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2008/11/02

リンゴの教え

ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月16日号

(2008年11月1日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第127回

リンゴの教え

抜粋

 リンゴというと、私の母の話を思い出す。北九州の小倉で育った母親は、昭和11年生まれ。戦後の貧しい時代を経験した。食糧はむろん豊富ではなかったが、「東京近郊ほどはひどくはなかった」という。「カズノコなどは、どんぶり一杯食べられた」などと言う。カズノコが正月用の高価な食材だった時代に育った私たちは、そんな話を聞きながら目を白黒させたものである。
 小倉だから、海産物は豊富にあったのだろう。一方、果物の中でもリンゴは貴重品だったらしい。月に一度の給料日になると、父親が姉弟たちに一個ずつ、リンゴを買ってきてくれる。それが楽しみで、そろそろという時間になると、皆して家の最寄り駅まで父親を迎えに行ったものだという。
 そんな話を聞くと、幸せのあり方とは一体何だろうと思う。今の子どもたちが、リンゴ一個のために親を駅まで迎えに行くだろうか。今では、自分の好きなものなどスーパーに行けば一年中いつでも買えると思っている子どもたちがほとんどではないか。その分、りんごの感激も薄くなっている。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 2, 2008 at 07:56 午前 |

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読売ウィークリーに連載中の「脳から始まる」を読む。 来月で休刊が決まった週刊誌。 茂木さんの連載も終わるのかと思うと悔しくてたまらない。 「脳から始まる」の連載だけは、別の形で続いていってもらえないでしょうか。 今回のエッセイ「リンゴの教え」を読みながら 「幸せっていったいなんだろう」と考えさせられた。 戦後すぐ物資の乏しい時代。 当時、果物の中でも特に貴重だったリンゴは 毎月給料日に父親が買ってくる代物だった。 父の帰りを楽しみに待つ家族。 その風景は貧乏なのだ... [続きを読む]

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コメント

そう考えたら本当に幸せだなあと思ってなりません。
先生のご講義を生で聴いたら私は気絶するかもしれません(笑)
お忙しいのにいつも長々と申し訳ないのですが、明日より米国に飛ばれるのですよね。
お気をつけていってらっしゃいませ。
●●●●●
(*´∀`*)ノ
感謝を込めて☆☆☆

投稿: | 2008/11/13 20:29:46

先生こんばんは♪私は幼い頃母を亡くしたので少女時代は姉と二人祖父母に育ててもらいました。大正生まれの祖母はよく戦時中、戦後の体験を語り、今でも語ってくれますが、「ものを大事にしなさい」「もったいない」が口癖です。
年金暮らしの所、新聞配達をしながら、私達に沢山の愛を注いでくれました。なので思い返せば何一つ贅沢はさせてもらえませんでしたが、ファミコンがない分外で遊びましたし、感謝する心、我慢する事などお金では買えないものを沢山教えていただいたと思っています。
100円shopなんかは何でも揃っていて、便利なのですが、やはりそういうものの裏には途上国の方の過酷な労働(中には幼い子供を安値で買い取り賃金も与えず働かせたり…)等、がありそういうものの上に私達(先進国)の暮らしが成り立っている事も忘れてならないと思います。りんごの教えを読み、すっかり忘れてしまっていた1円の有り難みを改めて思いました。
対談もとても面白く拝読させていただき、大尊敬している方にこうやってコメントさせていただいている事でさえ、本当はもの凄い事で…同じく尊敬しているソクラテスやプラトンにはどう足掻いてもお礼が言えませんから。

