2008/11/30
ヨミウリ・ウィークリー最終号
朝、起きて何だか変な感じだった。
いつも土曜日に書いていた
原稿に、もう向き合う必要がない。
ヨミウリ・ウィークリー最終号。
二居隆司さんに原稿をメールで
お送りすることも、もうない。
最終号では、私の「脳から始まる」
の最後の原稿
何度も何度も「卒業」しよう
日常の繰り返しに感謝しつつ
が掲載されている他、
親しい知人たちが
私についての文章を寄せて
下さっています。
皆様、ぜひお買い求めの上、
お読み下さい。
二居さん、長い間本当にありがとう
ございました。
ヨミウリ・ウィークリー
2008年12月14日号
2008年12月1日発売
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 30, 2008 at 08:43 午前 | Permalink
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情熱者の系譜
構内を歩いていると、
アナウンスが聞こえてくる。
「湘南新宿ライン、東海道線は・・・」
すぐに切り替えて東京駅に向かった。
新幹線で新横浜へ。
乗り過ごして名古屋まで行って
しまうのではないかと心配で仕方が
ない。
タクシーに乗って「神奈川大学へ」
と告げると、「ああ、ジンダイですね。」
と運転手さんは答えた。
ジンダイはきれいなキャンパスだった。
陽光の中、歩き、ホールに入る。
会場にいる人たちから伝わってくる
空気が良い。
「高松でフェリー乗り場に行くと、
なぜか様子の良い人たちがたくさん
いまして・・・」
直島にしばらく行っていない。
聴講にいらしていた佐々木厚さんと
東京大学へ。
安藤忠雄さんとの対談。
福武ホールにて。
安藤さんは「独学」である。
大学に行かず、19歳の時に
一日18時間勉強して建築に必要な知識を
獲得したという。
京大の建築学科に進んだ友人が
読むような教科書を読んだ。
安藤さんの独学の成功の秘密は、
本筋に寄り添ったものだった
ということだろう。
それと、孤立していなかった。
たくさんの友人がいた。
情熱。それを教えるのが一番難しい。
情熱さえあれば、何とかなる。
野澤真一は、質問をした。
最近、野澤は必ず質問する。
情熱者の系譜へ、ようこそ。
これから先は、長いよ。

安藤忠雄さんと対談

野澤真一の質問で、安藤さんと床を検証

質問をした野澤真一クン。
(photos by Atsushi Sasaki)
本郷通りを歩いていて、
あれっと足を留めた。
大学院生の時よく行っていた
「梅寿司」の明かりが消えている。
「売却物件」の札がある。
なくなっちまったんだな。
イメージが奔流した。
白木原さんや、徳永さんや、それに。
あの頃のオレがやってきて、
現在のオレの前に立ちはだかり、
「お前はまだうたっているか」と問い詰めた。
11月 30, 2008 at 08:36 午前 | Permalink
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2008/11/29
コンクリート・オアシス
朝日カルチャーセンター講座
安藤忠雄 茂木健一郎 対談
「コンクリート・オアシス」
2008年11月29日(土)
15時〜17時
東京大学本郷キャンパス 福武ホール
詳細
11月 29, 2008 at 08:32 午前 | Permalink
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ハテナの殿堂
タモリ教授のハテナの殿堂
2008年11月29日(土)
21時〜23時18分
日本テレビ系列
http://www.ntv.co.jp/dendou/
番組表
11月 29, 2008 at 08:29 午前 | Permalink
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まずは乾杯してから
黛まどかさんにお目にかかる。
「あら、ポニョ!」
と開口一番に。
「あのねえ、先日、まどかさんが茂木さんは
腹の上のポニョだと宣告してから、講演会で
10回は言いましたよ。黛まどかが、ぼくは
腹の上のポニョだと言ったと。」
「わはは」
「そのかわり、ハイジンの黛まどかさんが・・・って言う時、右手をこうやって振るんですからね。
ハイジンの(ぶるぶるぶる・・・)・・・・
それから言い直す。じゃなくて、俳人のって」
「何よ、それ」
議題は教育について。
ボクは思うのだけれども、さまざまな
状況において、言葉を厳密、的確に
使う訓練は、生きる上でとても大切な
意味を持つのではないか。
松尾芭蕉を師と仰ぎ、言葉の芸術を
追求する黛まどかさんに、そのあたりの
見解をさらに聞いてみたいと思う。



しかし、会話は全然関係のない方向に行く。
「まだ毎日走っているの?」
「ええ、森の中を脱兎のごとく。」
「本当かしら。信じられないわ。
それで、よくその体型を維持できるわね。
普通、痩せるでしょう。」
「・・・・・」
口は悪いが気はやさしい人で、
日本にできたばかりというフランスの
チョコレートを下さった。
おいしく頂きました。

研究所へ。
関根崇泰、柳川透の論文の
相談。
高野委未と研究の話をした。
柳川がノートを持ってきていろいろと
説明する。
「わかった。じゃあ、回路網の振る舞い
だけではなくて、その背後のメカニズム
にも言及するとすると、このグラフと
このグラフを入れるのがいいんじゃないか。
そうしたら再編成して、Fig.1の中に
このFig.2の二つを入れるとすっきり
するんじゃないかな。」
「それだと、resultのところにsupplementary
online materialの一部を移すことになります
かね。」
「そうしようか。」
柳川が、栄養ドリンクをぐびりと呑んで、
大きく頷いた。
ぼくたちのJournal Clubの名前は、
The Brain Clubという。
高川華瑠奈が、
手を温めるとそれと知らずに他人に
対する評価が好意的になり、また利他的にも
なるという注目論文をレビュー。
石川哲朗が、ゲームにおける人間の
行動が予測可能なかたちで「不合理」であることを
示した論文を解析する。
ぼくはふだんは全速力で論文を読んで自分で
了解してしまうのだけれども、
今回は、高川と石川の
話だけを聞いて内容をそれに即して
つかみ、いろいろと議論するということを
実験的にやってみた。
そうすると、表情がよりよく見えるね。

高川華瑠奈さん

石川哲朗クン
横に座った関根崇泰を見ると、
ジャガリコを食べてヘンな顔をしている。
関根は、人間離れしているところが
かわいらしいというもっぱらの評判。

関根崇泰クン
ひさしぶりに「あさり」へ。
あさりは実に私たちにとっての聖地であり、
魂の故郷であり、愛と泪と浮き沈みのすべてが
宿っているところ。
バングラデシュから来た
兄ちゃんがとてもいい味を出していて、
中ジョッキを頼んでからさらに
つまみを頼もうとすると、
「まずは乾杯してから!」
という。それで私たちは「おおそうだ」
と我に返って、清く正しい日本の宴会の
作法を思い出す。

あさりのお兄ちゃん
研究室OBで、現在ホンダにいる
長島久幸がやってきた。
おお、ながしまん、元気だったか?
大きく咲いたよ笑いの花。

長島久幸クン
人に歴史あり、研究室に歴史あり。
目の前にいる関根といろいろ
将来の話をして、ぼくは自分自身の
思春期の不安と希望を思いだした。
11月 29, 2008 at 08:25 午前 | Permalink
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2008/11/28
神奈川大学 人間科学研究科 開設シンポジウム
茂木健一郎 脳科学から人間を理解する
2008年11月29日(土)
11時30分〜12時45分
神奈川大学横浜キャンパス
http://www.kanagawa-u.ac.jp/06/kouenkai/081111/index.html
11月 28, 2008 at 05:13 午後 | Permalink
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シャッセをやってくれた
今の自分にできないことを考えると
幸せになる。
そこにあるのは無力感の白さではない。
赤ん坊というものは、何もできないけれども、
無意識の全能感に満ちているではないか。
同じ白でも、たくらみに満ちた
風情と光が胸に宿るのだ。
PHP研究所。
木南勇二さんといろいろな話を
しながら向かう。
英語についての取材。
大場葉子さん、石田さやかさん。
石田さんと雑談。
「ぼくも小学校の時スケートをやって
いたんですよ。」
「そうなんですか。」
「あの先端のぎざぎざが案外くせ者で、
時々ひっかかるんですよね。」
「でも、あれは大事なんです。ジャンプしたり
回転したりする時にはぎざぎざがないとできません。」
「あの、普通の人はそんなことはしないんですけれど。」
石田さんはPHPで編集者になる前は、
全日本レベルのフィギュアスケーター
だった。
「茂木さんも、もう一度スケートをやって
みませんか?」
「いやあ、オーバーウェイトじゃないかな。」
「あの、スケートは、体重が重い人の方が
うまく回転できるんですよ。」
「・・・・・・」
ウェッジの松原梓さんが写真撮影に
いらっしゃる。
NHK。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
担当は池田由紀ディレクター。
ゲストは、ボリショイ・バレエ唯一の
外国人ソリスト、岩田守弘さん。

打ち合わせ風景。左から細田美和子デスク、
池田由紀ディレクター、住吉美紀さん
「バレエの動きはとても同じ人間とは
思えないなあ」とぼくが言うと、
有吉伸人チーフプロデューサーが顔を上げる
「ボクはバレエの動きをやったことがあるんですよ。」
「えっ」
「大学で劇団をやっていた時に、研修でバレエの
人がきて、基本的な動きをやったんですよ。
たとえば、こういうの。」
有吉さんが立ち上がって、すい、すい、すいと
リズミカルに手足を左右に動かす。
「ほおー」
「シャッセというんですよ。」
秋が深まる午後、
有吉さんが、シャッセをやってくれた。

打ち合わせ中の有吉伸人さん

CPは常に睡眠不足。
思わずこくりとする有吉伸人さん

元気になって、シャッセをした直後の有吉伸人さん
とにかくもう、
少しでも時間があれば歩きたい。
NHKから原宿方面に向かうひんやりと
した空気の中を歩きながら、
往還する呼吸の中で考える。

歩いていく風景
そうだ、MのPとconsistentな形でいかに
CのNを考えるか。
実に、そこを論理的に緻密化するプログラムが
大切なのだ!
道ばたにしゃがみこみ、パソコンを取りだして
メモを取る。
ぼんやりとしながらたどり着いた
椿屋珈琲店。
Viviの取材を受ける。
伊藤笑子さんに
「今、ここから全ての場所へ」
のゲラをもらう。
『風の旅人』連載の原稿が本になるのだ。
『生きて死ぬ私』以来のナイーヴにして
風が吹いているエッセイ集となるであろう。
伊藤さんありがとう。
帝国ホテルへ。
吉井長三さんが『銀座画廊物語』を
出版されたお祝いの会。
ボクを吉井さんに紹介してくれた
白洲信哉は、仕事で京都に向かい、留守。
女優の司葉子さんとお話する。
「加山雄三さんと共演された」
「乱れ雲でしょ。」
「すばらしい映画でした。学生時代に見て感激しました。」
成瀬巳喜男監督最後の作品は、絶対に恋に
落ちてはいけない関係性に置かれた
男女が惹かれ合っていくプロセスを描く。
司葉子さんの演技が強く印象に残る。
本当に、にぎやかで華やかな会でした。
吉井長三さん、改めておめでとうございます。

挨拶に立たれる吉井長三さん

吉井長三さんと、ルオーの絵を挟んで。
丸の内ホテル。
大場葉子さんの紹介で、講談社の
内藤裕之さんにお目にかかる。

内藤裕之さん
小説の話。
内藤さんの目は、しっかりと焦点をとらえて
離さない。
窓から東京駅を行き交う列車が見えた。
11月 28, 2008 at 08:32 午前 | Permalink
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2008/11/27
『心を生みだす脳のシステム』、『脳内現象』 W増刷
NHKブックス
『心を生みだす脳のシステム』
は増刷(16刷、累計34000部)
となりました。

NHKブックス
『脳内現象』
は増刷(10刷、累計32000部)
となりました。

皆様のご愛読に感謝いたします。
NHK出版の大場旦さんからのメールです。
From: 大場 旦
To: "Ken Mogi"
Subject: 祝!W増刷<大場
Date: Tue, 18 Nov 2008
茂木様、
こんにちは、大場です。今日は嬉しいお知らせです。
『心を生みだす脳のシステム』『脳内現象』W増刷です。
『心を生みだす〜』16刷1500部増刷:累計34000部
『脳内現象』10刷1500部増刷:累計32000部
7年前のちょうど今ごろ、『心を生みだす〜』の編集作業を
ご一緒にヒイヒイ言いながら進めたこと、懐かしく思い出します。
あれから橋の下をたくさんの水が流れましたが、
おかげさまで多くの読者に恵まれ、着実に部数を重ねていること、
しみじみ嬉しく思っています。
2冊とも、これからも大切に育てていきます。
年末進行そのほかで、たいへんお忙しい時期かと思いますが、
お体くれぐれもお大切に。
私はちょうど「思想地図」2号の編集作業が大詰めを迎え、
少し睡眠不足の日が続いています。
嘉例の「おじさん温泉」、今年も楽しみですね。
増田さんと相談して、諸々進めていきます。
『美の脳科学』、そろそろ追い込みをかけます。
大場旦拝

