« 天文学的奇跡である | トップページ | 「文学」を貫く意志 »

2008/10/19

何を言って、何を言わないか

ヨミウリ・ウィークリー
2008年11月2日号

(2008年10月20日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第125回

何を言って、何を言わないか

抜粋

 東京に住む子どもたちを訪ねて広島の尾道から上京してきた老夫婦。しかし、子どもたちはそれぞれの生活に忙しく、なかなか両親の面倒を見ることができない。自宅で医院を開業している長男も、急な患者があれば東京見物の予定を中止して往診に行かなければならない。
 何があっても、笠智衆演じる老父はにこにこと笑っている。「いいんだよ」と、全てを許容する。映画を観る者は、老父は人生を達観した、寛容な人なのだという印象を持つ。子どもたちが何をしようとも、笑ってそれを受け入れるやさしい父親。
 ところが、映画の中盤、どきっとするような場面がある。やはり尾道から東京に出てきている旧友に会った老父は、街の居酒屋で思わずぽろりと本音をもらすのである。
 「しかしなあ、わしもこんど出て来るまで、もちいっとせがれがどうにかなっとると思うとりました。ところがあんた、場末の小まい町医者でさ。あんたの言うようにわしも不満じゃ。じゃがのう、こりゃ世の中の親っちうもんの欲じゃ。欲張ったら切りがない。こら諦めにゃならん、とそうわしはおもうたんじゃ。」「おもうたか。」「おもうた。」「そうか。あんたもなあ。」
 観客はショックを受ける。にこにこと笑っている老父の中に、まさか息子のことを「場末の小まい町医者」と呼ぶような一面が隠れているとは思いもしない。暖かな水の中に、一瞬冷たい刃物が光る。人間というものの深みを描いた、小津安二郎監督の真骨頂である。
 人生を達観したような人でも、心の中ではさまざまな思いが浮かぶ。問題は、何を言って、何を言わないかである。『東京物語』を見る者は、老父の中にあった「批判する目」に驚くとともに、そのようなことを息子の前では素振りにさえ見せない、温かい思いやり
の心にもあらためて感動するのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

10月 19, 2008 at 09:52 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 何を言って、何を言わないか:

コメント

茂木さん、まだ手にとって読んでいませんが音声ファイルで語っていらっしゃったことと重なっていますので、手短にコメントをさせていただきます。私が思うには恐らくインターネットの匿名というのが、ある種
、人を変えるくらいの妙なパワーがあるのです。何も無意識の垂れ流しをする「おばさん」「おじさん」人口がたくさんいるのではないと私は思います。特にこの「クオリア日記」に関して言えば、必ず、毎朝の様に茂木さんご自身が目を通して、中にはお返事までいただけるとなると
気分が緩くなってしまうのです。例えば普段の生活の中での「会話」で
そのような「おばさん」現象なんて見られない。一部、口に出してしまう人はいるかもしれませんが、普通はないでしょう。インターネットの世界、匿名が妙なパワーをもっているのだと思います。それにしても「無意識の垂れ流し」という表現は、きついパンチですね。無意識ではなくて意識しているのかもしれませんヨ~。(笑)では・・・。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/10/20 0:44:02

初めまして。脳科学という難しい分野には とてもついていけない脳を持つものです

一つ質問なのですが、以前、ノーベル賞の方のTVで「組織には抜きん出た人は引きずりおろそうとする本能みたいなのがある」と言われていたように思いますが、それについてまたコメントしていただけると嬉しいです
突然すみません

不安で人は群れようとするけど、その輪から少しでもはみ出した人がいれば、その人を虐める習性にあるような気がするので、この理由を知りたく思いました

もしも前述されていたり、ブログに そぐわない低レベルな内容でしたら却下してください

これからもご活躍、応援しています

投稿: ミチ | 2008/10/19 23:07:31

こんばんは。

最近、『東京物語』をレンタルして観たところです。

ありふれた日常を生きる生身の人間の姿が
丁寧に描かれている作品だと感じました。
と同時に普遍的なことの中にある切なさを
感じずにはいられませんでした。
クライマックスで、「私はずるいんです。」
と原節子さんが涙するシーン、
それを笠智衆さんが見守るように包む温かさ。
・・・そんな一場面に、美しさの真髄に触れたようで
はっと目が覚める思いでした。

『何を言って、何を言わないか』
難しいテーマですが、ここにこそ、
きっと人生の積み重ねによる知恵が凝縮されるのでしょうね。

ちなみに、作品のラストの映像には、
尾道が背中を押してくれるような、
そこからまさに何かが生まれようとしているような
躍動感があります。
懐かしい記憶にも似た感覚と温もりに触れ、
感動で喉の奥がきゅうっと痛くなりました。
それと、物語の中の原節子さんの振る舞いの全ては美しく、
輝いていますね。
原さんは私にとって永遠の太陽です。


P.S.
HAPPY BIRTHDAY!! 茂木先生
これからもますますポップに弾けてちゃってください☆

投稿: s.kazumi | 2008/10/19 20:52:26

茂木さん、おはようございます。
『何を言って、何を言わないか』
いつもいつでも考えさせられます。
プライドはひとに大事だから。
くすぐったり、傷つけたり、傷ついたり。選んで発した言葉や行動でさえ、言い方・受け取り方で誤解が生じます。
みていたつもりや思いこみだったのだと、しばしば感じます。近しいひとになればなるほど、みえずらくなることも。。はじめにみえたものがあたしにとってはたいてい合っているのに、ときどき迷子になります。そのつどいちいち立ち止まって。誤解を解いたり、解かれたり。簡単ではないですし、時間も必要ですね。
こころの機微を感じながら、発して受けとめたい。ハートの筋肉を鍛えるゾ!

投稿: 柴田愛 | 2008/10/19 11:01:40

この記事へのコメントは終了しました。