« かっぱの国 | トップページ | 朝日カルチャーセンター  »

2008/10/24

マジック

加藤和彦さんにお目にかかる。

ザ・フォーク・クルセーダーズ。
「帰ってきたヨッパライ」
「あの素晴しい愛をもう一度」
「ひょっこりひょうたん島」


竹中平蔵さんにお目にかかる。
アメリカの文明力。
ハーバード大学。
明るく生きる、という意志。

南直哉さんにお目にかかる。
仏陀。
人生を「質入れ」しないこと。
生きるという現場の間尺に合うこと。

生きているということの実感が
一番高まるのは、
抵抗感や、不安や、魂を
がさがささせるものが
自分の中で渦巻く時で、
それは「安心立命」の境地とは
異なる。

隣りにすわった
新潮社の金寿煥さん
のお腹をポニョポニョしてみた。

わが畏友、塩谷賢のお腹を思いだして、
なつかしかった。

ポニョポニョすることの
快楽。

そこには、ほっとする「生命」の
感触があった。

生の底の緊張がひとときの緩みを見せる。

マジックが見たい!

茂木健一郎『脳と仮想』 (新潮社)より


 舞台の上のマジシャンは、どうにも中途半端な、奇妙な表情をしている。自分の信念について講演するような、自信の新製品を広告するような、最新のニュースを伝えるような、祝宴に集まった人たちに感謝の意を表明するような、そのような人たちとは違った不思議な表情をしている。自信がありそうでなさそうな、どこかはにかんだ、どこか控えめな、それでいてたくらみを心の奥底に秘めていそうな、そんな表情をしている。
 ラス・ヴェガスの舞台で見た、現代を代表するマジシャン、デイヴィッド・カッパーフィールドもそうであった。透明な樹脂の箱に閉じこめられ、鍵をかけられる。白い布で囲まれ、アシスタントたちがゆらゆらとゆらす。数秒して、さっと白い布が落とされると、そこにはぴかぴかと光るスポーツカーが出現していた。ドアを開けて、カッパーフィールドがさっそうと登場した。手を広げて、どうですというポーズをした。人々が、拍手喝采した。
 しかし、カッパーフィールドの顔は、自信満々ではなかった。これ見よがしでもなかった。まるでいたずらを咎められた子供のように、柔らかにはにかんでいた。
 舞台の上のマジシャンは、何どこかはにかんでいる。決して押しつけがましくない。決して、自信たっぷりでもない。手錠をかけられ、ぐるぐる巻きにされ、箱詰めにされ、水の中に沈められる。炎が迫り来る。はらはらしているうちに、マジシャンが見事脱出してくる。子供の頃、そのようなトリックを「大脱出シリーズ」としてテレビの特別番組で盛んにやっていた引田天功にも、そのような一面があったように記憶する。
 カッパーフィールドや引田天功をはじめ、多くのマジシャンが行っている「脱出マジック」の創始者と伝えられるのは、ハンガリー生まれのアメリカのマジシャン、ハリー・フーディーニである。
 フーディーニが脱出マジックを思いついたきっかけは、精神病院の閉鎖病棟に強制入院させられている患者を見たことだったという。そのことを知った時に、初めて、私はマジックと言う仮想の芸術の起源にあった切実さの核に触れたような気がした。
 私たち人間は、物理法則からは決して逃れ得ない。ぐるぐる巻きにされて箱に入れられ、海の底に沈められてしまえば、決して逃げ出すことなどできないことを誰でも知っている。おそらく死んでしまうであろうことを知っている。精神病院に強制入院させられてしまえば、なかなか逃げ出せないことを知っている。刑務所に入れられれば、しばらくは出てこれないことを知っている。いくら念じて見ても、物理法則を無視して壁抜けなどできないことを知っている。
 逃げ場のない状況に置かれているのは、箱の中に監禁されたり、刑務所に入れられたり、そのような特殊な環境に置かれた人間だけではない。自然の中で、社会の中で、一見自由な空気を吸っているかのように見える人間もまた、因果的な物理法則から逃れ得ないという点においては、まったく同じ状況に置かれている。閉鎖された空間に拘束された患者を見たフーディーニは、そのことを、一瞬に悟ったのではないかと思う。
 私たち人間の仮想は、現実の限定から逃れて自由に羽ばたくことができる。私たちは、どこにも存在しないサンタクロースを仮想することもできるし、一角獣を仮想することもできるし、永遠に平和の続く楽園を仮想することもできる。しかし、そのような自由な仮想の世界に遊びつつ、私たちは自分たちが因果的な自然法則によってこの現実に縛り付けられた存在であり続けることを知っている。自分たちの一見自由な仮想も、脳の中の神経細胞という現実に支えられなければ一瞬たりとも存在し得ない、その意味では因果的な自然法則から自由ではない存在であることを知っている。仮想の自由は、現実の不自由と表裏一体であることを知っている。この世界の現実が、私たちの生命を支える大切な基盤であることを知りつつ、同時に、その現実が、私たちを縛り付け続けることを知っている。
 そのような散文的な世界の中で、私たちは、時に、因果的呪縛から本当に自由になることを切なく願う。私たちの意識が、随伴現象にとどまることを止めて、この世界の現実に対して実際の作用を始めることを希望する。仮想が、本当に現実を動かしはじめる奇跡が起こるのを待つ。
 もちろん、私たちはそんなことが決して起こりはしないことを知っている。だからこそ、私たちはマジックを見に出かけ、一瞬のイリュージョンを楽しむのである。