投稿: | 2008/11/13 20:21:22

果物の思い出といえば、今では交流がなくなってるんですが、家の亡くなった祖父の実家だったでしょうか。和歌山なんですが、みかん畑の山でした。一度だけ連れて行ってもらいました。ほとんど覚えていないけど、家の中の古ぼけた感じが力強くて、でも、まだ小さい頃だったから、びっくりしてはいても、特に気後れは感じませんでしたね。ちょっとびくびくしながら、わくわくしてたのと、今から考えてみれば、奥の方というのが想像できなくて、何だかこの世の果てみたいな、そんな印象があったと思います。古い石油ストーブの温もりを覚えています。いや、ストーブの方はついてなくて寒いなと思ったのかもしれません
家の中は玄関にいただけで、すぐに山を見せてもらいに行きました。そこら中にみかんが落ちているんですね。落ちたみかんは売れない。売れないんだけど食べられるから、と拾ってくれたんです。それがすごく美味しかったことを覚えています。本当に。取り立てのみかんだったのと、子どもには異世界みたいな場所だったのと両方だと思うんですが、本当に美味しかったんです。そのみかんの割れた皮さえ、むしろ美味しさを感じさせました。
それが家族や自然、子供心には自分ではない未知の何か、とのつながりを感じることが重要だと思うんです。家庭でだって、一緒に庭でリンゴの木を育てられると思います。りんご農園に子どもを連れて行くことはもっといい方法だと思います。
NPOで「子どもに感動を教える」コミュニティが出来れば良いんじゃないでしょうか。将来、僕に子どもが出来て、そんなNPOがなかったら創ろうと思います。
それにしてもあのみかんは、本当に美味しかった。

投稿: inquirist | 2008/11/06 23:56:32

茂木先生 こんにちは♪
小学生の頃「ロバのパン屋さん」が車で来ていました。母が「昔はロバが引いて来たんだよ」と。(え~どこから引いて来たんだろう?ここまで来るにはずいぶん引いてこないとこられないなぁ~)と思い、ロバがパンを乗せて売りにきてたらほんとに可愛かっただろうなぁ~!と思いました。♪ロバの国からチンカラリン♪チンカラリンがやってくる~♪と音楽を流しながら車で来るので、その曲が聞こえるといそいで道路に出ていて、あんまり種類はなかったんですけど、そのなかからゼリーの細かくしたような物が入っているのを一つ買い、返って一つなのですごく嬉しかっと思います。たくさんより少ないほうが、嬉しさはつのりますね(笑)春日部のほうには売りにこなかったですか?どこかをまだ走っているのかしら?またあの懐かしい♪チンカラリン~♪を聞きたいです♪

投稿: | 2008/11/04 13:25:41

茂木健一郎博士貴下

食べ物のことで思い出したことがあります。昔、大学生協などで、「頭脳パン」というのを販売していたことを御記憶でしょうか?
一見、ただの乾し葡萄の入った大き目のパンなのですが、「林○○大学医学部教授医学博士(フルネームが思い出せないので恐縮)」推薦と、あたかも医学的に脳に良いというのがウリでした。
定期試験直前などには、普段、チャラチャラしている友人ほど、藁をも縋る様に買って食べていました。
あれは、昔の医学水準では、一応、効果が立証出来たのでしょうか?
更には、現在の進化した医学で、脳にどういう好反応をもたらすのでしょうか?
それとも単なる催眠商法的なものだったのでしょうか?
急に知りたくなりました。

投稿: | 2008/11/03 12:54:45

うちの祖父も山でマツタケをとってたべてたんですって
茂木さん文Ⅰや理Ⅲより研究者選んだように
私ホントは農学(理Ⅰ)がいちばん好きなんだ
but東京で農学ってなんだかなぁ…
頭がよかったら選べていいなぁと思います

投稿: | 2008/11/03 0:25:13

好きなものって、その時々において変化しますね。

今の子供達が、りんご一つに、
感激するかといえば、しない子供がほとんどだと見受けられますが、

それに匹敵するような感激が、なくなってしまったかというと、
そうでもないように、私は思います。

スーパーで簡単に手に入るものと、
愛情を込めて、時間をかけて、作り上げたものとでは、
ちがうものだと、子供たちは、ちゃんと感じ取っているように
私には、おもえます。

手に入りにくいもの。で、貴重なもの。であること。

自分にとってのスペシャルは、
時代背景に関わりなく、存在しつづけるのではないでしょうか?

りんごに対する感激は、薄くなったかもしれないけれど、
子供たちの感性が、薄くなったわけでは、決してないといえると思います。

投稿: | 2008/11/02 23:13:25

こんにちは、茂木さん。 
しあわせって”りんごの教え”みたいに存在するものなのかもしれませんねぇ。

私にとって切干し(サツマイモをゆでて切って寒風に干したもの。)がそんな感じ。。。
私の幼いころには、こんな素朴なおやつがとても楽しみだった。91歳の祖母は、彼女が育てた野菜や果物を、私たち孫たちにもたくさん味合わせてくれた。どの季節も限りなく彼女の手入れで育てたものをたっぷりと。