大場旦氏
11月 27, 2008 at 07:18 午前 | Permalink
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ワシントン以来このところ
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
関根崇泰の横に並んで、
関根の論文のMethodsの部分に
手を入れていく。
「関根さあ、methodsは何のために
あるかわかっているよね。」
「ええ。」
「お前の実験について全く何も知らない人が、
methodsを見ただけで必要ならば再現実験
ができる、そのように書かなくっちゃならない
んだぜ。」
「そうですね。」
「だから、君にとっては当たり前のことに
なってしまっていることを、言語化しなくちゃ
ならないんだよ。つまり、「暗黙知」を明示的に
示さなければならないんだ。」
お昼頃になって、所眞理雄さんと、
ナターリャ・ポリュルアーフさんが
やってきた。
「茂木さん、お昼行かない?」
と所さん。
連れだって、お寿司屋さんに向かった。
混んでいて、所さんはお誕生席に座る。
ナターリャはロシアからやってきていて、
システム生物学を研究している。
いつもつい英語でしゃべってしまうのだけれども、
日本語でしゃべっているのを聞いていると、
随分うまい。
「ナターリャは日本語うまいね。」
「勉強をしています。」
「それじゃあ、これわかる? 向こうから
お坊さんが来たよ。そう。」
「ん? なんですか?」
「向こうからお坊さんが二人来たよ。そうそう。」
「そうというのは漢字?」
「向こうからお坊さんが三人来たよ。そうそうそう。」
ナターリャは、『吾輩は猫である』も
日本語で読むのだという。
所さんと、ワインの話をする。
造詣が深い所さん。
今年のボジョレーはやや甘かったが、
ワインとしては良い年だったというのが所さんの
見立てだということである。
研究所に戻る。
「だからさ、関根、この乱数発生の
メカニズムには、constraintがあるんだよね。」
「この、デジタル・メトロノームの
ソフトウェア名は? どのコンピュータの上で
走らせたの?」
「うわあ、これは工数が多い作業だなあ。
ロジックをすっかり入れ替えてしまわなくては。」
ぶつぶつ言いながら、関根に質問して
文章を直していく。
ここで、関根崇泰という男について
ぼくが思うところを書く。
かれは観念や思想の展開においては
たいへん優れていて、それは、先日
現代思想に掲載された彼の論文にも
表れているところである。
関根は、思想家としては一家を
なしていると言えるだろう。
関根の現在のところの弱点は、
経験科学に必要な、さまざまな論点を
操作的に定義し、あくまでも客観のメタ認知を
もって展開していく能力が足りないところ。
これは、案外難しいことなんだな。
経験主義というのは単純なようで、
実は一種の「狂気」を含んでいる。
自分が出した理論でも、あたかも
机の上に置かれたオブジェのように、
あちらから眺め、こちらから眺め、
あそこが出っ張っている、ここが引っ込んでいる
と議論しなくちゃいけないんだと
いつも言っているだろう、関根くん。
ところが、そもそもオブジェが
どのような姿か、メタ認知を持って
彫琢しなければ、確定さえしないんだよな、
これが。
一緒に並んでmethodsを直している時間の
中で、関根が何かをつかんで
一気にロケットに着火、偉大なる研究実践者
としての勢いをつかんで欲しいというのが
私の切なる願いなんだよ。
あと、これは今更言っても何なのだけれども。
英語力をもう少しなんとかしようね、
タカヤスくん!
白熱電球のようにかっかと照らし出された
午後の時間の流れに、
近頃幸せなる種族の一員、野澤真一が
やってきて、関根と一緒にご飯を食べ始めた。
ぼくはそれをちらちら横目で見ながら
論文を直し続ける。
いいんだ、諸君。ぼくにはフリスクがあるよ。
「茂木さんはフリスク中毒ですね。」
と野澤。
そういえば、ワシントン以来このところ、
中毒の割にはその味を忘れていたヨ。

ご飯を食べる関根崇泰くんと野澤真一くん
11月 27, 2008 at 06:24 午前 | Permalink
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2008/11/26
ベストハウス123 ダ・ヴィンチ スペシャル
ベストハウス123
ダ・ヴィンチ スペシャル
2008年11月26日(水)
21時〜22時54分
フジテレビ系列
http://wwwz.fujitv.co.jp/123/index2.html
番組表
11月 26, 2008 at 08:25 午前 | Permalink
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雪と鳥の白と、リンゴの赤と
「茂木さん、畑は山の方で寒いですよ。」
「雪が深いですから」
柴田周平さんと原田人さんの声がする。
木村秋則さんの家で、長靴をお借りした。
「入りますか。それは良かった。ははははは。」
木村さんの太陽のような笑い声を浴びて、
朝が始まる。
車が入っていく。「だいぶぬかるんでいるな。」
「木村さんの畑の木は、ちょっと様子が違うでしょ。」
柴田さんが言う。
本当だ。なんだかぐねぐねしていて、
一つひとつ違う。
一面の白平原。歩いているうちに、
木に赤いものが点々とついているのが
見えた。
「うわあ。あれは何だ!」
木村さんが、私のために、何本か収穫しないで
残しておいて下さったとは聞いていた。
しかし、こんなにたくさん実っているとは
思わなかった。
「この枝から先でけで、十、十、十、・・五十は
ありますね。ということは、木全体では・・・
五百は実っていますよ!」
目の前に信じられぬ現実があるのだから、
よくよく考えてみねばならぬ。
農薬をまかず、肥料もやらず、どうして
こんなに立派な大きな実が、たくさんなるのか。
「いやあ木村さん、生命の力ってすごいですね。」
「私はね、ずっと、根から上ばかり考えて
いたんです。それが、大事なのは根から下なんだと
気付きました。」
赤い豊饒が滝となって下がる。
「リンゴの花が咲く頃は、また奇麗だから、
茂木さん、ぜひ来てください。」
「花が咲くとうれしいでしょう。」
「特に、十年間実らないで、やっと咲いた時
にはねえ。まぶしくて、まともに花を
見ることができませんでした。」
木村さんが葉っぱを見せる。
円く穴が開いている。
「茂木さん、これ、何だかわかりますか?」
「虫食いかな? 何の虫だろう。」
「そうじゃなくて、病気になったところなんですよ。
病気になった部分を、葉っぱが自分で落として、
後の部分を守っているんですよ。ほら、ちゃんと
しっかりついているでしょう。」
土をきちんとつくり、しっかりとした
体力を身につけた木の底力というものは
はかりしれない。
「収穫してみてください」
と木村さんが言うので、リンゴを一つふたつ
持ち上げてみる。
「ほら、上げると、きれいにすっと採れるでしょ。」
「収穫というものは、うれしいものですね。」
「何ともいえないうれしさがあるものです。
それが十年もなかった時は、さびしいやら、
情けないやらでね。」
原田人さんが脚立に乗って、
皆の記念撮影をした。
ホーン、ホーンと声を立てて、
白鳥の隊列が飛んでいく。
岩木山は頂が雲に隠れている。
雪と鳥の白と、リンゴの赤と。
そして、中間のさまざまの色合いの鮮烈と。
人間は、本当に美しいものに囲まれると、
声が出なくなるものなのだな。

木村秋則さんのリンゴ

木村秋則さんと

脚立の上の原田人さん。

Chez Iguchiの井口久和シェフと木村秋則さん
東京。「あいのり」の解説をする。
多摩美術大学で、野田秀樹さんと対談。
ぼくは夢の遊民社の黄金時代を知っている。
言葉の宇宙の中を
縦横無尽に飛び回り、
そして重力に抗して軽やかに
動き回っていた。
あの時代の熱気が、
希代の演劇人の中に
底流として脈打っていることを
知る。
雪解け水は清新にわが胸を潤し。
11月 26, 2008 at 08:18 午前 | Permalink
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2008/11/25
星雲の志
井の頭線の中では
グラフのカットのことを
考えていた。
興奮性結合と抑制性結合の
パタンがあったとして、
そのどこかに原理的に一意的に
カットは決まるか。
駒場の7号館というのはどこか
と思って向かっていたら、
ああそうか、塩谷賢とあれこれ
話しながら歩き回っていた、そのあたりだった。
ネットワークという組織が主催して
呼んでくださった。
教室はありがたいことに満杯で、
演壇に立ってすぐに、「カーテンを開けませんか」
と言った。
せっかくの駒場祭での話なので、
後輩たちを中心に向けてあれこれと
話した。
質疑応答をたっぷり一時間。
終わっても、あれこれとあって、
7号館を出たのは1時間後くらい
だった。

駒場の学生たちと
キャンパスを歩いていたら、
駒場のカラスの保護を訴えている
テントがあった。
「これはどういう意味なのですか?」
「いや、仲間たちと話していて、カラス
のようなのけ者にエールを送ろうと思って。」
「それで、何をしているの?」
「飲み物を売っているのです。いかがですか。
仕入れ値よりも安いくらいの、一個100円
なのですが、なぜか売れません。昨日は、
一日で3個しか売れませんでした。」
下がっている紙を見ると、
「前衛アーティスト Crow Liz Tinocoに
よる芸術的装飾の数々」
とある。
「この、Crow Liza Tinocoというのは
誰ですか?」
テントの中に座っていた
青年が手を挙げた。
「そうか、君が、この黒いビニル袋をちぎった
ヒラヒラを作ったのですね。」
「はい」
見ると、文III 9組とある。
将来、哲学や、思想や、社会学や、文学や、
その他もろもろをやる人たち。
いいんじゃないか、大いにいいんじゃないか!
青春とは、いかに愚行するかという
ことだよ。
君たち、がんばりたまえ!

カラスの人たち
青森空港へ。
筑摩書房の増田健史クン、
幻冬舎の大島加奈子さん、
NHKの柴田周平さんもご一緒。
弘前につくと、NHKの原田人さんもいた。
木村秋則さんの祝賀会。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
に出演され、
『奇跡のりんご』
(幻冬舎)がベストセラーになった。
そのもろもろを祝う会。
柴田周平さん(現デスク)は
番組を担当されたディレクターであり、
原田人さんはそのカメラマンである。
ボクは舞台に立たされて、
クローズアップ・マジックの実験台に
なった。
真っ二つになった千円札がつながったり、
コインがコップをすり抜けたり、
トランプが当たったりする度に、
近くから見ている木村秋則さんの
目が大きく見開かれ、
「おお、これは!」
と笑い出す、その太陽の中の
核融合のような光に私は心を
動かされていた。
やっぱりすごい人だなあ、木村さん。
話を聞いていてもやはり
この人は格別だ。
すっかり宇宙に持ち上げられた
気がして、木村秋則さんの
「星雲の志」に感染した。

祝賀会にて。

木村秋則さんと。
ここのところ調子が悪いという
タケちゃんまんセブンとしんみり話した。
タケちゃん、一人で部屋で休んで
待っていたんだよね。
夜の街を歩く。
荷物もなく、急ぎでもなく、
ただそれだけでもう満足してしまって、
肢体をゆったりと延ばしてみる。
11月 25, 2008 at 05:42 午前 | Permalink
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2008/11/24
白洲信哉どっとjp
もう自分がワシントンにいた
ことなど身体が忘れ始めている。
「君は君 我は我也 されど仲よき」
「この道より我を生かす道なし この道を歩く」
「之をつくった時は 生きた氣がしたろう」
ふと見上げると、仙川の駅である。
ページに目を戻してみて、まさにちょうど、
そのところを読んでいたことに気付いた。
湧水と池と武蔵野の自然が残る「仙川の家」と呼ばれたこの家で・・・・
『武者小路実篤画文集』(求龍堂)
ぼくはこのような一致を偶然だと
考える。シンクロニシティにそれ以上の意味を
見いださない。
しかし、世界がゆらぐことは確かだ。
調布駅から歩いていくと、
通りに立っていた福島さとみさんが
手を挙げた。
新しき村が出来て、90年経つという。
展覧会を見ながら、ゆかりの話を
うかがう。
理事長の石川清明さんは、実篤
の様子を間近で見てきた。
「描いていて、先生一字忘れてしまって、
先生、抜けていますよ、と申し上げると、
あっ、そうか、と付け加えると、まるで
はかったようにぴったりと収まるんですよ。」
講演会会場へ。
現実と理想のはざまにゆれる
人間は、内なる自然を制御不能の恵みと呪い
として認識す。
そんなお話をした。
是非に、とお誘いいただいて、
武者小路実篤記念館と、旧邸を
訪ねる。
トンネルを抜けると、湧水から引いた水を
蓄えた大きな池があった。
「先生は、水のあるところに住みたい、と
ずっと思っていらしたようです。」
理事長の福田宏さんが言われる。
「先生の夢は、鯨を飼うことだった
そうです。二つ池があったら、一つの方で
鯨を飼って、もう一つの方で何だったっけな、
何かおおきな生きものを飼いたいと思われて
いたそうです。」
鯨を飼いたかった白樺派の文豪の机は、
とてつもなく奥へと長かった。

武者小路実篤の仕事机
時は飴のようにぐにゃりと進み。
新宿駅の地下の片隅でしゃがんで
仕事をし、できあがりをメールで送信する。
新宿御苑の「せお」
店の前に里文出版の井藤丈英さん、安藤博祥さん、
上野昌人さんがいらっしゃる。
小部屋をのぞき込むとまだ誰もいない。
リュックを放り込んで、「一周してきます」
とあたりを散策した。
ひんやりとした空気が心地よい。
道を曲がる。店の前には誰もいない。
さては来たな、と入ると、白洲信哉が
でんと座っていた。
男五人で小部屋に収まり、骨董の
話をする。
信哉は例によって唐津など自分のおちょこを
持参する。
ふぐ刺しを食べていたら、「まだふぐの皮は
ありますか」と主人に信哉。
「あります」
「じゃあ、こういうザクじゃなくて、でろりと
そのまま持ってきてください。お腹のところ」
やがて運ばれてくる。小鍋の湯に通す。
「ちょっと透明になってきたらいい頃合いですよ。」
濃厚なやさしい弾力を歯や舌で受ける。
「クオリアというのは、いい概念を見つけたね」
と信哉。
「何にでも、クオリアって言えるんだからねえ。」
話の流れで、インターネットの話になって、
意外なことを言う。
「ぼくもブログを始めたんですよ。」
「えっ、ほんと?」
「白洲信哉どっとjpですよ。」
「本当だ!」
白洲信哉ブログ
「写真を撮れ、って言われているんだけどね。
デジカメってやつ、持っていないんだよ。それ
ちょうだい。」
「これあげるとデータがなくなるから困るな。
そもそも、デジカメどう使うか知っているんですか。」
「撮ったあと、その何を送ればいいんでしょ。」
「パソコンに取り込むのです。」
「取り込む? それは何ですか。」
「あのねえ。」
信哉の表情がどんどん変わるのが面白くて、
パチパチとった。
ぼくはちゃんと取り込めるゾ。
一度、あなたの顔はモーツァルトに似ている
と言ったら、「そんなことはない」と言っていた
信哉だったが、ザルツブルクに行った時、
絵はがきを大量に買い込んだらしい。
「だって、確かに似ていると思ったから。」
人の表情の中に、無限の自然あり。
わたしゃ、自然にほだされました。






