る私たちの「心」も、物理学的、化学的法則によって決定づけられていると見なさざるを得ない。ということは、私たちの行動や、私たちが考えること、私たちの意志決定は、自然法則に従うということになる。現時点で、私たちは、人間機械論の前提を疑うような合理的な証拠を持っていない。私たちの心が、私たちの意志決定のプロセスが、世界の中で自然法則に従わない特別な例外であるということを示す証拠は一つもないのだ。つまり、心も、意志決定のプロセスも、自然法則の一部と見なされなければならないということなのである。第5章で述べた「クオリアの先験的決定の原理」は、このような考え方を最も先鋭的に表現したものだ。
 以下の「自由意志」に関する議論は、心や意志決定のプロセスが、自然法則の一部であるということを前提としている。すなわち、私たちは「自由意志」をあくまでも神経生理学的な枠組みの中で捉え、ニューロンの系の振舞いがどのような自然法則に従うかという観点から、「自由意志」の問題を考えようというわけである。

茂木健一郎『脳とクオリア』第9章より

12月 27, 2008 at 07:57 午前 | | コメント (14) | トラックバック (1)

2008/12/26

停止することのないエンジン

20分くらいの時間を余計にとれば、
代々木からNHKまで明治神宮の
森を抜けられるんだから、
本当は毎回そうしないといけないの
だろう。

たまたま、連続で森を抜けられた。

感覚的クラスターと志向的クラスター
のマッチングについて考える。
同じところに立ち返っていくことで、
らせん状に少しずつ進んでいく。

二日前よりもさらに、
初詣の準備が進んでいて、
参道の真ん中に人の流れを分ける杭が
立てられていた。

渋谷東武ホテルで、佐々木かをりさん、
古川亨さんにお目にかかる。

佐々木かをりの「今日の想い」

古川亨ブログ

私の大好きなお二人とお話しして、
素敵なクリスマスの朝となった。

NHKへ。『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ゲストはまぐろ仲買人の藤田浩毅さん。

歌舞伎役者のような顔立ちの、本当に
きっぷのいい人。

まぐろ取り引き経験ゼロから
仲買人となった藤田さんの苦労は、
言うにいわれぬものであったはずだが、
そのことを藤田さんはこぼさない。

「これをやる」と決めたら動かない
藤田さんの生き方は、人生という偶有性の
海を航海する、かけがえのない指針となろう。

以前、新潮社の池田雅延さんに伺った
お話。

小林秀雄さんは、折々に、ヨットに
付けられたエンジンの話をしていたという。

「いいかい、池田君、ヨットには、
ある会社のエンジンが付いているんだよ。
そのエンジンは、それほど出力は大きくないけれ
ども、絶対に停止することがない。
だから、いざという時には、そのエンジンが
あれば、必ず港にたどり着くことが
できるんだ。」

出力は大きくないけれども、絶対に
停止することのないエンジン。

海の波など、何するものぞ。

「おーい日本」の短い収録があり、
「枠撮り」があり、NHK出版から出る
本の打ち合わせがあり、それから、
プロフェッショナル班の打ち合わせ室で
もくもくと仕事をした。

20時を過ぎて、有吉伸人さんが
迎えに来る。

「そろそろ行きますか?」

プロフェッショナル班の忘年会。

有吉さんが、部屋を見渡して、
「いやあ、五十人も来ているんだなあ。すごいなあ
ありがたいことだなあ。」
とつぶやく。

年も暮れて、いろいろと振り返ることの
多い季節。

有吉さんの目に、4年目を迎える
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のことがどんな風に映っているかを
想像して、ちょっとしんみりした。

____________

素晴らしすぎるからといって・・・


 学生運動の嵐がアメリカを吹きあふれていた頃、クリスタルのような歌声を持つ伝説のフォーク歌手、ジョン・バエズは歌った。

 私たちは、乗り越えるだろう。私たちは乗り越えるだろう。いつの日か。心の奥底で、私たちは信じている。いつの日か、乗り越えることができるだろうと。

 この歌、「勝利を我らに」は、学生運動のテーマ・ソング的存在になった。
 この時代に大学に在籍し、ベトナム戦争の兵役を忌避するなど、学生運動の精神に共鳴していたビル・クリントン。クリントンは、二十数年後、アメリカ大統領に就任する式典の中で、妻のヒラリーやその他の多くの人々と、「勝利を我らに」を合唱した。
 「勝利を我らに」で「乗り越えよう」と言っているのは、人間がバラバラな存在として孤立し、お互いに自分の利益を追求して対立し合わずにはいられないこの世界のあり方である。ニーチェが、「個別化された世界」と名付けた世界のあり方を乗り越えようと言っているのだ。当時も今も、世界には貧富の差が存在し、人々は自分の利益の追求に血眼になっている。自由競争という名の下に。このような社会を乗り越えようと、かって試みた人たちがいた。もちろん、そんなことは易しいことではないが、学生運動の時代、一部の若者は、そのようなことが可能であると、本気で信じたのである。
 1741年、ヘンデルは、聖書の言葉に基づいて、そのオラトリオ「メサイア」を作曲した。8月22日から9月14 日までのわずか3週間で完成させた。ヘンデルは、感動的なところにくると、涙を流しながら作曲していたという。ハレルヤ・コーラスで第一部が終わり、その後に来る第二部のクライマックスに、次のような歌詞がある。

 トランペットが鳴るだろう。そして、私たちは、すっかり変わってしまう。私たちは、もう死ななくなるだろう。
 なぜならば、このやがては朽ち果ててしまう私の肉体は、もはや朽ちることはないのだから。そして、この死すべき定めの私は、永遠の生命を得るのだから。

 死んでしまうこと、いつかは肉体が朽ち果ててしまうこと、このような運命は、人間ならば誰でも免れないことだ。このような状況は、いくら人間の知識が向上し、技術が発達し、社会が高度なものになっても変わることはない。聖書が、トランペットの響きとともに、もはや人間は死ななくなり、肉体は朽ちることがなくなると言っているのは、いわば、究極の革命の様子を記述しているのだということになる。このような聖書で記述されている革命が本当に実現するためには、人間の存在のあり方が、根本的なところで変化しなければならない。つまり、「メタ」レベルの変化が起こらなければならないのだ。この聖書のテキストを書いた人がどのような人であるにせよ、その人は人間の存在のあり方や、世界のあり方についての深い洞察をもった詩人だったのだろう。
 マイケル・ファラデーは、電磁気学に関する数々の先駆的実験を行った。ファラデーが様々な電磁気の現象を発見するのに対して、ある皮肉屋は、「そんなものが何の役に立つのかね?」と言ったという。
 その皮肉屋が、今秋葉原の街につれてこられたら、口をあんぐり開けてびっくりすることだろう。
 そんなファラデーの信念を表した言葉がある。

 素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはない。ただし、それが自然法則に反しない限り。

 人間には、様々な欲望、希望、理想がある。様々な素晴らしいことを、人間は夢見る。例えば、遠くにいる人と、瞬時に、あざやかな立体カラー画面でコミュニケーションをとることができたら。自分の一日の経験を、ヘッド・セットをつけただけで、自動的に記録することができたら。現実には存在しない香りと味をもったフルーツを、思い浮かべるだけでつくり出すことができたら。人間の想像力には限界がない。
 ファラデーは、科学者である。現場で実験する者として、自然法則に反するようなものは決して出来ないと言うことを彼は知っている。たとえば、永久機関は、絶対に作り出すことができない。だが、ファラデーは、同時に、現場で実験するものとして、自然が、時には人間が予想できない程の自由で豊かな振る舞いをすることがあることを知っている。ファラデーが、「自然法則に反しない限り」という時には、それはまず第一には人間ができることの限界を表すけれども、それと同時に、ほとんど無限の可能性を許容するとさえ見える自然の多様性、豊穣を表現している。ファラデーの発言の中で、その重点は、前半の文章の中にあるのだ。
 ジョン・バエズが「私たちは乗り越えるだろう」と歌う時、問題になっているのは、そのような理想社会が果たして作り上げられるか、作り上げられたとしても果たして維持できるかということだ。今世紀の様々な国家、地域でのコミュニズムの失敗を見るとき、現在の私たちはそのような可能性に対して皮肉屋にならざるを得ない。だが、理想を追求することをあきらめてしまったら、この世界はとてつもなく醜いものになってしまうだろう。一方、聖書が「私たちは、すっかり変わってしまう」と宣言するとき、そこで想定されているのは、「勝利を我らに」で歌われた社会改革よりもより根本的な人間存在のあり方の革命である。こちらの方は、実現することがさらに難しい。だが、このような究極の革命のビジョンを示すことによって、聖書は、超越的なものに直接つながる宗教的世界観の表現になり得ているのである。日本では、埴谷雄高が、聖書に示されたような存在革命について終生関心を持ち続けた。埴谷の思索の集大成がその大作「死霊」だ。

 素晴らしすぎるからといって・・・

 「勝利を我らに」で提示された社会革命も、聖書が提示する存在革命も、その可能性はこの宇宙を支配する自然法則の枠内で追求せざるを得ない。そもそも、そのような革命が不可能である可能性も十分ある。だが、不可能性が証明されていない以上、私たちは、革命の可能性について希望を持ち続ける権利を持っているということになるだろう。あることの真偽が明らかではないとすれば、それを信じるかどうかは、意志決定の問題になるのだから。
 私たちは、人間が出来ることの限界について皮肉になるのではなく、ファラデーのように、この世界の法則から来る限界を十分知りつつ、可能性の方を重視したらどうだろう。
 素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはないのだから。 

茂木健一郎 『生きて死ぬ私』より


12月 26, 2008 at 08:34 午前 | | コメント (16) | トラックバック (7)

2008/12/25

新鮮な出会いの喜び

新鮮な出会いの喜び

私が、脳についての講演をする時に
いつも最初に見せる図がある。

脳を「システム」として理解すること。
その必要性を明白な事実として突きつけたの
は、1996年に報告された「ミラーニューロン」
であった。

たとえば、ある情報が一つの脳内領域で
「表現」されるだけでは足りない。
それが、脳の中で「利用可能」な情報と
なるためには、前頭前野を中心とする
志向性のネットワークと、その情報表現
のクラスターの間に「マッチング」
が取られなければならない。

そのことは、たとえば、「両眼視野闘争」
(binocular rivalry)の現象を見れば
わかる。

「私」に視覚野で表現されている
情報が「見える」ためには、
感覚情報のクラスターが存在する
だけでは足りず、それが前頭前野
を中心とする志向性のネットワークと
の間で「マッチング」が取られなければ
ならないのである。

世田谷のスタジオで、
『”つづく”で終わる物語2』
の収録。

ビートたけしさん、森永卓郎さん、鳥越俊太郎さん、
阿川佐和子さん。

放送は、2008年12月28日(日)
19時〜20時54分
番組表

たけしさんを横から見ていると、
まるで、時々溶岩が噴出して、そのまま
冷えて固まってしまったような人だなあと思う。

今でもマグマ活動は継続していて、
ぷしゅー、ぷしゅーと不思議でゆかしい音が
聞こえてくる。

大学以外の進路が何かという話をしていて、
鳥越さんが「ドイツにはマイスター制度が
ある」と言った。

すると、たけしさんが、「オレも、ドイツに
行くと、なぜお前はマイスターじゃないんだ、
って言われるんだよな。」と言う。

「ドイツでは、監督もマイスターなんですか」
と私が聞くと、
「そうなんだよ。お笑いやって、それから
映画監督をやってっていうと、どこで
マイスターの学校に行ったんだ、と聞かれる
んだよ。」

「それじゃあ、日本の方が、良い国だと
いうことになるわね」と阿川佐和子さん。

収録終了後、阿川さんが「クリスマス
のスペシャルよ」といちご大福を下さった。

普通のものとは違って、いちごが
大福の中に半分埋もれてあとの部分は
顔を出している。

空腹につき、ありがたく頂いた。

口の中で酸味と甘みが交わる

「そうか、普通のいちご大福は、いちご
とあんが長年慣れ親しんでこなれて
いるような関係。これは、新鮮な
出会いの喜びなんだなあ。」

 新鮮な出会いの喜びを、
いちご大福に学ぶ。

 深夜、主観性のことを考える。

___________

 あなたは、あなたの利き目がどちらか知っているだろうか? 利き目が左目か右目かを確認するためには、自分の人さし指を自分の鼻の前当たりに置いてみる。まずは、両目で見て、その視覚像を確認する。それから、右目と左目を交互に閉じてみる。目を閉じた時に、指の像が変わったとしたら、その目が利き目である。例えば、左目を閉じたときに視覚像が変われば、左目が利き目であるということになる。
 両目を開いている時には、両眼視野闘争が起きる。左目が利き目だとすると、右目、左目からの人さし指の像のうち、利き目である左目が優先され、私たちの心に見えるものとなる。この時、右目からの視覚像は「抑圧」され、心の中にクオリアを伴って見えることはない。もちろん、右目からの視角情報も、私たちの脳の中の神経回路網を通して解析されている。右目からの像は、左目からの像との比較を通して、3次元の奥行きの知覚をもたらすという形で利用されている。しかし、私たちの心の中に見える像はあくまでも利き目である左目からの像であって、右目からの像は見えないのである。この場合の両眼視野闘争においては、利き目である左目が勝っているわけである。
 両眼視野闘争が起きている状況の下で、左右の目のいずれかを閉じると、どのようなことが起こるのか、少し詳しく見ていこう。
 まず、利き目である左目を閉じたときには、左目からは視覚情報が脳の中に入って来なくなる。この際には、今まで「抑圧」されていた右目からの視覚情報が、心の中に浮かび上がってくる。利き目ではない右目からの視覚像にチャンスが巡ってくるわけである。利き目である左目を閉じることによって、私たちの心の中に見える像は、左目から入力した像から、右目から入力した像に変わる。図のように左手の人さし指を鼻の前に置いた場合には、利き目である左目を閉じた時には、左目を開いている時に比べて人さし指の腹側がよりよく見えるようになる。このように、利き目を閉じた時には、私たちの心の中の視覚像は、利き目から来た視覚像から、もう一方の目から来た視覚像に変わる。利き目を開いたり閉じたりすることをくり返すと、心の中の像はそれに応じて切り替わる。
 一方、利き目でない方の目を閉じても、私たちの心の中の像は変わらない。何故ならば、もともと利き目からの像が優先して心の中に見えていたわけで、利き目でない目を閉じても、その目からの視覚情報は最初から心の中に見えていなかったのだから、私たちの心の中の像は変わらないからである。もちろん、利き目でない目を閉じることによって、視角差による距離の情報が失われ、その結果奥行きの知覚の一部が失われるはずである。しかし、実際には、利き目で見える範囲の視覚像を構成するクオリアには、利き目でない方の目を閉じても、ほとんど変化が現れない。このことは、奥行きの知覚が、色のクオリアやテクスチャのクオリアのような鮮明な性質を持ったクオリアを伴って行われるのではなく、むしろ言葉の意味のような抽象的なクオリアを伴って生じることを示している。また、実際に、両眼視野闘争が「右目か左目か」という二者択一の形で起こることも示される。
 さて、もし、左目が利き目だとすると、実際には、右目を閉じた時に、心の中に見える視覚像には大きな変化が生じているはずである。すなわち、今まで見えていた右側の視野の一部が見えなくなるはずである。普段、私たちが両目を開いている時は、図のような、横長の楕円形のような視野を通して世界を見ている。この視野は、両眼視野闘争という観点から見ると、3つの領域からなっている。まず、だ円形の右端及び左端に、それぞれ右目、左目からしか見えない領域がある。これらの視野の部分は、その領域を唯一見ることのできる右目、左目からの視覚像から構成されている。
 一方、正中線を挟んだ視野の中央の領域は、右目、左目からの情報の入力がオーバーラップしている部分である。この部分において、両眼視野闘争が生じる。鼻の前に置いた指の例のように、この中央の領域においては、利き目からの視角入力が優先され、そちらからの視覚像だけが見える。もう一方の、利き目ではない目からの視覚入力は心の中で見えない。
 例えば、左目が利き目だとすると、図のように、視野の左端から正中線を右側に少し超えた領域までが、左目からの入力に基づいて構成される領域だということになる。一方、視野の右端までの残りの領域は、右目からの入力に基づいて構成されているということになる。すなわち、正中線の右側に、左目からの入力から構成される領域と右目からの入力から構成される領域の境界があるということになる。私たちは、横に長い楕円形の形に広がっている視野は、滑らかにつながった単一のものという印象を持っているが、両眼視野闘争という観点から見ると、上のように異なる性質の領域をつないだものだということになるのである。

茂木健一郎『クオリア入門』 (ちくま学芸文庫)

12月 25, 2008 at 07:24 午前 | | コメント (15) | トラックバック (2)

2008/12/24

ハヤベン

代々木から明治神宮を抜けた。

もう、初詣の準備をしている。
こもれびの中で、凛とした
空気が浄化されている。

歩いていると、いろいろなことを考える。

ケンブリッジに留学していた頃は、
家から大学までの道を、
一時間くらいたどりながら
随分いろいろなことを考えた。

歩きながら思索する時間は、
きっと、人生の中でももっとも良質の
精神性に充ちている。


砂利の上の木漏れ日


NHKホール側の通用口から
入る。

打ち合わせ室に行くと、有吉伸人
さんがもうお弁当を食べていた。

「あれっ、有吉さんもう食べているんですか?」

「いやあ、今日は収録が早いな、と思って。」

「それ、お昼じゃないんですか。」

「そうです。」

時計を見ると11時である。

有吉さん、ややハヤベンなり。


ハヤベンの有吉伸人さん

細田美和子デスク、粟田賢ディレクターを
交えて「脳活用法スペシャル」の
打ち合わせ。

粟田さんは時々とても渋い表情をする。

粟田さんが渋い表情をすると、一体何を
考えているのだろうと、どきりとする。

渋い表情の粟田賢さん

12月17日の「すみきちブログ」に、こんな
エントリーがあった。

________________

ずっと待ちわびていたものが
きょう届いた。
うれしい!!