10月 24, 2008 at 07:05 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マジック:

» Make Happy Life:「ありがとう」と「ごめんなさい」 トラックバック 有限生中 【ユウゲンセイチュウ】 ~限り有る生の中で
■今回から、シリーズものとして、「人生を楽しく生きる方法」を述べさせていただきます。 名づけて 「Make Happy Life」 です! チャチャーン☆(笑) ■人生って日々苦労が絶えませんよね。。。 友達や恋人あるいは姑舅などとの人間関係のストレスや ..... [続きを読む]

受信: 2008/10/24 7:58:23

» 河村祭(12) トラックバック 御林守河村家を守る会
なんのこっちゃ、 と思われるかもしれません。 私の家系も ついに天皇家とつながったのでございます。 おほほ。 それは このようにして明らかになりました。 さてさて 大萱生さまと山北駅前の老舗旅館「旭屋旅館」で おそめの昼食をいただいておりましたときのことで... [続きを読む]

受信: 2008/10/24 9:10:20

» 他者との出会い トラックバック 須磨寺ものがたり
月に一回ある会合で、 テーマにそって話していると、 「ええ、この人はそんな事を考えているのか」と、 以外な発見をすることがある。 [続きを読む]

受信: 2008/10/24 11:39:46

コメント

初めまして。茂木様。いつもテレビで拝見しています。
私もマジック大好きですよ。種も仕掛けもあるのに、全然見抜けなくて驚かされています。少し前までは、大道芸にハマっていました。暇があれば大道芸を見に、お台場へ足を運んでいたことも。パフォーマーは、素晴らしいですね。見る人を引き込む力と呼び寄せる力を持っているので、すごく勉強になります。

投稿: ななし | 2009/01/04 23:32:58

私が茂木さんの意見をずっと気にする大きな理由は、前にも書いたと思いますがが、ラカンの「他者の欲望」、廣松渉の「意識は外にある」の衝撃を引きずっているからです。

今回の引用を拝見して、最近思っていることとの関連を少し書きます。

学生オーケストラにいたころ、個々の奏者にとって聴こえる音は自分の音と回りの楽器の音であり、例えば後ろでトロンボーンにバーンと大きな音を出された場合などは、名曲の一部を担当しているということが信じられないような音の塊の中に置かれた。名曲は各パーツの現実とはかけ離れたものでした。
一方、ホールの特等席に居る聴衆は甘美な名曲という<イリュージョン>を味わっている。