11月 24, 2008 at 06:45 午前 | Permalink
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2008/11/23
講演会「生きて死ぬ私」
東京大学第59回駒場祭
茂木健一郎
講演会「生きて死ぬ私」
2008年11月24日(祝)
10:00〜12:00
7号館761教室
http://www.a103.net/komabasai/59/visitor/kikaku.cgi?id=671
11月 23, 2008 at 09:15 午前 | Permalink
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典型的な地球人
サンデー毎日
2008年12月7日号
茂木健一郎
歴史エッセイ
『文明の星時間』
第41回 典型的な地球人
一部抜粋
オバマ氏当選の報に接し、私の胸の中で、ある一つの思い出がよみがえった。
あれは二十年余り前。大学生だった私は、「日米学生会議」に参加した。日米の学生が相互に訪問しあってさまざまなことを議論する会合。首相をつとめた宮澤喜一さんもかつてメンバーだった。私たちの年は日本側がアメリカを訪問する番で、訪米に向けて準備を重ねた。
到着した地はシカゴ。初日の夜、日米双方の「演し物」があった。日本側の代表は、半年前から何回も会合を開いて、綿密にプログラムを用意していた。一方、アメリカはあまりにも国が広すぎて、事前の準備ができない。電子メールもなかった時代。私たちが到着する一日前に集合して、いわば「即興」で用意を済ませたのだという。
それにもかかわらず、さすがはエンタティンメント大国。アメリカ側のパフォーマンスは素晴らしかった。特に印象深かったのが、「私は典型的なアメリカ人です」という演し物。一人ひとりが皆の前に歩み出て、自己紹介をする。そして、最後に「私は典型的なアメリカ人です」と付け加えるのである。
「私の母はボストンの片田舎で生まれました。父は、サンフランシスコの海の近くで生まれました。私は典型的なアメリカ人です。」
「私の両親は、それぞれニューオリンズとヒューストンで生まれたイタリア人でした。二人は、シカゴで出会いました。私は典型的なアメリカ人です。」
「私の父は台湾からアメリカ合衆国に移民し、母はテキサスで育ちました。二人は、結婚してフロリダに住みました。私は典型的なアメリカ人です。」
一人ひとりのバックグラウンドは、全く異なる。それにもかかわらず、誰もが「典型的なアメリカ人」。アメリカという移民国家の多様性の豊かさを、参加者の自己紹介を兼ねて提示する。会議初日の夜の見事なプレゼンテーションであった。今でも鮮明に覚えているのは、よほど心を動かされたからだろう。
「私の父は、ケニアの小さな村に生まれました。トタン屋根の粗末な小屋の中の学校に通いながら苦学して奨学金を得て、アメリカに留学しました。留学先で、母に会いました。母はカンザス州生まれで、彼女の父親は、大恐慌時代には油田や農場で働いていました。私は、典型的なアメリカ人です。」
オバマ氏の経歴を、日米学生会議におけるプレゼンテーションにならって表現すれば、こうなるだろうか。誰でも「典型的なアメリカ人」。どんな背景の人でも、努力さえすれば、アメリカ合衆国大統領になることができる。それは長い間一つの理念に過ぎなかったが、実際にそのようなことが可能であると私たちは知った。アメリカ建国の理想は生きていた。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/

11月 23, 2008 at 09:14 午前 | Permalink
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いつか真実が
「ここですか」
「いや、もう少し先でしょう。」
制服を着た小学生たちが、あかあかと
照らされた校門から出てくる。
それは、附属学校のようだった。
「あっ、ここです、ここです。」
門を入ると、すでにホールに入っていく人たち
がいた。
立教大学は、Saint Paul's Universityと言う。
『三四郎』の中で、美禰子が
「会堂(チャーチ)」に行く。
「美禰子の会堂へ行くことは、はじめて聞いた」
あの時代のさあっと枯れ葉が舞うような、
そんな優美なイメージが立教大学にはある。
「未来のことはとにかくわからないのです。」
そんなことから話しはじめる。
質疑応答になって、さっと手を上げた男を
見たら、慶應の近内だった。
あいつ、また来たのか。
講堂の外に出たら、ウェッジの松原梓さんと
近内がしゃべっていた。
「写真を撮っていいですか?」
「本を買ったのだけれども、忘れてしまって」
ペンを走らせていると、タクシーを停めて
下さった。
松原さん、近内と丸の内に向かう。
車中で、松原さんにゲラをもらう。
「インサイドというのはインサイトですね。」
なるほど、著者しか知り得ない事実という
ものはあるのである。
丸の内ホテルの7階に着いて、
和田京子さんに電話したら、
しばらくして
身体の大きな男と歩いてくる。
「あれっ、内田さんも一緒だとは思いませんでした。」
内田樹さんの最近のブログはますます
良いと思う。
オアゾの中の店で黒糖焼酎を傾けながら
まず撮影。
続いて座談の様子を撮るが、
スィッチの入ったもつ鍋が気になって
仕方がない。
何しろ、ニラがたくさん入っていて、
餃子の皮まで上に載せられている。
もつは頼もしく下に沈んでいる。
そういえば、お昼を抜いていた。
いやあ、本当に楽しかった。
対談を終え、三島まで行くという
桑原茂一さんと東京駅に向かう内田樹さんを
見送りながら、至福の時を想った。
真実というものは巧みに隠されていて、
たどり着くにはちょっとした技術がいる。
おいしいもつ鍋を作る工夫と、
同じことではないかしら。
いつか真実がほらそうだむこうの角を曲がって
やってくる。そんな心楽しいたくらみに満ちた
夜。

内田樹さん、桑原茂一さんと。
桑原茂一Diary
内田樹の研究室
11月 23, 2008 at 09:05 午前 | Permalink
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2008/11/22
昭和の商店街にあったもの
ヨミウリ・ウィークリー
2008年12月7日号
(2008年11月22日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第130回
昭和の商店街にあったもの
抜粋
先日仕事で名古屋に行った時、駅に着いたら新幹線の時間までまだ30分くらい余裕があった。ふと思いついて、いつも使っている出口とは反対側の街へと向かってみた。
大して期待はしていなかったのだが、驚いた。高層ビルが立ち並ぶ私の知る名古屋とは違う街。神社があり、商店街が続く。「旅館」と書かれた古い建物。なつかしい気持ちで歩いていくと、魚市場があった。鮮魚が並べられ、威勢の良い声が飛び交っている。昭和の匂い。瓶詰めのイクラが美味しそうで、弁当と一緒に食べてみようかと思った。
再び名古屋駅に戻って来ると、そこはもう現代。今まで自分がいた街並みがまるで幻のようで、胸の中に風が吹いたようだった。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」でお読み下さい。
今号は、読売新聞で撮っていただいた
私の写真が表紙になっています。
また、二居隆司さんが企画して
下さった、私に関する特集記事も掲載されて
います。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 22, 2008 at 12:07 午後 | Permalink
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控え室
東京芸術大学の音楽学部の
片隅にすわり、コンピュータを開けたら、
ちょうど須甲松伸先生が通り過ぎた。
「あっ、須甲先生!」
と立ち上がった。
お誘いいただいて、授業に伺ったのである。
教室に行き、荷物を置いて、
喉が渇いていることに気付いたので、
自販機を探した。
男子学生が缶コーヒーを買っている。
ぼくは長いボトルの水を求めて、
財布のクォーターやダイムの
中から円を探りあてた。
講義を終えて、喫茶室に。
学生たちが10名くらい一緒に歩いてきて、
いろいろと話す。
ピアノ科の三人が、ボクが描いた
ヘタクソな絵を見せ合っていた。
「音楽学部の学生はどうですか?」
と須甲先生がお尋ねになるので、
「美術学部のやつらに比べて、より
エレガントな感じがします」と答えた。
芸大の先生方と議論する。
脳科学と芸術の関係はどうあるべきか。
「本筋」のことは、ジェームズ・タレルの
作品に見られるように、認知神経科学の
最先端の問題を、作品のブレイクスルーと
結びつけることであろう。
そして、アートの資格を神経科学の言葉で
パラフレーズし、追認するのではなく、
むしろ、新しきものが生み出される
プロセス、多様性の背後の普遍性を
支える基盤にフォーカスを当てることによって、
一つ「メタ」な見地からアプローチすること
だろう。
そうすれば、何ものかを生み出そうと苦闘
している学生たちに、本当の意味で
資するはずだ。
移動中はとにかく仕事をする。
秋が深まる東京の街並みを見るのは
チラチラとした瞬間だけ。
新宿住友ホール。
椎名誠さんは、いつものように風を
まとって現れた。
「どこからいらっしゃったのですか?」
「いやあ、今日は家ですよ。」
椎名さんは、ハンガーにコートとマフラーを
かけた。
黒いマフラーからひだひだが
下がる。
椎名誠さんといると、見慣れた
はずの住友ホールの部屋が、
プロレスの試合前の控え室
のように思われた。
11月 22, 2008 at 11:56 午前 | Permalink
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2008/11/21
脳を活かして未来を開く
茂木健一郎
脳を活かして未来を開く
2008年11月22日(土)
14時〜16時
立教大学 タッカーホール
http://www.rikkyo.ac.jp/feature/sympo/2008/index.html
11月 21, 2008 at 09:13 午前 | Permalink
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対談 最強の’恋’をするのだ
朝日カルチャーセンター
対談 最強の’恋’をするのだ。- 愛と情熱の脳科学
椎名誠 × 茂木健一郎
2008年11月21日(金)
18時30分〜20時30分
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=30599&userflg=0
11月 21, 2008 at 09:09 午前 | Permalink
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飛雄馬の変貌
サンデー毎日
2008年11月30日号
茂木健一郎
歴史エッセイ
『文明の星時間』
第40回 飛雄馬の変貌
一部抜粋
幼い頃から父、星一徹に鍛えられた飛雄馬。剛速球投手を目指すが、やがて球質が軽いという致命的な欠陥が明らかになる。
「バッティング投手としてなら理想的」と揶揄される始末。絶対絶命のピンチに立つが、座禅に訪れた道場で、老師の「打たれまいと思うから打たれる。打たれてもかまわない、いや、一歩進んで打ってもらおうと思え」という言葉に開眼し、打者のバットを敢えてねらって凡打に打ち取る「大リーグボール一号」をあみ出す。
荒唐無稽な話ではある。しかし、幼い私の心を動かしたのは、そんな魔球が本当にあるのかという理屈ではなかった。飛雄馬は変わる。座禅をしている中、老師の言葉に突然目覚める。その瞬間、世界が変わって見える。自分の一番の弱点が、武器となり得ることに気付く。そのような認知のダイナミクスが、幼い心にも強烈な印象を残した。
魔球はやがて打たる。負けずに次の「大リーグボール」を創造する。行き詰まる度に、飛雄馬はそれまでの自分を否定し、超越することで次の次元に行く。幼い私を惹き付けていたのは、そのような梶原一騎の「成長のロジック」であった。
(中略)
それにしても、『巨人の星』に描かれている飛雄馬の成長は、昨今の日本で流行っている「脳の活性化」の類の話と何と違っていることだろう。現代人は、どうやら、自分は今までと同じままでいて、脳の機能やら容量やらを拡張したいと思っているらしい。コンピュータの新機種が出て、CPUがこれだけ早くなったとか、ハードディスクの容量がどれだけ増えたというのと変わらないイメージで、自分の脳をとらえている。そんなことでは、本当の成長する喜びには全く触れることができないというのに。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/