うれしくてうれしくて、ドキドキして、
しばらく封を開けられずにいた。
服を着替えて、お茶を入れて、
床にスペースを確保して、正面に座って、深呼吸をして、
それから、やっと開けた。
中味はものすごく素敵で、大感激!
ごほうびの結晶だ。

_________________

 すみきち、一体何を買ったんだろう
と思ったら、そうではなかった。
 何が届いてのか、スタジオで教えてもらって、
びっくり。
新鮮で、ちょっぴり厳粛な気持ちになった。

 初心を忘れてはいけない。
 
 ゲストは、福井県の山村部で地域医療に
取り組まれている中村伸一さん

http://natasho.blog105.fc2.com/

http://www.nhk.or.jp/professional/schedule/index.html

支え合って生きるということの意味を
考えさせる、すばらしいお話だった。

中村さんは、来年地域医療の教科書を
出版されるとのこと。

拝読するのが楽しみである。

「湾岸スタジオ」へ。

ベストハウス123の収録。

着くのがギリギリになったこともあって、
朝倉千代子さんと冨田英男さん(トミー)が
玄関で待っていた。

論文の英文に手を入れながら帰る。

文章を読み、リズムや感覚をつかみ、
論理をつなぎ、直していく。
私の好きな時間。

昔読んだインドネシア民話集の中で、
男が夜のジャングルでつぶやく。

「早く歩けば、それだけたくさんのものを
見ることができる。」

様々な生きものがひしめく生態系の豊かさを
象徴しているようで大好きな言葉だった。

人は歩き、感じ、受け取り、考え、そして
微睡むのだ。

有吉さんも歩くためにハヤベンをするのであろう。

12月 24, 2008 at 08:23 午前 | | コメント (17) | トラックバック (5)

2008/12/23

憲政の常道

サンデー毎日

2008年1月4・11日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第45回 憲政の常道

一部抜粋

 民主主義においては、選挙によってその時々の政権が選ばれる。つまりは、権力者が民意によって変わり得る。一度権力を握ったからといって、いつまでも安泰ではない。当然、今まで権力とは縁がなかった人が、初めて重責を担うということもある。すなわち、民主主義は、経験を持たないものが地位につくことによって為政者としての振る舞いを「学習」するという可能性を信じている。
 政権交代には、さらなる学習効果もある。淀んだ水は腐る。ずっと与党の立場にあると、ついつい慢心する。時に下野してこそ、批判的精神を涵養できる。いつか与党に復帰する時のために、政策を練ることができる。与党と野党の立場を交互に経験することは、政治にかかわる者にとって、この上ないレッスンとなる。
(中略)
 日本でも、かつては、政党の間で政権交代が行われることの大切さが主張された時期があった。「大正デモクラシー」と言われた時期、短い期間ではあったが、内閣が失政で辞職した場合、次の内閣は野党から立てるべきだという原則が主張されたのである。実際、「立憲政友会」と「立憲民政党」の間で曲がりなりにも交互の政権担当が実現した。
 司馬遼太郎の言う「坂の上の雲」を目指して上り詰めたところに日本人が見いだした、さわやかな空気。この頃の日本は明るくのびやかな誇りに満ちていた。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

12月 23, 2008 at 09:28 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

私たちにとっての喜雨

新幹線の中でメールを拾った。

品川駅で降りて、関根崇泰に電話をした。

「おお、関根か。今どこだ?」

「すみません。家の最寄り駅です。」

「そうか。関根<博士>に代わってくれるか。
関根<博士>に代わってくれないか。」

「どういうことですか?」

「neuroreport、通ったよ。おめでとう。」

「あ、ありがとうございます!」

「よかったなあ。今度は****だ!」

Sekine, T. and Mogi, K. Distinct neural processes of bodily awareness in crossed fingers illusion. Neuroreport, in press.

関根クン、これからもがんばろう!

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

チェゴヤにて、昼食。

柳川透が、意識と麻酔作用に関するレビュー論文
を紹介。

高野委未が、trustに関する論文を紹介。

田谷文彦と、コンビニに行きながら議論する。

NHK。『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

須藤祐理ディレクター担当、
まぐろの仲買人の藤田浩毅さんの回。


須藤祐理ディレクター


河瀬大作デスクと須藤祐理ディレクター(接近バージョン)

続いて、
赤上亮ディレクターによる
「地域医療」の回。


赤上亮ディレクター。

一ヶ月以上にわたるほとんど毎日の取材の結果、
蓄積された百数十本のビデオ。
それを編集し、約30分のVTRにまとめ上げる。

ゲストの方の仕事ぶりの、ほんのひとときから、
悠久で奥深い人生をかいま見る。

いつにも増して、姿勢を正す気持ちで
ビデオを見た。

白洲信哉の家で行われた忘年会。

しばらく経って、ふと見るとない。

「信哉、カエルがいないよ。」

デトロイト・メタル・シティを監督した
李闘士男さんが、「カエルを食べるのか?」
という。

「ええ、食べますよ」と信哉が立ち上がる。

「下に行けば、茂木さんが来るからと、
用意はできているはずだから。」

信哉が、箱を持って再登場。

掛け軸を設える。

「なにしろ、一年に一回だからね。」

「キウだ!」と私。

「キウというのは、何ですか?」と李さん。

「箱の板を見てください。喜びの雨と書いて、
キウと読む。カエルというのは雨が好きでしょう。
雨が降って、喜んで外に出てきているんです。
熊谷守一が90を越えた頃の作品ですよ。」と信哉。

「眼がいいなあ。点、点、点とああやって
さりげなく打ってしまうのがいい。」と私。

信哉が、私が喜雨が好きだということを覚えて
いてくれて、うれしかった。


白洲信哉と渡辺倫明(小学館和樂)


再び白洲信哉と渡辺倫明(小学館和樂)

忙しさの中でついつい乾いてしまう
心を、人の厚情がうるおしてくれる。

人の温かい思いこそが、私たちにとっての
喜雨。

大場葉子さんからメールをいただいた。

From: "Yoko Oba"
To: "Ken Mogi"
Subject: ちびっこギャングより
Date: Mon, 22 Dec 2008
茂木健一郎さま

晴れて命名を受けた「ちびっこギャング3号」でございます。
うれしさのあまり仕事が手につきません。
ギャングとして戦忍びを凌ぐ働きをしたいと思います。
星時間。心より心よりお待ち申し上げております。

大場葉子より

12月 23, 2008 at 09:24 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

おじさん温泉写真集

おじさん温泉classic 2008写真集


宴会始まる



増田健史、入魂のポーズ



舟盛りを前に満足そうな大場旦



増田健史と有吉伸人



増田健史、大場旦、佐々木厚、有吉伸人。
"The Four Ojisans"



佐々木厚



大場旦と増田健史



増田健史 in "the morning after"

おじさん温泉よ、永遠に!

12月 23, 2008 at 09:03 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/12/22

ちびっ子ギャング

おじさん温泉(承前)

その後、部屋に戻った。

チェックアウトが11時だという。

佐々木さんは電通が休みで、
大場旦、増田健史は夕方
会社に顔を出せば良いというから、
結局午後一番でゼミのある私が
早い。

出発まで、
少しゆっくりすることにした。

増田健史は、先日弘前に
木村秋則さんを訪ねたときには
元気がなかったが、
少し活気が出てきたようだ。

「今何時ですか? 茂木さん?」
と私に聞く。

「9時だよ」と言うと、
「そうかあ、朝早く起きると時間が
たっぷりあるなあ。」
という。

トイレからかえってきて、
「トイレに行ってもまだ9時過ぎかあ。
朝早く起きるといいなあ」
と増田健史。

それから、たけちゃん、オオバタンと、
本について少し真面目な話をした。

真面目な話をするのに何だからと、
御帳場から日本酒を一本とった。

佐々木厚さんは、絶妙なタイミングで
合いの手を入れる。

大場旦のパートナー、大場葉子が、家で
『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』
の本作りを助けて下さった
三浦愛美さん、石井綾子さんを
「ちびっこギャング」と呼んでいるのだと
いう。

「それで何ですか、大場葉子さんは、
あの二人を、先輩として温かい目で
指導していこうと思っているのですか、
それとも、このコムスメめと思っている
んですか」と聞くと、
オオバタンが意外なことを言う。

「違うんです。自分も、ちびっ子ギャングに
入れて欲しいというのです。」

そうであったか。大場葉子はちびっ子ギャング
だったか。

失礼しました。

一応、「キャリア的にも・・・・」
とおずおずと申し出てみたが、
オオバタンが「いやあ、あいつなんて、
まだ駆け出しみたいなものですよ」
と断言し、それじゃあ仕方がないから、
大場葉子は、晴れて、ちびっ子ギャングの
一員として認定されることになった
のだった。

ちびっ子ギャング大場葉子さん、
今後ともよろしくお願いいたします。

小田原で三人と別れた。
「だるま食堂」で天丼を食べる由。

ぼくは新幹線に乗る。

おじさん温泉classic 2008も
めでたく打ち上げ。

また来年も楽しく行けるように、
一年間仕事をがんばりましょう。

12月 22, 2008 at 11:54 午前 | | コメント (14) | トラックバック (2)

やっぱりゲームですかねえ

六本木ヒルズの「ヒルズ・アカデミー」
で桶作りの保存、復活に関する
シンポジウム。

セーラ・マリ・カミングズ
が主催して、米倉誠一郎さんが
コーディネーター、
小泉武夫さんが基調講演をされた。

http://www.okeok.com/event/2008/index.html 

セーラは相変わらず、元気。

小布施の地から、セーラが丹精込めて
築き上げつつある美しいway of life。
今後も目が離せない。

品川駅から新幹線で小田原へ。

恒例となりました、「おじさん温泉」

佐々木厚さん、有吉伸人さんと
部屋に入っていくと、
もう大場旦、増田健史が出来上がって
いて、「よお」と言った。

写真はたくさん押さえたのですが、
ファイルを移す器具を忘れてしまったので、
またいずれ。

「隠し湯」がたのしかった。
円形の木のお風呂に、男五人で
猿みたいに入って。

「もうこれでブラザーだなあ」
と増田健史。

折からの強風で、巨樹の枝が大きくしなる。
「見ているとこわくなりますね。」
とふたたび増田健史。

「ほら、嵐で帰れなくなっちゃうやつって、
何だったっけ?」

「明暗でしょ。」

「違うよ。それは未完で終わったやつだろ。」

「草枕? 門?」

「違う違う。」

「行人ですか。」

「それ。嵐で電車止まらないかな」

「これくらいだったらだいじょうぶでしょう。」

最後に締めたのは、「鉄ちゃん」の
佐々木厚さんだった。

5人で、丸いお湯の中に膝をかかえて
いつまでも入っていましたとさ。

たけちゃんは言うことがかわいい。

クリスマス・ソングがかかって
いると、突然「クリスマスは好きだなあ」
と言う。

「どうして?」というと、
「朝起きると枕元にプレゼントが置いて
あったりして。」
とたけちゃん。

「どんなプレゼント?」と言うと、
「やっぱりゲームですかねえ。」
とたけちゃん。

今この日記を書きながら、「たけちゃん何歳
だっけ?」と聞いたら、たけちゃんは
「36です」と答えた。

部屋でお酒を飲んで、うとうとと
眠っていて、ふと目が覚めたら、
有吉伸人さんが、たけちゃん、オオバタン、
佐々木さんを相手にとうとうと
語っていた。

耳を澄ます。今回の
「おじさん温泉クラッシック」の
一つのクライマックスなり。

佐々木厚さんが、ふなずしをうまそうに
ペロリと食べた。

朝、有吉さんは朝早く出て、
ぼくはオオバタン、増田健史と恒例となった
日本の「人文社会科学評論」をした。

オオバタンが「近頃はこういうことが
あるんですよ」と教えてくれる。

「へえ〜」と私。

「しかし、それじゃあ随分つまらんじゃ
ないですか。形而上学はどこにいって
しまったんだろう?」

「確かにそうなんです。ルソーだって、
ある意味では飛んでいるわけですから。」

オオバタンがテーブルをドンドン
やり始めそうな気配がしたので、
ぼくはあわてて「コーヒーを飲みに行こう」
と言った。

コーヒーを飲むところに座ってすぐ、
「じゃあ、わるいけど、ボクは読者の
ためにこれからブログを書かなければならないので。」
と言うと、オオバタンと増田健史は二人
そろってトイレに行った。

行ったまま、戻ってこない。

おじさん温泉は、もうほんの少しだけ
続くと思うので、とりあえずの途中経過は
ここまで。

12月 22, 2008 at 09:01 午前 | | コメント (14) | トラックバック (1)

2008/12/21

挙動不審な落ち着きのなさ

 家に帰ったら、『脳のなかの文学』
の見本が届いていた。
 文藝春秋の大川繁樹さんが
送って下さったのだろう。

 同名の『文学界』連載が、
『クオリア降臨』という名前で
刊行されたものが、このほど、
文春文庫に入ったのである。

 わが友、島田雅彦が
解説文を寄せてくれた。

 カバー写真は内藤礼さんの「母型」2007。

 内藤さんの作品の水の幕を飽かず眺める。

 一足先に正月を迎えたような気分で机
に座り、島田の解説文を読んだ。
彼らしい皮肉とウィットに富んだ
文体の中に、わが存在がくっきりと
照射され、心の底に広がる深く大きな
湖が、一気に温泉化して沸騰した。
___________

毛羽立った帽子みたいな頭、好奇心を隠しきれないにやけ顔、背中にはいつもPCとカメラを入れたリュック、やや重めの体重の割には軽く、疲れを知らないフットワークで、茂木健一郎は今日もどこかをほっつき歩き、誰かと対話し、何かを凝視し、ぶつぶつ呟いている。私はその様子をたびたび間近で目撃している。その落ち着きのなさは他人の目には異様に映るかもしれないが、それが知識人の証であることはいうまでもない。

島田雅彦「昔から思索家はよく歩く」
『脳のなかの文学』(文春文庫) 解説より
___________

読み終える頃、湖の上に、空から温かい
雨が降ってきた。
 
大川繁樹さんが解説文を依頼した頃、
島田はタヒチに行っていて、締め切りと
刊行を一月延ばすことで、書いてくれた
らしい。

いろいろな思いが流れとなって
重なり、湖をなし、そして雨が加わった。

ニューヨークの島田雅彦よ、
心からありがとう。
風邪を引かないように注意して、
『徒然王子』の原稿と、マンハッタンの
バー漫遊に精進してくれ!