こういう意味で、マジシャンが凝った細部の物理的仕掛けから、<イリュージョン>を創作して楽しませることと、凝ったパート指定から名曲が鳴り響くことは同じです。

これらを楽しむ脳は物理的規則に従うのでしょうが、各パーツの解明に比較して、この感銘の総体の客観的理解は極めて難しいことはよく判る。

(今回のコメントも切れ味ないなあ)


投稿: fructose | 2008/10/26 23:28:49

マジックということで思い出すのは、夜の8時台に、初代引田天功さんのやっていたマジック番組を思い出す。

特に…これは番組の中で毎週のようにやっていたのかどうか記憶が曖昧だが、今思えば、フーディニの流れを汲んでいる“大脱出”は本当に見物だった。

TVのブラウン管の前で、何時も、今回は果たして無事に脱出できるのか?というわくわくなスリル感を味わったものです。

一番印象に残っているのは、炎上するジェットコースターから天功さんが脱出するマジックで、何時の間にか本人がコースターの外に出ていたというものだった。

うわ~!これぞまさに「イリュージョン!!」と子供心に思ったのだった…。

その初代天功さんも今は亡くなり、現在は弟子のプリンセス・天功さんが活躍為さっている。

しかし、近年見た、ディヴィッド・カッパーフィールドのイリュージョンには、天功さんのそれよりもビックリした。

「種もしかけも御座いません」とはまさにあのようなマジックをいうのだろう…。


人生には、現実と仮想との間を、やじろべえのように落ちるようで落ちない、絶妙なバランスを取りながら、行ったり来たりする、そんな一面があるような気がしている。

その一面の中に、仮想の…楽しい夢の一瞬としてマジックがあるような気がしている。

然し…本当の“マジック”は、明日死んでしまうかもしれない一介の生命体である「私」に「明日」=「未来」が来るということなのかもしれない。でも、これはマジックと言うよりは「ミラクル」と言った方がいいかもしれない…。

ところで、自分の場合、最近、二の腕を触ると、如何も何となく“ポ~ニョポニョ♪”としてきているような…。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/10/25 19:08:23

最近、因果律が、記述しきれていないのではないかという、思いがあります。
なによりもまず、現状の記述では、
因果律そのものは因果律に付随していそうにありません。
それはなにより、因果律というものが、
具体的な存在、具体的な関係から、私達によって抽象されてきた概念でもあるからです。
だからこそ、因果律は幻だとか、間違っているとか、そのようには思いませんが、
何か決定的な見落としがあるように思います。

意識は因果律に随わないかのような安易な議論は、
物理学的な諸法則から心を真摯に捉えていこうという態度が欠如していると思いますが、
しかし”現状の”物理学によって意識を還元していくのも何だか違うように感じます。

投稿: 金田恭俊 | 2008/10/25 13:15:49

お早うございます。
ポニョポニョ♪してほっとしていらっしゃる茂木先生の可愛らしさにぽっとします。(*´∀`*)
仮想だけでも現実だけでも人生を愉しむ事は出来ないですよね。
バランスをとりながら、感情のバブルを弾かせながら…仮想が現実を動かしはじめる奇跡に出会えるように先ずは今日やるべき事、達成した小さな喜びを大切に地道にいきたいと思います。
ポニョポニョ♪茂木先生今日も良い1日をお過ごし下さいませ。(*^▽^*)ノシ

投稿: WAHINE | 2008/10/25 7:44:38

『あの素晴しい愛をもう一度』なつかしいなぁ。

中学生だったころ、既にフォークの名曲の地位にあった。親にせがんで、ギターを買ってもらって、友達とフォークソング・クラブを結成して・・。

私たちのころは、かぐや姫、吉田拓郎、井上陽水が全盛で、ふつうの歌謡曲とは違うのだぞ。事務所や会社に所属してなくて、自分たちで曲を作って歌ってスゴイのだぞ。嬬恋コンサートだぞ、と。