11月 21, 2008 at 09:00 午前 | Permalink
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温泉
飛行機で二回目のごはんを食べる時に、
「お酒はお飲みになりますか?」
と聞かれた。
時計を見て、「うーん、まあいいか」
と思った。
それで、二度眠ることになった。
ご飯を食べる時には映画を観る。
最初は、Swing Voteというケヴィン・コストナー
主演の映画を観て、二回目のダークナイトは
途中で時間が切れた。
観ようと思えばできたのだけれども、
10枚の原稿を書かなければ
ならなかったのである。
成田に着くと、日本テレビの杉本ルリ子
さんがいらした。
そのまま車で汐留へ。
タモリさん、爆笑問題のお二人、
養老孟司さん、河本準一さん、
虻川美穂子さん、
羽鳥慎一アナウンサー、
宮﨑宣子アナウンサー、
新垣結衣さん、ベッキーさん、上地雄輔さん。
河本準一さんとコンビを組んだ。
養老孟司さんとは久しぶりにお目にかかる。
「養老先生、来年もどこかに虫取りに行かれますか?」
「うん、少なくとも二回は行きたいと思って
いてね。」
「ラオスは、どんな国ですか。」
「官僚組織があってないようなものだから。
そもそも、国境だってないようなもんでしょ。
山の中、冷蔵庫しょって歩いて、食料品を
売りに行くっていうんだから。」
「箱根にはどれくらい行かれているんですか?」
「月に一度くらいしか行けなくてね。顕微鏡で
虫がのぞけないんで、ストレスがたまって
しょうがないよ。」
養老先生は、とてもお元気そうで、
尊顔を拝することができて
うれしかった。
収録が終わって、竹下美佐さんが
玄関まで送って下さった。
「アメリカから帰ってきてすぐ、すみません。」
「いいえいいえ。ぜんぜん平気です。」
「お身体、だいじょうぶですか?」
「もうこんなもんだと慣れているから、
大丈夫ですよ。それよりも、全然性質の違った
仕事をやるんで、そっちの切り替えの方が
大事です。」
「楽しんでいただけたら、それでうれしいです。」
タクシーに乗ってすぐに論文を直し始めた。
久しぶりに見る東京の夜は、なんだかしっとりと
湿っているようで。
そう言えば、ワシントンのナショナル・モールを
寒風吹きすさぶ中歩いていて、
無性に温泉に入りたくなったっけ。
11月 21, 2008 at 08:50 午前 | Permalink
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2008/11/19
ベストハウス123
ベストハウス123
2008年11月19日(水)
21時〜21時54分
フジテレビ系列
驚異の天才脳シリーズ
常識破りな芸術家たち波乱の人生
http://wwwz.fujitv.co.jp/123/index2.html
番組表
11月 19, 2008 at 06:42 午後 | Permalink
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たくさんの奇麗なもの
星野英一は、ポスター発表の
原稿がまだできていない。
それで、箆伊智充がポスター発表
している近くで、
星野と隣り合って座って、
ポスター発表の文章を直した。
「英語というのは、できるだけ簡潔に
書くのがいいんだよ。redundancyを
何よりも嫌う。」
「できるだけ短い文章でつなげて
いくといい。」
「ただし、このように、二つの文章の間で
単語が共通していて、それが冗長になっている
場合は、むしろつなげて一つの文章に
した方がいいよね。」
「これは、論理的にはorだよね。
だから、こう書いた方がいい。」
そうやって座っていると、
様々な知り合いが「よお!」
と話しかけて来たりするので、
中断して話して、箆伊のポスターに
手伝いに行ったり、それでまた
進めていく。
「星野さあ、クオリア日記に、こうやって
文章を直したって、載せていいか?」
「いいですよ。」
というわけで、星野クンの文章
Experiment (Method I)
To investigate the nature of visual short-term memory, depending on the exposure time of the stimuli, in relation with object identity and object location, the this experiment were designed in delayed match paradigm with following conditions. Abstract figures were used for the stimuli so as to minimize the effect of verbal encoding. To make difference in encoding of object information (i.e. the identity and the location), two types of a set of cue and probe were designed. The levels of encoding of visual short-term memory were controlled with the 4 different exposure times of learning stimuli. These 2 by 4 factorial design were practiced.
Subjects:
9 subjects (4 females; 5 males; age 24-31) were participated in this experiment. All subjects reported right-handed and normal or corrected-to-normal vision.
Stimuli and apparatus:
The stimuli were presented on a computer screen and a response were collected from a mouse click with a mouse for the right-handed. The experiment were proceeded with key press by subjects.
1024 pictures were made with following ways:
20 invisible vertexes were randomly chosen by computer on 120 x 120 pixel bitmap with black background; Two of 20 vertexes were randomly chosen so that a white segment was drawn between; Total of 5 segments, which because minimize the complexity of the figure but not resemble to alphabet or Japanese Katakana, were drawn (a single vertex may share with more than two segments); The segments width was set to be similar to line drawing by Snodgrass and Vanderwart (1980).
ぼくがいろいろと手を入れて、
直した後の文章
Materials and Methods (I)
Here we study the nature of visual short-term memory related to object identity and location. A delayed match paradigm was designed to investigate the effect of exposure time. Nonsensical figures were used to minimize the effect of verbal encoding. To investigate the encoding of object identity and location, two sets of cue and probe were designed. Four different exposure times in the study phase were used in a 2 x 4 factorial design.
Subjects: 9 subjects (4 females; 5 males; age 24-31, with an average of ***) participated in this experiment. All subjects were right-handed by self-report and had normal or corrected-to-normal vision.
Simuli and apparatus:
The stimuli were presented on a computer screen and the subjects responded by the mouse click. 1024 nonsensical figures were generated by the following algorithm.
20 invisible vertices were randomly chosen by the computer on the 120 x 120 pixel bitmap with black background, of which 2 vertices were randomly chosen to draw a white line segment between them. The nonsensical figures were composed of 5 line segments each. The 5 segments composition was designed to avoid a resemblance to the alphabets or Japanese characters while minimizing the complexity of the figure. A single vertex may be shared by more than one line segments. The line width was designed to be perceptually similar to the line drawings by Snodgrass and Vanderwart (1980).

星野英一クン。がんばってね!
さて、もう、出発する時間が近くなりました。
ワシントンでは、たくさんの奇麗な
ものを見た。
世界よ、美しくいてくれてありがとう。

モネ『傘を持った婦人』(部分)

モネ『傘を持った婦人』(部分)

モネ『ルーアン大聖堂』(部分)

ダ・ヴィンチ『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』(部分)
11月 19, 2008 at 06:39 午後 | Permalink
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2008/11/18
情報動物
SfNの会場を動き回り、
ポスターを見て、
スライド・プレゼンテーションを聴く。
私たちのグループは8件の発表をしている。
旧知の友人に会い、会話を交わす。
お互いの記憶の中の煮こごりを温める。
街を歩く。目を見開く。
そんなことをしながら、
人間はサファリだなと思う。
この世のどこにもない空間の中で、奇妙な
情報動物を求めて
さ迷っているのだ。
私たちはみな、一人残らずハンターである。
タクシーに載ったら、ナイジェリアからの
人だった。
ナショナル・モールからチャイナタウンに
向かう道で、突然ビルを指して言った。
「このビルが、オバマの政権移行準備を
やっているところだよ。」
「この右側のが?」
「そう。ビル全体が。見ろよ、FBIの
人たちがいる。」
男は、誇らしげだった。
「ナイジェリアとケニアは近いね。」
「ああ、そうだな。」
「あなたはスワヒリ語がわかるのですか?」
「ある程度言葉に共通点があるからね。」
「オバマの名前は、どのような意味ですか。」
「さあ、なんだったかな。確か、未来は明るいとか、
そういう意味だったと思う。」
「あなたには子どもはいますか?」
「ああ、息子が一人いるよ。」
「将来、彼はアメリカ合衆国大統領になるかも
しれませんね。」
「そうだね。わからないな。まったく、
そうなるかもしれないね。」
コンベンション・センターに着き、
握手をして別れた。
夜、柳川透くん、藤井直敬さんさん、中沢一俊さん、
吉井あきらさん、二井健介さんとご飯をたべた。
藤井さんはかつてMITに留学していた。
中沢さんはMITから現在NIHへ。
吉井さん、二井さんは現在MITにいらっしゃる。
「オバマの勝利が決まった夜は、ワシントン中で
黒人たちがパーティーをやっていましたよ。」
と中沢さん。
「研究室のやつも、翌朝どうした、と聞いたら、
昨日は一日中パーティーをやっていたと
言っていたなあ。」
二井さんが受ける。
「あの時は凄かったですねえ。ボストンでも、
至るところでお祝いをしていましたからねえ。
あんな様子は、見たことがありませんでした。
4年前にももちろんなかったし。特別なこと
でしたね。」
ワシントンでわが生涯の何日かを生き、
サファリをする中で情報動物を発見。
そのありさまに心を動かされた。
11月 18, 2008 at 10:21 午後 | Permalink
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プロフェッショナル 大谷るみ子
プロフェッショナル 仕事の流儀
介護は、ファンタジー
~認知症介護・大谷るみ子~
認知症のお年寄りは、
さまざまな困難をかかえる一方、
かえって、相手の心の芯にあるものを
読み取ってしまうようになるのだという。
気配、真心、ふるまい。
言葉などで誤魔化しが利かない相手と
向き合う。
大谷るり子さんのお仕事は、魂の
真剣勝負だ。

NHK総合
2008年11月18日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
すみきち&スタッフブログ
Nikkei BP online 記事
相手の行動の奥底を読み取る
〜 認知症介護・大谷るみ子 〜(produced and written by 渡辺和博(日経BP))
11月 18, 2008 at 09:55 午後 | Permalink
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柳川透クン特集
今回は、私の研究室の柳川透クンを
特集してみようと思う。

ホワイトハウス前にて。柳川透クン。

現代美術の作品の前で。柳川透くん。

理化学研究所の藤井直敬さんと。

NIHの中沢一俊さんと。

柳川透クン以外にも、たくさんの脳科学者が来ている。
11月 18, 2008 at 01:00 午後 | Permalink
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2008/11/17
愚行するぞ
何しろ、世界がどのように見える
かということは、時代によって
変わるに違いない。
ナショナル・ギャラリーで
ダ・ヴィンチ、フェルメール、
モネなどを見た後、
もう一つのウィングに移動し
現代作品を眺めてそのように
思った。
コンテンポラリー・アートは
自分たちをガラクタと区別するための
さまざまな装置を必要としている。
ここには大いなるパラドックスがある。
表現において、何をしても良いという
最大の自由を謳歌している表現ジャンルが、
もっとも強い束縛の下にしか成立
しないのだ。
真っ白なキャンバスの上にただ線を
引いただけの作品。
アクション・ペインティングで
羅列される絵の具。
これらの作品は、無意味の深淵に
落ちないために、必死になって踏ん張って
いるように見える。
それが逆に強度ともなるのだ。
もっとも、アンディ・ウォーホル
やゲルハルト・リヒターのように、
古典的作品と同じようなたおやかな自然さを
持って存在を主張してくるものもあるのだけれども。
世界の見え方は、ある日突然
変わるはずだ。
それだけが唯一の希望であるように
思われる。
そのためには愚行を積み重ねなければ
ならない。
コンテンポラリー・アートは、
愚行の博物館としては確かに
私たちを奮い立たせる。
そして、古典的な作家たちもまた、
くるりと月面宙返りをしてから立つような
そんな愚行の結果を残している。
フェルメールにおいてさえ、それは
明らかであり、
ぼくは、丹念な下塗りをした後に、
真珠や目玉の光や髪の毛といった
重要な部位の表現において筆をタンタンと
軽やかに置いているとしか思えぬ
生命の光加減にすっかり夢中になった。
モネと来たら、「傘を持つ女」
の中にケロンパを潜ませておくのだから。
愚行するぞ。
そこにしか希望はない。
強い束縛の中に身を置き、
しかもそこから自由になるために。
11月 17, 2008 at 10:01 午後 | Permalink
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ワシントンのイメージ
ワシントンのイメージ
チャイナタウンで見つけた
hidden figure(隠し図形)
さて、何が隠れているでしょう?

モネの絵の中にあったあかんぼうに
釘付けになった。

この人は、思ったよりもずっと小さく、
そしてしっとりと光っていた。

フェルメールの「赤い帽子の女」
11月 17, 2008 at 12:21 午後 | Permalink
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2008/11/16
オバマ氏の言葉の力
ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月30日号
(2008年11月17日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第129回
オバマ氏の言葉の力
抜粋
オバマ氏がアメリカの政界に彗星のように現れるきっかけとなったのは、2004年7月の民主党大会における基調講演。ジョン・ケリー氏が民主党の大統領候補となっており、その応援演説が主眼だった。
当時、オバマ氏は民主党の上院議員選の候補者にはなっていたが、中央政界ではほとんど無名の存在だった。「オバマって一体誰?」と半信半疑の会場の雰囲気が、オバマ氏の演説を聴いているうちに変わっていく。オバマ氏の言葉の力が、人々の心を深いところから動かしたのである。
(中略)
「私たちの国が偉大なのは、摩天楼があるからでも、軍が強大だからでも、経済規模が大きいからでもありません。私たちは、200年以上前に打ち立てられたごく簡単な原理に基づいて生きている。『私たちは、次の真理を自明なものと認める。全ての人間は、平等に創られている。』と」
オバマ氏が話を進める度に、「この男は何ものだ?」「凄い」「注目に値する」「素晴らしい」と会場を埋めた人々の反応が変わっていく。最後は熱狂的な満場総立ちの拍手。未来のアメリカ合衆国大統領が、華やかにデビューした瞬間だった。
それから僅か4年と少しの後。オバマ氏はアフリカ系アメリカ人として初めて大統領選に勝利し、演説する。
「確かに、長い時間がかかった。しかし今晩、今日私たちが成し遂げたことゆえに、この選挙において、この決定的瞬間に、変化がアメリカを訪れたのだ。」
オバマ氏を当選させたのは、人種でも、お金でも、若さでもなく、その言葉に表れた政治思想の卓越であった。
どのようなヴィジョンを持ち、どのように語るかで政治のリーダーが決まるアメリカ。ひるがえって、年功序列や根回しで指導者が決まっていく日本は、アメリカという鏡に映った自らの姿をどのように省みれば良いのだろう。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」でお読み下さい。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 16, 2008 at 08:47 午後 | Permalink
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一つの事実
夕食はGeorgetownでとった。
タイ料理屋で「ジャングル・カレー」
を食べていると、周囲のテーブルのひとびとは
笑いさざめき、
なまっていてよく聞き取りにくい
ウェイターの男の子も、
明るく、親しみがあり、活気がある。
ニューヨークのウォールストリートで
起こっていることは、一つの「文脈」
に過ぎない。
この世界は、たった一つの文脈で
支配されるほどには単純には
できていないのだ。
街を歩いていると、サイレンを鳴らした
パトカーに先導された車列が
通りかかる。
エコノミック・サミットに出席している
首脳たちを乗せた車なのだろう。
韓国とアメリカの旗を掲げた
黒い車が道を曲がっていくのを見た。
路上の人が、政治の世界で起こっている
ことは自分に関係ないと感じるのは
一つの見識である。
世界の多重文脈性に鑑みれば、
一つの事実でもあるのだ。
それでも、ワシントン・メモリアルから
議事堂にかけての広々としたモールは
解放感があり、
政治にかかわる重要な場所が観光名所
であることの、民主主義における意義について
改めて思いを馳せずにはいられなかった。
何ごとも、自分たちで生み出したものは
強く、
ただ輸入しただけのものはなかなか身につかない。
11月 16, 2008 at 08:30 午後 | Permalink
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日本からアメリカへの印象
日本からアメリカへの印象
成田エクスプレスに乗る
東京駅に、文藝春秋の大川繁樹さんと、
講談社の西川浩史さんが待ち構えて
いた。
ゲラを受け取りに来たのである。