そして大川さん、改めてゆっくりお礼を
申し上げます。

神宮球場と秩父宮ラグビー場の間の
TEPIAホールで、『今年のロボット大賞2008』
の記念シンポジウム。

西村由希子さんはふっくらと炊いた
豆のようなやわらかさの中に
パワーを秘めた人で、この人の
使うやさしい言葉ならば、人と人を
つなげることができるだろう、
という大いなる期待を抱かせた。

原丈人さんは、原始の太陽のような
楽観主義を輝かせ、足は
フットボーラーのように迅速かつ
縦横無尽にフィールドと駆けめぐり、
未来を現在の方に引き寄せる強力な
磁場を持つ。そんな人だった。

宝島社の西山千香子さんと、
宝島からPHPエディターズグループに
移り、その顔を見るといつも「聖徳太子」
を思いだしてしまう田畑博史さんが
私と重松清さんとの対談本『涙の理由』
のゲラを取りに来ていたのに、
半分までしか赤字が終わらず、
途中までをちぎって持っていって
いただきました。ゴールできずに
ごめんなさい。

PHP研究所の木南勇二さんと
大場葉子さんが迎えに来る。

PHP研究所にて、本の取材。

銀座にて、忘年会。
木南勇二さん、大場葉子さん、
横田紀彦さん、丹所千佳さん、吉田宏さん、
桑原晃弥さん。

再び、島田の解説文に戻る。

___________

人はどれだけ突飛な発想ができるか。そしてそれにどれだけ説得力を持たせることができるか、アーティストという人種はそれを自らの肉体や脳を用いて実験する。その意味ではアスリートにも通じるものがある。従来の学者にはアスリートになるだけの覚悟などなかった。アカデミズムは「要素還元」的な学問風土のもと、専門の枠内に学者を囲い込むことで成立する。だから、アカデミック・キャリアにこだわるなら、余計なことはしない方がいい。しかし、それは知的怠慢以外の何ものでもない。茂木は一緒に飲んでいる時、二時間に一回真顔で怒り狂う。怒りの対象はアカデミズムの閉鎖性、つまりは知的怠慢に向けられる。その時、彼は自分のフットワークを大いに自慢すべきだろう。その挙動不審な落ち着きのなさを誇るべきだろう。近頃はそのフットワークにさらに磨きをかけるべく、ジョギングまで始めたというではないか。

島田雅彦「昔から思索家はよく歩く」
『脳のなかの文学』(文春文庫) 解説より
___________

島田に言い忘れていたのだけれども、
走るのは小学校低学年からやっているんだ。

ずっと走っている。校舎のトラックを、
森の中を、川沿いの道を。
都会ならば、できるだけ裏の小さな路地を
見つけて。

挙動不審であるという
点においては、島田はボクと同じである。
島田は、文壇の中にいながら、一向に
「らしく」振る舞おうとなどしない。
狭い意味での「文学」的なものを
解体するキノコのような島田雅彦。

その珍しくて奇麗な色を、たくさんの
人が愛しているんだよ。



島田雅彦氏。ニューヨーク郊外のカフェにて。

島田雅彦のブログ

NARCOSHAMANのお告げ

12月 21, 2008 at 08:04 午前 | | コメント (15) | トラックバック (3)

2008/12/20

「今年のロボット大賞2008」

「今年のロボット大賞2008」
記念シンポジウム

2008年12月20日(土)
13:00~16:40

TEPIAホール

http://www.robotaward.jp/symposium/ 

12月 20, 2008 at 10:03 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

世界一受けたい授業 

世界一受けたい授業

2008年12月20日(土)
19時57分〜21時
日本テレビ系列

番組表

12月 20, 2008 at 09:45 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

「孤独」ではない

木曜日。

新・世界七不思議の収録。
ビートたけしさん、吉村作治さん、
荒俣宏さん、森泉さん、工藤夕貴さん、
大江麻理子アナウンサー。

1月1日(木)夜9時放送。テレビ東京系列

http://www.tv-tokyo.co.jp/nanafushigi3/

脳科学研究グループの年一回の
恒例行事、Xmas Special。

それぞれが作品を持ち合って、
投票で優勝者を決める。

今年は箆伊智充くんが
東京工業大学すずかけ台
キャンパスの「七不思議」を
スライドショーして
見事優勝。

賞品の携帯音楽プレイヤーをゲットした。


審査委員長の小俣圭から「賞品」を受け取る
箆伊智充。

続いて、忘年会。

ゆかりの方々がくる。

ひげもじゃもじゃの鈴木健が、
『電脳コイル』の磯光雄さんと
現れる。


鈴木健と磯光雄さん

大場旦が金寿煥とタッグを組む。


大場旦と金寿煥

前日に金寿煥からもらった
メールの文面が甦る。

_______________

From: "Kim Suhan"
To: "Ken Mogi"
Subject: リリー・フランキーと飲みました(新潮社 金寿煥)
Date: Wed, 17 Dec 2008

茂木さま

 お誘いありがとうございます。
 「考える人」もなんとか校了しました。
 なんとか早い段階で、顔を出したいと思います。

 月曜日にリリーさんと飲みましたが(朝7時まで! エグゾースト!)、
 茂木さんの話でかなり盛り上がりました。
 やはりあの人は只者ではなく、
 リリーさんによる「茂木健一郎論」は傾聴に値しました。
 茂木さんも、そんなに「孤独」ではないと思いますよ。

 新潮社 金寿煥
_________________

 ぼくは「孤独」ではないのかな。

 ふと見ると、関根崇泰と柳川透が
鈴木健と話し込んでいた。


鈴木健、関根崇泰、柳川透


 金曜日。

 東洋経済のインタビュー。

 論文のディスカッション。

 田谷文彦と話す。

 野澤真一の推薦状を書く。

 NHK。「地域発! どうする日本」
の生放送。
 
 松本和也アナウンサー、金子郁容さん、
本田由紀さん、牧野剛さん。

 終了後、スタジオで記念撮影。
谷卓生さんがその写真を送って下さった。


「地域発! どうする日本」生放送終了後の
スタジオにて。

金寿煥が「孤独」なんてメールを
送ってくるもんだから、何だか気分が
しんみりする。

筑摩書房の野澤(旧姓伊藤)笑子さんが
現在編集して下さっている
『今、ここからすべての場所へ』
は、佐伯剛さんの雑誌
「風の旅人」に連載されたエッセイを
まとめたもの。

『生きて死ぬ私』以来の、しっとりと
したエッセイ集になりそうだ。

 時折取りだしては眺めてみる一枚の写真がある。小学校4年生の時、学校の教室で「お楽しみ会」をやっている様子。私は司会をしていて、黒板の前では5人の女の子が紙袋を中心に立って、何やら手品のようなことをしている。私はそのありさまに興味を持ってしまって、思わず立ち上がってのぞき込もうとしている。司会の役割を、思わず忘れてしまっているのである。



小学校4年生のお楽しみ会にて。


 お楽しみ会のあの日に流れていた時間は、今こうして45歳の私が原稿を書いている中で流れている時間と基本的に変わりはしない。逃れることはできず、寄り添って一緒に流れ、息づくしかない。もし退屈ならば苦痛を感じ、楽しければ思わず我を忘れる。その中で何が起きるか、どのような経験をするかということこそ千変万化するものの、「ああ、時間が流れている」というそのありありとした感覚自体は、「今、この時」がずっと続いていく。
 その中にいれば、親しく触れることができたもの。近しく、むしろ逃れることが不可能ですらあった、自分という生命体をぴったりと包んでいたもの。その時間の流れは今や絶望的に遠くにいってしまって、触れることも動かすこともいかんともし難い場所にある。
 写真の中にいた仲間たちの人生の軌跡はばらばらになってしまって、その多くは連絡さえもつかない。ただ、共にした楽しい時間はかつて確実に存在したのであって、それがもはや手の届かないどうすることもできない彼方に去ってしまったという残酷な事実を前に、呆然と佇むしかないのだ。
 「生きる」とは、畢竟、時間の持っている一つの性質に過ぎないのではないか。芋虫がサナギになり、やがて蝶となって羽化する。動き続け、変貌し、そして決して戻らないという生命の営みは、時間という不可逆な流れの持つ一般的な性質から導かれるのであって、だとすれば、私たちは、命を持たざるもの、無機的なものを含めた宇宙の万有と大いなる連帯の中にある。
(中略)
 曇りのない目でものごとのありさまを見れば、生命と非生命の間には絶対的な差異はない。ただ、自然法則に従って黙々と変化していく物質の群れがあるだけである。宇宙のそもそもの創造者としての神はあるかもしれないが、その後神は介入しない。スピノザは、宇宙そのものが神だと看破した。時空という神の「精神=身体」の中で、万物は動き回り、移り変わる。時間こそは絶対的な支配者であって、だからこそ、「神」という至高の存在の属性として相応しい。そのことを思う時、私たちは決して孤立していない。
 桜の花びらが風に吹かれて散り、やがて地上に落ちる。踏みつけられ、雨に打たれ、朽ち果てて土へと還っていく。そこにあるのが生命の喪失ではなく、生命と非生命を分け隔てなく包む時間というものの絶対的な作用であるとするならば、私たちは長い間随分と考え違いをしてきてしまったのではないか。
 時間というものの正体を、逃げずに見極めて見たまえ。そこにあるのは、生命も非生命も未分化の、一つながりの現実ではないか。私たちは、逃れることなどできない。時間の流れから目を逸らすことはかなわない。文明に守られて、現代人は、あたかも死など存在しないかのような顔をして歩いているが、保証された未来など、「現在」と同じだ。
 昼夜の移り変わり、季節の変化。時間の流れの不可避な作用を排除しようとすることで、私たちが失ったものは何か? それは生命そのものではなかったか。私たちはどんなに畏怖を感じても、時間というものの正体を直視しなければならない。その時初めて、私たちはかくも長き孤独から解放されるのだ。


茂木健一郎
「風の旅人」連載
「今、ここからすべての場所へ」
第十五回 「孤独ではない」より

12月 20, 2008 at 09:31 午前 | | コメント (17) | トラックバック (4)

2008/12/19

さんまの笑顔グランプリ

金曜プレステージ さんまのフジテレビ笑顔映像グランプリ


フジテレビ系列

2008年12月19日(金)21時〜22時52分

番組表 

12月 19, 2008 at 08:12 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

地域発! どうする日本

地域発! どうする日本

NHK総合 
2008年12月19日
19時30分〜20時45分
(生放送)

松本和也、金子郁容、本田由紀、牧野剛、茂木健一郎

番組表 

12月 19, 2008 at 08:08 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

だいじょうぶです

今朝は
日記を書く時間がどうにも
とれそうにないので、
創造性について以前書いた
文章を掲示して、皆様と一緒に
考えるきっかけといたしたいと
思います。

そう言えば、
昨日、銀行でお金を下ろして
出てきたら、女性が話しかけてきて、
「あの、一つご相談があるのですが、
私は銀座で働いていまして、
頭が悪いのですが、私も、努力すれば、
頭が良くなるのでしょうか。」
と真摯なる表情で聞くので、私は、
「だいじょうぶです。自分は頭が悪いんじゃ
ないかと悩んでいる人は、ただそれだけで
スタートラインに立っている。本当に
頭が悪いのは、自分が賢いと思い込んでいる
人です。」と答えたのだけれども。

創造性と感情のシステムにおける他者との関係  茂木健一郎

美術手帖 2003年2月号p.50-51

 私たち人間の創造性は、何によって支えられているのだろう?
 何もないところから、形が生まれる、音が生まれる、色彩が生まれる。ボッシュの「快楽の園の図」やフェルメールの「青いターバンの女」のような、見る人の心を一瞬でとらえ、生涯離さないような作品が生み出される。このような作品を生み出す天才の脳の中では、一体何が起こっているのだろうか。
 脳科学の劇的な発展にもかかわらず、創造のプロセスの秘密については、本質的なことはほとんど何も明らかにされていない。「あっ、判った!」と感じる瞬間(いわゆるaha! 体験の瞬間)に、神経細胞が大脳皮質の広い範囲で同期して活動することなど、いくつかのヒントになりそうな事実は知られている。しかし、創造の結果作り出される産物(アイデア、作品)が、いかに偶然に生み出されたとは思えないほどのクオリティを持ちうるのか、その肝心の秘密は誰も知らない。
 ただ一つ、おそらく確実に言えることがある。それは、創造性には、脳の「感情」のメカニズムが深く関与しているということである。
 脳のメカニズムに関する多くの知見がそうであるように、例外的な事例、異常と思われるような事例が、創造性と感情の関係について多くことを教えてくれる。ダニエル・キイスの小説の主人公であるビリーミリガンは、その好例である。
 いわゆる多重人格障害(解離性同一性障害)で天才的な絵を描くビリーミリガン。「多重人格」については、その存在自体を疑う人も多い。キイスも小説中で描写しているように、多重人格というのは、犯人が罪を逃れるために作った嘘なのではないか、あるいは精神科の医者が作り上げたフィクションなのではないか、と考える人もいる。
 私も、実は、解離性同一性障害の存在自体を疑っていた時期があった。しかし、ある確実に存在する症例の意味について考える過程で、ビリーミリガンのような人物が実在してもおかしくないと考えるようになった。
 カプグラの妄想は、自分の親しい人、たとえば妻や父親などが「地球人に化けたエイリアン」であるとか、「よくできたロボットである」というような荒唐無稽な妄想を抱いてしまう症例である。フランスの神経科学者ジョセフ・カプグラによって、1923年に初めて報告されている。最近の研究により、このような妄想が生み出される脳内機構が判ってきた。これらの患者の大脳皮質の視覚野は通常通り機能していて、親しい人の顔をそれと認識することができる。ところが、大脳皮質の下側にある扁桃核などの情動系の障害により、自分の知っている人に対して抱くべき、「親しみの感情」が生まれてこない。その結果、「私はこの人を良く知っているのに、なぜ親しく感じないのだろう」という矛盾を処理する必要に迫られる。この過程で、脳は、荒唐無稽なストーリーを勝手に生成してしまうのだと考えられている。つまり、「親しみを感じないのは、そっくりだがニセモノのエイリアンやロボットだからだ」と合理化してしまうのである。
 カプグラの妄想は、感情のシステムのズレが、奇妙だが独創的なストーリーの創造へとつながるケースである。同じように、ビリーミリガンの多重人格も、感情のシステムのズレが生み出した奇妙だが独創的な創造物であると考えられる。私たちは、人格というものは、体験、記憶に基づいて生涯首尾一貫して続いていくものだと思っている。だから、ビリーミリガンのようなケースに接すると、驚く。まさかそんなことがあるはずがない、と思う。しかし、二十四もの異なる人格も、感情のレベルでの解離に基づいて後から生み出されたものであると考えれば、それほど不思議な現象でもなくなる。ビリーミリガンの多重人格も、彼が描く魅力的な絵も、幼少時の切実な体験によって動き出した感情のシステムが生み出した創造物と考えれば良いのである。
 ところで、カプグラの妄想やビリーミリガンの多重人格のような一見異常に見える感情の作用において、他者との関係性が深く関与しているように見えることは偶然ではない。他者との関係は、人間の感情のシステムの機能にとって何よりも重要なものである。幼少期において、私たちは、人によって認められることを何よりも求める。「子供にとっては、誰かに見られていない出来事は起こっていないのと同じである」という警句がある。夏のプールの飛び込み台で、後ろに人々が並んでいるにもかかわらず、「ママ! 見て!」と叫び、母親が目を向けてくれるまで飛び込まない女の子。幼稚園の学芸会で、自分の出番の直前、親がちゃんと来てみてくれているか背伸びしてのぞき込む男の子。このような、誰にでも思い当たるような子供たちの振るまいの中に、私たちの感情において他者との関係が占めている中心的な位置が現れている。
 「アルジャーノンに花束を」の構想を得た経緯が、「アルジャーノン、チャーリー、そして私」に書かれている。キイスがニューヨークの英語学校で教えていた時に、授業が終わった後で「ぼくは賢くなりたい」と言ってきたという少年のエピソードが印象的である。私たちの感情の動きのほとんどは、他者との関係において生じる。「賢くなりたい」という、一見純粋に知性に向けられたように見える欲望も、実は他者との関係という文脈の中で生まれている。手術によって賢くなったチャーリーが、過去における自分と他者との関わりを振り返り、その意味を悟るシーンが、「アルジャーノンに花束を」という作品の最も感動的な部分なのは偶然ではない。
 現代の脳科学は、人間の知性というものは、その本質において社会的なものであるということを示している。映画「レインマン」で有名になった、時に天才的な能力を示すケースが出現する「自閉症」の子供たちの問題点も、他者の心を推定する能力にあることが指摘されている。脳の中の感情をつかさどる部位が、どのようにして天才的な創造の能力を生み出すのか、その詳細はまだ明らかではないが、創造を支える感情のシステムの中核に、他者との関係があることは間違いない。作品を創るとき、それが誰かに見られることを予期しない芸術家は一人もいないだろう。創造の行為とは、すなわち、広い意味でのコミュニケーションなのだということを、ビリーミリガンのようなケースは私たちに教えてくれる。

12月 19, 2008 at 08:00 午前 | | コメント (17) | トラックバック (7)

2008/12/18

個物が微睡む夢

大手町の日経サイエンス編集部にて、
守屋繁春さん と対談。

守屋さんは、シロアリによるセルロースの
分解過程に関与する腸内細菌のコロニーなど、
現在環境関連技術の分野で
注目されるeco-genomicsの研究を
精力的に進めている。

「これは、オーストラリアの熱帯地方の
ダーウィンでシロアリの調査をしている
時の写真です。」

「ダーウィンというのは、熱帯雨林地帯だと
思っていました。」

「雨期と乾期がはっきりしているんですよ。
雨が降ると、シロアリたちはエサとなる
植物を取りに行けないんで、蟻塚の中に
たくわえます。乾期には火事も多いんで、
耐火性もあるんですよ。とても硬くて、
調査のために内部を見る時は、ツルハシを
使わなければなりません。」

「そもそも、どうしてシロアリをやろうと
思ったのですか?」

「ヘンテコな動物が好きだったのです。
そのうちに、シロアリに導かれたの
ですよ。」

ヘンテコから、時代に役立つ「普遍」へと
至る。
それが、「科学」だ!