基本的なコードを10個くらい覚えると、結構、弾ける曲が多く、その気になることができて、C、F、大丈夫。行ける、行ける。Dm、Bm、なんの、なんの、と調子よく。で、突如、出現する「Em♭7」。「な、何なのか、これは?」数学か理科の公式のような・・・悪い冗談はやめてくれ。まあ、見なかったことにして、「むにゃむにゃ~」とスルーしようぜ・・。

茂木さんのブログに時に登場する懐かしい言葉は、完全に忘れていた昔のことが思い出され、これは、今のとき、とても大事なことと思われ、先般の21世紀美術館でのリリーさん、桑原さんとの御鼎談でも、茂木さんは言及され。

「ネットの時代だけど、ネットのどこを探しても見つからないもの。それは自分だけの大切な思い出。バレンタインデーにチョコレートを女の子から・・。あのときの感じは世界中のネットのどこを探しても見つからない。」

さすれば、思い出からしか新たな創造は生まれない、という茂木さんの最近の思索は、理論上も実際上も正しく・・。そういえば、『思考の補助線』にも、その辺のことが書いてあったぞ。ひもとけ。ペンローズ教授さんの言葉の後あたり、、、。ああ、ここ。

創造するとは、批評性を「も」って思い出すことである、と陳述して「も」よい。想起のダイナミク「ス」に批評性が埋め込まれることで、驚くべき「傑」作群が生み出「さ」れ、新しい数学の定理が証明され、そして科学的インスピレーショ「ン」が訪れるのである。(同書、182ページより。)

お~い、誰だよ。おれの大事な本に、「」の書き込みなんかしないでくれないかなー。

おや?「」の字を順番にたどると、どこかでお見かけした方のお名前が立ち上がってくるような・・。まさか。気のせいだよ・・・。


投稿: 砂山鉄夫 | 2008/10/25 0:16:31

茂木さん、こんばんは☆★☆

昨日は、
すごい方々とお話されたのですね!

そして、金さんのお腹をポニョポニョしたのですね(笑)!!
うーーむ・・・
ご自分のお腹をポニョポニョでは
生きる実感はなかなか伴わないですかね。

今日茂木さんを見習って
母親のお腹をポニョポニョしようと思ったら
ケンカ中だからか、
「気持ち悪い!」と一蹴されました・・・オヨヨ

自分のお腹をポニョポニョポニョする勇気は出ませんでした(爆)
なので、うさぎの顔をポニュポニュしたら、
うさぎはもっとポニョポニョして~と喜んでいました(笑)

うさぎは温かくてふわふわで
お鼻をヒクヒクさせて、癒しを頂きました。


『生きているということの実感が
一番高まるのは、
抵抗感や、不安や、魂を
がさがささせるものが
自分の中で渦巻く時で、
それは「安心立命」の境地とは
異なる。』

確かに、
平穏無事な時よりも、
何か問題に取り組んでいるときが
生きている実感が高まりますよね。

今日、それを実感することがありまして。
親友から、聞いてほしいことがあると。
それは、罪の告白でした。
親友は、
自らの罪に、深く後悔し、自責の念で
苦しんでいました。
ストレス性の病気を発症するくらい・・・

私は、以前、茂木さんの日記にコメントした
キリストの復活によって
弟子の信仰は本物になったという話を思い出していました。

そしてそれを親友に伝えることで、
親友は私の鏡になってくれました。

私の中にも、
罪の意識、自責の念というのはまだ
残っていたようです。
罪の意識、自責の念というのは、
とても人間を苦しめます。
どこかで気付かなければ、
一生その呪縛から抜けられないまま
自らの人生を
まるで牢獄に閉じ込めたようにしてしまうこともあります。