大川繁樹さん(左)と西川浩史さん(右)
大川さんは「茂木さんはもうビョーキですよ」
と言い、
西川さんは「まえがきを書いてくださいよ!」
と迫る。
ニューヨーク経由。
夜、現地に住んでいる島田雅彦(作家)、
渡辺真也(キュレーター)と飲む。

島田雅彦(作家、左)と渡辺真也(キュレーター、右)
ワシントン入り。
Society for Neuroscienceの会場へ
直行。
相変わらず巨大。3万人は来ているんじゃないか。

Society for Neuroscience会場への入り口
街には、至るところにオバマのTシャツがある。
一方、マケインのTシャツは、75%引きで
山積みになっていた。

オバマTシャツ
夕食前、ホワイトハウス前を散歩する。
来年1月20日には就任式。
住み心地はどうなのだろう。

ホワイトハウス
いろいろな仕事を持ち込んでいるので、
解放感なし。
しかし、空は広く、人々の構えは大きい。
11月 16, 2008 at 08:19 午前 | Permalink
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2008/11/15
米国
アメリカに着いた。
飛行機の中で、昔(2004年頃)
書いたある文章を思いだした。
人と人との関係においてだけは、
「効率」ということを考えてはいけない
ということを頭の中で巡り歩いていて
思いだしたのである。
小林秀雄との出会いも、ここにあった。
ここに、全文を掲載する。
ネット書店ばかりで本を買っていては
いけないと反省する。
書店の遠景 (角川書店『本の旅人』)
「書店主人、山を動かしたること」
茂木健一郎
小学校4年の時、家の近くに新しい本屋ができた。東京近郊の私鉄単線の小さな駅の横の踏切を通る商店街にオープンしたその本屋の名前は、「愚公堂」といった。
「愚公、山を動かす」という故事成語の意味を、当時の私がはっきりとわかっていたとは思えない。由来も知らぬままに、「グコウドウ」という音も気に入って、足繁く通った。棚が四列だけの小さな店舗に入ると、紙とインクの臭いがぷーんとした。
愚公堂の御主人は、当時、四十そこそこ、ちょうど今の私くらいの年齢だったのではないかと思う。恵まれているとは決して言えない立地条件にもかかわらず、いや、それ故にこそか、愚公堂の品揃えは、気合いに満ちていた。古今の古典の文庫や新書がずらりと揃い、硬派の本もちらちらと並んでいた。背表紙を眺めているだけで、何やら荘厳な気がした。最初に夏目漱石や森鴎外の本を買ったのも、愚公堂であった。
当時の愚公堂を思い出すと、「青雲の志」という言葉が浮かぶ。愚公堂開店の背後にどのようないきさつがあったのか、経営上のリスクと目論見がどうバランスしていたのか、子供の私に判ったはずもない。同じくらいの年になった私の体験に照らせば、日々これ平穏であったはずもない。
おそらくは胸の内に去来する様々な思いを秘めて、銀縁のメガネをかけた細面の愚公堂主人は、入り口の横のカウンターに終日座っていた。ガキのくせに背伸びをして、随分生意気なことを口にしていた当時の私に対して、ご主人はいつも落ち着いた口調で、大人を相手にするように接してくださった。
当時、私は、蝶を採集することに夢中になっていた。図鑑を眺めて空想するのが何よりも好きだった。ドイツのザイツという図鑑の高名を聞き、いつか手に入れたいとあこがれていた。蝶類の図鑑の新刊が出ると、小遣いやお年玉を貯めた資金を握りしめ、愚公堂に注文しに行った。小学生が注文するにしては、大部で値の張るものだったように思う。当時の物価で、一万円を超える図鑑もあった。
図鑑が入荷すると、愚公堂のご主人は私の家に電話して、「息子さんの注文なさった図鑑が届きましたよ」と知らせてくださった。愚公堂までの1分足らずの道をぽかぽかする気持ちで歩き、ちょっと誇らしいような、恥ずかしいような気持ちでカウンターに向かった。ご主人が、カウンターの裏の棚から、白い注文票の挟まった本を取り出して下さった。その一連の過程が、真新しい靴を履く時と同じような、大切で晴れがましい儀式であるように思われた。
中学生になった私は、次第に無口になり、蝶の図鑑を注文することも少なくなった。次第に自意識が目覚めて来て、愚公堂に行っても、カウンターの中のその人と視線をあまり合わせないようになった。レジに本を持っていく時も、自分が読む本がご主人に知られることが、なんとなく恥ずかしいような、イヤなような気持ちだった。
愚公堂のご主人と交わした最後の会話は、小林秀雄の『考えるヒント』を巡ってであったように記憶する。カウンターに文庫本を持っていき、「高校受験の国語の勉強のために読むんだ」と言った。ご主人は、「へえ。こんなに難しい本を読むんだね。」とほめて下さった。私は、ごにょごにょと口ごもった。『考えるヒント』を持って、愚公堂を出た私の頬に、冬の冷たい風が心地よく吹き付けた。愚公堂のカバーの付いた文庫本を持って走ると、その手応えが思ったより軽くて、心細く感じられた。
あの日、いつも本に囲まれて物思いにふけり、近づきがたく見えたグコウドウ主人と初めて対等に口を利けたような気がした。一人前の読書人になれたような気がした。四半世紀も前のことである。
高校生になると、何とはなしに愚公堂から足が遠のいた。高校の近くの本屋に行くことの方が多くなった。休日などに、前を通りかかっても、気恥ずかしくてドアを開けて入っていくことができなかった。子供の頃行った床屋に、青年期になって行くのが恥ずかしいのと似たような気持ちだった。
そうこうしているうちに、愚公堂は、いつの間にか消えてしまった。硬派の品揃えが、立地に合わなかったのかもしれない。何か、個人的な事情があったのかもしれない。ご主人がどこへ行かれてしまったのか、親に聞いても判らなかった。私が大学生になった頃のことである。
子供は、「ありがとう」を言わないで大人になる。本屋はある日静かに消えていく。そんなことが、あの頃の私にわかるはずもなかった。
マーケットという怪物を前にして、志に寄り添って生きることの困難は、今になってこそ判る。志を抱くのは難しい。志を貫くのは、さらに難しい。
愚公堂主人は、今でも、どこかで山を動かそうとしているのだろうか。
11月 15, 2008 at 12:42 午前 | Permalink
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2008/11/14
ホタルのように
読売新聞へ。
写真を撮影する。
昨晩会ったばかりの二居隆司さん、
笠間亜紀子さん、川人献一さん、
それに、重田育哉さんにお目にかかる。
ヨミウリ・ウィークリー編集部では、
ちょうど「見出し会議」が行われていた。
編集部には、何回もうかがった
ことがある。
二居さんが「記念」とボールを4つ
持ってきたので、ペンでサインとイラストを描く。
通常のボール以外に、「サイン」専用の
ボールがあるということを始めて知った。
「中身が違うんですよ。」
と二居さん。
玄関で辞する。
すべてが名残惜しく。
ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳科学研究グループの会合。
研究所近くまで来た時に、
まだお昼を食べていなかったので、
「これからすき家に入るぞ」
と電話をしたら、星野英一が
来た。
並を食べている私の前で、
「メガ牛丼」というものを注文。
牛肉が普通の3倍入っているのだという。

メガ牛丼にとりくむ星野英一くん。
「ぼくのデータの統計的有意さなんですが」
と研究の話をしながら、星野くんは
むしゃむしゃメガを平らげた。
Society for Neuroscienceの発表資料
の直しに取り組む。
研究所のソファに座って、一心不乱に
手を動かす。
時間と分量から言って、必死になって
やらないと、それでも予断を許さない。
普段は私に話しかけてくる
関根崇泰や柳川透も、
私の「殺気」を感じて
遠慮している。
NHKに向かわなければならない
頃に、やっと加藤未希の目安がついて、
なんとか一巡した。
『プロフェショナル 仕事の流儀』
の収録。
ゲストは、騎手の武豊さん。
「自然体が服を着て歩いている。」
そんな思いがしたほどの、
決して揺るがない武さんの姿勢に、
何とも言えない凄みを感じた。
終了後、局近くで
有吉伸人さん、日経BPの渡辺和博さん、
それに今回の撮影を担当したカメラの長田正道さん、
ディレクターの平田学さんと
打ち上げをする。
日付はもう変わっている。
面白い話に笑いながら、手元では
ゲラに赤を入れていた。
手を動かしていないと、もろもろが
間に合わない。
一つの
ゲラの赤を入れ終わった後で、
「すみません、これから先は、
資料がないと仕事が進まないので」
と店を辞した。

長田正道さん(左)と平山学さん(右)

渡辺和博さん(左)と有吉伸人さん(右)
有吉伸人さんが一緒に店を出てきた。
「茂木さん、ワシントン、気をつけていって
きてくださいね。」
「はい、有吉さんも、自転車通勤、気をつけて。」
有吉さんが停めたタクシーはちょっと行きすぎて、
ランプがホタルのようにピコピコ点滅した。
11月 14, 2008 at 05:08 午前 | Permalink
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2008/11/13
ブンヤの魂
ヨミウリ・ウィークリー編集部の
二居隆司さんが、朝私の家までいらした。
近くの公園の森を走っている
ところを撮影するため。
一日密着取材をするのだという。
ヨミウリ・ウィークリーの
私の連載も、もう5年以上になる。
あれは、今年の秋が深まる頃。
二居さんが、お話ししたいことがある
というので、東京駅で待ち合わせた。
どうしました? と聞くと、
雑誌が休刊になるという。
「えっ!」
突然の知らせに驚きながら、
いっしょに銀座のアップル・ストアまで
歩いた。
「残念です。」
「茂木さんには、雑誌が続く限り、ずっと
連載をお願いしたいと思っていたのですが。」
さまざまをお話ししながら、ふと
隣りの二居さんを見ると、目が光っている。
あっと思った。
目をぬぐっている。
二居さんは黙って、「茂木さん、これ」
とチョコレートの袋を渡すと、
そのまま雑踏の中に消えていった。
時が経ち、私が『脳から始まる』
の原稿を書くのも、いよいよあと二回
となった。
最後に、
私の特集号を作って下さるのだという。
走る走る。木立の中を走る。
地球の存在を感じる。
霞ヶ関の経済産業省へ。
仕事を終え、再び二居さんと会う。
日比谷公園内の松本楼でカレーを
食べる。
六本木のグランドハイアットホテル。
ニューロマーケティングに関する
講演。
フランス大使館。作家のマルク・レヴィさんと
物語や愛の本質について対談する。
レセプション。シャンパンを飲む。
『英語でしゃべらナイト』のクルーが、
私とマルクが話しているところを
撮影する。
途中で抜けて、丸の内へ。
棋士の深浦康市さんの「王位」防衛を
祝う会。
梅田望夫さんの主催。
深浦さんと乾杯する。
「おめでとうございます!」
梅田さんとお話しするのは、共著
『フューチャリスト宣言』
の刊行記念の会以来。
「最近ではね」と梅田さん。
「水村美苗さんの『日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で』が必読ですよ。ぼくがtwitterについ書いた一言で、炎上したけれども。」
「何を書いたのですか?」
「いやあ。とにかく、すばらしい本です!」
「筑摩書房の伊藤笑子さんも良い本だとメールをくれました!」
梅田さんの目は、新幹線の先頭車両に
似ている。
インターネットの話になる。
「茂木さん、ぼくは英語圏で起きていることを
もとに、『ウェブ進化論』を書いたけれども、
同じことは結局日本語圏では起きなかったという
ことですね。」
「梅田さん、ぼくも、そのことは、よく講演会
で話します。金曜日からワシントンに行くん
ですよ。アメリカはどんな感じなのかなあ。」
「ぼろぼろでしょう。オバマが大統領になった
ことで、気分は高揚しているけど。」
「一方、理念を生み出せない日本の政治。」
梅田さんとボクは、きっと、「敗戦」
の感覚を共有している。
しゃあない。
「焼け野原」からまた何かをつくれば良い。
楽しい談笑が続く。
深浦さんにもう一度「おめでとう」
と心から。
辞して、
ヨミウリ・ウィークリーの人たちの会に行く。
二居隆司さん、笠間亜紀子さん、
そして川人献一前編集長。
向かって歩いている時に、
あることに気付いて
「あっ」と言った。
二居さんが「どうしました?」
と言うので、私は
「いや、ヨミウリ・ウィークリーの記事に
ついてあることに気付いたんですよ。」
と答えて、そのまま流れは別の
話題になった。
テーブルについた時、二居さんが、
「先ほどのは何ですか?」
と聞くので、
「受験情報専門の雑誌と、ヨミウリ・
ウィークリーの受験記事の違いに
気付いたのですよ。」
と答える。
「ほお。それは、どういうことですか?」
「ジャーナリズムだな、と思って。ヨミウリ・
ウィークリーの記事は、受験情報を書くに
しても、何かスタンスが違うんですよ。
裏をとっているというか。客観性を貫く。
さすがはブンヤの魂。
わいわいと持ち上げて煽るだけの
専門雑誌とは違う。」
笠間さんが「裏をとる、というのは面白い
んですよ。」と応える。
「本人の記憶が、年月が経つと曖昧に
なってしまうんで。ご両親が亡くなった時に
世の中ではこんなことがあった、と言われて
いても、年代を調べてみるとどう考えても
あわない、ということがあるのです。」
ふと二居さんの方を見ると、二居さんの
目が光っている。
「だいじょうぶですか?」
「いやあ、いきなり、そんなど真ん中のことを
言われてしまって。」
「二居さん、週刊読売から数えると、何年
編集部にいらしたのですか?」
「もう十数年ですね。1991年からですから。」
「その前は、どの部にいたのですか?」
「支局だけですよ。新聞に入って、それから
支局に行って、あとはずっと週刊読売、
ヨミウリ・ウィークリーです。」
辛い餃子が運ばれてきた。
大地の滋養を味わい、歳月をビールで流す。
電通の佐々木厚さんが合流して
しばらくした頃。
私は席でコンピュータを抱えながら
眠っていた。