蟻塚の写真を説明する守屋繁春さん。


守屋繁春さんと。

ソニーコンピュータサイエンス研究所

建築家の石上純也さんと対談。


東京都現代美術館の「四角いふうせん」。
何百通りのかたちを考慮して、
「回転しない」ものを選んだ。

神奈川工業大学の工房では、一見
ランダムに見える柱の列を決め打ちで
置いた。

「テーブル」という概念をくつがえす、
細く強靱なフォルムの物体による
空間造形。

 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に
おける、植物と建造物の融合。

 石上さんと話していて、そうか、
同じ夢を追っているのだと気付いた。

 それはつまり、すべてが
決定されていて、それにもかかわらず
自由であるという命題を解明すること。

 意識や偶有性の問題は、突きつめれば
「この上なく不自由であるが、しかも自由である」
ということに尽きる。

 石上さんは、建築に取り組む中で、
個物を成り立たせている
「枠組み」問題に必然的に向き合わざるを
得なかった。

 個物が微睡む夢は、常に自由についての夢なのだ。

_____________

 第1章で述べたように、意識的に把握できる心の状態の差は、全てクオリアの差である。したがって、心の中に浮かぶAという表象と、Bという表象を比較した場合に、「AとBが同じだと思っている」心の状態と、「AとBが違うと思っている」心の状態は、クオリアの差である。
 初めて行く外国で、見るお札が、「真札」か、それともあやしいのかということを意識的に判断する場合の差も、クオリアの差である。このような判断をする場合に私たちの脳が参照する潜在的な文脈は、広大である。そのお札は、どのようにして手に入ったのか? 空港のATMから出てきたのか? それとも、両替屋でもらったのか? 店のおつりでもらったのか? 紙幣の材質はどうか? その国の、経済発展レベルはどれくらいか? その国に着いてから、どのような印象を受けたか? 過去に、偽札をつかまされた経験があるか? 誰かから、偽札をつかまされた体験談を聞かせられたことがあるか? あなたは、楽天的な性格か、それとも疑い深い性格か?・・・・・  
 このような、複雑な文脈が意識的、ないしは無意識的に参照された結果を、私たちは、自分が手にしたお札を真札と見るか、それともアヤシイと思うかという主観的な判断へと反映させている。そのような主観的状態は、あえて強制すれば、「0」か「1」かの論理値へ落とし込むことができるが、実際には「信じてよい、安心している」から、「何となく不安」、「絶対にあやしい」といった、それぞれユニークなクオリアとして意識の中で感覚されている。
 私たちが、近似的に「同じ」、「違う」を判断する認知プロセスは、意識の中に立ち上がっているクオリアのユニークさを把握するプロセスに支えられている。様々な問題が、私たちの心の中で<あるもの>が<あるもの>であること=クオリアとして把握されるメカニズムへと集約されて行く。クオリアは、脳の中で神経細胞が形成する関係性の中から生まれてくる。この、関係性からクオリアが生み出される過程と、「同じ」か「違う」かという判断がなされる過程は、おそらく同じである。
 クオリア一般に比べて、同一性は論理で扱うことができるから簡単だ、というのは単なる表面的な思いこみに過ぎない。私たちの認識の現場で起こっていることの核心を理解しようとする時、表面的には「やさしい」問題として扱われている様々な問題の中に潜むむずかしさに目が開かれていく。

茂木健一郎 『意識とは何か』 より

_____________

石上純也さんに、御著書
『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』
をいただいた。

きれいなドローウィングがたくさん入った
すてきな本です。
皆さん読んでください。

また石上さんと会って、
重力と自由と人間の魂について話したい。


石上純也さん


石上純也さんと。

12月 18, 2008 at 09:05 午前 | | コメント (10) | トラックバック (6)

2008/12/17

魚の群れのような身体

 「みんな違ってみんないい」
というのは、世界の空間の広がりに
由来している。

 Aがあって、Bがあって、Cが
あって、Dがあって。

 どれでなければならないという
ことはなくて、それぞれが
並列して存在して良い。

 以前、山寺に行った時、
下界を見ていて飽きることが
なかった。その時のことを、
『脳内現象』 (NHKブックス)
に書いている。


_______________

 ある初冬の日に、芭蕉の句で知られる山形県の山寺を訪れたことがある。奥の院まで千十五段の階段を途中まで上り詰めたところにある五大堂から、下の景色を眺めた。
 向かい側にある奥山寺の山々まで、やんわりと広がっている平らな土地には、見渡す限りうっすらと雪が降り積もっていた。その粉砂糖をまぶしたような風景の中に、ぽつん、ぽつんと暖かな赤い色をした家々の屋根が見えた。飽きることなくぼんやりとその風景を眺めていると、JR仙山線の線路を、二両編成の列車がトコトコと走っていくのが時折見えた。
 道路を歩く人々は人形のようで、まるで箱庭のようなその美しい風景は、いくら眺めていても飽きることがなかった。
 そうやって、どれくらい眺めていたことだろうか。ふと気が付くと、1時間くらい経っていた。それだけ長い時間景色を見ても飽きなかったのは、要するに見るものが沢山あったからである。
 五大堂から見下ろす景色の中にあるものを、すべて同時にそれと認識できていたわけではない。ある家の赤い屋根に注意が向けば、それを屋根として把握することはできるものの、そこから離れた場所にあるものの形は把握できなくなってしまう。道を歩く人に注意を向ければ、遠くの山々の形を認識できなくなってしまう。五大堂から見下ろすと、さまざまなものが同時に視野の中でとらえられるが、その全てを同時にそれと認識できるわけではない。一度には、一つのもの(あるいは場所)というように、逐次的に注意を向けられるだけである。
 一貫して同じ景色を視野の中に収めていたのに、注意を向ける対象は変化する。そのように、いろいろなものに次々と注意を向けていったので、一時間ずっと見ていても、飽きることがなかったのである。
 時折、人は注意を向けているものしか見ないというような議論を見受ける。確かに、たとえば本の活字を追っている時などは、その瞬間瞬間に注意を向けている文字しか読めていない。その周囲にぼんやりとある活字は、意識の中で意味のある言葉としてはとらえられていない。
 だからと言って、周囲の活字は見えていないのかと言えば、それも違う。注意を向けていない時も、周囲に活字があること自体には気が付いている。たとえ、どんな文字が読めないにしても、そこに文字があること、白地に黒の形が並んでいることには気が付いている。
 注意を向けて、その形、意味を把握しているわけではないが、その時の「私」の体験の中に、確かにそのクオリアがある。このようにうすぼんやりと何かが意識の中で把握されている状態を、「アウェアネス」(気づき)と言う。アウェアネスは、視覚だけで起こるわけではない。聴覚や、錯覚、味覚などの感覚のモダリティにおいても、そこにそのような感覚があるという「アウェアネス」は立ち上がっている。
 例えば、椅子に座って書き物をしている時、私たちは椅子に座っている、という感触に注意を向けているわけではない。確かに、椅子が背中やおしりを押している、という感覚自体は存在している。しかし、注意を向けない限り、その感覚が「椅子に座っている」というはっきりとした形で把握されたり、言葉にされたり、あるいは後から記憶として報告されることはない。
 部屋で本を読んでいる時など、突然、換気扇の音や、冷蔵庫の音に注意が向けられることがある。これらの音は、アウェアネスの中ではクオリアとして成り立っていたのであるが、注意が向けられていなかったので、それと把握されたり、言語化されたり、記憶に残ったりすることがなかったのである。
 しばしば、注意を向けたものだけが、意識として立ち上がる、と誤解されるが、そうではない。実際には、意識は、同時並列的に成り立っている様々なクオリアのかたまりとして生じる。そのうちのごく一部だけに注意が向けられ、言語化され、記憶に残る。私たちは、一度に注意を向けることができるものよりもはるかに多くのことを、アウェアネスの中で感じ、把握しているのである。
 アウェアネスの中で様々なクオリアが感じられるという意識の側面を、「現象学的意識」と呼び、そのうちの一部に注意が向けられ、言語化されたり、記憶に残ったりするという側面を、その内容に「アクセス」できるという意味で、「アクセス意識」と呼ぶことがある。現象学的意識とアクセス意識が脳の神経活動からどのように生み出されているかということは、現代の脳科学の文脈で意識がどのように生み出されているかを考える上で、中心的な課題になっている。
 アウェアネスの中で様々なクオリアが同時に感じられるという性質がもっとも顕著に現れるのが、視覚である。山寺の五大堂から見下ろした景色は、私の心の中で、さまざまなクオリアからなる現象学的意識として成り立っていた。視野の中にクオリアとして分布している様々なものに、次々と注意を向け、アクセス意識の中に取り込んで、言語化し、記憶する。私が五大堂で過ごした一時間は、そのような時間だったのである。

________________

 目の前に世界が広がっていると
感じられる。
 この単純な事実だけをとっても、一つの
驚異なのであって、
 そのことについて考えている
だけでも、いくらでも時間を過ごすことが
できる。
 エルンスト・マッハの有名な絵は、
そのような驚異の定着である。

 東京に戻る。
 『エチカの鏡』の収録。
 タモリさん、高島彩さん、宮川大輔さん、
優香さん、つるの剛士さん、太田雄貴さん、
はしのえみさん、稲垣吾郎さん。

 郡司ペギオ幸夫からメールを
もらった。

Date: Tue, 16 Dec 2008
From: gunji yukio
To: Ken Mogi
Subject: Re: お願い!!

茂木へ

集中講義どうもありがとう。学生、院生たちは圧倒されたみたいです。
ゆっくりOwnershipとsense of agencyの関係、内包の外延化、外延の内包化とその際限のないねじれがつくり出す、いつ壊れるかわからない身体=魚の群れのような身体なんかについて議論したかったけど、時間なかったな。

郡司

12月 17, 2008 at 08:07 午前 | | コメント (23) | トラックバック (3)

2008/12/16

中也と秀雄

サンデー毎日

2008年12月28日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第44回 中也と秀雄

一部抜粋

 後年、講演会で学生に「小説とは生のリアリティを描くものだと思うか」と質問された小林秀雄は、「本当のことなど、なまなまし過ぎて書けるものではない。男と女が、死ぬの生きるのとやっているところなど、とても小説になったものじゃない」と答える。
(中略)
 芸術作品も人間も、心の奥深くに傷をつけることがある。そのうちのある種のことが、創造者にとって福音となる。人類の文化史において、彗星の衝突に等しい人間と人間の巨大なる出会いが、あちらこちらで起こっているのだ。
(中略)
 そこに「新しい男」がいて、こちらに「口惜しい人」がいて。現場のなまなましさの中で交錯する魂と魂のダイナミクスに、心底から震撼する。
 ああ、少しでもバランスが違っていたら。生命と生命は、いかに切なく関係することか。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

12月 16, 2008 at 09:42 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

プロフェッショナル アンコール 工藤進英

本日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、
大反響にお応えしてアンコール!

大腸内視鏡医の工藤進英 さんをゲストにお迎えして
命の大切さについて考えます。

未踏の領域を切り開くパイオニアならではの、
魂の熱風。

みなさん是非ご覧ください!

NHK総合
2008年12月16日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
改革者は自己を否定する快感を知る
〜 内視鏡医・工藤進英 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

12月 16, 2008 at 09:13 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

友情

神戸大学のキャンパスは、海までの
広がりを見渡す高台にある。

郡司ペギオ幸夫の研究室に
電話したら、塩谷賢が出た。

「おい、茂木、今どこらへんにいるんだ?」

「百年記念館のあたりだよ。」

「郡司は近くにいるのか?」

「いるよ。」

5階に上がると、塩谷が「よっ」
というように手を上げ、郡司がケタケタ
笑った。

前に来た時に比べると、郡司や院生が
いる居室がいい具合に雑然としている。

汚さにはメカニカル・アクティヴィティと
ケミカル・アクティティティがると
言ったのは田森佳秀である。

田森が大学院生の時、彼の下宿は
「メカニカル・アクティヴィティ」が
高かった。

床中に本が雑然と散乱していて、
その崩落した山の中で田森は
眠っていたのである。

一方、田森の友人の部屋は、
「ケミカル・アクティヴィティ」が高かった。
床の上に黒いシミがあったり、
ほこりが積もっていたり、
様々な化学プロセスの進行が
見られたのである。

郡司の部屋は、メカニカル・アクティヴィティ
からケミカル・アクティヴィティへの移行の
気配が見られ、それで私は「おっ」と
思ったのである。

いいかんじだ。

「ごはん食べいこうぜ。」

「おう。」

「この、ドアのところにある妙な
書き込みはなんだ?」

「いやあ、昔、手帳を持っていなかった
頃のやつだよ。」と郡司。


神戸大学の居室の郡司ペギオ幸夫


塩谷賢が来ていた。


郡司ペギオ幸夫の机


郡司のドアにあった書き込み

食堂に行くと、混んでいる。

生協の売店でカップ麺を
買って、郡司の居室で食べた。

「茂木よ」
と塩谷が言う。

「何だか最近知らない人からメールを
もらったんだけれども、塩谷賢さんは、
「おしら様哲学者」などと言われている
ようですが、東北地方のご出身なのですか
と聞いてきたぞ。」

「そうかあ?」と言ってとぼける。

おしら様神社

集中講義の教室へ。

聞くと、修士や博士の学生であるが、
脳科学の研究をしているわけでは
ないというので、
一から丁寧に話す。

ミラーニューロン。心の理論。savant。
記憶の編集。
偶有性の知覚。自他問題。
化粧。mirror self recognition。

時には「おもしろ話」をしなければ授業じゃ
ないから、「記憶の編集」を説明する
時に、ボクはこんなことを言った。

郡司と最初に会ったのは、京大の研究会
だった。会うといきなり、郡司は、「茂木さん、
シシュポスの神話というのを知ってますか」
と言ってきた。「男が神に罰を受けて、斜面を
思い岩を持ち上げて運んでいる。上まで運ぶと、
岩は一番下まで落ちてしまう。死ぬこともできず、
永遠にその繰り返し。しかし男は、その運命こそが
自分なのだと引き受けた瞬間、無限の自由を
感じるのですよ。どう思いますか、茂木さん。」
ぼくは、それで、郡司が一瞬で好きになった。

それからしばらくして、郡司が
ソニーコンピュータサイエンス研究所
訪ねてきた時のこと。
いきなり電話してきて、
「これから行くわ」と言った。
夏で、相変わらずアロハシャツを着ていた。
帰る時になって、エレベーターの前で
何か取りだそうとしてバッグを開けたら、
その中から色とりどりのアロハシャツが
ばーっとたくさん出てきた。それで、
郡司のことがますます好きになった。

これは郡司から聞いた話ですが、東北大学の
時、髪型をいろいろ変えていたそうです。
ある時、「逆ザビエル」にして、
真ん中だけ残してあとは剃ってしまった。
鏡を見て、これじゃあ大学に行けないと
思い、周囲をマジックで黒く塗った。
これで大丈夫と安心してバスに乗っていると、
女子高生たちがクスクス笑っている。
どんな面白い話なのだろう、ぼくも聞きたい
と耳を澄ませると、「あの人ばかみたい」
と自分を笑っていた。それで恥ずかしくなって、
次の停留所でバスを降りた。

それから、神戸大学に赴任してしばらく、
郡司は新幹線で通っていたが、一度も
席を予約しなかった。「それはですね、茂木さん」
と郡司は言った。「必ず、座席をくるりと
回している人がいるじゃないですか。そうすると、
席と席の間にテントのような空間ができますよね。
そこに寝ていたんです。車内販売の人が
通りかかると、お客さん、頭が邪魔です、
と言われ、その度にあっ、すいません!と言って
立ち上がっていました。それが変なこと
だとは、しばらく気付きませんでした。」
と郡司は言うのです。

郡司ペギオ幸夫の「ペギオ」というのは、
子どもが生まれた時に、奥さんに
「あんたは何もしないんだから、名前くらい
考えてよ」と言われて、「じゃあペンギンにする」
と答えたら、「それだけはやめてちょうだい」
と言われたので、仕方がないので自分に
付けたのだそうです。「現代思想」の編集者で、
一番最初に「郡司ペギオ幸夫」という
名前で論文を受け取った人は絶句した
そうです。このまま掲載して良いのかどうか、
大いに悩んだそうです。

池上高志は、神戸大学時代の
郡司の同僚ですが、その池上でも、
郡司の言っていることはわからない
ことがある。ある時、ぼくたちは
研究会をやったのですが、
アブストラクトとして郡司から
送られてきた、日本語の3行の
文章の意味がわからない。
池上も、いくら読んでもわからない。
たいへん長い付き合いの池上でも、
わからないのです。すごいでしょう。

養老孟司さんは言っています。
「郡司君は、天才であることは
間違いないのだけれども、何の天才
なのかが一向にわからない。」

ひとしきり郡司おもしろ話をやった後、
「このような郡司ペギオ幸夫に関する
エピソード記憶が、脳の中で次第に
郡司さんの「人格」という意味記憶に
変容して行くんですねえ。」
と解説すると、学生たちは大いに頷いて
いた。

きっと、笑顔の中にも、人間の記憶の
神秘に触れて感銘を受けたに違いない。
郡司ペギオ幸夫よ、脳科学のために
貢献してくれて、ありがとう!


