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2008/11/11

水成論と火成論

ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月23日号

(2008年11月10日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第128回

水成論と火成論

抜粋

 私はどうも「多動症」の気があるようで、いつも何かしていないと気が済まない。 
 あれは、大学生くらいのことだったか。電車の中で、ふと、何もせずにぼっと座っている人たちがいることに気付いて愕然とした。小学校の頃から、電車というものは乗った瞬間から本を読み始めるものと決まっていると思い込んでいた。世間には、案外ぼんやりと考え事をしている人がいることに、二十歳を過ぎて初めて気が付いたのである。
 むろん、電車の中で何もしていないからといって、休んでいるとは限らない。大人になるといろいろと考えることがあるもので、ぼんやりとしているようで頭は忙しく動いているという場合もある。私は、単に貧乏性なのであろう。
 仕事も、講演会でずっと自分が話すというように、忙しいのは歓迎だが、何人かでやるパネル・ディスカッションのように、自分の話す番がなかなか回ってこないと手持ち無沙汰に感じてしまう。もちろん、他人の話を聞いていないというのではない。誠心誠意耳を傾けてはいるが、それと同時に手元で何か始めてしまうのである。
 あるシンポジウムのパネル・ディスカッションに参加していた時のこと。手元が暇だったのでノートにいたずらを描き始めた。なぜかは知らないが、海を泳ぐ鯨に、火山島の絵を配した。無意識の中からそんな図柄が出てきたのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 11, 2008 at 07:41 午前 |

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コメント

他の方もコメントされていましたが、先生はまるで聖徳太子です。
“火”と“水”異なる生命の様相を表し、異なる要素の響きあいをもつ“火山鯨”。
人生もまた日々の穏やかな営みの積み重ねから熟成するものもあれば、心機一転を図るような変化も必要とする。
そう考えたらやはり、ピンチや悩み事は変化をもたらす最大のチャンスで、私も先生の“火山鯨”のように大海原を時には噴火させながらザバンザバンと進んでいきたいです。(先生と比べたら私の海原は水溜まりのオタマジャクシですが(汗))
上手くバランスとれているのかわかりませんが、人生においてムダな事はない気がするので時には悩み、笑い、泣き不器用ながら泳ぎたいと思います♪♪♪
アメリカは「火正論」的日本は「水成論」的な原理を好む、こちらも成る程なあと。
無学ながらも人生観から世界観へと奥深い記事だと思い拝読させていただきました。
有り難うございます。(*⌒∀⌒*)ノ
それでは、先生素敵な夢を☆☆☆

投稿: wahine | 2008/11/16 12:57:56

おはようございます。

私は茂木先生とちがって、最近「無動症」の気があります。
電車に乗っても、ただボーっとしていることが多い。

30年くらい前には、通勤電車のなかで、サラリーマン風の人がポール・ディビスの『時間の物理学』を読んでいたり、大学院生風の人が分厚いギリシャ語辞書を首っ引きで調べていたりする光景を見かけました。

なかには「政権をたらい回しにしやがって!」と大声を出す男性や、「お前たちは、うんぬんかんぬん…」と団交の予行演習のつもりなのか、満員電車のなかで叫んでいる女性もいました。

学生時代、すし詰め電車で、窓に手をやったら背中に傾斜ができました。その背中にだれかが本を載せました。見たら女性です。私の背中はその女性の書見台にされたのです。

私もよく本を読んでいましたが、人の背中を書見台にしたことはありません。

今は電車の中はそれぞれのプライベートルームと化しているようです。
化粧する人、メールをチェックする人、コンビニのおにぎりをほおばる人。

そのなかで、私は物言わぬ「置物」にすぎません。
そろそろ「無動症」から抜け出す時期です。

投稿: 遠藤芳文 | 2008/11/12 8:54:30

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