ヨミウリ・ウィークリー編集部の方々。
左から川人献一前編集長、笠間亜紀子さん、二居隆司さん
11月 13, 2008 at 08:16 午前 | Permalink
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2008/11/12
ベストハウス123
11月 12, 2008 at 06:40 午前 | Permalink
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ゴジラ
ダメである。
完全に、やるべきことに時間と
手間がついていかない。
朝、木南勇二さんが迎えにくる。
荒川区の小学校で、
子どもの教育についての講演。
NHKへ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
武豊さんの回。
担当ディレクターは、京都放送局の
平山学さん。
「京都にはどれくらいいらっしゃるの
ですか?」
「4年です。入局以来、ずっと、京都です。」
撮影を担当したのは、長田正道さん。
一年ほど前に京都に赴任されるまで、
渋谷にいらっしゃる
時に、私に撮影についていろいろ
教えて下さった「師匠」である。
収録がしばらくなかったので、
住吉美紀さんの顔を久しぶりにみる。
すみきちは元気でキラキラしていた。
でも、カメラを忘れてしまったんだよね。
今の仕事の堆積ぶりは、
つまりは、性質の異なる仕事を
超高速でやらなければならないという
有機的雪崩現象であって、
それはつまり、講演であり、
課題図書であり、対談であり、
論文書きであり、Society for Neuroscienceの
発表資料直しであり、原稿書きであり、
ゲラ読みであり、取材であり、
携帯やメールで
ひっきりなしにくる編集者の人たちの
催促であり、青空であり、寒風であり、
味噌汁であり、松茸ご飯である。
後半にはちょっと切ない願望が入っている。
PHP研究所で取材を受け、
移動している時に、そうだ、
ゴジラは、戦後の東京だから、
秩序なくしかし精気に満ちて
復興していったカオス都市、
東京だからこそ、
ガオーと火焰放射を吐きながら、
全部破壊して行ったのだと
気付いた。
あれがパリだったら、フィレンツェだったら、
ニュルンベルクだったら、ゴジラは
足蹴になどしなかったろう。
その時、移動する私の
目には東京タワーが映り、
数々の高層ビルが見え、
そしてわが愛する街、東京の
息吹が伝わってきた。
週刊朝日で
対談した時に、「茂木さんの最大の挫折は
何ですか?」と聞かれて、
「現代に生まれたことです」
と答えたら、林真理子さん笑っていらしたっけ。
11月 12, 2008 at 06:39 午前 | Permalink
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2008/11/11
プロフェッショナル トークスペシャル
プロフェッショナル トークスペシャル
宮崎駿さん、平井伯昌さん、柳家小三治さん。
三人のゲストとのすばらしいトークを
たっぷりお届けします。
たった一つの言葉に、人生のすべてが
宿る。
ふともらした真実に、魂が
戦慄する。
その瞬間を見逃すな!

NHK総合
2008年11月11日(火)22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
すみきち&スタッフブログ
Nikkei BP online 記事
超一流の仕事脳 (produced and written by 渡辺和博(日経BP))
11月 11, 2008 at 07:50 午前 | Permalink
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小林秀雄の響き
「新潮」2008年12月号
◆◆歿後四半世紀特集◆◆小林秀雄の「響き」
【特別付録CD】
27分の未発表音源「勾玉について」他、
計70分強の小林秀雄名講演選!
■特別対談■批評の肉体性を聴く/茂木健一郎+白洲信哉
特典CDに収められた
小林秀雄さんの声は、生命の豊かな
響きに満ちた森を思い起こさせます。
私と畏友、白洲信哉との対談は
とても面白い。
今月号の「新潮」は、買わなければ
絶対に損です!
詳細

11月 11, 2008 at 07:49 午前 | Permalink
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智恵の象徴
サンデー毎日
2008年11月23日号
茂木健一郎
歴史エッセイ
『文明の星時間』
第39回 智恵の象徴
一部抜粋
1954年6月。チューリングがベッドで死んでいるのが発見される。死因は、ベッドの横に置かれた食べかけのリンゴに混入した青酸化合物による中毒。自殺をしたものと公式に推定された。チューリングの母親は、「化学実験をしている間に誤って混入してしまったのだろう」と息子の自殺を最後まで信じなかった。
チューリングがゲイでなかったら、コンピュータが人間のふりをするという「チューリング・テスト」を考えつくこともなかったかもしれない。純粋な数学と論理の世界を突き動かした、あまりにも人間的な物語。
「智恵の象徴」であるリンゴを残し、「コンピュータの父」はこの世を去った。その「思い」の残照を受けて、私たちは生きている。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/

11月 11, 2008 at 07:42 午前 | Permalink
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水成論と火成論
ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月23日号
(2008年11月10日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第128回
水成論と火成論
抜粋
私はどうも「多動症」の気があるようで、いつも何かしていないと気が済まない。
あれは、大学生くらいのことだったか。電車の中で、ふと、何もせずにぼっと座っている人たちがいることに気付いて愕然とした。小学校の頃から、電車というものは乗った瞬間から本を読み始めるものと決まっていると思い込んでいた。世間には、案外ぼんやりと考え事をしている人がいることに、二十歳を過ぎて初めて気が付いたのである。
むろん、電車の中で何もしていないからといって、休んでいるとは限らない。大人になるといろいろと考えることがあるもので、ぼんやりとしているようで頭は忙しく動いているという場合もある。私は、単に貧乏性なのであろう。
仕事も、講演会でずっと自分が話すというように、忙しいのは歓迎だが、何人かでやるパネル・ディスカッションのように、自分の話す番がなかなか回ってこないと手持ち無沙汰に感じてしまう。もちろん、他人の話を聞いていないというのではない。誠心誠意耳を傾けてはいるが、それと同時に手元で何か始めてしまうのである。
あるシンポジウムのパネル・ディスカッションに参加していた時のこと。手元が暇だったのでノートにいたずらを描き始めた。なぜかは知らないが、海を泳ぐ鯨に、火山島の絵を配した。無意識の中からそんな図柄が出てきたのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 11, 2008 at 07:41 午前 | Permalink
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ソウルに変えるのは
どうしてだ!
気付いてみると、あちらからもこちらにも
忘れていた地雷原が。
間の前の仕事を次から次へとかたづけて
いくという、地獄の季節へと突入。
確かに一つひとつはぼくがやると
言ったことに違いない。
しかし、なぜ君たちはユニゾンで
そんなに強奏してくるのか?
ぶわーん。そんなに響かれてもねえ
むしろ、青空の静寂にこそ学ぼうじゃないか。
新幹線で品川駅を降り、
ぼくの大好きなユニセフハウスの横を
通る道。
寒くて、思わずマフラーをくるくる
巻く。
歩いているうちに
じんわりと熱を帯びてくる。
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
学生たちといわゆる一つの
Society for Neuroscience
の準備。
星野英一が「風邪気味だ〜」と叫んでいたので、
慎重に検討した結果、800円のユンケルを
買っていってあげた。
「君の顔がそんなに赤いということは、
単純にやっぱり熱があるんだよ」
と須藤珠水。
ぼかあ思うのだが、
元気な時は、どんなジャンクフードを
食べても、もりもり命は盛り上がる
んじゃないかな。
子どもの頃、ぴいぴい鳴くセキセイインコの
雛にとにかくアワやヒエだけ食べさせて
いたら、いつの間にか立派な
成鳥になったよ。
元気な時は、生命にはジャンクを
ソウルに変える錬金術がある。
沖縄合宿で、遠浅の海をどこまでもどこまでも
裸で泳いでいった
あの時の星野英一クンの肌に光っていた
夕陽の赤は忘れない。