大いに納得した表情の神戸大学の学生たち


郡司は、と見ると、いつの間にか
席を隅の方に移動して頭を抱えていた。

もうぅ、恥ずかしがり屋ねえ。

わが畏友にして笑友は教室を漂流す。

六甲に降りて、郡司研の学生たちを
交えて大いに語り合う。

「一神教」と「八百万の神」
の議論で、私はぶち切れてばあばあ
言った。

「人格神が理神論になって進化論に
至る過程がだなあ、ハミルトニアンとか
ラグランジアンとか、やったんだろう、
宇宙の波動関数がなあ、ばらばあばあ。」
とまくしたてる。怒ると、大いに
元気になる。

せっかく、「教育的効果」も考えて、
伝統芸である噴火パフォーマンスをしていたのに、
塩谷が横からギリシャ神話がどうの
と妙なことを言うので、
気が萎えて、
噴火は収まってしまった。

モッタイナイ。

二次会で、ぼくは塩谷に言った。

「お前はさあ、ふくらんだ風船を針で
刺してぷしゅうとしぼませるようなことを
するんだよな。」

「そうかあ。」

「でも、お前は、本当は、心のうちに、
とてつもない攻撃性を秘めているんだよな。
それは、18歳の時からの親友のオレには
わかるよ。」

「それはそうなんだよ。茂木の感覚は信じている。
論理じゃないんだよな。だから、飛躍するんだけど、
それは信じているよ。」

もっと郡司とか塩谷とかに会わなければ
いかないと思う。

田森とか、池上高志とか、白洲信哉とか、
島田雅彦とか、竹内薫とか、
そういうやつらとの愉快なエピソードを
交えて、そのうち『友情』という本でも
書こうかしら。

野蛮にして熱情を持っているわが友たちは、
人生のかけがえのない宝ものである。


郡司ペギオ幸夫。六甲の居酒屋にて。


塩谷賢。六甲の居酒屋にて。

12月 16, 2008 at 09:07 午前 | | コメント (17) | トラックバック (4)

2008/12/15

スランプ

先日、堀川高校に講演に行ったとき、
手を挙げて「スランプはどのように
克服したら良いのですか?」
と聞いた高校一年がいる。

「何のスランプなんだ」と尋ねたら、
「シンガーソングライター」と答えて、
満場が爆笑となった。

「君は人前で歌ったことがあるのか?」
と聞くと、
「文化祭で歌ったことがある」
と答えて、また周囲がうわんと笑う。

「じゃあ、ここでやってみてくれ」
と言ったら、「灯台は周囲を明るく照らす
けれども、足元は暗い」というような
メロディーを彼はアカペラで歌った。

「すぐそうやって歌うのはエライけれども、
ここはいわば身内の場所だから、本当に
飛躍しようと思ったら、アウェー戦を
しなければならない。京都駅前とかで、
歌ったことはあるのか? ストリートで、
何も知らない人の足を止めるのは大変だぞ」
と言うと、黙って聞いている。

「それから、逆に、思い切りプライベートに、
好きな女の子に歌をプレゼントするのも
一つの考えだ。」と言うと、
彼は、「その予定はすでにあります。」
と答えて、会場から「ウォー」という
声が上がった。

そのF君からメールをもらった。

さっそくストリートに繰り出したようだ。
こういう実行力のあるやつには、
大いに伸びてもらいたいと思う。
たとえ失敗しても、やらないよりは
やった方が絶対的にマシだ。

From: F
To: kenmogi
Subject: 堀川高校のシンガーソングライターボーイより
Date: Mon, 15 Dec 2008

こんにちは。
先生の講演で歌声を披露させていただいた、
堀川高校1年2組のFです。

善は急げとの周りの勧めで、
今日(12月14日)さっそく四条大宮でストリートライブをしました。
知っている人も何人か来てくれたのですが、
知らない人も二、三人足を止めて聞いてくれて、
野外で広々としていたのでなんだかいつもと全然違う感覚でした。

先生のおかげで色々と新しい刺激をもらえました。
ありがとうございました。

12月 15, 2008 at 07:36 午前 | | コメント (15) | トラックバック (3)

中核的な役割

結局、私の人生はクオリアを
解くという目標なしではあり得ないから、
その他のすべての活動と、
クオリアについて考えるということを、
呼吸のように行き来して
いきたいと思っている。

『脳とクオリア』

第5章より。

 このように、空間の中の位置は、数の組と一対一対応を付けることができるため、ロックの分類で言えば第一性質であると考えられる。実際、定量的自然法則の代表である物理学において、空間の位置をデカルト風に数の組で表すことは、その理論的枠組みの大前提である。
 しかし、本当に、私たちがものを見ているときの「視野」の位置と、数の組は、同じものだろうか? 図5ー3で、中央の花(花A)はその左の花(花B)の「右側にある」。一方、花Aと花Bの間の下側にある花(花C)は、花Aの「斜め左下よりさらにやや下側にある」。図5ー3を眺めながら、この、
花Aは花Bの「右側にある」
及び
花Cは花Aの「斜め左下よりさらにやや下側にある」
というそれぞれの「感じ」にしばらく注意を向けてほしい。「右側にある」という感じと、「斜め左下よりさらにやや下側にある」という感じの違いは何だろうか? 私たちは、教育によって、このような位置関係を、すぐに数量的な関係に翻訳してしまうようになっている。だが、デカルト座標はさておき、「右側にある」という感じと、「斜め左下よりさらにやや下側にある」という感じそのものの違いは何だろうか? それは、単なる二つの数字の組の違いに還元できてしまうものだろうか?
 普段は見慣れたもののように思っている漢字をふとゆっくりと眺めたとき、意味が解体し、漢字を構成している棒や点の組み合わせが訳の分からないものに思えて不安になってくることがある。私たちの注意が、漢字の持つ形態の原始的な「感じ」にむけられるからだ。同じように、空間的位置関係についても、そのデカルト座標によって与えられた意味が解体したとき、初めてその原始的な「感じ」が浮かび上がってくる。「右側にある」という感じと、「斜め左下よりさらにやや下側にある」という感じの違いは、決してデカルト的な定量化のプログラムではつかみ切れないのである。
 結論から言えば、私たちがものを見るときの視野の中の位置も、「赤」の「赤らしさ」や、猫の毛の「ふわふわの感じ」と同じように、クオリアであると見なすべきなのである。さらに言えば、数や量といった抽象的な概念も、その意味(meaning)に対する私たちの「理解」(understanding)するということを考えたときには、クオリアと同じ理論的基盤で論ずるべきなのである。このように、クオリアという言葉の守備範囲を通例よりも広くとらえることによって、初めて脳の情報処理におけるクオリアの中核的な役割が浮かび上がってくるのだ。

12月 15, 2008 at 07:26 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2008/12/14

新報道2001

新報道2001
フジテレビ系列 
2008年12月14日(土)07:30~08:55

12月 14, 2008 at 07:08 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

活断層

金曜日。

石川直樹さんと、上野公園で
お目にかかる。

「母の友」編集部高松夕佳さん。

石川さんのカメラのレンズカバーは
ぐにゃりと変形していた。

「倒れて壊してしまったんですよ。」

石川さんのバックパックは白かった。

石川直樹さんの新刊Vernacular
は、世界各地の、自作の家を
撮影した写真集。

高いのに、一冊いただいた。

「自分で買うからいらないよ。」

「いいえ、もらってください。」

「わかった。それじゃあ、借りを一つ
つくることにする。」

石川直樹さんに借りが一つできた。

高松さんが、「母の友」の宣伝をした。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

総務省関係のミーティング。

医療関係のNPOの学生さんたちが
来て話す。

惑星科学の研究で著名な井田茂
さんがいらして、
トークして下さる。

太陽系外の惑星について調べる
科学は、今まさにルネッサンス。

井田さんの話に学生たちは
熱心に聞き入る。

青年よ、科学のビッグ・バンを起こせ!


井田茂さん

朝日カルチャーセンター。

木村秋則さんの偉業について。

John Bowlbyの文献を読む。

兆一でいつものように飲んだ後、博士課程の
須藤珠水がバーテンのバイトを
しているというゴールデン街のクサンチッペへ。

上の座敷に十数人くらいでたむろして、
歳末気分を味わった。

土曜日。

京都へ。

堀川高校の荒瀬克己校長先生が
生徒向けの講演会にお呼び下さった。

荒瀬先生が『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演いただいてから一年。

なんだか、もっと前から知っているような
気がする。

聴衆の中心は高校一年。
シンガーソングライター・ボーイがいたり、
デカルト青年がいたり、仏教研究家がいたり、
不思議の国のアリス少女がいたり。

みな、ユニークで元気だった。イェーイ!

東京に戻る。

品川駅で、「タカさん」こと、
山本隆之さんにばったりと会った。

「あれ、タカさん!」

「いや、編集のコバヤシくんと、これから
飲むんですよ。」

「名古屋はどうですか?」

「日々の業務に追われていますよ。
プロフェッショナル班の忘年会は、25日
だと風の便りにききましたが。」

「収録あとです。タカさんも来るんですか?」

「いやあ、ははは。」

プロフェッショナル班の笑顔大王だった
山本タカさん。
名古屋放送局に行っても、タカさんの
笑顔は変わらなかった。


山本隆之さん

品川からの道を歩く。

養老孟司さん主催の忘年会。
「まる田」にて。

養老孟司さん、甲野善紀さん、内田樹さん、
名越康文さん、新潮社の足立真穂さん、
新潮社の後藤裕二さん。

養老さんが、集まったメンツを見て、
「野蛮人だなあ」と言う。

野蛮人のお目付役が、精神科医の名越康文さん。

足立真穂さんがよく通る声で笑う。

活断層の話になる。

人間の中にも、起動の時を待っている
活断層が潜んでいるのではないか。

内田樹さんと、「本を読んであったまに
来て捨てる」話をする。

お互いに、「あれも捨てた」「これも捨てた」
と愉快に言い合う。

活断層が小活動をした夕べ。

養老孟司さんが、すべてを受け入れる
太陽のように笑っている。


養老忘年会

12月 14, 2008 at 07:00 午前 | | コメント (15) | トラックバック (2)

2008/12/13

あたたかき冬

以前、日本経済新聞に「明日への話題」
を連載させていただいた時、
こんな文章を書きました。

 歳末のこの季節は何となく慌ただしい。「年末進行」に追われ、忘年会をはしごしているうちに、いつの間にかクリスマスが近づいてくる。
 数年前の今頃、私は空港のレストランにいた。となりの席に五歳くらいの女の子がいて、妹に話しかけていた。
 「ねえ、サンタさんていると思う? 私はねえ、こう思うんだ・・・」
 その一言を聞いた瞬間、人間にとって「仮想」が持つ意味に思い至り、私は思わずはっとした。
 子供にとってのサンタクロースの真実は、それがこの現実の世界に存在するかどうかで左右されるのではない。一年に一回、自分に無償の愛を注いでくれる人がいる。そのような仮想の切実さこそが、子供の心に訴えかける。
 目の前にでっぷりと太った赤服の男を連れてきて、ほら、これがサンタだよ、と言っても何の証明にもならない。現実には存在せず、しかし目を閉じればありありと見える仮想だからこそ、サンタクロースは私たちの心の中に居場所を持つ。そのような思いを基に、私は『脳と仮想』という本を書いた。
 イギリスに留学している時、クリスマスが「善意の季節」と呼ばれることを知った。普段は厳しい競争社会の中で懸命に生きている大人たちも、この季節だけは童心に返り、周囲の全ての人たちに対して善意のまなざしを向ける。寒空の下、人々の心は暖かく燃え上がる。
 現実が時に厳しいからこそ、サンタクロースは必要とされる。その仮想の由来するところに思いをはせ、しみじみとこの季節を楽しみたいと思う。

子どもの頃、飼っていたジュウシマツたちが、
止まり木の上で身を寄せ合って
眠っているのが印象的でした。

みなさま、あたたかき冬を。

12月 13, 2008 at 07:34 午前 | | コメント (18) | トラックバック (7)