私は自分の中の苦しみを
親友という鏡によって教えてもらい
そして
生かされているんだ、信頼されているんだと
再度気付かされました。

思わず、涙が一粒二粒、
それはまた喜びの涙でもありました。

苦しいことはたくさんあるけれど、
その中から、
意味を見つけ出した時、

自分が今ここに生きて成長しているんだという
力強い実感を伴うんだということに
気が付きました。

その中で
時々、ポニョポニョな癒しが
人を豊かにするのかな~~(笑)

今日も素晴らしい日記
ありがとうございましたm(__)m

投稿: ももすけ | 2008/10/24 23:02:53

茂木さん、こんばんは。昨日のジュンク堂は、サイン会があった本店ではなくてヒルトンプラザの中にある方ですね?私、反対に茂木さんから教わりました。失礼いたしました!ヒルトンの中に書店があったのですね。今度、行ってみたいと思います。今、父のお見舞いで実家へ。明日も携帯からのメールになりそうです。では

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/10/24 20:18:18

お腹をポニョポニョって まぁーた今日もかわいい先生でした。
先生のお腹もきっとポニョポニョしてるのでは・・・と、私も
触ってみたいですよ。

そして、どうして急にマジックが見たい!となるのか・・・と
なりましたが、先生のお気持ちなのですねぇ。

投稿: 穂 | 2008/10/24 18:56:08

茂木健一郎さま

文中で 引田天功さまと

引田天功さまと言えば 私はFMヨコハマさまから頂いた切符です

引田天功さまが呼びかけられ 多くのマジシャンの皆様も集い

サッカーワールドカップ 日本で開催、その前年イベントとして
NHKテレビさまも中継録画

あれ、なんですね 始まる前に拍手を録音されるんですね

皆さん!ご協力を!で、録音されましたが事前に拍手を
しかし
もっとも
開演の時の拍手、イリュージョンが決まった時の拍手が凄くて

あれは事前の拍手の録音は不要だったのでは、素人の私、個人的には今でもそう感じています。

素晴らしかったイリュージョン、ふと想い出しました。

投稿: HIDEKI TOKYO | 2008/10/24 18:29:43

茂木さん、こんにちは。仕事の合間をみて今日は携帯からなので手短にコメントします。「帰ってきたヨッパライ」とは、随分懐かしいですね。それから私はどちらかと言えば、平和主義です。あまりというか、殆ど喧嘩をしません。だからたま~に怒っている人をみるとどうして怒るのかしら?と思ってしまいます。笑う事は脳にもよいのに・・・。マジックですか?う~ん、マジックを観るのは私も好きですが、ラス・ヴェガスで観たのが最後でしたねー。お腹のポニョ(笑)確かに安心感に通じていますね。(笑)ポニョ~っとしている間はお愛嬌でしょう。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/10/24 13:54:54

こんにちわ

ミラーニューロンを考えていたのですが、順化ミラーニューロン、反化ミラーニューロンに分かれるのではないかと考えました。

順化ミラーニューロンは普通のミラー状態ですが、反化ミラーニューロンは、たとえば、相手が愉快の時に不愉快になり、相手が、不愉快の時に、愉快になる事です。

たとえば、野球などで、敵チームの好プレーは、不愉快になり、味方チームの好プレーは、愉快になります。


ちなみに、私も、お腹にポニョがいます。(^^)

投稿: ミラーニューロンのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/10/24 12:29:43

南直哉さんの言葉は、心に残りました。

とくに
”人生を「質入れ」しないこと”や
”生きているということの実感が一番高まる条件”のくだりが‥‥

後段のマジックについての考察も刺激的でした。
自由度の高い仮想を生み出す脳神経細胞やそのネットワークも 伝導や化学的伝達など しっかり物理化学法則の枠の範囲に閉じこめられていることを思うと 脳の働きというものは不思議です