自分の研究について熱弁する星野英一クン。
笹生さん、長谷川さんと打ち合わせ、懇談。
美味しかったから、ソウルに
変えるのは簡単だった。
11月 11, 2008 at 07:15 午前 | Permalink
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2008/11/10
サプライズとは何か
エンジン01最終日。
朝からずっとセッションに出たり、
空き時間は「ゲリラ」的に
本にサインをした。
100冊から200冊の間。もう
何だかよくわからなくなりました。
三枝成彰さんや林真理子さん
を始め、多くの方の熱意によって
生まれているこの会議。
できるだけのことをがんばりました。
たくさんの名古屋の方にお目にかかり
ました。ありがとうございました。
明け方、ふと、心脳問題が
用意しているサプライズとは何か、
ということを思う。
物理的、因果的世界観の中には、
クオリアに満ちた意識の所在を
収めようがない。
ボクは、サインは基本的にイラストを
描くけれども、
「何か元気の出る言葉をください」
と頼まれた時には、
「生きるとは暗闇への跳躍である」
と記すことがある。
これはまさに意識の問題において
必要とされる態度だ。
「暗闇への跳躍」をして、
足がかくんとなり、ふわりとなり、
胆がすうっとして髪の毛が逆立ち、
目が見開いた時に、そこに
見える新しい景色は何なのだろう。
O, wonder!
How many goodly creatures are there here!
How beauteous mankind is! O brave new world,
That has such people in't!
William Shakespeare: The Tempest
おお、素晴らしき新世界よ。
そこに至らしめるのは「勇気」であろう。
11月 10, 2008 at 07:20 午前 | Permalink
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2008/11/09
味噌カツ
エンジン01の「夜楽」会場で、
山本益博さんといろいろ
お話する。
NHKの山本隆之さん(タカさん)
が来たのでびっくりした。
タカさんは、みなさんご存じの通り、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のデスクとしてずっと活躍された後、
今年の夏に名古屋放送局にチーフプロデューサー
として栄転されている。
天才編集マンの小林幸二さんが、
たまたま、編集の仕事で名古屋に
来ていた。
名古屋で山本さん、小林さんと
一緒に飲むことになるとは、
本当にびっくり。
わいわいがやがやと盛り上がる。
三枝成彰オヤビン、奥田瑛二さん、
中丸三千繪さん、原島博さんなどなどと
談話する。
名古屋の街を歩いているうちに、
なぜか、ふと、「やっと馴染んできたな」
と思った。
人は、行動する時には、何か一つを
選択せねばならない。
しかし、認識においては、必ずしも
そうではない。
どうなるかわからぬ。
印象は拡散する。
そのやわらかな日差しの中に、
とどまることができるか。
朝の部屋で缶コーヒーを飲む。
今週は名古屋にずいぶんいた。
今や、
ボクの身体の一パーセントは
味噌カツでできているんじゃないかしら。
11月 9, 2008 at 08:06 午前 | Permalink
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2008/11/08
冬のフェア
北本壮さんから、『脳と仮想』 が
新潮文庫の「冬のフェア」というものに
入ったとメールをいただいた。
確かに、この季節にふさわしい読み物と作者としても
思います。
まだ、サンタクロースに会っていない
人が、この本を通して会ってくれたら
いいなあと思います。
北本壮さんからのメール
From: T Kitamoto
To: Ken Mogi
Subject: 『脳と仮想』冬のフェア入りです!
茂木様
先日はお目にかかれるチャンスだったのにウィル
ス性咽頭炎とやらにやられ、お目にかかれず残念
でした。
『脳と仮想』が新潮文庫の年末年始のフェア、
「発表! 今、読みたい新潮文庫2009」に入りま
した!
これでガンガン増刷がかかってくれるとうれしい
っす。
新潮社 北本壮
北本さんのガンガンな気持ちがうれしいです。
『脳と仮想』まえがきより
2001年の暮れ、私は羽田空港にいた。朝一番の飛行機で旅行から帰ってきて、レストランでカレーライスを食べていた。私の横に、家族連れがいた。五歳くらいの女の子が、隣の妹に話しかけていた。
「ねえ、サンタさんていると思う? 〇〇ちゃんは、どう思う?」
それから、その女の子は、サンタクロースについての自分の考え方を話し始めた。
「私はね、こう思うんだ……」
その先を、私は良く聞き取れなくなり、カレーライスの皿の上にスプーンを置いた。
「サンタクロースは存在するか?」
この問いほど重要な問いはこの世界に存在しないという思いが、私を不意打ちしたのだ。
サンタクロースが五歳の女の子に対して持つ切実さとは、すなわち仮想というものの切実さである。サンタクロースは、仮想としてしか十全には存在しない。サンタクロースの実在性を証明しようとして、目の前にでっぷりと太った赤服、白髭の男を連れて来たとしても、私たちはしらけて笑うだけだろう。
五歳の女の子にとっても同じことである。サンタクロースが決して目の前に姿を現さないことなど、彼女だってきっと知っている。サンタクロースは、決して「今、ここ」には現れない。目の前に置かれた赤いリンゴのように、生き生きとした鮮明な質感(クオリア)として体験されるような形では、サンタクロースは決して体験され得ない。しかし、それにも関わらず、いやだからこそ、サンタクロースは五歳の女の子にとって、おそらく私たち全てにとって、切実な存在なのだ。
私たちの仮想の中のサンタクロースは、ぼんやりとした姿をしている。現実の世界で出会うサンタクロースの似姿のイメージに影響されながらも、私たちの意識は、その本質をとらえきれない、あやふやな存在として、サンタクロースという存在を把握し、予感している。うすぼんやりとしか見えないからこそ、サンタクロースは5歳の女の子にとって、そしておそらくは大人たちにとっても、切実な存在なのだ。
サンタクロースという仮想を生み出した宗教的、文化的、歴史的偶然を引き受けつつ、現代の私たちもまた「仮想の系譜」の中に連なり、サンタクロースを夢見ている。
子供向けのファンタジーなどと馬鹿にしてはいけない。私たちの心の中の、サンタクロースという仮想の現れ方、その私たちの現実の生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならないなにものかがある。
サンタクロースは存在するか?
この問いに対して、どのような答が可能か?
このような、一見素朴な疑問を持ったことが、仮想というものを考える私の旅の始まりだった。
歳末の空港でふと耳にした女の子の小さな声をきっかけにして、私は、人間にとって仮想というものが持つ意味を、もう一度徹底的に考えてみようと思った。
私たちが「現実」と「仮想」と呼んでいるものたちのそもそもの成り立ちについて考えることで、意識を持った不可思議な存在としてこの世界に投げ込まれている自分自身の生について、改めて振り返り、よって生きる糧としようと思ったのである。
11月 8, 2008 at 08:18 午前 | Permalink
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南半球の人
それにしても、不思議だなあと
思った。
あたたかい日だった。
街角に立って、太陽を浴びていると、
まるで、もう春が来たように感じる。
実際には、これからどんどん日が
短くなるというのに。
寒さは、これから本格化するという
のに。
いぶかしげに空を見上げる。
そうだ、ぼくはきっと、南半球
の住人になってしまったのだろう。
少し、歩みのリズムがゆっくりとする。
ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
東京工業大学の研究室の学生たちと
いろいろと議論する。
Society for Neuroscienceの
発表の準備。
高川華瑠奈のデータを検討しながら、
「こんな解析をしたら」などと言う。
高川はslide presentationである。
「そうか、じゃあ、直前まで
いろいろできるね」と言うと、
「いやです!」
と答える高川。
「日本にいる間に、終わらせて
いきたいです!」
「そうだねえ。ワシントンには、
スミソニアン博物館とか、ホワイトハウスとか、
ナショナル・ギャラリーとか、いろいろ
あるからねえ!」
激しく肯く高川。
まあひとつその、今週末
がんばってくれたまえ!
みなでお昼を「チェゴヤ」に
食べに行った。
韓国語で「最高」という意味。
たしかそうだ、五反田から始まって、
今はいろいろなところにある。
皆赤いのに、
柳川透が食べているのが、
ただ一つ白い。
「やなちゃん、それ、何?」
「なんとかかんとかです。」
「そうか、チャレンジャーだね。」
「そんなことないすよ。うまいですよ!
いつも、ぼくはこれです。」
なるほど、そう言われてみれば、
さっきから柳川はひっきりなしに
スプーンを動かして、白濁したスープは
もう残り少ない。
連れ立って外に出た。
雨になるという予報であるが、
まだ日差しはやわらかい。
思わずセーターを脱ぐ。
ふたたび、南半球の人になる。
相変わらず生活は「時間困窮」しているが、
自分は南半球の人だと思ったら、
その分、気分がゆったりとなった。
ウェッジの講演会のために、名古屋入りする。
名古屋駅の前には、
クリスマスのイリュミネーションがあり。
ウェッジの松原梓さんと歩いているとき
にちょうど点灯して、「うわあ」という声が
潮騒のように聞こえた。
11月 8, 2008 at 08:12 午前 | Permalink
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2008/11/07
素晴らしすぎるからといって
丸の内のクォンタム・リープにて、
吉田たかよしさんにお目にかかる。
六本木ヒルズのJ-wave。
Radio Donutsの収録。
恵比寿の英治出版を訪問。
ボクは思うのだが、
オバマ当選の報に、どのように
反応するかというのは、その人の
性向を知るバロメーターではないかと
思う。
とにかくは偉大なアチーヴメントであり、
そのことを認めないと、
人生なんて随分つまらない。
あれこれと揚げ足取りだけが
得意な人が随分いる。
ぼかあ日本という国について、
好きの感情が上向いたり下がったり、
いろいろするけれども、
直近はどうも大した国じゃないように
思って、東京の街を歩いても、
なんだか世界の田舎にいるように思って、
情けなく思う。
まあ、そのうちまた上げ潮になることも
あるでしょう。
そもそも、地球人(アースリング)としては、
たまたまその中に自分がいる文化のことは
それはそれ。「着ている服」くらいに
考えておかなくてはね。
ぼかあ、オバマ当選の報に接して、
かつて自分が書いた一つの文章を思いだした。
そういう気持ちを、いつまでも忘れないで
いたい。
「素晴らしすぎるからといって」
茂木健一郎 『生きて死ぬ私』より
学生運動の嵐がアメリカを吹きあふれていた頃、クリスタルのような歌声を持つ伝説のフォーク歌手、ジョン・バエズは歌った。
私たちは、乗り越えるだろう。私たちは乗り越えるだろう。いつの日か。心の奥底で、私たちは信じている。いつの日か、乗り越えることができるだろうと。
この歌、「勝利を我らに」は、学生運動のテーマ・ソング的存在になった。
この時代に大学に在籍し、ベトナム戦争の兵役を忌避するなど、学生運動の精神に共鳴していたビル・クリントン。クリントンは、二十数年後、アメリカ大統領に就任する式典の中で、妻のヒラリーやその他の多くの人々と、「勝利を我らに」を合唱した。
「勝利を我らに」で「乗り越えよう」と言っているのは、人間がバラバラな存在として孤立し、お互いに自分の利益を追求して対立し合わずにはいられないこの世界のあり方である。ニーチェが、「個別化された世界」と名付けた世界のあり方を乗り越えようと言っているのだ。当時も今も、世界には貧富の差が存在し、人々は自分の利益の追求に血眼になっている。自由競争という名の下に。このような社会を乗り越えようと、かって試みた人たちがいた。もちろん、そんなことは易しいことではないが、学生運動の時代、一部の若者は、そのようなことが可能であると、本気で信じたのである。
1741年、ヘンデルは、聖書の言葉に基づいて、そのオラトリオ「メサイア」を作曲した。8月22日から9月14 日までのわずか3週間で完成させた。ヘンデルは、感動的なところにくると、涙を流しながら作曲していたという。ハレルヤ・コーラスで第一部が終わり、その後に来る第二部のクライマックスに、次のような歌詞がある。
トランペットが鳴るだろう。そして、私たちは、すっかり変わってしまう。私たちは、もう死ななくなるだろう。
なぜならば、このやがては朽ち果ててしまう私の肉体は、もはや朽ちることはないのだから。そして、この死すべき定めの私は、永遠の生命を得るのだから。
死んでしまうこと、いつかは肉体が朽ち果ててしまうこと、このような運命は、人間ならば誰でも免れないことだ。このような状況は、いくら人間の知識が向上し、技術が発達し、社会が高度なものになっても変わることはない。聖書が、トランペットの響きとともに、もはや人間は死ななくなり、肉体は朽ちることがなくなると言っているのは、いわば、究極の革命の様子を記述しているのだということになる。このような聖書で記述されている革命が本当に実現するためには、人間の存在のあり方が、根本的なところで変化しなければならない。つまり、「メタ」レベルの変化が起こらなければならないのだ。この聖書のテキストを書いた人がどのような人であるにせよ、その人は人間の存在のあり方や、世界のあり方についての深い洞察をもった詩人だったのだろう。
マイケル・ファラデーは、電磁気学に関する数々の先駆的実験を行った。ファラデーが様々な電磁気の現象を発見するのに対して、ある皮肉屋は、「そんなものが何の役に立つのかね?」と言ったという。その皮肉屋が、今秋葉原の街につれてこられたら、口をあんぐり開けてびっくりすることだろう。
そんなファラデーの信念を表した言葉がある。
素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはない。ただし、それが自然法則に反しない限り。
人間には、様々な欲望、希望、理想がある。様々な素晴らしいことを、人間は夢見る。例えば、遠くにいる人と、瞬時に、あざやかな立体カラー画面でコミュニケーションをとることができたら。自分の一日の経験を、ヘッド・セットをつけただけで、自動的に記録することができたら。現実には存在しない香りと味をもったフルーツを、思い浮かべるだけでつくり出すことができたら。人間の想像力には限界がない。
ファラデーは、科学者である。現場で実験する者として、自然法則に反するようなものは決して出来ないと言うことを彼は知っている。たとえば、永久機関は、絶対に作り出すことができない。だが、ファラデーは、同時に、現場で実験するものとして、自然が、時には人間が予想できない程の自由で豊かな振る舞いをすることがあることを知っている。ファラデーが、「自然法則に反しない限り」という時には、それはまず第一には人間ができることの限界を表すけれども、それと同時に、ほとんど無限の可能性を許容するとさえ見える自然の多様性、豊穣を表現している。ファラデーの発言の中で、その重点は、前半の文章の中にあるのだ。
ジョン・バエズが「私たちは乗り越えるだろう」と歌う時、問題になっているのは、そのような理想社会が果たして作り上げられるか、作り上げられたとしても果たして維持できるかということだ。今世紀の様々な国家、地域でのコミュニズムの失敗を見るとき、現在の私たちはそのような可能性に対して皮肉屋にならざるを得ない。だが、理想を追求することをあきらめてしまったら、この世界はとてつもなく醜いものになってしまうだろう。一方、聖書が「私たちは、すっかり変わってしまう」と宣言するとき、そこで想定されているのは、「勝利を我らに」で歌われた社会改革よりもより根本的な人間存在のあり方の革命である。こちらの方は、実現することがさらに難しい。だが、このような究極の革命のビジョンを示すことによって、聖書は、超越的なものに直接つながる宗教的世界観の表現になり得ているのである。日本では、埴谷雄高が、聖書に示されたような存在革命について終生関心を持ち続けた。埴谷の思索の集大成がその大作「死霊」だ。
素晴らしすぎるからといって・・・
「勝利を我らに」で提示された社会革命も、聖書が提示する存在革命も、その可能性はこの宇宙を支配する自然法則の枠内で追求せざるを得ない。そもそも、そのような革命が不可能である可能性も十分ある。だが、不可能性が証明されていない以上、私たちは、革命の可能性について希望を持ち続ける権利を持っているということになるだろう。あることの真偽が明らかではないとすれば、それを信じるかどうかは、意志決定の問題になるのだから。
私たちは、人間が出来ることの限界について皮肉になるのではなく、ファラデーのように、この世界の法則から来る限界を十分知りつつ、可能性の方を重視したらどうだろう。
素晴らしすぎるからといって、それが本当でないということはないのだから。
11月 7, 2008 at 08:56 午前 | Permalink
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2008/11/06
げんき亭にいるよ
ここのところトイレに
夏目漱石の『吾輩は猫である』
が置いてあって、少しずつ拾い読みしている。
改めて、漱石は当時の日本の状況に
深く絶望していた人だなと思う。
理想やイデオロギーの一つや二つ
を言ったところで、この社会は変わりはしない。
そんな風に見きわめていた節がある。
Change has come to America.
バラック・オバマ氏はそう演説した。
日本には、いつ「変化」が来るのだろう。
オバマ氏が頭角を現したのは、民主党大会で
のスピーチだった。
全く無名の人が、そのビジョンと、熱意で
人々を動かし、政治で重要な役割を果たす。
そんな日は、この国にはいつ来るのだろう。
根回しや、談合や、年功序列ではなく、
理念や人柄が役職を決める。
そんな理想をいくら語ったところで、
漱石が見きわめていたように、この国は
変わらないのだろうと思うこともある。
流れていない水はよどみ、やがて腐る。
民主主義の政体では、「人が
変わる」ことが最も本質的。
政権交代は憲政の常道のはずだが、
その「フリップ・フロップ」さえできない国。
いっそのこと、二大勢力が4年か8年ずつ
交代で政権を担うことに最初から決めてしまったら
どうか。
あるいは、「変わらない国」
をスローガンにしてやっていくのならば、いっそ、
「二世議員が連続して首相になるギネスブック
認定の世界記録」を目指したらどうか。
PHP研究所にて、神足裕司さんとの
対談。
本当に賢い人で、対話の一秒一秒を
楽しんだ。