2008/12/12

脳とこころを考える

朝日カルチャーセンター

「脳とこころを考える」
- 好き・きらい・どちらでもない

第4回
2008年12月12日(金)
18時30分〜20時30分

12月 12, 2008 at 07:18 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

いたしかゆし

品川駅の近くにて、
偶有性や創造性について
お話する。

人生とは、つまり偶有性に
どのように向き合うかという
ひとつの「武術」である。

感覚を研ぎ澄まし、身体を駆使して
魂全体で向き合わねばならぬ。

偶有性をクオリアの間を
どう結ぶかが、
私のライフワークである。

渋谷東武ホテルで、フジテレビの
西田恒久さんたちと。

芥子から星雲まで、
さまざまなことに疾走す。

NHK。

メイクをしてただきながら
お話する。

「週に何日、NHKに出るのですか?」

「6日です。でも、二週に一回、
午後5時から朝9時までの勤務があるのです。
それは二日と数えられるので、その週は
二日休みになるんです。」

「ずっと起きているんですか?」

「ええ。」

「臨時ニュースなどのために待機しているん
ですか?」

「そうでもないんです。夜の放送が
終わっても、すぐに次の日の朝のニュース
の方々が入って来られるので。」

「ああ、そうか。みなさん何時頃入って
くるのですか?」

「午前3時くらいです。」

「ひええ。大変だ。」

「明けた日は一日使えるというので、前は
よくいろいろ行っていましたが、今は
家に帰って眠っていますね。」

「疲れたりしませんか?」

「お肌には来ますね。一晩起きていると、
顔に一つぷつっとできていたりします。」

誰かが背中を通り過ぎていく
気配がした。

どうやら、住吉美紀さん(すみきち)
である。

「・・・・そうですか。眠りが肌には一番ですからね。
英語には、beauty sleepという言い方が
あるくらいですから。」

左の方から、すみきちの声がした。

「私も、風邪で一日中眠っていると、
肌がきれいになるんですよね。咳でつらいのは
イヤなんですけど。肌が良くなるのと、咳で
つらいので、いたしかゆしですよね。」

メイクを終えて、ぱっと目を開いて
見てみると、確かにすみきちであった。

スタジオに入っていっていつもの
席に座ると、
すみきちが、
「茂木さん、今日は絞って
もらわなくてはね。」
という。

ゲストが、ヘラを用いた金属の絞り加工の
達人、松井三都男だということで、
私の脇腹をからかったのである。

「もう、そんなことを言うと、
ブログに書いちゃいますよ。すみきちとの
会話は、好評なんですから。」

「誰に好評なんですか?」

「読者のみなさんですよ!」

スタジオのトークはとてもすばらしい黄金の
時間として流れた。

日経BPの渡辺和博さん、
チーフプロデューサーの有吉伸人
さんと、いつものようにスタジオの
感想を語り合う。

カメラで有吉さんを撮ろうとすると、
さっと気配を察知して身をよじる。

有吉さんは、私の畏友、田森佳秀に
様子が似てきた。

田森も、私がカメラで撮ろうとすると、
「おっと」と言ってかわそうと
するのである。

ちょうど、目を閉じた瞬間の
写真が撮れた。


目を閉じた有吉伸人さん

渡辺和博さんに見せる。

「うーん、やっぱり、起きていて
目を閉じた瞬間の顔は、眠っている時の
顔とは表情が違うからわかりますねえ。」


渡辺和博氏

先日、弘前に木村秋則さんを尋ねた時、
私たちの写真をとってくださった
原田人さんからメールをいただいた。

すばらしく風雅な文章で、
原田さんがますます好きになった。

原田人さんが撮影した木村秋則さんの
回は、ぼくの心の中でくっきりとした
輪郭をもって残っている。

原田さん、すばらしい写真の数々、
ありがとうございました。

To: kenmogi
From: 原田 人
Subject: 本日はありがたうございました。(NHK原田)
Date: Fri, 12 Dec 2008

茂木健一郎さま

何時もお世話になつてをります。
本日も收録、お疲れさまでございました。
職人さんの一代記、如何でしたでせうか。

ブログのここにかうして
メイルアドレスがあることを見落とし、
先日はコメント欄にお送りしてしまひまして、
たいへん失禮いたしました。

けふ畑の冩眞を茂木さんにお目にかけることができ、
とても嬉しうございました。
そのうへ、ああした拙い冩眞を受け取つて戴き、身に餘る光榮であります。ありがたうございます。

あれらの冩眞を撮影したとき、たれもゐない雪の畑で、りんごの木と相對してすごした澄んだ時間が、私につよく殘つてゐます。
雪の白と、苹果の赤。葉の緑、空は紺。どれも落ち着いてゐ乍らに鮮やかな、美しい色をしてゐました。
雪が積もるとりんごの實は凍つてしまふので、本來りんご農家は積雪の前に收穫を急ぐのださうです。
一度凍みてしまつたものは、生食用として出荷できなくなつてしまふのださうです。
さうしたものでも料理やジュースの材料になるし、抑々ほかの木の收穫で手が囘らないからと、
木村さんはあのりんごだちを殘して下さいました。
地元では不自然な景色だときいてゐた雪の中のりんごですが、こんなに美しい風景になるとは驚きでした。

幾日か前の未明に、自宅でこの冩眞をプリントし乍ら、りんごを一つむいてたべました。
それは冩眞に撮つた木からもいできた一つで、燒いたばかりの冩眞の畫面に、
未だ木についてゐるその實を眺め乍らたべるのは、不思議な感じの幸せでした。

木村さんの云はれる通り、つぎは花の五月。
畑の木々は、茂木さんがまた來られるのを待つてゐると、ほんたうに思ひます。

ところで、先日の東京大學での茂木さんと安藤忠雄さんの對談講演を、殘念乍ら私拜見できずにしまつたのですが、
そのとき、數年前に安藤さんとご一緒させて戴き、鳥取三朝の三佛寺投入堂を撮影したことを思ひだしました。
「國寶探訪」といふ番組で、新緑の山に籠つてお堂を撮影したそのときのことも、忘れられない景色です。
この番組も、いつか茂木さんにお目にかける機會があれば、嬉しいです。

手前のことばかり失禮いたしました。
ほんたうにご多忙の日々、どうかお身體お大切になさります樣。
本日もほんたうにありがたうございました。

原田人



原田人さん


脚立の上の原田人さん。(木村秋則さんの畑で)

木村秋則の仕事-りんごは愛で育てる-DVD


原田人さんが撮影した『木村秋則の仕事-りんごは愛で育てる』

『奇跡のリンゴ』 

クオリア日記 「奇跡のリンゴ」 

12月 12, 2008 at 07:17 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2008/12/11

わからない

ぼくには、世間の常識が
わからない、というところが
あるらしく、大学生の時に参加した
「日米学生会議」でのInternational Relations
のセッションでもそうだった。

ぼくはThe concept of nationという
position paperを書いた。

そもそも、国家とはナンゾや、
ということを情報の流通という
視点から論じたのである。

的場さんが、「The concept of nation?
what?!」と言って頭を
抱えていたのを覚えている。

普通、国家というものの存在は
アプリオリであって、それを
前提に人間の生死まで論じてしまう。

それが世間の常識という
ものらしいが、ぼくは心情的にも、
理知的にも、一度も首肯した
ことがない。

同じことは、最近の雇用情勢
にも言えるのであって、
ぼくは、「正社員」とか、「派遣社員」
とか、そのような区別のような
ものがある社会のあり方を、
感情の根底において受け入れていない
というか、何を意味しているのか
よくわからないでいるところがある。

極端なことを言えば、全員がフリーランス
であるような、そのようなものとして
社会を見ているらしい。

ぼくがどう思おうと、
世間のあれこれは全く変わらない
わけだけれども。

PHP研究所。取材。

玄関に、凸版印刷からの、
「脳を活かす』シリーズ累計100万部突破
を祝うランの花がおかれていた。


100万部突破のランの花

法政大学。学生たちを前に、
脳と創造性について講演。

質疑応答が活発で、本当に楽しかった。

講演に先立ち、電通の佐々木厚さんが
私のことを紹介して下さった。


佐々木厚さん(法政大学講堂にて)

NHKにて、エコについての
コメントを収録。

西口玄関で、「頭の中が70%ラグビーで
できている」花野剛一さんに会った。


花野剛一さん。

Tokyo FMへ。
ピーター・バラカンさんとお話する。

お台場のフジテレビ湾岸スタジオ。

明石家さんまさんがホストの番組。
(『さんまの笑顔の映像グランプリ』
2008年12月19日(金)21時〜)

フジテレビの小松純也さんは、
NHKの有吉伸人さんと
京都大学の劇団「卒塔婆小町」
以来の親友。

小松さんの元気なお顔を久しぶりに見る、


小松純也さんと。

深夜、パワーポイントを
あれこれと調整する。

もう眠らなくっちゃと、
久しぶりにThe Fawlty Towersを
聞きながら眠りについた。

ぼくには、やっぱりいろいろ
わからないことがある。

わからないことに寄り添って
生きて行けたらいいな。

12月 11, 2008 at 07:47 午前 | | コメント (21) | トラックバック (5)

2008/12/10

2冊累計102万部

PHP研究所
『脳を活かす仕事術』
『脳を活かす勉強法』
は増刷(『脳を活かす仕事術』10刷、累計25万2000部、
『脳を活かす勉強法』43刷、累計76万8000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんからのメールです。


Date: Mon, 8 Dec 2008
From: "木南 勇二"
To:
Subject: 増刷のご連絡【PHP木南】


茂木健一郎先生

いつもお世話になります。

『脳を活かす勉強法』は43刷5000部増刷で76万8000部
『脳を活かす仕事術』は10刷2000部増刷で25万2000部
となっております。
2冊累計102万部です。

ちなみに『脳を活かす勉強法』は、トーハン2008年の総合10位
ビジネスジャンルの堂々1位です!

寒さ厳しき折、お身体にご自愛くださいませ。

PHP 木南拝

『脳を活かす勉強法』


『脳を活かす仕事術』 

12月 10, 2008 at 08:37 午前 | | コメント (2) | トラックバック (4)

シンクロニシティ

サンデー毎日

2008年12月21日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第43回 シンクロニシティ

一部抜粋

 先日、学会で米国のワシントンに出かけた時のことである。
 飛行機のトイレに入った私は、「禁煙」に関する注意書きをぼんやりと見ていた。
 「煙検知器の動作により、引き返しや緊急着陸などの重大な事態につながることがあります。」
 無意識の連想の中で、「もし、直ちに医者の手当てが必要な患者が発生したらどうするのだろう」という疑問が浮かんだ。機内で応急手当はするものの、それだけでは対応できない場合はやはり近くの空港への着陸を考えるのだろうか? そのような時の判断の基準は、どうなっているのだろう。
 そんなことを考えながらドアを開け、トイレを出た。喉が渇いていたので、近くに立っていたフライト・アテンダントの方に、「コーラを下さい」とお願いした。「氷はありませんか?」と言うと、引き出しからパックを出して下さった。彼女が氷を砕いている時に、突然バタンと音がした。
 見ると、向こう側の通路に、中年の婦人が仰向けに倒れている。目を開いたまま、動こうとしない。アテンダントはコップを置くと駆け寄って、「お客様、だいじょうぶですか」と声をかけた。
 気配を察知して次々とアテンダントたちがやってくる。受話器をとってどこかに連絡をしている人もいる。トイレにやってきた乗客がのぞきこんでいる。一人のアテンダントが、手首の脈をとった。倒れている人は、動こうとしない。
 心配だった。最悪の事態も懸念された。しかし、そこに立っていると邪魔になるので、自分の席に戻った。十字のマークのついた箱を持って、アテンダントがあわただしく私とすれ違った。
 私は動揺していた。急病人のことを考えていたら、その後すぐに実際に人が倒れた。不思議な符合である。世界が、今までとは違った場所に見えた。それからしばらく、耳を澄ませた。「お客さまの中でお医者さまはいらっしゃいませんか」というアナウンスが流れるのではないかと身構えた。
 幸いにして、大事には至らなかったようだ。しばらくして、婦人が席に戻っていくのが見えた。アテンダントが付き添って「ゆっくり行きましょう」と言っている。どうやら回復したようで、夫らしい人と会話をしているのを見届けたら心が安らいだ。しかし、それからもしばらくは動揺はおさまらなかった。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

12月 10, 2008 at 07:46 午前 | | コメント (11) | トラックバック (2)

あのねえ

「もう紅葉は終わりですか?」

京都のホテルから駅への運転手さんは
よく話す人だった。

「ええ、もう落ちてしまってますよ。
大原に行ってください、と言われても、
もう紅葉は終わっているけどいいんですか、
って一応ことわって置かないと、現地に行って
からないじゃないか、じゃ困りますからね。」

「ああ、そうなんですか。」

「だから、面白いお寺がありますけれど、
いきませんか、とお誘いするんです。
なになに寺の動く襖絵とかね。
それと、この絵がある控えの間に通されたら、
天皇さんにはお会いできませんとか。
昔の人の智恵はすごいですわ。」

京都駅の新幹線口に着く。

「最近、景気はどうですか?」

運転手さんが少し声を潜めた。

「お客さんにわるいから、あまり大きな
声では言えませんけど、京都のタクシーは、
今年はずいぶん良かったです。女の人の
グループでも、海外に行くよりは京都で、
というんでしょうか、私なんかも、だいぶ
儲けさせてもらいました。」

新幹線は仕事をして、それから眠る。
それからまた仕事をする。
偶有性について。

品川駅から渋谷駅に行く間に、台本の
余白に、ペンで400字の作文を書く。

渋谷の
センター街をちょっと左に曲がったところに
あるそば屋の前に立つと、コロッケ
そばがあった。
そうだ、ボクは
コロッケを食べたかったのだ。

ちょうど12時。入った時には、
見事な箸タワーの向こうにお客さんは
まばらだったが、瞬く間に一杯になった。

世の人々は時間で動いている。


私の愛したコロッケそば


「箸のタワー」の向こうに。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

駒井ディレクターの初仕事。


駒井ディレクター

ゲストは、ヘラ絞り職人の松井三都男さん。

ヘラ絞りは、ヘラを使って金属を目的の
形に変形していく仕事で、松井さんは
100分の1ミリ単位の精度で
仕上げる、日本を代表する匠である。

「茂木さんもちょっとヘラ絞りしてもらったら」
と住吉美紀さん(すみきち)。

「あのねえ。」

「茂木さん、スタジオで実演もありますよ」
と有吉伸人さん。

「茂木さんがヘラ絞りしてもらうんですか」
とすみきち。

「そうじゃなくって、ぼくがヘラ絞りに挑戦
するということですよね。この前、国村次郎
さんの時にも、スタジオで発見が
あったから、今回もあるかもしれない。」

「期待していますよ!」
と有吉さん。

「この人は、期待していない方が、いい仕事を
するんですよ。」
とすみきち。

「あのねえ。」
と私。

山口佐知子さん(さっちん)と柴田周平デスク
(しばきち)が笑っている。


山口佐知子さんと柴田周平さん

打ち合わせ中、私は何度「あのねえ」
と言うことだろう。

やがて、有吉さんは「沈思黙考」
の姿勢となった。


「沈思黙考」する有吉伸人チーフプロデューサー

1月2日深夜(明けて1月3日)に放送
される「新春テレビ放談会」
の収録。

千原ジュニアさん、塚原愛アナウンサー、
テリー伊藤さん、箭内道彦さん、 
ケンドーコバヤシさん、五月女ケイ子さん。

日本のお笑い文化についての話になる。

私「お笑いの文化というのは本当に多様で、
私はイギリスのコメディを日本でおそらく一番
見ている男ですが、日本のお笑い、たとえば
風雲たけし城などの笑いは、イギリスの人にも
わかるんですよね。」

千原ジュニア「日本の笑いは、世界で一番でしょう。
たとえば、四国で一番面白い男というのは、
世界に出していっても、かなり面白いと思うんで
すよね。」

私「そうかもしれませんね。ただ、ぼくは、
今の日本の笑いから欠けているものがあると
思うんですよ。それは、政治的なコメディと、
それから、社会のタブーに挑戦するようなお笑い。」

ケンドーコバヤシ「これはぼくの個人的な
考えなんですけど、賢いことを言っている、
と思われるよりは、あいつはバカじゃないかと
思われる方がいいですね。」

私「たしかに、真面目に賢そうなことを
言っているような時に、それを相対化する、
批評性のようなものがあるかもしれませんね。」

テリー伊藤さんはゴジラと「用心棒」
が闘う映画を撮りたいそうである。

移動しながら、論文の構成を
あれこれと考える。

本格的な論文書きの季節を迎え、
同時進行で何本か考えている。

時計職人のように、あれこらと
あちらこちらを調整していくプロセスは
本当に楽しい。

しかも、その時に自分の知識とヴィジョン
の絶対量が問われるのだ。

12月 10, 2008 at 07:39 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

2008/12/09

二十年の一度のパーティ

大切な人との、大切な時です。
みなさま、おいでください。

桑原茂一さんからいただいたメール。

From: 桑原 茂一
To: Ken Mogi
Subject: 桑原茂一です。

四谷区民会館から御苑を
見下ろして、小さな声で「ヴィスタ」
と言ってみた。

私も小さな声で「オバマ」とつぶやいてみた。


茂木さん、

二十年に一度のパーティーのこと

CLUB dictionary "YES WE CAN!"