投稿: GenunSai | 2008/10/24 11:00:54

おはようございます。
「生きているということの実感」と言う言葉がひっかっかって、
何度も心でコロコロ転がしていました。
そうして思ったのは先生が感じて、書かれていらっしゃることは心理学的な解釈に感じてきました。
先生が後から書かれた「安心立命」と言う言葉を検索して見たら、
私の場合ですが、生きている実感はやっぱり「安心立命」の
方がぴったりでした。

と言うのは、私が生きている実感を感じる時とは何時も感謝が存在しているからではないかと思うのです。


1日が終わって太陽が沈み行く姿を見て今日1日生きてきたんだな…。
こうやって生きていれるんだな…。とか。
夜、お布団に入って、静かに眠りにいざなわれ行く自分を感じた時に
ああ、生きているんだな~いい一日だったな~とか。

それが私にとっての「生きている実感」なんです。

…「それは、幸せだろう」と言われるかもしれませんが、生きているって事は幸せなんだから、生きている実感を感じるってことは幸せも一緒に感じることだ…って思うのですが……。

やっぱり、男と女の違いでしょうか?

…でも、先生の言われていることも分かります。
戦っている自分を感じる時、前に進んでいる時、前を見つめて
いる時、扉を開こうとしている時、キラキラ輝いて…それはあたかも快楽に似た生きている実感。甘美を伴った不思議な生きている実感。…
(先生の言われているのと違うかな?)

「生きている実感」って言葉……。
七色飴に似ていますね。

答えがぐるぐるしたこんな時は、よっぱらいちゃうのが
一番かも…勿論歌で。
♪おらは死んじまっただ~
♪おらは死んじまっただ~
♪天国いっただ~

>ポニョポニョすることの
快楽。

そこには、ほっとする「生命」の
感触があった。


私はほっぺたプシュ~が好きです。
そんでプシュプシュ攻撃~。

でも信頼関係が無ければなりたたないことですよね。

無邪気にじゃれ合う相手が早くほしい~(TT)って、
「おいおい、ちょっと違うぞ」って言われちゃいますね(笑い)

さてさて、10月24日。
今日、茂木先生はどちらにいらっしゃるのでしょうか?
昨年の10月24日にいらっしゃった所に今日私が居ます。

「なんで、そこに、この日に先生が居るの!!」って衝撃を
受けた不思議なトンネルの物語がそこにあったんです。

さぁ~て、さぁてぇ
「あすかの摩訶不思議の世界へようこそ」

なんちゃって(^^)

投稿: あすか | 2008/10/24 10:22:32

茂木さん、おはようございます。

今度の日曜、小倉に行きます。友人の結婚式です。

小倉は、茂木さんのお母さんの故郷ですね。
茂木さんのルーツ、小倉の空気を吸えるのが楽しみです。

どこかに、茂木さんがおられそうで。

マジックが見たい。

小倉で、マジックの夢を見てきます。

投稿: 月のひかり | 2008/10/24 10:00:01

初めまして。いつもいろんな所で拝見させていただいてます。

知人がマジックを趣味としていたのを思い出しました。
結構マジメに研究していたようなので、そこまでしてやる理由を聞いたら、「子供の前では魔法使いになりたい」みたいな事を言っていたのが、とても印象に残っています。

物理の世界というのは、その分野にあまり興味がない人から見れば、時として夢を奪いもするし与えたりもする、以外に曖昧な存在イメージが自分にはあります。
つまり「ああ。無理なんだ物理的に」と「すごい。こんな事が可能なんだ」の境界線を反復横飛びしている感じでしょうか?

絶対的な物理法則を、いつかは科学がうち破ってくれるのではという、ちょっと矛盾した期待があるわけでして。

だから自分は、怪しげな科学話に心を引きつけられるのでしょうね。マイナスイオンとか。
口では警戒しながら…、心地よく騙されている毎日です。

投稿: tendo-1 | 2008/10/24 9:44:35

コメントを書く