その祖母がこの夏なくなったとき、私は彼女あてに感謝の手紙をかいた。その中に気がついたことがある。

さつま芋の切干の思い出:都市に就職して自由になるお金で、いろいろなスイ-ツを買い求めたけれど、結局、派手なチョコレートより、果物たっぷりのものや、かぼちゃやさつま芋といった素材そのものを堪能できるものを選んでしまう。わたしは、祖母のあの切干しを求めていたんじゃなかろうかと、ふっと思えてきた。

ほんとうの幸せは、あんなに身近にそして特に強い主張もなく、ふだんの生活の中にやさしく彼女の愛情いっぱいに育てられた野菜や果物のなかに詰め込まれていたのだ。
こう考えると、きっと、不幸だと思っている人の周りにも、豊かだと思っている人たちにも、気づかれていないたくさんの幸福がもっと身近にありそう。


投稿: | 2008/11/02 23:08:51

りんご~かわいや~かわいやりんご~~♪
昭和のクオリア、りんごの唄が何処からか聞こえてくるようです。小さい時に、母が歌っていたような気がします。

 みんな、ちょっと上手にやったら、幸福になるのに、幸福になりそこねている人が多すぎると思います。
 年収、お金で分けてるだけ、みんな錯覚を起こしている。
 ちょっとでもみんなよりお金の多いほうに行こうとしたりする。そして、頑張ってるようだけど実は個性を摩滅させる方に頑張ってるわけですよ。 
 そういう細部にとびつかないという姿勢がものすごく大事ですね。
   
 河合先生のこんな言葉を思い出しました。モギー先生との対談のご本だったと記憶していますが・・・。
幸せのあり方  こんな、無垢でシンプルな処に根ざしているのだと思います。

投稿: | 2008/11/02 12:09:25

リンゴの思い出…といえば、家の近所で縁日をやっていて、そこで売られていた「リンゴ飴」を思い出す。

丸ごとのリンゴに上から水飴をとろ~っとかけ、おしりに割り箸を突き刺して、屋台で売っていたのを見た記憶が残っている。

あんず飴やすもも飴も懐かしい。

子供の頃、縁日の屋って来るのが待ち遠しかった。

今も家の近所では縁日がやっているけれど、あの頃と比べ、何故か寂しい感じがするのは、気のせいなのだろうか。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/11/02 11:51:36

おはようございます。

私の思い出はバナナです。

父は明治36年生まれで、とっくに亡くなっていますが、戦争には行っていません。
私が小さい頃、父は「日本が戦争に勝ったら、バナナなんかもっと安く買える世の中にになっていたはずだ」と言っていました。

その頃バナナは高級な果物でした。

その父が亡くなる頃には、バナナも安く買えるようになっていました。

今から思うと、父の発言は微苦笑ものですが、戦後世の中が急激に変わったということでしょう。

トーキー映画が出はじめた父が若い頃、「活動写真」がしゃべると聞いて、みんなで「そんなバカな!」と信じなかったそうです。

戦後しばらくして物質的に豊かになり、新しいものがどんどん出てきたことに、父はとまどっていたかもしれません。

明治生まれらしく物を大切にする人でしたが、鼻紙(ティッシュではなく、灰色のごわごわした紙)で鼻をかんだ後、それを捨てずにとっておき、何回も使い回しをすることには閉口しました。

父には「使い捨て」などとてもできなかったのでしょう。

現在そこまでする人はいないと思いますが、物を大切にする心は忘れたくないものです。

これは「もったいない」というより、物を作った人に対する「敬意」からです。

たとえ大量生産品であろうと、そこにはたくさんの人が関わっています。ですから、人々に対する敬意を忘れたくないのです。

消費万能の経済原則に反するかもしれませんが、物を大切にすることとのバランスが重要なのではないかと思います。

投稿: | 2008/11/02 9:23:52

先行きの暗い経済、ポピュリズム化した政治など、何とも元気の出ない世の中ではあるが、こういう時こそ、昔の人の見識、知恵を借りてみたくなる。
「侏儒の言葉」は、芥川龍之介が自殺に至るまでの4,5年間、即ち短い作家活動の後半に綴られた箴言集であるが、鋭い知性とシニカルさがあり、何度読み返しても面白く味わいが深い。
(以下ブログにて)

投稿: IT起業研究所代表小松仁 | 2008/11/02 8:47:26

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