神足裕司さんと
PHP研究所の玄関には、
「脳を活かす勉強法」「脳を活かす仕事術」
あわせて100万部突破の胡蝶蘭が
あった。
木南勇二さん、本当にありがとうございます。
これからもがんばりましょう。
橋本麻里さん、Brutus Tripの石渡健文編集長
と会い、イスラエル紀行文のゲラチェック。
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
お昼を食べていなかったので、
「げんき亭にいるよ」と
電話をしたら、
箆伊智充、野澤真一、星野英一、
関根崇泰がやってきた。
男4人(オレを入れると5人か!)
がラーメン屋に並んでいる様子は、
どうみてもむさ苦しく、
そのむさ苦しさがうれしくて
思わず写真をとってしまった。

研究所近くの「げんき亭」にて。男5人、ラーメンを食べる。
NHKへ。
打ち合わせ。
みな編集や会議で忙しくしているだろうと、
コンビニで「きなこ餅」の大人買い(パッケージ
丸ごと)をして持っていく。

有吉伸人さんが、例によって
「出されたものは即座に食べる」という
行動に出る。

有吉伸人さん
持っていった人にとってはうれしいんだよねえ。
いよっ、キップがいいねえ。
山口ッ子だねえ。
それでもって、京大の卒塔婆小町出身だねえ。
座間味圭子さん
が有吉さんと試写を
していた。
「座間味さん、ファブリーズ使っていますか?」
「いえ、その、だいじょうぶです!」

座間味圭子さん
様子を見ていた
「地域発!どうする日本」プロジェクト
の谷卓生ディレクターが、にこにこ笑っている。

谷卓生ディレクター
プロフェッショナル班の実態が谷さんに
ばれてしまったな。
風邪気味は続いていたが、
何とか乗り切った。
一日の最後に、ネットで動画を見る。
やっぱり、オバマのスピーチはいい。
Young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled, Americans have sent a message to the world that we have never been just a collection of red states and blue states. We have been and always will be the United States of America. It’s been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America.
私たちは、歴史を目撃したのだ。
11月 6, 2008 at 09:03 午前 | Permalink
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2008/11/05
オバマ
バラック・オバマ氏がアメリカ合衆国
第44代大統領に当選されたことを
心からお慶び申し上げます。
アメリカという国はいろいろ欠点もあるが、
このように「かつてはとても不可能だと
思われたこと」が実現するところは
信用できる。
秋の空がさわやかに心に映りました。
11月 5, 2008 at 02:08 午後 | Permalink
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ずっと演説していれば
誰かにあって丁々発止や
わいわいも好きだが、
一人で黙々と何かに取り組む
時間も好きだ。
すっと入って、あとは時間の流れを
忘れる。
取り組んでいることの
有機的構造とそのダイナミクスの
宇宙の住人となるのだ。
どうも風邪気味だが、朝
森の中を走ることは止められず、
いつもより着込んで出かけた。
時が経ち、
仕事を始める。机の上のティッシュー
がくしゃくしゃの玉になっていく。
玉がだいぶ山になった頃に、
一つの仕事が終わった。
あれは93年の末だったか、
初めてイギリスに下宿した時、
家主のフランス出身の老婦人が、
「レムシップを飲め」と言った。
風邪を引いてくしゅんくしゅん
やっていたのである。
「レムシップたあ何ですか?」
「薬局で売っている。粉をお湯で溶かして
飲むのである。」
「効くんですか?」
ちょうど持ち合わせがあったようで、
持ってきてくれた。
「良薬は口に苦し」ではないかと
恐る恐るだったが、ホット・レモネード
のようで美味しかった。
あれ以来、風邪というと
レムシップが飲みたくなる。
夕刻、ウェッジ主催の講演会へ。
一日籠もって仕事をしていただけでも、
久しぶりに自分の同類に会った
思いがした。
会うとなると、こんどは際限なく。
雨が降るのではない。土砂降りになるのである。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
にもご出演いただいた山田日登志
さんが東京にいらしていて、
それならば茂木の話を聞いてから
帰ろう、といらして下さった。
「茂木さん、やっぱり、リーダーは
40代がいいですよ。」
「バラック・オバマも40代ですね。」
「老害はよくない。」
「老害はよくない。」と御自身で
言われる方は、決して老害には
ならない。
どんな属性も、メタ認知を
することで軽やかな気配を帯びる。
不思議なことに、演壇に立って
話しはじめると、
鼻はちっともムズムズしなくなった。
なんだ、これならずっと演説していれば
健康になるかな。
外に出ると慣れないワイシャツと
ネクタイの上から寒気がしみ込んでくるように
思えて、マフラーを首にぐるぐる巻きにした。
久しぶりに、ケンブリッジの
オレンジ色の街灯を思いだした。
丸の内には、いくら探しても
同じ色合いはなく。
11月 5, 2008 at 07:39 午前 | Permalink
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2008/11/04
新しき村 講演会
特別展「新しき村90年 ~人間らしく生きる」
記念講演会
茂木健一郎
2008年11月23日
(事前申込みは2008年11月8日まで)
詳細
11月 4, 2008 at 02:12 午後 | Permalink
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枯れ葉
ふだんは穏やかに世間と
つきあっているつもりだけれども、
時々、さまざまな要素が
ロイヤル・ストレート・フラッシュの
ように符合して、いわば
「パーフェクト・ストーム」となって
荒れくるう。
そんな時、無意識のうちから、
伏流となっていた情念が
吹き出してくる。
青山学院大学や、
丸善でのトークで、自分の内から
熱気が吹き出しつつある
のを感じて、やばいやばい、
押さえなければと思った。
いかん。まだ若造だな。
青山祭の実行委員の学生たちと
記念撮影。
素晴らしい運営でした。
アリガトウ!

青山祭の実行委員の方々と。
『脳を活かす勉強法』
『脳を活かす仕事術』
があわせて100万部になった
ということで、
PHP研究所の方々が
くす玉を用意下さった。
長く生きているが、くす玉を
割ったのは初めてのことである。
担当の木南勇二さんを始め、
みなさん、深謝。
いち、に、のさんで見事
落下しました。

100万部突破のくす玉。
心の中の嵐はうまく振り向ければ
きっと良いことに作用してくれるだろう。
くるくるくるくる
木の葉がすごい勢いで回転しながら
舞っているのが見えるよ。
ボクの心の中には、二十年前、
ロマンティックアイロニーのただ中にいた
頃の枯れ葉がまだ積もっていたんだね。

丸善丸の内本店での講演にて。
(photos by Atsushi Sasaki)
11月 4, 2008 at 07:54 午前 | Permalink
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2008/11/03
本日
11月 3, 2008 at 08:08 午前 | Permalink
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バブルの夢
サンデー毎日
2008年11月16日号
茂木健一郎
歴史エッセイ
『文明の星時間』
第38回 バブルの夢
一部抜粋
歴史に残る最古のバブルと言われるオランダの1637年の「チューリップ・バブル」では、チューリップの球根が投機の対象となった。
今日でも、オランダを象徴する花、チューリップ。首都イスタンブールを中心に勢力を拡大していたオスマン帝国から輸入されたこの園芸植物は、オランダの愛好家たちの心を奪い、希少な品種を中心に球根の価格が高騰していった。
1637年の2月頃の「チューリップ・バブル」のピークにおいては、人気で珍しい品種は球根一つが熟練した職人の20年分の賃金に相当する価格で取引されるに至った。どんなに美しいと言え、たかがチューリップの球根一つに、と思うのは後世の私たちの後知恵というものである。
不自然な価格形成は当然のことながら長続きしない。1637年2月をピークに球根価格は上げ止まり、やがて暴落へと転ずる。「チューリップは儲かる」という思惑で投機に参入していた一般市民は、大きな痛手を被ることになった。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/

11月 3, 2008 at 07:51 午前 | Permalink
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初めてであり、そして最後である
もう、どんなに忙しくても、
できるだけ、朝は森の中を
走るのだ。
社交ダンスのおじさんが、
おばさんとにこやかに話している。
走りすぎる時に、
おばさんが、「どうやって踊ったら
いいかわからないのです。」
と言っている。
それに対しておじさんが、
「こうやってターンすればいいんですよ」
と応えている。
おばさんは初心者なのだ!
と思った時に、
扁桃体に甘い衝撃が走った。
朝日カルチャーセンター、
名古屋大学での
講演のために、名古屋へ。
名古屋大学の方は、PHP研究所の
主催。
講演会終了後、100名の
方にサインをする。
私は必ずイラストを描く。
できるだけ、一人ひとり違うものを描く。
さっと、その人の様子を見て、
探りながらペンを走らせる。
どこに着地するのか、
わからないこともある。
苦しい。
一種の修業である。
夜の街を歩きながら、
何でこんなことをしているのかなあ、
と思った。
話す時も、イラストを描く時も、
必ず、自分にとって新しいことが
そこにあるように心がけている。
リアル・タイムで、意識を
転がして、そして鏡に映る
意識をのぞき込む。
でも、いつか、そう、
100日くらい、
誰にも会わずに籠もって、
がつがつがつと山を登りたい。
そんな日をうつらうつら夢見ながら、
名古屋コーチンを食べた。
スープが美味しくて、
食事体験の時価総額のそう57%くらい。
初心者なのだ。
われらは皆、
人生の初心者なのだ。
初めてであり、そして最後である。
オバマがんばれ。
11月 3, 2008 at 07:47 午前 | Permalink
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2008/11/02
リンゴの教え
ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月16日号
(2008年11月1日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第127回
リンゴの教え
抜粋
リンゴというと、私の母の話を思い出す。北九州の小倉で育った母親は、昭和11年生まれ。戦後の貧しい時代を経験した。食糧はむろん豊富ではなかったが、「東京近郊ほどはひどくはなかった」という。「カズノコなどは、どんぶり一杯食べられた」などと言う。カズノコが正月用の高価な食材だった時代に育った私たちは、そんな話を聞きながら目を白黒させたものである。
小倉だから、海産物は豊富にあったのだろう。一方、果物の中でもリンゴは貴重品だったらしい。月に一度の給料日になると、父親が姉弟たちに一個ずつ、リンゴを買ってきてくれる。それが楽しみで、そろそろという時間になると、皆して家の最寄り駅まで父親を迎えに行ったものだという。
そんな話を聞くと、幸せのあり方とは一体何だろうと思う。今の子どもたちが、リンゴ一個のために親を駅まで迎えに行くだろうか。今では、自分の好きなものなどスーパーに行けば一年中いつでも買えると思っている子どもたちがほとんどではないか。その分、りんごの感激も薄くなっている。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

11月 2, 2008 at 07:56 午前 | Permalink
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総合的アプリオリ命題
広島市南区の進徳学園で
「人間の可能性について」と
題してお話しする。
今年
創立100周年とのこと。
やわらかな日差しに照らされて、
きれいに掃き清められた庭を
歩いた。
東京に戻る。
金曜日にできなかったので、
渋谷にて研究室のゼミ。
関根崇泰が、いきなりホワイトボードに
絵を描く。
君ねえ、その、右側のからだがぽっこり
膨らんでいる、へんな生きものは一体
何ですか。

ヘンな絵を描いた関根崇泰「画伯」。
ゼミは特別ヴァージョンで、
A4一枚にレジュメを書いて、
それぞれが今構想していることを
発表する。
関根はボクのとなりに座って、
「風邪気味だ〜」とうなっている。
飲み物が来ると、おもむろに
くすりを3種類、二錠ずつ出して、
ぽちぽちとはじき出して飲んだ。
レジュメが一枚足りないと思ったら、
関根が、おでこを押さえながら
「熱気味で、声が出ないかもしれないと
思って、レジュメ作ってくるのやめました。」
と言う。
おでこを押さえてから、ボクのおでこを
触ってみると、確かに関根よりもひんやりと
していた。
それでも、レジュメが一回りし終わると、
関根は立ち上がって、いきなり
「カントの命題分類はですね」とやらかした。
「で、問題は、果たして総合的、アプリオリ命題
は存在するのかどうか、ということなのです!」
と関根クン。

いわゆる一つの「総合的アプリオリ命題」について
考察する関根崇泰クン。
じゃあ、その、「総合的アプリオリ命題」に
ついて、みんなで考えてみることにしましょう、
ということで、ゼミはお開き。
渋谷の街に立って、自分の周囲の時間が
古代の森から現代のビル林まで、
急速に変貌していくところを想像してみる。
案外それは、日常の退屈のすぐ近くにあるのかも
しれない。
11月 2, 2008 at 07:48 午前 | Permalink
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2008/11/01
ハンバーグステーキ
仕事のため、広島入り。
ぐっすり眠ってしまって、
名古屋も京都も気付かなかった。
目覚めてぼんやりと見ていると、
そこが新大阪で、
これはまずいと、それからはずっと
起きていた。
子どもの頃は、新幹線に乗ると、二つの大きな
楽しみがあった。
一つは、食堂車。
「ハンバーグステーキ」を食べるのが
楽しみで、東京駅から乗るときに
わくわくしていた。
もう一つは、アイスクリーム。
乳脂肪分が高いおいしいアイスクリームを
おねえさんが売りに来て、
それを買ってもらうのが
天にも昇る気持ちだった。
今、すっかり日常になってしまった
乗車の時間の底にも、そんな
感情が流れているのだろう。
瀬戸内の表情はやわらかく、
いろいろさまざまを溶かし込んで
虹色の光に変える。
11月 1, 2008 at 07:28 午前 | Permalink
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