ぜひ、日記で紹介してください。

http://www.clubking.com/topics/archives/03store/post_36.php


今夜のプロフェッショナルも見る前に泣きそうです。
でも、茂木さんがビッグシューを買っているその気持ちに
私は目から水が出てきます。

も。

12月 9, 2008 at 09:36 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

プロフェッショナル 岩田守弘

プロフェッショナル 仕事の流儀

悔しさを、情熱に

~バレエダンサー・岩田守弘~

 すみきちが泣いた。

 となりに座っている住吉美紀さん
が突然、涙をこぼした。

 外国人として初めて、ボリショイ・バレエの
ソリストとなった岩田守弘さん。

 凄い人である。

 その凄い人が、体格的な条件から、
王子役をなかなか踊れないという。

 回ってくるのは、道化の役。

 岩田さんのお父さんはやはりバレエ・ダンサー。

 そのお父さんが、「いいじゃないか。
世界一の道化になれば」と言ったという。

 その話を聞いて、すみきちが大粒の
涙をこぼした。

 深い、心を動かす4時間の対話。

 ぼくの心の大切な場所に、岩田さんがいる。

NHK総合
2008年12月9日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
人の心を豊かにするもの
〜 バレエダンサー・岩田守弘 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

12月 9, 2008 at 09:05 午前 | | コメント (13) | トラックバック (5)

山の音

今年は、私のかかわった
本が思いがけず何冊か売れて、
「ビジネス書」のランキング
入りをしている。

ありがたいことではあるが、
私は、自分の本が日本で言うところの
「ビジネス書」だとは
実は思っていない。

日本で言うところの「ビジネス書」
は、どうやらノウハウのことを
指すらしい。

私にとって、「ノウハウ」ほど
関心から遠いものはない。

脳科学の要諦は、つまりは、
脳が生きる上で避けることの
できない偶有性(確実さと
不確実さが入り交じった状態)
にいかに適応しているか
という点に尽きる。

クオリアの問題も、偶有性に
大いにかかわる。

その複雑な問題を、ノウハウ
などで解けるはずがない。

アメリカを訪れて
空港の書店などを見ていると、
なるほど、「ビジネス書」
はたくさん並んでいるが、
大きな違いは、かの国では
「人格形成」や「自己の向上」
に重点が置かれていることである。

これならばわかる。人格はノウハウの
塊などでは断じてない。

強いて言えば、内田樹さんも
時折触れられるレヴィ・ストロースの
言うところの「ブリコラージュ」
の集合体なのであり、
箇条書きできるノウハウなどでは
断じてない。

「強化学習」のすばらしい
ところは、「正解」がないところで、
何を喜びの源とするかは、
それぞれが懸命に生きる上で
模索しなければならないのだ。

五反田駅を降りて横断歩道を
渡っていると、片手に雑誌を
持って立っている人がいる。

歩みを止めて、話しかける。

「こんにちは。」

「あっ、どうも。この前の、
先生が表紙の号はぎょうさん売れましたよ。」

「そうですか。はずかしいな。
今のやつください。」

「はい、どうぞ。」

「三百円でしたっけ? そうだ。
学生にも読ませたいから、二冊下さい。」

「先生、ときどき五反田いらっしゃるんですか?」

「ええ。研究所が近くにあるもので。」

『ビッグイシュー』 を売っているその人は、
やさしい笑顔で送って下さった。

コンビニのところで関根崇泰と落ちあい、
論文の構成を議論しながら歩いていく。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

新婚ほやほやの「幸せなる種族」、
野澤真一くんが
Gambling Urges in Pathological Gambling. A Functional Magnetic Resonance Imaging Study

の論文を紹介。

野澤いわく、「urge」という単語に
惹かれたとのこと。

依存性の薬物など、chemicalなものと、
gamblingのような、sensori-motorを
通してやってくる依存刺激の間の
関係は何か?

dependencyとabuseの間には
どのような差異があるか?

野澤のライフワークである、
自発性(spontaneity)の周囲を、
このようなpathologicalな視点を含めて
探るのは、大いに良いことだから、
がんばってやって欲しい!

続いて、田谷文彦が、self detected error
固有の脳活動についての論文を紹介。

論文紹介の「模範演技」。

self detected errorというのはおもしろい。
正解がわかっているのならば、最初から
そうすれば良いようなものだが、
そうはいかなくって、後から
気付く、フランス語で言う
L'esprit de l'escalierは
どのような機構で生まれるのだろうか?

昼食に
チェゴヤに行こうと皆でエレベーターに
乗ると、田辺史子の髪の毛がずいぶん短い
ことに気付いた。

「なんだか、背中からぐいと引っ張って
短くしたみたいだな。」

「もう少し前は、さらに短かったです!」

チェゴヤで辛いのをひいひい。

京都へ。

日高敏隆先生とコスタリカに行った
仲間たちのリユニオン。

中野義樹さんが撮影した写真を
見ながら、皆でなつかしい時を
語り合う。

夕食にいこうと橋を
わたると、山の端がシルエットを
なして美しい。

「山の音」がさえざえと聞こえて
くるような気がした。

「天上の音楽」に向き合い、
対抗し、響き混ざり行く。

12月 9, 2008 at 08:55 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)

2008/12/08

具体を探せ

新宿御苑には、独特の
空間性がある。

成瀬己喜男監督の『山の音』
のラストシーンで、
新宿御苑に立った原節子が、
確か「ヴィスタ」とつぶやくのだった。
 
四谷区民会館から御苑を
見下ろして、小さな声で「ヴィスタ」
と言ってみた。

新宿区主催の夏目漱石に
関するシンポジウム。

私と、『新聞記者夏目漱石』の
著作がある朝日新聞の牧村健一郎さんと、
漱石の孫で、エッセイストとして
活躍されている半藤末利子さん。

舞台のそでで、演出を担当
されている方の様子が気になった。

足袋に草履を履いている。

中山弘子新宿区長が挨拶に向かう時には、
ドアを開けながら「いったらっしゃいまし」
と声をかけている。


堤清人さん。

45年間、ずっと舞台の演出に
かかわって来られて、
特に演歌の地方公演が多かったのだと
いう。

風情というか、雰囲気というか、
そのようなものは相応しい
人からにじみ出るもの
だと知る。

漱石は、英国留学中、
国の将来を担って英文学を調査
するという自分の使命が重くて、
また、大英帝国の栄華を前にした
時の、日本のあり方に悲観的
にならざるを得なくて、
「夏目狂す」という噂が立った
ほど精神的に追い詰められる。

そこで漱石が至った境地が、
「自己本位」。
価値や基準は他者から与えられる
のではない。
あくまでも自分を基準として
全てを組み立てていく。

そう考えたら、どんなに楽に
なることか。

文学の概念を、英文学でも
漢文学でもなく、ゼロから
もう一度打ち立てた。

それが、漱石の知性の鋭利な
刃となった。

「自己本位」の確立。
これこそが、明治以来日本人が
達成できていない生き方
ではないかと思う。

権威に弱い。
流行にふらふらする。
自分の感覚を信じたり、
貫いたりすることができない。

日本人にとっては、今日でも、
夏目漱石は偉大なる教師である。

吉祥寺へ。

池上高志の学生の
JJオートクチュリエが主催した
アートのイベント。

乱入して、池上高志とバトルを
やった。

池上高志、塩谷賢、竹内薫、
田森佳秀、郡司ペギオ幸夫、
白洲信哉、島田雅彦、・・・

ぼくの親しい友人には、
共通の特徴がある。

渾身のスピードで
ボールを打った時、
同じくらいの強いボールを
打ち返してくれる。

日本では、
たいていの場合、「この人は
何でこんな事を言っているんだろう」
と周囲が
シインとするのが通例。

ぼくたちは、あるいは
「外人枠」で生きているのでは
ないかと時々思うことがある。


池上高志とのラリーは、いつも
楽しい。

池上高志というぼくが出会った
「具体」の中には、無限の吸引力
がある。

具体の力。

ぼくは別に「科学者」になりたかった
んじゃなくて、「アインシュタイン」
に興味があったんだ。

科学者一般なんて、知るもんか。

同様に、「小説」に興味がある
んじゃなくって、
夏目漱石とか、ドストエフスキーとか、カフカとか、ジョイスとか、
特定の作家たちの、自分が愛して
やまない作品に心を惹かれるんだ。

だから、「科学とアートの融合」とか、
そういう言い方は粗すぎるんだよ。

もっと、specificじゃなくては
いけない。

自分のことをぐいぐい惹き付ける、
そんな具体的な明けの明星を
探せよ。

必死になって具体を探せ。

見つけたら、具体に一生かじりついて
いけ。

それが、認識と行動を一致させる
道だ。

12月 8, 2008 at 07:15 午前 | | コメント (24) | トラックバック (7)

2008/12/07

倉庫番

品川からお台場へは、海の気配をする
空間を通る。

「どちらから行かれますか?
レインボウ・ブリッジからでいいですか?」

そう尋ねられた瞬間、胸の中にしゅわっと
弾けるような泡がたくさんできた。

「ザ・ベスト・ハウス123」
の収録。

となりに荒俣宏さんが座った。

荒俣さんは、ガラパゴスで、
ウミイグアナのまねをして
潜って海草を食べてみたと言う。

ガラパゴスは乾燥して食べものの
少ない島。

海中のエサをとるという戦略によって、
ウミイグアナは大幅に個体数を
増やすことができた。

汐留へ。

『世界一受けたい授業』の
収録。

担当の木村光一ディレクターが、
力を入れて、
白黒のhidden figureの
新作をつくって下さった。

「木村さん、眠っていますか?」

「いやあ、あまり眠っていません!」

スタジオでは、木村さん入魂の
問題が受けて、大いに盛り上がった。


木村光一ディレクター。


スタジオで講師が使うテクスト台本

木村さん、お疲れさまでした!

「倉庫番」というソフトがあって、
ときどき面白いからやる。

静岡の河村隆夫さんから
どーん、どーんと荷物が届いて、
ぼくは「倉庫番」になった。

二つの荷物のそれぞれが重く、
片手にも提げているので運べない。

唯一の解は、一個をxメートル前進させて下に置き、
もう一個をyメートル前進させて下に置き、
そうやって往復しながら少しずつ
前に進むとだということわかった。

なんとか運び込んで改めて、
河村隆夫さんという人は
ときどきビックリなことを
なさるなあと思う。

どーんとどでかい。

いやあ、びっくりしました。

河村さん、本当にありがとうございました!


河村隆夫さんと。上野公園で。

何となく思いだして、ずっと気にかかっていて、
木村秋則さんの
DVDをもう一度見た。

木村秋則の仕事-りんごは愛で育てる-DVD

7年間花が咲かず、もう死のうと
思って夜一人、岩木山に登っていった木村さん。

まさにその時に、無農薬無肥料のリンゴ栽培の
決定的なヒントをつかむとは、
なんと不思議で、そしてドラマティックな
人生なのだろう。

木村さんの畑を訪れてからもう少しで
2週間経つ。

文明の中で何やらわけのわからないことに
なっている私たちにとって、
よくよく考えてみるべきことが
あの雪の中の美しい赤いリンゴの姿に
宿っていたように思う。

それは、不思議な回路で、クオリア
問題にもつながっているように
直感するのだ。

『奇跡のリンゴ』(石川 拓治 著,
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班監修、幻冬舎)に載せていただいた
私の文章「木の上に広がる青空」
の一部をここに掲載する。


全文は『奇跡のリンゴ』でお読み下さい。

「木の上に広がる青空」

茂木健一郎

 大きなものに出会った時は、なぜ、すがすがしい気持ちがするのだろう。
 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録のスタジオで、木村秋則さんにお目にかかったその日。住み慣れた「文明」というものを覆っていた厚い天蓋が外れ、広がるどこまでも深い青空が露わになった。今まで気付かなかった生命の可能性がきらめいていた。その雄大な風景の真ん中に、小柄な木村さんの姿があった。木村さんとお話したことは、今でも私の心の深いところにくっきりと刻み込まれている。
(中略)
 不可能とも言われた無農薬、無肥料でのリンゴ栽培。その実現に向けて苦闘してきた木村秋則さんの人生は、まるで一編のドラマを見るようである。
 品種改良されて実が大きく甘くなったリンゴの木は、病虫害に弱い。農薬を使用しないことで、虫が大発生し、葉が病気になって落ちる。季節外れに咲いてしまう花。翌年はもう花芽が出ない。周囲の通常のやり方で農薬を使ったリンゴ畑が順調に実をつけているのに対して、木村さんの畑だけ惨状を呈す。「かまどけし」と言われた所以である。
 木村さんは、手をこまねいて見ていたわけでは決してない。真空管を使って、コンピュータを作ろうとする。そんな創意工夫の木村さん。いつも何かをしていないと気が済まない。あれやこれやと試してみる。周囲の人が感化されてしまうほどに、明るく前向き。そんな木村さんでも容易には越えられないほど、「無農薬・無肥料」のリンゴ栽培という壁は高かった。
 木村さんはとうとう追い詰められた。死を決意して登っていった山中で、リンゴの木の幻を見る。そして気付く。山の中では誰も農薬を散布などしないのに、木々の葉は青々と繁っている。その秘密が、木の下のふかふかと土にあることに気付いた時、木村さんの長い苦労はやっと報われた。夢中で山を駆け下りていった。死に場所を求めて山に登っていったことなど、すっかり忘れていた。
 山の中の豊かな生物相。その中で育まれた土。ふかふかの土の中に張り巡らされた木々の根。自然から与えられた環境の中で、植物たちは農薬も肥料もなくすくすくと育っている。大自然の中の生命力の由来するところに関わる木村さんの発見。それは、まさに「コペルニクス的転換」であった。その深い意味、理屈の全貌がわかるためには、人類は何十年、あるいは百年以上の時間を要するのではないか。
 農薬を散布するということは、すなわち、畑の生態系を力づくで押さえつけるということである。そのようにして「無菌状態」にすれば、リンゴは確実に稔る。人為的なコントロールも可能である。人工的に管理された閉鎖空間で「大量生産」するという工業製品と同じようなアプローチで、近代における農業の道は開かれてきた。その恩恵は、確かにあった。
 農薬や肥料を投入して「管理」する農業は確実に高い収量を上げることを可能にする一方で、環境に大きな負荷をかけてきた。農薬の散布によって本来存在した生態系を破壊されるだけではない。継続して肥料を投入することで、土壌が本来持っていた力は失われる。自立する自然のかわりに、常に「点滴」をしなければ維持できない病気の状態が現れる。その中で育つ作物が、本来の生命力を発揮できるはずもない。そのような状況は、当然、作物の味にも反映される。
(中略)
 薬漬けの無菌状態で、栄養剤を補給されている。それは、私たち文明人自身の姿ではないのか。木村さんが発見した、「りんご本来の力」を引き出すノウハウは、私たちの生き方にもまっすぐにつながる。果たして、私たちは自らの内なる生命力をよみがえらせることができるのか? 情報化の中で、ともすればやせ衰えていく私たちの生きる力。木村さんのりんごが私たちに突きつける課題は大きい。
 木村さんの「奇跡のりんご」から「りんごの恵み」を引き出すことができるのか。これからの私たちの精進にかかっている。木村秋則さんのりんごの木の上に広がる青空は深く、大きい。

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クオリア日記 「奇跡のリンゴ」 

12月 7, 2008 at 09:58 午前 | | コメント (14) | トラックバック (3)

2008/12/06

日本のニューヨーク

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

恩蔵絢子さん、
戸嶋真弓さんが論文を紹介。

横浜国立大学へ。

武田淳先生のお招きで、知能物理工学科の
学生たちに授業をする。

PHP研究所の木南勇二さんが
迎えに来る。

新横浜駅から新幹線に乗って
しばらく経つ頃、なんとも言えない
わくわくする気分になってきた。

関西テレビへ。

やしきたかじんさんの
「ムハハnoたかじん」にお伺いする。

たかじんさんがセットの中にふらっと
歩いてくると、もう収録が始まっていた。

構成作家の増山実さん曰く、
台本に書いてあると、絶対にその話は
しないとのこと。

それを計算していろいろと書くらしい。

トークをばーっとやって、
たかじんさんがふらっと去る。

東京で言えばラジオのような雰囲気だった。

終了後、boy'sの三浦真理子さん、
桝田貴幸さん、関西テレビの古市忠嗣さんと
「粉もん」を食べに行く。

古市さんいわく、「関西の芸人は一人で
ふらりと来る」
「東京のロケに行く時も、新幹線のチケットを
もらったら、一人で勝手に行きますから、
という感じ」

ボクは驚いて、「吉本から東京に行っている
人もそうですか」と言うと、
「いや、東京の所属になると、マネジャーが
つきます」

VTRなしで、だらだらとトークをする番組は、
関西では流行るけれども、関東では
受け入れられないとのこと。

ぼくはアメリカで、ニューヨークに行くと
「自由だ!」と思う。

大阪は「日本のニューヨーク」だと思った。

すばらしい解放感。お好み焼きも美味しかった。

12月 6, 2008 at 08:00 午前 | | コメント (20) | トラックバック (3)

2008/12/05

適度な運動

 102スタジオに入っていくと、
 山口佐知子さん(さっちん)と目が合った。

 「あっ、茂木さん来た」
  
 見ると、V字テーブルにはモニターが
置かれ、カメラ・リハーサルをしている。

 「まだいいんですか?」

 「30分くらいでだいじょうぶですよ。」

 それならば、第一食堂に行こうと
思った。
 
 おそばだ、と決めていたが、ディスプレーを
見ると、「豚汁うどん」というものがある。
 二日前にカップの即席うどんを食べたら案外
美味しくかった。
 その感触が残っていて、
 ぐっと惹き付けられた。

 麺コーナーにはたくさん並んでいたが、
ほとんどの人はラーメン目当て。

 ぼくのうどんは早くできて、
おじさんが「あいよ」と持ってきて
くれる。
 心の中で前のラーメンの人たちにごめんね、
と言いながら席につく。

 トウガラシをぱっとかけると、
白に赤が鮮やかである。

 ダイコンの切ったのや、ニンジンや、
それと主役の豚肉を食べていると、
ほくほくと幸せな気持ちになった。

 フリスクを買って
スタジオに戻る。

 メイクのところに住吉美紀さんが
いた。

 「すみきち、おはよう」

 「茂木さん。毎朝走るのはどれくらい?」

 「うーん。2、30分くらいかな。」

 「くわしい人に聞いたんですけど、ダイエットを
考えると、適度な運動はかえって良くな
いんですって。」

 「えっ?」

 「食欲がなくなるくらい、激しい運動を
するのならばいいんですけど、適度な運動を
すると食欲が増して、ぜんぜん体重減らない
んですってよ。」

 ぼくの脳裏に、食べたばかりの「豚汁うどん」
が浮かんだ。

 「ヨミウリ・ウィークリーで茂木さんが
朝走っている写真を見て、これは適度な
運動なんじゃないかと思ったんですよ。」

 ご明察でございます。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録。

 ゲストは、京都の日吉町で森の再生を手がけて
いる湯浅勲さん。

 人工林をいかに豊かな生態系とするか、
そのために、いかに「ひとづくり」をするか。
 魂にしみ渡る、本当に良いお話だった。
 
 収録を終え、チーフプロデューサーの
有吉伸人さん、日経BPの渡辺和博さんと
歩く。

 「それにしても、豚汁うどん、おいしかったなあ。」
 
 「いつもおいしいものを食べているはずなのに、
一食のうどんが美味しかったなんて言って
いいんですか、茂木さん!」
と有吉さん。

 有吉さんは最近ダイエット理論に凝っている。

 「運動をする人は、次第にエネルギー
効率が良くなって、やせなくなるんですよ。」

 「うどん一杯で走れる距離がのびる
わけですね。」

 「ぼくや茂木さんのような体型の人は、
一週間のうち3回、夕食を400キロカロリーに
抑えると、一ヶ月で二キロやせるそうですよ。」

 ぼくは、有吉さんが夕飯を抑えている
ところを、まだ一度も見たことがない。


ダイエット理論の大家、有吉伸人さん。

 湯浅勲さんと懇談。

 親しくお話して、ますますすてきな人だと
思う。


湯浅勲さん

 湯浅さんをずっと取材してきた
ディレクターの堤田健一郎さんが
はじけて、いろいろなことをパアパア
しゃべる。

 おお、堤田というのはこういう熱い
やつだったのか!

 ぼくも熱さに感染して言葉が疾走した。

 少しはカロリーが燃焼したかしら。
 それとも、魂の「適度な運動」だったか。

 今朝はお腹が空いていた。
 堤田さんはどうでしたか?

12月 5, 2008 at 04:38 午後 | | コメント (17) | トラックバック (2)

2008/12/04

クオリア・チョコ

パーティーがお開きになった時、
伊藤笑子さんと野澤真一クンは
「お土産」をくれた。

その中には、「クオリア・チョコ」
が入っていた。

どうやって作ったんだろう。不思議だな。

きっと、世界にほんの少ししかない
特別なチョコレートです。

12月 4, 2008 at 08:37 午前 | | コメント (20) | トラックバック (1)

ぼくたちの眼差しが陽光となって

麻布台で
中川翔子さんとナレーションをとる。

マペットになった。

フジテレビの朝倉千代子さん、
ダイナミック・リヴォリューション・
カンパニーの冨田英男さん(トミー)
とセレンディピティについて。

ずいぶんと形が見えてくる。
トミーがんばれ。

しばらく前の朝日カルチャーセンターの
後の飲み会。

私の研究室の博士課程に在籍中の
野澤真一クンもやってきて、
二次会を楽しく過ごしていた。

何でそのような話になったのか、
対話の木漏れ日とそよ風の中で、
突然野澤が立ち上がって
「ボクたちは入籍するぞ!」
と叫んだ。

それで、電通の佐々木厚さんなどが「そうだ、
そうしてしまえ」と応援して、
どうやらそういうことになったらしい。
お相手は、筑摩書房で編集を
されている伊藤笑子さん。

伊藤笑子さんは私の担当編集者として
時々朝日カルチャーセンターの飲み会に
いらしていて、そこで野澤真一クンと
意気投合したのである。

伊藤笑子さんの誕生日に入籍すれば、
記念日を忘れることはないということで、
12月4日に品川区役所に向かうことになった。

というわけで、野澤真一クンと、
筑摩書房の伊藤笑子さんが
この度めでたく入籍
されるということで、
私たちはとてもうれしい。

入籍前夜祭を佐々木厚さんの行きつけの
店、bar Ripenでめでたく挙行する。

ゆかりの人たちに囲まれて、
野澤クンと笑子さんは幸せそうだった。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にご出演いただいた
生物学者の長沼毅さんもかけつけて
くださった。

長沼さんは明日から南極に行くとのこと。

植田工と、絵画の本質について
真面目なる会話を交わす。

笑子さんは、野澤クンに、はっぱをかける。

「論文をはやく書いてね。私はこれから
あなたに私の人生を投資するのよ」

野澤クンは、「三ヶ月以内に書きます!」
と宣言する。

いいゾ、いいゾ、がんばれ真一。
本当か。

宴もたけなわの頃、
野澤真一は一枚の紙を取りだした。

婚姻届。

まず二人が署名し、
それから佐々木厚さんとボクが
証人として署名し、
佐々木さんが押印し、ボクが押印し、
最後に二人が押印してめでたく
書類は成立した。

「コピーをとろう」

植田工が、近くのコンビニまで走った。

シャンパンがふるまわれる。うまい。
もう一杯。わはは。

「無罪判決が出ました!」とでも言うように、
植田が飛び込んでくる。
紙をひらひらさせながら駆け寄る。

「おい、それはオリジナルじゃないだろうな」

「だいじょうぶです。コピーです!」

婚姻届のコピーの裏に、皆で寄せ書きをする。
ボクは樹木を描く。植田はお約束。

妻になる人、夫になる人よ。

これからいろいろあるだろうが、
助け合っていけば大丈夫だよ。

苦しければこそ、不足していてこそ、
人と人はお互いに対して温かくなるものだと
言うぜ。

ほら、ここに仲間がいるじゃないか。

ぼくたちの眼差しが陽光となって、
君たちの前途に祝福あれ。

伊藤笑子さんと野澤真一クン。 おめでとう!

12月 4, 2008 at 07:42 午前 | | コメント (13) | トラックバック (3)

2008/12/03

魂の探究

サンデー毎日

2008年12月14日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第42回 魂の探究

一部抜粋

 1860年、初めて渡米した福澤は、サンフランシスコ市民の大歓迎に迎えられる。ペリー来航がきっかけとなって国を開いた日本人が、その後8年目に自らアメリカにやってくるというので、「丁度自分の学校から出た生徒」のような気持ちがしたのだろうと福澤は推定する。
 この渡米の際、福澤諭吉は、アメリカ合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンの子孫がどうなっているのかを周囲の人に聞き、知らないどころか、特に興味もなさそうな様子に大いに驚く。福澤の頭の中には、源頼朝や徳川家康のように、偉人の子孫が代々要職に就くという日本的な発想があった。初代大統領の子孫がどうなっているのか誰も知らないし関心もないアメリカの様子に、「これは不思議だ」と福澤は我彼の決定的な差を知るのである。
 上の二つのエピソードを含む アメリカ渡米の印象記は1899年に刊行された『福翁自伝』にある。福澤諭吉が当時のアメリカのありさまから強い感銘を受けたことが読み取れる。
 福澤諭吉のすぐれた資質の一つは、自分が今まで知らなかった何ものかに出会った時に、素直に心を開き、それを受容する点に見い出される。それまでの世界観を頑なに守ろうとするのでは、新世界の美点を自分のものにすることはできない。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

12月 3, 2008 at 08:07 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

ぷっとさせてごめんね

現在発売中の
「ヨミウリ・ウィークリー」
最終号では、
有吉伸人さん、住吉美紀さん、田森佳秀さん、
郡司ペギオ幸夫さん、池上高志さん、増田健史さん
が私についての文章を寄せて下さっている。


「最も親しい6人が披露する」
とある。

編集部の二居隆司さんが人選して下さった。

私は、実はこの6人が依頼されていることは
発売まで知らなかったのである。

有吉伸人 大事な決断は3秒で

住吉美紀 凄まじい「照れ屋さん」

田森佳秀 筋金入りの理論物理学者

郡司幸夫 離島の民宿で見せた優しさ

池上高志 得意技の「ちゃぶ台返し」

増田健史 過剰なまでの社交性と孤独

「他人を鏡として自分を知る」というのは、
講演会で私が常々言っていることであるが、
私の大切な人々の言葉を読んで、そのことを
改めて実感した。

他人の心に自分がどのように映っている
かを知ることで、自らを省みて、
なにか温かいものが芯の方で溶けていくのを
感じる。

文章をお寄せ下さった方々、
ありがとうございました。

そして二居隆司さん、心のこもった
企画を、ありがとうございます。

あたまの中に白熱電灯が
あかあかと輝くがごとき時間の中で、
「時計職人」となる。

関根崇泰の論文をかたちにして、
大海に放つ。

NHKの西口玄関で
ウェッジの松原梓さんにゲラを
渡す。

ちょうど、『プロフェッショナル』班の
ディレクターの石田涼太郎さんが立っていた。

「西口に着く直前に、ゲラの手入れが
終わったんですよ。」

「えっ、そうだったんですか」
と松原さんが驚く。

住吉美紀さん(すみきち)
がメイクをしている場所に、
ヨミウリ・ウィークリー最終号が置いてある。

「この前、ブログで、黛まどかさんが、
毎朝走っているのによくその体型が維持
できるわねと言ったと書いて
あったじゃないですか」
とすみきち。

「私、すぐには意味がわからなくて、
わかった瞬間、コーヒーをぷっとコンピュータの
キーボードの上に吐き出してしまったん
ですよ。」

ぷっとさせてごめんね、すみきち。

ゲストはボリショイ・バレエ唯一の
外国人ソリスト、岩田守弘さん。

有吉伸人さんが「メガトン級」
と言われたように、すばらしい
お話だった。

いやあ、ぼくは、なんというか、
カンドーしたなあ。

来週の放送を瞠目して待て!

ふくよかな生きる希望を抱きながら、
寒空の下を歩いていった。

12月 3, 2008 at 08:02 午前 | | コメント (17) | トラックバック (4)

2008/12/02

プロフェッショナル 武豊

プロフェッショナル 仕事の流儀

挑み続ける者に、限界はない

~騎手・武 豊~

 馬は自分がレースを走っていることを知らない。
ゴールがどこにあるかも知らない。
 一位になることも知らない。

 そう、武豊さんは言う。

 馬は自然。騎手は自然を乗りこなす。

 だから、武さん自身が、自然体に
ならざるを得ない。

 柔軟なる喜びをもって、潜在の全てを
尽くす。

 一喜一憂しない。

 そんな武豊さんの生き方は、
宮本武蔵の『五輪書』にも通じる
 身こなしの叡智に満ちている。

 

NHK総合
2008年12月2日(火)22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
「人馬一体」の秘密
〜 騎手・武 豊 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

12月 2, 2008 at 09:00 午前 | | コメント (13) | トラックバック (6)

赤と白では赤に

ワシントンのナショナル・ギャラリーで
モネやフェルメール、ダ・ヴィンチを
じっくり見て以来、どうも意識が
「ペインティング」に回帰している。

モダン・アートやコンテンポラリー・アートが
美の表現のあり方を拡大したことは
素晴らしいことだと思うし、
好きな作品、愛する対象もたくさん
ある。

それはそれとして、
キャンバスの上に提示された
たささやかな世界観の提示に、
ゆったりとした毛糸のセーターを
着ているかのような安らぎを感じるのだ。

品川駅から向かう道すがら、
秋の色を心に取り取り入れた。


ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。

関根崇泰、柳川透(やなちゃん)の論文について
いろいろと議論。

三系列のデータの表示の仕方、
どうしようね、やなちゃん。

お昼はみんなで「チェゴヤ」に行った。

みんなが「赤いもの」を頼んでいる
中で、やなちゃんだけが「白いもの」
を頼んでいる。

「こくがあって、味が深いんですよ。」
とやなちゃん。

「白」と「赤」の対比で思いだしたことがある。

幼稚園の頃、牛乳代を毎日、名前を書いた
袋に入れてもっていった。

コーヒー牛乳の人は赤。
普通の牛乳の人は白。

ボクはコーヒー牛乳が飲みたくて
仕方がなかったのに、
母親がくれる袋はいつも白だった。

赤の袋の人が、うらやましかったなあ。

ぼくが赤と白では赤に惹き付けられるのは、
あの頃のことがあるのかしら。

世界の中に赤や白やさまざまな
色を置いていく。

なんとすばらしいことなのだろう。

昼食後の研究所。

柳川透は、たくさんのお菓子や
ドリンク剤に囲まれてがんばっていた。


論文をがんばる柳川透クン。

NHKへ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

ゲストは森林の再生に取り組む
湯浅勲さん。

担当は、堤田健一郎ディレクター。

有吉伸人さん、河瀬大作さん、
住吉美紀さん、細田美和子さん。

『プロフェッショナル』を支える
人々の顔をじっくりと見る。

ゴッホだったらどういう肖像画にするだろう。


有吉伸人さん


河瀬大作さん


細田美和子さん


住吉美紀さん

NHK近くのザリガニ・カフェで、
アエラの大重史朗さんにお目にかかる。

小学館和樂編集部の渡辺倫明さん、
橋本麻里さんと神泉の『小笹』へ。

和樂の『日本のクオリア』連載の打ち上げ。

小笹は、渡辺さんが「ここしか行かない」
という寿司屋である。

御主人にいろいろと教えていただきながら、
四方山話に花を咲かせる。

「この三人だと、打ち上がった感じが
しませんね。」

美しい設いの中で、言葉が交わされる。

この空気感を、いつまでも覚えていたいと
思う。

自分の内なる目が更新される時、
世界の見え方は変わる。

O wonder!
How many goodly creatures are there here!
How beauteous mankind is!
O brave new world
That has such people in it!

William Shakespeare. The Tempest.

12月 2, 2008 at 08:47 午前 | | コメント (11) | トラックバック (2)

2008/12/01

トキ

佐渡で繁殖したトキが放鳥され、
そのうちの一羽が海をわたって
日本海側で見つかったという
近頃ではもっとも
胸がざわめくニュースだった。

Natürlichem genügt das Weltall kaum,
Was künstlich ist, verlangt geschlossnen Raum.

自然にとっては全宇宙でさえも十分広くはないのですが
人工的なものは、閉鎖された空間を必要とするのです。

ゲーテ『ファウスト』 第二部

服部幸應さんにお誘いを受けて
新潟へ。

トキメッセで、服部さん、それに
新潟市長の篠田昭さんと
食育をめぐって鼎談。

私たちのセッションの前に、
小学生たちが食育について
学習した結果を発表。

緊張するだろうな、楽しいだろうな、
思い出に残るだろうな。

私にも覚えがある。
心が震える分だけ、大きくなるよ。

服部さんにtable for twoという
運動を教えていただいた。

食事代の一部が途上国の人たちの
食糧支援に回されるのだという。

篠田昭さんは以前はジャーナリスト。
時折繰り出すユーモアを交えた
批評に、さすがの感がある。

鼎談はとてつもなく楽しく、
あっという間に終わった。

トキの飛行を思い浮かべてみると、
心楽しい。

解き放たれた空間の中で
先へ先へと進みやがて止まる
木の上で、自然はどんな夢を
微睡むのだろう。

紅旗征戎わが事にあらず
(藤原定家)

空にピンクが溶けていくそのありさま
だけを想っていれば。

12月 1, 2008 at 07:22 午前 | | コメント (16) | トラックバック (2)